1%のミス

 公共サービスを市場原理にまかせた場合、どのような問題が起こるのか。医療過誤、マネジドケアの問題を扱った「アメリカ医療の光と影」を読んだ。

 医療技術の観点からも、そして「医療がまきおこす様々な社会問題」の観点からも、常に「世界の最先端」をひた走るアメリカ医学界の諸事例は大変スリリングであり、非常に興味深く読むことができた。

 ひとつ印象深かったデータを紹介。

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(ハーバード大学公衆衛生学部)のリープたちの研究が、全米で知られるようになったのは、1991年にニューイングランドジャーナルオブメディシン誌に発表された論文からである。

ニューヨーク州の51病院を大将として、医療事故の発生頻度を調査した論文であるが、1984年度の入院患者のカルテをランダムに3万冊抜き取り、それぞれの症例で医療事故発生の有無を子細に検討したのである。

その結果、医療事故の発生は1133件(3.7%)、うち医療側の過誤による医療事故が280件(0.9%)にのぼることが判明した。

ちなみにカリフォルニア医師会が行った調査でも、医療事故の頻度は4.6%、うち医療過誤の頻度は0.8%と類似の結果がでている。

(中略)

リー婦らのニューヨーク州での調査結果を全米に当てはめると、毎年350万人の入院患者が医療過誤に遭遇し、このうち10万人が死亡していると推計されたのであった。

医療過誤での年間死亡者数が、交通事故死(4万5000人)の二倍以上にも達するという調査結果は、全米の医療界に大きな衝撃を与えた・・・・・・

 ---

 このデータの信憑性については、僕自身が専門ではないので判断はできない。

 ただ、もし仮に正しいとした場合、すべての医療や診断のシステム、制度、ルールは、「専門家は誤りをおかすものだ」ということを前提に設計する必要がある。「専門家は常に合理的な判断を行える主体である」と考えることは、非常に危険なことである、といえるのではないかと思う。

 先日読んだ本には、「プロフェッショナル」とは、まだよくわかっていない面倒な問題を何とかしてこなす職業」であるとあった。「未知の領域に格闘する」のが専門家である以上、過誤はつきものである。

 専門家が専門家である以上、「1%」は歴然としてある。
 問題は「1%がある」ことではない。
 1%をいったん認め、それをいかに減らすかである。

投稿者 jun : 2006年6月30日 06:21


帝国ホテルのビュッフェに行った!

 先日、帝国ホテルのビュッフェに、カミサンとでかけた。「腹一杯、好きなものを食べたかった」らしい。欠食児童のように「バイキング、バイキング」と懇願していた。そこまで言われたら、行かざるをえない。 

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インペリアルバイキング サール
http://www.imperialhotel.co.jp/cgi-bin/imperial_hp/index.cgi?ac1=JTR&ac2=sal&ac3=&Page=hpd_view

 帝国ホテルは、ホテルオークラ、ホテルニューオータニとならんで「御三家」とよばれるホテルである。鹿鳴館時代に、外国人接待用に国策として建てられた経緯をもつ。

 「帝国ホテルの料理」といえば、かつて総料理長をつとめた村上信夫さんが、とても有名だ。バイキングというサーブ形式は、村上さんが総料理長の時代に、日本ではじめて導入したのだそうだ。

 コンラッド、ペニンシュラ、リッツなど、大手海外資本のホテルが東京にひしめこうとしている現在では隔世の感があるが、確かに帝国ホテルは、一時期、日本の洋食界をリードしつづける存在であったと言われている。

 ちなみに、北海道増毛の出身で、いまやレストランを多角経営する三國清三さんも、ここの出身である。

三國清三(オテル・ドゥ・ミクニ)
http://www.oui-mikuni.co.jp/cgi-local/top/index.cgi

 ---

 さてバイキングに話を戻す。
 一般にバイキングというと、「質より量」「安かろう、マズかろう」のイメージがあるが、帝国ホテルに関しては、そんな不安は無縁だった。

 提供される料理の中で、何ひとつとして、「あぁ、やっぱりヴァイキングだよな」と思ってしまうような代物はなかった。コーナーは、前菜、メイン、デザートに分けられており、順番にとりわけて、好きなだけ食べることができるのは、やはりビュッフェの醍醐味か。

teikoku.jpg

teikoku2.jpg

 特に、個人的には、シェフがひとつずつ作ってくれる「エスカルゴのジェノバ風シチュー」は、大変おいしゅうござった。身はとてもコリコリとしている。濃厚なスープにからめて食べる。思わず、もう一皿頼んでしまおうか、と思った。

 どうせビュッフェに行くのなら、おすすめである。ちなみに、予約はとったほうがいいと思う。インターネットでもできる。

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 それにしても、うちのカミサンはバイキングが好きだ。
 そのくせ、食べ終わったあとで

 「ちー、こんなに食べなければよかった」

 というのは、やめてほしい(笑)。

投稿者 jun : 2006年6月29日 09:39


言葉を失うゲーム

 これらのゲームが訴えていることの意味を知っていると - つまりは、難民問題、国際問題の社会的背景や周辺知識を知っていると - プレイしていて、なんだか言葉を失いますね。気軽には遊べない。

ゲームは世界を救えるか?
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0606/28/news102.html

 逆にそういうのがないと、スーパーマリオとかと同じゲームと同じように、「気軽にプレイ」でき、「気軽にリセット」できてしまうんだとすると、どうも恐ろしい。

 やはりゲームを含んだカリキュラムのデザインが不可欠だと思いました。

追伸.
 ちなみに、僕らが今開発している「なりきりEnglish」は、人によっては「シリアスゲーム」と見えるのかな、とも思っています。・・・といってよいかわからないけれど、僕個人はそう言えるんじゃないかなと思っています。大局的にいえば「ゲームの教育利用」ですので、そこには研究のオリジナリティはありません。じゃあ、どこにオリジナリティをおくのか?? そりゃ、秘密。
 「なりきり」プロジェクトの話題は、またいずれ別の機会で。

投稿者 jun : 2006年6月28日 21:36


僕の苦手なオトナ語たち : ~しながら、~しつつ

 「真実らしきもの」をひとつ見つけた。

 大人が会話の中で頻繁に使用する「~しながら」「~しつつ」という言葉の「~」の部分は、達成されることが少ない

 という発見である。

 たとえば、下記のような「オトナ・センテンス」がある。

 この問題に関しましては、最新の研究動向をキャッチアップしつつ、現在提案されている案をもとに、最善な解決策を探していきたいと感じている所存です。

 先ほどの発見にしたがうならば、この場合は「最新の研究動向のキャッチアップ」は行われる確率が極めて低い。結局は、なし崩し的に、おそらく、「現在提案されている案」がそのまま採択されることになるだろう。

 つまり、「~しながら」「~しつつ」という言葉は、単に「~の部分も僕は配慮してるんですよー」というポーズのために、「その場しのぎ」的に使用されているだけであることが多い。要するに、はなっから「やる気がない」ことが多いのである。「わたしは気にかけているってことはわかってくださいね、だけど、全く本当に配慮する気はないんですけどね、でへ」という感じである。

 「~しながら」「~しつつ」のような「語り口」が支配している場に参加することは、僕はあまり好きではない。生粋の「せっかちさん」なので、だんだんと本心が読めなくなって、イライラしてくる。いや、本心が読めてイライラするのかも。

 僕は使わないようにしよう、と思う。

投稿者 jun : 2006年6月28日 18:00


アンチマクドナルドのシリアスゲーム

 藤本さんのサイトで紹介されていたアンチ・マクドナルドのシリアスゲームをやってみた。すぐに経営破綻した。

マクドナルドのシリアスゲーム
http://anotherway.jp/seriousgamesjapan/

mac.jpg

 強烈な批判・・・イデオロギーの戦争ですね。

投稿者 jun : 2006年6月28日 08:27


プロフェッショナルの人材育成

 小池和男先生編の「プロフェッショナルの人材開発」という新刊を読み終えた。

 本書におけるプロフェッショナルとは「まだよくわかっていない面倒な問題を何とかしてこなす職業」のことである。

 一般にプロフェッショナルというと、膨大なナレッジベースを有した「能力ある個人」を想定してしまいがちだ。弁護士、医師などがそれにあたるとされる。しかし、プロフェッショナルの人材育成は、組織において行われる、というのが本書の主張である。

 新聞記者、製薬企業の研究者、ファンドマネージャなど、これまで分析が十分なされてこなかった人材育成の様子を明らかにしようとしている。

 それでは、組織においてプロフェッショナルは、どのように育成されるか。それは「どのような仕事をしてきたのか=キャリア」を通じてであると、筆者らは考えている。

 故に、研究方法論としては、当該人物が、どのような仕事に従事してきたのか、というヒストリカルな方法が採用される。キャリアの比較・・・つまりは、ある仕事についた人たちが、それまでどのような仕事をしてきたのかを調べ、その共通点、相違点にプロフェッショナルの存立のきっかけを見ようとする。

 たとえば株価の予想を行う新聞記者の場合、最初は「企業業績データを収集する仕事」から、選抜をへて、「株価の変動要因を予想する仕事」へと移行している。
 「業績を集める仕事」の中に、「株価の予想」を行う仕事に必要な知識、経験が凝縮されているのである。

 もちろん、小池先生といえば、「聞き取り」という研究方法論がとても有名だ。キャリアの比較を補完するデータとして関係者の「聞き取り」などが行われている。

(ちなみに、この聞き取りの作法は本当にタメになる本である。組織を研究対象にしている人にはぜひおすすめである)

 ---

 本書を読んでいて、下記のことを考えた。

 現在、一般にOJTを研究対象としようとする場合、小池先生らのように人材育成を「キャリアの蓄積」と見る労働経済学的な研究がある。

 一方で、ある企業のあるシーンにおいて、先輩と後輩、後輩と後輩の間で達成される「相互行為」を学習と見なす、状況論風の微視的な研究群がある。

 他にもいろいろあるけれど、大きく分ければこの2つだろう。ここでは詳しくは書かないけれど、どちらも「見えるもの」と「見えない」ものがある。

 僕個人としては、その中間に位置するような、ミドルレベルの研究がオモシロイなぁと思う。しかし、それをどういう方法論で実現するか・・・。そのあたりが大変悩ましい。

 そして、今日も朝がくる。

投稿者 jun : 2006年6月28日 06:54


【残り8席】米国チルドレンズ・ミュージアムの最新動向

結構埋まってきましたので、ご希望の方はお早めにお申し込みください。お申し込みは、atusaka [at mark] educetech.orgまでメールを御願いします。

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Learning bar@Todai 2006年7月
 「米国チルドレンズ・ミュージアムの最新動向」
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 2006年7月のLearning barは、ミュージアムに焦点
をあてます。乃村工藝社 三上戸美さんをスピーカー
にお招きし、「米国チルドレンズ・ミュージアムの最
新動向」について、ご報告いただきます。

 三上さんは昨年、米国いくつかのチルドレンズ・ミ
ュージアムを調査し、報告書をまとめる仕事に従事な
さっていました。
 その様子は文化環境研究所のだしている「Cultivate」
でも特集されています。

 当日は、豊富な写真、資料等をお持ち頂ける予定だ
そうです。

 ぜひ、ふるってご参加下さい!

 中原 淳

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●日時
 2006年7月11日 午後7時より

●場所
 東京大学大学総合教育研究センター MEET講座
 http://utmeet.jp/access/index.html

●主催
 東京大学教育環境リデザインプロジェクト
 NPO法人EDUCE TECHNOLOGIES

●講演者 
 乃村工藝社 三上戸美氏

●参加者
 20名

●参加申し込み
 氏名、ご所属等を明示のうえ、下記までメールを
 ください。準備のご都合がありますので、キャンセル
 の際は、必ず事前にご連絡をいただければ幸いです。

 問い合わせ先:atusaka [at mark] educetech.org
 (坂本)

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投稿者 jun : 2006年6月28日 06:25


Always 三丁目の夕日

「Always 三丁目の夕日」をレンタルビデオで見た。

 僕が生まれる17年前・・・昭和33年、1958年の東京。

 短気オヤジの則文が家族経営している自動車修理工場で、青森から集団就職してきた六子が働き始める。

 工場の向かいでは、茶川という作家くずれの文学青年が少年誌に冒険小説を投稿しながら駄菓子屋を営んでいる。ひょんなコトから、近所の一杯飲み屋のヒロミから、身よりのない子どもを預かることに・・・。

 「Always 三丁目の夕日」は、この修理工場と駄菓子屋での「日常の出来事」を中心にしたレトロ感覚あふれる物語。

 ストーリーに明確な「山」があるわけでも、「谷」があるわけでもない。平凡な下町の日々がつづられており、それがかえって、琴線にふれる。

 昭和33年・・・携帯もDSもインターネットも、もちろんなかった。しかし、それは日本人が、日々、「自分たちが豊かになっていく感覚」を感じることのできた時代であった。三種の神器が、庶民の手にようやく届くようになっていた。

 昨日よりは、今日。
 今日よりは明日。
 明日よりはあさって。
 
 たとえ今日が貧しくとも、明日にはもっと豊かになれるはずだ。この時代に生きていた人たちは、そう、心の底から信じることができたのではないかと邪推する。少なくとも、Alwaysを見ていると、そのように感じる。

 もちろん、だからといって、この時代に生まれてみたかった、とはあまり思わない。僕は昭和50年でいい。でも、心のどこかで、その時代の雰囲気を、なぜだか羨ましくも思う自分に気づく。

 Alwaysはノスタルジーを誘う。
 「いつか見たような風景」が、そこにある。

投稿者 jun : 2006年6月27日 06:00


キリリとした文章 : 外山滋比古さんのエッセイに思う

 文章を読んだり、書いたりすることは、僕の仕事の中心的活動のひとつです。

 寝るまえの読書、そして、つれづれの書き物。一ヶ月ということになると、数十冊の本を読み、原稿用紙数百枚分の文章を書くことになるのかもしれません。

 「口から生まれてきた」と親に嘆かれる私ではありますが、僕にとって「読むこと」「書くこと」は、そのこと以上に、常に「隣」にあります。

 そして、自分がそうした境遇にいるせいだからでしょうか。「文章を読む・書く」そのことにも、大きな興味をもっています。「なんとかして、効率的に読み、効果的に書くことはできぬものか」と日々願い、関連する書物に目を通したりすることが少なくありません。

 昨日、たまたま、外山滋比古さんの「文章を書くこころ」という本を読み機会に恵まれました。散歩のときに立ち寄った古本屋で、ふと書棚を見上げたところに「ムムム、これは」と見つけたのです。それは、「青年の一目惚れ」に似た偶然の出会いでした。

 しかし「出会いこそ偶然の産物」ではありましたが、なかなか含蓄の深い本でありました。上手な文章を書くためには、どのような準備をすればよいか。どのような教育が必要なのか。

 英文学者、言語学者にして、最も有名なエッセイストの一人である外山先生の語る言葉には、非常に重みがありました。

 その中から、とっても印象深かったお話を3つ引用します。ともに「文章の長さ」に関係するものです。「言いたいこと」「伝えたいこと」を短い文章にまとめることが、どんなに難しいことか。

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第一世界大戦のときのアメリカ大統領ウッドロー・ウィルソンは、雄弁家として世界的に有名だが、こういうことを言った。

「一時間ぐらいの長い演説なら、何の準備もなし、即座に演壇にのぼって始められる。二十分のものだったら二時間の準備がいる。もし五分間スピーチなら、一日一晩の支度がないと引き受けられない」

(p18より引用)

 ---

南極観測船「ふじ」に乗り組んでいる夫にあてて、日本にいる若妻からうった年賀電報は、たった三字。

「ア ナ タ」

であった。ここにはいくら長々と話しても伝えられない熱い思いがこめられている。第三者が読んでも、胸をしめつけられるような気持ちになる。

(p45より引用)

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ある意義知るの学者の言葉に、文章の主題は「ひとつのセンテンスで表現できるものでなくてはならない」と言っている。(中略)

論文を書く学生が相談にくる。テーマは何だと聞くと、5分も10分もしゃべる学生が少なくない。そういうとき、この言葉をひいて、ひと口で言えないようでは、まだ考えが熟していないと忠告することにしている。

長々と主題を説明しなくてはならないのは、あれもこれもと欲張るからである。(中略)一口で言えてはじめて、テーマはできたとなる。

(p55より引用)

ネギもトリ肉もあっていいが、竹串にさしてないと焼き鳥にはならない。テーマは、その竹串のようなものだ。「テーマは何か?」と聞かれたら、「こう」と一口に言えるようでなければならない。

(p105より引用)


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 短くまとめることは、かくも難しいことなのです。しかし、そうした「キリリとした文章」こそが、人の心を動かし、納得をよぶものなのかもしれません。


追伸.
 それにしても、

 「ア ナ タ」

 とは!! 

