大学院の「研究室」!?

 大学院の「研究室」というのは存在しない。

 といったら、訝しがる方もいるだろう。
 もちろん、大学には物理的、空間的に「研究室」、つまり「部屋」は存在する。僕がここで言いたいのは、そういうことではない。

 ここで僕が「存在しない≒想像の共同体である」とみなせるのではないか、と主張しているのは、

 東京大学大学院 学際情報学府 中原研究室

 という類の、「○○研究室」とよばれる集団のことである。

 多くの大学院生が、「自分は○○研究室に所属しているぞ」と思っている。つまり、確固たる「所属組織」として「○○研究室が存在しうる」と感じていると思う。

 しかし、この○○研究室というものは、法的にはもちろんのこと、多くの大学においても制度的に位置づけられたものではないと思う(もしかすると、それは僕の関係する大学院だけかもしれないので、確信はない・・・以降の議論は、少なくとも、僕の関係する大学院では、という前置きをすべての文章において必要とする)。

 むしろ、どちらかといえば、慣習的に「○○先生の研究指導を受けている人たちの集団」、あるいは「研究指導を行うゼミの名前」を、そう呼んでいるだけであることが多いのではないかと思う。

 ○○研究室が法的にも、また、制度的にも位置づけられたものでないという可能性を有するということは、その「際」、つまりは「研究室とウチとソトをわける境界」も本来非常に曖昧だということである。
 教員によっては、自分の共同研究者、あるいは、自分の研究にゆかりをもつ人々までをメンバーに含めて、「○○研究室」と呼んでいる人もいる。
 さらには、何をするか、も別に法的、制度的にきまっているわけではない。つまり、目標も活動方針も所与のものではない。

 つまり、そこには「明確な境界」がないことに加え、「メンバーシップの基準」も存在しない。「共有する目標」も、「活動」も、所与のものとして決まっているわけではない。すべては、研究室ごとに「決定」されるべきことがらである。

 「大学院の研究室」とは、そういう「不思議な組織」である。
 こんな不思議な組織をどうやってマネジメントするか。大学院の教員の中には、そのことに苦心している人も多い。

  ▼

 僕は経営学者ではないので、研究室のマネジメントについて、確固たる手法をもっているわけではない。
 一般に営利組織のマネジメントよりも、非営利組織のマネジメントの方が、独特の難しさがともなう。研究室は、その最たるものだと思う。

 でも、少ない経験と教訓をもとに、ひとつだけ言えそうだな、と思うのは、研究室に所属するすべてのメンバーが、研究室全体、あるいは、研究室のメンバーがなしとげたいと思っていることを、「自分のこと」として理解し、時には手をさしのべ、ときには健全な批判や支援をなしうること、である。
 一言でいうならば、「相互に貢献しあう関係」「相互に学び合う関係」が必須ではないか、ということである。そういう意識を、研究室のメンバーがいかにもちうるか、ということである(もちろん、これは、どの研究室にもあてはまることではない。少なくとも、僕に関する限りは、という限定付きで、そう思う)。

 自分は、「学生」なんだからサービスの受け手。「研究室」はあってアタリマエ。教員は何かをしてくれてアタリマエ。「誰か」が何かを与えてくれてアタリマエ、といった「お客さん意識」では、想像の共同体は、それこそ「想像の中」のものになってしまう。

 研究室とは、知的興奮にあふれる一方、常に「揺れている」。
 あなたが他者に何かを為し、為される関係。あなたが学び、あなた自身が学ばれる関係の中に、それはある。

投稿者 jun : 2008年9月30日 09:04


リーダーシップ研修は肥大する!?

 ちょっと前のことになるけど、あるプロジェクトで、巷で実施されている「リーダーシップ研修」のカリキュラムの比較分析を行ったことがある。

 どういう人材を育てることを目的として
 どのような内容が
 どのような順番で
 どのような手法で
 どのくらいの分量で教えられているか?

 を調べた。

 比較といっても、短時間のことであったので、きちんとしたデータに基づいているわけではないけれど、おおよその傾向は掴むことができた。
 現在、さまざまな組織で実施されているカリキュラムを目の当たりにして比較するのは、はじめてのことだったので、非常に面白かった。

  ▼

 その感想を一言でいうと、

「リーダーシップ研修は、"不足"しているか、"肥大"しているかのどちらか」

 であるように感じた。

"不足"とは、教育内容に不足が生じており、「本当に、これだけに内容を学ぶことで、リーダーシップを現場で発揮することが期待できるんだろうか」と首をかしげたくなるもの。

"肥大"とは、あの内容も、この内容も、その内容も、研修内にぶち込まれているので、研修内容が過剰負荷になっているもの。「こんなに責任を負わされるのなら、リーダーなんて辞めちゃいたくならないのかな」と疑問に思ってしまう内容。

 いずれにしても、

 どのような人材が"リーダー"であり、
 彼/彼女に、どんなリーダーシップを発揮してほしいか

 が不明瞭である、あるいは非明示であるために、このような過不足が生じているような気がした。つまり、一言でいえば、「カリキュラムの設計ミス」である。

 ▼

 そういば、先日、ある地方公共団体の人と話しているとき、こんな話を聞いた。

「数年ほおっておけば、リーダーシップ研修は、すぐに2倍、3倍の分量になっていきますよ・・・難しい問題が生じたら、すぐにそれに対応することがリーダーの責任になるから。」

 この言葉を仮に「真実」だとすると、リーダーシップとは、よくいえば「魔法の杖」、悪くいえば「肥だめ」のようなものだと把握されている傾向があるように思う。

 学習内容の中には、

 それってリーダーの仕事ですか?
 それってリーダーシップで解決できる内容ですか?

 と疑義をさしはさみたくなるものが、少なからず含まれる可能性がある。

 ▼

 いずれにしても、ここは「リーダーとは何か?」「リーダーシップとは何か」を「地道」に考える必要があるだろう。

 僕の知っているいくつかの企業の中には、世間一般のこととしてではなく、

 自分の組織にとって
 どういう人材がリーダーで
 どんなリーダーシップの発揮が求められるか?

 を、自社を対象にしたリサーチによって明らかにした上で、カリキュラムの開発を行っているところがある。
 その中には、リサーチの観点からいっても、「よくこんなに地道で面倒くさいことをやりましたね」と感嘆の声をあげざるをえないものもある。

 ▼

 まずは「把握」。
 「設計」はその後でも間に合うのではないだろうか。

 話は、それからである。

投稿者 jun : 2008年9月29日 09:26


鷲田清一著「てつがくを着てまちを歩こう」を読んだ!

