新生児とテクノロジってオモシロイね:育児する教育学者
今年の年末・年始は、いつもより長く休みをとっています。ズバリ育児をするためです。
この時期の子どもは、本当に成長が早いものです。わずか1週間の間に、体重が400グラムも増えました。もう5キロです。原始歩行も、見られなくなってきました。日々、タクは成長しています。
それにしても、子どもの世話をしていると、一日がすぐに終わります。
夜に何度か起こされ、ミルクをあげては、オムツをかえる。カミサンと交代で - とはいっても、カミサンが7、僕が3くらいでしょうけど - それにあたっています。

何ターンか、それを繰り返していると、すぐに、日はまた昇り、夜はまた来る。繰り返し、ただひたすらに繰り返しです。
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育児は、とてもオモシロイです。
でも、同時に、とても大変な仕事だと、心の底からわかりました。一言でいうと、体力的にも、精神的にも重労働です。
最近、よく思います。日々繰り返される「重労働」が「母親 - 子ども」の閉じた関係の中でおこなわれることには、ある種の危険性もあるのではないか、と。
この時期の子どもに理屈はありません。また「泣くこと」「うまくいかないこと」に、いつも「原因」があるわけではありません。私たちが日々慣れている「原因 - 結果」という因果律の外に、この時期の子どもはいます。
ですので、子どもがうまくあやせない、子どもがなかなか寝ない、という場合に、どうしても、パニックに陥ってしまいがちです。
「どうして?」「もしかしたら、わたしが悪いのではないか」と自分を攻めてしまいがちなのです。真面目な母親、ある意味で、「よい母親」になろうとする人ほど、そうなる傾向があるかもしれないな、と思いました。
育児は、できるのであれば、「母親 - 子ども」の閉じた二項関係の中でおこなわれるのではなく、多様な人々によって支えられるべきものと思います。
母親だけで子どもに接していると、先のような閉じた原因帰属をおこなってしまいがちなのではないでしょうか。それは精神衛生上、あまりによくないのではないかな、と思います。僕が母親だったら、そうなるんじゃないかな、と思った。
やはりそこには、複数のオトナがいて、「子育て」という問題解決を共同でおこなっていくとよいのではないかと思っています。
昨今では、
「育児をしない男を父とは呼ばない」
「パパ、(育児)いやとは言わせない」
というコピーがありましたね。
僕は、幼児教育の専門家でもなければ、政府の人間でもありません。ですので、このようなコピーを声高に叫ぶつもりもありません。
僕に言えることは、個人として、我が家の方針として「母親 - 子ども - 父親」の関係をつくっていきたいと考えています。もちろん、それがよいことか、どうかは、僕にはわかりません。
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少し真面目な話になりました。こんなことをいつも考えているわけではない(笑)。いつもは気楽にやっています。
最近は、だんだんと慣れてきて、ミルクをやったり、ゲップをださせたりしているあいだ、雑誌を読んだり、本を読んだりする余裕がでてきました。
宮崎大学の山口先生も、前に言っていたけど、「赤すぐ」はオモシロイね。
そういう雑誌を読んでいると、いろんなオモチャ、育児用品があることに、まず驚かされます。
中には、こんなん使えるのかな、と思うものもあります。が、開発者に敬意を払いたくなるスグレモノもあります。
先日、うちでは、クリスマスに下記を入手しました(じいちゃん、ばあちゃんに買ってもらいました・・・ありがとう)。
「タイニーラブ」のベットメリー
http://ec2.images-amazon.com/images/P/B000FHS8CK.01._AA280_SCLZZZZZZZ_V52102238_.jpg

「sassy」のライオンアクティビティマット
http://www.amazon.co.jp/Sassy-%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3-%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%93%E3%83%86%E3%82%A3-Around-Activity/dp/B00006698N

本当によくできているんだよねぇ・・・。赤ちゃんは、「赤」「黄色」「鏡」などには反応するそうです。あと、繰り返し行動に興味を示す。それをふんだんに使っています。赤ちゃんのアクティビティがデザインされているのです。
こういうのこそ、よくできた「テクノロジ」だよなぁと思いますね。そういう意味では、とても勉強になります。オモシロイね、とてもオモシロイね。
明日も、子育ては続く。
投稿者 jun : 2006年12月31日 16:56 | トラックバック
ディプロマ=ミル(学位工場)
下記、ディプロマミル(学位工場)のニュースを知り合いづてに聞きました。
イザ! 非認定大学の博士号
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/33338/
博士号の取得プロセスの詳細がどのようなものだったのかわからないので、何とも言えないのですが、日本でも、最近増えているそうですね。先日、高等教育政策を研究している友人にも同様の話を聞きました。
真偽のほどは知りませんが、もし仮に本当だとすると、オンライン教育を提供する側であるならば、通常の大学と同様か、それ以上に、「教育の質保証」の問題にはセンシティヴにならなければならないはずですね。
投稿者 jun : 2006年12月31日 15:00 | トラックバック
町家系豆腐専門店:奈良町豆腐庵こんどう
シンクタンクにつとめている友人と、ランチをした。奈良町にある豆腐の専門料理店「こんどう」。江戸時代から続く町家を改装したオシャレ豆腐屋である。
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奈良町豆腐庵こんどう
http://gourmet.yahoo.co.jp/0005280125/M0029010266/
住所 奈良県奈良市西新屋町44
電話 0742-26-4694
営業時間 11:00~14:30、17:30~21:30
定休日 月曜(祝日の場合は翌日休)
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男2名のランチというのは、「絵」的にスゴいものがあるけれど、久しぶりにお互いの近況を交換しあい、楽しい時間を過ごすことができた。
ランチは豆腐をふんだんにつかったコースのみ。豆乳から、ご飯まで、たっぷり1時間30分程度、豆腐・大豆を堪能できる。これで2000円は明らかに安い。おすすめである。
今年も残すところ今日一日。
いろいろあったなぁ、今年も・・・。
皆さん、よいお年を。
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投稿者 jun : 2006年12月31日 05:00 | トラックバック
寒いの嫌い
ここ数日寒いですね。ぼくねー、寒いの嫌い。おお、さぶー、さぶー。
こんなことを言うと、「あなたは北海道生まれでしょーが」とすぐに言われるのですが、別に「北海道人だからって、寒さに強いわけじゃない」んですよ。
よく知られていることですが、北海道では、おうちの中は暖かいんです。たとえ、外の気温が氷点下でも、家の中は、20度超えてるんです。
家の中はね、半袖短パンとは言わないけれど、それに近いような格好で過ごしている人もいる。そんなのうちだけ?
だから、僕は上京したときびっくりしました。だって、内地の人は、家の中で、ウィンドブレーカーとか、ダウンとか着てる。衝撃的な絵ですね。
ちなみに僕が子どもの頃の北海道の冬は、マイナス20度とか、マイナス30度とかによくなったんですね。
たしか、午前7時のNHKのニュースで、マイナス23.5度以下になったら、遅れて登校することになっていたと思います休みになったりしたような気がするんだけどねぇ。
当時は寒くて、結構、そういうのが結構あった。だから、前の日に「明日はしばれるぞ」という親が言っているのを聞くと、子供心に、しめしめと思った。「しばれろ、しばれろ」と思っていました。
今は、ニュースとか見ていても、あまりそこまでは寒くなっていないですね。今の子どもたちは損?してるよ。残念なことです。
嗚呼、今日はしばれるねぇ。明日31日は暖かくなるらしいですけれども。過ごしやすい年末になるといいですね。
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昨日、義妹のイオンスチーマーを借りてみた。これをやると、肌がスベスベになるんだって。ホントすか、それ? まぁ、いいや、蒸気が暖かいから。

