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ツイッターで授業中つぶやくことは、「よい学習」なのか?

最近、授業などで、参加者の方同士がツイッターなどを用いて、その様子を実況中継することが、よく行われるようになってきました。教師や授業者が意図的にツイッターを用いるように促すこともあります。多くは、学生や参加者が自分の意思でハッシュタグを設定して、実況中継することが多いようです。

 僕自身もやったこともありますし、僕の講演などでも参加者の方々が実況中継なさっている様子を見たことがあります。個人的には、非常に面白い試みだと思っています。

 18世紀産業革命時、一斉授業がイギリスで発明されて以来、学習者は常に「沈黙」してきました。
 学習者は、今、沈黙を破り、声を出そうとしている。
 敢えておおげさにいえば、これは「学習革命」として考えることもできないことはないな、と思います。

 ツイッターなどで授業中につくられるもうひとつのコミュニケーションチャネルを、研究の世界では「バックチャネル」といいます。
 授業や講義がフロントチャンネルだとすれば、その背後(バック)で、もうひとつの情報チャネルが存在している。それが、いわゆるバックチャネルです。
 授業者の中には、フロントチャネルに加えて、バックチャネルでのコミュニケーションを積極的に促す人もいます。個人的には、こうした方々に共感できます。

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 しかし、同時に、考えなくてはならないな、と思うところもあります。

 僕が思うのは、「バックチャネルが活発なこと」は必ずしも「学習効果が高いこと」を意味しないのではないか、ということです。以下では話をシンプルにするために「学習効果」を「講義において扱われた概念理解」として、また「学習者」を大学学部生(1年生・2年生)に限ることにします。

 ここで僕が疑問に思っていることは「バックチャネル」がない方が、学習効果も高い可能性について深い考察を行わないまま、バックチャネルが活発化することを「よし」とすることは、「よいこと」なのかな、とも思うのです。

 正確には、ここには、4象限の「可能性」が存在します。

1.バックチャネルのやりとりも活発で、個人の学習効果も高い
  →何の問題もありません

2.バックチャネルのやりとりは活発だが、個人の学習効果は低い

3.バックチャネルのやりとりは活性化しなかったが、個人の学習効果は高い

4.バックチャネルのやりとりは活性化せず、個人の学習効果も低い
  →シャレになりません

 2の場合は、参加者同士がツイッターなどで非常に活発にやりとりをしていても、肝心の講義は注意が払われておらず学習効果は低いということです。3の場合は、これまでどおり学習者は沈黙しているが、学習効果は高い状態を示します。

 とかく、今は、ツイッター万歳の風潮がありますので、人は「バックチャネルが活発化していれば、よい学びができている」と考えがちです。また、「バックチャネルがいまいちだと、個人の学習効果は低かろう」と類推します。

 しかし、これは1と4の可能性にしか言及していません。残る2と3に注意が払われていないのだとすれば、ここには問題が残る気がしています。

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 この問いを考察するためには、いくつもの要因を統制する必要がありそうです。例えば、「個人が既にもっている知識量」と「個人が既にもっている情報処理能力」などです。

 これらが高い場合には、既に授業の内容については見知っており、かつ、フロントチャネルとバックチャネルのコミュニケーションの情報をうまくやりとりできるので、学習効果が高まる可能性があります。

 逆に、「個人が既にもっている知識量」と「個人が既にもっている情報処理能力」が低い場合には、バックチャネルのコミュニケーションで講義内容に関する概念理解は低まってしまいます。

 また、フロントチャネルで講義を聴きながら、バックチャネルのコミュニケーションに集中する、というのは情報負荷が非常に高いので、情報処理能力の低い人には、難しい課題かもしれません。

「ツイッターでつぶやく前に、まず、講義内容を理解してよー」

 という状況が生まれかねません。

 他には、講義されている内容の違いも勘案しなければなりません。どの講義でも、バックチャネルが有効かどうかは検証する必要がありそうです。最大の課題は、「学習効果」をどのように測定するか、という問題が残ります。

 今日は「学習効果」を仮に「講義内容の概念理解」ととらえてきましたが、ここを別の基準に設定すると話は全く異なってきます。そのことは非常に慎重に考える必要があることを重ねて指摘しておきます。
 例えば、「授業の内容を「コア」にして、人とつながることが学習である」ととらえるのであれば、ツイッターでつぶやくことは、学習効果が高い、ということを意味します。

