子どもに親は何ができるか

 子どもとマルチメディアに関して研究を行うNPOの話を、人づてにきいた。

子どもとマルチメディア研究会
http://www.kdmmk.com/

 ここでは、子どもが、コンピューターに親しめる場を無償で提供することで、マルチメディアを使った新しい幼児教育のあり方を検討する「IBM KidSmart(キッズスマート)幼児教育支援プログラム」というのを実施しているらしい。

 似たようなプロジェクトには、マイケル=コールのFifth Dimensionというプロジェクト、ミッチェル=レズニックのコンピュータクラブハウスがあるが、具体的にどのようなことをやっているのか、気になった。

 ちなみにKidSmartを検索していたら、下記のような研究プロジェクトを発見した。こちらでは、メディアが子ども達にどのように利用されているのか、その影響とは何かを、学べる保護者向けのサイトらしい。園田女子大学の堀田先生の研究プロジェクトである。

メディアと幼児教育
http://kids.sonoda-u.ac.jp/

 「子どもの育ち」に対する親の関心は、日増しに高まっている。こういうアプローチもあるんだなぁと思って、勉強になった。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月31日 17:27


布団と英語の話

 昨日は、ある理由で、赤坂の全日空ホテルのエグゼクティブルームにカミサンと泊まることができました。「東京に住んでいる人間が、東京のホテルに宿泊する」というのは、なかなかないことですね。なんか不思議な気分でした。

 なんかね、布団がよかったです。そりゃいいだろうよ・・・薄くて軽いのだけれども、それでいて、暖かいっていうね。「厚くて、重いけど、それほど暖かくない、うちの布団」とは大違いだ。なんて布団で寝てるんだろうね、全く。なんか切なくなってきたわ。

 考えてみたら、僕らは生きている時間の半分は、寝ているのですよね。寝まくり人生。

 人生の半分は、布団、君とともにある

 そんな感じだね。
 でもさ、それにしては、あまり布団にはケアしてこなかったなぁと思いました。飲んでいるカネがあったら、いい布団を買えってーの。その方が、Quality of lifeは上がるんじゃないかなと思いました。酔っぱらってる場合じゃねーんだ。

 でも布団の世界って、よくわからないですよね。まず違いがわからんし・・・なんかいかがわしい訪問販売とかありそうだしさ。それに違いを理解するためには、一晩寝てみないとさ。でも、ショールームで寝るわけにはいかんしなぁ。

 皆さん、どういう基準で、どのように布団を選んでいるのでしょうか?オススメの布団とかあるんでしょうかね? 僕、今年の秋に引っ越すのですが、布団を買おうと思います。

 ---

 それにしても、全日空ホテルは外国人の数が本当に多いですね。ロビーに入ったとたん、「おっ、ここは空気が違うぞ」と思ってしまいました。

 さっき、ラウンジで食事をしたのですが、「まさにアメリカだった」。まず「におい」がね、アメリカ。たぶん香水のにおいだと思うんだけど。「おっ、奴らがいるね?、近づいてきたね?」と思ってしまいました。

exe.jpg

 まわりを見渡すと、みんな欧米圏の人たちですよ。中にはアジア人もいるけど、みんな英語を話しています。

 中には、ヘミングウェーみたいな感じの、ヨットでクルージングしてそうな格好の、日本のオヤジいたけどね。なんで、赤坂でその格好?何仕事してんの? 世の中、いろんな人がいるよねぇ。

 それにしてもね、そういう「におい」をかぐとね。不思議と、僕のアタマの中の「英語スキーマ」がいきなり活性化されるんですよね。これはおかしい。一番最初にでてくる言葉が、英単語になってしまうのです。

 「Oops」とか「Sorry」とかアタマの中で言ってしまう。本当に口にだしてしまえば、単なる「嫌みな日本人」なんだけど、それはないよ、それはない。で、一時間くらいいて、自分の部屋に帰ってくるとさ、今度は全く英語なんてでてこないよね。バリバリ日本語。

roppongi.jpg

 オモシロイねぇ。ある刺激に対して、すべての思考のモードが変わるんですよね・・・。なんでだろ。きっとこういう経験をしたことのある人って多いと思うんですけどね。

 ---

 まぁ、いいや・・・はやく大学いこう。今日も忙しいから。

投稿者 jun : 2006年3月31日 09:25


京都の地酒

 先日、京都で飲んだくれた日本酒の中で、金星だったのがこれです。京都の地酒「英勲」。NIMEの辻先生が頼んだのを飲ませてもらって、僕はうなったね。

英勲
http://www.eikun.com/

 フルーティである、あまりにフルーティ。極上のシャルドネを飲んでいるような気分になることうけあいです。このお酒、京都のプチ会席屋で飲みましたが、東京でも飲めるのかね。

 ダハハ、うまい酒はいいねー。
 オススメです。

 ---

追伸.
 最近忙しくてかなりシンドイんです。春よ、来い。あのね、ユーミン状態です。こんなときは酒がうまいねー。ツラけりゃ、ボケろ、ということでしょう。そんなワタクシメを応援してくれる方は、 クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月31日 00:08


桜さく

IMG_5844.jpg

nodoke.jpg

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月30日 08:08


日本酒をキンキンに冷やすもの

 帰京しました、ヘロー。ようやく家についた。

 ところで、最近、故あって、とてもよいお酒をいただきました。で、冷酒器が欲しくなった。それを使ってさ、少しずつでいいから、本当にうまい日本酒をキンキンに冷やして飲みたいんですね。

 で、いろいろネット上で探してみたのですが・・・。

冷酒器
http://www.rakuten.co.jp/shumi-mise/456420/507222/612095/612099/#651720

 氷が入るやつがやっぱりいいですよね。でも、もう少し派手なのないかな。もうちょっと工夫があって、パッとしたやつ。

 ここまでくるとちょっと高いんだよなぁ。僕は江戸切子が好きで、いくつかもっているのですが・・・これは勇気いるよね、買うのに。

カガミクリスタルの江戸切子
http://www.rakuten.co.jp/bbn/449351/

江戸切子
http://www.edokiriko.or.jp/hanbai/hanbai.htm

 あと、なにより、これらには「氷をいれるところ」がないんだよねぇ。氷がはいらないとさ、キンキンにならないですよね。

 うーん、悩ましいねぇ。どなたかいいのを見つけたら、ぜひ、教えて下さい。

  -----

 てなこと言ってる前に、目眩がする・・・。こわいね、カラダが(コワイは北海道弁ですね)。
 はよ寝よ。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月29日 21:44


京都検定って知ってる?

 京都出張中、オモシロイ話を聞きました。
 地元では有名なのかもしれないけれど、「京都検定」っていうのがあるんだそうです(京都観光文化検定)。たまたま乗ったタクシーの運転手さんが、京都検定の2級合格者だったのですね(それはスゴイことらしい)。

京都観光文化検定
http://www.kyo.or.jp/kyoto/kentei/kyotokentei/

京都新聞の記事
http://www.kyoto-np.co.jp/kyoto-kentei/index.html

 京都には、寺社が1600、神社が700あるほか、京都ならではのしきたり、京野菜がありますよね。そういった京都の観光・文化に関する基礎的問題がでるんだって。加えて、歌舞伎や能の知識なんかも覚えなきゃならないそうです。

---

<3級の問題> 間違っているものを1つ選べ

北野天満宮について
1) 祭神である菅原道真の怨霊を鎮めるために建立された
2) 古くから学問・文芸の神として信仰されている
3) 注文は太陽、月、星の彫刻から別名三光門と称される
4) 現在の社殿は、豊臣秀吉が片桐且元を奉行に再考したものである

---

<1級の問題> 豊臣秀吉が行った京都の都市改造政策を具体的に5つ書きなさい

---

 「合格率は3級が16%、1級は6%でっせー」とおっしゃっていました(でっせーって言ってたかな!?)。1級になると論文なんだって。論文はツライよな。
 
 前回の試験は約13000人が受験したとのこと。勉強はかなり大変だそうで、教則本、研修受講を行ったり、インターネットでも学習するみたいですよ。

これのことでしょうか!?
http://www.matisse.org/course/jituyou/kyoto.htm?gclid=CMr-p_OHg4QCFR2TIgodyXMKgQ

 その運転手さん曰く

 「一年に一度、大学にいって受験するってのがいいんですよ。やっぱりアタマは使わなきゃね」

 ちなみに、これにあやかり、明石には「たこ検定」ってのがあるそうです。こちらの方はどうかね? ホームページに問題があったので、トライしてみては?

たこ検定
http://www.tako-kentei.com/index.htm

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月29日 11:03


批判的思考を育成するには?

 京都大学で楠見孝先生の「批判的思考力を育てる:初年度教育、専門教育における実践研究」というご講演をお聞きしました。ご講演内容は「批判的思考とは何か」ということからはじまって、「批判的思考を育成するご自身の授業」についてでした。

 実は、僕の勤務する大学総合教育研究センターに、来年度から「マイクロソフト先進教育環境部門」が設置されます。この寄附講座では、「情報テクノロジを活用したアカデミックスキル育成授業」を開発するということがプロジェクトのひとつになっています。この講演では、非常に有益な情報を得ることができました。

 楠見先生によれば、批判的思考とは下記のような思考であるとのことです。

 ・基準に基づく合理的・論理的で偏りのない思考
 ・自分の推論過程を意識的に吟味する反省的な思考
 ・帰納/推論が重要な役割をはたす思考

 その上で、批判的思考を構成する要素としては、

 1. 認知的側面
  1-1.領域普遍知識
   ・推論に関する手続き的知識
   ・スキル
   ・解釈の形成
  1-2.領域固有知識
 2. 情意的側面
   ・批判的思考に関する態度

 があげられるのだそうですね。

 要するに、1)ある知識領域に関係する知識、2)知識領域とは普遍的に存在するジェネラルなスキル、3)態度があるということになるのでしょうか。

 その上で、楠見先生は、1)大学1年生を対象にした初年時教育、2)大学2年生を対象にした専門基礎教育、3)大学3年生を対象にした専門的な演習などで、批判的思考を育成する授業を実践なさっているそうです。

楠見先生のWebサイト
http://www.educ.kyoto-u.ac.jp/cogpsy/kusumi/

初年時教育の情報http://www.educ.kyoto-u.ac.jp/cogpsy/personal/Kusumi/pokezemi.htm
http://www.educ.kyoto-u.ac.jp/cogpsy/personal/Kusumi/pokezemi.htm

 授業の評価は、いくつかの尺度、思考テストを用いておこなったそうです。尺度は、下記の論文で示されています。

<批判的思考態度尺度> 平山るみ・楠見孝(2004) 批判的思考が結論導出プロセスに及ぼす影響 教育心理学研究 Vol.52 pp186-198

<討論参加態度尺度>
武田明典・平山るみ・楠見孝(2003) クリティカルシンキングを用いた大学演習授業 日本教育工学会第19回全国大会論文集 pp377-378

<思考テスト>
WG批判的思考テスト
コーネル批判的思考テストZ

<参考>
平山るみ(2004)批判的思考を支える態度および能力測定に関する展望. 京都大学大学院教育学研究科紀要 Vol.50 p290-302

 その結果、1)探求心や論理的思考、能力に関する自己評価は向上する。2)討論参加態度は向上することがわかったそうです。3)標準的な思考テストの得点は向上するんですが、統計的有意な向上とは言えなかったようです。

 要するにこういった授業を行うと、「モノゴトを探求したり、論理的に考えること」に関する自己評価や意識は向上するが、授業とは離れた論理テストの成績は変わらないということになるのでしょうか。

 ---

 この一連の研究、非常にリゴラスな手続きに従ってなさっていて、大変オモシロク聞くことができたし、大変勉強になりました。

 既述したように、来年度から3年かけてマイクロソフト先進教育環境寄附講座ではこれに類するような研究を行います。
 どこが似ているかというと、我々の場合も「アカデミックスキル」という「ジェネラルな能力」を育成することを目標にしている点ですね。アカデミックスキルは、批判的思考とはちょっと違うけれど、ニアリーイコールな部分もあるんだと思います。

 4月から研究をはじめるにあたり、僕自身、どこから手をつけてよいかわからなかったときだけに、非常に重要な起点をご提供いただきました。また、「ジェネラルな能力育成プログラムの開発がいかに難しいか」よくわかりました。

 4月から新しい研究がはじまります。
 しかし、それは悩ましい時間のはじまりでもあるようです。
 いずれにしても、前向きにね。
 とにかくエンジョイしようと思います。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月29日 00:10


ジョン=デューイの名言

 京都大学で開催されている「大学教育研究フォーラム」に参加していました。京都大学の山田先生、酒井先生、京都外国語大学の村上先生、徳島大学の神藤先生のシンポジウムに指定討論者として参加させて頂いたのです。

 皆さんのご発表は、とてもオモシロかったです。なかば自明化した枠組みを見直すよい機会になりました。オファーをいただきありがとうございました。

 で、その会がおわって、今、新幹線の中です。東京に着いたらまた会議ですね。今から、その資料をつくらなければならないので、あまり時間がありません。

 よって、以下、速報。
 
 1日目、オモシロかったのは名城大学のFD(ファカルティ・ディベロップメント)の取り組みです。学務センターの神保さんが発表なさっていました。私立大学でも先進的なところはずいぶんと進んでいるのですね。組織論を十分に考慮した取り組みで、非常に感心してしまいました。今度、機会があれば東京大学TREEプロジェクトでもご講演いただければと思いました。

 2日目。伊藤秀子先生のご発表にでてきたジョン=デューイの言葉がいいなぁと思った。

 誰も学べていないのに教えたというのなら、
 誰も買っていないのに、売ったと言うのと同じだ

 (ジョン=デューイ)

 名言だねー。
 「買ってないのに、売った」と言われるのは非常に迷惑な話ですね。おまけに請求書まで回されたら、ブチ切れ三秒前ですね。でもさ、教育の世界では、そういうことが多いのではないでしょうか。

 気をつけよ、僕が授業するときは。

 本フォーラムに参加した感想の詳細は、また書きます。
 それではねー。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月28日 17:07


教員と心臓外科医:熟達化のこと

 「ある領域での長期の経験に基づいて、まとまりのある知識・技能を習得し、有能さを獲得していくプロセス」・・・そうした現象を、学習科学(Learning Science)では、「熟達化」といいます。

 簡単にいうと、「ある事柄について精通すること」ということになるでしょうか。そういう状態を「熟達した」と言うのですね。

 一般に、熟達化のためには、「注意を必要とする練習(deliberate practice)」が必要になると言われています。(熟達の外的支援、他者支援のことは難しいので、敢えてここでは触れません)

 単に、意味のわからないことを繰り返し暗記するというのではないですよ。注意を傾け、熱心に、意味を吟味しつつチャレンジを繰り返すこと。そうした反復トレーニングが、熟達には欠かせません。

 こう言うとさ、「反復学習なんてナンセンス!」とかって怒っちゃう教育関係者がいそうですけどね。でも、教育関係者が「どんなに反復学習に教育理論的な価値を認めなかった」としても、どんなに理念で教育を語ろうとも、人が学ぶためには、そういう機会は必要なわけです。これは科学的事実。エビデンス=ベースで議論をしましょう。

 もちろん、そうはいっても、専門家によって意見は異なります。ただ、一般に、人がある領域に熟達するためには4000時間~5000時間ほどの時間がかかるといわれています。

 5000時間って、アンタ、簡単にいうけど、スゴイことよ。一日8時間勉強に励んだって、一日も休まずに2年くらいかかるってことですから・・・。モノゴトに熟達するには、それだけ長い時間がかかるってことですね。そりゃ、甘くないわな。

 ---

 今日、実は、僕は京都に出張しているのですが、お昼は、共同研究者の方々とパワーランチをしたり、カフェで研究計画をねったり、昨今の教育問題について議論をしていました。そこで、ふいに「教員実習には、本来、どのくらい時間が必要か」って話になったんですよね。

 周知のとおり、教員になるためには、教育実習ってあります。教員になりたい人は、絶対にこれを受けなくてはならないのですね。

 ただね、教育実習・・・つまり「教生先生として学校で短期間働くこと」ですけど、平均的には、学生は、何時間くらい教育実習にいくかご存じですか。

 これ、僕は、全国一律で決まっていると思っていたんだけど、これが違うんだって。詳しいことはよくわからないのですが、大学によってバラバラらしいんですよね。

 たとえば、今日話していた共同研究者のAさんの大学の場合、学生には4週間の教育実習が義務づけられている。1日を8時間と換算したら、約160時間くらいだよね。

 それに対して、別の共同研究者のBさんの大学の場合 - この大学は実習がウリの大学なんですが - 300時間なんだって。ほぼ2倍ですよね。

 もちろん、長く実習を行えば、よい教師になれるかっていうと、そうでない可能性もあるから何とも言えません。ただね、2倍の開きがあると、やっぱり「できること」には差があると思いますよね。

 もちろん、300時間あったからといって、足りているとは言えません。本当に教員として有能に振る舞うためには、それこそ5000時間以上の時間が必要なのでしょう。

 ただ、ひとつだけ確かなことは、やっぱり教員になるためにも、「注意を必要とする練習(deliberate practice)」が必要なのですよね。その機会が2倍開いているってのさ・・・なんだかなぁと思ってしまいました。

 で、ムクムクとわいてきた疑問。

 平均的には日本の大学では、どれだけの教育実習を学生に課しているんでしょうね。これを調べた研究ってあるのでしょうか。で、そのことが教授力にどのくらい影響を及ぼしているんだろう。
 このリサーチクエスチョン、検証はとっても難しいけど、オモシロイよね、こういうことさぐるのも。