投稿者 jun : 2006年12月30日 10:47 | コメント (2) | トラックバック
米山公啓著「医学は科学ではない」
米山公啓著「医学は科学ではない」を読んだ。
表紙の要約文が本書の内容を的確に要約しているので、引用してみよう。
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臨床の現場では、意外にも、医者の経験に基づく判断や勘で治療が決められたりしている。Evidenced based medicine(EBM)によって、治療や診断がおこなわれているのは医療行為の半分にも満たない。
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本書では、上記の主張に基づいて、様々な事例、医療現場の実情が紹介されている。
医者の判断、検査がいかに曖昧で、学閥や薬価という様々な制約のなかで、それがなされているか、そして統計学を駆使した様々な「平均医学」が、いかにあてにならないかを紹介している。
EBMの考え方が成り立っている欧米でさえ、医療のうち5割程度しか、EBMでしかないのだそうだ。
再現性があるということを科学の条件とするならば、名医が存在するという現実は、医学の非科学性を示しているということになる
という筆者の指摘が印象的だった。
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さて、下記は私見。ワタクシメは、専門家ではないので、いつものように無責任に発言する。
まず、筆者のように「科学」の定義を再現性に求めるのならば、「医学は科学ではない」というセンセーショナルなタイトルをつけたくなるのかもしれない。
が、EBM的な診断も一部には限定適応可能だそうなので、控えめに謙虚にタイトルをつけるとするならば「科学的に医療をおこなうことは結構難しい」になるのではないかと推察する(こんなタイトルの本は売れないな・・・)。おそらく、それは真実だろう。
だからといって、大規模疫学調査等の実験計画法に基づく「科学的な探求」を放棄するのに妥当な理由は見あたらないのではないかと思った(そんなことは著者は当然わかっている)。
科学的に明らかにできない部分があることは認めつつ、その限界を把握しつつ、「それでも」、わかる部分を見つけることが妥当な態度だと思う。
一言で言うならば、「いろいろ言われるけれど、ないよりは100倍マシなことが多そうだ」と言えるのではないだろうか。
これは、医学であろうと、教育学であろうと、人にかかわる学問に関しては、すべてに言えることだと思う。
「人」に関する場合、科学的に明らかにできない部分は、アートであろうと、職人芸だろうと、折衷するほかはないと思う。「恥知らずの折衷主義で何が悪い」という態度を決め込む他はないし、そこを恥じるべきではないと考える。
だけど、一般にはこういう「折衷主義」は嫌われる。人はわかりやすい議論を好む。つまりは、「科学的な態度」か「代替科学」か、「サイエンス」か「アート」か、「サイエンス」か「理念」か、みたいな一見もっともらしく見えるダイコトミーに陥りやすい。こういうのを僕は「振り子的議論」と呼んでいる。
「振り子的議論」はわかりやすいし、センセーショナルで、ストライキイングではある。だけれども、その失うところは非常に多いと思われる。
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メモ.
アメリカ医療政策研究局の研究論文の評価システム
■グレード0
もっとも信頼できるもの。メタアナリシスにもとづくもの。
■グレード1
大規模なよく管理された無作為対照比較試験に基づくもの
■グレード2
小規模だが、よく管理された無作為対照比較試験に基づくもの
■グレード3
よく管理されたコフォート研究に基づくもの
■グレード4
よく管理されたケースコントロール試験に基づくもの
■グレード5
非比較対照試験
■グレード6
一致しないデータであるが、治療指針作成に有用であると考えられるもの
■グレード7
専門家の意見に基づくもの
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投稿者 jun : 2006年12月29日 05:00 | トラックバック
優しい時間が流れる町屋カフェ:奈良町「カナカナ」
お宮参りの帰り、奈良町にあるステキなカフェに立ち寄りました。築80年の町屋をリフォームしてつくられたカフェ「カナカナ」。
カナカナ
http://trafika.jp/kanakana/
奈良市公納堂町13番地
T/F 0742.22.3214
kanakana@m4.kcn.ne.jp
AM 11:00~20:00
月曜定休(月曜が祝日の場合、翌火曜休み)

僕は知りませんでしたが、このお店は、町屋カフェの代表格と言われるお店みたいです。店内、畳じきでとてもリラックスできる優しい空間が広がっている。BGMには、音量を抑えたボサノバ。とても居心地がよい。
この日は4人ででかけたのですが、連れのおすすめの「えびカレー」と「小芋のドリア」などを適宜注文して食べました。


あのね、文句なしにうまい!
えびカレーは、ココナッツ風味が隠し味に使われています。ドリアは、細かく刻んだオクラがクリームソースに仕込まれており、とてもクリーミーな感じでした。
カフェというと、食べ物は二の次というイメージがあったのですが、ここの料理はメインでもOKでしょう。量はあまり多くないので、男の人は大盛りにするとよいかもしれません。
これまで、あまりカフェには注目してきませんでしたが、東京にもきっと、こういうカフェがあるのでしょうね。新年あけたら、行ってみたいなぁと思いました。
うーん、ウィスキーにしろ、カフェにしろ、行きたいところだらけだね、煩悩満点だ・・・嗚呼。
投稿者 jun : 2006年12月28日 10:17 | トラックバック
青山学院大学 ipodで授業・講義配信
こんなニュースが報じられています。
青山学院大学 ipodで授業・講義配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061228-00000501-yom-bus_all
NECが開発したシステムで、補習をさせるみたいです。授業を休んだ学生に視聴させ、他の学生に追い付いてもらう。ipodを利用した正規授業の映像配信は国内初の試みだそうです。
投稿者 jun : 2006年12月28日 10:01 | トラックバック
夜泣きに悩まされているママ・パパへ:育児する教育学者
夜泣きに悩まされているママ、パパへ。なんちゃって教育学者中原、画期的な?方法を考えました。名付けて、「ダンシングメソッド」。うーん、怪しさ満点。

ダンシングメソッドといっても、たいした方法じゃあありません。授乳の後の機嫌のよい間に、ロックやユーロービートにあわせて、子どもの足を動かしてあげるだけです。要するに、運動させる。子どもは一人で運動できませんから、親が動かしてあげる必要があります。
どのように動かすか?
神経質にならず、適当にやってください(笑)
いろんなステップや自転車こぎなどがよいと思います。うちの場合、Madonnaの「Hung up」とか、TM Networkの「Come on everybody」などが好みのようです。
Janet Jacksonの「リズムネーション」のときは、ジャネットと同じようにステップを踏ませます。激しいぜ、ジャネジャクは。場合によっては、60年代のオールディーズ「ロコモーション」で、両うでを上下させる「ゴーゴー」もよいかもしれません。

