日本酒 渋谷 「澤村」
ちょっと前のことになるが、日本酒の専門店「澤村」で催された「古酒の会」に参加させていただいた。「澤村」は渋谷マークシティから歩いて1分のところにあり、漫画「美味しんぼ」の53巻に紹介された店。この日は、1万円で古酒が飲み放題であった。
澤村
http://www.kohosha.org/sakuhin/etc/sawa/sawamura.html
平成元年、平成2年・・・今から15年ほど前の日本酒の「古酒」がおしげもなく振る舞われる。店には多くの日本酒ファンが訪れていて、澤村さんから手渡される酒を、今かいまかと待っている。

古酒。・・・そりゃ、美味い。
先日の映画の感想「面白かった」ではないけれど、それ以外の言葉を発する必要がない。それは、いわゆる「なんちゃって日本酒」の味をこえ、上質のワイン、上質の泡盛のような味わいになっているものもある。はからずも・・・というか、アタリマエなんだけど、杯が進む。
日本酒嫌いの人がいたとしたら、ぜひ、古酒を勧めたい。スーパーマーケットで売っているような日本酒とは、全く違った世界がそこには開けている。飲まず嫌いが直るだろう。

都内でも、おいしい日本酒が飲める店は少ない。
「澤村」は疑いもなく日本酒業界のトップランナーである。
投稿者 jun : 2006年08月31日 18:00 | トラックバック
映画の感想「面白かった」は避けた方がいい!?
以前、ある方からこんな話を聞いた。
その方いわく、
映画を見たあとでこんな会話をする男とだけはつきあわないほうがいいよ。
女「どうだった?」
男「面白かった」
女「どんなところが?」
男「全体的に」
こういう男は避けた方がいいそうだ。
「あのシーンで、あの娘が、あんな行動をとったのは、こんな気持ちからやむにやまれずだったのではないだろうか」
そういうディテール、5W1Hを想像できる男を見つけた方がいいのだそうだ。
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そんな男、やや気障な感じもしないわけでもない。しかし、心の機微を把握するためには、他者を観察する能力と、その他者の立場にたって物事を考える「想像力」を必要とする。
映画を見たときに、ディテールを描写できる男は、本当に彼とつきあったときも、自分のことをいろいろ推し量ってくれる可能性が高いのだという。
選好の問題に口出しをするのは、僕の本意ではない。誰がどんな男を好きでも、僕の知ったことではない。ただ、ほほー、いろいろ男も見られているのね、と思って少し背中が寒くなった。そんなものかねー。ちなみに、映画館を出た僕がいつも口にするのは、「いやいやいや、すげーな」。
投稿者 jun : 2006年08月31日 09:29 | コメント (4) | トラックバック
チョコレートで包んだブロッコリー!?
大学院入試関係最終日です。これが終われば・・・遊べる・・・ハズはなく・・・「たまった仕事」が待っているだけである・・・ひでぶっ。
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ところで、先日8月5日に開催された「ゲーム・ルネッサンスシンポジウム」のWebができました。
ゲーム・ルネッサンス シンポジウム
http://www.beatiii.jp/seminar/023.html
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再度記事を読み直して、藤本さんがおっしゃっていた指摘に笑ってしまった。
多くの「教育用」ゲームは「チョコレートで包んだブロッコリー」
その心は、たぶん、こういうことでしょう。
表面を「甘いもの=キャラ」などでとりつくろっているので、子どもの食いつきはよいのだけれども、「食べ進めるにしたがって=学習を進めると」、「嫌いなブロッコリー=勉強」がでてくる。さらに、チョコとブロッコリーの食い合わせが悪くて、二度とトライしようとは思わなくなる。
なかなか深いたとえですね。
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でもね、チョコでは困るんだけど、「ブロッコリーに対する下味」が全く必要ないか、というと、そうではないと思うんです。そこまで論理飛躍されると困る。
「ブロッコリーはブロッコリーのまま食べさせればいいんだ!」
というのは、教育コンテンツをつくったことのない人か、理論を下敷きにしてしかコンテンツを見られない人の発想ではないかと思うんです。アメリカのレストランじゃないんだから、そのままでどうする。
現実は違います。ある程度、興味を持ってもらったり、学習内容をわかりやすくするためには、教育コンテンツには、ある種の「演出=下味」が必然的につきまとうのです。「演出」という言葉が嫌ならば、「文脈づくり」といってもいい。いずれにしても、ブロッコリーを「おいしく食べてもらう」ための、下味づくりがいるのですね。そこにクリエイティブの要素がでてきます。
ブロッコリーをいかにおいしく自然に食べてもらうか。
たとえば、黒胡椒を少しきかしたコンソメスープで煮るとかね、そういう微妙な下味でもいいのです。
「おいおい、つーか、ブロッコリーかよ。何?騙されたと思って食べてみろって? だいたい騙されんだよ、そういうときは。しゃーねーな・・・・おっ、ちょっと違った香りがするな・・・試しに食ってみるか。あれっ、これ、うまいじゃない。なんだろ、これは、いつものブロッコリーとは違う。もう一個食ってみるか、オレ、ブロッコリー食べられるんじゃねーの。食わず嫌いだったんじゃねーの。ありがとう、かあちゃん。」
みたいな展開になるかもしれない。技巧をこらしてね、自然に自然に。ちょっと大人好みかな、この下味は。
いずれにしても、言いたかったことは、教育コンテンツには下味が重要だよ、ということです。教育コンテンツをつくったことのある人にとっては、アタリマエのことですが、なにせ教育業界は極端に振れますので、一言だけ。
ちなみに「はちみつをコーティングした納豆」とかはお断り。
僕、納豆嫌い!
投稿者 jun : 2006年08月30日 08:55 | トラックバック
大学院入試
大学院入試続いています。今日は面接最終日。
昨日も面接だったのですが、心も体もクタクタになりました。やはり入試は、いろいろ対応に気を遣わなくてはなりませんし、なにせ長丁場(昨日は8時まで!)ですので、試験をする方も、やられてしまうのです。ある先生は「早く風呂はいって寝るぞ!」とおっしゃっておりました。
気になるのは、大学院入試のせいで、すべて止まっているお仕事たちです。いろいろなかたがたにご迷惑をおかけしていますが・・・すみません。
入試が終わるのはやれやれですが、終わったあとも、僕には「修羅場」が待っている。それを思うと、困惑してしまいます。トホホ。
投稿者 jun : 2006年08月29日 07:44 | トラックバック
さよなら、僕のステレオセット
とうとう、波のようにお別れがきました。
これまで、騙しだまし使っていた、15年ものの「単品コンポ」でしたが、ついに手放すことにしました。すでにカセットデッキやチューナーに関しては数年前に故障してしまいましたが、CDやアンプに関しても、限界を迎えました。
このコンポは、僕が高校入試に合格したときに親にお祝いとして買ってもらったものです。CDプレーヤーにはこれ、アンプにはこれ、チューナーはこれ、カセットはこれ、とその当時、コンシューマー向けに売られていたものの中で、よいものをひとつずつ選びました。当時のお金で40万近くしたはずです。
数年かけてカタログを検討し、専門の雑誌を定期購読して、選びました。当時売り出されていたコンポの中で、僕が手に届くものとしては限界の性能のものを選びました。これが、自分の部屋に運ばれた日のこと、15年たった今でも、つい数日前の日であったかのように覚えています。いやぁ、嬉しかったなぁ。
それから15年・・・こいつは、いつも僕といました。
タ○コに火をつけてむせ返ったあの日も。はじめてつきあった女の子とでかけた夏祭りの日も。一日15時間以上机に向かっていた大学入試直前の日々も。4畳半のクーラーのない部屋で暮らした大学時代の日々も。曙光すら見えぬ中、ひたすら日々研究に打ち込んだ大学院生の日々も。駆け出しの研究者としてスタートをきった日々も。現在のパートナーと新たな生活を開始した日も・・・。
苦労した日々も、嬉しかったことも、こいつ以上に、僕の15年間を、すべて知っている存在はきっといないことと思います。
そりゃ、何度も手放そうと思いました。広い部屋のある北海道の実家ならいざしらず、内地の4畳半の部屋で、バカデカイ単品コンポをおくのは、愚弄以外の何者でもありません。布団を引いてしまえば、もうそれ以上に、何かをおくスペースすらないのです。
しかし、僕は、今までこいつを手放すことはできなかった。どんなに図体が大きく、どんなに古いものでも、僕にとっては、かけがえのないものだったのです。
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しかし、そろそろ波がひくように、別れの時がきました。
かたちあるものは、いつか壊れます
そして、はじまりがあるものには、必ず終わりがあります。
近々、引越しをすることから、どうしても、もう置いておけない事情が生まれました。
きっと、誰かの手によって、こいつは再び命をふきかえし、僕の知らない誰かの部屋で、僕の知らない素敵な音楽を奏でることでしょう。それはまた愉しいことではないですか。
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最期に一緒に写真を撮りました・・・。