 また、学習者に関しても、注意が必要です。今日の議論では、大学の学部生と仮置きしました。これが働く大人になってくると話が違ってくるでしょう。
 働く大人は、概念理解云々よりも、人に伝え、巻きこみ、巻きこまれ、つながることによって、自分を変化させることを「学習」とおくでしょう。新たなアイデアやイノベィティブなやり方を思いつくことが「学習」とおくのなら、またさらに話が変わってきます。

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 くどいようですが、僕は授業や講義中のバックチャネルの教育応用の可能性に興味をもっています。しかし、同時に、上記のような検証、あるいは、下記のような問いについて、教育関係者が本気で考えるべきだと考えています。

 ツイッターで授業中つぶやくことは、「よい学習」なのか?
 そして「よい学習」の「よさ」とは何か?

 非常に面白い問いであると思います。

投稿者 jun : 2010年2月 7日 07:47


プレZEN!? : 書道と手書きの絵でプレゼンをしよう

朝から、僕は、大学です。今日は、夜遅くまで大学院の口頭試問があるのですね。朝っぱらからチャギントン(BSフジでやっている鉄道アニメ)を見ているTAKUZOには「パパ、ばいばい、また明日ねー」と言われて(泣)、寂しく家をでました。「また明日ねー」はないだろうに、、、しかも、どっか、オマエ、嬉しそうじゃねーか(笑)。

 大学では、あいまをみて、原稿を書いたり、月曜日のプレゼン準備をしています。原稿につまれば、プレゼンをつくり。プレゼンをつくれば、原稿をつくり。その繰り返しでございます。

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 小生、プレゼンをつくるのは「嫌い」ではありません。僕のプレゼンをお聞きいただいた方でしたらおわかりいただけると思うのですが、僕はプレゼンで習字や手書きの絵をよく使います。プレゼンに「内容のなさ」を補うために(泣)、やむなく「小手先の演出」を駆使するのです(笑)。

 リアルに書道をして、リアルに手書きで絵を描いて、スキャナでとりこみます。そうこうしているうちに、あっという間に時間がたって、「あべし、ひでぶー、あわゆび」という感じですね(笑)。

 例えば、書道なら、こんな感じです。

oshinagaki.jpg

 ちゃんと、自前の篆刻も用意しております。これは台湾でつくってもらったものを、スキャナで取り込みました。たしか1000円くらいでした。

tenkoku_nakahara.jpg

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 お絵かきもいたします。
 下記は、いわゆる「導管モデル」です。

doukan_model.jpg

 これは正統的周辺参加です。なぜか、先輩が「みやげ寿司」をもって、酔っぱらっているところがポイントでございます。意味は全くございません。
 何、表現されている内容が、LPPの概念と同じじゃない? いいんです、細かいことは。LPPが何たるかを、手書きの絵で完全に表現できるわけがないんだから。
 気にしない、気にしない、一休み、一休み(一休さんのナレーション風に読んでください)

community_Learner.jpg

 というわけで、、、

kan_desu.jpg

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 プレゼンで、書道とか、手書きの絵とかを使っていると、よく言われるのが「中原さんは書道とか、絵が、子どもの頃からうまかったんでしょ」ということです。

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 そうだったらよかったのですが、全くそんなことはありません。「図工」も「書道」も「3」。ひどいときには「2」を食らったこともあります、、、そりゃそりゃ、惨いものでした。

 前にも言ったことがあるかもしれませんが、僕は、夏休みの絵日記が死ぬほど嫌いでした。なぜか? そりゃ、絵を描かなくてはならないからです(文章も苦手でしたが)。なぜか僕が人の絵を描くと、「首がびよーん」と伸びたり、手がとんでもないところから出てきたりするのです。「絶望的な美的感覚」に、先生は、きっと悶絶したことでしょう。

 なら、僕は、なぜ書道や絵を描くかというと、「下手なのですが、気にしなくなってしまったから」です。子どもの頃は、「見たものがそのとおり描けず」、あんなに嫌いだったのに、大人になったら、好きになりました。

 特に、私たちは大人になると、人は、「絵は上手くなきゃ、人の前でだしてはいけない」と思いがちです。東京学芸大学の高尾先生の言葉を借りれば、「大人」になるにつれて「萎縮した子ども」化してしまうのえす。「下手だと思われようが、何だろうが、そんなもん、どーでもいいわ」とケツをまくってしまえば、もう、怖いものはありません。

 というわけで、皆さんも、書道や手書きの絵をプレゼンで使ってみませんか。特に書道はおすすめです。海外でウケます。日本のよさ、手書きのよさをいかしたプレゼン(アナログプレゼン)が、もっと増えればいいな、と思います。