 いやぁ心憎い。こんなラブレターを受け取ってしまったら、妄想がふくらみますね。ホーキング先生も腰抜かす妄想ビックバン!。僕だったら、その後、一週間は、「ダメ人間」だね。「なんで南極くんだりまで・・・」とか言って、ホームシックになっちゃうよねぇ。恐るべし若妻。

投稿者 jun : 2006年6月26日 04:42


Me and My girl (ミー・アンド・マイガール)

 今日は、カミサンと帝国劇場に「Me & My girl」というミュージカルを見に行きました。「どうしても、今、見ておきたい!?」というカミサンの願いでした。こうなってしまいますと、基本的にワタクシメに、「拒否する権限」は全くございません。スゴスゴと・・・というのは大嘘で、「おい、何やってんだ、トロクセーな、はやく行くぞ」くらいの勢いで、喜び勇んで劇場に向かいます。

Me & My girl
http://www.toho.co.jp/stage/meandmygirl/welcome-j.html

Me & My girl blog(ビデオたくさんあるよ)
http://mam.toho-stage.com/

 ストーリーは、一言でいいますと「身分違いの恋」ということでしょうか。
 ヘアフォード伯爵家の跡取りに急遽なることになった、ロンドンの下町っ子ビリー。彼には、サリーという恋人がおったのですが、階級が違うからという理由で遠ざけられます。最後にはハッピーエンドになるのですが、それまでのドタバタを本当にオモシロく描いています。本当にオモシロイよ、マジで。

 ストーリー展開自体は、古典的、かつ典型的なラブストーリーで、特にことさらに注目するべきことはあまりありません。だけどね、このミュージカル、2つの点でスゴイなぁと思いました。

 まず、1つめ。
 劇場開場は30分前なのですが、だいたい15分前になると、帝国劇場の入り口あたりの階段のところで、オーケストラと、役者がでてきてパフォーマンスをするのですね。このミュージカルで一番盛り上がる曲、「ランベス・ウォーク」の練習になっています。ここで客との一体感がすでにできあがってしまうのですね。結局、ラストにはお客さん全員総立ちの「ランベス・ウォーク」になります。この演出というか、しかけがすごいなぁと思いました。

 2つめ。
 これはミュージカルそのものではないのだけれども、主演の井上芳雄さんは、本当にうまかった。さすがは「ミュージカル界の若きプリンス」とよばれているだけはあります。歌、踊り、台詞、笑い、すべてにパーフェクトですね。まだ26歳だそうです。これから期待の新人ですね。

 ---
 
 Me & My girlは、残念ながら、明日が千秋楽ですが、きっとまた帝国劇場でやるでしょう。おすすめのミュージカルです。最初から最後までノンストップで笑えると思う。

投稿者 jun : 2006年6月25日 19:00


千の夜と一つの朝

 ところで、「千の夜と一つの朝」という歌をご存じですか? 先日、共同研究者何名かで、ナツメロの話をしていたときに、「なんの曲が好きか?」って話になったんだよね。
 僕は、この曲の「サビ」だけを覚えていた。曲名とかでてこなかったんだけれども・・・。で、今日、また久しぶりに思い出して、ググッて、ようやく曲名、歌詞ともにわかりました。

 でもさ、カミサンに聞いたら、「知らん」と冷たく言い放たれ、さらには「それ、北海道だけで流行っていたんちゃうの?」「絶対、道産子系の曲だって」と言われる始末。

 オマエ、道産子系とは何事だ!
 「奈良臭」ただよってるくせに!

 ちなみに「千の夜と一つの朝」は、1991年の曲。そんな昔の曲なのに、「なぜ 2人だけ別々の夜を終わらせなきゃいけないの」のところのサビだけは覚えていたんだよねぇ・・・不思議だねぇ、脳って。脳トレによると、僕の脳年齢は78歳らしいけど(殺す!)。僕の脳、まだまだイケてるんちゃうの?

---

千の夜と一つの朝
作詞:elli

歩道橋の手すりに 頬づえついたままで
あなたのこと困らせた 終電はすぐそこ

ケンカさえも まだ終わらないのに 今日も
この場所から はがされてゆく
こんなに愛してるのに

なぜ 2人だけ別々の夜を終わらせなきゃいけないの
あと どれだけ夜を数えたら 光る朝に出会えるの

投稿者 jun : 2006年6月25日 07:00


居酒屋のワタミ、介護の専門大学院を設立へ

 居酒屋のワタミが、介護の専門大学院を設立するそうです。

ASAHI.COM
http://www.asahi.com/life/update/0624/005.html

 ワタミは居酒屋だけでなく、介護施設も運用しているのですね。

レストヴィラ
http://www.restvilla.co.jp/

 実学志向の株式会社立大学院・・・その動きは、とどまることを知りません。

投稿者 jun : 2006年6月24日 21:08


Web2.0時代、消費行動が変わった!?

 朝はスポーツジムで3時間ほど運動。1時間ランニング、2時間エクササイズ。トレーナーには、「中原さん、最近、カラダの調子がよくなってきたんじゃない?」と言われる。「いいところに気がついたね」とかえす、談笑。

 昼、大学へ。プロジェクトのための資料づくり。

 午後2時、BEATの「Web2.0セミナー」へ参加。
 久松さんの講演では、Web2.0の関連知識を「おさらい」させてもらった。下記のようなサイトが、「目をつぶりながら腕立て伏せしているうち」にできてしまうそうです。スゴイ。

直島MAP
http://www.artmap.jp/naoshima/

 ニールセン・ネットレイティングスの荻原社長の講演の中で、Web2.0時代になって「消費行動モデル」が変わってきた、という話は面白かった。

 かつての消費行動は、いわゆる「AIDMA」。

1.Attention(注意)
  ↓
2.Interest(興味)
  ↓
3.Desire(欲望)
  ↓
4.Memorize(記憶)
  ↓
5.Action(購買)

 でしたね。マス広告をうって1と2を獲得する。で、3と4がブラックボックスになって、5につながる。これが大量消費時代の消費行動だった。

 ところが、Web2.0時代になると下記のように変わるんだって。「AISAS」です。

1.Attention(注意)
  ↓
2.Interest(興味)
  ↓
3.Search(探索)
  ↓
4.Action(購買)
  ↓
5.Share(共有)→CGM(Contents Generated Media)

 マス広告で1と2を刺激するのは変わりません。その後、興味をもった消費者は、Webを探索しはじめる。今は型番とか入れれば、容易に「クチコミ」が手に入りますよね。で、それで散々学習したあと、購買に走る。

 で、ここからがオモシロイんだけど、これで終わりじゃないんだ。最後には、今度は自ら自分が「クチコミ」に参加する。そのときに使われるのが、CGM(Contents Generated Media)とよばれる、BlogやCoI(Community of Interest)、Mixiなどのsocial networking serviceです。

 ちなみに、日本でもっとも「一人あたりの利用時間が長いWebサービス」はMixiだそうです。約4時間30分。20代を中心にそんだけ、使われてるんだって、驚きですね。

 考えてみたら、僕もそういう消費行動をとっていますね。何かを買えば、NAKAHARA-LABで紹介しているし、何かを食えば、やっぱり紹介してる。

 ---

 とても面白かったんだけど、この後、人にあうので中座。
 なんだか週末も忙しいなぁ。

 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2006年6月24日 16:50


コンサルティングファームもpodcast!?

 野村総合研究所が、podcastをはじめたとのこと。

NRI podcast
http://www.nri.co.jp/podcast/index.html

 「通信と放送の融合」「オタク市場の研究」「Web2.0」「SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)」「ネットと家庭のコンテンツ蓄積」「中国の消費市場」など、最新の動向を研究員が解説していくらしい。

 日●総研、●菱総研、み●ほ総研・・・国内シンクタンクはどう動く?

投稿者 jun : 2006年6月23日 20:48


募集「米国チルドレンズ・ミュージアムの最新動向」

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Learning bar@Todai 2006年7月
 「米国チルドレンズ・ミュージアムの最新動向」
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 2006年7月のLearning barは、ミュージアムに焦点
をあてます。乃村工藝社 三上戸美さんをスピーカー
にお招きし、「米国チルドレンズ・ミュージアムの最
新動向」について、ご報告いただきます。

 三上さんは昨年、米国いくつかのチルドレンズ・ミ
ュージアムを調査し、報告書をまとめる仕事に従事な
さっていました。
 その様子は文化環境研究所のだしている「Cultivate」
でも特集されています。

 当日は、豊富な写真、資料等をお持ち頂ける予定だ
そうです。

 ぜひ、ふるってご参加下さい!

 中原 淳

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●日時
 2006年7月11日 午後7時より

●場所
 東京大学大学総合教育研究センター MEET講座
 http://utmeet.jp/access/index.html

●主催
 東京大学教育環境リデザインプロジェクト
 NPO法人EDUCE TECHNOLOGIES

●講演者 
 乃村工藝社 三上戸美氏

●参加者
 20名

●参加申し込み
 氏名、ご所属等を明示のうえ、下記までメールを
 ください。準備のご都合がありますので、キャンセル
 の際は、必ず事前にご連絡をいただければ幸いです。

 問い合わせ先:atusaka [at mark] educetech.org
 (坂本)

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投稿者 jun : 2006年6月23日 16:07


経営学のフィールドリサーチ

 この本は、非常に楽しく読めました。
 労働経済学における「聞き取り調査」で有名な小池和男先生が編者になった本。「経営学のフィールドリサーチ:現場の達人の実践的調査手法」です。

 タイトルは「経営学の・・・」となっているけれど、別にそんなことは気にすることはない。人文、社会科学系の学問領域の人で、フィールドワークに興味がある人なら、楽しく読めるのではないでしょうか。

 特に僕は1章の藤本隆宏先生の「私のフィールドリサーチ遍歴」が大変面白かった。藤本先生といえば、「ものづくり経営」でとても有名な方で、実は、UT OCWでも講義を公開なさっていただいています。

経営管理
http://ocw.u-tokyo.ac.jp/course-list/economics/business-administration1/lecture-notes.html

 本章では、藤本先生が、三菱総研で勤務なさっていた頃、ハーバードに留学なさっていた頃、そして「製品開発のフィールドワーク(彼のとても有名な研究です)」をなさった頃のことを、回顧風に買いていらっしゃいます。

 「方法論」という観点で言えば、特に下記の2点については、完全に我が意を得たりという感じでした。ひとつは「統計に関するスタンス」、ひとつは「ケースメソッドという教育手法」についてです。それらに対する、研究者としての立ち位置が、共感できるなぁと思いました。

 下記、引用してみましょうか。

 まずは「統計に関するスタンス」から。
 藤本先生は、統計とフィールドワークについて下記のように語っています。

---

「よい仕事をしているという確信」というのは、僕の場合、統計データというよりは、むしろケーススタディの積み重ねからきています。
(中略)
(しかし)アメリカ的学問というのは、一個一個のXとYの関係というのを、精密な検証によって積み重ねていって、みんなで全体の知の体型をつくっていくという、非常にモジュラー的な体系だと思うのです。
(だから)「僕はフィールドでこんなに見てきたのだから、オレのいうことを信じてくれ」と叫んでも、それはアメリカ型の学界では通用しないわけです。
(中略)
フィールドのケーススタディで出てきた研究も、統計重視のメインストリームの人たちに対しては、プレゼンテーションしにくい、という弱点があるのです。
したがって、統計分析もしっかりと行って、何らかのかたちでその人たちにわかるようなプレゼンテーションの仕方、パッケージングの仕方を考えていくということも必要になってくるのです。

(p39-40より引用)

---

 こういう折衷主義が、僕は好きです。そして、どちらかというと、質的な方法にシンパシーを感じるけれど、統計は「見せ方」として「まとめ方」として非常にパワフルなツールである、という考えも同じです。

 さて、次は、ケーススタディについて、ですね。藤本先生は、ハーバードビジネススクールで行われるようなケースメソッドといわれる教育手法について、下記のように語っています。

---

(中略)ケーススタディというのは、「ケーススタディをやればやるほど、どんどんと力がつく」というレベルにまで、基礎知識をあげておかないと、効果はでません。

---

 これついては、実は、今日ゼミのあとの食事会で、M1の三宅君、館野君たちと議論していたこと、そのものですね。

 そのとき、僕は「協調で学ぶためには、どうしても基礎的な事柄に関する反復学習が必要だ.。そういうベースがないと、そもそも協調することすら難しい」と言いました。「反復学習」と言う言葉がひっかかるようでしたら、熟達研究風に「deliberate practice」といってもかまいません。

 「協調学習を研究したことのある人なら、必ず、そのことを知っている。協調学習について<評論>するのではなく、いろんな1次データを集めたことのある人ならば、決して協調学習と個別学習、反復学習とケーススタディ、などをトレードオフの関係とはとらえないハズだ」とも言いました。

 自宅に帰ってきて読書をしていて、今日、自分が言ったことが書いてあったので、何だか嬉しかったです。

---

 まぁ、僕が感じた共感はともかくとして、この本は非常によい本だと思いました。藤本先生以外では、佐藤郁哉先生なども、ご執筆なさっています。多くのご自身の経験をもって、方法論を語っていらっしゃるので、とても実感をもって読むことができるのです。

 本を読んでいると、今すぐ、フィールドにでたくなって、その感情を抑えるので大変ですけれども。

投稿者 jun : 2006年6月23日 00:53


レポートライティング

 ゼミ、館野君の研究発表。館野君は、学部時代、「blogを活用したレポートライティングの授業」を研究対象にしていました。

 その研究の中から一問。

「東京駅から東京大学までの最もよい道のりをレポートにまとめ提出してください」

 という練習課題が、先生から与えられたとします。

 この練習課題に対して、あなたなら、どういうレポートを書きますか?
 そして、大学に入りたての学部1年生だと、どのようなレポートを書くと思いますか。

 彼の研究には、いろんな「種」がつまってそうな感じがした。その「種」が何であるかを、今、考えている。

投稿者 jun : 2006年6月22日 18:59


Wiwiw

 総務省の「ユビキタスラーニング推進協議会」にでた。そこで業界最大手のネットラーニング社の岸田社長から「Wiwiw」という資生堂がやっている育児休業者向けの教育サービスについて教えて頂いた。

ネットラーニング
http://www.netlearning.co.jp/

Wiwiw
https://www.wiwiw.com/

 Wiwiwとは、育児休業者の「職場復帰に向けたスキルアップ」の両面をサポートする教育プログラムである。育児休業者が、復帰後の仕事に役立つ様々なオンライン講座を受講したり、掲示板等を通じて会社とのコミュニケーションを図ることができるのだという。

