1%のミス
公共サービスを市場原理にまかせた場合、どのような問題が起こるのか。医療過誤、マネジドケアの問題を扱った「アメリカ医療の光と影」を読んだ。
医療技術の観点からも、そして「医療がまきおこす様々な社会問題」の観点からも、常に「世界の最先端」をひた走るアメリカ医学界の諸事例は大変スリリングであり、非常に興味深く読むことができた。
ひとつ印象深かったデータを紹介。
---
(ハーバード大学公衆衛生学部)のリープたちの研究が、全米で知られるようになったのは、1991年にニューイングランドジャーナルオブメディシン誌に発表された論文からである。
ニューヨーク州の51病院を大将として、医療事故の発生頻度を調査した論文であるが、1984年度の入院患者のカルテをランダムに3万冊抜き取り、それぞれの症例で医療事故発生の有無を子細に検討したのである。
その結果、医療事故の発生は1133件(3.7%)、うち医療側の過誤による医療事故が280件(0.9%)にのぼることが判明した。
ちなみにカリフォルニア医師会が行った調査でも、医療事故の頻度は4.6%、うち医療過誤の頻度は0.8%と類似の結果がでている。
(中略)
リー婦らのニューヨーク州での調査結果を全米に当てはめると、毎年350万人の入院患者が医療過誤に遭遇し、このうち10万人が死亡していると推計されたのであった。
医療過誤での年間死亡者数が、交通事故死(4万5000人)の二倍以上にも達するという調査結果は、全米の医療界に大きな衝撃を与えた・・・・・・
---
このデータの信憑性については、僕自身が専門ではないので判断はできない。
ただ、もし仮に正しいとした場合、すべての医療や診断のシステム、制度、ルールは、「専門家は誤りをおかすものだ」ということを前提に設計する必要がある。「専門家は常に合理的な判断を行える主体である」と考えることは、非常に危険なことである、といえるのではないかと思う。
先日読んだ本には、「プロフェッショナル」とは、まだよくわかっていない面倒な問題を何とかしてこなす職業」であるとあった。「未知の領域に格闘する」のが専門家である以上、過誤はつきものである。
専門家が専門家である以上、「1%」は歴然としてある。
問題は「1%がある」ことではない。
1%をいったん認め、それをいかに減らすかである。
投稿者 jun : 2006年06月30日 06:21 | トラックバック
帝国ホテルのビュッフェに行った!
先日、帝国ホテルのビュッフェに、カミサンとでかけた。「腹一杯、好きなものを食べたかった」らしい。欠食児童のように「バイキング、バイキング」と懇願していた。そこまで言われたら、行かざるをえない。
---
インペリアルバイキング サール
http://www.imperialhotel.co.jp/cgi-bin/imperial_hp/index.cgi?ac1=JTR&ac2=sal&ac3=&Page=hpd_view
帝国ホテルは、ホテルオークラ、ホテルニューオータニとならんで「御三家」とよばれるホテルである。鹿鳴館時代に、外国人接待用に国策として建てられた経緯をもつ。
「帝国ホテルの料理」といえば、かつて総料理長をつとめた村上信夫さんが、とても有名だ。バイキングというサーブ形式は、村上さんが総料理長の時代に、日本ではじめて導入したのだそうだ。
コンラッド、ペニンシュラ、リッツなど、大手海外資本のホテルが東京にひしめこうとしている現在では隔世の感があるが、確かに帝国ホテルは、一時期、日本の洋食界をリードしつづける存在であったと言われている。
ちなみに、北海道増毛の出身で、いまやレストランを多角経営する三國清三さんも、ここの出身である。
三國清三(オテル・ドゥ・ミクニ)
http://www.oui-mikuni.co.jp/cgi-local/top/index.cgi
---
さてバイキングに話を戻す。
一般にバイキングというと、「質より量」「安かろう、マズかろう」のイメージがあるが、帝国ホテルに関しては、そんな不安は無縁だった。
提供される料理の中で、何ひとつとして、「あぁ、やっぱりヴァイキングだよな」と思ってしまうような代物はなかった。コーナーは、前菜、メイン、デザートに分けられており、順番にとりわけて、好きなだけ食べることができるのは、やはりビュッフェの醍醐味か。


特に、個人的には、シェフがひとつずつ作ってくれる「エスカルゴのジェノバ風シチュー」は、大変おいしゅうござった。身はとてもコリコリとしている。濃厚なスープにからめて食べる。思わず、もう一皿頼んでしまおうか、と思った。
どうせビュッフェに行くのなら、おすすめである。ちなみに、予約はとったほうがいいと思う。インターネットでもできる。
---
それにしても、うちのカミサンはバイキングが好きだ。
そのくせ、食べ終わったあとで
「ちー、こんなに食べなければよかった」
というのは、やめてほしい(笑)。
投稿者 jun : 2006年06月29日 09:39 | コメント (4) | トラックバック
言葉を失うゲーム
これらのゲームが訴えていることの意味を知っていると - つまりは、難民問題、国際問題の社会的背景や周辺知識を知っていると - プレイしていて、なんだか言葉を失いますね。気軽には遊べない。
ゲームは世界を救えるか?
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0606/28/news102.html
逆にそういうのがないと、スーパーマリオとかと同じゲームと同じように、「気軽にプレイ」でき、「気軽にリセット」できてしまうんだとすると、どうも恐ろしい。
やはりゲームを含んだカリキュラムのデザインが不可欠だと思いました。
追伸.