 アナログプレゼン会をつくろうかな、こうなったら。
 なんか、いいネーミングじゃないな。
 ・・・「禅」にひっかけて、「プレZEN」というのはどうだろう。
 なんで「禅」なのかは1ミリもわかんないけど。

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追伸.
 書道プレゼンの作り方です。

書道プレゼン
http://www.nakahara-lab.net/blog/2009/01/post_1425.html

投稿者 jun : 2010年2月 6日 09:45


ワークショップとは言わないワークショップ

 今、「働く大人とワークショップ」という本の原稿を書いています。

 最初は「企業人材育成とワークショップ」というタイトルだったような気もしますが、だんだん「働く大人とワークショップ」の内容が増えてきて、どっちにしたらいいか、悩んでおります。

 このままだと「企業人材育成と働く大人とワークショップ」になっちゃうよね、、、ちょっと、オクサン、どーすんの(笑)。
 僕ね、決められないんだよね、そういうの。思わず「まーまーまー、ここは、みんなで、ひとつ仲良く」なんて言っちゃいそうになる。
 でも、「と」が三回続くのは、「意味不明子ちゃん」だよねー。一瞬、「部屋とYシャツとわたし」みたいで、レトロでいいかな、とも思ったのですが(笑)。

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 閑話休題。

 書いていて、素朴に思ったことがあります。
 よーく考えてみると、世の中には「ワークショップとは言わないワークショップ」がたくさんあるということです。

 つまりですね、「ワークショップとは銘打っていないものの、やっていることと結果を見ると、ワークショップっぽく機能してしまっている場」がたくさんあるのですね。むしろ、そっちの方が数の上では、圧倒的マジョリティであるよ。あっ、タイプミス、いきなり国籍変わっちゃった(笑)。

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 例えば、某企業の事業部単位で実施されている場。会社がオフィシャルに支援し、三十年以上の歴史のあるそれは「懇談会」という名称です。職場単位で実施しているので、その内実は、職場長の裁量にまかされています。

 もちろん、職場単位の実施ですので、職場によっては形骸化している「場」もあるでしょう。でも、それが有効に活用されているところでは、職場のしかるべきメンバーが、ファシリテーターの役割を担い(自分がファシリテータなんて思っていない)、職場のメンバーに自分の仕事を見直す機会を与えたりしています。内容の構成も非常に、ワークショップ的です。

 もちろん、こうした場は、ワークショップという名乗っているわけではありません。でも、観察者の僕の目からみたら、すごく「ワークショップ的」に見えるのです。で、それをやっている方にお伝えすると、

「僕たちがやっているのって、ワークショップっていうんですか、、ははー。そんな風な領域があるんですねー、世の中広いですなー」

 ってな感じです。

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 今日の文章、だんだん、書いていて、どうやってオチつけんのか、わからなくなってきたけど(笑)・・・あのね、要するにそういうことですよ、、、感じてください、僕の言いたいことを(笑)。

 つまり、「企業人材育成とワークショップ」でも、「働く大人とワークショップ」でも、どっちでもいいんだけど、どこからどこまでを、「ワークショップ」の範疇に含めればよいのか、わからなくなってきたってことです。

 つまりは、ワークショップを「インプット」としてとらえる のか、それとも「アウトプット」としてとらえるのか、ってことなのかな。わかんねーけど(笑)。

 前者は、「ワークショップという手法を使って、●●したら、~なりましたよー」という風にとらえること。後者は、「●●というものが既にやられていて、そこでの活動と所産は、ワークショップ的でした」と書くということ、です。僕はこの本で、どちらの立ち位置で書けばいいのかな、と悩み始めました。たぶん、これが言いたかった。

 どない?

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 まぁ、少し悩んでみます。

 でも、いわゆる「教育畑・学習畑の人」からみたら、前者の書き方の方がすっきりすると思うんだけど、きっと「現場の人」からみたら、たぶん後者だろうな、と思う。

 まぁ、だとしたら、どっちの立ち位置に僕がたつかは、おのずと答えはでているよね。

 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2010年2月 4日 12:21


酒井穣著「日本で最も人材を育成する会社のテキスト」を読みました!