これほど、思い入れのある買い物を、生涯で僕は二度とすることはないと思います。どんなにお金に余裕ができたとしても、こんな風に買い物はできない。
さようなら・・・ありがとう。
数日後、僕とこいつは、違った道を歩き始めます。
投稿者 jun : 2006年08月27日 22:10 | コメント (3) | トラックバック
人材育成本、校正開始!
ダイアモンド社の編集者の方より、「人材育成本」の初稿がおくられてくる。僕が執筆・編集した本としては、はじめての縦書き! レイアウトも非常に綺麗で感動した。苦労した本であるだけに、非常に嬉しい。
今日は、ある件で一日中忙殺されていたが、夜は長い。これからシコシコと校正をしようと思う。ちなみに発売は10月の予定。下記のキーワードを企業事例とともに解説する参考書のような本です。ぜひ、お楽しみに! こうてちょ(死語を楽しむ)。
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序章 「企業は人なり」とは言うけれど
コラム コーポレートユニバーシティ
コラム eラーニング
1章 学習のメカニズム
1.1.人生いろいろ、学びもいろいろ
(行動主義、認知主義、状況主義)
1.2.講義は忘れ去られる運命にある!?
(長期記憶、短期記憶、二重貯蔵モデル)
1.3.協調学習は仲良しゲームじゃない!?
(協調学習理論)
1.4.オトナのマナビかた
(成人学習理論)
1.5.物語を通して学ぶ
(ナラティヴモード、パラディグマティックモード
ゴールベースドシナリオ)
1.6.誰でもはじめは初学者だった
(熟達化とは何か?)
コラム コーチング
2章 学習モデル
2.1.教育と学習は違うのか
(Laveの正統的周辺参加論)
2.2.学習転移モデル:基礎から応用へ
(正の転移、負の転移)
2.3.経験学習モデル:マイセオリーづくりを支援する
(kolbの学習理論)
2.4.批判的学習モデル:教育の中身を決めるのは誰か
2.5.正統的周辺参加モデル:学習と仕事の境界線
コラム アクションラーニング
3章 動機論
3.1.人はそもそもやる気に満ちている!?
(動機心理学の歴史)
3.2.外側からのやる気、内側からのやる気
(内発的動機、外発的動機)
3.3.「やる気のなさ」は学習される!?
(学習性無気力)
3.4.やる気を高める方法
(ARCSモデル)
3.5.我を忘れて没頭する
(チクセントミハイのフロー理論)
コラム ニートとフリーター
4章 インストラクショナルデザイン
4.1.効果的な研修をつくるには?:
インストラクショナルデザインの利用
4.2.しょっぱなダメなら皆コケる:教育目標の分析
4.3.教材づくりには順番がある:ADDIEモデルを意識せよ
4.4.何を指針にどのような教材をつくるのか?:
学習支援理論を知る
4.5.明日のために評価せよ!
コラム 成果主義
5章 学習環境デザイン論
5.1.環境に目を向けろ!:
インストラクショナルデザインとの違い
5.2.学習環境デザインの理論家たち
(Lave、エンゲストロームなど)
5.3.学習者のコミュニティ
(ウェンガーの実践共同体)
5.4.知識創造という考え方
(野中郁次郎の知識創造理論)
5.5.2つのデザインを行き来して
(IDと学習環境デザインの違いと併用)
コラム ナレッジ・マネジメント
6章 評価論
6.1.なぜ評価は必要か?
6.2.かたちづくるための評価!?
(Formative Evaluation)
6.3.何を評価するのか?
コラム リーダーシップ教育
7章 キャリア開発論
7.1.なぜ今キャリア開発なのか?
7.2.自分らしさとサバイバル
7.3.節目で一皮むける
7.4.計画された偶然性
7.5.コミュニティを見つける
コラム キャリアデザイン事例
8章 企業教育の政治力学
8.1.教育は神聖な活動か?
8.2.企業教育で売り上げは上がるのか?
8.3.外部講師のサバイバル戦略を見極める
8.4.研修を受けるのもシゴトのうち
8.5.人材育成担当者はどう評価されるのか
コラム 企業DNA
コラム 早期退職防止
終章 人材育成の明日
コラム 企業を超えて広がる人と人との新たな結びつき:
コミュニティ・オブ・プラクティス
コラム さらに深く学びたい人のために
次の一歩を踏み出す<あなた>
に贈るブックガイド
あとがき
著者紹介
投稿者 jun : 2006年08月27日 00:00 | コメント (4) | トラックバック
dakkoroom + 横浜ベイクォーターのこと
2006年8月24日、横浜に誕生した横浜ベイクォーターには、今度「偵察」にいかなくてはね、という話をちょうどしていたところだった。橋本さんには、先を越された(悔しい・・・)。
dakkoroom + は次世代託児所となるか?
http://e-learning.toromi.com/archives/2006/08/dakkoroom.php
子どもが少なくなればなるほど、一人の子どもに投下される資本は大きくなる。そして、単に「子育て」をするのではなく、「子育ての質」や「親としてのクオリティ・オブ・ライフ」がとわれる時代になる。
これまでにも、ベビーシッターの学歴や経験をうりに、託児所を運営したり、派遣業を営んだりする例はあった。が、テナントが密集するビルディングに、早期英語教育などで付加価値をあげる託児所をつくるとは・・・。
橋本さんが言うように、子供を育てる夫婦にとっては朗報となるだろう。というより、「質の高い教育を提供していること」によって、「子どもを預けることに対する後ろめたさ」が相殺される、という心理的機制が作動するかな、と思う。
うーん、やっぱり偵察に行ってみよう。どんな親が利用しているか、「張り込み」だね。横浜ベイクォーターあたりで僕を見かけても、石を投げないように。
投稿者 jun : 2006年08月26日 18:32 | コメント (2) | トラックバック
アド街ック天国・・・旭川のこと
先々週の「アド街ック天国」で、僕の故郷旭川がとりあげられたらしいですね。高校時代オナクラ(同じクラスのこと・・・・なんか淫靡な響きだ)だったK君が、自分のブログに一言コメントを書いていたので、僕もマネして書いてみることにしました。
どのくらい、わかるかな?
アド街ック天国
http://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/060812/index.html
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●30位「動物園パスポート」
たった1000円で、年度末までなら何回でも入園できるという動物園のパスポート。入園料は大人580円であることを考えると2回来ちゃうとモトがとれてしまう。
旭山動物園
http://www5.city.asahikawa.hokkaido.jp/asahiyamazoo/
●29位「モグモグテラス」
動物園の飲食店だそうだ。
昔はなかったんじゃないかな・・・。
●28位「動物園の遊園地」
僕が子どもの頃、動物園といえばゴーカートでした。妹と1人ずつ違う車にのってレースをする。で、後ろから追突して、親に叱られました。チンタラするんじゃねー。アイルトン中原がいく。
●27位「エスペリオ」
牧場直営のレストランだそうです。知らないなぁ。動物園の近くにあるとか。
エスペリオ
http://northplainfarm.co.jp/esperio/index.html
●26位「動物園グルメ」
うーん、そんなのあったかなぁ。
●25位「ウェスタンパワーズ」
ウェスタンパワーズは、旭川のスーパーマーケットチェーン「ふじ」の関連企業だそうです。昔、川端町にありましたね(今もある?)。たしか、バイキングのレストランがありました。
「バイキングはゆっくり食べなきゃ、ハラにつまらん。モトとれなくなってしまうぞ」という、人類にとって大変重要なことを、僕は、ここで学びました。
●24位「あさひかわラーメン村」
動物園がでてくるまで旭川といえばラーメンです。一般には旭川ラーメンというと「醤油」だと思われていますが、地元民の感覚からすると「味噌」ではないでしょうか。
旭川人は「旭川のラーメンが日本で一番うまい」と思っています。特に「札幌のラーメンは、絶対に認めようとはしません。
「なんも、札幌までいかんでもいいしょ。旭川でもうまいラーメンあるべさ」
と、よくいいます。
北海道第一位の都市にして、人口188万人の札幌。対して第二位の都市で人口36万人の旭川。外から見ると、その差は6倍。旭川には勝ち目はありません。
しかし、旭川人の札幌人に対する対抗意識は、強烈です。ラーメンスープには、その対抗意識の強さが透けて見えます。
あさひかわラーメン村
http://www.ramenmura.com/
ちなみに、僕のおすすめは「ラーメンふるき」です。ここはタクシーでしか行けないと思いますが、出かける価値ありです。駅から20分くらいだと思うけど。
ラーメンふるき
http://www.walkerplus.com/hokkaido/gourmet/contents/hor062.html
●23位「鮨よし」
ネタの大きさが有名だそうです。あと、皇太子様が行きつけだとか。「北海道旭川市2条通4丁目 0166-25-5682」だそうです。
●22位「クレイジースパイス」
知らんなぁ・・・。
●21位「繁殖賞」
旭山動物園関係ですね・・・。知らないなぁ。
●20位「旭川銘菓」
老舗・壺屋の「き花」は確かに有名だ。梅屋のシュークリームもうまい。けれども、僕がおすすめするのは、ロテルド北倶楽部のお菓子。ちょっと値がはるが、ここが一番だと僕は思う。ここのどら焼きが好きだ。
ロテルド北倶楽部
http://www.kitaclub.jp/
あるいは、神楽岡公園近くにあるThe Sun蔵人。ここはすべてのお菓子が試食ができる・・・だから好きです。
The Sun蔵人
http://www.sunkuroudo.jp/
●19位「ペンギンの散歩」
冬の旭山動物園の風物詩。しかしながら、僕自身はまだ見たことはない。
●18位「斉藤牧場」
知らない。自然の中でごくごくアタリマエに牛を育てれば、立派に育つ。The・北海道的な風景が広がっているんだろうな、と予想する。
斉藤牧場
http://www.sc-kamui.co.jp/sai-hou1.html
●17位「堂前たばこ店」
知らない。たぶん高校の近くにあったタバコ屋かな、と予想しますが。
●16位「大舟」
知らないなぁ。
●15位「3・6街」
高○時代など、よく飲みにいきました。旭川の「のんべえ街」。あまり広くないので、先生に見つかる可能性もはらんでいる場所です。見つかったら、どうするって?
全力で明日に向かって駆け抜けろ。
●14位「ジンギスカン」
「祝い事にはジンギスカン」。入学式のあとも、卒業式のあとも、テストで100点とったあとも、何がなんでもジンギスカン。ほぼ主食状態。
・・・というのは言い過ぎかもしれませんが、よく食べると思います。
●13位「独酌 三四郎」
知らないなぁ・・・10代では行ける場所ではなかったのでしょう。
●12位「旭川競馬場」
うちの近く。仮免時代、車の練習でお世話になりました。
●11位「14枚のスケッチ」
知らないなぁ。
●10位「旭川家具」
社会の教科書では、旭川は「パルプと家具の町」という風にならうはず。とはいえ、地元民にとっては、あまりなじみはないのだけれども。
今、自分が引っ越すにあたり、オーダーメイドで質のよい家具がほしいと思います。旭川家具は、その選択肢のひとつに入るのでしょうね。
●9位「塩ホルモン」
基本。
うちは、味噌ホルモンだったけれども。
●8位「氷点」
三浦綾子の「笑点」・・・じゃねーっつーの。「氷点」だよ「氷点」。それは、僕の実家のすぐ近くが舞台です。ある病院を舞台にしたドロドロ・ジェットコースター型愛憎物語ですね。高校時代に読みました。
ちなみに、三浦綾子記念館があるそうです。僕はまだいったことはないのだけれども。
三浦綾子記念文学館
http://www.eolas.co.jp/hokkaido/hyouten/
●7位「神居古潭」
「カムイコタン」と読みます。アイヌ語で「神のいるところ」という意味ですね。石狩川の急流がうねうねと続く渓谷地です。サイクリングで行きました。比較的うちから近いです。
●6位「もぐもぐタイム」
旭山動物園の動物たちが食事をする時間ですね。行動展示というコンセプトを全国にひろめるきっかけになりました。
●5位「水中トンネル&マリンウェイ」
旭山動物園のペンギンとアザラシの展示。
●4位「男山」
旭川の地酒ですね。「男は黙って男山」といわれています。先日、実家の親から贈られてきました。たまらん、感謝。
男山純米大吟醸
http://shop.yumetenpo.jp/goods/d/nakamuraya.biz/g/n001/index.shtml
●3位「橋」
旭川は「橋」の町と言われています。大雪山連峰を源流とした川が街を数本とおっており、そこにたくさんの「橋」がかけられているのです。旭川には自衛隊の基地があるのですが、かつて戦車を通すためにつくられた「旭橋」は、非常に強固につくられています。
●2位「旭川ラーメン」
授業をさぼってよくラーメンを食べにいきました。2時間目には早弁をして、家からもってきた弁当をすべてたいらげる。4時間目には、もうおなかがへってきて、中抜けをする。で、味噌ラーメン大盛り+ライスを食べてしまう。信じられない食欲です。
かつて、オレは「牛」だったのじゃないか?
●1位「旭川市 旭山動物園」
