「はじっこ」が好きな人へ朗報

 ケーキやパンなどで、「はじっこ」の取り合いをしたことはないだろうか。

 クリスピーな「はじっこ」を好む人は、結構多い。かくいう僕も「はじっこ好き(Ege Lover:エッジラバー)」だけれども、競争率が高いので、たまに悔しい思いをしている。

 そんな「はじっこ好き」に朗報です。

 今日の「百式」では、こんなアイデア商品が紹介されていた。要するに「どこをサーブされても、はじっこのクリスピーな部分を楽しめるbケーキ(ブラウニー)ができあがる「型」です(教えてくれてありがとう、百式管理人さん)。

bakersedge
http://www.bakersedge.com/

商品説明のビデオ
http://www.bakersedge.com/anim/flash.html

 これはすごい商品だと思う。日本全国の「エッジラバー」たちも救われるね。これで競争が少なくなるといいんだけどなぁ。

 それにしても、「はじっこ好き」が、ユニバーサルな嗜好だとは思わなかった。世界中には、僕と同じような嗜好をもった人がたくさんいるんだなぁ・・・。

投稿者 jun : 2007年3月31日 16:19


ネットカフェ難民からマック難民

 最近、ニュース等をにぎわしているネットカフェ難民が、マクドナルドに流入しているそうです。「マクドナルド化する社会」ならぬ、「ホテル化するマクドナルド」とは。

ネットカフェ難民からマック難民
http://www.j-cast.com/2007/03/30006518.html

投稿者 jun : 2007年3月30日 21:40


行列のできるアイスクリーム屋さん:Cold Stone Creamery:コールド・ストーン・クリーマリーに行ってみた!

 ちょっと前のことになりますが、最近巷で話題になっている「行列のできるアイスクリーム屋さん」の「Cold Stone Creamery:コールド・ストーン・クリーマリー」に行ってきました。アメリカで大人気?らしいです。カミサンの希望、絶対服従。

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コールドストーン
http://www.coldstonecreamery.co.jp/index.html

コールドストーンのアイスクリームは、単に「よっこらしょとアイスクリームをスプーンですくって」盛りつけられるわけではありません。

 マイナス9度の石の板の上で、アイスクリームをいろいろなトッピングと一緒に「混ぜる」ところが、この店のウリということになるでしょうか。

 この日は、看板メニューの「ストロベリー・ショートケーキ・セレナーデ」を注文しました。要するに「いちごケーキ」に「アイスクリーム」を混ぜたものです。

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 まず、店員さんはアイスクリームを1スクープとります。それを冷たい石版の上にのっけて、嬉しそうにスポンジやイチゴと混ぜ始めます。

 数分に一度、店員さんが英語の歌を大合唱しはじめます。

「一郎さんの牧場で、イーアイ・イーアイ・オー」

 と歌い始めました。もちろん、英語で。何言っているかわかんないけど。こういうのを聞いていると、行列で待っている時間も、あまり長いと感じませんね。演出がディズニー風で笑えます。

「ストロベリー・ショートケーキ・セレナーデ」は、予想よりも甘くなく、美味しかった。アメリカのお店だと思って警戒してたんだけど、そんなことはなかった。

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 「イチゴケーキにアイスクリームをのっけて食べたらおいしいだろうな」と思いませんか。1粒で2度おいしい、とはこのことかもしれません。

 Webを見ると、いろんな場所に出店をはじめているようです。ぜひ、お店を見つけたら、食べてみてください。

投稿者 jun : 2007年3月30日 20:08


まだ事件を追っているか:江戸川乱歩・少年探偵団シリーズ

 先日、家の近くの図書館に出かけたら、懐かしい本を見つけた。江戸川乱歩の「少年探偵団シリーズ」である。

IMG_7304.JPG

 うーん、懐かしい。20年ぶりのご対面である。

 小学校高学年のある時期、僕が学校に通っていた最大の理由は、この本を図書館で読むことであった。そう言っても過言ではない。それくらい、僕は江戸川乱歩にハマッていた。

 僕以外にもハマってしまった同級生は何人もいた。有志で少年探偵団を自ら組織した。自分たちで苦労して、7つ道具を集めた。なるべく小さく道具をまとめられた奴が勝ちだった。

 少年探偵団は次第に活動を活発化しはじめる。「野瀬の靴が隠された事件」とか「給食のジャムが1個盗まれた事件」とか、今となっては、どーでもよい事件を自分たちの力で解決しようとした。

 もちろん、ひとつとしてまともに解決できたものはなかった。話を余計ややこしくして、先生にバレて殴られた。

「奇面城の秘密」を手に取る。

 これは僕が一番好きだった話だ。かつて食い入るように見つめた文章に、懐かしさがこみあげた。そして、僕が「遠く」に来てしまったことを感じた。

 あの頃の少年探偵団のメンバーは、今、どこで何をしているだろうか。

 日々の仕事に邁進しているか、それとも、疲れているか。家族をもっているのか、誰かの父親になっているか。

 ・・・今もなお、7つ道具を持って、新しい事件を追っているのか。

投稿者 jun : 2007年3月30日 09:44


ノートPCの頑丈さの理由:田園都市線のラッシュ

 なぜ最近のノートPCは、イナバの物置じゃあるまいし、「頑丈さ」をウリにしているのか?

 先日、研究室を訪れたある人と、こんな話題になりました。このことは、僕、ずっと疑問だったんだけど、ようやくナゾがとけました。なるほど、そういうことだったんですね。

 その人が教えてくれたのですが、「通勤電車でノートPCが壊れちゃう」ってことが本当にあるんですね。知らないあいだに、液晶がバキバキに割れてた、みたいな。だから「頑丈さ」なんですね。

 なにやら聞くところによると、東急・田園都市線のラッシュは、とんでもないみたいですね。で、Let's Noteは、田園都市線のラッシュに耐えられる筐体をつくろうとした、と聞きました。

IT MEDIA
http://plusd.itmedia.co.jp/pcupdate/articles/0504/26/news104.html
 
 特に二子玉川 - 渋谷間の乗車率は、194%だとか。田園都市線のラッシュに僕は乗ったことはないので、その惨状がわからないですけど。

 ラッシュというと、井の頭線とか、小田急線がワースト1なのかと思っていたけど、そうじゃないんですね。井の頭線は、何度か「駒場東大前」で降りることができなくって、渋谷まで連れて行かれました・・・ドナドナ状態だ。うーん、それよりスゴイんだ。

 田園都市線というと、超高級なイメージがあるけれどなぁ・・・。ぎゅうぎゅうなイメージはないよなぁ。

投稿者 jun : 2007年3月29日 15:13


ディーン&デルーカ(Dean & Deluca)のデリをお持ち帰り!

 子どもができてからというもの、我が家は「外」で食事を楽しむといったことができません。それまでは、さんざん外食を楽しんできたのにね。

 最近はこれといった趣味もなく、「食」にしか興味のない僕としては、どことなく寂しい限りでしたが、ひとつ活路を見いだしました。

 ズバリ、「デリ」!

 世の中には便利なものもあるのです。早速、ターミナル駅で、ディーン&デルーカのデリを買って帰ることにしました。まぁ、いうたら「オシャレお総菜」ですね。うまいものを家に持って帰ればいいのよ。

ディーン&デルーカ
http://www.deandeluca.co.jp/jp/

 いいね。特にお気に入りなのは、「鶏肉が上にのっかったジャンバラヤ」です。カミサンは、「オマエは肉食動物か?」と問い詰めたくなるほど、ガツガツ食っています。ガルルルルゥ。

dean1.jpg

 僕はふだんはほとんど肉を食べないのですが、これだけは別ですね。この味付けはなかなかマネできない。大変満足できます。

 あとヒットだったのは、エビとイカのマリネですね。これはエビがプリプリとしていてよかった。

dean2.jpg

 とにかく、ディーン&デルーカの料理は、細かいところに神経が行き届いています。

 たとえば、ラタトゥーユ。要するに「野菜のトマト煮込み」ですが、これもディテールが違う。トマトで煮込む前に、野菜がいったんグリルされている。その隠された香ばしさがいいのです。

 ディテールにこそ、神が宿る。

 次はね、もうターゲットが決まっているのです。次は、パークハイアットのデリ。今から楽しみです。なかなか新宿まで出る機会がないんだけどね。

パークハイアットのデリ
http://www.parkhyatttokyo.com/Facility/Shop/delicatessen.html

投稿者 jun : 2007年3月28日 20:30


フツーのアメリカの大学では?

 先日、東京大学で「アクティブラーニング」に関するワークショップが開催された。

 東京大学 大学総合教育研究センター マイクロソフト先進教育環境寄付研究部門の主催である。

マイクロソフト先進教育環境寄付研究部門
http://www.utmeet.jp/

 ワークショップでは、マイクロソフトリサーチのジェーン・プレイさん、ヴァージニア工科大学のジョセフ・トレントさんが登壇し、タブレットPCをどのように教育現場で利用できるか、についてソフトウェアの紹介がなされた。

 当日紹介されたソフトウェアのリストは、だいたい下記にある。

タブレットPCの教育利用
http://www.ee.vt.edu/~jgtront/tabletpc

 ---

 あとで聞いたところによると、ジョセフさんのつとめるヴァージニア工科大学では、1400名の新入生全員にタブレットPCを購入させ、授業に活用している、のだとか。

「それって、ファカルティのトレーニングをどうしてるの?」

 と聞いたら、ジョセフさんはこういっていた。

「それが問題だよ。年間数回ワークショップを開催して、それに出て、授業で使ってくれたら、新品のマシンをあげてるんだ。それがインセンティブだね」

 ---

 気になったのはジェーンさんが言っていた一言。

 ジェーンさんは、

「アメリカのほとんどの大学の授業は本当に画一的です。一流大学は別ですよ、でも、そういう大学はほんの一握り。ほとんどの大学では、どこの大学でも使っているテキストで、指導案どおりに板書して、生徒はそれを書き写しているだけ。大学教員は、変化を好まない。そんな授業でも変えようなんて思わない」

 真偽のほどはわからないけど、ちょっとイメージが違うよね。

 確かに、日本から視察にいく大学って、やれ、ハーヴァード、やれ、MIT、やれUC、やれスタンフォードですからね。それ以外の大学の日常については、あまり知られていないけど・・・。

 どうなんでしょうか。よーわからんけど。

投稿者 jun : 2007年3月28日 08:00


映画「ラフ」を見た!

 映画「ラフ」をビデオで見ました。
 
 
 
 
 
 
 
 ・・・うーん、もひとつ。

 といいますのは、「話の流れがわからなかった」のです。もしかして、僕の読解能力の欠如のせい、それとも酩酊のせい?

 でも、僕のようにマンガを読んだことのない人にとっては、ちょっと脚本の展開が唐突過ぎるのではないかと思います。

 話が結構飛ぶのですね。結局、「いつ、亜美がケイスケを好きになったんだろう・・・」。長澤まさみ、あなたは文句なしに可愛い。でも、わかんなかったなぁ。

 カミサンいわく

「マンガ全巻から脚本家が好きなシーンだけを集めてつないだように感じる」

 僕はマンガは読んだことがないので、真偽のほどは知りませんけれど。

 でも、考えたら大変だよねぇ。マンガ全巻を2時間に短縮する必要があるんだから・・・どうしても、アンソロジーになるよねぇ。しゃーない、まー、しゃーない。

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「ラフ」は、あだち充の最高傑作と言われているそうですね。あだち充といいますと、僕が小学生の頃、土曜日?だったか日曜日?だったかに、アニメ「タッチ」が放映されていました。

 タッチは話の展開の遅さで有名でした。達也が一球投げた瞬間に回想シーンに入って、そのまま20分。もう30分たって終わっちゃうけどという頃に、話が現実に戻ってきて、キャッチャーミットにボールがズドンと入る、みたいな感じ(笑)。

 その手法にすっかりのせられて、家族で毎週楽しみにしていたけどね。

 まぁ、いいです。話がそれた。

 今度、「ラフ」を大人買いしてみようと思います。何巻あるのかな? そんな暇あるんだか知らないけど。

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追伸.
「読書は仕事のうち」なので、だいたいどんな本でも忍耐強く読むことはできるのですが、下記の本には、悪戦苦闘しています。

 断っておきますが大変オモシロイ本です。まず、名前がキャッチーだ。「米国コミュニティにおいて、社会関係資本が20世紀末になって激減していく様子」を調査した大変アカデミックな本なのに、「孤独なボウリング」と名付けるとはね。こりゃ、一本とられた。

 個人としてボウリングを愛好する人は減っていないのに、社交としてのボウリング、ボーリングリーグに参加する人がが激減したのはなぜなのかってことですね。「社交としてのボーリングの現象」は社会関係資本が減少する象徴なのです。

 ただね、問題は「本の厚み」にある。600ページをゆうに超える大著なのですね。何ページ読んでも終わらない・・・たとえ「枕」にしたとしても「首を寝違えてしまうほど」の厚さですね。嗚呼。

投稿者 jun : 2007年3月27日 18:00


あなたの職場は「人を育てる環境」ですか?

