現場を見る目
先日、教職歴30年以上の、あるベテランの先生と、現場に行ったときのことです。
教員を長く続けていた方だけがもっている実践的知識、子どもを見る目の鋭さに、舌を巻きました。
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「中原さん、あの先生の、今の動作を見た? あれはなかなかできないよ。
今、先生が手を離せないときに、あの子どもが、先生に何か言ってきたでしょう。
それで、あの先生、「ちょっと待って」とか言わなかったよね。その作業を既に終わった子どもをちょいちょいと呼んで、二人をペアにしたよね・・・あの先生は力があるよ」
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ほんの一瞬のことなのです。時間にして数秒。
端から見ていると、「確かに一人の子どもが先生のところにいって、違う子どもがやってきて、2名でどこかに消える」という何気ない場面です。それは僕にも「見えて」いる。
だけど、その背後にある意味、そこで動いている教師の意図などは、決して「見えない」。
「見えている」んだけど、「見えていない」わけです。そんなことが、この日だけで何度も何度もありました。
これが「実践的知識」「見る目」なのか、と思いました。そしてアタリマエのことですが、僕にはそれがないと思いました。
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きっとこうした力量は、現場での教育経験を積み重ねて養われたものだと思います。ですので、僕のような外部の人間が、一朝一夕に身につけようとしても、それは不可能でしょう。僕には僕なりの、知の発揮の仕方があるのでしょう。
ですが、一方で、もう少し「現場にいく機会を増やさなければならないな」とも思いました。実践的知識とは言わずとも、やはり、日々続けられている実践に対する、ドメスティックなカンや感覚みたいなものは、ぜひ、もっていたいものです。
外部の人間がドメスティックなカンや感覚をもとうとする場合、それは第二言語として英会話を学ぶことに似ているように思います。かつて、ある人がこんなことを言いました。
「第二言語として英会話を学ぶことというのは、栓のないお風呂に、すごい勢いで上からお湯を入れるようなもの。蛇口を閉めれば、あっという間にお風呂のお湯は抜けてしまう」
現場を少しでも離れると、そうしたカンが働かなくなるのです。
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いわゆるピュアな研究?から見れば、僕の研究は「カタチをつくる - つくる - 現場で使って評価する」というサイクルがありますので、「泥臭さ満点」です。
しかし、「実験としての実践を支える智恵」と、日々現場で続く「日常的な実践を支える知性」の間には、深い溝があるようにも思います。
Back to basics・・・僕は研究者としてのキャリアを、「現場で働く知性を明らかにする研究」からはじめました。それからほぼ10年・・・。その研究を支えてくれた先生の何気ない一言が、胸に刺さります。
「深く考えさせられた一日でした」という紋切り型の言い回しで締めくくるには、あまりに重い。目的語を持たない「考えさせられた」は、「何も考えていない」のと同じですから。
目的語が何かを見つけようと、昨日からため息ばかりです。
投稿者 jun : 2007年02月28日 08:36 | トラックバック
F幼稚園の実践から何を学ぶか?
今日、ある先生のお誘いで、横浜にあるF幼稚園の実践を観察させていただく機会に恵まれました。