ちなみに、僕らが今開発している「なりきりEnglish」は、人によっては「シリアスゲーム」と見えるのかな、とも思っています。・・・といってよいかわからないけれど、僕個人はそう言えるんじゃないかなと思っています。大局的にいえば「ゲームの教育利用」ですので、そこには研究のオリジナリティはありません。じゃあ、どこにオリジナリティをおくのか?? そりゃ、秘密。
「なりきり」プロジェクトの話題は、またいずれ別の機会で。
投稿者 jun : 2006年06月28日 21:36 | トラックバック
僕の苦手なオトナ語たち : ~しながら、~しつつ
「真実らしきもの」をひとつ見つけた。
大人が会話の中で頻繁に使用する「~しながら」「~しつつ」という言葉の「~」の部分は、達成されることが少ない
という発見である。
たとえば、下記のような「オトナ・センテンス」がある。
この問題に関しましては、最新の研究動向をキャッチアップしつつ、現在提案されている案をもとに、最善な解決策を探していきたいと感じている所存です。
先ほどの発見にしたがうならば、この場合は「最新の研究動向のキャッチアップ」は行われる確率が極めて低い。結局は、なし崩し的に、おそらく、「現在提案されている案」がそのまま採択されることになるだろう。
つまり、「~しながら」「~しつつ」という言葉は、単に「~の部分も僕は配慮してるんですよー」というポーズのために、「その場しのぎ」的に使用されているだけであることが多い。要するに、はなっから「やる気がない」ことが多いのである。「わたしは気にかけているってことはわかってくださいね、だけど、全く本当に配慮する気はないんですけどね、でへ」という感じである。
「~しながら」「~しつつ」のような「語り口」が支配している場に参加することは、僕はあまり好きではない。生粋の「せっかちさん」なので、だんだんと本心が読めなくなって、イライラしてくる。いや、本心が読めてイライラするのかも。
僕は使わないようにしよう、と思う。
投稿者 jun : 2006年06月28日 18:00 | コメント (2) | トラックバック
アンチマクドナルドのシリアスゲーム
藤本さんのサイトで紹介されていたアンチ・マクドナルドのシリアスゲームをやってみた。すぐに経営破綻した。
マクドナルドのシリアスゲーム
http://anotherway.jp/seriousgamesjapan/

強烈な批判・・・イデオロギーの戦争ですね。
投稿者 jun : 2006年06月28日 08:27 | コメント (1) | トラックバック
プロフェッショナルの人材育成
小池和男先生編の「プロフェッショナルの人材開発」という新刊を読み終えた。
本書におけるプロフェッショナルとは「まだよくわかっていない面倒な問題を何とかしてこなす職業」のことである。
一般にプロフェッショナルというと、膨大なナレッジベースを有した「能力ある個人」を想定してしまいがちだ。弁護士、医師などがそれにあたるとされる。しかし、プロフェッショナルの人材育成は、組織において行われる、というのが本書の主張である。
新聞記者、製薬企業の研究者、ファンドマネージャなど、これまで分析が十分なされてこなかった人材育成の様子を明らかにしようとしている。
それでは、組織においてプロフェッショナルは、どのように育成されるか。それは「どのような仕事をしてきたのか=キャリア」を通じてであると、筆者らは考えている。
故に、研究方法論としては、当該人物が、どのような仕事に従事してきたのか、というヒストリカルな方法が採用される。キャリアの比較・・・つまりは、ある仕事についた人たちが、それまでどのような仕事をしてきたのかを調べ、その共通点、相違点にプロフェッショナルの存立のきっかけを見ようとする。
たとえば株価の予想を行う新聞記者の場合、最初は「企業業績データを収集する仕事」から、選抜をへて、「株価の変動要因を予想する仕事」へと移行している。
「業績を集める仕事」の中に、「株価の予想」を行う仕事に必要な知識、経験が凝縮されているのである。
もちろん、小池先生といえば、「聞き取り」という研究方法論がとても有名だ。キャリアの比較を補完するデータとして関係者の「聞き取り」などが行われている。
(ちなみに、この聞き取りの作法は本当にタメになる本である。組織を研究対象にしている人にはぜひおすすめである)
---
本書を読んでいて、下記のことを考えた。
現在、一般にOJTを研究対象としようとする場合、小池先生らのように人材育成を「キャリアの蓄積」と見る労働経済学的な研究がある。
一方で、ある企業のあるシーンにおいて、先輩と後輩、後輩と後輩の間で達成される「相互行為」を学習と見なす、状況論風の微視的な研究群がある。
他にもいろいろあるけれど、大きく分ければこの2つだろう。ここでは詳しくは書かないけれど、どちらも「見えるもの」と「見えない」ものがある。
僕個人としては、その中間に位置するような、ミドルレベルの研究がオモシロイなぁと思う。しかし、それをどういう方法論で実現するか・・・。そのあたりが大変悩ましい。
そして、今日も朝がくる。
投稿者 jun : 2006年06月28日 06:54 | トラックバック
【残り8席】米国チルドレンズ・ミュージアムの最新動向
結構埋まってきましたので、ご希望の方はお早めにお申し込みください。お申し込みは、atusaka [at mark] educetech.orgまでメールを御願いします。
===================================================
Learning bar@Todai 2006年7月
「米国チルドレンズ・ミュージアムの最新動向」
===================================================
2006年7月のLearning barは、ミュージアムに焦点
をあてます。乃村工藝社 三上戸美さんをスピーカー
にお招きし、「米国チルドレンズ・ミュージアムの最
新動向」について、ご報告いただきます。
三上さんは昨年、米国いくつかのチルドレンズ・ミ
ュージアムを調査し、報告書をまとめる仕事に従事な
さっていました。
その様子は文化環境研究所のだしている「Cultivate」
でも特集されています。
当日は、豊富な写真、資料等をお持ち頂ける予定だ
そうです。
ぜひ、ふるってご参加下さい!
中原 淳
---------------------------------------------------
●日時
2006年7月11日 午後7時より
●場所
東京大学大学総合教育研究センター MEET講座
http://utmeet.jp/access/index.html
●主催
東京大学教育環境リデザインプロジェクト
NPO法人EDUCE TECHNOLOGIES
●講演者
乃村工藝社 三上戸美氏
●参加者
20名
●参加申し込み
氏名、ご所属等を明示のうえ、下記までメールを
ください。準備のご都合がありますので、キャンセル
の際は、必ず事前にご連絡をいただければ幸いです。
問い合わせ先:atusaka [at mark] educetech.org
(坂本)
===================================================
投稿者 jun : 2006年06月28日 06:25 | トラックバック
Always 三丁目の夕日
「Always 三丁目の夕日」をレンタルビデオで見た。
僕が生まれる17年前・・・昭和33年、1958年の東京。
短気オヤジの則文が家族経営している自動車修理工場で、青森から集団就職してきた六子が働き始める。
工場の向かいでは、茶川という作家くずれの文学青年が少年誌に冒険小説を投稿しながら駄菓子屋を営んでいる。ひょんなコトから、近所の一杯飲み屋のヒロミから、身よりのない子どもを預かることに・・・。
「Always 三丁目の夕日」は、この修理工場と駄菓子屋での「日常の出来事」を中心にしたレトロ感覚あふれる物語。
ストーリーに明確な「山」があるわけでも、「谷」があるわけでもない。平凡な下町の日々がつづられており、それがかえって、琴線にふれる。
昭和33年・・・携帯もDSもインターネットも、もちろんなかった。しかし、それは日本人が、日々、「自分たちが豊かになっていく感覚」を感じることのできた時代であった。三種の神器が、庶民の手にようやく届くようになっていた。
昨日よりは、今日。
今日よりは明日。
明日よりはあさって。
たとえ今日が貧しくとも、明日にはもっと豊かになれるはずだ。この時代に生きていた人たちは、そう、心の底から信じることができたのではないかと邪推する。少なくとも、Alwaysを見ていると、そのように感じる。
もちろん、だからといって、この時代に生まれてみたかった、とはあまり思わない。僕は昭和50年でいい。でも、心のどこかで、その時代の雰囲気を、なぜだか羨ましくも思う自分に気づく。
Alwaysはノスタルジーを誘う。
「いつか見たような風景」が、そこにある。
投稿者 jun : 2006年06月27日 06:00 | コメント (2) | トラックバック
キリリとした文章 : 外山滋比古さんのエッセイに思う
文章を読んだり、書いたりすることは、僕の仕事の中心的活動のひとつです。
寝るまえの読書、そして、つれづれの書き物。一ヶ月ということになると、数十冊の本を読み、原稿用紙数百枚分の文章を書くことになるのかもしれません。
「口から生まれてきた」と親に嘆かれる私ではありますが、僕にとって「読むこと」「書くこと」は、そのこと以上に、常に「隣」にあります。
そして、自分がそうした境遇にいるせいだからでしょうか。「文章を読む・書く」そのことにも、大きな興味をもっています。「なんとかして、効率的に読み、効果的に書くことはできぬものか」と日々願い、関連する書物に目を通したりすることが少なくありません。
昨日、たまたま、外山滋比古さんの「文章を書くこころ」という本を読み機会に恵まれました。散歩のときに立ち寄った古本屋で、ふと書棚を見上げたところに「ムムム、これは」と見つけたのです。それは、「青年の一目惚れ」に似た偶然の出会いでした。
しかし「出会いこそ偶然の産物」ではありましたが、なかなか含蓄の深い本でありました。上手な文章を書くためには、どのような準備をすればよいか。どのような教育が必要なのか。
英文学者、言語学者にして、最も有名なエッセイストの一人である外山先生の語る言葉には、非常に重みがありました。
その中から、とっても印象深かったお話を3つ引用します。ともに「文章の長さ」に関係するものです。「言いたいこと」「伝えたいこと」を短い文章にまとめることが、どんなに難しいことか。
---
第一世界大戦のときのアメリカ大統領ウッドロー・ウィルソンは、雄弁家として世界的に有名だが、こういうことを言った。
「一時間ぐらいの長い演説なら、何の準備もなし、即座に演壇にのぼって始められる。二十分のものだったら二時間の準備がいる。もし五分間スピーチなら、一日一晩の支度がないと引き受けられない」
(p18より引用)
---
南極観測船「ふじ」に乗り組んでいる夫にあてて、日本にいる若妻からうった年賀電報は、たった三字。
「ア ナ タ」
であった。ここにはいくら長々と話しても伝えられない熱い思いがこめられている。第三者が読んでも、胸をしめつけられるような気持ちになる。
(p45より引用)
---
ある意義知るの学者の言葉に、文章の主題は「ひとつのセンテンスで表現できるものでなくてはならない」と言っている。(中略)
論文を書く学生が相談にくる。テーマは何だと聞くと、5分も10分もしゃべる学生が少なくない。そういうとき、この言葉をひいて、ひと口で言えないようでは、まだ考えが熟していないと忠告することにしている。
長々と主題を説明しなくてはならないのは、あれもこれもと欲張るからである。(中略)一口で言えてはじめて、テーマはできたとなる。
(p55より引用)
ネギもトリ肉もあっていいが、竹串にさしてないと焼き鳥にはならない。テーマは、その竹串のようなものだ。「テーマは何か?」と聞かれたら、「こう」と一口に言えるようでなければならない。
(p105より引用)
---
短くまとめることは、かくも難しいことなのです。しかし、そうした「キリリとした文章」こそが、人の心を動かし、納得をよぶものなのかもしれません。
追伸.