ファッションは決して、わたしたちの存在の「うわべ」なのではない。それは魂のすべてではないけれど、単なる外装ではなく、むしろ魂の皮膚である。

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 最近、鷲田清一氏の一連の著作を読んでいる。鷲田氏といえば、1980年代、現象学やモード論などを下敷きに、ファッションをはじめて論じた日本の哲学者である。現・大阪大学総長。

 1980年代、鷲田氏が、ファッションを論じはじめたとき、日本の哲学者の中にはファッションをまともに扱おうとする人はいなかった。鷲田氏がモード論を発表したとき、恩師から「世も末だな」とお叱りをうけたというエピソードも残っているそうである。鷲田氏は、異端の人であった。

 鷲田氏の著作の中では、特に、寺山修司の「書を捨てよ町へ出よう」をもじった「てつがくを着てまちを歩こう」は、僕のおすすめだ。非常にわかりやすい。

 同書からは、様々な示唆を得たけれど、「かっこよさ」や「際」に関するものが、よかった。下記、長くなるけど、引用する。

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「ひとがみな同じ感受性、同じ価値観でいるときに、そのノイズとなること。いわば、「はずし」の感覚、それが「かっこよさ」:というものの本質ではないだろうか。

(同書 p23)

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「際」といえば、ふつう、物と物との境、ある物が別の物と接するところ、あるいはあるものがそれでなくなるところを意味する。

髪の生え際、海の波打ち際。汀といえば、陸と水の接するところ、水際のことである。同じことは時間についてもいえ、「いまわのきわ」といえば、最期のとき、生死の境のことだ。

際というのは危うい場所である。異物と触れるところ、じぶんがじぶんでなくなりだすところだからだ。しかし、それはまた、エネルギーが異様に充満しているところでもある。

(同書 p93)

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 という具合に、話題は決してファッションだけに限られない。いろいろな示唆が得られる本だと思いました。よろしければ、ぜひ。

投稿者 jun : 2008年9月27日 06:12


帰国しました

 夏休みを過ごしていたハワイから昨日帰国しました。

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 TAKUZO、心の底から満喫できたようです。
 よかった、よかった。

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 今回は、砂場遊びもしました。

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 今回は義理の妹の結婚式だったのですが、こちらも、ちゃんと出席できました。おめでとう、末永くお幸せに>Tくん、Mさん

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 TAKUZOは道中、めちゃくちゃ元気でした。あんまりはしゃいでいたので、この後、具合が悪くならなければいいのだけれども・・・頼むぞ。
 ちなみに、今日、TAKUZOは時差ボケで朝4時に起床です。で、僕がこうして起きている(笑)。

 週末まで休んで、週明けから本格始動します。

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投稿者 jun : 2008年9月26日 05:55


お休み

 19日から中原は休暇に入っています。メールへの返事はできません。携帯も通じません。あしからずご了承下さい。

 次の仕事復帰は29日になります。
 それでは皆さん、しばしのお別れです。
 ごきげんよー。

投稿者 jun : 2008年9月19日 00:01


腹をくくる

 科研申し込みのシーズンが近づいている。聞くところによると、10月後半が〆切らしい。僕は今年で、科研が切れるので、何か新しいプロポーザルを書かなければならない。

 科研のプロポーザルは、種類をかえれば、2つまで提出できる。1つはおおよそ決まった。こちらは従来から行ってきた開発研究を発展させるというかたちで提出しようと思う。提出の際には、研究室の大学院生に協力してもらえることになった。

 問題は、もう1つ新しいプロポーザルを出すか出さないかであった。全く新しい研究に着手するかしないか。数日うんうん言っていたのだけれど、昨日の夜、ようやく決めた。結論は「出さない」である。

「出さない」からといって、決して、「後ろ向き」なわけではない。むしろ、ここでまた新しいフィールドに着手するより、今年までやってきたことを、きちんとまとめることが「来年の課題」ではないか、と考えた。「企業人材育成」の研究成果として、今やっていることをまとめることが、今僕の取り組まなければならないことだと思っている。

 実は、昨年から今年にかけて、僕は、外部の民間企業、公益団体と、いくつもの異なる調査研究を行っている。

 1つは、富士ゼロックス総合教育研究所の坂本雅明さん、西山裕子さん、井形有希さん、小串記代さん、小樽商科大学の松尾先生との共同研究である。

 若手・中堅社員は

 1)社内外のどういう人と“かかわり”を持ち
 2)そこから何を得て、
 3)どのような自己の成長につなげているか

 を調べることを目的とした2000名規模の大規模調査だ。こちらは12月に、人材開発白書2009として出版される予定であり、記念のシンポジウムも開催される。どうぞお楽しみに。

 この他にも、まだオープンにしてよいかどうかわからないので具体的言明は避けるけれど、「人事教育部のネットワーク行動に関する調査」「組織学習の尺度開発に関する調査」、そして2006年に行った「ワークプレイスラーニング調査」など、いくつもの社会調査がある。

 いずれも、「プレプレ調査」「プレ調査」「本調査」の段階を踏んで実施した研究だ。今は、これらの知見にきちんと向き合うことが重要なのではないかと思った。

 しかし「まとめる」とサラリに言うけれど、これは大変なことだ。なかなか筆が遅々として進まないことが容易に(笑)、予想できるのが怖い。

 しかしここは「腹をくくること」が重要なのではないかと思う。そして、「腹をくくること」は、何かを諦めること、何かを切り捨てること、あるひとつのことに集中するということなのであろう。

 腹をくくろう、そろそろ。

投稿者 jun : 2008年9月18日 09:31


飲み会とメーリングリストは、会社を亡ぼす!?

