クリエィティブオフィスで人を育てる!?:2009年1月Learning barが終わった!

 2009年1月のLearning barは、日本コムシス株式会社の潮田邦夫さん、東京工業大学 妹尾大先生を講師にお招きし、

「職場のオフィス環境を見直すことで、人材育成を促すことはできるのか?」

 について全員でディスカッションいたしました。

 今回、Learning barの開催場所を工学部2号館から、情報学環福武ホールにうつしました。今回も多くの方々にご参加いただきました。

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 5時30分、会場です。足下の悪いなか、会場と同時に、多くの人々が詰めかけました。いつものように、サンドイッチ、ビールなどが用意されています。

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 まず、最初に僕の方から「趣旨説明」をさせていただきます。いつものように、Learning barについてご説明。
 
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 Learning barは、

 1.聞く
 2.聞く
 3.聞く
 4.帰る

 という場ではなく、

 1.聞く
 2.考える
 3.対話する
 4.気づく

 ような場であるということをご説明いたしました。

 また、現在非常に流行している「オフィスを変えよう」という考え方の背後には、
 
 1)コストダウン
 2)ペーパーレス化の推進

 といった理由以外に、

 3)知識創造理論の影響
 4)アフォーダンスや学習環境デザインといった理論の影響

 があるということをご説明いたしました。

  ▼

 早速、潮田さんの発表です。

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 潮田さんは、これまで、NTT東日本、NTTドコモ、そして現在は日本コムシスにおいて「クリエィティブオフィス」という新たなフリーアドレス型のオフィス環境を提案・実装し、仕事のやり方の改革を進めてこられました。

 現在、その考え方は政策レベルに影響を与え、経済産業省主催「クリエイティブ・. オフィス推進運動」に結実しているそうです。

 潮田さんによると、20歳-60歳のあいだに平均的なサラリーマンは、下記のような時間を経験するそうです。
 
 105,600時間(30%)ビジネス
 102,200時間(30%)自由時間
 142,600時間(40%)睡眠

 一般的なサラリーマンにとって、オフィスで過ごす時間は決定的に長い。よって、オフィス、職場を「コミュニケーションの場」「新しいアイデアを生み出す場」「人を育てる場」に変える必要があるということです。

 ご発表の中では、クリエィティブオフィスを導入することで、どのようにコミュニケーションの変容が起こるのか、非常に詳細にご紹介していただきました。2名でのインタラクションではなく、3名がコミュニケーションをとると、様々な効果が生まれるそうです。

 クリエィティブオフィスは、「自分で意図をもって、自席を選ぶ環境」です。自分で「意図」をもって、自分で「選択」する。このことを通して、「自分の仕事」や「自分のコミュニケーションのあり方」を考えて欲しい、という願いを、背後に感じました。

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 潮田さんの2セットのレクチャーの後は、東京工業大学の妹尾大先生のご講演です。

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 妹尾先生によりますと、現在の企業が競争優位を獲得するためには、3つのアプローチがあるそうです。よく知られているように、「ポジショニング視点」「資源ベース視点」「動的能力視点」です。

1.ポジショニング視点(Positioning View)
 ○利益を生み出すうまみのある市場・
  セグメントを発見し、自らを位置づける
 ○M.E.Porter
 ○業界構造分析(PIE, 魅力度)、戦略マップ、移動障壁
 ○競争優位を得るには:
   「戦いを避ける」

2.資源ベース視点(Resource-Based View)
 ○他社が持たない独自の資源・能力を強みとする
 ○C.K.Praharad & G.Hamel
 ○コア・コンピタンス、模倣困難性
 ○競争優位を得るには:
   「真似されにくい武器を持つ」

3.動的能力視点(Dynamic Capability View)
 ○既存資源を進化させていく能力や
  新しい資源を創造する能力を培う
 ○I.Nonaka
 ○組織的知識創造
 ○競争優位を得るには:
   「戦って、勝って、また強くなる」

(妹尾先生のスライドより引用)

 このうち、クリエィティブオフィスは、3の「動的能力視点」に位置づくそうです。
 要するに、人が思いつかない「破壊的なイノベーション」をもたらすような人材、組織知をいかに獲得するかがポイントである、ということでしょう。

  ▼

 妹尾先生のご講演のあとは、Learning bar恒例の「お隣ディスカッション」に入ります。

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 様々な背景をもつ人々で、今日はじめて出会った方々が、潮田さん、妹尾先生のお話をネタに30分間、「自分の気づき」を共有していきます。

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 お次は、携帯フィードバック。
 今回は、総数30件のメールが寄せられました。質問は下記のようなものでした。

○どのようなインパクトがありましたか?
○社員からはどのような反応がでていますか?
○社員の方から抵抗はなかったのですか?
○部課長の反応はいかがでしたか?
○定着するにはどの程度の時間がかかるのか?
○経営陣はどのように納得させたのですか?
○誰も近くによってこない人はいないんですか?
○発言の固定化を招きませんか?
○人材育成部門はどのように関与したのですか?
○総務部門はどのように関与したのですか?
○大学の教授室はクリエィティブオフィスにならないのですか?

 質問のすべてを扱うことができたわけではありませんが、皆さん、ご協力、ありがとうございました!

 質問コーナーの最後に、潮田さんがおっしゃっていた一言が印象的でした。

「人材育成に関係する人たちは、オフィスのことは、自分の仕事とは関係ないと思っている。でも、それは違う。

今回、このような研究会に呼ばれたことは、僕は嬉しい。なぜなら、はじめて、人材の問題とオフィスの問題が関係あると、思われたからだ。

今までオフィスとかファシリティのいろいろな場所で講演を行ってきたが、そこでの話題は"コストダウン"とかに関するものが多い。でも、重要なことは、もっと大きなことなのだ。人の働き方を変える、人の行動を変える、人の学び方を変える、その環境を準備することが重要だ」

 テープレコーダーをもっていたわけではないので、一字一句、同じではないと思いますが、このようなご主旨の発言をなさっていたのが印象的でした。

 実は、潮田さんがオフィス改革にのりだすきっかけになったのは、今から20年前、「人材育成」を担当したことなのです。「人を育てること」に対する潮田さんの「パッション」が感じられました。

  ▼

 最後に僕がラップアップをします。

 ノンテリトリアルオフィス研究に関しては、僕の研究室の野澤さんが研究を進めています。野澤さんによると、その評価はポジティブなもの、ネガティブなもの、いろいろな意見がでているそうです。
 先行研究に僕の意見を足したノンテリトリアルオフィスのネガポジは下記のようになると思います。

○ポジティブな効果
 ・コミュニケーションの活性化
 ・リラックス
 ・知識創造

○ネガティブ
 ・自席のテリトリー化・固定化
 ・プライバシーの侵害による
   - 職場満足度の低下
   - クリエイティビティの低下
   - 騒音・作業効率低下
 ・二極化(クラスター化)
   - 出来る人とできない人の二極化
   - クラスター内のコミュニケーションは
   - 活性化するが、クラスター間のコミュ
   - ニケーションは不活性になる可能性

 このあたりに関しては、しっかりとした社会調査、定量・定性的研究が実施されなければならないでしょう。

 潮田さんのお話をお聞きして、僕がまっさきに思ったのは、このオフィスは、「自分の仕事のあり方をフィードバック(見えちゃう化)し、働く個人に内省をうながす環境である」ということです。

 1.仕事のあり方への「自己内省」を促す
   なぜ、自分はここに座るのか?
   なぜ、自分はここを選ぶのか?

 2.仕事のあり方への「自己反省」を促す
   なぜ、自分の隣にはこの人が集まるのか?
   なぜ、自分の隣には来ないのか?

 一般に、人間が個人の独力で自己内省を駆動するのは難しいと言われています。ですので、通常は他者の力を借りて、共同的な内省(Collaborative reflection)を可能にするような環境を構築するわけです。潮田さんのオフィスは、もしかすると、これをオフィス自身が担う役割をもっているのかな、という感触を得ました。

 もちろん、これを明らかにするためには、今後、しっかりとした調査が実施されることが重要です。

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 最後に、今回、お忙しいところご出講いただいた潮田邦夫さん、妹尾大先生に、心より感謝いたします。本当にありがとうございました。

 また、Learning barは東京大学大学院の院生諸氏によって運営されています。
 今回は、M2の口頭試問が金曜日・土曜日に予定されていることもあり、M0・M1のの皆さんが中心になって手伝っていただきました。坂本事務局長、福山君、我妻さん、野澤さん、劉さん、大城さん、岡本さん、坂本君、牧村さんにお手伝いいただきました。感謝です。

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 さらには議論に参加してくださった皆様に感謝いたします。雨の日の金曜日、足下の悪い中、お越し頂き感謝です。

 本当にお疲れ様でした。
 すべての人々に感謝を込めて
 ありがとうございました。

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 次回のLearning barは、3月から4月を予定しています。一度、「やる気」を取り上げてみたいのですが、どのような方にお話しいただくかで、少し悩んでいます。Learning barらしい会になるとよいのですが。もう少し時間をください。

 どうぞお楽しみに。

 詳細は、下記メルマガからお知らせいたします。ご参加希望の方は、ぜひご登録ください。

NAKAHARA-LAB メルマガ
http://www.nakahara-lab.net/learningbar.html

 See you soon at Learning bar!

投稿者 jun : 2009年1月31日 17:00


企業人材育成の「事例のあり方」を問い直す!?

企業人材育成の「事例のあり方」を、根本から問い直す時期にきているのではないか、と思います。

 企業・組織の人材育成にとって、「事例」とはいったい「何」なのでしょうか。それは、「誰」が「何」をするために編まれたものなのでしょうか。さらに言うならば、どのような「工夫」をもって、さらによりよいものを編むことができるのでしょうか。

 このあたりを、問い直す時期に、そろそろ来ているのではないかと切に思うのです。

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 典型的な企業人材育成の事例は下記のように語られます。

 まず冒頭。
 企業の概要、執行部の体制、事業内容などが語られます。概して、これがやたら長いことが多いです。中にはプレゼン時間の3分の1がこれにあてられることも、ないわけではありません。個人的には、説明するパンフレットなどを配って、「それを見ておいてください」でよいのではないか、と思うときもあります。

 次に教育体系や人材開発ポリシーについての話になります。事業戦略とのかねあいが語られることは希です。

 それが終わると、いよいよ「個々の施策」になります。
 個々の施策は、具体的な様子があまりわかりません。具体的にカリキュラム(学習者の学習の軌跡)を語っていただきたいのですが、そうなることは希であることが多いです。いつ、誰が、誰と、どのようにして、何をして、何を学んだのかを、想像しながら聞きます。

 最後には「評価」が語られます。評価に関しては、企業人材育成のそれは、アカデミックのそれとは異なります。アカデミックなそれが客観性や厳密性を重視する一方で、企業評価のそれは「納得性」「説得性」が重視されます。もちろん納得性を高める上で厳密であることは重要なのですが、「実験計画」を組むことができない以上、確実なデータを把握することは、そもそも不可能です。
 企業人材育成のそれは、企業人材育成の経営に対するインパクト、事業部に対するインパクト、本人に対するインパクト、、、様々な指標を用いて、複合的に納得性を高めていく作業かと思います。しかし、そもそも評価が語られることは、非常に希かもしれません。
 加えて、人が何かをやることには、必ずポジティブな側面とネガティブな側面(というより今後の課題)があるはずです。しかし、今後の課題はなかなか語られないことが多いです。

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 もちろん、すべてがこのようなかたちではありません。事例の中には、「学習者の様子」「マネジャーの苦労」が生き生きと描写され、かつ、評価データもきちんとそろったものもあります。

「おー、すげー、これはすごい仕事だなぁ」と思わず感嘆の声をもらしてしまうものも多々あります。昨日の大阪で開催されたシンポジウムでも、僕は、そのような事例に出会いました。

 しかし、おうおうにして現在の人材育成において、事例はかくのごとく語られます。これに対して、僕は少なくとも改善の必要性があると思っています。
 
 でも...皆さん、胸に手をあてて思い起こしてみてください。
 こう思っているのは、僕だけですか?