 荒木さん(東大)、北村君(東大)、中原の共同研究で半年かけて開発した「仕事経験や職場環境に関するアンケート」・・・いわゆる、「ワークプレイスラーニング調査」のプレ調査が、いよいよ、はじまりました。

「プレ調査」とは、本格的な調査を前にして、質問の仕方、文言をチェックする意味で行います。

 今回は20名程度の方々に実際に質問紙に回答いただき、かつ、コメントをいただくことになっています。

 1通ずつ回答がかえってくるたびに、ドキドキしながらチェックしております。

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 本調査は、今年5月以降、数千名の規模で実施される予定です。なお、質問紙調査の分析に加えて、1)若手社員20名、2)人材育成担当者20名のインタビューも行う予定。質的データと量的データをあわせて、ものが言えるとよいのですが。

 これらの調査結果は、今後、学術論文のかたちで投稿される予定です。夏明けくらいになるでしょうか、定期的に研究会で検討し、順に投稿していくということになっています。

 また、さらに、それらの論文をリライトして、「人を育てる組織のデザイン」という本にする予定です。こちらの方は、ダイヤモンド社から来春以降に発刊される予定です。

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 前の本、「企業内人材育成入門」のキャッチコピーは、

 あなたの会社に、人を育てる科学はありますか?

 でした。この本のメインターゲットは、人材育成担当者ですね。

 今度の「人を育てる組織のデザイン」のキャッチコピーは、

 あなたの職場は「人を育てる環境」ですか?

 になる(?)予定です。というか、勝手にそう思ってるだけだけど。今度の本は、事業部の方にも読んでいただけるように執筆を進めていく予定です。

 嗚呼、忙しいね。
 でも、楽しいね。

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増刷、発売中!

あなたの会社に、人を育てる科学はありますか?

中原・荒木・北村・長岡・橋本著「企業内人材育成入門」、ダイアモンド社より、好評発売中です! ぜひ、ご一読いただければ幸いです。

投稿者 jun : 2007年3月27日 07:00


ダメージを食らう英単語

 model

 この英単語を発音するたびに嫌悪感に陥ります。「おー、我ながらなんつう発音だ!」という風に。うーん、嫌悪感というより、むしろダメージかな。modelは、僕の苦手な英単語。なかなか、うまく発音できません。

 modelの発音は「もでる」じゃないよ。どちらかというと、「まーどぅ」に近いんですよね。まーどぅ、まーどぅ・・・そうだよね、これに近い(ホンマかいな?)。

 悲劇的なことに、僕の専門領域では、よく使う言葉なのです。

 learning model
 teaching model

 といった具合にね。こうした単語を発音するたびに、「ぎゃぼ」「ゲホッ」とかって、ダメージを受けます。

 嗚呼、困ったものです。皆さんは、ダメージを食らう英単語をお持ちではないでしょうか。

 まーどぅ

投稿者 jun : 2007年3月26日 17:58


抱え込む子育て、ネットワーキングする子育て

「子育てをする」とは、いったい全体、何でしょうか。

 凡庸でいて酩酊気味の僕の頭脳では、どうせいくら考えても、明確な答えを出せるわけではないのですが、こういう形而上学的な問いを、最近、事あるごとに考えるようになりました。

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 当初 - つまりはタクの父親になった当初 - 僕のアタマの中にあった「子育て」のイメージは、「ミルクをあげること」「おしめをかえること」「一緒に遊ぶこと」でした。3点セットといってもよいね、これが子育て。

 要するに、タクという「か弱い存在」を、親としてケアすることが「子育て」であると思っていました。僕の子育て貢献度を勘案し、正確な表現をつとめるならば、ケアの「お手伝い」をする、といった表現になるのでしょうけれど。

 もちろん、その重要性はいささかも変わりません。が、最近、そうした「子育て」のイメージに加えて、ある考えがアタマをもたげているのです。

 語彙の少ない僕には、それが何かを完全に言い当てることは、まだできません。最初に謝っておくよ、ごめん。

 でもしかし、最近、「子育て」というものを、「地域や社会のネットワークに子どもを参加させていくプロセス」として捉えるべきなのではないか、という思いが、僕の中でフツフツとわいてきているのです。

 そして、そのためには親自身も、地域や社会のネットワークに参加する必要があるんじゃないか、と思うようになっている。

 ちょっと難しく言いましたけど、簡単なことです。

 タクはしばらく、今、僕が住んでいる街で生きていくでしょう。ここには、タクと同じ年齢くらいの子どもがたくさんいます。そして、そういう子どもをもつ親がいる。

 そうした人たちの中には、相互扶助的な「つながり」が既に形成されている。これは「目に見えません」が、確実にある。で、もう少し大きくなったら、そうしたつながりに、いろいろと参加していきたいなぁ、と思うようになったのです。

「大学教員としての中原」ではなく、「A地域で子育てをする親」として。

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「夫婦がどういった役割分担をしているか」という問題と、「夫婦をとりまく地域ネットワークが、どれだけ緊密であるか」という問題の関係を調べる、という研究パラダイムを提唱したのは、エリザベス=ボットやウェルマンの研究に端を発します。

 これを敷衍して考えるに、「子育てに対する夫婦の関与」と「地域ネットワークへの参与の度合い」は、関係していることが容易に予想されます。

 で、僕は、最近、下記のような仮説がアタマから離れないのです。

「親も子どももハッピーになれる子育て=家族みんなでハッピーになる」は、その「子育て」が、どれほど、地域ネットワークの緊密さに支えられていたのか、どうかに関係するのではないか、と。

「親も子どももハッピーになる=家族みんなでハッピーになる」という、我が家の方針については、前にblogで書きました。

家族みんなのハッピー度
http://www.nakahara-lab.net/blog/2007/02/post_759.html

 ここまでをまとめますと、下記のようになります。

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1.母親が一人で子育てに取り組むよりは、父親もサポートしたほうがいい

2.父親と母親だけで子育てを担おうとするよりは、ネットワークに参加し、相互に援助行動を求めた方がいい

3.その方が、多様な人に出会える分だけ、子どもの教育機会やしつけが増大する可能性が高い

4.その方が、子育ての負担は軽減され、親もハッピーな子育てができる=親の満足度が向上する

 ---

 ということになりますでしょうか。

 もちろん、これは仮説。何の検証も経ていない「僕の世迷いごと」です。門外漢なので、無責任に言い放ちます。他人に勧める気は皆無ですので、ご心配なく。

 でも、何となく、いろいろな人たちの子育てを見るにつけ、そう思ってしまうのです。一言でいうと、「抱え込む子育て」は、少なくとも我が家が目指すべきところではないな、と。それよりは、「ネットワーキングする子育て」がいいなぁ、と。

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 アタリマエのことですが、子どもは一人で大きくなれません。そこには、親からのサポートが絶対に必要です。

 でも、もしかすると、子育ては、「親と子どもの関係」だけで捉えるべきではないのかもしれません。

 子育ては、「親と子どもの関係」に加えて、親と子どをとりまく「地域ネットワークの参加のプロセス」と捉えるといいのかもね、そう最近考えています。まぁ、言うのは簡単なんだけどね。

 ちょっとマジメな話になりました。
 こんなことをヘラヘラ考えているのは、僕だけでしょうか。まぁ、いいや。

投稿者 jun : 2007年3月26日 09:28


オーガニックレストラン「みどりえ」からお取り寄せ

 先日、オーガニックレストランの「みどりえ」から、料理を取り寄せた。

オーガニックレストラン「みどりえ」
http://www.midorie-organic.com/

 子どもができてからというもの、なかなか「食道楽」ができないので、こういうサービスは大変助かる。

 みどりえのサービスでは、産直の有機野菜や、放し飼いでのびのび育った地鶏、自然卵、オーガニック調味料を使用して、無添加で調理された料理が真空パックで届く。

ryouri.jpg

 真空パックなので、あとは湯煎するだけで、すぐに食卓に並びます。もちろん、変な保存料とかは入ってないよ。とても簡単。

 今回は、「豆7種類のカレー」「旬野菜のスペインオムレツ」「地鶏と根菜のハーブロースト」「バナナパウンドケーキ」を食べた。

chiken.jpg

 どれもおいしいかった。バナナパウンドケーキはあまり甘くないので、「甘いモノ」が苦手な人にも楽しめると思う。

 ホワイトデー&いつも子育てお疲れ様、ということでした。

 ---

追伸.
 タクは7キロになりました。最近は、オシャレも楽しんでいます。バンダナ風のスタイをカミサンが入手。こちらを巻いております。

takutoskarf.jpg

 最近、起こった変化。

・暇さえあれば、ゆびをしゃぶっている
・目の前にモノを差し出すと、両手でそれをつかむ
・起きている時間が長い
・首が少しずつしっかりとしてきた
・足を使ってカラダの向きを変えたりする
・カラダのそりが非常に強くなってきた

 東京はサクラの開花宣言。大学のサクラもそろそろだろうか。近いうちに、タクを連れて行こうと思う。

mafura.jpg

投稿者 jun : 2007年3月26日 07:00


「誰」が助けてくれるのか?:オンライン教育のメンタリング

「世はインターネット時代」というけれど、遠隔で動機を維持しながら学ぶことって、やっぱり難しい。

 だから、オンライン教育には、「遠隔で学習者の相談にのってくれる人=メンター」が不可欠である、と言われている。

 このメンターに関して、先日、T大学のY君に、こんな話を聞いた。

 オンライン教育を提供している英国オープンユニバーシティでは(日本でいえば放送大学?)、オンライン教育のメンターには、異性をつけるのだという。

 男性の学習者には、異性のメンターを。女性の学習者には、男性のメンターを。その方が、メンターへの学習相談が増し、結果として学習継続率が向上するのだそうだ。男性ばかりでなく、女性の学習者の場合も。

 学習理論云々で説明できる話ではない。でも、人間とは、そういうものなのだから仕方がない。

「誰」が助けてくれるかは、一見些末な問いのように思われるかもしれないけど、とても重要である。

投稿者 jun : 2007年3月25日 10:35


国産セカンドライフ(Second Life)登場?:Splumeのこと

 今期開設の大学院授業「デジタル教材設計論」の最終レポートを、

「最近流行の3D仮想環境を教育に活用するのだとしたら、どういうかたちがあり得るか、実際利用して、提案しなさい」

 というものにしようと思っています。その関係で、いろいろと「それ関係」のニュースを見てまわっているのですが、また新しいサービスがでてきましたね。国産Second Lifeというふれこみで、先日、プレスリリースされた「splume:スプリューム」です。先日、ワールドビジネスサテライトでも紹介されたのでご存じの方も多いかと思います。

splume:スプリューム
http://www.splume.com/service/jp/index.html

日本版Second Lifeとなるか? オープンな国産仮想世界「splume」が登場
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20345490,00.htm

 いろいろ違いがあるのですが、まず真っ先に言えることは、アバターが可愛い。なんで、アメリカのキャラって、あんなに可愛くないんだろう。

 あとは、ユーザーが自分の空間を自分のサーバにもてるらしい。詳しい機構はよくわかんないんだけど・・・これはAPIを公開するってことかな?

 ともかく、仮想環境系は、「がっぽり儲けたるでー」と思っている業界の鼻息が荒い人たちが、今、最も注目しているサービスですね。Wiiとか、PS3もそれ風のサービスを展開していくので、さらに競争も激しくなるのではないでしょうか。

 僕個人の感覚では、

 1)既存のSNSなど、既に大量の会員をもっている組織がベースになること
 2)特殊なプラグインなどのインストールが一切必要ないこと
 3)操作がめちゃめちゃ簡単でサクサク感があること

 がブレイクのポイントかなぁ・・・思っているのですけれども。「自分の空間をもてる」というのは、ビジネスモデルの確立のためには必要なんだけど、一般ユーザーへの訴求ポイントではないような気がする。

 まぁ、いいや。どうせ最終レポート課題を決めるのは7月ですので、それまで虎視眈々とニュースをウォッチすることにします。

投稿者 jun : 2007年3月24日 05:00


「評価が難しい」本当の理由

「教材や研修の評価法が問題だって、何十年にもわたって、言われているんですよね。でも、問題であることがクリアになってるのなら、誰かが智恵をしぼって、方法を考えて、解決できそうなものじゃないですか・・・なんで、いつまでも解決できないんだろう?」

 先日、僕の研究室を訪れたある人が、こんなことをつぶやいた。

 この問いに対する答えは、いくつもいくつも考えつく。でも、最大の理由は、比較的身近でポリティカルな要因だったりする。
 本当に問題になっているのは「教材や研修の評価法がわかんないよー」ってことではない、ということではないだろうか。

 問題なのは「教材や研修の評価法」ではない。「実務家が評価を行うときには、自分のポジションを脅かしかねない悪い結果をだすことができない」ということなのではないだろうか。

 少し考えてみればわかるとおり、実務家にとって、自分の開発した教材や研修を評価するという行為自体が、実は、リスクを含んでいる。

 教材や研修が「実務に使われるもの」ではなく研究開発であるならば、

 「評価結果、イマイチでしたね、デヘ」

 ですむかもしれない(うまくいくことがわかっているなら、研究なんてしなくてもよい!)。でも、組織が莫大な費用を投下して行われる、いわゆる「業務」であるならばそうはいかない。