 ---

 これに関係して、ちょっと前に、医学系のある雑誌を読んでいたんですけどね、ここに下記のようなことが書いてあった。

 日本では医師免許を取得すれば、いちおう、建前としては、どんなに難しい手術(オペ)もすることができる。ただ、心臓手術をするには、20症例程度の手術をこなせばよいと言われている。そうすると、日本の場合、専門医として一応はみとめられる。

 ただ、アメリカの場合、この数字はいっきに10倍になる。アメリカの場合、胸部外科の専門家として認められるためには200症例のオペをこなさなければならない。

 上記の話、僕は医学の専門家ではないので、本当のところはよくわかりません。まぁ日本人が手先が器用、芸が細かいっていう反論もあるかもしれない(笑)。でも10倍は開かないですよね、普通。

 でも、ひとつだけ言えることはさ、「僕が心臓を病んでいたとして、20症例の医者よりも200症例の医者に切ってもらいたい」と思うってことです。そりゃ、どちらが成功するかはわからない。でも、確率的に僕なら200症例を選ぶ。ちゃんと「practice」をした人間を選ぶよ、悪いけど。

 ---

 まぁ、いろいろ話が飛んじゃいましたけど、僕は、今日、言いたかったことはね、「ある領域に精通させるには、時間や努力も必要なんだ」ってことです。

 こう書くと非常にアタリマエのコンコンチキなんだけど、なんだか、そういうところをすっ飛ばして、やれ応用力だ、やれ即戦力だという話になりますからね。
 中には「自分の経験論」「わたしの教育論」をふりかざし、「わたしは反復学習なしでも、勉強ができるようになった・・・だから、みんな反復学習なんてする必要がない」という人もでてくる。

 人間は学ぶ生き物です。この特性によって、人は深化し続けてきた。でも、そこで見える可塑性とは裏腹に、「人間はそう簡単には学べない生き物」でもあるのですね。

 あぁ不思議だねー。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月27日 23:09


やってよかったアルバイト

 いろんなアルバイトを経験するのはよいことだと思う。

 一般的には「アルバイトは社会勉強に通じる」「お金のありがたみがわかる」と言われるけど、そういう意味において、「よい」と言っているのではない。

 僕がそう思うのは「アルバイトを通じて学んだ知識が、実際に社会にでたあとで、役立つことが多い」と、経験的に思うからである。もちろん、すべてのアルバイトが「役にたったなぁ」と思うわけではない。職業によっては、後になって「役だったなぁ」「あんまり役立っていないなぁ」と思うものがある。

 学生時代、僕はアルバイトの王道「家庭教師」「塾講師」をやる一方で、ちょっと違った種類の仕事もすすんでやるようにしていた。

 今になって考えて、一番やっていてよかったと思うのは、「出版」の仕事である。短い期間ではあったけれど、僕は、ある印刷会社でコンピュータに向かって、DTP(デスクトップパブリッシング:記事のレイアウトを組んでいく仕事)をしていたことがある。

 この仕事を通じて、僕は「書いた文章を綺麗に魅せること」を学んだ。僕の今の仕事は、「文章」とは切っても切れない職業であるが、それにこの経験がとっても役立っている。

 たとえば、今、共著論文を書いていて、他人から原稿を預かるとする。さぁ、あとは僕が加筆と編集をする番だ。
 で、原稿を目にした瞬間「どこで段落を切っているか」「フォントの大きさと種類」「改行のズレ」「全角を避けて半角にするべき場所」などが、すぐに気がつく。ドラゴンボールにでてくる「スカウター」のように、ピピピと「マズイところ」がハイライトする(ちょっと大げさかな・・・あと古いかな・・・)。
 「なんだ、そんなことは本文に関係ないじゃないか」というなかれ。それは、とってもトリヴィアルなことであるけれど、読み手にとっては、意外に重要な影響をもつことなのだ。

 ウソだと思うなら、自分のお気に入りの雑誌をひとつもってきて、タイトルと文章だけを抜き出してみるといい。それを全く同じフォントの大きさ、種類に変えて、もとの記事と比較して読んでみよう。意外に、レイアウトの力で、執筆者の「伝えたいこと」が構成されていることに気づくだろう。

 もちろん、僕が出版の仕事をやっていたのは、数年のほんの短い期間であるから、そこで学んだ知識といっても、本職のそれとは比べものにならない。でも、そういうことに意識がいくことと、いかないことでは大きな差があるのではないかと思う。

 ---

 昨今、大学では学生たちに「自分のキャリアをどのようにデザインするか」ということを教えるべきだ、という論調が強い。実際に、いくつかの大学では、キャリアデザイン室というものを使って、キャリアを意識させる試みがはじまっている。

 そういう試みは非常に貴重だなぁと思う。だが、そこでいうキャリアとは、「ある人がフルタイムの職業についたあとの道筋」であることが多い。
 これを書いていて「アルバイトでどんな仕事を選ぶか」も含めて学生にはキャリアを教えるとオモシロイんじゃないかな、とふと思った。

 あなたがやったアルバイトで、「やっていてよかったなぁ」と思うものは何ですか?

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月27日 10:37


魁 ○○塾 : 学習科学の研究会

 来年度から、山口さん@宮崎大学、西森さん@メディア教育開発センター、望月さん@神戸大学と僕が中心になって、「学習科学を集中的に勉強する研究会」を東大で開くことになりました。前からやろうやろうとは言っていたんだけど、先日話す機会があったとき、盛り上がって、決定してしまいました。

 Stahlという人の書いた"Group cognition"という本と(近日公刊)、The Cambridge handbook of Learning Sciencesというを5回の研究会で読もうという計画です。

 イメージでいうと、学習科学の基礎的な知見をゼロから学ぶイメージでしょうか。どちらかというと、最先端の知見をガリガリと読むというよりは、足腰を鍛える、イメージです。ここ数年の新しい知見はふんだんに盛り込まれていると思いますけど。

Group cognition
http://www.amazon.com/gp/product/0262195399/sr=8-1/qid=1143383247/ref=pd_bbs_1/002-2974312-8491210?%5Fencoding=UTF8

 これまで学習科学というと、「How people learn」などが定番の教科書ということになっていましたけど、今回、それとはちょっと毛色の違う新しい本がでたということで、これを読もうということになりました。

   

 今回メンバーには、5回の研究会にすべて出られる人を近日中に募集するつもりです。「できるときだけ参加」というのは原則さしひかえ、オブザーバとしての参加も受け付けないことになりました。つまり、レジュメの作成、議論への参加をお願いしようということです。

 これは僕の信念なのかもしれないし、僕の研究上の背後仮説だと思うのですが、チームとは単に一緒ににいるということではないように思います。まして、お互いに助け合うと言うことでもありません。チームとは、相互に貢献しあうということ、相手に何ができるかということです。そういうピリッとした関係を、僕はチームとよびたいと思っています。で、今回は、そういうチームライクな研究会を開催しようと言うことになりました。

 人数は場所の都合があるので、15名くらいとなるでしょうか。募集はメルマガでも行いますので、もしまだの方がいらっしゃったら、ぜひ、どうぞご加入いただけると幸いです。

NAKAHARA-LAB メルマガ
http://www.nakahara-lab.net/mailmagazine.htm

 日程は、今のところ下記を予定しています。たぶん変更になるとは思いますが、一応、第一報までに。

 6月21日(水曜日)午前10時 - 午後5時まで
 7月26日(水曜日)午前10時 - 午後5時まで

 8月は夏休み

 9月13日(水曜日)午前10時 - 午後5時まで
 10月25日(水曜日)午前10時 - 午後5時まで
 11月29日(水曜日)午前10時 - 午後5時まで

 10時から5時までって、すごいハードですよね。でも、終わらないんですよ、このペースでやらないと。

 研究会の性格としては2つをめざしたい。

 まず第一に、ハードな研究会にしたいということになりました。研究知見の啓蒙をめざす場、一般の人にわかりやすく伝える場としては、BEATなどで僕もいろいろな公開研究会に関与しています。今回はむしろ、モロ・研究を志向する場にしたいと想っています。

 第二に、そうであるとはいえ、学部生や大学院生など、若い人たちにもどんどんと参加してもらえる場にしたいと思います。願わくば、この研究会がひとつの研究コミュニティになればいいのかなと思っています。

 研究会の名前はまだ決まっています。山口さん、西森さん、望月さんらとは、「魁 ○○塾」みたいにしようか、と冗談を言っていましたけど。

 また詳しいことがわかり次第、お伝えいたします。ぜひ、ふるってご参加下さい。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月26日 23:45


蓮實重彦先生、季刊リュミエール

 先日、あるTVディレクター、Webディレクターの方と飲んでいたときに、映画の話になりました。どちらの方も映画好きで、かつ映像に携わっていたこともあり、話していると、ポンポンと映画のタイトルがでてくる。

 ○○という映画の、○○のシーンの、○○はよかった

 みたいな、マニアックな会話でした。僕は「ほほー」と思って楽しく聞いていましたが、二人ともが強い影響を受けていたのは蓮實重彦先生の評論でした。彼らがまだ若い頃、蓮實重彦先生が編集をなさっていた「季刊リュミエール」の、扇情的で、かつ、挑戦的な批評に興奮していたとのこと。

 蓮實先生といえば、僕が駒場に入学した頃の学部長。卒業したときは、総長としてご活躍になっておられました。

 駒場での、蓮實先生の映画論の講義では、「北野武を講義にぜひ呼びたい」というようなことをおっしゃっていたような記憶があります。

 この映画論の授業、とても人気講義で、初回の授業は数百人の学生が殺到してしまうんですね。で、蓮實先生は、人数を減らすため(!?)、初回の授業で「過酷なイニシエーション」をなさいます。

 新入生なんて誰も見たこともないような昔の映画をみせて、過酷な質問を、学生にあびせるのです。彼が指名するのは実は、彼の院生(たぶん)で、その質問に何のよどみなく答えてしまう。
 そういう非常に高度なやりとりを見ていると、「オレ、この授業でやっていけるんだろうか?」と新入生たちは、みな、思うようになる。で、人数が減る(笑)・・・みたいな感じです。

 うーん、真意はわかりませんが、その後の授業では、そういうやりとりはあまりなかったので、きっと、そういう目的でなさっていたのだと思いますけど。だって、教室から人があふれて満員電車のような状態だったからね。

 あと、僕は蓮實先生のお言葉で、自分の成長を感じたことがあります。

 入学式のときは、蓮實先生の「とてもありがたい高尚な式辞!?」が、何一つわからなかったのですが、卒業式の「ありがたい送辞」は、すべて意味がわかりました。
 「嗚呼、4年間で僕も成長したなぁ」・・・と変なところで感慨深くなりましたけど。

 蓮實先生が編集なさっていたという「季刊リュミエール」は、恥ずかしながら、実は、僕はまだ一度も目を通したことがありません。それがどういう雑誌だったのか、わからないのですが、二人のディレクターの方々のやりとりを聞いていると、なんだかワクワクしますね。

 ちょっと今日は、これから本屋、古本屋さんなどをまわって、探してみようかな・・・と思っています。あるとよいけどね・・・。

 それにしても、異領域の人たちと話すのは、本当に愉快ですね。「あなたの知らない世界」じゃないですけど(古いか)、「まだまだ知らない世界があるんだなぁ」と思うのです。

 「裸のマハ」とかで有名なスペインの画家、フランシス=ゴヤは臨終の際、「オレはまだ学ぶぞ」と言ったと言われています。別に、僕は「臨終」を迎えているわけじゃないけど(笑)、やはり思うのです。

 オレはまだ学ぶぞ

追伸.
 この日、Webディレクターの方が、自分の仕事についてこんなことを言っていました。

 Webのデザイナーは、優秀な人ほど、クライアントの過酷な要求には耐えられません。そのために、わたしのようなWebディレクターが必要なのです。

 なるほど、と思いました。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月26日 11:03


BEAT成果報告会

 土曜日、BEATの成果報告会でした。おかげさまで、「おやこdeサイエンス」プロジェクトの成果報告を無事終了することができました。なんとか分析が間に合った・・・。よかった!

 今後は、5月末の論文〆切を目標に、研究者チーム4人が各自論文執筆に励むということになります。ここから4本の論文を書く! ほとんど野蛮な妄想だね、これは。各人、本格的な分析のはじめたいと思っています。

 それにしても「おやこdeサイエンス」・・・このプロジェクト、本当によいチームに恵まれたと思っています。研究者チーム、開発チームの方々、皆さん、協調的に、shared objectにむけて専門性を発揮していただきました。いっしょに仕事ができて本当によかったと主lっつています。ありがとうございました。

 今年度、来年度の新規プロジェクト「なりきり(仮称)」も組織作りを開始しています。こちらも非常にチャレンジングな課題に挑戦します。ちょっと年度末でバタバタしておりますので、近いうちに研究者チームで集まりたいと思っています。

 あー、忙しい。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月26日 09:17


統計をどのように学んだか?

 中原さんは統計をどのように学んだのですか?

 最近、なぜか、よく聞かれることです。数字に苦手な人だったら、確かに気持ちはよくわかります、その藁にもすがりたい気持ち。僕なんかに聞くあたりがすでにヤヴァイと思うけど。

 僕の場合、90%ほど自学自習ですので、「うーん、○○とかの本とか○○の機会に独学したよ」と答えることにしています。

 ただ、この「問いかけ - 答え」は正確にいうと、誤りを含んでいます。なぜなら「どのように学んだのか」という問いに対して、答えるほど、僕はマスターしていないから(笑)。

 「どのように学んでいるのか」という現在進行的問いかけなら、答えることができますけれども。というのは、査読を行ったり、論文を執筆するたびに自学自習です。統計だって発展していますし、手法には流行みたいなものがあります。最近は、共分散構造分析ですか・・・この論文が増えていますね(ちょっと危険に見えるけど)。だから、いまだに勉強中です。

 最近、問われることが多いので、下記おすすめの書籍を利用法をふくめて紹介します。あくまで、僕のようにユーザとして統計を利用する場合に参考にしてください。

 あと、専門的な立場の人が、「いやー、その本は統計学的には云々」というのは勘弁して下さいね。あくまで僕の経験でわかりやすかったなぁ、というものです。

 ---

 まず、今から考えて一番最初に統計マインドを知ったのが、この「創造の方法学」です。これは学部時代のときに、教育学部・苅谷先生の「社会調査実習」で読みました。新書ですので、非常に手軽に読めます。一番最初に、「調査とは何か」「統計検定とは何か」ということを知るのにはちょうどよいのではないでしょうか。

 ---

 

 次に大学院時代に先輩にお勧めされてよんだのがこれです。「ユーザーのための教育・心理統計と実験計画法」。

 当時の僕は、まさに「できない受験生」でした。いろいろ統計の参考書をかってきては、なんだかわかったような、わからないような気になって、「次の参考書」を求めてしまう(笑)。「サルでもわかる」みたいな安易な本をずいぶんたくさん買いました。

 でもね、やっぱり「安易な本」は何冊読んでもわからないね。これ、結論。基礎的な概念の説明が適当で、SPSSの操作とかを詳しく解説されててもさ、実際に使うときになったら、ほとんど自分では何ひとつできない、という。ということで、この本はとても参考になりました。

 この本は、「ユーザーとしての視点」でわりきって書いてある本です。今でもよく見返します。数式が苦手な人は、とばしてもよいと思う。

 ---

 次に読んだのが、こちらです。同じく田中敏先生の「実践心理データ解析」ですね。

 僕は、統計を学ぶ上で、ひとつだけ確かなことがあると思うんです。ズバリ、

 実際、自分で分析してみなきゃ、わからない!

 つまりね、いくら概念をわかったところで、実際に研究課題を前にして、シミュレーション的でもいいから、自分で実験計画を考えてトライしなければ、わからないと思うのです。これは、プログラミングについても言えるでしょう。プログラミングの場合は、

 実際、自分でプログラミングしなきゃわからない!

 ってことになるのでしょうね。

 「実践心理データ解析」には、とてもよい例題がたくさんあって、その例題にしたがって解説するスタイルをとっています。

 ---

 

 こちらの「統計分析のここが知りたい」は、かゆいところに手が届く本だなぁと思いました。よく「それだったら、被験者何人いればいいんですか?」という問いをなげかけることが多いのですが、この本では、そういう「統計分析をしているとよくでてくる疑問」を丁寧に扱っているような気がします。

 で、ここまでを十分わかったうえで、もしSPSSなどを使うのでしたら、下記のようなマニュアル本を使うとよいのかなぁと思います。下記は、あくまでわからないときにつかうような感じで。

      

      

      

 ---

 以上、いろいろ書きましたが、既述したとおり、これは僕の独断と偏見にみちたおすすめです。それをわかっていただいた上で、もし参考になれば参考してください。

 それにしても、皆さんはどうやって統計を学んだのでしょうか/学んでいるのでしょうか?

 たとえば、上記にはノンパラメトリック検定とか共分散構造分析などはほとんど触れられていないのですが、こういうのは、何を使って学ぶのがいいんだろうねぇ。

 まぁ、きっと、人の数だけ方法はあるんでしょうけど。王道はないと思うので、そういう体験談というかな、「わたしの統計学習論」みたいなものを、皆さん、お持ちなのでしょうね。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月25日 08:21


ゲーム業界と教育業界のマリアージュ

 「いつ、誰がはじめるか」と業界内で言われていた、「シリアスゲームに関するベンチャー起業」が、ついに現実のものになったようですね。

スクエニと学研が「教育ゲーム」の会社を設立
http://www.asahi.com/business/update/0322/144.html

学びをゲームに
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0603/22/news065.html

 単なるベンチャーではなく、ゲーム系と教育系の民間会社のジョイントベンチャー誕生ということになります。北米において「シリアスゲーム」という概念で広まっている「ゲームの教育利用の動き」が、いよいよ日本にも本格的に動き出すのでしょうか。

 ニュースによりますと、初等中等教育、通信教育、生涯学習など、学習にかかわるすべてのコンテンツがシリアスゲームの対象ととらえれば、1兆円をこえる売り上げが見込めるのだそうです。

 最初にだすソフトウェアが、どの市場をターゲットにして、どのようなつくりになるかが、非常に楽しみですね。前に日記で述べたように、「ゲームの教育利用」は非常に歴史がある教育手法です。
 ですが、これがきっかけになって、いわゆる「eラーニング」の一般的なイメージや概念が再構築されるとよいですし、「教育の情報化」に新たな波紋が生まれると愉快ですね。

 とにかく1本目、最初の事例が非常に注目されると思います。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月25日 00:30


僕らは貧乏くじ世代!