 先日、産業能率大学の長岡先生、ダイヤモンドのMさん、Iさんと話していたとき、こんな話になった。

「飲み会とメーリングリストは、会社を亡ぼす」

 もちろん、この言葉は、ややセンセーショナルに演出された「比喩」であって、字義通り受け取ってはいけない。飲み会も、メーリングリストも、それ自体には、何の「咎」もない。

 しかし、我々は、これらを「コミュニケーション手段」として過度に信頼をよせ、過度に依存してはいないだろうか。
 それらをもって「コミュニケーションがとれている気」になってはいないだろうか。
 実際にはコミュニケーションがとれていないのに、「コミュニケーションができている」と錯覚することで、職場はさらなる「コミュニケーション不全」に陥るのではないだろうか。これが、先日、僕たちが話していたことであった。

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 飲み会は、俗に「飲みゅケーション」とよばれる。日頃、心の中にたまっていることを吐き出し、言いたいことを言い合おうという趣旨である。

 しかし、はたと振り返ってみるとき、「本当に、我々は、飲み会で、コミュニケーションをしていたか」と問われると、いささか心許ない。

 確かに「言いたいこと」は言い合っていた。つまり、あなたの話は「伝達」していた。

 しかし、他者の話を「あなた自身は、ちゃんと聞いていたか」というと一気に威勢が悪くなる。
 多くの場合、飲み会では、相手の言っていたことを、「聞いていないこと」が多い。あるいは「聞いて」はいても、忘れてしまっていることが多いのではないだろうか。

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 次にメーリングリスト。
 メーリングリストは、誰でも、メンバーに一斉にメールを同時配信できる便利なメディアである。

 このツールは、多くの職場でもっとも頻繁に利用されており、もはやこれなしで仕事をしていくことが難しい。プロジェクトごと、部課ごとにメーリングリストがつくられ、「コミュニケーション」がなされている。

 しかし、私たちは、本当にメーリングリストで「コミュニケーション」をしているだろうか。原理的には誰もが情報を発信できるということをもって、「インタラクティヴにコミュニケーションできている気」になってはいないだろうか。
 多くの場合、固定化されたメンバーが、一斉に情報を「伝達」するメディアとして利用されてはいないだろうか。

 よく私たちは、会議で時間がなくなると、

「あとはメーリングリスト上で議論しましょう」

 といいがちである。

 しかし私事で恐縮だが、会議の終わったあと「メーリングリスト上でちゃんとした議論がなされたこと」など、僕は、寡聞にして知らない。せいぜい、会議の議事録が送られてくるくらいである。

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 飲み会やメーリングリストに共通することは、一見したところ、我々はそれらを「インタラクティブで、コミュニケーションがとれているように錯覚してしまいがち」だということである。

「飲み会をやっているから、コミュニケーションがとれている」
「メーリングリストがあるから、コミュニケーションがとれている」

 という風に考えがちだ。

 しかし、実際には、それらでコミュニケーションがとれている事例はさほど多くはない。これらを通して、僕たちは、人と人が相手の言っていることを聞き、考え、理解し、自らの意見を発信している事例はそれほど多くないことに気づかされる。

 むしろ、一方向的に情報を「伝達」する機会やメディアとして利用されていることが多いのではないかと思う。

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話が長くなった。

「飲み会とメーリングリストは、会社を亡ぼす」

 というのは、もちろん比喩である。どちらも、とても重要なコミュニケーションチャンスであることには間違いない。

 しかし、私たちが考えているほど、飲み会やメーリングリストでは、我々は相互に向き合えないことが多いし、ちゃんと話せないことが多いことも、また事実ではないかと思う。その限界を知った上で、過度の「依存」や「思いこみ」を避けることが重要であろうと思う。

 じゃあ、どうすんの?

 この続きに関しては、僕と長岡先生の共著(ダイヤモンド社刊)で、お話しします。なんじゃそら、とお叱りを受けそうなオチだけど(笑)、ぜひお楽しみに。

投稿者 jun : 2008年9月17日 08:54


Unconnected life

 Unconnected life...

 いろいろ思うところがあって、これから、そういう生活をすることにしました。休日や午後8時以降は、ネットは見ない。メールも返信しない、携帯も一切でない。

 思えば、僕は「ネット中毒」になっていたのかもしれません。プライベートにまで「テレワーク」が拡大し、仕事と休みの区別がありませんでした。どんどんと体調が悪くなり、特に肩こり、腰痛はヒドイものがありました。

 常にネットに「つながっている状態」になっていて、本来自分がやりとげようとする「クリエイティブな仕事」に、よくない影響を与えていたようにも思います。

 もちろん、アンプラグドといっても、完全アナログ生活に戻れるわけではありません。もはや「デジタル」は「所与」であり、「前提」なのです。
 ほおっておけば日々拡大していく、「デジタルな生活」から、いかに距離をとり、かつ、いかにつきあっていくか。

 これが課題です。

 ---

追伸.
 TAKUZOに風邪うつされた・・・。
 トホホ。

投稿者 jun : 2008年9月16日 07:09


美容院

 TAKUZOを美容院に連れていきました。前回の散髪では、かなり暴れたので、戦々恐々としていましたが、今回はなぜか全く動じず。なぜ?

 ま、いいか。
 というわけで、こんな感じになりました。

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 ---

追伸.
 最近、たくさんの言葉を話すようになりました。「くぁい=怖い」「ごっちん=ごちそうさま」「おいしー=おいしい」「おかあい=おかわり」などなど。時には意志疎通ができることもあります。「TAKUZO、まんま、そろそろ食べる」「うん」などという風に。感動だね。

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 限定的ではありますが、「パパ、いない」などの二語文もちらほらでてきています。口にするフレーズが「パパ、いない」ってのが、悲しいけど。たしかに先週はほとんど自宅にいなかったなぁ(反省)。

 最近、オモチャよりも本を好みます。もっともお気に入りなのが、エリック=カールの「はらぺこあおむし」です。読んでと何度もせがみます。今日は朝から3000回くらい読みました(泣)。読みますよ、読まさせていただきますとも、何度でも。

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投稿者 jun : 2008年9月14日 13:55


離島の高校

「このままだと統廃合の議論がはじまりかねない離島の高校。その魅力を、何とか向上させたい」

 ある離島の教育委員会につとめる若者I君の「情熱」にすっかりやられてしまい、この数日間、離島を訪問していました。

 今回ご一緒したのは、コンサルタント(ファシリテーター)のSさん、映画監督のHさん、そして僕という、風変わり?なメンバー。(なぜ、このメンバーで出かけたのかという経緯をお話しすると長くなるのですが、もちろん、そこにはちゃんとした理由があります。それにしても、異分野の専門家の方々との会話というのは、非常に面白いですね。僕が思いもしない角度から、僕が思いもしない指摘をします。とてもおもしろくエキサイティングな時間でした)

 わずか2日間の滞在でしたが、町長、議会の議長、教育長、高校の校長、中学校の校長、小学校の校長、現場の先生方など、様々な人々にお会いし、お話を伺いました。島の人の、ダイレクトで、かつ濃密なコミュニケーションを垣間見た2日間でした。

