ホントでもなく、ウソでもない:佐々木夫妻の仁義なき戦い
真反対の性格が災いして、離婚寸前にある個性的弁護士夫妻を描いたドラマ「佐々木夫妻の仁義なき戦い」をおもしろおかしく見ている。
佐々木夫妻の仁義なき戦い
http://www.tbs.co.jp/sasaki-fusai/
先週の日曜日、稲垣五郎扮する夫弁護士がこんなことを言っていた。
「(ウソをついて情報を隠すときは、万が一のことも考えて)すべて本当ではないけれど、完全にウソでもないことを語らなければ・・・」
ほほー(笑)。
すべて本当を語れば、そもそも「ウソ」にはならない。しかし「完全にウソ」をついてしまえば、万が一、バレたときに「なぜウソをついたのか?」ということが問題になり、問い詰められてしまう。
ウソをつくときには、「本当のことを語っているけれど、その語り方を曖昧にすることで、もしバレたときには
"だって、オマエ、あのときそれ以上きかなかっただろ? オレはそのつもりで言っていたけど"
と言い訳ができるように、情報を隠さなければならない。ウソではないけど、ホントでもない。そういう情報の出し方をしなければ、万が一のリスクヘッジができないのである。
ほほー、なるほど(笑)
「佐々木夫妻」は夫婦間の話であるが、これは、あらゆるところで使えそうなテクニックであるようにも思う。
ただし非常に残念なことに僕は性格上、ふだんは非常に「ハッキリしたものの言い方」を好む。
僕がモゴモゴと言い始めたら、きっと、それは、「すべて本当ではないけれど、完全にウソではないこと」を語っているときである。きっと、めちゃくちゃわかりやすいと思う。
投稿者 jun : 2008年02月29日 08:21 | トラックバック
ハービー・ハンコック「リヴァー」を聴く
ハービー・ハンコックの「リヴァー」を聞く。復帰を果たしたジョニ・ミッチェルへのオマージュ。ジョニのファンにとっても、ハービーのファンにとっても楽しめる作品なのではないか、と思う。
このアルバム、巷では、口の悪い輩に「明らかなる売れ線狙い」とかなんとか、いろいろ言われているようである。でも、僕はこのアルバムが好きだ。売れるって、アンタ、言うほど簡単じゃないってーの。素晴らしいことじゃないの。
コリーヌ・ベイリー・レイの歌う「リヴァー」や、ティナ・ターナの歌う「Edith and the kingpin」、ジョニ・ミッチェルの「Tea leaf prophecy」なんかは、聞いているだけで、ゾクゾクとくる。あまりの「渋さ」に何度も何度も繰り返し聞いてしまう。
家でシングルモルトをちびちびやりながら、このアルバムを聞いていると、あたかも「趣味のよいバー」で飲んでいるような雰囲気になって、すこぶる気分がよい。

たとえ、そのときの自分の姿が「ユニクロのトレーナ上下姿」で、そのトレーナーがまた「ヨレヨレ」であったとしても、そんなことは、僕の知ったことではない。
「言葉に表しようのない不安」を抱えてる。すこし酔って、眠りつきたい。TAKUZO、明後日には退院できるだろうか。明日は最後の検査である。
投稿者 jun : 2008年02月28日 00:00 | トラックバック
わからないことを教える!?
大学院の研究指導とは難しい。「指導」という言葉から、「わからないことであっても教えること」を暗に求められるからである。
アタリマエのことではあるが、それぞれの大学院生が抱えている課題は「研究課題」である。「研究課題」ということは、原則として、全く同じ課題に過去に取り組んだ人がいないということであり、結果が「わからないこと」である。結果が「わかっている」なら研究ではない。「わからないから研究」なのである。
もちろん、教員とて「研究の結果がどうなるか」はわからない。意外に知られていないけれど、研究とは「教員も結果がわからないこと」なのである。
もちろん、教員側には若干の「経験」「テクニック」「クソ度胸」がある。これらを駆使すると!?、課題の結果が「全くわからない」かというと、不思議なもので、何となくおぼろげながら「予測」はつく。
しかし、予測は予測。「結果がでるだろうなぁ」と思ったのに、「分析の結果はあれーどしちゃったの」だったり、「こりゃ無理だろ」と思っていたのに、「なぜか、うまくいったわ」なんてことは日常茶飯事である。僕の「経験」や「テクニック」が「ショボイ」せいでもあるかもしれないけれど。
というわけで、「研究指導」というと「教え導くもんねー」という感じだけれど、この言葉には、僕はどうしても「違和感」がある。教員は「知っている存在」で、大学院生は「知らない存在」というダイコトミーがどこかに見え隠れするからである。
むしろ、教員のやっていることは「わからないこと」を前に、学生と一緒に討論し、彼が仮説を練り上げたり、意思決定をすることを助けることに近いように思う。をあるいは、「研究って楽しいぞー、こうやりゃいいのかもしれねーぞー」ということを、「研究する自分」を通して見せることに近いように僕は思う。
「わからないことを、わかったふりをして教えることはできない」。まして「教員が仮説を練り上げ、意思決定をするなら、それは教員の研究である」。もちろん、「やる気がない人にやる気をつけてあげる時間はない」。
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今日は、大学教員を例に話を進めてみた。しかし、賢いあなたならもう既に気づいたとは思うけれど、大学教員以外でも、かなりの職業が、実はそういう性格をもっている。
マサチューセッツ工科大学の組織学習研究者、ドナルド=ショーンは、かつて「The reflective practitioner」の中でこう言っていた。
プロフェッショナルとは、「自分が学んだことのない仕事」「教えられたことや教科書の枠には当てはまらないスキマの仕事」を行う。
ショーンによると、「眼科医の場合、患者の多くは教科書に載っていない問題を抱えているという。症例の80%くらいは、自分が慣れ親しんだ治療や診療にあてはまらない」そうだ。
ということは、眼科医を育てる眼科医の場合、自分も完璧にはよくわからない事例にぶちあたることはよくある、ということになる。そういう場合には、「わからないこと」を前に、若い眼科医と一緒に事例を検討しなければならない。そういう場合には、「仮説をたて、検証しつつ、意思決定を行うことを支援する」他はない。
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世の中わからないことだらけである。そして「わからないこと」にアタックする人を育てる側も、また「わからないこと」だらけである。
キチンと目標を定義して「教えられること」がたくさんあればいいのだけれども、実はそう多くはない。
でも、「わからない」から教える方もオモシロイ。
これもまた事実である。
投稿者 jun : 2008年02月27日 09:21 | トラックバック
レッドオーシャンとブルーオーシャン
先日、ある方と談笑していた際、「レッドオーシャン」と「ブルーオーシャン」という言葉があることを知った。
専門ではないのでよくわからないけれど、「レッドオーシャン」とは「"既存"の商品・サービスを改善するという"血みどろの争い"を繰り広げる既存の市場」のことを言うらしい(解釈の正しさには自信はない)。
対して「ブルーオーシャン」とは「競争者のいない、無限の可能性を秘めた未知の市場」のことを言うのだそうだ。
僕は企業につとめたこともないし、ビジネスマンではない。よって、マーケティングのことはよくわからない。
でも、この言葉は「研究の方向性」を考える上でも、非常に有益な示唆を与えるな、と思った。
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思うに、研究の世界にも「レッドオーシャン」と「ブルーオーシャン」があるような気がする。
先人の誰もが既に追求していて、先行研究がたくさんあるが故に、なかなか既存との研究との「差異化」が難しい領域 - これが研究の世界での「レッドオーシャン」と言えるだろうか。
レッドオーシャンでは、「明確な差異化」は難しいものの、「重箱の隅をつつくような差異化」は比較的容易なことが多い。研究の体裁もフォーマットも決まっているので、論文自体は書きやすい傾向がある。
周囲の雰囲気は「レッド」。故に、どんなに小さな差異であっても、そこに差異がある限り、誰もがあなたの一挙一動に注目している。
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対して先人が誰も手を出さずにいた「危なっかしい領域」で、いまだ手つかずになっている研究領域 - そこに赴くと何がでるか、あるいは何もでてこないのかすらわからない領域 - これがブルーオーシャンだと思う。
ブルーオーシャンは、一見何でも自由にできそうではあるが、準拠枠がない、先行研究がないため、実際はかなり苦戦を強いられる。もちろん、そこで新たな「発見」が可能であれば、ある程度、オモシロイことをひとりで追求できる。
しかし、そこはかなりの「賭け」である。実際は、そこを追求しても、何もでてこない場合の方が多い。ブルーオーシャンの「ブルー」は、「限りなく透明に近いブルー」である。
あなたが深淵をのぞき込むとき、その中から、あなたは覗かれている。そこには魔物が住んでいる。
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レッドオーシャンとブルーオーシャン。
あなたはどちらの海の住人か?