 そうか、オレは貧乏くじ世代だったんだ!

 ということを気づかせてくれたという意味で、オモシロかったです。先日、書店で「貧乏くじ世代」という本を軽い気持ちで手に取りました。

 要するに「1970年代生まれ」、特に現在20歳後半から30代前半の若者たち、1900万人もいるらしいのですが、その若者たちはいわゆる「貧乏くじ世代」と言えるのではないか、という話です。で、その貧乏くじ世代の若者たちには、いくつか共通するメンタリティがあることを、自身の臨床経験をもとに指摘していますね。

 ---

 読後の感想ですが、はっきり言います。

 まず僕は世代論というものを信じていません。「ある世代に共通する文化経験や流行」とは思いますが、それが世代全体の行動を規定しているかというと、ちょっと違う気もする。

 そりゃ、メディアには、ある世代の際だった人たちが注目されますよね、例えばブルセラとか、とかさ。でも、それは都市に局所的に発生する社会現象であってユニバーサルじゃありません。田舎じゃ、別にこれまでと同じように暮らしてるよ。そこに時代の象徴的意味を見いだす言説もあってはいいと思いますけど、あまり僕自身は信じていません。
 月並みで本当に恐縮なのですが、「世代というより、人それぞれ」じゃないかと思うんです。だから、世代を十把一絡げにする議論は、ややナイーブに感じます。

 また、ここで紹介されている事例には、僕自身も30歳ですが、あまり共感できるところはありませんでした。

「頑張っているとき以外は不安で仕方がない」「あまり将来に希望をもっていない」「マニュアル本をよみたがる」など・・・そうかぁ・・・むしろそれは僕らの世代のことなのかなぁ・・・少なくとも僕や僕のまわりには、あんまりいないんだよなぁ・・・。

 ですが、こうした僕の意見や信条も、所詮は根拠レスです。データがないので、ここはあくまで、「僕はそう感じた」ということにしてください。

 ---

 ただし、本書の世代論には共感できないものの、僕らの世代は前の世代に比べて明らかに時代に翻弄され、「比較的地味な生活」を強いられたことは間違いないなぁ・・・と思うんです。
 ホンマ、地味だよなぁとは思う。

 だって、僕が中学生のころだったと思うんですけど、バブル経済まっさかりでしたよ。日本の株価が3万円後半になったときのNHKニュースを、僕は覚えています。

「へー、このままいけば4万円いくんじゃないかな、僕が大人になるころには、5万円とかいっているかもしれない」

 と子どもながらに思いました。アホだったので、それが何を意味するかはわかっていなかったけれども。

 その頃のテレビといえば、土地成金だの、絵を購入だの、とにかくなんか浮かれていた。深夜系のテレビをつけると、「お立ち台でギャルがボデコンで扇子を使って踊って」いました。

 大人になったら、きっとオレもそういうところにいくんだろうな、と思っていました。ジュリアナ東京とかね、ベルファーレとか。田舎の高校生ながら、そういう名前だけは、いっちょまえに覚えていました。

 学校では、先生たちが「よい高校、よい大学、よい就職」を語っていました。まぁ、あまり信用はしてなかったけど、まぁ、「確率の問題としてウソではないかなぁ」とは思っていた。それより何より、僕自身は「東京にでたい」一心で、熾烈な受験にチャレンジしました。

 しかし、大学に入る頃になって、なんだか雲行きが怪しくなってきた。あれよ、あれよという間に、「不況」と言われる。
 前の世代なら、集中的に気合いをいれて家庭教師と塾講師をすれば月に数十万儲けることは余裕だよーと言われていたのが、全然大嘘。生活はかなり辛い。

 そのうち、就職氷河期といわれるようになる。前の世代なら複数内定をもらうのはアタリマエだったのに、1個も内定をもらえない人たちが続出する。僕自身は研究者志望だったので、言われたことはないけれど、

「経験のない大学生はいらないんだよねぇ・・・これからは即戦力だから」

 なんて真顔で言われるようになってきた。

 ちょっと前までは、「交通費+滞在費」を全額学生に支給してまでセミナーに来させて、とんでもないところになると海外旅行まで行かせて、大学生を人材確保していたくせに、企業というのは、なんて勝手なんだろうとみんなで怒っていたことを思い出します(前の世代には、同じ日に開催されるセミナーに参加するのに、複数の企業から交通費などを重複してもらって、ずいぶん財をなした人もいると聞いています)。
 
 そんな頃でしょうか、下の世代は、ブルセラ世代として注目があたります。一足先に世の中にでた上の世代は、インターネットで起業をして成功する人たちがあらわれ、やっぱり注目されだす。インターネットの世界は、「Winner takes all」の世界ですので、ちょっと遅いんだよねぇ。

 そう考えると、僕の世代は、いつも、ちょっとズレていて、なんだか、萱の外なんだよねぇ。

 これからだってそう思うんです。前の世代は、ゼロ金利の時代に住宅を買っている。僕らの世代が本格的に住宅購入に動くときには、きっと金利なんてかなりあがっているんじゃないか・・・。

 ---

 まぁ、貧乏クジ世代と揶揄される僕らの世代ではあるけれど、それが結果としてよかったのか、悪かったのかは僕にはわかりません。

 まわりの世代注目されたといっても、一過的なものだしね。「お立ち台」に上らなくても、それなりに楽しい大学生時代はおくれましたし。
 就職が楽だったといっても、急速に終身雇用が崩れている今、あまり意味のないことなのかもしれない。むしろ、僕らの世代は「叩かれ慣れている」から、逆境には強いだろうと思われますし。
 
 まぁ結局、僕らが本当に「貧乏くじ」をひいたのかどうかは、まだわからないけど、強く粛々と生きていきましょう、なんでしょうか。月並みだけれど、今は、それしか言えないよなぁ。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月24日 11:08


ベルサイユのバラに行ってきた!

 先日、念願の宝塚の「ベルサイユのバラ」に行きました。ちょっとある筋でチケットを入手できまして。

  
 ベルバラのあらすじは、フランス革命前夜のルイ16世支配下のベルサイユ宮殿における物語。貴族の瀟洒な生活に対して民衆の反感と怒りが、いまにも爆発しそうだった頃です。
 そんなときに、ベルサイユ宮殿で、「マリーアントワネット」と「ホルモン」、じゃなかった、「フェルゼン」、そして「オスカル」と「アンドレ」という4人の貴族!?が出会うのですね。で、悲劇的な愛を営む。そういう物語です。

 内容自体は、つっこみどころ満載でしたが(アンドレは何発銃でうたれても、それでも歌ってるとかね)、なかなか楽しかったです。
 フランスを舞台とした演歌的世界というのでしょうか、浪花節的世界なんですよね・・・これが最初は違和感があったけど、「そういうフランスもありだよなぁ」と思えば!?、楽しむことができました。

 演出面は、よくできているなぁと思いました。普通のシーンから回想シーンへの場面の展開は、斜幕を使っていて、非常に効果的だった。あと、せりがすごく多用されてるんだけど、うまいところでそれを使うんですね。それがよかった。

 ---

 ベルバラのお客さんは、女性が98に対して、男が2くらいでしょうか。さっきもいったように話の展開は、つっこみどころ満載なんだけど、まわりの女性たちがみんなだんだんと涙ぐんでいくのですね。「グスッ、グスッ」と涙をこらえる声が、聞こえてくる。

 なんだかさぁ、自分だけ泣いていないことに、罪を感じてしまったね。非常に満喫できたんだけど、ちょっと泣けませんでしたね、なぜか。
 「卒業式で泣かないと、冷たい人って言われそう」って感じで、まさに斉藤由貴状態だった。ちょっと古いかな。

 まぁ、とにかく非常にオモシロかったです。今度は、オスカル編に行きたいね、ぜひ。なんか何でもかんでも好奇心をもつので「ナンパだよねぇ」とよく言われるんだけど、いろいろ経験してみたいんですよね。
 「あれも見たい、これも見たい、もっと見たい、もっともっと見たい」だねぇ、まさに。

  -----

追伸.
 ボストンの友人のブログによると、「NYでこれから建築するバーやスポーツ施設や映画館には女性用便器を男性用便器の倍置かなければいけないという法律ができた」そうです。「Women's restroom equity bill」 というそうですけど。
 今日も、宝塚では女子便は並んでたねー(ジョシという言葉を久しぶりに使ったわ)。もっと便所できるといいですね。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月23日 23:59


安野モヨ子、「働きマン」:24h働けますか?

 安野モヨ子の漫画「働きマン」を読んだ。

  

 主人公である松方は、雑誌「JIDAI」の29歳未婚女性編集者(元巨乳らしい)。通称「働きマン」。新しい企画を日々提案しまくり、また、スクープに命をかけている。あまりの激務のために彼氏との関係は最近パッとしないけれど、自分の仕事に誇りをもっている。

 彼女の周囲には、様々な「事情」をもった人たちが働いている。言うことはいつも一人前だけれども、何一つ仕事のできない新人。社会に求められる行為だとしてパパラッチを続ける芸能記者。「働きマン」は、そんな彼女と周囲の人々のかかわりを中心に、「働くとは何か?」「人生において仕事とは何か」を描いている。

 ---

 読んでいて、いくつかの想いがアタマをよぎった。

 まずまっさきに思ったのは、この漫画にでてくるような人たちが、僕らの読む雑誌、参加するイベント、視聴するテレビを支えているんだなぁ、ということ。僕はマスコミにいるわけじゃないけれど、なんだかそういう人たちの「日々の奮闘」にささえられ、僕らのメディア空間が構築されていることを、今更ながら考えた。

 次に、アタマによぎったのは「仕事にうちこむことの快感」。
 「働きマン」のように働くってことは、一見、大変なことのように思えるけど、没頭してしまうと、僕らはその状況がだんだんと見えなくなってくる。
 かつてチクセントミハイという心理学者は、フロー理論というのを提唱した。フローとは、ある事に打ち込み集中・没頭している状態のこと。人はフローを経験すると、やっていることに完全に集中しているため自我がなくなってしまい、自分の行為が環境を支配しているという感覚におそわれるようになる。「仕事に打ち込むことで快感」はかくして生まれるのではないか。

 しかし、同時にこれは大変危険な状況を生み出すのではないかと思う。僕の同期でも、あまりにも仕事に打ち込んで、カラダを壊す人は大変多い。最近では、ココロを一時的に閉ざしてしまう人も多い。先日、ある新聞でよんだ記事には、「鬱は生涯に25%の人が経験すること」なのだという。

 働きマン的な仕事の仕方は、それはそれでいい。
 だけれども、これが過剰に拡大解釈され、「24時間働けますか?」「3日間、家にかえってないんですけど」状態になるのはきわめて危険であると思う。
 さらに厄介なのは、先のフローではないけれど、そういう状況になると、その危うさは、本人には見えないのである。他人は「なんかあの人危ないなぁ」とわかっているのだけれども、何にもいえない。さらに本人は「自分の仕事」に酔っているところがあるので、さらに指摘は難しい。

 「無理すぎる無理はいけない」
 「休みはキチンととるべきだ」

 アタリマエのことなんだけど、そう思う。

 そういえば、先日、ある外資系企業の方から聞いた話なのだが、その企業に勤める外国人マネージャは、「金曜日の7時以降から週末は仕事をいれるな」と公言してしているらしい。そのかわり、ウィークデーはバリバリと働く。そういうメリハリのある仕事の仕方はとても憧れるし、100%同感である。それでいいんだと思う。

 そうはいいつつも・・・以前日記に書いたかもしれないが、僕は研究者にならなかったとしたら、雑誌の記者、編集者になりたかった。翼の王国とか、東京人とか、そういうプチ贅沢+リラックス系の雑誌をつくりたいと思っていた(今でも思っている)。
 人生に「もしも」はないけれど、「もしも・・・あのとき大学に残る道を選ばなかったら、僕もきっと”働きマン”になったんだろうなぁ・・・」と考えた。

 -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月23日 08:53


大学改革のゆくえ:大学はどこに向かうのか?

 大学が動いた。1960年代後半における大学の喧噪と、その後の大学の沈黙を知るものからすれば、最近の動きは驚きである。

(矢野眞和 大学改革の海図より)

 矢野眞和氏著「大学改革の海図」を、週末に読んだ。

 それにしても、なぜ、今、大学は動いたのか? 「理念」だけによる変革ではなかった。「理念と経済」のせめぎあう場所に、大学の変革がはじまる。

 大学に変革をもたらした経済的要素として、本書では「資金の市場化」「経営の市場化」「出口の市場化」「入り口の市場化」をあげている。

 資金の市場化とは、政府によって供出されている大学運営資金が年々カットされ、他の資金源を大学自らが探さなくてはならなくなったことを意味する。新保守主義の思想 - 小さな政府、市場化、自由競争が大学をおそっている。国立大学の場合、効率化係数といって年1%ずつ運営費はカットされている。東京大学の場合、10億円の削減になるはずだ。
 経営の市場化とは、いわゆる「New Public Management」である。大学に民間の経営手法を導入しようというわけである。民間へのアウトソーシング、民間からの経営者受け入れを通じて、大学の経営が民間に近いものになっていく。
 出口の市場化とは、大学を卒業した学生が、必ずしも就職できるわけではなく、そこに激しい競争が生じるようになったことを意味する。
 入り口の市場化とは、いうまでもなく入学希望者獲得の競争が激化していることを意味する。象徴としての「大学全入時代」を前に、どこの大学でも、対策を講じるようになっている。

 このような4つの市場化の潮流を背景にしつつ、本書では、変貌しつつある14大学の改革のフロントラインを紹介している。
 少数精鋭で先端的な教育・研究をねらうのか、それとも、時代に左右されない不易の教育を押えるのか。各大学の存亡をかけた戦略を紹介する。

---

 僕が大学界(そんな界があるのか!?)に入ったのが、2001年3月。その頃、すでに大学は動いていたし、今も動き続けているように感じる。
「大学は動くのがアタリマエの雰囲気」の中でキャリアをスタートした今の若手大学教員にしてみれば、「かつて大学が沈黙していたこと」こそ驚きに思える。

 大学はこれからどこに向かおうとしているのか?
 少なくとも言えることは、「今、わたしたちがいる経度、緯度」に、将来の大学は留まっていることはない、ということである。
 うん、そのことだけはまちがいない。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月22日 07:32


中野ブロードウェイに行ってみた!

 以前からぜひ行ってみたいと思っていた場所・・・中野ブロードウェイに行ってみました。健康のため、お散歩ということで。

中野ブロードウェイ
http://www.nbw.jp/web/index.html

 中野ブロードウェイ・・・そこはJR中野駅から歩いて5分くらいのところにあります。中古漫画、コスプレ用品、各種のフィギュア、中古レコードなどの、コレクター向けアイテムを扱うお店が集まっている雑居ビルです。かなりオタク度、マニア度が高い空間ですね。

nakano.jpg

 テナントは4階分のフロアに所狭しとはいっているのですが、主に3階あたりが栄えているのでしょうか。

中野ブロードウェイ 3Fの様子
http://www.nbw.jp/3f/index.html

 この地図から「まんだらけ」を中心として、いろんな専門分野のお店があることがわかってもらえると思います。

nakano2.jpg

 ちなみに僕が心惹かれたのは、「トリオ」というお店でした。ここには、1980年代の「明星」とか「デュエット」とか、そういう古い雑誌がワンサカある。

 あー、このころ、オレこの雑誌買っていたよなぁ

 という感じで、かなり懐かしい気分に浸れることうけ合いです。雑誌の表紙見ているとさ、どこかで見たようなあるんだよなぁ、っていう気分になるんですよね。「あー、たぶん、自分が中学生だったころかなぁ」とか。
 あと、昔の大河ドラマの台本とか、そんなレアなお品もありました。どこでどうやって流出したんだろうか。

 結局この日は、あーだこーだ言って見ているうちに、何冊か買ってしまい散財してしまいましたけど。いや、買っちゃうよ絶対。

 もともと中野ブロードウェイは、芸能人などが住む高級マンションだったそうです。それが数十年の月日をかけて、マニア向け空間にかわったんだって。

 仲のよい人とぜひ行ってみてください。「昔懐かしのモノ」を媒介にして、絶対に会話が進むと思うわ。いや、ここ「デート」とかにいいんじゃないの?目黒寄生虫館とかもいいけどさ、絶対、オモロイと思うねんけど。

目黒寄生虫館
http://museum-dir.jst.go.jp/13-031/13-031.htm

寄生虫館へ行こう
http://homepage2.nifty.com/callon/

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月21日 19:31


学生によるフリーペーパーづくり

 フリーペーパーづくりが、今、学生たちのあいだで広まっているそうです。先日、カミサンが渋谷のある店で、高校生のつくったフリーペーパー「ANMITSU」をゲットしてきました。

anmitsu.jpg

ANMITSU
http://an-an-anmitsu.com/

 内容は「おすすめの曲」「欲しい雑誌」などの情報提供の他に、いくつかインタビュー記事もありました。A3の両面カラーコピーで、小冊子になる。

 特にオモシロかったのは、「HI TEENS」というコーナーで、世界の高校生へのインタビュー記事。

 僕らが入手した号には、韓国の女の子「Kim Gang I(キム・ギョンイ)」さんのインタビューがありました。「Q.一日の学校のスケジュールは?」という質問に対して、こう答えていました。

