大学のブランディング戦略

 Corporate Identityの確立...自社ブランド戦略の策定。通常の企業ならば同然取り組んでいることに、今まで大学は無関心であった。

 しかし、近年、先進的な国立大学、私立大学では、こぞって、ブランド戦略に取り組む事例が増えてきているという。

 下記は日経デザインからの記事の抜粋である。

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 明治学院大学が、ブランド強化を進めている。アートディレクターに氏を起用して、ロゴから封筒類まで、デザイン佐藤可士和の力を活用して存在感のアップに取り組み始めた。

 佐藤氏は、以前から教育の現場でデザインが活用されていないと感じていたと言う。また「受験生にこびる必要はないが、大学がどういう教育理念を持ち、どういう学校運営のビジョンを持っているかを学生や社会にアピールしていくことは大学の当然の義務であり、それが大学のブランディングにつながる」(佐藤氏)という考えもあった。

 そこで佐藤氏は、今回のロゴのデザインを明治学院大学のブランド強化の一環として考えたいと提案した。大学側も佐藤氏の提案を受け入れ、「明治学院大学ブランディングプロジェクト」がスタートした。

http://nd.nikkeibp.co.jp/nd/news/contents/938.shtmlより一部引用

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 佐藤可士和氏といえば、元博報堂出身のアートディレクター。「状況をデザインする」というコンセプトで、様々なプロジェクトのディレクションを行っている。

 この話、デザイナーの吉田さんにしたら、こんなことを言っていた。

「ある程度、製品や市場が円熟してくると、あとはデザインとかブランドの勝負になります。たとえば、缶ジュースの日本茶なんてのは、どの会社のものでも同じような味なわけです。あとは、缶のかたちとか、イメージとか、そういう違いで、売れる売れないが決まってきます」

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 2007年には全入時代を迎える大学・・・「違い」を求めて、大学の取り組みは続くのだろうか。

投稿者 jun : 2005年4月30日 15:49


メタファ

 東京海上日動の北村さん、産能大学の古賀さんが、「eラーニング」に関して、オモシロイ喩え話をご紹介しておりました。

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メンバーの一人だった産能大eラーニング開発センター長の古賀さんが「大学の授業と、授業のアーカイブ(収録した動画)をeラーニングとして配信するのって、炊きたてご飯と冷凍ご飯の関係みたいだ。」古賀さんはメタファーを考えるのが本当にうまい。

僕と2人で「やっぱりご飯は炊きたてが美味しいよね」「でも炊きたてが食べられない時って、ちゃんと冷凍してあったご飯を解凍して食べるのも悪くないよね」なんて会話を繰り広げた。

(北村さんのblogより一部引用 http://kit.cocolog-nifty.com/ )

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 上記の「喩え」には全く同感するし、こういう「喩え」がパンと思いついてしまうのは、スゴイなぁと思った。

投稿者 jun : 2005年4月30日 08:56


ゴールデンウィークねぇ・・・

 今日からゴールデンウィークなんだってね・・・。

 昼は某プロジェクトのWebサイト開発、ポスト某プロジェクトのプランニングで研究室へ。みんな休日返上で作業をしている。

 「会議室」において、わずか1秒の時間で語られる「お願いします」の台詞の先には、いつも「過酷で泥臭い、そして長丁場の現場」がある。

 夜は、自宅で論文執筆をするつもり。何とかしてこのゴールデンウィーク期間中にたまっていた原稿をまとめて書き終えたい。

 ゴールデンウィークって、みんな、遊んでるんだろうか? それとも温泉でもつかって休んでるんだろうか? それともみんな僕みたいなんだろうか。

 今日からゴールデンウィークなんだってね・・・。
 何がゴールデンなのかな?

投稿者 jun : 2005年4月29日 12:23


青山学院大学の授業

 いやー、最近、忙しくてシオシオのパーになっている中原です。
 はっきり言って、ウ○コ漏らしそうです。今年でワタクシ30ですが、いくら年をとっても、やっぱりウ○コネタです。ごめんね、バカで。スマンね、気づかないうちに、「コンニチハ」してたら。そんなときは、いつもより優しくしてね、声かけてね。

 ともかく・・・

 今日は、青山学院大学で授業でした。

 おうちから約1時間30分かけて、えっちらおっちらと電車にのって、キャンパスに向かいます。キャンパス、建物、とっても綺麗ですね。キャンパスは「淵野辺」というところにあります。神奈川県かな?どこなんだ?淵野辺は。いつも駅からキャンパスまでの道しか歩かないから、わからんぞ。

 ていうか、ここまで通うのは正直言って、とっても体力的に厳しいのですが(だって片道1時間30分だよ・・・それに授業が終わったからといって仕事が終わったわけじゃなくって、そこから東京に帰っても、まだ仕事や会議あるからね)、授業自体は結構楽しんでやっています。

 今日は天気がよかったせいか、学生の皆さんが、キャンパスのあちらこちらに腰を下ろしていました。暖かくなってきたので、サークル活動も盛んになっているのでしょう。授業のとき、机間巡視していると、あちらこちらに、テニスのラケットがおいてあります。うーん、いかにも大学。極めて微笑ましい。

 この授業、150名の授業登録者がいるのですが、中には、午前中にテニスやって、メシ食って、疲れて寝ちゃっている人も3人くらいはいたけどね、まぁしゃーないですね、そのくらいは。僕も昔寝たよなー、授業で(ちなみに、僕が授業で寝たのは駒場まで。本郷の専門に入ってからは一番前で授業を聞いていました。すべてキレイにノートをとってて、今も、そのノートが研究室にあるくらいです)。