 あくまでも、今回お話をうかがった中での話ですが、僕には、何となく「問題の構造」がわかりかけてきました。
 感情や先入観を押し殺し、「高校」や「高校の魅力化」という事柄に対して、誰が、どのような「語り方」をするかに注目していくと、そこには確かに「問題の語られ方のパターン」があるように感じたのです。もちろん、それが確かなものだと判断するためには、より詳細な調査が必要になることは言うまでもありません。

 しかし、重要なのは「外部者の、明日あさってで本土にかえってしまう、僕が見た問題の構造」ではないし、ましてやそれを「伝えること」ではありません。

「高校」に関係する様々な人々が、それぞれの立場から意見をいいあい、「高校の魅力化」をいかに実現するかについて考え、自分たちで「問題の構造」を理解し、かつ「合意」をはたすことが、何よりも重要ではないかと思っています。

 これは「言うは易く、行うは難し」ですね。現実はそんなに甘いものではないし、長い時間がかかることかもしれません。が、結局、そうする他はないのではないかと思いました。

 あと1時間でフライト。
 久しぶりの、ほぼ1週間ぶりの東京です。
 家族にあうのが楽しみです。

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投稿者 jun : 2008年9月12日 11:40


日本教育工学会・自称若手研究者のネットワークキングの会

 今年の日本教育工学会は、10月11日~13日の日程で、上越教育大学で開催されます。

日本教育工学会 24回大会
http://www.jset.gr.jp/convention/index.html

 つきましては、毎年恒例の「若手飲み会:Learning of Tomorrowな自称ワカモノたちの飲み会」が、10月12日に企画されています。東京工業大学の御園真史さんらが中心になって、すすめているイベントです。

Learning of Tomorrowな自称ワカモノたちの飲み会
http://labs.m-mode.net/wakamono/

 参加者は毎年100名弱。はじめて教育工学会に参加する方でも、毎年参加していただける方でも、よいネットワーキングの場になると思います。

 参加申し込みは9月5日までです。ふるってご参加下さい。僕も当然ですが、参加します!

 上越でおあいしましょう!

投稿者 jun : 2008年9月12日 07:00


寝言

「中原さんは、寝ているときに、時々、息苦しそうになるときがある・・・」

 先日、合宿で一緒の部屋に寝ていた同僚の先生に上記のようなご指摘を受けた。

「大丈夫か、オレ? もしかするとヤバイんじゃないの?」

 と思いつつ、ネットで調べたら、下記のようなサイトを発見。こちらは「息苦しい」のではなく、「寝言」であるけれども。

夫の寝言
http://nekopanda.tea-nifty.com/negoto/

 「コマネチ始まります。
  コマネチコマネチコマネチ」

 って、すごい寝言だなぁ(笑)。
 かなり笑えた。
   ・
   ・
   ・
 と笑っている場合でもないね、僕は(笑)。もしかすると、ストレス? ちょっと気をつけてみます。

---

追伸.
OECDの発表する、教育に対する公財政支出の割合。アイスランドが7.2%でトップ、次いでデンマーク6.8%、スウェーデン6.2%と北欧の国が続き、日本は3.4%と、データのある28カ国中最下位。

教育への公的支出、日本最下位 家計に頼る構図鮮明
http://www.asahi.com/national/update/0909/TKY200809090332.html

 「教育」に多くを求めながら、「教育」には、あまり金をかけない!?
 これは公教育だけではないのかも。

投稿者 jun : 2008年9月10日 04:59


すべてここにある!? ジョン=デューイの思想

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 「明日の企業教育」、どうなる? 
            きっと・・・こうなる!

 10月31日 東京大学・安田講堂 お申し込み受付中!
 ついに満員御礼:700名を突破!
 ありがとうございます。
 皆様からの強い御希望にこたえるため
 二階席もオープンすることにしました
 さらに数百名募集を行います
 お申し込みは、お早めにお願いします!

 ---

 合宿3日目。今日が最終日になります。ジョン=デューイとアン=ブラウンを読みました。

 ジョン=デューイ(1859-1952)は、僕が、もっとも影響を受けた思想家であり、研究者の一人です。

「経験」「リフレクション」・・・現在、よく教育関係者が、自らの論説の中で引用する多くのアイデアは、「すべてここにある」といっても過言ではありません。

 デューイを読むたびに、「嗚呼、ここまで既に主張されているんだ・・・僕には何ができるんだろう」とため息がでてしまうことを、正直に吐露せざるを得ません。

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 デューイの思想は、他の教育研究者に比べて非常にわかりやすく具体的です。特に「経験と教育」「学校と社会」「民主主義と教育」などはハンディでおすすめです。

「えっ、あれも、これも、みんなデューイがモトネタだったの?」と驚かれることも多いと思います。おすすめです。

  

「真実の教育はすべて、経験を通して生じる」
(John Dewey)

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 きょう、久しぶりに東京に戻ります。
 ちなみに明日からは、島根県の某離島へ出張です。インターネットに接続できず、メールが読めない可能性が高いものと思われます。

投稿者 jun : 2008年9月 9日 11:16


スキナーの思想と生涯

 長野・軽井沢で、大学院の合宿中です。大学院生、スタッフ総勢30名くらいで、20世紀を代表する教育学者、心理学者について議論する、といった内容です。結構濃い会です。

 昨日は行動心理学者のスキナーでした。
 スキナーは、「教育をやっている人」なら知らないでいることが許されない研究者のひとりだと思います。彼のつくった「行動科学」のパラダイムは、のちの教育学や教育工学にも強い影響を与えました。

 しかし、学問に強い影響を与える学者というのは、同時にいわれのない批判も受けます。時にヒステリックに、エモーショナルに。そのことが、カタニアの下記の言葉にもあらわれています。

 昨今の心理学者のなかでも、スキナーは、おそらく、最も名誉があり、もっとも多く中傷され、もっとも幅広く認められ、もっとも誤って伝えられ、もっとも多く引用され、もっとも誤解された心理学者である
カタニア(1988)

 研究者とは、その主張がラディカルでイノベーティブであればあるほど、名誉とともに中傷も受ける。引用されると同時に、誤解もされる。結局、何をやっても、賛否両論なのかもしれません。

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 これから明日、明後日にかけて、ピアジェ、ヴィゴツキー、アン=ブラウンと続きます。個人的には、アン=ブラウンが楽しみであったりします。

 そして人生は続く。

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追伸.
 先日、TAKUZOを連れてお祭りにいきました。今年は「見るだけ」。来年は、お兄ちゃんたちと一緒に、山車を引けるとよいのですけど。

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 下記は「いないいないばぁ」の衣装です(市販されてる)。
 なんか、最近、背が伸びたなぁ。

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投稿者 jun : 2008年9月 8日 08:31


何を見て、何をなすべきか?

