旭山動物園でペンギンの散歩を見た!

 帰郷、旭川へ。
 旭川は、連日、大雪。
 そら、電話ボックスもうまるわ。

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 TAKUZOも、雪かきのお手伝いをしました。

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 昨日は、行動展示で有名な旭山動物園へ。ペンギンの散歩を見に行きました。TAKUZOは「ペンギンさん、よちよち、歩いてるねー」と喜んでいました。

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 下記の写真には、僕がいます。
 どこでしょう。

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 答え。

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 ペンギンの散歩は、何度見ても、コミカルで愉快ですね!

  ▼

 本日、いよいよ、2008年大晦日。
 今年も御世話になりました!
 皆さん、よいお年をお過ごしください。

投稿者 jun : 2008年12月31日 07:00


母親とは「存在」であり、父親は「役割」である

 絵本作家・きむらゆういちさんのエッセイ「たいせつなことはみんな子どもたちが教えてくれた」を読んだ。

 きむらゆういちさんの絵本「あそびえほんシリーズ」といえば、子どものいる家庭ならば、どこの家庭にでも1冊はあるようなベストセラーである。
 木村さんの活躍は、絵本だけではない。造形教室を主宰したり、NHKの幼児テレビ番組のブレーンをつとめたり、、、その活躍は多岐にわたる。

 

 エッセイの中に、印象的な一言があった。

 母親とは「存在」であり
 父親とは「役割」である

 要するに、子どもにとって、母親とは「存在するだけで安心」するものであり、だから「どーんとしていればよい」。

 それに対して、父親は、「役割」を果たさなければ、父親にはなれない。
 一緒に遊んであげるだとか、本を読んであげるだとか、そういう「子どもにとって重要な役割」を果たしてはじめて、ようやく「父親は父親になることができる」というのである。

 なるほど、その通りだよな、と思った。
 きむらさんの指摘は、僕がこの2年間でうすうす感じていたことにかなり近く、それを端的に表現しているな、と思った。そうだ、カミサンは「存在」であり、僕は「役割」だったのか。

  ▼

 僕は父親としての「役割」を果たせているだろうか。

 いささか、というか、かなり不安ではあるけれど(カミサンには申し訳なく思う)、愉しみつつ、無理なく、一緒に生活していく他はないのかな、と思う。

 そして、父親の人生は続く。

投稿者 jun : 2008年12月28日 07:21


僕のJAZZの愉しみ方

 僕の一日の愉しみのひとつに、夜な夜な、オーディオを聴くことがある。子どもが寝静まったあとで、ウィスキーをやりながら、音楽を聴いている時間が、とても落ち着く。最近は、もっぱらジャズ。これである。

 オーディオのリモコンを握りながら、40年~50年前の名ライブ演奏に耳を傾け、その場を想像することが、結構楽しい。

 すべては僕の「想像」の世界である。
 50年前の、あるライブハウスでの演奏に、たまたま居合わせたお客たちは、まさか、自分たちの笑い声やくしゃみ、食器を重ねる音が、後世の人たちに、何度も聞かれることになろうとは、思わなかっただろう。

 演奏によっては、わずか10名程度の客しかはいっていないこともある。よもや、その10名は、自分が「世紀の名演」に立ち会っているとは思わなかっただろう。僕は、この10名をとても羨ましく思う。あなたは、歴史的な一瞬を目にしているのだ、と言いたくなる。

 目を閉じる。
 名演を聴きながら、僕の「想像」は果てしなく広がる。名演といわれるライブが開催された場所、そこに居合わせた人々、その場の空気や匂い・・・「どんな場だったのだろう」・・・思いを馳せる。これもジャズの愉しみ方のひとつである、と僕は思う。

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 僕のジャズの愉しみ方には、もうひとつの側面がある。

 プレーヤーが奏でる音楽もさることながら、プレーヤーが「何を打ち壊し、何を創造しようとしたのか」に思いを馳せることである。いずれにしても、「思いを馳せる」であることが、笑える。

 たとえば、誰でも知っているジョン=コルトレーン。彼は、いったい何を「創造」しようとしたのか。

 周知のように、コルトレーンは、当時、ジャズ批評家たちによって酷評されていた。

「こんなものはジャズではない」
「無意味な音の連続はやめてほしい」
「コルトレーンの音楽はノイズにあふれすぎている」

 コルトレーンの歴史は、そうした批評家たちとの闘いの歴史でもあった。

 しかし、彼は「実験」をやめなかった。当時は理解されなかったとしても、志を貫いた。彼は、こんな言葉を残している。

 僕は常に実験しつづけなければならない。
 まだはじまったばかりだからだ。
 僕は、自分が手にしたいと思っているものの
 一部は手にしているが、
 これはすべてではないんだ
 (ジョン=コルトレーン)

「学び」とは「創造」と「破壊」を繰り返すことである。そして、そのプロセスに、終わりはない。コルトレーンは「Learner」であった。

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 たとえば、キース=ジャレット。
 彼は、コンサートすべてをインプロヴィゼーション(即興)で演奏するという新ジャンルを打ち立てた。

 彼のコンサートに楽譜はない。そして、それは再現できない。「そういうもの」としてコンサートを彼は位置づけようとした。

 このアルバムの意図は単純である。
 ここに演奏されたものは、
 私が以前に一度も演奏をしたものではない。
 今後もこの通りに演奏するものでもない
 これは、今までにつくられたことのない
 種類の音楽であり、やがて一般化されるのが
 望ましい音楽である。
 (キース=ジャレット)

 ケルン、ブレーメン、ローザンヌ、東京。世界の様々な場所でインプロヴィゼーションのソロコンサートを成功させていく。

 ディスクに残されている、彼の名演奏のひとつケルンコンサートを聴く。インプロヴィゼーションは、一瞬の迷いや間違いも許されない。指がとまれば、そこには静寂しかない。恐ろしいほどの集中力や気迫が伝わってくる。

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 今日の夜はモンクを聴こう。

 モンクのピアノは、不均衡ではちゃめちゃなリズム、急激なアップダウンのあるメロディ展開で、よく「酔っぱらい」にたとえられる。

 しかし、彼もまた、何かに憤り、何かを壊し、何かを創造することを試みた人である。

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 僕が好きなのは、結局、Learnerなのである。


追伸.
 今日は、御用納めです・・・一年が終わった。
 今年も素晴らしい方々との出会いやコラボレーションがありました!
 大変ありがたいことです。

 皆さん、また来年お逢いしましょう!
 よいお年をお迎えください。

投稿者 jun : 2008年12月26日 18:03


「修羅場の経験」を売る!?

 先日、酒井穣さんとお話ししていたとき、面白い話を耳にしました。
 世界でも有数のビジネススクールである、IMDでは、「修羅場の経験を売る」というプログラムがあるそうです。僕は詳細はよく知らないのですが、とても興味を持ちました。

 学習課題は、「発展途上国の、まさに今発展の途上にある企業を経営してみる」という課題だそうですね。学習課題とはいいますが、「課題」という言葉で表現できないよね。これは「本当の経営」です。

 もし万が一、経営が軌道にのれば、発展途上国の企業にとっては、幸せですね。派遣する先進国の企業からしてみれば、自社の幹部候補生が「修羅場の経験」を通して、「一皮むける」きっかけになることを期待しているのかもしれません。
 高い金をだして、有名ビジネススクールから教授を招聘し、クラスルームの授業を受けさせて、それでも見事に転移しないよりは、よほど有望な手法だと考えるのかもしれません。

 おそらくは、IMD側には、最初のマッチングと、途中のメンタリングやサポートを期待されるかもしれませんね。

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 「コンテンツを売る」から「経験を売る」へ。素直に面白いな、と思いました。教育のよしあしは、コンテンツの善し悪しだけではなく、エクスペリエンスの善し悪しにある、という風な話なのかもしれません。
 そして同時に、高等教育機関として見た場合に、日本のビジネススクール、いいえ、日本の大学は「何」を売っていけばいいのかな、ということも含めて考えさせられました。

投稿者 jun : 2008年12月25日 12:56


「謝辞」から書いて、自分を駆り立てる!

 先日、大学院ゼミの飲み会が終わりました。これで年内はすべて学務を修了です。もちろん、中原研究室の修士2年生(M2)は、修士論文の執筆が佳境ですね。今、まさに「やらなしゃーない」ですね。

 小生の方も、本の執筆に明け暮れています。最後の最後で、かなり悩んでいます。うーん、どうしたものか。共著者の長岡健先生と連絡をとりあって、お互いに加筆・修正をしあって、完成をめざしています。
 今日、明日で、何とかメドをつけたい。そして、素敵な正月を迎えたいです。

 それにしても、過去の原稿を読み返していて笑えるのは、僕が、はじめて「本書の謝辞」を書いた時期です。
 この本は4月から書き始めているのですが、はじめて謝辞を書いたのは、まさに4月です。1章よりも前に謝辞を書いているのが、何とも笑えます。

 ---

 長い長い執筆を今終えることができて、心からホッとしています。

(中略)

 執筆を支えて下った皆様に、心より感謝いたします。ありがとうございました。

 2008年4月25日
 中原 淳

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執筆終えてねーつーの。12月年の瀬迫っても、終えてないよ、アンタ。
 つーか、最高に笑えるのは、この謝辞を書いた時点では、一文字も書いてなかったんだよね、、、でも、なぜか、謝辞だけ完成してる(笑)。

 でもさ、そうやって、自分を駆り立てんだよね。僕は「お調子もの」だから、そういう風に、自分を乗せていかないと書けないのです。
「この謝辞を、絶対に現実のものにしてやるどー」という風に、自分を乗せていくのです。

 本や論文は、謝辞から書く。
 そういうの、僕だけなんだろうか。

 そして人生は続く。

追伸.
 行き詰まったら、謝辞でも書きましょう>中原研M2諸氏

投稿者 jun : 2008年12月24日 11:02


ヒブワクチン(髄膜炎の予防接種)を受けてきた!