F幼稚園は、
1) 週3日、縦割り活動の時間割が組まれていて、異年齢の子どもたちが一緒に遊んだり学んだりしていること
2) ベテランの先生が新人の先生に教える機会が、日常的な授業の中に埋め込まれている
といった特徴をもつ幼稚園です。とても有名な幼稚園なので、ピンときた方もいらっしゃるかもしれません。
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まず1)ですが、この幼稚園では、3歳から5歳までの子どもたちが、ひとつのクラスで活動をします。こういう幼稚園は、最近は多くなっているようですが、いまだマジョリティではありません。
一般の方大人の目からみると、3歳から5歳の子どもたちというのは、いわゆる「子ども」で、大差ないように思われるかもしれません。
が、知能発達のレベル、感情の揺れ動きから考えると、そこにはものすごい大きな差があります。そうした異なった子どもたちを、どのように教えるか、教師の力量が試されます。
異年齢活動は、4月からはじまります。学期の最初のうちは、特に3歳の子どもたちがなじむことができず、中には「ずっと泣いている子ども」もいるそうです。
しかし、段々と子どもたちは「変わっていく」。
下の子どもは、だんだんと上の学年のやっている様子を見ながら、「なんだ、こうやればいいのか」と思うようになる。上の学年の子どもたちのやっていることを、マネするようになるのですね。いわゆる、観察学習というやつです。
もちろん、上の子どもたちも変わる。上の子どもたちにとっては、「下の子どもたち」に注目されたり、頼りにされたり、リスペクトされることによって、「誰にも見られていない時にはできなかったこと」が、なぜか、できるようになってしまうことが往々にしてあるそうです。
たとえば「跳び箱」など。ホントウはあまり飛べない子どもが、チャレンジする。で、なぜかうまくいく。そういう出来事が多々起こるそうです。
もちろん、上の子どもたちには、「下の子どもたち」を教えたり、諭したり、ケンカを仲裁したりすることもあります。そうやって、「上の子ども」としての役割をだんだんと担えるようになってくる。
しかし、異年齢活動が「しっくりくる」のは、2学期の後半から3学期にかけてだそうです。それには長い時間がっかる。最初のうちは、コンフリクトがどうしても生じる。が、そのコンフリクトがあるからこそ、「しっくりきた」ときには、確かな力がつくのだそうです。
僕らが観察にでかけたときには、2つの授業を観察しましたが、お互いに譲り合いながら話し合ったりしている様子が、大変印象的でした。
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2)の教師に関してですが、ここでもF幼稚園の独自性が認められます。ベテラン教師の助けをかりながら、新人の先生が「一人前」になっていく仕掛けが、随所に盛り込まれているのですね。
そもそも、この幼稚園では、縦割りでの活動があるため、ひとつのクラスを2名から3名の先生が教えます。
たまたま僕らが観察していたときには、新人の先生が前の方で、子どもたちに指示をしている場面でした。その際、ベテランの先生が後ろで見ていました。
ベテランの先生は、新人の先生がうまく子どもたちに指示を伝えられなかったときに、あくまで自然に「問いかけるかたち」で、「曖昧な指示」を明瞭に言い直したりしていました。
先生方はお忙しそうでしたので、あまりお話を聞く機会はなかったのですが、そんなベテランの先生の話を聞きながら、きっと新人の先生は「はー、なるほど・・・こう言えばよかったのか」と思うと思うのです。
つまり、縦割りであるがゆえに、新人教師がベテラン教師に学ぶ機会が、日常の授業の中に埋め込まれているのです。
Team Teachingを採用しているため、授業の「後」、研究会の「後」ではなく、授業の「中」で、即興的に自分の授業を「カイゼン」する機会があるのです。ここが大変オモシロイと思いました。
先生方に関して、園長先生は、こんなお話をしていました。
「うちの幼稚園では、年長さんの組と年少さんの組がセットで授業をしますので、先生方は、必然的にやりとりするようになります。
また、担任を半年ごとに入れ替えます。いろんな子どもに出会ってこそ、教師は成長するのです。
他の先生の書いた授業記録や日誌を見て、勉強になりますし、自分のクセみたいなものもわかります。
一年間のまとめである指導要録は、学期の最後に担当した先生が書くことになります。指導要録は、一人じゃ書けません。だから、自然に「あの子は一学期どうだった?」という風に、しゃべる雰囲気が生まれます。否が応でも、教師同士が話し合う機会が生まれます」
毎週金曜日には、先生たちが職員室で井戸端会議のような職員会議をします。
井戸端会議というのは、「○○ちゃんは、~のときには○○だったけど・・・」という1人称の情報交換がなされるという意味です。すべての先生が、自分の受け持ち以外の子どもの名前、顔、親の名前、顔を知っているので、そういうことができるのです。
教室には、先生の席はありません。なるべく上の職員室にもってきて、そこで仕事をするように言っています。誰が、今、何を教えているかを、すべての先生が知っています。
職員室には個人の机はありません。大きな机があります。角が丸まっていて、教師同士が斜め45度の角度でお互いの様子を見ながら話すことができます。
職員室の大きなテーブルには、ひとつだけルールがあります。同じ学年の先生は、対面の席に座ると決めています。
と言いますのは、同じ学年の先生は、すぐに横に座りたがる。そうすると、お隣同士でコショコショと話すようになるでしょう。
些細なことであっても、なるべくみんなにわかるように相談させる。そういう「仕掛け」をいろいろしています。
そうやってやっていく中で、はやい人では3年、おおかた5年ほどで一人前になります。」
園長先生のおっしゃっていたことは、だいたいこういうことでした。
あとでお会いした、主任の先生はこんなこともおっしゃっていました。
「この幼稚園にきたばかりの先生は、最初は、戸惑いの連続ではないでしょうか。他の幼稚園で教育経験があった先生ほど苦労します。」
見学にご一緒させていただいたある先生は、こんなことを言っていました。
「どこの社会でもそうですが、今、学校も、経験のない先生と、定年間近の教員とのあいだに、すごい溝ができています。
上の世代は、定年までの年数を、日々指を折りながら数えている。下の世代は、教員免許をとったら、もう先生になった、と思っている。
誰ですか?、免許をとったら、教員になれる、なんて言って広めたのは?
この溝をどう埋めるかが、最大の課題です・・・」
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今回の観察を通した全般的な感想は、下記のとおりです。
まず、上記で紹介した1)と2)、つまりは「異年齢集団による学び」「教員同士の学び」は、一見全く違ったことのように見えますが、本質的には同じことのように、僕には思えました。
結局、
同僚、先輩などの他者の活動を観察して、模倣しながら、何かを遂行し、熟達していくこと
が、すべての局面で重視されているのです。
そして、何より重要なことは、そうした場面が、幼稚園のカリキュラム、物理的設計、ルールなどに「巧妙」に「仕掛け」られていることです。
そこに参加している人にとって、それは気づかないことかもしれない。でも、そこには、学びを提供するものの、意志や意図がちゃんとなされている。
「何でもかんでも自由にしなさい」「好き勝手しなさい」では、学習活動は成立しません。ある意図のもとにデザインされた環境の中で、試行錯誤を行い、自分で動くことで、ようやく子どもはわかるのです。
また教員同士もそうです。無理に時間をつくり、負担感を増やさずとも、日常の業務のやり方そのものの中に、経営者の意図があり、そこには教師の学びがある。
僕は常日頃から、社会人の学びとは、「自分たちの力で、適度な負担感を感じつつも、日常的にやれることの中で、知らず知らずのうちに力量がつく環境整備」が重要であると言っています。が、まさに、この幼稚園の環境は、そうした環境のようにも思えました。
園長先生は、こうした教育のあり方を「なんとなく教育」とおっしゃっていました。肩は凝らずに、かつ、説教臭くならずに、でも、何となくそうなってしまう、ということでしょうか・・・
任せるが、委ねず
委ねずに、任せる
この絶妙な雰囲気が、この場を成立させているのだなぁ、と思いました。
・・・今日はF幼稚園の様子を紹介してきましたけど、僕の筆力は限界があります。ちょっとなかなかイメージすることが難しかったでしょうか・・・ごめんなさい。この幼稚園の実践からは、教師教育の人も、企業の人材育成担当者も、学ぶべき点がとっても多いなぁ、と思っているのですが、いかがでしょうか。
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追伸.
今回は述べませんでしたが、F幼稚園は、「父親、母親が幼稚園の活動に参加することが求められている」という点でも、大変興味深い幼稚園です。
最初は「園内の掃除」に親御さんを参加させ、園内の様子を知ってもらう。そしてだんだんとイベントの企画や実施、さいごには創作まで参加してしまう。まさにそのプロセスは、正統的周辺参加そのもので、大変興味深いです。
園長先生はこんなことをおっしゃっていました。
「子どもの網膜の隅っこに大人が一生懸命やっている姿をうつしてあげたいのです。
親は、授業参観なんて来ても、お互いに決して話しません。共通の目的のために、力をだしあったり、相談しあったりさせることが重要です。たとえば、創作のときには、敢えて道具の数を少なくしておきます。そうすると、貸し借りが生まれ、そこからコミュニケーションが生まれるでしょう」
ホントウに学ぶべきところが多い幼稚園でした。
投稿者 jun : 2007年02月27日 15:52 | コメント (2) | トラックバック
子どもの心診療士、DS英語市場、Second lifeに大学が?
最近、気になった教育関係ニュース。
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■「子どもの心の診療士」育成へ、4大学で連合大学院
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/bebe/news/20070222ddn010040039000c.html
こうしたかたちで、ある特定の教育問題に対して、複数の大学があつまって、独立大学院をつくる動きは、今後加速していきそうですね。
この場合、学位は阪大からでるのだろうか?
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■ニンテンドーDSの英語ソフト市場活性化
インデクス
http://www.gakken-index.co.jp/release/070426/index.html
ベネッセ
http://www.benesse.co.jp/newsrelease/20070205_kyouiku.html
NOVAうさぎ
http://www.konami.jp/gs/game/eigo/
「なりきりEnglish!」は、当初、DSを使うことも視野にいれていました。ので、気になります。DSでの本格的なビジネスイングリッシュ市場が、次に動くのでしょうか?
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■最終学歴はカリフォルニア州立大学Second Life校?
CNET JAPAN
http://japan.cnet.com/special/media/story/0,2000056936,20343522,00.htm
ショップやら、大使館やら、いろいろな組織が、Second life上に、仮想建造物を建てていますが、ついに大学まで?という感じですね。
仮想環境を使った大学といえば、人間総合科学大学が、やっておられたと思います。
人間科学総合大学
http://www.human.ac.jp/info/campus/vertual.html
Second lifeと違うのは、こちらはあくまで、大学の中に完結した世界ということでしょうか。
それにしても、「将来的な教室スペースの確保に懸念を感じている」ってのは、あの広大なキャンパスをもつアメリカの大学で、ありえるんだろうか。本郷ならわかるけど。
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そして人生は続く・・・。
投稿者 jun : 2007年02月27日 08:13 | トラックバック
Second life...チュートリアルたるい
Second life・・・先日から暇をみつけてやっていますけれど、未だチュートリアル。かったるくて涙がでます。僕だけすか、ここでコケてるの。

なんか、アメリカの某・学習科学者、大絶賛でハマっていると聞いたけど。これ、日本で流行るのかなぁ・・・。
誰か、この修行をかわりにやってくれないだろうか・・・。そんなビジネスが生まれたりして。
投稿者 jun : 2007年02月26日 18:00 | トラックバック
ミルクを嫌がる子どもをあざむく
少し早すぎると思うんだけど、「反抗期」らしい。早速息子にメンチ切られた。0歳の分際で、上等だ、コノヤロー(笑)。