 たぶん違うでしょう。表だって語られることは少ないですが、少なくない数の人々が、これに同意してくれる実感が僕にはあります。

 というのは、人材開発担当者、現場のマネジャーの方、民間教育企業のベンダーの方々とお話ししていると、「事例のあり方」について、みんな一言言いたいことがあるように感じます。

 この数ヶ月間、「事例をもっと実りあるものにしなければならない」ということを、これまでに何度耳にしたか、数えられないほどです。

 みんな心の底では思っている・・・のかもしれない
 そして、そういうものは、「変わる必要」があるのです。

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 昨日、松尾先生とお会いした際、やはりこのことが議論になりました。

 松尾先生によりますとビジネススクールにおける事例、つまりケースは、学習者(MBA志望者)が、「自ら考えるための資源」だということです。

 ケースの書き方には様々なものがあるけれど、「事実」を様々な場所にちりばめて、結論や筆者独自の分析をなるべく避ける形で書かれているそうです。

 読み手は、様々にちりばめられた事実を読み取り、仮説をつくり、自分だったらどうするかを考えます。「アクティブな解釈」と、「仮説作り」を支援することが、ケーススタディの役割です。

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 たとえば、学校教育であればどうでしょうか。

 学校教育の現場には、レッスンプラン(授業案)というかたちで、教員同士が授業を伝え、議論する形式があり、フォーマットはおおよそ定式化されています。

 もちろん、それにも様々な書き方があります。子どもを中心にして書く方法、教員の働きかけとそれに対する子どもの反応を中心に書く方法。実践者が編む方法、研究者が編む方法、本当に様々です。

 しかし、重要なことは、その事例が、教員同士が知識や知恵を伝承するきっかけ、議論やディスカッションの資源となるように書かれることです。

 もちろん、もし、現場の先生が、この文章を読んだら「そんなの形骸化しているよ」とおっしゃるかもしれません。
 でも、たとえ若干形骸化していても、「事例を共有する方法」について、少なくとも、学問内において議論があり、かつ、多くの先生方にその手法がある程度共有されていることは、大きなアドバンテージだと思います。

 以上、ビジネススクールと学校教育にとっての「事例」を見てみました。いずれにしても共通しているのは、事例のオーディエンスは「学ぶ人」として位置づけられていること。そして、事例は「考えること、議論するための資源」として位置づけられていることです。そして、どちらも「事例の語り方」に関して、様々な「議論」があるということです。

 ひるがえって、企業人材育成はどうでしょうか?

 企業人材育成の「事例」のオーディエンスは、「学ぶ人」でしょうか?

 企業人材育成の事例は「考えること、議論するための資源」になっているでしょうか?

 企業人材育成の事例の語り方が、かつて、この領域で、公のかたちで問題になったことはあるでしょうか。

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 もちろん、ここまでサラサラと述べましたが、これは難問でもあります。
 企業人材育成の場合、ステークホルダーが非常に多岐にわたるため、ビジネススクールや学校教育と異なり、「誰が何をするために書くのか」という問いに対して、ひとつの答えをだすことは困難です。

 しかし、社員の育成や成長に関係する人々が集まる会が、世間にはたくさんあります。ここでのケースの語られ方について、もう少し工夫が必要である気もします。これは自戒をこめていいます。

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 もしかすると、この難問に対して、実務家だけで取り組むのは、難しいことなのかもしれません。実務家と研究者の「関係」を問い直し、役割を見直す必要もあるのかもしれません。

 例えば、実務家と研究者が協働でエスノグラフィーを執筆する、ケースを執筆する。そのケースは蓄積され、共有の公の財産(アーカイブ)として公開される、というかたちもありえるのかもしれません。

 「公開」と聞くと、訝しがる方もいるのかもしれません。なぜ自社の秘密である「人材育成のやり方」を公開するのか?

 でも、僕は「逆」ではないか、と思うときがあります。「情報公開」をしても、失うものはそうない。むしろ、公開を行うことによるメリットの方が大きいのではないか、とさえ思うのです。

 これは、以前、「はじめての課長の教科書」の酒井穣さんとお話ししたことがあります。

「人材育成のあり方や働き方に関する情報を(公開にそぐわないものは除いて)、もっと企業はオープンにしてネットなどの手段で公開するべきである」

 という話で、以前、盛り上がりました。

 なぜなら、今よりも「自分の能力や専門性の向上に興味をもち、かつ、責任を持たされている時代はない」からです。
 だとすれば、ハイポテンシャルな人材を集めるために、また、リテンションを高めるために、、、もっともっと、ヒトに関する情報を公開してもよいのではないか、と思うのです。
 
 そして、経営課題のだいたい二番目あたりに「人材育成」と書くのであれば、あるいは経営理念の三番目くらいに「ヒトを大切にする」とうたうのであれば、ステークホルダーに対するアカウンタビリティの問題として、それをやることが筋ではないか、と思ったりもします。

 閑話休題。
 熱くなって、話がズレました。
 話を「研究者と実務家の協働」に戻します。

 年に一度のワークプレイスラーニング200Xでは、2008年大会から、事例のブラッシュアップ(洗練化)を目標に掲げました。
 ワークプレイスラーニング2008では、事例企業の方々にご協力いただき、4月から5月に企画委員会全員と研究者、事例企業の方々が集まって、研究会を開催します。その研究会で、事例のストレスポイントを見極め、フォーカスしています。

 まだその試みは、挑戦半ばで様々な課題もあるのですが、今年も去年の反省を踏まえ、ブラッシュアップの方法を検討したいと考えています。

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 事例をいかに書くか、いかに聞くのか、いかに語るのか、という問題は、かなり根本的な問題であり、様々な問題に派生することであることに気づかされます。

 企業・組織の人材育成にとって、「事例」とはいったい「何」なのでしょうか? 

 わたしは勇気を出して(!?)、そのことを公の場で喋りました。これに対しては、いろいろな立場からの、いろいろな意見があるでしょう。議論が起こっていいのではないかと思います。

 そろそろ本気で、みんなで考え、議論する時期ではないか、と思います。

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追伸.
 1月28日のエントリーには、たくさんの方々からメールをいただきました。ありがとうございました。非常に印象的だったコメントは、

 「ひとつの企業」の定義も揺らいでいる・・・

 というご意見でした。なるほど、職場、組織のウチとソトの境界は、急速にメルトダウンしていますよね。

 うーん、僕たちは、「とてつもない時代」を生きている気がしてきました。

 「働く大人の学び論」については、また考えていきたいと思っています。

投稿者 jun : 2009年1月30日 10:47


三田の家:インターキャンパスというコンセプト

「中原さん、"三田の家"って行ったことありますか? 中原さん、絶対に興味をもつと思うけど」

 かなり前のことになりますが、どこかで誰かに!?、こんなことを言われたことがあります

 そのときは急いでいたので、「ああ、三田の家?ですか、ないですねー」とサラリと話は流れました。
「三田」を人名だと勘違いして、「三田さんって誰よ?」と訝しがっていたのですが・・・そのときは、話はそのままスルー。「三田の家」は忘却の彼方に消えました。

 ▼

 で、先日、ひょんなことから「三田の家」の話を聞きました。ほんで、ググって見たら、慶應義塾のある「三田」なのね、話は。

三田の家
http://mita.inter-c.org/

 詳細はよく知りませんが、「三田の家」とは下記のような場だそうです。

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「三田の家」は、慶應義塾大学教養研究センター学術フロンティア「インター・キャンパス構築」プログラムと三田商店街振興組合が共同し、教員、学生、商店街、その他からなる有志メンバーによって進めるプロジェクトです。
(中略)

 大学のある街・港区三田ですが、地域と大学の関係はかつてほど密接ではなくなっています。居心地の良い喫茶店や古書店も少なくなり、学生も、教員も、大学の周辺で時間を過ごすことはあまり多くはありません。また大学のキャンパス内にも、外部社会に対してはもちろん、大学の内部においてすら、自由な交流の起きうる場が開かれているとはいえないのが現状です。

 そこで私たちは、従来「異分野」「多文化」「異組織」ゆえに、近隣で生活していても出会うことの稀であった人たちがカジュアルに出会い、学びあい、交歓する場(インター・キャンパス)の創出を目指してこのプロジェクトをスタートさせました。

 学生・教職員と地域住民、留学生と日本人学生、地域の在勤者と商店主などが、日頃の制度的バリアから半ば解放され、カジュアルに交わりながら様々な活動を共に行なっていけるような、「教室」と「居酒屋」との中間的な場をイメージしています。ここから、新しい「学び」や「出会い」、「まちづくり」の形が生まれてゆくことを期待しています。

(http://mita.inter-c.org/?page_id=2より引用)
 
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 へぇ、、、とても面白いですね。

「異分野」「多文化」「異組織」ってのが、いいですね。「インター・キャンパス」というコンセプトも面白いですね。実際にはどんなことをやっているのかな、、、興味津々です。

 Learning barをはじめるときに、僕は、同じようなことを考えました。異なるものが、出会い、話をして、気づく場、、、そうした機会をつくりたい、と僕は願いしました。
 話す内容はSerious(マジ)なんだけど、Fun(面白い)場。Learning barは、そんな場を、大学の中につくる営みでした。

 しかし、いくつかの限界ももっています。企画は僕一人でやっているので、そもそもたくさん開催できません。インターキャンパスというコンセプトや仕組みは、この限界を超えるヒントを与えてくれているような気もします。

 Learning barが、本当にどこかの商店街でOpenできると面白いのですけど。

 「三田の家」についてはWebページでしか知りませんが、そんなことを思いながら、ページを見ていました。

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追伸.
 昨年実施した質問紙調査の結果を論文にするため、朝、松尾先生とディスカッション。何とかメドがついた気がしました。ありがとうございました。

投稿者 jun : 2009年1月29日 09:53


働くみんなの学び論

 ここ数日、「嬉しいメール」が、いくつも届いています。僕の講演やLearning barにご出席いただいた方からのメールです。

「講演やLearning barを参考に、自社の研修や勉強会を実施・改善してみた、やってよかった」

 というメールを、立て続けに数通もらったのですね。本当にありがたいことですね。いやー、嬉しいね、「なんちゃって教育学者冥利」、いえいえ「学びのゲリラ:ラーニングゲリラ冥利」につきますね。

 お便りをいただいたおひとりは、Learning barにご出席いただいた方でした。聞くところによると、その方が中心になって、あるテーマのもとに、Learning barスタイルで勉強会を開催する予定だそうです。

「中原のやり方をパクルこと」に対する「許可」ということで、メールを送っていただいたようです。全く問題ありません。どしどし「パクって」ください。

 というか・・・「パクる」というのは、少々変かもしれませんね。そもそも「学びの技術」なんて特許性も著作権もクソもへったくりもありません(アンタ、その表現、大学教員としてコレクトじゃないよ、お里が知れる!!)。

 学びの技術は、誰のものでもない、みんなのものなのです。ぜひ、素敵な「学びの場」を、皆さんの企業・組織にもつくってください。

 ひとつだけ間違いがないことがあります。
 「学びのイベント」は、「参加」するより、自分が自ら開催する方が、100万倍くらい楽しくなるはずです。ワークショップは、参加するより、自分でデザインする方が絶対に楽しいです。ぜひ、自らエンジョイできる場をつくってください。

  ▼

 もうひとりの方は、講演でお話しした話をもとに、「若手向けの研修」を再構築なさったそうです。
 騙された!?と思ってやってみたところ、「参加者、若手からの評判がよく、社内外の発表会でもプレゼンをするようになった」そうです。

 素晴らしい!、ブラボー!