もう説明はいらないでしょう。ぜひいらっしゃってください。
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こうして書いてみると、結構、知らないところもあるんだねぇ。今度帰省したときにでも、でかけてみたいと思います。
あとさぁ、30位までのあいだに動物園関係が多いなぁ。注目をあびるのはいいことなのですが、こんなときこそ、次の観光資源を開拓するべきときでしょうね。
観光地は必ずさびれるときがきます。過度の依存は禁物です。
ともかく、ぜひ、旭川へ。北海道の夏は8月1日からはじまりお盆に終わる、といわれていますが、まだギリギリで大丈夫ではないかな、と思います。
投稿者 jun : 2006年08月25日 07:00 | コメント (1) | トラックバック
教育ルネサンス 教師力
何を隠そう(隠してないけど)、僕の大学院での研究の出発点は「教師研究」であった。「インターネット上に、先生たちが自分の実践を検討し、切磋琢磨すること」を修士論文で扱った。そのためのソフトウェアを開発し、評価を行った。
ブロードバンドやblogが普及した今は、やろうと思えば、そういうことが手軽にできる次代だ。しかし、当時は、ピーガラガラという感じでモデムをみんなが利用していたし、まして、教師が自分の実践を語り合う場をネットワーク上に設けるなど、ほとんど例のないことであった。
だからかどうかはわからないが、それ以来、研究の対象が「教師」ではなくなっても、教師のことはずっと気になる存在である。新聞を読んでいても、論文を読んでいても、教師に関することには、ビビビと目がいってしまう。
今の僕の研究を通底する一本の線には、「大人だって学習するのだ、そのための環境を整備するべきなのだ」という信念がある。今は「先生」を研究対象にしたことはないけれど、いつの日か、シャケが産卵するために川登りするように、戻ってくるような気もする。
話が長くなった。
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読売新聞教育取材班の執筆した「教育ルネサンス 教師力」という本を読んだ。公立学校と教師に対する信頼が揺らぐ中で、「教育のルネッサンス」をかかげ、日々研鑽している教師たちの奮闘を紹介する本。非常に興味深く読めた。
名人教師が中心になって運営する「教育の鉄人倶楽部」、導入が検討されている優秀な教師への表彰制度、民間教育団体の実施する授業力判定テスト、塾や予備校の教師に学ぶセミナー、学校研修制度の改革。
今、教師の実践力を向上させるために、日本中でさまざまな取り組みが行われていることがわかった。中にはまったく知らない試みもあって、時間があいたら調べてみたいなと思った(もちろん中には、首をかしげたくなるものもある)。
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それにしても、今回の本は、7人の記者が総力をかかげて1年半にわたって取材を行った結果である。一般紙がこのような問題に7人の記者をはりつけることは異例なことらしい。それだけ、教師の実践力の恢復が急務になっているということなのであろうか。
研究領域的にいうと、この領域は「教師教育研究」という研究領域になるのだろうけど、地域で行われている各種の試みについて、誰が一番把握しているのかなぁ、とふと思った。
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団塊世代の大量退職、小学校英語の導入など、教師の実践力量の向上に対する社会的期待は、ますます大きくなっていく。教師が今熱い。
投稿者 jun : 2006年08月24日 08:22 | コメント (3) | トラックバック
公開研究会:学校の枠を超えた交流学習
BEATの9月の公開研究会のお知らせです。9月の研究会は、「学校の枠を超えた交流学習」がテーマです。
僕の同期の稲垣君もご講演なさるそうです。残席わずかですので、ぜひ、ふるってご参加下さい。
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【ご案内】
公開研究会「BEAT Seminar」2006年度第4回:
「学校の枠を超えた交流学習:
伝え合うことで"異文化"を学ぶ子どもたち」
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今年度第4回となる9月のBEAT公開研究会は、
「学校の枠を超えた交流学習:伝え合うことで"異文化"を学ぶ
子どもたち」
というテーマで開催します。
インターネットが学校で活用されるようになった1995年頃から、
交流学習には大きな注目と期待が寄せられ、実践研究が進めら
れてきました。
交流学習には、教育内容としても教育方法としても、
大きな可能性と実績があります。
しかし、教師にとっては、
クラスの子どもたち以外の「他者」が存在することを前提に
授業を設計し、運用することは、容易なことではありません。
学習効果があるとわかっていても、実施が難しいのです。
そこで今回は、国内外の交流学習を成功させている方々をお招きし、
ベスト・プラクティスから以下の諸点を学びたいと考えています。
1)交流学習の教育効果はどのようなものか、何に効くのか
2)交流学習の成功の秘訣は何か
3)交流学習の「よさ」を引き出すために、
今後、テクノロジーに期待されることは何か
どうぞふるってご参加下さい。
企画担当:堀田 龍也
■日時
2006年9月2日(土曜日) 午後2時より午後5時まで
■場所
東京大学 本郷キャンパス 工学部2号館北館 1階
http://www.beatiii.jp/seminar/seminar-map24.pdf
■定員
70名
(最近、BEATの公開研究会は〆切前に募集停止になることが
多くなっています。くれぐれも、お早めにお申し込みください。
なお、キャンセルの場合は、お手数でもsato@beatiii.jpまで
メールをいただければ幸いです。一人でも多くの方に席をお譲
りしたいと思っています)
■参加方法
参加希望の方は、BEAT Webサイト
http://www.beatiii.jp/seminar/
にて、ご登録をお願いいたします。
■参加費
無料
■プログラム(敬称略)
14:00 企画趣旨説明
堀田龍也
(BEAT客員助教授/メディア教育開発センター助教授)
14:10 基調講演:「日英交流学習サイト"Japan-UK Live!"」
ハイディ・ポッター
(ジャパン21・エグゼキューティブディレクター)
14:45 チュートリアル:「交流学習の現状と課題」
稲垣 忠
(東北学院大学教養学部・助教授)
15:35 パネルディスカッション「交流学習の実践に学ぶ」
司会進行:
堀田龍也
(BEAT客員助教授/メディア教育開発センター助教授)
・「交流学習で社会と出会わせ考える力を育むために」
上村孝直(熊本県天草市立下浦第一小学校・教諭)
・「ことばを見つめ,磨く"Japan-UK Live!"の活用」
金 隆子(山形県米沢市立南原中学校・教諭)
17:00 終了
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投稿者 jun : 2006年08月23日 21:18 | トラックバック
さらに過激に
東京大学 アクションプラン2005-2008が公開された。アクションプランは、総長のいわば決意表明である。
「自律分散協調系」「知の構造化」がアクションプランのキーワード。要するに、「東京大学は、一定の自律的な部局運営のもとに、時には協調系として連合し、新しい学術を切り拓いたり、知の構造化を進めるべき」だ、ということになるだろうか。
東京大学アクションプラン
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/pdf/actionplan0811.pdf
アクションプランは去年にもだされている。今年は改訂版。さらに過激になっている気がするのは僕だけだろうか。
投稿者 jun : 2006年08月23日 17:00 | トラックバック
関西大学集中講義
来年1月22日の週、関西大学で集中講義をすることになりました。「情報メディア論」という授業です。何をするかは決めていません。大学院生向け講義ということです。
今のところ、講義はこんな感じですすめようかと。
まずは、僕が自分の研究の話をする。歴史的背景、理論的背景などをツラツラとしゃべって、何をつくって、どんな効果を得たのかを説明する。
で、そのあとで、実際にアタマを使って考えるミニ演習を入れようと思っています。
「もし、今、あなただったとしたら、○○を対象にして、どのようなメディア支援を行うか?、さぁ、みんなで考えよう」みたいな感じ。この世界の1年は10年に値しますので、今だったら、違う支援のあり方が考えられるかもしれない。
先日、はこだて未来大学で見たキャロルのシナリオベースドデザインなんかを用いた演習にするとオモシロイかな、と思っています。
今、異常に立て込んでいますので、また考えます。
投稿者 jun : 2006年08月23日 07:25 | コメント (2) | トラックバック
「権利」「法律」の研究者向け研修
ある授業のデジタルコンテンツ化のことで、権利交渉が続いている。
言うまでもないことだが、「コンテンツとは権利のビジネス」である。
それを失えば、たとえデジタルファイルを物理的にもっていたとしても、利用できないといったことがおこる。それを得ることができ、適切に隣接する権利に関しても処理することができれば、二次展開、三次展開といったことが可能になる。
だから、皆、権利が欲しい。しかも、重畳的に発生している権利を、すべて獲得しようとする。そうでなければ、利用場所を変えるたびに、承諾をとる必要が生じてくるから。かくして、「あっちをたてれば、こっちがたたない」といった状況が生まれる。
しかし、お互いに要求だけ行っていては、結局、それ以上、話が先に進まず、どちらにとってもメリットはない。負担するリソース、今後の利活用の用途に応じて、「落としどころ」をさぐる必要がある。それは囚人のジレンマ的状況に少しだけ似ている。
東大に着任するまで、僕はこの手の話を何一つ知らなかった。しかし、東大での「教育の情報化」の業務をすすめるにつれて、この手の経験をひとつひとつ積んでいった。
いいや、「教育の情報化」だけじゃない。
いまや、研究を行うためには、権利、法律からは無縁ではいられない。
研究の成果は、誰がどのように持っていくのか。どこまで公開する権限を誰が持ち得ているのか。MOU(Memorandum of Understanding)やNDA(Non-Disclosure Agreement)を結ぶことなしで研究が進むことは、いまやなくなってきているのが現状である。
さらに、実験を行う上では、被験者に対する個人情報保護対応、合意文章の取り交わしを行う必要がでてくる。これを行っておかないと、あとで様々なデータを利用しようと思っても不都合が生じる可能性がでてくる。
これらのたぐいの知識は、僕は、今も独学で、あるいは、経験を通じて学んでいる。が、それは体系的に学んだとは言えず、片手落ちであることは否めない。
研究者にも、この手の権利、法律の研修を義務づけるべきだと、僕は思う。
---
先の権利交渉は、ねばり強く行っていこうと思う。まずは論点を整理することか。はやく、落としどころを見つかるとよいな、と思っている。
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追伸.
カミサンのつくったショートコーナーが、海外のテレビ局に購入されたらしい。おめでとう。権利をきちんと処理して、かつ、それを海外で営業する専門職がいて、はじめてこうしたことが可能になる。
投稿者 jun : 2006年08月22日 12:51 | トラックバック
ニューオータニ:The Pool Maitai
ちょっと前のことになりますが、ホテルニューオータニ東京で夏季のみ開催されている「The Pool MAITAI」に行ってきました。なんか、狂ったように遊びほうけているように思われる方もいらっしゃるかと思うのですが、いろいろ理由があるのです。あと数ヶ月たつと、おわかりいただけるかと思いますけど。今は、「横森理香、アンタは余計な本を書いてくれた」とだけ言っておきます。
The Pool MAITAI
http://www.newotani.co.jp/tokyo/summer/pool/index.html
僕らが出かけたのは夜だったので、たぶん、数名のお客さんしかいないんだろうな、と思っていました。誰が、そんな夜にプールにくるかいな、と。
誰も人がいない静かなプールで、ぱしゃぱしゃと泳ぎ、プールサイドでヘミングウェーを読む。そういうのを想像していたのです。まぁ、一部ウソがあって、僕が持っていったのは、原田宗典の爆笑系エッセイの文庫本でしたが。
でさー、行ってみると、オラ、びびったね。めくるめく世界よ、ここは。
まさに、水着で来るクラブですね。クラブのアクセント、間違えるなよ。クラブね、だるそうに同じ大きさで発音すればOKです。
客は2割は外国人。6割が日本人同士のカップル。あとの2割が若い女の子たちのグループ。1組だけ、男3人のグループという感じでした(あべし)。BGMには、DJがノリノリのHip Hop、Jazzをかけていて、なんだか本を読む雰囲気でもない。プールサイドにはバーがあって、ビールやら、マイタイやらを飲んでいる。

