往生際の悪い!?プレゼンテーション

 今日はプレゼンの話。

「最後まで往生際が悪い」といえば、それまでなのですが、講演やセミナーなどで、自分が登壇するとき、登壇する1分前、まさに直前ギリギリまで、プレゼンの内容を変え続けることを実践しはじめて、もう15年以上がたちます。

 場合によっては、講演最中に、たとえば参加者の方々にペアトークなどをして時間が少し空いたときにでも、プレゼンを変え続けます。ひと言でいえば、「誠に往生際が悪い」(笑)。

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 でも、その場の空気感とか、参加者の方々の年齢や顔色、コミュニケーションしている様子、うなづきの様子を「見ながら」、

「ここは伝わってないな、もう一回、言葉をかえて言おう」

 とか

「この内容を入れた方が、刺さるだろうな」

 とか

「さっき質問してくれた人の言葉をコンテンツに入れ込んだ方が、つながりができるだろうな」

 とか、そういうことを感じるのです。こういう感覚は、言葉で表現することはなかなかできません。
 そうした予想が、100%あたることはないですが、比較的高い精度で、内容を更新した方が、よい結果が生まれます。
 先だっても、ある会場で、用意したプレゼンの5分の1を入れ替える、ということをしました。

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 さしずめ、そうした「往生際の悪いプレゼンテーション」の様子はインプロヴィゼーション(即興)に喩えることもできるのかもしれませんが、興味深いのは、プレゼンのすべてを「インプロ」でつくっているわけではなく、会場に向かうまで、自宅でプレゼンは完全に作り込んでいるのです。

 いったんは、完全に、作り込む。
 しかし、会場にいったら、作り込んだことはいったん忘れる。
 その場の状況を見ながら、時間ぎりぎりまで作りかえ続ける。
 
 こうしたやり方を、何と言って良いのかわかりませんが、いつか、そういうプレゼンのやり方に、名前をつけてみたいな、と思っています。

 そして人生は続く

投稿者 jun : 2014年5月30日 08:09


大学の今、学生のリアル、アカデミック情報を入手してみませんか?:東京大学新聞社への応援をお願いいたします!

 今日は、皆様にお願いがございます。
 いやー、朝っぱらから、まことに恐縮至極です(冷汗)。

 実は、、、大学生が編集部員となり、大学や学術の情報を「新聞」として公刊する「大学新聞社」が、今、経営的に「重大な岐路」に立っています。 

 私が評議員をつとめている、「公益財団法人・東京大学新聞社」(非営利・学生新聞団体 / 林香里理事長 東京大学大学院教授)も、その例外ではなく、どうか、みなさまの応援をいただけないか、ということです。

 具体的には、既存の紙メディアのクオリティアップとともに、デジタル事業を強化しつつある東京大学新聞社のTwitterや、Facebookページへの「いいね・シェア・RT・フォロー」等等などの拡散に御協力いただけませんでしょうか、というお願いです。
 Facebookページ、Twitterへの「いいね」「購読」などなどで、東大のみならず、広く大学界で起こっていること、学術のニュースなどが、無料で配信され、入手することができます。

 本当に朝っぱらから、お願いですみません(冷汗)。多用中、まことに恐縮ですが、なにとぞよろしく御願いいたします。どうかご検討をお願いします。

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東京大学新聞社フェイスブックページ(いいねをどうかよろしく御願いします!)
https://www.facebook.com/utnp.org

東京大学新聞社 Twitter
https://twitter.com/UTNP

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 東京大学新聞社は、1920年に「帝国大学新聞」として創刊、今年で95年目になります。創業当時から、編集から配信まで、大学生が主体になって取り組んでいる学生主体のメディアです。

 戦前の黄金期には5万部ー6万部の部数をほこり、たとえ戦時であっても「破格ともいえるほどの言論の自由」を守り続けてきました。
 編集部には、日本の政治・メディアを支えた様々な人々がかかわってきました。著名なところでは、江副浩正さん(リクルート創業者)も、東京大学新聞社に関わっていたことはよく知られています。

 しかし、昨今の「新聞離れ」「ネット化」などの勢いは、一般的なマスメディアのみならず、大学新聞社をも襲っています。おそらく、このままでは、数年後には事業継続が困難になる可能性がでてきます。

 そうなれば、学生の情報メディアが極端に不足している現在の大学コミュニティにとって、非常に大きな痛手となることが予想されます。実際、既に、いくつかの大学では、大学新聞社が「廃刊」を迎えています。

 もちろん、こうした動きに、編集部・理事会ともに、全く手をこまねいているわけではないのですが、新規購読者の減少が続く中、何とか、イベント事業・デジタル事業など、「第二の創業期」としてリスタートをしているところです。今年3月からスタートしたデジタル版「東京大学新聞 Online」のスタートも、そのひとつの試みです。

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東京大学新聞 Online(デジタル版)
http://www.utnp.org/

 昨夜は定期的に開催される評議会に、中原も参加していました(評議員は完全ボランティアで、一定数、大学教員も参加しなければなりません)。
 評議会では、様々な議論がなされましたが、おそらく確認されたことは、「今、そこにある危機」です。財務指標の数字の変遷から、わたしには、それが感じられました。
 はからずも「船底に穴があいてしまった船」に乗りあわせている乗組員たちが、「船屋の壁の薄さや厚さ」を問題にして、議論していても、「船自体」に残された時間はそう多いわけではありません。問題は「船室の壁の厚み」ではありません。「船自体」がどうなるか、であり、安全で快適な「航路」が保たれるかどうかです。
「伝統ある老舗」とは「変わらない組織」のことではありません。「時代の風」を受けて「変わり続ける組織」が「伝統ある老舗」だと僕は思います。

 このような状況でのリスタートですが、皆様の応援をどうかよろしく御願いいたします。「いいね・シェア・拡散」に御協力をお願いします。

 もし、このブログをお読みの方の中に、隠れOB・OGの方がいらっしゃったら、ぜひ、応援をお願いします。また、かつて購読なさっていた方がいらっしゃいましたら、デジタル版をのぞいてみませんか?
 また、東大新聞社の購読者は「東大生」がメインです。東大生にリーチなさりたい方がいらっしゃいましたら、ぜひ広告?などをご検討ください。

 僕は、社会貢献としていくつかの団体の公益事業の経営にかかわることも多いのですが、いつもは、自分がかかわっている団体に対して、こういう「どストレートなお願い」をすることはありません。
 しかし、「学生が主体になって行っている事業」が、消えゆくのは、教員のひとりとして非常に悲しいものです。ということで、朝っぱらから、「お願い恐縮、すみません!」という事態に、あい、なりました(笑)。

 どうかみなさまの応援を、よろしく御願いいたします。
 そして人生は続く


 ーーー

追伸.
 先日、雑誌「保育ナビ」の取材で、幼稚園・保育園の人材育成 / 人材マネジメントというテーマで、和泉短期大学の相馬靖明先生と対談させていただきました。フレーベル館の安藤恵理子さんとのお仕事です。

保育ナビ
http://www.kinder.ne.jp/navi/2014_7/

 僕は保育は全くのドシロウトですが、相馬先生によりますと、今、保育園 / 幼稚園の経営課題として「人」の問題がクローズアップされているそうです。

 詳しいことはよくわかりませんが、お話をお聞きしていると、1)首都圏では完全に売り手市場で、離職が常態化していること、2)1法人1施設の家族経営も多いので、マネジメントが聞きにくいこと、3)2代目の世襲問題が起きやすいこと、4)女性中心の職場で男性保育士の定着が問題になりやすいこと、5)1法人複数施設経営が広まってきており、管理職が不足していること、などなど、「人材開発・人材マネジメント」の課題のオンパレードであるように思いました(泣)。
 そこに必要なのは、やはりマネジメントの発想であり、人の観点から事業を見つめ直すことなのかな、と思いつつ、興味深くお話をうかがっておりました。

 最後になりますが、このような学びの機会をいただきました、和泉短期大学の相馬靖明先生、フレーベル館の安藤恵理子さんには心より感謝いたします。ありがとうございました。

投稿者 jun : 2014年5月29日 06:00


自分の「耳」を養うのです!? : アナウンサーの「学びの現場」を取材させていただきました!

 先だって、人事専門誌「学びは現場にあり」の取材で、TBSテレビにお邪魔し、「アナウンサーの学び」について、現場の方々から、非常に興味深いお話を伺いました。この仕事は、JMAM久保田さんと、井上さんとの仕事です。

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 まずお邪魔したのは、新人アナウンサーの練習の場面です。
 つい最近、制作部からアナウンス局に異動なさった笹川友里さんが、30年のキャリアをもつベテラン・清水大輔アナウンサーに先生になってもらい、ニュース原稿を読む場面を見学させて頂きました。

 小さな小部屋の中で、新人アナウンサーの笹川さんが、ニュース原稿を読んでは、ICレコーダに記録され、その後再生。清水さんからは、「自分としてはどこが悪い」と思うか、を問われます。

「この2行(の原稿)あたりで気になるところがあったけど、どこだった自分は思う?」

 実践ーモニタリングーフィードバックを繰り返す、その様子は、非常に興味深いものでした。

 清水さんによりますと、アナウンサーの育成で、最も力を入れているのは、「発音すること」ではなく、「自分の耳を養うこと」だと言います。

 なぜなら、アナウンサーは3ヶ月後のトレーニングを経たのちは、原則としては「自分一人で、自分の発音を直し、トレーニングを積み重ねなければならないから」だそうです。要するに「自己調整学習するための感覚器を養う」ということでしょうか。

 そして、そのためには、自分の発音やアクセントを聞き取る「耳を養うこと」が大切なのだそうです。
 そのことは、その後にインタビューをさせていただいた加藤シルビアさん(現・Nスタアナウンサー)も同じようなことをおっしゃっていました。
 人には、それぞれに、自分には気づかない発音・アクセントの癖がある。そうした癖を自分で意識してなおすことが重要なのだそうです。
 練習を積み重ねることで、自分の錯誤に気づくことのできる「耳を養う」というのは、まことに興味深いメタファです。見学・ヒアリングをご許可頂いた清水さん、笹川さん、加藤さん、本当にありがとうございました。心より感謝致します。

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 その後は、人材開発部の藤田多恵さん、矢田絵里奈さんらのお招きで、「TBSテレビ新入社員研修」の最終場面、「スポットCM発表&審査会」を見学させていただきました。