 キャラクターが定期的に上司に休業中の部下にメールを書くよう促す機能もあるようだ。育児休業者は、時に会社からの「隔絶感」を感じるほか、「復帰すること」に不安を抱えるものらしい。そういう意味では、育児休業者だけでなく、「育児休業者を抱える上司」も支援対象になっている。

 Wiwiwは資生堂の社内ベンチャーが運営している。現在、顧客は200社にものぼるそうだ。もともと育児休業のあと復帰する女性社員が多い資生堂で、育児休業者のフォローシステムとして開発されたものを、プロフィットサービスに転換したということになる。

 少子化の観点から、いかに女性が「働きやすい環境」をつくるか、ということが問題になっている。助成金や企業の各種人事制度の刷新に加え、こうしたサービスも有効だろうな、と思った。

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 あと、オモシロイなぁと思ったのは、Wiwiwでは「eラーニング」という言葉が全く使われていないことだ。「オンライン講座」とは言っているけれど、「eラーニング」とは言わない。

 最近、よく思うことなのだが、いわゆる「eラーニング業界」以外の業界が - 例えばゲーム、ポッドキャスト、どこでもusenなどを含む - 「eラーニング」という言葉を使わずして、「情報技術と教育」を結びつけ事業に成功するパターンが多くなっているように思う。いわゆる「eラーニング」なるものの実態が把握出来なくなっている事態が生じている。

 おそらく、eラーニングというやや固定的なイメージのついた言葉を避けているんだろうと思う。いや、もはやWebやストリーミングで学ぶことは、「アタリマエダのクラッカー環境(意味不明)」に移行していて、今更それを、「eラーニング」と呼ばずともいいと思っているのかも知れない。数年前の前著で指摘したように、「eラーニング」という言葉が透明化する日は近い。

 それに対して、いわゆる「eラーニング業界」は、今もなお、「標準化」「ID」「LMS」の話題ばかり。その中から、早急に使い勝手のよい、魅力的なコンテンツがでてこなければならないのだが。断っておくけれど、もちろん、「標準化」も「ID」も重要ではあることは疑いない。しかし、「eラーニングの外」で起こっている事態、「eラーニングの外」でおきている「熱気」に、うまく対応できているとは言えない気がするのは、僕だけだろうか。

 中には、「あーいうのを、eラーニングとよぶかどうかは議論が必要だね、フン」とか怒っている人もいる。でも、それはサプライサイドの理屈だ。

 学習者の立場からすれば、自分が受けているサービスが、「eラーニング」かそうでないか、なんてどーでもいい。見栄えやインタフェースがよくて、アフターフォローがしっかりしているものを、彼らは選ぶ。学びやすくて、学習効果の高そうに見えるものが世の中に受け入れられる。

 「SCORMなんちゃらでは、これ以上リッチな表現はできないんですぅ」というような、「作り手の理屈」なんて、学習者にしてみれば、どーでもいいのである。

 「eラーニング業界の内と外」、そして「サプライヤ」と「学習者」の間。
 これらの間にある温度差が、なんだか痛々しく感じる今日このごろである。

投稿者 jun : 2006年6月22日 08:19


神田 鳥すき焼き 「ぼたん」

 ちょっと前のことになるけれど、神田の鳥すき焼き屋「ぼたん」にカミサンと出かけた。

神田「ぼたん」
http://r.gnavi.co.jp/g198900/

 昭和初期の建物。ぶらっと入ると、座敷に通され、コークスと鉄なべが目の前におかれる。日本酒を1本注文し、鳥が「わりした」の中でじっくり煮えるのを待つ。

ozashiki.jpg

ozashiki2.jpg

ozashiki21.jpg

「もうそろそろかな」と思い、鳥肉を溶き卵につけて、エイッとやる。旨い。歯ごたえがあり、肉のうまみがしみだす。あっという間に、鍋を空にした。無心に食べ続ける。

 最後はごはん。親子丼風に出汁と溶き卵をかけ、また、鳥肉をやる。「お腹いっぱいだ、もう止めよう」と思っても、「あと一杯だけ」と心のどこかで思い、箸が止まらない。僕はふだん夕食に全く白飯を食べないのだけれど、この日ばかりは4度もおかわりをした。大満足。

ozashiki3.jpg

 昭和初期の情緒あふれる、おすすめの夕食である。

投稿者 jun : 2006年6月22日 05:00


クローズアップ現代 「早期退職する教師たち」

 今、NHK「クローズアップ現代」を見ています。

 最近、定年を待たずして、早期退職する教師が増えているそうです。教師を続けていくことは「しんどい」ということです。親の欲望、社会からの要請は、日に日に肥大化していく。その中で、教師は何を、どこまでするべきなのか、と逡巡する。その中で、まじめな先生が「疲れていく」。非常に難しい問題ですね。

 番組では、下記の大学院大学を「プロ教師の養成機関」として紹介していました。

日本教育大学院大学
http://www.kyoiku-u.jp/

 うーむ、まだ僕はこの番組の内容を消化できていません。
 考えさせられる番組でした。

投稿者 jun : 2006年6月21日 19:54


コピーライティング入門

●「別に用はないけど」の「けど」がスキ。
(NTTドコモ九州)

●セブンイレブン いい気分
(セブンイレブン)

●話すケータイから、使うケータイへ。「iモード」
(NTTドコモ)

●うちの駅前はマックを中心に栄えている
(マクドナルド)

 昨日は論文を脱稿した。
「あー、疲れた、読みたいと思っていた本でも読むか」と思って、研究室の「積ん読」になっていた本を、数冊持ち帰った。が、その中の一冊が異様にオモシロク、結局、深夜遅くまで読み進めてしまった。「コピーライター入門」である。

 コピーライターとは、「言葉で人を動かす職業」なのだという。わずか10数文字の短い文章で、「売り手」と「買い手」のあいだにコミュニケーションをおこす。それが仕事だ。

 本書は、電通の社員たちが書いたコピーライティングの入門書。オシャレな装丁。さすがは「カタカナ職業」の本だけはある。
 1章は、松本さんというコピーライター志望の新入りが、はじめてのクライアントにぶつかり、コピーを考え出すまでをシナリオ風に書いている。その仕事の全体像がよくわかった。その後は、様々なコピーを解説し、どのようなコピーがよくて、何が悪いのかをかなり詳しく解説している。経験談も豊富に収録されている。

 いくつか激しく同意した文章があった。

 「だってこれが好きなんだもん」という戦法が許されるのは、7歳くらいまでの子どもか、すでに実績が認められている巨匠だけだ。もしあなたが、そのどちらでもないとすれば、なぜその「好き」が重要なのか、なぜ「私のやりたいこと」が結果的には「御社のためになるのかを説明できなければならない。

(同書 p157より引用)

 このあたりは、研究という営みにも、共通して言えることだと思う。研究にも社会的責任、説明責任というものが付随する。

 学部時代に学んだ社会学の先生には、「なぜ、その研究を、いま、実施する必要があるのか、その社会的意義は何か?」が言えないとダメです」と耳が痛くなるまで言われたことを思い出す。

 いやー、それにしても、コピーライティングとはパワフルだ。短いセンテンスながら、感情を揺さぶる。
 教育研究という営みは、アウトプットがこれほど短くない。だけれども、できれば「言葉とデータで人を動かしたいものだ」と思った。

 本書には、いろんな時代の、様々な商品のコピーが載っていた。ちなみに、僕は下記のコピーが一番のお気に入り。皆さんのお気に入りのコピーはありますか?

●その日、資本のない奴は勇気を出した
 (パルコ)

 うーん、「勇気」だけでいいんだったら、負けないけれどね。

投稿者 jun : 2006年6月21日 10:06


「が」を接続詞に使わない!

 「が」を接続詞に使わない。

 これが、僕が意識している文章作文技法(プチテクニック)の中で、もっとも確かなことのひとつです。「が」を接続詞に使った文章とは、どういうものでしょうか。下記に例を示してみることにしましょう。

親の関与が子どもの学習によい影響を与えることは、アカデミックな心理学の研究知見ではわかっていたのであるが、日本のテレビ番組の制作場面では、そうした有用な知見が、全くいかされずにプロダクションが進行していた。

 こういう文章です・・・あー長ぇ。ワタクシメ、査読などをずいぶんとしていますが、こういう文章に出会うことが本当に多いのですね。

 これは、

親の関与が子どもの学習によい影響を与えることは、アカデミックな心理学の研究知見ではわかっていた。
しかし、日本のテレビ番組の制作場面では、そうした有用な知見が、全くいかされずにプロダクションが進行していた。

 という風に、1)2つの単文に分ける、2)逆接の接続詞でつなぐことで、よりわかりやすくなるはずです。

 本人にとっては、あんまり変わらなく思えるのかもしれないけど、少なくとも、読者にとっては読みやすさが違うのです。コントラストがハッキリするというのかな。

 要するに「がでつなぐ文章」というのは、多くの場合、

 1)2つの単文にわける
 2)よりメリハリのきいた接続詞(たとえば逆接・順接)

 を使えば、置き換わることが多いのですね。

 ぜひ、試してみて下さい。運がよければ、今、お書きになっている論文がシャープになるかもよ。

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追伸.
 論文脱稿したぜ、ザマーミロ、ケケケ。誰に毒づいているのかしらないけれど、毒づきたいんだよね、きっと、ストレスで。マジできつかったもん、早朝に作業をするのは。
 脱稿に至るまでには、望月さん、西森さん、山口さん@宮崎大学の温かいサポートを受けました。ありがとうございました。

 あー、疲れた。次は、山口さんの番だね。

投稿者 jun : 2006年6月20日 17:00


「見える化」と「見せない化」

 巷では「見える化」という言葉がビジネス界で、ちょっとした流行になっているのだという。

「見える化」とは「可視化」のこと。仕事場では「目にはついているけど、気のつかない事柄」を「見えるよう」にしておく工夫のことである。常に問題が発見出来るように、また異常などがおこった際には、すぐに気がつくようにしておくといったようなことをさす。

 非常に広い概念で「コミュニケーション」や「スケジュール」などを相互にわかるようにしておくことも、「見える化」のひとつになるという説もあるようだ。下記のような本も出版されているようだ。

 僕は過去数年間「オンラインコミュニケーションを見える化」する研究 - これを専門用語ではアウェアネス研究というが - に力をさいていた時期がある。

 はじめて「見える化」にチャレンジしたのは、今から5年前。MELLOWシステムというものであった。それがきっかけとなって、iTreeという携帯電話iアプリを開発したり、望月君との共同研究に参加させてもらってiBeeというソフトを共同開発したりした。

 3つほどシステム開発研究に従事したので、僕には「見える化」のもっている可能性も何となくわかるし、「見える化」の対象が、こと「オンラインコミュニケーション」に限定されるのであれば、その限界も、何となくはわかる。

 せっかく見えるようにしたとしても、人がそれを「読み解いてくれるか」は別の問題、といったこともある。また、我々のようなアプローチをとった場合の最大の問題は、「いつも見えるものは、人はだんだんと見なくなる」ということもある。

 常に「見せる」のではなく、「見せない化」と「見せる化」を効果的にあやつって、人の次の行動を形成できればオモシロイのになぁと思う。この先に、フォッグのPersuasive technologyの系譜に位置付くような研究ができるのではないだろうか。

 そういう「演出」を考え出すには、まず人間を子細に観察することから、かもしれない。

投稿者 jun : 2006年6月20日 07:44


グラタンが原因?

 今日は天気がいいなぁ・・・それなのにハラ痛い。
 食い過ぎ? でも、ちょっと熱っぽい気もする。

 まさか昨日のグラタンが原因?
 水をいれなすぎ?
 おいおい・・・そりゃねーだろ。

 便所は友達。なんだか、ボッーとしてくるよ。
 何かが見える。

投稿者 jun : 2006年6月19日 12:21


正直者は「水グラタン」

 昨日の夜はシーフードグラタンをつくりました。僕は週末しか料理はしませんが(他の日はカミサン)、いつも、不思議なことがあります。

 例えば、グラタンとかつくるときに、牛乳とか水とかをいれてソースをつくりますよね。で、そのときに「規定量の牛乳、水を入れる」と、まず「ゆるくて失敗」してしまうような気がします。

 「なんじゃ、この"水グラタン"は!!!、ゆるゆるじゃねーか、チクショーめ」

 ということになってしまいがちです。経験的ですが、だいたいマニュアルにある量の「0.7がけくらい」がよろしい。僕だけですか、そう思うの?

 どうしてなんだろう? ちょうどいい水分加減のが「0.7がけ」なら、最初からそう書いてくれればいいのに、と思ってしまいます。正直者はバカをみませんか?

 まぁ、野菜から水でるから、そのくらい考えとけってことかな。
 まぁ、いいんだけどさ。

 ちなみに、昨日のグラタンは成功しました。水加減も、にんじんやアスパラへの火の通り具合も申し分なし。シーフードもいい感じでした。

 来週は、また「和」に挑戦です。
 このあいだのリベンジなるか!?

投稿者 jun : 2006年6月19日 07:21


鮨処 平河と鮨 青木

 暇な時間を何とかつくって「食べることを愉しむ」。これだけが、僕の目下の趣味みたいなものです。最近、行った寿司屋のご紹介。

 まず1件め、鮨処平河です。

 ここは、地下鉄麹町駅から歩いて5分くらいの所にあるんですね。地下鉄赤坂見附から、歩いても15分くらいかな、といった感じです。

鮨処 平河
http://www.leport.jp/restaurant/hirakawa/index.html
昼食11:30~14:00 夕食17:30~22:00
03-3265-6437
http://www.leport.jp/map/acsses_r.html

 平河の魅力は、安さとボリューム、ネタの新鮮さでしょう。

 特にランチタイムは、破格の安さ。一番リーズナブルな「にぎり」になりますと、1000円以下です。「ランチタイムでは儲けることは考えず、店を知ってもらうため、とわりきる」のだそうです。

 ボリュームは、1.5人前というのがありますので、男性の方でもお腹いっぱいに食べられるでしょう。「安くて、ボリュームがある」というと、どうも味の方は今ひとつ・・・といったことになりやすそうですが、ここはそんなことはありません。ネタは夜と同じモノをつかっているそうです。

 個人的にはネギトロ巻き、ヒラメ、まぐろなどがおいしいなぁと思いました。

hirakawa.jpg

 カウンターは白木のもの。接客もホテルならではで、大変丁寧です。おすすめのお寿司屋さんです。

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 2件めは、銀座の寿司屋 of 寿司屋ですね。泣く子も黙る!?「鮨 青木」に行ってきました。

鮨 青木
http://nikkei.hi-ho.ne.jp/selectrestaurant/kishoku/aoki.html
東京都中央区銀座6-7-4 ギンザタカハシビル2階
電話:03-3289-1044

 カウンターから、職人さんの動きを見ていると、丁寧に丁寧に職人さんがひとつひとつ握っている様子がわかります。

 彼の手から、僕の目の前に寿司がひとつひとつ届けられる。手を離した瞬間に、一瞬ふんわりと米のクッションが沈むのです。その瞬間に寿司を手でつかんで食べる。

「寿司と天ぷらは、親の敵でもとるように食べろ」

 とよく言いますけれども、その「一瞬」を逃したくない宝石のようなお寿司でした。なお、ほとんどの寿司は、煮切り醤油がすでについていて、敢えて醤油をつけることはありません。