まゆげ薄いから、怖いけど。
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タクの最近の変化で一番大きいのは、「ミルクを極端にいやがること」である。
ほ乳瓶の「口」がイヤになったのか、それとも、グルメになって舌が肥えてきたのか、原因がわからなかったのが、数々の実験の結果、ようやく問題の切り分けに成功した。
ほ乳瓶の口を新しいものに変えても、この傾向は変わらない。ミルクの種類を変えてもダメだ。環境音をゼロにしても、視覚をふさいでもかわらない。
ということで、要するに、これは「彼の意識が何らかのかたちで、ミルクあるいは哺乳瓶を拒否している」と結論づけた。
で、昨夜、ミルクを飲ます方法を開発した(教育工学研究者としては、手法を開発せずにはいられない)。「そんな、おしゃぶりに騙されてメソッド」(意味不明)。
まず、ミルクを敢えていったん飲ませる。ほ乳瓶を口にもっていき、彼をいったん泣かせる。彼は泣くので、目を閉じるはずである。そこが勝負のときだ。ササッと「おしゃぶり」を取り出して、何食わぬ顔で、ほ乳瓶といれかえ、口にいれてしまう。
タクは、「おしゃぶり」を「おっぱい」と勘違いするので、これで確実に沈静化し、今度は深く目を閉じてしまう。そこで、ササッと先ほどのほ乳瓶を取り出し、口にいれてしまう。
要するに「あざむく」のである(笑)。30年以上も生ききた智恵をフル動員してね(たいした知恵じゃない・・・)。
結果、この方法は大成功だった。過去数日間10mlくらいしか飲まなかったミルクを、昨日は180ml飲ませることに成功。おかげで、昨日は8時間以上もの連続睡眠を確保。
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もちろん、この方法が、今日、うまくいくかどうかはわからない。また、どの子にも通用するとは限らない。だいたいにして、この時代の子どもは、「今日うまくいったことが、明日にはダメになる」ことが多い。だから話半分に聞いてね。
でも、だからこそ、探求(inquiry)することがオモシロイと思うのである。子どもの変化に応じて、親も考える。
子育てとは、親にとって「探求学習」そのものである。
僕はそう思う。

投稿者 jun : 2007年02月26日 05:00 | トラックバック
らでぃっしゅぼーやと梅
子どもができてめっきりと外食の機会が減ったね。かつては、月に●日しかおうちで食べなかったというのに。人は変われば変わるものです。
でも、「だったら、外食が減った分、節約しているか?」って聞かれると、そうでもない(笑)。不幸なことに、うちは「お金が貯まらない病」ですので。
最近、カミサンは「らでぃっしゅぼーや」という宅配サービスをとっています(横森理香にすっかり影響されている・・・)。
らでぃっしゅぼーや
http://www.radishbo-ya.co.jp/
「らでぃっしゅぼーや」は、有機野菜といいましょうか、安全性の高い野菜を毎週火曜日に届けてくれる。そのほか、添加物の入っていない調味料や食材を、注文するともってきてくれる、という宅配サービスです。
下の写真のようなカタログが毎回届くんだね。で、「おー、これ、買ってみようや」とかいって、注文するのです。
はじめるときは、
「わたしがいいもの食べないと、おっぱいを通じて、タクちゃんの健康によくない」
とか何とか言っていましたけど。
ホントかよ?。子どもは「理屈メイカー」ですね。無敵です。まぁ、全然OKですが。
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わが背子に 見せむと思ひし 梅の花
それとも見えず 雪の降れれば
(万葉集)
昨日は、めちゃくちゃ天気がよかったので、「雪」じゃないけどね、タクとカミサンと梅を見に行きました。風流な男になってくれ。

今週、来週あたりが見頃でしょうか。

Have a nice weekend!
投稿者 jun : 2007年02月25日 09:30 | トラックバック
デジタル教材設計論&大学院入試
4月からの大学院授業「デジタル教材設計論」をヒーコラ、ヒーコラと、重田君に協力してもらいながら、つくっています(重田君ありがとう)。
デジタル教材設計論は、今のところ、こんな感じの授業です。
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■講義タイトル
デジタル教材設計論
■概要
本講義の目的は、ここ数十年のデジタル教材の発展の歴史、および設計思想を理解することを目的とする。
講義参加者には、グループで、各時代の教材を実際に利用し、その設計思想、背景となる教育理論とともにプレゼンテーションすることを求める。
プレゼンテーションには、必ずデジタル教材のデモンストレーションを入れるものとする。また発表ごとに英語文献を指定する。
講義の何回かは、スペシャルセッションとして、医学教育、企業内教育、教師教育等の領域から、教材開発をしている専門家を招く。
なお、講義の履修にあたっては、下記の基礎文献を読むことを求める。講義の中でも折に触れて参照するが、原則的には自学自習することとする。
必読基礎文献
■場所・日時
東京大学大学院 情報学環 2007年夏学期
木曜日 14:45~16:15
■内容
●スキナーの夢:ティーチングマシンとCAI
・ベネッセ社 STUDY BOX
・誤りから学ぶCAI
●知的な振る舞いを目指して:知的CAI
・ピッツバーグ大学 Cognitive Tutor
●マイクロワールドで学ぶ
:CAD型シミュレーション教材
・Interactive physics
・Geometric supporser
●スペシャルセッション
・医学教育の分野からスペシャルゲスト
に出講いただく
(患者シミュレータをつかった医師養成)
●パパートが抱いた希望
:コンストラクショニズムの源流をたどる
・ロゴ坊
・LEGO Mindstorm(中野)
・スクイーク
●ディレクターと研究者のマリアージュ
:コンテンツ開発の実際
・セサミストリート
・テレビは幼児に何ができるか?
●Anchored Instruction
:学習の文脈をつくりだせ
・ミミ号の冒険
・Jasper
●スペシャルセッション
・教師教育の分野からスペシャルゲスト
に出講いただく
(教員養成を支援するメディアテクノロジー)
●ネットde三人寄れば文殊の知恵!?
:Computer Supported Collaborative Learning
・CSILE
・WISE
●仮想世界での学習
・Second lifeで人は学べるか?
●スペシャルセッション
・企業教育の分野からスペシャルゲスト
に出講いただく
・シナリオ型eラーニング教材
■評価
考え中、考え中
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ゼミ形式の授業です。
履修希望の学生は、グループで1つ以上のテーマの報告を行わなくてはなりません。
報告の際は、1)関連する文献を読むこと、2)実際にデモを見せること、が求められます。
どうでしょうかね?こんな授業。もしご意見あれば、中原までお寄せ下さい。改善したいと思います。
なんでこんな授業をするかというと、なんかね、この世界は「いつか来た道」ってのが多い。
「やれシミュレーション、やれゲーム、やれドリル」みたいな。そのたびに「いつか犯した間違い」を犯してしまうことが多い。
だから、そういう教材設計の奥深いところを学ぶ機会というのは重要だと思うのです。
ちなみに、この授業は隔年で開講したいと思っています。そうすれば、僕の研究室の大学院生は修士のうちに必ず1回は歴史や思想を勉強できるだろうから。
余談ですが、来年2008年は、「組織人材育成論」を開講します。これは、「組織における人材育成」「組織における学習」にフィーチャーした授業。
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ところで、宣伝で申し訳ないのですが、そろそろ今年dの大学院入試のアナウンスをしなくてはならない時期になりました。
今年も、東京大学大学院情報学環 中原研究室では大学院進学希望者を募集しています。修士の受験は夏、博士の受験は冬です。去年は、修士の学生さんが2名合格しました。
将来、教育工学、学習科学などの研究者になりたい方、また、そうした学問の専門的知識や技能を身につけ、ワーキングプロフェッショナルになりたい方、ご連絡お待ちしています。
中原の研究指導をご希望の方へ
http://www.nakahara-lab.net/playlink.html
修士課程入学案内
http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/admission/masters.html
投稿者 jun : 2007年02月24日 18:38 | トラックバック
教師をどのように育成するべきか?
昨日は「教師の専門性・育成に関する勉強会」が開催されました。参加人数は予想以上に増え、合計26名になりました。関心の高さが伺えます。

内容は、「教師の学習」について坂本君(東大大学院)が、「教師とメディアテクノロジー」について酒井君(東大大学院)が、「中堅教師の成長と、他業種の民間人が教育現場に入ったときに感じるコンフリクト」について深見君(大阪市立大学大学院)が報告してくれました。
その後は、
「教師は、誰が、いつ、どこで、どのように育成しうるのか? 社会的コンセンサスがとれそうな案を提案する」
というミニワークショップをやりました。教育研究の人、民間企業におつとめの方、教員の方という風に、敢えてグループを構成し、ディスカッションをしました。

短い時間だったので、なかなかコンセンサスをとるのは難しかったと思うのですが、このグループ構成こそが、まさに「現在の教師をとりまく社会的状況」だと僕は考えています。そうした状況で、いかにコンセンサスをつくるか。
グループ発表では、「授業研究を中核にすえて教員の成長をめざすべきだ」という案、「自分の授業を自分の力量にあわせて公開するプラットフォームをつくるべきだ」という案、など様々な案がでました。どれも、ほほーと思えるような案でした。