 結果が悪かった場合、「オマエ、何やっていたの?」と言われかねない。そうした事態が長く続けば、責任をとらせられ、その後のキャリアにも響くかもしれない。

 まして、昨今は「上」の目も厳しい。「いろいろお金かけたけど、で、それって、どういう効果があったの?」と聞かれる機会は、従来より格段にあがっている。

 「評価すか? やっぱ、やらなきゃダメすか、デヘ」
 「モトなんて全然とれませんでした、ぎゃぼ」

 なんてとても言えない。

 でも、評価を一度やったことのある人なら同意してくれると思うけど、「確実によい結果がでますー」なんてことは絶対に保証はできない。
 評価の結果なんて、よくて、「うまくいったところ」が半分、「芳しくない結果」が半分くらいが妥当なものではないだろうか。

 つまり、「評価をやること」も「芳しくない結果がでること」も避けられない。とすれば、そこには、ある種の「戦略」が必要になる。

 もちろん「ウソ」をつくことはできない。ウソはいかん、ウソは。
 戦略的に評価項目を設定し、ある部分は「うまくいきました」、ある部分は「課題が残りました」というような「説得のロジック=本人にとっては生存戦略」をつくらなくてはならない。これが、実は、言うのは簡単だけど、とても難しいのではないかと推察する

 前にも言ったかもしれないけれど、「評価」には王道はない。もちろん、ここでいう「戦略」にも「ロジック」にも王道はない。
 どの組織も異なった政治力学の上で成立している以上、「評価ロジック構築の政治学」も異なるのがアタリマエである。結局は、その組織ごとに、そうした戦略やロジックを見いだす必要がある。

 評価・・・。それは、簡単なようでいて、難しい。ひとたびマジメに考え出すと、次々と問題が噴出してくる。それは「パンドラの箱」のようでもある。

投稿者 jun : 2007年3月23日 11:25


Youtubeの動画をダウンロードする方法

 日頃、他人から「お役立ちなサイト」を教えてもらうことはあっても、他人に教えることの少ない僕ですが、これはイケルのでは、というサイトを見つけましたので、ここで公開。

 「You tube」の動画=flvをダウンロードすることのできるサイトです。先日、たまたまWebを検索していて見つけた。なんと、単に動画を落とせるだけでなく、aviやmpeg4に変換までしてくれる。Webでそこまでできるんだね。ワタクシ、もう、これの虜です。

Vixy.net
http://vixy.net/

 知ってた? これまた失礼。

投稿者 jun : 2007年3月23日 02:03


学位授与式

 今日、東大では学位授与式(卒業式)がとりおこなわれている。キャンパスのあちらこちらでは、ガウンと帽子をまとった大学院修了者たちが、見受けられる。「ニュー修士」「ニュー博士」たちの顔は、すこぶる明るい。

 僕の頃には、ガウンや帽子を着るなんて風習はなかった。あったのかもしれないけど、誰も着ている人はいなかったなぁ。イベント好きの僕としては、羨ましい。いいね、こういうの。

 お昼は研究室で修了生の皆さんと「卒業おめでとうランチ」でした。で、学生さんに帽子を借りて、わたくしも一枚。

P1100277.jpg

 なんか、「黒い菱餅をアタマにのっけたような」感じになっているけど・・・。僕の「デカイ頭」には、帽子がはまらなかった・・・帽子のサイズ緩くなっていたらゴメン。

 ---
追伸. おまけ
 風呂場で遊んでみた。

omake.jpg

投稿者 jun : 2007年3月22日 15:09


NHKスペシャル「学校って何ですか?」

 ひとつ前のエントリーでは、僕はこう書いた。

>世論の盛り上がりとは対照的に、いっこうに
>聞こえてこない「声」がある。
>沈黙している主体、あるいは沈黙を迫られ、
>圧殺されている主体がある。
>今日のNHKスペシャルでは、彼らの声を拾う
>ことができるだろうか。

 圧殺されている「声」の主とは、もちろん、日々現場で子どもと格闘している「教師」である。

 ---

 10分ほど前、NHKスペシャル「学校って何ですか?」の前半が終わった。

 学校選択制度に揺れる現場の姿、矢継ぎ早にもたらされる改革に疲弊する現場の姿が、とてもよく描かれていた、と思う。大変勉強になった。

 10時からは、徹底討論がある。スタジオの「識者」たちは、この現場からの「声」にどう答えうるか。

 とても楽しみだ。
  
  
  
  
 ・・・と気分良くワインを飲んでいたら、タクがブリブリブリと大量の「大」。
 なんて量だ・・・。
 不覚にも、ケツをふいてる間に、「爪の間」に「大」が入った。
 爪楊枝でほじくっても、なかなか、とれん(涙)。

投稿者 jun : 2007年3月21日 20:54


揺れる「学校」と「教師」:ガイアの夜明けとNHKスペシャル

「学校とは何か」「教師とは何か」がこれほど揺れている時代も珍しい。

「学校」や「教師」という存在が、所与のものとして疑われず、学校内外で起こる社会的課題に対処することが求められる、いわゆる「教育問題」の構図と、現代のポストモダン的状況は、一線を画する。

 問われているのは「学校」であり「教師」である。教育現場で「アタリマエ」とされてきたものの脱構築が、とめどもない勢いで進んでいる。

 ---

 たとえば、「学校」の場合、「一人一人が自分の能力にしたがって学力をつける場所が学校なのか」、それとも、「生徒が学びあう場所が学校なのか」、はたまた「そのどちらでもないのか」。このような問いが、今、渦巻いている。

 「何を行う場所が学校なのか」
 皆が知りたがっている。

 後者の場合も同じ様相を呈する。「授業を教えることが教員の仕事なのか」、それとも、「学校経営にも参画することが教員の仕事なのか」、はたまた「そのどちらでもないのか」。

 「何をする人間が教師なのか」
 各方面から意見が噴出している。

 ---

 揺れる「学校」「教師」を前に、国民の注目も集まっている。

 昨夜の「ガイアの夜明け」は、テーマが学校・教師だった。ビジネスマンを対象にした番組であるのにもかかわらず、珍しく「カネにならない話題」が特集されていたと思う。

ガイアの夜明け
http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber/preview070320.html

 番組では、

○学校選択制度によって、生徒獲得競争が激化している品川区 東海中学校の現状

品川区 東海中学校
http://www1.cts.ne.jp/~tokai/

○教員に成果主義を導入し、360度アンケートなどの結果をボーナス査定に盛り込んだ、郁文館夢学園の取り組み

郁文館夢学園
http://www.ikubunkan.ed.jp/

○通常の公立校の10倍の予算をかけて、学力向上に取り組む九段の中高一貫校、九段中等教育学校の取り組み

九段中等教育学校
http://www.kudan.ed.jp/

 などが紹介されていた。

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 ちなみに、今日の7時30分からのNHKスペシャルは「学校って何ですか」である。10時からの第二部徹底討論とあわせて、ほぼ3時間の特集を組んでいる。

NHKスペシャル
http://www.nhk.or.jp/special/onair/070321.html

 ---

 しかし、世論の盛り上がりとは対照的に、いっこうに聞こえてこない「声」がある。沈黙している主体、あるいは沈黙を迫られ、圧殺されている主体がある。

 今日のNHKスペシャルでは、彼らの声を拾うことができるだろうか。楽しみにしている。

投稿者 jun : 2007年3月21日 09:10


レゴエデュケーションセンターの見学

 先日、Learning barで講師をつとめてくださった石原社長が経営している「子ども向けのLEGOスクール」を、昨日見学させていただいた。

Learning bar
http://www.nakahara-lab.net/blog/2007/03/lego_serious_play_2.html

LEGO Education Center
http://www.mdstorm.com/class/index.htm

 訪れたのは、吉祥寺の校舎。ここでは、2歳から12歳までの約180名の子どもたちが、1週間に一度、LEGOブロックをつかった作品作りに取り組んでいるという。

lego1.jpg

 作品づくりといっても、単に自分の好きなカタチをつくるというだけではない。

 1年生~2年生では、てこ、クランク、滑車、ギアなどの機構を学びはじめ、3年生くらいからは、Mindstorm(ROBOLAB)というソフトウェアを使った制御も学習する。

 指導案・カリキュラム、ワークシートを見せてもらったが、非常に見事なものだった(石原社長はレゴ本社でグローバルカリキュラムの開発にも携わっていらっしゃるそうだ)。

 レッスンは最大で5名の子どもたちに1名の先生がついて行われる。この日は、先生1人につき2名のグループと、1人につき3名のグループ、計2グループ5名が同じ時間に学習していた。

 中には、ワイパーをつくっている子ども、キャタピラで戦車らしきものをつくってる子どもなどがいた。より高学年のレッスンでは、ROBOLABをロボットの制御に取り組んでいた。

「自分の子どもの頃に、こんな教材に出会っていたらなぁ」

 と、同行した大学院生も同じことを言っていたのが、印象的だった。

 僕自身は、オヤジが技術屋だったので、幸いに、電子工作などをする機会に恵まれた。が、やはり、それはかなり敷居が高い。とても子ども一人でできるものではなかった。
 かつて「電子工作」と呼ばれていたものの「本質」を手軽に行える、という意味では、素晴らしい教材だと思った。

 最後に見学をご快諾いただいた石原社長に、この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。

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追伸
プログラミング環境の「ROBOLAB」がめざましい発展を見せているのにびっくりした。

lego2.jpg

 今のROBOLABは、協調行動をプログラミングしたり、音楽を演奏したり、遠隔地のロボットを制御したりできるんですね。5年以上前、僕がLEGOのプロジェクトをやったときは、そんな機能はなかったけれど。これは、タフツ大学で開発されているそうです。留学していたときに、ぜひ、訪れたかったなぁ・・・。

Tuft University CEEO
http://www.ceeo.tufts.edu/

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追伸2.

 研究のネタを思いついた。コンストラクショニズムの学習効果に関する研究。様々な条件下でロボット制作などをやらせてみる実験的研究。コンストラクショニズムの学習効果というのは、あまり聞いたことがないなと思った。調べてないから、わかんないけど。

投稿者 jun : 2007年3月20日 15:25


アンパンマンのマーチ、恐るべし

 先日立ち寄ったオモチャ屋さんで、アンパンマンの歌がBGMとしてかかっていたので、何の気なしに聞いていた。

 ほんでびっくり。何がびっくりかというと、その歌詞です。かなり哲学的な内容を含む歌なのですね。

 果てしなく続くように感じる日常の中で「生きることの意味」を問い続けよ。そうすることで、生きること自体の喜びをつかむことができるだろう、と。

 そんな難しい内容を、声変わりもしていないイノセントな少年少女たちが元気いっぱいに歌っているのです。そのアンバランスがたまらないですね。

 アンパンマン、恐るべし。

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アンパンマンのマーチ

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!

今を生きる ことで
熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ
ほほえんで

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのは いやだ!

忘れないで 夢を
こぼさないで 涙
だから 君は とぶんだ
どこまでも

そうだ おそれないで
みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

時は はやく すぎる
光る星は 消える
だから 君は いくんだ
ほほえんで
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ どんな敵が あいてでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

作詞:やなせたかし
作曲:三木たかし
編曲:大谷和夫

投稿者 jun : 2007年3月19日 17:00


赤ちゃんバーでリラックス?

「酸素バー」というのがありますね。「新鮮な酸素」を提供する、都会ならではのサービスです。先日、カミサンが街に行ったとき、酸素バーで酸素を吸いながら、読書をしている人を大勢見たそうです。同年代くらいの女性が主な顧客層だったそうですが・・・。

 僕は「酸素バー」には行きません。酸素に興味はないのです。それよりは、「赤ちゃんのにおい」を好んでおります。ミルクのにおいというのか、赤ちゃんは、独特の甘いにおいがしますね。これが(・∀・)イイ!

akachan_bar.jpg

 というわけで、今日もタクのにおいを、かいでいます。そしてリラックスをする。どこからどう見ても、完全に嫌がられているような気もしますけど、そんなことは気にしません。こんなワタクシは、変態でしょうか。

 「赤ちゃんバー」というのがあれば、絶対流行ると思うんだけどねぇ・・・。

takuto_hana.jpg

投稿者 jun : 2007年3月19日 08:00


レゴブロックでどんな研修ができるのか?

 昨日は、東京大学でLearning barが開かれました。

 今回のテーマは「レゴブロックを活用した企業人材育成ワークショップ」です。ラーニングシステムの石原正雄さんに講師をつとめていただきました。

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「レゴブロックと活用した人材育成」でもっとも有名な事例としては、グローバル化を推し進めているトヨタがありますね。

 トヨタは、海外の工場従業員に「カイゼン」の重要性を教えるために、レゴブロックをつかって、仮想自動車組み立てをさせているそうです。この様子は、2006年11月のNHKスペシャルで放映されていたので、ご記憶の方も多いのではないかと思います。

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 今回、Learning barでやったLEGO SERIOUS PLAYというワークショップは、どちらかというとトヨタのような「技能伝承系」ではなく、「組織開発系に属するワークショップ」だと思います。

 自分とは何?
 自分は他人からどのようにみられているか?
 業務と自分の関係は?
 業務と組織の関係は?
 何か問題が生じたときに組織や自分はどう変わるか?

