スパムを叩き斬る!

 僕は一日に500件以上のメールを受け取ります。もちろん、そのうちの7割はスパムです。最近、どんどんとスパムの量が増えていて、大変困っていました。

 何とかできないものか、と、先日、会議の休む時間にボヤいていたところ、大学院生の北村君に「GMAIL」の強力なスパムフィルタを通せばいいのですよ・・・と教えてもらいました。

 なるほどね・・・。いろいろ途中でかませばいいのね・・・ひとつのフィルタできかないのなら、複数あればいいのね・・・と考えたわけです。

 で、調子にのって、こんな転送フローをつくってみました。

 1.NAKAHARA-LABのメールフォルダ(スパムフィルタ1)
  ↓(転送)
 2.Gmail のメールフォルダ(スパムフィルタ2)
  ↓(転送)
 3.jun [あっとまーく] 某社のメールフォルダ(スパムフィルタ3)
  ↓
 4.NAKAHARA-LABのPOP読み込み用メールフォルダ

 すると、どうでしょう・・・。

 スパム5件よ・・・。今まで350通以上あったスパムが5件!!!
 えいっ、叩き斬ってくれるわ。
 
 確かに正しいメールもフィルタリングされちゃう可能性も、ゼロではないのだけれども、「まぁ、これは仕方がない」とすることにしました。メールとは、そのくらいの頑健性しかないものでしょう。

 おすすめですよ、GMAILをかますの。
 こんな使い方は、Googleの人は、あんまり喜ばないのかもしれないけれども。

投稿者 jun : 2006年7月31日 17:00


八丈島旅行記、先日からの続き

 先日に引き続き、八丈島旅行記の続きです。

 前に日記に書きましたとおり、もう数週間前になりますけれども、僕は、八丈島にカミサンと二人で行きました。これが本当によかった。すっかり、「島」に魅せられてしまったのです。

 僕らがいったちょうどその日は、八重根港というところで、「みなと感謝祭」が開かれていたのですね。僕も飛び入り参加しました。ビール飲み放題、海の幸食べ放題という感じで、もうすごい熱気でした。

hachijo1.jpg

 感謝祭では、八丈太鼓のパフォーマンスなんかあったりしてね。あとで人に聴いたところに寄りますと、八丈島では学校で八丈太鼓を習う機会があるそうです。だから、みんな上手なんだねー。

hachijo2.jpg

 「みなと感謝祭」でお腹を満腹にしたあとは、オッチョガハマというところで、海水浴をしました。

 この日は、すごい荒波で、コンクリートで仕切られたプールみたいなところでしか泳げませんでしたけれども。でもね、ここにも魚がたくさんいるんだ。綺麗だった。

 ---

 2日目以降は、底土港で泳いだり、温泉に入ったり、ANAのCAたちがいくという中田商店で、アシタバのソフトクリームを食べたりしたね。中田商店の店先には、たくさんの人たちの色紙が飾られていて、思い出がつづられていました。

nakata1.jpg

nakata2.jpg

 あとね、「キョン」という生き物にもあってきました。昔、テレビとかで一世風靡した動物らしいのですが・・・。知ってます? 東京に帰ってきたあとでさ、「八丈島にいってきました!」と言うと、僕より年配の方々には「じゃあ、キョンにあった?」と聞かれるんですけど、僕は全く知らないんですけれどもね。エサやった。

kyon.jpg

 ともかく、短い期間ではあったけれど、本当によい休暇になりました。

 帰りは、焼酎買ってきてね。アシタバ茶で割って、たまに飲んでいます。楽しかった2日間を思い出しながら。

shouchu1.jpg

 八丈島、この夏、おすすめです。
 東京から35分で逃避行できるなんて、素晴らしい。

投稿者 jun : 2006年7月30日 23:43


よこはま教師塾

 ちょっと前のニュースになるが、横浜市教育委員会は「よこはま教師塾」というのを設立するらしい。
 塾長には「ヤンキー先生」としてテレビドラマのモデルにもなった義家弘介さんが就任するのだとか。

よこはま教師塾
http://www.city.yokohama.jp/me/kyoiku/topics/180725.html

 ホームページによるとカリキュラムは、

1.入塾~
 座学中心
 基礎的素養及び“情熱”確認時期

2.夏合宿
 教師になることへの想いや“理想”を語り合う場を提供
 実技科目における実技能力の確認
 効果測定

3.卒塾(後半)
 実践中心
 塾の実践活動としての「授業実践」

 ということらしい。

 このカリキュラムの中で、教師たちは、何を学び、どんなスキルを獲得するのだろうか。大変興味深い。「よこはま教師塾のエスノグラフィー」とか面白そう。

 このところ、自治体が、こうした教師教育の機会を提供する事業が増えている。こうした塾と、従来からの校内研修、学校研究をともに活性化する方向を探れないものか、と個人的には思う。

投稿者 jun : 2006年7月30日 18:00


なりきりEnglish!

 金曜日、土曜日と「なりきりEnglish!」プロジェクトのミーティングが開催された。「なりきりEnglish!」は、今までになかった、新しい英語教材の開発プロジェクト。使う現場も、メディアも、教材の組み方も新しい。メンバーの皆様、本当にお疲れ様でした。

 東京工業大学の山田君、国際交流基金の島田さん、西森さんの尽力でシステム仕様がつめられ、産業能率大学の長岡さん、ベネッセの中野さん、中原でコンテンツの素案をつくる。評価に関しては、東京大学大学院の北村さんがリーダーになって案をつくってくれた。どの案も時間がかなりかかったことが予想される。お疲れ様でした。

 ベネッセの秋山さんは、数時間でデモをつくってくれた。実機で動くデモは、100枚の書類よりも説得力がある。ありがとうございました。

narikiri.jpg

 皆さんの尽力によって、わずか数ヶ月前は数枚のA4書類でしかなかった「なりきりEnglish!」が「かたち」になっている。

 8月11日には、制作チーム、システム開発チームとの初顔合わせが予定されている。そこが第一の関門となるだろう。

 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2006年7月30日 09:01


なぜ、教育が仏教と関係あるのか?

「先日、中原さんは仏教の本を紹介していましたが、なぜ、教育が仏教と関係あるんですか?」

 ここ数日で同じような趣旨のメールを何通かいただきました。
 中には「とうとう仏教ですか・・・行き着くところまでいきましたね」なんてメールもあったりして、あっそう?、ご心配かけてますか?(笑)、いいの、いいの、思考は自由ですよ。
 ともかくメールをいただいた皆さん、ありがとうございます。

 確かに先日のエントリーは、ちょっとわかりにくかったかもしれませんね。ですので、今日は「がんばれ仏教!」から、「前書き」の一部を引用しつつ、もう少し説明致しましょう(p6-11)。

 ---

 3年ほど前のこと、「NPOとしての寺の可能性」というシンポジウムの基調講演に呼ばれたときのことだ。

 お寺という存在が、単に法事や葬式を行う場ではなく、教育や福祉や村おこしやアートや国際交流といったNPOとして活動できるのではないかという斬新な提言が行われたシンポジウムだった。

(中略)

 シンポジウムが終わったあとの懇親会は、(中略)たくさんの若者がつめかけていた。私がショックを受けたのは、一人の若者のこんな発言だった。

「僕は寺の息子なんですが、よく葬式仏教って言われますけど、今のままの葬式を続けていたら、僕らの世代が喪主になる頃には、もうこんな葬式ならいらないって、坊さんは呼ばれなくなっちゃうと思うんです。

 ありがたくもないし、宗教的でもないし、家族の気持ちをケアするわけでもない。僕の同級生とかと話してると、もうそんな何の意味もないものなら、やめてしまおう、少なくとも坊さんは、もう呼ばなくてもいいって、言い出すように思えるんですよね。

それで、もうやめよう、っていう人がある割合になったときに、誰も坊主に葬式を頼まなくなり、すべてが崩壊するような気がするんです」

(中略)

 死んだあとにほとんど知らない僧侶がやってきて、その葬式が宗教的に格調高いわけでもなく、遺族へのケアが行われるわけでもなく、単にお布施と戒名料が請求されるといったような場合は、「もうこんな僧侶は葬式にはいらない」となってしまう可能性はある。

 そして、そう考える人が、人口の10%でも出てきたときに、それは早晩20%にも40%にもなり、劇的に増加するかも知れない。

(中略)

 しかし、伝統教団の人たちが深い危機感を持っているかといえば疑問である。あるいは、危機感はあっても何か行動に起こそうとしているかは大きな疑問だ。

 私は仏教関係の教団や団体から講演に招かれることが少なくないが、多くの講演で訊ねられるのは「21世紀の仏教には何が期待されているでしょうか」とか「現代の寺に求められるものとは?」といった質問である。

(中略)

 私はあるときからはっきりと答えるようにしている。

「21世紀の仏教には何が期待されているでしょうか」
「何も期待されていないでしょう。そもそも期待するに足るものだと思われていないと思います」

「寺には何が求められているでしょうか?」
「何も求められてはいないでしょう。そもそも、私たちの求めに応じて動くという態度をこれまで寺は示してこなかったし、何かを求める対象のうちに寺は入っていなかった」

(中略)

 現在の仏教の一番悲惨なところは、人々から何も期待されていないところだ。期待するに足る存在だと思われていない。「どうせこんなものだろう」とあきらめてしまっている、というか、最初から期待感がないので、あきらめすらないというべきだろうか。

 期待もされていないから、本質的な批判もなく、自分たちを問い直す契機もない。期待もされていないから、優れた人材も集まらない。期待もされていないから、その期待に答えようと努力もしない。期待もされていないから、自分たちが何をしているかの情報公開もない。

 こんな状態が続けば、日本の仏教は早晩死ぬ。

 「がんばれ仏教!」、私はそんな深い危機感の中で瀕死の仏教に対して、この本を書こうとしている。

 ---

 「死者」を送り出す儀式のみを取り扱うようになった戦後仏教。それは「葬式仏教」と揶揄されてきました。しかし、その「葬式」ですら危なくなってきている。事実、高齢化、農村の過疎化などの問題によって、寺の存続自体が危機に瀕しているのですね。

 葬式仏教の前・・・もともと寺は「学び、癒し、楽しみ」の場であった。地域に根ざし、さまざまな人々が集まり、教育、文化、福祉を担う存在であったわけです。つまり「死者」のためにだけ存在するのではなく、「生きとし生けるもの」のためにも、それはあった。

 そうした「かつての寺の機能」を取り戻そう、寺を中心にした町、地域の復興を行おう、というビジョンを本書では提示しています。ビジョンだけではなく、現実に「アンビシャス」をもった「ボーズ」たちの取り組みを紹介しているのですね。

 ---

 話をもとに戻しましょう。
 で、なぜ「仏教と教育」が関係あるかですが、先ほどの前書きの「仏教」の部分を、教育用語に適宜置き換えて読んでみて下さい。そうすれば、僕がピンときた理由がおわかりいただけるかと思うのです。

 とにかく、本書は教育のあり方を考える上で、ちょっと違った角度からヒントをくれていると思うのですよね。おすすめです。

投稿者 jun : 2006年7月28日 16:00


ジョブス on YouTube

 ちょっと前に大流行した、スタンフォード大学でのスティーブ・ジョブスのスピーチが、You Tubeでも見られるそうです。

 何度見てもよいですね。

投稿者 jun : 2006年7月28日 12:00


PBSがインターネットで番組配信

 PBSがインターネットで番組配信を有料で開始するそうです(B3 Annexさん情報)。

アメリカPBSもインターネットで番組提供スタート
http://toshio.typepad.com/b3_annex/2006/07/pbs.html

PBS on Google Video
http://video.google.com/pbs.html

 1年ほど前になりますが、BBCではインターネット配信どころか、サービスのAPIまで公開に踏み切っています。いわゆるWeb2.0への対応がはじまっているということでしょうか。

BBC、コンテンツを開発者に公開
http://toshio.typepad.com/b3_annex/2005/05/bbc.html

 日本の放送局は、最近、どうなのでしょうか。
 ipodの上陸のように、音楽配信と同じ運命をたどらなければよいのですが。 

投稿者 jun : 2006年7月28日 10:00


八丈島のおすすめスポット:あそこ寿司

 そろそろ梅雨が終わるらしいですね。東京は今日は死ぬほど暑い。トロケちゃいそうです、わたくしは。

 梅雨終わるってことで、このblogをお読み頂いている方の中にも、そろそろ「夏休みの計画」をたてている方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。そんなアナタに朗報です!?

 こんな夏休みはいかがですか?