 Anyway・・・

 今日の授業は、アメリカのフツーの学校の授業を視聴したあとで、進歩主義の教育学者、教育実践家について勉強しました。最後は、「マサチューセッツ工科大学」「公立はこだて未来大学」「神応小学校のらしさ工房」など、いくつかの授業や学習環境を解説しました。

 僕らは、「授業」って聞くと、ある定型化した空間や教師と子どものコミュニケーションスタイルを思い浮かべてしまうんだけどね、それはバイアスがかかっている見方です。文化や国が違えば、授業の様式も変わってくる。

 前回の授業では中国と日本、今回の授業ではアメリカを扱いました。時間があれば、フィンランドを扱うつもりでしたが、ちょっと学生さんの顔をみてやめました。

 ビデオばかりなのも疲れるだろうな、と思って。
 どうなんだろう、そのあたりは学生さんに聞いてみたいけどね。いや、僕の「だらだらトーク」の方が疲れるのかな。いずれにしても、彼らの顔をみていて、「うーむ、ここはメリハリをつけなアカンな」と思って、その場でやめました。フィンランドは、学力低下(1ヶ月後くらいかな・・・)のところにとっておこう。

 今日の授業の反省点は下記のとおりです。

1) 「教授設計」と「学習環境デザイン」という2つの考え方を、「ワインのティスティング」にたとえて説明しようとしたけど、うまくいかなかった。

2) 最後の課題のインストラクションが相変わらず甘い。これに関しては、何人も何人もあとで質問にきた。

 1)の問題は、要するに、ワインのソムリエが「色」「におい」「味」など、様々なモダリティを駆使して、ワインを評価しますよね、それと同じように、僕らは授業をみるときに「学びのソムリエ」みたいにならなアカン、と言いたかったわけです。

 「あなたたちは教育のプロフェッショナルになる」のだから、「あの先生、オモローイ」とか「あの子どもヘーン」という感想しか述べられないようじゃダメだ、と。それでは、風呂屋とか居酒屋で教育談義をするオヤヂとかわらない。

 この先生は、どういう意図をもって、「学習環境」をデザインしたのか。それを見ぬく目を持って欲しい。短い時間であっても、教室を見るとき、授業を見るときには、「教師」「子ども」「教材」「環境」「コミュニケーション」など、様々なエレメントをじっくり鑑賞してくださいね、と言いたかった。

 嗚呼、ここで言っても仕方がないけど。次回の授業あたりにもう一度繰り返しいいましょう。

 2)に関しては完全なるミス。GWスペシャル課題として、グループでレポートを書かせようと思ったのですが、そのインストラクションが明確ではなかった。反省。

 Somehow・・・

 帰り道、丸の内までの1時間はすべてワタクシ寝ました・・・ヨダレたらして。ニューヨークで買った「イヴ=サンローラン」のジャケットがヨダレだらけです・・・。でも、よほど疲れていたんだろうな・・・。でも、寝ている間に、夢の中でいいこと思いついた。

 近いうちに、「僕の授業」を学生たちに採点させようかな、と。改善点を指摘してもらって・・・。「先生の通信簿」みたいな。でも、緊張するな、やめようかな、傷つくのイヤだしな。

 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2005年4月28日 20:21


望月君のWebサイト

 望月君のWebサイトを見つけたので、晒しておきます(笑)

望月君@神戸大学
http://www.mochi-lab.net/index.html

 この写真は、いつ撮られたものなのだろうか?知的すぎる。

投稿者 jun : 2005年4月27日 21:13


モンモンとしている

 そのことを考えると、どうもよくわからなくなってくる。というか、何だか腑に落ちずに、そうはいっても、全く解決がつかないで、モンモンとしてしまうことが、最近の僕にはある。

 というのは、

 社会的構成主義的な学習環境
 状況論的な学習環境

 という「モノの言い方」についてである。

 「社会的構成主義的な学習環境」「状況論的な学習環境」という単語は、マニアックな用語でありながら、結構、いろんな場所で使われている。

 eラーニング関連のセミナーなどで、企業の方が「これからは社会的構成主義的な学習環境の時代だ!、だからグループ学習をしよう!」と喋っているのを聞いたこともある。

 論文査読している間にも、何度か、研究者がこのような用語を使って、自分の開発した教育システムについて論じていたことを見たことがある。

 ふーむ、そうなのか。○○の時代なんだねー、と思いつつ、しかし、よーく考えてみると、これがどうもストンと落ちない。

 社会的構成主義とは、「事物が人々の間の相互作用によって成立している」という認識論である。誤解を恐れずにいうならば、その理論は、「学習環境であろうと何であろうが、世界の成り立ちの根元は、人々の相互作用にある」と宣言している理論である。

 しかし、「社会的構成主義的な学習環境」という言い方は、この理論の眼目を否定する。
 なぜなら、「これからは社会的構成主義的な学習環境の時代だ!」を想定するということは、「非社会的構成主義的な学習環境」の存在を認めてしまうことだからである。社会的構成主義は、「非社会的構成主義的なるもの」など、そもそも存在しないと言っているのにもかかわらず。

 そして、そういう論文や講演の多くは、「社会的構成主義的な学習環境=グループ学習が重要!」という風に、社会的構成主義が本来主張したかったこととは、全く異なる風に、理論を矮小化してしまう。つまり、哲学的認識論を「方法論」に転化してしまうのである。