 TBSテレビでは、配属直前、新人研修のフィナーレとして、30秒から1分程度のビデオ制作を新人に課しているそうです。制作にあたっての成約は「撮影1日、編集1日」。今年は、「TBSのテレビで、朝が変わる」というテーマで、新人達が6人のグループになり、30秒のスポットCMをつくったそうです。この30秒のCM発表会が、全社のしかるべき方々に審査員になってもらい、先だって、開催されていました。

 発表会では、

1.メッセージ力
2.インパクト
3.構成力(編集のテクニック力)
4.オリジナリティ

 の4つの視点で評価がなされます。4つのグループの作品ともに面白かったのですが、僕も見ていて、「たぶん、優勝はこのグループだろうな」と思った作品が賞をとりました。
 制作された、これらのCMは、社内のエレベータで流れる可能性があるのだそうです。さすがはテレビ局。

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 今日はテレビ局の人材開発のお話をしました。
 現場はまことに学びが多く、また、そこにいる人々の語りには、豊穣なメタファが含まれています。非常に興味深いことです。

 最後になりますが、今回の取材をアレンジして頂いたTBSテレビ藤田さん、矢田さんには心より感謝致します。お二人は、かつて、僕の授業の受講生でいらっしゃいました。
 帰り際、もうひとりのアラムナイであった中田奈穂子さんにもお逢いすることができました。

 アラムナイの方々が、それぞれの現場で、人材開発に携わっている様子を拝見させて頂くことは、これ以上、幸せなことはございません。ありがとうございました。心より感謝致します。

 そして人生は続く

投稿者 jun : 2014年5月28日 05:55


多様化・多忙化・複雑化する大学院ゼミ!? : 古典を読まなくなることで失われる「思考の文脈」

 先だって、論文を書かなければならなくなって、ドナルド・ショーンの「Reflective Practicioner」を、本当に久しぶりに読み返す機会を得ました。


 最初は、論文執筆のために必要な箇所、8章だけ(組織学習に関する章ですね)を読もうと思ったのですが、久しぶりに読み返してみると、

「おー、こんなことも言っていたのか!、なんと!」

 と思うところがあまりに多く、結局、大方の章を読み返すことになってしまいました。
 久しぶりに、何とか、そのような時間がとれてよかったと思っています。まさに「スルメ」のような大著です。

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 ところで、大著を読んでいて、痛切に思ったことがあります。それは、「多様化・多忙化・複雑化する大学院でのゼミ運営」で、指導教員としての自分が、ついつい「古典」をやむなく、ないがしろにしていた、という事実です(1980年の本で古典とは、申し訳ない気持ちもたっぷりなのですが、敢えて、ここではそう呼称します)。
 ワンワードでいうと、「これはいかんな」と少し反省しました。汗顔の至りです。

 具体的にいうと、かつての中原研では、夏に合宿を行い、集中的に古典的大著をみんなで読む時間をつくっていましたが、ここ2年は、やんごとない事情で、その慣習を廃止していました。「理由に該当する正当性のある理由」はないのですが、敢えて述べるのだとすると、3つくらいの状況から、やむなく、そのような判断をとりました。 

 理由のひとつは「メンバーの多様化」です。
 今や中原研のメンバーは、学生から社会人大学院生、そして、仕事との両立をはかっている人から子育て中の方まで、年齢含めて、非常に多様化しています。
 そういう多様な方々を対象にして、いっせのせで、時間をあわせて集中的に時間をつくることが、年々、難しくなってきた、ということが、まず背景としてあります。

 ふたつめの理由は「研究の複雑化」です。
 最近は、定量データの取り扱い、定性的な研究手法まで、非常に分析の手法が高度化・複雑化してきており、それを「実践の中から学ぶ」ために、ゼミ生個人の研究とは別に、「研究室の研究」を任意でつくり、それに従事していく中で学ばせる手法をとっています。

 研究は常に「進歩」していきます。そして、その進歩のスピードが格段に速くなっている。何とかかんとか、それにおいつくための時間を確保することが非常に年々難しくなっている印象があります。「Publish or Perish?(論文を書くか、滅亡するか?)」という言葉がありますが、とにかく早く業績をだすことが優先される風潮が高まっています。

 みっつめの理由は、指導教員である僕の「多忙化」です。
 かつては夏休みといいますと、比較的2ヶ月くらいは余裕があって、その間に合宿をすることは不可能ではなかったのですが、それが段々、年々と難しくなりつつあります。
 何とかしなくてはならないのはわかっているのですが、現段階でも、夏・秋の休み中に、スケジュールのない土曜日・日曜日は全くない状況です。

 かくして、中原研では、「古典は各人が任意で読むように」ということになったのですが、それが各メンバーにおいて、どの程度、完遂されているかは分からない状況になってしまいました。

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 ところで、今回、30年以上前に書かれたショーンの大著を読んで、痛切に思ったことは、誤解を恐れずにいえば、この本は「Reflection in Action(実践の中での内省)」を扱っているだけの本ではない、ということです。

 わたしたちは、ショーンといいますと、わたしの研究領域の研究者ならば「知らないでいることを許されない概念」のひとつである「Reflection in Action」を真っ先に思い浮かべますが、「古典を読まないことで失われるがち」なのは、この概念が出てくるまでの「歴史的文脈」と「理論的文脈」なのです。

 たとえば、「Reflection in Action」を知っている人の中でも、この概念の依拠する「歴史的文脈」と「理論的文脈」をご存じの方はどの程度いらっしゃるでしょうか?

 原典をお読みの多くの方は、もちろん、ご存じの方も多いのだと思うのですけれども、ともすれば、そうした「歴史的文脈」と「理論的文脈」が滑落して、著名な概念である「Reflection in Action」だけが独り歩きしてしまいがちです。

・ショーンは、もともとデューイの「探究」概念を用いて、意思決定に関する研究をしていた

・ショーンは大学に来る前、長い間、NPOや組織において、組織革新に関するコンサルテーションや調査をしていた

・ショーンが大学にうつってから、専門職養成のカリキュラムの編成に苦労し、その中から「専門職」について考えることになったと思われる

・「Reflection in Action」の着想を論じるデータとなったものに関しては、「建築家・デザイナーの会話記録」「精神分析の会話記録」「工学教育の学生協働プロジェクトのデータ」「ビジネスにおけるマネジャーの思考プロセス」「トランジスタ研究開発の会話記録」「都市開発の建設計画における専門家の会話記録」などがある。決して「教師」や「医師」の意思決定を扱うだけのモデルとして、「Reflection in Action」が着想されたのではない。

・ショーンが「Reflection in Action」において常に意識していたのは、「組織学習」に関する問題であった。つまり、組織 × 専門職 × 意思決定の交差する場所に、「Reflection in Action」があった。

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 などなど。
 こうして考えてみると、ショーンが提示した「Reflection in Action」という概念も、より立体的に見えてはきませんか。やはり、古典的大著をしっかり読まなくてはダメなのだ、と痛感しました。あたりまえのことではありますが。

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 R.ローティなどを引用しながら、ポスト近代における大学の理念と存在意義の消失の問題を論じたのは、去年まで、同じ部門で働いていた元・同僚の藤本夕衣さん(現・慶應大学)です(「古典を失った大学―近代性の危機と教養の行方」というご著書があります)。
 
 彼女がそのような主張を、ごくごく身近でしていながら(泣!)、ついつい、いろいろな理由で、古典をよむ機会をやむなく失わせていたことを、反省しています。

 問題はどのように、その時間をつくるか、です。
 もう一度、初心に戻って、考え直してみたいと思っています。

 そして人生は続く

投稿者 jun : 2014年5月27日 06:21


「成功事例」こそリフレクションすることの意味!?

 先だって、某授業で、松尾睦先生(北海道大学)のご講義をお聞かせ頂く時間を得ました(松尾先生、ご出講をありがとうございます!感謝です)。

 松尾先生には「経験学習」についてご講義をいただいたのですが、その中で特に印象深かったのは「リフレクション」についての、松尾先生のお考えです。
 
 一般に「リフレクション」で、その対象となるのは「うまくいかなかった過去の出来事(すなわち失敗事例)」であることが多いのですが、松尾先生によると、それでは片手落ちで、「うまくいったこと(すなわち成功事例)」もリフレクションするとよい、というお話をいただいきました。

 確かに、通常、リフレクションといいますと、わたしたちが真っ先に想定するのは「過去の失敗のプロセスを振り返り、分析したうえで、次のアクションにつなげること」です。

 しかし、もうひとつ大切なのは、「うまくいった成功事例」を対象として「なぜうまくいったのか? これを継続させるためには何を為すべきか」を考えることも大切だと感じました。
 リフレクションを促される側のモティベーションの観点からも、それは大切なこと事ではないか、と。それら成功事例をしっかり分析し、共有できたとすれば、ポジティブな組織学習にもつながる可能性があります。

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 今日は「リフレクション」について書きました。リフレクションという営為事態に、ポジティブも、クソもへったくりもないのですが、曇りのない目で、それを実践したいものですね。

 週明け、そして人生は続く

投稿者 jun : 2014年5月26日 08:16


仮説は「命題」か「見通し」か?