「蛇の健寿司」お友だち(!?)でもある、酒井穣さんの「日本で最も人材を育成する会社のテキスト」を読みました。

酒井穣さんのブログ
http://nedwlt.exblog.jp/

酒井穣さんのTwitter
http://twitter.com/joesakai

こちらが蛇の健寿司です
http://www.nakahara-lab.net/blog/2010/01/post_1634.html

 酒井穣さんは「課長の教科書」「新しい戦略の教科書」でベストセラーを記録し、現在は、株式会社フリービットで、人事戦略ジェネラルマネージャーをつとめている方です。
 本書は、現在のビジネス環境における「ヒト」の役割をひもときながら、酒井さんのフリービットでの人材開発の手法を広く紹介したもので、非常に面白く読むことができました。

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 本書において、酒井さんが問題にしているのは、無反省に実施され企業経営への貢献が少ない人材開発の現在についてであると思われます。
 まず本書では、「人材育成とは何のために存在するのか」から筆をおこし、「育成ターゲットをいかに選定するのか」「どのようなタイミングで育成するのか」を考察しています。グローバル化する社会の中で、なぜ「人」が大切なのか。誰もがわかっているようでわかっていないことを、丁寧に解説してくださいます。

 その後、酒井さんの矛先は、「誰が育てるのか」という人材開発のイニシアチブの問題、そして「誰に育つ責任があるのか」といいう人材発達のレスポンシビリティの問題に波及します。
 この問題は、一昨年のワークプレイスラーニング2009でも扱った問題であり、昨今、組織と個人をめぐって、せめぎ合いが生じているような気がします。

ワークプレイスラーニング2009
http://www.nakahara-lab.net/blog/2009/11/2009_12.html

 最後には、株式会社フリービットにおける取り組み、「読書手当て」「社内ミニブログ」「将来の自分への手紙」「突撃☆お仕事インタビュー」「ジグソーメソッドによるインタラクティブな学習」などが紹介されます。
 随所に、最新の学習科学(例えば、ジグソーメソッドは協調学習論の考え方である)、人材育成の考え方が取り入れられていて、非常に示唆に富んでいるな、と感じました。

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 本書を読み終わり、何より重要だと思ったことは、酒井さん自身の「実践の中で考える」姿勢であると思います。

 結局、人材開発や人材育成に「王道」はありません。
 人材開発に携わる人々は - というよりは、「人」という最も予測不能で、最も不思議で、最も魅力的な存在にかかわる人々は、「動きの中で考えること」「実践を通して考えること」を迫られます。
 自社の現状を分析し、ありたい人材開発の姿を描き、人を巻き込み、時に内省しながら、アクションを起こすことが求められます。その仕事は、酒井さんが本書で述べている「リフレクティブ」ということと密接に絡み合っています。

 本書からは、酒井さん自身がリフレクティブマネジャーを体現なさっている様子がありありと伝わってきて、非常に勇気づけられました。

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 働く大人の学び論・成長論
 仕事の経験を積み重ね、内省する
 リフレクションをアクションにつなげる

中原淳×金井壽宏 「リフレクティブマネジャー」光文社新書!

投稿者 jun : 2010年2月 2日 17:27


支援すること考:支援することの難しさ

 最近、故あって、「支援」ということを考えさせられます。なんてことはない、今、書いている原稿の一部で、「支援」がでてくるからですね(笑)。「意味深」なことなんて、僕にはないのよ。単にそれだけ。原稿書いてるから、考えざるをえないだけです。

 いやー、支援ね・・・。
 つくづく思うのは、「支援することって、難しいよなー」ということですね。いやー、原稿を書きながら、僕は、しみじみと思ってしまうんですね。いやー、難しい。

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 小橋(2000)によると、「支援」とは下記のように定義されます。

「支援とは、何らかの意図をもった他者の行為に対する働きかけであり、その意図を理解しつつ、行為の質を維持・改善する一連のアクションのことをいい、最終的な他者のエンパワーメントをはかることである」

 なるほど。非常にわかりやすい、素晴らしい定義ですね。そして、この数行には、既に「支援することの難しさ」が凝縮されているように感じます。以下では、それを書いてみましょうか。

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 第一に「何らかの意図をもった他者」というところ。
 支援が「何らかの意図をもった他者に対する働きかけ」であるとするならば、大前提になるのは、支援する側は「他者が有する何らかの意図」を「把握」する必要があるということです。でも、これ、サラッと言いますが、とても難しいことだと思いませんか。

 だって、他者が「自分の意図」を把握していない場合だってありうるわけですよね。特に若年であればそうですよね。

「オレ、何していいか、わかんないっす、よろしくっす」

 みたいな人、いそうですよね。
 でも、意図を理解しないことには支援にはならない。ということは、そういう状態でも、支援するということは、「他者の意図」を「共同構築」「共同探索」するということと同義になりますよね・・・うーん、気が遠くなる。

