企業人材育成の「事例のあり方」を問い直す!?

企業人材育成の「事例のあり方」を、根本から問い直す時期にきているのではないか、と思います。

 企業・組織の人材育成にとって、「事例」とはいったい「何」なのでしょうか。それは、「誰」が「何」をするために編まれたものなのでしょうか。さらに言うならば、どのような「工夫」をもって、さらによりよいものを編むことができるのでしょうか。

 このあたりを、問い直す時期に、そろそろ来ているのではないかと切に思うのです。

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 典型的な企業人材育成の事例は下記のように語られます。

 まず冒頭。
 企業の概要、執行部の体制、事業内容などが語られます。概して、これがやたら長いことが多いです。中にはプレゼン時間の3分の1がこれにあてられることも、ないわけではありません。個人的には、説明するパンフレットなどを配って、「それを見ておいてください」でよいのではないか、と思うときもあります。

 次に教育体系や人材開発ポリシーについての話になります。事業戦略とのかねあいが語られることは希です。

 それが終わると、いよいよ「個々の施策」になります。
 個々の施策は、具体的な様子があまりわかりません。具体的にカリキュラム(学習者の学習の軌跡)を語っていただきたいのですが、そうなることは希であることが多いです。いつ、誰が、誰と、どのようにして、何をして、何を学んだのかを、想像しながら聞きます。

 最後には「評価」が語られます。評価に関しては、企業人材育成のそれは、アカデミックのそれとは異なります。アカデミックなそれが客観性や厳密性を重視する一方で、企業評価のそれは「納得性」「説得性」が重視されます。もちろん納得性を高める上で厳密であることは重要なのですが、「実験計画」を組むことができない以上、確実なデータを把握することは、そもそも不可能です。
 企業人材育成のそれは、企業人材育成の経営に対するインパクト、事業部に対するインパクト、本人に対するインパクト、、、様々な指標を用いて、複合的に納得性を高めていく作業かと思います。しかし、そもそも評価が語られることは、非常に希かもしれません。
 加えて、人が何かをやることには、必ずポジティブな側面とネガティブな側面(というより今後の課題)があるはずです。しかし、今後の課題はなかなか語られないことが多いです。

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 もちろん、すべてがこのようなかたちではありません。事例の中には、「学習者の様子」「マネジャーの苦労」が生き生きと描写され、かつ、評価データもきちんとそろったものもあります。

「おー、すげー、これはすごい仕事だなぁ」と思わず感嘆の声をもらしてしまうものも多々あります。昨日の大阪で開催されたシンポジウムでも、僕は、そのような事例に出会いました。

 しかし、おうおうにして現在の人材育成において、事例はかくのごとく語られます。これに対して、僕は少なくとも改善の必要性があると思っています。
 
 でも...皆さん、胸に手をあてて思い起こしてみてください。
 こう思っているのは、僕だけですか?

 たぶん違うでしょう。表だって語られることは少ないですが、少なくない数の人々が、これに同意してくれる実感が僕にはあります。

 というのは、人材開発担当者、現場のマネジャーの方、民間教育企業のベンダーの方々とお話ししていると、「事例のあり方」について、みんな一言言いたいことがあるように感じます。

 この数ヶ月間、「事例をもっと実りあるものにしなければならない」ということを、これまでに何度耳にしたか、数えられないほどです。

 みんな心の底では思っている・・・のかもしれない
 そして、そういうものは、「変わる必要」があるのです。

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 昨日、松尾先生とお会いした際、やはりこのことが議論になりました。

 松尾先生によりますとビジネススクールにおける事例、つまりケースは、学習者(MBA志望者)が、「自ら考えるための資源」だということです。

 ケースの書き方には様々なものがあるけれど、「事実」を様々な場所にちりばめて、結論や筆者独自の分析をなるべく避ける形で書かれているそうです。

 読み手は、様々にちりばめられた事実を読み取り、仮説をつくり、自分だったらどうするかを考えます。「アクティブな解釈」と、「仮説作り」を支援することが、ケーススタディの役割です。

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 たとえば、学校教育であればどうでしょうか。

 学校教育の現場には、レッスンプラン(授業案)というかたちで、教員同士が授業を伝え、議論する形式があり、フォーマットはおおよそ定式化されています。

 もちろん、それにも様々な書き方があります。子どもを中心にして書く方法、教員の働きかけとそれに対する子どもの反応を中心に書く方法。実践者が編む方法、研究者が編む方法、本当に様々です。

 しかし、重要なことは、その事例が、教員同士が知識や知恵を伝承するきっかけ、議論やディスカッションの資源となるように書かれることです。

 もちろん、もし、現場の先生が、この文章を読んだら「そんなの形骸化しているよ」とおっしゃるかもしれません。
 でも、たとえ若干形骸化していても、「事例を共有する方法」について、少なくとも、学問内において議論があり、かつ、多くの先生方にその手法がある程度共有されていることは、大きなアドバンテージだと思います。

 以上、ビジネススクールと学校教育にとっての「事例」を見てみました。いずれにしても共通しているのは、事例のオーディエンスは「学ぶ人」として位置づけられていること。そして、事例は「考えること、議論するための資源」として位置づけられていることです。そして、どちらも「事例の語り方」に関して、様々な「議論」があるということです。

 ひるがえって、企業人材育成はどうでしょうか?