 「状況論的な学習環境」もまた然りである。
 状況論は、「人間の知的有能さは、人間の外界に存在する道具や他者との協同を通して達成されること」を主張する理論である。状況論は、いろいろな理論を内包する理論群ではあるけれど、最大公約数をとればそういうことになるだろう。

 しかし、この状況論の眼目が、なぜかは知らないが、「学びのために道具を活用することは重要!」ということになってしまうし、「やっぱり他者との交流は重要!」ということになってしまう。

 ここのあたりは、ストンと落ちない。
 だけど、こうした物言いに不満を述べつつも、僕は、そういう理論的不純さを生み出してしまう根元的理由も、同時に理解しているつもりである

 ある意味で、学習の方法を研究するものは、認識論や理論を下敷きに(根拠にして)、学習の場を組み立てるという、もっともらしい言説の転換をいつも行わざるをえない、という宿命にあるからである。かくいう僕も、そうした言説の転換をこれまで行って、生きてきたし、これからもせざるを得ないときが1度や2度ではないと思う。

 しかし、それ故に生まれる「気持ち悪さ」みたいなものを抱えず、なんの矛盾も反省も感じず、「認識論」を「方法論」に転化することは、やはり避けたいとは思う。しかし、避けたいとは思いつつ、「学習の方法論」について語らないわけにもいかず、やはり今日もモンモンとすることになる

 この問題は、かつて認知科学の雑誌とかでも論じられたことがあるが、まだ僕の中では、解決はついていない。

 今日もモンモンとつぶやいて生きるしかない。

投稿者 jun : 2005年4月27日 20:50


チャリ通勤

 最近、チャリを買おうかどうか悩んでいる。

 デザイナーの吉田さん、山本さんが東大にチャリで通勤していて、「なんだか気持ちよさそうだな」、と思ったのが、最初のきっかけであった。

 僕の住んでいる町から大学までは、電車で20分。ちょうど10キロの遠さになる。自転車は時速10キロから15キロ。たぶん坂もあるからきっと1時間くらいの通勤になるはずだ・・・。

 ちなみに、吉田さんに相談したら、「中原さん、1時間は毎日は結構キツイですよ」とのこと。そうだよなぁ・・・。きっとキツイだろう。

 それにしても、高校時代などは、僕は、チャリ通をしていて、毎日毎日、川を2つわたって高校に通い(ほとんど遅刻)、帰りは、自宅とは全く反対側の方向にある、当時つきあっていた女の子の家まで「送って」いき、その後で自宅に帰った(送っていくといっても、チャリで一緒に帰るだけ・・・それなら一人で帰ればよい。今になって考えると、何の意味があったんだか、わからない・・・恐ろしく無意味な時間だ)。合計すると、毎日2時間ちかくは、チャリに乗っていた気がする。

 でも、そんな無茶ができたのは、僕が若かったからだろう。若いとは、「やろうと思えば何でもできると思いこめる」ことである。それからもう15年はたっている。そんな体力はもう僕にはない。

 さて1時間くらいなら、なんとかなるだろうか・・・。でもなー、10分間ランニングしても、「ひーひー」言ってるくらいだからな・・・。うーむ、不安だ。

 それにしても、東京で、1時間かけてチャリで通勤してる人っているんだろうか。いらっしゃったら秘訣を教えてください。

投稿者 jun : 2005年4月26日 14:52


言いまつがい2

 今日の朝、僕が青学の授業スライドをつくりながら、カミサンと話していたときのこと。ふとしたことから「教員採用試験」の話題になった。

 話の内容が「教員採用試験によい参考書はあるのかないのか」ということになったときに発せられた、カミサンの一言。

「参考書といえば、大学受験のときに使った参考書にチャート式とか、荻野式とかいう名前のついたのがあったよねぇ・・・」

 「チャート式の参考書」ってのはわかる、確かにそれはあった。でも、オマエ、荻野式は「避妊方法」だってーの。朝っぱらに基礎体温はかるやつ。

 先日の「エストロゲン」に続き(わからない人は4月9日の日記をどうぞ)、どうも、カミサンの「言いまつがい」は、「シモ」の方向に行く。

投稿者 jun : 2005年4月25日 10:37


ゆとり教育

 先日、「現役の文部科学大臣がゆとり世代の中学生に謝罪した」というニュースが報じられた

 中山成彬文部科学相は21日、「スクールミーティング」で水戸市の茨城大教育学部付属小、中学校を訪問し、ゆとり教育について「導入は拙速すぎた」とゆとり世代の中学生に謝罪した。

 意見交換で中3の男子生徒が「教科内容が見直されることで(ゆとり世代の)僕たちの代だけ上や下の学年に劣ることになるので心配」と訴えると、中山文科相は「ゆとり教育の見直しで教科書のページ数も元に戻りつつある。皆さんには申し訳なく思う」と謝罪した。

 また「ゆとり教育の導入は拙速すぎた。授業数まで削減したことは反省点。自分の頭で考える主体性のある子どもを育てたい」などと述べた。

2005年4月21日 共同通信

 ゆとり教育が盛んに主張された頃から、「教科内容の削減の危険性」に関しては、多くの教育学者が指摘していたのにもかかわらず、それに踏み切った文部科学省。

 当時の世論やマスメディアの論調が「画一主義反対!、教育にゆとりを」一色であったことを考えると、それも仕方がないとは言えるが(今になって、マスメディアや世論が文部科学省だけを攻めるのはおかしい!)、どうも最近はきまりが悪い。

 しかし、どうにも首をかしげてしまうのは大臣の弁である。

 その場に居合わせたのではないので、僕は詳しいことはわからないけれども、もしこの記事がホントウだとすると、「文部科学大臣が謝罪すること」は「教科書が薄かった僕たちの代だけ、上下の学年より劣っている」ことを認めたということである。

 一見、これは「ふむふむ」とわかりやすいけれども、ホントウに正しいことなのだろうか。今後、その対策として教科書は厚くなり、授業数は元に戻っていくのだろうけど、「教科書が元に戻れば、学力があがる」というのは、ホントウなのだろうか? さらに「授業数をふやせば、自分のアタマで考える主体性のある子どもになるのだろうか」?