投稿者 jun : 2008年02月26日 10:54 | トラックバック
映画「アマデウス」を見た!
先日、ザッピングをしていたら、NHKBSで映画「アマデウス」をやっていた。懐かしくなって、つい最後までみてしまった。
夭折の天才音楽家ウォルフガング=アマデウス=モーツァルトと、彼の才能に嫉妬する宮庭音楽家アントニオ=サリエリの間に生ずる様々なコンフリクトを通して、モーツァルトの人生を描こうとしている
一般に、この作品では、「天賦の才能」に恋いこがれ、それが「自分の才能ではないこと」が許せず、ついには「神」を呪い、「天賦の才能の持ち主」に殺意をいだく「サリエリの狂気」に注目が集まる。
僕がこの作品を見たのは、中学か高校の頃だと思うけれど、今の今まで「そういう作品」だと思っていた。
でも、今回改めて見直してみると、それと同時に、「モーツァルトの孤独」を表現した作品でもあるのかな、という思いがしてきた。
晩年のモーツァルトの音楽は芸術的な志向性が高く、当時の人々にあまり理解されなくなってくる。
人々はオペラに「不条理な笑い」「軽さ」を求める。しかし、そういう音楽にモーツァルトは抵抗する。
音楽としては完成していても、決して受け入れられない。今回改めて「アマデウス」を見ると、そうした「モーツアルトの孤独」が目についた。
長い作品であるけれど、全く飽きを感じさせない。
特に、アントニオ=サリエリ演じるF・マーリー・エイブラハムの名演は、賞賛に値する。
投稿者 jun : 2008年02月25日 09:32 | トラックバック
ウォルター・オング著「声の文化と文字の文化」
今月も湯河原で開催された某研究会に参加させていただいた。
たとえほんの数時間であっても都心を離れ、ネットからdisconnecedされた環境で「ものを考える」のは、僕にとってよいリフレクションのきっかけになるようである。お誘いいただいた方々に、感謝いたします。ありがとうございました。
今回の研究会のテーマは「物語」。このテーマのもと、様々な内容に関してダイアログがなされた。個人的にもっとも関心があったのは、「人間が口承で知識を語り継ぐ場合に、どのようなことが起こるか?」ということであった。
この問題を一生かけて追いかけた学者で、僕の脳裏にまっさきに思い浮かぶのは、言語学者のウォルター・オングである。
オングは「声の文化と文字の文化(Orality and Literacy)」において、口承で知識を語り継ぐ文化を「声の文化」とし、文字の読み書きによって知識が伝承される「文字の文化」とは、人間の思考、記憶の形式、行動に違いがあることを明らかにした。
たとえば、定義、推論、といった、ブルーナーの論理的-科学的様式に属するような抽象的・分析的知的活動は「文字の文化」に特有のものであり、「声の文化」にはない特徴である。
「声の文化」は客観的な分析的思考を好まない。それは累加的、累積的、冗長性をもった伝承が行われる。口承でモノゴトがつたえられるため、個々人の感情移入が容易になされ、状況依存的な思考でありがちである。
ごめん、本は研究室にあるので、正確には覚えていないが、確か、大筋はこんなところだと思う。
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僕が、オングを読んだのは、学部時代である。当時何かとお世話になっていた助手さんを中心に「メディアと学習」に関する研究会が開かれ、そこでこの本を読んだ。
それから12年・・・まさかこんなところで、もう一度、オングに出会うとは思わなかった。
明日、大学にいったら、もう一度、ちゃんと読み込もうと思う。
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追伸.
TAKUZOは入院中です。熱性けいれん&高熱で入院したのですが、さらに病院でロタウィルスにかかりました(泣)。ピーピーです。一時はどうなることかと思いましたが、少しずつ元気になりかけています。
ベットの関係で、親が24時間つきっきりの看護をするか、病院に預け一日に数時間の部分的面会をするか、選ぶことになりました。僕も妻も仕事をもっているため、24時間つきっきりで看病を行うことができません。
仕事を終えて病院に向かいます。夜、TAKUZOを寝かしつけて家に帰ります。起きて目を覚ましたときに、真っ暗な病室の中で、ひとり泣いているのではないか・・・。そんなことを考えると、胸が張り裂けそうな気持ちになります。
ロタを煩ったこともあり、結構、長丁場になりそうです。仕事場 - 家庭 - 病院の往復運動は、しばらく続きそうです。
投稿者 jun : 2008年02月24日 10:02 | トラックバック
「省察的実践」と「成人期の学習」
最近、学習研究者の間で密かに話題になっていることに、ドナルド=ショーンの「The reflective Practitioner」の完訳が出版された、というニュースがある。
このニュース、僕は、数週間前に、お茶の水大学大学院の院生のHさんに教えてもらった。早速注文しようと、アマゾンを検索したけれど、もう既に売り切れていた。しょうがないので、版元の鳳書房に直接電話をかけて取り寄せることにした。
邦訳名は「省察的実践とは何か?」。
「The reflective practitioner」は、これまで「部分訳」が「専門家の智恵」というタイトルで出版されていた。難解な本だけに、今回は「全訳」ということで、非常に期待が高まっているのだと思う。
今から12年前、「The reflective practitioner」を苦労して読んだことが思い起こされる。嗚呼、あのとき翻訳があったら。まぁ、今となってはいい想い出である。
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この本と同じくらいおすすめしたい本に、メリアムの「Learning in adulthood」の翻訳がある。こちらは2005年に出版されていたらしいのだが、全く知らなかった。
邦題は「成人期の学習」。いわゆる学習科学、教育工学でよく目にする学習理論から、成人教育論の中で目にする学習論まで、様々な内容が非常によくまとまっている。
この本を僕が読んだのは、2004年のボストン留学中だった。夜な夜な、ひとり部屋にこもって、シコシコと赤線をひっぱりながら読んでいたことを思い出す。
ちなみに、Learning in adluthoodをさらにコンパクトに、だけれども、そのフレーバーを漂わせつつ!?、エッセンスだけをまとめたのは下記だろうか。
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とにかくどの本もいい本だと思います。「大人の学び」を考えるのら、ぜひ、手に取ってみてください。あと、訳者の方々のご苦労、推察します。ありがとうございました。
投稿者 jun : 2008年02月23日 07:00 | トラックバック
別れても好きな人!?