わたしの学校では、毎日朝7時半からのEBSというインターネット放送の授業で始まるの。先生がいない授業でみんな寝ちゃうわ(笑)。授業は9時間目まであって、その後、みんなで夕食をとるの。自習もやって、学校が終わるのは夜10時になるわ。

 うーん、恐るべし韓国! 朝7時半から夜10時まで学校って・・・。夕食も学校でとるの!?・・・。すべての学校がそうかはしらないけれど、スゴイ勉強量ですねぇ。

 ---

 その他、多摩美術大学の女子学生2名が創刊した「乙女ライフ」というのも人気だそうです。こちらは書店、カフェなんかで配布しているそうですが、僕はまだ入手していません。

乙女ライフ
http://www014.upp.so-net.ne.jp/otomelife/

 ---

 ANMITSUを読みながら、僕らがまだ高校生だった頃は、「フリーペーパーをつくる」なんてこと考えたこと一度もなかったなぁと感慨深くなりました。よくて、学校とかクラス新聞どまりでしょう。それを実際に街角で配布するなんて、そんなこと、考えたこともなかった。

 僕は「壁新聞」とか「クラス新聞」とかつくるのが好きで、よくそういう「係」を希望していました。オヤジが好きだったので、うちにはコンピュータがつねにありましたけど、僕もよくそれをいじくっていました。一太郎ver3とかを駆使して、紙面づくりをしたこともありました。当時としては画期的だとは思うのですが。でも、自分のつくったものを配布するなんてことはね、考えもしなかった・・・。

一太郎ver3
http://www.aya.or.jp/~guyveriv/ichitaro/taro03.htm

 きっとこれらのフリーペーパーは、illustratorとか、Photoshopとかを駆使してつくっているんでしょうね(予想)。だって綺麗だもん。

 「情報を収集し、加工し、発信していく」

 こう書くと、なんか「学校的で、オモロなさそうな感じ」が漂いますが、そうだよな、もっと脱力していいんですよね。

 自分たちがオモシロイと思うことを、世の中に伝えていく。それに熱中さえすれば、おのずと「情報メディア」とつきあわざるを得なくなるし、「メディア使い」になっていくのです。

追伸.
 皆様の応援のおかげで、人気blogランキング、とうとう1位をとることができました。ありがとうございました。きっとこれは、「瞬間最大風速」のようなものですので、すぐに下落するとは思いますが、ワタクシメは満足です。今後ともよろしくね。

kyouiku.jpg

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月21日 09:52


小学校での英語の必修について

 全国の93%の公立小学校では、「総合的な学習の時間」などを利用して、英語教育を実施しているそうですね。

 もちろん、ここで英語教育の程度は、「歌やゲームなどの英語に親しむ活動」から「基礎英会話」まで、きっと幅があるでしょうから、93%という数字をそのまま鵜呑みにはできません。でも、僕は全くの門外漢ですので、「へー、そんなに英語教育が試みられているんだ」と、素直に驚きました。

全国の公立小学校、93%で英語教育
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20060317ur03.htm

 うーん、素直に驚いているのならいいのですが、英語教育の世界って「一言ある人たち」と、いろんな「思惑」が渦巻いているから怖いんですよね・・・あんまり不用意に発言ができない(笑)。
 おまけに「英語にルサンチマンをもっている人」が多いのか、なんだかしらないけれど、やれ「今すぐ早期教育するべきだ」とか「日本人なんだから、日本語をやるべきだ」とか「どうせ日常的に利用しないで忘れちゃうんだから、英語なんて高校にはいってから選択制でいいとか」とか、まぁまぁ、「わたしの受けた英語教育の悲劇に基づく、わたしの教育論」が満載の世界です。

 実は、僕は今年から2年かけて英語教育のプロジェクトに着手することになっていて、去年あたりからいろんな文献を読んでいます。いろいろな人に勧めてもらって、日本語で読めるものはだいたい読みました。
 で、門外漢ながら誤解をおそれず言えば、「データに基づいた議論」発見するのが難しいってことがよくわかりました。研究の世界でも、「べき論」とか「わたしの英語教育論」が渦巻いている。
 もちろん、「データに基づいたすぐれた研究」もあります。いくつかの研究には、「なるほどー」と膝をうってしまいました。そういう地道な研究の知見をもとに、英語教育が論じられるべきだと思います。

 ---

 ところで、話を上記に戻して「全国の公立小学校、93%で英語教育」ということですが、このことと「全国の公立小学校、英語を必修化」ということには、ものすごい差があるんだと思います。
 とかく、前者をきくと、すぐに後者を思い浮かべがちですが、「総合的な学習の時間で選択的に英語が試されること」とと、「英語を小学校で必修にすること」の意味は違いますね。

 必修となると、カリキュラム、教科書はつくらなアカンし、教員研修だってしなくてはなりません。全国には小学校が22865校あって、そこには41万人の教員が勤務しています。その教員の中で、中学校英語の免許を有しているのはわずか約15000人だそうです。

文部科学省
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/015/06020613/001.pdf

 人によって違うでしょうし、ALTや中学校教員の導入が検討されていると思いますので一概には言えませんが、それにしたって、すべてをそれに依存することはできません。
 そして、もし必修になるのだとしたら、どう考えても小学校教員の再研修の問題が生じます。これは大変なことです。

 いずれにしても、この問題は、少しゆっくり時間をかけて議論するべきではないかと思っています。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月21日 01:26


学力をどうする?

 少し前のことになりますが、「学力論争」というのがありましたね。盛り上がったんだか、盛り上がらなかったのか、僕自身はキチンとフォローしていないのですが、これに関して最近出版された「希望をつむぐ学力」という本を読みました。

 この本、教育学者、ジャーナリスト、教育社会学など、関係する多様な人々が、学力に関する私論を展開するという内容ですね。

 執筆者各人によって、学力に関するとらえ方など、ちょっとトーンが違うのですが、「学力問題」の全体像をとらえるのにはとてもよい本でした。

 学力問題に関するハードな社会学的分析ならば、下記の「学力の社会学」がよいと思うのですが、「希望をつむぐ学力」のほうは、もうすこし軽く読める本です。

 この本の中に収録されているもので、個人的に一番興味深かったのは、岩川直樹先生の「教育における力の脱構築」という論文でした。

 教育業界には、「学力」に限らずいろんな「力」がありますね。「人間力」だの「コミュニケーション力」だの、「段取り力」だの・・・。

 本論文の最初の方では、

1)「力」の概念が、歴史的・社会的な影響を受け、変質していっていること

2)特に、最近は新保守主義による競争と効率原則が支配的になっていること

3)「力」の概念は、「力の発言を他者や場から切り離された個体の問題に還元されること

4) 力の養成は脱文脈的なスキル学習、反復学習に陥りやすいこと

5)養成された「力」は外在的基準により、<科学的>な数量評価によって測定される傾向があること

 が述べられていました。

 そして、「力」の概念によって、下記のような弊害がおこる可能性があることが指摘されていました。

1) 測定になじむスキルなどの目に見えやすい側面のみが問題にされる傾向があること

2) 外在的指標による数量的評価になじまないものまで、その適用範囲を拡大することによって、学びの意欲を授業中の挙手の回数で評価するような、あやふやな根拠に基づいたもっともらしい数値が一人歩きするようになること

 etc...

 なるほど、その指摘は非常に共感出来ます。実は、先日ある本で、僕は「力」問題に関して、こんなことを書きました。

「なんとか力(なんとかりょく)をつけろ、とか、あなたには、なんとか力が足りない、という風に、安易に「ちから」という言葉を使う教育評論家がいたら、あまり信用しない方がいいです。それは、自分の主張したいことに、「ちから」という言葉をくっつけて、単に言いたいことを言っているだけ。学問的裏付けがないことが多いのです」

 そんな折りでしたので、この論文を非常に共感をもって読むことができました。
 また中段で展開される、日本の教育界は、PISAのとらえる「リテラシー」の概念を、敢えて誤読・誤用しているという指摘は、非常に示唆にとみました。

 ---

 ただ、「力」の概念が問題をかかえていることはよくわかったのですが、「それを、じゃあ、どうすればよいのか」と具体的な方法を問われると、なかなか難しい側面もありますね。

 たとえば、教育学者の中には、ヴィゴツキーや状況的学習論などを下敷きにして、こう論じるむきがありますね。

「本来、力とはそういうものではなく・・・文脈に埋め込まれているものであり、他者の助けによって・・・云々」

 という論法です。いわゆる社会文化アプローチの知見をもとにして、従来の「力」の概念を再構築することをめざそうということです。簡単にいうと、「学力とは本来○○なものではなく、○○なものである」という論法で、学力という言葉にのっかりつつ、その定義をズラすという方法です。

 事実、この方法は教育学的にコレクトな態度と考えられがちなのですが、世に流布する「力」の概念は、恐ろしいほど強力なのですね。かなりの激戦を強いられる。ともすれば、この論法では、「力の教育学」とのポリティクスに敗北してしまうになってしまうのではないかなぁ、と僕自身は思ってしまいます。

 じゃあ、どうすればえーねん

 という声が聞こえてきそうですが、僕自身も悩みのまっただ中にいますので、確固たる処方箋があるわけじゃない。

 でも、まずは2つくらい戦略があるのかな、と思うのです。

 1つめは、「力」の概念にのっからず何か新しい概念を創出していくという方法。「学力」とか「能力」とか、そういうものをいっさい使わないのです。先のPISAの「リテラシー」の概念は、それに近いのではないかと思います。

 2つめは「力」概念に一件従順な振りをして、それに基づいてテストもやる。それは社会で求められているのだからやむを得ないと考えるわけです。
 でも、「力」概念に適合すると考えられる方法は敢えてとらず、むしろ新しい学習観に基づく教育を志向するという戦略です。どちらかというと、アメリカの学習科学の研究者はこちらの戦略をとっているのではないでしょうか。彼らは、常にアカウンタビリティをもとめられていますので。

 このあたり、いずれにしても、研究者や教育実践家が、キチンとした戦略をもつ必要がでてくるのではないかと思います。

 学力・・・このすさまじき概念をどうするか?
 それは教育学を研究する人間につきつけられたアポリアかもしれません。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月20日 14:01


ブレンディッド・ラーニング

 「ブレンディッド・ラーニング」に関する本がでたようですね。まだ読んだわけではないのですが、早速注文しました。

 これまでブレンディッド・ラーニングに関する本は、ほとんど出版されてこなかったと思います。きっと、この本、基本的文献のひとつになるのでしょう。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月20日 14:00


親と教育ビジネス

 僕自身が「親子をターゲットにした科学教材」の研究をしているからでしょうか・・・最近、「親子」がにわかに教育の業界で注目されているように感じられてなりません。

 僕のこういう認識が、「そう思ってるの、アンタだけちゃうの?」という、いわゆる「ひとりよがり錯誤」でないことを祈るばかりですが(笑)、特に、最近、何を見るにつけても「親子」が気になって仕方がありません。うーん、今の僕は、いわゆる「親子バカ」かもしれませんが、たいがい研究者はそういうものです。自分の研究領域を愛してしまうと、寝てもさめても、ソレダケになります。

 ここでは詳細を述べませんが、教育系の会社の中でも、「親」をターゲットにしたビジネス展開を模索する動きもでてきているようです。

 「教材を子どもに買い与えるのは親」ですから、それもアタリマエなんですけど、それ以上に、個人情報保護法の施行以降、一斉DMは打てませんので、何とかして「意識の高い親が自分から情報を求めにくる動き」をつくる必要があるのでしょう。
 以前とは、教育ビジネスのあり方そのものが、変わってきている感じが、ひしひしと伝わってきています。

 その中でも、なんか「すげーな」と思ってしまうのは、「親子にフィーチャーした雑誌」の登場です。

日経Kids+
http://kidsplus.jp/

プレジデント Family
http://www.president.co.jp/book/X765-0.html

 「育児」「子育て」「学習支援」「受験」・・・「親が子どもにどのようにかかわるか」についての記事が満載です。

 これ、日経とプレジデントが出版していることからもわかるとおり、この雑誌の読者ターゲットは日経やプレジデントをよむビジネスマンですよ。

 たぶん・・・根拠はないんですけど(笑)、読者のターゲットは、「いわゆる高学歴の教育熱心な人で、子どもに質の高い教育を受けさせようとしている都市在住の親」と推察します。

 以上はもちろん単なる類推ですけど・・・。でも、記事に取り上げられる親が、総じて専門職、研究職、経営者層なので、そうなのかなぁと。

 まぁ、そういう層は子どもの教育に投資できる可処分所得も多いでしょうし、そもそも教育に熱心ですね。要するに経済資本だけでなく、文化資本も非常に高い。てことは、たぶん、マーケティング的にはそこをねらうのが一番いいってことになるのでしょう。

 もちろん、そういう雑誌を否定する気はまったくありません。読んでいてオモシロイですし、非常に勉強になります。
 でも、その一方で、「そういう雑誌がメイン読者層に想定していない親」に対する支援のあり方とか、情報提供とか、テクノロジのあり方が模索される必要があるんだろうな、と思います。これが次の研究課題なのかな、と思います。

 でもねぇ、これは言うのは簡単なんですが、本当に難しいことなのです。これも根拠レスですが、自分の経験では、ロワーになればなるほど、「学習効果に対する教材、教育システムの寄与率は低いのではないのかなぁ・・・」と推察します。それ以前に、いろいろやらなければならないことがでてくる。
 うーん、本当に悩ましいですね。

 親に接近する教育ビジネス・・・その勢いはますます加速していくでしょう。その果てには、どんな教育の可能性がひらけているのでしょうか。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月20日 00:48


表参道ヒルズに行ってきた!

 先日、いろいろと話題になっている「表参道ヒルズ」に散歩にでかけました。散歩にね、健康のためにね。

omotesando.jpg

 表参道ヒルズは、1927年に建築された「同潤会青山アパート」が改装された地上6階・地下6階の商業施設、住居です。

表参道ヒルズ
http://www.omotesandohills.com/

 建築は安藤忠雄氏ですね。

1.六本木ヒルズ」とは違って、表参道の周囲の環境に配慮した、低層型の建築であること
2.地下を効果的に用いて、予想以上に広く感じられる吹き抜けの空間を確保していること
3.移動はスパイラル型のスロープで行うこと

 などが、ワタクシメのようなシロウトでもわかる建築上の特徴でしょうか。どことなく、「スローな感じ」が漂っている印象をもちました(天井の照明がユラユラとしているのが、密かに気になっている)。

安藤忠雄さんの作品
http://tenplusone.inax.co.jp/archive/ando/ando.html

安藤忠雄さんの作品(ベネッセ直島)
http://www.naoshima-is.co.jp/concept/art/benesse_house.html

 建築はスローなのですが、中に入っているテナントは、みな、「超ハイエンド」です。こちらのターゲットは、六本木ヒルズとあまり変わらない。なかなかおいそれと手がでない「高級なお品」が満載です。フラッとはいった服屋さんで、「あっ、これいいなー」と思ったジャケットは、40万円でした。アホか。

 レストランとかだって、まともに食べようと思ったら、かなりの出費は覚悟しなくてはならないのではないでしょうか。

 「ここは、学生時代にはデートとかで来たくないなー」
 「ヒーコーにケーキつけたら、二人で5000円はいくでー」

 とカミサンが申しておりました。

※「ヒーコー」は「コーヒー」の関西弁です

 別に今もピーピーなので、ていうか、「人で人でめちゃ混み」だったこともあり、結局、この日は表参道ヒルズは「冷やかし素通り」でしたけど。

 下記は、興味をひかれたお店。

 ---

はせがわ酒店
http://www.hasegawasaketen.com/index.shtml

 日本酒バーだそうです。ちょっとあまりに混んでいて確認はできなかったのですが、JALのファーストクラスでしか飲めないお酒がここで帰るとか。

ビスティーズ・ワインバー
http://www.bistys.jp/

 ここは壁側にワインベンダーが並んでいて、有料で試飲ができるのですね。オーパスワンとか、そういう超高価なワインもありました。20mlで1500円くらいだったけど・・・。20mlって・・・1秒もたんぞ、オレの場合。レストランスペースがあって、食事もできるようです。

デルレイ・カフェ
http://www.delrey.co.jp/news/cafe_shop.html

テイクアウトのカップのアイスクリームが、2300円。こんな贅沢なものを食べてしまうと、もう二度とスーパーで売っている「庶民のアイスクリーム」は食べられません。「ハーゲンダッツなんて、所詮、庶民のアイスやでー」、とカミサン、申しておりました。我が家は、余裕で素通りしました、見て愉しみました。

※「ハーゲンダッツ」のことを、関西では「ハゲダ」と省略しますか?

 ---

 うーん、気になったものがすべて食い物・飲み物関係なのが、僕らしいというか、なんというかなのですが・・・。

 というわけで、散歩にはいいかもね。

 -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月19日 18:21


できる教師を育成せよ!