 僕のような研究領域ですと、必然的に研究者は「仕事の現場」と「研究の現場」を行き来しながら、仕事をすることになります。

 ヒアリングや調査などを通して、仕事の現場におられる方々に話を聴かせていただく一方で、研究室に籠もり、あーでもない、こーでもないと分析を繰り返す。
 最近は、アドミニストレーションの仕事が増えておりますが、まぁ、日々、そんな生活を過ごしています。

 ところで、仕事の現場の方々から、話を伺っていると、ときに、ハッとすることがあります。
 ある用語が、研究の現場で用いられる用語と、少し異なる意味において、利用されているとき、一瞬、翻訳に時間がかかるのです。

 たとえば、「仮説」という言葉もそのひとつです。

 研究の現場では「仮説」とは、いろいろな定義があるのでしょうけれど、「ある現象を説明しうる命題で、真偽の判定を行いうるもの」という意味において使われます。
 ワンワードでいえば、仮説とは「YesかNoか」のジャッジが行える命題です。

 しかし、一方、仕事の現場においては、「仮説」は、これまたいろいろな用法があるのでしょうけれど、もう少し緩やかにとらえられています。

 たとえば、「僕は、ほにゃららな仮説をもって、あの事業にあたっているのですよ」という言葉の場合、それが指し示している内容は「ビジョン」や「見通し」に近いものであったりすることがあります。
 もちろん、場所によっては、研究の現場と同じ用法で「仮説」という言葉を使っているところもあります。ただ、総じて見ると、「仮説」とは「方向性」「ビジョン」「見通し」に近いものとして用いられます。

 ちなみに、そうした用法が間違っている、と断じて言いたいわけではありません。
 そうではなく、言葉ひとつでも、それがどのような意味において利用されているかについて、常にアンテナを立てていなければ、その方の、その文化圏は理解できない、ということが言いたいのです。

 たかが「仮説」という言葉ひとつのことですが、「仕事の現場」と「研究の現場」を行き来しながら、研究をするとは、そういうことです。

 それは用語や用法の異なる、2つの世界を越境しながら、知の生産に関わる、ということであり、その際に求められるのは、「フィールドワーカー」的な態度です。

 でも、面白いものです。
「世界は1つ」なのに、この世には、様々な「島宇宙的・文化圏」が存在する。今日はどんな言葉の用法に出会えるか。またまた1日を過ごすのが楽しみです。

 そして人生は続く
 

投稿者 jun : 2014年5月23日 08:51


「痛み」と「問い直し」と「ちゃぶ台バーン」による学習(泣)

「変容的学習」という言葉があります。

 主に、成人教育論の中で流布している学習論で、「意識や価値観の変容」を扱う概念です。

(何をもって一般というのか、これまたビミョーですが、変容的学習という概念は、たとえば一般的な学習科学系の研究群では触れられることは極めて少ないと思います。この領域間の分断は、学問的には、議論すると、これまた面白いテーマなのですが、敢えて、ここでは述べません・・・なんせブログなんで、笑)。

 僕の指導学生の田中聡さん(中原研・M1)が、これに関連する研究をなさろうとしていることもあり、興味深いので、いくつか本や論文を読みかえしてみました。

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 「変容的学習」とは、ワンワードでいってしまえば、「自明となっている価値観や前提が揺らいでしまうような学習」です。その契機になるのは、「方向感覚すら失わせるようなディレンマ」(Mezirow 2010)、ないしは「混乱的ディレンマ」(Mezirow 1994)とよばれるものです。

 より一般的にいうと、「思い出すことすら躊躇われるあの出来事」「今思い出しても、胸が締め付けられる、あの瞬間」という感じになるのでしょうか。

 人は、そうした出来事にぶつかると、それまで物事を解釈していた枠組み(意味パースペクティブ)がゆらぎます。なぜなら、今、遭遇している「圧倒的なディレンマ」が自分の従来の枠組みでは処理することができないからです。

 今、まさにぶち当たっている出来事は、これまでのように、今まで自分がしてきたように、省察(reflection)を通じて「経験を解釈し、経験を意味づけること(Mezirow 1991)」することはできない。
 ならば、それまで自明視していた前提や価値観を問い直し、再構築せざるを得ない。「自明の前提・価値観」、ちゃぶ台バーン!(泣)

 こうしたプロセスこそが、「痛みと問い直しの学習論」こそが、変容的学習に他なりません。もちろん、感じたディレンマを、揺らぎつづける己の価値観を抱き続けることができず、「乗り越えられない場合」もゼロではない。変容的学習とは、それほどリスキーなプロセスです。
(ちなみに、変容的学習は、本当にこのようなプロセスを通して進行するのか、それは実証する研究はまだまだ少なく、この学習プロセスは仮説的であるとも言えます。わずかに本邦では、東大の孫大輔先生のご研究が、まことに興味深い実証的探究を行っておられます。孫先生、その節は、論文をお贈りいただきありがとうございました!)

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 変容的学習の論考を読みながら、ふと、自分自身の半生を振り返ります。
 僕自身にとって「変容的学習」が起こった出来事は、どんなことがあったのかを。
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 あのときは痛かったなぁ・・・
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 ありゃ、修羅場だったなぁ・・・
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 自分の変容的学習の契機の詳細はここでは述べませんが(遺体、じゃなくて、あまりに痛い出来事なので、笑)、すぐに思ったことは、変容的学習を研究するとは、「相当の覚悟」がいるな、ということです。別の言葉を用いるなら、「腹をくくる必要」があります。

 「変容的学習」には他者の「痛み」や「葛藤」や「問い直し」が必然的に含まれます。それは、饒舌に、ニュートラルに語ることはできないストーリーであると思います。変容的学習を研究するとは、そうしたストーリーと向き合うことです。
 他者の痛みと葛藤のストーリーに真摯に付き合い、受け止めることは並大抵のことではないな、と思いました。

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 5月末、今春入学した大学院修士の学生たちは、苦しみ苦しみながら、葛藤に葛藤を重ね、自分のリサーチクエスチョンや仮説を磨いております。
 何度、仮説をつくっても、ちゃぶ台をひっくり返される。何度、研究発表をしても、「で、何? 結局、何がやりたいの?」と言われる。全然OKはしてくれない。調べても調べても、わからなくなる。さしずめ、樹海を彷徨うかのように・・・学生の皆さんには、頭が下がります。お疲れさまです。そのプロセスは、さしずめ「プチ変容的学習」なのかもしれません。
 
 指導学生の田中さんには、「プチ変容的学習」のプロセスを通して、ぜひ「変容的学習」に向き合って頂きたいな、と思います。「強烈な入れ子」ですけれども。

 そして人生は続く

投稿者 jun : 2014年5月22日 08:45


抽象化と具象化のトレーニング!? : 大学にしかできないことは何か? 苅谷剛彦先生との対談をとおして

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 先だって、ある仕事で、オックスフォード大学の苅谷剛彦先生(社会学)とお話する機会を得ました。

 苅谷先生は、僕が学生時代に(勝手に!?)最も影響を受けた先生のお一人で、このたびは10年ぶりくらいにお話させていただく機会を得ました。貴重な時間をたまわり、心より感謝いたします。ありがとうございました。
(学生時代、僕は全然出来の良い学生ではありませんでしたが、僕の名前を憶えていてくださったのは、まことに嬉しいことでした)

 約20年前と全く変わらない、先生の「シャープな思考」と「パッションあふれる語り」を前に、改めて、自分が学部生であった頃の「初心」を思いだしました。

「しゃん」として襟を正さねばならぬな、と(勝手に!?)、日々の雑念を反省した次第です。ごめんなさい。。。

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 苅谷先生とのお話は、どれも非常に示唆に富むものでしたが、最も印象深かったのは、

「大学にしかできないことは何か?」

 というお話です。

 大学の入り口(高校から大学へのトランジション)と出口(大学から仕事へのトランジション)の境界が、グローバル化・情報化の影響を受けつつ、揺れ続ける中で、先生からいただいた問題提起には、とても考えさせられました。

「大学にしかできないことは何か?」

 苅谷先生によると、究極的に「大学にしかできないこと」とは、「抽象化と具象化の思考」を身につけることにあるといいます。
(ICレコーダーの音声をおこしたわけではないので、ご発言は一字一句そのとおりではありません。あしからずご了承下さい)

 ここで「抽象化」とは、ある「ドロドロの現実ワールド」や「経験則的世界」から、一般的で抽象的な「原理」「概念」を導くことをさしていると思われます。
 そして「具象化」とは、一般的で抽象的な「原理」や「原則」の世界から、「現実」や「経験」を照射することをいいます。

 苅谷先生によれば、「大学以前の他の教育機関」や「現実と経験の支配する仕事世界」では、「帰納」や「演繹」を循環する知的トレーニングを行っていくことは難しいとおっしゃっておりました。

 教育機関といっても、様々ありますので、一概にはいえないのですが、現象の世界から原理を導いたり(抽象化)、概念の世界から現象を考察し、行為する(具象化)ことの円環的な頭の働かせ方をなすことは、確かに、確かに大学が「得意とするところ」のひとつであると思います。

「それって教えられるのって大学だけなんだよね」とおっしゃっておられたことが、とても印象的でした。

(機能分化が進んでいる大学において、大学という一般名詞でその役割を一概に話すことはできないことを敢えて捨象した上で、今日は話を単純にしてお話をいたします)

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「抽象化」と「具象化」ということについては、個人的には、考えさせられることが多々あります。

 世の中・・・特に人材関係の言説空間には「経験こそがすべて」「現場こそがすべて」「経験もしてないくせに、何を語るんだ」「現場にいないくせに何がわかる」といったような「経験至上主義」的論調、「現場原理主義的言説」が蔓延っております。

 確かに「経験」も「現場」もパワフルなことには違いはないのですが、しかし一方、もし、人が「経験」と「現場」だけによってしか学んだり、考えたりしかできないのであれば、人はひたすら「現場をドロドロと這い回り、経験にまみれること」になります。そして時に「経験至上主義」は「経験した人にしか何かを語ることを許さぬ排他的世界」を構築します。

 そこで求められるのは「抽象化の知性」です。世の中で起こっている出来事を総括しつつ、一般的な概念や原理を生み出しうることが求められます。

 一方、「一般的な概念」や「原理」だけで物事が進むかとおっしゃいますと、それが行きすぎた場合には、それらは「机上の空論」に堕していきます。

 最悪の場合には、「概念としては言いたいこともわかる」し、「洗練」もされている。しかし、それを照射する「現実」がない、という奇妙な事態が生まれます。新しく生み出した概念(変数名)は、イニシエの概念(変数名)とは、確かにちょっと違う。でも、その違いは「現実」とは乖離している。そんな事態が生まれます。

 これは個人的にいつも思っていることですが「方法なき思想」や「実践なき概念」ほど空しいものはありません。そこでは原理・原則を現実に照射し、実践をつくりだしていくことが求められます。ここで駆動するのは、いわゆる「具象化の知性」でしょう。

 結局、高度に発達した知識社会を渡り歩いていくためには「抽象化」と「具象化」の「円環的思考と実践」を、個人が自ら回していけることが重要なのだと思います。
 そうした思考をトレーニングする場としての大学というのは、まさに「我が意を得たり」という感じでした。

 このことは考えてみると、それほど「奇をてらったこと」ではないのですが、ともすれば、忘れ去られがちな視点だな、と思いました。

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 やおら教員などを、10年以上続けておりますと、様々な人々を目にします。