それにしても、
「ア ナ タ」
とは!!
いやぁ心憎い。こんなラブレターを受け取ってしまったら、妄想がふくらみますね。ホーキング先生も腰抜かす妄想ビックバン!。僕だったら、その後、一週間は、「ダメ人間」だね。「なんで南極くんだりまで・・・」とか言って、ホームシックになっちゃうよねぇ。恐るべし若妻。
投稿者 jun : 2006年06月26日 04:42 | コメント (2) | トラックバック
Me and My girl (ミー・アンド・マイガール)
今日は、カミサンと帝国劇場に「Me & My girl」というミュージカルを見に行きました。「どうしても、今、見ておきたい!?」というカミサンの願いでした。こうなってしまいますと、基本的にワタクシメに、「拒否する権限」は全くございません。スゴスゴと・・・というのは大嘘で、「おい、何やってんだ、トロクセーな、はやく行くぞ」くらいの勢いで、喜び勇んで劇場に向かいます。
Me & My girl
http://www.toho.co.jp/stage/meandmygirl/welcome-j.html
Me & My girl blog(ビデオたくさんあるよ)
http://mam.toho-stage.com/
ストーリーは、一言でいいますと「身分違いの恋」ということでしょうか。
ヘアフォード伯爵家の跡取りに急遽なることになった、ロンドンの下町っ子ビリー。彼には、サリーという恋人がおったのですが、階級が違うからという理由で遠ざけられます。最後にはハッピーエンドになるのですが、それまでのドタバタを本当にオモシロく描いています。本当にオモシロイよ、マジで。
ストーリー展開自体は、古典的、かつ典型的なラブストーリーで、特にことさらに注目するべきことはあまりありません。だけどね、このミュージカル、2つの点でスゴイなぁと思いました。
まず、1つめ。
劇場開場は30分前なのですが、だいたい15分前になると、帝国劇場の入り口あたりの階段のところで、オーケストラと、役者がでてきてパフォーマンスをするのですね。このミュージカルで一番盛り上がる曲、「ランベス・ウォーク」の練習になっています。ここで客との一体感がすでにできあがってしまうのですね。結局、ラストにはお客さん全員総立ちの「ランベス・ウォーク」になります。この演出というか、しかけがすごいなぁと思いました。
2つめ。
これはミュージカルそのものではないのだけれども、主演の井上芳雄さんは、本当にうまかった。さすがは「ミュージカル界の若きプリンス」とよばれているだけはあります。歌、踊り、台詞、笑い、すべてにパーフェクトですね。まだ26歳だそうです。これから期待の新人ですね。
---
Me & My girlは、残念ながら、明日が千秋楽ですが、きっとまた帝国劇場でやるでしょう。おすすめのミュージカルです。最初から最後までノンストップで笑えると思う。
投稿者 jun : 2006年06月25日 19:00 | トラックバック
千の夜と一つの朝
ところで、「千の夜と一つの朝」という歌をご存じですか? 先日、共同研究者何名かで、ナツメロの話をしていたときに、「なんの曲が好きか?」って話になったんだよね。
僕は、この曲の「サビ」だけを覚えていた。曲名とかでてこなかったんだけれども・・・。で、今日、また久しぶりに思い出して、ググッて、ようやく曲名、歌詞ともにわかりました。
でもさ、カミサンに聞いたら、「知らん」と冷たく言い放たれ、さらには「それ、北海道だけで流行っていたんちゃうの?」「絶対、道産子系の曲だって」と言われる始末。
オマエ、道産子系とは何事だ!
「奈良臭」ただよってるくせに!
ちなみに「千の夜と一つの朝」は、1991年の曲。そんな昔の曲なのに、「なぜ 2人だけ別々の夜を終わらせなきゃいけないの」のところのサビだけは覚えていたんだよねぇ・・・不思議だねぇ、脳って。脳トレによると、僕の脳年齢は78歳らしいけど(殺す!)。僕の脳、まだまだイケてるんちゃうの?
---
千の夜と一つの朝
作詞:elli
歩道橋の手すりに 頬づえついたままで
あなたのこと困らせた 終電はすぐそこ
ケンカさえも まだ終わらないのに 今日も
この場所から はがされてゆく
こんなに愛してるのに
なぜ 2人だけ別々の夜を終わらせなきゃいけないの
あと どれだけ夜を数えたら 光る朝に出会えるの
投稿者 jun : 2006年06月25日 07:00 | コメント (2) | トラックバック
居酒屋のワタミ、介護の専門大学院を設立へ
居酒屋のワタミが、介護の専門大学院を設立するそうです。
ASAHI.COM
http://www.asahi.com/life/update/0624/005.html
ワタミは居酒屋だけでなく、介護施設も運用しているのですね。
レストヴィラ
http://www.restvilla.co.jp/
実学志向の株式会社立大学院・・・その動きは、とどまることを知りません。
投稿者 jun : 2006年06月24日 21:08 | トラックバック
Web2.0時代、消費行動が変わった!?