 日曜日の朝日新聞32面に「教員研修に関する記事」が3つ掲載されている。下記、一部引用しつつ、ご紹介。

---

 1つめは、「指導力に定評のある名人教師から、現役の先生たちが指導法や日常の自己管理、教材開発をまなぶ教室が人気」だという記事。生徒指導で有名になった原田氏が、自分の講演料や印税などをもとに、東京、京都、大阪で無料の教室を開催しているのだという。

原田隆史さん
http://www.haradatakashi.jp/index1.html

 扱っている内容は、「教師として人生のビジョンをたてる」であるとか、「1ヶ月の目標をきめて、それが達成できたかどうかを議論する」といったような内容。教科にはよらず、いわゆる「目標管理」っぽい内容を提供しているのか。

 原田さんのWebの「教師塾」のところを見ていたら、下記のような「教師塾の卒業資格」に関する記述がオモシロイなと思った。

1.各学習教程のマスターと卒塾時に作成する論文を持ってその資格とします。
2.卒塾生は、2期以降の教師塾へ、オブザーバーとしての参加資格を有します。
3.卒塾生は、定期的に催される教師塾主催の研修会への参加資格を有します。

 おそらく、これは教師塾を中心とした「教師のつながり」「教師のコミュニティ」をつくりあげようということだと思う。

 あと、Webを見ていたら、こちらは有料だが、携帯電話を活用したリマインダーシステムもあるようだ。

目標達成システム
http://www.officeh.com/system.html

 ---

 2つめは、「退職した校長がマンツーマンで授業力向上に取り組む機会を教育委員会が用意しているという話」。新潟県で実施されている「教員サポート錬成塾」などがある。退職した校長が、希望する現職教員に授業づくりや学級経営などのノウハウを教えるのだという。

 東京でも「東京教師道場」というのが4月から開始されるのだという。団塊の世代の大量退職をきっかけに、これは他地域に広まるかも知れない。

 研究としてこれをフィールドにするのは、オモシロイかも。

 ---

 3つめは、「小中学校教員の研修を充実させるため、大学が地元の教育委員会に専門的なノウハウを提供する試み」。こちらは、独法の教員研修センターがおこなう「教員研修モデルカリキュラム開発プログラム事業」で、18大学・教育委員会が採択されたのだという。

教員研修モデルカリキュラム開発プログラム
http://www.nctd.go.jp/F_other_training/model_1.html

 何を行うのかはしらないが、上記のような民間での取り組み、教育委員会の取り組みがある中で、大学としての威信をかけた試みになるであろう。

 ---

 かつて「だるまストーブの前で繰り広げられた教育談義」「校内研修での先輩から後輩へのノウハウ伝達」が失われた、といわれて久しい。

 しかし、その一方で、いわゆる<学力向上>に社会の焦点があたり、授業をもう一度見直そう、という機運が高まっている。特に、これから数年は、団塊の世代の大量退職によって、学校内の徒弟的学習制度も、危機に瀕することが予想される。

 <教師の学び>が、今、熱い!

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします!

投稿者 jun : 2006年3月19日 10:38


三人寄れば文殊の知恵!?の効果

 かなり前に出版された「読むクスリ」の文庫本を、先日電車の中で読んでいたら、阪大の三隅ニ不二先生(社会心理学)が「バズ学習」のことを紹介している節があった。

 「バズ学習」とは、「小グループでの話し合いや教え合い」を取り入れた学習の手法のこと。今の言葉でいえば、共同学習、協調学習とよんでも差し支えないだろう。効果的に行えば、通常の講義を行うよりも高い学業成績を達成することができる。

 バズ学習では、まずクラスを6人のグループにわけて、自己紹介を6分程度でおこなう。自己紹介が終わったら、各グループのひとりひとりに1から6までの番号を強制的にふっていく。

 次に講義を行う。講義は、普通に行って良い。
 で、講義が終わったら、いよいよバズ学習のセッションがはじまる。先ほど講義で扱われた内容に関する質問やコメントなどを相互に行う。セッション内では、「必ず全員がしゃべること」が原則である。全員が自分の意見をとりあえずは話す。

 セッションの途中では、「質問を3番の人がしてください」という具合に、先ほど各人にふった番号をつかって、半ば強制的にインタラクションをおこすこともある。

 セッションが終われば、いよいよ発表だ。発表は、できれば「さいころ」などを用いて、先ほどの番号ごとに指名をする。
 もちろん、全てのグループにあてることを規範としてしまうと、間延びしてしまうので、4グループぶんくらいしか指名しない。「間延び」の雰囲気を先読みし、授業を引き締めて運営することが重要だ。

 さて、このような工夫を行って、どの程度の学習効果の向上が見られただろうか。
 三隅先生のご報告に寄れば、通常の講義の平均点が44点であったのに対し、バズ学習の場合は59点であったのだという。どの程度厳密なテストを行ったのかはわからないが、うまく用いた場合、それなりの効果をもつようだ。

 ちょっと今手元に文献がない(研究室にある)ため、出版年がわからないのだけれども、きっと、この節はかなり前に書かれたものだと思う。そのころから、いろいろな協調学習が提唱されていたのだなぁ・・と改めて思った。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします

投稿者 jun : 2006年3月19日 00:09


ビジョンのつくりかた

 昨日ご紹介した本「校長先生という仕事」の中に、「ビジョンをどうつくるか」に関する記述もあった。これが僕自身の考えに全く合致したので、紹介する。

 ビジョンをどのようにつくるか?なんて、どこの組織でも問題になっていることだろうから、結構、参考になる人もいるのではないだろうか?

校長先生という仕事
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582852661/nakaharalabne-22

 本の趣旨を、やや乱暴にまとめると下記のようになるだろう。

 ---

まずは、「ビジョンは誰かがご託宣するものではない」「ビジョンは一人で描くものではないこと」を知ることが重要だ。

ビジョンとは、みんなでつくるものである。ビジョンを全員でつくりあげていくプロセスこそが重要なのだ。よいビジョンは、人をやる気にさせ、方向を与える。

ビジョンづくりの第一歩は、「自分の組織を知ること」である。その次に、「自分の組織の周囲を知る」必要がある。こうした基礎的情報を全員で共有し、ビジョン作りの会議をもつことが重要だ。

ビジョンづくりの会議では、こう問うといい。

1.もしわたしたちが今していることを続けたら5年後にはどうなっているかを考える
   
2.なぜわたしたちは存在しているのかを考える

 etc....

 ---

 本の中では、このあと具体的にビジョンづくりの会議の運営方法について書いてあるのだけれども、詳細は本をご確認ください。

校長先生という仕事
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582852661/nakaharalabne-22

 上記の中で、僕が激しく共感できることは、「ビジョンは誰かがご託宣するものではない」という考え方と、「今していることを続けたら5年後にはどうなっているか」という問いである。

 前者に関しては、2003年10月17日の日記で、かつて僕はこんなことを述べている。

 ---

 ビジョンという言葉ほど安易な使われ方をしているものはない。

 どうしてここにはビジョンがないのだ?
 各論に入る前にまずはビジョンを提示すべきだ!
 まずはビジョンを提示してくれなきゃ、それからあとのことなんて話せない!

 こういう語りぐさを、よく聞く。

 なるほど、そうした物言いは、一応は理解できる。確かに、ビジョンは必要だ。ないよりあった方がいい。しかし、会議などで議題が硬直した際に、そうした物言いが、いつも無反省に繰り返されるのを聞いていると、どこか釈然としない思いも沸いてくる。

 第一に「ビジョンがない!、ビジョンを示すべきだ」と声を張り上げる人に限って、「自分でビジョンをつくろう」なんて、さらさら思っていないことが多いように見受けられる。

 どこか、神様のいるような高い場所から、ビジョンが降ってくるようなイメージで、それを語っている。もちろん、万が一、ビジョンサマがポックリポックリやってきたとしても、骨をおってインプリメンテーションする気なんてサラサラなさそうにも見える。

 どこぞのファンタジーみたいに、不幸な境遇にあるお姫様を助けるため、白馬にまたがってやってくる王子様よろしく、空から「ビジョンサマ」がポックリポックリとやってくるわけがなんて、そもそもあるわけない。

(中略)

 ビジョンはどこか遠いところから、エッチラ、オッチラ、やってくるものではない。それは、他ならぬあなたが、日々の実践を通して、見いだすものなのだ。

 ---

 たぶんどこかで、「ビジョンがない!」と無責任に吠えている人を見て、相当アタマにきて日記を書いていたんだろう、と推察できる(笑)。が、この考えは今もかわらない。

 後者の問いかけに関してはドキッとした。5年間という具体的な期間をきられると、想像しやすくなるらしく、自分にあてはめて考えてしまったのだ。

もし自分が今していることを続けたら5年後にはどうなっているかを考えると...

 研究のこと、プロジェクトのこと・・・いろいろ考えた。
 うーん、このままではマズイと思うところもある。根本にかえって、ビジョン作りに励むしかないのかも知れない。

 あなたの場合はいかがでしょう?

もし、あなたが、今していることを続けたら5年後にはどうなっているかを考えると...

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします

投稿者 jun : 2006年3月18日 08:44


目標はSMARTに!

 先日、青山学院大学の橋本君に吉田新一郎さんの「校長先生という仕事」という本をすすめられた。

校長先生という仕事
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582852661/nakaharalabne-22

 この本、「日米の校長先生がいったいどのような仕事に従事しているか」という本です。ヘンリー=ミンツバーグの「マネジャーの仕事」の校長先生版といったらよいかな。

 最後の方では、学校を変革するため(change management)には、どうすればよいか、という実践的知恵ものっていて、かなりオトク度が高いと思います。

 で、この本を読んでいたら、「目標」に関する記述があったのね。学校を変えるためには、ビジョンと目標が必要だ、ということで。で、そこには、こう書いてあったのです。

 吉田さんいわく、目標はスマート(SMART)でなければならないというんだよね。つまり、

 Specific 明確である
 Mesuarable 測定出来る
 Attainable 努力して達成出来る
 Resuot-oriented 結果志向である
 Timebound スケジュールをもつ

 ということです。このアクロナム、有名なのかもしれないけど、「目標」のことを本当にうまく言い表しているよなぁと感心してしまった。思わず、ネタ帳に書き足してしまったけれども。

 SMARTね・・・。

 ぺんぺん草も生えないような曖昧な<目標>、いったい、それ、誰が達成出来るんだっていう<目標>、で、いつになったら達成できるんだっていう<目標>をたてそうになったら、思い出すといいよ。

 目標はSTART!

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします

投稿者 jun : 2006年3月17日 17:43


30歳、男の転機

 「30歳 男の転機」というAERAの特集を読んだ。星野リゾートの星野佳路社長、指揮者の佐渡裕氏、アートディレクターの佐藤可士和さん、など各界の実力者たちが、自らが30歳の頃に経験した「人生の転機」を語る、という記事。

 ライフサイクル論で有名なエリクソンによれば、30歳とは「大人の世界に入る時期」。組織文化論やキャリア論で有名なシャインによれば、30歳とは「シゴトの中で自分のアイデンティティを確立し、自分の向かう方向を決定する」という「キャリアの長期計画」をたてる年になる、のだという。

 要するに、男の30歳とは、いわば「スタートライン」でもあり、最初の「岐路」「試練」とでも言うことができるだろうか。

 ---

 ひるがえって自分を考えてみる。

 25歳で大学院を中退し、研究者として就職。27歳で博士号取得、28歳は異国の大学で暮らした。そして、29歳から30歳の去年は、異動があった。

 30歳の去年一年は、我が人生の中でもっとも働いた一年であったと自負する。しかし、その一方で、他人には言えない、いろいろな課題を感じ、その課題を誤魔化し、ごかまし、とにかく前に進んだ一年でもあった。特に研究において悩みは深い・・・。いったい、他の研究者たちは30歳をどのように迎えたのだろうか・・・つい聞きたくなってしまう。

 いずれにしても、まだスタートラインにたったばかりである。しかし、それは、「熟慮」することなしで超えることを許されないラインでもあるらしい。

 ゆっくりと考えることだ。
 そう自分に言い聞かせる。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします

投稿者 jun : 2006年3月17日 00:25


ドラマで学ぶ教育学

 出張で京都にきている。このところ、本当に京都にくることが多いが、いつも「会議室 - ホテル - 新幹線の駅」以外の場所をおとずれる余裕がない。

 今日もたぶんにもれず、そのパターン。天気がよいのに残念だった。ぜひ近いうちにおとずれたいと思っているところに、広隆寺があるのだけれども。当然、そんな余裕なんてない。

 ---

 新幹線でシゴトをしている合間にふと思いついたアイデア。「ドラマで学ぶ教育学」っていう授業はどうでしょうか。教育学の基礎的な概念とかを、ドラマとか映画とかで学ぶんです。

 僕は、授業で、生徒にたくさんのビデオ映像を見せますけど、よく考えたらNHKなどのドキュメンタリーばっかりで、映画とか、ドラマとかはほとんど使ってなかった。

 いにしえの映画だと「スクールウォーズ」とかさ、「僕らの7日間戦争」とか「キンパチ」「ごくせん」とか、そういうドラマや映画を素材にして、教えられないだろうか。海外ものもあってもいいかもね、「運動靴と赤い金魚」とか「今を生きる」とかさ、そういうドラマを見たあとで、「学校の機能とは何か」「逸脱とは何か」「教師とは何か」「教師のストラテジー戦略」とかを教えるという・・・そういうイメージです。

 カリキュラムをつくるのは大変だけど、いつかやってみたいなぁと思いました。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします

投稿者 jun : 2006年3月16日 04:36


本郷のフランス料理

 「タイ=ユヴァン出身のシェフがつくるフレンチ」ということで、本郷三丁目駅のすぐ近くにあるフランス料理レストラン「オ・デリス・ド本郷」にカミサンと行ってきました。ホワイトデーということで。

オ・デリス・ド本郷
http://www.de-hongo.com/

 なんか駅前にドーンとあるから、大丈夫かなぁと思っていたけど、いやー大満足でした。僕としてはかなり好きなほうです。

 特に「子羊のココット」やデザートにでてきた「チョコレートケーキ」が美味しかった。チョコレートケーキは、メイン料理が終わったあとに焼き上げたばかりで、まだ熱いくらい。で、外側はパリッとしているけど、中はチョコが溶けていて、なんともいえない感じでした。

 本郷でフランス料理といいますと、元東大教授の建てた洋館を改造した「ルリス・ダン・ラ・バレ」が有名でしたが、ここは最近なくなってしまったみたいですね。

 ともかく、オ・デリス・ド本郷はオススメかもしれません。
 今度は昼とかに行ってみたいね。

  -----

追伸.
 「劇団ひとり」の小説が売れているようである。どーでもいいことだが、西森さん@NIMEは「劇団ひとり」に似ていると思うのは、わたしだけではないはずだ。

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします

投稿者 jun : 2006年3月14日 23:33


大学教授のシゴト、教育それとも研究!?

 訳あって、「大学教授」のことをあーだこーだ調べていたら、こんなデータを見つけた。世界各国の大学教授を対象にしたアンケート結果である(有本・江原 1996)。

 「主たる関心は教育あるいは研究のどちらにありますか?」
 の問いに対して、下記のような結果になったのだという。

     教育   研究 (%)
 米国  49.2   50.8
 英国  44.4   55.6
 独国  34.2   65.8
 日本  27.6   72.5

 「大学教授」っていっても、「米国のそれ」と「ドイツのそれ」じゃ、全然重みが違うので、早急に比較することはできないですが、それにしても日本は圧倒的に研究志向なのですね。なんだか、そもそも日本の大学が模範にしたドイツよりも研究志向だってのが、後発効果みたいだなーと思った。

 それにしても、この本、本当にオモシロイ。大学教授といっても、世界で一様ではないことがよくわかった。

 この本が出版されたのは10年前なんですが、また、これ今やったらデータが変わるだろうね・・・。今の若いプロフェッサーは、もう少し教育志向になるんじゃないかな、と思うのですが、どうだろ?

 あなたの教授は、研究志向?、それとも教育志向?

  -----

追伸.
 昨日の話じゃないけど、「教育志向 vs 研究志向」っていう分け方は、本当はおかしいと僕は思っていますけども。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします

投稿者 jun : 2006年3月14日 17:33


プロフェッショナルって難しい

 以下、近況。

 ---

 4月からの新・研究部門立ち上げ等、なんだかものすごい勢いで仕事が入ってきており、忙しい毎日を過ごしている。

 今日は、新研究部門に着任予定教員のお二人、そしてアシスタントの方が、今日、大学総合教育研究センターにご挨拶にいらっしゃった。

 新しい研究室で使用するファニチャーをあーでもない、こーでもないと選んでいるのを見ると、なんだかこちらも楽しくなってくる。つい1年前、自分もここに同じようなかたちで着任したことを思い出した。

 1年は残酷なほど短い。

 ---

 東京大学の「教育の情報化」の礎をつくられた先生が、今年、定年退官を迎えられる。夕方、某センターにおいて開催された送別会に参加した。

 先生の新天地でのご活躍をお祈りしつつも、まだヨチヨチ歩きをはじめたばかりのTREEの活動(Todai Redesigning Educational Environment)をもう少し見守って頂きたいと思った。

 ---

 「そろそろ定期健康診断の季節ですよ」・・・僕は、定期健康診断を年に2回受けることにしているけれども、そのお知らせが、今日届いた。半年間は、本当に早いなぁ・・・悪くなってないとよいけれど。

 ---

 ベネッセコーポレーションの中野さんが届けてくれた「BETWEEN」の特集記事「教員養成システムの論点―どう育成し、質をどう維持するか― 」を読んで、とても考えさせられた。中野さん、ありがとう。

BETWEEN
http://benesse.jp/berd/center/open/dai/between/2006/1201/1201main.html

 その中で、佐藤学先生が下記のような指摘をなさっていた。

>欧米のプロフェッショナル・スクールは、
>専門家教育を公共的使命とする大学院と
>して規定され、医師、弁護士、牧師、教
>員、経営コンサルタントなど、知的に高
>度な仕事に従事する公共的な専門家の教
>育を担っている。それらの大学院では、
>第一級の学術研究が専門家教育の基礎と
>されている。もちろん実務家が教授を務
>めているわけではない。

>米のプロフェッショナル・スクールと違
>って、日本の専門職大学院は、学術研究
>と実務家教育の対立という構図で制度設
>計されている。専門家教育ではなく実務
>家教育が目的である。法科大学院を除く
>。ほとんどの専門職大学院は、「専門学
>校のような大学院」になってしまってい
>る。これは、専門職大学院の制度設計の
>最大の誤りである。

 このご意見には、まったくの同感である。

 どこか日本の専門職大学院の制度設計は、「実務家 vs 研究者」という対立構図があって、「実務家=役に立つ vs 研究者=研究ばっかりやっていて役にたたない」みたいな前提があるような気がしてならない。研究歴のない人が採用される傾向も非常に強いようだ。

 しかし、むしろアメリカのプロフェッショナルスクールで採用されている人材は、「研究もできて実務経験もある人」「実務経験があって、研究(学問)もできる人」というイメージがある。事実、Ph.Dを取得している人がほとんどであると思う・・・少なくとも、僕の知っているボストン近郊の大学は。

 誤解を避けて言うが、Ph.Dを取得しているかどうかを問題にしているのではない。「研究ができて、実務もわかる人」「実務経験があって研究もわかる人」・・・つまりは、どちらもできることが重要なのではないかと思う。

 プロフェッショナルの定義は、いくつか要件がある。その中には、現場での問題解決に資する、というのと同時に、体系的な知識を有するっていうのもある。

 知識だけでプロフェッショナルにはなれない。そして同時に、実務経験だけでもプロフェッショナルにはなれない。

 プロフェッショナルになることって、そもそも難しい。

  -----

追伸.
 カミサン、しばらくはいていなかったジーンズを、今日、仕事場に着ていき、ふとももに「赤いブツブツ」をたくさんつくって帰ってきた。「カユイ、カユイ」とウミガメのような涙を流す。

 なんの虫?