 先日、ヒブワクチン(アクトヒブ)という予防接種を、先日20日、TAKUZOにちかくの小児科医で受けさせました。
 
 ヒブワクチンは、細菌性髄膜炎をひき起こしやすいインフルエンザ桿菌b型を予防することができます。12月19日からようやく、これが国内の病院でも予防接種できるようになったのですね。

 細菌性髄膜炎は、髄膜・脳脊髄液に細菌が侵入し、感染したことで起こる、とても怖い病気です。

 現在、発症は年間に約1000人。そのうち5%の尊い命が奪われ、25%の子どもたちが後遺症と向き合っているそうです。

 後遺症は脳と神経に残ります。水頭症、難聴、脳性まひ、精神遅滞、学習障害、軽度の難聴、けいれんなどの後遺症が残ります。詳細は下記をご覧ください。

細菌性髄膜炎から子どもたちを守る会
http://zuimakuen.net/a1.html

 なぜ、僕たち親子がこの病気を知ることになったか、というと、TAKUZOが2月に引きつけを起こし、救急車に運ばれたことがきっかけです。

 いちばん最初は、髄膜炎を疑われ、TAKUZOは腰椎穿刺を受けました。髄膜炎は、通常の風邪やインフルエンザと症状が似通っており、見分けることが非常に困難なのです。

 大人の場合は麻酔ありでの腰椎穿刺ですが、子どもの場合は麻酔は使えません。激痛にこらえ、何度も腰椎穿刺を含むさまざまな検査をして、TAKUZOは、幸い髄膜炎ではないことがわかりました・・・。

 このとき、ぼくはこの病気の存在、そしてその恐ろしさを、はじめて知りました。髄膜炎がきっかけで後遺症に苦しむ子どもたちの存在も知りました。関連する本も読みました。

 しかし、最も心を痛めたのは、この病気がかなりの確率でワクチンで予防できるということでした。もしかすると、こも子どもたちも、その家族も、この苦しみを味あわずにすんだのかもしれない・・・そう思うと、胸が痛みました。

 すでにヒブワクチンはアジア・アフリカを含む100カ国以上で導入され、WHOの推奨により94カ国で定期接種になっています。それにもかかわらず、日本では、これまで接種が認められませんでした。

 今回、12月9日から接種は開始されました。しかし、まだ問題は残されています。この予防接種は現在任意接種で、一回8000円程度の費用負担をしなくてはならないということです。

 TAKUZOは2歳になっていたので、1回の接種で費用は8000円です。でも、月齢のはやい時期 - しかし、もっとも髄膜炎が発症しやすいのは1歳未満です - だと4回打たなくてはなりませんので、32000円の高額負担となってしまうのです。読売新聞によると、鹿児島市は、早速補助をはじめたようですが・・・。

鹿児島市のニュース
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kagoshima/news/20081220-OYT8T00175.htm
 
 この問題に関しては、何人かの小児科医の先生と僕は話しました。
 インフルエンザを含む他の予防接種と同様、ヒブワクチンも薬である以上、副作用が起こる確率やリスクはゼロにはできないこと。しかし、予防接種をすでに行っている諸外国では、それにあまりあるメリットを享受していることなどをおっしゃっていました。
 
 予防接種には、もともと賛否両論あります。この問題は、最終的には親の自己判断&自己責任になるのだと思います。うちの場合は、妻と話し合って、受けさせることにしました。

 ともかく、年間1000人ともいわれる髄膜炎に苦しむ子どもたちが、少しでも減ることを願います。

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追伸.
 ちなみに、予防接種は現在予約制とのことでした。通常の予防接種のように、「小児科にいけばいつでも受けられる」という状況ではないようです。

 予防接種を希望する親がでてきたら、小児科の先生が、発売元まで一本一本発注をして、接種をするそうです。

 うちの場合は、予約から2週間ほどで接種できました。

投稿者 jun : 2008年12月21日 17:19


酒井穣さんにお逢いしました!

 近況。

 先日、「はじめての課長の教科書」「新しい戦略の教科書」の酒井穣さんが、来研しました。

 

酒井さんのブログ
http://nedwlt.exblog.jp/

 酒井さんとはたくさんのお話をしました。知的刺激にあふれる愉しい時間でした。特に、「自社の人材育成の現状をディスロージャーして、企業価値を高める」というアイデアが、とっても刺激的でした。なるほど。

 酒井さんには、素敵なおみやげもいただいたりしちゃいました。不思議なかたちをした傘 - SENZ Umbrellaです。

sakai_san_kasa.jpg

 この傘は、「風の中でベストな位置に傘が動き、一般の傘が裏返るほどの強風の中でも風自体をいなしてくれる」そうです。すげー。酒井さんは「傘なんて、もうイノベーションはないと思うでしょ、でもあるんですよ」とおっしゃっていました。

 今から「雨が楽しみ」です(笑)。
 オレの傘、くるくる回るで。

SENZ
http://www.sempre.jp/brand/SENZ-Umbrellas/

 酒井さん、お逢いできて愉しかったです。ありがとうございました。

 ---

 週末はTAKUZO、カミサン、家族で過ごしています。先週は忘年会やら、仕事やらが夜遅くまで続いて、あまりTAKUZOと一緒の時間を過ごすことはできませんでした。

 1週間ぶりくらいに、TAKUZOが話すところを聞いてみると、「は」「が」を使えるようになっていたり、語尾に「よ」「だ」をつけるようになっていました! どこで学んだ?、驚きですね。

 昨日は、近くの公園を散歩しました。
 TAKUZOは愉しそうでした。

takuzo_kareha.jpg

 半径3メートル以内に、大切なものは、ぜんぶある
 (宮崎駿)

投稿者 jun : 2008年12月21日 07:20


"おもちゃ"になってしまった大人の運命

 中原君、子どもの前で、一度、"おもちゃ"になってしまった大人は、決して、大人には戻れない。あとで、どんなに挽回しようと頑張っても、子どもにとっては、ずっと"おもちゃ"のままだ。

 "おもちゃ"になってはいけない。"大人"として子どもの前に立ちなさい。変に「おもねる」わけでもなく、かといって、変に「厳しく」するのでもない。一人の人間として、アタリマエに、子どもに、人間に向き合ってごらん。

 ・
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 今から十数年前、はじめて小学校の教室に出かけた僕に、ある先生がそっと教えてくれた言葉です。

 当時の僕は、ある小学校の授業を参与観察していました。たとえ大学生の身分であっても、子どもの目から見れば立派な大人。その先生は、教室で子どもに接するときの心構えとして、上記のことを僕に教えてくれたのです。大変ありがたいことです。

(ちなみに、このときの先生が、現在、青山学院大学で教鞭をとっておられる、苅宿俊文教授です。当時は、港区の小学校で図工の先生をしていらっしゃいました・・・僕は、卒業論文で、その現場を参与観察させていただいたのです・・・下記はそのときの写真。後ろの方でノートをとっている僕がいます)

 ▼

 昨日、某企業の某プロジェクトでご一緒した、企業人材育成の講師の方に、この話をしました。その方は、新人研修を担当なさっている方でした。

「それは、子どもだけではないです。新人だって、大人だって、同じですよ。新人研修の最初に担当した講師の対応によって、その後の講師のやりやすさが、どんなに変わるか・・・」

 ほほー。
 子どもも大人も、結局、同じなのだな、と思いました。

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 よく小学校の現場では、

「新学期の最初の7日間で、その後一年の学級の雰囲気が決まる」

 と言われると聞きます。
 要するに、新学期、真新しい教科書を開きながら、子どもは、教師を「値踏み」しているということです。教師が望むと望まないとにかかわらずして、教壇にたつ人間は、「値踏み」される運命にあるということです。

 そのとき、一度「おもちゃ」と認定されてしまった教師は、その後、教師に戻ることには、大変な苦労がともなうのもかもしれません。

 やはり、最初が肝心なのかもしれません。

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追伸.
 昨日、某プロジェクトの会議の進行を聴きながら、ふと思ったことに、企業人材育成の現場の講師の方のPD(professional Development : 専門性開発)はどうなっているのかな、というものがあります。「研修の最初に担当した講師の対応によって、その後の講師のやりやすさが、どんなに変わるか」という言葉から、ふと疑問に思いました。

 講師の方々は、そもそも「教える内容」をどのようにアップデートしているのでしょうか。そして、教壇にたつ前に(preservice)、あと教壇にたった後に(inservice)、どのように自分の「教え方(教育技術)」を振り返り、改善しているのでしょうか。

 また個人としてではなく、組織として、「講師のクオリティアシュアランス(品質保証)」をおこなっていくための「仕組み」は存在しているのでしょうか。それはどのような原理で実施されているのでしょうか。

 そういえば、僕自身は、あまり考えてこなかったな、とふと疑問に思いました。

 ちなみに、学校教育であれば、「免許制度」があります。学校内には、教師の教育技術を改善するための校内研究会があります。そして、それを支えるための理論があります。教育技術学、教育方法学、教師教育学という研究領域もあります。

 僕個人としては、現在の教員免許制度で学ばれるべき内容は、決して十分ではないと思っていますが、それでも、上記のように、既に仕組みが存在し、制度化されていることには意味があります。

 「大人を前にして教えるあなたは、どのように学んでいるのですか?」

投稿者 jun : 2008年12月19日 08:47


研究者と「強さ」

 論文を書くということは、何らかの「対象」に焦点をしぼって、一貫性のある主張を、説得性のある「根拠」と「手続き」をもって、繰り広げることです。

 当然のことながら、何らかの対象に焦点をしぼった時点で、はたまた、「ある手続き」を選択した時点で、そこからこぼれ落ちてしまうものは、あります。

 つまり、「何かを対象にすること」は、「対象にしない何かをつくること」なのです。「ある手続き」を選ぶことは、「その手続きでは見ることができないこと」を捨てることなのです。