 このあたり、すこし印象的に語られすぎている気がしてならない。

 もし「ゆとり教育」が失敗だったというのなら、なぜそれが失敗だったのか、それによって失われたものが、何であったのか。どうやったら、リカバーする手段が何であるのか、キチンとした研究やデータに基づいて、プランニングして欲しいな、と思う。

 そうでないと、また「自分のアタマで考える」とか「主体性」とか、聖性をおびた言葉が生み出され、消費され、或いは「とりあえず教科書厚くしりゃいいんだろ」みたいな話になって、はっきりとした輪郭の見えにくい政策が打ち出されるような気がする。そして、そのたびごとに現場は大騒ぎになる(まだ大騒ぎになればいいほうで、失意と無関心が支配するようになるのが一番怖い・・・)。

 僕はそれが心配だ。

投稿者 jun : 2005年4月23日 08:52


bogged down

 英語で「I'm bogged down..」といえば、「身動きとれない」という意味である。今の僕はまさにそれに近い。

 この日記でお話ししたいこともたくさんあるんだけど、いざ、日記が書ける時間というと、今のように午前1時近くになってしまう。その頃には、思考回路もぶっとんでるから、やる気がでない。

 4月から取り組んでいるプロジェクトは今が佳境である。頑張らなくてはならない。

 そして朝はまたくる。
 とにかく一週間が早い。

投稿者 jun : 2005年4月21日 00:48


プロポーザル

 僕はプロポーザル(提案書)を書くのが好きだ。

 新しい研究、新しい製品、新しい実践、新しい本、新しい番組。

 このヨノナカには、何かをはじめようとするとき、何かをカタチにしたいと思うときに、必ずといってよいほど、プロポーザルが必要になる。

 プロポーザルをを「カタチ」にするときには、いろいろな制約や条件がでてくる。そうした制約や条件は、必ずしも論理的でも合理的でもない。納得できない条件、腑に落ちない事情 - 人は、そうした制約や条件の中で、苦闘し、モノゴトを「カタチ」にする。

 そうしたプロセスは楽しみではあるが、同時に、プロジェクトX的なドロドロとした「生みの苦しみ」も伴う。しかし、プロポーザルには、まずはそうした苦しみがない。

 「こう言ったら、オモシロイことになるだろうな」「こんなことを指摘できたら、○○の考えをもっている人はビビルだろうな」「こんなことしたら、愉快だろうな」といったことを想像しつつ、そのプロセスを楽しむことができる。

 だからプロポーザルを書くことはやめられない。しかし、残念なのは、時間をかけてプロポーザルを書くヒマが最近とれないことである。

 やっつけ仕事にはならないようにはしているつもりだけれども、かつて、かけることのできた時間の3分の1程度で、completeさせなければならない。それができなければ、次のプロポーザルの〆切が迫ってくる。

 そうはいっても、プロポーザルを書くのは、やはり楽しい。

 しかし、同時に、このままのペースで書き続けると、いつか手痛い「しっぺがえし」を食らってしまうような気がしてならない。それが怖い。

 皆さんは、そんな風に思うことありませんか?

投稿者 jun : 2005年4月18日 20:30


ミルクティのおいしいお店

 先日ちょいと理由があって二子玉川の高島屋に出かけた。そこのレストランフロアにNINA'sのカフェがあったので、歩き疲れていたこともあり、休むことにした。

 で、そこで飲んだ「ロイヤルミルクティ」がとても美味しかった。ここに備忘録として書いておく。

ルサロンドニナス 二子玉川
東京都世田谷区玉川3-17-1 玉川高島屋SC南館6階
03-5491-2423

 うーむ、クリーミーだ、しかし、それでいてしつこくない。士郎、まだわからんのか、士郎!(意味不明・・・わかる人いますか?)。

 僕はこんな風にいれたミルクティを今まで飲んだことがなかったので、感動した。値段も少々はるが、その価値はあると思った。

 ミルクティの入れ方というと、いくつか方法があって、「牛乳から煮出す方法っていうのが、一応、玄人好みとされている」って聞いたことがあるんだけど、どうなんだろう。

 「煮出すのはだめだ」という人にもあったことがあるしなぁ・・・。NINA'sのは、どうやっていれているんだろう。

 ところで、どなたか、おいしい、ミルクティの入れ方、ご存じじゃないですか? あと、ミルクティの上にのっているクリーミーな泡も、どうやってつくるんだろうか?

 あとで調べてみたら、このカフェは「恵比寿ガーデンプレイス」とか「ニューオータニ」にもあるみたいだ。

 今度、近くにいったらまた行ってみようと思う。
 それにしても、いつも飲んでいる紅茶が、こうも変わるとは。
 うーむ、牛乳、あなどれん。

投稿者 jun : 2005年4月17日 00:28


大学eラーニングの経営戦略、平積みに!

