「あれか?、それとも、これか?」の働き方か「あれも、合わせ技で、それも」か?:複数の役割を担うときに、人はどのように対処するか!?

 5月GWが終わり、大学院の授業・ゼミも一巡して、当初の予想通り・通告通り(必ずこの時期くらいから勉学が大変になるので、研究室の学生には前もってお知らせ、プレビューしています。毎週のように英語・研究発表が続きます!)、大学院生の皆さんにも「心地よい疲労感」!?が漂ってきました。
 こんな時期に、指導教員が下を向いてはいられないので、僕はがしがしと前に進もうと思います。Enjoy!

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 昨日のゼミでは、新M1の浜屋さんが研究発表をなさいました。Ruderman et al(2002)らが、Academy of Managementに投稿した論文で、「女性管理職の多重役割遂行にともなうスピルオーバーについての実証論文」です。

 これでは何を言っているかわからないので、少しプチ意訳すると、こういうことになるでしょうか?

 女性管理職は
 管理職として、母として、妻として
 複数の「役割」を担って生きている。

 ある役割はその他の役割に影響をもたらす。
 たとえば、家庭要因が仕事に影響するなど。
 その中には、ポジティブな影響も
 ネガティブな影響も含まれる
 ここは人肌ぬいで、いっちょ
 それらの影響を調べてみたでござるよ

 いかがでしょうか?
 おわかりいただけたでしょうか?

 論文は非常にクリアで、インサイトに富むものでした。研究方法論的にもとても勉強になりました。このような文献をご紹介いただき、浜屋さん、ありがとう、という感じです。

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 しかし、個人的にもっとも印象深かったのは、その先行研究部分で触れられている2つの概念でした。それは「複数の役割を担うこと」に関する2つの理論、「役割欠乏理論」と「役割蓄積理論」です。これらはストレス研究などで援用される概念ですので、専門的な内容は僕は知りません。上記論文で読み込んだ範囲内で、下記に記します。

 すなわち、人が複数の役割を担わなければならないとき、前者の「役割欠乏理論(Role Scarcity)」の立ち位置にたつと、

 「人間が持っているエネルギー」には
 「限り」があるわいな。
 だから、その限られたパイを
 複数の役割にどのように分配するかな

 と考えます(Goode 1960)。

 対して、後者の「役割蓄積理論(Role Accumulation)」においては、

 人間は「複数の役割」を果たすことで
 心理的満足感を得ることもあるわいな
 またある役割を担って得たリソースが
 他の役割にも転用できることもあるわいな

 と考えます(Sieber 1960, Baruch 1985)。
 先行研究によると、この2つの考え方、どちらが正しいかは異なる研究知見が様々でているので、統一した見解はないとのことです。もしかすると、どちらも間違っているのかもしれません。

 しかし、論文をやや離れますが、この2つの考え方は、「今を生きる人」にとって示唆にとむ理論だよな、と思いました。

 なぜなら、ひとつには、現代という時代は、「ひとりの人間」が「多種多様な役割」を複数担い、それらを調整しながら生きていくことを求めるようになっているからです(弊害も多々ありますね・・・多重役割を担わざるを得ない、そういう働き方を強制されているとも考えられます。また、これらの理論が規範論的に作用する事態は避けなければなりません)。

 また、周囲を見回しても、複数の役割を担わなければならないときに、それがうまく出来る人と、苦手な人というのがいて、人々が、どちらを素朴理論としてもち、どちらの理論を実践しているかが、非常に興味深いからです。

 皆さんは、複数の役割を担わなければならないときに、どのように考えますか? 役割欠乏理論、それとも、役割蓄積理論。
 僕の周りは後者で突っ走る(突っ走らざるをえない?)人が多いような気がしますが、気のせいでしょうか。

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 今日は「多重役割」についてお話をしました。これらはもともとストレス研究などで多用される概念であり、僕の専門外となりますので、詳細は知りません。

 しかし、複数の役割を様々にこなし、日々を生きている人にとっては、これらは理論であるというよりも、即・実践だよな、と感じます。

 というわけで、小生も、多重役割を今日も担います。
 そして人生は続く