そうすると、どうでしょう!
ダンシングメソッド実施前は平均3時間であった授乳間隔が、実施後4.5時間に増えました(p<.01・・・ウソ、そんなにNがあるわけではない)。これで夜に起こされることも飛躍的に少なくなるはずです。
理由は、「運動しているから授乳後すぐに眠れない、よってまとめて寝てくれる」というものだと思います。
デメリットとしては、ビビるくらい大便がでます。昨日は、おしめを換えている間に、3回もフンたれました。フンフンフン。オーノー、神様、大惨事。昨日は、手に少しかかった。ツメにもはいった。きぇー。「手乗り文鳥」ならぬ、「手乗りウンコ」の刑。
でも、このデメリットゆえに、メリットがもたらされているという考えもあります。「足の運動は、便の筋肉の弛緩につながり、それで授乳間隔が広がる」とも考えられますね。
ちなみに、安全性に関しては一切保証しません。また、この方法単なる偶然、「梅干しを額にのせれば熱がさがる」式の民間療法みたいなものかもしれません。僕にとって子育ては研究ではありませんので、無責任に好き勝手言わせていただきます。ので、自己責任で勝手きままにやってください。
それにしても、いろんなメソッドやノウハウを自分なりに探し、検証していく。そういう「仮説検証型の育児?」というのもオモシロイものです。いつもとは少し違った新鮮さで「育児」を楽しめるかも。赤ちゃん学で博士号を取得するつもりで、エンジョイするとよいのかもしれませんね。
投稿者 jun : 2006年12月27日 17:00 | コメント (5) | トラックバック
されど報酬・・・村上春樹著「村上朝日堂」
村上春樹著「村上朝日堂」に、氏が「報酬」について書いてあるエッセイがある。氏の書いていることに共感してしまった。長くなるが、ここで引用する。
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(村上氏は若い頃、ジャズ喫茶を経営していた・・・その彼がバイトを雇用するときの話である)
経験的にみて絶対に雇ってはいけないタイプというのがいくつかある。「ただでもいいから働かせてください」というタイプもそのひとつである。(中略)たとえば「将来お店をやりたいんで給料いらないから働かせて」とか「どうしてもここでバイトしたいので」とかいう人が毎年1人くらいはいる。
さて、こういう人がきちんとしたよい仕事をするかというと、だいたい逆である。仕事は手を抜く、不平を言う、休む、遅刻する、あげくの果てには「給料が安い」なんていいだす。
(中略)
同じような音だけれど、僕は原稿料の入ってこない原稿は絶対に書かない。すごく生意気に聞こえるかもしれないけれど、プロとしては当然である。たとえどんなに安くても、ギャラだけは現金できちんともらう。宴会やってチャラなんていうのはイヤだ。こちらも〆切を厳守するのだから、そちらもきちんとやってほしいと思う。
しかし、そういう風にやっていると「あいつは金にうるさい」と言われたりすることがある。しかし、そういう同人誌、ドンブリ勘定的な体質が日本の文壇をどれだけスポイルしてきたのか、よく考えて欲しい。
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要するに村上氏が述べているのは、「ある条件のもとで働く、働いたならもらうこと」が重要なのだ、ということではないでしょうか。この、最も基本的な原則を忘れると、長期的にみると、たいがいは、よくない事態が生まれることが多い。
嗚呼、アタリマエすぎる。こう書いちゃうと、単純すぎて改めていうまでもないことのように聞こえます。
でも、それなのに、このルールは、私たちの習慣の中で犯されているルールなのです。「払わない」いうのは論外としても、「条件を提示しない」というのもよくあることです。なぁなぁにしちゃう。これまで、僕も何度もこの被害にあってきました。
僕は大嫌いだ。
そういうルール違反が、死ぬほど嫌いです。
理由は、さっきも述べましたけど、そのことが長期的に見て、いろんなものをスポイルするからです。
まずそういうことが長く続くと、「ある条件や制約のもとで、ベストをつくし、最大の効果をあげる」・・・そういうプロフェッショナリズムを少しずつ蝕んでいく。まぁどうでもいいや、何とかなるや、という甘え体質が、一人のプロフェッショナルを侵し始めます。
また、さっきの文壇のたとえの関連で言いますと、業界自体に、なぁなぁの「なれ合いの体質」を生み出してしまう。「なれ合いの体質」はだんだんと、「ウチ」と「ソト」をわけるような村社会に変質します。そういうところでは、なかなか新しいことをすることが難しくなってしまう。
それより何より、誰かが無料で依頼を引き受け始めると、他もそれに追従せざるを得なくなりますから、業界自体の経済価値が下がる。
経済価値の下がった業界には、若手の新規参入はなくなってしまいます。誰も、そんな「メシの食えない業界」で働きたいとなんて思わない。そうすると、最後には、その業界自体の活動が沈滞化してまうのです。
されど報酬、たかが報酬。先ほどのルールって、本当に重要だと思うんだけどね。でも、なかなかなくならないんだよねぇ・・・プンプン。
投稿者 jun : 2006年12月27日 09:41 | コメント (2) | トラックバック
シングルモルトを試してみよう:村上春樹著「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」
村上春樹著「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」を読んだ。僕はウィスキーが苦手で一滴も飲まないのだけれど、この本を読んだら、早速一杯やりたくなったので不思議だ。
「どのような旅にも、多かれ少なかれ、それぞれの中心的なテーマがある」
村上春樹氏にとって本書のテーマは、「ウィスキーの産地、アイルランド・スコットランドを訪れること」であった。
「おいしいお酒は旅をしない」
と俗にいう。本当においしいお酒に出会うためには、それが生まれた場所まで、こちらが出かける必要がある。
しかもここで飲めるウィスキーは、スコッチではなく、シングルモルトだ。スコッチとは、シングルモルトをブレンドしたもの。我々が普通飲んでいるのは、ほぼスコッチだと思う。
「うまいアイラのシングルモルトがそこにあるのに、どうしてわざわざブレンディッドなんてものを飲まなくちゃいけない。それは天使が空から降りてきて美しい音楽を奏でようとしているときに、テレビの再放送番組をつけるようなものだ」
恥ずかしながら、僕はシングルモルトのウィスキーを試したことがない。ぜひ近いうちに、この「天使の音楽」を試そうと思う。
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三浦麻子先生(社会心理学)が人工知能学会誌にお書きになった「AI研究における評価のための実践的Tips」のシリーズを読んだ。大変わかりやすい内容で勉強になった。来年度の研究室の必読文献に指定することにした。CiNiiで検索すると読むことができる。
CINII
http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiTop#
投稿者 jun : 2006年12月26日 08:52 | コメント (2) | トラックバック
CANGO : eラーニングで看護教育!
大阪府立大学で「大学教育の情報化」に関する講演を行った。(いつものことながら)拙い講演ではあったが、「教育の情報化」にからむ、いくつかの課題、それに対する解決案は、お話しできたのではないかと思う。
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大阪府立大学看護学部は、「eラーニングを活用した看護教育 : CANGO」で非常に有名である。文部科学省の現代GPにも採択され、活発な活動がおこなわれている。活動の様子は、下記Webサイトをご覧下さい。
CANGO
http://www.cango.jp
プロジェクト紹介ビデオ
mms://www.cango.jp/public/cango_v_l.wmv
やはり印象的だったのは、CANGOの開発物のひとつである「デジタル看護辞典」だ。この辞典は、PSP上で稼働する。「実践的な看護」に必要な100事例を撮影・デジタル化し、それを短いビデオクリップにわけた上で、学生が看護実習中に個別に視聴できるようにしている。

画質・音質ともに非常にクリアで、よい教材だと思った。教材の開発には、看護学部の教員が事例をだしあったのだという。
ビデオには「オムツの換え方」もあったぞ。これは僕のような「新米パパ」にも役に立つかも。「家庭の医学」ビデオ版として公開しても、かなりお役立ちツールとして利用されるのではないか、と勝手気ままに考えていた。
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うーん、それにしても、医療の世界はオモシロイ。先日、都内のある病院の方から誘われ、あるグラントの協力研究者になったのだが、この領域では「教える」「学ぶ」ことに切実なニーズがある。常に最新の知識・技能が求められる領域であるだけに、ニーズがそもそも高い。
前に一度某医療会社の人材育成コンサルティングを引き受けたことがあるのだが、そのとき聞いた話が忘れられない。「売り上げの10%は、教育にまわします。知的資産こそが、会社の財産ですから」
今、僕が大学院生だったら、この領域でひとつオモシロイことを考えたかもしれないなぁ、と勝手に空想した。
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CANGOにおいては、すでに開発した教材を「リソース」とし、どのような学習環境、カリキュラムを今後組み立てていくのか、今後の活動が楽しみである。
最後になりますが、今回、講演会を開いてくださった、真嶋由貴恵助教授、中村裕美子教授、青山ヒフミ学部長に、この場を借りて感謝いたします。ありがとうございました。
投稿者 jun : 2006年12月25日 18:01 | トラックバック
学習メディアとしての携帯電話
「携帯電話などのデバイスが、学習メディアとしてより利用されるようになる」。僕は、その可能性を信じています。
「可能性を信じている」とは抽象的な言い方ですね。マーケティング風にいうならば、今よりはずっと市場は拡大するだろう、ということですし、研究的にいうならば、「まだまだやれることがある」ということです。
「常に電源が入っている」「常に携帯している」という状況は、サプライヤー側からのコンテンツのPush、リコメンデーションが常に可能であることを示しています。これは、フォッグ流にいうと、「Persuasiveなメディア」ということになり、人々の行動形成にとても強い影響を与えます。
「普及率が非常に高い」というのも魅力です。パーソナルコンピュータは、「パーソナル」といいつつも、一家に一台のメディアでした。でも、携帯電話は違う。本当の意味で、「パーソナルなコンピュータ」なのです。
こんなことを言うと、下記のような異論が噴出しそうです。
「eラーニングだってたいしたことなかったじゃないですか。mラーニングだって、めちゃくちゃ立ち上がりが悪いですよ。もう業界は、及び腰になっちゃってますよ」
これに関する僕の考えはこうです。
「eラーニング」や「mラーニング」と今呼ばれている市場の中で提供されている製品が、今後どうなるかは、僕は知りません。
また、「eラーニング」や「mラーニング」という言葉が残るとも僕は思えません。むしろ、それらの言葉がなくなった頃に、じわじわと拡大するかもしれません。
これからの子ども、これから社会に入ってくる世代は、マウスをクリックし、携帯電話があることを前提にしている世代です。彼らは、それを特異なメディアとは考えていません。
さらに人々の生活の中に、IT機器が進入する、いわゆる「IT化」の動きは、グローバル化というさらに大きな潮流の中では、不可逆に進んでいく他はないのです。
だから、先に述べたように「携帯電話などのデバイスが、学習メディアとしてより利用されるようになる」には可能性があるのだと思っているのです。
ちなみに、elcがおこなった調査によると(eラーニングユーザー調査2005)、いわゆる「モバイルラーニング」の障壁は、「通信料の負荷が大きい」「入力がしにくい」「通信速度が遅い」だそうです。
特に「通信料の問題」は最大の障壁でしょう。現在、企業で導入したくても、その通信料が個人課金されるというのであれば、社員の了解を得られません。このことが普及を妨げているように思います。「常時接続の低価格化」がキーになるのだと思います。
「入力がしにくい」に関しては、端末自体のスピードが向上するのと、NINTENDO DSのようなペンコンピューティングの技術がより浸透していくのではないでしょうか。
いろいろなところで言っていますが、現在の携帯電話は、パソコンにたとえるならば、1995年以前、Windows3.1の状況にあると思っています。
しかし、その性能は飛躍的に高まってきている。ストレスフリーの状況になるには、まだ時間がかかりますが、それも技術の進歩によって、変わってくるように思います。
あと開発サイドからすると、もう1つ普及が遅れる原因は、マルチキャリアに対応せざるがえない故に、膨大な工数がかかることです。これを何とかする必要がありますね。これは、Flashのようなキャリアの違いを吸収してくれるフレームワークが必要であるように思います。これに常時接続によってフルブラウザの利用が高まれば、この問題は解決するのではないかと思うのですが。
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ともかく・・・。
今日は予想を勝手気ままに述べました。「根拠」を一切持ちませんので、そのつもりで読んでください。こういうのは言いたい放題です。あなたはどう思いますか
投稿者 jun : 2006年12月25日 08:22 | トラックバック
飲み過ぎ注意報:育児する教育学者
つーか、不眠です。
・・・が、オモシロイものですね、育児というものは。子どもの顔を見ているだけで、笑みがこぼれます。