 個人的に気に入ったのは、

 ちょうどよい締め具合のコハダ
 ツメをぬったタコ
 コリコリとした青柳
 ふんわりとして、それでいて香ばしい穴子
 しっかりとした歯ごたえのあるかんぴょう

 でしょうか。もちろん、それ以外のものも、本当に美味しかった。職人さんの心意気が感じられた一品でした。

aoki.jpg

 ちなみに、鮨青木に関しては、僕は、下記のようなところにも非常に好感がもてます。

鮨青木 板前紹介
http://www.sushiaoki.com/staff/index.html

 ホームページで、自分のところに勤める若手の板前さんの紹介をしているんですね。名前つきで。

 ひとつひとつの寿司が、彼らにとっての「作品」だとするならば、「クレジット」をキチンと明示しているんです。これは「できるよう」で、なかなかできないことですよ。少なくとも、僕は、他の寿司屋のWebサイトで、こういう風に、キチンとクレジットを明示している店を知りません。

 味もさることながら、こういうところ、素晴らしいと思うんです・・・なかなかできないことです。

 この世の中、いかに、若者のアイデアをペチッて、自分のアイデアのように語ってしまうことの多いことか。
 自分は何もやっていないのに、自分に少しでも関係あれば、さも「自分がすべてをやったように語ること」の多いことか。
 若者に貢献を求めつつ、そのベネフィットについては、キチンと説明せず、お茶を濁すことの多いことか。
 そして、若者には「実働」を課すくせに、それを「アンタのためでしょ」という<教育的>な理由で - ブルデュー風にいうならば、まさに象徴的暴力! - 誤魔化す奴の多いことか。

 要するに、いかに「フェアじゃないこと」が多いかってことです。みんなで生み出したものなハズなのに、「ちゃんとクレジットをつけないこと」、「クレジットを省略してしまうこと」、いいえ、そもそもそうしたことにセンシティヴになれない人が、なんと多いか、ということです。

 その点、僕はスゴイと思いました。こんなに「フェア」な寿司屋のWebは見たことがない。そして、自分の店の生み出すものに自信がなければ、なかなかできないことです。

 こんな風にクレジットを明記し、チームの一員として意識させた方が、若者のモティベーション向上、責任感向上につながることはわかっているんだろうけど、いったん上にあがると、なかなか「できなく」なる。ていうか、自分が若かったときに感じたことを忘れてしまうのでしょうね。

 こういうところに痛く感服しました。

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 来週も忙しい毎日が続きます。
 でもどんなに忙しくても、ごはんはちゃんと食べたいですね。別に高価でなくてもよいのです。ゆっくりとした時間をかけて、しっかりとしたものを、ちゃんと食べたい。

 「確実な死に向かって、有限の時間を確実に減らしていく。だから今日という一日が大切なんだ。毎日そう思って、飯を食え。そう思って酒を飲め」

 そううそぶいたといわれるのは、かの池波正太郎です。

 僕もそれに同感で、「今日の夕食は適当に」とか言われたりするのが死ぬほど嫌いです。パーティとかでだされる「夕食なんだか、軽食なんだかわからないオードブル」も好きではありません。

 要するに一言でいいますと、こと「飯」に関してだけは「適当に」が大嫌いなのです(それ以外は、適当きわまりないのですが・・・)。

 飯を、適当にとは何事だ!
 飯は、本気で食べるものです。
 そして、そのための時間も精神的余裕も、なんとしても確保したい。

 そう思って、日々を過ごしています。

投稿者 jun : 2006年6月18日 17:27


人生いろいろ

 高校時代の同期のお宅にお邪魔する。1歳ちょっとになるお子さんのいる、とても幸せそうな家庭。いろいろな話をした。出産ビデオなども見せてもらう・・・衝撃的。

 個人的にオモシロかったのが、「飲み会にいくときには、理想的には3度の報告をせよ」という奥様の主張(笑)。

 3度の報告とは、

 イン (今から飲むよ)
 ミドル (今飲んでるよ)
 アウト (今から帰るよ)

 らしい。メールや携帯で奥様に連絡をせよ、とのこと。こんなに頻繁な報告義務があっては、さすがに「同期」も「オイタをすること」は無理だろう。奥様喜ぶ。

 うーむ、厳しい(笑)。
 うちなんか、ほとんど、どれもしたことがねーぞ。一般的な家庭では、3度の報告が基本なのだろうか。

 ちなみに同期のダンナの方は、3度の報告義務に対して、携帯電話の中に「定型文」をつくって対応しているらしい。ピッとスマートに送信。

 夫婦とは「知恵比べ」である。

 ともかく大変楽しい時間を過ごすことができました。Aさん、Nさん、ありがとう。

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 夕方、数週間後にアメリカのビジネススクールに留学する大学時代の後輩にあう。彼女の方は、コミュニティカレッジに留学。二人でアメリカで数年暮らすことになるのだという。

 後輩の方は、これまで数年間外資につとめていたし、留学経験もあるだろうから、アメリカへの異文化適応には問題はない。しかし、彼女の方は、いろいろ不安に思うこともあるようだった。

 とても、気持ちはわかる。

 きっと最初のうちは、苦労はするだろうし、大変だと思う。ただ半年くらい何とかやりすごせば、だんだん楽になってくるのではないか、と推察する。
 
 とはいえ、せっかくの機会だ。後輩の方は、「アメリカ留学に、機会損失も含めて2000万以上かけている」とボヤいていたけど、そこまでしてつかんだ、チャンスである。どうか、2人でEnjoyしてほしい。

 数年後、どのくらいたくましくなって帰ってくるかが、たのしみである。
 彼らが帰ってくる頃、僕は、どこで何をしているだろうか。
 人生いろいろ。

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 「俺の職場は大学キャンパス」のマイスターさんの記事が大変面白かった。
 自国の教育と他国の教育を比較し、語るときの言説枠組みは、いつも、どこか「隣の芝はよく見える」的なものになってしまいがちである。進歩主義的な教育論にこの傾向は多い。虚心に教育をみつめる「まなざし」が必要である。

隣の教育改革はよく見える?
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50209916.html

投稿者 jun : 2006年6月18日 08:09


お帰り

 先日、僕のもとに降りてきた「クリエィティブの神様」は、どうやら、いらっしゃる場所をお間違えになったらしく、すごすごと、お帰りになられた。

 ┏(-_-;)┓ ガックリ
 
 あまりにショックで声にならない。激しい自己嫌悪がおそう。
 
 もうダメポ・・・
 そして人生は続く。
 

投稿者 jun : 2006年6月16日 19:30


「本番」の中で学ぶ

 昨日のエントリーにもやや関連があるのですが、実は、ある認知科学系のメーリングリストで「徒弟的学習」について、最近、やりとりがありました。

 発端は、「イタリア料理屋に勤め始めたの新入りに対して、サラダづくりを、どのように教えるのか」という話題に僕が反応したことからはじまりました。

 サラダは、一皿千数百円するもので、かつ、直接「お客」に出されるものだそうです。要するに、「失敗」は許されないわけですね。いわば「本番」の中で、新人は学ばなければならない。

 ある先生は、仕事場の学習の場合、「プライオリティは本番の成功にあって、徒弟の学習は必要な副産物となっている」という鋭い指摘をなさっていました。この点は、この点は、「失敗」が「練習」という名で呼ばれ許容されることの多い学校的学習とは、ちょっと違う側面があるとのことでした。まさにご指摘のとおりだと思います。

 いつもとにかく本番、うまくいってアタリマエ。
 そうした厳しい環境の中に学習が付随するわけです(もちろんOff-JTの場合はこの限りではありません)。

 これに関連して、ここ数ヶ月、僕は、ドラマ「医龍」を見ていたのですが、このドラマでは外科医の研修医がいい役を果たしています。

 外科研修医の学習も、明確に場がブレークダウンしてしまうような失敗は許されないわけですね。

 万が一もし失敗をするにしても、局所的なエラーとして処理できるもので、かつfatalなものではない(患者としてはコワイ限りですが・・・)箇所を見いだし、その部分の処置をまかせ学ばせることいったようなことを、折に触れ、行うのでしょう。生き死にの「本番」の中で、新人は学ばなければなりません。

 ここで僕は「仕事場の学習」と「学校的学習」を対比させて考えていますが、断じてそれらの優劣を論じたい、とかそういうことではありません。

 興味をもつのは、この「本番性」という奴です。それが学習に与える影響について、何だか言いようのない興味をもってしまいます。

 というのは、教育の世界では「失敗しても、そこから学べばいい」という支配的な価値があります。いわゆる「誤りから学ぶ」という方略です。

 しかし、逆に「失敗出来ないからより学べる」ということもあるのではないか。「失敗できない環境で、プチ失敗をすることで、より深く学べるのではないか」と思っちゃったりもするのです。

 もちろん、すべて世の中にある学習を十把一絡げに論じるつもりはありません。世の中には文脈によって、いろんな学習が日々行われています。場合によっては、「失敗が許される場合」もあるし、「失敗が許されぬ場合」もあるでしょう。

 しかし、「失敗」や「本番性」ということをキーワードにして、学習の現場を見ていく研究って、オモシロイよなぁと思ってしまいます。このメーリングリストでのやりとりは、そんなことを気づかせてくれました。

 ちょっとマニアックな関心かもしれませんが。

投稿者 jun : 2006年6月16日 07:15


三高より三低?

 今日、オモシロイ話を聞いた。
 今の時代、男に求められるのは「三高」よりも「三低」らしい。

 「三高」とは、いわずもがな

 高学歴
 高収入
 高身長

 のこと。

 「三低」とは、

 低姿勢(レディーファースト)
 低リスク(リスクの低い安定した職業:公務員、資格保持者)
 低依存(束縛しない人)

 だってさ。
 へー。

投稿者 jun : 2006年6月15日 21:50


降臨

 今、まさに、「クリエィティブの神様」が降りてきた!
 キタ━(°∀°)━ ッ!!
 ありがとう、神様。

投稿者 jun : 2006年6月15日 20:36


美容師さんになっていくプロセス

 人はどうやって一人前になっていくのか

 人は最初から熟達者であったわけではありません。誰もが最初は新参者です。

 テレビ局、出版社、官庁、スーパーマーケット、コンビニ、病院、航空会社。世の中には、僕の知らない世界がたくさんあります。
 
 その道において、新参者が「どのようにして一人前になっていくのか」、あるいは、「どのようなきっかけで、自分は一人前になったと実感するようになったのか」、そういう話を、直接、そこで働いている人から聞くのが、僕は好きです。

 これは「密かな趣味」といっても過言ではないかもしれません。でも、あまり迷惑をかけてはいないと思うんですね。若い頃の苦労、一人前になるまでの困難を、リトロスペクティブに語るのは、あまりイヤという人は少ないような気がします。人によっては、懐かしそうに、遠い目をして、語ってくれる人もいます。

 先日は、美容室で、どうやって美容師が一人前になっていくのかを喜々として聞いていました。

 彼女曰く(副店長さんでした)、美容室によって人材育成システムには違いがありますが、だいたい、「シャンプー」「パーマ」「トリートメント」「カラーリング」という風に進んで、最後に「カット」という風になるそうです。

 Lave & Wengerの仕立て屋の話ではないですが、要するに「失敗するとFatalな作業=カット」が一番最後に配置されていることが、すぐに見て取れるでしょう。

「まずはアタマのカタチが人によって全然違うことを知って欲しいのです。それから髪質の違い。そういう違いは、シャンプーを1日に数十回もやっていれば、イヤというほどわかるはずです」

 とおっしゃっていました・・・なるほどね・・・。

 あと面白かったのは、美容室に暗黙のうちに存在する「格」の話ね。美容室にも「格」があるのだそうです。

 一口に美容室といいますが、「カットで1万5千円をとるような超高級店」から「カット1000円」の店まであります。店の「格」は、そこで働く店員さんのアイデンティティにとって、重要な影響を与えるそうです。

 でも、ここがポイントなのですが、「超高級店が必ずしも、よい学習環境ではない」ということなのです。若い人は、みんな代官山や青山、表参道なんかの「オシャレスポット」で働くことにあこがれる。だから、そういうお店は、ものすごい倍率になるそうです。

 でも、運良く(ルックスが結構重要らしい・・・)、超高級店に入ったからといって、必ずしもその後幸せになるわけではない。かえって、そういう超高級店では、「若手がはいってもずっとシャンプーだけをやらせる店」もあるらしい。

「名前ではなく、ちゃんと厳しく教えてくれるとこを探せばいいのにね、と思うけど。やっぱり若いうちは、そういうのはわかりませんから・・・」

 とおっしゃっていました。
 うん、オモロイ!

 いろいろ根ほり葉ほり聞いていたら、そういうことに興味をもつ人ってなかなかいないらしく、最後には、「お客さん、もしかして同業ですか?」と尋ねられました。「そんなようなものです」と答えましたけど。

 人はどうやって一人前になっていくのか?

 今度は、あなたが一人前になったプロセスを聞かせて下さい。

投稿者 jun : 2006年6月15日 19:10


昨日のシンポジウム

 昨日の東京大学MEET設立記念シンポジウムの様子が、毎日interactiveに取り上げられています。

毎日Interactive
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20060615k0000m040145000c.html

投稿者 jun : 2006年6月15日 09:31


「のだめ」を読んでる僕は「もうダメ」

 このクソ忙しいときに...ほぼ徹状態のこの夜に、なんと、僕は「のだめカンタビーレ」の新刊15巻を、カミサンの誘惑に負けて読んでしまいました。「ほーれ、ほーれ、読まないのかい・・・」という強烈な誘惑。

 オモロイわ。

 ・・・・しかし、それにしても、眠い、マジで。
 
 ぎゃぼ。

追伸1.
上記のAMAZONで売っているお品は、限定品。なんと、「マングースぬいぐるみ」がついてくる。これは買いだね。あとで高く売れると思うよ。

追伸2.
「ぎゃぼ」を東大で流行らせよう。

投稿者 jun : 2006年6月14日 04:45


ユビキタス!、ユビキタス!、ユビキタス!

 昨日は、慶應義塾大学の岩井さんを、Learning bar@Todaiにお招きして、「ユビキタスコンピューティングの最先端」についてのレクチャーをいただきました。

慶應義塾大学 岩井さん
http://vu.sfc.keio.ac.jp/faculty/profile.cgi?0+tailor

 おかげさまで、慶應義塾大学で進めている数々のユビキタス関連のプロジェクトについて理解を深めることができました。この場を借りて、感謝します。お忙しいところ本当にありがとうございました!

