「英語deキャリアアップ」プレスリリースがでました!

 ビジネスパーソン向け英語リスニング教材「英語deキャリアアップ」の共同プレスリリースが、東京大学・ベネッセコーポレーションの連名で、本日出されました。

「英語deキャリアアップ」プレスリリース
http://www.nakahara-lab.net/press_release/20080131_eigo_career_final.pdf

「英語deキャリアアップ」の特徴がわかりやすくまとめられてありますので、ご興味がおありの方は、ご一読ください。

「英語deキャリアアップ」、まだお聞きになっていない方は、ぜひこちらから。

iTunes「英語deキャリアアップ」のサイト・登録場面へ
http://phobos.apple.com/WebObjects/MZStore.woa/wa/viewPodcast?id=270642201

英語deキャリアアップ専用Webサイト
http://www.eigodecareerup.com/

投稿者 jun : 2008年1月31日 14:00


「21世紀に進化し続ける組織を考える」シンポジウムに参加した!

 国連大学で開催された「組織学習」に関するシンポジウム「21世紀に進化し続ける組織を考える:学習する組織の実現とは」に参加した。

21世紀に進化し続ける組織を考える
http://change-agent.jp/news/000117.html

 今回の催しは、米国ボストンの「Society of Organizational Learning : SoL」の支部として「SoL Japan」が立ち上がったことを記念してのシンポジウム。

Society of Organizational Learning : SoL
http://www.solonline.org/

 シンポジウムの内容は下記のとおり。

■1 一橋大学の野中郁次郎先生の基調講演
■2 マサチューセッツ工科大学のピーターセンゲ先生の基調講演
■3 リクルート執行役員 草原繁氏と日産のプログラムディレクターカーラ=ベイロ氏をまじえ事例カンファレンス
■4 ワールドカフェ手法を用いたワークショップ

 下記、あくまで僕の理解に基づく講演メモ。
 僕は経営学の専門家ではないので、理解を超えている点、間違っている点もある(正直わからなかった部分も少なくない)。また内容は網羅的ではない。僕の興味関心のあるところだけを書いてあるので、ご注意ください。

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■1 一橋大学の野中郁次郎先生の基調講演

 野中先生は「知の流れをリードする:モノの知からコトの知へ」というご講演をなさった。

 一般に企業は「金を生むマシーン:Money Making Machine」として位置づけられ、いまや「モノ」と化している。しかし、企業、あるいはそのマネジメントは「モノ」ではなく、「コト」としてとらえる必要がある。

 それでは「コト」とは何か?

「コト」とは「プロセス」であり、「関係性」である。野中先生は、ホワイトヘッドの哲学を引用しながら、世界は「プロセス=コト」によって構成されている、と指摘していた。世界の中では、出来事が連続的に生成・消滅している。

「プロセス」の中では、「知」が生まれる。ビジョン、対話などを組み合わせながら、「知の総合力」を生み出すことが「リーダーシップ」である。

 それでは、そのためには何が必要か。下記の6点にまとめられるだろう。

1.「善さ」を判別する能力
 =リーダーは「善さ」に関する価値観や思想を持たねばならぬ。

2.場作りの能力
=社会関係資本をつくりだす能力
=Here and Now relationship(今-ここの関係)の中で経験を共有することが重要。たとえば、キャノンの役員は午前8時から9時まで朝会を毎日実施する。議題が特にあるわけではないが、お互いを理解する。

3.個別の本質に気づく能力

4.個別の気づきを言葉にする能力
=共通の善(common good)をみすえながら、人々を巻き込みつつ、大きな物語を構築する。

5.言葉を実現する能力
=政治力

6.フロネシスを伝承・育成する能力
=上記1から5のプロセスを、後輩に伝達する能力。このことによって、Distributed leadershipが確立する。

 こうしたリーダーシップにより「学習する組織」が生まれる。
 マネジメントとは、「A way of life」である。

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■2 ピーター=センゲ氏の講演

 Learning organization(学習する組織)と野中先生の提唱する知識創造理論は、非常に多くの部分を共通点としてもっている。様々な点は異なっているが、その差異はマイナーなものにとどまる。

 野中先生も指摘していたように、ある「ひとつの時代」が終わろうとしている。それは一言でいうと「モノの時代」である。「モノ」の時代は「技術主導の時代」でもあった。仕事は「分断」され、そこで働く人々の「専門性」や「時間」も分断された。

 「モノの時代」を支えていたのは、「公教育」である。産業革命以降、学校教育は「アセンブリライン」のメタファで組み立てられてきた。そこでは、生産性や効率性が重んじられ、学習が均質性(uniformity )が求められた。また、「早いことはよいこと」という価値も信じられるようになった。

 しかし、このような時代は終わりを告げようとしている。表土の喪失、水資源の枯渇、そして二酸化炭素。「モノの時代」をこれ以上継続させることが、できない。

 何とかして「モノの時代」にかわる、人と組織のあり方を考える必要がある。

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■3 リクルート執行役員 草原繁氏と日産のプログラムディレクターカーラ=ベイロ氏をまじえ事例カンファレンス

1.リクルートの事例

 リクルートでの学習は「人の可能性を信じる風土・文化」を通して実現される。具体的な学習機会は下記のとおり。

1)リーダーシップジャーニー
 マネージャ、事業部長、役員が「善さ」を判断できる能力、「善さ」を見極める能力を向上させるために、アクションラーニングを実施する。

2)ソーシャルシナリオプランニング
「2025年にどういう社会を築きたいのか」ということをテーマに、役員を含めた100名が合宿を行う。同じ釜の飯を食いながら「こういう社会っていいよね」というコンテクストを共有する。

3)エンゲージメントサーベイ&ビジョンプレ
 社員が10人ずつのグループになる。「自分の組織がどのように変わればいいのか」「自分の社会はどのように変わればいいのか」をダイアローグしながら見いだす。1年に1度実施する。

2.日産の事例
 日産は「日産ラーニングセンター マネジメントインスティテュート」という研修施設を箱根につくった。日産のDNAの維持、そして日産内部の学習する文化の維持を目的としている。オフィスをはなれ、集中してブレインストーミングを行う期間として利用されている。

「日産ラーニングセンター マネジメントインスティテュート」では、下記のようなプログラムが提供されている。

1)グローバルエグゼクティヴトレーニング(GET)
2)異文化研修
3)日産Wayのワークショップ
4)グローバルラーニングアライアンス

 このうち、グローバルエグゼクティヴトレーニングでは、アドバンスコースが全世界から15名から20名、中級コースが30名から40名を集めて研修を行う。研修は2002年から実施されており、すべて英語で行われる。

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■4 ワールドカフェ手法を用いたダイアローグ・ワークショップ

 いわゆる「シンポジウム」が終わったあとは、中土井僚さん、渋谷聡子さんのファシリテーションで、ワールドカフェという手法のワークショップを行った。

 ワールドカフェは下記のような「対話手法」。「学習する組織」を構築するためのテクニックとして、最近、組織開発系では注目されている。

 手順は下記。

1)4人1組のグループをつくる

2)4人のうち1名がホストになる

3)ホストのゆるいファシリテーションで、あるテーマについて対話を行う
・対話の際には、一人一人の意見を尊重し、話を遮ってはいけない
・話者はTalking objectをもって話す。話者がTalking objectをはなすまで、他の人はさえぎってはいけない

4)対話の際には、与えられた紙に自由にイメージを書くことができる

5)ホスト以外の3名が他のテーブルに移動

6)ホストは新たにきた3名を迎え入れ、これまでそのテーブルでどのような話がなされていたのかを共有し、対話を継続する
    ・
    ・
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 これを何度か繰り返していくと、あら不思議、対話の中から「おぼろげなイメージ」があらわれてくる。

 学習科学でいうと、いわゆる「ジグソーメソッド」に近いかもしれない。「ジグソーメソッドの対話版」みたいな感じ。ジグソーメソッドと違って、何かを学んで、それを共有ということはしない。

 今回のワールドカフェワークショップで与えられたテーマは、今日のシンポジウムを踏まえて、「あなたはどんな未来を見ましたか」というものでした。なかなかいろんな見方があって、楽しかった。

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 今回のシンポジウムを通して考えたことは、下記の3つ。

1.組織学習(Organizational Learning)という用語
    が理論に合致しなくなってきているのではないか?

 ピーターセンゲさんといえば、アージリス=ショーン系の「組織学習」のセオリーを一般に普及させたと人として有名。彼の提唱する「学習する組織(Learning organization)」という概念は、出版された当初、非常にセンセーショナルに迎えられた。

 一般に組織学習といいますと、「メンバーが、ある組織の中で知識を獲得したり、統合したり、共有したり、アンラーニングする中で、学習をすすめる。そうしたメンバーのいる組織は、変容しつづける・・・そんな組織を指示するコンセプト」として、これまで広く使われてきた。

 しかし、理論が提唱された当初、それはあくまで「組織の中の知識サイクル」や、そこでの「組織のあり方」を問うていた。

しかし、「出現する未来」や「シンクロニシティ」や「ダイアローグ」などの近年の先鋭的な組織学習実践家たちの著作に見ると、この「組織学習概念」は、もろくも崩れ去る。もはや、それらの著作では、「組織の中」を対象にしているのではない。

 むしろ「組織」という枠組みを超えて、「組織と組織の関係」や「組織と社会の関係」「世界のあり方」を問う事例を提示しようとしている。
 世界の終わりを告げる「レクイエムシナリオ」を何とか回避し、「感じること」「内省すること」「実現すること」 - U理論のプロセスであり、学びのプロセス - を通して、「社会変革」を導くことはできないだろうか。

 一言でいうと、もはや一部の先鋭的な実践家たちの関心は、比喩的に言えば「Learning Organization」にはない。「学習する地球(Learning Society)」「学習する生態系(Learning ecology)」を対象にしている言説として発展している。

 よって、現在進展している理論を「組織学習」という用語で適当なのかどうか、非常に疑問に思えた。たかが用語とあなどってはいけない。まさに「God is in detail」である。専門用語の再構築が必要なのではないかと感じた。