研究者が「現場」に関与しながら、そこで働く人々と「協働」しつつ、彼らとともにアイデアを出し合い、ともに実践を振り返りつつ、「現場の変革」をめざす実践研究スタイルを、「アクションリサーチ(Action Research)」という。学者によって、定義は様々ではあるけれど、最大公約数はこんなところだろう。
学習研究では、これを「デザイン実験アプローチ(Design Experiment Approach)」と呼ぶこともある。いずれにしても、「象牙の塔にある実験室」を離れ、「基礎研究の知見」を役立てながら、「社会における問題解決」を重視し、それを発展させようとする立場をいう。
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アクションリサーチを志向する場合、研究者は「既存の研究知見を参照できる存在」として、あるいは、実践者の「振り返り」の「鏡」としての存在を期待される。研究者は陰ながら、実践を支えることに徹することが求められる。
ここで2つ気をつけておかなければならないことがある。
ひとつめ。
研究者は、ともすれば「権威的存在」として振る舞うということである。
研究者が、自ら提唱する「教育理念」を現場に「落とし込み」、それを現場に実践させ、現場での活動が「理念」に「準拠」しているのか判断し「指導」を行う、というのは、個人的な意見だが、アクションリサーチの考え方とは少し異なるような気がする。
また、上記のような意図をもたなかったにせよ - つまり研究者が望もうと望まないとに関わらず、研究者は「権威的存在」として振る舞うことを社会的に要請されてしまうことがある。
一般の人には見えない「何か」を知っている存在として - 知的権威者 - として振る舞うことが強く求められるということである。
いずれにしても、そうした場合、「ともにアイデアを生み出すこと」「ともに振り返ること」は困難になる。
ふたつめ。
どんなにアクションリサーチがうまくいこうとも、
「実践者と研究者はいつかは別れなければならない」
という事実を、受け入れなければならない、ということである。
(このことを僕に教えてくれたのは、I大学のS先生である)
どんなに研究者が「ひとつの現場」に関与したいと願いつつも、永遠に関わり続けることは様々な理由で不可能になりやすい。
卑近な障害としては、研究資金の問題もある。近年は、そのサイクルがさらに短期になっており、頭を悩ませる場合も少なくない。
また、ファンドの問題がなかったとしても、学問の発展に従って、研究者は「研究するべき対象、研究内容」を変えていかざるを得ない。
また、研究者も実践者も、彼らの属する組織も、それぞれ年をとる。組織の中での振る舞いも、年をとるに従って、違ったものが求められる。いつまでも一緒にいることが、組織の論理で阻まれることも少なくない。
もちろん、その関係には程度の差がある。しかし、「実践者と研究者は、永遠に一緒にいられるわけではない」、このことはどうも真実に近いもののように思われる。
そして、もしそうであるならば、 - つまり「いつかは別れなければならぬ存在」らば、研究者や「実践者」は「別れること」をそもそも折り込んで、実践現場で「協働」しなければならない。
つまり、「協働活動の結果生み出した実践創造のプロセスが、実践現場の社会的慣習として位置づき、継続されること」をめざさなければならない。
研究者が現場を立ち去るときには、そういう「消え方」をしなければならない。また、実践者は自律的な実践創造をいつかは「自分一人で行うこと」を意識しつつ、協働に向かわなければならない。
しかし、これは多くの場合誤解される。
「いつまでもいっしょにいられる」と思いこんだり、「別れ」が突然訪れた際には「あの人ったらヒドイわ、アタイを裏切ったのよー、くやしい(片平なぎさ風にハンカチをかむ)」と考えがちである。僕の考えによれば、それは違う。「あのぉ、言いにくいんですけど、最初から別れる運命だったんちゃいますか?」という感じである。
(もちろん、別れたあとでも、「別れてもぉ~好きな人~」という感じで、お互いをリスペクトしあうのは全く問題ない。そういうかたちこそ理想かもしれない)
「実践」を行い得るのは研究者ではない。さらに「実践」を継続しうるのも、「実践者」でしかない。
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もちろん、これ以外にも、アクションリサーチには気をつけておかなければならないことがいくつかある。
実践者と研究者の間の問題は、いつだって「生やさしく」ない。それは「果てない緊張関係」であり、「別れることを運命づけられた切ない関係」である。しかし、それが成就したときには、一人では決して到達できない「幸せ」を享受することもできる。
恋愛がそうであるように、それは「永遠のアポリア」である。
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追伸.
今日の話は「研究者と実践者の話」であった。しかし、同様の問題は、程度の差こそはあれ「外部から現場の問題解決に介入するとき」にはかなりの確率でおこる。たとえば、外部から介入を行う「コンサルタント」と「実践者」のあいだなど。
人は「いかに支援すればいいのか」という命題に関しては、関心をもつ。しかし、「いかに支援をフェードアウトするか」ということに関しては、あまり注目されない。
自戒を込めていうけれど、我々は、ともすれば、支援をしなければならないときに足りず、支援が必要のないときに、それをする傾向がある。この頃合いがもっとも難しい。
外部から現場に介入する人は、彼/彼女の掲げる理念が、どんなに美しく、どんなに協同的なものであったとしても、必ず、現場を離れるときがくる。
おそらく、「ホンモノの介入プロフェッショナル」とは、「現場を離れたあとの状況」まで思いをめぐらし、様々な施策を考え、実行できる人のことをいうと思う。
投稿者 jun : 2008年02月22日 09:03 | トラックバック
プレイングマネジャー考
実際に自分も「プレイヤー」として実務(達成目標)をかかえながら、部下の管理もしなければならない管理職のことを、俗に「プレイングマネジャー」という。
人材育成の世界では、
「最近は、マネジャーはプレイングマネジャー化していますから、なかなか部下育成をする時間がなくて・・・」
といったことが、よく言われる。どちらかというと、現場の多忙感などを表現するような「ネガティヴなコンテキスト」で使われることが多い。
この表現、なんとなくわかったような気もするけれど、僕には少し「違和感」が残る。
そう言われるたびに、
「プレイング」な状態にあるマネジャー以外に、部下を「育てること」なんてできるんだろうか?
心の奥底で、そう思ってしまうのである。
そう思う理由は、認知的な理由と情動的な理由、2つの意味がある。
ひとつめの認知的理由。
確かに「プレイングマネジャー」は忙しく、直接人に教える時間はない。しかし、彼/彼女が「プレイングしている状況」は、常に部下の「まなざし」にさらされている。実際に「直接教えなくても」、部下には、いわゆる「観察学習」を通して、「あんな風にやればいいのか」と学ぶ機会がもてるのではないだろうか。
学ぶの語源は「まねぶ」。つまり、「まねをすること」換言すれば「モデリング」である。「プレイングな状況にあるマネジャー」がある意味で「ロールモデル」になることで、部下は成長するのではないだろうか。
ふたつめの情動的理由。
マネジャーが「プレイング」な状況にあるからこそ、ここぞというときに、何かを言われたときに、「腹に落ちる」のではないか。「あの人が言うんだから、そういうことなんだろう」という感じ。
もし「プレイングしていないマネジャー」に、何かを言われたとしても、素直にその教えの意味を理解できるのだろうか。
言われたことを理解しつつも、心の中では、
「うーん、"あがった人"に、あれこれ言われてもなー」
と思ってしまわないのだろうか。「闘う君の歌」の真贋を、「闘わない人」にあれこれ言われる。このことを、つい不条理に感じてしまわないだろうか。
全く根拠レスで申し訳ないが、以上2点の理由により、僕は「人はプレイングな人から多くを学ぶのではないか」と思ってしまうのである。
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自戒を込めて言うけれど「研究者の世界」も、これに似た構造はある。
職業として大学教員になり、研究室を運営するようになった研究者にも「プレイングな研究者」と「プレイングではない研究者」があらわれてくる。
イメージとしては「自ら本気で取り組む研究をもちながら(率いながら)、時間はないけれど、教えるようとする人」と「自ら本気で取り組む研究はないけれど、教える人」といった感じである(正しくいうと、研究もしないし、教えることもいい加減な人というのもいる)。
もちろん、立場が上になればなるほど、やらなければならないことは、どちらの場合でも格段に増える。それまでと同じような研究スタイルを貫くことは、彼/彼女のどんな努力をもってしてもできない。
しかし、それにもかかわらず、職業研究者は2つのタイプにわかれるような気がする。もちろんのことながら「研究と教育」を両方抱える「プレイングな研究者」の時間はさらに限られる。ゆえに、直接的な学生指導の時間も、なかなかとれない。
しかし、ここが誠に奇妙なのだけれども、多くの場合、卓越した思考をもつ学生は「プレイングな研究者」のもとから育つ傾向があるように思う。直接教えてはいないのにかかわらず、そういう人の元から、いろいろな人材が輩出される。これは、僕の錯覚だろうか。
「教えること」を字義通り解釈するならば、忙しくてスウィング傾向にある!?研究者は「教えてはいない」。しかし、彼/彼女は「教えている」のである。なんか禅問答みたいだけれど、こんな傾向があるように思う。
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人は「プレイングな人」からより多くを学ぶ。
全く根拠のない、言ったもんがちな仮説であるけれど、つい、そんなことを思ってしまう。
投稿者 jun : 2008年02月21日 07:21 | トラックバック
ハーバードビジネスレビュー3月号にエリクソンが!