朝はスポーツジムで3時間ほど運動。1時間ランニング、2時間エクササイズ。トレーナーには、「中原さん、最近、カラダの調子がよくなってきたんじゃない?」と言われる。「いいところに気がついたね」とかえす、談笑。
昼、大学へ。プロジェクトのための資料づくり。
午後2時、BEATの「Web2.0セミナー」へ参加。
久松さんの講演では、Web2.0の関連知識を「おさらい」させてもらった。下記のようなサイトが、「目をつぶりながら腕立て伏せしているうち」にできてしまうそうです。スゴイ。
直島MAP
http://www.artmap.jp/naoshima/
ニールセン・ネットレイティングスの荻原社長の講演の中で、Web2.0時代になって「消費行動モデル」が変わってきた、という話は面白かった。
かつての消費行動は、いわゆる「AIDMA」。
1.Attention(注意)
↓
2.Interest(興味)
↓
3.Desire(欲望)
↓
4.Memorize(記憶)
↓
5.Action(購買)
でしたね。マス広告をうって1と2を獲得する。で、3と4がブラックボックスになって、5につながる。これが大量消費時代の消費行動だった。
ところが、Web2.0時代になると下記のように変わるんだって。「AISAS」です。
1.Attention(注意)
↓
2.Interest(興味)
↓
3.Search(探索)
↓
4.Action(購買)
↓
5.Share(共有)→CGM(Contents Generated Media)
マス広告で1と2を刺激するのは変わりません。その後、興味をもった消費者は、Webを探索しはじめる。今は型番とか入れれば、容易に「クチコミ」が手に入りますよね。で、それで散々学習したあと、購買に走る。
で、ここからがオモシロイんだけど、これで終わりじゃないんだ。最後には、今度は自ら自分が「クチコミ」に参加する。そのときに使われるのが、CGM(Contents Generated Media)とよばれる、BlogやCoI(Community of Interest)、Mixiなどのsocial networking serviceです。
ちなみに、日本でもっとも「一人あたりの利用時間が長いWebサービス」はMixiだそうです。約4時間30分。20代を中心にそんだけ、使われてるんだって、驚きですね。
考えてみたら、僕もそういう消費行動をとっていますね。何かを買えば、NAKAHARA-LABで紹介しているし、何かを食えば、やっぱり紹介してる。
---
とても面白かったんだけど、この後、人にあうので中座。
なんだか週末も忙しいなぁ。
そして人生は続く。
投稿者 jun : 2006年06月24日 16:50 | コメント (1) | トラックバック
コンサルティングファームもpodcast!?
野村総合研究所が、podcastをはじめたとのこと。
NRI podcast
http://www.nri.co.jp/podcast/index.html
「通信と放送の融合」「オタク市場の研究」「Web2.0」「SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)」「ネットと家庭のコンテンツ蓄積」「中国の消費市場」など、最新の動向を研究員が解説していくらしい。
日●総研、●菱総研、み●ほ総研・・・国内シンクタンクはどう動く?
投稿者 jun : 2006年06月23日 20:48 | トラックバック
募集「米国チルドレンズ・ミュージアムの最新動向」
===================================================
Learning bar@Todai 2006年7月
「米国チルドレンズ・ミュージアムの最新動向」
===================================================
2006年7月のLearning barは、ミュージアムに焦点
をあてます。乃村工藝社 三上戸美さんをスピーカー
にお招きし、「米国チルドレンズ・ミュージアムの最
新動向」について、ご報告いただきます。
三上さんは昨年、米国いくつかのチルドレンズ・ミ
ュージアムを調査し、報告書をまとめる仕事に従事な
さっていました。
その様子は文化環境研究所のだしている「Cultivate」
でも特集されています。
当日は、豊富な写真、資料等をお持ち頂ける予定だ
そうです。
ぜひ、ふるってご参加下さい!
中原 淳
---------------------------------------------------
●日時
2006年7月11日 午後7時より
●場所
東京大学大学総合教育研究センター MEET講座
http://utmeet.jp/access/index.html
●主催
東京大学教育環境リデザインプロジェクト
NPO法人EDUCE TECHNOLOGIES
●講演者
乃村工藝社 三上戸美氏
●参加者
20名
●参加申し込み
氏名、ご所属等を明示のうえ、下記までメールを
ください。準備のご都合がありますので、キャンセル
の際は、必ず事前にご連絡をいただければ幸いです。
問い合わせ先:atusaka [at mark] educetech.org
(坂本)
===================================================
投稿者 jun : 2006年06月23日 16:07 | トラックバック
経営学のフィールドリサーチ
この本は、非常に楽しく読めました。
労働経済学における「聞き取り調査」で有名な小池和男先生が編者になった本。「経営学のフィールドリサーチ:現場の達人の実践的調査手法」です。
タイトルは「経営学の・・・」となっているけれど、別にそんなことは気にすることはない。人文、社会科学系の学問領域の人で、フィールドワークに興味がある人なら、楽しく読めるのではないでしょうか。
特に僕は1章の藤本隆宏先生の「私のフィールドリサーチ遍歴」が大変面白かった。藤本先生といえば、「ものづくり経営」でとても有名な方で、実は、UT OCWでも講義を公開なさっていただいています。
経営管理
http://ocw.u-tokyo.ac.jp/course-list/economics/business-administration1/lecture-notes.html
本章では、藤本先生が、三菱総研で勤務なさっていた頃、ハーバードに留学なさっていた頃、そして「製品開発のフィールドワーク(彼のとても有名な研究です)」をなさった頃のことを、回顧風に買いていらっしゃいます。
「方法論」という観点で言えば、特に下記の2点については、完全に我が意を得たりという感じでした。ひとつは「統計に関するスタンス」、ひとつは「ケースメソッドという教育手法」についてです。それらに対する、研究者としての立ち位置が、共感できるなぁと思いました。
下記、引用してみましょうか。
まずは「統計に関するスタンス」から。
藤本先生は、統計とフィールドワークについて下記のように語っています。
---
「よい仕事をしているという確信」というのは、僕の場合、統計データというよりは、むしろケーススタディの積み重ねからきています。
(中略)
(しかし)アメリカ的学問というのは、一個一個のXとYの関係というのを、精密な検証によって積み重ねていって、みんなで全体の知の体型をつくっていくという、非常にモジュラー的な体系だと思うのです。
(だから)「僕はフィールドでこんなに見てきたのだから、オレのいうことを信じてくれ」と叫んでも、それはアメリカ型の学界では通用しないわけです。
(中略)
フィールドのケーススタディで出てきた研究も、統計重視のメインストリームの人たちに対しては、プレゼンテーションしにくい、という弱点があるのです。
したがって、統計分析もしっかりと行って、何らかのかたちでその人たちにわかるようなプレゼンテーションの仕方、パッケージングの仕方を考えていくということも必要になってくるのです。
(p39-40より引用)
---
こういう折衷主義が、僕は好きです。そして、どちらかというと、質的な方法にシンパシーを感じるけれど、統計は「見せ方」として「まとめ方」として非常にパワフルなツールである、という考えも同じです。
さて、次は、ケーススタディについて、ですね。藤本先生は、ハーバードビジネススクールで行われるようなケースメソッドといわれる教育手法について、下記のように語っています。
---
(中略)ケーススタディというのは、「ケーススタディをやればやるほど、どんどんと力がつく」というレベルにまで、基礎知識をあげておかないと、効果はでません。
---
これついては、実は、今日ゼミのあとの食事会で、M1の三宅君、館野君たちと議論していたこと、そのものですね。
そのとき、僕は「協調で学ぶためには、どうしても基礎的な事柄に関する反復学習が必要だ.。そういうベースがないと、そもそも協調することすら難しい」と言いました。「反復学習」と言う言葉がひっかかるようでしたら、熟達研究風に「deliberate practice」といってもかまいません。
「協調学習を研究したことのある人なら、必ず、そのことを知っている。協調学習について<評論>するのではなく、いろんな1次データを集めたことのある人ならば、決して協調学習と個別学習、反復学習とケーススタディ、などをトレードオフの関係とはとらえないハズだ」とも言いました。
自宅に帰ってきて読書をしていて、今日、自分が言ったことが書いてあったので、何だか嬉しかったです。
---
まぁ、僕が感じた共感はともかくとして、この本は非常によい本だと思いました。藤本先生以外では、佐藤郁哉先生なども、ご執筆なさっています。多くのご自身の経験をもって、方法論を語っていらっしゃるので、とても実感をもって読むことができるのです。
本を読んでいると、今すぐ、フィールドにでたくなって、その感情を抑えるので大変ですけれども。
投稿者 jun : 2006年06月23日 00:53 | トラックバック
レポートライティング
ゼミ、館野君の研究発表。館野君は、学部時代、「blogを活用したレポートライティングの授業」を研究対象にしていました。
その研究の中から一問。
「東京駅から東京大学までの最もよい道のりをレポートにまとめ提出してください」
という練習課題が、先生から与えられたとします。
この練習課題に対して、あなたなら、どういうレポートを書きますか?