 今、仮に、アメリカの教育現場に視察に行った一群がいるとしよう。話をそこからはじめる。

 どこぞのエライセンセイが団長になって、何名かの教育研究者を中心に視察団が組まれる。バジェットは、国であったり、企業であったりする。

 視察団のメンバーのひとりが、現地の大学教員やコーディネータと連絡をとり、彼らをカウンターパートとしてスケジュールを決める。視察団のメンバーは、現地の人々から紹介されたいくつかの学校を回る。

 そこで見る「アメリカの教育」は、コラボラティブで(Collaborative)、シリアス=ファンで(Serious Fun)、民主的で(Democratic)、いわゆる教育研究者が夢見がちな「教育の理想」である。

 彼らは帰国後、シンポジウムやフォーラムなどをひらき、熱意とロマンティシズムをもって、「アメリカの教育」を扇情的に語る。

「アメリカでは・・・教育は○○のようである」
「アメリカの教育は・・・である」

 聴衆はすっかり「魅了」される。そして、いつしか、自国の教育を、それとは対置した「時代遅れのもの」として語るようになる。「魅了」はいつしか「焦り」に変わることもある。

 このような「情景」は、日本の「ここあそこ」で繰り広げられている。この手のシンポジウムに対するニーズは、不思議なほど高い。「外国では○○だ、だから日本は○○すべきという"では系・シンポジウム"は、なぜかどこも大入り満員である。

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 2004年、アメリカに留学する前の僕は、そのようなシンポジウムやフォーラムで語られる「アメリカの教育」を、あまり批判的に見ることのできない一人であった。

 しかし、留学後、一般論として「アメリカの教育」を語ることには相当慎重にならざるを得ないことを、僕は、他ならぬアメリカで、この目で学ぶことになる。

 たとえば、今、日本から視察団がくる。現地のコーディネータによって紹介される学校は、いわゆる「見栄え」のするものであり、いわゆる「ハイエンド」の、政府や民間企業からの資金が豊富にあり、教員の資質も高い学校である。
 もちろん、授業は、コラボラティブで(Collaborative)、シリアス=ファンで(Serious Fun)、発見的である。彼らにとってそれは、理想に見える。

 しかし、その数キロ先では、ドリル&プラクティスが中心の一方向的な授業で、全員が一度に席につくことすら希な学校がある。
 多くの生徒がマルチカルチャルな背景をもち、片親で、貧困にあえぎ、学校の窓には鉄格子がついている。

 これは極端な例もしれないけれど、実際にツテをたどって、自分の足で、何校か学校を回ってみると、それは日本の学校ほど均質化しておらず(よい意味で使っている)、「同じ学校だよねー」とひとくくりでなかなか語られないことに気づかされる。
 アメリカにある学校は、決して「アメリカの教育」として「ひとくくり」にはできないことに、厭でも気づかされる。

 学校が存在する地域の事情、そこに集う人々の社会的背景や文化的背景・・・様々な社会的要因が絡み合うところに、「学校」がある。もちろん、どの場所で行われている教育も「アメリカの教育」である。しかし、ハイエンド以外の教育現場は、決して「アメリカの教育」として語られることがない。なぜなら、教育研究者は、それを「見ていない」から。

 自戒と懺悔をもって明言するなら、視察団の中には、アメリカの学校が100校あったとしたら、その1%、いや0.1%にも満たない「ハイエンド」をもって、「アメリカの教育」を熱意をもって語っていることも少なくない。

   ▼

 もちろん、視察団が見た「アメリカの教育」も、その「一面」である。限られた時間の中では、限られた情報しか得られない。それはやむなきことである。しかし、「アメリカの教育」を語るとき、そこには、実際にはたくさんの「括弧がき」があるはずである。

 わたしの見たものは、(ボストンの、比較的裕福な地域の、多くの親が大学関係者である)アメリカの教育現場である

 という風に。

 その「括弧がきの中身」が漂白され、さらには過剰に一般化され、「アメリカ」として語られるとき、そこには本来「語り得ぬもの」を「語っていること」に、どれだけ、わたしたちは - 否、僕は、自覚的であり得たか。そのことを、どれだけわかっていたか。

   ▼

 いったい「アメリカの教育」とは何なのか?

 なぜ、視察団である自分たちは、「アメリカの教育」として、「ハイエンド」を見ざるをえなかったのか?

 さらに厳しく問うならば、

 教育研究者、否、僕が見ることのできる「現場」とは、いったい「何」なのか? 

 さらには、そもそも、外部にいる僕には「現場を見ること」ができるのか。

 話のきっかけは、たかが「アメリカの視察」の話だったけど、ここには、実は、「研究者と現場」をめぐる、「底なし沼のような問い」が隠されている。

 ---

 正直にいう。
 最近、僕はわからなくなってきている。

 大学院を出てから数年間は、少なくとも研究の方向性について「悩みらしきもの」はなかったのだけれど、ここにきて、30を過ぎて、どうも、僕にはわからなくなっている。

 その「わからなさ」を一言で述べるならば、

「どのような現場を見て、どのようなテイストの知見をだしていくことが、教育研究者として、 - 否、一般的に、教育研究者がいかに仕事をするべきか、など僕には興味はない - 他ならぬ"僕"としては、納得できるのか」

 ということである。

 少し現場の人と話せば、現場に通常身をおくことのない僕にとって、ハイエンド以外の教育現場を目にしたり、耳にしたりする機会がそもそも閉ざされていることに気づかされる。
 つまりは、僕が目にしているものは、「現場の一部」であって、「現場のすべて」ではない。僕は「現場の人」ではないから、それはある意味で仕方がない。

 加えて、大学や研究の現場では、常に「オリジナリティ」が求められている。
 だから、「今現在、どんなに現場で課題になっていること」であったとしても、「過去に一度でも考察され、過去に先行する研究が存在」していれば、二度と同じかたちで、それを行うことはできない。
 否、してもいいけど、それは「コンサルティング」であって、いわゆる「研究」としては認められない傾向がある。だから必然的に、「ハイエンド」を追い求める宿命にある。