2008年3月号「ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー:HBR」では、「一流人材の作り方」というタイトルで、学習科学のひとつである熟達化研究の領域で有名なアンダース=エリクソンが論考を寄せている。
ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー
http://www.dhbr.net/
ひそかにDHBRのブログも発見!
http://dhbr.hontsuna.net/
エリクソンはフロリダ州立大学・心理学部の教授。彼が編者に加わった、「The Cambridge Handbook of Expertise And Expert Performance」は、今年の冬学期の大学院ゼミでみんなで購読した。
アンダース=エリクソン教授
http://www.psy.fsu.edu/faculty/ericsson.dp.html
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HBRの論考において、エリクソンは「いつもの持論」を展開している。
曰く、熟達化には長い時間がかかるが、それは後天的に「学習」されうるものである。
熟達化には「注意を傾けた反復練習」が必要であり、また、どのような指導者のもとで、それを行うかが重要である、という。
論考では、ベンジャミン=ブルームの1985年の著書「Developing talent in young people」を引用しつつ、このような知見が紹介されている。
ブルームは、音楽家、芸術家、数学者、神経学者など著名な人々の幼少期を詳しく調査した。しかし、幼少期には将来の成功を示唆する手がかりはつかめなかった。IQと偉業の達成には全く相関がない。
しかし、唯一判明したのは、彼らが成長期に猛練習に猛練習を重ね、優れた師についていたことであったという。
1日2時間でも、一年で700時間。10年で7000時間。こうしたコツコツとした練習の果てに、優れたパフォーマンスは存在する。熟達にショートカットはない。
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下記雑感。
ビジネスエグゼクティヴが主な購読者のHBRに対して、学習研究者のエリクソンが論考を寄せることは、非常に喜ばしいことである。
その知見は、マネジャーが部下を育成するときの、心がけのひとつになるかもしれない。
「人はそんなに急には学べないこと」「人が学ぶのには時間がかかること」は、誰かを教える立場の人であるならば、知っていて損はない事実である。
しかし、同時に、こうした知見のすべてが、どんな領域の人材育成にでも適応可能なことなのか、と問われれば、慎重な判断が必要になるだろう、と思う。たとえば、反復練習のモデルを、そのまま「マネジャーの育成モデル」に当てはめることが可能だろうか。
ビジネスの領域における多くの職務は、「領域固有の比較的狭いスキル」というよりも、様々な下位スキルが複雑に結びついたミクロコスモスのような状況をなしている。
近年、一部で、こうした複雑なスキルを有する職能の熟達に関しては、研究がはじまっているが、もっと盛んになるとオモシロイだろうな、と思った。また、自分も及ばずながら、企業・組織における人の熟達に関して、研究を進めていきたいと思っている。
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まぁ、でも、繰り返しになるけれど、HBRに学習研究者の論考が掲載されるのは、気分がいいなぁ。「経営の世界」と「教育の世界」がもっと溶けあって欲しい、と願う。
投稿者 jun : 2008年02月20日 09:16 | トラックバック
場をオープンにすること
最近依頼される講演では、だいたい1時間、あるいは、1時間半のプレゼンテーションが求められる。しかし、プレゼンテーション時間をきっちり守って進行することが、滅法難しい。これが今の僕の課題である。
通常のプレゼンならば、正確に予測する方法がある。それは、当日と同じかたちで、プレゼンを声をだして読むことであろう。しかし、これは1時間ないしは1時間半の時間を、すべて僕が一方向で喋る場合にのみ、つまりは通常のプレゼンの場合のみ、うまくいく方法である。
僕の講演の場合、僕が話している時間はだいたい3分の2くらいである。3分の1は、聴衆の皆さんにお隣同士でディスカッションをしてもらったり、問題をといてもらったりしている。そして、この3分の1が「予測不能な要素」になる。
この3分の1の時間は、その日のエクスペリエンスを左右する非常に重要な時間ではあるけれど、聴衆の社会的背景によっては、進行が微妙にズレる。アイスブレーキングに時間がかかったり、問題をとくのに時間がかかったりする。
あっというまに、予定時間を過ぎてしまい、真っ青になってしまうこともある。全く逆の場合もある。「あれっ」と叫んでしまうほど、聴衆の方々がアクティヴィティを早くこなしてしまって、「やべー、時間あまった、これから何話そう・・・」と途方に暮れてしまうことも少なくない。
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場をオープンにするとは、ヴァルネラビリティを引き受ける行為である。一方向で好きなことを話すだけなら、自分は何もリスクを抱えないで済む。
しかし、たとえ自分をヴァルネラブルな立場においたとしても、意図した進行がビタッと決まったときには、何にも代え難い成果 - この場合はオーディエンスの方々との「一体感」らしきもの - が得られる。
場をオープンにすることの魅力には、なかなか抗しがたいものがある。
投稿者 jun : 2008年02月19日 09:28 | トラックバック
【参加申し込み中・セミナー】タブレットPCで授業改革!?
同僚の望月さんからご案内をいただきました。ペンコンピューティングの授業活用事例セミナーだそうです。入場は無料、ただし申し込みが必要です。下記Webサイトからお申し込みをお願いいたします。
ペンコミュニティ
http://pen-community.org/seminar/
========================================
ペン入力コミュニティ 第2回セミナー
タブレットPCを授業で活かす!!
~和歌山・岡山の最先端の取り組みとノウハウ~
平成20年3月1日(土) 14時~17時
@東大駒場アクティブラーニングスタジオ
========================================
ペン入力コミュニティ 第2回セミナーでは,
学力向上のために小学校52校2分校に
タブレットPCおよびUMPCを1300台も導入した
和歌山市と,タブレットPCの教育利用の可能
性を長く研究されてきた岡山県から,学校教
育におけるタブレットPCの多様な活用事例に
ついて,お話いただけることになりました.
タブレットPCやUMPCは,昨年,様々な学校教
育現場で可能性が検証され,学力に対する有
効性が示されてきました.
今回のセミナーでは,現場の先生方が実際に,
タブレットPCを学校現場でどのように活用し
ているのか,どのように効果を実感されてい
るのか,についてお話をいただきます.
「タブレットPCを活用した授業ってどんなの
だろう?」
「どのようにして子ども達にしっかりと学ば
せているのだろう?」
様々な工夫がなされた貴重な授業実践の事例
をベースにお話をおうかがいします.
今回のセミナーは,最先端の教育施設
「駒場アクティブラーニングスタジオ(KALS)」
で行います.
http://www.kals.c.u-tokyo.ac.jp/
ぜひお気軽にご参加ください!
■日時:2008年3月1日(土) 14:00~17:00
■場所:東京大学
駒場アクティブラーニングスタジオ
http://www.kals.c.u-tokyo.ac.jp/access.html
■参加費:無料
※ただし,懇親会は別途実費(3000円程度を
予定)をいただきます.
■定員:40名
ペン入力の使い方,マーケット,テクノロジ
などに興味のあるユーザ,学校の先生,企業,
研究者,のみなさまなら,どなたでもご参加
になれます.
■プログラム:
14:00-14:10:開会挨拶
(東京大学准教授 五十嵐健夫)
14:10-15:00:セッション1
和歌山市におけるICT活用による学力向上
プロジェクト(Wプロジェクト)について
(和歌山市立教育研究所 角田佳隆 先生
和歌山市立有功東小学校 本岡 朋 先生)
15:00-15:10:休憩
15:10-16:00:セッション2
タブレットPC,PDAを活用した授業支援
-14の活用事例から-
(岡山県総合教育センター 小林朝雄 先生
岡山市立操明小学校 後藤和重 先生)
16:00-16:30:ディスカッション
16:30-17:00:運営方針に関する議論
17:30~19:30:懇親会(希望者のみ)
(KALSウェイティングスペース)
参加費 お一人様 3,000円程度(予定)
※軽食とお飲み物を準備させていただきます.
※懇親会の当日のキャンセルは,
別途キャンセル料を頂くことがあります.
■お申し込み方法
ペン入力コミュニティのWebページ
http://pen-community.org/seminar/
よりお申し込みください.
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投稿者 jun : 2008年02月18日 16:35 | トラックバック
【参加申し込み中:BEATシンポ】学校と家庭ができること
来る3月29日、東京大学にて「未来の教育のために学校と家庭ができること- フィンランドと日本の対話」というシンポジウムが開催されます。ベネッセさんからご寄附いただいた寄付講座のイベントです。よろしければ、ぜひ、おこしください。
ちなみに、このシンポジウムでは、わたくしめの関与する「なりきりEnglish!」「英語deキャリアアップ」に関する成果報告もさせていただきます。今年は新日本製鐵株式会社さんで実証実験を行わせていただきましたが、そこでの学習効果がどのようなものであったのか、研究チームメンバーで発表させていただく予定です。
入場は無料!ただし、180名限定で、申し込みが必要です。申し込みは、下記のWebから行っていただければ幸いです。
■BEAT Webサイト
http://www.beatiii.jp/seminar/
当日、会場でお逢いしましょう!
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公開研究会「BEAT Seminar」2007年度第4回
Special Seminar
「未来の教育のために学校と家庭ができること
- フィンランドと日本の対話」
3/29(土)、東京大学にて開催!