そして、大学に入りたての学部1年生だと、どのようなレポートを書くと思いますか。
彼の研究には、いろんな「種」がつまってそうな感じがした。その「種」が何であるかを、今、考えている。
投稿者 jun : 2006年06月22日 18:59 | コメント (5) | トラックバック
Wiwiw
総務省の「ユビキタスラーニング推進協議会」にでた。そこで業界最大手のネットラーニング社の岸田社長から「Wiwiw」という資生堂がやっている育児休業者向けの教育サービスについて教えて頂いた。
ネットラーニング
http://www.netlearning.co.jp/
Wiwiw
https://www.wiwiw.com/
Wiwiwとは、育児休業者の「職場復帰に向けたスキルアップ」の両面をサポートする教育プログラムである。育児休業者が、復帰後の仕事に役立つ様々なオンライン講座を受講したり、掲示板等を通じて会社とのコミュニケーションを図ることができるのだという。
キャラクターが定期的に上司に休業中の部下にメールを書くよう促す機能もあるようだ。育児休業者は、時に会社からの「隔絶感」を感じるほか、「復帰すること」に不安を抱えるものらしい。そういう意味では、育児休業者だけでなく、「育児休業者を抱える上司」も支援対象になっている。
Wiwiwは資生堂の社内ベンチャーが運営している。現在、顧客は200社にものぼるそうだ。もともと育児休業のあと復帰する女性社員が多い資生堂で、育児休業者のフォローシステムとして開発されたものを、プロフィットサービスに転換したということになる。
少子化の観点から、いかに女性が「働きやすい環境」をつくるか、ということが問題になっている。助成金や企業の各種人事制度の刷新に加え、こうしたサービスも有効だろうな、と思った。
---
あと、オモシロイなぁと思ったのは、Wiwiwでは「eラーニング」という言葉が全く使われていないことだ。「オンライン講座」とは言っているけれど、「eラーニング」とは言わない。
最近、よく思うことなのだが、いわゆる「eラーニング業界」以外の業界が - 例えばゲーム、ポッドキャスト、どこでもusenなどを含む - 「eラーニング」という言葉を使わずして、「情報技術と教育」を結びつけ事業に成功するパターンが多くなっているように思う。いわゆる「eラーニング」なるものの実態が把握出来なくなっている事態が生じている。
おそらく、eラーニングというやや固定的なイメージのついた言葉を避けているんだろうと思う。いや、もはやWebやストリーミングで学ぶことは、「アタリマエダのクラッカー環境(意味不明)」に移行していて、今更それを、「eラーニング」と呼ばずともいいと思っているのかも知れない。数年前の前著で指摘したように、「eラーニング」という言葉が透明化する日は近い。
それに対して、いわゆる「eラーニング業界」は、今もなお、「標準化」「ID」「LMS」の話題ばかり。その中から、早急に使い勝手のよい、魅力的なコンテンツがでてこなければならないのだが。断っておくけれど、もちろん、「標準化」も「ID」も重要ではあることは疑いない。しかし、「eラーニングの外」で起こっている事態、「eラーニングの外」でおきている「熱気」に、うまく対応できているとは言えない気がするのは、僕だけだろうか。
中には、「あーいうのを、eラーニングとよぶかどうかは議論が必要だね、フン」とか怒っている人もいる。でも、それはサプライサイドの理屈だ。
学習者の立場からすれば、自分が受けているサービスが、「eラーニング」かそうでないか、なんてどーでもいい。見栄えやインタフェースがよくて、アフターフォローがしっかりしているものを、彼らは選ぶ。学びやすくて、学習効果の高そうに見えるものが世の中に受け入れられる。
「SCORMなんちゃらでは、これ以上リッチな表現はできないんですぅ」というような、「作り手の理屈」なんて、学習者にしてみれば、どーでもいいのである。
「eラーニング業界の内と外」、そして「サプライヤ」と「学習者」の間。
これらの間にある温度差が、なんだか痛々しく感じる今日このごろである。
投稿者 jun : 2006年06月22日 08:19 | コメント (2) | トラックバック
神田 鳥すき焼き 「ぼたん」
ちょっと前のことになるけれど、神田の鳥すき焼き屋「ぼたん」にカミサンと出かけた。
神田「ぼたん」
http://r.gnavi.co.jp/g198900/
昭和初期の建物。ぶらっと入ると、座敷に通され、コークスと鉄なべが目の前におかれる。日本酒を1本注文し、鳥が「わりした」の中でじっくり煮えるのを待つ。



「もうそろそろかな」と思い、鳥肉を溶き卵につけて、エイッとやる。旨い。歯ごたえがあり、肉のうまみがしみだす。あっという間に、鍋を空にした。無心に食べ続ける。
最後はごはん。親子丼風に出汁と溶き卵をかけ、また、鳥肉をやる。「お腹いっぱいだ、もう止めよう」と思っても、「あと一杯だけ」と心のどこかで思い、箸が止まらない。僕はふだん夕食に全く白飯を食べないのだけれど、この日ばかりは4度もおかわりをした。大満足。

昭和初期の情緒あふれる、おすすめの夕食である。
投稿者 jun : 2006年06月22日 05:00 | コメント (2) | トラックバック
クローズアップ現代 「早期退職する教師たち」
今、NHK「クローズアップ現代」を見ています。
最近、定年を待たずして、早期退職する教師が増えているそうです。教師を続けていくことは「しんどい」ということです。親の欲望、社会からの要請は、日に日に肥大化していく。その中で、教師は何を、どこまでするべきなのか、と逡巡する。その中で、まじめな先生が「疲れていく」。非常に難しい問題ですね。
番組では、下記の大学院大学を「プロ教師の養成機関」として紹介していました。
日本教育大学院大学
http://www.kyoiku-u.jp/
うーむ、まだ僕はこの番組の内容を消化できていません。
考えさせられる番組でした。
投稿者 jun : 2006年06月21日 19:54 | コメント (2) | トラックバック
コピーライティング入門
●「別に用はないけど」の「けど」がスキ。
(NTTドコモ九州)
●セブンイレブン いい気分
(セブンイレブン)
●話すケータイから、使うケータイへ。「iモード」
(NTTドコモ)
●うちの駅前はマックを中心に栄えている
(マクドナルド)
昨日は論文を脱稿した。
「あー、疲れた、読みたいと思っていた本でも読むか」と思って、研究室の「積ん読」になっていた本を、数冊持ち帰った。が、その中の一冊が異様にオモシロク、結局、深夜遅くまで読み進めてしまった。「コピーライター入門」である。
コピーライターとは、「言葉で人を動かす職業」なのだという。わずか10数文字の短い文章で、「売り手」と「買い手」のあいだにコミュニケーションをおこす。それが仕事だ。
本書は、電通の社員たちが書いたコピーライティングの入門書。オシャレな装丁。さすがは「カタカナ職業」の本だけはある。
1章は、松本さんというコピーライター志望の新入りが、はじめてのクライアントにぶつかり、コピーを考え出すまでをシナリオ風に書いている。その仕事の全体像がよくわかった。その後は、様々なコピーを解説し、どのようなコピーがよくて、何が悪いのかをかなり詳しく解説している。経験談も豊富に収録されている。
いくつか激しく同意した文章があった。
「だってこれが好きなんだもん」という戦法が許されるのは、7歳くらいまでの子どもか、すでに実績が認められている巨匠だけだ。もしあなたが、そのどちらでもないとすれば、なぜその「好き」が重要なのか、なぜ「私のやりたいこと」が結果的には「御社のためになるのかを説明できなければならない。
(同書 p157より引用)
このあたりは、研究という営みにも、共通して言えることだと思う。研究にも社会的責任、説明責任というものが付随する。
学部時代に学んだ社会学の先生には、「なぜ、その研究を、いま、実施する必要があるのか、その社会的意義は何か?」が言えないとダメです」と耳が痛くなるまで言われたことを思い出す。
いやー、それにしても、コピーライティングとはパワフルだ。短いセンテンスながら、感情を揺さぶる。
教育研究という営みは、アウトプットがこれほど短くない。だけれども、できれば「言葉とデータで人を動かしたいものだ」と思った。
本書には、いろんな時代の、様々な商品のコピーが載っていた。ちなみに、僕は下記のコピーが一番のお気に入り。皆さんのお気に入りのコピーはありますか?