 先月発売された「大学eラーニングの経営戦略」ですが、八重洲ブックセンターのレジ横で平積みになlっているそうです。

yaesu.jpg

 この本、「大学でeラーニングや教育の情報化を推進していくときには、決して避けることのできないコスト、組織などの問題」にフィーチャーした本です。「やれ、どのシステムがよいか?」とかいう問いよりも、敢えて、「いつもは焦点があたらない問い」に注目してみました。

 お買い求め頂いた何人かの方々からは、ご意見や感想など、メールなどでいただきました。このところ忙しく、すべての方々に返信できているわけではないのですが、ありがとうござました。

 もしよろしければ今後も感想など、お寄せいただけるとウレシイです。

投稿者 jun : 2005年4月16日 00:15


多様性のマネジメント

 プロジェクトを行う際の「メンバーの多様性」とは「諸刃の剣」である。

 メンバーの社会的背景、専門性が多様であるが故に、それがうまく調整され、そのチカラが結集したときには、信じられないパワーが生まれる。一人ではできないことが、わかる、できる。

 しかし、多様であるが故に、それはリスクも抱え込む。
 「多様」という言葉が、ある種の「あきらめ」をともなう「逃げ言葉」として語られる状況に陥ったとき、メンバーに共通の目的やタスクは失われる。パフォーマンスなど期待出来る余地もない。集団に生まれる浅慮、極化、無責任については、これまでおびただしい数の研究が生み出されてきた。

 しかし、人間が集まれば、そもそも「多様」になることは否めぬ事実である。どんなに均一なメンバーから構成され、どんなに精密に目的が設定されたとしても、字義通りの意味で「非多様的」な集団は存在しない。

 多様性のマネジメント

 それは極めてチャレンジングな課題でありながら、誰もが挑戦せざるを得ない地平なのかもしれない。プロジェクトが生まれる場所が、実社会になればなるほど、その重要性は増すのではないかと思う。

投稿者 jun : 2005年4月15日 19:10


大学初任者の研究

 昨日寝る前にふと思ったこと。

 「これって研究になるんじゃない?」

 昨日の日記にもあるように、僕、今年、通年の授業を担当するわけですが、たぶんだんだんと授業のやり方や、学生さんへの言葉かけの仕方などが変わってくると思うんです。たぶん、自分のアイデンティティのあり方や、「授業とは何か」という認知自体も変わってくると思う、予想だけど。その過程を、質的に丹念に追うというのはどうでしょうか?

 研究の題名は、「授業初担当者の学習プロセスに関する研究」とか、「大学初任者の授業改善プロセスに関する研究」とかでいいんじゃないでしょうか。

 ちゃんと文献をレビューしたわけじゃないけど、なんとなく、初等中等教育の先生を対象にした研究ならあると思うんです。でも、高等教育の教員を対象にした研究ってあるんでしょうか? ここは僕の専門ではないからわからないけれども。

投稿者 jun : 2005年4月14日 15:31


青山学院大学での授業

 今日は青山学院大学での初授業でした。僕が今年担当するのは、2年生~3年生向けの「教育方法」です。人数はおそらく200名近くいるんでしょうか・・・階段型の講義室ではないんだけど、展示会できそうな教室でしたね、あー、あまりの大きさにびっくりした。

 今日は第一講だったので、授業のオリエンテーションですね。今年一年で何をやっているのかを説明しました。僕がこの授業でトライしてみたいのは、下記のような流れをもつ授業です。

1.前回のまとめ(5分)
2.ビデオ(20分)
3.レクチャー(20分)
4.ワークシート(10分)
5.ディスカッション(10分)
6.発表(10分)

 今日は、「ワークシート」「ディスカッション」「発表」のところだけ、「エクササイズ」と称してやってみましたが、70%くらいの成功だったかな。といっても、学生さんが悪いのではなくて、明らかに僕のミス。僕のミスは3点。

1.ワークシートに書き込む課題設定が明確ではなかった。

2.ワークシートを書いているときの机間巡視のときに、もっと学生さんが何を書いているのかを見ておくべきだった。誰を指名したらよいのか、参考情報を集めるべき。

3.発表を行っている最中、学生さんの発言に対するコメントがヘボイ。これではなぜ発表しているのかがわからない。

 修行します・・・。

 ていうかさ、「教育方法」を教えるっていうのは緊張するよなー。だってさ、「教育方法を教えてるアンタの授業のやり方がヘボイですから」とか言われたら、自己矛盾極まりないべや。「あーすみません・・・トホホ」と謝るしかない。

 そういう意味では、これまで講演とか講義とか、いろいろやってきましたが、それとは違った緊張感があります。

 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2005年4月13日 16:45


スープの話

 毎日食べ物の話をしていて恐縮なんですが、今日もそれ関係の話。

 本当はね、研究のお話とかをしたいのですが、それがまだできないのですね。今、ものすごい忙しさで(ここ数年で一番精神的に張りつめていると思う...濃いぞ、毎日が)、いろいろなプロジェクトの立ち上げ、交渉をやっているのだけれども、まだ情報を外に出せないものが多いのです。まだトップシークレット。
 
 で、今日はスープの話。最近、僕、凝っているのですね。ランチにいいなと思って。

 スープっていうのは、アメリカでは十分市民権をえている食べ物(どこでもいろんな種類のものが売っている)のですね、サラダと並んで。

 わずか9ヶ月だけですけど、やっぱり僕は、アメリカにはあまり美味しいモノはないと思います(少なくとも僕にとっては)。だけど、スープとサラダとベーグルのバリエーションに関しては、はるかに日本を凌駕すると思いますし、それに関してははるかにウマイ店があります。