 岩井さんのプレゼンテーションをお聞きしていて、いくつも「ムムム、なるほど」と思うところがありました。また、数多くの参加者から、「面白かった」という感想が寄せられました。とてもよい時間だったと思います。

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 それにしても、岩井さんの発表を見ていて「やっぱりそうだよなぁ」と感心してしまったのは、彼のすべてのプロジェクトで、「わかりやすいデモムービー」を制作していたことですね。岩井さんは、それを適宜交えて、ご自分の研究の解説を行ってくれました。

 中には、特に「企業との共同研究」の場合のビデオなんかは、かなり予算をかけて、本当の役者をつかっているものもありましたね。「10年後の未来のビジョン」を描くみたいなビデオでしたけれども。

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 岩井さんは、「ムービーがなければ、本当にシステムが動いているのかわからないでしょう」とアタリマエのようにおっしゃっていたけど、なかなかそれはできないことですね。そこまでアタマが回らないし、面倒だしね。

 でも、工学研究の場合、特にそうだと思うのですが、研究そのものの新規性に加えて、自分たちの研究を「いかに魅せて」、「いかに社会にインパクトを与えるか」っていう視点は非常に重要だと思うんです。

 僕の個人的な意見では、教育工学研究もまさにそうなのではないかと思います。

 「あなたの見ている教育現場の光景が、僕の工夫によって、こんな風に変わるんです」

 ということについて、「理屈」「根拠となるデータ」・・・そして「絵」をもって提案することが重要だと僕は思っています。「絵」というのはたとえね、スチルでもムービーでもよいのですよ。
 そうした努力が結局、大学と社会の循環的な関係を維持することにもつながると思うのです。

 こういうと、「人生いろいろ、研究者いろいろ」ですので、「そんな宣伝屋みたいなことできるかぁ!」とか、いろいろな考えがでてくると思いますけど、他の意見を否定する気は毛頭ありません。

 少なくとも僕にとっては、研究の究極ゴールは、「教育現場の革新に資すること」です(それぞれの研究者によってゴールがあってよいと思います)。そのためには、大学の中、アカデミックワールドという閉じた研究系で、研究をコンサマトリーに行うことには、ある種の限界があるように思うのですよね。そして、その限界をこえるためには、「絵」は重要です。

 もちろん、学位をとるとか、そういう目的のためには、キチンとした手続きにしたがって論文を書くトレーニングも非常に重要です。それはやらなあかんし、むしろリゴラスに行うべきだと思います。

 でも、そういうトレーニングフェイズでないのであれば、「自分の研究をいかに魅せて、いかに提案するか」ということにも注意が払われてもいいのかな、と思うのですよね。そして、「絵」のうち、ムービーっていうのは、非常にパワフルなメディアになると思いました。

 僕も、ある時期から、自分の研究プロジェクトでは、ムービーをかなり意識的につくったり、残したりしていますけれども。今日の発表は、その重要性を再認識させてくれました。

 見ててオモロイ、見ていてワクワクする、見て腑に落ちる。
 で、現場にいる人が「やってみよう」「試してみよう」と思う。

 現場の革新は、やはりそういうところからはじまる部分も少なくはないのではないのかなぁ、と思います。

投稿者 jun : 2006年6月14日 00:41


子ども向けファッション雑誌がNOWい(死語)!

 数ヶ月前、僕はこんなことを書きました。

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親と教育ビジネス
http://www.nakahara-lab.net/blog/2006/03/post_119.html

僕自身が「親子をターゲットにした科学教材」の研究をしているからでしょうか・・・最近、「親子」がにわかに教育の業界で注目されているように感じられてなりません。

(中略)

その中でも、なんか「すげーな」と思ってしまうのは、「親子にフィーチャーした雑誌」の登場です。

日経Kids+
http://kidsplus.jp/

プレジデント Family
http://www.president.co.jp/book/X765-0.html

 たぶん・・・根拠はないんですけど(笑)、読者のターゲットは、「いわゆる高学歴の教育熱心な人で、子どもに質の高い教育を受けさせようとしている都市在住の親」と推察します。

(中略)

 まぁ、そういう層は子どもの教育に投資できる可処分所得も多いでしょうし、そもそも教育に熱心ですね。

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 それから数ヶ月・・・本当にどんどんと、このターゲットをねらった雑誌が発刊されていますね。

Edu
http://web-edu.jp/

AERA with kids
http://opendoors.asahi.com/data/detail/7280.shtml

 ママ向け、パパ向けと雑誌によってターゲットが違いますが、いずれにしても、「質の高い生活」「質の高い教育」を子どもに与えたい、と願う親向けでしょう。子どもの数はまだ減っているですので、一人あたりの子どもに対する教育費は、上がっていくことになるのかもしれませんね。

 ところで、今日、朝日新聞を読んでいたら(僕は、ジジイ並に朝は早いです。で、ゆっくりとその日の新聞と、他人のblogを読むのが日課です)、また新しい動きが起こってきたようですね。

 今度は、「幼い子ども向けのファッション誌」だそうです(13日 朝日新聞 28面より引用)。子どもに「より個性的な、ちょっとトンガッたカジュアル服」を着せたいらしいです。食育ならぬ、服育だってさ。

 ある雑誌がとったアンケートの結果では、主な購読者層は、28歳から32歳の団塊ジュニア層。世帯年収は600万円から700万円が主流。子供服に月2万円以上を使う人たちらしいです。日本の年収の全世帯平均は650万くらいだから、この年齢で、この年収はちょっと余裕がある層かな。

 雑誌はこんなものがあるようです。

Very kids
http://www.kobunsha.com/CGI/magazine/hyoji.cgi?sw=index&id=025

Kids style
http://www.fujisan.co.jp/Product/1281679674/

Sesame
http://www.sscom.co.jp/sesame/

 パラパラとWebを見てみます。コピーがオモシロイですね。

 「男の子なら、ちょいトラボーイ...」って、スゲーコピーだな。オノレの子どもはLEONのジローラモか?

 今、調子にのって「モてる、ちょいムチバディ」をつくりだすぞ。

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 それにしても、子供服に、こんなにお金かけるなんてねー、今の僕には信じられません。

 ガキなんか、何着せたって、次の瞬間には汚くするんじゃないの?
 オレなんかはそうだったけどね。僕は「ハナタレ小僧」でしたから・・・典型的に。

 僕は「ハナタレ小僧、シャツ出し人間」(シャツをズボンに入れられないだらしない子どもという親の造語です)って呼ばれてたね、自分の親に。もっとマシなネーミングはねーのか、オヤジ、オフクロ。

 ていうか、洟たれたら、余裕で、服の袖でふいてたし。「エイッ、ハナかむの、めんどくせー」みたいな。でもさ、親にはバレないと思いこんでるんだよなぁ、なぜか。すぐにバレるってーの。

 ハナなんか、すぐに白くなっちゃってさ、汚ねーったらありゃしねーんだ。カピカピになっちゃってさ。そんなもん、大人が見たらすぐバレるってーの。

 「アンタ、ハナをまた袖でふいたでしょ」

 なんて、オカンに問いつめられて、

 「僕じゃないよ」

 なんてオドオドして答える。

 オマエじゃなくて誰なんだよ(笑)!、どこの他人が、アンタの袖でハナふくんだってーの。天然記念物モノのアホですね・・・我ながら。

 アンタは、本当に、何着せてもダメだねー、ほんと、何着せてももったいない。

 ってのが、オカンの口癖だったような気がします。

 そうじゃないのね、皆さんのお宅では。そんなお行儀悪くないのね?許せるわけね、洟ふいちゃっても。
 それとも、子どもができたら変わるのかな? 子どもはいい服着てて、親はユニクロとかなっちゃうわけか?

 僕も子どもができたら、そういう雑誌、読みたくなるんだろうか。
 不思議だ。

 いずれにしても、書店にいったら、立ち読みしてきたいと思います。誰か見たことのある方いらっしゃいますか? どんな雑誌なのかな・・・楽しみですね。

投稿者 jun : 2006年6月13日 08:16


学者の役割

 先日、某大手出版社の編集者とお話していたときのことです。その方とは久しぶりにお逢いしたので、しばらくのあいだ世間話をしておりました。

 そのときに、「日本で最も有名な経営学者の先生」のお話になりました。その先生は、多くの企業トップの方々から尊敬を集めていらっしゃる方です。仮にA先生と呼びましょう。

 その編集者の方いわく、これまで彼は、何度か、企業トップの方とA先生が直接お逢いになる機会をセッティングなさったことがあるらしいのですね。

 企業トップの方は、A先生の理論に感銘をうけ、ぜひ、会社の方針についてコンサルティングを受けたかった、ということでした。

 もちろん、企業トップもA先生もとてもお忙しい方なので、奇跡的にスケジュールがあったらしいのですが、とにかく、短い時間ではあるけれど、話をする機会があった。

 で、時間も限られているので、当然、すぐに会議は本題に入るものだと思っていた。編集者の方としては、会社の方針等に関して、具体的な討議がなされるものだと思っていたらしいのです。

 ですが、いつまでたっても話題が本題に入らない。むしろ、本題というよりは、彼らは寓話を話している。

 経営学者の先生がポツリポツリと寓話を伝え、企業トップの方は、それに従って、質問をしたり、自分の考えを伝える。論理的に根拠をもって意志決定を行う、というのではない。

「アリが列をなして歩いています・・・その際、アリには前のアリに続いているという意識があるでしょうか・・・」

 そういった感じのやりとりが続く。
 どちらかというと、メタファがメタファをよぶ会議であった。どんどんと寓話の意味を模索する会議だったそうです。結局、会議はそうした実践性の低い話題に終止し、終わった。

 会議室をでるとき、編集者の方としては、「あー、この会議は失敗だった」と思っていたそうなのです。ですが、結果は予想を裏切るものであった。

 後日、企業トップの方からは、「わたしは、あの会議で、会社の重要な方針を決定することができた」と感謝の言葉をいただいたというのです。

 ここが非常にオモシロイ。

 上記でA先生と企業トップの方がおこなった「やりとり」は本質的にどういう意味をもっていたのか? そして、A先生の役割とはどういうことにあったのか?

 この事例からは、いろいろな教訓が引き出せると思うのですが・・・いかがでしょうか?

投稿者 jun : 2006年6月12日 19:00


シニアをねらえ&テニュアトラック

 大学関係のニュースを2つ。

●大学も団塊狙う シニア入試、新学部
http://www.asahi.com/life/update/0612/001.html

 ここ数年で大量退職を迎える団塊の世代。彼らをターゲットにした教育サービスの開発が進んでいる。シニア大学院、シニア研究生、シニア入試。

 人が学び続けることのできる環境をいかにつくるか? こうした動きを一時期の流行にしないためには、何ができるか。各大学の知恵比べが続きそうですね。学問的には、「シニアの教育学」とかでてきそうだな・・・。

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 下記、12日朝日新聞朝刊、38面より引用。

●研究者昇進ガラス張りに
 東京工業大学や京都大学など9大学は今年度、研究者の昇進を実力本位に改めるため、一部に新しい昇進審査制度「テニュアトラック」を導入する。選ばれた若手研究者が独立して研究を続け、一定期間のあとに、研究業績に基づく昇進審査を受ける。合格すれば、教授や准教授としての終身在職権(テニュア)が与えられる仕組みだ。文部科学省が各大学に3億円ずつを5年間助成する。

 もちろん、上記の9大学がこれは人事制度を180度変えたというわけはなくて、とりあえずは文部科学省の助成がある期間の措置なのでしょうか。

 どうなんでしょうね、テニュアトラックって、結局、日本の大学にとって、どんなメリットをもたらすのでしょうか。最近、企業の世界では、日本型経営がもう一度見直されているようですが。

 僕がMITにいたときの研究室では、テニュア制度の弊害をよく聞いたけど。「日本は、テニュアがなくていいね」ってよく言われた。

 一番よく聞いた話は、「テニュアをとって燃え尽きてしまう研究者がいかに多いか」ということだった。「背中に包丁をつきつけられて、創造的な研究ができると思うかい?」って言っていた研究者もいました。

 皆さんはどのように思われますか?

投稿者 jun : 2006年6月12日 18:00


お役立ちWebサービス

 ここ数日、便利だなぁ・・・と関心してしまったWebサービスを紹介。
 
 まず、闘病記ライブラリー。今日の朝日新聞にものっていました。最近、本棚、書評関係のWeb2.0系サービスが人気になっていますが、、こちらは「闘病記」を集めたもの。

闘病記
http://toubyoki.info/

本棚.org
http://www.hondana.org/C1FDB0E6/

booklog
http://booklog.jp/users/zzz

 病気のときには、誰しも不安になる。僕も、調子が悪いときに、いろいろな人たちの闘病記を読み、元気づけられました。こういうサービスは、とても役に立つと思います。

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 お次は、最近大流行の「ウォーキング」に役立つサイト。ある地点から、ある地点への距離、消費カロリーを表示してくれます。

Mappion キョリ測
http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=route&uc=1&nl=35/41/11.908&el=139/41/41.582&scl=25000

 僕も毎週のようにウォーキングにでかけますが、意外に大変なのは、コースを決めることです。このサイトを利用すれば、だいたいの時間もわかるので、便利なのではないでしょうか。

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 それにしても、今日紹介したサイト、いずれにしても非常にインタラクティブですね。ものによっては、インタフェースや操作も、あまりスタンドアロンのアプリと変わらない。Ajaxとかのテクノロジを使っているのでしょうか? うーん、Webもここまで進化したか。

投稿者 jun : 2006年6月12日 17:21


大学院にいくと会社を辞める!?

 会社や官庁から海外大学院に留学した人は、数年以内に会社を転職する

 僕のまわりを見ていると、これはもしかすると真理かもしれないなぁと思う。

 これには数多くの理由があると思う。
 日本企業の場合、それはお金ではない。大学院進学者に対して、給与があつく支給されることは、日本企業の場合、非常にマレである。

 僕はよく言うのだけれども、一度大学院で学んでしまうと、「シャバには戻れないアタマになる」。これが原因のひとつになることはあるだろう。
 様々な視点、モノゴトの理を学んでしまうと、今までとは違った風に世界が見えるようになる。今まで、自分がおかれていた境遇が「自明のもの」ではなく見えるようになり、問題点がビビッドに浮かび上がってくる。

 しかし、最大の理由は、日本企業や官庁が、大学院で学んだものを「うまく処遇できないこと」に最大の原因があるように思えてならない。もちろん、中には「進学したあとは辞めること」を考えている確信犯もいるけれど、僕にはあまり数は多くないようにも思える。

 現場で出てきた問題意識を解決したくて大学院に進学したのに、帰ってみると、いきなり違う部署に異動させられる。

 ファイナンスの知識を役立てようと大学院で一生懸命学んだのに、ジョブローテーションだということで、地方の営業職にとばされる。

 上司が「2年間遊んできたんだから、もっと働けるはずだ!」と大学院進学者に冷たい・・・

 などなど、様々な冷遇が、引き金になることが多いように思える。

 自分の専門性がいかせるところに配置してくれたら、もっと貢献ができるのです

 そう訴えたとしても、「ワガママを言うな、これがルールだ」で切り捨てられる。「自分の好きなところで働きたかったら50歳になるまで待て」と言われる。

 若い時分は、二度とない。これでは、辞めてしまいたくなるのも最もだなぁと思う。

 会社や企業の人事システムのあり方を変えていくのは、大変困難な作業であることは承知している。
 しかし、合理的に考えればすぐにわかるように、「大学院が学んだことが活かせる」ようなシステムをつくった方が、社員にとっても、会社にとっても、相互にメリットになるはずだろう。せっかく数千万単位の金をつぎこんで、大学院留学させたのに、すべてが無になってしまうのは、あきらかな損失である。

 知識社会、大学院進学者はさらに増える。
 システムの変革が、求められている。

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 今日は大学院情報学環の入試説明会でした。型どおりの入試説明が終わったあとは、教員がブースをつくって、自分の研究の説明をする「バザール」が開催されました。とても面白かった。何が面白かったって、空き時間に他の先生の研究を見に行くのが(笑)。

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 へー、この領域ではこういう手法で、この問題に切りこむのだなぁ・・・と、僕自身が勉強になりました。まさに「知のテーマパーク」。

投稿者 jun : 2006年6月11日 09:33


研究室とはみんなでつくるもの

 「研究室」というのは「メンバーが貢献をしあう場である」と僕は思う。

 たとえばゼミ。
 研究発表をする人に対しては、「なるべくその人の研究がよくなる」ように、「その人の研究のプロット」になるべくそうかたちで、コメントや情報提供してあげるのが、よい研究室であると思う。

 たとえば共同研究。
 研究者には、お互い、強み(strength)がある。強みをいかすかたちで、貢献しあうのが共同研究である。お互いに、弱みをかばいあったり、傷をなめあったりするのが、共同研究ではない。