 というコンセプチャルな課題に対して、アタマを使って、いかに具体的に考えさせるか、ということが重視されています。

 ワークショップの基本設計原理は、

1.自分の手で作品をつくりながら
2.他者に公開(expose)し
3.それをもとに意味を語り合い
4.少しずつ理解や合意をつくる
5.その中で個人が「気づく」

 という幹事になっています。

 最初は「わたし」というミクロレヴェルの問いからはじまり、次第に組織のレベル、組織をとりかこむエコシステムまでを視野にいれた話に発展していくのですね。

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 この日のワークショップの準備は、中原、中原研究室・山内研究室の院生さん、坂本君、レゴ社の方、ラーニングシステムズの方で行いました(本当にお疲れ様でした)。

 ワインを12本、ビールを3ダース注文。品川のDean & DelucaにDELIを買いに行ってきました。

dean.jpg

僕はDELIを買いに行ったのですが、40人分のDELIというと、ちょっと想像がつかないものですね。店員さんのアドバイスを受けながら、何とかゲット。会場設営等は、本当に時間ぎりぎりでヒヤヒヤしましたが、何とか間に合いました。

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 いよいよワークショップがはじまります。

zenkei.jpg

 今日のワークショップでは、LEGO SERIOUS PLAYの数日あるカリキュラムの中から、ほんの一部を体験していただくことになりました。

 石原さんの方から課題が出されます。

 第一課題は、

「できるだけ高い作品を、できるだけ早くつくってください」

 この課題は本筋の課題とは異なり、「レゴブロックになれる」「ワークショップの雰囲気になれる」ための事前課題ですね。

1kadai.jpg

 課題の遂行最中には、他の人の様子を見てもよいです。情報交換などをして、自分のモデルをカイゼンしていきます。

1kadai2.jpg

 テーブルには、6人で座っていただきましたが、作品をつくっているうちに、うち解けてきて、次第にコミュニケーションなども生まれてきました。

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 続いて第二課題。

 第二課題は、「自分の業務を表現する」です。

2kadai.jpg

 いよいよ少しずつ、それっぽい話になってきましたね。皆さん一心不乱で課題に取り組みます。自分の業務ねぇ・・・。中には、なかなか作品をつくることができずに、立ち往生している人もいます。

 石原さんがこう言います。

「皆さんのつくった作品こそが言葉です、創ることがコミュニケーションです。自分の手を信じてください、とにかく手を動かしてください」

 こう書くと、なんか不思議な台詞ですが、これはいわゆるシーモア=パパートの提唱した「Constructionism : コンストラクショニズム」を一言で言い当てる言葉ですね。メモしとこ。

 そうこうしているうちに、皆さん、全然違うかたちをつくりあげました。自分の作品をつかって、グループに自分の業務を説明するセッションがはじまります。

2kadai2.jpg

 聞いている人も、黙って聞いているわけではありません。「ここがこういうカタチになっているのはなぜ?」という風に、具体的な対話が生まれます。

 組織の中での自分のポジション、自分のやりたいことと、やらなければならないこととの相克・・・なかなか深いところまで議論が進んでいきます。

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 第三課題は、

「Who are you? : 自分とは何かを表現する」

 です。

 これは、第二課題に似ているところもありますが、一方は「業務」、他方は「自分」であるところが違いですね。2つのカタチが重なる人もいれば、重ならない人もいるでしょう。

3kadai.jpg

 第三課題は、作品制作後の「語りあい」のところで、少し工夫がなされます。

3kadai2.jpg

 席をひとつずらして、自分の作品を、グループの他の人に解釈してもらうのです。その間、自分は、他人が解釈してくれる「自分」=それは他者からみた自分に耳を傾けます。

3kadai3.jpg

 すごい盛り上がりです。「わかる、わかる」「なるほどねぇ」というような声が、ここかしこから聞こえるようになりました。

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 ここでLEGOのワークショップはおしまいです。数日あるワークショップの一部を再現する時間しかありませんでしたので。

poster.jpg

 その後は、「レゴブロックは他にどんな教育場面で利用できそうか」というテーマで、グループディスカッションをしました。

poster2.jpg

 20分間グループで話し合って、ポスターに考えをまとめ、全員の前で発表してもらいます。20分という時間の制約のなかで、いかに話をまとめるか。

poster3.jpg

poster4.jpg

 ポスター発表では、

・研修のアイスブレーキングに使う
・お互いに仲が悪いと思って連携がとれない教員同士の研修に使う
・新入社員のキャリアディベロップメント研修に使う
・家族再生会議?

 といったようなアイデアがだされました。皆さん、実務担当者の方が多かったので、その内容が非常にバリエーションにとんでいました。

poster5.jpg

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 今回のワークショップを僕自身がリフレクションしてみますと、レゴを使う利点は下記のようにまとめられるのではないかと思います。

 まず、ブロックは「The object to feel or think with」として機能するということです。

「突然話せって言われても・・・・」「突然考えろと言われても・・・・」というような課題に対して、ブロックがあるからこそ、「具体的に考えることができる」のでしょう。

 また、カタチがあるからこそ、「具体的にコメントできる」のでしょう。

 そのためのコミュニケーションや思考の媒介物として、レゴのシンプルな構造は、シンボルとしてうまく機能するのでしょうね。

「複雑すぎてもダメ、シンプル過ぎてもダメ」

 なのです。

 一般に「実体のないものは、なかなか、教えられない」ものです。たとえば、価値観、戦略、関係、倫理、アイデンティティ、リーダーシップといったものを教える、というのは、どこか変な気がする。

 しかし、「教室で、誰かが一方向的に伝えることでは伝えられないものこそ、把握して欲しい」というような社会的ニーズは、高まるばかりです。

「伝えられないもの」は、やはり自分のアタマで考えて、つくって、はじめて腑に落ちるのでしょうね。さらにこれに経験が加わることで、ようやく「わかる」のではないかと思います。

 そのための事前課題のひとつとして、Legoはとても有益だなぁ、と思いました。

nakaharabar.jpg

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 最後になりますが、今回のワークショップ開催を快諾してくださり、デンマークから人数分の非売品レゴブロックを取り寄せていただいた石原正雄社長に、この場を借りて感謝いたします。

 本当にありがとうございました。

talk.jpg

 ---

追伸.
 Learning barは、NPO法人 Educe Technologiesの社会貢献事業のひとつです。収益の一部を還元することで、教育に関連のある人々が集まり、最先端の話題に耳を傾け、ネットワーキングする機会を提供しています。

投稿者 jun : 2007年3月18日 08:00


アクティブラーニングワークショップ:学生を惹きつける授業をつくる

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International Workshop on Active Learning
アクティブラーニングワークショップ:
学生を惹きつける授業をつくる
同時通訳あり:限定20名
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 いま国内外でアクティブラーニングが注目されて
います.しかし,学生が関心を持って主体的にかか
わる授業をつくるのは大変です.

 このワークショップでは,これを効果的に進めて
いくためのソフトウェアと利用のノウハウを公開し
ます.

 たとえば、化学の分子構造式を入力すると,その
構造を三次元に可視化してくれるソフトウェアは,
有機化学を学び始めた学生にとっては,分子構造を
自ら試行錯誤しながら,効率的に学ぶことができ,
先生にとっては指導の労力を効率化してくれます.

 また,ソフトウェアの利用方法やプログラミング
の指導を効果的にするために,あたかも黒板を使う
ように,パソコン画面上に直接指導内容を書き込む
ことができるソフトウェアもあります.これは,学
生が主体的に何かの文章,作品,ソフトウェアを作
るような授業で,指導の労力を効率化します.

 そのほかにもいくつかのソフトウェアの使い方を,
実際にそのソフトウェアに触れていただきながらご
紹介します.また授業で効率的・効果的に使う上で
のtipsをご紹介します.

一部のソフトウェアは,CD-ROMでお持ち帰りいただ
けます.


□日時:3月26日(月) 14:00~17:00

□場所:東京大学 工学部2号館93B教室

□主催:東京大学大学総合教育研究センター
    マイクロソフト先進教育環境寄附研究部門

□協力:美馬秀樹・東京大学大学院工学系研究科附属
         工学教育推進機構特任助教授
    ペン入力コミュニティー
    主査:五十嵐健夫
       (東京大学情報理工学研究科助教授)
    
□定員:20名

□講師:Joseph G. Tront教授(バージニア工科大学)
    Jane Prey博士(Microsoft Research)
    (同時通訳がつきます)

□内容:
 セッションでは2時間をかけて,アクティ
ブ・ラーニングの効果的な実現に役立つソフトをご
紹介するとともに,実際にさわっていただいて使い
方を学びます.また,どのようにして授業を簡単か
つ効率的にするか,そのtipsを事例を交えてご紹介
します.

□参加費用:無料

□応募方法:
 3月23日(金)までに,電子メールで

 meet [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jp

 あてに

 「所属」
 「お名前」
 「ご連絡先」

 を明記の上,お申し込みください.

 なお,人数多数の場合,先着順とさせていただ
きます.

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投稿者 jun : 2007年3月17日 18:05


人前で喋るコツ

 仕事柄、多くの人の前で話すことが、求められます。多い場合には、数百人という方々の前で、話さなくてはなりません。

 あまり見た目にはわからないようですが、そういう時の僕は、例外なく緊張しています。

「ヘタうったら、どないしよー」

 と、胃はキリキリと痛みますし、手や背中に汗もかきます。

「穴があったら入りたい、そしてすべてを忘れたい」

 と思うときもないわけではありません。

 ただ、前にでたら、もう「まな鯉」です。もうヤケクソ。「ミスッても、知ったこっちゃねーぞ。オレを呼んだ奴も悪い」と開き直ります。それで、ヘラヘラと余計なことまでしゃべり出す。

 でも、なかなか人前でしゃべるというのは難しいですね。ポリティカリーコレクトな表現を心がけなければなりませんし、かといって、オモロイことも言わなアカン。
 その上、シンポジウムとか、パネルディスカッションとかは、とんでもない角度から質問がきたり、とんでもない話題を司会者から振られたりするのです。死ぬよ、マジで。

「コラ、おっさん、何聞いとんじゃ。世界人類の難問を、オレに求めるんじゃねー」

「コラ、そんな政治的に微妙なこと聞くんじゃねー」

 と心の中では腸煮えくりかえりつつも、笑顔で何かを答えなければなりません。答えられなければ「負け」なのです。

「なるほど、そうですねー。大変ユニークな質問ですね」

 と言いながら、考えること1秒。その場で思いついたことを、ササッと語らなければならないのです。

 最初はなかなかこういうことができませんでしたが、だんだんとコツをつかんできました。

 こういう時にとっても役に立つ言い回しを、3つだけ紹介しましょう。

 ---

1.難しい問いなので直接答えになるかどうかはわかりませんが・・・

2.~と、言える場合もあります

3.それはそうと、実はね、ここだけの話なんですが・・・

 ---

 まず1は、おまじないみたいなものです。この言葉を言い訳にして、話題を「自分の土俵に引きずり込む」のです。

 たとえば、僕の場合だと、どんなネタを振られても、お得意の「教育ネタ」「学習ネタ」にもっていきます。政治の話題であろうが、経済の話題であろうが、最後は「教育ネタ」です。

 自分の土俵以外では、絶対に勝負をしません。「議論では、決して相手の土俵にはのらない」これがポイントなのではないかと思います。

 ---

 次に2です。

 シンポジウムにしても、パネルにしても、基本的には「断定」を求められます。「Aもあるし、Bもある」は、学者としては真摯な態度です。が、なかなかそれでは話が進まない。

 いくつか理由はあるのですが、最大の理由は、「Aも正しい、Bも正しい」という議論は、聴衆がほぼ理解不能だからです。聞いている人は、あなたの話を何の視覚的てがかりなしで聞き取り、瞬時に理解しなくてはなりません。そういう状況では、シンプルな図式や論理展開しか理解されないのです。

 とはいえ、ウソもつけません。じゃあ、どうするか。
 そこで活躍するのが、「と、言える場合もあります」という発言です。

「~です」といっているのではなく、あくまで「言える場合がありまっせ」です。「言って悪い場合」も当然あるでしょう。その可能性を完全に否定しないことがポイントです。

 ---

 3の「それはそうと、実はね、ここだけの話なんですが・・・」という台詞もなかなか効果的です。

 まず「それはそうと」で、自分に苦手な話題を避ける。で、その後で、「実はね、ここだけトークなんだけど」と語りかけるのです。

「それはそうと、で話題を避けたのは、別にオレ自身が話題を避けたかったからじゃなくて、もっとオモシロイ、ここだけの話をお話しするためなんですよ」

 というニュアンスをこめて、こういうのです。

 人は「物語」や「逸話」から理解を進めることが多い。自分の経験やエピソードにねざした「ここだけトーク」はかなり好感触であることが多いです。

 ---

 なんか、こういうことを書いてると、「セコイ研究者」にみられてしまいそうですね(笑)。「内容で勝負できないんですか、あなたは」、と。結構、結構けだらけ、猫はいだらけ、おしりのまわりは、クソだらけ。

 もちろん!もちろん! 話す内容が重要なことは言うまでもありませんし、不肖中原、内容を常に新しいものにしようと心がけています。

 ただ、シンポジウムやパネルというのは、どことなく「格闘技」に似ています。

「自分の話したい正しいこと」を素直に話させてくれればいいのですが、相手によっては、「いかにシンポジストやパネリストを困らせるか」「いかに答えにくいことを振るか」しか考えない人もいます。とんでもないところから「便所スリッパ」でアタマをパコーンとやられるんです。