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2.ダイアローグな空間とハイアラーキカルな空間

 組織の中で局所的、かつ、一時的に「ダイアローグな空間」をつくったとしても、業務を遂行するためには「ハイアラーキカルな空間」が併存せざるをえない。それらを統合することができるのか、あるいは、バランスをとることができるのか、という問いをピーター=センゲ氏は発していた。これは非常に本質的な問いだと思う。

 要するに、ワールドカフェなどの手法を使い、組織の中にメンバー同士が話し合う空間や時間をつくりだしたとしても、いつもの仕事は依然としてハイアラーキカルな空間の中で行われる。人はその落差をどのように感じるか、ということだ。

 たとえば、今、仮にAさんが研修でダイアローグを試みたとする。研修では「自分の会社の未来」について、ポジティヴにお互いを尊重しあって話し合うことができた。しかし、研修を終えると、明日になれば、依然と変わらない「終わりなき日常」「変わらない日常」が待っている。階層型の重い組織の中で、相変わらずの日々が続く。

 そして、こうした落差が歴然として存在するとき、Aさんは悟る。

 ダイアローグの空間では、ダイアローグに「のっている」フリをすればいいのだ。だって、明日になれば、また「変わらない日常」がやってくる。ダイアローグで話したことと、明日わたしが働く組織とは「別のこと」なのだ。
 しらけながらも、のりつつ、その場でコレクトとされる態度を演示ながら、ダイアローグに従事する。
    ・
    ・
    ・
 これは、ハッキリ言って不幸である。ダイアローグの空間とハイアラーキカルな空間が分断されているとき、このような不幸な出来事が起こる。
 これを防止するための施策はいくつかあるような気がする。そのひとつは、「ダイアローグな空間」でおこったことを、何らかのかたちで、「ハイアラーキカルな空間」につながりをつけることだろうと思う。これには、ワークプレイスラーニングの視座が役立つと思ったのだが、どうだろうか。

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3.企業で行われているワークショップは、いわゆる教育系、博物館系のワークショップの言説とは分断されている。

 ワールドカフェ、オープンスペーステクノロジなど、組織開発系の、企業ワークショップの多くは、独自の発展をしているように感じる。

 教育系のワークショップと同じような手法、同じようなモデルを採用しているところもあるのであるが、その両者を架橋する言説空間がない。あるいは、その両者に通行はない。これは残念なことだと思う。

 このあたり、企業系ワークショップや組織学習を、Learning barのトピックとしてとりあげることで、何とか架橋したいと思う。ちなみに5月のLearning barは、「学習する組織」がテーマです。詳細はまだ秘密! どうぞお楽しみに!

Learning bar@Todai
http://www.nakahara-lab.net/learningbar.html

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 今回のシンポジウム・・・もともと、来年の大学院授業「組織学習論」のシラバスを書くためにいったのですが、なかなか多くの収穫がありました。よかった、よかった!、無理して行ったかいがありました。

 そして人生は続く。

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追伸.
 ピーター=センゲさんが下記の言葉が印象的でした。

「人差し指で他人をさしてみてください。3つの指は自分の方を指してしまうのです」

 他人を指摘したことは、自分に跳ね返ってくる、という意味で使っておりました。そうだよね・・・。

投稿者 jun : 2008年1月31日 00:00


「英語deキャリアアップ」ポッドキャスト配信開始!

 東京大学とベネッセコーポレーションは、共同研究を通して「英語deキャリアアップ」というポッドキャスト番組を開発しました。

「英語deキャリアアップ」はIT業界で働く人向けにカスタマイズされたビジネス英語番組です。スキマ時間を使って、効果的に「仕事に使える英語」をリスニングすることができます。

「英語deキャリアアップ」は、東京大学大学院 情報学環 ベネッセ先端教育技術学講座の研究プロジェクト「なりきりEnglish!」からスピンアウトしたサービスになります。

 東大側のプロジェクトメンバーは、山田君、山内さん、中原です。ベネッセ側は、秋山さん、吉田さん、山下さん、和気さん、平澤さんが参加しました。中原は監修者としてプロジェクトに関与しました。

東京大学大学院 情報学環 ベネッセ先端教育技術学講座
http://www.beatiii.jp/

なりきりEnglish 2007年成果報告会の様子
http://www.beatiii.jp/seminar/029_2.html

「英語deキャリアアップ」は、本日、朝日新聞朝刊に掲載されました。また、iTunes Music Storeのポッドキャストコーナーにて、フィーチャーされています。

eigo_itunes.JPG

 無料でお聞きいただけますので、ぜひお試しください。

英語deキャリアアップ
http://www.eigodecareerup.com/

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追伸.
本日、「企業内人材育成入門」の重版が決定しました。六版、1万三千部。とても嬉しいです。

投稿者 jun : 2008年1月30日 07:35


スネオのアタマ、下から見るか、横から見るか?

 今から15年くらい前、岩井俊二監督の「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」という映画がありました。

 で・・・スネオのアタマを上から見ると・・・
 (打ち上げ花火と全く関係ない・・・)

スネオヘア?
http://rokuro.hatelabo.jp/miyaoka/1201530068

投稿者 jun : 2008年1月29日 22:46


「守・破・離」と大学院

 物事を修めることとは、いわゆる「守・破・離」。

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「守」

 師の教えを忠実に守り、基礎基本をかたどる段階。いわゆるモデリング。注意を払った反復学習が必要。

「破」

 基礎基本の一部を自分なりに変更し、自分らしさや個性のもとを開花させる段階。

「離」

「破」をさらに勧め、師を「卒業」し、独自の芸やワザを円熟させる段階。

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 大学院教育にこれを当てはめてみれば、「守」が修士コース、「破」が博士コースにあたるのかもしれない。
「破」で大勢しうるかどうかは、「守」のプロセスでどれだけの型を習得できたかに依存する。

 そして、何よりも大切なことは、博士コースを終え、博士号を取得したからといって、学問習熟のプロセスは全く「終わっていない」ということである。むしろ、「自分にしかできない研究に着手する」という意味では、スタートラインに立ったばかり。その頃には、師を相対化しなければならない。

 終わりとは、まさにはじまり。
 まだ、はじまったばかりである。

投稿者 jun : 2008年1月29日 10:38


インテレクチャルカフェ:知の融合の場

 去年開催した「ワークプレイスラーニング2007」でも話題になりました。

 みんながアタリマエにもっている「メンタルモデル(Senge 1985)」、組織文化の中に埋め込まれた「因習」、「既存のビジネスモデル」をアンラーニング(unlearning:学び壊す)して、新たなイノベーションを起こすことのできる人材は、どのように育成すればいいのか?

 それに関係する?ような記事を見つけました。
 経済産業省では、「知が融合する場」を「インテレクチャルカフェ」と呼んで、その促進をはかっているそうです。

「知」創出へ異分野交流のセミナーを開催
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyagi/news/20080127-OYT8T00754.htm

 記事には

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 東京大学では、さまざまな分野の若手研究者らが交流できるカフェスペースを設けたところ、バイオマスエタノール製造の共同研究に発展するなど、実績を上げている例があるという。

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 とありました。いったい、どこのことなんだろう? 工学部2号館のサブウェイ前?

 まだざっとしか見ていませんが、プロジェクトのWebページには、事例紹介などのドキュメントがありました。

「インテレクチャルカフェ」プロジェクトのWebページ
http://www.intellectual-cafe.jp/home.html

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 下記、思ったこと。

 インテレクチャルカフェは、明らかに「知識創造理論」や「実践共同体理論」などを下敷き、あるいは参考ににしている事業だと思います。

 が、その名前をプロジェクト名に冠せず、より人々が理解しやすい「メタファ」で - つまりはこの場合は「カフェ」のメタファで - 普及させようとしているところが、なるほどな、と思いました。

 先日訪問させていただいた富士ゼロックスでは、「バーチャルハリウッド」と呼んでおりました。

投稿者 jun : 2008年1月28日 09:51


乙女心と秋の空とTAKUZO

 「移ろいやすく、変わりやすいもの」の喩えに「乙女心と秋の空」なんて言いますけど、「子どもの体調」より変わりやすいものはありません。前にも書きましたね、この話題。

 今日も、ほれ、この通り。

 お昼のTAKUZO。ご機嫌でアンパンマン。

hirutaku.jpg

 ところが・・・それから2時間たつと・・・

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 夜のTAKUZO。もう「死にかけ人形」です。おお、かわいそうに。見ていて辛い。

yorutaku.jpg

 しかし、嗚呼、明日から僕もカミサンも死ぬほど忙しいのに・・・。どうなるんだろう、我が家。今週は、博士論文審査と修士論文審査のヤマです。

 まぁ、しゃーないね。
 夫婦で何とかかんとかするしかないのです。

 そして共働き夫婦の人生は続く。

投稿者 jun : 2008年1月27日 23:12


アンプラグドな環境で「学び」を考える

 ちょっと前のことになるが、都心から2時間くらいの「郊外」で開催された研究会に、オブザーバとして参加させていただいた。

 マインドマップという手法を用いて、「人と組織の学びの未来」について、それぞれの立場から話し合う(ダイアローグ)をする会であった。

 こういうとかなり恥ずかしいことであるけれども、研究会では、「学びとは何か?」について、久しぶりに考えさせられた。
 本来それを行うはずの大学で僕は研究をしていながら、ここ最近、その「本質」を問おうとしていなかったのかもしれない、と反省させられた。
 時には、今ある仕事から一歩引いて、それをリフレクションする機会も必要だ、と心の底から感じた。

 リフレクションの際には、今回の研究会の開催場所がそうであったように、1)ネットには接続できず、2)四方は大自然が広がっている、という「アンプラグドな環境(Unplugged Environment)」の果たす役割も大きいのかもしれない。

 今回の研究会に参加していた人々、それをまとめていく方のファシリテーション、場を支えていただいたスタッフの方々のホスピタリティに感謝いたします。ありがとうございました。

 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2008年1月27日 07:00


Value Jam : 組織価値は伝えるもの?、つくるもの?