 何より嬉しいのは、「社外で発信する機会を得た」ということですね。ぜひ、「学びのゲリラ」ならぬ、「学びのエバンジェリスト」として、ご活躍いただきたいものです。

 その他にも、いくつかメールをいただきました。工場の若手人材育成研修を見直してくださった方、全く今までの階層研修とは異なったマネジャー研修を企画なさった方・・・どの方の文面からも、「パッション」を感じます。ありがたいことですね。また、ぜひ教えてください。

 ▼

 ここまで書いてきて、いくつか思うことがあります。

 第一に、自分でも面白いなぁ、と思ったのですが、きっと僕の研究の「最終ターゲット」は「ひとつの企業」「ひとつの組織」ではないんですね。

 もちろん、「あるひとつの、ある特定の企業・組織の環境を改善すること」にも興味はありますし、できることはたくさんあると思います。

 でも、僕は、どうしても、きっとそれ以上に、「ひとつの組織を超えた何か」「ひとつの企業や組織の最適化を超えた何か」を意識してしまいます。
「何か」ってなによ?と聞かれると、「すんません、今はわかりません」と答えるしかないのですけれども、どうも僕は「ひとつの特定の企業・組織を超えた何か」を追求したい、変えたいと願っているようです。自分のことは、なかなかわからんなぁ。

 「何が"何か"だ、ぬるいわ、このタワケめ!」

 とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。でも、ぬるかろうが、タワケだろうが、そう思うんだから仕方がありません。きっと、それは僕のバックグラウンドが「教育」であることと無縁ではないのかもしれません。

 僕らがふだん見ている「働く大人」は、キギョウやカイシャというものに所属していることが多い。彼らは、一生涯のうち、100000時間もの長い時間を、カイシャやキギョウで過ごします。

 だからこそ、「キギョウ」や「カイシャ」に興味があるのかもしれません。その人のQuality of LifeのKey Factorとして、ここを考えないわけにはいかないのです。

 電車の前に座っている、この若いサラリーマンは、日々、どのように働き、生きて、学んでいるのだろう。先日であった、あの部長の部下は、どうして、あんなに溌剌と仕事をしているのだろう。そこにはどんな秘密があるのだろう。

 そういうことに興味があるのです。

 そう考えると、僕が最終的に取り組みたいことは、

「働くみんなの学び論」

 なのかもしれないな、と思うときもあります。いいね、このネーミング。もちろん、金井先生の「働くみんなのモティベーション論」へのオマージュ(hommage)として。

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 明日から出張です。明後日金曜日、土曜日は、いよいよ大学院の口頭試問です。所属するセンターの来年度以降の計画も立てなければなりません。

 今年最初の「山場」がやってきたようです。

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追伸.
 以前、佐藤優香先生、上田信行先生と「ワークショップのデザイン」についてお話ししていたことがあります。お二人によると、「ワークショップのデザイン」は、イタリア料理をメタファに組み立てるとよいのでは、というお話でした。

イタリアンミールモデル
http://www.nakahara-lab.net/blog/2006/10/post_596.html

 イタリア料理は、下記のようなプロセスで進むそうです。
 重要なことは、5から8までがすべてデザートだということですね。ここに長い時間がかけられる。
 デザートは、その日一日あったこと、今日食べた料理を「振り返る」という意味で、長い時間がかけられているのではないか、という話でした。コーヒーを飲みながらリラックスして、振り返る。
 つまり、実際の活動も重要なのだけれども、その活動を振り返る十分な時間と機会が必要だと言うことです。

1.ストッツキーノ:フィンガーフード
2.アンティパスト:前菜です。
3.プリモピアット:パスタ、リゾットなど
4.セコンドピアット:メイン、魚か肉でしょうね・・・
5.フォルマッチョ:チーズのことです
6.フルッタ:フルーツですね
7.ドルチェ:いわゆるスイーツでしょうか
8.カフェ&プティフール:エスプレッソに小さな焼き菓子がついてきます

  ▼

 ちょっと前のことになりますが、銀座並木通りのレストラン「ロオジエ」に行ってきました。

銀座ロオジエ
http://www.shiseido.co.jp/losier/

 こちらはフランス料理でしたが、やはりここでもデザートの時間が圧倒的に長かったことが印象的でした。

1.アミューズ・ブッシュ(前前菜)
2.オードブル(前菜)
3.スープ
4.ポワソン(魚のメイン)
5.ヴィアンドゥ(肉のメイン)
6.チーズ
7.アプレデセール
8.アシェットデセール(メインのデザート)
9.ミニャルディーズ(ワゴンサービス)

 と進行するようです。

 僕は料理は全くの門外漢ですが、西欧の料理は、砂糖を使うことが少ないため、デザートが長い、という話もあるそうです。真偽のほどはわかりません。
 それにしても、メインを食べている時間と同じくらい、デザートの時間が長かったのが、とても印象的でした。

投稿者 jun : 2009年1月28日 09:01


書道プレゼン : インパクトのあるプレゼン方法

 しょっぱなから「問題」です。
 下記の書道の作品、誰の作品かご存じですか?

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 斬新な筆遣いで、その方の心の赴くままに書かれた作品です、、、僕はすっかり心打たれてしまいました・・・。
 「お答え」を予想なさったら、そのまま、下記を読み進めてください。

  ▼

「中原さんは、よくプレゼンで書道を使いますよね・・・あれって、どうやってつくっているんですか? 作り方を教えてください」

 先日、ある方からこんなメールをいただきました。興味をもってくださって、ありがとうございました。お聞きになりたいことは、僕がいつもやる「書道プレゼン」ですね。

 僕のプレゼンを見たことのある方なら、おわかりかと思うのですが、僕はよく下記のようなスライドをプレゼン中で用います。

 下記は、プレゼンの一番冒頭ですね。前回の授業の「おさらい」をしたいときに、よく提示します。

mazu_fukushu.JPG

 下記は、プレゼンの中で、参加者同士に議論をはじめてもらうときに提示します。

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 うーん、これらは、いわゆるひとつの「飛び道具」ですね(笑)。

 僕のプレゼンでは、こういう「書道」を、プレゼンのスライドの合間に挟みます。
 悲しいかな、僕の話は「内容」がないんですねぇ(オーノー、自爆)、、、それを「小手先のテクニック」で補わなくては(笑)。

 ・・・というのもあるんですけでもね(笑)、思うにプレゼンは「見せ方」も重要なんですね。せっかくいいことを言っていても、「見せ方」を工夫したり、あっと注意をひかないと、人は話を聞いてくれないのです。

 原則として、プレゼンする側は、こう思っていた方がいいのではないかと思います。

 他人は、もれなく、あなたの話を聴かない

 プレゼンする人の中には、「話を聞かない人」を見ると、「なんで、オレの話を聞かないんだ!」とすぐに青筋たてて怒っちゃう人もいますね。でも、それは間違っていることもありますね。原則として、みんな、他人の話を「聴くこと」は苦手なのです。そう思っていた方がいいのではないかと思います。

 もちろん、こういう「テクニック」だけで、60分、90分、注意をひきつけるのは100%無理です。そら、「書道」で最初から最後までひっぱるのは無理。結局は、「内容」「中身」で勝負です。でも、「Attentionの確保・維持」にこういうコワザを利用するのはいいと思います。

(僕は25歳で職業研究者になりました。最初につとめた研究センターでは、仕事の都合上、大学の先生や現場の先生相手にプレゼンをすることが多かったのです・・・でも、センセイと呼ばれる人は、特に話を聴かない人が多いですね、自戒をこめていいますけれど(笑)。もちろん、そうでない人もいるので、一般化はできませんよ。さらに、「ペーペーの若造」がでてくると、さらに悲惨です。同じ発表内容、同じ発表方法でプレゼンをしても、おそらく、単に「若い」というだけで、他人はなかなか話を聞いていただけない傾向があるようです。

でも、それじゃ困るのですね(笑)、仕事にならんのだよ、それじゃ。何とかして(笑)、僕は話を聞いていただきたかった・・・中身では自信がある!?ので、その中身に何とか入るまで、間を持たせる技術を持ちたいと思いました。こうして、書道プレゼンは誕生したのです・・・涙、、、嗚呼。

ちなみに、全く関係ないですが、学会や研究会などで「辛辣で意地悪で、あきらかに悪意のある質問」を浴びせられることって、たまーにありますよね。おそらく、これは大学院生>助教>講師>准教授という風に減っていく傾向があるように思うのは僕だけでしょうか。全く同じ発表内容、全く同じ発表の仕方でプレゼンしていても、若い人の方が、「辛辣で意地悪な質問」を浴びせられる傾向があります。全く同じことを言っていたとしてもです。僕の場合は、准教授になった翌日から、突然、減りました(笑)。昨日と同じことを喋っていたのに・・・へんなの(笑)。質問には質問する人の知性が露見しますね、本当に。というわけで、意地悪な質問を必要以上に真に受けないことも(アドバイスはありがたく聴く)、研究者に必要な資質なのかもしれない、と思います)

  ▼

 で、作り方ですが、これ簡単です。皆さん、ぜひやってみてください。

1.まずぺんてるの「太字の筆ペン」を用意します。あと半紙。どこでも売っているものです。ちなみに、インクの換えはたくさん買っておいた方がいいでしょう。太字の筆ペンのインクはすぐに切れます。

shdoudougu.jpg

2.思い切って、「書道家」になりきったつもりで書きます。僕の場合は、「海原雄山」になりきってます、これ最強。全く、怖れることはありません。人目を気にしないで、書道家になったつもりで豪快に書いてください。ちなみに、恥をさらすようでイヤですが、僕は、書道はいつも「3」でした。一度は「2」がついたことも・・・マジ?(内申書には恵まれない男でした)。ちなみに、展覧会に出されたことは一度もありません、、、それが何か?

3.書き終わったら、半紙をよく乾かします。

4.スキャナで作品を読み取ります。カラーで300dpiで読み取ります。よく半紙を乾かしてからにしないと、墨がつきますよ。

5.(もしあればフォトショップなどの)フォトレタッチソフトを使って、まず、モードを「カラー」から「グレースケール」にダウンコンバート(減色)します。さらに「グレースケール」から「モノクロ2階調」に減色します。そうすると、「白」と「黒」以外の色がすべてなくなるはずです。

6.これでファイルに保存。あとは、プレゼンの中に貼り付けて利用します。おしまい。

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 ちなみに、書道をコンピュータ上でやっちゃうソフトもあります。タブレットなどをお持ちなら、こちらでもいいと思います。篆刻もつくることができます。

Win書道
http://www.sourcenext.com/products/winshodo/

Mac書道
http://www.enzan-hoshigumi.co.jp/enzan_site/index.html

 これらを利用していたときも、ありましたが、今はもっぱらアナログです。やはりアナログの方が、力強い線やインクの飛び散りが表現できますね。

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 ちなみに・・・「書道プレゼン」の最大の問題点は、作品を書いているときに、もれなくTAKUZOがやってくることです。

「パパー、たっくんも、やる、書道やる」

takuzo_shodou.jpg

 はっきり言って、戦々恐々です。いつ、はみ出して机が墨で真っ黒になるか、気が気ではありません。おい、そこ、はみ出てる、はみ出てる!!!!

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 というわけで、最初の作品は、TAKUZOが書いたものでした。
 どうですか、予想はアタリましたか?

 書道プレゼン、ぜひお試し下さい。
 というわけで、おしまい!