 ---

 おすすめしたいのは、八丈島です。

 ここはいいねー、実は、先日、わたくし、行ってまいりました。海でバチャバチャ泳いだり、魚を見たりしていて、あまりにも日焼けしてしまった。帰ってきてから、しばらく風呂場で絶叫してたけどね。焼けた肌にしみるんだよな、お湯が。

 というか、最初は、八丈島ではなく沖縄に行こうと思ったのです。以前、某先生に連れて行ってもらった「琉球料理乃 山本彩香」とかに、もう一度行ってみたかったのですね。でも、残念ながら飛行機がとれなかった。今となっては、八丈島でよかったなぁ、なんて少し思いますけれども。

琉球料理乃 山本彩香
http://www.delicious.ne.jp/html/toku02/kiji02/kiji02_0204_25.htm

 というわけで八丈島です。羽田から南へ300キロ。

 八丈島は、沖縄みたいな「華やかさ」は全くありません。「素朴」でいて、「のんびり」としている。道を歩いている人はほとんどいない。そういう場所でした。

 東京から飛行機でわずか35分で、これだけの「のんびりプレイス」に行けるというのは、かなりいいよねぇ。下記の写真は、八丈島の海と夕焼けの様子です。いいでしょう、なかなか。

umi1.jpg

umi2.jpg

 まぁ、海もいいのですが、やっぱり、僕がいろいろ紹介するということになると、やはり食べ物でしょうか。以下、八丈島の素晴らしい料理を、ご紹介しますね。

 まずご紹介したいのは、「あそこ寿司」です。いやー、すごい名前ですね。

あそこ寿司
http://www.8jyo.jp/towninfo/gourmet/susi/1052.html
昼 11時 - 14時
夜 17時 - 21時
住所 〒100-1511 東京都八丈島八丈町三根 361
電話 04996-2-0172
FAX 04996-2-4484

 お父さんが「ちょっと、あそこ、行ってくる」という感じで、気楽に家をでて、寿司をつまみにこられるように、この屋号をつけた、という噂を聞きました。ホントかウソかは知りません。

hachi01.jpg

 あそこ寿司では、「島寿司」「しょうゆ漬け島寿司」というのをいただきました。「島寿司」というのは、アオダイとかの八丈島でとれるネタを使った寿司ね。「しょうゆ漬け島寿司」っていうのは、そういう地魚を1日ヅケに漬けたものです。

hachi02.jpg

hachi03.jpg

 お味はどうか、ということですが、どちらもおいしゅうございました。八丈島のお寿司は、シャリがかなり甘いのが特徴だと思います。特に、「しょうゆ漬け島寿司」は、うまくヅケされていて、それがシャリにマッチしていました。

 なお「しょうゆ漬け島寿司」ってのは、予約制ですので、必ず八丈島に出かける前に、チェックしていって下さいね。

 いつになるかわかりませんが、次回は八丈島おすすめ第二弾です!
 お楽しみに。

投稿者 jun : 2006年7月28日 06:00


知性の創発と起源

 このところ読書に大忙しである。大変興味深い書籍が、矢継ぎ早に出版されているからだ。

 今日紹介する本もすごい。鈴木宏昭先生の「知性の創発と起源」である。

 本書では、鈴木先生のおっしゃる、知のアプローチの「生物学的シフト」の全体像を知ることができる。脳科学、動物行動進化学、生態心理学、法学、発達心理学から「知」に肉薄する。

鈴木先生のblogにあった紹介文
http://edhs.ri.aoyama.ac.jp/~susan/archives/2006/07/post_187.html

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総論:認知の創発的性質 鈴木宏昭
第I編 揺らぎ創発する知
 1章
  脳における生成とクオリア 茂木健一郎
 2章
  学習と発達における揺らぎ 鈴木宏昭
第II編 かかわり合う知
 3章
  遊離物と知性 野中哲士
 4章
  法規範の定立と社会規範の創発 太田勝造
 5章
  創発のためのソフトウェア 中小路久美代・山本恭裕
第III編 育ち、進化する知
 6章
  身体的「知」の進化と言語的「知」の創発 岡ノ谷一夫
 7章
  ヒト知性の生得的基盤 稲垣佳世子・波多野誼余夫
 8章
  共発達の構成論 植田一博・小松孝徳

 ---

 本書編纂のもとになったのは、人工知能学会誌18巻第4号に「知の起源」だという。意欲的な特集号だ。

 それにしても、人工知能学会は最近元気だよなぁ。
 いいなぁ。
 入会を考えようかなと思っている。

投稿者 jun : 2006年7月28日 00:45


まさか、オマエもか・・・

 皆さん、これ、何に見えますか?
 フタをあけて、腰抜かすほど驚いたよ・・・僕は。

ice1.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 正解は・・・・・

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 先日、カレー粉に「茶色い虫」がわくという、悲惨な出来事=悪夢があったせいかな。まさか、「茶色い虫がアイスにまで進入したのか!?」と思ってしまった。
 ブルータス、オマエもか状態。

 そんなわけないよな、そんなわけ。
 疲れてるんだ、はやく寝よう。

 ちなみに、「あずきアイス」はうまかったよ。

投稿者 jun : 2006年7月27日 22:03


道しるべの神様

 今日、電車の中で、「道しるべの神様」が降臨した。
 キタ━(°∀°)━ ッ!!

 「これから3年、この研究領域が流行る!」

 と神様は言うのだけれど。

 これ以上、仕事を増やすのもなぁ・・・。

投稿者 jun : 2006年7月27日 20:33


きずなをつなぐメディア

 北村君@東京大学大学院に教えてもらった下記の書籍、宮田加久子著「きずなをつなぐメディア」が、とても興味深かった。ありがとう。

 最近注目されている社会関係資本を中心に、互酬性、信頼など、オンラインコミュニティを論じる上で、避けては通れない概念が満載の本であった。

第1章
 社会関係資本とは何か
第2章
 情報縁―インターネットでつながるきずな
第3章
 オンラインでの互酬性の規範と信頼の形成
第4章
 社会関係資本が変える暮らし、地域、社会
第5章
 社会関係資本の豊かなインターネット社会を目指して

 オンラインでの学習、オンラインコミュニティのあり方を考えたい、つくりたい、分析したいと願う人にとって、とても役立つ基礎文献になるのではないかと思う。

投稿者 jun : 2006年7月27日 16:00


敬語

 朝、NHKを見ていたら、こんなニュースがあった。

「自分の会社の上司を、他人に紹介するときに、呼び捨てで紹介するのがよいと考えている人が40%、さんづけで紹介する人が5%、役職+名前で紹介するとよいと考えている人が、52%」

 ということであった

 たとえば、あなたが仮に、上司の鈴木課長を、取引先に紹介するとして、52%の人は「こちらは鈴木課長です」「こちらは課長の鈴木です」と紹介していることになる。

 ちなみに大学の常識では、ほぼ100%「名前+先生」で紹介するように思う。たまに「こちらは○○教授です」ということはあるかもしれないが、かなりレアであろう。

 僕が目上の教授、助教授の先生を紹介するとして、「こちらは田中です」とはよーいわん。以前、上の先生から、同僚の間でも「呼び捨て」にすることは、タブーだと指摘されたことがある。もちろん、ぼくは、よーいわん。

 もちろん、これが僕の勤務していた大学、研究所だけに当てはまるのかどうかは、よくわからない。

 うーん、敬語は難しい。

投稿者 jun : 2006年7月27日 08:10


魁!学習科学塾:第2日目

 朝っぱらから19:00までぶっ通しです。第二回目の「学習科学本読み会」が東京大学で開かれました。

 今回も、遠方から何名かの研究者の方々に参加いただきました。今回は総勢15名強で下記の新刊を読み、ケンケンガクガクと議論をしました。

 読んだ論文は、エキサイティングなものが多かったです。が、個人的には、ミシガン大学のクラチックさんのものがよかったなぁと思います。

 上記の書籍のchapter19かな。彼はプロジェクト学習を成功させる要因について、見事にまとめていました。さすがはミシガン学派のドンですね。貫禄と余裕があります。

 それにしても、この本を読んでいて、いつも思うのは、アメリカの学習科学・・・というより「手を動かす教育研究」の「層の厚さ」です。これにはビビルね。

 いくつかの論文では、ごくごくアタリマエのことのように、ひとつのプロジェクトの被験者数が、2000人とか3000人とか書いてあるわけです。

 もしあなたが英語を読むことに疲れていたりなんかしたら、「はーん、被験者数2000ね、はいはい、そうですか」くらいの反応で、「被験者数の記述」を通り過ぎちゃうかもしれません。でも、これ、よく考えてみたら、すごいことです。この人数は恐ろしい。

 だってアンケートやテストを配って、集めるだけじゃないよ。ちゃんと「使用に耐えるもの」を開発して、それを配布して、実践をして、評価をして・・・それでいて被験者が数千単位なんですよ・・・。
 そのためには、協力してもらえる教師を数十人集めて、彼らにワークショップを行い、ポスドクをつけて支援。質問紙を大量に印刷し、大量に分析。開発物はバグテストをやりまくって製品に近い状態で出荷し・・・嗚呼、途方もないような努力といいましょうか、労力がかかります。

 一体何を食ったら、こういう被験者数を確保できるのだろうね、全く。やっぱり肉食う国は違うねー、とか冗談言ってる場合じゃないんだ。

 もちろん、いくつかストラテジーはあります。

 たとえば、学校との協業体制の確立・・・。都市の貧困層子弟が通う学校を中心にアプローチを行い、大学とがっちりとした協力体制をつくる。そういう学校は、革新的な教育プログラムを切望していますから、比較的協力を得やすいですね。
 また、いったん実施した質問紙は、年度を超えても常に使いまわす、とりあえず被験者数を増やし、比較できるデータを蓄える・・・などなど。

 でも、規模の違いに大きく寄与しているのは、そうした教育研究を実現するリソースでもあるように思います。

 たとえば、NSF(National Science Foundation)が、2004年からすすめている「science of learning center」プロジェクトの研究費用は、3年間で43億円です。WISE、Learning by Design・・・こうした「手を動かす教育研究」には、どのプロジェクトでも、億単位の費用を国が投資しています。
 
 もちろん、カネだけが重要なわけではありません。いったんプロジェクトが動き出せば、大きなプロジェクトになれば十数名のポスドク、Research Assistant等が雇用されます。プロジェクトによっては、一人のプロフェッサーに10名以上の人間が雇用される場合もあるのだそうです・・・。

 なぜこんなに人が雇用できるのか?

 その背後には、アメリカの教育学研究者の層の厚さがあるでしょう。これは以前どこかで書いたかも知れませんが、アメリカでは1年間に教育学博士が6716人、教育学修士が12万9066人(2000年度)生まれる。対して日本は何人かというと、博士号が90名。教育学修士が4368名ですね。

 アメリカと日本の人口差は約2倍ですね。そして、高等教育のもっている強さは、アメリカが桁違いに違う。でも、これらの事柄をすべてあわせて考えてみても、修士号、博士号取得者が多いのは歴然とした事実です。だって博士号が60倍以上、修士号は30倍近くなのですから・・・。

 そこでこういう人たちを、大量に雇用できるわけですね。この「層」が違う。彼らが有能なのか、そうじゃないのかは論じません。優秀な人もいれば、そうでない人もいる。だけど、重要なことは、優秀じゃない人もいるかもしれないけど、ある一定以上の専門知識を有した人間を大量に生産し、それを消費するシステム、リソースがある、ということなのです。これが決定的に違います。

 ちなみに、これは話がズレますが、米国の大学では、プロフェッサーの給料は9ヶ月しか保証されていない大学もあります。そういうプロフェッサーは、獲得した研究費から一定額を自分の給料とすることができるそうです。また、ティーチングロードなどを減らすために、自分の授業をやってくれる人を探して雇用することもできます。これで「考える時間」を確保できるというのが羨ましいですね。
 日本では、プロジェクトが増えても、ほとんど給与には連動しませんし、もちろん普段の負荷が減るわけではありません。お金をとってくればくるほど、忙しくなる仕組みです・・・。

 ---

 もちろん、こう言ったからといって「教育学研究にもっとお金を落として下さい」と言いたいわけでもありません。また、「お金があれば、いい研究ができる!」なんてことを主張したいわけでも、毛頭ありません。法人化の大学は、ずいぶん、研究もやりやすくなりました。
 それに、もし万が一、現在の日本の高等教育のシステムで、もしアメリカ並みの予算があったとしたら確実に破綻でしょう。そんな大量の資金をまわせるヒューマンリソースが圧倒的に少ないですので。

 だけれども、僕が言いたいのは、いわゆる教育学研究のグローバルスタンダードとは、こういうスケールで勝負しているということです・・・思わず、嘆息がでてしまいます。

 昨日の話じゃないけれど・・・
 「がんばれ、ニッポンの教育研究!」
 と思わず叫びたくなります。

 もちろん、その前に
 「激しくがんばれ、自分」
 でもあるわけですが・・・。

 頑張るよ、嗚呼、頑張りますとも.
 ほしがりません、かつまでは。
 自爆。

投稿者 jun : 2006年7月26日 19:31


がんばれ仏教

 上田紀行先生(東工大・文化人類学)の上梓した「覚醒のネットワーク」は、学生時代、もっとも影響を受けた書物のひとつであった。

 上田先生と言えば、スリランカの悪魔払いをフィールドワークし、いちはやく、「癒し」という概念を日本に紹介した方として知られている。

 そして、先日読んだ同氏の「がんばれ仏教」には、さらなる衝撃を受けた。この衝撃は、ちょっと今適当な言葉をもって言い表すことができない。

 誰にも期待されない、「葬式仏教」と化した「仏教」をいかに復興するか。仏教は、いかに人々を癒し、どのように社会変革に貢献しうるのか。
 本書では、志ある六人の僧侶を紹介している。彼らは、これまで「寺」が行うとは思えなかった活動に自らのりだす。経理の公開、NPOやイベントの主催、まちづくりへの協力、国際的なボランティア・・・。アクティブな彼らに、一般の「僧侶」の姿はない。

 上田先生は、立ち上がった僧侶たちとともに、「仏教ルネッサンス塾」をひらき、「ボーズ・ビー・アンビシャス!」と高らかに宣言する。

仏教ルネッサンス塾
http://www5.ocn.ne.jp/~seishoji/runenew.html

 この本で、僕は、久しぶりに「活字」で涙した。もちろん、仏教の話だけに涙したのではない。本書を読みながら、僕は、確かに「仏教」に、「現代の教育の混沌とした状況」を重ね合わせていた。

 かつてほどの社会的期待やゴールを失いつつある「教育」という活動。教員、そして教育学者。不確かな時代に、どちらに向かって歩めばよいのか、ともすればわからなくなっている人も多い。

 しかしひとつだけ確かなことは、どんなに期待が失われようとも、どんなに揶揄されようとも、「教育」は今日も連綿と続く。教室には、今日も出席確認の教師の声が響く。子どもは一日たりとも、成長をやめない。

 Boys, be ambitious!
 今が、そのとき
 まだ遅かないぜ

 本書は仏教の本である。
 しかし、教育関係者がこの本から学べることは多いと思う。

投稿者 jun : 2006年7月26日 06:00


今日の名言

 今日の名言。

 『ザ・ヤクザ』などで知られるアメリカの有名脚本家、レナード・シュレイダーは、かつて、こう述べたそうです。

 世の中に物語の種類は2つしかない。
 ある男が歩いてきて、穴に落ちて死ぬ、か
 穴からはい上がる、かだ

 ---

 うーん、渋い・・・あまりに渋かったので、今度は「心にしみいるもの」を。
 映画化が決まった島田洋七の「佐賀のがばいばぁちゃん」より。

 ある時、通知票を見せながら
 「1とか2ばっかりでごめんね」
 小さい声でそう言ってみた。
 すると、ばぁちゃんは意外そうに俺の顔を見返して、言うのだった。
 「何、言うとる。大丈夫、大丈夫。足したら5になる」
 「えっ、通知票って足してもいいの?」
 驚いて聞いた俺に、
 「人生は総合力!」
 きっぱりと言い切る、ばぁちゃんだった。

 ---

 そうだ、人生は総合力!