 他人の強みの上に、あなたの強みを重ねる。

 ピーター・ドラッカー風にいえば、共同研究はこうも表現できる。

 ところで、先日、ある学生さんに共同研究のお誘いをしたのだが、その人からの返信にはこうあった。

「僕は、(自分の得意な)○○を中心に、○○プロジェクトに対して貢献ができるように思います」

 本当によくわかっている学生さんだなぁと感心した。

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 以上は、僕の理想の研究室であるが、なかなかそうはいかないのが世の常である。

 とにかく雰囲気が悪い研究室もある。以下は、僕自身は経験したことはないけれど、そういう話をよく聞く。

 ゼミのときなどは、「つっこみ」と称して、言いたい放題。それも、それまでの発表の経緯や文脈、発表者の研究のプロットを考慮せず、自分の立ち位置からバッサバッサと「たたき切っていく」。
 あたかも、「切る」ことが美徳、快感であるかのように振る舞う。「言いたいことをいって何が悪い」という姿勢である。
 そういうのは、申し訳ないけどシゴキやイジメ以外のものではないし、品がないと思う。
 
 これは僕の信念かもしれないが、「人はけなされれば、悔しがって、谷底からはい上がるはずだ」と思っていると、痛い目を見る。そういう屈強な意志をもった人は中にはいるし、そういう対応がよいこともある。

 しかし、ほとんどの人は、「褒められ、励まされ、情報を提供され、なだめられて、ようやくよいものが書けるようになっていく」のだ。ポジティブな反応が、次のポジティブな成果をうみだす。

 「たたきつぶしてもはいあがってくること」よりは、「褒めることからはじめて向上心をもってもらう方」が、確率論的によい可能世界を生むことを、知るべきである。人間はそういうものだ。

 もちろん、ゼミの雰囲気が悪いと、共同研究なんて望むべくもない。チームのメンバーを信じることができない雰囲気で、どうして、人が進んで「貢献」を行おうなどと思うことができようぞ。

 かくして、「誰かが就職した」「誰かが学会誌に採録決定した」というニュースが流れれば妬み、誰かが教員と共同研究をはじめたといえば、陰で嫉妬する。

 レベルの低い集団力学が、永遠に続く。

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 研究室は人の集まりである。時にはネガティヴなレスポンスがかえってきたり、雰囲気が一時的に悪くなることもある。

 しかし、そこが「知的生産を行う場」であることを社会から期待され、投資を受けている以上(東大生は一人あたり900万円の税金が投入されている!)、そこに集うメンバーも、最低限のルールと意識を持つべきだと思う。

 研究室は、みんなで「創る」ものだ。

 それは、最初から存在する受け皿ではないし、まして、部屋の名前ではない。そこに集うことを選んだ人たちが、みんなで「創るもの」なのだ。それを行おうとせぬ人間は、研究室に集う資格はない。たとえ、その人がどんなに優秀であったとしても、そう思う。

投稿者 jun : 2006年6月10日 08:46


これからは地方の時代だ!?

「教育も地方の時代にはいったんですよ。もう現場を知らない"中央"に横やり入れられるのは、まっぴらだ。これからは地方の時代です」

 数年前から、上記のような言葉を、教育関係者から聞くことが多くなりました。

 教育学者の多くは、手放しではないにしても「中央からの脱却」を歓迎するむきが多いし、現場の先生、行政官にいたるまで、あまりそれに反対する話は、あまり聞きません。

 限定的に何人かの教育学者が、「地方に財源をうつしたとしても、地方が自由裁量で決められること、自由にルール設定できることはそう多くないこと」を指摘し慎重論を唱えていますね。しかし、そうした声は、全体の傾向、必ずしもマジョリティではないように思います。

 改革が前進するときはいつもそうであるように、「とにかく、何かを変えなければならない」という力が、「そもそも変える必要があるのかを考えること」を、圧倒します。今回の議論も、そういう流れの中にあるように思います。

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 僕個人としては、「市町村の教育現場に教育の裁量をゆだていく」という意見には、条件付き賛成です。

 「条件」は、贅沢をいえばたくさんあるけれど、一番思うのは、「専門知識と経験をともなった人が、地方の教育行政にかかわり、一定期間リーダーシップをきり、かつ、責任をとる仕組みをつくること」です。

 そういう人材育成システム、人事システムの刷新がともなわないと、「教育の裁量が増した」としても、その自由をとりまわす地方の方が、その自由をもてあましてしまうような気がするのです。

 一番最悪なのは、

「ジョブローテーションで偶然教育委員会に配属された、何の専門性も経験もない行政官が、そのときの首長に都合のよい方針で、場当たり的に処遇し、かつ、責任が問われるときには、別の部門に異動してしまっている」

 という、よくある話になることですね。
 これは避けたい。それこそ、地方と中央の学力格差などを拡大することにつながる気がするのです。

 「これからは地方の時代です」というのであれば、「地方」も、それに値するだけの力をつけなければならない。しかも、そこで生じた教育のクオリティにも、責任をとる仕組みを用意しなければならない。もちろん中央にも、そうした人材が増えることが重要であることは言うまでもありません。

 「これからは地方の時代です」という言葉は、言うのは簡単なんですね。それは、誰でも言えるし、思いつく。だけれども、それが実現するためには、相当なリソースと努力が必要です。
 
 「これからは地方の時代です」は、とても重い言葉なのですね。

投稿者 jun : 2006年6月10日 03:02


築地市場とバーベキュー

 長い間、やってみたいと願いつつ、まだチャレンジしていないことのひとつに、「築地市場ツアー」がある。

 その日とれたばかりの魚がズラーっと並び、威勢良く売られていく様を、一度、見てみたいと願っている。が、いまだ実際に行動にうつしていない。

 なにせ、築地の朝は早い。

 午前3時にはプロの仲買さんたちによるセリがはじまり、一番市場が賑わうのが午前7時から8時。市場内は原則的にプロの方々の商いの場ではあるものの、何とか一般の人たちも入ることはできるらしい。

 日曜日は市場がお休みである。
 ゆえに、サラリーマンとしては、ツアーを挙行するとすれば、土曜日しかない。

 しかし、土曜というとさ・・・やっぱり寝ていたいんだよねぇ・・・少しゆっくりと。朝っぱらから、何が悲しくて電車に乗らなアカンねん、と。それにはどうにも抵抗がある。そんなわけで、まだチャレンジできていないのです。

 僕と同じような人って、結構、多いと思うんだけどなぁ。
 ここは、みんなで集まって、お互いに尻をたたきながら「えい!、行くど!」と思わないと、行かないのかも。

 誰かツアーを企画してくれないだろうか>他力本願
 ヘタレ>僕

 それにしても、行ってみたいなぁ・・・

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追伸.
 長い間、やってみたいと願いつつ、まだチャレンジしていないことの「もうひとつ」に、「バーベキューをやる」ってのがある。

 タマガワとか、カサイとか、そういう近場で、みんなで食材を買い込んで、バーベキューをしてみたい。

 そういう風に思っているんだけど、なかなか「声にだせず」、数年間たっている。基本的には、暑くもなく、かつ雨でながれることもないから、梅雨に入る今がベストシーズンなんだけど。

 誰かやってくんないかなぁ・・・>他力本願

投稿者 jun : 2006年6月10日 02:39


教壇にも団塊退職の波

 今日の教育のニュースより。

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 教壇にも団塊退職の波(各教委、若手中堅の育成に力)

 団塊世代の大量退職は、教育現場にとっても大きな課題だ。指導のノウハウをもったベテラン教諭がさり、変わりは新米先生になる。授業のワザをどう伝えるか、リーダーとなる中堅教師をどう育てるか。各地の教育委員会は、塾講師を研修に招いたり、ベテランの教え方をビデオに残したりと力をいれる。

(2006/06/09 朝日新聞14面より引用)

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 この話題、何度もこのblogでも扱っています。最近、教育現場の課題として、様々なメディアで扱われるようになってきました。

 記事によりますと、

○東大和市教育委員会は、中堅教師研修の一貫として、塾講師から指導を学ぶ講座を立ち上げている

○町田市教育委員会は、今年度から、教師専用のパソコン情報サイト「授業おたすけ工房」を立ち上げ、ベテラン教師の教え方をビデオで記録する「モデル授業」を実施している

 だそうです。「授業おたすけ工房」は、どこにあるんだろう?イントラなのかな?

 その他にもざっと検索しますと・・・

授業の達人がやってくる!
http://hokuriku.yomiuri.co.jp/hoksub2/kyouiku/ho_s2_06030501.htm

広島県エキスパート教員
http://osaka.yomiuri.co.jp/nie/sympo/ng51129e.htm

 とかいう取り組みが、ありそうですね。

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 このあたりの動き - 若手教師の育成、世代間伝承 - など、僕は専門ではないのですが、オーバービューしている研究者の方はいらっしゃるのでしょうか。

 最近、いくつかの本が出版されているようですし、研究会などをやってみてもよいかもしれませんね。誰か企画してくれないだろうか。

 知りたいわ、最新の動きを。

  

投稿者 jun : 2006年6月 9日 09:12


いろいろコンサルタント

 世の中にはいろんなコンサルタントがいる。悩みがあるところに、コンサルタントがいるといってもおかしくない。

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 先日、ある方から聞いた話では、「カフェ誘致コンサルタント」という職業もあるらしい。

 その方は、ある建物にカフェを誘致しようとしているのだが、「どのカフェを誘致すればいいのか」について、味、立地、客層、財務体質などをつかんだ上で、指南してくれるのだとか。

 いったんカフェを誘致してしまうと、あとで「しまった!」と思っても、なかなか店舗を変えることは難しい。しかも、万が一、その店がつぶれてしまった場合は、「あそこの立地は経営が難しい」という風評がたち、「よいカフェ」が次に入ってくれることはなくなるそうである。

 しかし、カフェ誘致コンサルタントなる職業が存在しているとは!

 「へー、そんなのもあるんだ」

 と素直に驚いてしまった。

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 また、ビジネスマン個人にファッション指南をするコンサルタントもいるらしい。いわゆる「できるビジネスマンに見えるようにする」ためには、どのような色のスーツをきて、どのようなネクタイをしめればよいのかを、パーソナル診断してくれるらしい。

 前にどこかで書いたかも知れないけど、「人は見た目でかなりの部分は決まる」。そうであるとするならば、多少の費用はかかっても、それを投資ととらえ、専門家に指南してもらうことは、長い目でみれば大きなリターンを生むはずである。

 ちなみに、あるコンサルタントが年間100万円で、ファッションコンサルタントを雇用した。彼女は、服、文房具、靴、ハンカチにいたるまで、コンサルタントの「指導」を一年間にわたってうけ、そのすべてを取り替えるハメになった。かかった費用は数百万円。

 しかし、その効果は・・・。今まで「地味」だと言われていた印象がかわり、飛躍的に売り上げがアップしたのだとか。一年で元をとったのだという。

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 シロウトが、いちから専門性や知識、経験をつんでいたのでは、なかなか追いつかない。そこで優秀なコンサルタントを雇用し、それらを「買う」ということになる。「勉強する時間」「長い時間をかけて身につけたセンス」を金でかっている、ということになるのかもしれない。

 もちろん、コンサルタントは、あくまで「コンサル(相談)」にのってくれる人をさす。実際に「やる」のは、コンサルタントを雇用したクライアントである。

 それでも、そばにブレインがいるかどうかは、非常に重要であろう。
 間違った方向にさえ進路をとらなければ、人は大方のことはなしとげられるような気もする。

投稿者 jun : 2006年6月 8日 09:51


メールとは○○のようなものである

 メールとは○○のようなものだ・・・。

 ○○の空欄に、自分の創作した「何か」を挿入して、一続きの意味のとおる文をつくる・・・メタファ法と言われる研究方法です。

 ただこのエントリーでは「メタファ法」はどうでもよろしい。それよりも、あなただったら、メールを「何」に喩えるでしょうか?

 これは人によって、全く答えが違うのではないのかな、と思うのですね。「おしゃべり」に喩える人もいれば、「手紙」に喩える人もいる。また、人によっては、「公式文書」に近いものにメールをたとえる人もいるでしょうね。

 僕が旧・役所がらみの組織に所属しているせいでしょうか、よくこんなメールをもらいますね。

 ---

Subject : 科学研究費の適正執行に対する本学のガイドラインの遵守について

本文:
標記の件について、添付のとおりとなりましたので、周知徹底願います。なお、本件に対する問い合わせは、○○課とさせていただくことを、申し添えます。

 ---

 こういうメールは、まさに「公式文書」のフォーマットにしたがって書かれています。

 本文にはまず「標記の件」ってことが書いてあって、まず「Subject」を見なければならない。で、「添付のとおりとなりました」と書いてあって、添付ファイルを開かなければならない。全くユーザーフレンドリーなメールじゃありません。ナンボほど、面倒くさいねん!

 話がややズレました。
 まぁ、ここまで極端でなくても、世の中には、いろんなメールがありますね。それと同時にメールのとらえ方もいろいろあります。

 ここで興味深いのは - これは僕の仮説なのですが - きっと、世代によって、メールのとらえ方は違っていると思うのです。つまり、喩えが違うのではないのかな、と思うんですね。
 それがどのように違うのか・・・ぜひ、知りたいですね。

 あなたにとって・・・

 メールとは、どのようなものですか?

投稿者 jun : 2006年6月 7日 23:00


日本教育工学会シンポジウム「社会人の学習環境をつくる」

 関西大学で開催される今年の日本教育工学会で、僕は、メディア教育開発センターの堀田先生とともに、シンポジウムのコーディネータを仰せつかりました。

 教育工学会は、11月3日から11月5日まで開催されますが、初日3日の午後1時30分 - 午後3時30分までシンポジウムが開催されます。

 学会ニュースレターなどで、すでにご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、下記のようなシンポジウムを企画致しました。

「社会人の学習環境を創る:
 e-Learning,OJT,知識創造をつなぐ教育工学」

 で、ここ数ヶ月、シンポジウムにご登壇いただける方を、いろいろ打診していたのですね。で、ようやく、先日、すべての方々に了承を得ることができましたので、ご報告致します。シンポジウムにご登壇いただける先生方は、下記の先生方です。

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1.eラーニングを通した人材育成
  北村士朗先生(熊本大学)

2.コーポレートユニバーシティによる人材育成
  蒋麗華先生(リクルートマネジメントソリューションズ)

3.ナレッジマネジメントによる人材育成
  妹尾大先生(東京工業大学)

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 嗚呼・・・横文字ですね。
「eラーニング」だの、「コーポレートユニバーシティ」だの、「ナレッジマネジメント」だの「横文字」が並んでいます。が、別に、難しい内容を扱うわけではありません。

 このシンポジウムの目的ですが、「社会人の学習環境を構築するために,教育工学研究に何ができるのかをさぐること」にあります。

 周知のとおり、昨今、企業に勤務する成人,いわゆる「社会人」の学習や教育に注目が集まっていますね。「社会人の学習や教育」については,これまで経営学,認知科学等の関連領域において、部分的に研究がなされてきました。が、「どのように彼らの学びの場を再編成するのか」という視点からは、あまり多くの研究が存在したわけではありません。

 一方、これまで教育工学研究は,これまで初等教育から高等教育の教育現場の改善,学習環境の構築等に注力してきた経緯がありますが、企業や社会人の学習の場を研究の主対象にすることは、必ずしも多かったわけではありません。

 このギャップをうめ、「社会人の教育現場にどのような有益な知見をだすことができるのか」を考えること、そのことの糸口を、具体的な事例からつかむことが、このシンポジウムのめざすところです。