 先日、IBM社をお邪魔した際に、こんな話を聞いた。
 IBM社では、2003年自らの「組織のかかげる価値」を定義するために、グローバルの従業員全員で「72時間のオンラインチャット」をしたのだという。

 オンラインチャットは「Value Jam : バリュージャム」と名付けられた。下記のような内容が語られた。

IBM社
http://www-06.ibm.com/jp/ibm/ibmtopics/year_2003.html

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●IBMには、価値観なるものは存在するのか
●IBMが目指すべき姿へと成長するうえで欠かせない価値観とはいかなるものか
●IBMが今夜この世から姿を消したならば、明日の世界はどのように変わってしまうだろうか
●IBMはどのようなときに持てる力を最大限に発揮できるだろうか

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 どこぞの誰かが「うちの会社の掲げる価値はこれー」と言うのではなく、たとえ形式的であっても、従業員に参加を求める。それは「組織価値をめぐるアクターネットワークの構築」とよぶこともできるし「参加型の意味構築」と呼ぶこともできる。

 僕は倫理学や組織文化論が専門ではないので、詳しいことはよくわからないのだけれど、いくつか疑問がわく。

 ズバリ、

 価値とは伝えうるものなのだろうか?
 それとも、構築されるものなのだろうか?
 あるいは、実践を通してのみ、現前するものなのだろうか?

 このあたりが、専門領域ではどのように考えられているのか、僕にはわからない。

 組織の掲げる価値を、メンバーにわかってもらいたい、と思っている組織は、思いの外、非常に多い。

 この問題は、適当にすましてよい問題ではない。

投稿者 jun : 2008年1月26日 08:06


高校生のもつ「学問イメージ」

 先日、自分の出身高校の高校生20名が、進路指導室の先生に引率されて、北海道からはるばる、東京大学を訪れた。

 OBとしては微力ながらお役に立てることもあるのかと思い、自分の研究の「高校生でもわかりそうな部分」について説明した。また東京大学で勉強することの意味を、卒業生のひとりとして語った。

 時間は1時間。要領の得ない話であったとは思うが、何とか無事終えることができた。

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 それにしても、高校生の話や質問を受けながら、少し「焦り」みたいなものを感じた。それは、彼らのもっている「学問に対する素朴理論」に対してである。

 仮に、本当に極端に表現するのなら(決して高校生たちがこういうことを言っていたわけではない)、彼らの学問イメージには、

 ●社会が得意だから社会学
 ●心理学をやると、他人の心がわかる
 ●教育学をやると先生になる

 といった、ある種のステレオタイプに、ヘタをすればハマッてしまいかねないような素朴さを感じたし、

 ●本が好きだから文学部
 ●物理が得意だから理学部

 といった選択をしかねないような、ある種の「危うさ」をもっているような気がしたのである。

 もちろん、偉そうに言っているけど、僕だってそうだった。何を隠そう上記に掲げた項目は、今から15年前、高校生だった自分がもっていた認識なのであるから。それから15年がすぎ、僕は、その頃の自分の「素朴な学問観」をすっかり忘れてしまっていた。

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 高校生がもつ学問イメージが、曖昧で、また学問に身をおく人間から見て素朴に見えてしまうのは、ある種、どうしようもないことであるのかもしれない。だって、そこにいないんだから、経験してないんだから。
 おそらく大学に進学し、しばらくすれば、これらの「素朴理論」は少しずつ「脱構築」されるだろう。

 しかし、可能であるならば、もう少し早く、進学を控えている高校生に「学問のイメージ」をわかりやすく伝えられないだろうか。「やべ、ヘタうっちまった・・・こんなハズじゃなかったのに」といったような選択をしないためにも。
 もしそれが可能なのだとして、そのために、大学には具体的に何ができるのか。自分のかかわる「教育の情報化プロジェクト」の役割は何か?

 ふだん高校生と接する機会がほとんどないだけに、なかなか、考えさせられた一日であった。

投稿者 jun : 2008年1月25日 07:00


「フリーペーパーの衝撃」(稲垣太郎著):無料の新聞があらわれる日

 2004年 - 僕が、ボストン・マサチューセッツ工科大学に留学していた頃のこと、地下鉄レッドラインの駅の入り口近くで「緑色のラック」をよく見かけた。

 アメリカ人の朝は早い。ダウンタウンへ向かう地下鉄へ乗り込もうと急ぐ人たちは、この「緑色のラック」から「新聞」を無造作に手にとり、足早に暗い駅の中へと入っていく。この新聞こそが、フリーの新聞「Metro(メトロ)」である。

METRO BOSTON
http://www.metrobostonnews.com/us/home/

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 集英社新書「フリーペーパーの衝撃」(稲垣太郎著)を読んだ。

 現在、日本では1200誌、年間2億9300万部のフリーペーパーが発行されているという。
 20歳から34歳の男性、いわゆるM1をターゲットにしたリクルート社の「R25」、毎号オシャレな企画記事を連載するスターツ出版の「メトロミニッツ」、クルマ・バイクを堪能する男性誌「アヘッド」などは、その代表格。これら意外にも、地下鉄の駅などに、フリーペーパーのラックが並んでいるところを目にすることが多くなってきた。

R25
http://r25.jp/

メトロミニッツ
http://www.metromin.net/

アヘッド
http://www.ahead-magazine.com/index.html

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 上記のフリーペーパーは「フリーの新聞」ではなく、あくまで「雑誌」である。しかし、欧州・米国では「Metro」などの「フリーの新聞」が、地下鉄などで配布されており、人気を博している。伝統的な新聞メディアも、これに対抗し、無料新聞を創刊するところも多くなってきている、のだという。

 僕も留学時代には、よくMetroにお世話になった。
 Metroのコンセプトは明確。記事は小さなボックスに収まるくらいの短いものに制限されており、用いられている語彙や修辞はとてもシンプルである。

 NYタイムスやワシントンポストなどの、いわゆるアメリカの一流新聞は、なかなか非ネィティブには敷居が高いが、Metroの記事はわかりやすく、読みやすい。そんなわけで、English Second Languageのクラスでは、このMetroを教材とした授業が、よく組まれていた。

 ちなみに、日本でもMetroのようなフリー新聞が発刊されたことが、過去に一度だけあるそうだ。
 2002年「ヘッドライントゥディ」という新聞が発刊されたが、通信社、広告会社、印刷会社からの協力が得られず、あえなく4ヶ月で廃刊に追い込まれているのだという。

 ちなみに、朝日新聞の調査によると、「日本でフリー新聞が発刊された場合」、81.7%は「読んでみたい」と答えるのだという。「日刊無料誌が読めるようになったら、通常の新聞の定期購読をやめるか?」という問いに対しては、「無料新聞の内容次第」が53.9%らしい。

 フリーペーパーとトラディショナルな新聞との攻防は、これからさらに加速する。

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追伸.
 近年、僕は「大人の学び」に焦点を当てた研究をしている。「大人にどの程度学びにかけられる時間があるのか」、いつも気になっていたのだが、本書「フリーペーパーの衝撃」は、「大人のメディア接触頻度」を考える上で、とても参考になった。

 リクルートの調査によると、20歳から34歳までの男性の典型的な日常生活パターンは下記に示すもののようだ。

「朝はぎりぎりまで寝ていて朝食を取らずに家を飛び出し、コンビニや立ち食いの店で朝食をとり、満員電車に揺られて出社すると、すぐに仕事。帰りはコンビニで夕食を買い、帰宅するとテレビとパソコンの電源をオンにし、テレビをつけたままパソコンで1時間から2時間遊んで、風呂にはいって寝る」

 仕事が終わってからの1時間~2時間、あるいは、満員電車の中が「勝負だな」と感じた。

 ちなみに、フリー新聞の中には、読む時間を20分に想定して編集されているものがあり、人気を博しているようだ。
 モバイル英語リスニング教材「なりきりEnglish!」のプロジェクトでは、大人の一日の可処分時間を20分~30分と想定し、教材を構成したが、その読みはあながち間違っていなかったな、と思う。

投稿者 jun : 2008年1月24日 07:00


イギリス・アメリカの失敗!?

 このところ「教育の市場化」、すなわち、「教育に競争原理や市場原理を導入して現場を活性化しようとする施策」の「失敗」や「問題点」を取り上げる本が、あいついで出版されているようである。

 「競争原理」「市場原理」の導入は、必ずしも教育現場の活性化にはつながらないこと。あるいは、「行為の意図せざる結果」として、ともすれば現場に弊害をもたらしかねないことは、教育学者の間では、はやくから指摘されていた。

 下記の本、読んでいないのでどういう内容かは知らない(無責任ですみません)。はやく読んでみたい。が、原稿執筆や講演のために、今すぐに読まなければならない本がたまっていて、なかなか追いついていない。

 もっと本をよむ時間が欲しい。一日が30時間であったのなら・・・つい「受験生」のような空想にふける。

投稿者 jun : 2008年1月23日 10:22


箱庭の住人

 他人の見た「夢」を聞かされることほど、つまらないものはない。しかし、今日は敢えて、僕が子ども時代から繰り返して見る「夢」について語る。他人の貴重な時間を、僕の「ヨタ話」で台無しにする気は毛頭ないので、下記は比較的時間のある人だけ読んでください。

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 僕が、子ども時代から繰り返してみる夢に、こんなものがある。

 一言でいうと、「この世の虚構」に関する夢。
 僕らは、実は、小さな「箱庭」のような世界に暮らしていて、誰かが上から、僕らの所業をのぞいているのではないか、という夢である。

 要するに、僕らは、「シムシティ」の中の住人であり、誰かが「コントローラー」を握って、じっと僕らを見つめている。

「人は自分の見るものだけを現実だと思うものさ」

「箱庭の外の住人たち」は、箱庭の中に広がる抗争、葛藤、悲しみ、喜びを見つめながら、互いにそんなことを語り合っている。

 ある日 - いつもはアタリマエに広がっている青い空に、奇妙な黒い影がうつる。世界が突然暗くなった。「箱庭の中の住人」がいっせいに顔をあげて見つめる。黒い影はどんどんと世界を覆う。しかし、それは、人間の「手」のようにも見える。

 まさか、「手」がなぜ、空に?