 このあたりは自戒を込めて申し上げますが、「経験ドロドロ、現象ヌルヌルの世界」を「至上」のものとし、概念化が不得意な学生。
 一方、「概念」ばかりが先に立ち、「イキイキとした経験や現象」の世界に飛び込むこと(Jump in)を戸惑う人々。

 そうした「抽象と具象の片道切符」しか持たない状況を、円環のムーヴメントに導くことが、僕の仕事のひとつなのかな、と思いました。

 そして人生は続く

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 苅谷先生の授業で、僕が、もう「脳に刻み込まれるほどのレベル」で、20年たっても忘れられない授業の一コマがあります。
 それは、ピエール・ブルデューの「再生産」の中の「象徴的暴力」の概念を教える授業です。人文社会科学の研究において、このあまりにも有名な「再生産」の第一テーゼ、すなわち「教育の暴力性」を教えるために、苅谷先生は何をなさったか。

 それは、下記のあまりにも難解な「再生産」の第一テーゼを、英語で、しかも、自ら突然教室にあらわれ、自ら「苅谷剛彦教授」であると名乗ることなく、これを黒板に書き付けることでした。

「およそ象徴的暴力を行使する力、すなわちさまざまな意味を押しつけ、しかも自らの力の根底にある力関係をおおい隠すことで、それらの意味を正統であるとして押しつけるにいたる力は、そうした力関係のうえに、それ固有の力、すなわち固有に象徴的な力を付けくわえる。」
(ブルデュー・パスロン「再生産」)

 誰ともしらぬ人(単なるオッサンかもしれぬ)が、勝手に教壇にあらわれ、この難解なテーゼを、しかも英語で、黒板に書き付けたとき、100人以上いる東大の受講生のあいだに起こった現象とは何であったか? それこそが、「象徴的暴力」の概念の意味を考え得るきっかけなのです。
 そこにあわられた現象は・・・・何ら「根拠なきテーゼ」ーしかも意味のわからない難解なものーを、自らのノートに静かに書き留める、という東大生の集団的行為でした。

 そして、この一斉に発露した根拠なき集団的行為こそが、「象徴的行為」を考え得る最初のきっかけになったことなのです。苅谷先生は問いました。

 君らさ、僕のこと、誰だと思った?
 何も言ってないよね? 僕、教壇に立っていただけれども。
 僕、教師だとも、ひと言も言ってないよね?
 誰も、名乗っていないよね?

 でも、君ら、ノートに書いたよね?
 なぜ、君らは、誰かわからぬ人が、勝手に英語で板書した、意味のわからないテーゼを、自分のノートに書こうと思ったの?
 なんで? 
 そこにはどんな力が蠢いてた???

   ・
   ・
   ・
 
 いやー、しびれるね、20年たっても、この授業は(笑)。
 僕が20年たっても忘れられない授業とは、こういう授業です。
 20年たっても忘れ得ぬ授業に、心より感謝いたします。

投稿者 jun : 2014年5月21日 09:58


「見る映画」から「体感・参加する映画」へ : 出来事のデザイン!?

 「体感×映画」「参加×映画」というものが流行っているそうですね。そして、その方向性にもいくつかがあるそうです。全くの門外漢ですが、今日は、その中からいくつかを取り上げてみます。

 ▼

 まず、ひとつには「システムで体感を提供するもの」。
 こちらのシステムでは、映画館の座席が、作品中のシーンと完璧にリンクし、前後上下左右へ動いたり、風、水、などが出たりするなど、3Dを超えた演出が可能なのだそうです。こちらは、僕も、一度経験したことがあります。

 もうひとつは「コンテンツにあわせて参加者が自ら動くもの」。こちらの場合では、映画の視聴者が、映画の画面を見ながら、参加者が、画面に合わせて、歌ったり踊ったりできるのだそうです。
 先だって、僕もTAKUZOと「アナと雪の女王」を見に行きましたが、そちらでも、主題歌を「いっしょに歌おう」というセッションも用意されていて、非常に興味深いことでした。

 いずれにしても、

「コンテンツを一方向的に提供する」というよりは「参加者に参加してもらうこと」

 を重視しているのだと思います。

 そして、その場合、作り手の役割も変わります。新たな映画の作り手は

「コンテンツ」をつくるのではなく「出来事」をつくること

 になるのではないかと思います。
 非常に興味深い変化ですね。全くの門外漢なので、詳細は知りませんが、面白い変化だと思います。

 ▼

 今度暇を見つけて、踊り狂う系の参加型映画に行ってみたいと思っています。
 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2014年5月20日 09:14


異業種5社のリーダーが集まる研修をいかにデザインするのか!?

 この週末は今年からはじまった「地域課題解決プロジェクト」で北海道・美瑛町におりました。

 このプロジェクトは、異業種5社のトップ人材が、北海道・美瑛町に集結し、地元の方々とともに地域の課題解決を行うプロジェクトです。

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 ヤフー株式会社の本間さん・池田さんにお声がけいただき、中原も、企画・監修者として、またプロジェクトのファシリテータとして、本プロジェクトに参画させていただいております。

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 今週末行ったことは、まず、5社のそれぞれの社員の混成からなるチームがはじめて顔をあわせ、フィールドノーツをもって美瑛町をまわり実施しつつ、美瑛町の方々とかかわり、自らが解決提案する「イシュー」について「発見」することでした。役所、学校、病院、農協、観光拠点など、多種多様なフィールドの方々から話を伺い、また、それらの場所をツアーしつつ、参加者の方々が、イシューを決めていくプロセスは、非常に興味深いものでした。

 プロジェクトでは様々な出来事!?が起こりましたが(笑)、それぞれ各社の多種多様なトップ人材が集まり、かつ、「答えのない問題」と格闘するのだから、それはアタリマエ。
 それでも、なんとか、無事、このセッションを終えることができました。ご参加頂いた皆様の前のめりでポジティブなかかわりと、地元の方々の熱意とホスピタリティあふれるおもてなしに、心より感謝いたしますとともに、今は、セッション1を無事終えられたことを嬉しく思っています。地元・北海道新聞にこのプロジェクトの様子が大きくとりあげられました。

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 さて、このプロジェクトの最高にスリリングな点のひとつは、研修のデザインを、人事・人材開発担当者が自ら行う点です。

 各社の人材開発担当者の方々は、最低1回以上、ファシリテーターを担い、プログラムをデザインする必要があります。また、人材開発担当者の方々は、それぞれグループにフィールドワーカーとして張り付いています。

 研修終了後には、各グループに散っていた研修開発担当者の方々が全員集まり、リフレクションを行い、次のアクションを全員で決めていきます。その様子はまさにインプロ。全体で集めた情報を共有し、即興で、タイムラインを見直し、次々とコンテンツをつくっていく(これができないと、想定外のことがたくさん起こる異業種研修は、なかなかシンドイと思います)。
 もちろん、インプロのタイミング、カリキュラムの構成、ファシリテータの問いかけ、用いる概念については、中原がそのつど事務局の方々、ファシリテータの方に助言し、一緒に考えていきます。答えは誰もわからないのです。可能なのは、「一緒に考えていき、即実践し、結果とプロセスを内省すること」だけです。

 つまり、ワンセンテンスで申しますと、

「地域課題解決プロジェクト」には「2つの研修(プロジェクト)」が走っている

 のです。

「各企業のマネジャーが問題解決を行う表カリキュラム」とは別に「人材開発担当者が協働する裏カリキュラム」がもう一本(笑)。1粒で2度おいしいとは、まさにこのことかと思います。ただし、表カリキュラムが終わっても、裏カリキュラムがありますので、夜遅くまで事務局のミーティングと内省が続きます。気力・体力は相当必要です。
 今回の研修事務局の中で、主にこれまでカリキュラムを練ってきたメンバーは、アサヒビール株式会社 門永さん、株式会社インテリジェンス 武井さん・美濃さん、株式会社電通北海道 森さん、日本郵便株式会社 鶴田さん・畑さん、ヤフー株式会社 本間さん・池田さん、美瑛町 後藤さん・平賀さん・観音さん・石崎さん、NRI三崎さん、そして小生です。 
 これらの皆様から学ばせて頂くことは多く、この事務局に参加できたことは、今後の自分にとってラッキーでした。

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 これまで、僕も、いくつかのリーダ研修、マネジャー研修などを引き受けてきましたが、「異業種 × 社会貢献 × リーダー」の3要素が詰まった研修ははじめてです。
 異文化の人々が出会い、協働するときには、配慮しなければならないことがたくさんあります。また、この種のダイバーシティにとむプロジェクトのデザインは、過去に先行する事例も、研究もありません。こうした「異業種のリーダーが集まり、何かを成し遂げる研修のデザイン」について僕自身も学ぶ場になっていることは、とても嬉しいことです。
 研修終了後には、僕自身も毎日、フィールドノーツをしっかりとつけています。僕自身も多くを持ち帰りたいと考えています。

 次回のセッションは6月、7月、と続きます。
 そして人生は続く

追伸.
 5月9日、拙著「駆け出しマネジャーの成長論」が発売されました。AMAZON「瞬間最大風速」的に、カテゴリー「マネジメント・人材管理」「中公新書ラクレ」「リーダーシップ」の3冠1位を記録しました(笑)。ありがとうございます!心より感謝いたします。
 この本は、「実務担当者がいかにしてマネジャーになっていくのか」を扱った一般向けの新書です。人材育成研究の知見と、先達マネジャーの語りから、新任マネジャーが直面する7つの挑戦課題について、それをいかに乗り越えるかを考えています。玄人のみなさまにもお楽しみ頂けるように、脚注などを充実させました。どうぞご笑覧ください。

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投稿者 jun : 2014年5月19日 07:00


【Translation】Reading books is like expanding your map! : Which kind of map do you have, world map or town map?

Generally, researchers read so many books and papers everyday. At least in my research area, vast amounts of books and papers that we have to look over, are being published all the time. We should keep up with most of them in order to create new research.

But, time is limited. Recently, I have reached middle age and I don't have enough time to study hard because of increasing administration time. However, I want to stay on the frontline. so I'll make an effort to continue.

  ▼

By the way, when it comes to thinking of books and papers, that reminds me of two events that I experienced when I was in my twenties and I just got a research position.