 ここで二つの選択肢がある。

「ハイエンド」を見て、それを分析・研究し、「これからはこうなる」と「さらにハイエンドな教育現場」を提案したり、その成功要因を明らかにしたりすることが、僕に求められていることなのか。否、僕がやりたいことなのか。

 いや、違う、「ハイエンド」ではない、残りの99%の普通の、一般的な、ハイエンドではない教育現場で、「今、求められていること」の処方箋を現場の人と考えることが、僕のやりたいことなのか。

 どちらも、それなりの理屈はとおる。

「大学とは、学問とは、カッティング・エッジな研究や実践を通して、未来を提案するべきである」

 あるいは

「大学とは、学問とは、今、現場で課題となっていることを考察し、処方箋を提供するべきである」

 心ある研究者にとっては、あまりに「初歩的な問い」なのかもしれないが、正直、僕には今、踏ん切りがつかない。時に右にふれ、時に左にふれる。ここが、僕はどうも一貫していない。

 もちろん、一貫性は保つ必要はないのかもしれない。矛盾や葛藤を自覚しながら、両者を抱えることしかないのかもしれない。

 しかし、いずれにしても、まだ僕はどの選択肢に関しても、「メイクセンス」していない。それには、もう少し時間がかかりそうな気もする。

 なんだか、最近、モヤモヤとしている。

投稿者 jun : 2008年9月 5日 09:11


意志決定の早い人は!?

 先日のLearning barで、野村総研の永井さんがお話していた内容に下記がある。「我が意を得たり」と思ったので、このブログでも、ご紹介する。

  「意思決定の早い人」とは
     「意思決定に時間をかけている人」である。

  ▼

 このパラドクスの意味するところはこうだ。

「意志決定の早い人」というのは、「情報をインプットされたそのときから、ものを考え始めるのではない」ということである。むしろ、「意志決定を迫られる前に、十分な時間をかけてものを考えている人」が「意志決定」を早く行うことができる。

 意志決定を迫られるずっとずっと前から、そのことについて考え、事態の推移に予測をめぐらし、自分の意見をもち、判断基準がクリアであるからこそ、「いざ、意志決定を!」というときには、「素早い意思決定」ができて「いるように見える」のである。

 「水面下での、地味で綿密で、時間をかけた思考」が、「素早さ」を支えている。
 「意志決定が早いこと」とは「意志決定に時間をかけない」ということを意味しない。むしろ「意志決定に水面下で時間をかけていること」を意味するのである。

  ▼

 これ、面白いですね。
 僕は、「ほほー」と思いました。

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 月並みで恐縮だけど、やっぱり「地道に考えること」しれませんね。「地道さ」は「素早さ」につながる。

投稿者 jun : 2008年9月 3日 11:29


聞く営業!?

 先日、ある研修企画担当者から、下記のような質問を受けた。

「民間の教育ベンダーから、たくさんの営業の方が、お見えになります。が、どういう方とおつきあいをしていけばいいのでしょうか」

 僕は、企業で働いた経験はないし、営業に関する研究もしたことがない。研修を売ったことも、買ったこともない。営業教育などは、全く知らない。
 なので、上記に対して「データ、セオリー、経験の裏打ちのある答え」が出せるわけではない。あくまで「仮にもし自分だったら」という仮定法で、論を進める。

 しかし、自分の「数少ない経験」と「過剰なまでにたくましい想像力」を働かせて、上記の問いに対して「僕なりの答え」を出すのだとすれば、下記の一言につきるような気はする。

「もし仮に僕だったとしたら、"しゃべる営業"よりも、"聞く営業"を選ぶんじゃないかな、と思います」

  ・
  ・
  ・

 なぜか?

 それは、「教育現場とは、いつも、個別具体的である」という僕の信念によるところが多い。

 教育現場には、その現場ごとに「状況」や「事情」があり、「認知的課題」「政治的課題」「倫理的課題」がある。
 現場をコントロールする人々の社会的関係も様々である。もちろん、彼らに科せられている、目に見えない「制約」や「負担」も様々である。

 そうであるとするならば、僕が顧客の立場だった場合、営業の担当者にまず願うことは、「しゃべること」 - 自己の製品やサービスをあの手この手を使って、オモシロオカシクPRしてもらうこと - ではない、ように思う。

 それは「最後には必要なこと」であるが、「まず一番最初に必要になること」ではない、と僕なら考える。

 僕ならば、「しゃべることを僕が聞く」よりも、「まずは、僕が話す現場の事情をじっくり聞いて欲しい」と願う。
 十分なヒアリングを通して得た「自分の理解」を語ってくれる営業の方と、おつきあいしたいと、僕だったら願う。

 かくも、不確実で、朧気で、曖昧な「現場の状況」を、コミュニケーションを通じて理解しあい、「学習目標」として明示化していける方とパートナーシップを組みたいと願う。

 ---

 先日、民間ベンダーの研修開発担当者と話をしていたときも、「営業」の話になった。

 自分は研修開発担当者として、なるべく「現場に即した教育プログラム」を開発したいのだけれども、営業の中には、「研修を企画するのに必要な情報」を全くインプットしてくれない人も少なくない、のだという。

 下記のようなやりとりがなされることが多い、とのこと。

   ▼

営業「○○社さんから、OJT指導者向けの研修の開発依頼がありました。結構、いい値段をつけてくれそうなんですよ。ぜひ前に進めたいんですよね」

開発「いいけど。どういう話?」

営業「OJTが問題らしいです」

開発「問題ってどんな?」

営業「OJTがスタートしているんですが、OJT担当者によってOJTにばらつきがあるから、なんとかしたい、そうです。」

開発「ばらつきって、どんな? 何が、どんな風に、ばらついているんだろう?」

営業「・・・・人によってバラバラみたいですね」

開発「人によって違うのは、アタリマエじゃん。OJTのやり方がバラバラなの? OJTへの姿勢がバラバラなの? OJTの成果がバラバラなの?」

営業「バラバラらしいです」

開発「・・・・・なんとかしたい、って何をどうしたいの?」

営業「他社がどうやっているとか、今のトレンドとかを組み合わせて、研修をつくること、できませんかね?」

開発「あのね。そんなんじゃ、研修つくれないよ・・・もう一回、聞いてきてくれる?・・・もういいや、一緒に行こうよ」

   ▼

 もちろん、営業の方には、事情があり、言い分がある。

 顧客から持ちかけられる相談というのが、いつも、もれなく「バクッ」と、曖昧としている。
 限られた時間の中で「霧の摩周湖状態の顧客の思い」から、「重要な課題」を抽出し、開発担当者の求める「学習目標」を抽出することは至難のワザであったりする。