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以下は、研究会を終えた個人的感想。
ひとつめ。
「かつては、お菓子が職員室のある場所に置いてあって、みんながそこに集まってきていたのに、今は、個別包装のものが好まれ、各教員にデスクに個別に配られるようになった」
というある方のお話が印象的でした。
米国から見れば、もともと同僚性が確立していると言われる我が国ですが、上記のような話はよく聞く。でも、実際、ホントウのところ、どうなっているんだろう?
このあたり、社会関係資本の概念を用いて、教員の緊密ネットワークを調べたりする調査研究なんかは面白そうだな、と思った(もうあるのかもしれないけど)。
あとは、教育工学っぽい?話だけど、「職員室のリデザイン研究」ってオモシロそうだと、いつも思っています。
そもそも職員室の机の配置とかが、教員相互間のコミュニケーションを促進するような仕立てになっているのだろうか。
奈良県のある学校では、職員室の中に、「カフェ」をつくったのだとか・・・。教員の仕事場をワークプレイスに見立てた研究ってのも、意義があるんじゃないか、と思いました。
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ふたつめ。
深見さんの話で、「初任教師が一皮むけるためには、同学年や専科の教師との対決と協力」が必要という指摘が興味深かった。
「協力」は何となくわかるんだけど、「対決」っていうのが、興味深かった。
成長するってのは、甘くないとうことですね。
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みっつめ。
Bollough and Knowles(1990)の「他業種民間企業の人が、教育現場にきたとき葛藤」の話が面白かった。
生物学を専攻し、研究所の技術者として勤務していた37歳の人が、困難高へ赴任。得意分野以外の授業を担当することになる。
生徒に厳しい対応をしなくてはならない。学級統制ができない。メンターと仲間の存在は十分機能していない中、Helplessnessの状況におかれる、というのは、十分我が国でもありえる話だと思った。
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とにかくいろいろなことを考えさせられました。休日の今日になっても、いろいろな考えがアタマを巡ります。
ともかく、参加していただいた皆さん、お疲れ様でした。そして発表してくれた酒井君、坂本君、深見君に重ねて感謝します。ありがとうございました。
ほんじゃ、よい休日を。
投稿者 jun : 2007年02月24日 10:17 | コメント (3) | トラックバック
手が気になりはじめると自我が生まれる?
「NAKAHARA-LAB BLOG、あらため、育児ブログ、見てますよ」
先日、ある方からこんなメールをいただきした。いつも見ていただいて、ありがとうございます。
それにしても、「育児ブログ」か・・・(笑)。そんなに育児ネタが多いわけではないように思うのですが、そう思っているのは僕だけなのでしょうか(度を過ぎた親バカ?)。
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最近のタクには、微妙な変化が生まれてきました。なんと、「自分の手をなめたり」「自分の手をじっと見つめたり」「モノを軽く握ったりする」ようになってきました。とにもかくにも、彼のマイブームは、「手」なのです。


うちにある育児書によりますと、「自分の手に関心を示すようになる」というのは、「自我が芽生えること」を意味するそうです。それをきっかけに、自我が発達する(ホンマかな?)。
もちろん「モノを握る」といっても、まだ本格的に「むんぎゅ」とつかむわけではありません。
まず僕が、モノを顔の前に持っていく。タクの視線を十分モノにひきつけ、しばらく注視させます。そのモノをゆっくり手の方に動かしていくと、たまに「つかむこと」があるのです。

そういうときには、手を上から握ってあげる。あと、ホッペをなでてあげる。「正しい持ち方」を教えつつ、「ほめる」のです。そういう「遊び」を夜な夜な繰り返しています。
偶発的に生まれたポジティブな行動に対して、即時フィードバックをかける、それを何度も繰り返すということですね。
「遊び」です。決して、早期教育とかいうオオゲサなものじゃない。僕が育児に関われるのは、帰宅してメシを食ったあとから寝るまでのほんの一瞬です。タクは幸いに、夜は11時くらいまでは起きていますので、かろうじて、遊ぶ時間があるのですね。