幸いなことに、タク(TAKU)はよく飲み、よく寝る子です。
1軒目は左チチ、2軒目は右チチ、3軒目はミルクです。もちろん、僕のチチではありません。
だいたい3軒分のミルク飲むと、「もう飲めませんわ~」と出来上がっています。「世界アホ面選手権」にノミネートしたいと思います。下記の写真は出来上がっちゃっている様子。

でも、時々、はめをはずして、左チチにもどってきます。
「うひぃ~。よっしゃ4軒目行きましょ~や~。」
下のような感じで、4軒目にやってきます。

近いうちに「飲み過ぎシール」を張られることと思います。気をつけないと、γ(ガンマ)-GDPの値、あがっちゃうよ。



投稿者 jun : 2006年12月24日 09:25 | コメント (3) | トラックバック
企業内人材育成入門、増刷決定!
嬉しいニュースが入りました!
先日出版した「企業内人材育成入門」、はやくも増刷が決定しました! 大都市圏を中心に売れているようです。人事・教育部の大量発注も多いとか。
「企業内人材育成入門」は350ページ近くあります。結構、ボリュームがあるのですよね。読み終えていただいた方がそろそろ出てきている様子で、いろいろな感想が寄せられています。
ポジティヴな感想としては、「網羅的でよい」「学びを考える際に必要な知識の全体像がつかめてよかった」というものが多いです。
逆にネガティヴな感想としては、「少し単純化しすぎでは」「簡単すぎて骨がない」「●●の理論がはいっていない」「最初の方が難しい」などのものがあります。お読みいただいた皆さんは、どんな感想をお持ちでしょうか。
いずれにしても、本書は「専門的な議論、専門的な理論展開」をするよりも、「単純に、簡単に、とっつきやすくすること」をめざしています。その試みが成功しているかどうかは、読者におまかせしますが。
先日の日記にも書きましたが、今、執筆メンバーでプロジェクト第二弾、「人を育てる科学ワークショップ」の開発に着手しています。
今のところ、下記のような目標をもった2日間のワークショップを考えています。
●人を育てる科学ワークショップの目標(案)
1.自分が囚われている「わたしの教育論」に気づく
2.エビデンスに基づきながら自社の人材育成施策の改善提案書を書くことができるようになる
ともかく、本格始動は来年だね。ぜひ、お楽しみに。
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あなたの会社に、人を育てる科学はありますか?
中原・荒木・北村・長岡・橋本著「企業内人材育成入門」、ダイアモンド社より、好評発売中です! ぜひ、ご一読いただければ幸いです。
各種ブログで紹介されています
ビジネス・ブック・マラソン
http://blog.goo.ne.jp/eliesbook/e/f0bdfbc109d5d70766ed5ebf65f846e6
ビジネス書の杜
http://people.weblogs.jp/books/2006/11/__fb58.html
投稿者 jun : 2006年12月24日 09:04 | トラックバック
「英検」「TOEIC」「TOFEL」の違いって?
「英検」「TOEIC」「TOFEL」「CASEC」「GTEC」の同じところと違うところは何ですか?
こう言われたら、あなたは何と答えますか?
同じところは「英語のテスト」?
違うところは
・
・
・
(実は全然違う。設計思想から何から何まで違うんです・・・)
---
昨日、東大で開催されたLearning bar@Todaiでは、TOIECの草創期から立ち上げに関わったライトハウス社の坂井修さんに、TOEICの設計思想・歴史と、坂井さんが今やっておられる音声認識スピーキングソフトについてお話しいただきました。

ライトハウス社
http://www.lighthouse-inc.com/
まず、TOEICは、日本が発案したテストだということご存じでしたか?もともと、TIME Inc総支配人であった北岡靖男という方が発案し、米国のETSが開発をおこなったものなのです。
北岡さんは、英語教育を憂い、「英語教育のひとつの手段」として信頼性のあるテストをつくりたいと思っていた。しかし、やがて、テストだけが一人歩きしていく。
つまりこういうことです。日本では、テストを提供する団体は「教育」を同時に提供することはタブーだと思われているんですね。だから、英語教育もおこないたいと思っていたけど、結局、それをおこなうことはできなかった。
一方、アメリカをはじめとして多くの国では、テストを提供するなら、同時に教育を提供するべきだ、という風に思われることが多い。この認識の違いが、日本でのテストの一人歩きを生み出します。
一人歩きとはいったものの、その道は決して単純なプロセスではなかった。一時は、給料遅配、倒産寸前にまで追い込まれます。結局、事業として独り立ちするには、10年かかりました。
現在、TOEICは世界で450万人、日本では149万人が受けるテストにまで発展しています。
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坂井さんは、その後、自ら会社をおこし、現在、Speakというソ音声認識エンジンの販売にかかわっておられます。
Speak
http://www.lighthouse-inc.com/speak.html
このソフトは、なかなかの優れものです。
まず、どんなものでもいいから、英語のテキストをソフトウェアにコピペする。そうすると、流ちょうにソフトウェアが、そのテキストを読んでくれます。

後ろにくる単語の種類によって、前の単語の音末処理をするのだそうで、機械がよんでいるなぁという感じではなくなっています。
そのあとで、今度は、自分で声をだして読んでみる。あなたの発音は、すぐに採点され、うまくいかなかったワードがハイライトされます。その後は、シャドーイング。機械が喋ったあとに、その声をリスニングして、声をだせる。
スピーキングのセルフラーニングソフトウェアですね。これ、学会発表前にいいんじゃないの、とまっさきに思いました。ひとりでプレゼン練習するときなどには最適な感じがします。現在、ECC、アルクなどでも採用されているそうです。
ある大学では、映画のあるシーンのスクリプトをソフトウェアに入力して、生徒に、その映画の主人公に「なりきって」、スピーキング練習させるのだとか。最初のきっかけにいいですよねぇ・・・。