 こんな場合もありうるでしょう。相手は確かに「意図」をもっている。でも、その「意図」が「誰の目」から見ても、イケてない。耳にしたとたん「ピキー」と秘孔をつかれたような気持ちになってしまうくらい、イケてない「他者の意図」をどうしたらよいのか。
 つまり、「あなたが一応は理解した他者の意図」が、あなたから見て「腹落ち」するかどうかは別問題なのです。

 「他者の意図」が、たとえば、下記のようだったら、あなたは、どうしますか。

「おいおい、おまえ、その意図はないだろ、単なるエゴじゃねーの」
「おいおい、そりゃ、その意図は時代遅れだよ、そのままいったら、あんたやばいよ」

 他者のもつ意図が、そんな意図だった場合に、それを曲げることを「支援」とよぶのか、それとも、あくまで「意図」にそったかたちで支援を行うことをよし、とするのか・・・皆さんだったら、どっちをとりますか?

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 次に「最終的な他者のエンパワーメントをはかる」の部分。
 これは、結局は、「他者が最終的には元気をもらって独り立ちすること」が重要だよ、ということなんでしょうか。
 
 でも、少し考えたらわかると思うんですが、これは難しいですよ。
 第一に、どのタイミングでいかに支援解除したらよいのか、わからない。

 いつも僕が思うことなのですが、「支援の難しさ」は「いつどうやって支援するか」に加えて「どのタイミングでいかに支援解除するか」にあるように思うんです。

 かつて、Kram(1988)は、それを「分離」と表現しました。分離が成功しなければ、支援者と被支援者の両者に、「気まずさ」が残りますし、支援される側も円滑な発達をとげられないといったことが起こりがちだそうです。

 いや、むしろ支援の解除、分離のときには、支援者 - 被支援者間に葛藤、否定的感情が、必然的に生じるものなのかもしれません。あんまりネガティヴなのはイヤですけど(笑)、やむを得ないし、むしろ、そうでなければ困るのかもしれないですよね。

 あとは、誰も言わないと思いますが、支援して独り立ちされてしまったら、「支援してきた側」としては、喪失感を感じませんでしょうか。
 つまり、うがった見方をすれば「支援を解除する」とは、「自分のコントロールできる人的資源をひとり失ってしまうこと」を意味するのです。

 支援関係という名のもとに「自分の仕事を助けてくれていた人」がこれまでいたとしたら、独り立ちされてしまうと、その労働力をまるごと失います。こりゃ、キツイわな。

 僕も含めて、あなたも、みんな弱い人間です。
 願わくば、「今まで支援した分、自分の仕事を助けて欲しい」と思うのが「人情」というものではないでしょうか(笑)。
 つまり、「支援を解除せず、自分に依存してくれたままの方が、自分のためにはいいんだけどなー」と思っちゃうようなことが、ないわけではない、ということです。

「あなたの成長のためなんだから、これ、大変だと思うけど、やっといて。いや、もちろん、君の成長のためを思って、僕は言っているんだよ・・・」

 という名の労働力の搾取、あるいは、象徴的暴力が、発達支援関係には作動する可能性はゼロではありません。そして、支援を解除するとは、そういう「労働力搾取をやめること」でもあるのです。

 支援する側に余裕がない場合は、そういう場合は、もしかすると、「支援解除をしない」という合理的な選択をするのかもしれない。もちろん、それでは、最後まで、支援された側は、独り立ちはできませんけれども。

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 支援することに関して、僕が思ったのは、こんなところです。いずれにしても、今後の職場における上司 - 部下関係を考える上で、「支援」はひとつのキーワードになりますね。エドガー・シャインさん(MIT)の翻訳本も、大変注目されているようです。

 皆さん、どう思いますか?
 嗚呼、支援は難しい。

投稿者 jun : 2010年2月 1日 11:15


論文が読まれなくなっている!?・・・研究のカプセル化

 先日、某所にて、人文社会科学から自然科学まで、いろいろな学問分野の先生たちが集まる機会があった。「僕以外」は、その領域で素晴らしい成果をあげている研究者の方ばかりで、第一線を走っておられる方ばかりだった。