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今日は、「教員育成を考える研究会」が東大で開催されます。遠くは北海道、南は関西からの参加もあるようです。ご苦労様です。今日の発表メニューはこんな感じ。
□実践的知識、信念、リフレクション
教師研究の昔、今(45分)
(東京大学大学院 教育学研究科 坂本篤史氏)
・・・教師研究の歴史、および、現在の教師研究
が何を問題にしているのか、また氏の研究に
ついてもご紹介いただきます。
□教師とメディア・テクノロジー(45分)
(東京大学大学院 学際情報学府 酒井俊典氏)
・・・教師養成、専門性発達を目的とした
eラーニングプログラム等について、国内外の
事例を紹介します
□教師になる、教師である、教師として一皮むける
(大阪市立大学大学院 深見俊崇氏)
・・・教師の成長とは何か、特に中間管理職
の発達について紹介します。
発表者は、教師を研究する若手研究者3名です。最後には、「教師を、誰が、いつ、どこで、どのように育てるかワークショップ」というディスカッションタイムをもうける予定です。
とても楽しみですね。
投稿者 jun : 2007年02月23日 09:19 | トラックバック
官僚制の憂鬱:黒澤明監督「生きる」を見た!
1953年に撮影されたこの映画が、いささかも古く感じられないことが、最もアイロニカルなことではないでしょうか。
この映画が糾弾しているのは、近代に発明された最も合理的な組織原理である「官僚制」。それは、かくもしぶとく、かくも根が深いものなのです。
---
黒澤明監督「生きる」を見ました。
主人公は、30年間無欠勤を続けていた市役所市民課の無気力課長、渡辺です。女性社員につけられたあだ名は「ミイラ」。
冒頭のナレーションでは、渡辺に、辛辣な言葉が浴びせられます。
---
これはこの物語の主人公の胃袋である。
幽門部にガンの兆候が見られるが、
本人はまだそのことを知らない
彼は時間をつぶしているだけだ。
彼には生きた時間がない。
つまり彼は生きているとはいえない。
---
しかし、ある日、渡辺は、自分が胃がんに冒されていることを知ります。余命は半年。
狼狽した渡辺は、遊興にふけります。頼りにできると思っていた息子夫婦は、渡辺の退職金にしか興味がない。小津安二郎の「東京物語」に描かれるような、老人の孤独が、この映画にも漂っています。
渡辺が、仕事と息子のことを語るシーン。渡辺の甘えは、若い女性職員の一言で、バッサリと切り捨てられます。
---
【渡辺】
なぜわたしがミイラのようになって
30年働いたかというと、それは息子のためだ
【女性職員】
それを息子さんのせいにするのはどうかしら
息子さんが、あなたにミイラになってくれ、
と頼んだわけじゃないわ
---
遊興は長くは続きません。かといって、誰を責めるわけにもいきません。息子など当てにはならない。
渡辺は、自分の人生を見直し、「何かをつくること」を決断します。そうだ、カタチになるものをつくるのだ。「公園」をつくろう、と。そして、自分の人生を生きるのだ。
役所のセクショナリズムをこえ、何度も何度も関係課に頭をさげ、暴力団からの脅しにも屈せず、彼は、ついに「公園」をつくります。
できた公園で、彼はブランコにのりながら、死を迎えます。安らかな死を。
---
ここまでもオモシロイのですが、秀逸なのは、ここからでした。
最後は、渡辺の葬儀のシーンなのですが、ここで、市役所の連中が集まってくる。彼らが話しているのは、
「あの公園は誰がつくったのか?」
ということです。
「あの公園は、渡辺さんがつくった」と涙ぐむものがいれば、「予算をとってきたのは公園課なのだから、公園課がつくった」というものもいる。助役などは、選挙をあてこんで、渡辺の業績を横取りします。
中には、「あの公園は、誰がつくったのでもない、偶然できたんですな」という人まででてくる始末です。このやりとり、まぁ、滑稽すぎて苦笑してしまいます。
職員の中には、「私だって昔は・・・」と憤るものもいれば、「ゴミ箱を片付けるのでもね、ゴミ箱いっぱいの書類がいるんだから」とあきらめているものもいる。
結局、その場は「明日から頑張りましょう」ということになって、お開きになるのですが・・・。
しかし、そう簡単には変わらないのです。最終シーンでは、渡辺の後任課長が、市民からの問い合わせや要望を、「たらい回し」にするシーンで終わる。
---
最初にも述べましたとおり、1953年のこの映画のモティーフは、今も、いささかも古く感じられません。ということは、今も、この映画が糾弾している、ある種の弊害は、今もなお、現在進行形で続いているということです。
渡辺の憂鬱は、今を生きる誰かの憂鬱と重なっています。
投稿者 jun : 2007年02月22日 08:38 | コメント (1) | トラックバック
わずか10%の可能性でも:OJTなのか、OFF-JTなのか?
モルガン=マッコールの「The lesson from experience」には、下記のような趣旨のことが書いてあります。
成人の能力開発の70%以上は、経験による
先日読んだ本(リーダーシップの旅)には、ローミンガー社というところの調査が掲載されていました。
リーダーシップの発揮に影響を与えた要因としては、1)仕事上の経験が70%、2)誰と仕事をしたかが20%、3)研修が10%だったそうです。
これらの知見だけ読むと、
「嗚呼、研修とか、公式な学習で獲得できるものって少ないんだな・・・やっぱりショーもないやん。だったら、辞めちゃえ、適当にやっちゃえ」
と思われる人も多いかもしれないけど、それは間違っているのではないかと僕は思います。
「教育のことをよくわかっている人=教育にできること、できないことをわかっている人」は、そうは考えないだろうな、と思うのです。
「へぇ、10%とか30%も影響を与えられるんだ・・・ちょっとでもあるだけ、丸儲け!」
と考えます。少なくとも僕だったら、そう思う。で、続けて、こう思うでしょう。
「経験がパフォーマンスに70%影響を与えるといっても、外部から統御不能であることが多い。それはimplicitに学ばれる、いわゆるinformal learningである。
それなら、自分が外部から確実に影響を与えうる10%の機会で、どんな効果をもたらし、残りの70%につなげるか・・・
いやまてよ、残りの70%もそのままにしておいてはイカンな。残りの70%は、なかなか外部から統御できないといっても、できることはあるはずだ。
残りの70%の機会で、人がなるべく学べるような環境を、どう準備したらいいだろうか。
・・・やるべきことはいっぱいあるなぁ」
---
「経験なのか、研修なのか?」
「OJTなのか、OFF-JTなのか?」
という問いは、僕はナンセンスだと思います。
そういうのは、問いの立て方自体がナンセンス。まともに取り扱わなくてもいい。「これからはOJTの時代だ!」とかいう人がいたら、「はぁ、そうですか」と答えればよい。
「どちらなのか?」と聞かれたら、「BOTHだ!、何が悪い」と自信をもって答えましょう。
「どちらかの手法」だけ、Catch allできるほど、甘いものじゃないと思うのです、人が学ぶということは。
---
というのは、今まで、僕は、いろいろなシステム、学習コンテンツ、ワークショップを開発してきたのですね。
でも、そうしたブツが、「パフォーマンス」に与える影響を考えると、高くて20%、平均で10%以下ではないかと感じています(データがあるものもあるし、感覚的なものもある)。
教育研究の無力さ、いいえ、自分の無力さを正直に告白します。
でも、この数字を高いと考えるか、低いと考えるか。僕は、これらの数字を低いと考えることは、「人が学ぶということ」をナメていると思うのです。
たかが、短期間の、かつ人為的に促された学習で、人間のパフォーマンスがすべて向上するわけがない。奢ってはいけないな、と思うのです。
ここは謙虚になろう、と。わずか10%台の効果でも、よりよく学んでもらえる。それなら、その機会を最大限活かそう。
何か外部からできる機会があるなら、どんなものでも活かすべきではないかと思うのです。
だから、先ほどの問いには「BOTH!」と自信をもって答えるべきではないかと思うのです。
今日の話は、あんまり賛同者が得られない考え方かもしれないなぁ・・・。でも、僕はそう思います。
投稿者 jun : 2007年02月21日 10:14 | トラックバック
もう生かしてくれなくっていいんだよ:伊丹十三「大病人」
先日、ビデオ屋さんをプラプラしていて、ある趣向を思いついた。同じモチーフをもった映画を2つ借りて見比べる、という「遊び」である。
初回は「生きること/死ぬこと」にした。それで借りてきたのが、伊丹十三監督の「大病人」と黒澤明監督の「生きる」である。
どちらの作品も主人公が、「ガン」におかされ、余命を宣告される。「死ぬこと」が目前に迫ってはじめて「生きることの意味」が意識されるようになる、というモチーフが共通している。
---
昨日は「大病人」の方を見た。
ある有名俳優がガンを突然胃ガンを宣告される。余命は1年。今から14年前(1993)の映画であるので、当時の様子がよくわかる。
当時は、「告知」はまだまだ多くなかったんだろうね。あと、「緩和ケア」という考え方もなかった。
「死を安らかに迎えたい」患者と、「生かすことを優先する」患者と医者の対立が、当時としてはセンセーショナルだったのかな、と思う。
下記の台詞が印象的だった。
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オレにとって一番重要なのは、今から死ぬまでをどうやって生きるかってことだ。もう直してくれなくってもいいんだよ、先生。もう生かしてくれなくってもいいんだ。
よーく考えて欲しい。
オマエがオレの立場だったらどうする? 抗ガン剤や放射線で一ヶ月寿命を伸ばして欲しいと思うか?
これがオマエがホントウの医者になれるかどうかの正念場だ。よく考えて答えろ。
死なすと考えるなよ。死なすまでこのジジイを生かすと考えればいいんだよ。
(オレは)ホントウのことを教えてもらってよかったよ。
オレは死なないつもりで生きてた。結局生きてなかったんだ。オレはね、先生。今、生まれてはじめて生きてるんだ。
オレは幸せだよ。
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今日は、「生きる」を見よう。黒澤映画の最高傑作のひとつと言われる作品です。恥ずかしながら、今まで見たことがなかった。楽しみだね。
投稿者 jun : 2007年02月20日 17:00 | トラックバック
なりきりEnglish!:成果報告会
人材教育2007年3月号で、僕らが取り組んでいる研究プロジェクト「なりきりEnglish!」の解説をしています。もしよろしければご高覧ください。



なお、「なりきりEnglish!」に興味を持っていただけた方で、さらに詳しく教材の構成法などについて知りたい方は、3月24日の公開研究会でお会いしましょう!
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BEAT成果報告会>
http://beatiii.jp/seminar/index.html
「なりきりEnglish」プロジェクト成果報告
BEATフェロー/東京大学助教授 中原 淳
BEAT 客員助手 山田政寛
国際交流基金 島田徳子
BEAT アソシエイツ 北村 智
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公開研究会は既に募集がはじまっています。ぜひ、おはやめにお申し込みをお願いいたします。
投稿者 jun : 2007年02月20日 16:21 | トラックバック
シリアスゲーム - 教育・社会に役立つデジタルゲーム
かつてBEATセミナーでもご講演いただいた藤本徹さんの近著「シリアスゲーム-教育・社会に役立つデジタルゲーム」(東京電機大学出版局)のオンライン予約がはじまっている。
BEATセミナー
http://www.beatiii.jp/seminar/023.html
シリアスゲームの現状について知りたい方は、ぜひ、ご予約を!
投稿者 jun : 2007年02月20日 08:19 | トラックバック
レアな姿
僕がスーツを着るのは年に7日間です。今日はその日。シャキーンとお行儀良くしなければならない会議に同席しなくてはならないのです。朝から、肩がこって仕方がありません。
それ以外の日は、いつもジーンズにパーカーとか。あるいは、ジャケットにパンツでしょうか。僕にとっては、後者はめちゃくちゃフォーマルな格好なのですが・・・。
あんまり珍しいので、タクと写真を撮りました。「今日は、レアパパだぞー」ということで。