もうね、泳ぐ雰囲気じゃないんだ。「大人のプール」ってのは、泳ぐ場所じゃねーんだな。オラ、田舎もんだから知らなんだ。
泳ぐ場所じゃなくって、「浸かる場所」なのです。プールには浸かって満足するのよ、大人は。さらにいうならば、カップルたちにとっては、「触れ合って満足する場所」なんだな。

僕はさ、せっかく泳ぐ気満々で、水泳帽と水中眼鏡ももっていったんだけどね、まったく使いませんでした。あんなところで、バシャバシャ本気で「息継ぎ」とかして泳いでたら、「どんびき野郎」に認定されること間違いなしです。くねくねと「バサロスタート」なんかしていたら、変態と勘違いされそうです、間違いなく。
しゃーないから、DJのかけるノリノリ音楽にあわせて、揺れてたよ、ニョロニョロみたいに。
でもまぁ、そう割り切って遊ぶには、大変オモシロイ場所かもしれない。まぁ、楽しかったけどね。こういうの好きだし。レストランも併設されているので、たとえば、気の置ける友人たちと、職場がえりに、こういうところで、食事をするのは面白いかもしれませんね。
教訓:
「大人のプール」と「子どものプール」を間違っちゃいけないよ。
投稿者 jun : 2006年08月20日 19:47 | コメント (1) | トラックバック
カミュの愛したレモネード(ロリーナ)
先日行ったレストランで、アルコールを飲むことのできないカミサンがレモネードを注文しました。そこででてきたのが「ロリーナ(Lorina)」という銘柄のピンクレモネードなのです。