 ある重役に呼ばれて、こう言われる。
「うちの組織は元気がないから、研修で活性化してほしい」
 よくよく他の人に話を聞いてみると、「その重役」が「諸悪の根源」だったりする。そんなとき、何を「提案」すればよいのか。「こっそり教えますけど、あなたが原因みたいなんですよ。研修じゃ、そら何ともなんないな」そう言いたくなるのをぐっと我慢する。

 ある担当者にこう言われる。
「最近、Yesマンが多くて困っているから減らしてほしい」
「それは研修で対応できることなんでしょうか」と思わず口からでてしまうこともないわけではない。

 中には、「本音を言えば、やってることになっていればいいから。安くやることが重要だから」と嘯く顧客もいる。おおよそ、「やること」と「値段」のことしか興味がない。

 開発担当者や研修講師にも言いたいことはある。中には、「現場の事情」や「経営の事情」などには興味がない「先生」もたくさんいる。「教える世界」に閉じこもって、決して、顧客の生きる世界に耳を傾けようとしない。

「僕は教えるプロである。教えること以外には興味はない。こちらの手持ちのネタの範囲の中から、何を受講者に提供すればいいのかを言ってくれ」

 という人もいないわけではない。
 ---

 育成担当者、開発者、営業担当者・・・企業研修にからむステークホルダーは様々である。それぞれの人々ごとに「思惑」があり、「事情」があり、「言い分」がある。

 でも、そのことは重々承知しつつも、やっぱり僕は思う。

 結局、現場に根ざした教育を生み出すためには、「それらのステークホルダーが、コミュニケーションを通じて、現場に対する理解を、相互にいかに深めあえるか」ということにかかっていると思う。

「現場に根ざした教育」とは、ひとりの担当者、ひとりの営業、ひとりの研修開発者、ひとりの研修講師だけで達成されるものではない。「現場にねざした教育」は、彼らのあいだに構築された「相互理解」、協調、協力のもとに、はじめて「達成」されるものである。

 そして、営業は、その最も「先鋭」を走る人物であり、かつ、ステークホルダーたちのコミュニケーションの「メディエーター(媒介者)」となることを期待されている。だから「聞くこと」は重要なのではないか、と思う。

 だから、もし仮に僕が担当者だったら、「最初から饒舌な営業」はきっと好まない。
 研修や教育というものが、「かたちのないサービス・商品」であるからなおさらだけど、「きちんと話を聞いてくれる方」とお付き合いしたいと願うのではないか、と想像する。 

 ---

追伸1.
 昨日9月1日から、「ワークプレイスラーニング2008」の募集がはじまっています。今日現在で、既に320名の方々からお申し込みをいただきました。ありがたいことです。心から感謝いたします。
 10月31日(金曜日)、参加を御希望の方は、ぜひ、お早めにお申し込み下さい! 皆様のご参加、心よりお待ちしております。

ワークプレイスラーニング2008
http://www.educetech.org/wpl2008/

 ---

追伸2.
 若手研究者S先生との「対話」の中から。
 今日の気づきです。

 ポストモダンの価値は、「"絶対と思われる価値"を相対化した結果に生まれた、ペンペン草すら生えない"焼け野原"」にあるのではない。

 「ホープレスな焼け野原」を生み出してしまったことをもって、ポストモダンの言説が責められる所以はない。

 ポストモダンの本質的価値は、"焼け野原"についても学び、さらには「"焼け野原"もやはり不毛であること」をキチンと学んだうえで、そこから何かを生み出そうとする意志にあるのではないか。

 うーん・・・また考えよう・・・次に彼にあうときまでには、あたためておこう。
 さぁ、入試業務に戻らねば。

投稿者 jun : 2008年9月 2日 09:57


ワークプレイスラーニング2008、申し込み開始!

 年一度のイベント「ワークプレイスラーニング2008」、今年も10月31日(金曜日)東京大学安田講堂にて開催いたします。今年のテーマは「企業教育の新たな役割をさぐる」です。

yasudakoudou_2008.jpg

 花王株式会社、NTTソフトウェア株式会社、KDDI株式会社、株式会社あおぞら銀行の先端的な「企業人材育成事例」と、学術研究者による解説、そして、参加者全員によるディスカッションを通じて、「企業教育の明日」をみんなで考えます。

 「明日の企業教育」、どうなる? 
            きっと・・・こうなる!

 ふるってご応募ください!

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    ワークプレイスラーニング2008
   - 「企業教育」の新たな役割をさぐる -
「組織」と「学習」に関する産学共同シンポジウム

  2008年10月31日(金) 午前10時 - 午後5時
    東京大学本郷キャンパス・安田講堂

お申し込みは http://www.educetech.org/wpl2008/

※本案内は転載自由です。お近くの方への転送を
お願いします

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 「明日の企業教育」、どうなる? 
            きっと・・・こうなる!
     ・
     ・
     ・
     ・
「企業・組織における人材育成」の「明日」を提案
するカンファレンス「ワークプレイスラーニング20
08」を、来る10月31日(金)、東京大学本郷キャン
パス・安田講堂にて開催いたします。

昨年度開催されたワークプレイスラーニング2007で
は、「ミドルの学び」に焦点をあてました。

各企業が事例を発表するだけでなく、学術関係者に
よる解説、約400名が参加したピア・ディスカッシ
ョン、携帯電話を活用した質疑応答が行われ、新た
な知の交流の場を産学共同でつくりだすことができ
ました。
その様子は、テレビ東京「ワールドビジネスサテ
ライト」で取り上げられ、大きな反響をよびました。   

今年度のテーマは、"「企業教育」の新たな役割を
さぐる"といたしました。「企業教育」は、今後、
どのような「かたち」に変わっていくのでしょうか。

それは、いったい「誰」の手によって担われ、「誰」
と連携することで達成されるべきなのでしょうか。
昨年より問いを一歩進め、今年度は、これらの問い
に対する答えを、企業事例を通して探求します。

まず、今年度のカンファレンスでは、一見、「企業
教育」というカテゴリの中には含まれる取り組みで
はないものの、「学習」という観点から見ると、実
は、人材育成につながっている現場発あるいは全社
ニーズに基づく事例を3つとりあげます。