今年はあと6日だね。
投稿者 jun : 2007年02月20日 07:00 | トラックバック
子育て支援について
「中原さん、子どもできたんですか・・・ホントウによかったですね。カワイイでしょう。名前はタク君ですか。良い名前ですね・・・・タク君、将来が楽しみですね。僕らの老後をしっかり支えてくれるワケですね(笑)」
本人に悪気は全くないのでしょうけど、これまで、こういう風に言われることが何回かありました。やはり「少子高齢化」の問題が、みんなの関心事になっていますからね。
・・・いや、そう言われても別に気にしてないんだけどね。全く、全然いいのよ、Don't mind, OK。でもさ、ついこう言いたくなる衝動に駆られます。
「自分のケツは、自分でふきな」
---
少子高齢化にさすがにマズイと思ったのか、政府の方も、最近は本気になってきました。様々な「子育て支援策」を打ち出している。
これらの施策によるものなのか、今年は出生率が上向きに転換する可能性があると言われていますね。余談を許さぬ状況は変わりませんが。
専門家ではないので無責任に言い放ちますが、やはり僕としては、「母親が働きながら子育てをできる環境が整備されるということ」が、とても重要なのではないかと思います。
子育てをしても、仕事を続けられ、ある程度、ささやかな豊かな生活をおくることができる。自分の好きな仕事を続けることができる。これが重要なのではないか、と。
先日、出生率が2.0まで回復したフランスでは、「保育ママ」の整備が国をあげて実施されたと聞きます。そういう施策があると、状況はより上向きになるのではないか、と思うのですね。
たとえば出産育児一時金を値上げされましたね。もともとは30万だったものが、35万になった。
確かに5万円もあがるのは大変助かります。ありがたや、ありがたや。
でも、実際はこのあがった5万円というのは、家計には入らないことが多いと聞きます。なぜだかわかりますか?
病院の出産費用も5万円便乗値上げをするから(笑)。おーい、オマエがペチッてどうする。差し引きゼロです。僕の周りでも、そういうことがありました。
いやぁ、そうはいっても産婦人科も、最近は大変です。ので、あまり責める気にはなりません。
結局、「一時的な金銭援助」も重要なのですが、「継続的に家計が楽に運営できる仕組み」がなければダメなのではないかと思います。
道は遠いかもしれないけど、ぜひ、そこらあたり、抜本的な対策をおこなって欲しい、と思っています。
---
下記は最近のタクの変化です。
○眠いと目をこする
○吸綴反射がなくなってきた?
→ミルクをあげるタイミングがわかりにくい
○寝ているときに、急に「泣くこと」がある
→怖い夢を見ている?
○意味不明語をしゃべるようになった
→「あーっぷ」など
○夜は一度も起きなくなった
→親思いな子である
○ミルクを「遊び飲み」するようになった
→ミルクをなかなか飲まない
○よだれをたらすようになってきた
○いろいろなものを「つかむ」ようになった
→抱っこすると僕の袖をつかむ
→おむつ替えのときに、自分の裾をあげてくれる

あーあ、公衆の面前で「おむつ姿」を公開されちゃって。数年後、自意識が芽生えたら、怒るかな?
そして彼の人生は続く
投稿者 jun : 2007年02月19日 17:00 | トラックバック
あなたのまわりに、リーダーはいますか?
どこの組織でもいい。今、組織の責任者や育成担当者に、「今、あなたの組織ではどういう人材が欲しいですか」と聞くと、「リーダーが欲しい」と答えるところが多くなっているそうです。
なぜリーダーが、それほどまでに求められているのか。それ以前に、リーダーとはどういう人材なのか?
---
野田智義・金井壽宏著「リーダーシップの旅」を読みました。
同著によれば、マネジャーとリーダーは違います。
マネジャーというのは、既に目の前にある、つまりは「見えているリソースや現状」を分析して、それを配分・調整しつつ、問題解決をする人のことをいう。
それ自体は、とても高度な能力なのですが、皆生つっしようとしている問題が「見えている」ことが、重要。
ところが、リーダーとは、「まだ見えていないもの」を見ようとする。「アンタの背後に白い女の人が見える・・・」みたいで、なんだか怖いんだけど(笑)。
つまり、まだ現実のものになっていないビジョンやbig pictureを描き、その実現のために、人々をinvolveさせることができるのがリーダーです。
マネジャーも高度な能力を必要としますが、リーダーに求められるコンピタンスも、かなりのものがある。
まず「見えていないもの」が見えていなければならない。そして、「見えていないもの」に人々を語らなくてはならない。そして自然にフォロワーが生まれなくてはならないのです。
下記は、有名なキング牧師の「I have a dream」の演説の妙録ですけれども、「見えていないものを語る」とは、こういうことなのでしょう。
---
わたしには夢がある。いつの日か、ジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫と、かつての奴隷主の子孫が、兄弟愛のテーブルになが良く座ることができるようになるという夢が。
わたしには夢がある。今、不正義と抑圧の炎熱に焼かれているミシシッピー州でさえ、自由と正義のオアシスに生まれ変わるだろうという夢が。
わたしには夢がある。(そうだ!・・・拍手)今は小さなわたしの4人の子どもたちが、いつの日か肌の色ではなく、内なる人格で評価される国に住めるようになるという夢が。わたしには夢がある(拍手)。
わたしには夢がある。悪意ある人種差別主義者や、「介入」とか「無効化」という言葉で唇をぬらしている州知事がいるアラバマ州でさえ(そうだ!)、いつの日か、幼い黒人の少年少女が、幼い白人の少年少女と手に手をとって姉妹兄弟となることができるという夢が。わたしには、今日、夢がある。
(中略)これがわれわれの希望なのだ。これを信じてわたしは南部に帰っていく。これを信じれば、われわれは絶望のヤマから希望の石を切り出すことができる(そうだ!)。そして、もし、アメリカが偉大な国家になるべきであるのなら、このことが実現しなければならない。
p63より引用
---
同著には、ある人がリーダーか、そうでないかを見抜く方法みたいのが紹介されていました。
「直接の指揮系統下にいない応援団がどれだけいるか・・・後ろを振り向いたら嫌々ではなく、喜んでついてくるフォロアーが、あなたにはどれだけいますか」
さて、あなたの組織には、何人のリーダがいますか?
---
つい、先日、ある学校関係者と話したときに、この話をしたら、こんなことを言っていましたけど。
「リーダーですか・・・学校はそれ以前、マネジャーの不在が問題になっています」
投稿者 jun : 2007年02月19日 05:00 | コメント (2) | トラックバック
おやこde食育
この週末、埼玉のイオン北戸田店にて、「おやこde食育」のイベントが開催されています。NTTドコモさん、ベネッセコーポレーション中野さん、山内さんらが主導するイベント。
おやこde食育
http://www.oya-ko.jp/shokuiku/


親子ペアになって、携帯電話を使った野菜クイズラリーなどをします。「ブロッコリーとカリフラワーの違いは?」などといった野菜の基礎的知識から、応用まで。
参加費は無料です。お近くにおすまいの方は、ふるってご参加下さい。

なお、本プロジェクトは総務省ユビキタスラーニング推進協議会の実証実験です。
数年前に行った親子で行う科学実験プロジェクト「おやこdeサイエンス」がこんなかたちに発展するとはねぇ・・・感慨深い。
投稿者 jun : 2007年02月18日 08:49 | トラックバック
「自分」と「会社」の関係は?
確か、金井壽宏先生の本だったと思うのですが、こんなエクササイズがのっていました。あなたも、ちょっとペンと紙をもって、やってみましょうか。
Q.「自分」と「会社」の関係を「○」などの図形を使って、描いてみるとどうなりますか?
さぁ、やってみましたか?
結果は?
一般に、下の2つの図が典型的なようです。