ロリーナピンクレモネード330ml
通常レモネードといえば、砂糖をこれでもか、と使ったお品が多いと思うのですけれども、このレモネードは甘みを相当抑えており、後味はすっきりしていました。
ピンク色のジュースに日の光があたると、ふちが青く反射します。その様子がとても綺麗だなぁと思っていました。
ちなみにロリーナは、カミュが愛したレモネードといわれているそうです。
もちろん、「異邦人」を著したアルベール・カミュね、セイン・カミュじゃないよ。
カミュの「異邦人」を僕が読んだのは学部時代の頃になります。なんだか取り留めない話が、淡々と続く展開に面食らった思い出があるのですね。
「きょう、ママンが死んだ」という「おいマザコンストーリーかい?」っていう文章から話がはじまり、何だかしらないうちに女性トラブルで殺人をおかしてしまう主人公のムルソー。裁判では、母の死に際して涙を流さなかったことなどが理由で、非人間的な人格の持ち主というラベリングを受けます。
そして有名なシーンですね。裁判が進み、最後に殺人の動機を尋ねられたとき、ムルソーは、あまりのダルさにキレるのですね。彼は言い放ちます。「それは太陽のせいだ」。
こういう風にあらすじだけ書いてしまうと、なんだかわけのわからない物語になってしまうのだけれども、実は深い話だったと記憶しています。
宗教のつくった規範とか、説教臭い社会のルールは、人間の心の機微をとらえることはできない、という話だったように思うのだけれども。ごめん、忘れた、ぜひカミュを読んでください。
カミュの愛したレモネードを飲みながら、読むといいのではないでしょうか。200ページもない、とても薄い本だし。
投稿者 jun : 2006年08月20日 08:58 | トラックバック
学内プチ軟禁
明日から情報学環の大学院入試です。実際の試験は数日ですが、選考会議などもろもろがあるので、2週間は学外へでること、出張することなどは御法度。不測の事態にそなえ予定をいれないように言われています。学内にプチ軟禁です。堀の中の人になるしかありません。
しかし、お外にでるな、と言われれば出たくなるのが心情。「シャバにでたいよー」と心の中の叫びが聞こえます。しかし、ここは心を鬼にするしかありません。入試は、大学教員の業務の中で最も重要なもののひとつなのです。
というわけで、しばらくは「堀の中」です。シャバに出る日を夢に見ながら、しんなりと暮らします。ちなみに、差し入れ歓迎ですよ。
投稿者 jun : 2006年08月19日 18:09 | トラックバック
学会の魅力
日本科学教育学会2日目。僕は「おやこdeサイエンス」の発表をした。
僕の発表したセッションは、同志社女子大学の余田先生、大分大学の竹中さん、多摩美術大学の楠さんが、プレゼンテーションを行い、メディア教育開発センターの堀田先生が指定討論にたった。
他の方々のご発表は、どれも実践的で非常に面白かった。
特に興味をもったのは、楠さんの「博物館のテクノロジ支援」の研究。帽子にRFIDのパッシブタグを埋め込み、展示を巡回させる。展示の前では指向性スピーカを使い、インストラクションを行ったりする、というシステムであった。「子どもに無駄なものは持たせたくない」という主張は非常に共感できた。センシング技術はこの問題の解決には非常に効果的なのではないか、と思った。
あと、楠さんの発表の中で非常に興味深かった指摘は、「コンテンツつくりこみすぎると、本物から目をそらしてしまう」「イケてないコンテンツが実物をよく見ることを促す」ということである。
要するに、PDAにしても、指向性スピーカにしても、オプショナルな情報提供手段で、リッチな情報を流してしまうと、目の前にある実物の展示物は忘れ去られる、という逆説的な指摘が面白かった。「どんな情報を、どのように流すのか」・・・目の前にリアルなモノがあるだけに、この切り分けは難しいと感じた。
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最後に堀田先生が総括を行った。
情報通信機器の教育利用に関しては、通常、下記のようなプロセスをとる。現在、m-learning(モバイル)に関しては2の段階に入ったというご指摘だった。これは僕も同感である。この段階では、どのような教材・システムを開発したにせよ、しっかりと評価をして、その効果をアカウントしていくことが重要だと考える。
1. Technology pushによる導入と影響を観察する時期
↓
2. Demand pullによる活用と有効な運用メソッド
↓
3. より有用なシステムへの提言
(ユーザ側からTechnologyへのリクエスト)