「このあたりで、ゲームをやめようか。そろそろ食事の時間だよ」

「箱庭の外の住人」の低い声が世界一面に響く。「箱庭の中の住人」はようやく気がつく。自分たちの見つめていた「手」こそが「現実」であったのだ、と。

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 その一瞬でいつも目が覚める。今日もこの夢を見た。これが何の暗喩なのか、僕は精神分析家ではないので知らない。でも、なんか意味があるようにも思う。

 誰にも、繰り返し見る夢があるのだろうか? こういうのは僕だけ? そんなことを考えながら、大学に向かう。

投稿者 jun : 2008年1月22日 09:49


二足のわらじをはきなさい

 中央公論2月号特集「崖っぷち、日本の大学」は、なかなかオモシロク読むことができた。

中央公論
http://www.chuko.co.jp/koron/

 特に大変興味をもって読むことができたのは、加藤尚武先生(東京大学特任教授・元京都大学教授:倫理学)の「京大オーバードクター生一掃記:二足のわらじをはきなさい」という論考である。

 加藤先生は、「従来の倫理学のメニューにはなかった応用倫理学という研究領域を開拓し、オーバードクター生に参加させ、応用倫理学の領域でも研究業績を採用側に示す機会」を与えた。そのことがきっかけで、オーバードクターの学生が就職することが容易になったのだという。

 こういうと、

「伝統的な学問をやっていては就職できないから、流行モノを追えってことね」

 と訝しがる方もいるかもしれない。しかし、それは違う。加藤先生は言う。

 ---

 いわゆる「伝統的なアカデミックな研究」というのは、19世紀に大学制度ができて、学問の自由が認められたときに、純粋な知性、象牙の塔というような、純粋な知こそが本質的な真理を担うというアカデミズムに固有のイデオロギーがつくりだした「虚像としての学問像」である。

 真実の学問は、現に国民が選択の前に立たされているような大きな難問を解くことに寄与してこそ存在理由がある。そのような寄与を通じて、「純粋な学問」が陥る独善を批判することが研究者の本来の責務なのだ。

 学問批判を忘れた学問は必ず腐敗する。学問批判を可能にする試練の場が応用倫理学である。

(p47より引用)

 ---

 アカデミズムの世界には、

「研究者は学問さえできればいいのであって、就職とかお金のことなんて考えること事態が不純である」

 という学問原理主義者もいないわけではない。しかし、そういう人は、たいがい「既に職をもっていて、決して、自分自身は生活を脅かされない状況」にいる場合が多いように思うのは気のせいか。

「学問で食えること」、それは、その学問の未来を考える上でも、非常に重要なことだと僕は思う。

投稿者 jun : 2008年1月21日 19:33


監督

 センター試験、終わった。
 受験生の皆様、お疲れ様でした。
 
 立ちっぱなしで休憩がほとんどない監督業務。僕もことしは監督責任者を経験して疲労困憊しました。「解答はじめ!」「解答やめ!」・・・しばらくこの言葉gが頭から離れません。まぁ、でも無事に終わってよかった・・・。

 来週は、地獄のようなスケジュール。はよ、ねよ。
 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2008年1月20日 22:17


グッドラック

 最近の受験生の中には「高層階のスイートルームで自習」をしたり、「脳活性化メニュー」で鋭気を養っている人がいるそうです。すごいですね。

受験生の宿、高級化 脳活性化ディナーも登場 競争激化
http://www.asahi.com/national/update/0118/TKY200801180347.html

 僕が大学入試を経験したのは、今から14年前。たった一度きりのチャンスのために上京しました。

 一般ピーポーの家庭に育ちましたので、宿泊したのはフツーの五反田のビジネスホテルです。夕食は「吉牛」でした。

 当時北海道旭川には「吉野屋」は出店していませんでした。

「ははー、これがテレビで噂に聞く、吉野屋の牛丼かー」

 とあまりの感動にカラダをプルプルさせながら、牛丼をかきこんでいたことを思い出します。

 受験で上京したとはいえ、はじめて「親元」を離れて数日間暮らしました。北海道は雪がありますので、冬は飛行機が飛ばないことも少なくありません。念のため、かなり早くから現地入りするのですね。

 東京で数日間過ごす。誰に何を言われるわけでもないし、誰に気兼ねするわけでもない。

「東京で大学生になったら、なんという自由だ!、やめられん
 絶対にうかっちゃる」

 と思って、答案を書くペンにも力がはいったことを覚えています。

 それにしても、毎年この時期になると受験のことを思い出します。昨日はいったコーヒーショップでも、受験生と思われる学生が、必死で単語のチェックをしていました。

 グッドラック、君に幸あれ

 今日は大学入試センター試験です。

 ---

 見舘好隆さんとの共同研究「アルバイト人材育成プロジェクト」。調査をお願いしていた企業からOKをいただきました。コールドストーンクリーマリージャパン、スターバックスコーヒージャパンさんで、調査をさせていただくことになりました!

コールドストーンクリーマリージャパンは、「歌を歌いながら、アイスクリームをつくってくれるお店」として有名です。1年ほど前に僕も行ったことがあります。ブログを書いていますね。

コールドストーン
http://www.coldstonecreamery.co.jp/

行列のできるアイスクリーム屋さん
http://www.nakahara-lab.net/blog/2007/03/cold_stone_creamery.html

 スターバックスコーヒージャパンさんは、言わずもがなですね。アルバイトといえど、大学生以上しか採用しないこと、また、マニュアルがないことで大変有名です。

スターバックスコーヒージャパン
http://www.starbucks.co.jp/

 それぞれの店では、何が契機となって、アルバイトたちは、何を学んでいるのか? 研究の進展が楽しみです。

投稿者 jun : 2008年1月19日 07:00


もうと言い、まだと思う

 かつての恩師が、年頭の挨拶で、こんな詩をおくってきてくださった。

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「もうと言い、まだと思う」

もう若い力も 情熱も 萎えてしまった といい
まだ若いものには譲れない 負けはしないと 思う

もうやるべきことは 何もかもやってしまった と言い
まだやりたいことの いくつかは 果たしてないと 思う

命の立ち位置 いつも坂道
もうと思えば下り坂 まだと思えば上り坂

(小椋桂「未熟の晩鐘」より)

 ---

 畢竟、人生に平坦な道はない。それはいつも坂道。坂がどちらに傾いているかは、己が決めるということか。

 若くても「下り坂」にたたずむ人もいる。年をとっていても「上り坂」の渦中にいる人もいる。「年を重ねただけで人は老いない 理想を失ったとき 人は老いる」とは、昔の詩人はよくいったものである。

 あなたは、今、どちらの坂道にいるだろうか?

投稿者 jun : 2008年1月18日 06:46


本郷 忍庭いち

 先日、本郷の保険屋さんに教えてもらったおすすめのお店。朝は築地にお魚を必ず仕入れにいっている良心的なお店らしい。ググッてもでてこない。下記、完全自分のための備忘録です。誰か行ったことがあったら、教えてください。

 ---

本郷 忍庭いち
03-3813-0795
10席しかないので予約必須


大きな地図で見る

投稿者 jun : 2008年1月17日 15:52


企画書を書くこととは?

 共同研究者のA先生が学部生だったころ、当時の指導教員だったB先生から、下記のような「薫陶」を受けたそうである。

 ---

 ゼミにて。指導教員B先生は、学部生たちに問いかける。
 「企画書とは何のために書くか?」

 A先生を含め学部生たちは考える。

 「計画を提案するためです」
 「考えを整理するためじゃないでしょうか」
    ・
    ・
    ・
    ・
    ・
    ・
 B先生は、真顔で、ハッキリと否定した。
 「いや違う。企画書とは金を得るために書くものだ」
    ・
    ・
    ・
    ・
    ・
    ・
 続けてB先生は言った。

 「企画書とはパドックのようなものである。
 ふつうの取引では、商品が完成してからお金と交換する。
 しかし、企画書は違う。
 商品が完成する前に、こちらに何もないうちから、
 相手にお金を払ってもらわなければならない。

 だから、企画書は、期待させなければならない。
 企画書は、こいつならできる、と思わせなければならない。
 同時に、企画書ではできないことをできると書いてはいけない」

 ---

 あなたが、研究の現場にいようとも、会社づとめをしようとも、テレビ局のディレクターであっても、「企画書を書くこと」からは、なかなか逃れ得ない。
 研究の現場であれ、会社であれ、常に何か新しいものを生み出すことが、多くの場所では要請されるからである。

 企画書を書くとは奥が深い。

投稿者 jun : 2008年1月17日 13:37


苦手な育児は何ですか?

 本日の朝日新聞。2006年に(株)花王が行った父親対象の調査結果がのっていました。

「苦手な育児はありますか?」

ある65%
ない35%

おむつ替え 56%
泣きやませ 40%
寝かしつけ 40%
着替え 16%

 ---

 うーん、なるほど。

 個人的に、僕は「おむつ替え」は嫌いではないです。愚息TAKUZOは、「オマエはギャル曽根か?」というぐらい大量に食べるので、ウ●コも大量ですね。

 たまに漏れる。きゃー。漏れたsomething dirtyが、服にシミついちゃってるときは、さすがに「ドンびき」ですね。どうすりゃいいの? だけれども、それ以外は、あまり抵抗感なく、淡々とおむつ替えができます。

 願わくば、ケツをふくウェットティッシュ(おしりふき:ケツふき)に、もうちょっと水分をふくませてほしい。でないと、ウ●コとれねーよ。メーカーさんお願いします。

 ウ●コはとれにくいので、いつも手につく。ツメの間にはいったときは、かなりブルーです。

 あと、たまにおむつ替えの途中で、TAKUZOは「脱走」します。これもブルーだな。

dasou.jpg

 ---

 泣きやませ、これは辛いね。オヤジのビー●クを吸わせるわけにもイカンしな。吸ってもいいけど、しょっぱいぞ、きっと。なんかでてくるぞ、ヤヴァイものが。

 泣きやまないとき、そりゃね、念じるしかないですね。「静まりたまえー、おことぬしさまぁ」。念じるしかない。

 ---

 寝かしつけ。これは最近テクを覚えました。

 愚息TAKUZOは、寝る前にミルクを飲まなければ寝ないのですが、ミルクを飲ましているあいだ、目かくしをしてしまうのです。そうすると、どうでしょう。当社比3倍の速度で寝ます。ふふふ、単純なやつめ。

 ---

 着替え。そんなん面倒くさいか? 僕の場合、泣いても吼えても、無理矢理着せます。「オレは忙しいんだ、グダグダいうんじゃねー」という感じですね。
 ・
 ・
 ・
 こうやって書くと、なんか育児をやっている感じに見えますね。確かに全種類やっているけど、量は全くカミサンにはかないません。アタマが上がりません。ごめんね、カミサン。