 問題は「捨ててしまった何か」や「見ることができなかった何か」を嘆くことではありません。また、知的品性と配慮に欠ける人の、「あなたには見ていないものがあるじゃないか」という非難を怖れることでもありません。

 ひとつのやり方で「物事のすべて」を見ることができるほど、現実の世界はシンプルではありません。もし、そう考えているのだとしたら、その指摘こそ「傲慢」だと僕は考えます。

 それならば、今、自分が準備しておくことは何か。

 まず、「自らが対象にできなかったもの」「自分の手続きからはこぼれ落ちてしまったもの」を真摯に受け止めることです。
 その上で、「なぜ自分が、その対象を、そのように見るべきだと思ったのか」をきちんと「自分の言葉」で説明できるようにしておくことです。
 そして「批判」を真摯に、静かに、待ちましょう。冷静に、それでいて、凛として、批判に対して自分の考えを述べましょう。

 時には激しい応酬になるかもしれません。自分の方が正しいと思うのならば、時には牙をむいて闘いましょう。オネストに、クリティカルに、かつストレートに、自分の考えの正統性を主張しましょう。
 そんなときこそ「冷静」に。頭に血がのぼった方が「負け」です。「冷たい頭と熱い心」。「冷たい心と熱い頭」 - 逆になってはいけません。

 自戒を込めていいますが、研究者にとって必要な「強さ」とはそういうものだと思います。
 
 ここで断じてしてはいけないこと。
 それは「逃げること」です。

 弱い人ほど、「レトリック」と「専門用語」に逃げます。
 それで人をケムに巻けると思っています。

 どこの誰かの言葉で、どこの誰にも「届かない」ように論を組み立てます。それは、胴体は前を向いたまま、下半身は逃げている状況に似ています。

 そんな「弱腰」を見逃すほど、同業者は甘くはありません。すべては見抜かれます。その先にあるのは、「徹底的な批判」か、あるいは「最初から、なかったことにされる」ということです。

 ---

 世間は忘年会のシーズンです。

 しかし、大学院は、今、まさに「追い込み期」です。中原研究室では、4名のM2(修士二年)の学生たちが、今、修士論文を書いています。どのテーマも、チャレンジに値する素晴らしいテーマだと僕は思います。

 提出まで残り二十数日となりました。
 今が正念場です。

投稿者 jun : 2008年12月18日 09:13


キャロル=ドゥエック著「やればできるの研究」を読んだ!

 スタンフォード大学心理学部教授キャロル=ドゥエックの書いた一般向けの著書である「やればできる!の研究(原著はMindset)」を読んだ。

 ドゥエック博士といえば、教育心理学の教科書には必ず出てくる「固定的知能観」「拡張的知能観」の研究で、とても著名な研究者である。2000年には、その研究成果をまとめて「Self-theories」という著書を書いている。

 ドゥエック博士の主張を端的にまとめるとこうだ。

・自分の能力は固定的で、もう変わらないと「信じている人」- 固定的知能観をもっている人は、努力を無駄とみなし、自分が他人からどう評価されるかを気にして、新しいことを学ぶことから逃げてしまう

 対して

・自分の能力は拡張的で変わりうると「信じている人」 - 拡張的知能観をもっている人は、人間の能力は努力次第で伸ばすことができると感じ、たとえ難しい課題であっても、学ぶことに挑戦する

 つまり、「自分の能力や知能に対する信念」=「知能観(マインドセット)」こそが、後続する学習のあり方、その後の人生のあり方を決めてしまうのだ、という説である。
 本書の中では、拡張的知能観を「Growth-mindset」、固定的知能観を「fixed-mindset」とよんでいる。

 本書では、マインドセットを変化させるにはどうするか? マインドセットを変化させるワークショップなどについても紹介してある。
 また、「褒めて伸ばすという近年の子育てのあり方」に対しても警鐘をならすなど、一般の方が興味をひきやすい話題についても、述べられている。
 専門家から見ると、やや話がシンプルすぎるところ、そこまでいえるのか、と思わないところがないわけではないけれど、それはそれ、これはこれ、である。

  ▼

 ちなみに、僕が企業の研究に着手しはじめた5年くらい前、取材と称して、現場のマネジャーの方とお逢いしたり、お話しする機会をたくさん得た。

 当時会社のことは何一つしらない僕が、真っ先に思ったのは、「どうもマネジャーというポジションには2種類の人がいるらしい」ということである(実は、大学教員にも2種類の人種がいるが、そのことはまた別のところで)。

 つまり、

「マネジャーは"あがり"であり、これ以上、自分の能力は伸びないと思っている人」

 と

「マネジャーは"プロセス"であり、まだ自分の能力は伸びると思っている人」

 である。

 彼らが何気なく発する言葉の端はしから、僕は、それを感じた。直接関係あるわけではないのだけれども、僕は、ドウェックの研究を頭に思い浮かべていた。

 著名な社会学者であるベンジャミン=ハーバーはこう述べたという。

 私は人間を弱者と強者、成功者と失敗者とにはわけない。
 学ぼうとする人としない人にわける。

 ドウェックは巻頭でいう。

 わたしの研究テーマは、人間の信念の力を証明するという、心理学の伝統的テーマのひとつであり。人間の信念は、本人が意識しているといないとにかかわらず、その人が、どんなことを望か、そして、その望みがかなうかどうかに大きく影響する。

 そういうことなのかもしれない、と思う。

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追伸.
 最近、下記の本も読んだ。学校組織について、様々な立場からなされる教育心理学的研究、社会心理学的研究が概観できてとても勉強になった。

投稿者 jun : 2008年12月17日 06:50


青山学院大学での集中講義 シラバス

 今年の冬は、青山学院大学で集中講義をやります。下記が、シラバスの最終です。これを4日間でやるのは、かなりハードだね。でも、達成感はあると思うけれど・・・。

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組織間ネットワーク特論
青山学院大学 社会情報学部
シラバス最終
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中原 淳
東京大学 大学総合教育研究センター 准教授

■講義の目的・概要
 人は、人生の一定期間、学校という場所「だけ」
で学ぶわけではありません。学校を「卒業」した後
でも、会社や組織の中で、新たな知識を獲得したり、
他者と知識を共有したりしながら、仕事に日々取り
組んでいます。人は年をとっただけでは、学びをやめ
ません。人は、生けとし生きる限り、学び続ける存在
なのです。

 本授業では、従来あまりスポットライトがあたるこ
とのなかった、学校の「外」の学習 - つまり、「企
業・組織における学習」に関連する文献購読を行いま
す。経営学、教育学、心理学、社会学等の分野をとわ
ず、関連する文献を購読することを目的とします。

 近い将来、組織における学習、人材育成システムを
実際に「分析」したり、あるいは「構築」したりする
場合に必要になる基礎的概念を理解することをめざし
ます。

 文献購読はグループで行ってもらいます。
 課題文献、図書をグループで役割分担をしながら
購読し、ひとつのストーリーにまとめ、プレゼンテー
ションを行います。
 
 
■評価
 下記の3点から成績をつける。
1.出席(20%)
2.プレゼンテーション(教員評価40%)
3.資料のクオリティ(教員評価40%)

 なお評価のポイントは下記の5点。
  1.スライド・配付資料のわかりやすさ( / 5)
  2.プレゼンテーション手法(声・身振り)( / 5)
  3.質疑応答の適切さ( / 5)
  4.理論の解説がわかりやすいか( / 5)
  5.考察がなされているか( / 5)
 
 
■連絡先
 中原 淳(なかはらじゅん)
 〒113-0033 東京都文京区本郷7-3-1
 東京大学 大学総合教育研究センター 准教授
 東京大学大学院 学際情報学府 准教授(兼任)
 
 
■授業の基本的アーキテクチャ(90分)
 ・イントロダクション(中原:5分)
 ・プレゼンテーション前半(20分)
 ・プレゼンテーション後半(20分)
 ・ペアディスカッション(20分)
 ・オープンディスカッション(クラス全体で:20分)
 ・ラップアップ(中原:5分)


■場所
 青山学院大学 青山キャンパス


■授業内容

●1 経験学習

・松尾睦(2006)経験からの学習-プロフェッショナルへの成長プロセス. 同文舘出版, 東京

・松尾睦(2004)内部競争のマネジメント 同文舘出版, 東京(付録は除く)

●2 中間管理職の経験学習と暗黙知の獲得

楠見孝(2003) 暗黙知. 小口孝司・楠見孝・今井芳昭(2003)エミネント・ホワイト:ホワイトカラーへの産業・組織心理学からの提言. 北大路書房, 京都 pp6-24

・楠見孝(1998) 中間管理職における経験からの学習能力を支える態度の構造 日本労働研究機構 資料シリーズNo.110

・楠見孝(2000)中間管理職のスキル、知識とその学習. 日本労働研究雑誌 No.474(http://db.jil.go.jp/cgi-bin/jsk012?smode=dtldsp&detail=F2000040046&displayflg=1よりダウンロード)

●3 職種と熟達化

・笠井恵美(2007)対人サービス職の熟達につながる経験の検討. リクルートワークス研究所(http://www.works-i.com/flow/survey/download.htmlにて入手可能)

・笠井恵美(2007)対人サービス職の熟達につながる経験:小学校教諭・看護師・客室乗務員・保険営業の経験比較 リクルートワークス研究所(http://www.works-i.com/flow/survey/download.htmlにて入手可能)

・見舘好隆(2007)顧客接点アルバイト経験が基礎力向上に与える影響について:日本マクドナルドに注目して. (http://www.works-i.com/flow/survey/download.htmlにて入手可能)

・伊東昌子・河崎宜史・平田謙次(2007) 高達成度プロジェクトマネジャーは組織の知とどう関わるか. 組織科学 第41巻 第2号.

●4 経験による成長:
  人を飛躍的に「成長」させるのはどんなイベントか?