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帰りは、つくば駅で堀田先生とランチをとり、一緒に東京へ。その間、研究のこと、人生設計のこと、久しぶりにいろいろお話をさせていただいた。
僕が堀田先生と出会ったのは、僕が修士課程の学生のころ。堀田先生が、今の僕の年齢プラス1か2あたりの頃であった、という。それから随分長い時間がたったなぁ・・・と、二人で「しみじみ」としていた。それから、本当に矢のように時が流れた。少なくとも僕は、一度も後ろを振り返えらなかった。
だけれども、「あの頃の堀田先生の年齢」に自分が、もう少しで到達しようとしているといわれると、なんだかとても不安になる。僕は、あの頃の堀田先生のように、「一人前の研究者」として振舞えているのだろうか。
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堀田先生とは、本当にいろいろな話をした。特に印象に残っているのは「研究成果をあげるモデル(いわゆる研究者にとってのビジネスモデルのこと。アクターネットワークといってもよい)をどのように維持していくか」ということである。
一度モデルを築いたとしても、常に安泰なわけではない。研究のメンバーは年をとり、社会的立場も変わってくる。また社会の要請も毎年毎年変わる。
その状況に応じて、いったん自分の築いたモデルを変容させることができることが重要である。モデルにstableな状態はない。つまりは、一生安泰なアクターネットワークはこの世には存在しない。このことは、よく頭にいれておかなければならぬと思った。
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思うに、先輩研究者に「研究のこと」「人生のこと」などを相談できるのも、学会の魅力ではないかと思う。今回、科学教育学会に行ってよかった、と思った。
投稿者 jun : 2006年08月19日 09:51 | コメント (2) | トラックバック
口パクのゆず、口パクのナナ
橋本君に教えてもらったYouTube口パク・コンテンツ。最近大流行ですね。
かなり笑える。
特にゆずの方は、爆笑した(僕自身が、酔っぱらっているせいかも)。
僕も、口パクの北島三郎やりたくなるね。与作でね、ヘイヘイホーとね。
投稿者 jun : 2006年08月18日 20:33 | トラックバック
表参道をお散歩!
今年も、研究プロジェクトが、段々と本格化してきました。プロジェクトのメーリングリストでは、バンバンとメールが飛び交っています。さらに、学会シーズンの突入。今月末には大学院入試もあります。
大学教員 - 他の人は知りませんが、少なくとも僕にとっては - 一年で一番忙しい、「秋」の幕開けです。グラントがおりて、基礎的な文献などを調査して、そろそろ本格的な実験や開発がはじまるのが秋あたりなのでしょうか。
おかげで、お盆休みはコンピュータの前から、離れることができませんでした・・・。この数ヶ月を乗り切れば、あっという間に年明けなのですけれども。
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さらに、この「クソ忙しさ」に拍車をかけているのが「引越し」です。長年住み慣れた場所を離れ、9月末に新居にうつります。
「引越し」をするということは、「住む場所」をかえるだけではありません。食器をどうする、カーテンを新調する?家具はどうする・・・決めることが目白押しです。楽しいのですが、結構大変。東京中のインテリアショップなどをはしごする週末が続いています。
先日は、表参道エリアを、散歩をかねて物色しました。家具も重要なのですが、ファブリックメーカーのマリメッコ(まりもっこりではありません)の直営店があるとのうわさを聞きつけ、カミサンと出かけたのです。彼女は、ファブリックパネルに興味をもっています。
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とはいえ、ハラがすいてはイクサはできぬ。
まずは、ハラごなしです。
表参道で僕らがよくでかけるのは、表参道駅から近い「クレヨンハウス」です。ここは有機野菜をふんだんにつかったお食事を、バイキング形式で食べることができます。子どもを連れてこられるよう、お座敷や低い椅子なんかもあったりして、店内は、子連れでごったがえしています。
クレヨンハウス
http://www.crayonhouse.co.jp/home/index.html


あーうまかった。
カラダ喜ぶごはんですね。
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さて、いよいよ、マリメッコリです。
いえいえ、マリメッコです(笑)・・・間違ってはいけません。

うーん、マリメッコの生地は、やっぱり格好よいですね。
マリメッコの名前は知らずとも、こんな模様の生地、見たことありますよね。
色使いが斬新で、これでつくったファブリックパネルは、お部屋をパッと明るくすることが容易に予想できます。
ただな、だけどよ、値段高けーよ。生地だけでもかなり高額ですので、この上、パネルということになると、さらに倍、篠沢教授状態です(クイズダービーネタ・意味不明)。
結局、「欲しいなら手を動かすべし。生地買って工作するのがよかろう」ということになって、お店をでました(何しにいった)。「手を動かす、足で稼ぐ」・・・これは「働かざるもの食うべからず」に続く、中原家の家訓なのです。
この後は、裏原宿エリアをプラプラし、明治通りあたりで、知り合いの方の出産祝いを買って、渋谷に戻りました。裏原宿エリアでは、共同研究をしている先生の奥さんがはじめた眉毛セットのお店を探したのですが、なぜか見つからず。
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最後に、この日のシメは、やはりデザートです。王様のブランチで紹介されていた「華華美人」に出かけました。ここは、マンゴーをふんだんに使ったデザートで、非常に注目されているお店です。

そういえば、マンゴーといえば、三宅君が合宿に「お中元?」として持ってきてくれた「マンゴー」はおいしかった。マンゴーの実1つから「人生とは何か」「研究するとは何か」について深く考えさせられました。
閑話休題
お店の中は大変に混んでいました。みんなマンゴーねらいなのでしょう。つーか、マンゴー大人気。

もし表参道エリアに言った際には、ぜひトライしてみてください。
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で、今日は、なんで、そもそも表参道にいったんだっけ・・・・・・・。
「クレヨンハウスがマリメッコリして、マンゴーを食った篠沢教授が王様のブランチに出演している間」に、すっかり当初の目的を忘れてしまいました(泣)。
・・・・そう、こうやって、本来ならば、今、ガシガシと決めていかなければならない家具は、何一つ決まらないまま、お休みを浪費してしまいます。時間だけがたっていく。それが中原家が宿命、あべし。
9月、仕事は、さらに忙しくなります。
このままでは、僕の9月は修羅場になりそうな予感です。
投稿者 jun : 2006年08月18日 17:00 | トラックバック
日本科学教育学会に参加した!
筑波学院大学で開催されている日本科学教育学会に参加している。
日本科学教育学会には2度目の参加になる。去年「おやこdeサイエンス」をやったことからか、某大分大学の竹中先生に「課題研究の発表をせよ!」という指令を与えられ、はせ参じている。僕の発表は、金曜日の朝10時だ。
下記、感想。
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「科学教育のフロンティア」というセミナーにでる。さまざまな立場から、それぞれの領域の最先端を語る試みだ。科学教育学会の若手研究者たちが企画・実施しているらしい。司会は、長崎大学の森田先生だった。望月俊男さん@東大もスーツ姿で気合いをいれて、講演していた。
特に印象深かったのは、中山先生@宮崎大学のご発表である。タイトルは、「理科って何だ、子どもって何だ、という問いに答えるための道のり」。
中山先生は、かつて若手が集まってやった共同研究プロジェクト「知の表現プロジェクト」が、ご自身のその後の研究を支える豊かな経験を提供してくれたことを回顧的に語っておられた。
この研究プロジェクトでは、「理科の学習をどのような方法で研究し、どのように記述しうるのか」について若手研究者が一切の妥協をせず、議論し、共同研究を推進したのだという。
この共同研究プロジェクトによって、1)大人数での共同研究へ免疫、2)協調と折衝の基礎力、3)共同研究・協力可能な人脈も獲得なさったのだという。大変面白い内容で、思わず引き込まれた。
中山先生のご講演では、2つの名言が飛び出した。
1つめは、教員をしていくのに必要な3つのこと、である。
中山先生によれば、それは「運・鈍・根(うんどんこん)」なのだそうだ。
1.運:運がよい
→グラントや科研があたる
2.鈍感:他人の批判にある程度鈍感である
→すぐに落ち込まない
→批判されたから自分がダメだと思わない
3.根性:最後はやっぱり根性をいれて取り組む
僕としては、特に2についてはかなり共感する。研究に対する批判に対してセンシティブな人は、この世界では、生き残っていくことが難しいと常日頃から思っているからだ。
このあたりは文化人類学者の船曳先生も述べていることではあるけれど、研究者の資質として必要なものに「攻撃性」がある。攻撃性があるということは、防御も重要な資質だと僕は思う。批判されたり、批判したりは日常茶判事だからだ。
だから、1) 批判されたことを人格否定と過剰に受け取ったり、2) 批判されたことで右往左往してしまったり、していては命がいくらあっても足りない。批判されたら、「批判するオマエが悪い」くらいに開き直ることも、また重要なことなのだと思う。
もちろん、あんまり「鈍」だと困る。素直じゃないのはもっと困る。だけれども、批判にセンシティヴすぎるのはさらによくないと思う。そのあたりの頃合が、非常に難しい。
2つめの名言は
「ペスタロッチの手紙には書いてない」
これは、中山先生の師の言葉らしい。要するに、かつての形而上学的な教育学を批判し、実際の子どもや学習者が生きていく場を観察することの重要性を述べている。
かつて教育学は、教育の本質の存在を仮定し、教育学者の文献の中にそれを求めた。それも重要なことではあるけれど、それだけではない。至極名言だと思う。
---
セミナー終了後、ポスターセッションにでた。科学教育学会のポスターセッションは、投票つきのもので、最もすばらしい発表には「ベストプレゼンテーション賞」が贈られる。
僕は、九州大学大学院の瀬戸崎さんの「無線小型カメラを使った月の満ち欠けのデモ」と、神戸大学大学院の大黒さんによる「協同学習の理論と方法を習得する教師教育プログラム」がとても面白いと思った。