 ですので、レトリックが必要だと思うのですね。便所スリッパでパコーンとやられないための「盾」をもつべきではないでしょうか。

 まぁ、そういうレトリックを駆使しても、人に伝えることは本当に難しいのですけれども・・・。

 人前で喋ることは、僕の一生の課題だと思います。

投稿者 jun : 2007年3月17日 08:00


都内のおいしい弁当

 先日、ある番組の収録で、芸能人の方から、「テレビの人なら誰でも知っている、都内のおいしいお弁当屋さん」を教えてもらった。

金兵衛
http://www.kinbe.co.jp/index2.html

 その日は、たまたま、そこの弁当を食べたけど、たしかに美味しかった。「ハケンの品格」の「さばみそ」じゃないけど、ここの塩鯖は、なかなか食べられないね。さすが、魚屋さんの弁当だ。

 研究会とか、打ち合わせとかで弁当をとることが多くなってるからね、こういう情報は大変助かります。どうせ食べるなら、うまいものが食べたい。

 あと、下記も有名みたい。確かにロケ弁No.1って書いてあるな。

喜山飯店
http://kizanshop.jp/

津多屋(のり弁がいいらしい)
http://www.tutaben10.com/

 どなたか食べたことがある方がいたら、感想お寄せ下さい。

投稿者 jun : 2007年3月16日 17:00


セカンドライフで鼻息荒い

 日本ではこんな批評も飛び出している社会生活オンライン環境「セカンドライフ」。

セカンドライフ不人気の7つの理由
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0703/07/news074.html

スラド
http://slashdot.jp/askslashdot/article.pl?sid=07/03/08/2023223

 米国教育業界では、相変わらず!?「熱いテーマ」です。何とか教育に利用してやるもんねー(Educational Possiblity)、と鼻息の荒い人たちが、フンフン言いながら頑張っている。

 下記のニュースでは、オハイオ大学の学生が、リンデンラボと一緒に、NSFの1.7millionのグラントの一部を使って、Middle School向けの専用アイランドをつくったという話がのっていました。子ども向けに、教育にも利用できる「Safe environment(安全な環境)」をつくったというわけです。

The journal
http://www.thejournal.com/articles/20363

 ざっとしか読んでないけど、この学生は、地元の科学の教師といっしょに、科学の難しい概念を理解するためのゲームなんかを、セカンドライフに構築しているようです。

secondlifescience.jpg

 物理や化学などのある現象の一部を再現する従来のシミュレーションとは違って、自分がまさにシミュレーションの世界に「浸かっている(immersed)」しているところが、差異といえば差異かもしれません。

 全然関係ないかもしれないけど、以前、ある有名な教育学の先生が、「子どもが遊んでいるうちに、いろいろと学べるテーマパークをつくりたい」とおっしゃっていたのを思い出しました。あっ、そういえば、僕の先輩のある研究者は、「オレは、いつか学校をつくるぜ」とおっしゃっていました。

 セカンドライフなら、そういうのできるかもね。

投稿者 jun : 2007年3月16日 07:40


新しいアイデアをどのように発想するか?

 先日、山内・中原研究室の合同合宿が熱海で開かれました。いろんな意味で、熱い?合宿でした。幹事だった館野君、三宅さん、平野くん、お疲れ様でした。

 合宿では、特に「研究方法論や研究計画の大切さ」に関して、何度も何度も話しました。

「壊れたラジオ」のように、同じことを、手をかえ、品をかえ、表現をかえて、何度も何度も話したつもりです。きっと、わかっていただけたものと信じています。

 ---

 ミーティングでは、いろんな話をしましたが、僕としては、合宿の最後で語られた以下の問いが、とても気になっています。

「どうやって、新しい研究のアイデアを発想するのか」

 言葉を換えるのならば、ある種の「洞察」「ひらめき」をどのように発揮するか、ということになります。

 そのときは、思うにまかせて答えましたが、あとで整理してみると、いくつかの側面から多面的に、新しい研究を発想し、企画していることがわかりました。

 僕が新しい研究を生み出すときには、下記のようなプロセスをとるような気がするのです。
 
 ---

1.知的好奇心
2.オレが欲しいかテスト
3.カミサンテスト
4.よのなかアンテナからわきおこる制約
5.仮想敵さがし
6.自分の研究プランの立案

 ---

 まず何よりも真っ先に来るのは、「知的好奇心」ではないかと思います。月並みなのですが、ウソをつくわけにもいかないので、しゃーないね。

 自分が「好奇心がある」のかどうかはわかりません。ただ、人と比べて、かなり「ストライクゾーンは広い」と思います。よく言えば、「知的好奇心ありまくり」。悪く言えば「浮気性」。きっと、後者なんだろうけど。

 納豆は嫌いですし、話の長い会議はもっと嫌いです。ですが、僕は学問領域に「好き嫌い」はないのです。

 生物だろうと、経済だろうと、経営だろうと、医学だろうと、必要と思えばどんな本でも読みますし、よせばいいのに首をつっこみます(理解しているかは別問題)。で、自分とは違う領域であっても、何でもオモシロイと思えることは確かです。

 何かをオモシロイものを見つけたとき、僕は、その内容を「研究ネタ帳に密かに書き記しています。それには「紙」というソフトウェアを使っています。いつ役に立つかはわからないのですが、備忘録ということで。書き記したネタの99%は棄てられるのですけれども。

 ---

 次に思考実験してみるのは、「オレが欲しいかテスト法」です。オモシロイと思ったアイデアでも、「うーん、オレだったらいらねーな」と思ったものは、すぐに棄てます。

 研究として成立するネタであっても、棄てます。論文は書けそうでも棄てます。昔は棄てられませんでしたが、今は思い切って、棄てます。ポイポイ。

 冷めた目ではなく、情熱をもって研究を進めたいのです。そのためには、「オレも欲しいと思っているものをつくる」というのは、非常に重要だとわかったからです。

 ---

 「オレが欲しいかテスト」もクリアした。その頃になると、僕は、身近にいる同僚に、自分のアイデアをしゃべっていると思います。

「あのさ、こういうの考えたんだけど、どう思う?」
「こういうの、もしあったら、使う?」

 僕は、自分のセンスに自信はありません。センスのない人間にできることは、二つです。

 自分のセンスを磨くか
 センスのある人を見方につける

 です。

 でも、「自分のセンスの磨き方」をあいにく僕は知りません。なので、後者を選びました。

 そこで、センスがいいなぁと思う研究者仲間にすぐ相談するのです。

「うーん、これって、既に○○があるんじゃないの?」

 と言われたり、

「うーん、イマイチ」

 と言われたりします。

 そういうときは、「そっかー」と素直に引き下がることが多いです。だって、本当にそう思うんだもん。いかに自分が根拠なく、「熱」にとりつかれていたかがわかる瞬間です。

 研究者仲間と同時に「カミサンに聞く」ことも忘れません。

 カミサンは、テレビ番組をつくっているディレクターです。ディレクターというのは、「一般の人に、受け入れられるアイデアの幅」をよく知っています。ですので、率直に聞きます。

「もひとつやなー」

 と言われたり、

「それ、こうなったら、いいじゃないの?」

 と言われます。

 カミサンに聞いて、「もひとつやなー」という「ダメだし」が出たら、すべてアイデアを棄てます。昔は棄てられませんでした。が、今なら棄てます。別に、カミサンマンセーなわけではありません。教育工学研究の場合、研究の出口は、「一般の人」なのです。ですので、その可能性がないものを、それ以上、僕個人は追究したいとは思わなくなりました。

 ---

 次に活躍するのは、「よのなかアンテナ」です。別に、僕は「デムパ」ではありません。ただ、世の中の動きについては、かなり敏感に感じ取れるよう、努力はしているつもりです。

 主要なブログのヘッドラインを1日に数百ほど目をとおします。また、雑誌の類は、週に2日程度本屋によって、ざっとチェックします。新聞は、毎朝、切り抜きをするのが趣味です。

 そうやって集めた情報の中から、「自分のアイデアが、今、世の中で受け入れられるか」を検証します。

「アカデミズムは、流行・廃りに敏感になる必要などない。真実を追えばよい」

 という方もいらっしゃるかもしれませんが、僕個人は、そう思いません。

 僕の追っているものは、モノのコトワリではなく、人間の営みです。人間、この非合理なもの。追っているものが人間である場合、その「真実」こそが、常に移ろいゆくものだと思います。

 また、僕の考えでは、自分の専攻する「教育工学」を煮詰めていくと、結局は「教育のカイゼンにつながる可能性が高い」という1点が残るのだと思っています。ですので、「カイゼンに対するニーズ」があるのか、ないのかを検証することは、大変重要だと思っています。

 ---

 いよいよ大詰め「仮想敵探し」ですね。

 要するに、「先行研究をガガガと読み込んでいって、誰が何を言っているのかを調べる」ということです。

 僕の場合、数日かけて、図書館にこもってしまったりすることが多いです。あるいは、数十冊を関連書籍を「大人買い」して流し読みする。

 まとめ読みするのは、時間がないからです。毎日少しずつコツコツと読めるとよいのですけれど・・・なかなか専門書をそういう風によむ時間がありません。

 この文献調査では、自分のアイデアが、誰のどの意見と、どの点で違っているのかを調べます。ひとつひとつの文献の引用情報と主張をテキストエディタに書き込んでいきます。自分のアイデアとの相違を書きます。

 ここまでくると、100件あったアイデアは、ほぼ1つになるものです。

 「これしかありえん」

 といったものだけが残ります。

 ---

 で、研究計画を書くのですね。研究計画の書き方は、合宿でもさんざん述べましたように、基本は、

 One paperは
 One Problem
 One Solusion,
 One Method,
 One Conclusion

 です。これらが、すべて一貫した「一本の糸」でつながっていればいいのです。偉そうに言っていますが、これは、僕が指導教官から教わった「受け売り」です。決して「じゃんがらラーメン・全部入り」のような研究計画を書いてはいけません。

jangara.jpg

 おいしいからといって、「めんたいこ」「豚角煮」「たまご」「チャーシュー」・・・全部いれちゃダメなのです。

 心を鬼にして、ひとつに絞ってください(複数設ける高等テクもありますが、それはもう少し経験値を積んでからやってみたほうがいいのではないかと思います)。

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 今日は、「僕の研究の発想法」について、そのプロセスを書きました。なんだか合宿の延長みたいになっちゃったけど。もちろん、発想法なんて、いろいろあるでしょうし、僕なんかのそれは反面教師として読んでいただくのがいいと思います。

 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2007年3月14日 10:19


欲望はほどほどに満たす

 子どもの頃に「過剰に抑圧された欲望」は、大人になって爆発するのかもしれない、と無根拠に思う。

 たとえば、僕の場合は、「コーラ」。

 子どもの頃には、「コーラを飲むと骨が溶ける」と言われて、全く飲ませてもらえなかったのだけれど(これは僕だけ?)、それが、大人になってから爆発した。

 今ではかなり落ち着いたけど、一時期は、「麦茶」を飲むようにコーラばかり飲んでいました。まさに、コーラ病です。

 こういうの、皆さん、経験ありませんか?

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 逆に、「子どもの頃にやりすぎたもの」は、大人になってから、全く興味を示さなくなるってことも言えるかも。無根拠だけど。

 たとえば、僕の場合は、「じゃがいも」とかね。北海道生まれだったせいもあって、子どもの頃は、何かと「じゃがいも」を食べていたけど、今では、あんまり好きこのんで食べたいと思わない。「ラーメン」もわりかし、そうかもな。あんまり今更食べたいと思わないなぁ・・・。

 考えたら、例が、全部、食べ物じゃん。
 まぁ、ほどほどに満たすのがいいのかもね、欲望は。

投稿者 jun : 2007年3月14日 07:00


他人の人生を生きるな!:スティーブ・ジョブズの演説

「時間は限られてる。他人の人生を生きるな!」

 スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での演説は、何度かこのblogでも紹介してきたけれど、このセンテンスが、僕は、最も好きだったりする。

 以下、跳躍的超訳(一部略)。

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Remembering that I'll be dead soon is the most
important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life.

(いつだって自分が死と隣り合わせだって、意識することが、一番、重要なことなんだ。そう思うことで、人生の大きな決断が容易になるんだ)

all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure - these things just fall away in the face of death・・・

(他人からの期待、プライド、恥をかくことや失敗することに対する恐れの感情、その他モロモロ。そんなものは、「死」の前ではチンケなものにすぎない)

You are already naked. There is no reason not to follow your heart.

(僕らはいつだって素っ裸だ。自分の心のままに生きようとしない理由なんてあるのかい?)

Your time is limited, so don't waste it living someone else's life.

(時間は限られてる。だから、他人の人生を生きちゃいけない。時間を無駄になんかしちゃいけないんだ)

Stay Hungry. Stay Foolish...