 対して、スープに関して日本では「味噌汁(Miso Soup)」以外は、あんまり市民権を得ているとは言えないかもしれませんね。コーンスープとか「申し訳なさそう」においている店とかはありますが、それをメインで、あるいはメイン的に楽しむという発想はない。どちらかといえば、「おまけですぅー」的雰囲気を否めない。

 でも、最近、少しずつそういうお店が増えてきているような気がします。昔といえば、渋谷の「スープ屋」くらいしかなかったのですが、最近は増えてますね。そのひとつに、首都圏で展開しているSoup Stockがあるでしょう。ここは、スープのファーストフードチェーンで、毎週がわりでいろんなスープをだしていますね。

Soup Stock Tokyo
http://www.soup-stock-tokyo.com/

 お客さんは、圧倒的に女性。ここ数週間で数回僕も行きましたが、僕以外は全員女性でした。僕が滞在中に男性がはいってきたことは1度だけでした・・・それも彼女に無理矢理連れられて、入ってきた男性だけ。

 味はというと、それはスープによるのですが、ボルシチなどはかなりイケる気はします。クラムチャウダーとかのクリーム系は、ツメが甘い気がします。

 いずれにしても、まぁ、濃淡はあっていいのです。でも、こういうお店がたくさん出来て欲しい。願わくば、本郷あたりにも。そういうお店ができたら、毎日でもいくんだけどね。

 以上、スープ話でした。
 皆さん、スープのおいしいお店知りませんか?
 よかったら教えてください。

投稿者 jun : 2005年4月12日 22:41


 先日、カミサンの友人たちと一緒に、新宿御苑にお花見にいきました。「花より団子」ならぬ、「花よりオチャケ」ともいうからさ、行く前に、新宿高島屋の地下に寄ったらね、ボストン滞在中によくのんだ「ケンダールジャクソン・シャルドネ」を見つけてね、それを持って行ったさ。

ケンダール・ジャクソン
http://www.kj.com/

ケンダール・ジャクソン・シャルドネ
http://store.kj.com/item.jsp?item=0100312&category=40

 ボストンで買ったら、12ドルのケンダールジャクソンが、なんと新宿では3150円。2倍以上するのですね。「高けー、どうしよう」とは思ったけど、あんまりにも懐かしくって、つい買ってしまった。デイリーワインの白の中では、本当においしいワインだと思います、これは。

 御苑は、なにやら午前中には首相が「花見」をしたみたい。まぁスゴイ人でしたけど、天気がとってもよかったし、楽しむことができました。

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 カミサンの友人のカンチャンは、2歳になる「ホノカちゃん」をつれてきました。彼女も走り回っていた。池では「亀」を見つけて、そこからなかなか離れたがらなかった。動物が好きなのだそうです。

 夕方からは、前にNHKの宇治橋さんからすすめてもらった手作り薫製料理のお店「ゆうばーる」にでかけました。このお店、一ヶ月くらい前のアドマチック天国でも紹介されていた有名なお店ですね(絶対に予約した方がいい)。この日、残念ながら生ハムがなかったんだけど、コンビーフとか、ソーセージとかはとても美味しかった。

ゆうばーる
http://www.kotobukiya-youbar.com/

投稿者 jun : 2005年4月11日 18:47


おすすめレストラン

 週末、いかがお過ごしですか?

 今日は、おすすめレストランの紹介。先日、カミサンと一緒に「男だけのバレー作品」である「SWAN LAKE」を見にいったんだけど、その帰りによった店を紹介しますね。

Cafe-Dinner S'
http://www.tsuiteru.com/gr/cafe-s/

 料理が美味しかった。店の雰囲気はよく、かなりインテリアにもこっているしね。

 よくあるこの種のレストランって、何だか店構えはいいし、格好良いんだけど、料理がさっぱりだわね、ということ多いのですが、ここは違います。

 この日は「温野菜・ディルマヨネーズ」「ネギヒキピザ」「蒸し鶏とほうれん草の柚子胡椒ソースパスタ」などを食べたんですけど、どの皿にも、微妙に懐かしい「和」の味付けがベースにあるんですね。本当にうまいと思いました。

 立ち寄ったのは午後10時をこえていたんだけど、中には、たぶんNHKの人と思われる団体もいて、お酒を飲みつつ、書類を広げて打ち合わせをしていました。パワーディナーというのかな。

 少しわかりにくいところにあるので、地図を確認していった方がいいでしょう。あと、今みたらWebにクーポンがあるから、これを印刷していくといいですね、オトクですよ。

毎日のクーポン
http://www.tsuiteru.com/gourmet/shop/coupon.php?shop_id=500000331

投稿者 jun : 2005年4月10日 10:30


言いまつがい!

 先日、カミサンと渋谷で待ち合わせて帰ったときのこと。

 「最近、僕は、授業で使う教材をつくっているんだよ」という話がきっかけで、「知ってる教育学者を10名あげてみよう」ということになった。

ブルーナ、デューイ、ヴィゴツキー、ピアジェ・・・

 これらの人々が教育学者というカテゴリーにはいるかどうかは別として、教育に関係のある超有名人たちの名前がカミサンの口からでてくる。

 でも、あともう少しで7人くらいというとき、勝ち誇ったようにカミサンの口からでてきたのは・・・

エストロゲン!