・金井壽宏(2002)仕事で「一皮むける」.光文社書店, 東京

・モーガン=マッコール(2002)ハイ・フライヤー:次世代リーダーの育成法. プレジデント社

・谷口智彦(2007)マネジャーのキャリアと学習―コンテクスト・アプローチによる仕事経験分析. 白桃書房

●5 経験と内省:

・ジョン=デューイ(2004)経験と教育. 講談社, 東京

・ジョン=デューイ(2004)学校と社会. 講談社, 東京

・ドナルド=ショーン(2007) 省察的実践とは何か. 鳳書房, 東京

●6 成人教育学

・マルカム=ノールズ(2005)学習者と教育者のための自己主導型学習ガイド. 明石書店

・シャラン=メリアム(2005)成人期の学習ー理論と実践. 鳳書房, 東京

・日本社会教育学会(編)(2004) 日本の社会教育 第48集「成人の教育」 東洋館出版, 東京
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jssace/idx_nenpou_48.html

・赤尾克己(2004) 生涯学習理論を学ぶ人のために―欧米の成人教育理論、生涯学習の理論と方法. 世界思想社, 東京


●7 ワークプレイスラーニングと越境性

・中原淳・荒木淳子・北村士朗・長岡健・橋本諭(2006)企業内人材育成入門.(ダイアモンド社)

・中原淳・荒木淳子(2006) ワークプレイスラーニング研究序説:企業人材育成を対象とした教育工学研究のための理論レビュー. 教育システム情報学会. Vol.23 No.2 pp88-103 (http://www.nakahara-lab.net/blog/2006jset_workplace.pdf)

・荒木淳子(2008) 職場を越境する社会人学習のための理論的基盤の検討―ワークプレイスラーニング研究の類型化と再考― 経営行動科学 Vol21. No.2 (http://wwwsoc.nii.ac.jp/jaas2/doc/pdf/journal/21_2/21_2_12.pdf)

・荒木淳子(2007) 企業で働く個人の「キャリアの確立」を促す学習環境に関する研究 : 実践共同体への参加に着目して. 日本教育工学会論文誌. Vol.31, No.1 (20070520) pp. 15-27

●8 ノットワーキングと活動理論

・山住勝広・ユーリア=エンゲストローム(2008)ノットワーキング. 新曜社, 東京

・ユーリア=エングストローム(2001)拡張による学習. 新曜社, 東京

・杉万 俊夫 (2006)コミュニティのグループ・ダイナミックス. 京都大学学術出版会, 東京

●9 ネットワークと学習:人のつながりの中で学ぶ

・安田雪・鳥山正博(2007) 電子メールログからの企業内コミュニケーション構造の抽出. 組織科学 第40巻 第3号

・安田雪(1998) ネットワーク分析. 新曜社, 東京

・ウェイン=ベーカー(2003)ソーシャル・キャピタル―人と組織の間にある「見えざる資産」を活用する. ダイヤモンド社, 東京

・ドン=コーエン(2003)人と人の「つながり」に投資する企業―ソーシャル・キャピタルが信頼を育む. ダイヤモンド社, 東京

・市田行信・吉川郷主・平井寛・近藤克則・小林愼太郎(2008)マルチレベル分析による高齢者の健康とソーシャルキャピタルに関する研究

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投稿者 jun : 2008年12月15日 12:55


クリエィティブオフィスで、人を育てる!? : Learning bar2009年1月のお知らせ!

中原です。

 来年最初のLearning barのお知らせです! ふるって、ご応募ください。なお、今回のLearning barから、開催場所が変わります。東京大学本郷キャンパスの情報学環・福武ホールというところで開催します。お間違えのないようにお願いします。

 ふぅ、今週も疲れた。
 明日から、しばらく旅に出ます(これから青学で講義ですが)。
 皆さん、よい週末を!

 中原 淳

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Learning bar@Todai 2009

クリエィティブオフィスで、人を育てる!?

2009年1月30日(金曜日)午後6時 - 9時
東京大学 情報学環 福武ホール(■場所変更ご注意!■)
=================================================

 2009年1月のLearning barは、日本コムシス株式会社
の潮田邦夫さん、東京工業大学 妹尾大先生を講師に
お招きし、

「オフィス環境を見直すことで、人を育成すること
 ができるのか?」

 ということについて、皆さんでディスカッションを
深める機会を持ちたいと思います。

 潮田さんは、NTT東日本、NTTドコモ、そして現在は
日本コムシスにおいて「クリエィティブオフィス」と
いう新たなフリーアドレス型のオフィス環境を提案・
実装し、仕事のやり方の改革を進めてこられました。

 潮田さんが、クリエィティブオフィスを発想するに
至ったきっかけは、NTT東日本において「人材育成」を
任せられたことだそうです。

 潮田さんは、なぜ「人材育成」を任された際、なぜ
オフィス環境の改革に乗り出したのでしょうか。
 オフィスのあり方、それにともなう仕事のやり方の
改革は、人材育成につながるのでしょうか。

 今回のLearning barでは、上記のような事柄について
皆さんと議論を深めたいと思います。

 参加をご希望の方は、下記の参加条件をお読みになり、
フォームに必要事項をご記入のうえ、12月31日までに
sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまでご連絡
下さい。1月4日までに参加可否をお伝えいたします。
下記の要項を必ずご一読いただき、ご応募をお願いいた
します。

 特に、下記の文献を事前に読んでいただくことが条件
になっております。よろしくお願いいたします。

魔法のようなオフィス革命

 なお、最近、Learning barは満員御礼が続いており、
参加登録いただいても、すべての方々の御希望にはお応
えできない状況になっております。

 今回から会場を変えて、何とかこれに対応しようとし
ていますが、限られたスペースと人的リソースの中で運
営し、かつ、参加者のバックグラウンドの多様性を確保
する必要がある関係上、すべての方々のご要望にはお答
えできません。

 主催者としては心苦しい限りですが、なにとぞお許し
ください。
 
       主催:中原 淳(東京大学・准教授)

※Learning barは、NPO法人 Educe Technologiesが
主催、東京大学大学院学際情報学府 中原研究室が
共催する、実務家と研究者が集まる学術イベントです。
 
 ---

○主催
 NPO法人 EDUCE TECHNOLOGIES
 エデュース・テクノロジーズ
 http://www.educetech.org/
 
 EDUCE TECHNOLOGIESは、教育環境の構築に
 関する調査、研究、コンサルティングを行う
 非営利特定活動法人です。
 
 企画担当
 副代表理事 中原 淳

 
○共催
 東京大学大学院 学際情報学府 中原淳研究室
 - 大人の学びを科学する研究室 -
 http://www.nakahara-lab.net/
 
 
○日時
 2009年1月30日(金曜日)
 午後5時30分 開場
 午後6時00分より午後9時頃まで実施
 
 ※時間が限られておりますので、定刻通り
  に始めます。本郷キャンパスは意外に
  広いです。くれぐれも、迷子になりませんよう
 
 
○内容(案)

 □ウェルカムドリンク
 (5時30分 - 6時00分)
  ・今回のLearning barでは、サンドイッチ
   ソフトドリンク、ビール、ワイン等を
   ご用意しています。
  ・非常に混み合うことが予想されますので、
   なるべくはやくおこしください。
 
 □イントロダクション
 (6時00分-6時10分)
   ・中原 淳(東京大学)
 
 □パート1
 (6時10分 - 6時45分)
 (30分講演+5分質疑)
  ・潮田さん(日本コムシス)

   1.経緯
   2.クリエィティブオフィスの概要
  
 --- bar time (10min.) ---

 □パート2
 (6時55分 - 7時25分)
 (30分講演+5分質疑)
  ・潮田さん(日本コムシス)

   3.クリエィティブオフィスの効果
   4.予期しなかった出来事・エピソード
   5.今後の課題

 --- bar time (10min.) ---

 □解説とコメント
 (7時35分 - 8時00分)
 (25分)
  ・東京工業大学 准教授 妹尾大先生
 
 □お近くの方とディスカッション
 (8時00分 - 8時30分)
 (30分)
 
 □ケータイde質疑
 (8時30分 - 8時50分まで)
 (20分)

 □ラップアップ
 (8時50分 - 9時00分まで)
 (10分)
  ・中原 淳(東京大学・准教授)
 
 
○場所
 東京大学 情報学環 福武ホール
 地下2F 福武ラーニングシアター
 http://fukutake.iii.u-tokyo.ac.jp/access.html

 地下鉄丸の内線本郷三丁目駅から徒歩15分程度
 地下鉄南北線東大前駅から徒歩10分程度
 
 
○参加費
 4000円(1名さま 一般・学生)
 (講師招聘費用、講師謝金、飲み物、食べ物、
  運営費等に支出いたします)
 
 
○食事
 ソフトドリンク、ビール、ワインなどの飲み物、
 および軽食をご準備いたします。
 
 
○参加条件

 下記の諸条件をよくお読みの上、参加申し込みください。
 申し込みと同時に、諸条件についてはご承諾いただいて
 いるとみなします。

1.本ワークショップの様子の写真、NPO Educe
Technologies、東京大学 中原研究室が関与する
Webサイト等の広報手段、講演資料、書籍等に用
いられる場合があります。

2.下記の文献を事前に読んでいただくことが条件
になっております。よろしくお願いいたします。

魔法のようなオフィス革命

3. 欠席の際には、お手数でもその旨、
saka-atsu [at mark] nifty.com までご連絡下さい。
人数多数のため、多数の方の参加をお断りしている
状況です。繰り上げで他の方に席をお譲りいたします。
 
 
○どうやって参加するのか?
 