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投稿者 jun : 2009年1月27日 07:00


「大人の学び」と「アート」

 土曜日、やはり仕事へ。

 午前中は、学会の大会企画委員。
 今年の日本教育工学会は、9月19日(土)から21日の3日間、東京大学本郷キャンパスで開催される。

 大会企画委員では、1)シンポジウムのテーマ、2)課題発表のテーマ、本年度の大会から新たに実施される様々な試みについて、議論。

 僕がメインで担当するシンポジウムが、学会全体のシンポジウムになるかもしれない。忙しくなりそうな予感がした。
 
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 午後、東京大学情報学環福武ホールで開催された「人茶カフェ2008」へ。

人茶カフェ2008@東京大学 情報学環・福武ホール
http://www.edu.gunma-u.ac.jp/bijutu/6-6.html

 群馬大学の茂木一司先生が代表をつとめ、同社女子大学の上田信行先生らと開催した「アートワークショップの可能性」をさぐる公開シンポジウム。

 シンポジウムの基調講演は、僕の尊敬する哲学者「鷲田清一先生(大阪大学総長)。

鷲田清一先生 Wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B7%B2%E7%94%B0%E6%B8%85%E4%B8%80

 鷲田先生は、ご自身がコンセプターとして関わった「湊町アンダーグラウンドプロジェクト」のお話をなさった。

「湊町アンダーグラウンドプロジェクト」の舞台は、バブル時代に企画され、その後の不況で開発が中止された「総面積3000平方メートルに及ぶ圧倒的な地下空間」。
 その空間は、このプロジェクトが目をつけるまでは、「存在をなかったこと」にされ、封印なされていたという。

 しかし、ひょんなことがきっかけで、この空間の存在は「陽の目」を見ることになる。
 人づての紹介で、建築家、アーティスト、哲学者、学生、技術者、弁護士、サラリーマンなど、多様な社会的背景と専門性、多様な世代の人々が集まり、約1年にかけて、この場をどのように利用するかのプランニングをした。

 プロジェクトは大人の「遊び」であり、大人の「学び」であった。「存在をなかったことにされた空間」には、当然のことながら、電気も水道もガスもきていない。所有者、役所、インフラ事業者、、、様々な人々との交渉をへて、ようやくこの場の利用がきまった。広大な空間を用いて、多くの人々が参加可能な、光のインスタレーション(アート作品)をつくることがきまった。

 一般に、物事を何か成し遂げる際には、組織という集団を維持するためには、確固たる「理念」や「ビジョン」というものが必要である、と言われている。
 しかし、このプロジェクトにおいては、それはほとんどなかった。敢えていうならば、人々に共有されていたことは「なんかわくわくするものをつくりたい」「最後まで何かをやりとげよう」という意志のみであったという。

 敢えて「共有できることをミニマム」にして、プロジェクトが進行した。結果として、このプロジェクトには、のべ数千人の人々が関わることになり、大成功を収めた。

  ▼

 鷲田先生は言う。

 湊町アンダーグラウンドプロジェクトは、「みんなはじめて、もぐろうとした、およごうとしたプロジェクト」であった。

 現代を生きる私たちは、日々「自分が職場、組織、地域などから浮いているという感覚と、「自分は他人に泳がされている」という感覚に苛まれている。

 自分の感じる欲望までもが、自分のものではない感覚 - 自分のものであるはずの欲望が、実は、自分のものではなく、社会構造的に「欲望させられていること」に気づく瞬間がある。

 湊町アンダーグラウンドプロジェクトで、人々が結集し、物事を成し遂げられた理由は、そのプロジェクトに参加し、没頭することが「浮いている、泳がされている自分」を拒否し、「自らもぐり、自ら泳ぐ感覚」をわたしたちに想起させたから、だと考えている。

 それでは、なぜ「アート」であったのか。換言するならば、数千にも上る多くの人々が「もぐる、泳ぐための手段」として、アートがその役割を果たしたのか。

 これには、いくつかの理由が考えられる。以下、鷲田先生の話を頼りに、若干、僕の言葉を補いつつ、下記に解説する。

 まず第一に、参加型アートは「やってあたりまえのことではない」。対して、私たちの社会は「やってあたりまえのこと」ばかりである。「やってあたりまえのことではない」ということは、「いつ辞めてもよい」ということと裏表の関係にある。
 よって、参加者は、「なぜ、自分はここにかかわっているか」を常に考えながら、このプロジェクトに参加した。それが「自らもぐり、自らおよぐ」感覚につながったのではないか。

 第二に、アートは敷居が広い。また、アートは題材を選ばない。アートにかかわることにも、既存の知識もいらないし、関わろうと思えば、誰でも関われる。

 第三に、アートは「ゴールイメージ」は誰も、もっていない。このことは、自分たちが今何をしているかという意味自体も、今何かをすることからつくることしかないことを意味している。

 それに対して、一般に私たちの日常は、誰かがリーダーとして振る舞い、誰かが青写真を描いて、結集して、何かをなしとげることになれている。
 こうした場には関われる人も関われない人もいる。また、関われたとしても、そこに「関わることの意味」を見いだせない人もいる。
「ゴールイメージを誰ももっていない」というアートの特性は、「自分たちが今何をしているのか」「自分たちとは何者であるか」を問うきっかけになる。

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 シンポジウム終了後、カフェパーティに参加。

 以前、僕が主催したワークショップで、お料理をお願いしたことのある「たかはしよしこ」さんが、コンセプチュアルなお料理をサーブなさっていた。

たかはしよしこさん
http://takahashiyoshiko.com/

 カフェパーティには、東京芸術大学の大学院生の方や、美術教育の大学教員の方、広告代理店の方など、多くの方が参加なさっていた。彼らから「参加型アート」の話をたくさん聞いた。

 アートに関しては僕は全くの専門外なので誤解を恐れず(ちなみに図工はいつも2か3であった・・・涙)、彼らの話を要約するとこうなる。

1.かつて、アートは「タブロー(静的な、いわゆる絵画)」のかたちであった。

2.アヴァンギャルドの運動が生まれ、「タブローの内部で、その描画形式を壊す」運動がはじまった。モダン以降のアートの歴史は「壊す歴史」となる。

3.タブローの内部で描画形式を壊したり、崩したりする「限界」まで達すると、「壊す対象」が「形式」ではなくなってきた。私たちがふだん行う日常コミュニケーションや、我々のものの見方、感じ方を、アートが対象化し、ズラしたり、壊すようになってきた。

  ▼

 ここまでくると、なぜ、僕がこのシンポジウムに敢えて参加したのか(work life balanceを多少犠牲にしたが・・・泣)、勘のよい方なら、おわかりいただけるだろうか。

 ここでは詳細は述べないけれど、「アート」という言葉に囚われず、ここまで述べてきたことを考えれば、不思議とその骨子は、「働く大人の学び」の領域で問題になっていることに近くなってくる。
 
 たとえば、「もぐりたい」という問題は、

 大人が自分のアイデンティティやキャリアを維持・確認しながら働くためには、社会にどのような学びの場のデザイン、コミュニケーションデザインが必要か?

 ということだろう。
 同じように、「アートという言葉」に囚われたり、過剰反応しなければ(ほとんどの場合、こういう反応をする人は、食わず嫌いである)、今回のシンポジウムには、働く大人の学習に関して考えるためのリソースがたくさんあふれていた、と思われる。

 去年あたりから「デザイン思考」という言葉が人口に膾炙し、大人の学びとデザインの領域がつながりつつある。
 さらには、アートの世界も、きっと近くなっていくことだろう。僕には、その「つながり」が見えた気がした。

 そして人生は続く。

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追伸.
 予想通り、期待を裏切らず、鷲田先生はオシャレだった。ジャケット、メガネ、マフラー、、、いずれもパンピーではない。さすがはファッションを哲学するだけはあると感じ入った。「オシャレ総長」ですね。

  

投稿者 jun : 2009年1月26日 10:46


写真家の熟達 - 公文健太郎さんとお逢いした!

 新刊「ダイアローグ 対話する組織」(2月26日発売予定)の著者近影の写真を、プロ写真家の公文健太郎さんに撮影していただいた。公文健太郎さんは、ネパールの小さな村で、村人と生活を共にしながら、長い長い時間をかけて写真をとったことのある方。

公文健太郎さん
http://www.k-kumon.net/

 撮影は、公文さんのリードと、ダイヤモンド社の前澤さん、井上さんのサポートにより1時間程度で無事終了。ありがたいことである。

  ▼

 撮影終了後、公文健太郎さんをまじえて、皆さんでコーヒーを飲んだ。そのとき、公文さんのおっしゃっていた言葉が面白かった。

 公文さんには、「作品の先生」と「仕事の先生」という二人の師匠がいるのだという。
「作品の先生」とは、公文さんが個人として追いかけているテーマをもった写真 - 例えばブラジルのストリートの子どもたち - を批評してくれる人のこと。

 対して、「仕事の先生」とは、雑誌や書籍などで利用するポートレートなどを撮影するときに一緒に仕事をしたり、アシスタントをやったりする人のこと。

 先生といっても、いわゆる「徒弟制」の封建的な関係 - ミスをしたら、三脚でぶん殴られてしまうような関係 - ではない。昔の師匠関係は、かなり厳しく閉鎖的なものであったようだが、今は、それでは「誰もついてこない」のだという。
 どちらかというと、コメントをもらう、一緒に仕事をする、という関係に近いのかな、と想像した。

 私たちは、ふだん、「徒弟制度」というと、「師匠 - 弟子」の1対1の固定的な関係を想定してしまいがちである。
 しかし、「人材育成をネットワークの問題としてとらえる」という立ち位置にたてば、師匠 - 弟子の関係も、複数の人々で分かちもたれていてもよいと思う(僕のいつもの主張である)。
 公文さんの話は、「現代の徒弟制度のあり方」を考える上で、とても面白いな、と思った。

  ▼

 最後になるけれど、公文さんの話で、もうひとつ印象深かったことがある。

「僕は、オフのとき、ビーチに行っても、どこにいっても、カメラのことや写真のことを考えてしまう、、、いっそ、カメラを置いてくれば自由になれるのかもしれないけれど、それもできません(笑)」

 これは僕も同じである。
 何を見ても、何を聴いても、何を感じても、僕には、この「世界」がすべて「学習の問題」に見える。誰と出会っても、その人がどのようなプロセスで「今、ここ」に至っているのか。他人の学習プロセスが気になって仕方がない。レストランに食事にいっても、コンビニにでかけても、その組織の人材育成システムが気になる。はっきりいって、僕はビョーキかもしれない。

 公文さんの言葉に、とても共感できた。

投稿者 jun : 2009年1月25日 07:59


子どもの頃の想い出 - ポンキッキの『青い空白い雲』『かもめは空を』

 ひらけポンキッキ - 僕が子どもの頃に好きだった番組です。がちゃぴん、ムックの、あの番組です。

 ポンキッキはキャラクターも有名ですけれど、さらに注目すべきは楽曲だと思います。当時の曲は、本当によかったです。特に、『青い空白い雲』『かもめは空を』は、今も歌詞を丸暗記しているほど、よく歌いました。「およげ!たいやきくん」とか「はたらくくるま」なんかも有名ですけれども、僕の一押しは、この二曲です。この二曲は、ビートルズ級だと思う、僕の中では。

 ポンキッキは、その後、視聴対象年齢をかなり上に引き上げ、「エデュケーション」というよりも、「エンターテインメント」として生き残りをはかります。一時期、ティーンとか、大人に大変ウケました。

 しかし、そのことは結局、ポンキッキの人気の凋落につながったような気がします。もともとも;っていた視聴者を失い、さらに他のバラエティ番組との差別化ができなくなり、あてにしていたティーンや大人の視聴者も失いました。大人は「飽きる」のが速いのです。その飽きが、ポンキッキから「元気」を奪っていったように見えたのは、僕だけでしょうか。

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『青い空白い雲』『かもめは空を』はTAKUZOも大好きです。完全とはいえませんが、ときに口ずさんでいるようです。自分が子ども時代に口ずさんだ曲を、自分の子どもが歌っているのは、不思議な気分がします。

 ちなみに、『青い空白い雲』『かもめは空を』は、いまだにCDなどに音源化されていません。何とかならないものか、と思ってしまいます。
 なぜかはわかりませんが、この二つの曲を聴いていると、僕は、子どもの頃歩いた「砂利道」を思い出します。

 この砂利道は、どこに続いて行くんだろう?