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東京大学情報学環 ベネッセ先端教育技術学講座
では、情報学環・福武ホールの竣工を記念して、
「未来の教育のために学校と家庭ができること
- フィンランドと日本の対話」
を開催いたします。
このスペシャルイベントでは、ヘルシンキ大学の
Seppo TELLA教授をお招きし、質の高い教育で定評
のあるフィンランドの学校教育の特徴・家庭学習
のあり方・未来の教育像についてお話しいただき
ます。
みなさまのご参加をお待ちしております。
◆登壇者ご紹介◆
Seppo TELLA, Ph.D
ヘルシンキ大学 教授
教育におけるICT利用に関する専門家として活躍
中。LIVE, FLE, TriOなどの国家プロジェクトや
OLE, SCOPEなどの国際的なプロジェクトに関わっ
ている。
欧州委員会(EC)情報社会技術プロジェクトの外部
評価委員でもある。
教授・学習プロセス、知識構築、教師教育、メデ
ィア教育、外国語教育などに関する論文、書籍を
多数執筆している。近年では国際性、多様性を
キーワードにインフォーマル教育に関する研究も
行っている。
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【2007年度 第4回 公開研究会 概要】
■主催
東京大学 大学院 情報学環 BEAT
■日時
2008年 3月29日(土)午後1時より午後5時まで
■場所
東京大学 本郷キャンパス 情報学環・福武ホール
(赤門横)
福武ラーニングシアター(B2F)
http://www.beatiii.jp/seminar/seminar-map33.pdf
■定員
180名(お早めにお申し込みください)
■参加方法
参加希望の方は、BEAT Webサイト
http://www.beatiii.jp/seminar/
にて、ご登録をお願いいたします。
■参加費
無料
■内容
1. 趣旨説明 13:00-13:10
山内 祐平 (東京大学 准教授)
2. BEAT 2007年度成果報告 13:10-14:30
▼休憩
3. 基調講演 14:45-15:45
「フィンランドにおける未来の教育(仮題)」
Seppo TELLA (ヘルシンキ大学 教授)
▼休憩
4. パネルディスカッション 16:00-17:00
「質の高い教育を実現するために学校と家庭は
何をすべきなのか」
司会:
山内 祐平(東京大学 准教授)
パネラー:
Seppo TELLA
(ヘルシンキ大学 教授)
堀田龍也
(NIME准教授・文部科学省併任)
沓澤 糸
(Benesse 教育研究開発センター 主任研究員)
飯吉 透
(カーネギー財団知識メディア研究所所長
・BEAT客員教授)
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投稿者 jun : 2008年02月18日 12:24 | トラックバック
「ほこりたたき」と「ペンキ塗り」
フランクリン=ルーズベルトの名言にこんなものがあるそうです。
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「海軍省の改革を試みるのは羽布団をたたくようなものだ。腕を交互にふるって、へとへとになるまでたたいても、肝心のふとんはもとのまま」
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これは秀逸なメタファではないかと思います。叩けばたたくほど、「小さなほこり」がでる。どんなに叩いても、「ほこり」が出なくなるということはありえない。
しかし、「ほこり」をだすことができて、一見、何かが変わったような気もするけれど、「古びた羽布団」は、何一つかわっていない。本当に変わって欲しいものは「もとのまま」というわけですね。
そういえば、ちょっと前になりますが、ある本で、こんな喩えを目にしたことがありました。
「部屋のペンキを塗り替えなきゃならないと皆は言う。それに対して、僕は言う。いいや、本当に必要なのは、新しい礎をうちたて、建物全体をどのように建てなおすか、なのだ」
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「果てないほこりたたき」「お茶を濁すペンキ塗り」・・・今日も、世の中では、様々な場所でこれらが繰り返されています。
投稿者 jun : 2008年02月18日 09:09 | トラックバック
救急車
TAKUZO、金曜日深夜未明、高熱をだし、熱性けいれんを起こしました。救急車に乗って、救急病院へ、そのまま入院。各種検査が続きます。
いろいろあって、一時は、本当に生きた心地がしませんでした。が、意識が戻り、少し安心しました。でも、ちょっと長引く模様です。
回復祈る。
はやく遊びに行こうぜ!

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追伸.
医師不足による救急病院の閉鎖が、問題になっていますね。救急の小児科は小児科医自体の人数不足もあいまって、本当に大変な模様です。でも、今回の一件で、そのありがたみが、骨身にしみました。
「救急」とは「可能性」の施設です。
もしかすると、次に利用するのは、「あなた」かもしれないし、「わたし」かもしれない。それは「明日」おこるかもしれないし、「あさって」かもしれない。
利用するのが、「わたし」や「あなた」でなかったとしても、「明日」や「あさって」でなかったとしても、今日そこを訪れる、名前も知らない誰かのために、こうした場所を守らなくてはならないと思います。
投稿者 jun : 2008年02月17日 07:00 | トラックバック
大学院ゼミの文献が決まった!
中原ゼミ2008のテーマは、「Back to basic empirical research!」です。「実証研究の古典と言われる論文をしっかりと読み込んで、その内容について学ぶとともに、論文の書き方をゲットしようぜ!」という趣旨です。
「認知」としては、下記の文献を選びました(選定してくれた三宅君、ありがとう)。どの論文も、学習を研究している人なら、読んでいないことが許されないような重要論文です。
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【転移】
Gick, M. L., and Holyoak, K. J. (1980). Analogical problem solving. Cognitive Psychology, 12, 306-355.
Bassok, M., and Holyoak, K. J. (1989). Interdomain transfer between isomorphic topics in algebra and physics. Journal of Experimental Psychology: Learning, Memory, and Cognition, 15, 153-166.
Bransford, J. D., and Schwartz, D. L. (1999). Rethinking Transfer: A Simple Proposal with Multiple Implications. Review of Research in Education, 24, 61-100.
Barnett, S. M., and Ceci, S. J. (2002). When and Where Do We Apply What We Learn? A Taxonomy for Far Transfer.Psychological Bulletin, 128(4), 612-637.
【熟達】
Chase, W. G., and Simon, H. A. (1973). Perception in chess. Cognitive Psychology, 4(1), 55-81.
Chi, M. T. H., Feltovich, P. J., and Glaser, R. (1981). Categorization and Representation of Physics Problems by Experts and Novices. Cognitive Science, 5, 121-152
Ericsson, K. A., Krampe, R. T., and Clemens, T. (1993). The Role of Deliberate Practice in the Acquisition of Expert Performance. Psychological Review, 100(3), 363-406.
Hatano, G. and Inagaki, K. (1984). Two Courses of Expertise. Research and Clinical Center for Child Development Annual Report, 6, 27-36
【協調】
Miyake, N. (1986). Constructive interaction and the iterative process of understanding. Cognitive Science, 10, 151-177.
Roschelle, J. (1992). Learning by collaborating: Convergent conceptual change. The Journal of Learning Sciences, 2(3), 235-276.
Hutchins, E. (1995) How a cockpit remembers its speed. Cognitive Science 19: 265-288.
Scardamalia, M., & Bereiter, C. (1994). Computer support for knowledge-building communities. Journal of the Learning Sciences, 3(3), 265-283.
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上にリストにしたのは「認知」の文献です。
ゼミでよむ文献には、この他に「教育」と「組織」の文献があります。「教育」は、今年は「クリティカルシンキング」をあげました。こちらは、これに関する重要論文を読んでいくつもりです。舘野君に文献の選定をおまかせしています。
「組織」は、今年は「組織文化」をテーマにしました。こちらは、荒木さんに文献選定をおまかせしています。
どんなゼミになるのか、今から結構楽しみです。
投稿者 jun : 2008年02月16日 16:07 | トラックバック
大学院授業「組織学習システム論」のシラバスができた!