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 先日のエントリーにも紹介したように、人間の自立は、彼をとりまく社会的ネットワークの中でのみ達成できる。しかし、だからといって「他人の人生を生きること」は避けなければならない。

 自分の心に耳を澄ます。

投稿者 jun : 2007年3月13日 05:00


子育てに優しい街:ベビーオアシスのこと

 ちょっと前のことになりますが、先日、ある方の出産祝いを買いに、自由が丘に出かけました。

 自由が丘には、インテリアのアクタスが、「親と子供の関係」をテーマに作ったショップがあるのです。ここには見ているだけで楽しい、デザイン系のベビーグッズが満載なのですね。

アクタスキッズ
http://www.actuskids.com/

 他人へのプレゼントを買うつもりが、結局、見ているうちに、自分の子どもにもいろいろ欲しくなり、また散財してしまいました。

 タクには、リングカード「あいうえお」を買ってあげた。あんまりデザインが可愛かったので。

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 結局、この日は、いくつかお店をハシゴしたのですが、街を歩いていて、つくづく思ったことがあります。

「買い物にでかけ、食事をとる」という、夫婦二人だけのときには何ともなかったことが、子ども連れだと、かなりの労力が必要になる、ということです。

 狭い店内や階段の中をベビーカーを持ち上げて移動すること。普通のレストランにはいって、いつ子どもが泣くかビクビクしながら、そーっと食事をとらなければならないこと。おむつ替えのできるところを探すこと・・・。

 本当に大変ですね。僕は、子どもを持つまでは、そういうのに、全く気づかなかったよ。

 特に、自由が丘のようなデパートのない街では、授乳室やおむつ替えの施設があまりないので、かなり苦労している方も多いのではないでしょうか。

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 結局、この日は有料ベビールームの「ベビーオアシス」へ行きました。

ベビーオアシス
http://babyoasis.cocolog-nifty.com/

 1時間あたり、1200円(親子1組)+400円(大人1人)で1600円で、休憩をすることができます。中には、プレイルーム、おむつ替えシート、授乳室などがあります。プレイルームには、プレイマットや木馬や絵本などが、たくさんおいてありました。ちなみに、大人はソフトドリンクが飲み放題になります。

mokuba.jpg

takuto_chichi.jpg

 マニアックな趣旨のお店だと思いますので、あんまり人がいないだろう、と思ったら、全然そんなことはなかった。ほぼ満員です。僕らが入店したときには、プレイルームは1歳児から2歳児の子どもで埋め尽くされていました。

 本当に、日本は少子化なのか?

 この店は、いわば、ママたちのコミュニティです。数人づれのママたちが、楽しく歓談していた。ここだったら、子どもが泣いても、グズッても、気兼ねはいらないしね。きっと、その場でお友達になることも多いのでしょう。

 閑話休題

「子育てする親に優しい街」が1つでも多く生まれること、そういう環境がアタリマエに利用できるようになること、を、やはり願わずにはいられません。

 親が、まずは子育てをエンジョイできること。それが、結局は、子どものためになるのではないかと思うのです。

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追伸.
 最近タクにおこった変化。「手」関係がかなり発達しているような気がします。

1.目の前にボールを持って行くと、手をだして握るようになりました。

2.プレイマットのカガミにも、手を伸ばすようになりました。手の長さは、まだ足りていないのですが、カラダをよじって、手を伸ばします。

3.うつぶせにしても、前ほど嫌がらなくなりました。首が強くなったのでしょうね。

IMG_1103.jpg

投稿者 jun : 2007年3月12日 19:43


固定電話としてのケータイ

 先日、ある学生さんから、こんなことを言われた。

「中原さん、いつかけても、ケータイにでないですね」

 そうですね、出ませんね(笑)。僕のケータイは、「固定電話」と言われていますので。

 だって、なかなか出る時間がないのですよね。連絡をいただくなら、メールが一番早いです。

 ごめんね、固定電話で。

投稿者 jun : 2007年3月11日 22:16


今日できなかったことは、明日できる?

 日々、タクは成長しています。

 昨日できなかったことが、今日はできる。今日できなかったことが、明日はできる。

 一方、昨日できたことが今日はなぜかできない。今日できたことが、明日にはできなくなるかもしれない。

 畢竟、成長とは「変化」です。
 「まばたき」すら許さぬ「変化」なのです。
 僕は、その「変化」を余すところなく見たいと思う。

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 タクには、最近こんな「変化」が起こっています。

 まず、いつも遊んでいる「サッシーのライオンマット」の上での遊び方が変わっています。

lionmat.jpg

1.最初は、マットの上で、ただ寝ている。
2.鏡に興味津々になり、見つめるようになる。
3.鏡の隣にあるきりんやピエロのマスコットに釘付けになる。
4.両脇の支柱に手をのばして、マスコットをゆらゆらさせて喜ぶようになる。
5.マスコットに自らに手をのばすようになる


★サッシーのライオンマット★

 何気ない動作ですが、こんなプロセスをたどっています。これが成長というものなのでしょうか。

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 あと、最近、何でも口にいれるようになってきています。下の写真は、「ボーネルンドのOボール」ですが、これを何とか食べようとしている。

 おい、それ食うな、お里が知れる。

 でも、当然のことながら「ボールは丸いから食べられない」。その様子が、とってもコミカルです。

ball.jpg


★ボーネルンドのボール★

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 まだまだ首は座っていません。先日、北海道のジイジ、バアバに、「バンボ」の椅子を買ってもらいましたが、これに今の段階で座っても、首がグラグラです。

 おー、危ないったら、ありゃしない。ほとんど「酔っぱらい」です。なんか新橋とかにいそう。サラリーマンクイズとかやってそう。

bambo.jpg


★バンボチェア★

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 さて、次はどんな「変化」があるでしょうか。
 楽しみでなりません。

投稿者 jun : 2007年3月11日 06:00


研修の評価は、そもそも難しい

「評価がうまくいかないんですよね・・・最近、上とか事業部から突き上げがすごくて。逢うたびに、ピーチクパーチクうるさいんですよ。どうすればいいのでしょうか」

 こういう悩みを、組織人材育成の担当者から、よく聞く。ウソ言ったね、今。「ピーチク、パーチク」は僕の創作。

 確かに、この言葉には確かに同情を禁じ得ないけれど、言外の意味は違っていたりする。

 正しくは、

「上を説得できる結果は、どうすれば出せるのでしょうか」

 である。

 うーん、「そういうのあったら教えて欲しいよなー」と思いつつ、そのたびごとに窓から遠くを見て、僕は考える。

 少し考えてみればわかることだけど、この問題は、実際なかなか解決が難しい問題であることに気づく。

 「どういう評価をするのか」云々の前に、下記のような「制約」が課されているからだ。

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1.研修で、統制群をつくることはありえない

2.評価にはエキストラのお金はかけられない

3.データ解析、実験計画を熟知している人的リソースは活用できない

4.評価では「研修に対する満足度」だけでなく、「成績の伸び」「受講者の行動変容」「それによって得られたプロフィット」を説明することが求められている

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 大学関係者で「評価」をやったことのある人なら、「なんじゃこりゃー」と言いたくなる(松田優作・・・ちと古い?)。あるいは、「ちゃぶ台」を確実にひっくりかえすくらいの「制約」である。

 僕に言わせれば、これだけ「エベレスト級の、いやいや、チョモランマ級の制約」を課しておいて、それでなおかつ「説得的な評価をせよ・・・できれば行動もプロフィットも説明してね」という「上」や「事業部」とかの方がどうかしてる、と思うのだが、いかがだろうか。

 でもね、やらなければならないんだよね。それでも、結果をださなければならないんです。

 だったらどうするか。大学の関係者が考えるような「評価」とは言わずとも、何とかかんとか説明のつくような方法はあるか・・・。

 夕飯食べながら、ボーッと考えましたが、まずひとつ言えることは「一概に言える万能な方法はありません」。ないよね、そんなの。

 やはり、組織ごとにケースバイケースで、どれだけのデータを収集できるか、ひとつひとつお聞きしないと何とも言えない。でも、逆にそのデータの幅が決まったら、あとは、そのデータに従って、どうロジックをつくるかないな、と思う。

 これは知り合いのKさんに指摘されたことなのですが、「そもそもデータを取り方がキモだよね・・・意外にそれが見落とされてる」と。僕もそう思いました。

 つまり、

 誰の
 どのような行動や意識を
 何と見立てるか

 このあたりの、そもそもデータ収集について、あまり注目されていない。
 
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 というわけで、はっきり断言すると、「データの取り方を工夫すると、何とかなる場合がある」と思います。

 でも、「何とかなる場合をつくる」には、「いろいろ考えることがある」ということでしょうか。それには、ディスカッションを重ねてロジックを見定める必要がある。

 ・・・何だかオチがあったんだか、なかったんだかよくわかんない結論だな、我ながら。今週アタマから火がでるほど忙しかったので、許してください。

 Have a nice weekend!
 ちなみに、僕は週末は合宿。

投稿者 jun : 2007年3月 9日 23:21


グローバル時代の人材育成

 ある出版社の方のご紹介で、某大手企業(仮にA社と呼ぶ)の育成担当者の方とお会いした。

 A社は、アメリカ、ヨーロッパなどに生産拠点(工場)をもっているグローバル企業。「グローバルで活躍できる人材をいかに育成するか」が、大きな経営課題になっている。

 伺った話はどれも考えさせられるものだったが、特に興味をもったのは、「日本人なら誰しも持っているメンタリティや、ドミナントな思考形式を、いかにして、海外の人間に伝えるか」という話であった。

 たとえば、今仮に「OJT=仕事をしながら学ぶ」という考え方を、海外の従業員に伝えたいのだとする。

 最近は機能不全になっているは言われているけれど、日本人にとって、「上司は部下を指導するものであり、部下はその中で学ぶ」といったことは、程度の差こそはあれ自明である。

 ただ、相手が異なった人種であるとそうはいかない。「文化の衣」が全く異なるからである。
 たとえば、アメリカ人の場合、上司のジョブディスクリプションの中に「部下の指導」が明示されていない場合、それを敢えて行う必要がないと考えるし、それにはextra badgetが必要だと考える傾向があるそうだ。

 まして、部下の方も上司から「仕事をしていて、何か気になることがあったかい?」と聞かれると、「No problem!」と答えることが、コレクトだとされている。業務を遂行する上での自分の課題を相談したりすることは、ほとんどあり得ない。「Problemがあった」なんて安易に答えようものなら、責任をとらされてしまうからである。

 部下も上司もこんな調子であるから「OJT=仕事をしながら学ぶ」ということを伝えようとしても、文化的コンフリクトを起こしてしまい、なかなかうまくいかない。

 しかし、そうは言っても、手をこまねいて見ているわけにはいかない。グローバル化を推進する企業にとって、その企業がもつ価値観やマインドを伝えられないことは、企業としても、クライシスを意味する。何とかして伝えなければならない。

 それではどうするか?

 ここで採用されるのが2点突破戦略だ。つまり、「物語」と「データ」という2点をもって説得するのである。

 ひとつは、創業時からの物語やエピソードを徹底的に語り、「A社がなぜ、今のような状況になっているか」をゆっくり時間をかけて理解してもらう。

 一方でアメリカ人、ヨーロッパ人にもわかるように、ロジカルに数字で訴える。「OJTをやれば、長期的にどの程度パフォーマンスが向上しうるのか、短期的には損でも長期的には必ずメリットがあること」をデータをもって語る。

 A社では、そんな2点突破戦略を駆使して、日本人にとってはドミナントな思考や価値観を、伝えようとしているそうだ。ブルーナー風に言うならば、ナラティヴモードと、パラディグマティックモードの両面から、説得を試みるわけである。この話が大変興味深かった。

 畢竟、グローバルの人材育成とは、「文化的コンフリクトとの果てしない戦い」である。A社はその最先端をいく企業であるが、今後、様々な企業が同じようなことを経験するんだろうなぁ・・・と思った。

投稿者 jun : 2007年3月 8日 14:40


著作権は儲かる?

 今週号の東洋経済は「著作権は儲かる!」という特集だった。著作権の概要、プロフィットを生み出す仕組みづくり、そして紛争事例・・・大変わかりやすかった。

 特集を読みながら思ったこと。

 著作権とは、とどのつまり、「ゼロサムのポリティカルゲーム」である。

 誰かが「誰かのコンテンツ」を自由に利用できれば、誰がか「自分のコンテンツ」を無料で使われる。これが問題の根本である。一言で言えば、「誰かが得をすれば、誰かが損をする」ってことです。

 権利を生み出すためには、権利を主張し、社会を納得させなければならない。そうでなければ、誰も「他人」のために権利をつくってくれたりしない。だって、ゼロサムなんだから。

 つまり、権利を獲得したいのなら、利害をともにする人々があつまって利益団体をつくり、運動を行うことがどうしても必要になる。最近でいうならば、漫画家の貸本屋に対する著作権侵害の闘争、映画監督の著作権の主張などが、これにあたる。

 ひるがえって教育業界では、著作権に対する運動は、あまり取り組みがなされていない。もちろん、みんな「何とかしてちょ」とは思っている。「こんな縛りがあったら、授業で使えねーべ」と思っている。

 だけれど、個人のレベルでは、いろいろ言っていても、組織的な取り組みというと、ほとんどないのではないかと思う。

 「教育のことなんだから・・・」「という理屈で、著作権の特例を、「誰か」がつくってくれることを、「みんな」が待っている状況にある。

 しかし、昨今の状況を見るに権利保有者側の著作権意識は日に日に高まるばかりで、そういう「特例」を「誰か」がつくってくれるのは、なかなか難しくなりそうだな、と思った。

 このあたり、どこか中立機関が、そうした運動の舵取りをやりつつ、教育機関を巻き込んでいかなければならないのではないか、と思った。

 教育業界だと、どこの組織がそういう取りまとめをすればよいのだろうか・・・。義務教育なら? 高等教育なら? うーん、どこなんだろう・・・。

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追伸.
 先日、写真館で子どもの100日記念の撮影をした。実は、このとき「権利のパワー」を思い知らされた。

 なんと、ミッキーマウスのぬいぐるみを、子どもの横において撮影した写真には、なんと追加料金が1000円もかかるのである。

 通常の撮影費用は5000円弱。フレームの中にミッキーマウスのぬいぐるみが入るだけで、それが6000円になる。もちろん、その費用の大部分は、ディズニー社に上納されるんだろう・・・。

 いったん確立されたキャラクターというのは、こうやって、お金を生み出し続けるんだ、と恐れ入った。

 結局、ミッキーのぬいぐるみは、却下したけどね。

投稿者 jun : 2007年3月 8日 08:51


教職大学院の創設

 教職大学院の概要が文部科学省から発表されましたね。

文部科学省
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/19/03/07030503.htm

 目標には、現在の教育現場が構造的に抱える人材育成の課題である、下記の2点が明記されています。

1.実践的な指導力を備えた新人教員の養成
2.現職教員を対象に、スクールリーダーの養成

 特徴的なのは下記でしょうか。

1.教職修士(専門職)の学位をだすこと
2.修了要件のうち、10単位以上は小学校等を活用した小学校等の教育に関する実習であること
3.連携協力を行う小学校等(連携協力校)を確保しなければならないこと
4.4割以上の実務家教員(小学校等の教員としての実務の経験を有する者)を確保しなければならないこと

 どのくらいの規模で運営するかに依存するのですけれど、4を確保するのはかなり難しくなるだろうなぁ、と感じました。そんなことはないですか?