  -----

 今日は何位? 1日1クリックをお願いします

投稿者 jun : 2006年3月13日 21:57


研究の場ではたらくポリティクス

 先日の僕のエントリーに関して、ペンシルバニアステートの藤本さんからレスポンスをいただきました。ありがとうございます。

 藤本さん、本当に、今、ペンステートにいますか(笑)。
 今、アメリカにいる人と、今箱根にいる人間が(僕は、今、箱根で研究会に参加しています)、こうして議論ができるってのは、よく考えてみたらスゴイことですね。15年前にはありえなかった話ですから。

藤本さんのエントリー
http://www.anotherway.jp/archives/000643.html

 以下は僕のコメントです。

>僕個人は、この問題については「いかに
>ポジティブや中立であろうとしても、悪意
>や利己心を持った受け手がメッセージを歪
>めて捉えようとするのは避けられない」と
>いう前提で、そういうセコい悪意など無力
>化できるくらいにポジティブさを維持して
>いこう、というスタンスを取ります。

なるほど。

ポジティブなもので、ネガティヴなものを超越しようというご発想でしょうか。しかし、「あるものがポジティブなものなのか、ネガティヴなものなのか」ということを、根拠をもって判断する基準はないんじゃないかなと思うんですね。そこでいう<ポジティブ>は、「藤本さんの考えるポジティブ」という意味で、まさに藤本さん自身も、政治力学の渦中にいますね。

自分の教育研究と、それに付随するポリティクスに関しては、こんな風に考えています。

 -----

1)僕は、既に自分自身がポリティカルにニュートラルな存在ではないことを自覚する(僕の中にも背後仮説となるような教育観や学習観が存在する)

2)僕は、既に教育に関連する人々のパワーダイナミズム(政治力学)の中におり、時に利用され、時に反発を受けている、ことを自覚する。

3)上記のような政治力学の渦中にありつつ、僕が職業として教育学研究を行うかぎり(それで食っている存在であります)、そのハシクレとして、研究成果を語るという社会的要請がある。その際には最低でも下記に注意する。

 3-1)「わからないこと」はわからないという
 3-2)「教育にできないこと」はできないという
 3-3) データにもとづいた議論を行う
 3-4) 実質的な議論が行える研究成果の発表の
    場を設ける

4)上記のような認識をもって、自分の研究に関連する社会のステークホルダーをなるべく巻き込みながら - つまりは教育研究のアクターネットワークを構成しながら - どこまでできるか知らないけれど(笑)・・・研究を行う。

 -----

 1)と2)はそのまんまです。

 3-1)は、昨日の議論とつながるのですが、「教育の専門家だからといって、教育に関連することだったら、何でもわかるわけじゃない」。そこには、自信と根拠をもって答えられる守備範囲ってのがあるはずです。守備範囲を超えると、まずデータがありませんから、とんでもなく根拠レスなことを言ってしまったりする。

 で、いわゆる「振り付け」をされたり、ポリティカルな悪意をもった人々に利用される可能性が格段にあがる。正直に「自分にわからないことは、データがないのでわからない」というべきです。

 前にこんなことがありました。
「ニートの増加は、ITの普及によるコミュニケーション不足の結果でしょうか」とある場所・・・役所で聞かれたのですね。「素直にデータがないのでわかりません」と答えたら、「そんなこともわかんないのか、コイツは」という目・・・というか、可愛そうなものを見るような悲しげな目・・・で見られたことがありますけれども(笑)。
 いや、専門家だからこそ、「わからないものをわかる」といっては、ダメだと思うのです。

 3-2)に関しては、たとえばこんなの。
「学校にコンピュータがはいって、みんながナレッジワーカーになれば、社会の階層格差は埋まるでしょうか」これは実際に取材を受けたときに言われたものです。そのときには、こんな風に答えました「いや、階層格差是正を目的にして、その種の教育の試みにできることはごくわずかだと思いますが」と言ったのですね。

 ともすれば、世に流布する言説は、何でもかんでも、クソミソ一緒にして、教育のせいにします、教育が何でも解決出来ると持っている。「教育にできること」「教育にできないこと」の線引きは、必要だと思っています。今回の場合、僕はこれを「教育にできないこと」ではないのかな、と思ったのですね。それについては、「できません」と言うことが重要なのではないかと思います。

 3-3)はアタリマエですね。議論にエビデンスがなければ、いわゆる「私の教育論」と同じになってしまいます。「わたしの教育論」ほど、政治的に利用されやすいものはない。

 3-4)「実質的な議論が行える研究成果の発表の場を設ける」は、「実質的な議論」というところが重要です。啓蒙系のシンポジウムとか、そういうのは議論がオープンじゃない。そういう意味では、自分のまわりに、研究仲間がいる。学生、研究者からなるようなコミュニティがあるというのは重要だと思っています。

 4)はいわゆるアクターネットワーク理論的世界ですね。文字通り、どこまでできるかはわかりませんが、少なくとも、今は、そういうネットワークをつくりたいと思っています。まさに政治の場です。

 ---

>関連する話で、インストラクショナルシ
>ステムデザイン(ISD)の研究者達が、
>教育システム変革論に関心を持つように
>なった、という流れがあります。
>ISDは教育現場のデザインが主要な関心
>なのですが、それをうまくやろうとした
>り、学校全体やさらに広範に普及させよ
>うと考えた際には、どうしても学校や学
>区、より上位の教育システムといったマ
>クロなシステムの動きを考慮した取り組
>みが必要になります。
>(中略)
>政治的動きというと、何やら怪しげな感
>じがしますが、状況を望ましい状況に持
>っていくため手段の一つとして捉えれば
>いいと思います。

なるほど。
上位の教育システムのリデザインですか。

このあたりは、いわゆる学習科学(learning science)でも似たようなところがあって、WISEのグループとか、ノースウェスタンのグループとか、もっとマクロレヴェルの教育システムのリデザインに着手しているようですね。ちょっと前のところでは、M.ColeのFifth Dimensionがありますね。

ちょっと今研究室じゃないので、正確に名前は忘れましたが、彼らのグループが4年くらい前に書いた論文を読んで、「嗚呼、これはもう違うレイヤーの話にいっている」と感じたことを覚えています。彼らがやろうとしていることは、もう教育変革なのだと思いました。

実際、1990年代後半、Learning scientistの知見が、国や州の政策に反映されたり、新しく学校をつくったり、場合によっては、ベンチャーをたてたりしていますね。どこまでうまくいっているのかわかりませんが、とにかく、そういう場で活躍しているLearning scientistが増えていることは間違いないようです。

この点に関しては、研究成果が社会に還元されていくのは、とてもよいことだと思うのですが、僕自身としては、3つ思うところがあります。

 1) 研究室にしっかりと片足をつけておくこと
 2) 教育システムのリデザインを行う際、大学
   と実践現場を媒介する組織の必要性
 3)いったん自分の手をはなれ、普及フェイズに
  はいった段階で、自分の当初の考えが歪曲
  され、利用される可能性を自覚すること

 1)は先ほどの繰り返しです。バスケットボールをたとえにいいますと、僕は、こういう状況を「ピポットターン」的状況とよんでいますけど(笑)。僕は、個人的に研究、「軸足」だけは地面から離したくないし、離すことはないと思います。

 2)に関しては、結構思うところがあります。
 結論からいうと、大学研究者と現場のあいだをつなぐ媒介的な組織がなければ、なかなか教育システムの変革まで手がまわらないと思うのですね。

 いったん教育学者が普及ということを意識した場合には、どうしたってマンパワーが必要です。でも、そのマンパワーをどう獲得し、どういう仕組みで、その「マンパワー」をマネージしていくかについては、議論がナイーブすぎると思っています。

 たとえば、研究者と教育現場の関係を表現するモデルに、いわゆる「導管モデル」というのがありますよね。「研究者が、大学で研究に基づいて、教育プログラムをつくって、その教育プログラムを、現場に落として、教員が実施する」という考え方です。

 ただね、このモデル、僕は「ホンマにこんなんで、うまくいくのかな」と素朴に思ってしまいます。ウソこけよ、と。理念的に変だといっているわけではありません、機能的にうまくいかないと思うのです。モデルを構成する主体が二者しかいないんですね、「研究者」「実践者」みたいな。組織的な言及がないというのかね。

 研究者と実践者をつなぐ仕組み、リデザインを実働で行っていく人と、そうした人を組織立ててマネジメントしていく仕組みに対する言及がないと思うのです。いわゆるビジネスモデルでしょうか・・・普及モデルがないのですね。

 たとえば、アメリカですと、NPOなどの機関が、その仲立ちにはいるところがありますね。社会システムが全く違うので、性急な議論はできないのですが、そういう話をそもそも議論に組み入れなくてはならないのではないかと思ってしまいます。

 こういう風に思うようになったのは、NPOの経営にたずさわったり、MITに留学したあとからなんですけれども・・。

 3)に関してはダイバーシティがましますのでね、避けたいことかもしれませんが、致し方ないことです。

---

 最後の方は話がちょっくらズレました。ごめんなさい。

 今度ぜひご帰国なさったときは、ゲームのことならず、ISDの研究動向などご教示いただければと思います。ポリティクスについてもお話ししましょう。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします

投稿者 jun : 2006年3月12日 10:26


東大、「親子」を考えるシンポジウム:〆切間近

 きたる3月25日「ザ・親子:ニッポンの親子を元気にする!?」というシンポジウムが、東京大学小柴ホールで開催されます。インチキコピーライター中原、また、腰砕けのタイトルをつけてしまいました!

 でも、タイトルは腰砕けヘロヘロですが、基調講演は「プロ親になる」で有名な親野さん、堀田龍也先生が登場します。僕らの研究プロジェクトである「おやこdeサイエンス」もご紹介致します。

 参加は無料、下記のWebからどうぞ。残席10以下です。
 どうぞ、お茶の間の皆様、お誘いあわせの上、お越し下さい。
 
 http://www.beatiii.jp/seminar/

===================================================
ザ・親子:ニッポンの親子を元気にする!?
チカゴロの親子が丸ごとわかる一日はいかがですか?

BEAT Seminar 2005年度研究成果報告会」開催について
2006年3月25日 東京大学小柴ホール 入場無料
===================================================

 ベネッセ先端教育技術学講座(BEAT)においては、携帯
端末と学習と結びつけ、新しい利用法を探るプロジェクト
を推進しています。

 今年のBEATの研究を一言でいうと、「ザ・親子」!
 ニッポンの親子を元気にする「学習テクノロジー」
「教育のあり方」を模索し続けてきました。

 このたび、プロジェクトの最新の成果を広く理解いただ
くために、研究成果報告会を開催します。各プロジェクト
、実際の親子の学習に関するデータをご紹介できると思い
ます。
 また、家庭教育メルマガ最高の読者数を誇る「親力で決
まる子供の将来」を主催し、「親子で決まる」「プロ親に
なる」などの著書を上梓なさっている親野智可等さんをお
呼びし、BEAT講座堀田龍也との対談を組んでおります。

 親野智可等さん
 http://www.oyaryoku.jp/

 年度末ご多用の折とは存じますが、ぜひご予定に加えて
いただき、ご参加くださいますよう、よろしくお願いいた
します。

             記

■開催概要
●主催:
 東京大学大学院 情報学環 ベネッセ先端教育技術学講座
(BEAT)
 http://www.beatiii.jp/

●日程:
 2006年3月25日(土) 午後1時より午後5時まで

●場所:
 東京大学 本郷キャンパス 小柴ホール
 理学部1号館内
 http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_06_01_j.html

●定員:
 200名(参加費無料)
 このところBEATセミナーは満員が続いています。
 キャンセル時には、他の方に席をお譲りしますので、
 恐れ入りますが、sato@beatiii.jpまでご連絡ください。
 
 
■プログラム

1.趣旨説明
 BEATフェロー/東京大学助教授 山内 祐平

2.基調講演(対談)
「子ども・家庭・学校でのメディア教育を考える」
 小学校教諭/「親力できまる!」著者 親野 智可等氏
 BEAT客員助教授/NIME助教授 堀田 龍也

3.成果報告
「Kids K-tai」プロジェクト報告
 BEAT客員助教授/NIME助教授 堀田 龍也
 お茶の水女子大学付属小学校教諭 辰巳 豊氏

4.「おやこdeサイエンス」、そのインパクト
 BEATフェロー/東京大学講師 中原 淳
 BEATアソシエイツ/宮崎大学助教授 山口 悦司
 BEATアソシエイツ/NIME助手 西森 年寿
 BEATアソシエイツ/神戸大学助手 望月 俊男

http://www.oya-ko.jp/
http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0511/11/news083.html


5.質疑応答
 
 
■問い合わせ他
 最新の情報は、BEAT WEBページにてご案内します。
 この案内は、自由に転送していただいて結構です。
 本件に関するお問い合わせは、担当:佐藤
 (sato@beatiii.jp)までお願いします。
 
 
■参加方法
 参加費は無料です。参加登録は2月13日(月)より
 BEAT Webサイトhttp://www.beatiii.jp/seminar/
 にて、開始いたします。

===================================================

投稿者 jun : 2006年3月10日 18:01


ゲームと教育工学

 シリアスゲームを研究しているペンシルバニア州立大学の藤本さんが、僕の先日のエントリーに関して、詳細な説明・解説を加えてくれましたので、ご紹介します。

藤本さんの記事
http://www.anotherway.jp/archives/000642.html

 上記の記事について、いくつかのコメントを。

 ---

>シリアスゲームは「教育をはじめとする社会の諸領
>域の問題解決のために利用されるデジタルゲーム」
>がそのコンセプトになっている。なので、教える・
>学ぶためのゲームというだけでなく、啓蒙のための
>ゲーム、広報・宣伝のためのゲーム、政治的メッセ
>ージを伝えるためのゲーム、治療のためのゲーム
>なども含まれる。

なるほど。啓蒙のため、広報・宣伝・政治的メッセージの伝達ため、要するに開発者が伝達したいと考える意図的メッセージがまず存在しており、その手段としてゲームをもちいるものを、「シリアスゲーム」というのですね。

まぁ、僕は学習研究者なので、上記のようなテーマを聞くと、あいかわらず「それは学習だよなぁ」と思ってしまいますが(笑)。「箸が転がっても」、「それは学習の問題だよなぁ」と思ってしまう、「学習バカ」の僕は、このさい、放っておきましょう。なるほど、了解しました。

シリアスゲームの事例、いくつか見せていただきましたが、やはりそこにただならぬ、ポリティカルなものを感じるのは上記のような定義に由来するところが多いのでしょう。

要するに、「ポリティカルなもの」をそのまま伝達しても、子どもや大人には獲得できない。だから、ゲームという形式をつかって、彼らが楽しんでいる間に、獲得させちゃおう、正当化させちゃおう、という開発者のねらいみたいなものを感じます。

政治的中立を夢想するのは、教育学の悪い癖なのですが、かなり露骨にそれがわかりますね。もちろん、政治的中立な教育言説、教育アーティファクトは存在しないことを重々承知して言っています。

ということは、こうしたゲームを使用するには、そのゲームのもつポリティクスに対して、相当自覚的でなければならないということになるのでしょう。あるいは、それを用いる教師には、いわゆるメディアリテラシー的な観点が必要なのかな、とも思います。

ここらあたりは、社会学とか、そういう学問が切り込むとオモシロイと思うのですれども。カルチュアラルスタディーズやメディア論的観点からすると、どういう分析が可能になるのかな?

---

あと、藤本さんの指摘のところで下記は、全く同感ですね。

>教育デザインのスキルとゲームデザインのスキルは、
>互換性がありそうで実はそれほどないという点を理解
>されずにきたこと。

まさにおっしゃるとおり!