会社という「大きな組織体」があって、その中の「ひとつ」として「わたし」を置く。あるいは、「わたし」という人間がいて、その一部に「会社」という生活があるのか。人によっては「わたし」の円の大きさが、とても大きかったり、小さかったりするのでしょうね。
さぁ、皆さんはどうでしたでしょうか。
ちなみに、僕は、こんな風になりました。

僕にとって、「大学」は「点線」です。それは実体をもっているような、もっていないような。
ただし、大学の中で自分が所属している研究センターは「実線」。もうひとつ、実線なのは「Research Community(研究コミュニティ)」でしょうか。ここには、所属している感じ、関与している感じがあります。
しかし、僕は「わたし」の集合の中に、大学を丸ごと含めるわけでもなく、「点線としての大学」という集合の中に、自分を丸ごと含めるわけでもありません。
「わたし」と「大学」は、どちらかというと、部分的に重なり合っている・・・そんな感じです。大学以外で活動する僕も、やはり僕です。時には、その重なりが多くなったり、少なくなったりする。なんか、いい年こいて、フラフラしていますね(笑)。
さて、皆さんはどうなったでしょうか。ぜひ、お近くの方と一緒にエクササイズにチャレンジしてみてください。
---
ところで、今やったようなエクササイズが、「つくって、晒し、他者に語って、振り返る」というワークショップの基本原理です。
たとえば、もし、先ほどの問いが「社員と会社はどういう関係ですか?」と聞かれるだけだったとしたら、どうだったでしょうか。
「個人は組織の一員であるべきだ」
「個人がエンプロイヤビリティを高め、組織に飲まれないように・・・」
といった、ステレオタイプ風の、思考停止系、優等生的回答がかえってこないでしょうか。
何かモノをつくって、他者に晒す(expose)。それをきっかけに自分を物語り、振り返る。そのサイクルは、どこかで聞いたような優等生的回答を避け、自分と活動のあいだのエンゲージメントを高める効果があります。
---
先ほどのエクササイズは、2次元の「絵」でした。これを3次元のレゴブロックを活用したワークショップにすると、どのような効果があるでしょうか。
3月のLearning barでは、(株)ラーニングシステムの石原正雄社長をお招きし、「レゴブロックを使った企業人材育成ワークショップ」を実施します。

締め切りは2月20日です。あと3日。参加希望者が多いことが予想されるため抽選になります。
ご応募お待ちしております。
==========================================
Learning bar@東大 2007
未来の教育、こうなる、こうする
SERIOUS PLAY WORKSHOP:ブロックをつかった
企業人材育成ワークショップ
==========================================
今年度最後のLearning Bar@Todaiでは、(株)ラ
ーニングシステムの石原正雄社長をお招きし、「レゴ
ブロックを使った企業人材育成ワークショップ」を実
施します。
(株)ラーニングシステム
http://www.mdstorm.com
---
レゴブロックでカタチをつくる
カタチを他人に見せつつ語る
そして、自分を振り返る
近年、こうした流れで実施される、ワークショップ
スタイルの企業人材育成が注目をあびています。
ブロックを使ったワークショップで最もよく知られ
ている事例には、LEGO社のSERIOUS PLAYがあります。
石原社長はSERIOUS PLAYの日本代表をなさっています。
LEGO SERIOUS PLAY
http://www.seriousplay.com/
Robert Rasmussen & Associates
http://www.rasmussen-and-associates.com/
参加者は多数になることが予想されるので、抽選と
させていただきます。下記のフォームに必要事項を
ご記入のうえ、2月20日までに
sakamoto [atmark]tree.ep.u-tokyo.ac.jp
までご連絡下さい。
抽選結果は2月27日にメールにてご連絡させて
いただきます。
ふるってご参加下さい。
企画担当:中原 淳
---
○主催
NPO法人 EDUCE TECHNOLOGIES
http://www.educetech.org/
(共催)
東京大学大学院情報学環
ベネッセ先端教育技術学講座
http://www.beatiii.jp
○日時
2007年3月16日(金曜日)
午後6時より午後8時30分まで
○内容(案)
□Break
□自己紹介
□SERIOUS PLAY
レゴブロックを使った企業人材育成
ワークショップ
□Break
□Reflection
・この手法をどのような領域で使えるか?
・LEGO SERIOUS PLAYの紹介
○場所
東京大学 工学部2号館 9F
大学院情報環の教室
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_04_03_j.html
○参加費
2000円(一般・学生)
軽食代・資料代込み
○参加者
参加をご希望の方は下記まで2月20日までに
メールをいただければ幸いです。
なお抽選結果は2月27日までにメールにて
お送りします
限定30名
〆========================================
申込フォーム
sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
==========================================
氏名 :
氏名カタカナ:
所属:
メールアドレス:
==========================================
投稿者 jun : 2007年02月17日 10:47 | コメント (1) | トラックバック
大学の講義のネット公開
大学の講義のネット公開についてのWeb調査結果がでています。
GOOリサーチ
http://research.goo.ne.jp/Result/000422/index.html
投稿者 jun : 2007年02月17日 00:12 | トラックバック
壊れたテープレコーダ : プロフェッショナル 北山安夫氏
昨日のNHK番組「プロフェッショナル」は、庭師の北山安夫氏だった。
北山氏は、高台寺など京都の名だたる名園をつくってきた。無駄をそぎ落とした簡素な中に、ありのままの自然の石を組み合わせる。その手法が、拝観者を魅了する、という。
僕は庭のことは「激シロウト」なので全くわからないけれど、彼が番組前半で漏らしたいくつかの言葉が、心に響いた。弟子12名を厳しく指導する場面で、彼がふと漏らした言葉。
---
自分は壊れたテープレコーダ
10回で分からない子には11回、
11回で分からない子には12回言わなければならない
---
昨日のビデオから判断するに、おそらく庭師のワザの習得は、徒弟制を背景にした「非段階的学習」であると思われる。
一般に、非段階的学習というと、師匠のワザを見て模倣し、型を習得することからはじまると言われている。いつか自分の型を生み出すためには、まず「見て、マネる」ことが必要だ。
しかし、そのあいだ、師匠も指を加えて見ていていいわけではない。
やはり言わなければならないことは、言わなければならない。何度であっても、厳しく言わなければならない。たとえ、「壊れたテープレコーダ」のように振る舞わざるをえないとしても、である。
しかし、徒弟制を背景にした学習は、「声なき学習」であってよい、と思われているのではないだろうか。
人は言わなければわからない。
言ってもわかるとは限らない。
学習は、教えるものにとっても、かくも厳しいものである。
投稿者 jun : 2007年02月16日 09:18 | トラックバック
子育てには遊び心:ぴっちり横分け社長ヘア
子育てには「遊び心」が必要です。今日は、タクを、「ぴっちり横分け社長ヘア」にしてみました。毎日の入浴は僕の仕事です。

映画「THE 有頂天ホテル」にでてきた大物演歌歌手・徳川膳武に似ているのは、気のせいでしょうか。気のせいだとよいのですが・・・。
投稿者 jun : 2007年02月15日 22:58 | トラックバック
ファカルティ・デベロッパー養成講座
愛媛大学が、ファカルティディベロップメント(FD)を推進する人材を養成する講座をやるらしい。
ファカルティ・ディベロッパー養成講座
http://web.opar.ehime-u.ac.jp/event.htm
FDに関しては、先の中教審の答申を受け、各大学で注目が集まっている。それができる人材の綱引きが、はじまっているようだ。
それにしても、愛媛大学の教育企画室のサービスの充実ぶりには驚かされた。
愛媛大学教育企画室
http://web.opar.ehime-u.ac.jp/index.htm
投稿者 jun : 2007年02月15日 21:50 | トラックバック
ビデオエクスプローラー、公開デモンストレーション@東大
本日、東京大学では「Video Explorer(ビデオ・エクスプローラー)」というソフトの公開デモンストレーションが、開催され、メディアの方など、70名近くの参加者がありました。