 あのなー、それは女性ホルモンの名前だ・・・。激しすぎるぞ、その言いまつがいは!、教育に1ミリもかすってない!

 ちなみに、カミサンは、ある大学で教育学を学び(学んだハズ)、現在は某テレビ局にて教育番組のディレクターとして勤務している。

投稿者 jun : 2005年4月 9日 00:47


著作権はムズカシイ

 今、ある大学の先生が、自分がいつも授業で使っている「パワーポイント教材」を、Webで一般に無償で公開しようとしている、とする。

 パワーポイントには、様々な図版が貼り付けられている。スキャナーで取り込んだもの、パワーポイントの描画機能を使って描いたもの、などがある。自分の考えた図版もあるし、他人の本の中で使われていた図版もある。

 ここで問題。

 下記の1~8までの場合のうち、この先生が、スライドを削除することなく、Webで教材を公開できるのは、どの場合だと思いますか?

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1.教材を公開する先生が、自分の著書の中で、自分自身で考えて作成した図や表を、引用情報を明示したうえで、スキャナーでスキャンして、そのまま、パワーポイントの中に貼り付けている場合

2.教材を公開する先生が、自分の著書の中で、自分自身で考えて作成した図や表を、引用情報を明示したうえで、パワーポイントの表作成機能等をつかって、再度、描画しなおしている場合

3.教材を公開する先生が、自分の著書の中で、自分自身で考えて作成した図や表を、引用情報なしで、スキャナーでスキャンして、そのままパワーポイントの中に貼り付けている場合

4.教材を公開する先生が、自分の著書の中で、自分自身で考えて作成した図や表を、引用情報なしで、パワーポイントの表作成機能等をつかって、再度、描画しなおしている場合

5.教材を公開しようとする先生が、他人の著書の中で他人が考えて作成した図や表を、引用情報を明示したうえで、スキャナーでスキャンして、そのままパワーポイントの中に貼り付けている場合

6.教材を公開しようとする先生が、他人の著書の中で他人が考えて作成した図や表を、引用情報を明示したうえで、パワーポイントの表作成機能をつかって、描画している場合

7.教材を公開しようとする先生が、他人の著書の中で他人が考えて作成した図や表を、引用情報なしで、スキャナーでスキャンして、そのままパワーポイントの中に貼り付けている場合

8.教材を公開しようとする先生が、他人の著書の中で他人が考えて作成した図や表を、引用情報なしで、パワーポイントの表作成機能をつかって、描画している場合

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 なお、引用情報とは、書名と著者名を指します

 著作権法上、問題がないのはどれだと思いますか? ちなみに、僕は全くわからず、慶應義塾大学大学院の井上さんに教えを乞いました。井上さん、ありがとう。

投稿者 jun : 2005年4月 7日 22:22


落ち着いたら...なんて

 現在佳境に入っているプロジェクトがヤマを超えて一段落したら、次のプロジェクトの立ち上げに入ろう、と思っていたら、どうも、そんなに悠長なことは言っていられない、ってことがわかってきた。

 スピードが求められているように感じる。着任後、わずか1週間にして、次期プロジェクトの立ち上げの準備に入ることを決意した。

 自分は、ある程度は「マルチタスク」対応であると思うけど、どこまでやれるだろうか。

 そう問う前に、今はやるしかない。

投稿者 jun : 2005年4月 6日 02:21


ギンザのリョウテイ

 銀座の料亭...

 この言葉を聞くとさ、「ハラがやや黒めなピーポーたちが、夜な夜な、奥の座敷で座椅子に座りながら、内緒話をしてる」みたいなイメージをもっちゃいませんか。

 はたまた、「オテントさまのさしているあいだは、二人の仲は秘密だもんね」みたいな男女が、ひそかにワインなどを飲みながら、和食をたしなむ失楽園的雰囲気かな。

 どうも、この5文字だけでさ、想像膨らましちゃう僕は、やっぱり発想が貧困なのかもしれんな。しゃーねーだろ、縁遠いんだから、貧乏なんだから。

 まぁそんなこんなで、「銀座の料亭」は一生いくことはないと思っていたんだけど、先日、故あって、大変お世話になった方をそこにお連れする機会を得ました。

 行ったのは北大路魯山人の会員制料亭「星ヶ岡茶寮」で板前長をやっていた中嶋氏のお店「割烹中嶋」。

 いやー、美味かった、美味かった。「腹黒ピーポー」とか「失楽園カップル」がその日店にいたのかどうかは知らないけど、とりあえず、便所にたったときには、誰も見なかったぞ。健康的、健康的。

 もともと、僕は「ドカーン」と一品料理を食べるのは苦手で(特に丼モノは好きじゃない・・・昔死ぬほど食わされたので)、懐石みたいに「小分けにされた料理」を、少しずつ少しずつハシでつついて食べるのが好きなわけです。いやー、満喫しました、すべての料理に。

 さらに器がよかった。北大路魯山人ゆかりの器も多いらしいのです、この店には。そう聞いていたからね、非常に楽しみにしていったんです、お茶碗を。

 その日は、80年使われているという椀を見ました。感激ものですよね、よく生き残っていらっしゃいました。アンタ、80年っていったら、ウチのバーチャンなみだからね。

 あとは、特にね、綺麗だナーと思ったのは、日本酒をいれておくクーラーです。竹でできているお品で、そこに氷を張って、そこに日本酒がはいったガラスの器を傾ける。これがですね、清涼感があってよい幹事でした。クーラーっていうと、金属のものをすぐに思い浮かべるけどね、「竹」のクーラーってのはいいですね。