    

投稿者 jun : 2006年7月25日 20:41


ZUNE?

 TuneならぬZUNE?

マイクロソフトのポータブルプレーヤは"Zune"?
http://japanese.engadget.com/2006/07/12/microsoft-zune/

 なんて読むの?
 「ずーん」?、それとも、「ずゅーん」?

投稿者 jun : 2006年7月24日 08:02


無敵の英語表現

 国際学会などで役立つ、無敵の英語表現を、海外大学院でPh.Dを取得したある先生に教えてもらった。

 This may not be a direct answer to your question....
 (直接的な答えにはなってないかもしれないけど・・・)

 確かにこれは無敵だと思う。
 要するに、質問された内容の中で、自信をもって聞き取りができた英単語をもとに答える、そのための「いいわけ表現」として非常に役に立つらしい。

 サバイバル英語表現・・・こういうものを重ねた先に、素晴らしい発表があるのかもしれない。

投稿者 jun : 2006年7月22日 06:00


またオマエか、ハーバード

 ハーバード医学部のビジネスモデル?Pri medは、Harvard Medical School の臨床教育を紹介するセミナーらしい。

Pri med
http://www.pri-med.jp/index.html

 最後には、Harvard diplomaがもらえるらしいけど・・・。

 ---

 中原は、水曜日まで東京を離れます。何か急用があれば「狼煙」をたいてください。

投稿者 jun : 2006年7月22日 00:17


開発研究に必要なもの

 あくまで私見ですが、開発研究に必要だと思うものを、言い表してみました。

 熱いハートに
 クールな頭
 動く手足に
 見直す根気

 最初の2つは、どこかで他人に教わったことです。それに後者2つをたしてみました。で、合計4つ。

 要するに、

 熱いハートで、何が問題であるかをとらえ
 クールな頭で、先行研究を調べつつ、考える
 手を動かし、モノをつくり、足を動かし現場を知る
 根気をもって評価する

 ということです。

 熱いハートに、クールな頭・・・
 いつも思うのですが、これが逆転して「冷たいハートに、熱い頭」になると目があてられないですね。

投稿者 jun : 2006年7月21日 19:24


モバイル群雄割拠

 モバイル戦国時代、どこのキャリアが市場を制するか?

携帯電話シェア推移
http://www.losttechnology.jp/k-tai/

 その答えは、まだ、ないようです。

投稿者 jun : 2006年7月21日 13:57


新子を食べた:渋谷 蛇の健寿司

 「今年も、新子入りました」

 あなたが「寿司食い」なら、このセンテンスをきいただけでピンとくるはずです。そう「新子」は夏の風物詩。「寿司屋で感じる季節」の醍醐味とは、まさにこのことをいうのでしょう。

 昨日、研究室に行ったら、たまにお邪魔している「蛇の健寿司」さんから、新子の便りが届いていました。その便りにマンマとつられて、渋谷に向かいます。

蛇の健寿司
http://maps.google.co.jp/maps?q=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E6%B8%8B%E8%B0%B7%E5%8C%BA%E9%81%93%E7%8E%84%E5%9D%821-20-4
(蛇の健寿司さんは、カウンターが10席弱、2階には10名程度が入れる個室のお座敷があります。席数が限られているので、出かける前には予約の電話を入れた方がいいでしょう。03-3461-4288です)

 というのは、昨日は本当に忙しかったのですね。大学に着いたのが早朝5時30分。それから、ひたすら論文を書き、さらになんと1日で8つの会議をこなしました。おまけに最後は久しぶりの聞き取り調査です。調査はやはり緊張しますし、いろいろな準備が必要です。これを終え、インフォーマンツの方のお宅をでたのが夜9時をまわった頃でした。

 もう心の底まで疲労困憊し、少し自分に「ごほうび」をあげたくなったのです。というわけで、カミサンには「外で食べる」と電話をし、「新子」を食べに行くことにしました。でも、次の日も朝は早いのですね。

 10カンだけやって、さっと帰ろう

 そう思って「蛇の健寿司」の「のれん」をくぐりました。
 が、なんと中には、いつも御世話になっているディレクターの大房さんが、知り合いのデンマーク人の男の子と一緒に、一足先に、新子をやっていました。彼も、はがきに連れられたとのこと。本当に偶然の出会いでした。

 結局、2時間ほど、いろいろな話をしながら、変わり種のお寿司をいただくことに。まさか寿司屋で英会話になるとは思いませんでした。

 デンマーク君は、高校を先日卒業したばかりで、今は世界を放浪しているとのことでした。で、それが終わったら大学で「ドゥールーズ」を学びたいと行っていました。ちなみに、なぜ日本に来たかというと、ロラン=バルトを読んでいたら、その本の中に「漢字のタイポグラフィー」がたくさんあった。それに興味をもったそうです。

 ちなみに、デンマーク君、「ウニ」を食べたり、「生かき」を食べたり、おおよそ海外の方が苦手とするようなものばかりを食べては「Good!」を連呼していましたけれども。日本通の若者でした。

 話を寿司に戻します。
 僕としては、当然の事ながら、新子は一番先にいただきます。

shinko.jpg

 この時期の新子は、1キロ4万円。まだ身は小さいので、1キロからは300グラムほどしかとれません。ひとつの「にぎり」には、切り身を重ねますので、おそらく、一カンの値段は1500円から2000円ほど・・・ちょうど大トロくらいの値段にはなるはずです。

 さらに、この時期の新子は手がかかります。本当に小さな魚ですので、それを一匹一匹おろして、ホネをとり、酢と塩でしめて寿司ネタにしなければならないのですね。IT用語でいうなら「工数がかかる」ネタです。もちろん、しめるのは秒単位の判断が求められます。少しでも、遅れると味が変わってしまいます。

 結論からいいますと、これだけ工数がかかると原価割れは確実です。寿司屋泣かせとはこのことを言いますね。

 蘊蓄はいいとして、今年初物の新子をやります。

 嗚呼、夏ですね。
 今日は働いてよかった。

 いいですね、本当にいい。しめ具合も申し分なし。どこにも光り物特有のにおいはありません。そうですね、また来年の夏まで一年頑張ろうという気になれます。

 うーん、本当はもう一カン食べたい・・・。でも、ここは我慢します。きっと常連さんなら、みんな食べたいでしょうから。あと2週間ほどで、おそらく新子は相当リーゾナブルになるはずです。そのときまでは我慢をいたしましょう。

 その他、今日は松輪の真鯖、メジマグロ、ウニなどもいただきました。全部で10カン+おつまみ+ビール+焼酎×2で、6000円くらいでしょうか。抜群に安いと思います。渋谷の夜で、この値段で、このネタは絶対に食べられません。

masaba.jpg

mejimaguro.jpg

uni.jpg

 新子が腹一杯食べられるようになるとき、それは、今年の夏もちょうど折り返し地点に入った頃でしょうか。そのときを待ちこがれつつ、日々の雑用に追われる毎日を過ごすことになるのでしょう。

 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2006年7月21日 06:50


ガリガリ君

 何年かぶりに、アイスキャンデー「ガリガリ君」を買って食べた。

ガリガリ君
http://www.akagi.com/html/index.html

 当時50円だった値段は63円になっていたけれど、昔の味は健在だった。思わず、「当たり」の文字を棒に探したけれど、こちらはなかった。

 ガリガリ君の発売は、1981年。僕が6歳の頃である。それから25年・・・。「ガリガリ君」も年をとった。きっと、今は、彼も一日10時間を働くサラリーマンだろうか。もしかして彼が早熟ならば、家庭をもっているのかもしれない。「ガリガリ君」ではなく、「ガリガリさん」というのが適当だろう。

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 当時、「ガリガリ君」は、我が家のお決まりのアイスであった。

 我が家では、レディボーデンハーゲンダッツなどの、100円を超える、いわゆる「高級アイスクリーム」は、見ちゃいけないものとされていた。「これが食べたい!」なんて、スーパーマーケットでねだろうものなら、家に帰って「半殺し」にあっていたかもしれない。

 「いつか大人になったら、100円を超えるアイスをたらふく食べてやる」

 僕は、そう思いながら、大人になった。
 そして、いつの日か、意識せず、めっきり「ガリガリ君」を食べなくなってしまった。知らず知らずのうちに、我が家の冷蔵庫にはハーゲンダッツが常備されているようになった。

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 久しぶりにガリガリ君を食べる。
 その味は、どことなく懐かしく、それでいて切ない。

 嗚呼、北海道の暑い、それでいてあまりに短い夏が、心の奥底によみがえる。

 そっちに行っちゃいけないったら。

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追伸.
 今日は我が妹の誕生日であるはずだ。
 おめでとう。

投稿者 jun : 2006年7月20日 13:00


カレー粉事件

 昨夜のこと。
 仕事を終え、疲れて帰ってきて、ぼくとカミサン二人で料理。

 野菜炒めをつくっていた僕。最後の隠し味にカレー粉をいれようとした瞬間、どこから見ても「カレー粉ではない茶色い物体」がフライパンにボトボトと散乱する。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 虫だった。
 ギャー!!!!!!!!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 最近我が家に発生していた小さな虫。今日の朝も「どこから来てるんだろうねー」って話していたっけ。オマエの巣がカレー粉の小瓶だったとは・・・。

 知らなかったよ、君のおうちがそこだとは。

 フライパンに散乱する虫。
 野菜の熱で、一気に熱せられ、天に召されている。ぴくりとも動かない。

 料理人として、この「絵」は耐え難い。筆舌につきる。
 疲れているだけに、衝撃がでかく、声もでなくなった。ていうか、食欲ゼロベース。やる気萎え萎え。
 
 堪忍して、堪忍。
 労働者をこれ以上いじめないでください。
 もう二度とこのような凄惨な現場を目にすることがありませんように。

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 でも、そんな僕の願いはむなしく、この数年以内に、あと数回は、こういうことがおこるような気がしてならない。1年に1回のイベント?

 そういえば、アメリカにいた頃もそんな事件があったっけ。
 名付けて

 「スイミングバグ事件」
 
 ホワイトシチューの中を、「虫(バグ)」がスイミングしていました。どうやらシチューの中にいれた「アメリカンなブロッコリー」に大量についてたみたい。それがシチューに広がった。スイム、スイム、スイム。スイムで踊ろう・・・橋幸夫。

 でもね、僕ら夫婦は、それを喜んで受けいれるよ。喜びはしねーけど。しゃーないわな、しゃーない。
 このクソ忙しいのに、毎日、「カレー粉」管理してられっか、タクランケ!

 今、カミサンは、台所で、映画スターウォーズ「ダースベーダーのテーマ」を歌いながら、フライパンの虫を処理している。「任務完了!」とか叫んでる。

 そんな後ろ姿が頼もしい。

投稿者 jun : 2006年7月20日 06:00


人材育成本、脱稿!

 いやー、めでてーな。
 執筆にほぼ1年半をかけた人材育成本、ようやく脱稿しました。最後の方は、死にかけました。目の前にお星様が見えたとさ。

 人材育成本、ダイアモンド社から10月に出版予定です。
 目次は下記の通り。ご覧になっていただけるとおわかりいただけるかと思いますが、かなり網羅的に、いろいろな分野を解説しているつもりです。教育学などの理論の解説に企業での事例を敢えて使っている事例は、あまりないと思います。その分、執筆は非常に困難でした。でも、荒木さん@東大、北村さん@熊本大、長岡さん@産能大、橋本君@浜銀総研、最高の執筆チームでした。

 また詳しいことがわかったら、お知らせします。

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序章 「企業は人なり」とは言うけれど
コラム コーポレートユニバーシティ
コラム eラーニング


1章 学習のメカニズム
1.1.人生いろいろ、学びもいろいろ
1.2.講義は忘れ去られる運命にある!?
1.3.協調学習は仲良しゲームじゃない!?
1.4.オトナのマナビかた
1.5.物語を通して学ぶ
1.6.誰でもはじめは初学者だった:熟達化
コラム コーチング


2章 学習モデル
2.1.教育と学習は違うのか
2.2.学習転移モデル:基礎から応用へ
2.3.経験学習モデル:マイセオリーづくりを支援する
2.4.批判的学習モデル:教育の中身を決めるのは誰か
2.5.正統的周辺参加モデル:学習と仕事の境界線
コラム アクションラーニング


3章 動機論
3.1.人はそもそもやる気に満ちている!?
3.2.外側からのやる気、内側からのやる気
3.3.「やる気のなさ」は学習される!?
3.4.やる気を高める方法
3.5.我を忘れて没頭する:フロー理論
コラム ニートとフリーター


4章 インストラクショナルデザイン
4.1.効果的な研修をつくるには?:
    インストラクショナルデザインの利用
4.2.しょっぱなダメなら皆コケる:教育目標の分析
4.3.教材づくりには順番がある:ADDIEモデルを意識せよ
4.4.何を指針にどのような教材をつくるのか?:
    学習支援理論を知る
4.5.明日のために評価せよ!
コラム 成果主義


5章 学習環境デザイン論
5.1.環境に目を向けろ!:
    インストラクショナルデザインとの違い
5.2.学習環境デザインの理論家たち
5.3.学習者のコミュニティ
5.4.知識創造という考え方
5.5.2つのデザインを行き来して
コラム ナレッジ・マネジメント


6章 評価論
6.1.なぜ評価は必要か?
6.2.かたちづくるための評価!?
6.3.何を評価するのか?
コラム リーダーシップ教育


7章 キャリア開発論
7.1.なぜ今キャリア開発なのか?
7.2.自分らしさとサバイバル
7.3.節目で一皮むける
7.4.計画された偶然性
7.5.コミュニティを見つける
コラム キャリアデザイン事例


8章 企業教育の政治力学
8.1.教育は神聖な活動か?
8.2.企業教育で売り上げは上がるのか?
8.3.外部講師のサバイバル戦略を見極める
8.4.研修を受けるのもシゴトのうち
8.5.人材育成担当者はどう評価されるのか
コラム 企業DNA
コラム 早期退職防止


終章 人材育成の明日
コラム 企業を超えて広がる人と人との新たな結びつき:
    コミュニティ・オブ・プラクティス
コラム さらに深く学びたい人のために
    次の一歩を踏み出す<あなた>
    に贈るブックガイド


あとがき
著者紹介

投稿者 jun : 2006年7月19日 19:12


大人と子ども

 大人と子どもの差とは何だろうか?

