大人と子ども

 大人と子どもの差とは何だろうか?

 先日見たテレビドラマ「サプリ」では、こんな台詞があった。クリエイティブ・ディレクターを演ずる佐藤浩市は、イマドキの若者、亀梨和也にこう諭す。

 悪くなくても、謝るのが大人
 悪くても、謝らないのが子ども

 なるほど・・・それはその通りだろう。
 仮に「すみません」を字義通り解釈するならば、大人はいつも謝っているような気もする。

 僕は、こうも思う。

 追い込まれたときに、周りを不快にするのが子ども
 追い込まれたときこそ、周りを安心させるのが大人

 社会人として働いていると、どんな仕事でも「追い込まれるとき」は必ずやってくる。そして、そういうときこそ、人間の本性、人間の器がわかる。

 子どもは「周りを不快にする」し、ヒドイ場合には「周りに気をつかわせる」。
 大人は、こういうときに「周りを安心させる」ことができる。また、こういうときこそ、「みんなを一致団結させること」ができる。「周りの人」にとって、この差はとてつもなくでかい。

 さらに悲劇的なのは、「周りを不快にしている」ときには、当の本人は「追い込まれている」が故に、気づかないことである。「あの人とは、次は仕事をしたくないな」・・・そういう認識が周囲に広がるのに、長い時間はかからない。

 僕も「追い込まれること」は多い。

 オマエが、テンパッて、どうする?

 そんなときは、いつも自分に言い聞かせる。