 下記のフォームに必要事項をお書き入れの上、
 sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
 12月31日までにお申し込み下さい


〆ココカラ=======================================

 参加申し込みフォーム
 sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
 12月31日までにお申し込み下さい
 
 1月4日までに参加の可否をご連絡させていただきます

 ---

 上記の参加条件を承諾し、参加を申し込みます。

氏名:(            )
フリガナ:(          )
所属:(            )
メールアドレス:(       )
業種:下記の11つの属性から、あなたに最も近いものを
ひとつお選びください

 1.研究者
 2.学生
 3.民間教育会社勤務
 4.民間コンサル会社勤務
 5.事業会社勤務(人事・教育部門)
 6.事業会社勤務(事業部門)
 7.個人事業主(教育・コンサル)
 8.経営者
 9.初等・中等教育の学校勤務
 10.公務員・公益法人等勤務
 11.その他

もしあれば・・・一言コメント
(                )

〆ココマデ=======================================

投稿者 jun : 2008年12月12日 17:11


教養を学ぶのに・・・

 昨日は、富士ゼロックス総合教育研究所主催のシンポジウムに登壇していました。

東京のシンポジウム
http://www.fxli.co.jp/data/pdf/081211_odpweb.pdf

 このシンポジウムは、富士ゼロックス総合教育研究所と、中原、小樽商科大学の松尾先生とで、「他者とのかかわりを通して学ぶ」ということに関して、共同研究をおこなってきた成果発表の場です。

 シンポジウムでは、小林陽太郎さん(富士ゼロックス総合教育研究所 取締役会長 / 富士ゼロックス 相談役最高顧問)にもお逢いし、少しお話しする機会を得ました。

 いやぁ、格好良かった。

 紺のスーツに、白いチーフのダンディないでたちも、さることながら、小生ごときのペーペーが話しかけても、非常に気さくに、相手の目を見て、お話を聞いてくださる様子に、感動してしまいました。

 小林さんとは短い時間しかお話しかできませんでしたが、「教養を学ぶのに、年齢は関係ない、遅いということはない」とおっしゃっていたのが、印象的でした。旧制高校のお話もしましたが、確かに、僕も含めて、今、「教養」が失われていますね。少し考えさせられました。

 ▼

 シンポジウムの方、お客さんは満員でした。ありがたいことですね。本調査は、「人が、誰から、どのような支援を受けて、現場で成長するのか」その仕組みを定量的に明らかにするものでした。富士ゼロックス総合教育研究所の坂本さんから、報告がなされました。ちなみに、本調査の概要については、本日の日経産業新聞にも記事として取り上げていただきました。

 大阪は、まだ、若干の空席があるようです。もしよろしければぜひどうぞ。調査報告書もGETできます!

大阪のシンポジウム
http://www.fxli.co.jp/data/pdf/090129odpWeb.pdf

 最後になりますが、富士ゼロックス総合教育研究所の坂本さん、西山さん、井形さん、小串さんに、この場を借りて感謝いたします。またシンポジウムにご登壇いただいた日本ベーリンガーインゲルハイムの早川さんにも感謝いたします。ありがとうございました。

 本調査の結果は、来年、学術論文としても成果発表していきたいですし、学会発表もしていきたいですね。そんなことを松尾先生とお話ししています。それが、また、楽しみでなりません。

 そして人生は続く。

 ---

追伸.
 2009年5月、慶應丸の内シティキャンパスで、中原が主任講師となり、

「ラーニングイノベーション論
~あなたが変われば 人が変わる 組織が変わる~」

 という10回シリーズの講義を担当する予定です。

 本プログラムは、1)学習理論、動機理論、戦略人事の基礎知識を理解すること、2)最新の企業人材育成のトレンド - 戦略志向、現場志向、対話志向 - などを知ることを通して、最終的には、受講者自らが、「自社にフィットした人材育成のあり方」を見いだし、プランニングすることを目的としています。

 講義といっても、一斉授業、座学なんてことは100%ありえません。ワークショップあり、ポスターセッションあり、ラーニングピクニック(大人の社会見学会)ありの場にする予定です。
 講師は、これ以上の方はない、という方々をお招きする予定です。今、担当の井草さん、保谷さん、城取さんとカリキュラムをつくっているところです。

 また詳細が決まりましたら、ご連絡いたします!

 ---

 1月21日、日経とASTDジャパンが共催して、「人材開発国際シンポジウム2009」というシンポジウムを開催します。

人材開発国際シンポジウム2009
http://www.nikkei.co.jp/events/astd2009/

 竹中平蔵さん、トム=ラスさん、ケビン=オークスさんらの基調講演のほか、三井物産、リクルート、日産、日本アイ・ビー・エム、マイクロソフトなど企業事例報告なども盛りだくさんの会です。

 もしよろしければ、ぜひご参加をご検討下さい。

 ---

 長岡先生との共著「ダイアローグ・チェンジ」が、年内に責了になる予定です。もしうまくいけば、来年2月には店頭に並ぶものと思います。ダイアモンド社からの発売です。今は、最後の追い込みですね。編集者の前澤さん、井上さんには、御世話になっています。かなりエッジのきいた、これまでにないダイアログ本になる予定です。

 東京大学の荒木先生、北村先生、坂本君との共著「人が育つ組織デザイン」は、もう少しかかりそうですが、メドが何とか立ちました。編集者の石田さんと、先日、著者全員をまじえて会議が開かれました。こちらも気合いを入れて頑張ります。2007年におこなった調査と理論をまじえた、現場のマネジャーの方々に読んでいただける本をめざしています。

 神戸大学の金井先生との共著は、もう少しかかりそうですが、金井先生のコンセプトである「働くみんなの経営学」という点と、「人は一生学び続ける」という中原の信念があわさった本になりそうです。編集者の黒田さん、秋山さんと話し合いながら、よい本にしたいと考えています。


 ・・・嗚呼、師走だね。
 忙しい、だけど、愉しい。

投稿者 jun : 2008年12月12日 11:07


有元典文×岡部大介著「デザインド・リアリティ」を読んだ!

 有元典文先生(横浜国立大学)、岡部大介先生(慶應義塾大学)から、ご著書「デザインド・リアリティ ー半径300㍍の文化心理学」(北樹出版)をご献本いただいた。

 本書は、スタバ、焼肉屋、コスプレ、プリクラ、やおい、腐女子、童貞など、通常の「心理学」が扱わない内容を素材として、新しい心理学のあり方を論じた専門書である。

 我々の「身近な日常的実践 - 半径300メートルの出来事」を題材として(僕の半径300メートルにやおいはいない!?)、人間が、いかに人工物を活用し、世界を秩序だったものとしてデザインし、生きているのかを問う、心理学の専門書である。

 焼き肉屋、やおい、腐女子、童貞・・・こう書いてしまうと、いわゆるサブカル系の、軽く薄っぺらい本を想像してしまうかもしれない。しかし、本書は「断じて」そういう類の書籍ではない。

 本書は、Serious fanな「学術書」であり「専門書」である。そのことは、手にとってご一読いただければわかると思う。

  ▼

 本書の面白さは、「本書が様々な読み方が可能な書籍」であることに由来する、と個人的には思う。

 第一の読み方。
 それは、扱っている題材の具体性、そして、その面白さである。

 たとえば、本書で扱われている事例にスタバがある。
 スタバでは、1時間に300個のコーヒーのオーダーが入る。メニューは約40種類。客ごとの好みにカスタマイズも可能なので、バリスタが受ける可能性のあるドリンクの種類は100種類以上になる。

 それでは問題。

 次々と、矢継ぎ早に客から寄せられるオーダーを、スタバの店員は、どのように記憶し、どのように処理しているのだろうか?

 実は、この問いには、いわゆる「伝統的な記憶の心理学」は、適切な答えを用意できない。答えは、ぜひ、本書を手にとってご覧下さい。

  ▼

 第二の読み方。

 それは、「状況的学習論のガイド」としての読み方である。

 本書で扱われている理論家は、マルクス、ヴィゴツキー、カロン、レイヴ&ウェンガー、ワーチ、サッチマンと多岐にのぼる。

 マルクスからヴィゴツキー、そして、レイブ&ウェンガーを経てサッチマンやカロンに至る理論の布置がわかって、非常に面白い。

人間の本質は、ひとりひとりの個人に内在する抽象物ではない。現実には、人間の本質は社会の諸関係の総体である。
(マルクス 1845)

発生的に見て、社会の諸関係、つまり実際のひととひととの関係が、すべての高次精神機能の基礎となっている。これらの機能のメカニズムは、社会の写しである。それらは、社会秩序の中の諸関係が内化され、個人のパーソナリティに引き写されたものである。精神の構成と発生と機能、つまり、その本質は社会的である。
(ヴィゴツキー 1929)

 状況的学習論に関しては、これまでにも、たくさんの専門書がでていたが、本書は、上記のような「半径300メートル」の事例を用いて、平易に解説してある。

 ちなみに、AMAZONの「出版社&著者からの紹介文」には下記のように記されている。

こんな方へ:
◇ヴィゴツキー、レイヴ&ウェンガー、エンゲストローム、上野直樹、茂呂雄二を途中で投げ出した人へ=やり直しの状況論

◇正統的周辺参加? 活動理論? アクターネットワーク? ハイブリッド・コレクティヴ? 難しい理論にへきえきした人へ=涙なしの状況論

◇なんで勉強するの? 良い授業とは? 仕事がつまらない!=教え・学び・実践をデザインする全ての人へ

 本書を一読した僕個人の感想としては、上記のアドバタイジングに嘘はないと思う。
 本書を通じて、筆者らは「物事の本質はディテールや具体的な場面に宿ること」、それを、いわゆる海の向こうの人たちが創造した他人の言葉で語ることをせず、何より「自分の言葉で語ること」が重要であることを、自ら伝えようとしていると感じた。

 事実、著者の有元先生によれば、「本質は具体性に宿る、ということが若い読者に伝わるとよいのですが」とのことである。

 その試みは成功していると、僕は思う。

(もうひとつ注目すべきは、こうした「具体的場面のエスノグラフィー」が、有元先生、岡部先生がご指導する学部生、大学院生の研究知見であるということである!)