ただ、これはゲームデザインだけではないように思います。たとえば、インタフェースのデザイン、マニュアルのデザイン・・・。教育のアーティファクト、すべてのことに関していえるのではないかと思うのですね。

大学の研究室だけで、研究のためにつくったものをワンショットサーベイするのなら、そういうものにはこだわらなくてよいかもしれない。もちろん、誤解をさけるためにいいますが、そういう基礎研究はとても重要です。緻密に緻密に実験計画をつくり、論をたてる基礎研究を軽んじてはいけません。

ですが、いったん大学を離れ、エンドユーザを意識したとたんに、教育学者の目から見たらとてもトリヴィアルなものに見える、そういうディテールのデザインが実は重要だったりする。それができないと、本来ねらっていたものすら実現できなくなってしまいます。これに関しては、ここ数年の僕のプロジェクトで、イヤと言うほど、僕は味わいました。

でも、教育の専門家のなかには、「自分たちは教育の専門家なのだから、教育に関連するものは、そのよしあしも含めてわかるハズだ、よいものをつくれるはずだ」と思っている人もいる。いえいえ、教育の専門家だけではありません。そういう専門家を見る社会の「まなざし」もそういうところがある。でも、それはなかなか難しいことが多いのです。やはり、餅は餅屋だと思います。あるいは、餅屋同士のコラボレーションですね(どんなコラボよ?)。

ちなみに、僕の関係するプロジェクトは、すべて専門の人に担当してもらいます※1。キーになる人たちには、本当にプロジェクトの最初のアイデアだしの部分から、共同研究として関与してもらっています。

研究をはじめて10年・・・まだまだかもしれませんが、ようやく「うちのオカン=典型的エンドユーザ」にも、関心をもってもらえるような、少なくとも「見て」もらえるプロジェクトをくむことができるようになってきたな・・・・と思っているのですが・・・自信はないけど・・・嗚呼、まだまだだな。

---

最後に、ここではゲームのことを述べましたが、まだまだ欧米にはかなわぬものの、日本の教育工学もずいぶんと産学連携型のプロジェクトが増えてきましたよ。共同研究、受託研究、契約、MOU、NDA・・・こういう産學連携ワードを聞かぬ「一週間」はほとんどありません。

ぜひ、海外で培われた知見や経験をもとに、日本の教育の世界でも「大暴れ」して下さい。

---

追伸 ※1
僕の関与する研究は連名研究者が多いと言われることがありますが、それはそういう事情があるからです。Shared objectに向かって、全員がそれぞれの専門性を生かしつつプロジェクトを推進していくことを目指しています。そして成果は誰にとっても残るようなかたちで、平等に配分し、キチンとクレジットを入れます。余談ですが、だから必然的に研究メンバーの数が多くなるんです。

さらに追伸・・・
 興奮してまたネツが・・・。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします

投稿者 jun : 2006年3月10日 13:31


ものまね100連発:スゴいプロモーション

 ひそかに話題になっているMSNサーチ+動画のプロモーション「ものまね100連発」。ものまねネタ自体もオモシロイけど、プロモーションの仕組みとしても、本当にオモシロイですね。モノマネ見たくていろいろ探しているし、MSNのWebサービスを自然とわかっちゃうし。

爆笑モノマネ100連発
http://promotion.msn.co.jp/monomane100/index.htm

 個人的には中尾○が好きだけど。皆さんは何が好きですか?
 それにしても、これを仕掛けた人はすごいねぇ。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします

投稿者 jun : 2006年3月10日 10:25


FOOD FORCE : ゲームを教育現場で利用する!?

 ロールプレイングゲームをとおして食料援助を体験するゲーム「Food force」が公開されましたね。「ゲームの教育利用」、いわゆるシリアスゲーム(Serious game)というやつです。

 今は下記のページからダウンロードできるようですが、先日、僕は国連WFP協会からCD-ROMをわけてもらいました。時間がないので、最初のミッションしかチャレンジしていませんが、(少なくともLook and feelは)「あぁよくできているなぁ」と感心しました。

Food Force
http://www.foodforce.konami.jp/

 First Missionしかチャレンジしていないので、詳細なことはわかりませんが、おそらくゲームの部分は、「つかみ」といいましょうか、Motivationを喚起したり、いわゆるAnchored instruction的に使のがよいのかなと思いました。このゲームプレイだけで達成度をあげるというのではなく。

 いや、それでむしろよいのだと思うんです。
 授業者にとっては、このゲームプレイをはさんで、どのような授業を組むかが最大の問題のように思います。というと、一番重要なのは、「カリキュラムデザイン力」ということになるでしょうか。あくまで私見ですけれども。これを現場のセンセイにわたした場合、あのセンセイだったら、どう授業をするだろうなぁと考えていました。

 ゲームには、Lesson planも同封されていましたよ。まだこちらには目をとおせていないですが、こういうものをちゃんとつくっているところが、さすがですね。

 シリアスゲームについては、最近、本もでています。先日注文していたものが、もう少ししたら届くようですけど。

   

 ちょっと前にはこんなのもでましたね。僕がまだMITにいた頃ですけど。ゲーム学術書がでたよーとかいって、結構話題になっていました。

 最近では、シリアスゲームなんて言われているようですが、もともと教育工学の業界では、ゲームを現場でいかすというのは、すごく古いアイデアですね。いろいろなゲームが開発されてきましたけど・・・。阪大の研究室でも僕の知っているだけで、いくつかのゲームを開発してきたと思います。

 実は、僕自身も、まだ大学院生だったころ、研究室の皆さんたちと教育用Webゲームをつくるという共同研究をしていた頃があります。

 GEOTRADEというゲームなのですけど、貿易商になってみて、世界中をマタにかけて買い付けと売却をグループで行うというゲーム。地理的知識、経済的概念について、学んでもらうのが目的でした。

 その開発プロジェクトを通して、ゲームを教育現場でいかすということの可能性も知りましたし、限界らしきものもわかりました。ゲームでねらってよいことと、ダメなことも感じることができました。

 さらにはそれを研究にすることの難しさやオモシロサも、オボロゲながらわかったつもりです。あのねぇ・・・本当にさぁ、「教育ゲームを批評」したりするのは簡単なんですよ。あれがいい、これがいい、あっちはどうだ、これはどうだって言っていればいんだから。

 でも、シナリオ書いて、アルゴリズムを書いて、インタフェースつくって、キャラデザインして、ゲームつくりますよね。で、それを評価するってのはね・・・本当におもしろいのですが、これは泣くね、かなり過酷な開発に入りますよ。心してかからないと。

 そんなこんなもありますけど、僕自身は、ゲームには結構関心をもっています。
 たかがゲーム、と侮るなかれ。

  -----

 一日一善ならぬ 1日1クリックをお願いします

投稿者 jun : 2006年3月 9日 18:52


風邪

 このクソ忙しいときに風邪でダウン。2日くらい前から、イヤな予感はしていたんだけど、もうノドが痛いし、ネツはでるわで、最悪です。

 最近、僕のまわりでは風邪でダウンする人が多く、なんか、今流行っている風邪は、「嘔吐系」・・・便所から離れられないほど嘔吐を繰り返す・・・それ風邪か?・・・だと聞いていたのですが、僕は違うようですね。

 夜、会議を片っ端からキャンセルのお願いをかけたのですが、本当にみなさんに迷惑をかけてしまうことになってしまいました。ごめんなさい。昨日、「意識朦朧子ちゃん」だったのですが、なんとか原稿は書き上げましたし、今日は締め切りはないはずです。今日はシンナリとしています。

 くれぐれも、みなさんもお体ご自愛下さい。
 トホホ。

 -----

 一日一善 クリックをお願いします

投稿者 jun : 2006年3月 9日 08:16


与作

 昨日、僕は自分が、この20年ものあいだ、「大きな過ち」を犯し続けて生きてきたことに、気がつきました。

 というのは・・・(ここからは相当くだらないので、時間のない人は読まないで下さい)

 実は、ここ数日、ipodで北島三郎の「与作」を何十回と繰り返し聞いていたんですけど、この歌は、実は3人の人間の「かけあい」の歌だったんですね、それに気づきました。

 この歌は、「ナレーター」と「木こり」と「木こりの妻」が、それぞれ自分のパートを歌って構成されているのです。つまり、こういうことです。

 与作は木を切る(これはナレータの声)
 ヘイヘイホー ヘイヘイホー(これは木こりの声)
 (省略)
 女房は ハタをおる(これはナレータの声)
 トントントン トントントン(妻の声)

 これを僕はすっかり誤解していた。これはナレータがひとりで「木こりとその妻の様子」を俯瞰していて、それを淡々と歌っている歌だと思っていたのです。

 与作は木を切る(これはナレータ)
 ヘイヘイホー ヘイヘイホー(これもナレータ)
 (省略)
 女房は ハタをおる(ここもナレータ)
 トントントン トントントン(最後もナレータ)

 だと誤解して歌っていました。
 
 サブちゃんは、さすが「演歌の帝王」だけはあります。注意深く「与作」を聞いていると、彼はこの3つの声をうまく歌い分けていらっしゃるのです。

 ナレータのときは鼻の穴をひろげて、木こりのときは「人がよさそうな声」で、妻のときは「木こりの帰りをまつ愛くるしい妻の声」で。未熟者の僕には気づかなかった・・・この表現の細かさには。

 かつて、僕が、あのステージで「与作」を熱唱したとき、あの人はいいました。

 「あなたの歌には、風景が見えない」

 血気盛んだった僕は、「なにをー」と思いましたが、あの人のいったことは正しかった。僕が演歌歌手になれなかった理由が、ようやくわかりました。昨日の発見で、僕の「与作」は大きくレベルアップでしょう。

 でもね、レベルアップするだけじゃダメなんです・・・研究者なんだから。サブちゃんにはないオリジナリティがないと。僕なりのオリジナリティを、この歌に加えなければ、勝てないのです。

 で、30秒くらい考えて、僕は、この歌を4つのパートから歌うことにしました。「かぁーーーーー」と音のするビブラスラップという楽器の音を自分の声で入れることにしたのです。こんな感じです。

 与作は木を切る(これはナレータの声)
 ヘイヘイホー ヘイヘイホー(これは木こりの声)

 かぁーーーー(中原オリジナル)

 女房は ハタをおる(これはナレータの声)
 トントントン トントントン(妻の声)

 かぁーーーー(中原オリジナル)

 悪いけど、もう無敵。

 ---

 いずれにしても演歌は手強いですね。これを大きく反省して、昨日、演歌のCDを大量に買い込みました。自分のレパートリーをもう一度復習しようと思います。

 次の課題はタカシ・ホソカワの「望郷じょんがら」です。さて、次は何を発見しますやら。

追伸.
 こんなくだらないエントリーで、40万アクセスを達成してしまうなんて・・・嗚呼。

 -----

 一日一善 クリックをお願いします

投稿者 jun : 2006年3月 7日 21:23


八重樫さん、おめでとう

 福山大学の八重樫さんがファーストオーサーの論文が、日本デザイン学会の論文誌に採録されたとの連絡がはいった。八重樫さん、本当におめでとうございます。共同研究者としても、とても嬉しく思います。

 この論文は、主に八重樫さん、望月さん、中原が中心になってすすめた。確か、「これを書こうよ!」といっていたのは、僕がまだボストンに滞在しているときで、八重樫さん、酒井さんがMass Ave.の我が家にあそびにきたときだから、きっと2004年3月くらいになるのではないかと思う。論文執筆の計画は、ボストン - 東京のテレビ会議で実施された。
 
 内容は、あるWebインタフェースのデザイン要素がもつ効果を明らかにするため、実験計画をくみ、2元配置分散分析の手法を用いたという感じ。かつて、望月君が執筆した日本教育工学雑誌の論文をさらに深く探求している。

 今度、八重樫さんが上京した際には、お祝いだな、と思う。
 それにしても、あれから2年か・・・。いろいろ変化があったなぁ・・・この2年は。

 -----

 一日一善 クリックをお願いします

投稿者 jun : 2006年3月 7日 19:00


大学のファイナンス力

 世界の大学のファイナンス力に関する記事を読ませていただいた。

世界の大学のファイナンス力格差
http://www.tez.com/blog/

 「教育や研究の世界は、お金に関係ない」というのは大嘘で、本当にたくさんのお金を必要とする。工夫次第である程度は乗り切れるが、先立つものは必要だ。これはどんなに否定したくても、否定できない事実。

 いおなお、日本の大学は、不動産、株式、ファンドへの積極投資は難しい。法人化のあとで、文部科学省の一機関をはなれ、本当に自由になったとは思うが、まだまだいろんな制約やルールが残っており、手足を縛られている。小宮山宏総長のおっしゃるように、まさに「両手を縛られて、プールになげこまれ、泳げと言われているようなもの」なのである。

※ちなみに、法人化に関しては、いろいろ問題はあるけれど、僕自身はよかったと思っている。

 やれ大学ランキングや、論文引用数で大騒ぎして、「日本の大学は、ケシカラン」とやる教育評論家のみなさんのご意見ももっともだが - もちろん、科学者・研究者である以上、非常にシビアに研究や教育には力をいれる - そういう論文や教育環境を生み出す原資のランキングをもっとクローズアップしてほしいと思う。

 ---

 ▼NAKAHARA-LABのblogランキングは?▼
 1日1クリック していただけると嬉しいです

投稿者 jun : 2006年3月 7日 09:28


ひと休み・・・のあいだのエントリー

 年度末につき学内業務が忙しい・・・。それに加え、某商業誌、雑誌論文の原稿、本の編集にケッつまづいている。僕も精一杯頑張っているんだけどねぇ・・・。

 もはや「見せかけのシメキリ」を過ぎて、「真のシメキリ」に入ってきており、やや余談を許さぬ状況になっていることは重々承知している。思わず、ある担当者に「真の真のシメキリはいつですか?」と聞いたら、「キーッ」と言われた。ごめんなさい。

 そうそう、東京大学では、今年の11月に「APRU DLI 2006」という国際会議が開催される。アジア環太平洋の大学連合が主催になっている遠隔教育に関する国際会議である。下記にWebもアップロードされた(スパイスワークスさんにつくってもらった)。ぜひ、ご参加頂ければと思う。

APRU DLI 2006
http://apru2006.dir.u-tokyo.ac.jp/

スパイスワークス
http://www.spiceworks.co.jp/

 この国際会議では、世界中から論文が投稿されるので、電子ファイルによる原稿の投稿、査読を行うのだけれども、皆さん、知ってました? 電子査読システムって、オープンソースのものがあるんですね。

オープンソース「Open Conf」
http://www.zakongroup.com/technology/openconf.shtml

Open confを使ってつくったAPRUDLI2006の投稿システム
https://apru2006submit.itc.u-tokyo.ac.jp/openconf.php

 いやー、便利ですねー。最初、僕は電子査読システムって、ゼロからつくるのかと思っていたけど、あるらしいのですよ。情報基盤センターの先生が、セットアップなさいました。

 電子投稿・査読システムもあるんだったらさ、学会のメンバー登録、学会費の課金システムとかそういうのもあるといいのにね。そしたら、今は学会ごとに、同じようなシステムを個別に開発していると思うのですが、その分が浮きますよね。

 いやー、オープンソースっていろいろあるんですね。
 これ以外にもアカデミック支援ではいろいろあるんだろうか?

 まぁ、いいや・・・そろそろ原稿に戻ります。
 ほんのひと休み、ひと休み・・・。

 ---

 ▼NAKAHARA-LABのblogランキングは?▼
 1日1クリック していただけると嬉しいです

投稿者 jun : 2006年3月 6日 18:19


3月6日の教育ニュース

 パッと目をひいた教育ニュース

日本の高校生は意欲足りない!?
日米中韓で意識調査(朝日新聞)
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200603010412.html
 
 
京都大学 事務課長職の公募
大学職員の雇用がオープンになる!?

http://www.kyoto-u.ac.jp/notice/05_sakou/shokuin/060303.htm
 
 
山形県生涯学習センター
偉人・文化ビデオ400本、4月からネット配信
利用率をあげたい
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200603020256.html
 
 
 これはモロ教育じゃないけど。

日経新聞「聞く日経」ポッドキャストを開始
http://www.nikkei.co.jp/kiku/

 ---

 ▼NAKAHARA-LABのblogランキングは?▼
 1日1クリック していただけると嬉しいです

投稿者 jun : 2006年3月 6日 08:45


僕はなぜ

 午前中、都内で会議。その後、東京大学で開催されたメディアリテラシーの公開研究シンポジウム「MELLシンポジウム」に参加。

 個人的には、「こんな○○はイヤだ」のワークショップが気に入った。これは、たぶん、ある程度、年齢が上の人でないとわからないのでは。「こんな○○はイヤだ」は、僕が小学生~中学生の頃に日曜日にやっていた「天才たけしの元気がでるテレビ」のワンコーナですよね。僕もたまに講演の中で笑いをとるために使っています。

 このワークショップの中で使われた安斎利洋さん、中村理恵子さんのカンブリアンシステムは本当に素晴らしかった。ぜひ、どこかのシンポで使わせてもらいたいのですが。あとから聞いたら、夏くらいにはフリーで配布するとか。

 MELLシンポの懇親会では、様々な人々にあう。内川さん、池田君、上田先生に久しぶりにおあいした。

 池田君とは少しお話ができたのですが、「blogのアクセスを伸ばしたいのなら、話題をしぼるのもよいかも」の話をいただいた。なるほど・・・そうだよな。僕のblogは確かに言いたい放題、統一された話題もクソもないなぁ。これは今後の課題。

 そもそも僕はなぜ、7年にわたって書き続けているんだろう。

 ---

 ▼NAKAHARA-LABのblogランキングは?▼
 1日1クリック していただけると嬉しいです

投稿者 jun : 2006年3月 5日 22:31


すべての講義をネットで配信!?