 嗚呼、共働き人生は続く。

 ---

追伸.
 TAKUZOとカミサンと一緒に「自家用車」を買いに行きました。もう買っちゃえと。もちろん、国産車です、それが何か?
 ふだんは保育園に預けてるけど、休みの日には、TAKUZOを連れて、いろいろ「お出かけ」したかったのです。納車が楽しみです。

takuzo_unten.jpg

投稿者 jun : 2008年1月16日 23:09


「批判すること、されること」考

 研究発表するということは、自分を「ヴァルネラブルな立場(脆弱な立場)」におく行為である。

 誰も知らないあなただけの発見、新たに考案した手法とその有効性・・・あなたが研究発表を行えば - それがセンセーショナルでであればあるほど、他者から「批判」が次々と加えられる。

 そこで大切なことは、「批判されている対象」を「誤解しないこと」である。
 アカデミズムのルールに基づき建設的な「批判」がなされた場合、他者は「知見」を「批判」しているのであって、「あなた」を「批判」しているのではない。

 そこを誤解して、「あの人ったら、わたしを非難しているのだわ」とヒステリックになってはいけない。というよりも、批判をされるたびに一喜一憂していては、アカデミズムでは生きていけない。職業研究者ならなおさらであるが、「批判」は「仕事上のこと」とわりきって、受容されなければならない。

 もちろん、他人の批判が、必ずしも「正しい」わけじゃない。冷静なアタマでそれが正しくないと感じた場合には、批判に打ち勝つ「強さ」を持つ必要がある。

 ---

 しかし、残念なことに、すべての「批判」が「アカデミズムのルールに基づき建設的になされる」とは「限らない」。そのことが話をややこしくする。

 人生いろいろ、研究者もいろいろ。「批判」のルールを知らない「困ったちゃん」もいないわけではない。

 例えば、「自分の過去の経験」や「自分の研究」が、ものごとの判断の「公準」になっており、他人の研究をすべてネガティヴにとらえる人もいる。
「誰一人として解決できないアポリア」を無責任になげかけて、初心者の出鼻をくじこうとする人もいる。
 批判すること自体が自己目的化し、それをもって「優越的な立場」を築こうとする人もいる。

「批判」には、その人の「知性」が如実に反映されている。

 ---

 誰もが、可能ならば「よい批判者」になりたい。そのためには、批判をする前に、いくつか「簡単なチェック」が可能だと思う。

 第一に、あなたの批判には「誰もが納得できる根拠や理由」があるかどうか。
 意外に「~だと思うんですよね、何となく」「~だと感じるんですよね、経験上」という批判は多い。それは「批判」にはなっていない。「勝手なあなたの思いこみ」である。
「思いこみ」は時間の許す限り当人の自由である。が、当人が言語化できないものは、他者が理解するのは限りなく難しい。よって有益な「批判」にはなりにくい。

 第二に、あなたの批判している対象が明確かどうか。
 意外なことであるが、「批判対象」が明確でない「批判」は多い。おそらく批判者からすれば「研究の全体が気にくわない」のであろうが、それでは他者が、その批判をどのように受容したらよいのかわからない。何がよくて、何が悪いのか・・・批判対象を明確にする必要がある。

 第二に、あなたの批判には「代替案」が含まれているかどうか。
 学部時代、筆者がお世話になった気鋭の教育社会学者のK先生は、いつもゼミのときにこうおっしゃっていた。

「批判するのなら、代替案をだせ。代替案なき批判は、批判とは言わない」

 ゼミのときに行う「批判」は、一般的に学会でなどで繰り広げられる「批判」よりも、基本的に「援助行為」的色彩が強い。ゆえに、K先生からは「批判のときは代替案をだす」という、わかりやすい提案がなされたのだと思う。

 ちなみに、教員の行う「指導」とは「指導学生とのコミットメント」であり「責任のともなう助言」である。それは「批判」とは異なるが、この考察に関しては、別の機会に譲る。

 ---

 批判することも、批判されることも、難しい。

 感情が先に立ったり、自分の経験がじゃますれば、ともすれば「批判にならない批判=知性の感じられない批判」をしてしまい、自分を貶めることになる。
 
 批判される側だって、批判に一喜一憂していてはサバイブしていけない。また批判に対する「オープンさ」と「強さ」がなければならない。
 
 しかし・・・ここまで散々「批判」について述べたきたというのに、最後に「ちゃぶ台」をひっくりかえすとね・・・
   ・
   ・
   ・
   ・
 実は、本当のことをいうと、研究者にとって最も深刻な事態は「批判されること」ではない。「ポジティブな反応=賞賛」でもなく、「ネガティヴな反応=批判」でもないものが辛い。
 研究者にとって本当に辛いことは「反応がないこと=無視されること」である。

「批判する」「批判される」というのは、実は「幸せなこと」なんですね。

 嗚呼、今日もありがたき幸せ。

投稿者 jun : 2008年1月15日 10:53


ジョブズのスピーチの字幕版

 学部時代の同期A君のブログからの情報。スタンフォード大学でのジョブズのスピーチに字幕がついている!

 

 このサイト「字幕in」はじめての利用ですが、ニコニコ動画風機能+Youtubeと考えて良いのかな? ニコ動機能を「真面目」に使うと、こんな風に字幕をいれられるのでしょうか。詳しいことは知らないけど。

字幕in
http://jimaku.in/

 いずれにしても、素晴らしいですね。

 ---

追伸.
 知らないうちに、アクセス数が200万を突破していました。おかげさまで。ありがとうございます。日々精進します。

投稿者 jun : 2008年1月14日 18:05


シブヤ大学

「オモシロイ大学があるんだけど」と、知り合いから教えてもらった。

シブヤ大学
http://www.shibuya-univ.net/

 この大学には、校舎がない。専任の教授も、研究室も、教室もない。シブヤという街そのものがキャンパス。

 遊ぶのが一番楽しい街は
 学ぶのがいちばん楽しい街になれる

 がコンセプトである。

 先生は、渋谷区に住んでいる人か、渋谷区で働いている人から、年に数回、ボランティア講師を募集する。現在までに100名以上が講師登録をして、自分の専門分野の授業をしているようである。

 中には、第一線で活躍するアーティスト、歌人、書道家などもいて、非常に興味深い。こうしたクリエイティヴな人を講師として集めることができるのは、「シブヤ」という街ならではであろう。

講師リスト
http://www.shibuya-univ.net/professor/

 
 授業は参加型の、手やカラダを動かす形式のものが多いようだ。人気があるようで、「満員御礼」が授業リストに並んでいる。

授業リスト
http://www.shibuya-univ.net/class/

 小中学校からのリクエストにしたがい、授業をプロデュースするなどのことも行うようである。

小学生のための、大学になります
http://www.shibuya-univ.net/teacher/

 ---

 シブヤ大学は「大学設置基準」には通らない。

 しかし、「教えるもの」と「学ぶもの」の「共愉的関係」が、大学教育の根幹だとするならば、ここは紛れもなく、それを行っている。

「キャンパス」には、「教える人」と「学ぶ人」の「つながり」が満ちている。

投稿者 jun : 2008年1月14日 08:38


できるMRを育てる - OJTとOff-JTの連動:Learning barが終わった!

 2008年最初のLearning barは、日本ベーリンガーインゲルハイム株式会社 事業企画本部 能力開発部 統括部長の早川勝夫さんをお招きいたしました。

hayakawa_san0.jpg

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 新年早々から会場は「満員御礼」。このところLearning barは、教室の収容人数をはるかに超える参加希望をいただいております(お申し込みはお早めに!)。

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 今回のスピーカーの早川さんの勤務する、日本ベーリンガーインゲルハイムは、循環器や呼吸器用薬などを主力商品としたドイツの製薬メーカーです。

 同社では、MRの営業生産性を向上させるため、「ワークプレイスラーニング」の視点を取り入れ、「OFF-JTとOJTを連動させた人材育成」を2003年から試みています。

 その結果、2005年-2006年における売上、営業生産性の伸び率は2年連続で業界第一位を記録するまでになりました。

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 Learning barでは、早川さんに、1)OFF-JTとOJTの連動の仕組み、2)そこで起きた様々な問題をどうクリアしたのか、について、「生の研修素材」をご紹介いただきながら、お話しいただきました。当日の資料は、こちらよりダウンロードいただけます。

早川さんの発表資料
http://www.nakahara-lab.net/blog/20080111_hayakawa.pdf

「OJTとOFF-JTの連動の仕組み」は、早川さんのチームが国内ではじめたことでしたが、この業績が本国に認められ、今後グローバルに展開されるそうです。まさに「日本発の人材育成の仕組み」ですね。

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 OJTとOFF-JTの「連動」・・・

 言うのは簡単ですが、これ以上にむずかしい課題はありません。なぜなら、それは「OJT」「OFF-JT」という「教育制度」を「接合」するということではないからです。

それは「OJTを行う部門」と「OFF-JTを行う部門」という2つの異なった「部門」の「連携」であり、そこには、ともすれば「利害の衝突」「政治的葛藤」が生まれるからです。

 早川さんは、「OJTとOFF-JTの連動は、人材育成部門がイニシアチブをとるべきだ」とおっしゃっておりました。しかし、それはともすれば、「現場のマネジャー」「MR」の視点から見れば、それは「人材育成部門の現場への介入」に見えてしまいます。

 踊る大捜査線風にいうならば「本部と現場の葛藤」。「事件」は「現場」で起きてるんだ。「本部」で起きてるんじゃねー、という話になりがちです。

 個人的には今回、早川さんらが成功した秘訣は、下記にあるのではないか、そう思いました。

●成功の秘訣1:上司をステークホルダーに組み込んだこと
 今回、人材育成部門は、MRの目からハッキリは見えていません。うすうすMRは上司の背後に「人材育成部門」の存在を感じていますが、彼らに対峙するのは、あくまで「現場の上司」であるわけです。
 現場の上司を「OFF-JT」によって巻き込み、「部下」を説得させる存在と位置づけたこと。これが成功の秘訣ではないでしょうか。
 エリンガーという人たちの研究によると、「現場での学習」の成否は、現場の上司が、学習に理解のあるリーダーシップやマネジメントを行うことができるかどうか、に大きく依存すると言われています。その意味でも、「上司」を巻き込んだことは、非常に大きいと思います。