 残りの6割は、現在の既存の教員で兼任するとして、この4割をいかに確保するか。もし立ち上げるのであるのならば、地元の教育委員会や小学校、中学校と組織的連携を行うことになるのでしょうか。

 結局、どこの大学が名乗りをあげるんだろう。いくつかの大学は絶対に手をあげるにしても。法科大学院のときのようになるんだろうか。

 当事者ではないので勝手な想像ですが、既存の大学院との関係をどうするか、既存の学部との接合をどうするか、など解決しなければならない問題が結構多そうな感じがします。

 いずれにしても、平成20年4月から開学ですので、名乗りをあげる大学は水面下で急ピッチで準備を続けているのでしょうね。お疲れさまです。

投稿者 jun : 2007年3月 8日 06:35


リクルートMS・組織行動研究所の研究者訪問

 リクルートマネジメントソリューションズ・組織行動研究所の「研究者訪問」でインタビューが紹介されました。「大放談」ですが、もしよろしければ。

教育学者の目からみた企業人材育成とは
http://www.recruit-ms.co.jp/research/visit/index.html

 タイトルを見て、思わず名著「河童がのぞいたインド」を思い出した。妹尾さんのこのシリーズは、学部時代にむさぼるように読みました。

 教育学者が覗いた企業・・・いいネーミングだなぁ。

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追伸.
 リクルート組織行動研究所では、僕が学部時代に受けた講義でTAをしてくださった先輩にお会いしました。10年以上お会いしていなかったのですが・・・世界は狭いねー。

投稿者 jun : 2007年3月 7日 16:12


人材育成担当者による定期的な研究会を開きたい

 最近、組織人材育成担当者の方々が参加できる定期的な勉強会(研究会)を開催できないものか、と思っています。

 著書の中では、「研究会をやります!」と宣言していたのですが、定期的に開催できるものは、次の本の企画をねったり、質問紙をつくったり、ワークショップを考えたりで、今まで取り組んでいませんでした(不定期のものは結構開いてきたと思います)。

 人数的に集まっていただけるかどうか不安であった、ということもあります。ですが、最近、このあたりは何とかメドがつきそうな感じもしてきました。

 もし実現できるのならば、僕には思うところがあります。

 何よりも、勉強会を「プロフェッショナルが学ぶのに適したスタイル」で実現したいと思うのです。

 よく知られているように、医者、弁護士の学習の形態は、ケースメソッドです。お互いが事例報告を行い、その後でそれに関連する理論やデータを検討していく。その際の参考書には拙著を用いてもよいかもしれません。

「判例研究」「症例研究」がプロフェッショナルの学びの中核をなしています。ぜひ、組織内人材育成の担当者の方々の会も、そういうかたちで実現するのがよいのではないかな、と思うのです。まぁ、このあたりは参加していただける方とのすりあわせで決めようと思いますが。

 あとは、どこが主催になって行うか、参加資格をどうするか、など考えるべき点がずいぶんあります。こういうのは大切ですね。結構神経を使うところです。研究会とは、やはり相互貢献、つまりは互恵的な場であるべきです。

 このあたりをどうしようか、今しばらく考えてみたいと思います。

投稿者 jun : 2007年3月 7日 06:00


タク生後100日、学研「ひみつシリーズ」

 数日前から北海道の実家の両親が上京していた。タクにはじめて逢いきてくれた。昨日は、ちょうどタクの生後100日記念でもあったので、みんなで祝った。お食い初めの漆器は、奈良のジイジ、バアバに買ってもらった。ありがとうございます。カミサン、1料理準備お疲れ様(鯛のウロコとりに前日苦戦していた)。

 タクは、北海道のジイジ、バアバに遊んでもらい、とても嬉しそうだった。最近、首もだいぶ座ってきたし、キャッ、キャッと笑うようにもなってきた。ありがとう>北海道のジイジ、バアバ。

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 夕食の際、僕の子どもの頃の話になった。

「給料が出るたびに、好きな本を1冊ずつ買ってあげたのがよかったのかもしれない。一気に高価な図鑑を揃えるよりも、その方がいいんじゃないだろうか。もっとも、うちには、図鑑をセットでどーんと買うようなお金はなかったけれど。

その月の1冊を選ぶために、1時間も2時間も本屋をくまなく歩く。選んだ1冊を、一月かけて、何度も何度も読む。高価な本を与えても、子どもが全然読まないという悩みは、よく聞く。1冊ずつ好きな本を選ばせた方がいいのではないか」

 なにせ25年以上前のことだから、僕にはほとんど記憶はない。でも、月に1度、デパートにいき、本を買ってもらい、外食をして帰ってくるスペシャルな日があったことは、はっきりと覚えている。

 当時、いろいろな本を読んでいたと思うけれど、特に学研の学習マンガ「ひみつシリーズ」は、本がボロボロになるまで読んだ覚えがある。

「からだのひみつ」「飛行機・ロケットのひみつ」「ロボットのひみつ」「スペースシャトルのひみつ」「自動車のひみつ」・・・こうして並べてみると、どれも理系チックなタイトルばかりだが、その名前を思い出すだけで、懐かしい。

 残念なことに、これらの本は、今は売っていないようである。先日、本屋さんに出かけてみたけれど、学習マンガはあることにはあるけれど、どうも昔のものとはテイストがかなり異なっていた。

 当時僕がむさぼるように読んでいた本を、もう一度読んでみたいと思う。25年前、自分が何に知的好奇心を覚えていたのか、もう一度、当時の目線でおっかけてみたい。

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追伸.
 100日の記念に写真館に行った。スタジオアリスという子ども写真館最大手。

 子どもはすぐにグズったり、泣いたりする。写真を撮るのはホントウに一苦労なのに、そのテクニックに舌を巻いた。

 中でも「うちわテク」はすごい。子どもに突然強い風をおくると、驚いて、子どもは笑う。その一瞬を逃さない。

momotarou.jpg

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投稿者 jun : 2007年3月 6日 10:08


自立している人間とは誰か?:内田樹氏「期間限定の思想」

 内田樹氏の「期間限定の思想2」を読んだ。相変わらず切れ味が鋭い。

「自立している人間とはどういう人を言うのか?」

 あなたならこう問われたらどう答えるか。内田氏なら、こう答える。

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 支えてくれるものに頼って立つのが「非-自立者」で、支えを求めてくれるものを利用して立つのが「自立者」なのだ(中略)

(前者は)「どこかに堅牢な基盤があるにちがいない」と信じて、それを必死に探しながら他者と関係している。

 一方は、「どこにも堅牢な基盤などない」ことを知っていて、他者との「やりとり」の中江バランスを保つことに集中している。

 その意識の照準のあわせ方がちがうのだ。

「自立者」というのは堅牢な基盤の上に立っているもののことではない。そうでなはなく、「自分が」つかまっているもの、「自分に」つかまっているもの、そういったすべての関係するファクターの織りなすネットワークのうちに、自分の「いるべき場所」を見つけ出すことのできる人間のことなのだ。

(p24より引用)

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 激しく同意する。人間とは、交換・贈与自体に快楽を見いだす。他者との贈与・交換の網の目のなかに、自分はある。このあたりは、最近、僕も勉強をしている「社会観系資本」の議論に通ずるところがある。

 おなじ論法で「なぜ仕事をするのか?」という問いにも答えうる。

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 仕事をするというのは、他者を目指してパスをだす、というただそれ「だけ」のことである。

 私たちは、「自分のために」「自分に向けて」「自分になにかを もたらし来すいために」仕事をしているのではない。

 思慮のない若者は、「自己実現のために」とか「オレの生き様を示すために」とか「自分探し?」とかいうが、それは貨幣の意味も市場の意味も知らない人間の寝言である。

 仕事の本質は、他者をめざす運動性のうちにある。

(p47より引用)

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 いかがだろうか。
 
 最後にもうひとつだけ紹介しよう。最後のお題は、

「なぜ、居酒屋風教育談義が跳梁跋扈するのか?」

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「ほんとうのこと」というのは、決してきっぱり言い切ることのできないものなのだ。私たちは、常に言い過ぎるか、良い足りないか、どちらかであって、決して言いたいことを過不足なく言うということはおこらない。

「ほんとうのこと」を言おうとする人間には、誰も真剣には耳を傾けてくれない。だって、「何」を言っているんだかわかんないんだから。ぐちゃぐちゃしていて(中略)。

人間の社会では、他者に対して政治的優位に立ちたければ、「断定できないこと」についてさえ断定的に語ることが必要であり、断定的に語るためには、自分の「ほんとうに思っていること」を言おうとしてはならず、「誰かが断定的に言ったこと」を繰り返すしかないのだ。

(中略)社会的に非力でものを知らない人間ほど、より断定的になる・・・

(p57より引用)

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 この指摘は切ない。

投稿者 jun : 2007年3月 5日 09:00


伏線

 土曜日は某番組の収録だった。朝っぱらから仕事をした。疲れた。その後、同年代の某先生と某ホテルのカフェで、少し話をした。久しぶりのことだった。

「自分たちは、研究者としてどう生きていくべきか?」

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 研究の仕事は「自己決定・自己責任」である。

「やることなすこと、自分の好き勝手できる」と言えば聞こえはいいけれど、「何から何まで自分で決めて、自分でやって、自分で責任をとらなければならない」というのは、想像以上にシンドイ世界である。

 特に就職してしまった後は、お互いに専門職なので、自分が間違った方向に進んでしまっていても、なかなか他者は指摘してくれない。そういう意味で、気の置ける同年代の研究者との会話は、とてもありがたい。

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 僕も最近、思うところがある。

「自分の領域として守るもの」と「訣別するもの」を、密かに選別している。1年から2年かけて、大きく方針転換をする。今はそのための伏線を密かにはっている。

投稿者 jun : 2007年3月 5日 07:00


人事、教育、事業部、トップのディスコミュニケーション

 組織にはいろいろな定義がありますが、それは「コミュニケーションの束」と見立てることもできます。そして、どんな組織にも「ディスコミュニケーション(コミュニケーションの断絶)」は存在します。

 誤解、無理解、葛藤、断絶。「人がいるところに、ディスコミュニケーションが存在する」といっても過言ではありません。

 もちろん、企業・組織の「人材育成」を行う部署にも、それは存在しています。

 ここ数年、僕は、様々な組織人材育成の担当者の方々とおつきあいしたり、ディスカッションさせていただく機会を得てきました。が、次第に、そこに存在する「ディスコミュニーケーション」に気づくようになってきました。

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 僕が「教育屋」という「圧倒的外部」の目で企業や組織に接しているせいでしょうか。僕の目には、「人材育成」をめぐるディスコミュニケーション」は、幾重にも重なって存在しているように映るのです。

 こんなことを書くと、また「無責任大放談」だというお叱りをうけるかもしれませんが。最初に謝っておきます、すみません。今日は、敢えて、僕の網膜にうつった「人材育成のディスコミュニケーション」を戯画化して、極端に描いてみましょう。

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 まず、もっともわかりやすいのが、「人事担当者」と「教育担当者」のディスコミュニケーション。

 大きな企業になりますと、人事部(総務部)の中に人事部門・教育部門が分かれてある場合があります。この両者の乖離はスゴイな、といつも思います。

 僕は、「人事担当者」と話す時と、「教育担当者」と話す時には、同じ内容を話すときでも、話し方、使う言葉を変えます。そのくらいディスコミュニケーションがあると思います。

 わたしの感触からすると、人事担当者はどちらかというと、「Harvard Bussiness Review」などが好きな方が多いように見受けられます。

 彼らの使う語彙は、マネジメントの言語です。ジョブローテーションで、彼らはたまたま、今は人事部門にいる。自分が担当している間に、新しいマネジメント理論や手法を用いて、何か新しいことをしてみたい・・・組織変革を人的な側面からなしとげたいと思っていらっしゃる方が多いように見受けられます。