「Video Explorer」は、東京大学 大学総合教育研究センター マイクロソフト先進教育環境寄付研究部門で開発されたソフトウェアです。
東京大学 大学総合教育研究センター マイクロソフト先進教育環境寄付研究部門(略称:MEET)
http://www.utmeet.jp/
Video Explorerは、TabletPCで稼働するソフトウェアで、下記の特徴を持ちます。



1)NHKアーカイブスのビデオクリップを検索・閲覧する機能
2)ビデオクリップを配置したマップ型プレゼンテーションを作成できる機能
学習者は、探求学習などの場面で、関心のある動画を視聴し、プレゼンテーションをつくります。今日の公開デモンストレーションも、この流れで進行し、生・東大生!?が、ソフトウェアを使う様子を見ることができました。


マイクロソフト寄付研究部門では、このほかにも、e-journal plusという「未来のノート」ツールなどを開発しています。
これらのツールは、駒場地区の「駒場アクティブラーニングスタジオ」、本郷地区の「福武ホール」などで開講される実際の授業で利用される予定です。
現在の予定では、来年秋に、「現代の教育問題」をネタにした授業が開講されます。
---
Video Explorerのプロジェクトの開発は、山内さん、望月さんが主導した共同研究です。きっと研究開発チームは、ここ数日不眠状態が続いているハズ。
ともかくお疲れ様でした。
今晩は寝てください。
おやすみ。
---
関連記事
http://www.atmarkit.co.jp/news/200702/15/meet.html
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2007/0215/tokyod.htm
http://japan.zdnet.com/news/ir/story/0,2000056187,20343204,00.htm
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2007/0216/config146.htm
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0702/15/news106.html
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20070215/262183/?ST=pc_news
http://www.nikkeibp.co.jp/news/it07q1/525749/
投稿者 jun : 2007年02月15日 19:47 | コメント (1) | トラックバック
カール=ワイクとスガシカオ
数多くの組織研究者の中で、イッちゃっている研究者にカール=ワイクという人がいる(良い意味でイっちゃっている)。
彼は「組織」を静的なEntityとは見なさず、あくまで動的なプロセス=組織化(Organizing)と見た。
組織化とは、意識的な相互連結行動によって、多義性を削減するのに妥当と皆が思う文法である
(p4)
たとえば、バーナード、テイラー的な組織の定義というのは、「意識的で、計画的な、目的を共有する人びと相互間の協働」というのが常識的である。
この定義を読んだだけで、彼の発想がどれだけイッちゃっているかがわかるだろう。
このような認識のもと、彼は、組織を「普段に再構築を繰り返すこと」が宿命であると考えた。そして「再構築=変わること」が、「安定」をもたらし、「安定すること」が「変わりうること」であると考えた。この発想の転換には思わず舌をまく。
「いつも、オレのいるところはバタバタしてて安定しねーな」と思っている人。それは、「安定」してるってことなのですよ、禅問答みたいだけど。
あと、彼の戦略に対する考え方も、僕は好きだ。
「組織が戦略を定式化するのは、それを実施した後であって、前ではない。人は何かをやってみてはじめて、それを振り返ることができ、自分がやったことを戦略と結論するのである」
(p243)
まさに我が意を得たりである。この日記でも、「戦略」とか「ビジョン」が、Enactmentの前に見いだされる明確なplanではないことは、何度も書いてきた。それは、ふだんに解釈しなおされる物語なのです。
ところで、話がとぶけど、この文章を読んで、思わずスガシカオを思い出した。スガシカオの「Progress」の歌詞にはこうある。
---
ずっと探していた 理想の自分って
もうちょっとカッコよかったけれど
僕が歩いてきた 日々と道のりを
ほんとは「ジブン」っていうらしい
世界中にあふれているため息と
君とぼくの甘酸っぱい挫折にささぐ
あと一歩だけ 前に すすもう
---
カール=ワイクとスガシカオの指摘している問題は、僕には、同型に思える。
「あと一歩だけ前に進もう」・・・そのとき、今まで見えなかった「戦略」が見えるかもよ。
投稿者 jun : 2007年02月15日 08:12 | コメント (3) | トラックバック
ジャン・ポール・エヴァンのマカロン
先日の朝日新聞によれば、最近、バレンタインの意味が変わってきたようですね。バレンタインは、「女性が自分にご褒美をあげる日になった」とか。
うちは、ずっとずっと前から、そうです(笑)。
かなり前から、最先端を走っています。
カミサンが、自分で食べたいものを、自分の好きな数だけ買います。僕は、「その一部」をお裾分けしていただきます。
食べるの?、と(笑)。
今年は「ジャン・ポール・エヴァン」というショコラティエのお店のマカロンでした。このお店のマカロンは、パリのマカロンコンクールでクラッシック部門1位に輝いた、そうです。どこから、そういう情報を集めてくるのか、不思議でなりません。
ジャン・ポール・エヴァン
http://www.jph-japon.co.jp/
ともかく、ここのマカロンは、濃厚でおいしゅうございました。無料で食べられるのですから、文句は言いますまい。
来年は、何になるでしょうか。
投稿者 jun : 2007年02月14日 21:54 | トラックバック
家族みんなのハッピー度
今から2ヶ月前、実は僕とカミサンは「子ども」をもつにあたり、実は、下記の方針を申し合わせました。
---
1.「親のハッピー度」と「子どものハッピー度」は相関することも多いが、時にトレードオフになることもある
2.「親のハッピー度」と「子どものハッピー度」の総量をあらわす概念として「家族みんなのハッピー度」をおく。
3.「家族みんなのハッピー度」を最大化するよう、我が家の意志決定をおこなう
4.3の意志決定に王道はないことを認める=後からお互いを責めない
5.3の意志決定をおこなった場合、そこで生じる結果を、親と子どもは引き受けて生きていく
---
たとえばこういうことです。
今、我が家で結構ホットな話題になっているのは、一年後、どの保育園に通うかということです。
僕の住んでいる地域は、保育園については大変恵まれている地域です。たくさんの保育園があります。
中には、家からはかなり遠いのだけれど、教育方針が世界的に有名な保育園もあります。
また、家から1分も歩かないところに、我が家のように「共働きの家庭」にフィットした様々なサービスを展開してる無認可の保育園もあります。
おそらく、この場合、教育的なことだけを考えれば、つまり「子どものハッピー度」だけを考えるのであれば、たとえ「親のハッピー度」を犠牲にしても、家からは大変遠い有名保育園に通わせるという選択肢をとるのだと思うんですね。
それがおそらく親として「コレクト」だろう、と思うんです。ただ、そうなりゃ、もう大変。仕事は途中で抜けなければならないわ、おそらく親には余裕がなくなる。
でも、おそらく、我が家はそういう意志決定をしない、ということです。
我が家は、教育的には無名でも、家から近い保育園に通わせると思うんです。もちろん、めちゃくちゃヤバイところに子どもは通わせたくないけれど、ある程度のところであればよいと判断したいのですね。
そうすると、「親のハッピー度」があがります。かなり楽に仕事をしながら子育てはできる。
で、僕は思うのです。そこで生まれた親の心の余裕は、絶対に子どもに伝わる。余裕があれば、子どもと会話をしたり、遊んだりもできる。
だから、結果として、「子どものハッピー度」も向上する。ひいては、「家族みんなのハッピー度」が最大化することにもつながると思うんですね。
もちろん、上記は「わたしの教育論」です。また、厳密に言えば、ちょっと論理展開に無理があるのだけど、ここでは敢えてそこには触れません。
ただ、我が家のような家庭の場合、子どもの教育を考える際に、「子ども」だけを対象にするのではなく、「それによって親がどうなるか」「親と子どもを含めた環境、親子関係がどう変わるか」を考えなくてはならない。そういう意志決定をおこなうべきだと、思うようになりました。
上記のような考えは少し変なのかもしれません。が、今のところ、「僕の