 先日見たテレビドラマ「サプリ」では、こんな台詞があった。クリエイティブ・ディレクターを演ずる佐藤浩市は、イマドキの若者、亀梨和也にこう諭す。

 悪くなくても、謝るのが大人
 悪くても、謝らないのが子ども

 なるほど・・・それはその通りだろう。
 仮に「すみません」を字義通り解釈するならば、大人はいつも謝っているような気もする。

 僕は、こうも思う。

 追い込まれたときに、周りを不快にするのが子ども
 追い込まれたときこそ、周りを安心させるのが大人

 社会人として働いていると、どんな仕事でも「追い込まれるとき」は必ずやってくる。そして、そういうときこそ、人間の本性、人間の器がわかる。

 子どもは「周りを不快にする」し、ヒドイ場合には「周りに気をつかわせる」。
 大人は、こういうときに「周りを安心させる」ことができる。また、こういうときこそ、「みんなを一致団結させること」ができる。「周りの人」にとって、この差はとてつもなくでかい。

 さらに悲劇的なのは、「周りを不快にしている」ときには、当の本人は「追い込まれている」が故に、気づかないことである。「あの人とは、次は仕事をしたくないな」・・・そういう認識が周囲に広がるのに、長い時間はかからない。

 僕も「追い込まれること」は多い。

 オマエが、テンパッて、どうする?

 そんなときは、いつも自分に言い聞かせる。

投稿者 jun : 2006年7月19日 08:54


人生はフルコース

 NHKドラマ「人生はフルコース」を毎週楽しみに見ている。去年急逝した帝国ホテルの元総料理長・村上信夫さんの一生を描いたドラマである。

人生はフルコース
http://www.nhk.or.jp/dodra/index.html

 村上さんは、小学校の卒業を待たずして、厳しい料理人の道に入った。なかば、太平洋戦争へ出陣。何とか生き延び、終戦後パリへ留学する。その後、帝国ホテルメインダイニング料理長に就任。日本ではじめてバイキングを導入したりした。

 NHK「きょうの料理」の講師として、東京オリンピックの選手村食堂の料理長として、国内における西欧料理の確立、普及に尽力したことは、よく知られている。

村上信夫 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E4%BF%A1%E5%A4%AB

 このドラマを見ていて、学習の研究者として個人的に非常にオモシロイのは、かつての厨房が、

1) レシピは属人的に管理されており、他のコックに味が盗まれることを極端に避けていた

2) 軍隊式の徒弟制度がひかれており、かなり暴力が頻発していた

 といった特徴をもっていたのだけれども、これらを村上氏が変革することである。

 彼は、レシピを率先して公開し、新人にもそれを学ぶ機会を与えた。また、暴力による指導は禁止した、とドラマでは描かれている(真偽はわからない)。
 こういう言い方が適当かどうかわからないが、「従来型の徒弟制度の閉鎖性」を見直し、厨房を学習の場に変革した、と言えるかもしれない。

 ともかく、物語を楽しむ一方で、僕は料理人の学習の様子が気になって仕方がない。1粒で2度楽しめるドラマとは、このことを言うのかもしれない。

 次週は最終回。
 東京オリンピックの選手村の総料理長をまかされた村上氏が全国から集まった素人の料理人たちを、どのように一人前のコックにして、業務を遂行させるか、である。この様子は、すでに、プロジェクトXでも描かれている。

 今から楽しみだ。

投稿者 jun : 2006年7月18日 17:00


グリーン・グリーン

 ここ2週間くらい、由紀さおり&安田祥子さんのCDを繰り返し聞いている。昔、小学校や中学校で歌った歌などが収録されており、大変味わい深い。昔のことを思い出す。

  

 歌詞に注意を払って聞いていると、昔は気づかなかったことを新たに発見してしまう。特に、小学校のとき歌っていた歌の中には、一見楽しげであるけれど、実は、切ない歌がいくつかあることに気がついた。

 その中でも、「グリーングリーン」は涙なしでは聞けない。

 遠い旅路に出かけてしまったパパに主人公は歌う。
 大丈夫だよ、パパ。今の僕は、パパの言いたかったことは、わかっていないかもしれない。でも、いつかそれがわかるようになったとき、僕は約束するから。いつかパパから教えてもらったことを、子供に語るから。心配しないで、パパ。

 うーむ、泣ける。相変わらず、涙腺が弱い。

 ジャズもいいし、クラシックもいい。ヒッポホップも聴くし、ラップも演歌も好きだ。音楽で嫌いなものは、僕には何一つとしてない。
 なかなか聴かないジャンルではあるけれど、たまには合唱曲もいいなと思う。

---
グリーン・グリーン

1 ある日
  パパとふたりで 語り合ったさ
  この世に生きる喜び
  そして 悲しみのことを
  グリーン グリーン
  青空には 小鳥が歌い
  グリーン グリーン
  丘の上には ララ 緑がもえる

2 その時
  パパが言ったさ ぼくを胸に抱き
  つらく悲しい時にも ラララ 泣くんじゃないと
  グリーン グリーン
  青空には そよ風ふいて
  グリーン グリーン
  丘の上には ララ 緑がゆれる

3 ある朝
  ぼくは目覚めて そして 知ったさ
  この世に つらい悲しいことがあるってことを
  グリーン グリーン
  青空には 雲が走り
  グリーン グリーン
  丘の上には ララ 緑がさわぐ

4 あの時
  パパと 約束したことを守った
  こぶしをかため 胸をはり
  ラララ ぼくは立っていた
  グリーン グリーン
  まぶたには なみだがあふれ
  グリーン グリーン
  丘の上には ララ 緑がぬれる

5 その朝
  パパは出かけた 遠い旅路へ
  二度と 帰って来ないと
  ラララ ぼくにもわかった
  グリーン グリーン
  青空には 虹がかかり
  グリーン グリーン 
  丘の上には ララ 緑がはえる

6 やがて
  月日が過ぎゆき ぼくは知るだろう
  パパの言ってた
  ラララ 言葉の意味を
  グリーン グリーン
  青空には 太陽がわらい
  グリーン グリーン
  丘の上には ララ 緑があざやか

7 いつか
  ぼくも 子供と 語り合うだろう
  この世に生きる喜び
  そして 悲しみのことを
  グリーン グリーン
  青空には かすみたなびき
  グリーン グリーン
  丘の上には ララ 緑がひろがる

投稿者 jun : 2006年7月18日 06:00


Web連動広告

 先日のエントリーで、「Life card」のWeb連動広告をとりあげましたが、こういうのって流行なのですね。知りませんでした。

CM、ウェブ連動型 時間に縛られず表現
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/tv/20060713et08.htm

 テレビコマーシャルでは、一番最初のきっかけをつくる。そこから伝えたいことは、Webで詳細に提示する、といったモデルですね。Webには「時間」の枠がありませんので、続編をだしたり、おまけをだしたり。

 先日、Web2.0時代でインターネットの消費行動が変わったというエントリーを書きました。Web連動広告は、購買の前の「Search」への情報提供と言えるのかもしれませんね。

投稿者 jun : 2006年7月17日 06:00


教材開発コスト

 先日、ある方とお逢いしたときに、教材開発のコストの話になった。
 
 ゲーム型教材の開発コストは、いわゆる、「一般的なパラパラ紙芝居をおくっていくかたちのeラーニング教材」の、最低4倍以上はかかるという話だった。

 「いや、もっとかかるよ」、とか、「そんなにかかんねーよ」という声が聞こえてきそうだが、本当のところはどうなんでしょう。まぁ、ここでは「一般の教材よりも数倍は費用がかかる」ということにしておく。

 それよりも重要なことは、「コストが数倍かかるのなら、当然、より高い学習効果、よりすぐれたユーザビリティ」がゲーム教材には、求められる可能性が高い、ということである。

 何がメリットなのか、何が違うのか・・・そうした事柄をステークホルダーにアカウントしなければ、新奇性効果は長くは続かない。単に「楽しんで学ぶことができます」では話にならないと思う。

 月並みな話だけれども、そうだからこそ、「評価」が重要になる。

 それも、それは「重畳的」に行われるべきだ。ユーザビリティ、達成度、主観的評価・・・いろいろな手をつくして、データをとるべきだと思う。僕らの研究プロジェクトでは、どの開発物も複数の評価を実施する。現在、ひそかにそうした教材評価のメソッドを統合した手法を開発出来ないかと考えている。

 今までとは違ったことを試みれば試みるほど、そういう地味な評価が重要になる。地味さゆえに、どうしても忘れがちではあるけれど。

---
追伸.
 中原は日曜日から水曜日まで連絡はとれません。メールも見ません。あしからずご了承下さい。ちなみに、このエントリーは、ネタ帳からの自動アップロードです(笑)。

投稿者 jun : 2006年7月16日 06:00


アドビ・調査への参加者募集

 お友達の安藤さんから、下記のような調査を実施するので、参加者を募集したい、という連絡をもらいました。募集条件に合う方で、ご希望の方は、下記をお読みの上、ご応募下さい。

 なお本件に関するお問い合わせは、直接、安藤さんに御願い致します!

 安藤知華
 User Research Specialist
 アドビユーザーリサーチ
 Email: cando [あっとまーく] adobe.com

=========================================
アドビユーザーリサーチ:
調査への参加者募集のお知らせ
=========================================

アドビユーザーリサーチチームでは、調査に
参加してくださる方を募集しています。

募集の条件は下記のとおりです。

1.7月25日から30日、9時から20時の間に、
2時間程度のお時間をいただける方

2.大崎ゲートシティ内、アドビのオフィス、
もしくはその周辺にお越しいただける方

3.アドビ製品に関する知識は必要なし

4.謝礼は、交通費込みで1万円

5.お子様連れの参加もOK

6.お友達、ご家族の方と二人で参加すること
もOK(その場合はお二人共回答してください。
謝礼はお一人ずつに差し上げます)

調査に参加してみたいと思われる方は、以下の
リンク先の質問票にお答えください。
http://www.adobe.com/go/ursurveys_tokyo

お返事を頂いた方の中から、今回の調査の内容
にふさわしい方にのみ、改めてご連絡させてい
ただきます。

アドビ製品を現在お使いでない方も参加できます。
皆様のお返事をお待ちしています。

安藤知華
User Research Specialist
アドビユーザーリサーチ
Email: cando [あっとまーく] adobe.com

=========================================

投稿者 jun : 2006年7月15日 14:33


Life card

 どうするの?、久しぶりの同窓会。どうなるの? オレの初恋?

Life card
http://www.lifecard-choice.com/top.html

 CM・Web連動広告の好例。
 僕は断然「冒険」だったのですけれども・・・。
 完敗・・・。
 みなさんはいかがですか?

投稿者 jun : 2006年7月14日 22:58


ジダン頭突きゲーム

 古賀さんから教えてもらいました。

 これもシリアスゲーム? それともゲーム?

ジダン頭突きゲーム
http://funnymovies.net/games/view/541/

 確かにシリアスではあるけれど・・・。

投稿者 jun : 2006年7月14日 16:44


大停電作戦を阻止せよ

 これもシリアスゲーム!? それともゲーム?