●成功の秘訣2:ITによる「見える化」の仕組み
 日本ベーリンガーインゲルハイムでは、既存の「Sales Force Automation(≒営業日報支援システム)」の中に、「部下」と「上司」が同行営業を行った際のドキュメンテーションを行う仕組みを整えました。

 これによって、OJTの現場で「上司」と「部下」が何をやっているのか、それによってどの程度営業活動が活発化したのかを、人材育成部門がモニタリングする仕組みが整いました。これは言い方を変えれば、IT技術によって「現場のOJT」が「見える化」したということになります。

 教育学風に言えば「評価データを取得することができた」ということになるのでしょうね。そして、この非常に分厚いデータをもとにして、「変革をはばむチェンジモンスター=現場からの反発」を説得することができたのではないか、と思います。これが成功の秘訣2ではないでしょうか。

 ところで考えてみれば、「成功の秘訣1」は「事業部を巻き込むこと」、「成功の秘訣2」は「情報システム部門を巻き込むこと」です。
 今回のLearning barで、専門的見地からコメントをしていただいた産業能率大学 長岡健先生の言葉を借りるならば、「人材育成のハイブリッドネットワークの中に、異なる部門を巻き込んでいくこと」なのです。カロン風にいうと、「アクターネットワークの構築」。

nagaoka.jpg

 さて、ここで、企業人材育成には、二つのすすむべき「道」がでてきます。

「そんなことは人材育成部門の仕事じゃない。人材育成部門の仕事は研修の発注であり、企画だ!」

 とする「ひとつの道」。

「他部門を巻き込むことを試みてでも、OJTとOff-JTが連動したトータルな学習環境をつくりたい」

 とする「もう片方の道」。

 どちらが正しい、正しくないの話ではありません。それに対する答えは、現場にいる方々が、個別具体的に出していく他はないでしょう。

 Learning bar最後の「まとめ」で、僕は以上のようなお話をしました。

wrap_up_desu.jpg

 ---

 最後になりますが、今回のご発表を快く引き受けていただいた日本ベーリンガーインゲルハイムの早川さん、そして非常に素晴らしいコメントをしてくださった産業能率大学 長岡健教授に感謝します。
 また、Learning barを影から支えてくれている東京大学大学院の坂本君、牧村さん、山田君、林さん、脇本君、本当にありがとうございました。

 次回のLearning barは3月。ご案内は下記メーリングリストより発送させていただきますので、まだ入っていないという方は、これを機会にご加入ください。

Learning bar メルマガ登録はこちら
http://www.nakahara-lab.net/learningbar.html

 それでは皆さん、よい週末を!

投稿者 jun : 2008年1月13日 00:00


バラク=オバマの物語

「私は、アフリカとアメリカ、この2つの大陸で生まれた"ひとつの夢"である」

 ---

 海の向こうの大統領選が、今、熱い。

 ケニアの知識人であった父と、インドネシア人の母から生まれた「バラク=オバマ」が、米国大統領の椅子をかけて、闘っている。

 彼の演説は、すさまじくかっこよい。

 ---

「わたしは自分の血に流れる多様性に感謝しています。
 わたしは知っているのです。
 わたしの物語が、アメリカの物語だということを。
 そして、私の物語が生まれうる場所は、
 地球上どこを探しても、
 このアメリカ以外にはないということを」

「ここにあるのは、黒人のためのアメリカでも、
 白人のアメリカでも、ラティーノのためのアメリカでも、
 アジア人のアメリカでもないんです。
 あるのは"アメリカ合衆国"それひとつのみなのです」

「今日、ここにみなさんが集まったのは、
 "私のため"ではありません。
 皆さんは、"アメリカに何がなしうるか"を信じている。
 だから、この場所に来たはずです」

「私は、ワシントンのやりかたを十分知りません。
 しかし、"ワシントンのやり方を変えなくてはならない"
 ということを知るには、十分な時間を過ごしました」

 ---

 アメリカ大統領候補の演説なのだから、当然、プロのスクリプトライターがたくさんオバマを支援しているのだろうと思う。

 オバマの人生や生い立ちを、「アメリカンドリーム」や「キング牧師風の物語」に重ねる、その手腕は、感嘆に値する。

 しかし、これをスピーチしているときの彼は、本当にかっこよい。これはスクリプトが素晴らしいだけじゃない。人を魅了する「何か」が、彼に備わっているのだと思う。そして、こういう人は、なかなかいない。下記では、それを見ることができる。

オバマの演説はこちらで見ることができます
http://www.barackobama.com/tv/

 いまや、ネット時代。様々な国の政治家の演説を、お茶の間に居ながらにして、オンデマンドで見ることができる。

 官僚の「振り付け」通りにスピーチを行う、どこぞの国の政治家も、ネットを使って、しっかり自学自習するべきであると思う。

投稿者 jun : 2008年1月12日 00:01


オレとアイツは同期!?

 昨日、ある編集者の方と雑談していたら、こんな話がでた。

 ---

 最近、「同期」という言葉の使い方が変わっているみたいですよ。20年前くらい前には、「あいつはオレと同期だ」というと、「同じ会社で入社年次が同じ人」を指しました。

 でも、ここ数年、若い人のしゃべっている用法を聞いていると、「違っている会社でも、入社年次が同じ人」を「同期」とよぶのです。こういう状況は、出版業界だけかもしれませんけれど。

 ---

 これにはいくつかの理由が考えられる。

 かつて20年前には、若者は大量採用された。つまり、いわゆる「同期」はたくさんいた。しかし、ここ1年から2年の特異な現象をのぞいて、最近まで長い間、会社は採用を手控えてきた。つまり、これまでどおり「同期」という言葉を使うと、「同期はいない」ことになる。だから、「同期」という言葉の指し示すところが、拡大して用いられるようになった。

 あるいは、こんな説明もあるかもしれない。

 最近の若い人は「同じ会社に勤めているか、いなか」はどうでもよい。つまり集団への所属意識が低い。同じ時代の空気、同じ時代の「風」を浴びた人を「同期」とよぶ。

 いずれも真偽のほどはわからないし、上記のような現象が、どの業界にも広がっている事実なのかもわからない。だけれども、これを頼りにいろいろと考えていくオモシロイなぁ、と思う。

 あなたにとって、「同期」って誰?
 ---

追伸.
「誰も行きたくないカラオケ」の話は、なぜか、編集者にウケがよい。このエントリーを読んだ編集者の方から、何人か個人的にメールをもらった。「それ、そのまま本になりますね」と必ず言われる。

誰も行きたくないカラオケ
http://www.nakahara-lab.net/blog/2007/12/post_1096.html

投稿者 jun : 2008年1月11日 10:52


なりきりEnglish!と英語deキャリアアップ

 東京大学×新日本製鐵株式会社×株式会社ウィルコムの共同研究プロジェクトで開発された、モバイルリスニング教材「なりきりEnglish!」がデイリーヨミウリ紙面に掲載されました。下記はWeb版です。

デイリーヨミウリ(英字新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/dy/features/language/20080110TDY14002.htm

 どうぞご高覧ください。

 また、1月末「なりきりEnglish!」のポッドキャスト版が、一般に無償公開されます。こちらはIT業界に勤める方に最適化された英語教材です。こちらは、ベネッセコーポーレーションと東京大学の共同研究で開発されました。ベネッセの吉田さん、秋山さんが中心になってプロジェクトを進めていただいております。

英語deキャリアアップ
http://www.eigodecareerup.com/

 1月下旬から、どなたでもご利用いただけます!
 どうぞお楽しみに!

投稿者 jun : 2008年1月10日 08:10


現代の受験生の7つ道具

 先日、ニュースを見ていたら、「現代の大学受験生、必携の道具」みたいな企画をやっていた。それによると、下記のような道具を、持ち歩いて勉強をしている受験生が多いらしい。

 1位 お守り
 2位 参考書
 3位 電子辞書
 4位 MP3プレーヤー
 5位 DS

 1位「お守り」や2位「参考書」などは、僕の時代でもそうだったけれど(14年前)、びっくりしたのは3位以下。ずいぶん、テクノロジーに囲まれているのですね。

 電子辞書やMP3プレーヤが普及したのは、英語のリスニング試験が増えたことによるそうだ。英単語の発音をチェックしたり、リスニングを勉強したりすることが多いのだろう。

 DSというのもびっくりである。英単語のチェックや、歴史の年号のチェックなどは、これを利用するとよいのだという。予備校などはこぞって、多くのソフトウェアをだしているそうだ。

 ---

 昔は、「オマエは漬け物石ちゃうか」ってなくらい重い「辞書」やら「問題集」やら「過去問」やらを、スポーツバックに詰めて、毎日持ち歩いていたもんだけどなぁ。

 ちなみに、僕は今年センター試験の監督です。トホホ。
 ちょっと受験生の様子を観察してみたいと思います。

投稿者 jun : 2008年1月10日 07:00


自分を仕事にあわせるのです・・・NHK「プロフェッショナル」小野二郎さん

 昨日放映されたNHK「プロフェッショナル」では、国宝とも称される「寿司職人 小野二郎」さんがフィーチャーされていた。小野さんといえば、昨年11月のミシュラン発表で、3つ星を獲得したことで一躍「時の人」になった。

 7歳から仕事をはじめ、今年御年82歳になっても、現役を守り続ける小野さん。中でも、下記の言葉が大変印象的だった。

「自分」を「仕事」にあわせるのです
「自分」にあわないということで、「仕事」を変えてたら
 いつまでたっても「一人前」になれません

 ---

 一般には、

「自分にあった仕事を見つける」

 という風になりそうなところである。

 しかし、小野さんの考えは、これとは逆だ。「一人前」になるためには、「自分」を「仕事」にアジャストすることが重要だ、と説く。

 ---

 僕も修行中の身であるから偉そうなことは言えないが、この小野さんの言葉には納得できるところが多い。

「嗚呼、これは自分のやりたいこととは違う」「本当の自分は、こんなはずではなかったはずだ」と頻繁に言っていたのでは、いつまでたっても「一人前」にはなれない。

 熟達化研究では、人間がある領域に熟達化するまで、俗に10年かかるとされている。熟達化には長い時間がかかるのであり、そのプロセスでは、「自分」を「仕事」にあわせて「変えていく」プロセスでもあるように思う。それは「自分にあった○○を見つける」という「自分」を中心にした発想を一時的であってもペンディングするということだ。それが「仕事をものにする」ということなのかもしれない、と思う。

 ---

 小野さんのお店「すきやばし二郎」には、残念ながらまだ一度もでかけたことはない。苦節の上にあみだした「二郎握り」を一度見てみたい、と思った。

投稿者 jun : 2008年1月 9日 09:24


アルバイトを育てる環境!?