これを含む3つのポスター発表に一票を投じたが、最終審査結果は、この2つに「ベストプレゼンテーション賞」が贈られた。自分の勘はまだ「あさってな方向」を向いてないなぁと思い、ちょっとうれしかった。
このポスターセッションでは、どの発表も個性的で大変勉強になったのだけれども、九州大学大学院の瀬戸崎さんや神戸大学大学院の大黒さんの発表は、「僕だったら、こういう風に研究をまとめるだろうな」と、頭の中で実験計画やカリキュラムを組み立てながら、話を聞くことができた。あそこをあーやれば、あーなるだろうな。ここをこうやって、こうすりゃいいのだね。そんな無責任な思考実験はとても楽しかった。
---
学会に来るたびに思うことだが、僕にとって「学会とは、研究発表を聞く場」ではない。
僕にとっては、
1.他人の研究成果をネタを、自分の研究ネタのアイデアだしをする
2.他人の研究動向から自分の研究を方向性の正しさをつかむ
3.ある領域を一番知っている人と仲良くなり、最新の研究成果を10分で聞いて一人で納得する
4.協力可能な若い人を探す
場である。
僕は「学会に参加」しない。
僕は「学会を貪欲に利用」する。
そういう意味では、今回の学会は、非常に得るものが大きかった。帰り際には共同研究者のSさんにお会いして、脳科学に対する自分や他の研究者の立ち位置も確認できたし。
最後に今回の学会参加は、神戸大学の稲垣先生の科研のご支援を受けた。この場を借りて感謝いたします。ありがとうございました。研究会運営には、森田先生や山口先生などが、随分と尽力なさっていた。そんな彼らを見ていて、少し元気になった。
明日は発表(もう今日だけど)。
さぁ、どうする?
投稿者 jun : 2006年08月18日 03:35 | コメント (2) | トラックバック
世界短パン協会
今年から「短パン」をよく履くようになり、「世界短パン協会」の日本支部として活動をはじめた。

いったん、これを履きはじめると、やめられん。クソ暑い時期に、長いパンツを履く気には到底なれない。ハワイ並みに暑い亜熱帯の東京で、長いパンツをはくということがいかに不合理、かつ不経済なことかを、世界に向けて主張していきたいと思う。
ロビー活動でも何でもやってやる。
すべての人に短パンを!
これが僕の願いだ。
投稿者 jun : 2006年08月17日 16:00 | コメント (7) | トラックバック
愛読書・・・内田樹氏「子どもはわかってくれない」
ここ最近の愛読書になっているのが、内田樹氏の「子どもは判ってくれない」というエッセイ集である。これが、すこぶる面白い。
この書物に僕が引き込まれるきっかけになったのは、「教養」について論じた章を読んで以来である。やや長くなるが、下記に引用してみよう。
---
サラリーマン1年生のハラ君が、道場からの帰り道にいきなり「先生、どうして、僕たちの世代の人間ってこんなに教養がないんでしょう」と訊ねてきた。
(中略)
「それは君たちの世代が、ほかの世代に対して閉じているからだよ」
(中略)
問題は若い人々における教養の不足ではない。
「教養が不足している」同時代人としか自分を比較しないので、「自分たちには教養が不足している」という事実そのものが認知されないこということ、これが問題なのである。
(中略)
教養の深浅は、自分の「立ち位置」を知るときに、どのくらい「大きな地図帳」を想像できるかによって計測される。
教養のない人というのは、「自分が何者で、どこに位置しており、どこへ向かって進んでいるか」を考えるときに、住んでいるマンションの間取り図のようなものしか思いつかない人のことである。
教養がある人というのは、世界史地図のような分厚い本を浮かべて、そのどのあたりの時代の、どのあたりの地域に「自分」を位置づけたらいいんだろうと考えられる人のことである。
(-p50より)
---
世代間の交通が失われ、「井の中の蛙」的に同時代人の間だけでコミュニケーションが刹那的に消費される結果、わたしたちは「教養」を得る機会を失う。否、正しくいえば「自分が何もしらない存在」であるという謙虚さを失うことになる。
そしてその結果として、「マンションの間取り図」をもってしか、自己定位を行えない狭隘な視野の持ち主 - 教養のない人 - が今日もまた一人生まれる。
悲劇的なのは、かの人の「視野狭窄」は、「同時代人ではない他者」と交わらない限り、認識されることはないということである。人間の目は、「表面に疾病を抱える自分の眼球」を、第三者的な視点から見ることはできない。
上記のような「教養」をめぐる若者の現代的状況に対する内田氏の指摘は、見事に本質を喝破しているように、僕には思えた。そして、この指摘を自分の問題として受け止めた。
なぜか・・・?
その理由は、僕自身が、いつも自分の「教養不足」について、負い目をもっているからに他ならない。確かに、同時代人と話していて、そう思うことはほとんどない。だけれども、いったん上の人たちと議論したり、飲みに行って語らうときなど、僕の「教養のなさ」は、一瞬のうちに露呈する。
ここでいう上の世代とは、50代くらいの方々であろうか。彼らの中には、本当に「博学」な人がいる(そうでない人もゴマンといようが)。
たとえば、数学が専門の人であっても、漢詩を読み、ミシェルフーコーを語ることができる。化学の専門家でも、モーツァルトとシューベルトには詳しい。
社会学が専門の方であっても、不完全性定理については、なんとなくわかっており、量子力学とニュートン力学の違いを、ある程度は説明できる。
あるディレクターの方は、黒澤映画、ゴダールの映画であれば、どのシーンであっても、台詞を言いまわすことができる。
あるWebディレクターは、ポスト構造主義のことなら、何でも説明ができる。
そういう人たちの「地図」は限りなく縮尺が大きい。そして、彼らと話すたびに、僕自身が、そういう幅広い地図を持ちえていないこと - つまりは、僕自身の縮尺がいかにちっぽけなものであるか - を認識せざるを得ない。
もちろん「中原君、ところで○○を読んだことある?」と直接的に聞かれるわけではない。そうではなく、まさに展開される会話に僕自身が十全に参加できない、というその状況によって、すべてはおのずと明らかである。それは非常に悔しいことであるし、残念なことである。
もちろん、やられてばかりいてはイヤなので、僕も読書はする。しかし、追いついていないのが現状だ。
古典を読む前に、自分の日々の問題解決のために振り下ろす「剣」を、眼前にそろえるだけで精一杯になってしまっているのが現状だ。そんな自分に僕は密かに嫌悪感をもっている。
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そんな負い目を感じているせいか、先の内田氏の指摘は腑に落ちた。それをきっかけに、一瞬にして彼の文章の虜になったことを素直に認めざるを得ない。そして、他の部分についても、何度も繰り返し繰り返し、夜な夜な読んでいる次第である。
内田先生の指摘には、そのほかにも目を見張るものがある。その一部を下記に引用しておく。が、もし可能ならば、ぜひ書籍の方をご一読いただきたい。
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「誰にも迷惑をかけてないんだから、ほっといてくれよ」といって、売春したり、ドラッグをやったり、コンビニの前の道路にへたりこんでいる若者たちがいる。
彼らは「人に迷惑をかけない」というのが、「社会人として最低のライン」であり、それだけクリアすれば、それで文句はないだろうというロジックを使う。
なるほど、それもいいかもしれない。でも、自分自身に「社会人としての最低ライン」しか要求しない人間は、当然だけれども、他人からも「社会人として最低の扱い」しか受けることができない。そのことはわきまえていたほうがいいと思う。
(p125より)
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職業選択というのは「好きなことをやる」のではなく、「できないこと」「やりたくないこと」を消去していったはてに「残ったことをやる」ものだとわたしは考えている。
つまり、はたから見て、すきなことをやっていりょうに見える人間は、「好きなことがはっきりしている人間」ではなく、「否なこと」「できないこと」がはっきりしている人間なのである。
自分が何かをやりたくない、できないという場合、自分にそれを納得させるためには、そのような倦厭のあり方、不能の構造をきちんと言語化することが必要だ。
「やりたくないこと」の言語化は難しい。「だって、たるいじゃんか」とか「きれーなんだよ、きれーなの、そゆの」とか言っていると、一生馬鹿のままで終わってしまう。
(中略)「だっせー」とか「くっせー」とか「さぶー」とかいう単純な語彙で己の嫌悪を語ってすませることができる人間には、そもそもおのれの「個性」についての意識が希薄なのである。だから、そのような人間が「好きなこと」を見出して、個性が実現する、というようなことは100%起こりえないのである。
(p114より)
---
多くの人たちが勘違いしているが、人間の(市場としての:筆者注)価値は、その人にどれほどの能力があるかで査定されているのではない。その人の「替え」がどれほど得がたいかを基準に査定されているのである。
現に「リストラ」というのは、「替えのきく社員」を切り捨て、「替えのきかない社員」を残すというかたちで進行する。どれほど有能な社員であっても、その人の担当している仕事が、「もっと給料の安い人間によって代替可能」であれば、逡巡なく捨てられる。
(p303より)
---
こんな風に、物事に鋭く切り込むことができたら・・・。
眠りにつく前、僕は、いつもほんの少しの嫉妬と焦燥を感じることを正直に吐露せざるをえない。
追伸.
今日から、科学教育学会で筑波です。
投稿者 jun : 2006年08月17日 08:00 | コメント (3) | トラックバック
五本指ソックス
勧められたので、「五本指ソックス」をためしに履いてみた。なんか、指と指のあいだがむず痒い。これ、日常的に履いている人、いるんだろうか。あと、なんの効果があるんだろう?