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師走のお忙しい中、坂井さん、はじめライトハウスの方々には、お忙しいところプレゼンテーションいただきありがとうございました。この場を借りて感謝いたします。
Learning barのあとには参加者有志で懇親会が開かれたので、僕もそちらに行きたかったのですが、この日、自分のプロジェクトの集まりがすでにはじまっていて、失礼しました。
ともかく・・・・Learning bar、今年はこれで終了です。今年もいろんな方々に来ていただきましたね。
本当に多種多様だったなぁ・・・自分とは全く違っているなぁと思う発表の中から、いろんなひらめきがうまれるものです。本当にありがとうございました。
また来年、Learning bar@Todaiでお会いしましょう!
投稿者 jun : 2006年12月23日 09:16 | コメント (2) | トラックバック
Happy christmas! : ちょっぴり昔話
「中原さんは、東大教育学部をでて、阪大大学院に進学して、なぜ研究をやろうと思ったのですか? ちょっと、経歴変わってません?」
先日、ある学部生から、こんなことをあるところで聴かれました。大学院に進学したいと思っているらしいのですね。で、身近にいる見るからに暇そうな(!?)僕に聞いてみよう、と。
・・・うーん、何でだったかなぁ・・・・。
アンタ、笑顔でサラッと、いいこと聞くねー(笑)。
まず第一に断言しますが、僕は、学部時代とは異なった大学院に進学して、そこで僕は教育工学という学問と向き合ったわけですけれど、それで心からよかったと思っています。じゃあ、それはなぜだったのか。
細かいことを言えば、当時、いろいろな状況がありました。前にもお話したかもしれませんが、当時の指導教官だった先生が、もう定年が近かったことが、阪大に行くことになったきっかけのひとつです。
でも、考えてみれば、それは阪大に進学したことの理由にはなりますが、教育工学をやろうと思った理由にはなっていません。
昨夜、昔を思い出しながら、それを少しだけ考えてみました。下記、それを少しお話ししたいと思います。
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僕の学部時代、教育学部でならった授業を思い出しますと、少なくとも僕の印象では、「教育の現場で作動するミクロな権力を明らかにする研究」が多かったように思います。
もちろん、これは僕の印象でしかないし、僕がとった授業に偏りがあったのかもしれない。でも、多くの授業では、そういう研究が最先端だ、と紹介されていた気がします。
どちらかというと、
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1.教育の本質とは~だぞ、みたいな形而上学アプローチの研究]
2.○○教育学と語られるもの
2.効率的な学習の方法、教育の方法はこれだ!、みたいな工学アプローチの研究
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は「ちょっと時代遅れだよなぁ」といった雰囲気がありました。クドイようですが、これは僕が学生として受け取った印象です。
「教育の現場で作動するミクロな権力を明らかにする研究」というと、人類学アプローチとか、社会学アプローチの研究ということになりますね。
当時は、エスノグラフィーとか、エスノメソドロジーとか、そういう方法論が教育学研究、学習研究に入ってきた時代で、教育現場で作動するミクロな権力、恣意性を、つまびらかに明らかにしていました。
そういう研究が伝えたメッセージはこんな感じだったように思います。
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世間一般のイメージでは、教育は「善をもたらす清らかなもの」と思われているけれど、それだけっつーのは、ちょっと違うんだよねぇ。教育は、ある種の暴力になることだってあるし、不平等をつくりだしているんだよ
○○教育で学ばれているものは、○○だけじゃないんだよ。むしろ、○○が学ばれないことの方が多く、教師の意図せざるものが、「隠されたカリキュラム」として学ばれている。何かを教えたことをもって、イノセントに、何かを学んだ、とは言えないんだよ。
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うーん、オレが言うとあまりに陳腐だ(笑)。まぁ、気にしないでください。もし興味があったら、原典に当たってみてくださいね。
まぁ、ともかく・・・。上に述べたようなことを、日々、「ふむふむ」と学んでいたような気がします。なるほど、と膝を打ちながら(笑)。
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こういう研究、教育社会学の言葉でいうと、解釈学的アプローチというのかな。もっと広い思想史的な位置づけをすると、構造主義的なアプローチといってよいかもしれません。
まぁ、こういう研究の他には、さらに先をいっている研究もあります。「教育研究」それ自体がもつ権力性というか、教育研究のエクリチュールそのもの、研究者の権力性が、そのものを対象にしちゃうのまであった。
これはちょうどあれですね、さっきのが構造主義だとすると、いわゆるポスト構造主義的なアプローチといってよいかもしれない。
人々の振る舞いの背後に「隠された構造」を明らかにしている学者のエクリチュールそのものを、対象にしちゃうぞい、みたいな研究です。
こういう研究はね、聞いていて、まさに「目からウロコ、鼻から豆乳」的な衝撃を受けました。
ひえー、スゲーな。そこまで真摯に問い続けるか、という感じです。ゾウリムシレベルの単細胞中原、そんなこと、考えたこともなかったからね。
「教育ったらいいものだろ」「研究者って中立で科学的なものだろ」と素朴に思っていましたから。僕は、教育や研究にヒューマニズムを感じていた学生の一人だった。
でも、こういう研究に僕は圧倒されちゃった。で、なぜだかわからないのですけれど、次第に、僕は言葉を失っていたのです。
教育学部に進学した当初は、自信たっぷりに雄弁に教育を語っていたのに(これも危ない)、なんか、語り得る言葉をすっかり失ってしまった。
一言でいうと、「この後、何があるのかなぁ」みたいな感じ。「ここまで言われちゃったら、それ以上、僕に何ができるんだろう」という感じです。そんな、ある種の虚無感を感じていました。
こういう傾向は、僕だけではなかったように思います。まわりの学生たちも、多かれ少なかれ、そうだったんじゃないかな。
何をすればよいのか、次にどこに向かうべきなのか、がわかんなくなってきた。
「教育学って何だろう」とか、「教育研究っていかにあるべきなんだろう」みたいなところまで疑いはじめるんですね。しまいに、なんで、オレ、ここにいるんだろう、みたいな感じまで、問いが無限遡及しはじめる。
---
でも、僕の場合、だんだんと少しずつ疑問がわいてきたんですね。一言でいうと、「僕にはこれ以上何もすることができないんだろうか」という疑問です。
もちろん、誤解を避けるために明言しておきますが、先ほどのような構造主義的、ポスト構造主義的な教育研究のあり方が間違っているということでは断じてない。そうした研究はとても重要です。今だからこそ、価値はさらに高まっているでしょう。
でも、これはキャラといってしまえば「ハイ、それまでよ」なんだけど、僕は生来、おしゃべりで、多動気味で、脳天気なところがある(笑)。
そういう自分の性格から考えて、どこかアクチャルで、Tangibleなモノの創造にかかわっていきたい、という思いがありました。なんか「でも何かやりたいよなぁ・・・」って気したのです。
そこで、僕はこう考えることにした。一言でいうと、
それでも、明日も、教育は止まらない
こう言い切ってしまうと蒙古斑的な青さがある(笑)。
でも、「それでも、明日も、教育は止まらない」のであれば、「教育の暗部」「教育研究の暗部」を抱えつつも、それを膝にかかえつつも、何かを創り出すということができないか、のだろうか、と真剣に悩んだ。
それはもしかすると、僕自身が「暗部」に荷担することになるのかもしれない。「大きくなれよー」じゃなかった、「黒くなれよー」みたいな(なんかのCM)。いや、確実にある意味ではそうなる。でも、それにもかかわらず、チャレンジしてみたい、と思ってしまったのです。
ここで重要なのは、「暗部を抱える」というメタファです。断じていいますが、こういう決断をした僕は、ポストモダンの思想が明らかにしたことに関しては、何一つ解決していない。だけれでも、僕は無反省にそういう決断を、確信犯的にした。
否、正しくは、研究者として僕がやっていけるのだとしたら、そういう可能性しかないのだろうな、と思ったのです。それが、僕という人間が、研究者になった場合に背負う「業」なのではないか、と。
---
要約します。僕はこういう決断をした。
まずは、ポストモダンの闇を抱える。それはきっと僕から一生離れては消えない。その上で、権力にまみれつつ、過去の先行研究、知見に基づいて、エビデンスを担保した上で、「よい」と思われるものを創り、なるべく誠実に、人からフィードバックをもらったり、評価したりすることを選んだ。
その道は、哲学的に考えるとピュアじゃないと言われるかもしれない。だけど、僕はそうせざるをえませんでした。一言でいうと、「十字架らしきものを背負って、一生指をさされる覚悟」をしました。「構造と力」風にいうならば、「シラケつつノリを創り、ノリを創りつつシラケル」態度を決め込んだ。
誤解して欲しくないので言いますが、僕は、人文社会諸科学の知を切り捨てた、とか、自分のとった選択肢がそれよりも素晴らしかった、と言いたいわけでは断じてない。
もちろん、「だから日本の教育学部はダメなんだ」「日本の教育学部は実践的じゃない」とか、そういうしょーもないペンペン草もはえないうようなことを言いたいわけでもない。そう思われたのだとしたら、それは100万パーセントの誤解だ。
今日の話は、ある程度、人文科学の知識がないと、何いってんだ、という話かもしれないけれど、そういうことじゃないんです。そうじゃないんだよー。
---
とにもかくにも、僕がそんなことを考えていた頃、折しも、当時、ちょうどインターネットという言葉がだんだんと世の中でも使われ始めてきて、CSCL研究(Computer Supported Collaborative Learning:コンピュータを活用した協調学習研究)という領域が立ち上がった。
東大では、よくCSCL関係の研究会が開かれていました。海外で創られたいろんなシステムが紹介されていた。僕は当時学部3年生、4年生。有名な先生方にまじって、研究会に参加していることが、本当に楽しかった。
ただ、先ほどのような研究が流行っているということになると、、自ずとCSCLに関しても、「コレクトとされる問いの立て方」は、こんな感じになる。
「コンピュータが現場に導入されるプロセスを観察し、そのポジティブな影響とネガティブな側面を語る」
事実、僕はこれで卒業論文を書きました。だけれども、大学院に行ったら、これとは違った問いの立て方をしてみたくなりました。かくして、僕は大阪で暮らし始めました。
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大阪に行ったのは、今から10年くらい前のことになります。今でも思い出すけど、一番最初の大学院のゼミのときには、自己紹介があった。そのとき、僕は自分の将来を、不遜にも「哲学する工学人」になりたい、と言いました。
きっとね、僕は、ある意味で、イノセントに目を輝かしてモノをつくることはできないんじゃないかな、と思っていたんでしょうね。「新しい機能できたぜー」と言いつつも、どこかで、「あー、これがもたらす帰結は・・・ムムム」となってしまうというかね・・・。
でも、それにしても、不遜だねー。M1が「哲学する工学人」とは、何様だ、何ザレゴト抜かすか!って感じだよね(笑)。みんな寛容な人たちでよかった。
でも、僕はそう思ったのです。もちろん、それがよかったのかどうかわかりません。その方向性が正しいかどうかも。とにもかくにも、今に至っているというのが現状です。
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うーん、こんな昔話が、誰の何の役に立つのか知らないけれど、なんか、熱っぽく書いちゃったねぇ。
自分でもわかんなくなってるので、他の方が、ましてや先の学部生さんにわかっていただけるかは、いささか心許ないのですが。
でも、誰にでも大学院に進学するときには、きっと決意とか、物語とかあるんじゃないかな、と思うんですね。大学院進学に悩んだら、そういう物語を聞いてみるといいのではないでしょうか。
それで、大学院には行くのを辞めたくなっちゃうかもしれないけどね(笑)。
また飲んだときにでも話そう、この話題(笑)。それがいいよ、絶対。それまでには、もっと雄弁に語れるようにしておきます。
よい週末を!。そうだ、Happy x'mas!、いい夢を。
なんじゃ、そのオチは(笑)。
おやすみ。
投稿者 jun : 2006年12月22日 23:34 | トラックバック
インターネットで習い事
インターネットで習い事。本日のNHK朝のニュースで紹介されていたもの。コンシューマー向け(B2C)というサービスですね。
これはあくまで「習い事」、「ネット習い事」です。「e-learning」という言葉がなくなるところに、多彩なサービスが生まれてくる一例でしょうか。
ヤマハミュージックスクールオンライン
http://musiclesson.jp/
インターネットでデッサン
http://www.e-dessin.com/
「ネットでヨガ」もあったんだけど、時間がなくて探すことができませんでした。ヤマハの講座いいなぁ・・・。ピアノ、これで、やりなおそうかな。
投稿者 jun : 2006年12月22日 05:48 | コメント (3) | トラックバック
インターネット市民塾と<あなた>
昨日、総務省の会議で「富山インターネット市民塾」の柵さんに久しぶりにお会いした。柵さんとは、数年前?に文部科学省の生涯学習関係の委員会でお話をうかがって以来だった。
富山インターネット市民塾
http://toyama.shiminjuku.com/home/index.html
インターネット市民塾とは、一般市民がインターネットを利用し、誰もが「講座」「サークル」を開催することのできるWebサイトである。一言でいうと、いわゆる「学びのフリーマーケット」。平成14年から運用を開始し、現在11万人がこの場で学んでいるという。
地域には、一芸や知識に秀でた市民がたくさんいる。そうした市民を情報の受け手とするのではなく、発信者にする。
情報を発信していく人が増え、それをコアに様々なコミュニティが形成されれば、ひいては地域振興にもむすびつくだろう。また地域の「学習社会化」が進んでいく。インターネット市民塾の理念は、こういうところにあるのだと思う。
ちなみに、市民は、自分で講座のプランをたて、値段をつけ、参加者をつのり、授業を行う。すべては自主責任の世界だ。生活関連、ビジネス関連の講座が人気だとか。郷土関連の講座も、根強い支持がある。
もうひとつ、インターネット市民塾のオモシロイところは、このシステムを利用する地域が増えていることだ。
「せたがやeカレッジ」「おおがた学校」「わかやまインターネット市民塾」「徳島インターネット市民塾」「東京e大学」「富山e大学」「e-市民塾みらい」の現在7つが、兄弟市民塾として活動を行っている。システムは富山市民塾のものを融通しているところもあるそうだ。
---
市民塾の発展は、もはや言い古されて手垢だらけの言葉を使うならば、2.0的だと思う。こういうインフラストラクチャが広まぅていけば、学習社会の実現につながるのだと思う。
今年のTIMEのPerson of the Yearは「あなた」だ。
投稿者 jun : 2006年12月21日 09:36 | トラックバック
使える道具をつくる:樽本徹也著「ユーザビリティエンジニアリング」
久しぶりに樽本徹也氏の「ユーザビリティエンジニアリング」を読みなおしました。
ユーザビリティとは、一般に「使いやすさ」と訳されます。しかし、樽本氏は、それを敢えて「使用可能性」という風に訳します。単に「使いやすさ」という快不快の問題ではなく、よいインタフェースをもたないツールは、そもそも「使えないこと」を強調したいからでしょう。
ということになりますと、ユーザビリティエンジニアリングとは、「ユーザの立場にたった、使える道具をいかにつくりあげるか」という方法論になります。この本には、そのための手法が紹介されている。
---
興味深かったのは、ユーザテストにかかる費用に関する記述でした。本書では仮にこれを「テスト1時間、ユーザ5名」とおいて試算しています。
リクルーティングの部分、つまりは被験者集めは実際には5人だけでなく予備も集めなければならないので多めに試算。そして、だいたい調査員の一人日は5万円から10万円ですので、ここでは平均をとって7.5万円で試算しましょう。
そうすると、こんな風な見積もりになります。
1.リクルーティング:15万円
2.テスト設計:2人日:15万円
3.実査:25万円 - 35万円
4.記録作成:2人日:15万円
5.データ分析:1人日:7.5万円
6.レポート作成:1人日:7.5万円
ここまで95万円。これにだいたい管理料(ディレクション費)が10%-20%はとるよね。ここでは、あいだをとって15%と仮定すれば、だいたい110万円か。まぁ、100万円強。
ニールセンのヒューリスティクス?によると、5名でユーザビリティの問題点の85%は把握できるというらしいので、まぁ、100万円程度で、その製品の85%程度が把握できるようになる。
先日、ある製造メーカにつとめる友人と、このことについて議論していたら、値段の点では「そんなもんだろう」ということで合意した。まぁ、それくらいは取らないと経営できないだろうな、と。
製品開発の現場で100万円が高いか安いかは別として、ほんのちょっとした工夫、改善で「使用可能性」が高まる、つまりは「使えるようになる」のだったら、それくらいはやって欲しいなとは、ユーザサイドとしては思ってしまいますけれども。たとえ、それが価格に転嫁されたとしても。
投稿者 jun : 2006年12月20日 08:26 | コメント (1) | トラックバック
我が研究人生は続く
今年もいよいよ残すところあと1週間とちょっとです。どのプロジェクトも、落ち着いてきました。
10月、11月はあまりに忙しくて、このまま「廃人」になるのではないか、と思ったこともありましたが、何とかかんとか乗り切りました。
下記、現在かかわっているプロジェクトの進捗状況。
「以前は頻繁に研究の進捗状況を書いていたのに、最近は、それがないねー」と言われたので。
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■なりきりEnglish!(ベネッセ寄付研究部門での研究)
W-ZERO3で動くモバイルリスニング学習教材の開発プロジェクト。 単なるリスニング教材ではない! 学習者が英語を利用する文脈に従って学ぶことができるステキな教材です。
単にピコピコとモバイル学ぶだけじゃない。ワークショップと教材が連動している、個別学習あり、協調学習ありのカリキュラムとなっています。