 それにしても、最近、僕は日本酒が「ウマイ!」と感じるようになったんだよなぁ。前は、苦手だったのにね、すっかり酒の好みがかわってきたわ。とはいえ、日本酒だったら何でもOKなわけではないですよ。

 1升で900円とかのオチャケじゃなくてさ。そういうお酒、嗚呼、名前を思い出したぞ、「鬼ごろし」だ。「鬼ごろし」なんかは、学生の頃、浴びるほど飲みました。オレが「殺されてる」っちゅうねん。

 オヤジ化してきたのかな、それとも日本酒の旨さを僕は、今まで知らなかったんだろうか。まぁ、いいや。ウマイと思えるものが増えたんだから。「丸儲け」だわな。

 また機会があったら、こういうお店に行きたいわ。
 次はいつになるかはわからないけれども。

投稿者 jun : 2005年4月 4日 21:20


アクセス

 僕にとって、とても印象深い雑誌「アクセス」を、先日、研究室の掃除のときに見つけた(アクセスのことについては、2004年12月28日の日記をご覧ください。大学生協が発行している雑誌でした)。

2004年12月28日の日記
http://www.nakahara-lab.net/2004diary12.html
IMG_0601.jpg


IMG_0603.jpg


 1枚目の写真にあるように、この雑誌が発刊されたのは1995年。僕がまだ駒場で学んでいた頃である。

 2枚目の写真には、当時の大阪大学の研究室のWebが掲載されている。このころ、Webサイトをもっている研究室はとても珍しかったことを思い出す(特に文系、教育系ではほとんど皆無!)。

 当時の僕は、まさか自分がこの大学院に進学し、研究を志すとは思っていなかったことであろう。

 懐かしい、あまりに懐かしい。

投稿者 jun : 2005年4月 3日 21:15


セルフプロデュース

 時は「セルフプロデュース」「自己演出」の時代。そんな時代、「全くの無名人が、自らファンクラブをつくったらどうなるか」。そんな挑戦するのは、古くからの友人「松岡君」。

 松岡君のWeb
 http://axis.milkcafe.to/fanclub/index.html

 僕のファンクラブ
 http://fanclub.ameblo.jp/

 これまでいくつかのトンデモないコンテンツを生み出してきた彼だが、今回のも笑いなしでは読むことはできない。もしお暇ならどうぞ。

投稿者 jun : 2005年4月 2日 22:46


ウチのオカン法

 先日、ある雑誌を読んでいて、ホホーと思った格言。イギリスのある高名な物理学者の名言なのだという。

いかなる問題もバーの女性に説明できるようでなければならない

 この格言、「バーの女性」を低く見ているので、明らかにポリティカリーコレクトではないような気もする。だけれども、まぁ、そう青筋立てずに、建設的に一番言いたいことをさぐると、なるほどな、と頷いてしまう。

 要は、モノゴトを説明するときには、「誰が聞いてもわかるように説明しなさいよ」ということだと思う。

 皮肉なことに、あなたが「誰が聞いてもわかるだろうと思ってする説明」は決して、どんなにつとめたとしても、「誰が聞いてもわかる」ようにはならないものである。だけれども、「誰が聞いてもわかる」ようにしようと思わなければ、結果はより悲惨である。

 この格言とはちょっと違うんだけど、僕は、何かモノを開発するとき、いつも口癖のように言うことがある。それを「ウチのオカン法」っていうんだけどね。

そのプロダクトのよさは、ウチのオカンにわかるかな? そのプロダクトは、ウチのオカンでもピンとくるかな?

 と問うんですね。先日の○○省の会議のときにもつい言ってしまいました。

「この試みは、たとえばウチのオカンにでもその意義がわかるでしょうか」

 この問いに耐えられる教育システム、教育ソフトウェア、教材は、だいたい開発の方針を間違えないのではないでしょうか?

 すまん、ウチのオカン。

投稿者 jun : 2005年4月 2日 00:55


異動のお知らせ&サイトリニューアル

異動のお知らせ

拝啓 皆様方には益々ご健勝のこととお喜び申し上げます。
                     さて 私儀
4月1日より東京大学 大学総合教育研究センターに講師として勤務することになりました。

4月以降は、「東京大学学内の教育の情報化」を推進する各種プロジェクトに従事する予定です。またこれまで同様、協調学習研究、企業を対象にした学習研究も行っていきたいと考えています。

独立行政法人 メディア教育開発センター在勤中は公私共に格別のご厚情とご指導を賜り厚くお礼申し上げます。

新任地でも新たな決意で微力ながら今後一層努力する所存でございますので何卒よろしくご指導下さいますようお願い申し上げます。

まずは略儀ながら書中をもってお礼に併せ皆様方のご健康とご多幸をお祈り申し上げます

敬具
平成17年4月1日

中原 淳

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NAKAHARA-LAB.NET blogの開設について

 このたび、20万アクセスを達成できたこと&異動を記念して、NAKAHARA-LAB.NETを大幅にリニューアルしました。一言でいうと、Movable Typeというblogツールによるサイトの運営がスタートします。このことによって、日記をお読み頂いている方には、コメントやトラックバックをしていただけるようになります。もしよろしければ、お願い致します。もちろん従来までのコンテンツも、これまでどおり公開致します。

 このリニューアルをきっかけに、この場をよりステキなサイトにしていければと考えています。
 どうぞよろしくお願い致します。

平成17年4月1日

中原 淳

投稿者 jun : 2005年4月 1日 10:00