  ▼

 第三の読み方。

 それは、本書が、伝統的な心理学 - というよりも、学問全体 - に対する強烈な批判をおこなっていることである。いわゆる「批判心理学」の書物としても読むことができる。

 本書を「誰として誰にむけて」書くのか、という設定は、執筆の舞台裏のことだが、同時に本書の重要なテーマを含んでいる。(中略)
 この「誰として誰に」という問いは、学問の領域において往々にして問われることがない。研究者として、つまり「誰なのか」とあえて問われることのないそのことで、超越的な視点から、彼ら研究者の見いだした対象を、彼らの興味に従って、彼らの定めた客観性にそって、誰かに向けて描写する。そのプロセスの中で、「誰がだれに」という問いは問われなくても問題にならなくなってしまう。
(p14より引用)

 なぜ記憶実験や学校では、わざわざ私たちの日常の当たり前の工夫を停止(して実験を行うのか)するのかを考えてみて欲しい。当たり前の工夫を停止することで、いったい、何を試しているのだろうか。
(p29より引用)

 心理学の研究は、私たちの日常を代表していない可能性がある。日常とは異なるいわば非常事態心理学だったのかもしれない。
(p50より引用)

 その批判は「痛烈」でありが、小気味よく「痛快」である。
  ▼

 第四の読み方 - それは本書が「人間とはどのような存在か」「なぜ人は学ぶのか」に関して、筆者なりの答えを提案していることにある。

 自分たちの世代のたくわえを次世代に伝えるためには、世界の見え方を伝承するための特別な実践が必要になる。そのことをわたしたちは、教育と呼んでいる。
 自分たちの世代の世界の見えを次世代に伝え、この世界の見えを再生産するために、私たちは教えと学びという営みを必要とする。
 動物とは違う拡張された現実を生きる以上、動物とは異なる後天的な伝承のプロセスを種として必要とするのである。種の存続の基本条件として、学習のプロセスを埋め込んだ存在が人間ということになる。
 なぜ学ばなければならないのか、子どもや初心者は問うだろう。それは人間を維持するためである。
(p198より引用)

 人はなぜ学ぶのか - それは、人が「徒手空拳」の中で問題解決をおこなったり、行為をする存在ではないことに由来する。
 人は、文化的、歴史的に構築した人工物、環境を、自分たちが生きていくために、デザインしつづけ、秩序を構成してきた。
 そして、これを後世に継承していく社会的装置が「教育」であり、人間が人間として生きていく限りにおいて、「学ぶこと」は、常に「そこにある」、、、というより「なければならない」。

 よく教育業界では、

「これから目指すのは、教育なのか、学習なのか」
「それは教育であって、学習ではないからダメだ」

 といった問いや主張が繰り返される。もちろん、ここでいう「教育」は「強制的で、画一的なもの」、ここでいう学習とは「自律的で、独自なもの」という前提がある。前者を否定して、後者を称揚することが、今もなお、繰り返される。

 本書を読めば、こうした二者択一の議論が、いかに浅薄で、くだらないか、が理解できると思う。

  ▼

 第五の読み方 - これは実際に手にとって、中をご一読いただけるとおわかりいただけると思うが、本書が「遊び心」に満ちている本だということである。
 文面はシリアスでありつつも、様々に「遊び心」をデザインしている。この「はずし」「くずし」は、一般の専門書にないものである。非常に心惹かれた。

 こうしたデザインを施した理由は、本書が冒頭にかかげた問い - 「誰として誰に向けて書くのか」に関係しているものと思われる。

 ここは僕の類推の域を出ないが、本書は「世界の成り立ちを理解したいと考える、若いマインドをもった読者)」に書かれたものであるからだと思う。

※「若い」ではなく「若いマインド」と書いたことに注意。世の中には「若いマインドをもったジイサン」もいる。反面、「ジイサンみたいな若者」もいる。サムエル=ウルマンの詩ではないが、「人は年をとっただけで老いない。理想を失ったとき、人は老いる」

 ▼

 というわけで、つらつらと書いてきたが、おすすめの一冊である。最後に、知的にエキサイティングで、愉快な時間をプレゼントしてくれた有元先生、岡部先生に感謝する。ありがとうございました。

 ---

追伸.
 今日は、これからシンポジウムに登壇である。今年1年、富士ゼロックス総合教育研究所と、中原、小樽商科大学の松尾先生とで、「他者とのかかわりを通して学ぶ」ということに関して、共同研究をおこなってきた。
 今日は、富士ゼロックスの小林陽太郎さん、日本ベーリンガーインゲルハイムの早川さんらが参加して、その成果発表のシンポジウムが開催される。

共同研究成果
http://www.fxli.co.jp/data/pdf/081211_odpweb.pdf

 東京の方は、もう満席ですが、大阪はまだ空いているようです。もしよろしければぜひどうぞ。

大阪
http://www.fxli.co.jp/data/pdf/090129odpWeb.pdf

投稿者 jun : 2008年12月11日 12:33


105600時間

 2009年最初のLearning barにご出講いただける、日本コムシスの潮田邦夫さんと最終打ち合わせをしました。

 潮田さんは、「オフィス環境のあり方を見直すことで、人材育成をする」というアプローチで、これまで3社のオフィス改革を進めてきた方です。

 今日の潮田さんのお話の中で、特に印象的だったのは、下記の数字です。

 職場で過ごす時間     105600時間
 自由時間(家庭での時間) 102200時間
 睡眠時間         142600時間

 潮田さんの試算によりますと、平均的なサラリーマンの場合、人は、105600時間という長い時間を、「職場」で仕事をして過ごすそうです。この数字は、おおよそ、一生のうちの3分の1にあたります。

 だからこそ、この「職場」のあり方を見直す必要があるのですね。ここに、「学び」や「成長」の可能性があるのだと思います。

 あなたは、働きがいがあり、成長実感のもてる105600時間を過ごしていますか? あなたのオフィスは、それにふさわしいオフィスですか?

 ▼

 1月Learning barは、日本コムシスの潮田邦夫さん、東京工業大学の妹尾大准教授(経営学)を講師にお迎えしまして、1月30日金曜日実施されます。近日、案内がblog、メルマガでなされますので、ぜひ、お楽しみに!

投稿者 jun : 2008年12月10日 14:37


自分に手紙を書くこと

 アンジェラ・アキの名曲(だと僕は思っている)に「手紙」というものがある。かつて、彼女自身が「未来の自分に対して手紙を書いた経験」が歌のモティーフになっている曲だ。

 歌の中では、「15の頃の自分」と「将来の自分」がお互いに対して手紙を書く。15の頃の自分には「誰にも話せない
悩みの種」があり、「苦しい中で今を生きている」。

「将来の自分」は「自分とは何でどこへ向かうべきか 問い続ければ見えてくる」ことを「15の自分」にアドバイスしつつも、「大人の僕」でさえ「傷ついて眠れない夜はある」ことを吐露する。

 そうだ、そうなんだよな。ちょっとホロリと来てしまう内容の歌である。

拝啓 この手紙
読んでいるあなたは
どこで何をしているのだろう

十五の僕には誰にも話せない
悩みの種があるのです

未来の自分に宛てて書く手紙なら
きっと素直に打ち明けられるだろう

今 負けそうで 泣きそうで
消えてしまいそうな僕は
誰の言葉を信じて歩けばいいの?
ひとつしかないこと胸が
何度もばらばらに割れて
苦しい中で今を生きている
今を生きている

(中略)

拝啓 ありがとう
十五のあなたに伝えたい事があるのです

自分とは何でどこへ向かうべきか
問い続ければ見えてくる

荒れた青春の海は厳しいけれど
明日の岸辺へと 夢の舟よ進め

今 負けないで 泣かないで
消えてしまいそうなときは
自分の声を信じ歩けばいいの
大人の僕も傷ついて
眠れない夜はあるけど
苦くて甘い今を生きている

(中略)

拝啓 この手紙読んでいるあなたが
幸せなことを願います

アンジェラアキ 作詞・作曲

 ▼
 
「未来の自分に手紙を書く」というのは、なかなか、どうして、ロマンティックなものだな、と勝手に感じ入る(実は、同時にリスキーなことでもあるけれど)。
 そういえば、昨日、ある方と話していたとき、「自分に対して手紙を書く」という話題がでた。

 ワークショップの最後に、6ヶ月後、1年後の自分に対して「手紙」を書く。今、自分は何を感じているのか。数ヶ月後、数年後には、どうなっていて欲しいのか。どうありたいと、今、願っているのかを、素直に綴る。

 終わりなき日常の中で、きっと、人はワークショップのことなど忘れてしまうに違いない。そこで得た気づき、教訓、関係・・・そうした重要なものは、日々の雑事に紛れて、いつしか、色あせていく。

 忘れた頃に、過去の自分が書いた手紙を受け取る。

 嗚呼、そうだったんだよな
 そう考えていたんだよな
 そうありたいと、僕は、願っていたんだよな
 
 仕組みは簡単。6ヶ月後、1年後まで手紙を預かって、それをポストに入れるだけである。
 とても単純なことだけれども、ワークショップの経験が印象に残るものであったとしたら、結構、ホロリと来そうな気もする(思い出したくもない話だったら、結構、キツイね)。

 ▼

 閑話休題

 いつものごとく、想像力をたくましくして、歌の世界に勝手に入り込む。「過去の自分」から「将来の自分」に対する手紙も印象的だけれども、その逆も、またなかなかディープである。
 今の僕が、「15の頃の僕」に手紙を綴るのだとすれば、何を語りかけるだろうか。今の自分は、「あの頃の自分」がなりたかった自分なのだろうか。

 あなたなら、どうか? あなたは過去の自分に何を語り得るか?
 そして
 今のあなたは、「あの頃のあなた」がなりたかったあなたですか?

投稿者 jun : 2008年12月 9日 09:23


Someoneが多くなったら要注意!?