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追伸.
 こちらもおすすめです。

投稿者 jun : 2009年1月24日 21:45


ベンチャー企業でUnlearning?

 先日、大成ロテック株式会社の木内里美さん(常勤監査役)に、グローバルナレッジネットワーク(株)さん主催のシンポジウムでご一緒した際、面白い話をお聞きした。

グローバル ナレッジ ネットワーク株式会社
http://www.globalknowledge.co.jp/

 木内さんがかつて経営していたIT企業では、社員に、数ヶ月間のあいだ、ベンチャー企業で仕事をする経験を積ませていたのだという。

 一般に、ベンチャー企業は「最先端の、まだ流行していないテクノロジ」を追求している。社員たちは、ベンチャーでの仕事を通して、こうしたCutting - Edgeのテクノロジに関する知識やスキルを学ぶ機会が得られる。こうしたものを、今、仮に「ラーニング」とよぶ。

 しかし、ベンチャーでの研修で最も大きいのは、実は「ラーニング」の方ではなく、「アンラーン(Unlearn)」である。

 ベンチャー企業の意志決定の早さ、身軽さ、会議の進め方、仕事のやり方を通して、「自分の会社のアタリマエ」が「アタリマエでないこと」に「気づく」。自由の背後にある自己責任を感じる。こうしたことが最も重要だということだろうか。

 人は、どんなに有能な人であっても、一つの場所にいつづければ、「その場でコレクトとされる語り方」「その場でしか通用しない思考形式」「その場で求められる行動様式」を獲得してしまう。

 すべてを棄却する必要はないのだろうけれど、新しいことを成し遂げるためには、どうしても、その一部をUnlearnする必要がでてくる。ベンチャーでの仕事は、自分の仕事や自分の会社を「ふりかえる」ための、よい機会になるのだろう、と思う。

  ▼

 中原研究室の大学院生と、Higgins and Kramの学術論文を読んだ。その論文によると、これからの会社は「職場の境界が消失」してくるのだという。

「人を育てること」も、社内、社外という境界が問い直されるのかもしれない、と思う。

投稿者 jun : 2009年1月24日 09:59


「がの応酬」を超えて

 シンポジウムへの登壇が続いている。この時期は、本当にイベントが多い。

 シンポジウムのパネルディスカッションなどに登壇するたびに、なぜか、僕は、大学外の方々、特に企業の方から、「大学関係者」あるいは「教育関係者」として、「お叱り」を受ける。

 大学教育は、何をやっているのだ?
 日本の教育は、なぜ、どうしようもないのだ?

 ペーペーの僕一人に「大学」や「教育」を負わせるなよ、と心のどこかで思いながらも真摯に耳を傾ける。

 先日は、

「最近の新人は挨拶ができない、、、。電話の受け答えもできない。大学教育は何をやっているのだ・・・大学がなってない、いや、公教育全体がなってない、、、世界に比べて、なんだ、あの画一的な教育は」

 というありがたいご指摘を受けた。

  ▼

 ふーん、「挨拶」なんだ・・・

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 以前は、こういう議論がでてきたら、真面目に懇切丁寧に、我が国の教育現場の動向、そこにかけられている資源の問題、そして世界比較を行ったときの卓越性について、懇切丁寧に説明してきた。

 多くの場合、人々が思っている「教育現場のイメージ」は、我が国の教育の現状とズレている場合が多い。そういうズレをデータを引き合いにだしながら、説明してきた。

 でも、最近、あまりにこういう議論が多いので、正直にいうと、少々、疲れぎみである。もちろん、それを諦めることはしないけれど、限られた時間の中で、この問題の複雑性をわかってもらうことは、かなりストレスを感じる。

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 思うに、こういう問題を、どこかひとつの教育機関(主体)のせいにするのは「思考停止」に近い。

「あいつが悪い」「こいつが悪い」と「がの応酬」を繰り返していても、感情の浄化(すっきりしたなー)にはつながるかもしれないけれど、問題の解決には絶対に至らない。

「がの応酬」を超え、「わたしたちが一緒に取り組めることは何か?」という立ち位置に立つ必要がある。

 これは僕の信念だけれども、「人を育てる」という問題は、決してひとつのエージェントだけが担うべき問題ではない。

「人を育てる」という難問に対して、「みんな」が限られたリソースの中で、各自で何を行い、何を一緒にやっていけるかを考えていく必要がある。そして、そのことを真面目に「対話」するべきである。

 皮肉なことではあるけれど、教育問題に対して熱い人ほど、「対話」を拒み、自分の被教育経験から、どこか一つのエージェントを断罪し、問題をさらに複雑にする傾向がある。
 重ねていうけれど、それは「感情の浄化」であり「思考停止」である。知性的な態度とは言えない、と僕は思う。

 ▼

 今、我々を襲う未曾有の不況の中で、僕は思う。

 教育にかけられる資源を増やしてもらうというアピールは、教育の内部の人々が、これまで以上に行っていく必要がある。しかし、近い将来、それが「倍増する」というシナリオは、少なくとも僕には、想定しにくい。

 そうであるならば、「既にある教育資源」 - それも、家庭、地域、学校、社会教育施設、企業など、様々な資源を「つなげる」ことで、有効に「機能」させることが重要である。

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追伸.
 電車で多くの人が咳こんでいるのを見ると、風邪が流行っているんだろうな、と思う。TAKUZOもご多分にもれず体調不良である・・・嗚呼。

投稿者 jun : 2009年1月22日 09:01


私のスタイル : アキレス美知子さん

 ワークプレイスラーニング2008にご登壇いただいた、アキレス美知子さん(あおぞら銀行)の記事が、毎日新聞に掲載されています。

ワークプレイスラーニング2008
http://www.educetech.org/wpl2008/

ワークプレイスラーニング2008の報告:中原のブログ
http://www.nakahara-lab.net/blog/2008/11/2008_4.html

私のスタイル アキレス美知子さん
http://mainichi.jp/life/job/news/20090119ddm013100038000c.html

 プライベートな背景については、はじめてお聞きしました。子育てにプチ奮闘する一人として、とても勇気づけられました。
 
 ワークプレイスラーニング2008にお越しになった方は、安田講堂の壇上でのアキレスさんの話を頭に思い浮かべてお読みいただければ幸いです。もちろん、お越しになれなかった方も、ぜひご一読いただければと思います。

投稿者 jun : 2009年1月20日 00:07


ただいま校正中:ダイアローグ 対話する組織

 二月にダイヤモンド社から出版予定の書籍、正式書名が決まりました。

「ダイアローグ 対話する組織」

 という名前になりました。

 今、長岡健先生と一緒に、最終校正を行っている最中です。

taiwa.jpg

 この本は、現場のマネジャーの方にも読んでいただけるよう、なるべく平易な表現を使っているつもりです。また読みやすいように、事例をふんだんにいれ、かつ、「ですます調」で書いています。

 下記に、後書きの一部を掲載します。

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 長い長い執筆を今終えることができて、心からホッとしています。教育学者と社会学者の書いた、この小さな本が、ふだん、なかなか顧みることのない「職場のコミュニケーションのあり方」をふりかえるきっかけになれば、これ以上に嬉しいことはありません。
 ビジネスは「生き馬の目を抜くような場」だと、時に評されます。しかし、そこで働く多くの人々にとって、そこはコミュニケーションの場であると思います。我々は、日々、人と出会い、コミュニケーションをしています。
 激烈きわまる競争の果てに、少しだけ乾いてしまった、私たちのコミュニケーションの本質を、少し見直してみませんか。少しだけ硬直してしまった、私たちのコミュニケーションを「ときほぐして」みませんか。
 そのことは、結局、我々の「学び」「成長」、ひいては生活の質をあげることに寄与します。なぜなら、本書の社会構成主義の部分で見たように、私たちが学ぶこと、成長することの本質は、コミュニケーションにあるからです。そして、もちろん、組織の強さや人材の強化にも、それは寄与する可能性があります。
 私たち自身がオープンなコミュニケーションの中に「ある」ことで、私たち自身が学び、成長し、変わること。そして、組織のあり方自身も変わっていくこと。「変わること」とは、まさにダイアログの中にあるのではないか - 筆者らが、本書を書いた最大の理由は、こんな思いからです。

  ▼

 ここだけ見ると何となくマイルド路線を想像しちゃいますが、内容は「かなり挑戦的で刺激的」ですよ。人文社会科学の研究の流れを背景に「対話を語る」というスタンスになっています。「えっ、ここまで言っていいの?」というところもたくさんあります。

 もし興味がおありでしたら、ぜひ書店で手にとっていただけると幸いです。出版は、二月です。

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追伸.
 渡部信一(編)佐伯胖(監修)「学びの認知科学事典」も、一応、完成しました。しかし、、、ちょっとまだ無理がある、、、こんなトーンでいいんだろうか、、、少し寝かせて、もう少し、しつこく取り組んでみます。

投稿者 jun : 2009年1月19日 08:47


腹をくくってNゲージ

 日曜日

 カミサンは、一日仕事です。番組のオーディションだそうです。もちろん「受ける」のではありません。審査するのだそうです。志望者が数百人いるそうです。朝っぱらから出かけていきました。大変みたいです。頑張ってねー。

  ▼
 
 今日はTAKUZOと二人で遊びました。寒いので、車を飛ばして、ショッピングモールにいきました。で、ブラブラです。いろんな店をからかいます。

 電車模型(Nゲージ)のお店がある、と聞いていたので、TAKUZOを連れて行きました。そこに連れて行くのは「覚悟」がいることなのです。腹をくくらなければ、TAKUZOをNゲージの店には連れて行けません。

  ・
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  ・

 やはり・・・というべきか・・・めちゃめちゃ食いついています。僕の話を一切聞きません。

n_guage.jpg

「東海道線いたよー」
「あっ、かもめいたねー」
「これ、何? のぞみ、ひかり、こだま? 各停?」

 とか大声でしゃべっています。
 各停って、、、。
 あのー、もう少し小さい声でも聞こえるよ。

 困ったのは、どんなに時間を過ごしても、離れようとしないことです。あのー、もう1時間もいるよ、ここに。

n_guage1.jpg

  ▼

 あまり時間がたっては、昼ご飯が混むので、最後は無理矢理、ショッピングカートにのせました。

 オーノー、予想通り「ギャン泣き」です。嗚呼、だから、ここに連れて行くのは、「覚悟」がいるのです。なんで、休日に、腹をくくらなきゃならんのだか(笑)。

  ▼

 そして人生は続く。

 ---

追伸.
 急激にTAKUZOの語彙が増えています。

「パパにおはよう言ったね~」
「パパ ブロック 上手ね~」
「ポイッ!大根いらないの」
「お肉 おいしかったの」
「サラダ ちょーだーい!」
「たくちゃんの ブロッコリー!」

 いわゆる三語文っていうのも、たまにあるような気がします。

 問題は、「とんでもないこと」も言うようになったことです。

「おっぱい ぼよ~ん!! おねえさん ぼよ~ん」

 オマエ、そんな言葉、どこで覚えてきた?
 何が「ぼよーん」じゃ、、、つーか、おねえさんって、いったい、「誰」のことよ?