ゲームコンテンツ「電気のちから~大停電作戦を阻止せよ~」
http://www.tepco.co.jp/pavilion/elecpower/index-j.html

 結構ムズイ。

投稿者 jun : 2006年7月14日 15:22


LA BETTOLA(ラ・ベットラ)

 ちょっと前のことになりますが、日本一予約をとることが難しいイタリア料理屋「ラ・ベットラ落合」に、カミサンとでかけました。欲しがりません、勝つまでは(意味不明)。ようやく念願かなっただよ。

ラ・ベットラ
http://gourmet.yahoo.co.jp/0000603082/P013737/

 このお店、どのくらい予約がとりにくいかっていうと、下記の予約システム&感想を見て頂けるとわかるかと思います。

 ディナーは、奇数月の第3日曜日に次の奇数月とその翌月の2カ月分の予約を電話にて受け付け開始。電話がつながらないことが多々あります。平日の21時以降なら、何とかあいていることもある。

 ランチは、朝の10時から店頭に店員さんがでてきて、名前と人数を紙に記入していきます。その後、11時30分のランチの頃に戻ってくるというシステムです。ただし、9時45分についたら40人は並んでいました。途中で満員になったようです。確実に食べたいのなら、9時20分には遅くともつきたい。

 シャレにならん・・・ナンボほど行きにくいねん・・・。
 でも、こういうコトだけは、あきらめへんで。我ながら、南極の氷も溶かすような「熱い情熱」です。死んでも行け。というわけで、ようやく長年の願いがかないました。

 で、肝心なお味は・・・

 あのね、僕は感動しました。
 fantastic、impressive、amazing、チャオ。適当な言葉が見つかりません。
 でてくるものすべてに「工夫」があり、それが他店との「違い」を見せつけてくれます。とてもオリジナリティのある料理でした。美味しかった。

 一番最初にサーブされたのは自家製フォカッチャ。
 これまでこんなにおいしいフォカッチャを食べたのははじめてです。表面がカリッと焼いてあるのに、中はやわらかい。塩分がキリッときいている。全般的にこの店は、味が濃いですが、それは料理がすべてイタリア仕様だからだと思います。日本人用にデフォルメされていない。

zensai0.jpg

 アンティパスト。
 ラタトゥィユ、キッシュはジャブです。度肝を抜かれたのは、タコとセロリのサラダ。タコが本当に柔らかいのです。こういう柔らかいタコをつくるためには、急激にタコをゆでてはいけないそうです。消えるか消えないかの火加減で1時間煮続けなければならない。その間は、鍋を離れてはいけないんだって。コトコト、コトコト・・・まるで一見簡単なように見えて、実は、手のこんだお品ですね。

zensai1.jpg

 パスタは、うにのパスタ、ラザーニア、トマトのパスタなどを食べました。すべて美味しかった。個人的には、ラザーニアが感動した。香ばしいミートソースとホワイトソースのバランスが絶妙でした。

zensai2.jpg

 本当に最初から最後まで、「ひと味違う一品」ものばかり食べることができました。満足度は100%。「将太の寿司」だったら、「柏手」がでてるぞ。

 が、この店のすごさは、このうまさにして、価格のリーゾナブルさにもあります。なんと、ディナーは3900円台。昼なら1000円、2000円代なのです。
 そりゃ、予約とかはたしかにシンドイ。こりゃ、たまらん。でも、その苦労の分は十分もとがとれます。素晴らしい。学生さんにも、ぜひ、おすすめです。

 うちのオヤジの口癖は、「高いものはウマくてアタリマエでしょや」です。いつもそう言っています。が、彼でも、きっと満足でしょう。

 スタッフも気さくな人達で、接客もよかった。
 忙しい中、「お味はいかがですか?」と声をかけてくれたのが驚きでした。この店、人気があるのもわかります。

 このお店、「中原レストラン・オブ・ザ・イヤー2007」に輝きそうな予感ですね。輝いても、お店にとっては何のメリットもないけどさ。

 おすすめです。

投稿者 jun : 2006年7月14日 06:00


オマエは、書く前から死んでいる

 学環の大学院生 館野君によると、レポートライティングに関しては、たくさんの本があるそうだ。

 僕はほとんど読んだことがなかったので、今度、読んでみようと思う。

  

  

 戸田山さんによると、

 卒論の出来は限定ができたかで99%決まる!

 そうだ。

 全く同感。至極名言だと思った。これは卒論ならずとも、どんな文章でもそうだろう。

 問題の絞り込みができていない論文、レポートというのは、北斗の拳風にいうならば、

 オマエは、書く前から死んでいる

 といったところだろうか。

 そうならないようにしよう。せめて、「アタタタター、アターッ」という具合に、敵とは一戦まじえたいものだ。

投稿者 jun : 2006年7月13日 21:00


ylablog : 基礎的文献の書評

 東京大学大学院 情報学環 山内研究室では、書評blogを開始なさったそうです。

ylablog
http://blog.iii.u-tokyo.ac.jp/ylab/

 所属の大学院生さんが、教育学等の基本文献を毎週紹介してくれるそうです。お役立ちですね。RSS、はてなアンテナへのご登録を!

投稿者 jun : 2006年7月13日 17:03


養命酒

 ここ数年、胃腸の調子が悪かったのですが(僕は消化器がどうも弱いみたいです)、ようやく、わたくし、重い腰をあげました。クスリに頼る生活はもうやめよう。根本的な生活習慣すべてを見直そう、ということです。

 「聖域なき改革」を我が胃腸にも!

 といったところでしょうか。
 で、そのいっかんとして、養命酒を飲むことにしましたのですね。

 先日、センターの教員で集まった際、「僕、胃腸が悪いんですよね」とある先生に相談したのです。そうしたら、

「僕も若い頃は、胃を痛めてねー。養命酒を飲んだら、1ヶ月で治って10キロも太っちゃったよ。中原君も飲んだら?」

 とご指導いただきました。そうだよ、養命酒、オマエの存在を忘れていたよ、僕は。

 「1ヶ月で10キロ太る」のは、死んでもイヤですが、それにしても、あなどれん、養命酒。1ヶ月で治すとは。というわけで、早速買ってきました。

 養命酒っていうとね、なんかお年をめした方のイメージがあるんだけどね・・・。藤田まことですよね、CMキャラは。たしか、昔、僕のバーチャンも飲んでいたしさ。

 カミサンには、「イヤッ、何これ、ジジくさっ」と言われましたけれども・・・うるせー。

youmeishu.jpg

 笑いたければ笑うがいいさ。
 1ヶ月後には、「すごい胃」になってやる!、ダハハハハ!

追伸.
 でも、養命酒って「酒」なんだよなぁ・・・せっかく胃のことを考えて禁酒してても、酒飲んでたら、意味あんのかな?

---

追伸2.
 書籍脱稿〆切直前・・・。

投稿者 jun : 2006年7月13日 06:00


Learning bar

 先日、大学で、Learning barが開催されました。今月の話題提供者は、乃村工藝社の三上さん。アメリカのチルドレンズミュージアムの動向について、豊富な資料・写真を駆使して、ご発表いただきました。今回も、官庁におつとめの方、現場の先生、民間教育企業の方々、大学の教員、最近起業なさった方まで、いろいろな方にご参加頂きました。

 三上さんは、最近、様々な企画に追われ、あまり寝ていない生活が続いているとのことです・・・。今回無理をいって御願いしてしまいました。お忙しい中、本当にどうもありがとうございました。

 発表はとても面白かったです。
 僕はチルドレンズミュージアムの新たな側面を知りました。

 一般にチルドレンズミュージアムの発表というと、「こんな展示が新しいですよ」といったような話が中心になるのだと思うのです。が、今回はそれに加えて、チルドレンズミュージアムが、いくつかの社会問題を解決する機関として位置づけられている、という報告がなされました。これが、僕にとっては新鮮でした。

 犯罪によって減る子どもの遊び場
 ドラックや病気にかかった親子の支援
 貧困層やヒスパニックなどのマイノリティに対する支援

 そういうアメリカが抱える様々な社会問題を、何とかかんとか支援する場としてミュージアムが位置づけられているのですね。

 ---

発表も面白かったのですが、実は、今回のLearning barは、これまでとは異なった趣向で開催されました。

 先週だったかな・・・「いつもとは違った趣向でLearning Barをやりたいのですけれども」というメールが東京大学大学院の森さん、平野くん、坂本くんらから寄せられ、僕はもちろん「御願いします」と返答しました。

 すると、彼らは研究会の会場に「BAR」コーナーをつくってくれたのですね。平野君がバーテン。いつもとは違った「少し凝った雰囲気」が、参加者にはとても好評だったようです。

bar0.jpg

bar1.jpg

bar3.jpg

 準備にはかなり時間がかかったと思うんだよね。いろいろと荷物を搬入するのも大変だったと思う。本当にどうもありがとう。

 個人的な思いをいうと、「研究会をこんな風にしてみたい」というのを、学生さんの方から言ってきてくれたのは、これまであまり例がなかったことでした。僕はとても嬉しかった。やっぱ、そういうのって、嬉しいよねぇ。

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 8月は夏休みで、Learning barはお休みになります。
 また今度、本郷でお逢いしましょう。

投稿者 jun : 2006年7月12日 21:52


NIMEの研修

 元の勤務先であるメディア教育開発センターの研修事業が、かなり充実してきているようだ。久しぶりにページを見て、びっくりした。

NIME研修
http://www.nime.ac.jp/KENSYU/index.html

 時間がゆるせば、松田さんの「学習者支援セミナー」などは、僕も受けてみたいと思った。7月21日か・・・すでに予定がはいっているのがくやしい。

 僕がNIMEにいた頃、一番気合いをいれてやっていたのが研修事業だった。何だか知らないが、嬉しい。

投稿者 jun : 2006年7月12日 16:12


教員免許更新制の導入

 本日朝日新聞14面には教員免許更新制度のニュースが掲載されている。

 それによると、教員免許の更新制導入を柱とする答申を、中央教育審議会が文部科学大臣に提出したとのこと。導入はもっともはやくて2008年度になるらしい。

 現在は、終身有効の免許に10年の期限を設けて、更新時に30時間の講習を受けさせる。その上で、教員の資質を持ち得ているか、評価するとのことである。

 評価の結果修了と認められない場合は、免許は一時失効するらしい。こうした改革の背景には「国民の教員に対する信頼の低下」がある、とのことである。

 もし、この答申通りに免許制度が改革されたとすると、更新時に受講する講習の内容、および、その評価基準の妥当性が、極めて重要になる。これまで終身であった免許を、一時的であれ「失効」させるほどの重大な評価なのだから、適当では困る。
 かつ、その評価とは「国民の教員に対する信頼」を向上させるものでなければならないし、「教員の資質」の維持につながるものでなければならない。

 そうだとすると、

 「教員の資質」とは何だろう?
 かつ、「教員の資質を、講習で、どのように評価するのか?」

 という疑問が当然わいてくる。

 僕は教師教育の専門家ではないので、上記に対して自信をもって答えることはできない。ただ、なんとなく、もし、この30時間の研修を教育工学の研究者として設計せよ、と言われたとしたら、かなり頭を抱えるのではないかなぁと思う。
 学習目標を設定出来ぬものは、教えられない。学習目標の設定で、大変な困難を経験することが容易に予想出来る。

 いずれにしても、仮に2008年からはじまるとすると、準備にはあまり時間がない。
 事態の推移を見守りたい。

追伸.
 本来、扱う知識ドメインが指数関数的に増え、かつ、国民の信頼が揺らいでいる医者に免許更新制度が導入されず、教師にのみ適用されようとしている理由は、考えてみるとオモシロイと思う。

投稿者 jun : 2006年7月12日 08:27


教育改革と医療改革

 がんの5年生存率に、施設によって、最大28ポイントも差がある、らしい。それも「がん専門病院」間を比較した結果である。

がん専門病院、5年後の生存率に差
http://www.asahi.com/life/update/0711/001.html

 こういう統計を見ると、施設によって「早期がんの患者ばかりがくる施設」と「末期がんの患者ばかりがくる施設」があるんじゃないの?というツッコミが容易に予想されるが、今回の調査では、一応それも統制しているらしい。
 
 現在、どのようなかたちで施設名を公開していくか、審議しているとのことである。早晩にそれが実現されるのだろうと予想する。

 ---

 かくして「自由選択」「自由競争」の名のもとに、サービス間の情報公開が進む。

 利用者の側からすれば、こうした情報は待望のものである。誰だって長く生きたい。自分の行った病院選択 - この選択に可逆性はないけれど - が自分の将来に甚大な影響を及ぼすのならば、本当に真剣に情報収集を行う。

 しかし、サプライサイドからすれば、これ以上にキツイ情報公開はない。自分たちの業績が目で見えるかたちで白日のもとに晒される。結果をもとに、患者による厳しい選択がはじまる。それは将来的に、病院のマネジメント全体に影響しないという保証は、何一つとしてない。

 ---

 別に医療に必要以上の関心をもっているわけではない(必要な関心は持っている)。

 けだし、新保守主義路線に従った改革は、医療の方が進んでいるように思う。故に、教育現場の未来を考える上で、医療改革の現場を見ておくことは参考になる。ちょっと故あって、書き物をしなくてはならないので、最近、それ系の本を読むことが多い。

  

 教育にはどのような未来が待っているか。
 そのとき、親はどう動き
 教師は、どのように反応するか

 遠い将来の話ではない、そう思う。

投稿者 jun : 2006年7月11日 07:44


手足を動かす教育研究

 <教育>の言説空間では、「誰にも反対出来ないような正論」が繰り返し述べられることが多い。

「学校改革はトップダウンで行うのではなく、地域の人々や教師がともに手をとりあいながらボトムアップで行うべきである」
「教育は社会階層の再生産を少なくする方向で実施するべきである」

 これらの正論には、おそらく誰一人として異論を差し挟む人はいない。「そりゃ、そうだろうな」「そうなればいいな」と誰もが思うことである。

 しかし、同一の正論が何度となく無反省に繰り返し述べられているのを見ると、僕には、どうしても釈然としない気持ちがのこる。

 こうした正論は、本当に「学校改革をボトムアップですすめること」や「社会階層の再生産を少なくすること」を実現したいと思っているのだろうか、と疑問に思う。

 そして、

 ボトムアップの学校改革は、何をどのようにすすめるべきか?
 社会階層の再生産を少なくする施策とは何か?

 ついこのような問いを、アタマの中に浮かべてしまう。つまり、その正論を「現実のもの」とするために、「とりあえず、今すぐできること」はないのか、をさぐりだす。規範的思考から方法的思考に移行する。

 教師にできることは何か
 親にできることは何か
 教育行政官にできることは何か
 そして子どもに取り組ませるべきことはなにか

 大きな問題を下位目標にブレークダウンする。そして、それぞれの人たちに、どのようなメッセージを発し、何をしてもらえばよいのかを考える。

 もちろん、そうしてみたところで、それまで「0」であったものは、すぐには「1」にはならないかもしれない。でも、その試みが局所的であったとしても、ちょっとした工夫で、「0.1」にでもなりさえすれば、「0」よりはましだ、と考える。

 しかし、こうした方法的思考は、正論を述べている論者からすれば、コレクトな態度とは言えない。むしろ、そうした思考や態度は嫌悪される傾向がある。「それってHow toでしょ」と非難されたりしがちかもしれない。

 しかし、なぜ「How to」の問いは、価値の低い問いだと思われるのか?