 会合の休み時間、ランチを食べながら、ふとしたことから、みんなの話題になったことが、これである。

「最近、論文がだんだんと読まれなくなってきているよね。」

 誰かがふともらした、この一言に、異領域の先生方が、皆、一様に「うんうん、そうだよなー」とうなづいたのは、とてもびっくりした。ひとつの領域に固有に存在する問題ではなくて、みんなの問題なのかもしれないな、と直感的に感じた。

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 繰り返して言うが、彼らはそれぞれの分野で第一線を走る研究者である。決して、彼らが「怠惰であるがゆえに、論文を読まない」とか、「もう研究者として一線を退いたから論文を読まない」とか、そういうことでは断じてない。

 第一線を走るいろいろな領域の研究者が、皆が皆、同じように「論文が読まれなくなってきた」と感想をもらしているのが、非常に興味深いのである。

 理由は、いろいろあるけれど、要するにまとめるとこういうことだ。

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 現在の科学は、非常に細分化されてきている。その細かさは、数十年前の比ではない。果てない細分化を繰りかえし、そもそも、同じことを探求する研究者の数が、どんどんと減っていった。

 分野によっては、研究者同士が、なるべく研究領域が重ならないように重ならないように配慮するような動きが生まれる。そうすると、同じ研究テーマを選ぶ人が、そもそも少なくなる。

 さらに細分化した領域においては、ほんの少しの先行研究との差異を、研究テーマとして選ばなければ、なかなか論文として採録されにくい。

 Publish or perishの風潮が高まり、大胆な研究テーマを選ぶより、確実に論文として掲載される、非常にミクロな研究テーマを進めるようになった。
 ゆえに、一言でいうと「重箱の隅をつつくような研究」が増えることになった。投稿される論文数自体は、比較にならないほど増えている。いわば、論文インフレーションという具合に。

 しかし、細分化し、なかなか研究テーマが重ならず、重箱の隅をつつくような研究が増えれば、その研究は「カプセル化」しはじめる。
 論文として採録されるという意味での生産性はあがるものの、他者との通行や、オーディエンスを失い始める。

 そもそも重ならないように配慮して研究テーマを設定しているから、どんどんと研究の積分性(つみあげること)は失われ、論争が失われ始める。同じテーマで論争しているくらいなら、ほんの少しの他者との差異をつくりだし、自分の土俵で勝負していた方がよっぽど生産性があがる。

 おまけに現在の高度に発達し、スピードが求められる研究環境では、「追試」というものが、そもそも行いにくい。
 細分化した諸条件を、自分のラボで完全に再現するのも一苦労だし、「追試」を行っても、あまり評価されない。
 追試を行っている暇があったら、自分の研究テーマを探求した方が生産性があがる。

 かくして、論文が、オーディエンスを失う。科学者ひとりが提起した「わたしの問題」が、「みんなの問題」にならない事態が生まれる。

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 けだし、論文が読まれなくなる事態は、このように研究の高度化、細分化、さらには研究者のサバイバルストラテジー(生き残り戦略)などが密接に、かつ、複合的に絡み合って起こっている事態であるように思う。科学はさらに今後も高度化、細分化の度合いを高めていくだろう。ゆえに、このままでは、現在よりもさらに事態は深刻になることは容易に予想できる。

 誤解を避けるために言っておくが、この問題は、「研究者が社会のために役に立ちたいと思っているとか、思っていない」とか、そういう次元の問題ではない。また、細分化した領域において地道に積み重ねられる研究の価値がない、とか、あるとか、そういう次元の問題ではない。
 現在起こっている事態は、研究の高度化、細分化、そして研究者をとりまく社会的状況によって「必然的に引き起こされた結果」であると考えられる。

 もちろん、このような事態が起こっているからといって、明日あさってに論文というシステムが機能不全に陥ることはないし、論文を生産することが研究者の垂直的な発達の指標として機能することは、おそらく失われない。また、研究の生産性は今日よりも明日の方が重要になってくるだろう。

 こうした動きが、すべてのサイエンスの領域で起こっているかどうかは、僕は知らない。また、こうした問題が科学技術論や、科学技術コミュニケーションの領域で、すでに議論されているかどうかは、僕は専門外なのでよくわからない。あくまで、その場で、多くの先生方が共感した問題であった、というだけである。

 しかし、もしこの事態が、万が一、仮に様々な領域で進行している共通の事態であるとするならば、少し立ち止まって考えるべき問題であるような事態のように感じる。

 「結局、研究とは、何のために、誰のために存在するのか」

 深く考えさせられる。

投稿者 jun : 2010年1月30日 07:00


ツイートプロフェッサー:教師の方も学んでいる!