Speaking of the first event, a distinguished scholar who had read a great volume of research material said to me :

"Nakahara-kun, you just got to be a research assistant and you are still young. The young researchers like you have to catch up on the previous researcher's work. So that means you must work harder and read more than I've done. Have you read enough books for that?"

Ooops!
A distinguished scholar who was like a "walking encyclopedia" said that. so I could not say anymore.

As for the second event, I remember what a more experienced researcher said to me.

Reading books is like expanding your map. Some researchers venture out on their research area with a world map, others take a walk around the neighborhood with a town map. What kind of map do you have, Nakahara-kun? What kind of adventure do you want to have?」

Ooops, again!

 ▼

Today I've written the essay related to reading. There are famous quotes such as "If we look over their bookshelf, we can grasp how intellectual people are."

What kind of map do you have?
Life goes on...

投稿者 jun : 2014年5月16日 08:00


読書とは「地図」をもつことである!? : あなたが手にしているものは「世界地図」ですか、それとも、「町内会地図」ですか?

 研究者は、一般に、たくさんの本や論文を読みます。
 少なくとも僕の領域に関しては、毎月毎月、どうしても目を通しておかなければならない大量の論文・書籍が出版されますので、いかに、そのスピードにおいつくかが課題になります。

 最近は小生も、様々な業務に忙殺され、勉強する時間が少なくなっており、「こりゃ、まいったな」と思うときもないわけではありません。でも、まだまだ「第一線」にいたいので、日々格闘の毎日です。

  ▼

 ところで、本や論文のことを考えるとき、小生が、まだ二十代の駆け出しの頃の(まだまだぺーぺですが・・・)、2つの出来事が思い出されます。

 ひとつめの出来事は、ある著名な先生から言われたことでした。

「中原君たちの若い世代は、これから、"前の世代の仕事"を乗り越えなければならないんだよね? てことは、僕たちの世代よりも、勉強するってことだよね? 僕たちよりも、読まなければならないってことだよね。で、その読書量で足りるの?」

 嗚呼、遺体。
 じゃなかった、、、痛い(笑)。
「歩く人文社会科学事典」のような、この先生に、こう言われてしまえば、もう何も言えません。修行します。
 
 ふたつめの出来事は、先輩の研究者から言われたことです。

「多読するってことは、自分の地図をもつことだよ。研究者には"世界地図"もって冒険している人もいるし、"町内会の地図"をもってお使いしている人もいる。中原君の地図はどのくらい?」

 嗚呼、再び、遺体(笑)。
「博覧強記の先達」に、そう言われてしまえば、もう何も言えません。
 修行します。

 ▼

 今日は読書について、やや「自爆的」に書きました(ちゅどーん、嗚呼)。
 最近、自分が以前ほど文献を読み込めておらず、以前にも増して「さらにアホ」になっているな、ということに危惧を感じ、「嗚呼、読まなければな」、と、自分にムチを打つつもりで。名前は忘れましたが、「本棚を見れば、その人の知性がわかる」という名言を残した人もいましたね。嗚呼。頑張りますとも。

 みなさんの「地図」はどのくらいの広さですか?
 そして人生は続く。

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追伸.
 5月9日、拙著「駆け出しマネジャーの成長論」が発売されました。AMAZON「瞬間最大風速」的に、カテゴリー「マネジメント・人材管理」「中公新書ラクレ」「リーダーシップ」の3冠1位を記録しました(笑)。ありがとうございます!心より感謝いたします。
 この本は、「実務担当者がいかにしてマネジャーになっていくのか」を扱った一般向けの新書です。人材育成研究の知見と、先達マネジャーの語りから、新任マネジャーが直面する7つの挑戦課題について、それをいかに乗り越えるかを考えています。玄人のみなさまにもお楽しみ頂けるように、脚注などを充実させました。どうぞご笑覧ください。

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投稿者 jun : 2014年5月15日 08:57


TEDスタイルプレゼンテーション、さらにその「先」へ : 「演出された一方向」を超えて

「なんか、最近、TEDスタイルのプレゼンも、飽きてきましたね・・・」

 昨日は経営学習研究所の理事会でした。理事会のあとは、いつも懇親会をかねて、近くのドイツビール居酒屋で一杯やるのですが、その時に、どなたか(N先生かな?)がおっしゃっていたひと言がきっかけで、少し、メンバーで面白い議論をすることができました。

 もちろん、ここで誤解をして欲しくないのですが、TEDで語られる内容やトークは、とても面白く、興味深いのです。
 その中には、「うーむそうか」と唸ってしまうものも、「いやー、こりゃ、一本、とられたわい」と感じてしまう、素晴らしいプレゼンテーションも多数存在しています。

 私たちの言明は、そうした場に勇気をもって立ち上がりプレゼンをなさっている方、そうしたパフォーマーを影ながら支えておられる方の、努力を何ら毀損するものではありません。

 しかし、一方で、「TEDスタイルのプレゼンテーションに飽きた」ということは、少なくとも、この場に集まった(少々、時代を生き急いでいる?)何名かの人々に、どことなく共有される認識でした。少なくとも僕はそうです。
(TEDの映像で著名なものは、かなりの割合、僕は見ていると思います。どのように喋るのか、どのように間をおくのか、一時期分析をしまくりました。だから飽きた、ということも言えると思います)

 それがなぜか、ということを考えてみた場合、ひとつの可能性として「TEDがもつコンセプトの限界」を感じます。

 コミュニケーションの観点からみれば、TEDとは

「シアターにおけるストーリーテリングの演出」を強烈に施した「一方向のコミュニケーション」

 なのです。

 ひと言でいえば

「演出された一方向」

 情報のやりとりの観点からすれば「TED」と一般の「一斉授業」は、そうそう変わるわけではありません。そこには、対話や議論は当然ないですし、参加者の関与もありません。基本的には「一方向」なのです。
 まぁ、対話や議論や参加を促したからといって、飽きないか、というと、それもまた別の問題なのでしょうけれども、「演出された一方向」というコンセプトに、何か別の可能性をさぐりたくなっているのかもしれません。

 もちろん、単純に「一方向」とはいっても、そこはクオリティが違います。TEDのプレゼンテーションで展開されるアイデアがブリリアントであるので、「一方向のコミュニケーション」でも、早々、飽きないのです。
 しかし、それが世の中に多数流通し、消費されるようになってくると、必ずしもそうとはいえない事態がでてきます。

「また、TEDスタイルか・・・」
「また、ストーリーを聴くだけか」
「また、パフォーマンスを見るだけか」

 になってしまいます。

 ▼

 結局、TEDを聴き、そのリマーカブルな思考に魅了された「これからの人々」が、「TEDを超える映像文法」「TEDを脅かす!?コミュニケーション文法」を開発していくことなのだろうなと思います。

 TEDを神聖視したりするのではなく、TEDに最大限のリスペクトを払いながら「TEDのさらにその先」をつくることに向かったとしたら、非常に面白い事態がおこるのではないでしょうか。

 それはハードな道かもしれませんが、また愉しいことなのかもしれません。

「演出された一方向」のあとに
 わたしたちは、何をつくりえるでしょうか?
 そして人生は続く
 

投稿者 jun : 2014年5月14日 09:46


「今後とも、情報交換させていただきたい」で「情報交換」できますか?

「今後とも、情報交換させていただきたい」

 という、いわゆる「大人語」があります。はじめて名刺交換をした際に、何気なく使われる言葉のひとつかもしれませんね。

「大人語」なので、どうでもいいことなのですが、この言葉は、「実際は、実現は難しいだろうな」と思いつつ、いつも聞いています。そんなことを考えても、1ミリの得にもならないのですが、暇人なのかもしれません(笑)

 だって「情報交換」というからには、AさんとBさんが次回出会った時に、「等価に近いような情報」で、かつ「相手のメリットになるような情報」を、同時期に相互にもっていなければ成立しません。それじゃないと「交換」にはならなくないですか?
 しかし、はじめての名刺交換の直後で、かつ、「何」の情報を交換するかが明示されていない状況で、そうした理想的状況が生まれえるのは「希」であるような気もします。

「情報交換をしましょう」ということで、本当にあって「情報交換」になるケースってあるのかな。まぁ、これは「大人語」なので、敢えてつっかかることもないし、こんなことを考えても1ミリの得もないですが(笑)

 皆さんは「情報交換」してますか?
 そして人生は続く

投稿者 jun : 2014年5月13日 07:44


森の中のワークショップフェスに参加した!? : マンモス・パウワウ・ミュージック・キャンプ・フェスティバル

 ウィークデーを爆走し、週末もやはり爆走してきました。
 この週末は、富士山麓で開催された「マンモス・パウワウ・ミュージック・キャンプ・フェスティバル」に家族で参加してきました。子どもを森の中で遊ばせたい、というのもありますが、半分、僕とカミサンの仕事上の興味で(笑)。両者にとっても面白く愉快な時間を過ごせました。

manmoth_entrance.JPG

マンモス・パウワウ・ミュージック・キャンプ・フェスティバル
http://www.mammothschool.com/mammoth-pow-wow/

 マンモス・パウワウ・ミュージック・キャンプ・フェスティバルは、「キャンプ場ひとつを借り切って行われる、音楽とアート系ワークショップのフェス」です。多種多様なワークショップが開催されており、2日間にわたって、ゆるゆると過ごすことができました。

 我が社!?は、カヤックを初体験したり・・・

kayyaku2.JPG

 BMXにのったり・・・

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 なかなか愉しい時間を過ごすことができました。

 夜には、念願の「焚き火」をやり、完全に仕事からオフされた、ノンストレスな時間を過ごすことができました。

Make a bonfire! from Jun Nakahara on Vimeo.

 森は、いいよ、やっぱり。

  ▼

 久しぶりにウィークエンドをすべて休みにすることができて(ウィークエンドが休みなのはアタリマエのハズなのに・・・)、月曜日は快調、はつらつ、元気です。今週も激しい毎日が続きます。

 そして人生はつづく!

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 ーーー


追伸.
 5月9日、拙著「駆け出しマネジャーの成長論」が発売されました。AMAZON「瞬間最大風速」的に、カテゴリー「マネジメント・人材管理」1位を記録しました(笑)。ありがとうございます!
 この本は、「実務担当者がいかにしてマネジャーになっていくのか」を扱った一般向けの新書です。人材育成研究の知見と、先達マネジャーの語りから、新任マネジャーが直面する7つの挑戦課題について、それをいかに乗り越えるかを考えています。玄人のみなさまにもお楽しみ頂けるように、脚注などを充実させました。どうぞご笑覧ください。

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投稿者 jun : 2014年5月12日 08:19


拙著新刊「駆け出しマネジャーの成長論」(中公新書ラクレ)がいよいよ刊行です!:チームを率い、成果を残すために、マネジャーは、何をいかに為すのか!?