 その原因のひとつは、規範的思考より方法的思考の方が、いろいろと、「問題」を巻き起こしやすいからである。そして、その問題が「正論」の「正しさ」に疑いの目を向けてしまうからである。

 問題がブレークダウンされ、具体的に「教師」「親」「教育行政官」というステークホルダーが想定され、彼らに何らかのアクションを求めた時点で、「現実の世界の様々な制約」が噴出してくる。

 「そうはいうけれど、こういう事情で○○できない」
 「○○をするためには、□□を現在の2倍にしなくてはならない」

 など、現実の世界の「事情」が見えてくる。「正論」が、いわゆる「正論」でしかないことが、白日のもとに曝される。

 「誰もが批判をしない正論が指摘する現実」というのは、だいたいの場合、多くの現実の制約が拮抗し、「そうならざるをえない状況」になっている場合が多い。こうしたものを対象に方法的思考をとれば、パンドラの箱をあけ、様々な制約と相対し、悩む結果となってしまう。故に、方法的思考だけは避けなくてはならない。

 そこで、いわゆる「価値操作」が行われる。

 「アタマで考えること」>「手を動かすこと」
 「正論」>「具体的なフィールドに関与すること」

 といった具合に、常に「>」の不等号の位置を固定する。「手を動かす」とか「具体的なフィールドに関与すること」は常に価値の低いものと位置づける。

 ゆえに「教育書」はいつも終わりが寂しい。「具体的な提言」は終わりの3ページだけに、申し訳程度につけられている。「本書では、いわゆる役に立つHow toを提供しない」と高らかに宣言されている。

 ---

 「理想」をもってはいけない、「正論」を述べてはいけない、といっているのではない。理想なくして、現実は決して生まれない。それはすべての議論の基盤である。

 もちろん、すべての教育論が方法的思考のもとで編まれるべきだともおもっていない。論文の主張は焦点化されるべきである。誰もが気づいていなかったコモンセンスを疑ったり、データをもとに例証する論文の必要性は、いささかも減じない。

 しかし、ひとしきり問題が把握されたのなら、次は、一歩思考をすすめる時期である。大事なことは、社会の側からは、一般に教育研究にそれが要請されているという事実である。世の中には、今すぐにでも対処を考えなくてならない教育の問題が、たくさん、ある。

 「それってHow toでしょ」

 という物言いは、「大きな問題をブレークダウンして、それぞれのステークホルダーにメッセージを発しようとすること」や「実際に手を動かして、やってみること」が、それだけでも、どんなに難しいことなのか、そこには、どれほどの智恵や苦労が必要なのかに、注意を払わない。

 問題が把握されれば、あとの「実装」「実行」は何とでもなる、という前提がそこにはある。そこに、少し前まで予想出来なかった「新たな問題」が次々と発生することを見ようとしない。といおうか、多くの場合、そういう論者には経験がないので、「実装」「実行」の困難に想像力が及ばないのではないかと思う。

 「手足を動かす教育研究」・・・最近、この言葉が気に入っている。

投稿者 jun : 2006年7月11日 07:00


ハリウッド映画

 先週、今週、来週とかなりハードなんです。研究プロジェクトの動きが、いよいよ本格化しているのに加えて、書籍の原稿の〆が続くのですね。それに加えて、新しい研究プロジェクトの立ち上げも行っているから、あー大変。

 そんなウィークデーを過ごしていると、週末くらいは何ひとつ「小難しいこと」を考えたくない、というような気分になってきます。もう、えーっちゅうねん。

 そんなわけで、「バーン、ドカーン、あーすっきり」的な映画が突然見たくなり、「ミッションインポッシブル3」をカミサンと見にいくことにしました。

M:I:3
http://www.mi-3.jp/top.html

 ミッションインポッシブルは、絵に描いたような「ハリウッド映画」。シナリオは、予想通り「バーン、ドカーン、あーん、すっきり」だった。とてもスカーッとしたよ、オレは(笑)。

 ストーリーの細かい部分なんて、どうでもいいの、そんなもん。余韻なんて糞くらえ。まるでブレーキなしのジェットコースターに乗っているがごとく、最初から最後まで、ひたすらアクション、ひたすら銃撃が続きます。

 たまにはこういう映画もいいですね。
 今週も、また頑張ろうという気になります。

 ---

 ところで、横道それまくりですが、ミッションインポッシブルの主演は、ハリウッド一ギャラの高い男、トム=クルーズですね。

 で、そしてトム=クルーズ主演の映画といえば、僕の記憶に残っているのは、「カクテル」です。「トップガン」もよいけれど、やはりこれでしょうか。

 「カクテル」でトムクルーズの演じるバーテンの役は、かなり格好よいのですね。それがとっても印象に残ってる。

 「オマエはピーター・フランクルか?」

 という感じで、シェイカーを振りまわし、アヤシイ色のカクテルをつくる。で、女の子と出会う、チョメチョメする、ケンカする、別れる、仲直りする、で、チョメチョメする、ケンカする、別れる、仲直りする、で、チョメチョメする・・・・(永久ループ)みたいな(そんな話だったか?)。

 この映画、ストーリーはイマイチと言われていますが、あのね、それ言っちゃダメなのよ。ストーリーを求める方が間違いでしょう。いいの、いいの、細かいことは。アメリカン、アメリカン、何も考えず観てください。

 あと、ついでに言うと、「カクテル」は、なにせ、音楽がよかったことを思い出しますね。主題歌は確かビーチボーイズの「kokomo」。これは、耳につく曲です。
 ちなみに、kokomoを聴くたびに、「海に行って、肉食いたくなる」のは僕だけ? バーベキューいいじゃない。「kokomo」は、そういう歌じゃないんだけどね。

 あと、ボビー・マクファーリンの「Don't worry be happy」が所々挿入されていたはず。「天才たけしの元気がでるテレビ」の人気コーナー「勇気をだして初めての告白」のときに使われていた曲でもあります。

 久しぶりに思い出したぞ、「勇気をだして初めての告白」・・・このコーナー、僕、本当に好きだったなあ。でもさぁ、今日、隣で仕事している学生さんに聴いたら、「知らない」とのことでした。23歳になると知らないかねぇ・・・。覚えてる?

 ---

 話がだいぶそれました。
 とにかく、疲れてるときは、ハリウッド映画いいね。
 アタマ空っぽにして、笑って、ハラハラして、泣く。

 喜怒哀楽する週末、いいじゃない。

投稿者 jun : 2006年7月10日 20:00


学習コミュニティ

 先日、学習科学の研究会でよんだ論文に「学習コミュニティ(Community of learner)」の定義があった。

 それによると、

1.集団的知識と個人的知識をともに発展させられること
2.メンバーそれぞれの貢献があること
3.学習に関する目標を共有していること
4.how to learnを学べる場であること
5.学ばれたことを共有する仕組みがあること

 を満たす場が、学習コミュニティということになる(学習コミュニティの定義はその他にもたくさんあるよ・・・これはそのなかのひとつ)。

 一般に、「学習コミュニティ」というと、「赤信号、みんなでわたれば恐くない的な仲良しグループ」と誤解される。より厳しい集団であることがこの定義からよくわかるだろうと思う。

 しかし、このうち、2から5までは何となくわかる。特に、2に関しては、僕が博士以降注目していることで、心理学的にいえば互酬性に関連する項目である。

 が、一番わからないのは1の「集団的知識」というやつである。

 今、仮にそれらの存在を認めたとして、「集団的知識がある」「集団的知性がある」という状況は、具体的に、誰と誰が、どこで、何をしているときの状況なのだろうか・・・それがどうもわからない。

 集団的知識とか、集団的知性というのは、最近、Web2.0が流行していることからも、ずいぶん、注目されている概念である。Web2.0的世界が深まれば、集団的知性が生まれるはず、だという楽観的な見方が、メディアのトーンになっている(僕は懐疑的)

 それにしても、我々は、どういう状況を見た場合に、「うーん、集団的知識のレベルもあがってきたねー」と言えるのだろうか?

 たとえば、みんなで、ある課題について、あーだこーだいって何とか解決しちゃうのは、「集団的な問題解決」といえそうである。「集団的知識」とか「集団的知性」が、どちらかというと、静的な概念に僕には思えるのだが、問題解決の方は「動的」だ。

 何だか重箱の隅をつつくような話題、朝っぱらから恐縮だが、研究者としては、こういうのが、いちいち気になる。

 謎だ。

投稿者 jun : 2006年7月10日 08:55


村上隆「芸術起業論」

 僕は村上隆さんの作品が好きなわけではないです。また、彼の芸術の価値もきっとわかってはいません。

 だけれども、だからこそ、彼の述べることには、耳を傾けようと思うのです。いわく、「芸術には世界基準の戦略が必要だ」。この主張は、新鮮に思えるのですね。

 ---

 なぜ、これまで日本人アーティストは片手で数えるほどしか世界で通用しなかったのでしょうか。

 単純です。

 「欧米の芸術の世界のルールをふまえていなかったから」なのです。
 欧米の芸術の世界は、確固たる不文律が存在しており、ガチガチに整備されております。そのルールに沿わない作品は、評価の対象外となり、芸術とは受け止められません。僕は欧米のアーティストと互角に勝負するために、欧米のアートの構造をしつこく分析しました。

(中略)

 欧米では、芸術にいわゆる日本的な曖昧な「色が綺麗」的感動は求められていません。知的な「しかけ」や「ゲーム」をたのしむというのが、芸術にたいする基本的な姿勢なのです。欧米で芸術作品を制作する上での不文律は、「作品を通して、世界芸術史での文脈をつくること」です。

(中略)

 繰り返しますが、認められたのは、「観念」や「概念」の部分なのです。

(中略)

 芸術作品の価値は、発言で高めるべき・・・

 ---

 芸術がなんたるかを僕はしりません。しかし、彼は、「世界で勝負するために必要なこと」の一つの側面を見事に喝破しているような気もするのです。

投稿者 jun : 2006年7月 9日 09:59


たこの花しゃぶ

 先日、お取り寄せの本を見ていたら、あまりにおいしそうな「明石たこしゃぶセット」が載っていたので、つい「自分へのお中元」として購入してしまった。

 「自分の家にお中元」って流行なんでしょ。
 もともとお中元って、「御世話になっている人」への贈り物なんですが、それが最近では、「届け先」が「自分ち」ってのが増えているそうです。新聞にのっていました。ということで、我が家もそれに続けってことで。

明石屋
http://www.akasi-ya.com/index.html

 ここの「たこしゃぶ」は「花しゃぶ」と言われています。生ダコをぐぐっと湯にくぐらせると、「花弁」が開いたようになる。まるで、タコが「花」になったよう。そんなわけで「花しゃぶ」だそうです。

tako.jpg

 なんでそうなるかっていうと、タコに包丁が細かくはいっているんですね。刺身みたいに「一枚の切り身」にざっくり切っているのではないのです。

 ひとつのタコを、密かに何枚もうすくうすく切ってあって、だけれども、すべてがつながっている状態、というのでしょうか。

 やったことのある人でしたらわかるとは思うのですが、生ダコに包丁を入れるっていうのは、結構難しい。相当、気合いのはいった一品です。

 お味は、というと、これは大変おいしゅうございました。満足な一品でした。
 最初、お品をみたとき、「あー、こりゃ、たりねーかな、お取り寄せ、たけーな」と思ったけど、結構食感がありますので、かなりお腹いっぱいになるんだよね。とはいえ、4人前を2人で食べてるけど。

 軽く「しゃぶ」をして、半生くらいで、「たれ」につける。たれは、「ごまだれ」と「ゆず」がついてきます。僕は「ごまだれ」が好き。
 で、タコをdipすると、花弁の部分にごまだれがからみついて、なんともいえない、こうばしさが、口の中に広がります。

 そこで、クイッと、冷えた大吟醸をやる。先日は、たまたま、「まんさくの花」の杜氏直詰の大吟醸(かなりレアもの)があったんだよねぇ。こりゃたまらん。

 たまには、お取り寄せ、いかがですか?
 お疲れの自分へのご褒美に。

投稿者 jun : 2006年7月 8日 10:01


タダなんて、ない!

 橋本君のblogエントリー「無料の研修など存在しない」を見て、そのとおりと思った。

無料の研修など存在しない
http://e-learning.toromi.com/archives/2006/07/post_145.php

 どのような「研修=教育」にもお金がかかる、というのはアタリマエのコンコンチキの事実であるのにもかかわらず、私たちは、それにあまり注意を向けないことが多い。

 また、教育には「教育なのだからコストはタダであるはずだ」という、「聖性」が付与されている。故に、「教育で利潤をあげること」には、どこか原罪らしきものを感じてしまいがちである。

 根本的におかしい。ここからスタートすると、どこかねじれた議論が生まれてきやすい。「教育にはお金がかかる」・・・まず、そのアタリマエをアタリマエのこととして認めることから、はじめなければならない。

 橋本さんの下記の著書では、そのことについても触れられているようである。

 ---

 ところで話は飛ぶが、橋本君のつくったエクセルマクロ「自己価値算定ファイル」には、涙がでた(笑)。僕は、先月の平均値を入れてみたんですけど。皆さんも試してみて。

自己価値算定ファイル
http://e-learning.toromi.com/archives/myvalue/myvalue.xls

 それでも・・・人生は続く。

投稿者 jun : 2006年7月 7日 08:49


BERDに「おやこdeサイエンス」が掲載されました!

 ベネッセの情報誌「BERD」に「おやこdeサイエンス」が掲載されました。もしお暇でしたら、お読みいただければ幸いです。

おやこdeサイエンスの記事
http://benesse.jp/berd/center/open/berd/2006/07/pdf/07berd_08.pdf

 あと、何名の企業におつとめの方から、先日掲載された解説論文を電子メールでおくって欲しい、というご要望をいただきました。ありがとうございます。ので、下記からダウンロードできるようにしておきます。お持ち下さい。

中原淳・荒木淳子(2006) ワークプレイスラーニング研究序説:企業人材育成を対象とした教育工学研究のための理論レビュー. 教育システム情報学会. Vol.23 No.2 pp88-103

投稿者 jun : 2006年7月 6日 18:51


【残席3つ】 チルドレンズミュージアムの現在!