これらの事例は、いわゆる企業教育部門が主導して
いるプロジェクトではありませんが、「企業教育」
の新たな役割を考える上でのヒントを提供してくれ
るものと思います。

最後に、企業教育部門の役割やあり方を再定義し、
企業の変革に深くコミットしようとする取り組みを
とりあげます。この事例からは、今後、企業教育部
門がどのような役割を担うことが求められているか、
について考えるヒントを得ることができると思います。

本カンファレンスは、公共性の高い学術会議が開催
される東京大学本郷キャンパス・安田講堂を会場と
して産学協同の体制で開催します。社会学、心理学、
教育学のアカデミックバックグラウンドをもつ大学
研究者と、企業・組織の担当者が、ともに知恵をだ
しあい、ディスカッションを深めることをねらって
います。「企業・組織における人材育成」に関係す
るすべての人々のご参加をお待ちしております。

ワークプレイスラーニング2008企画委員会一同

 -----

■主催:
東京大学 大学総合教育研究センター
 
 
 
■共催:
非営利特定活動法人 Educe Technologies
(エデューステクノロジーズ)
 
 
 
■企画協力企業
NRIラーニングネットワーク株式会社
株式会社 ダイヤモンド社
株式会社 日本能率協会マネジメントセンター
株式会社 富士ゼロックス総合教育研究所
株式会社 リクルートマネジメントソリューションズ
学校法人 産業能率大学
 
 
 
■協力企業団体
NPO法人 日本アクションラーニング協会
株式会社 グロービス
株式会社 ヒューマンバリュー
株式会社 レビックグローバル
グローバルナレッジネットワーク株式会社
日本CHO協会
らーのろじー株式会社
 
 
 
■後援
日本教育工学会(申請中)
ASTD International Japan
 
 
 
■日時:
2008年10月31日(金)
 午前10時 - 午後4時30分(9時30分開場) 
 

 
■定員:
700名
※定員にいたり次第、申し込みを締め切らせていた
だきます。おはやめにお申し込みください。
 
 
 
■場所:
東京大学 本郷キャンパス 安田講堂
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_00_01_j.html

地下鉄丸の内線本郷三丁目駅より 徒歩14分
地下鉄大江戸線本郷三丁目駅より 徒歩12分
地下鉄南北線東大前駅より 徒歩10分
 
 
 
■参加費
1名につき4000円

(本カンファレンスで剰余金が発生した場合は、
東京大学とNPO法人 Educe Technologiesが共同で
開催する、組織人材育成・組織学習に関係するシ
ンポジウム、研究会、ワークショップ等の非営利
イベント等の準備費用、運営費用に充当します。)
 
 
 
■カンファレンス内容

○開場 (09:30)
 
 
午前の部 
○問題提起 (10:00-10:40)
 1.長岡 健(産業能率大学)
 2.中原 淳(東京大学)
 
 
○ケーススタディ1(10:30 - 12:40)

▼ケース1-1
「"問いかけ"としての企業理念」
 花王株式会社
 企業文化情報部
 コーポレート・コミュニケーション部門
 クリエイティブ・ディレクター 下平博文氏
 
花王における「理念浸透」の手法は「学習」という
新たな切り口から事例分析することが可能です。
「花王ウエイ」の共有プロセスという事例を通じて、
仕事の現場で階層を超えた絶えざる学習を起こしてい
く仕組みを考察します。

▼ケース1-2
「ソリューション営業力強化に向けた現場での取組み」
 NTTソフトウェア株式会社
 営業推進本部 企画部門
 部門長 渡辺浩一氏

NTTソフトウェアの営業力強化のポイントは「見え
る化」にあります。営業プロセスの徹底した見える
化により、タイムリーで高度な上司のコーチングを
実現し、現場主導で「自立・自律している営業担当
者」の育成を推進しています。

▼解説・コメント
松尾 睦(小樽商科大学)・・・組織心理学の立場から
長岡 健(産業能率大学)・・・社会学の立場から
司会 中原 淳(東京大学)・・・教育学の立場から

▼会場ペアディスカッション

▼携帯電話を活用した質疑
 
 
○昼食(12:40-13:40)
 

午後の部
○ケーススタディ2 (13:40-:15:50)

▼ケース2-1
「トップから始まる全社的CSの職場展開
 トップ-ミドル-現場の対話プロセスによる学習~」
 KDDI株式会社
 カスタマーサービス本部
 TCSマネジメント部長 園田 貴氏


経営戦略、人材育成、組織文化形成の同時達成を
めざし「全社をあげたお客様満足の向上」に向け、
トップと現場が対話と実践を繰り返し、学習する
組織への脱皮、従業員のエンゲージメント向上な
どに効果的な影響を与えていることを探ります。
"人づくり"は誰が行うのかについても考えてみて
ください。

▼ショートサマリ

▼ケース2-2
「人財開発部門の戦略的役割」
 株式会社あおぞら銀行
 常務執行役員人事部長
 アキレス美知子氏

企業教育は今後、どのような役割を果たすべきな
のか。メリルリンチ証券、住友3Mなどの外資系
企業において企業教育部門の刷新を行ってきた経
験をお持ちのアキレス美知子氏が、この問いに対
する答えのひとつを紹介します。

▼解説・コメント
松尾 睦(小樽商科大学)・・・組織心理学の立場から
長岡 健(産業能率大学)・・・社会学の立場から
司会 中原 淳(東京大学)・・・教育学の立場から

▼会場ペアディスカッション

▼携帯電話を活用した質疑


○ディスカッション (15:50-16:40)

▼論点の提案(10分)
松尾 睦(小樽商科大学)・・・組織心理学の立場から
長岡 健(産業能率大学)・・・社会学の立場から
司会 中原 淳(東京大学)・・・教育学の立場から

▼会場ペアディスカッション(25分)


○ラップアップ(16:40-16:50)
中原 淳(東京大学)

○閉会(16:50)
 
 
 
■お申し込み
http://www.educetech.org/wpl2008/にアクセスいただき、各自、お申し込みをお願いします。
なお、お申し込みが終了次第、「確認メール」をお送り
いたします。

お手数でも、そちらのメールを各自印刷のうえ、当日
お持ち
くださいますよう、お願いいたします。
 
 
 
■本カンファレンスに関するお問い合わせ先
特定非営利活動法人 Educe Technologies
事務局長 坂本篤史

sakamoto [ at mark ] tree.ep.u-tokyo.ac.jp

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投稿者 jun : 2008年9月 1日 00:00