 今週末5月10日、僕が執筆した一般向けの書籍「駆け出しマネジャーの成長論:7つの挑戦課題を科学する」(中公新書ラクレ)が刊行され、早いところでは店頭でお求めいただけるようになると思います(しばらく時間がかかるところもあるかもしれません)。本書は、名づけて「駆け出し本(かけだしぼん)」です。

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駆け出しマネジャーの成長論:7つの挑戦課題を科学する(AMAZON)
http://ow.ly/wt7RM

 ▼

「駆け出しマネジャーの成長論」は、

・そろそろ人を育てたり、管理しなければならない立場になりそうな方
・ここ最近、自らチームを率いなければならないポジションに移られた方
・新任マネジャーや駆け出しマネジャーを人事・経営の立場からいかに支援するべきか、ということを考えておられる方
・うちの組織では、どうも中間管理職が育たないな、と思われている経営者の方々

 などにおすすめの一般書です。
 端的に述べますと「実務担当者から、いかに生まれ変わり、マネジャーとして働き始め、成果をあげられるようになっていくのか」を、定量・定性、様々なデータを引用しながら論じています。

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 より、具体的には、

 マネジャーとは何か?(1章)

 マネジャーになることが、最近難しいのはなぜか?(2章)

 マネジャーになった日、どういうことが起こるのか?(3章)

 マネジャーとして(4章)
  いかに部下育成を行うか?
  いかに政治交渉を進めるか?
  目標をいかに咀嚼させ、納得解を得るか?
  年上の部下など多様な人材をいかに活用するか?
  いかに迅速で間違いない意思決定を行うか?
  いかに心折れないようにマインドを維持するか?
  プレーヤーとマネジメントのバランスをいかにとるか?
 
 そして、会社・人事・経営者には
 マネジメント支援として何が可能か?(5章)

 を探究しています。
 巻末には、現場のマネジャーの方の「覆面座談会」も収録されており(お忙しいところ御協力いただきましたマネジャーの皆様!心より感謝です)、こちらでは、「マネジャーとして働くことの勇気」をもらえると思います。

 一般向けの書籍ですので、図解なども、なるべく多くすることにしました。

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 しかし、同時に「玄人」の方にもお読み頂けるよう、各章の章末に文献は充実させたつもりです。本文には専門的な用語はなるべく廃しています。より深い情報にアクセスなさりたい方は、ぜひ脚注をご利用下さい。

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  ▼
 本書は「泥臭い本」だと思いますが、ぜひお楽しみにいただければ幸いです。下記に「後書き」を掲載します。

<後書き>
 新任マネジャー、駆け出しマネジャーが、マネジャーになったときに、どのような挑戦課題に直面し、どのように対処しうるのか。
 本書では、この問いに答えるために、様々な定量・定性データを駆使しながら、お話をしてきました。本書を書き上げた今、あらためて振り返ってみますと、わかっている人や、マネジメントを既に経験したことのある人からみれば、「凡庸にしか感じられぬこと」を書いてしまったな、と思います。しかし、一方で、現在、奮闘している新任マネジャーや駆け出しマネジャーが「凡庸にしか感じられぬこと」を本当に伝えられているのか、理解している時間があるか、というと、それもまた、いささか心許ない気もします。
 マネジャーの辞令をもらって、組織の狭間の中で、さまざまなものに揉まれ、日々奮闘している彼 / 彼女らの時間と精神的余裕には限りがあります。このたびインタビューに答えてくれたマネジャーの一人が思わず口にしたひと言が、今なお、僕の心に残っています。

(一般に)マネジャーになることは、あとは飛び込んで泳げと言われているような感じ。

 本書で、僕は「実務担当者からマネジャーになるプロセス」にまつわる様々な知見やデータを整理し「マネジャーの方々」に「お届けすること」に徹しました。もし、彼 / 彼女らが「泳ぐこと」を一寸だけ暇を見出し、ほんのつかの間に、本書を手に取り、自分の職場・部下・立場などを振り返り、次のアクションを決めるときに役立ててもらえたのだとしたら、筆者として、望外の幸せです。
 マネジャーになって直面する挑戦課題は、決して「ひとりの課題」ではなく、「みんなの課題」です。時に悩んだり、つまづくこともあるのは、決して、あなただけではありません。そのような課題に直面したとしても、うろたえず、現状を振り返り、原理・原則に配慮しつつ、次のアクションを決めていく。そのことから逃げないでいれば、きっと事態はポジティブな方向に向かうのではないかと信じています。

 また、5章で論じたように、人事部・経営者の方々が本書を手にとり、自社のマネジャー育成のあり方、自社の人材開発施策の改善に役立てていただけたとしたら、これもまた嬉しいことです。2章で再三にわたって指摘しましたように、現在、マネジャーの育成をめぐる環境は、だんだん激化しています。彼 / 彼女らを昇進させ、経営のフロントラインに立たせるのであれば、それに適切な支援が提供されるべきだと僕は思います。人事の観点ならば、マネジャー育成をきっかけに人材開発のあり方そのものを見直すこと、また経営者の観点ならば、「自らが学ぶ存在になること」こそが、もっとも重要なことではないか、と思います。

 最後になりますが、本書は長期にわたる構想・執筆期間をへてゴールすることができました。編集・構成等で伴走いただいた中公新書ラクレの黒田剛史さん、秋山基さんに、まずは心より感謝いたします。本当にありがとうございました。また、マネジメントに関する調査・研究開発(マネジメントディスカバリープロジェクト)でご一緒した公益財団法人・日本生産性本部のみなさま、野沢清さん、木下耕二さん、矢吹恒夫さん、大西孝治さん、塚田涼子さん、中村美紀さん、古田憲充さん、桶川啓二さんにも心より感謝いたします。
 また、こちらでお名前を掲載させていただくことはできないものの、インタビューをご快諾いただいた各社の現場マネジャーの方々にも、貴重な時間をたまわり、心より感謝いたします。そして、最後に妻・美和にも感謝いたします。この本の執筆のあいだ、美和は、僕にたくさんの時間と励ましをくれました。みなさま、本当にありがとうございました。

 思い起こせば、2013年元旦。今から1年以上前、新年の計を決めるにあたり、僕は、今年は「アクチュアリティのある研究」がしたい、とブログで表明しました。
「アクチュアル」の名詞「アクチュアリティ」はラテン語の「Actio(アクチオー)」に起源をもつ言葉で、「現在進行している現実」を意味します。よって、先に自身が目標に掲げた「アクチュアリティのある研究」とは「今まさに、多くの方々が格闘している問題」と取り組む研究ということであり、また、「みんなが今悩んでいること」を、アカデミックな切り口で、なるべくわかりやすく、平易に、分析し、語ることに他なりません。「人生の正午」と形容される40歳を目前に、最近、僕は「地に足のついたアクチュアルな研究」がしたくなってきました。本書が、この一年の計の達成に寄与できたかどうかは読者の判断にお任せしますが、今は、走りきった気分で一杯です。

 この国に、希望をもったマネジャーが
 これまで以上に生まれることを願います。
 我らが時代!

 夜明け前、本郷の研究室にて
 中原 淳

 ・
 ・
 ・

 そして人生は続く

投稿者 jun : 2014年5月 9日 07:00


【拡散希望・プレスリリース】 異業種社員チームによる、北海道・美瑛町の「地域課題解決プロジェクト」を開始 : 社会課題解決 × 人材育成の統合!? : 美瑛の廃校を舞台にした、もうひとつの「ビジネススクール」!?


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異業種の会社5社のトップ人材が集結!?
北海道・美瑛町で、地元の方々とともに
地域の課題解決を行うプロジェクトを実施
美瑛町町長に提案を行います!

美瑛の廃校を舞台にした、もうひとつの「ビジネススクール」!?

 本日13時、下記のようなプレスリリースが、アサヒビール株式会社、株式会社インテリジェンス、株式会社電通北海道、日本郵便株式会社、ヤフー株式会社の5社連名で出ました。

 ーーー

異業種社員チームによる、北海道・美瑛町の「地域課題解決プロジェクト」を開始
http://pr.yahoo.co.jp/release/2014/05/08post/

アサヒビール株式会社(東京都墨田区、代表取締役社長 小路 明善)、株式会社インテリジェンス(東京都千代田区、代表取締役兼社長執行役員 高橋 広敏)、株式会社電通北海道(北海道札幌市、代表取締役社長 髙堂 理)、日本郵便株式会社(東京都千代田区、代表取締役社長 髙橋 亨)、ヤフー株式会社(東京都港区、代表取締役社長 宮坂 学、以下Yahoo! JAPAN)の5社は、20代後半から40代前半の社員を選抜し、異業種チームを複数つくり、各チームで、北海道上川郡美瑛町(以下、美瑛町)が抱える課題の発見から実施可能な解決策の提案までを美瑛町に行う地域課題解決プロジェクトを5月9日から開始します。

(中略)

 プロジェクトでは、異業種チームが美瑛町を訪問し、「医療」「農業」「教育」「商業」「観光」などに携わる町民の方々の声を直接聞き、各チームで解決できる課題とその答えを導き出します。10月に行う町長への提案内容が採用されることを通じて、美瑛の課題解決を目指します。

 企業は、少子高齢化の進展、グローバル化への対応や企業間の競争激化により、人材育成に注力しています。今回、東京大学・中原淳准教授が人材育成の立場から、企画・監修・ファシリテーターとして参加します。異業種の多様な人材と一緒に難しい課題に取り組み、社員の更なる成長を促すことで、5社は、「社会課題の解決」と「人材育成」の両立に取り組んでいきます。

(中略)

 ーーー

 本プロジェクトは、Yahoo!の本間さん、池田さんらが発起し、志を同じくする各社の人事担当者にお声がけし、推進しているプロジェクトです。中原も、昨年秋頃、ヤフーの本間さん、池田さんからお声がけいただき(心より感謝です)、企画・監修者として、また研修のファシリテータとして、本プロジェクトに参画いたします。