東京大学大学院 学際情報学府の授業「組織学習システム論」の来年度のシラバスができましたので下記に公開します。下記のような学生に受講してもらえるようシラバスをつくりましたが、そんな人、本当にいるんでしょうか(笑)。ちょっとマニアックだったかな。
・組織における知識共有、学習に関心のある学生
・組織のおける人材育成、人間の成長に関心のある学生
・組織変革や文化の構築等に関心のある学生
授業の最後には、グループでひとつ分析対象となる組織を決めて、事例研究をしてもらうことにしました。分析対象は会社でもいいし、学校でもいい。個人的には、学生たちが所属する「大学院情報学環」を分析対象にするとオモシロイと思いましたけど(笑)。
開講が、今から結構楽しみです。
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東京大学大学院 学際情報学府 2008年度
夏学期授業「組織学習システム論」シラバス
中原 淳
東京大学 大学総合教育研究センター 准教授
■講義の概要
人は、人生の一定期間、学校という場所「だけ」で学ぶわけではありません。学校を「卒業」した後でも、会社や組織の中で、新たな知識を獲得したり、他者と知識を共有したりしながら、仕事に日々取り組んでいます。人は年をとっただけでは、学びをやめません。人は、生けとし生きる限り、学び続ける存在なのです。
本授業では、従来あまりスポットライトがあたることのなかった、学校の「外」の学習 - つまり、「企業・組織における学習」に関連する文献購読を行います。経営学、教育学、心理学、社会学等の分野をとわず、関連する文献を購読することを目的とします。
近い将来、組織における学習、人材育成システムを実際に「分析」したり、あるいは「構築」したりする場合に必要になる基礎的概念を理解することをめざします。
文献購読はグループで行ってもらいます。課題文献、図書をグループで役割分担をしながら購読し、ひとつのストーリーにまとめ、プレゼンテーションを行います。
授業の後半からは、分析対象となる「組織」をグループでひとつ決めて、インタビュー、フィールドワークなどを行い、授業で学習した様々な概念をもとに分析していただきます。分析結果は最終日にプレゼンテーションしていただきます。
なお、本授業は2年に1度、隔年の開講です。この授業が開講しない年には「デジタル教材設計論」を開講する予定です。
■想定される受講者像
・組織における知識共有、学習に関心のある方
・組織のおける人材育成、人間の成長に関心のある方
・組織変革や文化の構築等に関心のある方
■評価
下記の3点から成績をつける。
1.コメントカードによる出席点30%
2.プレゼンテーション(全員からの相互評価30%)
3.資料のクオリティ(教員による評価10%)
4.最終プレゼンテーション(全員からの相互評価30%)
なお、相互評価のポイントは下記の5点。
1.スライド・配付資料のわかりやすさ( / 5)
2.プレゼンテーション手法(声・身振り)( / 5)
3.質疑応答の適切さ( / 5)
4.理論の解説がわかりやすいか( / 5)
5.考察がなされているか( / 5)
■場所・時間
火曜日 3限(13:00)を予定(変更の可能性あり)
場所未定
■連絡先
中原 淳(なかはらじゅん)
〒113-0033 東京都文京区本郷7-3-1
東京大学 大学総合教育研究センター 准教授
東京大学大学院 学際情報学府 准教授(兼任)
Blog : http://www.nakahara-lab.net/
重田勝介(しげた かつすけ)
東京大学 大学総合教育研究センター
TREEオフィス コンテンツ開発室 特任助教
Blog : http://jamsquare.org/shige/
■授業の基本的アーキテクチャ
・イントロダクション(中原:5分)
・プレゼンテーション(文献担当グループによる:35分)
・ディスカッション(グループで:15分)
・オープンディスカッション(クラス全体で:30分)
・ラップアップ(中原:5分)
■プレゼンテーションのやり方
・課題として設定された文献を購読し、内容を要約する。すべての要約をより集めて、「ひとつのストーリー」を構成する。
・プレゼンテーションはパワーポイントで行う。
・プレゼンテーションの構成には下記を必ず含めること
・各文献の要約をまとめた内容
・今回の文献で興味深かったところ/研究で使えそうなところ
・今回の文献の課題、問題点
・グループとして考察したこと
・配付資料は人数分用意し、各自で印刷すること。
・配付資料はワード等で文章として作成したものと、パワーポイントの配付資料を2つ用意する。
・プレゼンテーションの前か後に、利用したデジタルファイル(パワーポイント&ワードのPDFファイル)を、メーリングリストにながす。
・プレゼンテーション授業終了後、授業で利用するコンピュータに元ファイル(PPTファイル、ワードファイル)を残しておくこと(評価の際に用います)。
・プレゼンテーションの時間は35分。その後質疑応答があるので、どのような質問にも答えられるようにしておくこと。
■内容
●4月8日 オリエンテーション
・講義概要
・グルーピング&自己紹介
・スケジュールの確認
・授業の流れ
・プレゼンテーションの準備と方法
●4月15日 熟達化と経験:
経験からの学習を促進するものは何か?
・松尾睦(2006)経験からの学習-プロフェッショナルへの成長プロセス. 同文舘出版, 東京
・楠見孝(2003) 暗黙知. 小口孝司・楠見孝・今井芳昭(2003)エミネント・ホワイト:ホワイトカラーへの産業・組織心理学からの提言. 北大路書房, 京都 pp6-24
・楠見孝(1998) 中間管理職における経験からの学習能力を支える態度の構造 日本労働研究機構 資料シリーズNo.110
・楠見孝(2000)中間管理職のスキル、知識とその学習. 日本労働研究雑誌 No.474
松尾氏は経験学習理論と熟達化理論を接近させ、通常の職場において「経験からの学習」がどの程度起こっているかを、心理学的手法を用いて明らかにしている。非常にオリジナリティの高い研究である。
本授業では、ワークプレイスにおける経験学習、および、それを支える要因について考察したい。
●4月22日 熟達化と経験:職種ごとに異なる熟達化プロセス
・笠井恵美(2007)対人サービス職の熟達につながる経験の検討. リクルートワークス研究所(http://www.works-i.com/flow/survey/download.htmlにて入手可能)
・笠井恵美(2007)対人サービス職の熟達につながる経験:小学校教諭・看護師・客室乗務員・保険営業の経験比較 リクルートワークス研究所(http://www.works-i.com/flow/survey/download.htmlにて入手可能)
・見舘好隆(2007)顧客接点アルバイト経験が基礎力向上に与える影響について:日本マクドナルドに注目して. (http://www.works-i.com/flow/survey/download.htmlにて入手可能)
・伊東昌子・河崎宜史・平田謙次(2007) 高達成度プロジェクトマネジャーは組織の知とどう関わるか. 組織科学 第41巻 第2号.
熟達した人とノービスでは何が違うのか。ノービス=エキスパートパラダイムとよばれる熟達化研究の典型的な研究方法を参照しながら、いくつか実践論文を読む。
●4月29日 経験による成長:
人を飛躍的に「成長」させるのはどんなイベントか?
・金井壽宏(2002)仕事で「一皮むける」.光文社書店, 東京
・モーガン=マッコール(2002)ハイ・フライヤー:次世代リーダーの育成法. プレジデント社
・谷口智彦(2007)マネジャーのキャリアと学習―コンテクスト・アプローチによる仕事経験分析. 白桃書房
・Seibert, K.(1999) Reflection in action : Tools for cultivating on the job learning condition. Organizational Dynamics. Winter 1999 pp54-
人を「成長」させたのはどのような仕事経験だったのか。経営学による「経験による学習」へのアプローチをさぐる。
●5月6日 GW振り替え休日
●5月13日 成人教育学という思想:
70年前、ノールズは何を夢見ていたのか?
・マルカム=ノールズ(2005)学習者と教育者のための自己主導型学習ガイド. 明石書店
・シャラン=メリアム(2005)成人期の学習ー理論と実践. 鳳書房, 東京
・パトリシア=クラントン(1999) おとなの学びを拓く―自己決定と意識変容をめざして. 鳳書房, 東京
・日本社会教育学会(編)(2004) 日本の社会教育 第48集「成人の教育」 東洋館出版, 東京
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jssace/idx_nenpou_48.html
・赤尾克己(2004) 生涯学習理論を学ぶ人のために―欧米の成人教育理論、生涯学習の理論と方法. 世界思想社, 東京
1970年代隆盛を極めた成人教育学の源流を、その祖と言われるマルカム=ノールズからたどる。ノールズのアンドラゴジーは、その後、どのような発展をたどったのか。そして、その後、いかなる教育学的批判が寄せられたのか。今、成人教育学の知見に学びうるものはないのか?
●5月20日 組織と物語:物語行為は知識共有を促進する
・Brown, J.S.(2007) ストーリーテリングが経営を変える―組織変革の新しい鍵. 同文館書店
・Boje, David M. 1991. The storytelling organization: A study of storytelling performance in an office supply firm. Administrative Science Quarterly, 36: 106-126.
・Orr, J.(1996) Talking about machines. Cornell University Press
アイデンティティ形成、知識共有、組織理念の学習など、様々な分野で注目されているOrganizational storytellingの最新の動向をおう。ストーリー(物語)、そしてストーリーテリング(物語行為)は、組織で働く個人、そして組織にどのような影響を与えるのか?
●5月27日 組織と物語:物語行為は組織を変える?
・Gabriel, Yiannis 2000. Storytelling in Organizations: Facts, fictions, and fantasies. London: Oxford University Press.