===================================================
Learning bar@Todai 2006年7月
 「米国チルドレンズ・ミュージアムの最新動向」
===================================================

●日時
 2006年7月11日 午後7時より

●場所
 東京大学大学総合教育研究センター MEET講座
 http://utmeet.jp/access/index.html

●主催
 東京大学教育環境リデザインプロジェクト
 NPO法人EDUCE TECHNOLOGIES

●講演者 
 乃村工藝社 三上戸美氏

●参加者
 20名

●参加申し込み
 氏名、ご所属等を明示のうえ、下記までメールを
 ください。準備のご都合がありますので、キャンセル
 の際は、必ず事前にご連絡をいただければ幸いです。

 問い合わせ先:atusaka [at mark] educetech.org
 (坂本)

===================================================

投稿者 jun : 2006年7月 6日 18:47


学習科学の研究会

 昨日は、東京大学で学習科学の本読み会が開催された。遠方からも何名かの研究者の方々に参加いただいた。総勢20名弱で、みんなで下記の新刊を読み、ケンケンガクガクと議論をした。

 読んだ論文は、どれも味わい深いものであったが、個人的には、Learner-centered designの論文が一番印象的だった。

 この論文は、ACM(米国計算機学会)のCommunications of ACMに1996年に掲載された論文をリライトしたものである。

 当時、僕は学部3年生。佐伯先生主催の本読み会にオブザーバとして入れてもらい、オトナたちが議論しているのを、「スゲーな」と思いながら、見ていたことを思い出す。

 この他、研究会ではいくつかのインプリケーションを得た。
 下記、自己メモのために書いておく。

 ---

●学習科学は、1)学習という現象の理解、2)1)をもとにした効果的な学習環境の創造をめざすのだという。そして、2)から得たデータをもとにして、1)の解明を行うことも同時に目指されているらしい。しかし、2)の学習環境からでた知見は、domain specificなものであるはず。どの程度、1)に貢献出来るか、やや疑問が残る。

●学習科学のもうひとつの目的として、2)を行う際のデザイン原則を明らかにすることがめざされている。しかし、この「デザイン原則」というものが、どういうものかをそろそろ明らかにする必要がある。それは、どの程度の理論射程をもったものなのだろうか。「フレームワーク」という言葉で誤魔化すのは、そろそろマズイのではないだろうか。「grand theory - grounded theory - middle level theory」というスケールが仮にあるのだとすれば、どの程度のものか。

●「モダン教育学」は、Teacher proofの教材、学習の原理・原則を研究者が開発し、実践者が実践現場でそれを利用する、という構図で研究が進んでいた。しかし、それが1980年代にはいって批判され、いわゆる「ポストモダン教育学」が生まれる。アクションリサーチ、デザイン実験などは、その系譜に位置するものと考えられる。

アクションリサーチは、極めて臨床的に「その場の、その問題」を実践者と研究者が協働で解決することがめざされる。しかし、一方でデザイン実験は、その立ち位置が不明だ。ポストモダン的に、「その場の、その学習」を支援することをめざしながら、同時にモダンをめざす=デザイン原則の確立をめざす。このねじれは、どのように説明するべきか。

※ちなみにモダン教育学、ポストモダンは僕の言葉・・・。

 ---

 あと、個人的には、自分の研究のスタンスを再確認できてよかった。

●僕は研究方法論に全くこだわりがないことが、改めてよくわかった。質的であろうが、量的であろうが、参与観察であろうが、NIRSであろうが、使えるものは使えるべきという立ち位置をとる。

学習という複雑な現象に接近するためには、ひとつの方法論に固執するべきでないと考える。あの手、この手をつくして、少しずつ接近するべきだと考える。

●僕は「教育工学」の研究者である。
 もっと大きなくくりでいうならば、僕の専攻は「教育学」だ。
 自信をもって言う。

 ---

 ともかく、本当に知的にエキサイティングな時間でした。三宅君、館野君、本当にコーディネート、お疲れ様でした。またご参加頂いた方々、お疲れ様でした。

 次回は7月26日ですね。次回も楽しみです。学部生、大学院生に限り、まだご参加いただくことができます。もし、学習に関して興味があるならば、勇気をふりしぼって、来てみて下さい。

追伸.
それにしても、教育関連学会で学習科学の知見を参照しつつ研究を行っている、若手の研究者のほとんどが、この研究にいたのではないかと思います。大学院生さんも、学部生さんもいました。きっと10年後、ここに集うひとたちの中から、いろんな研究がでてくるんだおうなぁ・・・。


============================================
魁!学習科学塾
主催:東京大学 中原研究室&MEET部門
============================================

1.下記の日程に3回以上参加できる方。

なお1回でも欠席なさる方は、恐れ入りますが、
文献の担当はこちらからしてさせていただきます。

2.下記にある文献リストのうち、1つ以
上を担当しA4レジュメを作成し、発表でき
る方。なおレジュメは、PDF化し、NAKAHAR
A-LAB.NETにて公開させていただきます。

 ※研究会は相互貢献の場です。
 ※オブザーブのみに参加は認めないこと
  とします

今回は追加募集のため、申し訳ありませんが、
用意出来る席があまりありません。
お申し込みはお早めに。

■日時

 2006年 7月5日(水曜日)
   午前10時 - 午後5時まで
 2006年 7月26日(水曜日)
   午前10時 - 午後5時まで
 2006年 9月13日(水曜日)
   午前10時 - 午後5時まで
 2006年 10月25日(水曜日)
   午前10時 - 午後5時まで
 2006年 11月29日(水曜日)
   午前10時 - 午後5時まで

■場所

 〒113-0033 東京都文京区本郷7-3-1
 大学総合教育研究センター
 マイクロソフト先進教育環境寄付研究部門
 tel:03-5841-1727
 fax:03-5841-1729

 東京大学本郷キャンパス内 第2本部棟4階
 413号室です。

 http://www.utmeet.jp/access/index.html
 

■参加の申し込み方法

 参加申し込みは、下記のリストから担当
したい章を4個ご選択の上、下記の申し込み
フォームをつかって、
mmiyake[at]mvg.biglobe.ne.jp
のメールアドレスまで6月1日までにメールを
ください。
 ご指定いただいた4つの文献のうち、2つを
ご担当いただければ幸いです。

 1-15, 2-4, 2-7, 2-9などという風に番号
でお知らせください。

 なお人数の関係で、15名を上限に参加者を
打ち切ります。先着順といたします。

〆ココカラ----------------------------------
申込フォーム
--------------------------------------------

名前:
所属:
メールアドレス:

文献担当希望:
 第1希望
 第2希望
 第3希望
 第4希望

------------------------------------〆ここまで


■文献内容


1.Keith Sawyer ed, (2006) "The Cambridge Handbook of the Learning Sciences"

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0521607779/ref=ed_oe_p/249-5883400-7709928

目次情報
http://www.cambridge.org/catalogue/catalogue.asp?isbn=0521607779&ss=toc

担当
  1-1. Intro, 1
  1-2. chapter 2,3
  1-3. chapter 4,5
  1-4. chapter 6,7
  1-5. chapter 8,9
  1-6. chapter 10,11
  1-7. chapter 12,13
  1-8. chapter 14,15
  1-9. chapter 16,17
  1-10.chapter 18,19
  1-11.chapter 20,21
  1-12.chapter 22,23
  1-13.chapter 24,25
  1-14.chapter 27,27
  1-15.chapter 28,29
  1-16.chapter 30,31
  1-17.chapter 32,33
  1-18.chapter 34,afterword,epilogue


2.Gary Stahl, (2006) "Group Cognition: Computer Support for Building Collaborative Knowledge (Acting With Technology)"

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0262195399/ref=pd_sim_dp_5/249-5883400-7709928

目次情報
http://www.cis.drexel.edu/faculty/gerry/mit/index.html

担当
  2-1. preface,1
  2-2. chapter 2,3
  2-3. chapter 4,5
  2-4. chapter 6,7
  2-5. chapter 8,preface2
  2-6. chapter 9,10
  2-7. chapter 11,12
  2-8. chapter 13,preface3
  2-9. chapter 14,15
  2-10.chapter 16,17
  2-11.chapter 18,19
  2-12.chapter 20,21

※当日、研究会終了後、懇親会をいたします

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研究会幹事:三宅正樹(東京大学大学院 学際情報学府 M1)
      館野泰一(東京大学大学院 学際情報学府 M1)

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投稿者 jun : 2006年7月 6日 17:14


恥ずかしかった

 寝ぼけて電車に乗ったせいだろうか。
 ipodで「越冬ツバメ」を聴いていたら、「ヒュールリー」とつい口ずさんでしまった。前の女子高生に笑われた。とても恥ずかしかった。

追伸.
 Willcomの新端末がでた・・・うーむ、プロジェクト的には、どちらがいいのだろうか。明日はシステム会議。その前に、実機デモを見に行くことにした。そして人生は続く。

投稿者 jun : 2006年7月 6日 08:04


Enjoy!

 今日は、いつにもまして早起きです。修士論文の中間発表に出なくてはなりません。大学院M2の方の中には、昨日、あまり寝ていない方もいるのではないでしょうか。

 もうここまできたら、リラーックス!

 「わたしの研究の価値を教えてあげるわ、フン!パンが食べられないのなら、ケーキをお食べ」くらいに思っておくと、よいかもしれません(意味不明)。

 とにかく、Enjoyしてくださいね。

投稿者 jun : 2006年7月 6日 06:39


プログラミングのこと

 マイクロソフト寄附研究部門の研究プロジェクト、ベネッセ寄附研究部門の研究プロジェクト。いずれも、工数などの関係でMSの.NETフレームワークを使うことになりそうな予感がするので、最近、密かに勉強をしている。

 勉強といってもあまり時間はないので、大学院生の頃にプログラミングをマスターした参考書の続編を、パラパラと眺めているだけなのだけれども。

 まぁ、あれから数年たっているので、全部忘れちゃったかなぁと思っていたら、なんてことはない、結構、覚えていてホッとした。やはりその頃に学んだ知識は、身体化されているのかも。細かいところはしらんけど。

 それにしても、あの時代、結構ややこしいプログラミングを、僕らの研究仲間ではやっていたと思う。自前でプロトコルを設計したり、クラサバのシステムをつくったり。そういえば、プロモーションビデオとかもつくったなぁ・・・正確には無理矢理カミサンにつくらせたのだけれども(当時はカミサンじゃない)。

rtable.jpg

rtable2.jpg

 プログラムを外注するようになった今から考えたら、工数と金額だけで卒倒しそうなものだと思うけど。自分でやりゃ、タダなんだよな・・・。タダですよ、タダ。

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 まぁ、いいや。
 ひーひー言うのではなく、楽しみながら思い出したい。

投稿者 jun : 2006年7月 5日 20:11


Yonda? 教育学 夏の100論文

 来年、東大大学院 学際情報学府で授業を開講することを検討している。内容は「日本語で読める教育学の基礎的な論文を徹底的に読み込む授業」である。敢えて日本語にして量をかせぐ。

 まだジャストアイデアの段階であるが、こんな感じ。
 まず、テーマをもうける。

 ・教師
 ・子ども
 ・親
 ・学校

 という風な分け方でもいいかもしれない。授業は1つで12回くらいだから、1つのテーマに3回分かけることになるかな。

 授業の進行はこんなのではどうだろう?

【宿題】
1.1授業あたり5本くらいの日本語論文を、アサインメントとして読む
2.あらかじめ論点が提示されたワークシートに自分の意見等を記入しておく

【授業】
3.授業の冒頭 論文の内容についてランダムに指名して答えてもらう
4.論点にしたがってディスカッションする

 というのはどうだろうか。
 開講は、木曜日午後がいいかなぁ。

 様々な分野/異なった領域から大学院に進学してくる学際情報学府の大学院生さんと、「インテンシブに教育のことを学ぶ」機会ができればいいと思っている(学際情報学府は、学際系大学院なので、多様なバックグランウンドを持った人が進学してきます)。

 今まで教育を勉強したことのない人が、一番最初に「教育を考えるときの、型をつくる・・・・お手伝いをする」といったら、おこがましいだろうか。

 もちろん、より専門的な内容 - 教育工学・学習科学を専門に扱うゼミは別途ある。おそらく、最初の数年は、山内さんのゼミと合同で、論文指導と英語文献の購読をご一緒させていただくことになると思う。

 授業の名前、「新潮文庫夏の100冊」にちなんで、「教育学 夏の100論文」というのもいいかもしれない。100冊はToo muchだろうか? 50冊くらいがいい? でも、100という数字には、達成感がありますよね。

 どうせなら、「Yonda?君」に似たキャラクターも考えたいなぁ。

 まぁ、そんな授業、誰も受講したがらないかもしれないけれど(笑)。
 人が集まらなかったら、あまりに過酷だよなぁ・・・。

 きつくないかな? アメリカの大学院なら、このくらいは読む?
 わかんないけど。

 まぁ、いずれにしても、まだアイデアを練っているところで、正式に決めたわけでは全くありません。よいアイデアがあったら、こっそりおしえてください。現役院生さん、来年受験したい方からのご希望も大歓迎。

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追伸.
 なんだか、もう少しテーマをフォーカスした方がいいような気になってきた。「教育工学 夏の100論文」にする?ちょっと狭い?

 あと、理論の基礎文献もいれたら、きっとものすごい数になるので、実証研究にしぼるとか、必要かも。

投稿者 jun : 2006年7月 5日 07:00


しろいかみのままでいたかった

 本日の朝日新聞に載っていた谷川俊太郎さんの詩。ちょっとステキだな、と思ったのでご紹介。

 「ことばあそびうた」「わらべうた」など、彼が子ども向けに書いた詩が、僕は好きです。「声にだして読んで楽しい」一方で、オトナでも、とても考えさせられる。

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 ほんはほんとうは
 しろいかみのままでいたかった
 もっとほんとのことをいうと
 みどりのはのしげるきのままでいたかった

 だがもうほんにされてしまったのだから
 だから
 むかしのことはわすれようとおもって
 ほんはじぶんをよんでみた
 「ほんとうはしろいかみのままでいたかった」
 とくろいかつじでかいてある
 わるくないとほんはおもった
 ぼくのきもちをみんながよんでくれる
 ほんはほんでいることが
 ほんのすこしうれしくなった

(谷川俊太郎「すき」所収)

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 「ほん」は最後に「ほんのすこしうれしくなった」と語る。この「ちいさな幸せ」を「あぁよかったな」と歓迎しつつも、どこか切なくなるんだよなぁ。

投稿者 jun : 2006年7月 4日 20:00


アルバイト情報誌を読んだ!