 なぜそうなるか。

 それは、おそらく、彼らとマネジメント層の近さによるのではないでしょうか。人事担当者は「人事」というトップシークレットを扱っている上、役員とのコミュニケーションが多くなりがちですね。だから、自分の立ち位置がどうしても「経営」の方になってしまう(・・・と教えていただきました)。

 一方、教育部門の方は、一言でいえば「ホメオスタシス(恒常性)」。「昨日までのようにかくありたい」です。

 人事の方が「マネジメントの言語」を使うのに対して、彼らは「経験」の言語を使う場合が多いように思います。

 歴史上の偉人の格言や名言も、彼らが好むところでしょう。頻繁にでてきます。

 最もよく引用されるのは、大日本帝国海軍連合艦隊司令長官 山本五十六の格言「やって見せて、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、人は動かず」です。ピアジェやデューイよりも、この世界では「山本五十六」、これです。

 非常に興味深いのは、彼らの言語が「経験の言語」であって、「教師の言語」でも、「教育の言語」でもない点です。ある先生によると、教育を「自叙伝的」にとらえる、というのでしょうか。

 自分の研修を真摯に見つめ、ワザを磨く一方で、逆に、それ例外のこと - つまりはマネジメントや外部世界 - にはあまり関心がない方が見受けられます。あるいは、「そこは自分の範囲外だ」と思っている方が多いように見受けられます。

 そう思わざるをえない背景には、彼らの抱える「現場」がある。「現場」では、日々、細かい仕事が発生します。細かい仕事をこなすことは、大変時間がかかる。だから、リスクをとり新しいことをするよりは、やはりホメオスタシスであるほうがいい。それは生存戦略としては「コレクト」であるのです。

 実は、教育部門の内部には、さらに深い「ディスコミュニケーション」があるようにも思います。

 教育部門でずっとやってきている人と(ごくたまにいる)、50歳くらいまで営業・事業部で第一線にいて、そのあとに教育部門に来た人のディスコミュニケーションです。

 就職以来教育部につとめる、前者は、事業部での経験がないゆえに、教育技術や手法に興味がもつ傾向があるように思います。

 対して、後者は教育技術や手法には興味がない場合が多いですね。研修などを企画すると「鬼の営業○○さんにノウハウを聞く」みたいな研修を企画しやすい。

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 次に人事・教育部門から一歩外に足を向けてみましょう。

 そこには、いわば「デスバレー:死の谷」のような、事業部と人事教育部門のあいだのディスコミュニケーションが存在します。この「死の谷」にはペンペン草も生えません。

 日々ノルマに追われ、カネを稼ぎださなくてはならない事業部は、基本的に時間がない。
 何か人事教育部門が企画しようものなら、「また、役に立たないもの企画しやがって・・・もっと役に立つものをやってくれよ」と、心の奥底では思っている場合もあるようです。

 ポイントは、この「役」です。「役」って言ったって、いろいろある。人生いろいろ、「役」もいろいろ。

 この場合の「役」はタメになるとか、視点が広がる、とかじゃない。「役=業務にすぐに役立つ=業績があがる=カネがもうかる」という意味です。

「仕事がうまくいくいかない=儲かるもうからないは、教育だけじゃなくて、アンタの努力やセンスだって関係するだろ」

 と、人材育成担当者ならば、言いたくなるハズです。でも、それをグッと押さえなくてはなりません。要するに、教育関係者「以外」にとって、「教育とはコエダメ」なのです。

 世の中一般では、何か都合が悪いものが生じると、すぐに「教育で何とかしろ」ということになるのです。そのくせ、一方では、「教育なんかに期待しない、必要なことは全部現場で学べ」なんて言う。そんな都合のよい思考停止ワードが、「教育が悪い」なのです。

 閑話休題

 事業部の長は、時々判で押したように、「研修の投資対効果は何なのか?」という問いを人事教育部門に投げつけ、彼らの動きを牽制したりする場合があります。

 この「問い」は「牽制」であって「質問」ではありません。ここにも「研修には期待していないのに、期待する」という二重性が見て取れますね。一言でいえば「イチャモン」です。

 でも、これは利益追求を一義とする会社としては「理屈の通るイチャモン」だけに、人事・教育部はアタマを悩めることになります。

「研修だけで、明日から劇的に人間が変わるわけねーのに、投資対効果なんて、数字にできるわけねーだろ」

 と「ちゃぶ台」をひっくり返したいのですが、「星一徹」ではないので、そんなことはできません。

 人事教育部門からすると、事業部は「カスタマー=教育サービスを買ってくれるお客様」ということになります。ですので、基本的には丁重に接する。

 事業部が、全社の方針に従わないこと、あるいは自分たちの研修に人を出してくれなくなることを、極端に恐れています。

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 最後のディスコミュニケーションは、トップとのディスコミュニケーションです。

 人生いろいろ、トップもいろいろですが、基本的にトップは2つの欲望をもっているような気がします。このあたりは、会社によりますけれども、基本的パターンは、1)人材育成に力を入れていると言いたい、2)でも、コストを抑えたい、です。

 特に1に関しては、昨今、声高に叫ぶ。「人は城」でも、「人は財産」でもいいのですが、それさえ言っておけばCatch Allです。ですが、そのためにコストをかけたいなんて、サラサラ思っていないことが多いように見受けられます。「人に投資する」という考え方は、まだまだ根付いていないのが現状ではないでしょうか。

 また、トップは「経営と教育をなるべく連動させたい」と心のどこかで思っているような気がします。要するに、新たなマーケットを創出したり、ある特定の事業を強化しようとするときに、それに必要になる人材を効果的に育てたいと思っている。

 でも、ここまで述べてきたようなディスコミュニケーションが、社内に横たわっている限りにおいて、なかなか「経営と教育が連動すること」は難しいように思います。

 それは、僕が思うに、人事・教育部が悪いとか、事業部の無理解が悪い、とか、そういう次元の問題ではないのです。

 一言でいえば、

「経営と教育を連動させようとする側=事業部、人材育成部」が連動していない(=コミュニケーション不全に陥っていることが多い)。であるからして、そもそも経営と教育が連動するわけがない

 ということです。それは「構造的」かつ「組織的」な機能不全である。僕には至極当然のことのように思えるのですが、いかがでしょうか。

 かくして、もうひとつのディスコミュニケーション - トップと事業部・人事教育部のディスコミュニケーションが完成することになります。

 一時期「経営と教育を連動させる手法」として「コンピテンシー概念」が注目されましたね。はじめてそれを目にしたとき、企業の世界ではマクレランドが注目されていると知って、びっくりしました。

 もちろん、コンピテンシー概念を否定するわけでは全くありません。が、膨大な費用をかけてコンサルタントを雇用し、ディクショナリをつくるよりは、「それ以前に、コミュニケーション不全を何とかしたほうがいいんでないの」と思えて仕方がありません。

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 今日お話しした内容は、データに基づかない、あくまで僕の経験に根ざした、僕自身の外部感覚です。それを敢えて戯画化してお話ししました。そういう企業もあるでしょうし、違った組織もあるでしょう。

 ただ、人材育成にからむ組織内のステークホルダーたちを、いかにシンセサイズするか。そのコミュニケーションを円滑にすすめるか。彼らを共通の目的にinvolveさせるための共通言語や、参加型の機会・・・これが今、求められているような気がします。

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 ちなみに、今日は、企業について話しました。企業以外の人は「へー」と読んだかもしれませんね。でも、これに似たコミュニケーション不全の構造は、学校であろうと、同じなのではないかと思うのです。程度の差こそはあれ、組織があるところには存在するのだと思います。

「人を育てること」がコミュニケーション不全によって阻害されている可能性がある。そういう視点で、あなたのいる組織を見つめてみてはいかがでしょうか。きっと新しい視点が開けるはずです。

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※本エントリーを書くにあたり、K大学のK先生にご意見をいただきました。ありがとうございました。

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投稿者 jun : 2007年3月 3日 22:10


重田先生、Second lifeにハマる

 最近Second lifeにハマッている本学の重田先生からもらった、Second Life写真です。なんかオモシロイもんあったら、スクリーンキャプチャして送ってね、と。

shigeta1.jpg

shigeta2.jpg

 一枚目が渋谷の109。2枚目はDELLの島だそうです。DELLの方は、頑張って探すと、秘密の抜け穴があって、迷路を進んでいくと、最後にDELLのPCがもらえるらしい。

 それにしても、重田先生、「迷路」とはね。これ、クリアするまで結構時間かかるんじゃないの? いやー、時間をかけて取り組んでいらっしゃる。

 ・・・

 重田先生、まだまだ「仕事」が足りないそうです。不満らしい。みんなで重田先生を「ひーひー」言わせてあげよう、満足させてあげよう(笑)。

投稿者 jun : 2007年3月 2日 20:59


本が好きになって欲しい

 僕の日課のひとつに、夕食後、タクに本を読むことがあります。「本」と言っても、1ページに「大きな絵」「キャプション」があるだけの「本」。ブルーナーの0歳児向けの絵本です。

takutohaihai2.jpg

 「読む」といっても、

「タクちゃん、これ、なあに? イヌだよね、イヌ、ワンワン・・・これは? これは見たことあるかな? これは、ネコです。ネコなんてなくの? ニャーニャーニャーだよねぇ」

タクちゃん、これは? カメだねー、カメ。カメは普段泣きません。でも、カメだって、人生泣き笑い。生きていれば泣きたくなることもあるよね、きっと」

 とか意味不明なことを言っている。どちらかというと、僕の「創作」の時間だね。

 タクは、ドストエフスキーの「罪と罰」を読んでいるかのように、コムズカシイ顔をして聞いているときもあります。

hon_takuto.jpg

 そんなにコムズカシイ顔しなくてもいいのではないかな(笑)。

 僕が自分の親に感謝したいことのひとつに、僕に惜しみなく無条件に本を与えてくれた、というのがある。この子も、本好きになるといいんだけどね。

takutohaihai.jpg

投稿者 jun : 2007年3月 2日 06:54


過熱、脳ブームに警鐘

 あるある大辞典の余波でしょうか。脳ブームに。

科学と非科学:過熱、脳ブーム
http://www.mainichi-msn.co.jp/science/kagaku/news/20070301ddm016070202000c.html

 へぇ・・・「神経神話」っていうんですね、そういうのを。

投稿者 jun : 2007年3月 2日 00:16


教育研究、データ、デザイン

 「教育研究にはデータを積み重ねることが重要だ」

 と一般によく言われる。ないよりあった方が絶対にいい。また、上記の命題に関しては同感である。そのことを否定するわけでは、断じてない。

 が、データを積み重ねて、そのデータの中「だけ」から、何か新しいソリューションやカタチ- Something newが生まれる、と考える人が、もしいるのだとすれば、かなりナイーブすぎる考え方だ。結論からいうと、帰納的方法「だけ」から、なかなかSomething newは生まれにくい。

 もしそうなら、統計データ、アンケートをひたすらとっていれば、いいはずである。この世は、質問紙屋だけで事足りる。しかし、実際はそうではない。

 何か新しいソリューションをつくりだすためには、データを積み重ねるという分析思考の一方で、同時にアブダクションを実践することが重要だ。

 アブダクションとは、記号論研究者C・パースによって提唱された、「不可解かつ不確実な現象を説明し得るような仮説をつくりだす思考」のことである。帰納法(induction)、演繹法(deduction)とともに、人間の思考の基本的要素と言われている。

 この場合、簡単にいうと、「自分が最後に見たいもの」を導くような「何か」を考えつく思考法というのかな。

 たとえば、今、「こういう風に子どもたちが、あんな風に学習している光景が見たい」とする。その「光景」を実現するための仮説=方略を考えることが、アブダクションである。

 パースは、新しい知識はアブダクションから生まれると考えた。演繹的方法ではほとんど新しい知識は生まれず、帰納法ではほんの少しである。つまりは、いわゆる「分析的思考」では、新しい知識は、なかなか生まれにくい、と考えた。

 アブダクションといえば、この方を思い出す。僕が学部時代、その講演を聴いて大きく感銘を受けた吉川弘之先生(元東大総長)である。

 当時、吉川先生は「デザイン・工学とはアブダクションのプロセスに他ならず、アブダクションこそが、イノベーションを生む原動力ではないか」と指摘していた。「なるほど、デザイン・工学ね・・・僕が教育研究でやりたいのjは、こういうことなのかな」と考えたことを、今でも覚えている。

 もちろん、そういったからといって、「データを積み重ねる分析的思考」を軽視するという、反知性的態度をとりたいわけじゃない。むしろ、逆だ。全く逆だかんね。

 僕の勘で言うと(勘で申し訳ない)、データを積み重ねる分析的思考は、「アブダクションの方向性」をゆるやかに示す「制約」として機能するのではないかと思う。だから、大いに、そういうアプローチの研究が増えればいいと思う。

 早い話が結論から言うと、データを積み重ねる分析的思考も、アブダクションによる仮説形成的推論、どちらも軽視してはいけない、と考える。教育研究には、社会科学的アプローチの他に、デザイン・工学アプローチが必要不可欠である、と思う。

投稿者 jun : 2007年3月 1日 09:09