・ステファン=デニング(2004)ストーリーテリングの力. DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー 2004年10月発行(http://www.bookpark.ne.jp/cm/contentdetail.asp?content_id=DHBL-HB200410-007にて購入可能)
・カール=ワイク(1997) 組織化の社会心理学. 文眞堂, 東京
・Zilber,T.(2007) Stories and the discursive dynamics of institutional entrepreneurship. Organization studies. 28(7).
・リクルートHCソリューショングループ(2007) 感じるマネジメント. 英治出版, 東京
アイデンティティ形成、知識共有、組織理念の学習など、様々な分野で注目されているOrganizational storytellingの最新の動向をおう。ストーリー(物語)、そしてストーリーテリング(物語行為)は、組織の価値観や文化形成に、どのような影響を与えるのか?
●6月3日 コミュニティと学習:コミュニティを越境せよ!
・ジーン レイヴ・エティエンヌ ウェンガー(1991)状況に埋め込まれた学習. 産業図書,東京
・Wenger, E.(1999) Communities of Practice: Learning, Meaning, and Identity (Learning in Doing: Social, Cognitive, and Computational Perspectives). Cambridge University Press
・エティエンヌ=ウェンガー(2002)コミュニティ・オブ・プラクティス―ナレッジ社会の新たな知識形態の実践. 翔泳社
・荒木淳子(2007) 企業で働く個人の「キャリアの確立」を促す学習環境に関する研究 : 実践共同体への参加に着目して. 日本教育工学会論文誌. Vol.31, No.1 (20070520) pp. 15-27
人を育てる場として、あるいは、イノベーションを生み出す場として「実践共同体」が注目されている。実践共同体の概念の変容を愉しみつつ、問題点をさぐる。また、実践共同体とアイデンティティ形成に関する実践論文を読む。
●6月10日 組織学習と転移:
企業における転移研究の問題点と可能性
・Holton, E.(2000) Development of a Generalized Learning Transfer System Inventory. Human Resource Development Quarterly, vol. 11, no. 4, Winter 2000
・Enos, M.D.(2003) Informal Learning and the Transfer of Learning: How Managers Develop Proficiency. HUMAN RESOURCE DEVELOPMENT QUARTERLY, vol. 14, no. 4, Winter 2003
・Swap, W. et al(2001) Using mentoring and storytelling to transfer knowledge in the workplace. Journal of Management Information Systems /Summer 2001, Vol. 18, No. 1, pp. 95-114.
学習したことを実際の仕事の文脈で活かすことができるか、どうか - 「転移」は、企業の人材育成にとって、非常に大きな問題である。この回は、HRDの分野で典型的な転移の測定手法を知り、その手法の問題点をさぐる。また転移の促進の手法を概観する。
●6月17日 組織学習論:学習する組織はどこにいくのか?
・安藤史江(2001)組織学習と組織内地図. 白桃書房, 東京
・ピーター=センゲ(1995)最強組織の法則―新時代のチームワークとは何か. 角川書店,東京
・ディヴィッド=ボーム(2007) ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ. 英知出版, 東京
・ジョセフ・ジャウォースキー(2007)シンクロニシティ 未来をつくるリーダーシップ. 英知出版, 東京
・ピーターセンゲ・オットーシャーマー(2007)出現する未来. 講談社, 東京
組織学習論の潮流のひとつとして注目された「学習する組織論」。その源流と近年の展開の方向性をさぐる。もはや社会変革の理論として発展しつつある組織学習論。そこには、どのような可能性と問題点があるのか。
●6月24日 組織開発手法の実際:各手法の最大公約数は何か?
・ダイアナ=ホイットニー(2007)ポジティブ・チェンジ~主体性と組織力を高めるAI. ヒューマンバリュー, 神奈川
・キャシー=クラム(2003) メンタリング―会社の中の発達支援関係. 白桃書房, 東京
・アニータ=ブラウン(2007) ワールド・カフェ:カフェ的会話が未来を創る. ヒューマンバリュー
・David J. Day Leadership development : A review in context. Leadership Quarterly, 11(4), pp581-613.(リーダーシップに関するレビュー論文)
・マイケル・J・マーコード(2004)実践アクションラーニング入門―問題解決と組織学習がリーダーを育てる. ダイヤモンド社, 東京
学習する組織の構築のために利用される、様々な手法を検討することを目的とする。手法の最大公約数は何か?
●7月1日 知識創造経営論:暗黙知と形式知を交流せよ!
・野中郁次郎・竹内弘高・梅本勝博(1996)知識創造企業. 東洋経済新報社, 東京
・山本藤光(2001)「暗黙知」の共有化が売る力を伸ばす―日本ロシュのSSTプロジェクト, プレジデント社, 東京
・妹尾大・野中郁次郎・阿久津聡(2001)知識経営実践論. 白桃書房, 東京
・リクルートナレッジマネジメントグループ(2000)リクルートのナレッジマネジメント. 日経BP社, 東京
日本初の経営理論のひとつである「知識創造理論」、それから端を発したナレッジマネジメントの潮流をおう。野中らの著作をベースとして、他著書より事例をおう。知識創造理論が提示したオリジナリティとは何か。そして、研究手法の問題点は何かをさぐる。
●7月8日 組織文化の中での学習:文化の衣をまとった学習者たち
・佐藤郁哉(2004) 制度と文化―組織を動かす見えない力. 日本経済新聞社
・T・ディール(1997)シンボリックマネジャー. 岩波書店, 東京
・エドガー=シャイン(2004)企業文化―生き残りの指針. 白桃書房
・ギデオン=クンダ(2005)洗脳するマネジメント:企業文化を操作せよ. 日経BP社, 東京
・Martin, Joanne(1983)The Uniqueness Paradox in Organizational Stories. Administrative Science Quarterly, v28 n3 p438-53 Sep 1983
学習にとってコンテキストは非常に重要である。組織は決して真空ではなく、そこには様々なコンテキストがある。文化もそのひとつ。組織構成員の学習が、いかに文化の影響を受けるかを考察する。
●7月15日 ネットワークと学習:人のつながりの中で学ぶ
・安田雪・鳥山正博(2007) 電子メールログからの企業内コミュニケーション構造の抽出. 組織科学 第40巻 第3号
・安田雪(1998) ネットワーク分析. 新曜社, 東京
・ウェイン=ベーカー(2003)ソーシャル・キャピタル―人と組織の間にある「見えざる資産」を活用する. ダイヤモンド社, 東京
・ドン=コーエン(2003)人と人の「つながり」に投資する企業―ソーシャル・キャピタルが信頼を育む. ダイヤモンド社, 東京
・Higgins, K.(2001) Reconceptualizing Mentoring at work: A developmental Network Perspectives. Academy of Management Review, Apr2001, Vol. 26, Issue 2
・Higgins. M.H. and Thomas. D. A.(2001) Constellations and careers : Toward understanding the effect of multiple developmental relationships. Journal of organizational behavior. 22 p223-247
ネットワーク、社会関係資本(ソーシャルキヤピタル)、Developmetal Networkと組織における学習の関係について探求する。
●7月22日 アクターネットワーク、ワークプレイス研究
状況的学習論のインパクト
・ジーン レイヴ・エティエンヌ ウェンガー(1991)状況に埋め込まれた学習. 産業図書,東京
・上野直樹(1999)仕事の中での学習―状況論的アプローチ. 東京大学出版会, 東京
・ブルーノ ラトゥール(1999)科学が作られているとき―人類学的考察. 産業図書, 東京
・Callon, M. (1986) Some Elements of a Sociology of Translation: Domestication of the Scallops and the Fishermen of St. Brieuc Bay, In Law, J. (Ed.), Power, Action, and Belief: a New Sociology of Knowledge, Routledge, London, pp196-233.
・上野直樹・土橋臣吾(2006)科学技術実践のフィールドワーク―ハイブリッドのデザイン. せりか書房, 東京
「正統的周辺参加」「ワークプレイス研究」「アクターネットワーク理論」など、状況的学習論の代表的な研究を概観する。行動主義、表象主義との違いも考察したい。
●7月29日 最終プレゼンテーション
グループごとにプレゼンテーションを実施します。
■参考文献
・中原淳・荒木淳子・北村士朗・長岡健・橋本諭(2006)企業内人材育成入門.(ダイアモンド社)
・中原 淳・荒木 淳子(2006)ワークプレイスラーニング研究序説:企業人材育成を対象とした教育工学研究のための理論レビュー. 教育システム情報学会誌(http://www.nakahara-lab.net/blog/2006jset_workplace.pdfよりダウンロード)
投稿者 jun : 2008年02月14日 13:28 | トラックバック
「研修」も、「経験」も
「研修」か、それとも「経験」か?