 僕と一緒にいるときに、公衆の面前で絶叫しないか、と怖れています。
 親の顔が見てみたい。

投稿者 jun : 2009年1月18日 17:22


〆切とはゴムヒモである

 御世話になっている鍼灸の先生が、原稿の〆切に苦しむ僕に、先日、こんなことをおっしゃいました。

 中原さん、〆切とは「ゴムヒモ」のようなものです。
 思いがけないほど、それは伸びます。しかし、極限までいってしまうと、プツンと切れてしまいます。

  ▼

 なるほど・・・ゴムヒモね。たしかに、伸びるね。でも、いつかは切れる。こりゃ、一本とられたな。
 でも、ということは、どこまで伸ばすことができるのかを、ゴムヒモと対話しながら、さぐることが重要だということなのでしょうか。それがわたしが「今、なすべきこと」ということでしょうか。

  ・
  ・
  ・
  ・

 否、、、違うね。断じて違います。「そんなことをしている暇があったら、さっさと書け」、っつー話ですね。皆さんの怒りが聞こえてきそうです。キレないでね、ゴムヒモ。

 すんません。
 自虐。
 
 ---

追伸.
 ちなみに、ゴムヒモの中には、1ミクロンも伸びないゴムヒモもあります。学位論文の〆切の類は、それでしょう。何でも伸びるわけじゃない。人生いろいろ、ゴムヒモいろいろってことだね。なかなか注意が必要ですね。

投稿者 jun : 2009年1月16日 10:51


遊泳時間

 ちょっと前のことになりますが、ある企業の方とお話ししていたときのことです。その方がなさった、こんな話が印象的でした。

 曰く、

 わたしは、ランチが終わって自席に戻るときに、「自席まで最も距離のある道」を、その日ごとに選んで通るようにするんです。あえて階段を使って戻ります。

 あるときは3階でブラブラ、ある時は5階でブラブラ。みんながやるように、エレベータを使って、最短距離のルートで足早に自席に戻ろうとはしない。

 この時間のことを、自分の中では「遊泳時間」と呼んでいます。で、これが、結構、仕事に役に立つことが多いのです。

 なんかあの人顔色悪そうだな、とか、思うこともあります。また、遊泳していると、声をかけてくれる人もいます。「あっ、○○さん、今度、折りをみて、行こうと思ってたんだけど」みたいに。人の顔を見ていると、「あっ、あの件、△△さんにフォローをしとこう」と思い出すこともしばしです。

 要するに、情報がいろいろ集まってきますし、わたしからもでていきます。これが、仕事をしていく上で、とても役に立つことが多いのです。

  ・
  ・
  ・

 テープレコーダをもっていたわけではないので、一字一句同じではないですが、こんな趣旨のことをおっしゃっていました。「遊泳」という言葉が印象的だったのですね。

  ▼

 組織において、情報収集や情報共有が大切だ、とよく言われます。最近は過剰な期待は以前より少なくなりましたが、「これを使ってなんとかせい!」と、仰々しいITツールが導入されることも少なくありません。

 でも、「情報を収集する」「情報を共有する」って、そんなに大それた事なのかな、と思うこともあります。
 もちろん、この方が、とても人間的魅力にあふれる方だから、情報のやりとりが発生しているのだ、ということは言えると思います。また、職場のメンバー全員がランチのあとに遊泳しているのは、「葛西水族館のマグロ」みたいで困ります(笑)。

 でも、ささやかな「プチ工夫」で、情報のサーキットをビミョーに変化させることはできるのではないでしょうか。それは、いつでも、今日から、自分の職場で、できることなのではないかな、とも思ってしまうのです。

 最近、僕も「遊泳」してないな、と思います。
 「遊泳」を増やしたいと思っています。

投稿者 jun : 2009年1月15日 12:33


そのメッセージは「ダブルバインド」ぢゃないですか?

 この週末は、青学での集中講義「組織間ネットワーク特論」がありました。この講義では、「働く大人、組織、学習」に関係する基礎理論を集中的に学ぶことを目的にしています。

 ひとつのテーマに文献が複数指定してありますので、それを一人ずつ担当し、発表します。課題は日本語で読めるものだけに限っていますが、結構ヘビーです。その発表のあと、ディスカッションをするというかたちで、授業が進行します。

 ゼミ参加者の社会的出自が全く異なるので、ディスカッションは、かなり多岐に発展します。先日のゼミでは、活動理論の説明のときに、グレゴリー・ベイトソンの「ダブルバインド」が話題になりました。

  ▼

 専門家から便所スリッパで、後頭部をぶったたかれることを覚悟して、ダブルバインド(二重拘束)を説明すると、下記のようになります。

1.権力関係で上にたつ人間から、
2.矛盾するメッセージが連続的に発せられ
3.かつ、そこから逃げることが許されない状況を
4.ダブルバインドとよぶ

 ベイトソンは、家族の中のコミュニケーションが、上記のような状態に置かれると、子どもは精神に異常をきたす可能性が高いことを指摘しています。

人間のコミュニケーションにおけるメッセージには、メタ・メッセージによって自己言及してしまうものが多く含まれる。その中にはパラドックスをつくりだしてしまうような表現も存在する。人が権力関係の中でパラドキシカルな状況定義を余儀なくされるとき、状況の正確な対象化能力を失って、適切な反応ができなくなる場合がる。このような状態をダブルバインドと呼ぶ。
(ベイトソン)
 
  ▼

 ベイトソンが、彼の著書の中で指摘したのは、家族におけるコミュニケーションです。

 たとえば、親子関係などでは、

1.こっちにきて一緒に遊ぼうといいながら
2.子どもが寄ってくると、冷たくつきはなす

 といったことが起こりうる。こうしたことが繰り返し起こると、子どもは、精神異常をきたしやすいというのではないか、と思います。

 しかし、ここまでヒドイ事例はないにしても、「家族以外のコミュニケーションの現場」では、こうした事例は結構ありそうですよね。
 会社、職場、学校でも、人がコミュニケーションをする限りにおいて、どこであっても、ダブルバインドに似た状況が起こる可能性があるのではないでしょうか。

 裏表のあるメッセージに翻弄され続ける
 繰り返し発せられる矛盾したメッセージに戸惑っている

 かつ

 そこからは決して逃げられない状況

 あなたは、ダブルバインドの中にいませんか?

 こうしたときであっても - いいえ、こうしたときだからこそ、 - 人は学んでしまします。「この場では何をやってもダメなのだ」「僕は何をやってもダメな人間なのだ」。「でも、、、この状況から僕は逃げられないのだ・・・・嗚呼」

  ▼

 自戒を込めていいますが、ダブルバインド的メッセージを発したくはないものです。教員としても、一人の子どもの親としても。

 あなたのメッセージはダブルバインドではないですか?

 
 
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組織間ネットワーク特論
青山学院大学大学院 冬学期集中講義 最終シラバス

中原 淳
東京大学 大学総合教育研究センター 准教授
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■講義の目的・概要
 人は、人生の一定期間、学校という場所「だけ」で学
ぶわけではありません。学校を「卒業」した後でも、会
社や組織の中で、新たな知識を獲得したり、他者と知識
を共有したりしながら、仕事に日々取り組んでいます。
人は年をとっただけでは、学びをやめません。人は、生
けとし生きる限り、学び続ける存在なのです。

 本授業では、従来あまりスポットライトがあたること
のなかった、学校の「外」の学習 - つまり、「企業・
組織における学習」に関連する文献購読を行います。経
営学、教育学、心理学、社会学等の分野をとわず、関連
する文献を購読することを目的とします。

 近い将来、組織における学習、人材育成システムを実
際に「分析」したり、あるいは「構築」したりする場合
に必要になる基礎的概念を理解することをめざします。
 
 
■授業の基本的アーキテクチャ(90分)
 ・イントロダクション(中原:5分)
 ・プレゼンテーション前半(20分)
 ・プレゼンテーション後半(20分)
 ・ペアディスカッション(20分)
 ・オープンディスカッション(クラス全体で:20分)
 ・ラップアップ(中原:5分)


■場所
 青山学院大学 青山キャンパス


■プレゼンテーションのやり方
・課題として設定された文献を購読し、内容を要約する。
すべての要約をより集めて、「ひとつのストーリー」を
構成すること。

文献はPDFになっているものはダウンロードすること。
PDF化されていないものは、図書館などで借りてくること。
文献の貸与は行わない。

・プレゼンテーションはパワーポイントで行う。

・プレゼンテーションの構成には下記を必ず含めること
 ・各文献の要約をまとめた内容
 ・今回の文献で興味深かったところ/面白かったところ
  現場で役立ちそうなところ
 ・今回の文献の課題、問題点
 ・考察したこと
 ・ディスカッションのポイント

・配付資料は人数分用意し、各自で印刷すること。

・配付資料は「パワーポイントの配付資料」を用意する。
 
 
■授業内容

●1 経験学習と組織学習

・松尾睦(2006)経験からの学習-プロフェッショナルへの成長プロセス. 同文舘出版, 東京

・松尾睦(2004)内部競争のマネジメント 同文舘出版, 東京
 
●2 中間管理職の経験学習と暗黙知の獲得

・楠見孝(2003) 暗黙知. 小口孝司・楠見孝・今井芳昭(2003)エミネント・ホワイト:ホワイトカラーへの産業・組織心理学からの提言. 北大路書房, 京都 pp6-24

・楠見孝(1998) 中間管理職における経験からの学習能力を支える態度の構造 日本労働研究機構 資料シリーズNo.110

・楠見孝(2000)中間管理職のスキル、知識とその学習. 日本労働研究雑誌 No.474

●3 職種と熟達化

・笠井恵美(2007)対人サービス職の熟達につながる経験の検討. リクルートワークス研究所(http://www.works-i.com/flow/survey/download.htmlにて入手可能)

・笠井恵美(2007)対人サービス職の熟達につながる経験:小学校教諭・看護師・客室乗務員・保険営業の経験比較 リクルートワークス研究所(http://www.works-i.com/flow/survey/download.htmlにて入手可能)

・見舘好隆(2007)顧客接点アルバイト経験が基礎力向上に与える影響について:日本マクドナルドに注目して. (http://www.works-i.com/flow/survey/download.htmlにて入手可能)

・伊東昌子・河崎宜史・平田謙次(2007) 高達成度プロジェクトマネジャーは組織の知とどう関わるか. 組織科学 第41巻 第2号.

●4 経験による成長:
  人を飛躍的に「成長」させるのはどんなイベントか?

・金井壽宏(2002)仕事で「一皮むける」.光文社書店, 東京

・モーガン=マッコール(2002)ハイ・フライヤー:次世代リーダーの育成法. プレジデント社

・谷口智彦(2007)マネジャーのキャリアと学習―コンテクスト・アプローチによる仕事経験分析. 白桃書房

●5 経験と内省:

・ジョン=デューイ(2004)経験と教育. 講談社, 東京

・ジョン=デューイ(2004)学校と社会. 講談社, 東京

・ドナルド=ショーン(2007) 省察的実践とは何か. 鳳書房, 東京

●6 成人教育学

・マルカム=ノールズ(2005)学習者と教育者のための自己主導型学習ガイド. 明石書店

・シャラン=メリアム(2005)成人期の学習ー理論と実践. 鳳書房, 東京

・日本社会教育学会(編)(2004) 日本の社会教育 第48集「成人の教育」 東洋館出版, 東京

・赤尾克己(2004) 生涯学習理論を学ぶ人のために―欧米の成人教育理論、生涯学習の理論と方法. 世界思想社, 東京

●7 ワークプレイスラーニングと越境性

・中原淳・荒木淳子・北村士朗・長岡健・橋本諭(2006)企業内人材育成入門.(ダイアモンド社)

・中原淳・荒木淳子(2006) ワークプレイスラーニング研究序説:企業人材育成を対象とした教育工学研究のための理論レビュー. 教育システム情報学会. Vol.23 No.2 pp88-103 (http://www.nakahara-lab.net/blog/2006jset_workplace.pdf)

・荒木淳子(2008) 職場を越境する社会人学習のための理論的基盤の検討―ワークプレイスラーニング研究の類型化と再考― 経営行動科学 Vol21. No.2 (http://wwwsoc.nii.ac.jp/jaas2/doc/pdf/journal/21_2/21_2_12.pdf)

・荒木淳子(2007) 企業で働く個人の「キャリアの確立」を促す学習環境に関する研究 : 実践共同体への参加に着目して. 日本教育工学会論文誌. Vol.31, No.1 (20070520) pp. 15-27

●8 ノットワーキングと活動理論

・山住勝広・ユーリア=エンゲストローム(2008)ノットワーキング. 新曜社, 東京

・ユーリア=エングストローム(2001)拡張による学習. 新曜社, 東京

・杉万 俊夫 (2006)コミュニティのグループ・ダイナミックス. 京都大学学術出版会, 東京

●9 ネットワークと学習:人のつながりの中で学ぶ

・安田雪・鳥山正博(2007) 電子メールログからの企業内コミュニケーション構造の抽出. 組織科学 第40巻 第3号

・安田雪(1998) ネットワーク分析. 新曜社, 東京

・ウェイン=ベーカー(2003)ソーシャル・キャピタル―人と組織の間にある「見えざる資産」を活用する. ダイヤモンド社, 東京

・ドン=コーエン(2003)人と人の「つながり」に投資する企業―ソーシャル・キャピタルが信頼を育む. ダイヤモンド社, 東京

・市田行信・吉川郷主・平井寛・近藤克則・小林愼太郎(2008)マルチレベル分析による高齢者の健康とソーシャルキャピタルに関する研究

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投稿者 jun : 2009年1月13日 09:36


西村佳哲著「自分の仕事をつくる」を読んだ!