 人生いろいろ、会議もいろいろです。

 ほんの少しだけ参加するだけで、「その日一日のクリエィティビティとエネルギー」をすべて失ってしまうような、ペンペン草もはえない会議があります。
 僕だけではない、皆さんにも経験があるのではないでしょうか。誰もが下を向き、内職をしていて、グレーな雰囲気の漂う、あの会議です。

 この会議がもしなくなったとしても、この世は何も変わらない。誰も困る人はいない。
 だとすれば、今、目の前で展開している事柄は何なのか。「何」を決めているのか、はたまた何を決めていないのか、が、全くよくわからない会議です。

 ▼

 こういう「ぺんぺん草も生えないような会議」には特徴があります。各人からなされる提案や主張の中に「主語と宛先と期限と理由がないこと」です。

 会議の中で、

 かくかくしかじかのことをやればいい

 とは提案されますが、

 「誰がやるのか」(Who)
 「なぜやるのか」(Why)
 「誰のためにやるのか」(Why)
 「もしやるのだとすれば、いつやるのか」(When)
 
 は決して語られることはありません。

 特に問題なのは「誰がやるのか(Who)」の部分です。議事録を英訳すればすぐにわかるはずです。すべての主張の主語が「Someone」になってしまうはずです。

 I think that someone should...
 I think that someone will...
 I think that someone can...

 そんな都合のよい「Someoneさん」なんて、この世には、申し訳ないけどいません。そんな暇人いねーよ。巧妙に、かつ、狡猾に「I(わたし)」が「Someoneの場所」に入ることを、全員で避けます。

 かくして「新春大放談」、そして時間が迫ります。その後は、お得意の台詞が待っています。

「そろそろ時間のようですので、あとはメーリングリスト上で議論して・・・」

 でてきたね、メーリングリスト。でも、悲しいかな、この後、メーリングリストで本質的な議論がなされたことを、僕は寡黙にして知りません。せいぜい、議事録が送られてくるくらいが関の山です。

 誰もが会議の不毛さに気づいています。しかし、「辞めよう」とは誰も決していいません。
「辞める」ためにはロジックが必要です。「辞めよう」と自分から言い出すことは、その会議に「何か問題があること」「自分が不満を抱いていること」を表出してしまうからです。かくして「新春大放談」は、続くのです。

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 自分の会社・組織の会議を英訳してみて、Someoneが多くなってきたら、要注意です。その会議の意義を問い直すよい機会かもしれません。

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追伸.
 日曜日は、ママが仕事でしたので、TAKUZOと二人で過ごしました。だっこをしているとき、僕が北島三郎の「与作」を「ヘイヘイホー」と歌っていたら、TAKUZOは、このフレーズをすっかり覚えてしまいました。

 今朝、保育園に送っていくとき、駅のど真ん中で、

「パパ、ヘイヘイホー」

 と叫ばれてしまいました。かなり恥ずかしい。

投稿者 jun : 2008年12月 8日 10:37


"大人の学び"って何だろう!?ワークショップ

 今年最後のLearning bar「"大人の学び"って何だろう!?」ワークショップが、終わった。

 今回のLearning barは、ホームグラウンドである東京大学・本郷キャンパスを離れた、はじめての会であった。

 非常勤講師をつとめる、青山学院大学 社会情報学研究科 ヒューマンイノベーションコースの主催で、下記のような体制で実施された。
 このコースには、僕の学部時代の指導教員の佐伯胖先生、コースの助手としてご指導いただいた高木光太郎先生、そして、卒業論文時にフィールドワークを受け入れていただいた苅宿俊文先生が、教員として着任なさっている。僕にとっては、大変御世話になった方々ばかりである。
 今回のLearning barは、夏頃に、苅宿先生から「ご依頼」をいただき実現した。そういうこともあり、会場は東京大学を離れ、青山「子どもの城」であった。

○主催:
 青山学院大学大学院 社会情報学研究科
 http://www.gshi.aoyama.ac.jp/

○共催:
青山学院大学ヒューマン・イノベーション研究センター
 NPO法人 Educe Technologies Learning bar
 東京大学 大学総合教育研究センター 中原淳研究室
 産業能率大学 情報マネジメント学部 長岡健研究室

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 今回のLearning barには、386名の方々からご応募いただいた。厳正な抽選の結果、150名の方々に来ていただけることとなった。

 ワークショップは3つのアクティビティから構成されていた。企画は、苅宿先生、産業能率大学の長岡先生、中原が何度も話し合って決めた。

 当日は、総合ファシリテータを僕がつとめた。余談だが、このところ、企業組織からの依頼を受けて、ワークショップとか、ファシリテーターをつとめることが増えているような気がする。理由はあまりわからないけれど(笑)。
 青山学院大学教授 苅宿俊文先生、産業能率大学教授 長岡 健先生、青山学院大学准教授 山下 勝先生、青山学院大学教授 高木光太郎先生、青山学院大学研究員 高尾美沙子さんも、ファシリテーションいただいた。特に、苅宿先生、長岡先生には、要所要所で的確なコメントをいただいた。

junshikai.jpg

 1つめのアクティビティは「ビタハピ」を使った「アイスブレーキング」。ビタハピは、今年のグッドデザイン賞を受賞したコミュニケーションツール(ハッピ)である。当日は、ビタハピをデザインした東京芸術大学博士課程の西尾さんにもお逢いした。

ビタハピ
http://www.g-mark.org/search/Detail?id=34905&sheet=designer

 このハッピは「襟」「背中」「袖」などが異なる色で塗り分けられており、ワークショッパーの指示によって、ワークショッパーの望む人数のグルーピングが、できるようになっている。

 たとえば、ワークショッパーが今、こう指示するとする。

「襟の色が同じ人たち、集まってください」

 そうすると、24名のメンバーからなるグループができる。

「背中の色のパターンが同じ人たち、集まってください」

 と指示すると、6名のグループができる。

 大規模な人数のワークショップで、適当な人数のグルーピングを行い、メンバー間にコミュニケーションを行ってもらうことは、結構難しい。ビタミンハッピは、これを可能にするコミュニケーション支援ツールである。

bitahapi2.jpg

bitahapi3.jpg

 今回は、ビタハピを使って、この後のアクティビティに必要なグループ分けとアイスブレイクをおこなった。

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 アイスブレーキングを終え、第二のアクティビティがはじまった。

 第二のアクティビティのインストラクションは下記である。

①「大人の学び」と「子どもの学び」のそれぞれの特徴をグループで話し合いながら、できるだけ多く、とにかく多く付箋紙に書き出し、ポスターにはってください。

②付箋紙をポスターに貼り、グルーピングなどを行ってください。マジックでいろいろと書いても結構です

③ポスターの一番上に、うまい比喩をつくってください。「大人の学びとは○○のようである・・・なぜなら○○のようだから」
「子どもの学びとは○○のようである・・・なぜなら○○のようだから」

 このインストラクションに従って、一斉にグループでのディスカッションがはじまった。

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 中には、

 大人の学びとは太陽である
 子どもの学びとは月である

 という喩えもあって、面白かった。「その心」はわかりますか?

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 あっという間に時間が過ぎて、最終アクティビティへ。このアクティヴィティでは、LEGOブロックを使って、自分の学習や成長を表現してみる、ということにチャレンジした。

 LEGO社では、マネジメントプログラムとして「LEGO SERIOUS PLAY」というものがある。今回のアクティビィティは、ここからインスピレーションを受けてつくった。具体的なインストラクションは、下記のとおりである。

LEGO SERIOUS PLAY
http://www.seriousplay.com/

①仕事をしていく上で(学校を出た後で)、あなたが、これまで「最も学んだ、最も成長した!」と思える印象的な出来事を思い浮かべてください。

②その様子をレゴブロックを使って、つくってみてください。レゴで表現できないのなら、何を使っても結構です。
以上を15分間でお願いします。

③順番に、自分のつくった「オブジェ=出来事」にまつわるストーリーをオブジェを使って話し合ってください。

④多くのストーリーには、どんな共通点がありますか?話し合ってみてください。

legolego1.jpg

legolego2.jpg

 一斉に作品作りにとりかかる。皆さん、最初は「うそー」とか言っていたけれども(笑)、愉しんでいただいているようで、ホッとする。

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 皆さんの作品を見ていて、苅宿先生、長岡先生と話し合っていたのは、作品の中で自分をおく場所が"はじっこ"になる人が多いね、ということ。つまり、自分の成長するときには、何かに追い込まれなければダメなのかな(笑)。子どもでやると、また違うだろうね、と話していた。

 そして子どもの城の夜は終わった。

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 いつものことながら、今回のLearning barでも、反省するべき点が多々あった。

 Learning barでは、なるべく多くの参加希望者のご要望に応えるため、何割かの欠席者を見込んで、定員より多くの募集を受けているが、今回、これがうまく機能せず、スムーズな運営ができなかったなぁと反省している。多くの方々から「人数が多すぎる」とのお叱りをいただいた。

 インストラクションの問題、スペースの問題など、他にも問題点をご指摘いただいたが、その問題のほとんどは、この「人数」の問題に起因している、と考えられる。

 これらの点について、反省して、改善策を考えます。具体的には、さらに厳密に定員制限をおこなう他はないのだけれども。

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 最後になりますが、今回のワークショップを側面で支えてくれた、青山学院大学の学生諸氏、また、学習環境デザイン工房のスタッフの方々に感謝します。

 次回のラーニングバーは、1月30日金曜日、「クリエィティブオフィスで人を育てる!?」というテーマで、日本コムシスの潮田邦夫さん、東京工業大学の妹尾大先生(経営学)に、ご登壇いただきます。

 お楽しみに!