このところ、こういう二者択一の議論が、企業人材育成の一部の関係者のあいだで話題になっているようです。
要するに、企業が社員に提供する学習としては、「研修室による学習」がいいのか、「職場での仕事を通じた経験学習」のどちらがいいのか、という議論ですね。
あるメディアの見出しには
「研修」から「経験」へ
とセンセーショナルに述べられていました。そのような認識が、確実に広範囲に広がりをもちつつあるようです。
---
でも、「結論」から述べますと、こうした「二項対立の議論」は慎重になった方がよいのではないか、と思います。
僕の結論は下記です。
一、「研修」も「経験」もともに重要。
一、「研修」で何を学ぶか、「現場」では何を学ぶかを考えて
教育環境をデザインする必要がある
この考えはずっとブレておりません。
ワークプレイスラーニングとは:定義編
http://www.nakahara-lab.net/blog/2007/09/post_1005.html
ワークプレイスラーニングとは:現場の学び編
http://www.nakahara-lab.net/blog/2007/09/workplace_learning.html
ワークプレイスラーニング (Workplace Learning)とは:学習環境のデザイン編
http://www.nakahara-lab.net/blog/2007/09/workplace_learning_1.html
---
「中原は研修賛成派なのか?」
上記のようなことを言うと、こんな「誤解」をされそうです。
もちろん「誤解」です。
僕が「仕事を通じた経験学習」のもつインパクトや効果を軽視しているわけがありません。
よく言われているように、「成人の能力開発の70%は、現場での学びによって説明がつく」わけですから、それを棄ててよいわけなどあるわけないのです。
しかし、ともすればいくつかのメディアの論調は、自社の教育体系を「現場での経験」だけで組み立て、また、それを実現する「現場」や「現場の上司」に過度に依存するモデルになりつつあります。そして、これはいくつかの理由で、僕は慎重になった方がいいように思います。
まず第一に、何らかの教訓や持論をひきだせる「よい経験」は「有限=限られている」ということです。
誰もが「ゼロからの事業立ち上げ」などという「良質な経験」ができるわけではないですし、誰もが「修羅場」を乗り越えられるわけではありません。
先行研究が明らかにしているように、日本企業は社員への報酬を「給料」などによって外発的に保証するのではなく、「次の仕事のおもしろさをもって、報酬とする」傾向があります。つまり、「良質の経験」はそもそも限られて配分されます。
「良質の持論や教訓」をひきだすことのできる「経験」は「有限」です。仕事のすべてが「やりがい」があって、示唆にとむわけではありません(そうなるべきだと思いますが)。
「経験からの学習」だけに過剰に依存するモデルだけを、自社の教育体系として採用することは、長期的視野にたった場合、本当に組織の生産性にプラスをもたらすのでしょうか。
僕は経営学者ではありませんので、「生産性」云々については知りませんが、そのあたりがとても気になります。
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第二に、「良質の経験」があったとしても「経験からの学習が成立する」ためには、様々な要因を勘案する必要があるということです。
過去の先行研究の知見をひもときますと、「経験からの学習」の成否には、たとえば「経験の質」「個人が経験から学びを引き出す力」「上司要因」「組織要因」という4つの要因が影響を与えることが知られています。
経験からの学習 = f(経験の質, 個人が経験から学びを引き出す力, 上司要因, 組織要因)
大きな問題は、この4つの要因が個々に「経験からの学習」に作用しているのではなく、非常に複雑にからみあいながら、「経験からの学習」に影響を及ぼすということです(この一部について、東大の我々の研究チームが研究しています)。
要するに、「良質の経験」のみを与えれば「学習はOK」、というわけには行きません。個人がどの程度経験から学べるか、上司や組織の状態・・・様々に複雑に絡み合う要因の「結果」として学習の成否があります。
このことは「経験からの学習」というものが外部からコントロールしにくいこと、換言すれば「部下によい経験を積ませ続けていくマネジメント」というのは、とても難しいことを意味します。
もしそれを実現しようとするならば、「個人の能力」「上司の能力」「組織の風土」・・・様々な要因間の作用を勘案しなければなりません。
「個人のPDCA能力を開発すること」や「上司の理解や支援」をひきだすためには、どうしても「研修」などが必要になるのではないでしょうか。
「組織風土の改革」ということになりますと、「組織変革」「組織開発」をめざすことも必要かもしれません。
いずれにしても、「現場での経験を与えるだけで人は学べる」と考える、一部のメディアの見方は、やや議論が性急かな、と思います。
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第三に、「経験からの学習」を支えるサイクルのうち、重要な役割を果たすであろう「内省:reflection」についてです。
熟達研究の知見によりますと、人が「適応的熟達」をとげるときには、いったん取り組んでいるところから「離れて」、やっていることを内省する必要があるとされています。
しかし、同時に教育学では、この「内省」は一人で行うことが非常に困難なことがよく知られています。皆さん、思考実験してみてください。
「あのー、あなた、ちょっと内省してくださいよ」
こう言われて、「内省ができる人」はどのくらいいるでしょうか。
内省には他者の存在が必要な場合が多いのです。「自己内対話」というのもないわけではないですが、人は自分の行動を振り返るとき、「語るべき他者」「応答する他者」を必要とします。
そして、他者とともに実施される内省のことを、collaborative reflection(協同的内省)といいます。そして、この協同的内省を実現する場所としては、「現場から離れる場所=研修」が非常に大きいのではないかと、僕は思っています。
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クドイようですが、僕は「現場での経験が重要でない」と言っているわけではありません。「現場における経験からの学び」の重要性は、百も承知です。
また、その研究の重要性や意義は大変高いと思います。僕自身も積極的に行っていきたいと考えておりますし、実際に共同研究者の方々とそれを推進しています。
ただ、「研修は時代遅れ、これからは経験、万歳!」のようにメディアのあおるブームにのっかり、自社の学習モデルを、「現場での経験」だけに過剰に依存して設計することは、慎重になったほうがよいのではないか、と思います。
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こういう風に僕が思うのは、僕が教育研究者であることに理由があるのかもしれません。現在の企業人材育成をとりまく状況が、初等教育、中等教育の教育業界の言説空間に非常に似ているのです。
よく知られているように、日本の教育の歴史というのは、「振り子」のように右に、左に揺れてきました。一言でいえば「リジットな基礎基本」と「リベラルな応用学力」の間を常に揺れ続けてきたのですね。
戦後の自由教育、60年代の基礎基本の徹底、80年代のゆとり教育への転換、90年代の総合的な学習の時間の実施、2000年代には基礎基本と反復練習ブーム・・・。
「振り子」のように、ブームが訪れ、右に向いていたものがすべて左を向き、左を向いていたものが右に向く。そういう教育業界特有の「落ち着きのなさ」「すわりどころの悪さ」には、心の底から辟易としているのかもしれません。
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教育業界には「はい回る経験主義」という言葉があります。「体験」や「経験」を重視した問題解決型の教育がブームになった際に、それを批判する言葉として誕生した言葉です。
企業人材育成も「はい回る経験主義」になってはいけないと思います。これまでの「研修」への過度の依存、無批判な実施を反省しながら、「経験からの学習」の重要性を認め、それらを組み合わせ、シナジーをさぐる「第三の道」をめざすべきだと思います。
「研修」か、それとも「経験」か?
ではありません。
まして
「研修」から「経験」へ
でもありません。
二項対立を避け、中庸を主張することが、人を苛立たせ、退屈させることだとはわかっていつつも、僕は思うのです。
「研修」も、そして「経験」も
投稿者 jun : 2008年02月14日 07:00 | トラックバック
誰も語りたがらない「フリースペース」
先日、ある方とお話をしていた際、こんな話を伺いました。以下、若干の脚色を加えて書きたいと思います。
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その会社 - 仮にA社としましょう - では、かつて、仕事場の隅の方に、誰も使っていないソファとテーブルがおいてありました。
ソファは色あせて、ハタキで叩けばホコリが舞い上がるような代物でした。テーブルも、タバコの後がいくつか残されている年期モノでした。
でも、そこは5時を過ぎると、社員たちが自然と集まってくるようなスペースでした。5時を過ぎる頃に、どこからともなく、盆暮れのお届け物に取引先からもらったビールもってくるものが現れます。ただ、とりとめもなく社員たちがダベる場として、よく利用されていました。
時には、上のものから部下へ経験を語り継いだり、社員同士で仕事や企画のことを語