通常、ビジネス教材はEnglish for Specific Purposeと呼ばれるものが多い。なりきりEnglish!の場合は、これを一歩進めて、「Contexualized English for Specific Purpose」なんです。「Contextualized(文脈づいた)」ところが新しいのですね。
本プロジェクト、11月後半から12月前半に実証実験を終了し、今、分析の最中です。これから詳細な統計分析や、事後インタビューを行うつもりです。
ちなみに、このプロジェクトは3年間のプロジェクトです。来年が本実験。再来年が論文成果の公表を行います。
ちなみに分析の結果、途中経過は、大変よいものでした。
自作テスト、標準化テストのプレポスト比較は、わずか1週間のモニター試験であったのにもかかわらず、向上が見られます。また、英語学習不安などの尺度にも変化があらわれている。
もちろん数多くの反省点もある。うまくいかなかったところ、冷や冷やしたところもありました。だけれども、来年の本実験では絶対に克服したいですね。僕はこのプロジェクトをはじめる際、メンバーに話したことがあります。「自分たちが心から使いたいと思うものをつくろう」。
この結果は、3月24日のBEAT成果報告会で、山田さん@東京工業大学、島田さん@国際交流基金・北村君@東京大学大学院、中原でご報告いたします!
ぜひ、お楽しみに!
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■MEETプロジェクト
マイクロソフト先進教育環境寄付研究部門では、「未来の大学教室」を支える基盤のソフトウェアを開発しています。その中で、僕が関与しているのは、1)Web2.0系授業シラバスの開発、2)未来のノート開発プロジェクトです。