 青山学院大学大学院、集中講義が終わった。「組織社会化論」「経験学習論」「職場学習論」「組織学習論」「越境学習論」という5つのアプローチから、「働く大人の学び」について考える、という内容であった。

 今年は20名近くの社会人大学院生が参加した。民間企業につとめる方が最も多いけれど、現役の助産師さん、学校の先生などもいらっしゃって、非常に面白かった。

 授業は、

 1)冒頭10分程度で中原からのイントロダクション
 2)基礎的文献のグループ発表
 3)中原からの補足説明
 4)グループディスカッション
 5)教室内ディスカッション

 というかたちで、講義を進めた。

 今回の授業では、僕が授業中に思ったこと、気づいたことを「Twitterでつぶやく」というのをやってみた。
 実は、教員の方も教えながら、「学ぶこと」「気づくこと」が少なくないのである。授業にのぞむとき、「Teacher as learner(学習者としての教員)として関わっている側面もある。
 で、今回の授業では、その気づきをつぶやいてみることにした。「ツイートプロフェッサー:つぶやく大学教員」を体現するのである。

 一般に、通常の授業で、教員は常に授業自体の進行を考えているために(僕の授業はインタラクションが中心なのでなおさら、、、学習者がどこから意見やアイデアがでてくるかわからないから、ものすごく緊張する)、そうやって考えたことは、忘却のかなたに消える。
 あるいは、考えたこと、気づいたことは黒板に板書することはあっても、次の時間がはじまってしまえば、すべて消されてしまう。今回は、これらをツイッターでリアルタイム=ドキュメンテーションすることを試みた。

 Twitterをつかって「つぶやいた」おかげで、それはすべて残っているし、どこからでもアクセスすることができる。さらには、授業を受けていなかった人にもそのプロセスが見え、時にはコメントなどをもらうことができて、面白かった。

 僕のつぶやきの一部を見てみよう。

●大学院授業。私見では、組織学習論には2つの異なる理論系統が存在する。ひとつは、知識を"情報伝達プロセス"として見る組織学習論。ひとつは、知識を"社会プロセス"としてみる組織学習論である。

●元来、ウェンガーが提唱していたのは、Communities of practiceである。「Communities」という「複数」であることに注意が必要。人は、単一の組織Communityではなく、Communitiesという多層空間に生き学んでいる、という人間観がある。

●看護士さんの熟達。学生時代は、患者-看護師の1×1の看護しか行わず、また夜勤はない。しかし、現場にはいると、ナースコールが同時期に頻発し、1×nの多重課題を優先順位のもとこなすことが求められる。このリアリティショックを軽減させる取り組みがはじまっている。面白いなぁ、他人の職場は。

●「キャリア」という言葉は、アカデミアと実務の世界で定義が異なる。実務のそれは「昇進」「異動」「ポジション」。アカデミアのそれは「一生涯にわたる仕事の経験や活動や態度」(Hall 2002)。キャリアは第三者に認定されるものではない。あくまで個人が見いだし、考えるものである。

●大学院授業。文脈越境学習論。私見では、文脈越境による学習とは、「越境前の場所」と「越境先の場所」を行きつもどりつしながら、そのどちらの人にもならず、アイデンティティをうまく使い分けて、「越境前」でも「越境後」でもない、「第三の場所」を自らデザインすることである。第三の場所は、存在でも、認識でもない。越境するあなたが、デザインするものである。

 結構いろいろ考えてる風だよね(笑)、、、我ながら。
 とても面白いね。

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 来年度の青学集中講義は、夏に実施されるそうである。
 その頃、僕は何を「つぶやいている」のかな、、、と思う。

投稿者 jun : 2010年1月29日 09:29


学びの認知科学事典

 東北大学の渡部信一先生が編者、青山学院大学の佐伯胖先生が監修をなさった「学びの認知科学事典」(大修館)が、いよいよ発刊されます。大御所の先生たちの背後で、ひそかに、シレッと、小生も末席に加えていただき、1章を書かせていただきました。

 まだ、なぜか、AMAZONでは購入できないようですが、もしご興味がおありの方がいらっしゃいましたら、ぜひ、手にとっていただけるとうれしいです。

 編者をなさった渡部信一先生は、非常にご苦労なさったことと思います。この場を借りて御礼申し上げます。お疲れ様でした。

「学び」の認知科学事典
http://www.ei.tohoku.ac.jp/watabe/jiten.html

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もくじ                       

序章 「学び」探求の俯瞰図  渡部信一

《1》「学び」をどう考えるか
1.学ぶことの二つの系譜  松下良平
2.「学び」に関する哲学的考察の系譜  今井康雄
3.江戸の学び  辻本雅史
4.「ケアリング」としての「学び」  生田久美子
5.学習の実験的領域・学習の社会理論のための覚書 福島真人
 