 西村佳哲著「自分の仕事をつくる」を読みました。

「働き方研究家」を称する著者が、「自分の仕事にこだわりをもって働いている人々」へのインタビューをしています。そのインタビューを通じて、「仕事のあり方」や「仕事のやり方」について論じた本です。

 様々な人々の語りは面白く、一気に読める大変興味深い内容でした。「仕事のオーナーシップをもつ」「仕事を自分の仕事にする」というメッセージが印象的な一冊でした。

  ▼

 個人的には、アウトドアメーカーのパタゴニアの人事制度が印象的でした。

 パタゴニアには、「インターンシッププログラム」があるそうです。この制度では、従業員が自分の仕事を2ヶ月間離れて、環境問題、貧困サポートなどを志す非営利組織で働くことのできるそうです。

パタゴニアのインターンシッププログラム
http://www.patagonia.com/jpn/patagonia.go?assetid=1963

 このインターンシップのメッセージは、

「才能とエネルギーを、あなたの信じることに使おう」
 
 です。

 パタゴニアでは、こうしたインターンシップを、従業員の「成長」と「経験の蓄積」を促すための「投資」と見なしているそうです。

 「成長」や「経験の蓄積」のためには、仕事をいったん離れ、「圧倒的外部」から自分を見つめ直す機会」が必要なのかもしれません。パタゴニアのこの制度は、それを促す大変よい仕掛けのように感じました。 

投稿者 jun : 2009年1月12日 07:20


苅谷剛彦他著「杉並区立 和田中の学校改革」を読んだ!

 苅谷剛彦他著「杉並区立 和田中の学校改革」を読んだ。

 東京都初の民間校長として、杉並区区立和田中の校長をつとめた藤原和博さんの学校改革を、ショートエスノグラフィーと調査でまとめた小さな報告書。藤原さん曰く、和田中改革の「決算書」というべき本である。

  ▼

 編者の苅谷先生は言う。

 和田中にはメディアが注目し、全国に知られるようになった、和田中ならではの改革の数々がある。(中略)と同時に、和田中には、「普通の公立中学校としての顔」もある。前者がテレビカメラにも映える「ハレ」の面だとすれば、後者は日常の学校生活に根ざした「ケの部分」である。(中略)この二つの顔が交差するところで、改革は進行する。(中略)その動きを理解することで、私たちは、「教育を変える」、あるいは「学校を変える」とはどういうことかを、他の学校を見る以上に、明確に把握できると考えたのである。
(p3)

 筆者らによると、和田中の改革は、「ハレ」と「ケ」の二つの顔が交差しながら進行する。本書では、この「ハレ」と「ケ」に質・量の側面から迫っていった。

 調査の結果、和田中の改革のKey Factors of Suscess(成功の鍵:KFS)は、下記にあるという。

1)よのなか科などの「出島」をつくることによる情報の発信と、学校外部のリソースを学校内部に集めること
2)藤原氏のもつ、あるいは、出島によって集められた社会関係資本を集中投下すること
3)成果の可視化と効率性の追求
4)有名性の資源化

  ▼

 しかし、何より重要なことは、編者の下記の「資源」に関する指摘である。

 ただでさえ、資源が乏しく、多忙化の渦中にある公立中学校を変えるには、教師主導の内側からの改革だけに期待するには無理がある。生徒たちの学習をより充実したものにすることにあるとしたら、いかにして新しい資源を掘り起こし、それを活用することで、学校の力を活性化させるかが重要な戦略となるはずだ。(中略)

 和田中改革の一つの特徴は、「資源の制約」という問題に真っ正面から向き合ったことにあるといえる。和田中の改革メニューは、その多くが「学校外の資源」を活用したものであり、そのことを通じて、和田中の生徒たちの経験の幅と多様性は確実に拡大した。(中略)

 外部の力や資源を最大限に活用することで、あれもこれもと無理な注文が、教師たちに向かわない限りにおいて、たしかに教師たちは、自分の授業改善や指導の時間に向き合うことができる。
(p4-5)

 この考え方は、いわゆる従来の学校改革論とは、違いがあるように思う。

 それは、ともすれば、それは生徒にとってよいと思われること、教師にとってよいと思われることを、「資源の問題」を考えずに、ポジティブリストとして掲げてしまう傾向があった。それゆえに、教師の負担は増加し、時に疲弊した。

 また、「学校のコアコンピタンスは授業である・・・ゆえに、授業がよくなりさえすれば、学校がよくなる」という背後仮説を前提にして、教師同士による授業改善さえ実行すれば、学校は変わる、問題は解決する、といったような予定調和の議論がなされる傾向があった。

 もちろん、それらの努力は貴重である。誤解を避けるために言っておくが、授業を改善することは貴重である。
 しかし、そう思うものの、そうした議論に欠損しているのは「資源の制約」の問題であり、「学校が変わること」に対するゼロからの思考であったと僕は思う。

  ▼

 本書最後の対談でも述べられていることだが、和田中や藤原氏の改革を、その内実をきちんと見つめようとせずして、「新保守主義」というラヴェルをつけて批判し、揶揄することはたやすい。
 しかし、それは、ほぼ「思考停止」である。「ハレ」の部分だけを見て、「ケ」を見ない行為は、賞賛される知性の動かし方とは言えない。

 本書は「岩波ブックレット」なので、薄い小さな本である。それゆえに、1)対象年度が2003年に限定されており、現在の和田中の様子を反映したものではないこと、2)扱われている施策が限定されていることなどの、限界もある。それは「総決算書」というよりは、四半期ごとの「決算」に近い。

 しかし、そこで提案されている内容は、これらの限界を考慮しても、非常に示唆に富むものだと思う。僕個人としては、ここ最近読んだ学校改革論の本の中で - この本よりも「厚い本」も、「難しい本」も含めて - 本書の内容が、最も腹に落ちたし、面白かった。

投稿者 jun : 2009年1月10日 08:30


修士論文・全員提出!

 東京大学大学院 学際情報学府の修士論文提出期限は、1月9日でした。中原研究室・修士2年生の4名は、無事、提出できたようです。この数日は、僕も、本当にハラハラしていました。とても嬉しいことですね。

 院生からの提出報告メールが、朝の5時だったり、深夜2時だったりしています。きっと夜を徹しての作業だったのでしょう。この連休は、ゆっくり休んで欲しいものです。

 一息ついたら、口頭試問と学会論文への投稿ですね。引き続き、修羅場が続きますが、何とか乗り切って欲しいものです。

 ひとつの研究を仕上げるのは、大変なことです。
 とにかく、お疲れ様でした>M2の皆さん

投稿者 jun : 2009年1月10日 08:22


福井次矢著「なぜ聖路加に人が集まるのか」を読んだ!

 福井次矢著「なぜ聖路加に人が集まるのか」を読んだ。著者である福井氏は、日本で最も有名な病院のひとつである聖路加国際病院の院長。


 本書では、福井氏が、聖路加国際病院のチーム医療のあり方、組織改革、医師研修システムのあり方などについて、幅広い観点から語っている。
 特に個人的には、多くの研修医を魅了し、集める、その研修システムに、興味をもった。

  ▼

 聖路加国際病院の研修システムは、いわゆる「屋根瓦方式」と言われている。これが「チーム医療」の中に組み込まれて、効果をあげている、のだという。

 屋根瓦システムとは、1年目のジュニアレジデントを2・3年目の先輩研修医が教え、2・3年目の研修医を4・5年目の研修医が教える。4・5年目の研修医をさらにその上が教える、という具合に、すぐ上の先輩が、後輩を教えていくシステム。

 聖路加での医療は、チーム医療でおこなわれているため、チーム内にこの屋根瓦が二重・三重に幾重にも存在する。「教えることによった学ぶ」縦の関係が重層的に仕事の中に組み込まれている、という。

「どんな有名な外科医であっても、はじめての手術はある」と福井氏はいう。どんなに熟達した医師であっても、元をたどれば、初学者(ノービス)である。

 問題は、彼らにクリティカルな失敗をさせないことである。クリティカルな失敗は、医療の場合、甚大な被害を患者にもたらす。
 加えて「患者を診ずに特定の臓器を診ることにしか興味を示す医師」ではなく、「患者を診る医師」を育てることである。福井氏は、自身の留学経験で出会ったハーヴァード大学のアーサー=クラインマン博士(医療人類学)の話を引用しながら、「疾患」ではなく「病」を診ることに言及していた。

疾患と病い:アーサー・クラインマン著「病いの語り」
http://www.nakahara-lab.net/blog/2008/04/post_1200.html

 医師の熟達は、こうした中でおこなわれる必要がある。そのためには、幾重の人的支援がどうしても、必要になる。
 聖路加の「屋根瓦」システムは、知識やスキル、そして医療に対する信念システムを、世代継承していく仕組みである。これが機能する条件としては、1)すべてのレイヤーの医師が自らの成長を目指すことと、2)チーム医療が実践されること、であると思った。

 僕は、医学教育に関しては、全くのシロウトである。最近の動向も知らない。そして、この聖路加の実態についてもわからない。
 可能であれば、こうした病院の育成システムをエスノグラフィー(質的調査)できると面白いなぁ、と思った。

  ▼

 本書は、聖路加の研修システムを知る上でも、大変興味深かったが、日本の医療のあり方や今後を考える上でも、非常に印象深かった。特に、国際比較のデータは、聴いたことがなかったため、特に考えさせられた。

 日本の医療費は、GDPに対して8%、OECD加盟国の中で22番目。国民医療費は約33兆円。その規模は、全盛期のパチンコ産業の市場規模と同額。

 日本人が医師の診察を受ける回数は、一人あたり年間13回以上。平均在院日数は19.8日とOECD加盟国中最中。

 日本の人口1000人に対する医師の一は2名。OECD加盟国中最中加盟国30ヵ国中、27位。

 人口100万人あたりのCTの設置数は92.6台、MRIは40.1台。OECD加盟国中最多。世界中のCTの実に4分の1は日本にある。

 僕は専門家でないので、よくわからないけれど、どこかが「おかしい」のかもしれないな、と漠然と感じた。

  ▼

 なお、聖路加ではメディカルスクールをつくる動きがあるのだという。この動きが、大学医学部の将来のあり方に一石を投じるのかどうか、今後の動きを見守りたい。

投稿者 jun : 2009年1月 9日 07:00


ラム=チャラン著「CEOを育てる」を読んだ!