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 下記、あくまで現段階における内容です。

 まずトップバッターの北村先生には、僕も、これまで様々な研究プロジェクトでご一緒させていただいたことがあります。

 もともと、北村先生は東京海上の人材育成の現場に従事なさっていた方で、今は、熊本大学の方で「eラーニングをeラーニングで教える大学院」で教鞭をとっていらっしゃいます。

北村先生のWebページ
http://homepage2.nifty.com/KITAMURA/

熊本大学大学院 教授システム学専攻
http://www.gsis.kumamoto-u.ac.jp/

 当日、北村先生には、下記のようなテーマでお話をいただける予定です。

1.企業の人材育成現場で、どのようなeラーニング教材が用いられているのかを具体的にご紹介頂く

2.eラーニングの専門家をどのように大学院で育成するのか?について熊本大学のご経験をお話し頂く。

 おそらく、デモやスクリーンショットなどを用いて、企業で実施されているeラーニングの実態について、具体的にご紹介頂けるものと思われます。

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 次に、蒋麗華先生です。

 蒋先生は、リクルート社のHRM系研究所「ワークス研究所」で、長いあいだ、OJT、コーポレートユニバーシティ等の研究をなさってきた方です。

ワークス研究所
http://www.works-i.com/index.html

OJTの再創造
http://www.works-i.com/flow/works/contents71.html

ワークプレイス・ラーニング 創造的OJT
http://www.works-i.com/flow/works/contents56.html

グローバルCU現象――学習と経営の融合
http://www.works-i.com/flow/works/contents53.html

 当日は、コーポレートユニバーシティに焦点をしぼり、企業が人材育成を行うためのプラットフォームとして、どのような組織体制を整備する必要があるかについて、海外の動向をふまえながら、お話し頂けるものと思われます。

 海外では、企業が大学院と連携して、自分の会社の「コーポレートユニバーシティ」を設立する事例などがあるのですね。

 それらの「コーポレートユニバーシティ」では、実際に学位も発行されます。将来の日本の大学と企業の関係を考える上で、非常に刺激的なお話になることと思います。

 ---

 最後に、妹尾大先生です。

 妹尾先生は、ナレッジマネジメント、知識創造理論の研究を長年にわたってなさってきた方です。日本企業の知識創造経営の事例をまとめた本、知識創造実践論を上梓なさっています(とても分厚い本です)。

妹尾大先生
http://www.is.me.titech.ac.jp/senoo/index.html

 当日は、ナレッジマネジメント等の具体的な事例について、先生のご経験等をふまえて、お話頂けるそうです。

 知識を生み出す場をつくりだすのは、かんたんなことではないのですね。そこには、「空間」や「ネットワーク」の一貫したデザインが必要なのですね。そのあたりのサプライサイドの行うデザインの諸相について、お話し頂けるものと思われます。

 ---

 このように今回のシンポジウムでは、これまであまり取り上げられられなかった角度から「社会人の学習の場」について迫っていきたいと思います。

 思うに、本来、この3つの視点は、いずれも「人間の学習」に関係しているものですよね。ところが、学問の枠というものに阻まれ、これまで、あまり同じ土俵で語られることはなかったと思います。ここに「学習」という1本の糸をもちこみ、これまで別々に語られていたものを、幅広く取り扱ってみたい、と思っています。

 まだ検討中ですが、できれば一方向的な講演にならぬよう、運営も工夫をしようと思っています。会場とのインタラクションをなるべく多く設けられるよう、現在、検討しておりますが・・・どうなりますことやら。
 
 もしよろしければ是非、おこしいただければ幸いです。
 新しい研究のアイデアが、浮かぶかも知れませんよ!?

投稿者 jun : 2006年6月 7日 01:06


明日も・・・

 今日は、早朝から仕事に取り組んだかいあって、大きな前進があった。そんな日は疲れていても嬉しい。

 午前9時前、論文を何とか書き終えた。あとは少し寝かせて、修正をかけることにしよう。このところ、ことあるごとにこのことを思っていたので、すこしホッとした。

 その後、面談×2、会議×3、取材×1を終えて(途中、疲れ切って、ソファーで1時間弱横になっていたけど)、山内さんと恵比寿へ。東京大学で実施する新たな教育サービスの打ち合わせ。継続して検討していただけることになった。

 その後、青山の某所へ。ミルクティなどを飲みつつ、久しぶりに、ゆっくりといろいろな話をした。

 その後、山内さんと表参道で別れる。
 ただ、少し時間があったので、地下鉄表参道駅にできたというエキナカ(駅の中にあるショッピングモール)にチラッと寄ってみる。思い切り道に迷った・・・。ショップの構造が少し難しいように思うのだが。時間がなかったので、原宿へ急ぐ。

 原宿での打ち合わせをすまし、カミサンと銀座にて待ち合わせ。食事をして帰宅。

 本当に忙しい日々であった。
 しかし、たとえ忙殺された日であったとしても、モノゴトが前に進んだ日は気分上々である。明日もそんな日でありますように。

投稿者 jun : 2006年6月 6日 23:03


ファイナルコール:ユビキタスな学習環境!の研究会

 6月のLearning bar@Todaiは、慶應義塾大学の岩井先生
 をおよびして「Ubiquitous Learning Environment」に
 ついてディスカッションを深めたいと思います。

 岩井先生には、慶應義塾大学で研究している実世界の空間
 情報センシングや次世代家具へのアプリケーションをもとに
 「教育環境をどのように知的化できるか」についてお話
 いただきます。

 岩井先生
 http://vu.sfc.keio.ac.jp/faculty/profile.cgi?0+tailor

 岩井先生のご研究
 http://www.ht.sfc.keio.ac.jp/uPlatea/
 
 日時・場所は、
 6月13日(火曜日) 午後6時30分~
 東京大学 大学総合教育研究センター MEET講座です。

 残り数席です。
 ぜひふるってご参加下さい。

========================================
Learning bar@Todai
「Ubiquitous Learning Environment」
2006/05/08
東京大学 TREEプロジェクト& NPO Educe Technologies
========================================

●日程:
 6月13日 木曜日 午後6時30分から

●東京大学 大学総合教育研究センター MEET部門
 http://utmeet.jp/access/index.html
 
●定員
 20名

●参加方法
 参加希望の方は、atusaka@educetech.orgまでご連絡
 ください。人数が多い場合、抽選となる場合がございます。
 後日結果を発表します

●参加費
 無料

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投稿者 jun : 2006年6月 6日 13:18


朝のキャンパス、東京物語

 仕事がたまっているので、早朝5時に大学へ。これから午前10時までが今日の勝負だ。10時をこえると、みんなが通勤しだして、キャンパスは急にあわただしくなる。継ぎ目なく会議が続く。だから、ここが勝負。集中して論文を書こう。

 それにしても、小鳥のさえずりが聞こえる、朝の本郷キャンパスは本当に気持ちがよい。

 ---

 ここ数年日本をにぎわしていた投資ファンドの代表が逮捕された。今日の株式市場は乱降下を繰り返すと言われているけど。ゴミ投資家をこれ以上「いぢめ」ないでください。

 ---

 小津安二郎の「東京物語」を見た。

 岡山から、自分の子どもたちをたずねて上京してくる二人の老夫婦。しかし、子どもたちの対応は、どこか冷たくそっけない。親が上京してくることをあまり快くは思っていないのだ。優しかったのは、戦死した次男の嫁(原節子)だけであるという現実。

 小津ショットといわれるローアングルからのショットを多用し、「親とは何か?」「親と子どもの関係とは何か?」、そして「子どもをつくるとは何か?」とシリアスに問うているように思えた。

 どんなに多くの子どもを持とうとも、親は最期には一人になる。そのとき、親には何が残るのだろうか。親の人生にはどのような意味があったと言えるのか。親になる人、すべてに共通する問いであるような気もする。

 そういえば、先日、ある人がいった。

 「子どもをつくるとは究極のボランティアだよね?」

 この問いに対する答え、僕には、まだない。
 しかし、遠くない将来、僕はそれを知ることになると思う。

投稿者 jun : 2006年6月 6日 06:51


30代、カラオケに行こう!

 先日、平均年齢30歳のメンバーと、本郷3丁目駅前のカラオケにいった。

 「もういいよ、カラオケなんて」
 「ていうか、またオマエらかよ!」
 「誰だよ、最初に行きてーって言ったの?」

 とか何とか、店に入るまでは、お互いに罵っていたが、部屋に入り、誰かが最初の歌をいれると、急に目がかわる。我先にリモコンを手にとって、曲をいれだす。

 一瞬にして、

 「実は、みんな行きたくて仕方がなかったんじゃねーか」

 と、お互いにわかった。

 そこからは、80年代、90年代ミュージックのオンパレードである。爆風スランプはでてくるわ、ウィンクはでてくるわ、もうワヤ。ワヤだ、もう。

 誰が聞いているか、誰が歌がなんて全く関係ない。ひたすら絶叫である。マラカスをふり、タンバリンをたたき、机をならす。あっと言う間の2時間だった。

 思うに、僕らの世代は、カラオケボックスが普及した最初の世代なのではないかと思う。中学校、高校、そして大学まで、僕らの成長とともに、カラオケは常に横にあった(僕の自宅には、マイカラオケセット+マイクがあった!!)。

 そういえば、歌謡曲というジャンルが一番隆盛を極めていたのも、僕らの時代である。テレビをつければ、「ザ・ベストテン」があり「歌のトップテン」があった。

 それが年をとるに従って、カラオケにはなかなか行かなくなった。また歌謡曲を聴くことも少なくなった。いつのまにか「ザ・ベストテン」がなくなり、「メロディのないラップ」という音楽が、ラジオから流れるようになった。
 そして、クラシックや、ジャズなんかを聞くこと、そういう音楽をたしなむことが、「大人としてコレクトな選択」であると錯覚するようになったのかもしれない。

 なんだか気恥ずかしくて、なんだか甘酸っぱくて。昔なら「カラオケでもいく?」とすぐに友達を誘えたのに、僕らは、そう言わなくなってしまった。「大きなたまねぎの下」の駅を仕事で訪れても、「あの日コンサートに来なかったペンフレンド」のことを口ずさむことはなくなってしまった。

 勇気をだしてカラオケに行こう、30代!
 かつて、「大人になるってどういうことだろう」とボンヤリと考えていた時代のことを、きっと、思い出せるから。

 素直に驚くと思うよ。
 あれだけ唱えた「解の公式」「応仁の乱の年号」が記憶のかなたに消えているのに、あのとき歌った歌謡曲の歌詞は、恐ろしいほど覚えているから。

 ---

 思わず、調子にのって、CDを買ってしまったぞ・・・。

    

投稿者 jun : 2006年6月 4日 22:33


英語教材をつくる人は・・・

 金曜日、土曜日と新プロジェクト「なりきりEnglish」の合宿が東京大学で開催された。1時間に1度10分程度の休みを設けるものの、長時間にわたってぶっとおしの会議・・・最後に至っては、もうメンバー全員「ヘロヘロ」であった。

 そのかいあって、プロジェクトの基本方針はかなりの部分が決定された。あとは、これを僕が整理し、制作チーム側に伝える仕事が来週以降に残されている。タフな交渉が予想されるけれど、ここからしばらくは僕がやらなければならないことだ。精一杯努力しよう。

 ---

 今回の「なりきり」は、前回の「おやこ」に続く大規模な共同研究だ。

 これは僕の信念であるが、「共同研究」とは「互いに助け合うこと」だけで実施されるわけではない。もちろん、そういう側面もなきにしもあらずである。が、一番重要なことは、メンバーがいかに自分の専門性を持ち寄り、チームに貢献するかが問われる。

 「何を助けてもらうか」よりも、「何を為すか」を全員が意識できるかできないかが重要だと、個人的には思う。この相互貢献性こそは、僕の協調学習研究の、唯一確かな結論でもある。

 今回のチームも、バックグラウンドは非常に多彩である。まだ数名を共同研究者を迎える予定をしているが、それぞれのメンバーが自分の経験や専門性を持ち寄ってくれる。大変心強いし、一緒にやっていて愉快だ。

 時には会議が行き詰まる。長い沈黙が訪れ、疲労困憊することもある。しかし、たとえ議論に疲れても、そのあとには爽快感がある。ちょうどスポーツをしおえたあとのような「爽快感」。会議終了後には、打ち上げをやる。ちょうど、体育祭のあとのような打ち上げ。そういうときの「ビール」はうまい。

 それがあるかぎり、共同研究はやめられない。

 ---

 ところで、深夜、「なりきりEnglish」の議事録を見直しながら、企画書を書き直していて、ふと、「深刻なこと」に気づいた。

 ・・・僕が、近い将来、この研究成果を海外で発表した場合、今のままでは少し困った事態にならないだろうか。

 英語教材を開発した本人の英語がどうもなぁ

 という事態である。

 今回はリスニング教材であるから、「英語教材を開発した本人が、発表後の質疑応答で、質問されたことがわからない」というのは、なんとしても避けなければならない。それは「アメリカンジョーク」にもならんぞ。

 まず、オマエのリスニングを何とかしろってーの

 と「厳しいつっこみ」が入りそうである。格好悪いこと、この上ないぞ。

 うーむ・・・。
 一般に、僕のような専門だと、概して、こういう皮肉な事態が生まれがちである。

 たとえば、

 教育方法を教えているのに、授業がイケてない
 協調学習を研究しているのに、協調できない
 学習科学を研究しているのに、学習ヘタである。
 
 という皮肉である。なんか自分で言っていて、胸にグサグサ刺さってくるんですけど・・・。あっイタ!

 それにしても、今度は、英語ですか・・・。
 やらなしゃーないなぁ。

 押入の奥にしまっていた「教材」を、むなしく広げる週末。
 皆さんは、いかがお過ごしですか?

投稿者 jun : 2006年6月 4日 11:37


Black Eyed Peasにヒヨる

 米国に滞在していた2004年冬に、大流行していたのが、「Black eyed peas:ブラック・アイド・ピーズ」というHip-hopのグループです。

Black eyed peas
http://www.universal-music.co.jp/u-pop/artist/bep/index.html

 めちゃめちゃ売れた「Let's Get It Started」「Hey Mama」「Where Is The Love?」、あと最近だとパルプフィクションの「Pump It」とか、「Don't Phunk With My Heart」とかって知ってるかな? 下記のAMAZONでも視聴できるけど。最近では、結構、テレビでもかかっていますね。

  

 僕は、フィットネスジムで、彼らの音楽を聴きながら走るのが好きで、たぶんほとんどの楽曲がipodに入っていると思います(僕のipodに入っているのは、演歌だけではありません。最近は、合唱、吹奏楽、クラシック、尺八、民謡・・・あらゆるジャンルが網羅されています)。

 ちなみに、彼らのミュージッククリップは格好いいですよ。iTunesでも売っているけど。個人的には、「My Humps」が好きだ。

 で、Black eyed peasが、実は日本にくるんだな。先日、地下鉄のつり革広告で知りました。

 2006/7/11(火) 大阪: 大阪城ホール
 2006/7/13(木) 東京: 武道館
 2006/7/14(金) 東京: 武道館

 らしいのですが・・・。

 いやー、行ってみてーなーと思いつつさ、でもさー、広告のキャッチを見てちょっと気がひけるわけよ。「歌って踊れ」みたいなことが書いてあるわけです。

 踊れってか?