前に書いたように、僕には「知らず知らずのうちに靴を脱ぐ癖」がある。靴を脱いだら、いきなり「五本指ソックス」というのは、「絵」的にすごい。周囲の人たちに衝撃を与えるだろう。ネタとしては、オモロイが。
投稿者 jun : 2006年08月16日 17:11 | トラックバック
京豆富 不二乃 丸ビル店
丸ビル、表参道ヒルズ、六本木ヒルズ・・・。
ここ最近建てられたビルディングには、あまたの有名レストランが店を構えているけれど、多くの店では、かなり高めの価格設定をしている。
これらの場所は、「何かを買いにいく場所」というよりは、「何があるかを観に行く場所」という性質をもっている。故に、つい財布の緩くなる観光客目当てに、「ここでしか味わえないもの」を提供するというコンセプトで経営されているレストランが多いのだと、と思う。
(ちなみにこの経営戦略はいかがなものかと思う。飽きられるのが早いんじゃないかなぁ・・・)
だから、僕自身はこれらのビルで食事をすることはない。その中でも、たったひとつの例外がある。丸ビルの中にはいった、豆腐料理の店「不二乃」である。
京豆富 不二乃
http://www.kyotofu.co.jp/top.html

不二乃のランチで供される「おぼろ丼」、僕はこれのファンだ。
まず席につくと、いっぱいの豆乳がでてくる。それをいっきに飲む。濃厚な豆の味がする。
しばらくすると、「おぼろ丼」の登場だ。ひじきの入った少なめのごはんの上に、葛餡で煮込んだおぼろ豆腐をこれでもかとかけてある。これを、「れんげ」ですくって食べる。うまい。

価格は1200円くらいだったと記憶している。ランチとしてはプチ贅沢な感じもするが、まわりのレストランの価格設定からすれば、良心的だろう。東京駅あたりでランチに困ったときには、ぜひどうぞ。
投稿者 jun : 2006年08月16日 07:00 | トラックバック
もしかして・・・魚
カミサンが買ってきた「波の音がはいっているCD」を聞きながら、ベットに入る。すると、あら不思議。僕は、いつも眠りにはいるのに時間がかかったのに、数十秒で、コトンと寝てしまう。
自分は昔、「魚」だったのではないか。
あるいは、「藻」かな?
まぁ、魚でも藻でもいいや・・・・ZZZZZ
そんなことを頭の中に浮かべながら、今日も寝入る。
投稿者 jun : 2006年08月15日 18:00 | トラックバック
小笠原伯爵邸
先日、小笠原伯爵邸というスパニッシュ・レストランにいってきました。
小笠原伯爵邸
http://www.ogasawaratei.com/
小笠原伯爵邸とは、 戦中まで小笠原長幹という伯爵が住んでいた、日本では非常に珍しい、スパニッシュ、イスラム形式を取り入れた洋館です。
小笠原邸は、戦後、数奇な運命を辿ります。
GHQの管理下におかれ、その後、国から東京都に払い下げられました。東京都は一時期児童施設などに利用していたようですが、次第に老朽化が激しくなり、頭を悩ましていたようです。
ついに数年前、「修復費を負担すれば一定期間、都から無償で借りることができる」という公募を行い、現在の小笠原伯爵邸がオープンすることになりました。修復にかかった費用は、一説では10億円とも言われているそうです。
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レストランとしての小笠原伯爵邸は、サプライズのある料理を、彩りあふれる盛りつけで提供することが、その最大の特徴でしょうか。

メニューには当たり障りのない料理名が書いてあるのですが、実際に運ばれた料理を見ると、どこかに必ずひとつの工夫が隠されている。隠された工夫を読み解きながら、料理をいただくのも、また面白いものです。
ちなみにランチで、すべてコミで一人1万円弱でした。料理はコースのみ。メインは魚料理が1種類、肉が2種類でますので、価格設定としては妥当な感じだと思います。
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僕は、当日、身内に結婚式があって行くことができないのですが(最近週末は冠婚葬祭が多いです)、スペインナイトという年に1度のパーティが9月に開かれるようです。着飾った人たち300名~400名が参加するようですが、かなり楽しそうですね。
お店の人から聞いた話では、ワインメーカにも協賛をもらうそうです。数十種類のワインが飲めるのだとか。ワイン好きの方はたまりませんね。
スペインナイト
http://www.ogasawaratei.com/news/spainnight/index.html
まだ日本に「伯爵」という人たちが生きていた頃建てられた洋館。その荘厳な雰囲気に浸りたい方はぜひ、この機会がよいのではないでしょうか。
投稿者 jun : 2006年08月15日 08:29 | コメント (2) | トラックバック
いくつになっても勉強・・・学習用神経細胞生き残る
「俺はまだ学ぶぞ!」
僕の好きな言葉です。死の床についたフランシスコ=ゴヤ(画家)の最期の言葉。彼は、人生最期の瞬間まで、学ぶことをあきらめませんでした。息絶える最後まで、自分の画風を「確立」することをよしとしなかった。常に新しいもの、よりよいものを追い求めていました。
いくつになっても勉強・・・学習用神経細胞生き残る
http://www.asahi.com/life/update/0814/005.html
学習用の細胞はいくつになっても残っているそうです。
必要なのは、学ぼうという意志なのかもしれません。
投稿者 jun : 2006年08月14日 19:07 | コメント (2) | トラックバック
プロのプログラマ、デザイナー
信頼できる制作チームを組むのは容易なことではない。
「Webの制作を頼みたいんだけど・・・誰かいい人いませんか?」
「Flashを開発したいんだけど・・・誰かいい人いませんか?」
「教育のことがわかって、プログラミングもできる人いませんか?」
仕事柄、僕はWebのデザイナー、プログラマとご一緒することが多いので、そういう相談が寄せられることがある。
「誰かいい人ねぇ・・・いたら僕が教えてほしいなぁ・・・」
と思いつつ、知っている方や会社の名前をあげる。
その会社をもともと知っていたわけではない。僕も知り合いからの紹介で、その会社を知り、一緒に仕事をしたという感じである。
昨日は某研究プロジェクトのキックオフ会議であった。このプロジェクトで制作を担って