 見舘好隆さん(首都大学)と一緒に、「アルバイトの人材育成」に関する共同研究を始めることになりました。

 単純労働のアルバイトに「人材育成」なんて必要あるのか?
 そんなもの、マニュアルに従わせればいいんじゃないか?

 そう訝る方もいらっしゃるかもしれませんが、僕らはそうは考えません。

 比較的シンプルな仕事だからこそ、そこで働く人々に満足感を与え、アルバイト経験を通して、「何か」を学びとってもらう仕組みが必要なのだと考えたいのです。チャップリンの「モダンタイムズ」ではないけれど、人間は「歯車」ではないのですね。

 もちろん「マニュアル」も大切だけど、やはり人は「現場」で学ぶ。そうであるならば、「マニュアル」と「現場」はどのように組み合わされているのか。「現場」では、誰が何を取り仕切って、新参者をscaffold(支援)しているのか。

 そして、これはまだ仮説に過ぎないのですが「笑顔のあふれるアルバイト育成できている組織」というのは、そこに「巧妙にデザインされた仕掛け」や「イベント」があるんだろうと。それを教育学、経営学的な観点から明らかにするのが、本共同研究の目的です。

 あのね、「えーアルバイト」って言うけどね、今、日本のサービス産業を支えているのは、アルバイト社員なのですよ。

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 今、某新興アイスクリーム企業、某有名コーヒーショップなど、様々な企業に調査依頼に出かけています。まだどうなるかはわかりませんが、二人で頑張ります。成果発表は学会論文、書籍等で行う予定です。

投稿者 jun : 2008年1月 9日 07:00


子育てとは「深夜プロレス」である

 最近、愚息TAKUZO(1)は、自分のベッドで寝ようとしない。僕とカミサンの「間」にわって入り、「川」の字になって寝ようとする。

 しかし、ここに問題がないわけではない。TAKUZOの寝相が「極悪」なことである。「極悪」というより「超悪」。180度回転などは朝飯前。手足をよじり、カラダをゴロゴロ回転させて、移動し続ける。

 そのプロセスにおいて、毎日平均2回くらいは、親の顔面に「かかとおとし」を食らわせる。昨日は午前3時頃。飛び起きて鼻を押さえる。はっきり言って、「家庭内暴力」。

ashinoura.jpg

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 子育てとは「深夜プロレス」である。

投稿者 jun : 2008年1月 8日 17:00


ブログ・・・僕の知的生産術!?

 先日、共同研究者の方から、こう問われました。

「中原さんはなぜブログを書くのですか?」

 この問いにはいくつもの答えがあるけれど、最も大きな理由のひとつは、「自分の考えたことを、いつでも、どこでも検索可能にして、再利用するため」です。

 僕は、自分の考えたこと、感じたこと、見たこと、聞いたことを、10年くらい前から、すべてデジタルデータにしています。その一部がブログとして公開されており、下記のように「検索」ができます。

過去のエントリーで「知識統合」について書いたものをグーグルで検索すると、こんな風にババーンとでてきます
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4RNWN_jaJP231JP231&q=%e7%9f%a5%e8%ad%98%e7%b5%b1%e5%90%88%e3%80%80site%3awww%2enakahara%2dlab%2enet

 ブログに公開できぬものに関しては、ローカルのコンピュータに保存されています。コンピュータはノートブック型のものを肌身離さず持ち歩いています。

 学術論文もほとんどはデジタルデータでもっていますし、必要ならば新聞記事でさえスキャンしてデジタルデータにします。こちらの方も、すべて「検索」ができるようになっています。

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「検索」できるものだけが「存在」する

 こういうと、グー●ルの回し者のように思われそうですが、日々、新しい知識が生まれ、消費されていく大学の研究現場では、それをいかに整理して、必要なときに引用し、新たな知識を生み出すかが、重要です。

 知識とは、その大部分は忘却される運命にあります。人間の記憶はあまりにフラジャイルなものなのです。

 そうであるならば、「覚えること」を脳だけに依存するのではなく、外化し、外部にも分かち持たせればいいのではないか。そして、せっかく外化するのであれば、「検索可能」にしてしまえばいいのではないだろうか、と思うのです。

 人間は、決してアタマの中の情報処理プロセスだけで賢く振る舞うわけではありません。外界の「道具」を利用して、時にはそれを、いわば「外部脳」のように利用することができるのです。

 クドイですが、その際、もっとも重要なことは「検索可能性」です。このデータは「手帳」に、このデータはコンピュータに、という風に分散し、検索不能になってしまうのではなく、すべての知識を必要なときにアクセス可能、再利用可能にしておくことが重要なのではないか、と思います。

 ところで、もう今から15年くらい前の話になりますが、当時高校生だった僕は、大学受験を控え、あることに気づきました。

 大学受験では、入試直前まで見ることのできる「参考書」を一冊決めて、そこに知識を集約することが重要だ、ということです。

 入試の直前というのは、とにかく「時間」がありません。限られた時間の中で、自分が調べたい知識、記憶していない知識にたどり着くためには、それまでの勉強で培った知識を「分散」させては効率が悪い、ということです。

 そのことをつづっている日記が2000年11月4日の日記です。

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2000年11月04日の日記
http://www.nakahara-lab.net/2000diary11.html

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 ところで、思い出してみると、僕は「参考書キング」だった。たぶん、全国の高校生の中で僕ほど多くの参考書に目を通している人間は他にいないと思う。

 僕の勉強法はこうだった。たとえば、英作文が苦手だとする。そしたら、英作文に関する参考書を10冊ほどごっそりと買ってくる。

 受験コーナーにはだいたい「わたしの勉強法」とかいう成功話を納めた書物があるので、それを参考にして参考書を選べばよい。

 ともかく参考書を10冊ほど買ってきたら、まず、それらをすべて流し読みする。ざっとでいい。問題なんかはとかなくてよい。赤ペンをもって、今まで知らなかったこと、気になったことに赤をつけながら、約一週間ほどでそれをすべて流し読む。そうすると、赤が多い参考書とそうでない参考書が自ずとでてくる。

 そして、1番、赤の多い参考書をメイン参考書とみなすのだ。メイン参考書が決まったら、それはじっくりと問題を解いていく。

 そして、同時にメイン以外の参考書の「赤がはいっている部分」をメイン参考書にどんどんと書き足していく。その際には、「その大切な部分がどの参考書に載っていたのか?」を簡単に書いておくといい。つまり、出典を明記しながら、残り9冊の参考書のエッセンスだけを1冊に集めていくのだ。

 情報が集約されたメイン参考書は、みるみるうちに、余白がほとんどないほど、情報が詰まっていく。わからない問題、新しく知った事実があるたびに、そこには情報が詰まっていくのだ。

 メイン参考書一冊ならば、どこにでも持っていける。入試がはじまる直前まで、それだけ見ていればいいのだ。

 今から考えてみると、僕の勉強法というのは、広範に散らばっている情報をハンドヘルド化することに他ならない。また、情報の出典も同時にしるしていくことにもなるので、ハイパーリンクをつくっていくようなものだ。

 その当時は、何も思わなかったけれど、実は当時の自分がやっていたこと、というのは、膨大な受験知識をハイパーリンク化して、ハンドヘルド化することだったのだ。

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 もしかすると、今も僕は、15年前から同じことをやっているのかもしれません。15年前は「キーワードで一発検索」なんてことはできませんでしたけど、やっていることの本質は、知識の「集約」と「再利用」の促進であることにかわりはありません。

 いかに、頼りない自分のアタマに依存せず、知識を再利用するか。僕は、そんなことをずっと昔から考えてきたようにも思えます。

 今日も、やはりブログを書きます。
 いつ、どんな役にたつかはわからないけれど、やはり書きます。
 「書くこと」とは、未来の「思考」のリソースに他なりません。

投稿者 jun : 2008年1月 8日 07:00


大学は、今、修羅場

 今、大学は、卒業論文、修士論文、博士論文の〆切前で、非常にピリピリとしている。
 今日、論文提出前最後の大学院ゼミが開かれた。ゼミメンバー全員で、提出論文の校正を2時間にわたって行った。

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 誰の言葉かは忘れたが、

 完成した論文がよい論文である

 いくら視座がよくても、分析手法がブリリアントでも、データをとるのに苦労しても、「完成しなかった論文」は誰にも読んでもらえない。残された時間で、ベストを尽くし、論文は「完成されなければ」ならない。

 〆切直前の他人の論文を読むのは、結構、ドキドキするものである。この場に及んでガタガタ言っても仕方がない。論文の審査を受け持つ立場としては、「最後の頑張りを期待する」しかない。

 己の緊張をほぐすためかわからないけれど、つい、いつもの「長渕」の鼻歌がでてきた。

 やるなら今しかねぇ
 やるなら今しかねぇ
 66の親父の口癖は
 やるなら今しかねぇ

(長渕剛「西新宿の親父の唄」)

「論文提出までリアルに残り4日」である*1。
 やるなら今しかねぇ。

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追記
*1は、先日12月に、博士論文を完成させた僕の学部時代の同期N君の言葉である。

投稿者 jun : 2008年1月 7日 19:27


インフルエンザ・パンデミック

 河岡義裕著「インフルエンザ危機」を読んだ。

 現在、アジア各国では、鳥インフルエンザウィルスの「鳥から人間への感染」が報告されている。これが「人間から人間への感染」段階に移行したとき、全世界をおおう悪夢 - インフルエンザ・パンデミック - がはじまる。多くのウィルス研究者たちは、パンデミックのXデーが刻一刻と近づいている、という認識をもっているようだ。