前者は西森さん@東京大学がトップ、後者は望月さん@東京大学がプロジェクトリーダです。
前者は既に発注がすみました。4月から全学で運用がスタートします。それと同時に、いわゆる2.0系の機能追加を行っていく予定です。
後者の未来のノート、e-journal plusプロジェクトはようやく研究のコンセプトが固まった段階ですね。館野君@東京大学がこの大筋をつめる仕事を現在しているでしょう。このプロジェクトには、館野君のほか、三宅君@東京大学、脇本君@東京大学M0なども参加しています。
次回のミーティングではインタフェースのデザインをします。これは結構大変だね。
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■「OJTの科学」プロジェクト
このプロジェクトは、古くて新しいテーマである「企業のOJT」にフォーカスした総合リサーチプロジェクトです。
この研究知見をまとめて、近い将来に「OJTの科学」という本を出版する予定です。
これまで、先行研究、関連理論の読み込みやインタビューなどを、シコシコと行ってきました。
これから2ヶ月程度のあいだに、1)企業におけるOJTの実態把握、2)OJTの評価、転移の様子を把握する質問紙をつくる予定です。これもただの質問紙ではない! 臨床心理学の過去の先行研究のある手法を用いています。フフフ。
荒木さん@東京大学大学院、北村君@東京大学大学院、中原の共同研究プロジェクト。
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■「人を育てる科学」ワークショップの開発
「企業人材育成入門」を執筆したメンバーによる共同研究プロジェクト。今度は、あの本で紹介した教育学、学習科学のエッセンスを学んでもらうための2日間のワークショップを開発しようと思っています。
どうせ開発するのなら、ステキなWorkshop of Learningをつくりたい。ステキな学びの場を創ることができるのは、そういう学びを経験した人だけなのです。
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■ITを活用した教師教育
鈴木真理子さん@滋賀大学、永田智子さん@兵庫教育大学、望月さん@東京大学、西森さん@東京大学、笠井さん@岡山大学との共同研究プロジェクト。
このメンバー+酒井君@東京大学で、「ITを活用した教師教育」(鈴木真理子+永田智子編著)に関する本を書いています。僕はちょっとだけコラムで登場します。
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■おやこdeサイエンス
OYAKOは今年で最終年度。成果発表(=論文化)を行っています。査読を通ったものが1本、査読待ちなのが1本、投稿前が2本です。投稿前のものも、すでにスケジュールが組まれており、順次投稿される予定です。

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以上が東京大学で行っている研究プロジェクトです。
これ以外にも、外部の団体のWebサイト開発、ワークショップ開発など、コンサルティング・研究開発などを行っています。商品開発などのワークショップにも参加しています。こちらは、NPO法人 Educe Technologiesの仕事ですね。

NPO法人 Educe Technologies
http://www.educetech.org/index.html
---
また、学内では「東京大学の教育の情報化」の各種のプロジェクトのディレクションしています。こちらは、今、新しい組織づくりをしているところです。