 青山学院大学橋本さんの情報によりますと、首都大学東京がつくる独立大学院「産業技術大学院大学」では、開講されるすべての講義をネット配信するそうです。

橋本君のblog
http://e-learning.toromi.com/archives/2006/03/post_132.php

 きっとすごい数の撮影部隊と著作権処理部隊がいるのでしょうね。

 ---

 ▼NAKAHARA-LABのblogランキングは?▼
 1日1クリック していただけると嬉しいです

投稿者 jun : 2006年3月 4日 22:35


人生いろいろ、学問いろいろ

 このところ、ワケあって、「完全無欠の文科系の論文」を読むことが多いのですが、論理の展開が、僕の学会のものとは全然違って、本当にオモシロイんですよねぇ。

 端的にいうと、僕がいうところの「完全無欠の文科系の論文」とは、「ある問題Aがあって、○○な見方をしたら、新たに違う問題Bがでてきた・・・どうしよう」という感じで、問題が発見され、何も解決されないかたちで終わるんですね。「おっ、また問題でてきたんかい!・・・で、余韻をのこしてそれで終わりかい!」と思わずつっこみを入れたくなってしまう感じで終わるのですね。

 僕の専門、「教育工学」「学習科学」は、「理科系、それとも文科系?」と聞かれると、たぶん「文科系」だと思うんですが、それでも、ちょうど中間あたりに属していて、やっぱり、「完全無欠の文科系」とはテイストが違いますね。

 僕の専門だと、だいたい「ある問題Aがあって、○○なことをやったら、解決した/解決出来なかった」とかね。「ある問題Aがあって、○○をやったら、○○という人間の学習の性質がわかった」という論旨になるんです。めでたし、めでたし、みたいな。でも、その「おめでたさ」がないんだよね、「完全無欠の文科系」には。

 でも、別に「完全無欠の文科系の論文」が悪いって言っているのではないのです。それは時にハッとするような新たな問題を提示してくれますね。それは驚きだったりする、まさに目から鱗という感じですね。

 学問といっても、いろいろあるんだねー。
 「人生いろいろ、学問いろいろ」だわな。

 ---

 ▼NAKAHARA-LABのblogランキングは?▼
 1日1クリック していただけると嬉しいです

投稿者 jun : 2006年3月 4日 21:13


学生ブロガー

 今日、ある学生さんに教えてもらったのですが、「学生ブロガー」という人たちがいるのですね。いやー、そんなカテゴリーがあるとは知らなかった。

大学生ブログランキング
http://www.student-blog.com/univ/rank/

 まぁ、落ち着いて考えれば、文字通り「ブログ書いてる大学生」って意味だけどさ・・・あんまり驚くようなことでもないか。

 でも、僕が学部生の頃って、アタリマエだけど「ブログ」なんてなかったからねぇ。だから「学生がブログを書く」ってことがあまりリアリティがない。「学生はHTMLだろー」みたいな変な思いこみがある。

 僕自身は、Web日記は7年前から書いていましたけど、なんか、こう違うんだよねぇ。軽ろやかだよぇ、会話調で。レイアウトがナウだねぇ(死語)・・・テキストがスクロールを前提にしてレイアウトされてる。

 それに比べてオレの日記は学生のころも、今も、グダグダだよなぁ。Web日記とブログのあいだに、こんなに差があるのかねぇ。それとも、オレと彼らのあいだに差があるのかね・・・Both!、どっちもだよなぁ。

 学生blog、何個か読んでみました。オモシロイねぇ。東大生の女の子のものは何個かあるんだけど、男の子のものはないですね。うーむ、東大生の男の子は、blog書かんのか?

 まぁ、いいや。
 それにしても、皆さん、商魂たくましいねぇ。アフィリエイトはやってるし、いろんなメディアにもでてるし、株はやってるし。

 最近の学生は、たまげるね。

 ---

 ▼NAKAHARA-LABのblogランキングは?▼
 1日1クリック していただけると嬉しいです

投稿者 jun : 2006年3月 3日 19:09


英語のセンセイも学ぶ!?

 京都府の英語教員のスキルアップのため、教育委員会が、学習支援システム「eラーニング」を立ち上げるそうです。

京都府の英語教員、eラーニングでトレーニング!?
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2006022500186&genre=F1&area=K00

 内容は、プレースメントテストをやったあとで、「リスニング強化コース」や「リーディング力強化コース」で学習するそうです。すべて自前でつくったのでしょうか? どこかのベンダーがはいったのでしょうか。

 僕も英語で苦労しているのですが、これね、英語ってのは毎日聞いたりしゃべったりしていないと、すぐに忘れますね。

 誰かが言っていましたが、

「日本人にとっての英語は、栓の抜けたバスタブに上から水をいれるようなもの。やりつづければ、すこしずつ水がたまるけど、いったんやめると、すぐに空になってしまう」。

 所詮、そういう悲しい運命なのです。

 だから、こうした取り組みはよいのではないでしょうか。個人的には、どれだけ効果があがるか、そして取り組まなかった群との比較には興味がありますけれども。

---

 高校だけでなく、いろいろと物議をかもしているものに、小学校英語とかがありますよね・・・で、こちらではやはり教員のリカレント教育が問題になっている。

 すべてがこうしたオンライン学習では無理ですが、もしそれが仮にカリキュラムに導入されたとして、オンラインでできるものは取り組んでもらった方がよいのではないかと思います。で、オフラインでしかできないものは、キチッと対応すればよい。

 この動向、今後、他の教科等にも波及するかどうかを、じっくり見ていきたいものですね。

 ---

 ▼ホンジツのNAKAHARA-LABは?▼
 1日1クリック していただけると嬉しいです

投稿者 jun : 2006年3月 3日 09:01


今年の学会シンポジウム

 今年の日本教育工学会は、2006年11月3日から3日間にわたって、関西大学で開催されます。その1日目、大会のシンポジウムのコーディネータを、メディア教育開発センターの堀田先生とともに、おおせつかりました。学会から配布されるニューズレターを受け取って、ごらんになった方もいるかとは思いますが、タイトルはズバリ、

「社会人の学習環境を創る:e-learning, OJT, 知識創造をつなぐ教育工学」

 です。

 教育工学会で、社会人(Woking professional)がシンポジウムの議題にとりあげられたのは初ではないかと思います。
 で、どのようなシンポジウムにしようかと、いろいろ企画をねっているところです。できれば、経営学、認知科学、教育工学・・・などの他領域の研究者が出会う場になればなぁと個人的には思っておりますが。あと、できれば携帯レスアナとか使ってみたいですね・・・会場とのインタラクティヴなしかけ。関西大学の会場は、電波はいるんしょうか、これは要確認ですね。

 もしよろしければ、ぜひ、お越し下さい。また、こんな人の話を聞きたいとか、こんなシンポにしたいというご要望がもしあれば、ぜひ、お寄せ下さい。男中原、精一杯努力したいと存じまする。

 以上、第一報でした。
 来てちょ(死語)。

 ---

 ▼NAKAHARA-LABのblogランキングは?▼
 1日1クリック していただけると嬉しいです

投稿者 jun : 2006年3月 2日 19:45


手打ちそば 田奈部

 僕は「そば」が好きです。

 昔は、「こんなもん、いくら食ってもハラふくれねー」と思って、よく「ギョウザ3人前+ごはん2合」みたいな食事をしていましたが(結婚前、僕はよくカミサンの家の米櫃を空にして、米泥棒と言われていました)、もうそういうのは卒業しました。

 今は「そば」です。
 昼も夜も「そば」を食べにいってもあきません。特にさ、夜に、「そば屋」で飲むってのが(・∀・)イイ!ですね(おぉ、変換したら、このパソコン勝手に(・∀・)イイ!がでてきたぞ・・・望月君の病気がうつったか)。

 本郷はね、自転車で足をのばせば、結構、そばの名店が多いのですね。なにせ神田が近いですので。ですが、さすがに、昼に悠長に食事をブラリといくほど、僕に時間はない。大学にいるあいだは、いろいろな仕事に追われているのです。

 じゃあ、本郷界隈ではどうかっていうと、今まで、心から満足のいく「そば屋」は、僕は見つけられませんでした。いや、比較的おいしいところはあったのですが、早々にツブレてしまったりして・・・。

 で、最近、オススメなのがここです、「手打ちそば 田奈部」。

手打ちそば 田奈部
http://www.soba-tanabe.com/

 ここの「そば」はウマイ。そばのカドはシャープにたっており、とてもみずみずしく、シャッキリしておる。そして、それでいて、香りがかなりよいのですね。

 昼のオススメは、「せいろ」「たまごとじそば」「にしんそば」でしょうか。「にしんそば」はホッコリと煮込まれており、かなりタダモノではない感じです。

 夜は、このところ何回か行ったのですが、「小松菜と浅利からしお浸し」「焼き味噌」「玉子焼き」「そばがき」などがよいですね。日本酒がすすみます。

 お客さんは、年齢のいった方が多いと思います。あと、なぜか外国の方も多い。そば好きの方で、本郷界隈にくることがありましたら、ぜひ、どうぞ。

 ---

 ▼NAKAHARA-LABのblogランキングは?▼
 1日1クリック していただけると嬉しいです

投稿者 jun : 2006年3月 2日 15:29


ゴディバ(GODIVA)のココア

 「辛党」「甘党」という定義がイマイチよくわからないのですが、僕は、オチャケも好きですが、甘いものも同じくらい好きです。こんな僕は「甘辛党」というのか。よー知らんけど、まぁ、いうたら、一番太るパターンかもしれん。

 で、まだまだ寒いこのごろ、甘党のアナタにオススメの一品。ゴディバのココアです。ぜひ、食後に一服飲んでくれ。

godiva.jpg

 あのね、これつくるのハッキリ言ってめんどくさい。
 ミルクをまず鍋にかけてあっためる。沸騰させないように弱火にかけて温める。で、それを温めたマグカップに注ぎ、ゴディバ ホットココアを入れてよくかきまぜます。うーん、いつも僕が飲んでいるココアだったら、「お湯かけてできあがり」なんだけどね。

 でも、たしかに「めんどくさい」けど、あのね、深いわ、味わいが。今まで飲んでいたココアは、あれは「なんという飲み物だったのか」と思わず問いつめたくなるね。

 カラダが寒い日だけでなく、心が寒い日にもどうぞ。

 ---

 ▼NAKAHARA-LABのblogランキングは?▼
 1日1クリック していただけると嬉しいです

投稿者 jun : 2006年3月 1日 22:11


ワークプレイスラーニング研究序説

 嬉しい知らせが届きました。下記の論文、荒木さんと一緒に書いていたのですが、こちら「採録決定」になりました。

中原淳・荒木淳子(in printing) ワークプレイスラーニング研究序説:企業人材育成を対象とした教育工学研究のための理論レビュー. 教育システム情報学会. Vol.XX No.XX ppXX-XX

 要旨はこんな感じです。

近年、大手企業を中心にeラーニングを導入する事例が増えている。そして、その導入とともに、教材開発手法としてのインストラクショナルデザインが注目をあびている。しかし、企業の中で実施されている教育は、eラーニングの形態だけで実施されているのではない。今後の教育工学研究においては、eラーニングのみならず企業の人材育成施策全般に研究の視野を広げていくべきである。本稿では、この「企業の人材育成施策活動」を総称して「ワークプレイスラーニング」という概念で把握する。本論文で筆者らは、1)経済学、2)経営学、3)認知科学、4)社会学、5)心理学の研究知見の中で、特にワークプレイスラーニングに関連する上記の諸科学の知見をレビューする。レビューを通して、今後の教育工学研究の課題を提示する。

 前にも書いたかも知れませんが、この論文は本当に苦労しました。特に、共著者の荒木さんには、アタマがあがらないほど御世話になったし、彼女の展開した論理は素晴らしかった。ありがとうございました。あと、論文の試読を引き受けてくれた酒井君にも大変御世話になりました。重ねてありがとう。このような助けをうけながら、もし論理に破綻があったとしたら、すべては僕の責任です。

 論文採録は何度も経験しているはずなのに、なんだか今回は喜びひとしおだねぇ。なんでだろう。

 ワークプレイスラーニング研究・・・はじまるで!
 ダハハ。

追伸.
 ワークプレイスラーニングについての解説は下記です!

ワークプレイスラーニングとは1:定義編
http://www.nakahara-lab.net/blog/2007/09/post_1005.html

ワークプレイスラーニングとは2:現場の学び編
http://www.nakahara-lab.net/blog/2007/09/workplace_learning.html

ワークプレイスラーニングとは3:学習環境のデザイン編
http://www.nakahara-lab.net/blog/2007/09/workplace_learning_1.html

投稿者 jun : 2006年3月 1日 19:16


「eラーニング人材育成」イベント

 青学さんでこのようなイベントをなさるそうです。

 この現代GPには僕も少しだけ末席に加わらせていただいて、今度収録をするのですが・・・(まだ何にも用意出来ていない・・・いつだっけ・・・)。

 もしよろしければ、ぜひおこしください。それにしても、たくさん本だすんですねぇ。精力的なご活動ですねぇ。

===================================================
平成17年度現代GP「e-Learning専門家の人材育成」
事業成果報告会 第2回 eLPCOオープンフォーラム
===================================================

■日時
 2006年3月30日(木)13:30-17:30

■参加費
 無料
 登録は必要・・・こちらから
 http://elpco.a2en.aoyama.ac.jp/open/event.cgi

■会場
 青山学院大学 青山キャンパス
 総合研究所ビル12階大会議室(受付 11F)
 地図 http://www.ri.aoyama.ac.jp/contact.html

■内容(変更の可能性があります)
 13:00 開場
 13:30-13:40 挨拶 青山学院常務理事 半田正夫
 13:40-13:50 挨拶 青山学院大学学長 武藤元昭
 13:50-14:00 挨拶 文部科学省 江村由紀子
 14:00-14:45 講演 「eラーニングと学びの変革」
         eLPCO センター長 佐伯 胖

 - 休憩 -

 15:05-15:35 報告
  「e-Learning専門家の人材育成の活動報告」
 eLPCO副センター長 玉木 欽也
 15:35-16:05 報告
  「eラーニング専門家の職種とスキル」
   総合研究所客員研究員 齋藤 裕
 16:05-16:35 報告
  「TA再教育のためのメンタリング講座」
   総合研究所客員研究員 松田 岳士
 16:35-17:05 報告
  「eラーニング専門家を支えるシステム」
   総合研究所客員研究員 原 潔
 17:05-17:10 報告
  「インストラクショナルデザイン実践法」出版紹介
 17:10-17:15 報告
  「ブレンディッドラーニングの戦略」出版紹介
 17:15-17:20 挨拶 青山学院大学副学長 魚住 清彦
 17:20-17:25 挨拶 総合研究所所長 秋元 実治
 17:25-17:30 挨拶 「eLPCOからのお知らせ」
  総合研究所特別研究員 原田 満里子

■お問い合せ
 青山学院大学総合研究所
 eラーニング人材育成研究センター(eLPCO)
 Tel. 03(3409)8111 内線12082
 Fax. 03-5485-0780
 e-Mail. elpcopm@a2en.aoyama.ac.jp

===================================================

 ---

 ▼NAKAHARA-LABのblogランキングは?▼
 1日1クリック していただけると嬉しいです

投稿者 jun : 2006年3月 1日 12:03


投資教育をビデオポッドキャストで

 野村年金サポート&サービスは、いわゆる投資教育をポッドキャストで行うことを発表しました。複雑な確定拠出年金の制度と運用知識を教えるビデオを配信するそうです。

IT MEDIA NEWS
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0602/28/news093.html

 オモシロいなぁと思ったのは、記事の最後に「年金に関心の薄い20~30代も関心を持つのではと期待している」と書いてあることですね。深読みをすると、「関心を喚起すること」が目的であって、「20代から20代に確実にコンテンツを届けること」を必ずしも目的にしていないようにも読めます。ビデオipodは、それほどまだ普及率は高くないですし・・・。

 これをねらって、サービスインを行う企業は、まだ増えていきそうですね。

 ---

 ▼NAKAHARA-LABのblogランキングは?▼
 1日1クリック していただけると嬉しいです

投稿者 jun : 2006年3月 1日 10:08


TOXIC AUDIO

 渋谷AXで開催されているオフブロードウェイのショーであるTOXIC AUDIOを見に行った。ある方からご招待いただいた。この場を借りて感謝します。ありがとうございました。

TOXIC AUDIO
http://www.toxicaudio.jp/

 TOXIC AUDIOは、一言でいうと、「人間の声だけをつかったSTOMP風のショー」である。アカペラで様々な音楽を演じたり、あるいは、ショートコントをやったりする。ノンストップの1時間半。あっという間であった。

 ショーの構成は、いわゆるアメリカの舞台らしく「観客いじりコント」がふんだんにちりばめられており、なんか、本当にブロードウェイでショーを見ているかのごとく楽しむことができたのがよかった。アメリカにいた頃は、今よりもずっと頻繁にショーを見ていたけど、そのときのことを思い出しちゃったよ、僕は。

 舞台は日本人にあうように(日本人にわかるように、ノリやすいように)かなりカスタマイズされていた。それだけでも結構な労力がかかるだろう。

 本国のショーをそのまま輸入するだけの、Cultural differenceに配慮のない外タレのショーが多い中で、非常に好感がもてた。ショーをやる側の気合いというか、心意気が伝わってきましたよ。

 あと、ホントウにこのグループは歌がうまいですよ。歌だけ聴くだけでも、ホレボレとしてしまいますね。こんな風に歌をうたえたら、どんなに世界が楽しいだろうねぇ。

 TOKYOで、ニューヨーク、オフブロードウェイの雰囲気を感じたくなったらぜひ。

 ---

 ▼今日のblogランキングは何位でしょうか?▼
 1日1クリック していただけると嬉しいです

投稿者 jun : 2006年3月 1日 01:27