●その日、資本のない奴は勇気を出した
(パルコ)
うーん、「勇気」だけでいいんだったら、負けないけれどね。
投稿者 jun : 2006年06月21日 10:06 | トラックバック
「が」を接続詞に使わない!
「が」を接続詞に使わない。
これが、僕が意識している文章作文技法(プチテクニック)の中で、もっとも確かなことのひとつです。「が」を接続詞に使った文章とは、どういうものでしょうか。下記に例を示してみることにしましょう。
親の関与が子どもの学習によい影響を与えることは、アカデミックな心理学の研究知見ではわかっていたのであるが、日本のテレビ番組の制作場面では、そうした有用な知見が、全くいかされずにプロダクションが進行していた。
こういう文章です・・・あー長ぇ。ワタクシメ、査読などをずいぶんとしていますが、こういう文章に出会うことが本当に多いのですね。
これは、
親の関与が子どもの学習によい影響を与えることは、アカデミックな心理学の研究知見ではわかっていた。
しかし、日本のテレビ番組の制作場面では、そうした有用な知見が、全くいかされずにプロダクションが進行していた。
という風に、1)2つの単文に分ける、2)逆接の接続詞でつなぐことで、よりわかりやすくなるはずです。
本人にとっては、あんまり変わらなく思えるのかもしれないけど、少なくとも、読者にとっては読みやすさが違うのです。コントラストがハッキリするというのかな。
要するに「がでつなぐ文章」というのは、多くの場合、
1)2つの単文にわける
2)よりメリハリのきいた接続詞(たとえば逆接・順接)
を使えば、置き換わることが多いのですね。
ぜひ、試してみて下さい。運がよければ、今、お書きになっている論文がシャープになるかもよ。
---
追伸.
論文脱稿したぜ、ザマーミロ、ケケケ。誰に毒づいているのかしらないけれど、毒づきたいんだよね、きっと、ストレスで。マジできつかったもん、早朝に作業をするのは。
脱稿に至るまでには、望月さん、西森さん、山口さん@宮崎大学の温かいサポートを受けました。ありがとうございました。
あー、疲れた。次は、山口さんの番だね。
投稿者 jun : 2006年06月20日 17:00 | コメント (3) | トラックバック
「見える化」と「見せない化」
巷では「見える化」という言葉がビジネス界で、ちょっとした流行になっているのだという。
「見える化」とは「可視化」のこと。仕事場では「目にはついているけど、気のつかない事柄」を「見えるよう」にしておく工夫のことである。常に問題が発見出来るように、また異常などがおこった際には、すぐに気がつくようにしておくといったようなことをさす。
非常に広い概念で「コミュニケーション」や「スケジュール」などを相互にわかるようにしておくことも、「見える化」のひとつになるという説もあるようだ。下記のような本も出版されているようだ。
僕は過去数年間「オンラインコミュニケーションを見える化」する研究 - これを専門用語ではアウェアネス研究というが - に力をさいていた時期がある。
はじめて「見える化」にチャレンジしたのは、今から5年前。MELLOWシステムというものであった。それがきっかけとなって、iTreeという携帯電話iアプリを開発したり、望月君との共同研究に参加させてもらってiBeeというソフトを共同開発したりした。
3つほどシステム開発研究に従事したので、僕には「見える化」のもっている可能性も何となくわかるし、「見える化」の対象が、こと「オンラインコミュニケーション」に限定されるのであれば、その限界も、何となくはわかる。
せっかく見えるようにしたとしても、人がそれを「読み解いてくれるか」は別の問題、といったこともある。また、我々のようなアプローチをとった場合の最大の問題は、「いつも見えるものは、人はだんだんと見なくなる」ということもある。
常に「見せる」のではなく、「見せない化」と「見せる化」を効果的にあやつって、人の次の行動を形成できればオモシロイのになぁと思う。この先に、フォッグのPersuasive technologyの系譜に位置付くような研究ができるのではないだろうか。
そういう「演出」を考え出すには、まず人間を子細に観察することから、かもしれない。
投稿者 jun : 2006年06月20日 07:44 | コメント (2) | トラックバック
グラタンが原因?
今日は天気がいいなぁ・・・それなのにハラ痛い。
食い過ぎ? でも、ちょっと熱っぽい気もする。
まさか昨日のグラタンが原因?
水をいれなすぎ?
おいおい・・・そりゃねーだろ。
便所は友達。なんだか、ボッーとしてくるよ。
何かが見える。
投稿者 jun : 2006年06月19日 12:21 | トラックバック
正直者は「水グラタン」
昨日の夜はシーフードグラタンをつくりました。僕は週末しか料理はしませんが(他の日はカミサン)、いつも、不思議なことがあります。
例えば、グラタンとかつくるときに、牛乳とか水とかをいれてソースをつくりますよね。で、そのときに「規定量の牛乳、水を入れる」と、まず「ゆるくて失敗」してしまうような気がします。
「なんじゃ、この"水グラタン"は!!!、ゆるゆるじゃねーか、チクショーめ」
ということになってしまいがちです。経験的ですが、だいたいマニュアルにある量の「0.7がけくらい」がよろしい。僕だけですか、そう思うの?
どうしてなんだろう? ちょうどいい水分加減のが「0.7がけ」なら、最初からそう書いてくれればいいのに、と思ってしまいます。正直者はバカをみませんか?
まぁ、野菜から水でるから、そのくらい考えとけってことかな。
まぁ、いいんだけどさ。
ちなみに、昨日のグラタンは成功しました。水加減も、にんじんやアスパラへの火の通り具合も申し分なし。シーフードもいい感じでした。
来週は、また「和」に挑戦です。
このあいだのリベンジなるか!?