 たとえば、200X年9月X日。

9月2日  風邪のような症状の患者が一例発生する
9月18日 患者数は6000人に拡大
9月24日 患者数は1万2000人に達し、700人の死亡が確認される
6ヶ月後 人口の25%が感染し、人口の2%が死亡
1年後  ウィルスは世界を席巻し、4000-5000万人が死亡
     - パンデミック(一般集団感染)

(下記書籍より引用)

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 子育てをする共働き家庭にとっては、「ウィルス」は、残念ながら、いつも「隣にある危機」である。ノロウィルス、ロタウィルス、そしてインフルエンザウィルス・・・。子どもは「保育園」で、次から次へと、様々なウィルスを他の子どもからもらってくる。

 ノロ、ロタや通常のインフルエンザも感染すると「悲惨な状況」に追い込まれるけれど、新型インフルエンザの凶悪度は、その比ではないそうだ。

 それが流行の兆しを見せたとき、僕らは、「子ども」をどのようにして守ればよいのか。僕としては、そこが最大に気になる点である。

 世の中がすべてストップし、仕事にいかなくてもよい、公共交通機関を利用しなくてもよい、というのなら、まだ話は早い。しかし、現実はそうはいかないだろう。

 世の中の機能がストップするまでにはタイムラグがあるだろうし、都市の密閉された公共交通機関は、人とともに「ウィルス」を一瞬のうちに、郊外へと運ぶことだろう。

 ウィルスの人から人への感染が日本で報告されたら、すぐに子どもを自家用車にのせて、実家に「疎開」でもさせたらいいんだろうか。なんか素人くさい処方箋のような気もする。根元的に人間は「つながり」なしでは生きていけない。そして、このつながりが感染の経路そのものである。

 ひたひたと迫り来る恐怖。
 ふと、そんなことを考えてしまう。

追伸.
鳥インフルエンザの感染状況
http://idsc.nih.go.jp/disease/avian_influenza/index.html

投稿者 jun : 2008年1月 7日 11:17


死ぬかと思った

 昨日、ヴィレッジバンガードをブラブラしていたら、下記の本を見つけ、思わず購入。

「死ぬかと思った」経験を自慢してください。
 肉体的、精神的どちらでもかまいません。
 ですが、自分としては折り合いがついている経験に限ります。
 文末は「死ぬかと思った」で終わらせてください。

 というコンセプトの本です。

「友達にカンチョウをして、指を骨折する」とか「コエダメに堕ちる」とか「しょーもない、腰砕けの体験談」が満載です。

 せっかく時間あったのなら、研究者らしく!?、もうちょっとアカデミックな本を読めばいいのに・・・。でもさー、そういう本は、ふだん読めばいいのよ、正月は馬鹿笑いして過ごせばいいの。

 月曜日からマジメに仕事します。

投稿者 jun : 2008年1月 5日 23:38


北村文・阿部真大著「合コンの社会学」を読んだ!

 合コンはおおいに語られている。参加者からも非参加者からも、一般人からも専門家からも。だから、みんな知っている、「出会うための場所」だと思っている。しかし、それを疑ってみよう、合コンで私たちは本当に「出会える」のだろうか。

(p11より引用)

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 北村文・阿部真大著「合コンの社会学」を読んだ。

 合コンは、参加者同士が自由に交流し、運命の人を偶然見つけることのできるような「出会いの場」ではない。

 そこは、社会階層、ジェンダーなど、様々な社会的規範やコードにがんじがらめにされた、ゴフマン流の「相互儀礼行為」が満ちた世界である。

 「相互儀礼行為」が支配する場では、参加者は一定のルールに暗黙のうちに従うことが求められる。そしてルールに従わないものには、社会的サンクションが科される。

 合コンは自由であって、自由ではない。

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 僕は専門家ではないので、本書の学術的価値は知らない。しかし、合コンという題材を、社会学的に見ると、こういう風に解釈できるのね・・・興味深く読むことができた。

 それにしても、

「盛り上げ役になるときはうまくいかない。いい人、おもしろい人で終わるか、がんばっているのに嫌がられるか。ピエロの役」
(p57より引用)

 は少々めげた。どおりでうまくいかないワケである。そんなルールがあったなら、もっと早くに言ってくれ。もう遅いけど(笑)。

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1章 出逢いはもはや突然ではない―合コンの社会学・序
2章 運命を演出するために―相互行為儀礼としての合コン
3章 運命の出逢いは訪れない―合コンの矛盾
4章 運命の相手を射止めるために―女の戦術、男の戦略
5章 運命の出逢いを弄ぶ―自己目的化する遊び
6章 それでも運命は訪れる―合コン時代の恋愛と結婚
7章 偶然でなくても、突然でなくても―合コンの社会学・結び
補論 合コン世代の仕事と恋愛―自由と安定のはざまで

投稿者 jun : 2008年1月 4日 10:24


Web素行調査

 面白いサービスを教えてもらいました。

Web素行調査
http://detective.kayac.com/

 探偵が、Web上をかけめぐって、あなたに関する情報を集めてレポートしてくれます。

 望月俊男は中原淳に何か隠し事があるようだ。

 って言われてもなー(笑)、何ですか、隠し事って?

 オモシロイですね。個人的に、この手のWebサービスは好きです。

投稿者 jun : 2008年1月 2日 20:57


正月の口福

「正月は、めでたいね」ということで、ふだんは食べられない食材をいただきます。産地から直接仕入れた海の幸です。

 まずは、カニ。浜頓別の毛蟹です。

販売店 (有)丸美菅原水産
http://www.sea-angel.shop-site.jp/19.html
枝幸郡浜頓別町字頓別
TEL/01634-2-2217 FAX/01634-2-3860

hamatonbetsukani.jpg

 濃厚な、どこまでも甘いカニミソが魅力の一品です。酒飲みにはたまりません。

 久保田の萬寿をちびちび飲みます。お正月くらいしか飲めない一本です。

manju.jpg

 お次は甘エビです。

 甘エビといえば、羽幌(はぼろ)。羽幌は日本国内屈指の甘えび水揚量を誇る北の町です。"武蔵堆"沖という漁場で水揚げされるのですね。

amaebi.jpg

 身は透明。甘エビという名前そのもので、身はねっとりと甘い。癖になる一品です。

 山崎18年をちびちび飲みます。いつもは10年で我慢しているけど、お正月なのでよし、としましょう。

yamazaki18.jpg

 最後は〆でしょうか。オヤジがつってきたすけそうでつくった自家製のタラコを、あたたかいごはんとともにいただきます。ちなみに、僕のオヤジは「漁師」ではありません。つりは趣味です。

TARAKO.jpg

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 嗚呼、今年は、こんな「口福」が毎日続けばいいなぁ。
 ほろ酔いになったアタマで、そんなことを考えました・・・。毎日、正月でもいいや、今年は。

投稿者 jun : 2008年1月 2日 09:09


謹賀新年:一年の計は元旦にあり

 新年、あけましておめでとうございます。
 教育、研究、社会活動など、今年も全力で取り組む所存です。
 どうぞ宜しくお願いします。

 一年の計は元旦にあり。下記に記します。

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 教育:

 これまで山内研究室と合同で行っていた大学院ゼミを、今年から独立して行うことになる予定です。

 ジュニアファカルティ含めゼミ参加者全員が研究の進捗状況を報告する「カンファレンス」、Journal of learning science、Journal of Educational Technology、Management learning、Organizational Scienceなど、最新のジャーナルを読む「リーディング」から構成する予定です。

 大学院で「組織と学習」という授業を行うため、今、カリキュラムをつくっています。こちらは、経営学と教育学の交差する、他大学では例のない授業になる?予定です。

 また、今年には、中原研究室はじめての修士号取得者がでる予定です。今から非常に楽しみです。

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 研究:

 昨年実施していたワークプレイスラーニング調査の結果を編集した「人を育てる職場」本、組織における知識転移を扱った「組織」本、など、いくつかの書籍を今年度に出版する予定です。ここ数年の共同研究の成果です。論文の方も共同研究者の方々が中心になって執筆する予定です。非常に楽しみです。

 また、まだいくつかのハードルはありますが、経営学の先生と一緒に共著を執筆する計画もあります。こちらの方も、ぜひ実現したいと思っています。

 また、昨年行った「なりきりEnglish!」プロジェクトの論文執筆、海外国際会議での発表も、プロジェクトメンバーによってなされる予定です。こちらの方も非常に楽しみです。

 加えて、近々、某社よりプレスリリースが発表されると思いますが、一般向けの「なりきりEnglish!」が発表されます。より多くの方々に、「なりきりEnglish!」のエッセンスを体験していただけることと思います。どうぞお楽しみに。

 今年はマイクロソフト先進教育環境寄附研究部門も最終年度を迎えます。読解力向上をめざしたアプリケーションの評価などが、望月先生らのチームによって行われる予定です。こちらのほうも大変楽しみです。

 現段階ではまだ詳しいことは書けませんが、いくつかの調査研究も行う予定です。 「学習する組織」に関する某社との共同研究、人材育成全般に関する共同研究調査など、これまでに例のない社会調査にしたいと願っています。非常に楽しみです。

 また現段階では確定していませんが、何社から委託研究のオファーが寄せられております。今後、諸条件などをすり合わせていきたいと思います。

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 社会活動:

 今年もLearning bar@Todaiを年間5回から6回実施したいと思います。初回は1月11日。「OJTとOff-JTの連動」がテーマです。

 年に一度のシンポジウム「Workplace learning 2008」を、今年も東京大学安田講堂で実施します。今年のテーマはかなり刺激的になる予定です。どうぞお楽しみに。

 本年、ASTDの日本支部が立ち上がる予定です。3月11日に日本経済新聞社主催で、キックオフカンファレンスが行われる予定です。中原はパネルディスカッションの担当です。もし条件があえば、去年安田講堂でやったQRコードを使ったレスポンスアナライザを使ってみたいですね。

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 今年も、精一杯がんばります。
 引き続き、ご指導、ご支援のほど、お願いいたします。

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 2008年1月1日
 快晴の北海道にて
 中原 淳

投稿者 jun : 2008年1月 1日 09:21