 このプロジェクトに関する僕個人の思いはいろいろとあるのですが、ここでは端的に3つだけ述べさせて頂きます。

 ひとつめ。
 この「地域課題解決プロジェクト」が、各社の元気あふれるミドル社員の方々にとって、「世の中にはまだまだすごい奴がいるんだぞ!わたしも頑張ろう!」と思える経験、そして「社会の難問の中には、ビジネスの力で解決できるものもあるんだぞ!」と思える経験になるとよいな、と心より思います。「志のあるミドル」が、未来をつくります。

 ふたつめ。
 この「地域課題解決プロジェクト」は、実は、志あふれる人事部の方々と中原が、議論に議論を重ねて、タイムスケジュールなど研修デザインを行ってきました。
 本番は、各社の人事担当者のひとりが、中原はティームティーチングを行うことで、自らファシリテータになり、カリキュラムをまわします。
 今回のプロジェクトが、各社の人材開発担当者の方々にとっても、また僕にとっても、学びになることを願います。

 みっつめ。
 それは個人的な思いです。故郷・北海道を出て早いもので20年になりました。もう内地?にきてからの時間の方が、北海道で過ごした時間よりも長いのです。
 これまで故郷にあまり貢献できていないのですが、今回の試みを通して、何とか故郷のためになることをしたいと願っています。ちなみに美瑛町は、僕の実家から30分です。

 このプロジェクトが「社会課題解決 × 人材育成」のモデルケースになればよいと思います。今回の試みがきっかけで、別の志ある会社が集い、「社会貢献につながる人材育成」にトライしただけるとしたら、これ以上、望むことはありません。

 明日は、各社の研修参加者が一同に介して、キックオフパーティを実施します。パーティでは、チームビルディング含め、ワークショップ&エクササイズなどにもトライしていただく予定です。「地域課題解決プロジェクト」の模様は、書籍化も視野に入っておりますし、また外部にも公開出来るよう、参加者・関係各社の許諾を得ています。

 どうぞ、メディアの方々で、ご取材いただける方は、明日5月9日(金曜日)午後6時あたりから六本木界隈で実施される「キックオフパーティ」にご参加いただければ幸いです。もちろん、単なるパーティではありません。ご取材をご希望の方は、下記の問い合わせ先まで御連絡をお願いします。

ヤフー株式会社 広報室 三浦
電話:03-6440-6103 メール:ycompany-pr@mail.yahoo.co.jp

 社会課題解決 × 人材育成 = 未来をつくる
 そして人生は続く

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Top achievers from five different companies from a variety of fields will come together and participate in collaborative problem-solving projects with the representatives of Biei-cho, and finally make presentations for the town mayor at Bieicho, Hokkaido from May to 0ctober.

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Aasahi Breweries Ltd, Intelligence, Ltd., Dentsu Hokkaido, Inc and Japan Post Co., Ltd. Yahoo Japan Corporation announce that they are initiating a brand-new collaborative project to attempt to solve the contracting rural town problem. For this project, each company has selected top achievers(from their late twenties to early forties)and will make diverse groups comprised of members from the 5 diverse companies. Each group will walk around Biei-cho, conduct field surveys, discover specific problems and propose feasible solutions for the town mayor, as a final presentation.

Biei-cho has a lot of specific problems such as in the areas of medicine, agriculture, education and tourism. These problems are common to many rural towns. while the number of young people decrease and the number of older people increase, many small towns in Japan face a lot of problems. For example, more and more primary schools are being closed down. Farming families have begun to suffer from a shortage of successors. Some hospitals are very crowded with older people. Each group is expected to recognize the essential problems by asking the townspeople's opinions and contribute their business experience, knowledge and skills to the projects.

This project is a combination of social contribution to society(CSR : Corporation Social Responsibilities) and human resource development. Jun Nakahara, associate professor of UTokyo, participates in this project as the general supervisor and co-facilitator.

投稿者 jun : 2014年5月 8日 14:57


「あれか?、それとも、これか?」の働き方か「あれも、合わせ技で、それも」か?:複数の役割を担うときに、人はどのように対処するか!?

 5月GWが終わり、大学院の授業・ゼミも一巡して、当初の予想通り・通告通り(必ずこの時期くらいから勉学が大変になるので、研究室の学生には前もってお知らせ、プレビューしています。毎週のように英語・研究発表が続きます!)、大学院生の皆さんにも「心地よい疲労感」!?が漂ってきました。
 こんな時期に、指導教員が下を向いてはいられないので、僕はがしがしと前に進もうと思います。Enjoy!

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 昨日のゼミでは、新M1の浜屋さんが研究発表をなさいました。Ruderman et al(2002)らが、Academy of Managementに投稿した論文で、「女性管理職の多重役割遂行にともなうスピルオーバーについての実証論文」です。

 これでは何を言っているかわからないので、少しプチ意訳すると、こういうことになるでしょうか?

 女性管理職は
 管理職として、母として、妻として
 複数の「役割」を担って生きている。

 ある役割はその他の役割に影響をもたらす。
 たとえば、家庭要因が仕事に影響するなど。
 その中には、ポジティブな影響も
 ネガティブな影響も含まれる
 ここは人肌ぬいで、いっちょ
 それらの影響を調べてみたでござるよ

 いかがでしょうか?
 おわかりいただけたでしょうか?

 論文は非常にクリアで、インサイトに富むものでした。研究方法論的にもとても勉強になりました。このような文献をご紹介いただき、浜屋さん、ありがとう、という感じです。

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 しかし、個人的にもっとも印象深かったのは、その先行研究部分で触れられている2つの概念でした。それは「複数の役割を担うこと」に関する2つの理論、「役割欠乏理論」と「役割蓄積理論」です。これらはストレス研究などで援用される概念ですので、専門的な内容は僕は知りません。上記論文で読み込んだ範囲内で、下記に記します。

 すなわち、人が複数の役割を担わなければならないとき、前者の「役割欠乏理論(Role Scarcity)」の立ち位置にたつと、

 「人間が持っているエネルギー」には
 「限り」があるわいな。
 だから、その限られたパイを
 複数の役割にどのように分配するかな

 と考えます(Goode 1960)。

 対して、後者の「役割蓄積理論(Role Accumulation)」においては、

 人間は「複数の役割」を果たすことで
 心理的満足感を得ることもあるわいな
 またある役割を担って得たリソースが
 他の役割にも転用できることもあるわいな

 と考えます(Sieber 1960, Baruch 1985)。
 先行研究によると、この2つの考え方、どちらが正しいかは異なる研究知見が様々でているので、統一した見解はないとのことです。もしかすると、どちらも間違っているのかもしれません。

 しかし、論文をやや離れますが、この2つの考え方は、「今を生きる人」にとって示唆にとむ理論だよな、と思いました。

 なぜなら、ひとつには、現代という時代は、「ひとりの人間」が「多種多様な役割」を複数担い、それらを調整しながら生きていくことを求めるようになっているからです(弊害も多々ありますね・・・多重役割を担わざるを得ない、そういう働き方を強制されているとも考えられます。また、これらの理論が規範論的に作用する事態は避けなければなりません)。

 また、周囲を見回しても、複数の役割を担わなければならないときに、それがうまく出来る人と、苦手な人というのがいて、人々が、どちらを素朴理論としてもち、どちらの理論を実践しているかが、非常に興味深いからです。

 皆さんは、複数の役割を担わなければならないときに、どのように考えますか? 役割欠乏理論、それとも、役割蓄積理論。
 僕の周りは後者で突っ走る(突っ走らざるをえない?)人が多いような気がしますが、気のせいでしょうか。

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 今日は「多重役割」についてお話をしました。これらはもともとストレス研究などで多用される概念であり、僕の専門外となりますので、詳細は知りません。

 しかし、複数の役割を様々にこなし、日々を生きている人にとっては、これらは理論であるというよりも、即・実践だよな、と感じます。

 というわけで、小生も、多重役割を今日も担います。
 そして人生は続く

投稿者 jun : 2014年5月 8日 07:08


徒弟制ロマンティシズム症候群を超えて:立川生志著「ひとりブタ」を読んだ!?

 徒弟制度のなかに潜む「希望」と「絶望」
 師と弟子のあいだにある「親愛の情」と「のっぴきならない緊張感」
 出会いと別れに通底する「人間の業」

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 落語家、立川生志さんの著した「ひとりブタ」を読みました。本書は、20余年にわたって、立川生志さんが、師匠・立川談志さんのもとでつんだ修業時代を綴った本です。

「師と弟子」「徒弟制度」といいますと、いっぱんに、人材開発業界では、ある種の「ロマンティシズム」をもって語られることが多いのですが、本書に綴られているそれは、そのロマンティシズムを「せせら笑うか」のように感じます。

 師匠・談志さんに、右を向け、と言われたら右。左を向け、と言われれば左。
 その様子を著者は「一度でも逆らった者は許さねぇサディズム」と語ります。しかし、一方で、師匠には「ここでまで来いとい親心みたいな厳しさ」が存在すると綴ります。言い得て妙。非常に興味深い表現です。
 畢竟、徒弟制度、師匠と弟子を「一面」のみから語ることは、どこか片手おちなのです。それはポジティブな側面、ネガティブな側面を両面併せ持つ制度であると理解できます。

 立川生志さんは、大変な実力者ではありましたが、二つ目にあがるのも、真打ちになるのも、大変苦労なさった方でした。師匠・談氏が「うん」と言わなかったからです。その理由は、ぜひ本書をお読み下さい。

 巻末、ようやく真打ちに認めれた際、師匠は弟子に下記のような言葉を贈ります。

 生志
 かけ昇れ
 暴れてこい
 聞かせてこい
 笑わせてやれ
 人生を語ってこいよ
 俺がついてらぁ

 立川談志
 
 この言葉がでるまで20年かかった理由を想像するとき、徒弟制度、師匠と弟子、というものの「すさまじさ」に、姿勢を律したくなります。

 そして人生は続く    

投稿者 jun : 2014年5月 7日 07:22


映画「アナと雪の女王」をワンワードでいうと!? : TAKUZOと映画を見に行くの巻

 ちょっと前のことになりますが、今、話題!?になっている映画「アナと雪の女王」をTAKUZOと見に行ってきました。

 実は、僕は、TAKUZOと映画館で映画を見るのは、はじめてのことで、「ストーリー理解できるのかな?」と思っていましたが、これは全くの取り越し苦労。「飽きる」とか、そんなことはなく、最後まで愉しんでいました。一応、ストーリーは追えていたようです。大丈夫、7歳なら、何とかなる。