投稿者 jun : 2008年12月 7日 08:41


ハチがブンブン飛んでる花束

 先日、あるテレビ関係の方から、故・松田優作さんにまつわるエピソードを、ひとつ聴いた。その方が、まだ駆け出しのディレクターだった頃の、かなり昔の話である。

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 今から二十数年前。

 松田優作さんは、他人に花の贈り物をするときに、「綺麗な花束」を求めようとしなかった。「綺麗な花」ではなく「ハチがぶんぶん飛んでいるような花束」を好み、プレゼントすることを好んでいたという。

「綺麗な花束じゃなくて、ハチがブンブン飛んでる花束がいいんだ」

 松田さんは、表現者としても厳しい人であった。その方は、松田さんが、こう発言しているのを聴いて、感じ入ったという。

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「温室で育てられ、品種改良された、綺麗ではあるけれど、あまり生を感じさせない花束」よりは、「野原で育ち、ハチがぶんぶん飛んでいる、生と性がむき出しの花束」の方が、魅力的なのではないか。

 どちらの花束が「生きている」と言えるのだろうか。ハチがとんでいてリスキーな花束かもしれないけれど、人は、どちらの花束に圧倒され、魅了されるのだろうか。

 贈与とは、自己表現でもある。おそらく、松田さんは、この花束をプレゼントすることで、「セクシーでリスキーで、クレージーで、エッジの切れた自分」を表現したかったのかな、とも邪推する。

 本当のところはわからないけれど。勝手気ままな邪推だけれども、僕はそう思った。

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 何かにつけて、自分に「問う」のは悪い癖だと思うけれど、ふと、考える。

 僕は「綺麗な花束」を好むだろうか、それとも、「ハチがぶんぶん飛ぶ花束」だろうか。「今」はどちらを好み、これからはどちらを選ぶだろうか。

 その答えは、まだでていない。

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追伸.
 昨日の名言。

「後ろ指を指された数が、達成できた仕事の数」

投稿者 jun : 2008年12月 5日 11:54


創造、制約、コミュニケーション

 先日、ある人がこんな話をしていた。

   ▼

 現代アートは、わたしたちの、日常のものの見方に"裂け目"をつくります。私たちが、ふだん、"ものを見ている見方"がアタリマエのことではなかったのかもしれない、という"裂け目"をつくるんです。

 で、最近は、固定化したメディアをつくって、展覧会にもってくる、といったことをしない場合が増えています。つまり、作品が会場でつくられ、インスタレーションとして展示されるのです。

 展覧会場に入って、その場で、キュレーターと一緒にアーティストが作品をつくる、というようなかたちが、8割から9割になってきているのですね。

 中には、身体を動かして踊るような、いわゆる「パフォーマンス」が作品になっている人もいます。そのパフォーマンスも、アーティストとキュレーターでつくります。もはや現代アートは、アーティストとキュレーターの協働作業である場合がとても多いのです。

 でも、問題はここからです。日本人のキュレーターは、海外のキュレーターと比較して、アーティストとの間の創造的なコミュニケーション、創発的なコミュニケーションに慣れていない場合が多いように思います。
 海外の有名な作品を輸入してきて、展示することには慣れていらっしゃるが、コラボレーションすることには慣れていない方もいます。

 たとえていうのなら、アーティストから、「天井からドドドと水の流れる滝をつくって欲しい」と無理難題を言われると、素直にそれを聴いてしまうのです。アーティストが「作品を創る人」という発想から抜け出ることができない人が多い。

「なぜなんだ?」と問い返したり、「それよりは、こうした方がいいんじゃないか」と言うことがなかなかできない。その結果、頑張って「ドドドと水がながれる滝」を用意してしまう。

 次の日、「用意しましたよ」というと、今度はアーティストは「やっぱり気が変わった・・・滝は面白くない」と言う。そこで、コミュニケーションがブレークダウンしてしまうのです。

 アーティストが本当に欲しいのは、「滝」ではない場合が多いのです。創造のための「制約」をつくり、かつ、コミュニケーションの相手になってほしいのです。

 ▼

 この話は、どこまで一般性があるのか知りませんが、僕にとっては非常に印象的でした。

 僕はアーティストとは無縁の存在ですが(現代アートもほとんど知りません)、自分が人と何か新しいことをつくりあげるとき、新しい考えを発想しようとするとき、同じことを願う、と感じたからです。

 そして、そういう相手に出会えることは、創造にとってとても重要である、と思ったからです。いえ、本当のことをいうならば、「そういう人に出会えるか、否か」が、創造のクオリティをかなりの部分決めてしまうのではないか、とすら思いました。

 それにしても、「日常のものの見方に"裂け目"をつくる」というのは、面白いですね。こちら側の言葉でいうのならば、それは「学び壊し」であり「学び解し」なのかもしれません。

「現代アートの世界」も、「学習の世界」も、そして「学問の世界」もつながっているんだな、と思います。

投稿者 jun : 2008年12月 4日 12:42


東京渋谷「蛇の健寿司」で冬の味覚を愉しむ!

 先日、冬の味覚を味わいに、渋谷「蛇の健寿司」に出かけた。仕事をすべてあったのは、結構遅い時間。今日のメンバーは、現代アートのワークショップや映像制作を手がけるOさんと、テレビ局のプロデューサーのMさん。

 特に、決めなければならないことがあるわけでもないし、共通した仕事をしているわけでもない。いわゆる、「ゴールとアジェンダのない会話」を楽しんだ。

 話題は現代アートの話から、テレビメディアの将来、最近Mさんが飼い始めたという手乗り文鳥の話にまで、多岐に及んだ。

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 最初は白子。大変新鮮なもので、クリーミーであった。

shirako00.jpg

 お次は珍味のナマコ。特大のもので、磯の香りがとてもよい。食感はしっかりとコリコリしていた。

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 こちらは珍味中の珍味、コノワタ。ナマコの腸である。コノワタは新鮮でないものは、臭みがあって食べられたものではない。しかし、こちらのコノワタは、磯の香りがしゃっきりとしている。

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 そろそろ握り。

 まずはホッキ貝。

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 お次は赤貝。ホッキ貝とともに、弾力があり、凛としている。

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 次にアジ。生臭さとは無縁。口の中でとろけるアジ、という表現がもっとも近い。

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 続け、中トロ。厚みがある素晴らしい一品であった。

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 このほか、ホタテ、タマゴ、寒ブリ(今が旬ですね)、などを食べた。お値段は、しめて1人8000円。お酒も数杯ずつ飲んでこの値段だから、銀座などでは信じられない価格である。

 おすすめします。渋谷にあるとは思えない静かな、そして気さくなご主人と女将さんのいるお店です。

蛇の健寿司(夜のみ)
住所東京都渋谷区道玄坂1丁目20-4
電話番号03-3461-4288
(英語メニューもあり)

大きな地図で見る

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 ちなみに、その後は、Oさんが年に1度やっているVJ(ビデオジョッキー・最近はビジュアルジョッキーともいうそうですね)のパーティに少しだけ参加。Oさんの奥さまに、久しぶりにお逢いした。お元気そうで、話がはずんだ。

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 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2008年12月 3日 08:43


学会に、人が集まらなくなっている!?

 最近、はからずも同時期に(こういうのをシンクロニシティというんだろうか)、複数人の研究者から「学会」に関する話を聞いた。

「なんか最近、学会って、何処に行っても、人が以前よりも集まらなくなってきていませんか? ジャーナルへの投稿数はあんまり変わらず横ばいです。でも、学会に人が集まらなくなってきているのです・・・これは、どうしてなんでしょうか」

「○○学ってあるじゃないですか。なんか、この最近、こういう学問領域の"くくり"が怪しくなってきていませんか。だって、○○学って言ったって、研究者によって、研究しているものも違うし、方法論も違うんですよ。○○学という"ひとつのくくり"でまとめられなくなってきているような気がするんです。○○学の学会にいっても、なんか、"同じ領域の研究者"って感じがしないんですよね・・・それよりむしろ、△△という同じテーマを、様々なアプローチから研究している人たちが集まった方が、話が盛り上がるし、自分としても得るところが多い・・・そう思いませんか?」

「学会は、通常、年に1度開催されますよね。でも、僕の分野だと、時間単位が1日、2日、時には1時間なんですよ。今日発見したことは、明日には古くなっている。そんな中で、1年に1度集まって発表することの意味って何なんでしょうか。」

 ▼

 なるほど。

 上記で、何人かの研究者が話しているのは、「個々の学会の栄枯盛衰=ある学会には人が集まる、他の学会には人が集まらない」という問題ではない。

 そうではなく、「学会」と称して年に一度研究者が集まることの意味そのものが揺れている、と言っているのである。あるいは、○○学という"くくり"で、研究者が"まとまる"意味が、怪しくなっているのではないか、と述べている。

 もちろん、ここで述べたことが、どの程度一般性をもつかどうかはわからないし、僕は知らない。

 ▼

 世の中の流れが速くなり、かつ、複雑化、不確定化している。その流れの中で、○○学というカテゴリーが揺れている。そして、この流れは、加速することはあっても、弱まることは、あまり想像できない。

 世の中が変わるのであれば、「学会」という制度も揺れる。もちろん、○○学という"くくり"も揺れる。科学論の専門家ならば、「何をいまさら寝言を言ってるんだ」と言われるかもしれないが、一般の研究者でも、それを実感する人が増えている。

 僕がメインで活動している学会では、いまだ、こうした状況は生まれていない。だけれども、分野によっては、今まさに激流の渦中にあるものもある。

 地殻変動らしきものを感じる。
 カール=ワイクのいうように、すべてはOrganizingなのだろうか。それはそれでシンドイな、とも思う。反面、それが宿命だとも思う。

 僕らは、常に「~ing」の中で生きている。

投稿者 jun : 2008年12月 2日 18:53


積ん読

 仕事柄、本を読むのは早いほうだと思います。でも、最近の僕は、読書量が230%くらい足りていません。

「早急に読まなければならない本」が、どんどんたまっている状況です。いわゆる「積ん読」という奴ですね。

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 焦りを感じてしまうこともあります。研究、教育、大学の仕事、そして子育てに追われて、時間が全くありません。

 もちろん、このまま指をくわえて、のーのーと暮らしていくのは、潔しとするところではありません。ここまできたら、僕自身が、自分の仕事のやり方に、抜本的な「改革」を行う他はない気がしています。

 読みたい、読みたい、読みたいよー。
 でも、今の状態で、何の時間を削ればいいの?
 とも思います。

 こうなったらゼロベースで、考えるしかないようです。
 何が本当に必要なのか、何を今成し遂げなければならないのか、を。
 
 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2008年12月 1日 21:36