 先日、あるところで、アルバイト情報誌!?というのかな、それを見る機会がありました。読んでいて、懐かしくなってね。つい昔を思い出してしまいました。

 思うに、僕は、かなりいろいろなバイトをやった方だと思います。 もちろん、大学が4年間、大学院が3年間ありましたので、フツウの人よりは、アルバイト歴、長くて、かつ多様でアタリマエなんですけど。

 塾講師、家庭教師をベースにしつつ、時にはバーテンの見習いをやったりしました。空いた時間に、こっそりと、オリジナルカクテルをつくるということに、命を燃やしていました。が、僕のつくると、いつも

 「これは青汁?」

 といったような「カクテル」になってしまいます。どうも僕にはバーテンのセンスはないようです。

 そういえば、居酒屋のホールスタッフもやりました。新宿のお店でした。
 「つけ場=料理をする場所」のスタッフが以上に「威張りくさっている」お店でした。料理長が、下のスタッフを怒鳴り散らしているのが、知性が感じられずイヤでした。
 が、ホールの同じバイトさんたちは、みんな仲がよく、海に行ったりもしました。「あがりざけ」といって、仕事を終わったあとに、自分で好きなお酒を1杯飲みます。これが本当に楽しみでした。

 こうなると、どんどんでてくるぞ・・・。

 その他にも、パソコンショップの店員をやりました。アンケート集計もやりましたし、Webプログラマもやりました(エ●サイトのバナーとかつくったりもした・・・)。おっと、DTPもやりましたよ。教科書、問題集のレイアウトをやっていました。

 なんでそんなにたくさんアルバイトしていたの?
 と聴く方がいらっしゃるかもしれません。

 まぁ、端的にいうと・・・

 「金がなかった」のよ(笑)。

 ときには、本当に「明日のごはん」にも困って、日雇いのオフィスの引っ越しバイトなんかもやったことありましたけど、これは止めた方がいいね。本当に「腰をイワして」、数日寝込んだ覚えがあります。

 でもね、今になってみれば、もうひとつやっておけばよかったなぁ、と思うバイトがあります。ファーストフードの店員さんをやっておけばよかったと思うんです。マクドナルドとか、ケンタッキーとか、そういうところで、学生時代に、一回は働いてみたかったです。

 別に「スマイル」がやりたいわけじゃないんです。

 一般にファーストフードって、マニュアルが整備されているというじゃないですか。教育もしっかりしているという。
 まぁ、単なる噂だけかも知れないけど、そういう「規格化された仕事」にもチャレンジしてみたかったのですね。教育学者のはしくれとしては、そうしたものも体験するべきではないかな、と思うのです。

 どういう風に、マニュアルが用意されていて(あるいはされていなくて)、規格化された手続き、作法、言葉を学んでいくのか、知りたいな、と思うんです。そこには、きっと儀式があるでしょうし、規律があるんでしょう。そうした場で、いかに「人間のMcdonaldization」が進行するのか。興味があります。

 そういうものを学生時代に体験していたら、結構、いい経験になったと思うんですよね。

 誰の研究だったか、すっかり、忘れてしまったんですけどね、本郷3丁目のマクドナルドで、エスノグラフィーを書いていた人がいたんですよね・・・

 もちろん、僕には、そこでエスノグラフィーを書く根気はないけれどね。そのマネゴトみたいなことをしてみたかったな、と思います。

「今からでも、遅くないぞ!」という方もいらっしゃるかもしれませんが、いくらドクホウカの後とはいえ、この兼業は認められないのではないかと思います。やっぱり、そういうのは学生時代に経験しておくべきでしたね。

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 そういえば、先日、ある学生さんと話していたときに、僕が

 「学生さんなんだから、暇でしょう、時間あるでしょう」

 と言ったんですよね。そしたら、

 「先生、学生って忙しいんですよ、みんな」

 と言われてしまいました。確かに聴いてみると、クラブがあったり、授業があったり、ゼミがあったり・・・・結構予定がつまっているんです。アルバイトもずいぶんやっている学生さんでした。

 「アルバイトは社会経験だから、やればやるほどよい」

 こうおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、少なくとも僕の経験から個人的な見解を言わせて頂きますと、少し疑問が残ります。

 確かに、どのバイトも社会経験にはなります。

 ただ、どうせ同じ時間をとられるのだったら、「やっていることで、社会の片鱗が垣間見られ、のちのちとっても役にたちそうに見えるもの」と、そうではないものがあるように思います。

 どうせ「忙しい」のだったら、貴重な時間なのですから、オモシロくてお役立ちなバイトを選べるとよいですね。

投稿者 jun : 2006年7月 4日 09:19


ゲーム・ルネッサンス:いつか来た道、これからの道

オープンと同時に、応募殺到ありがとうございます。
非常に人気のシンポジウムです。
ぜひ、お早めにお申し込みを御願いします!

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東京大学大学院 BEAT講座 8月公開研究会
「ゲーム・ルネッサンス:いつか来た道、これからの道」
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8月のBEAT公開研究会は、
「ゲーム・ルネッサンス:いつか来た道、これからの道」
というテーマで開催します。

「ゲームを教育現場に利用しよう」というアイデアが
近年注目されています。教育業界では、古くは「エデュ
テインメント」、さらには「Constructionisim in play」
など、様々な関連概念が、これまで主張されてきました。
最近は、シリアスゲームという概念で、様々な教育用
ゲームが開発されています。

シリアスゲームは、これまでのゲームとは何が違うのか。
そして、そこにはどのような可能性が開けているのか。

「流行としてのゲーム」に流されず、その本質を見極め
る「慎重さ」と、それでいて、よいところは教育に積極的
に活かす「貪欲さ」をあわせもつことが重要かもしれません。

今回の公開研究会のテーマでは、

1)シリアスゲームの現状と課題
2)ゲームの教育利用事例

などを扱いたいと思います。

どうぞふるって、ご参加下さい。

企画担当:中原 淳

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■日時
 2006年8月5日(土曜日)
 午後2時より午後5時まで

■場所
 東京大学 本郷キャンパス 工学部2号館北館 93-B教室
 http://www.beatiii.jp/images/sem23-map.gif

■定員
 70名

(最近、BEATの公開研究会は〆切前に募集停止に
 なることが多くなっています。くれぐれも、お
 早めにお申し込みください。なお、キャンセル
 の場合は、お手数でもsato@beatiii.jpまでメール
 をいただければ幸いです。一人でも多くの方に
 席をお譲りしたいと思っています)

■参加方法
 参加希望の方は、BEAT Webサイト
 http://www.beatiii.jp/seminar/ にて、ご登録をお願いいたします。

■参加費
 無料

■内容

 ●「シリアスゲーム、現状と課題」
  藤本 徹氏
  ペンシルバニア州立大学博士課程
  「シリアスゲームジャパン」コーディネーター
  http://anotherway.jp/seriousgamesjapan/

 ●タラレバeラーニング
  シミュレーション型ゲーム教材の事例紹介
  (学)産業能率大学  総合研究所
    e-Learning開発センター 古賀暁彦氏

  ●ディスカッション

  ディスカッサント
  ▽藤本 徹氏 
   ペンシルバニア州立大学博士課程

  ▽古賀暁彦氏
   (学)産業能率大学  総合研究所
   e-Learning開発センター 

  ▽弦川直樹氏
   株式会社SGラボ
   ジェネラルマネージャ
    
  コーディネータ
  ▽中原 淳
   東京大学 大学総合教育研究センター 助教授

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投稿者 jun : 2006年7月 3日 13:00


消えつつある日本酒

 「最近、スーパーの売り場などから、日本酒が姿を消しつつあるんじゃないか」、と思っているのは、僕だけでしょうか。

 家の近くのスーパーや、ショッピングモールでは、ワインや焼酎の売り場面積が、どんどんと広くなっています。それに対して、日本酒のそれは、大変心許ない状況なんですね。もはや申し訳なさそう程度に、いいわけ程度に、いわゆる大量消費型の本醸造酒がおいているくらいです。

 おいしい日本酒を飲もうと思っても、もはや選択肢はありません。うーん、しゃーない、これにするか、と言って、いくつかの日本酒から一本を手にする。おそらく、こうした事態が、さらに日本酒離れを加速させるのではないでしょうか。なんだか寂しい限りです。

 お酒にもブームがあります。だから、ある程度は、流行廃りがあっても仕方がないとは思います。
 しかし、現在の日本酒の「廃り」は、その速度が半端ではないように思うのです。皆さんのお近くでは、いかがでしょうか。

 日本には、美味しい日本酒がたくさんあります。そして、もともと魚の多い日本料理には、日本酒が一番よくあうように思います(少なくとも、ワインは悲劇的です)。

 日本酒ルネッサンスを待つ日々は、もうしばらく続きそうです。

投稿者 jun : 2006年7月 3日 08:05


功名が辻

 五藤吉兵衛、あっぱれな最期であった。泣かせる。

 「ミーハー」「単細胞」だと何と言われようが、僕は、涙が止まらない。かつて目した司馬遼太郎の世界が映像でよみがえる。

 今もなお、戦国の世。

 「なんの!、ここが功名が辻」 

吉兵衛の最期
http://www3.nhk.or.jp/taiga/topics/19_studio/19_studio.html

投稿者 jun : 2006年7月 2日 20:55


オンラインコミュニティでの学習

 今年、山内さんのゼミでは、「Designing Virtual Communities in the Service of Learning」を読んでいる。

 この本は、「教育や学習のオンラインコミュニティ」に関する研究をテンコモリにしたような専門書で、とても「お買い得感」が高い。僕は2年前、アメリカで購入して以来、論文を書くときなど、折に触れ、参考にしている。

 先日、ゼミでH君がAmy bruckmanの論文を報告してくれた。Moose crossingというオンラインコミュニティにおける学習(プログラミング)に関して、実証的な調査を報告した研究である。

 それによると、

1.オンラインコミュニティへの参加は不均衡になる
2.オンラインコミュニティにおける学習の達成度も不均衡である
3.既有知識、経験があるかどうかが、学習の達成度に関連する

 ということらしい。

 この結果には、大変納得がいく。

 オンラインコミュニティにおいて「放っておけば学ぶだろ」とか、「放っておけばみんなで助け合うので、みんな、ある程度の達成度をクリア出来るだろう」と思うのは大きな誤りである。

 当然の事ながら、「ある程度の知識のない人が、オンラインの場に行ったからといって、急にできる人になるわけでもない」。

 もちろん、これらの特徴は悲観するべきものではない。
 問題は、工夫をこらして、それらを、どのようにカバーするかである。

 先日、人づてに、ある仮説を聞いた。

 オンラインでの学習で、ドロップアウトするかしないかは、一番最初に学習者が取り組むタスクの量、難易度に依存するのではないか、という仮説である。

 もちろん、これはオフラインにもいえることかもしれないし、経験的に、何となく我々が知っていることもかもしれない。しかし、これがもし正しいとした場合、それに従って、いくつかの機能やタスクを開発することで、先ほどの「参加の不均衡」をある程度は是正することができるのかもしれない。

 わずかな工夫でも、それを積み重ねることが重要だ。
 塵も積もれば山となる、である。

投稿者 jun : 2006年7月 2日 10:08


北千住の「バードコート」に行ってきた!

 東京でもっとも予約がとりにくい「焼鳥屋」のひとつ、「バードコート」にでかけた。このお店、いろいろな方のblogで絶賛をあびているお店です。

やまけんの出張食い倒れ日記
http://www.yamaken.org/mt/kuidaore/archives/000033.html

 かつてライブドア前社長の堀江貴文さんが足繁く通ったことでも有名ですね。独自のルートで奥久慈から軍鶏を仕入れているそうです。

バードコート
最寄: 北千住
電話: 03-3881-8818
住所: 東京都足立区千住3-68
定休: 日曜・月曜
平日: 17:30 - 22:30
土曜: 17:30 - 22:30
http://tokyo.gourmet.livedoor.com/item/map?CNT=x12E139.48.25.2N35.44.53.2&MAP=E139.48.25.2N35.44.53.2&item_id=5638

 アンティパスト(焼鳥屋もこういうのか)!?は、絶品という噂の「レバーのパテ」から。もちろんのことながら、全く臭み等はなく、酒肴として申し分ない。パンにつけて食べるのだが、パンを何枚もおかわりしてしまった。

 焼き鳥はコースのものを注文。こちらの食べ具合を見ながら、だしてくれる。感動的だったのは、レバー、つくね、などか。

 レバーは、表面がカラッと焼けているが、なかはクリーミーなまま。ただ、もちろん臭み等は全くなく、上質のクリームを食べているようである。

 実は、わたくし、レバーは苦手なのです。昔、子どもの頃かな、たぶん、「イキの悪いレバー」を食べて吐いたのがトラウマになって、それ以来、食べようとしなかった。そうね、ふだんは全く食べられないのですけど、ここのレバーは食べられました。

 つくね。これには、生玉子の黄身がついてくる。この黄身をつぶして、つくねをdipして食べるという趣向。つくねもさることながら、この黄身が甘く、うまい。ごはんにかけて、しょうゆをたらして、食べてしまいたくなること請け合いである。

 しめは、やはり親子丼を注文。軍鶏の肉は、コリコリと弾力のあるもの。その上に、先ほどの黄身がとろける一品。至福のときであった。

 値段は、二人で12000円ほど。上記以外にも、軍鶏の刺身やら、サラダやら、まぁ、いろいろと注文している。おすすめの焼鳥屋です。

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 予約はかなり前もってとる必要があるでしょう。ちなみに、僕の場合、一週間前にとりました。で、予約がとれたのは「9時半からのカウンター席のみ」だけでした。

 おはやめにどうぞ!

投稿者 jun : 2006年7月 1日 10:43