 僕個人としては、ミュージカルに近いものとして、この映画を愉しみました。挿入歌も話題になっていますね。

 下記はもっとも有名な「Let it go」


 
 そして「生まれてはじめて」

 なんか可愛らしい「ゆきだるまつくろう」

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 映画館を出たあと、帰り際、TAKUZOがこう言いました。

「パパ、要するに、この映画をワンワードでいうとね、"愛が氷を溶かす"ってことだね。 そのくらい"愛が大事"ってことだよ」
(小生絶句)

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 ま、「ワンワード」でいうと、そうともいえるかも・・・。
 でも、ストーリー、そこまで、はしょっていいのかよ(泣)。
 あと、7歳の分際で、「要するに」とか「ワンワードでいうと」とか(しかも、ワンセンテンスだな)、そういう言葉を使うんじゃない。もっと子どもらしい言葉があるべよ。お父さんのマネをするんじゃない。

(ワンワードで言え!は僕の口癖です、泣)

 ま、一応、ストーリーはわかっている!?ようです。
 はしょりすぎてるけど。

 そして人生は続く。

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追伸.
もうひとつTAKUZO語録
「僕は、キャラはアナで、顔はエルサがいいなぁ」

投稿者 jun : 2014年5月 3日 06:30


「出来るようになった人」とは「出来ないことがわからない人」である!? : 職場のOJTにモヤモヤするときに考えてみたいこと

 何かを「出来るようになる」ということは、「出来なかった時のこと」を「忘れること」でもあります。
 
 何かが「できる」ようになった瞬間に、私たちは愉悦を感じるのと同時に、それが「出来なかったときのこと」ー苦労したり、試行錯誤したときのことを、「過去の出来事」にしてしまいます。「出来なかったときの悔しさや惨めさ」は、時に「甘美な思い出」に転化され、無化されます。
 いずれにしても、人は「出来るようになった」瞬間に、「出来なかったときのこと」が「わからなくなる」のです。「出来る人」とは「なぜ出来ないのかがわからない人」でもあります。

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 このことは、「仕事の現場」にも言えることです。
 暦も5月に入り、そろそろ新入社員が新たな職場に配属され、OJT指導員、ないしは、マネジャーのもとで、仕事をはじめる瞬間でしょうか。
 新入社員は、今、圧倒的な「不透明さ」の中におられるのだと思います。右を向いても、左を向いても、上を見ても、下を見ても、新しいことと驚きの連続。中には、こんなハズじゃなかった、とリアリティショックにうちひしがれておられる方もいらっしゃるかもしれません。
 しかし、程度の差こそはあれ、みんな同じようなものです。
 少しずつ少しずつ、さながら、洞窟の内部をさぐるように、壁に手をはわせ、カンテラであたりを照らしながら、前に進み、全貌を明らかにしていくことが、今は為しえることかもしれません。暗い洞穴の中で、視界がきかない中、爆走するような愚弄は避けることです。時に周囲の人々にヘルプをだしながら、少しずつ、前に進むことができれば、それでよいのではないでしょうか。

 しかし、このときに、少しだけ「問題に」なることがあります。

 それは、洞窟の少し先を颯爽と歩き、ヘルプを提供してくれている「先達」ーつまりは、職場の先輩や既存メンバーは、先ほどの話でいえば「出来る人」であるということです。
 彼らは、みずから仕事を抱えながら、助言や指導をくれるかもしれません。しかし、既述しましたように「出来る人」とは「出来なかった時のことを忘れている人」でもあるのです。
 彼らは、自らの仕事を抱えつつ、それでも、誠意をもってヘルプを提供してくれるかもしれませんが、時に「出来ないこと」がわからないことがあります。新入社員が「出来ない様子」を見て、これが、「なぜ出来ないのか」がわからないのです。なぜなら、彼らは「出来る人」だからです。
 そして、さらにややこしいことに、新入社員はそんな既存メンバーの状況、「出来ないことがわからないという状況がわからない」のです。なぜなら、新入社員は「出来ない人」だからです。

 かくして「出来ること」によって「出来ないことがわからなくなること」。そして「出来ないこと」が「わからないこと」が「わからない」という循環は、無限に連鎖します。誰かが、それを「断ち切ろう」としない限り。
 
 ひとつの手段は、新入社員の方が、「出来ないこと」を詳細に語り、「出来る人」に「出来なかったときのこと」を「思い出させること」です。
 もうひとつの手段は、「出来る人」が「出来ない人」を前にして、「出来ないことにまつわる困難や障害」を詳細に聞いていくことです。
 結局、我々に為しうることは「語ること」そして「聞くこと」。
 ぬるくて、かったるくて、めんどくさいことかもしれませんが、無限の連鎖を断ち切る方法は、それほど多く存在しているわけではありません。もしかすると、新入社員の方々は、後者の手段を期待したいかもしれませんが、まずは自分から動くことです。
「学校」では「先達は機会均等に人を育てることをよしとする」かもしれませんが、「社会」では「先達は見所のある前向きな人を育てる」のです。「ルールが既に変わっていること」に気をつけなければなりません。

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 今日は、新入社員にまつわることを書きました。この内容をさらに「深掘り」したものは、近刊の雑誌プレジデントの連載「仕事の未来地図」に紹介される予定です。こちらでは、新入社員に求められる4つの資質とは何か。そして、OJT指導の際に留意したいポイントは何か。そのあたりについて、ゆるゆるとお話しています。どうぞお楽しみに。昨日、編集者の九法さんと井上さんと、その打ち合わせがありました。お疲れさまです。

 新入社員の方々の中には、明日から休日だとホッとしておられる方もいらっしゃるかもしれませんね。お疲れさまです。もし、職場のOJTの局面で、モヤモヤしたことがあったら、一寸だけ、思い出してみるとよいかもしれません。

 「わたしの目の前にいる、この人は、わたしが出来ないことが、わからないのかもしれない」と。
  自分の状況を伝える必要がないのか、と。

 Keep on going!
 そして人生は続く!

 
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追伸.
 5月9日、拙著「駆け出しマネジャーの成長論」が中公新書ラクレにて刊行されます。AMAZONではすでに先行予約がはじまっておりますが、先だって、「瞬間最大風速」的に、カテゴリー「マネジメント・人材管理」1位を記録しました(笑)。ありがとうございます!
 この本は、「実務担当者がいかにしてマネジャーになっていくのか」を扱った一般向けの新書です。人材育成研究の知見と、先達マネジャーの語りから、新任マネジャーが直面する7つの挑戦課題について、それをいかに乗り越えるかを考えています。玄人のみなさまにもお楽しみ頂けるように、脚注などを充実させました。どうぞご笑覧ください。

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投稿者 jun : 2014年5月 2日 07:28


OJT指導員になるということ:「マネジャーへの成長」への序説

 中原研究室では、研究室のメンバーが、自らのプロジェクトを遂行する一方で(自分の研究をする一方で)、研究室で掲げる様々なプロジェクトに「任意」で参加し、研究を行っています。
(研究に参加するかどうかはあくまで任意です。参加の場合には、諸条件やゴールを提示したうえで、合意のもとで参加してもらいます。それらをなぁなぁにして研究をスタートさせることはありません)

 ここ1年ー2年では、5本くらい?、研究プロジェクトがはじまっているのですが、ここ最近本格化しつつあるプロジェクトに「OJT指導員の変化を追うプロジェクト」があります。

 通常、OJT研究と申しますと、OJTを提供される側ーすなわち「新人さん」の方に注目するのですが、この研究では「OJTを提供する側」、すなわち「OJT指導員そのひと」の「変化」について縦断調査をおこないっています。
 去年より中原研OBの関根さんと研究を進め(メーカー2社の人事部の方々、また現場の方々に御協力をいただきました!ありがとうございます:心より感謝です)、今年から保田さん、学部生!の松本さんもジョインして、研究を進めています。

 ここで、僕が追求したいテーマとは

「OJT指導員になる」とは、「実務担当者からマネジャー」に向けての「役割移行(トランジション)」を円滑に進める「重要なイヴェント」である

 ということです。換言すれば、「OJT指導員になったときに人が直面する課題」は、「マネジャーになって直面する様々な課題のミニチュア版課題」であるともいえるかもしれません。

 人は「OJT指導員」になれば、これまでは直面しなかった様々な課題にぶち当たります。

(新人)部下をどのように育成すればいいのか?
 プレーヤーとしての自分の時間と、育成の時間をどのように両立させるか
 部門内の様々な人々、上司といかに調整するのか?

 などの課題が生じます。これらの課題をOJT指導員は、どのように乗り越え、どのように変化をとげていくのか、ということが追求したいテーマです。

 これらの内容は、これまで僕や僕の研究室で取り組んできた「教育機関から職業領域へのトランジションの研究」「新人育成関連の研究」そして「マネジャーへの発達への研究」の「空隙」を埋めることになるのではないかと思います。

 否、正しくいえば、現在のデータで「空隙」を埋め得るかどうかは、いまだわかりません。今回の研究のデータがあまりに複雑すぎて、それらを解読するだけでも、かなり時間がかかりそうです。昨日の保田さん、松本さんの会議では、そのことを痛烈に思いました。
 しかし、そういう「淡い期待」?「ゆるやかなビジョン」のもと、今日も、研究に邁進しています。
 
 分析は牛歩です。
 今日も一歩、明日も一歩です。
 でも、現場の方々にほほーと言っていただけるような知見を夢見ています。

 そして人生は続く
 
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追伸.
 5月9日、拙著「駆け出しマネジャーの成長論」が中公新書ラクレにて刊行されます。AMAZONではすでに先行予約がはじまっておりますが、先だって、「瞬間最大風速」的に、カテゴリー「マネジメント・人材管理」1位を記録しました(笑)。ありがとうございます!
 この本は、「実務担当者がいかにしてマネジャーになっていくのか」を扱った一般向けの新書です。人材育成研究の知見と、先達マネジャーの語りから、新任マネジャーが直面する7つの挑戦課題について、それをいかに乗り越えるかを考えています。玄人のみなさまにもお楽しみ頂けるように、脚注などを充実させました。どうぞご笑覧ください。

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投稿者 jun : 2014年5月 1日 09:40