ビジョンのつくりかた

 昨日ご紹介した本「校長先生という仕事」の中に、「ビジョンをどうつくるか」に関する記述もあった。これが僕自身の考えに全く合致したので、紹介する。

 ビジョンをどのようにつくるか?なんて、どこの組織でも問題になっていることだろうから、結構、参考になる人もいるのではないだろうか?

校長先生という仕事
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 本の趣旨を、やや乱暴にまとめると下記のようになるだろう。

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まずは、「ビジョンは誰かがご託宣するものではない」「ビジョンは一人で描くものではないこと」を知ることが重要だ。

ビジョンとは、みんなでつくるものである。ビジョンを全員でつくりあげていくプロセスこそが重要なのだ。よいビジョンは、人をやる気にさせ、方向を与える。

ビジョンづくりの第一歩は、「自分の組織を知ること」である。その次に、「自分の組織の周囲を知る」必要がある。こうした基礎的情報を全員で共有し、ビジョン作りの会議をもつことが重要だ。

ビジョンづくりの会議では、こう問うといい。

1.もしわたしたちが今していることを続けたら5年後にはどうなっているかを考える
   
2.なぜわたしたちは存在しているのかを考える

 etc....

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 本の中では、このあと具体的にビジョンづくりの会議の運営方法について書いてあるのだけれども、詳細は本をご確認ください。

校長先生という仕事
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 上記の中で、僕が激しく共感できることは、「ビジョンは誰かがご託宣するものではない」という考え方と、「今していることを続けたら5年後にはどうなっているか」という問いである。

 前者に関しては、2003年10月17日の日記で、かつて僕はこんなことを述べている。

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 ビジョンという言葉ほど安易な使われ方をしているものはない。

 どうしてここにはビジョンがないのだ?
 各論に入る前にまずはビジョンを提示すべきだ!
 まずはビジョンを提示してくれなきゃ、それからあとのことなんて話せない!

 こういう語りぐさを、よく聞く。

 なるほど、そうした物言いは、一応は理解できる。確かに、ビジョンは必要だ。ないよりあった方がいい。しかし、会議などで議題が硬直した際に、そうした物言いが、いつも無反省に繰り返されるのを聞いていると、どこか釈然としない思いも沸いてくる。

 第一に「ビジョンがない!、ビジョンを示すべきだ」と声を張り上げる人に限って、「自分でビジョンをつくろう」なんて、さらさら思っていないことが多いように見受けられる。

 どこか、神様のいるような高い場所から、ビジョンが降ってくるようなイメージで、それを語っている。もちろん、万が一、ビジョンサマがポックリポックリやってきたとしても、骨をおってインプリメンテーションする気なんてサラサラなさそうにも見える。

 どこぞのファンタジーみたいに、不幸な境遇にあるお姫様を助けるため、白馬にまたがってやってくる王子様よろしく、空から「ビジョンサマ」がポックリポックリとやってくるわけがなんて、そもそもあるわけない。

(中略)

 ビジョンはどこか遠いところから、エッチラ、オッチラ、やってくるものではない。それは、他ならぬあなたが、日々の実践を通して、見いだすものなのだ。

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 たぶんどこかで、「ビジョンがない!」と無責任に吠えている人を見て、相当アタマにきて日記を書いていたんだろう、と推察できる(笑)。が、この考えは今もかわらない。

 後者の問いかけに関してはドキッとした。5年間という具体的な期間をきられると、想像しやすくなるらしく、自分にあてはめて考えてしまったのだ。

もし自分が今していることを続けたら5年後にはどうなっているかを考えると...

 研究のこと、プロジェクトのこと・・・いろいろ考えた。
 うーん、このままではマズイと思うところもある。根本にかえって、ビジョン作りに励むしかないのかも知れない。

 あなたの場合はいかがでしょう?

もし、あなたが、今していることを続けたら5年後にはどうなっているかを考えると...

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