 企業人材育成の「事例」のオーディエンスは、「学ぶ人」でしょうか?

 企業人材育成の事例は「考えること、議論するための資源」になっているでしょうか?

 企業人材育成の事例の語り方が、かつて、この領域で、公のかたちで問題になったことはあるでしょうか。

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 もちろん、ここまでサラサラと述べましたが、これは難問でもあります。
 企業人材育成の場合、ステークホルダーが非常に多岐にわたるため、ビジネススクールや学校教育と異なり、「誰が何をするために書くのか」という問いに対して、ひとつの答えをだすことは困難です。

 しかし、社員の育成や成長に関係する人々が集まる会が、世間にはたくさんあります。ここでのケースの語られ方について、もう少し工夫が必要である気もします。これは自戒をこめていいます。

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 もしかすると、この難問に対して、実務家だけで取り組むのは、難しいことなのかもしれません。実務家と研究者の「関係」を問い直し、役割を見直す必要もあるのかもしれません。

 例えば、実務家と研究者が協働でエスノグラフィーを執筆する、ケースを執筆する。そのケースは蓄積され、共有の公の財産(アーカイブ)として公開される、というかたちもありえるのかもしれません。

 「公開」と聞くと、訝しがる方もいるのかもしれません。なぜ自社の秘密である「人材育成のやり方」を公開するのか?

 でも、僕は「逆」ではないか、と思うときがあります。「情報公開」をしても、失うものはそうない。むしろ、公開を行うことによるメリットの方が大きいのではないか、とさえ思うのです。

 これは、以前、「はじめての課長の教科書」の酒井穣さんとお話ししたことがあります。

「人材育成のあり方や働き方に関する情報を(公開にそぐわないものは除いて)、もっと企業はオープンにしてネットなどの手段で公開するべきである」

 という話で、以前、盛り上がりました。

 なぜなら、今よりも「自分の能力や専門性の向上に興味をもち、かつ、責任を持たされている時代はない」からです。
 だとすれば、ハイポテンシャルな人材を集めるために、また、リテンションを高めるために、、、もっともっと、ヒトに関する情報を公開してもよいのではないか、と思うのです。
 
 そして、経営課題のだいたい二番目あたりに「人材育成」と書くのであれば、あるいは経営理念の三番目くらいに「ヒトを大切にする」とうたうのであれば、ステークホルダーに対するアカウンタビリティの問題として、それをやることが筋ではないか、と思ったりもします。

 閑話休題。
 熱くなって、話がズレました。
 話を「研究者と実務家の協働」に戻します。

 年に一度のワークプレイスラーニング200Xでは、2008年大会から、事例のブラッシュアップ(洗練化)を目標に掲げました。
 ワークプレイスラーニング2008では、事例企業の方々にご協力いただき、4月から5月に企画委員会全員と研究者、事例企業の方々が集まって、研究会を開催します。その研究会で、事例のストレスポイントを見極め、フォーカスしています。

 まだその試みは、挑戦半ばで様々な課題もあるのですが、今年も去年の反省を踏まえ、ブラッシュアップの方法を検討したいと考えています。

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 事例をいかに書くか、いかに聞くのか、いかに語るのか、という問題は、かなり根本的な問題であり、様々な問題に派生することであることに気づかされます。

 企業・組織の人材育成にとって、「事例」とはいったい「何」なのでしょうか? 

 わたしは勇気を出して(!?)、そのことを公の場で喋りました。これに対しては、いろいろな立場からの、いろいろな意見があるでしょう。議論が起こっていいのではないかと思います。

 そろそろ本気で、みんなで考え、議論する時期ではないか、と思います。

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追伸.
 1月28日のエントリーには、たくさんの方々からメールをいただきました。ありがとうございました。非常に印象的だったコメントは、

 「ひとつの企業」の定義も揺らいでいる・・・

 というご意見でした。なるほど、職場、組織のウチとソトの境界は、急速にメルトダウンしていますよね。

 うーん、僕たちは、「とてつもない時代」を生きている気がしてきました。

 「働く大人の学び論」については、また考えていきたいと思っています。