 むむむ、Hip hopといえば若者の音楽。
 一瞬、僕みたいなオッサンがいるのかな、と思ってしまいました。まわりは超ハイテンションで、もしノリについていけなくなったらどないしよ、という感じで、急に「ひよった」。気が引けちゃうんだな。アルコール入っていれば「無敵」だと思うけど、なんだか酔っぱらっていくのも、趣旨に異なるだろう。

 おい、オッサン

 なんて言われちゃったらどうしよう。

 なにせ、Hip-hopのコンサートにいったことがないからさ・・・わかんないんです。周りはみんな高校生なんじゃないだろうか、とか、「みんな、Yo、Yoいってそー」とか「アメリカのギャングみたいにダボダボのジーンズとかはいてるんだろうか」とか、意味不明な不安がわいてくる。

 さらに、カミサンはHip hopとか好きじゃないし、コンサートに一人でいくのもなおさらノリについていけない気がして、とまどっているのです。

 どんなものなんだろ?
 Hip hopのコンサートって?踊り狂ってYo Yo言っているんだべか?

 何だか「問いのたてかた自体が変!」って気がするけど、ちょっと決められないでいます。行ったことのあるひと、予想ができる人、どなたかこっそりと教えてください。

 まぁ、いいかなぁ・・・ジムでノリノリで聞いていれば・・・。

投稿者 jun : 2006年6月 3日 04:08


ノートパソコンと一張羅English

 最近、Thinkpad(ノートパソコン)のバッテリーの寿命があまりに短いので、もっと長時間の使用に耐えられるPanasonicにマシンに乗り換えようかなぁと画策していた・・・。

 が、しばらくのあいだ考え直してやめた。

 確かにPanasonicのマシンは使い方によっては10時間くらい電池がもつ。ということは、東京 - サンフランシスコ間くらいはずっと仕事が「できる」ことになる。

 でも、そういうことになると、今はリラックスして休んでいる移動の時間まで、仕事を「しなければならない」ことになってしまいそうな気がする。

 「移動中でも仕事ができるから、あとにまわそう」という風に、僕は心が弱いので、そういう仕事の組み方をしてしまいそうな気がする。

 「宵越しの金はもたないこと」を誇りにする江戸っ子ではないけれど、「てやんでー、ただ働きづめに働いているやつほど、つまんねーものはねぇ」と、人はいう。

 休むときは休む。仕事をするときは仕事をする。そういうメリハリが必要だ。

 僕は心が弱いので、そういう便利ツールを手に入れると、今よりさらに、「メリ」も「ハリ」も「クソ」も「ヘッタクリ」もないような生活をしてしまいそうだ。そうなれば、今より、僕は疲れた顔をするようになるだろう。

 だからやめる。
 便利を拒否することも、時に必要なことである、と思う。

 ---

 先日、イギリス人と話していて、つくづく思った。僕の英語は、本当に「一張羅English」である。ジャケットなど、いつも同じものを着ている、という意味の一張羅(いっちょうら)。

 時と場合に応じて、単語を言い換えたりするのではなく、いつも「Make」「Get」「Give」など、中学生で習うような単語を使って、同じ言い回しを何度も何度も繰り返している。

 かろうじて意味はつうじるんだろうけど、きっと変に聞こえてるんだろうな、と思う。「バカのひとつ覚え」というんだろうか。

 まぁ、でも、これは致し方ない部分も多々ある。それより自信を失う方が深刻なので、よしとしようか・・・。

 一張羅か・・・たまにはウィットのあふれる、気の利いた台詞も言ってみたいんだけどなぁ・・・。

投稿者 jun : 2006年6月 3日 00:22


夜が明ける

 この場で何度もPRさせていただいている「大学教育の情報化」のシンポジウムですが、準備が大詰めですね。望月さん西森さん、神谷さんが、かなり気合いをいれて準備なさっています。今回は、海外の先生の講演とかデモとかもありますからね・・・。オツカレさまです。

 そうそう、残席はあと20席くらいになったそうです。一条ホールは200名ですからね。くれぐれもお申し込みはお早めに。

●シンポジウム参加申し込みはこちら!
http://utmeet.jp/events/index.html

 ちょっと、今気づいたんだけど、僕、このシンポで飲み会の司会なわけね(笑)。マジすか。僕、敬語つかえないよ(笑)。いやー、司会とか、そういうシャキンとした役は苦手だなぁ。なんかトチリそうだね。今年の紅白の白組キャプテンみたいに、前川清を「山川・・・」とかって言ってしまいそうだ。

 ---

 気になっていた論文の結論をいっきにリバイズ。
 昨日、「医龍」見ながら、ふと思いだしたことがあったんだよね。で、それをもとに、ながら族的にSPSSをまわすと(またオマエか)、今まで僕が思っていたより、結果がいいことに気がついた。重回帰もギリギリいけそう。で、いっきに書き直したのさ。

 で、今終わった・・・疲れた。
 でも、ところで今、何時? は?、4時過ぎてんじゃん(ガーン)。

 おっと、ASAHIにトップニュースが。
 話題のMファンド、いよいよなんでしょうかね・・・。

東京地検、村上ファンドを捜査
http://www.asahi.com/national/update/0601/TKY200606010351.html

 ---

 今、ふと、Outlookのスケジュールを開いて気づいたこと。
 
 あっ、いつのまにか6月になってる!!!
 つーか、もう、2日じゃねーか。

 昨日一日まだ5月だと思って過ごしてた。

 ---

 寿司清にいった。いわゆる新世代・価格破壊系の銀座・築地エリアの寿司屋さん。10カンで1800円程度だった。とてもリーゾナブル。

 アジ、煮ハマがよかった。特にアジ。柔らかく、なんの臭みもないアジなのです。それにしても、僕は本当に光り物嫌いだったんだけどねー。新鮮な光り物はいいねー。

sushisei.jpg

 ---

 寿司屋トークしてるあいだに、あー、やべー、マジで窓の外が明るくなってきた・・・。
 明日からハードな合宿です。
 はよ寝よ。

投稿者 jun : 2006年6月 2日 04:05


査読者になってみる

 先日、このblogで「ヘボイ論文を査読者になったつもりで読むと力がつくだろうな」という話をしていたのですけれども、大学院のゼミで、ワタクシメが、数年前に書いた論文を厳しく批判していただきました。非常に的確で、completely correctな批判でした。

 まぁ、論文を書くときには、様々な制約、社会的事情、研究者としての僕のねらいとか、様々な背景があるのだけれども、それをもって、こういう批判に答えるのはフェアじゃないね。研究は、あくまで「結果」だけで判断されるべきだと思います。僕も大変勉強になりました。今日の発表、よかった、ありがとう。

 ちなみに、僕個人の感情をいえば、今回俎上にのぼった研究に関しては、今になって考えれば、もうすこし厳密に実験計画を練れただろうな、と思う。だけれども、その成果には満足しています。そのあとで、この研究を引用する論文がかなり生まれたから。また、再実験をせずに、あのタイミングで発表することを優先したことは、正しかったと思っています。

 まぁ、そんな「ヘボさ」はさておき、まぁ、僕の仮説通り、「査読者になったつもりで読む」というのは、教育のひとつの手法としてよかったのではないかな、と思います。
 査読のプロセス、等分散性とか、ランダムサンプリング、統制変数とか、陥りやすい罠について、少し実感をもってわかっていただけたのではないかと思います。

 僕の屍を踏み台にして、皆さん、よい論文を書いて下さい。
 次は誰の論文だ?

投稿者 jun : 2006年6月 1日 23:04


苦いお酒

 今日はお台場で講演をした。結構、準備はしていったのだけれども、あまりうまく話すことができなかったように思う。思いつく原因はいくつかある。

【内的要因】
 1) いくつかのスライドのワーディングが悪かった
 2) 時間の配分を間違えた
 3) 繰り返しのスライドがあってクドかった
 4) 参加者に指名するためのマイクを忘れた

【外的要因】
 1) 僕はプレゼンで必ず参加者にディスカッション
   を求めるのだが、会場が広く、参加者の間に
   距離があり、議論がなかなかできなかった
 2) ディスカッションを求める参加者へのインス
   トラクションが明確さを欠いており、イケて
   なかった

 ざっと考えるにこんなところだろうか。これらの要因が重なり、焦っちゃった結果として、さらに、いくつかのミスを重ねてしまった。修行がたらん、たらん、たらん。

 ---

 研究者の間でよく知られている言葉に、

 Publish or die

 というものがある。「論文を書くこと」の重要性を述べたものであるが、僕らの研究領域では、

 Presentaion or die?
 Demo or die

 ということもよく言われる。研究成果の発表、講演、プレゼンテーション、デモも論文と同じくらい重要なことなのだ。

 ちなみに、僕個人としては、プレゼンは「舞台」であると思っている。そして、僕も職業研究者である以上、そこにはプロフェッショナリティをもって仕事をしたいと思っている(あくまで僕はそう思うという話。いろいろな考えがあると思いますので、他の人は知りません)。

 しかしながら、どんなに準備をしても、ダメなときはダメなのがプレゼンである。今日の僕は、何か言葉にできないんだけど、あまりうまくいかなかった・・・。もうダメポ。

 蓋し、プレゼンテーションとは「生き物」だ。呼吸、間合い、タイミング、ひとつが狂えばボタンを掛け違えてしまう。どこで何を掛け違えたのか、ひとつひとつ反省するしかない。

 いやー、難しい。
 今日の酒は苦いなぁ・・・。
 次こそ、リベンジだな、リベンジ。

投稿者 jun : 2006年6月 1日 21:52


内定者研修が熱い?

 今週のAERAに「内定からはじまるサバイバル競争」という記事がありました。「苦労を重ねて内定をとって、「入社先を決めれば就職活動は終わりという時代は終わり」をつげており、最近は、熱心な内定者研修が行われているそうです。

 ITを活用したものとしては、アサヒビール、江崎グルコ、アルプス電気、NTT西日本、王子製紙、オムロン、キヤノン、KDDI、サッポロビール、東京海上日動火災保険、TOTOなどがあるみたいですけどね。

 それにしても、記事でも「怒る大学」として、そういう内定者研修が4年生の学業のさまたげにならないようにして欲しい、とありましたね。
 僕は実態はしらないけど、でも、まぁ、記事でみるカリキュラムからは、そんなにインテンシィヴでもなさそうな雰囲気もするけどね。会社によっては、スゴイのかな?
 いずれにしても、4年生は大学4年間の集大成ですからね、充実した時間を過ごしてほしいものですね。

 ---

 きょう、朝、クリエイティブの神様がおりてきた!
 ありがとう。

投稿者 jun : 2006年6月 1日 09:09


教育企業 - IT企業のコラボレーション

 このところ、教育企業 - IT企業のコラボレーションによる、会社設立が続いていますね。「脳トレ」「えいご漬け」で気づかれた学習、教育市場が見直されている?

学研とインデックス、携帯電話向け知的コンテンツ配信会社設立
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20127608,00.htm

ゲームセンター向け英語ゲーム コナミ・NOVA開発
http://www.asahi.com/kansai/news/TKY200604180405.html

スクエニと学研、シリアスゲーム市場で会社設立
http://www.square-enix.com/jp/company/j/news/2006/download/release_060322.pdf

---

 今日の予定。午前中、学内会議×1、新宿で会議×1、お台場にて講演、学内に戻ってゼミ?

投稿者 jun : 2006年6月 1日 08:35


【追加募集】学習科学の研究会に参加しませんか?

 先日このサイト内でも募集をしましたが、nakahara-labと東京大学MEET部門が中心となって、協調学習、学習科学の基礎的な知見について、網羅的に学んでしまおう!という研究会を行います。

 その名も、「魁!学習科学塾」!

 予定していた分に関しては、大好評のうちに定員を超えました。参加していただくメンバーは、日本の学習科学の中核を成している人材も多く含んでいて、エキサイティングな研究会になりそうな予感がたっぷりです。

 そこでっ!

 "学部生"および"修士課程"に限定して、4名ほど追加募集を行います。

 研究会には学部生、修士の学生で下記の条件を満たす方なら、どなたでも参加できます。今回は学部生、修士課程の募集ですから、やる気さえあれば、知識の有無は問いません。

 若い力を学習科学に!

============================================
魁!学習科学塾
主催:東京大学 中原研究室&MEET部門
============================================

1.下記の日程に3回以上参加できる方。

なお1回でも欠席なさる方は、恐れ入りますが、
文献の担当はこちらからしてさせていただきます。

2.下記にある文献リストのうち、1つ以
上を担当しA4レジュメを作成し、発表でき
る方。なおレジュメは、PDF化し、NAKAHAR
A-LAB.NETにて公開させていただきます。

 ※研究会は相互貢献の場です。
 ※オブザーブのみに参加は認めないこと
  とします

今回は追加募集のため、申し訳ありませんが、
用意出来る席があまりありません。
お申し込みはお早めに。

■日時

 2006年 7月5日(水曜日)
   午前10時 - 午後5時まで
 2006年 7月26日(水曜日)
   午前10時 - 午後5時まで
 2006年 9月13日(水曜日)
   午前10時 - 午後5時まで
 2006年 10月25日(水曜日)
   午前10時 - 午後5時まで
 2006年 11月29日(水曜日)
   午前10時 - 午後5時まで

■場所

 〒113-0033 東京都文京区本郷7-3-1
 大学総合教育研究センター
 マイクロソフト先進教育環境寄付研究部門
 tel:03-5841-1727
 fax:03-5841-1729

 東京大学本郷キャンパス内 第2本部棟4階
 413号室です。

 http://www.utmeet.jp/access/index.html
 

■参加の申し込み方法

 参加申し込みは、下記のリストから担当
したい章を4個ご選択の上、下記の申し込み
フォームをつかって、
mmiyake[at]mvg.biglobe.ne.jp
のメールアドレスまで6月1日までにメールを
ください。
 ご指定いただいた4つの文献のうち、2つを
ご担当いただければ幸いです。

 1-15, 2-4, 2-7, 2-9などという風に番号
でお知らせください。

 なお人数の関係で、15名を上限に参加者を
打ち切ります。先着順といたします。

〆ココカラ----------------------------------
申込フォーム
--------------------------------------------

名前:
所属:
メールアドレス:

文献担当希望:
 第1希望
 第2希望
 第3希望
 第4希望

------------------------------------〆ここまで


■文献内容


1.Keith Sawyer ed, (2006) "The Cambridge Handbook of the Learning Sciences"

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0521607779/ref=ed_oe_p/249-5883400-7709928

目次情報
http://www.cambridge.org/catalogue/catalogue.asp?isbn=0521607779&ss=toc

担当
  1-1. Intro, 1
  1-2. chapter 2,3
  1-3. chapter 4,5
  1-4. chapter 6,7
  1-5. chapter 8,9
  1-6. chapter 10,11
  1-7. chapter 12,13
  1-8. chapter 14,15
  1-9. chapter 16,17
  1-10.chapter 18,19
  1-11.chapter 20,21
  1-12.chapter 22,23
  1-13.chapter 24,25
  1-14.chapter 27,27
  1-15.chapter 28,29
  1-16.chapter 30,31
  1-17.chapter 32,33
  1-18.chapter 34,afterword,epilogue


2.Gary Stahl, (2006) "Group Cognition: Computer Support for Building Collaborative Knowledge (Acting With Technology)"

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0262195399/ref=pd_sim_dp_5/249-5883400-7709928

目次情報
http://www.cis.drexel.edu/faculty/gerry/mit/index.html

担当
  2-1. preface,1
  2-2. chapter 2,3
  2-3. chapter 4,5
  2-4. chapter 6,7
  2-5. chapter 8,preface2
  2-6. chapter 9,10
  2-7. chapter 11,12
  2-8. chapter 13,preface3
  2-9. chapter 14,15
  2-10.chapter 16,17
  2-11.chapter 18,19
  2-12.chapter 20,21

※当日、研究会終了後、懇親会をいたします

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研究会幹事:三宅正樹(東京大学大学院 学際情報学府 M1)
      館野泰一(東京大学大学院 学際情報学府 M1)

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投稿者 jun : 2006年6月 1日 08:00