東京大学教育企画室 教育リデザインプロジェクト
http://tree.ep.u-tokyo.ac.jp/
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こう列挙すると、結構いろいろなことをやっているなぁ。
嗚呼、毎日エキサイティングな日々です。
パンツを掃き忘れるほど忙しいけれど(12月1日の日記参照)、毎日が愉快で愉快でたまりません。
そして、我が研究人生は続く・・・。
投稿者 jun : 2006年12月20日 05:00 | コメント (2) | トラックバック
同窓会に行ってきた!
先日、高校時代の同窓会が東京で開催されました。高校を卒業してから、はや13年。一瞬瞼を閉じて、ふたたび開いたら、ここまで来ちゃった気がするけれど。
最初の店に集まります。なんか気恥ずかしくて、最初のうちは、お互い探りあっているところもありましたけど、すぐに呼吸を取り戻しました。
---
不思議なものですね。13年あってなくても、すぐに「トバー」「上野ー」とかになる。あの時の雰囲気がそのまま戻ってきます。
今や僕らをつなぐ共通点は、15歳から18歳までの間の3年間、同じ校舎で過ごした、というその一点しかないのだけれどもね。でも、その一点は強固みたいです。当時話したことのない人でも、なぜか話せる。
---
同窓会のコミュニケーションは、基本的に、下記のプロセスをとると思われます。
問いかけ「あの頃、君は~したことあったよな」
ボケ「えっ、そうだっけ?」
呼びかけ「そうだよ、なぁ、みんな」
同意「そうそう」
笑い「ハハハハハ」
ですね。
僕は、長期記憶が崩壊し、いまや短期記憶をつないで生きているので、よー、ネタになりました。
「黒板を見ると、いつも授業中に耳かきをしている中ちゃんが見えた」
「日本史の時間、中ちゃんは、先生に”中原靴下はきなさい”といつも怒られてたよな」
「中ちゃんは、いつも授業を中抜けしていたよな。先生に”一度失った信頼は取り戻せないぞ”とか言われてた」
などなど・・・。
そうか? それは僕のことですか?
・・・全く記憶なし。
あと、キャラが丸くなったね、とも言われた。
「あの頃、中ちゃんは尖っていた」
「中ちゃんは、怖くて、声をかけずらかった」
「なんか、今日久しぶりにあって丸くなってびっくりした・・・」
とか、複数の人に声をそろえていわれた。
要するに、「性格が悪い」ってことですね(笑)。
つーか、はっきり言えよ(笑)。
そういえば、ちょっと前、旭川のスーパーで、中学校の時の同じクラスの女の子とバッタリであって、少し話したことがあります。そのときも同じようなことを言われたことがあります。
「あんた、中学校の頃、ほんとに嫌なやつだったよね」
素直すぎてステキ(笑)
・・・・って、素直すぎんだろー、コラ(笑)。
トホホ・・・覆水盆に返らず。
若い皆さんは、気をつけてください。そのときは何も言われなくても、13年たったら本音がでます。
---
今回の同窓会、僕は親友と一緒に出かけました。静岡に彼は住んでいるので、うちに宿泊したのですが、こんなことを言っていた。
「高校の頃とは予想のつかない方向に人は流れて行っているなぁ」
うーん、確かにそうだね。
あの頃、僕らが抱いていた人物像とは、おおよそかけ離れた職業についている場合もあれば、そうでない場合もある。
毎日が楽しそうに見える人もいれば、大変そうな人もいる。それは、高校時代の姿には、それほど相関がない、と思います。まさに「人生いろいろ」だよなぁ・・・。
---
帰り際、昔流行ったダウンタウン浜田の歌詞を、ワケもなく、急に思い出した(なんていう歌かは忘れた)。
たまには こうして肩をならべて 飲んで
ほんの少しだけ 立ち止まってみたいよ
純情を絵に描いたような さんざんむなしい夜も
笑って話せる 今夜はいいね
温泉でもいこうなんて いつも話してる
落ち着いたら仲間でいこうなんて でも
ぜんぜん暇にならずに 時代が追いかけてくる
走ることから 逃げたくなってる
この曲が流行ったのは、たぶん、僕らの高校時代だったと思う。そのときは、何とも思わず、「メロディ」を聴いていたけれど、年をとってあらためて思い出してみると、今度は、その「歌詞の意味」が、わかるような気がする。
ともかく、同窓会はいいものだ。
また来年やろう。
投稿者 jun : 2006年12月19日 09:29 | コメント (1) | トラックバック
【残席5つ】TOEICを創った男たち・・・12月のLearning bar@Todai
残席5席です。
ふるってご参加下さい!
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Learning Bar@Todai 2006年12月
「TOEICを創った男たち」
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2006年12月のLearning bar@Todaiは、
「TOEICを創った男たち」と題して、株式会社ラ
イトハウスの坂井修さんをお招きします。
坂井さんは、TOEICの立ち上げに関わり、
現在は、株式会社ライトハウスを起業、音声
認識エンジンを搭載したスピーキングソフト
の開発をなさっています。
Learning barでは、
1)TOEICの歴史とそれにまつわるストーリー
2)音声認識スピーキングソフト
について語っていただきます。
※なお、今回のLearning barはワークショップ
スタイルでは行いません。
中原 淳
---
●日時
2006年12月22日 午後6時30分 -
●場所
東京大学 大学総合教育研究センター
マイクロソフト先進教育環境寄付研究部門
http://www.utmeet.jp/
●参加費
社会人(所得税を支払っている人)500円
学生 無料
●参加申し込み
氏名、ご所属等を明示のうえ、下記までメール
をください。準備のご都合がありますので、キャ
ンセルの際は、必ず事前にご連絡をいただければ
幸いです。
問い合わせ先:
sakamoto [at mark] mail.itc.u-tokyo.ac.jp
(坂本)
========================================
投稿者 jun : 2006年12月18日 12:00 | トラックバック
NHK音楽祭2006 & 臭い立ち込めるパリ
NHK教育でやっている「NHK音楽祭2006」。今年はモーツァルト特集。
先日、ドイツ文学者池内紀氏の「モーツァルト考」を読んだばかりだったので、とても興味深く見ている。
池内紀氏は、ドイツ文学を専攻するエッセイスト。東京大学文学部教授を定年退官前に辞しました。たぶん退官の年だったと思うのですが、僕は、彼の授業をとったことがあります。
「モーツァルト考」は、ヨーロッパの地理、歴史、文学に関する彼の博学を駆使して書いたエッセイ。モーツァルトは「いい時代に死んだ、あの後生き続けていても、ロクなことがなかった」そうです。その秘密は、本書を読んでね。
それにしても、残念なのは、仕事をしていて、最初の方を見逃したことです。誰か、ビデオとっていませんか?トホホ・・・。
追伸.
モーツアルトといえば、その精神構造の幼さと、スカトロジーが有名ですね。本書には、彼の書いた手紙も収録されている。
ちなみに、個人的に非常に興味深かったのは、18世紀のパリが「想像もつかないほどの悪臭に満ちていた」という事実が紹介されていたことです。
下記、ちょっとあまりにオゲレツなので全文引用はしませんが、一部だけね(p94)。
---
通りはゴミだらけ。中には小便の匂いがした。人々は汗と不潔な衣服に包まれ、口をあけると口臭が匂い立ち、ゲップとともにタマネギの匂いがこみあげてきた。若さを失った身体は、古チーズとすえたミルクと腐乱した腫れ物の匂いがした。宮殿もまた橋の下と同様に悪臭を放っていた。百姓とひとしく神父もくさい。貴族は誰といわず臭かった。王もまた臭かった。悪臭の点では、王と獣とさして区別はつかなかった。
---
獣なみの匂いって、すごい王だな(笑)。でも、あの美しいパリが、そんな感じだったなんて、にわかに信じられないですよね。ベルバラはどうなんだろう。タマネギ臭のオスカルは、あまりいただけない。
でも、ルイ14世の生きていた時代って、そういう時代だったということです。ちなみに、臭いがなくなるのはフランス革命後だそうです。その頃に、衛生思想ができて、衛生院というのがつくられた。いわゆる「臭い狩り」がはじまったそうです。で、臭いは消えた。
「臭いは人工的に消すもの」なのですね。
現代人からすると、ちょっとこの感覚は遠いけどね。
投稿者 jun : 2006年12月17日 23:44 | トラックバック
リベンジするダリ:上野の「ダリ回顧展」に行ってみたが・・・
最近何かと話題になっている「ダリ回顧展」を見にいこうと、上野へ。休みの日くらい、家でじっとしていればいいのに、すぐに「おそと」で遊びたくなるのは我が悲しい性分。
1時間ちょっとかけて、ようやく着きましたよ。
おー、ダリだ。「わたしはダリでしょう?」とか言ってるよ。

おや?
あれっ?、この行列は何かな・・・?

オーノー!!!!!!!(叫び)

ただいま入場制限中・・・
行列、90分待ちだって。
やられた・・・。
敗北・・・。
確かに、行ったことのある人から「中原君、混んでるから覚悟したほうがいいよ」と聞かされていたが、これほどのものとは。つーか、そこまで混んでるって、教えてくれー。
というわけで、さすがに1人で90分外で待つのはイヤなので、結局、トボトボと大学に戻りました。研究室のお片づけをしてました(最近引越をしたのです。引越にはTREEオフィスの河野さん、鈴木さん、山本さんには特にお世話になりました。ありがとうございました)。
トホホ・・・
おかげで片付いたことは片付いたけど。

クソー、めちゃめちゃ悔しいわ。
近いうちに、リベンジするダリ。
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投稿者 jun : 2006年12月17日 10:08 | コメント (2) | トラックバック
ワークショップとスタイルシート
このところ、時間の合間を見つけて、ワークショップをデザインしている。
今、具体的にワークショップを含む案件を3つ抱えている。この3つに関しては、来年度、僕自身がワークショップを実施・運営しなければならない。その構成を具体的に考える。
学習目標、学習者の層は決まっている。そして、尺もある程度は決まっている。それらの制約のもとに、効果的な要素配列を考える必要がある。
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そこまで考えて、はたと思った!
僕はさっき「ワークショップのデザイン」と何気なく言ったけど、いったい、それは固有のプロセスを有するのだろうか。
1.学習目標の行動目標化(明確化)
2.学習者のレディネスの把握
3.行動目標の下位分類化
4.学習要素の配列
5.形成的評価
6.実施
7.総括的評価
ということになると、これは思い切り教授設計理論そのものである。教授設計理論というのが嫌であるならば、工学メタファのカリキュラム設計理論といってもよい。デカルト的方略といってもいいぞ。このプロセス自体には、一見、ワークショップならではの固有性はないように思える。
うーん、ひとつは明確に異なる点があるな。でも、それ以外は、どうなの。まぁ、いいや、このことは・・・またゆっくりあとでね。もう一度、具体的な問いに戻ろう。
僕は「描いて考える」人間である。「うーん、どないしよ・・・うーん」と唸り、紙に「へたくそな絵」を書き殴っていく。そうすると、自分が見てみたいと思っている学習者の姿が、具体的に見えてくる。
週末・・・僕の机の前には、A4用紙が数十枚散乱している。
皆さんはどんな週末をお過ごしでしょうか。
よい週末を
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先日から思うところあって、寝る前にスタイルシートの勉強をしている。寝る前の1時間ね。
「ははーん、こういうことなのね」
100万年と3ヶ月遅いかもしれないけど、「よーできてんなー、この仕組み」。
だいたいはわかっていたつもりだったけど、今まで、ずっとわかってなかったな、オレは。
わ