投稿者 jun : 2006年06月19日 07:21 | コメント (2) | トラックバック
鮨処 平河と鮨 青木
暇な時間を何とかつくって「食べることを愉しむ」。これだけが、僕の目下の趣味みたいなものです。最近、行った寿司屋のご紹介。
まず1件め、鮨処平河です。
ここは、地下鉄麹町駅から歩いて5分くらいの所にあるんですね。地下鉄赤坂見附から、歩いても15分くらいかな、といった感じです。
鮨処 平河
http://www.leport.jp/restaurant/hirakawa/index.html
昼食11:30~14:00 夕食17:30~22:00
03-3265-6437
http://www.leport.jp/map/acsses_r.html
平河の魅力は、安さとボリューム、ネタの新鮮さでしょう。
特にランチタイムは、破格の安さ。一番リーズナブルな「にぎり」になりますと、1000円以下です。「ランチタイムでは儲けることは考えず、店を知ってもらうため、とわりきる」のだそうです。
ボリュームは、1.5人前というのがありますので、男性の方でもお腹いっぱいに食べられるでしょう。「安くて、ボリュームがある」というと、どうも味の方は今ひとつ・・・といったことになりやすそうですが、ここはそんなことはありません。ネタは夜と同じモノをつかっているそうです。
個人的にはネギトロ巻き、ヒラメ、まぐろなどがおいしいなぁと思いました。

カウンターは白木のもの。接客もホテルならではで、大変丁寧です。おすすめのお寿司屋さんです。
---
2件めは、銀座の寿司屋 of 寿司屋ですね。泣く子も黙る!?「鮨 青木」に行ってきました。
鮨 青木
http://nikkei.hi-ho.ne.jp/selectrestaurant/kishoku/aoki.html
東京都中央区銀座6-7-4 ギンザタカハシビル2階
電話:03-3289-1044
カウンターから、職人さんの動きを見ていると、丁寧に丁寧に職人さんがひとつひとつ握っている様子がわかります。
彼の手から、僕の目の前に寿司がひとつひとつ届けられる。手を離した瞬間に、一瞬ふんわりと米のクッションが沈むのです。その瞬間に寿司を手でつかんで食べる。
「寿司と天ぷらは、親の敵でもとるように食べろ」
とよく言いますけれども、その「一瞬」を逃したくない宝石のようなお寿司でした。なお、ほとんどの寿司は、煮切り醤油がすでについていて、敢えて醤油をつけることはありません。
個人的に気に入ったのは、
ちょうどよい締め具合のコハダ
ツメをぬったタコ
コリコリとした青柳
ふんわりとして、それでいて香ばしい穴子
しっかりとした歯ごたえのあるかんぴょう
でしょうか。もちろん、それ以外のものも、本当に美味しかった。職人さんの心意気が感じられた一品でした。

ちなみに、鮨青木に関しては、僕は、下記のようなところにも非常に好感がもてます。
鮨青木 板前紹介
http://www.sushiaoki.com/staff/index.html
ホームページで、自分のところに勤める若手の板前さんの紹介をしているんですね。名前つきで。
ひとつひとつの寿司が、彼らにとっての「作品」だとするならば、「クレジット」をキチンと明示しているんです。これは「できるよう」で、なかなかできないことですよ。少なくとも、僕は、他の寿司屋のWebサイトで、こういう風に、キチンとクレジットを明示している店を知りません。
味もさることながら、こういうところ、素晴らしいと思うんです・・・なかなかできないことです。
この世の中、いかに、若者のアイデアをペチッて、自分のアイデアのように語ってしまうことの多いことか。
自分は何もやっていないのに、自分に少しでも関係あれば、さも「自分がすべてをやったように語ること」の多いことか。
若者に貢献を求めつつ、そのベネフィットについては、キチンと説明せず、お茶を濁すことの多いことか。
そして、若者には「実働」を課すくせに、それを「アンタのためでしょ」という<教育的>な理由で - ブルデュー風にいうならば、まさに象徴的暴力! - 誤魔化す奴の多いことか。
要するに、いかに「フェアじゃないこと」が多いかってことです。みんなで生み出したものなハズなのに、「ちゃんとクレジットをつけないこと」、「クレジットを省略してしまうこと」、いいえ、そもそもそうしたことにセンシティヴになれない人が、なんと多いか、ということです。
その点、僕はスゴイと思いました。こんなに「フェア」な寿司屋のWebは見たことがない。そして、自分の店の生み出すものに自信がなければ、なかなかできないことです。
こんな風にクレジットを明記し、チームの一員として意識させた方が、若者のモティベーション向上、責任感向上につながることはわかっているんだろうけど、いったん上にあがると、なかなか「できなく」なる。ていうか、自分が若かったときに感じたことを忘れてしまうのでしょうね。
こういうところに痛く感服しました。
---
来週も忙しい毎日が続きます。
でもどんなに忙しくても、ごはんはちゃんと食べたいですね。別に高価でなくてもよいのです。ゆっくりとした時間をかけて、しっかりとしたものを、ちゃんと食べたい。
「確実な死に向かって、有限の時間を確実に減らしていく。だから今日という一日が大切なんだ。毎日そう思って、飯を食え。そう思って酒を飲め」
そううそぶいたといわれるのは、かの池波正太郎です。
僕もそれに同感で、「今日の夕食は適当に」とか言われたりするのが死ぬほど嫌いです。パーティとかでだされる「夕食なんだか、軽食なんだかわからないオードブル」も好きではありません。
要するに一言でいいますと、こと「飯」に関してだけは「適当に」が大嫌いなのです(それ以外は、適当きわまりないのですが・・・)。
飯を、適当にとは何事だ!
飯は、本気で食べるものです。
そして、そのための時間も精神的余裕も、なんとしても確保したい。
そう思って、日々を過ごしています。
投稿者 jun : 2006年06月18日 17:27 | トラックバック
人生いろいろ
高校時代の同期のお宅にお邪魔する。1歳ちょっとになるお子さんのいる、とても幸せそうな家庭。いろいろな話をした。出産ビデオなども見せてもらう・・・衝撃的。
個人的にオモシロかったのが、「飲み会にいくときには、理想的には3度の報告をせよ」という奥様の主張(笑)。
3度の報告とは、
イン (今から飲むよ)
ミドル (今飲んでるよ)
アウト (今から帰るよ)
らしい。メールや携帯で奥様に連絡をせよ、とのこと。こんなに頻繁な報告義務があっては、さすがに「同期」も「オイタをすること」は無理だろう。奥様喜ぶ。
うーむ、厳しい(笑)。
うちなんか、ほとんど、どれもしたことがねーぞ。一般的な家庭では、3度の報告が基本なのだろうか。
ちなみに同期のダンナの方は、3度の報告義務に対して、携帯電話の中に「定型文」をつくって対応しているらしい。ピッとスマートに送信。
夫婦とは「知恵比べ」である。
ともかく大変楽しい時間を過ごすことができました。Aさん、Nさん、ありがとう。
---
夕方、数週間後にアメリカのビジネススクールに留学する大学時代の後輩にあう。彼女の方は、コミュニティカレッジに留学。二人でアメリカで数年暮らすことになるのだという。
後輩の方は、これまで数年間外資につとめていたし、留学経験もあるだろうから、アメリカへの異文化適応には問題はない。しかし、彼女の方は、いろいろ不安に思うこともあるようだった。
とても、気持ちはわかる。
きっと最初のうちは、苦労はするだろうし、大変だと思う。ただ半年くらい何とかやりすごせば、だんだん楽になってくるのではないか、と推察する。
とはいえ、せっかくの機会だ。後輩の方は、「アメリカ留学に、機会損失も含めて2000万以上かけている」とボヤいていたけど、そこまでしてつかんだ、チャンスである。どうか、2人でEnjoyしてほしい。
数年後、どのくらいたくましくなって帰ってくるかが、たのしみである。
彼らが帰ってくる頃、僕は、どこで何をしているだろうか。
人生いろいろ。
---
「俺の職場は大学キャンパス」のマイスターさんの記事が大変面白かった。
自国の教育と他国の教育を比較し、語るときの言説枠組みは、いつも、どこか「隣の芝はよく見える」的なものになってしまいがちである。進歩主義的な教育論にこの傾向は多い。虚心に教育をみつめる「まなざし」が必要である。
隣の教育改革はよく見える?