 ラム=チャラン著「CEOを育てる」(ダイヤモンド社刊)を読んだ。

 GE、ノバルティス、コルゲートといった企業が、どのようにして、リーダー、CEOを計画的に育成しているか、について考察している。

 筆者のラム=チャラン氏が提唱しているのは、下記のようなプロセスとしてまとめることができるだろうか。彼はこの制度を「徒弟制度モデル」と呼んでいる。

1.リーダーやCEOになる素質のある人物を計画的、かつ戦略的に「見いだす」仕組みやツールを開発する

2.1で見いだしたリーダー候補者には、上司、経験者などのメンターをつけ、徒弟的制度モデルの中に組み込む。

3.綿密な訓練 - 飛躍的な成長を果たすことができるような成長課題を短期間に連続的にあたえ、フィードバックと練習の中で、リーダーを育成する

4.これら1から3までのプロセスをライン事業部で実行する。かといって、人材開発部の仕事が減るわけではない。むしろ、徒弟制度の「受託者(トラスティ)」として、この制度がワーク(Work)するかどうかをウォッチし、それぞれのラインの議論に参加していくべきである。

 ▼

 ラム=チャランの主張は、学習理論的には、アンダース=エリクソンの「熟達化」の議論+ブラウン&ドゥグットの認知的徒弟制度のモデルを足して2でわったような話である。
 このモデル自体に、特段の新しさがあるわけではない。しかし、こうした理にかなった方法で、実際に企業において計画的、かつ戦略的にCEOを育成している事例があることが、興味深かった。

 リーダー育成やCEO育成に興味をもつ人にとっては、一読の価値ありと思う。

 ▼

 余談になるが、本書を読んでいて、少しびっくりしたことがある。それは下記の記述である。

徒弟制は企業幹部には場違いな言葉のように聞こえるかもしれないが、決して、そんなことはない。
(p3)

 徒弟制といえば、僕にとっては - というより、学習研究をやったことのある人にとっては - 「アタリマエのコンコンチキ、アタリマエダのクラッカー」状態の学習モデルのひとつである。

 そういう人は、皆、企業であっても、組織であっても、学校であっても、おおよそ知識の獲得、伝授されているところには、徒弟制の仕組みを見いだせる、と思っている。

 しかし、どうも、それは世間の常識 - リーダー育成の常識と違うのかもしれないな、と思った。何が新しいか、よくわからなくなる。

投稿者 jun : 2009年1月 8日 07:00


ラーニング・イノベーション!?

 今年、僕が、伝えていきたいメッセージのひとつに「ラーニングイノベーション」ということがあるのかもしれないな、と思います。

 学習とは、従来、どこかで出来上がった所与の知識やスキル - しかも、それは知識社会学の知見が明らかにするように、体制や支配階級の維持に過剰に寄与するもの - を個人の頭の中に獲得するプロセスでした。。
 ブラジルの教育学者であり、社会思想家であるパウロ=フレイレは、そうした教育のあり方を「銀行型教育」と批判しました。銀行型教育によって完成するのは、体制に順応し、それを強化する人材だからです。

 それに対して、「学習は変革につながるべきである」と僕は最近とみに思います。
 学習者自身と、その学習者を取り巻く周囲の環境、組織、、、。
 良きものを残し、時代遅れになったものを打ち壊し、新たなものを創造するプロセス - その「変化」のプロセスと、それを担う人こそが、今、必要とされているものなのではないか、と思うのです。

 かくして、ラーニングイノベーションというテーマで、いくつかの試みをおこなうことにしました。

 ▼

 慶應丸の内シティキャンパスでおこなわれる「ラーニングイノベーション論」はおかげさまで、講師陣が決まってきました。
 
【ファーストトラック - 理論編】
 経験学習、組織学習論の現在
    松尾睦先生(小樽商科大学)
 ウェルカムパーティ - 「大人の学び」ワークショップ
 モティベーション論の現在
    金井壽宏先生(神戸大学)

【セカンドトラック - 人材育成のトレンドを知る】

 ■戦略志向
 戦略に貢献する人材開発部門のあり方
    アキレス美知子氏(あおぞら銀行)
 戦略人的資源論の現在
    守島基博先生(一橋大学)

 ■現場志向
 三井住友銀行の新人育成&マネジャー育成
    田中智之氏(三井住友銀行)
 ネットワーク型OJTのすすめ
    関根雅泰氏(ラーンウェル)

 ■対話志向
 企業理念と価値観の共有~「感じる」人材育成
    高津尚志氏(リクルート)
対話と変革

【ファイナルトラック - 組織を変える】
 パフォーマンスコンサルティングワークショップ
    鹿野尚登氏
 ポスターセッションとギャラリートーク
    参加者全員

【ラーニングピクニック - 大人の社会見学】
    自由参加 某社

 まだご登壇いただけるすべての講師の先生が決まっているわけではありません。今回、お声がけさせていただいた講師の先生方とご協力させていただき、もう二度となしえないような - 「一期一会クオリティのコース」にしたいと考えています。

 ぜひお楽しみに。

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 雑誌「人材教育」で「ラーニングイノベーション」の名前を冠した連載を6ヶ月おこなうことになりました。こちらの1月原稿を脱稿しました。

 こちらの方は、日々の企業訪問やヒアリングで聴いた、オモシロおかしい話をを下敷きに、ちょっとした理論などもまじえながら、オモシロおかしく、ラーニングについて語っていきたいと考えています。初回は、連載の趣旨を述べておわっちゃったけど(笑)。

 ぜひお楽しみに。

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 年に一度、東京大学安田講堂で開催されるイベントワークプレイスラーニング2009の実行委員会が、1月に開催されます。

 今年はどんなメッセージするか
 どんな新しい試みをおこなうか

 非常に愉しみです、主催者の一人である僕自身が。
 3年目の挑戦は何か?

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 今年の目標のひとつは「アカデミックなアウトプットを増やす」というものがあります。

 今は、書籍の執筆に、てこずっています。試みているのは「学びの認知科学事典」の執筆。ここに、「企業の学びデザイン」のページをいただきました。
 辞典だけに長く残るので、慎重に試みているけれど、なかなか遅々として進まない。

 今月は、かなり悩むと思います。

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 論文の執筆は、今、「データ」と「先行研究」を見直して「ストーリー」をつくっています。1月後半の研究会までには、何とか粗々なストーリーをつくりたいです。半年間で、学会誌への投稿をめざしたいと思っています。

 ▼

 今年も、ラーニングに、こだわっていきたいと思います。
 そして、僕自身がラーニングの中にありたいと願います。

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追伸.
 日本経済新聞社主催、ASTDインターナショナル・ジャパン共催のシンポジウム「人材開発国際シンポジウム2009」の申し込みがはじまっています。

米国の最新タレント・マネジメント調査結果
  ケビン・オークス 氏(ASTD 元会長)
「日本における人材開発の課題」
  竹中平蔵 氏(慶應義塾大学 教授)
社員をエンゲージさせて業績を高める
  トム・ラス 氏(ギャラップ グローバル・プラクティス・リーダー)

 らの講演の他、様々な企業事例をもとにディスカッションを行うパネルを準備しています。僕もパネルのコーディネータとして登壇する予定です。

 もしよろしければ、ぜひどうぞ。

人材開発国際シンポジウム2009
http://www.nikkei.co.jp/events/astd2009/program.html

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追伸.
 慶應義塾大学・岡部大介先生のサイトでシッタ、カール=マルクスの言葉が印象的である。いわゆる、「フォイエルバッハ・テーゼ」について

フォイエルバッハ研究会
http://web.sfc.keio.ac.jp/~dokabe/mt/archives/2008/12/post_27.html

 その第11テーゼは、まさにマルクスの思想と、それに間接的に影響を受けている学習論の研究者の立ち位置を、一言でいいあらわすものだな、と思いました。

 哲学者たちは世界をいろいろに解釈してきた
 肝心なことは、世界を変革すること
 (カール=マルクス)

投稿者 jun : 2009年1月 7日 09:17


大学は安心・安全な場所か?

 ちょっと前のことになりますが、ある会合でイベントの打ち合わせをしたとき、ふとお隣に座っていらっしゃった方が、もらした一言が、とても印象的でした。

「大学が絡んでくるということは、とても安心・安全な気持ちになりますよね。お墨付きをいただけますし」

 耳にした当初は意味がわからなかったけれど、しばらくして、なるほどな、と思った。
 大学に対する自分のイメージ - いわゆる「僕の大学観」と、「世の中の大学観」が違うことに気がついた。

 要するに、一般の大学観というのは(何が一般かはさておき)、

 大学=安心・安全な場所
 大学=確固たる知識をもっている人が
    お墨付きを与える場所

 というものなのだろう。

 それに対して、僕の大学観というものは、

 大学=「わからないこと」を常に抱え
     探求しているリスキーで、不確実で、
     全く落ち着きのない場所

 大学=「昨日の確固たる知識」は
    「明日の間違い」になっちゃいかねない
     抜き差しならない場所

 である。

 だからこそ、大学には「新しいことができる」のではないか、と思う。そして、「新しいこと」というのは、いつだって、不確実で、落ちつきなく、「昨日の常識を明日の非常識にしてしまう」変わり身の早さと隣り合わせである。

  ▼

 あなたにとって「大学」は、どんな風に見えていますか?

投稿者 jun : 2009年1月 6日 10:02


倉本聰著「北の人名録」を読んだ!

 東京での仕事で「いろいろ」あり、北海道・富良野の街にたどり着いた作家・倉本聰が、富良野の人々との交友を描いたエッセイが、文庫本になっています。


 先日、寂れに寂れた旭川駅前をぶらぶら歩いていたとき、書店の売り上げナンバー1に輝いていたのが、その本「北の人名録」です。
 東京の売り上げリストとは全く異なるんだろうけど、妙に気になって手に取ってしまいました。

 ▼

「先生」
「ハイ」
「オラ - イヤ私 - 標準語だよね?」
「----」
「標準語でないかい?」
「----」
(中略)
「訛ってるかい?」
「----」
「訛っているべか?」
「----」
「ア。ベカなンて、オラ、今訛ったな? イヤイヤアハハハ、発見したゾ!? オラもやっぱり少し訛るんだな? アハハハハハ。イヤイヤイヤぁ」

 富良野の人々と倉本聰氏とのやりとりは、かくのごとく続きます。北海道出身ならば、その情景が浮かんでくるようですね。

 ちなみに、僕も18歳の時分まで、「自分は標準語を話している」と思っていました。

 イヤイヤイヤイヤ、まいったべナ。

 ▼

 エッセイの舞台は、昭和56年頃。
 ドラマ「北の国から」がちょうどクランクインしていた頃のことも、書かれています。もし、このドラマを見たことがある方は、その情景を思い出しながら、読んでも面白いかもしれません。

 イヤイヤイヤイヤァ、正月おわっちまったべさ。

投稿者 jun : 2009年1月 5日 08:46


新年早々

「原稿の〆切は年明けでお願いします」

 年末、何人かの方から、そんなことを言われた気がします。
 そのときは、

「あと10日以上あるから余裕シャキシャキ、火がボーボーだぜ(意味不明)」

 と思っていたのですが、、、よーく考えてみれば、26日から正月4日までは、年末年始のお休み。「10日以上ある」という認識は「錯覚」であったことに気づきました。年末年始を仕事をし続けないかぎり、営業日はほとんど「ない」のです。

 というわけで、新年早々に「追い込まれて」います。
 嗚呼。

投稿者 jun : 2009年1月 3日 13:47


新年、明けましておめでとうございます!

 新年、あけましておめでとうございます。
 教育、研究、社会貢献活動...今年も挑戦したいことが、たくさんあります。一所懸命がんばります。こちらのブログも愉しんで書き続けたいです。
 
 引き続き、ご指導、ご支援、応援のほど、お願いいたします。

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 2009年1月1日
 穏やかな朝、北海道にて
 中原 淳

投稿者 jun : 2009年1月 1日 07:19