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50209916.html
投稿者 jun : 2006年06月18日 08:09 | コメント (2) | トラックバック
お帰り
先日、僕のもとに降りてきた「クリエィティブの神様」は、どうやら、いらっしゃる場所をお間違えになったらしく、すごすごと、お帰りになられた。
┏(-_-;)┓ ガックリ
あまりにショックで声にならない。激しい自己嫌悪がおそう。
もうダメポ・・・
そして人生は続く。
投稿者 jun : 2006年06月16日 19:30 | トラックバック
「本番」の中で学ぶ
昨日のエントリーにもやや関連があるのですが、実は、ある認知科学系のメーリングリストで「徒弟的学習」について、最近、やりとりがありました。
発端は、「イタリア料理屋に勤め始めたの新入りに対して、サラダづくりを、どのように教えるのか」という話題に僕が反応したことからはじまりました。
サラダは、一皿千数百円するもので、かつ、直接「お客」に出されるものだそうです。要するに、「失敗」は許されないわけですね。いわば「本番」の中で、新人は学ばなければならない。
ある先生は、仕事場の学習の場合、「プライオリティは本番の成功にあって、徒弟の学習は必要な副産物となっている」という鋭い指摘をなさっていました。この点は、この点は、「失敗」が「練習」という名で呼ばれ許容されることの多い学校的学習とは、ちょっと違う側面があるとのことでした。まさにご指摘のとおりだと思います。
いつもとにかく本番、うまくいってアタリマエ。
そうした厳しい環境の中に学習が付随するわけです(もちろんOff-JTの場合はこの限りではありません)。
これに関連して、ここ数ヶ月、僕は、ドラマ「医龍」を見ていたのですが、このドラマでは外科医の研修医がいい役を果たしています。
外科研修医の学習も、明確に場がブレークダウンしてしまうような失敗は許されないわけですね。
万が一もし失敗をするにしても、局所的なエラーとして処理できるもので、かつfatalなものではない(患者としてはコワイ限りですが・・・)箇所を見いだし、その部分の処置をまかせ学ばせることいったようなことを、折に触れ、行うのでしょう。生き死にの「本番」の中で、新人は学ばなければなりません。
ここで僕は「仕事場の学習」と「学校的学習」を対比させて考えていますが、断じてそれらの優劣を論じたい、とかそういうことではありません。
興味をもつのは、この「本番性」という奴です。それが学習に与える影響について、何だか言いようのない興味をもってしまいます。
というのは、教育の世界では「失敗しても、そこから学べばいい」という支配的な価値があります。いわゆる「誤りから学ぶ」という方略です。
しかし、逆に「失敗出来ないからより学べる」ということもあるのではないか。「失敗できない環境で、プチ失敗をすることで、より深く学べるのではないか」と思っちゃったりもするのです。
もちろん、すべて世の中にある学習を十把一絡げに論じるつもりはありません。世の中には文脈によって、いろんな学習が日々行われています。場合によっては、「失敗が許される場合」もあるし、「失敗が許されぬ場合」もあるでしょう。
しかし、「失敗」や「本番性」ということをキーワードにして、学習の現場を見ていく研究って、オモシロイよなぁと思ってしまいます。このメーリングリストでのやりとりは、そんなことを気づかせてくれました。
ちょっとマニアックな関心かもしれませんが。
投稿者 jun : 2006年06月16日 07:15 | コメント (2) | トラックバック
三高より三低?
今日、オモシロイ話を聞いた。
今の時代、男に求められるのは「三高」よりも「三低」らしい。
「三高」とは、いわずもがな
高学歴
高収入
高身長
のこと。
「三低」とは、
低姿勢(レディーファースト)
低リスク(リスクの低い安定した職業:公務員、資格保持者)
低依存(束縛しない人)
だってさ。
へー。
投稿者 jun : 2006年06月15日 21:50 | トラックバック
降臨
今、まさに、「クリエィティブの神様」が降りてきた!
キタ━(°∀°)━ ッ!!
ありがとう、神様。
投稿者 jun : 2006年06月15日 20:36 | トラックバック
美容師さんになっていくプロセス
人はどうやって一人前になっていくのか
人は最初から熟達者であったわけではありません。誰もが最初は新参者です。
テレビ局、出版社、官庁、スーパーマーケット、コンビニ、病院、航空会社。世の中には、僕の知らない世界がたくさんあります。
その道において、新参者が「どのようにして一人前になっていくのか」、あるいは、「どのようなきっかけで、自分は一人前になったと実感するようになったのか」、そういう話を、直接、そこで働いている人から聞くのが、僕は好きです。
これは「密かな趣味」といっても過言ではないかもしれません。でも、あまり迷惑をかけてはいないと思うんですね。若い頃の苦労、一人前になるまでの困難を、リトロスペクティブに語るのは、あまりイヤという人は少ないような気がします。人によっては、懐かしそうに、遠い目をして、語ってくれる人もいます。
先日は、美容室で、どうやって美容師が一人前になっていくのかを喜々として聞いていました。
彼女曰く(副店長さんでした)、美容室によって人材育成システムには違いがありますが、だいたい、「シャンプー」「パーマ」「トリートメント」「カラーリング」という風に進んで、最後に「カット」という風になるそうです。
Lave & Wengerの仕立て屋の話ではないですが、要するに「失敗するとFatalな作業=カット」が一番最後に配置されていることが、すぐに見て取れるでしょう。
「まずはアタマのカタチが人によって全然違うことを知って欲しいのです。それから髪質の違い。そういう違いは、シャンプーを1日に数十回もやっていれば、イヤというほどわかるはずです」
とおっしゃっていました・・・なるほどね・・・。
あと面白かったのは、美容室に暗黙のうちに存在する「格」の話ね。美容室にも「格」があるのだそうです。
一口に美容室といいますが、「カットで1万5千円をとるような超高級店」から「カット1000円」の店まであります。店の「格」は、そこで働く店員さんのアイデンティティにとって、重要な影響を与えるそうです。
でも、ここがポイントなのですが、「超高級店が必ずしも、よい学習環境ではない」ということなのです。若い人は、みんな代官山や青山、表参道なんかの「オシャレスポット」で働くことにあこがれる。だから、そういうお店は、ものすごい倍率になるそうです。
でも、運良く(ルックスが結構重要らしい・・・)、超高級店に入ったからといって、必ずしもその後幸せになるわけではない。かえって、そういう超高級店では、「若手がはいってもずっとシャンプーだけをやらせる店」もあるらしい。
「名前ではなく、ちゃんと厳しく教えてくれるとこを探せばいいのにね、と思うけど。やっぱり若いうちは、そういうのはわかりませんから・・・」
とおっしゃっていました。
うん、オモロイ!
いろいろ根ほり葉ほり聞いていたら、そういうことに興味をもつ人ってなかなかいないらしく、最後には、「お客さん、もしかして同業ですか?」と尋ねられました。「そんなようなものです」と答えましたけど。
人はどうやって一人前になっていくのか?
今度は、あなたが一人前になったプロセスを聞かせて下さい。
投稿者 jun : 2006年06月15日 19:10 | コメント (3) | トラックバック
昨日のシンポジウム
昨日の東京大学MEET設立記念シンポジウムの様子が、毎日interactiveに取り上げられています。
毎日Interactive
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20060615k0000m040145000c.html
投稿者 jun : 2006年06月15日 09:31 | トラックバック
「のだめ」を読んでる僕は「もうダメ」
このクソ忙しいときに...ほぼ徹状態のこの夜に、なんと、僕は「のだめカンタビーレ」の新刊15巻を、カミサンの誘惑に負けて読んでしまいました。「ほーれ、ほーれ、読まないのかい・・・」という強烈な誘惑。
オモロイわ。
・・・・しかし、それにしても、眠い、マジで。
ぎゃぼ。
追伸1.
上記のAMAZONで売っているお品は、限定品。なんと、「マングースぬいぐるみ」がついてくる。これは買いだね。あとで高く売れると思うよ。
追伸2.
「ぎゃぼ」を東大で流行らせよう。
投稿者 jun : 2006年06月14日 04:45 | コメント (2) | トラックバック
ユビキタス!、ユビキタス!、ユビキタス!
昨日は、慶應義塾大学の岩井さんを、Learning bar@Todaiにお招きして、「ユビキタスコンピューティングの最先端」