《2》子どもの「学び」
1.生活での学び 学校での学び 浜田寿美男
2.遊びと学び 麻生武
3.仲間関係の中での学び 無藤隆
4.模倣と「学び」 佐伯胖
5.「学び」の発達・生きたことばは学びの世界を拓く 内田伸子        
6.障害のある子どもの学び 藤野博 

《3》生涯を通した「学び」
1.現代社会における大学生の学びとアイデンティティ形成 溝上慎一
2.大学における学びの空間 山内祐平 
3.大人の学び─熟達化と市民リテラシー 楠見孝
4.企業における学び 中原 淳 
5.老人の学び 権藤恭之

《4》「学び」のメカニズム
1.学びの脳科学・神経心理学から 山鳥重
2.学習における力学系/身体性/意識 池上高志
3.学びとワーキングメモリ 苧阪満里子・苧阪直行
4.言語の習得 辻幸夫
5.動物の学び 川合伸幸

《5》 関係と状況の中での「学び」
1.関係論的学び論・関係発達論の立場から 鯨岡峻
2.文化・歴史学派の理論とその展開 高木光太郎
3.生態学的学び:知覚と行為の相補的発展 三嶋博之
4.学びの評価 松下佳代
5.学びのデザイン・協調的な学び 三宅なほみ

《6》「学び」とテクノロジー
1.テクノロジ利用による学びの支援  大島律子・大島純 
2.「学び」と身体空間 阪田真己子
3.認知ロボティクスにおける「学び」小嶋秀樹 
4.リソースの中に埋め込まれた学び
  次世代ロボット創出プロジェクトの実践から 岡田美智男
5.超デジタル時代における「学び」の探求 渡部信一

おわりに 佐伯胖

投稿者 jun : 2010年1月28日 09:41


合コンで名刺をだしたときの一言

「うちの会社には2種類の人種がいると思っています。"合コンで名刺をだしたときに女の子からいわれる一言"で、その2種類の人種を区別できますよ・・・」

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 ある研究のインタビュー調査で、先日、耳にした若手の言葉です。
 若手のビジネスパーソンを対象にしたインタビュー調査は、ずいぶん前にもやったことがあります。35歳くらいまでの若手の方々に「自分の職場」、あるいは自分の「仕事を通じての成長」についてインタビューをさせていただいているのです。僕の腹づもりでは、3月までに、30名ほどの方にインタビューをさせていただきたいと考えています。

  ▼

 インタビューをしていると、思わず「若手のリアルな本音」が漏れてくることがあります。その中でも、何人かの方から、「会社の中には、成功経験を共有できている世代とそうでない世代がいる」という話がでてくることがあります。

 典型的には下記のようなストーリーです。

「うちの会社には2種類の人種がいると思っています。成功世代と失われた世代です。つまり、バブル期に強烈な成功体験を経験した世代と、バブル後の何もかも灰色にしか見えない若い世代です。

成功世代は、合コンにいってうちの会社の名刺を出せば、女の子から、"キャー、○○さんの業界、すごいんでしょ」と言われた世代です。自分の会社や事業に絶大な自信をもっているし、それが揺るぎないものだと思っている。

でも、今、自分のような灰色世代が、合コンで、うちの会社の名刺をだしても、"最近、○○くんの業界って危ないんでしょ?、大丈夫?"としか言われません(笑)。こんな状況だと、若い世代は危機感をもたざるをえないんです。

でも、上の人には、そういうものがない。あと20年もあるハズのに、"自分だけはまだ逃げ切れる"と思っている。もっと上の世代はいいんです、、、逃げ切れますから。でも、自分とちょっと上の世代は、この時代の変化を逃げ切ることはできないんです。だって、冷静に考えても、20~30年もあるんですよ(笑)。

同じ会社でも、それだけ違うんです。でも、会社は一致団結して物事に取り組めという。でも、どうやって、みんなで、同じ未来を見据えろ、というのでしょうか」

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 思わず言葉を失います。

 もちろん、こうした若手の意見に100%与するわけではないですし、それが事実かどうかはわかりません。当然、上の世代も言い分はあるでしょう。世代間ギャップはいつの時代に存在しており、それをことさらにあおることは、僕の本意ではありません。

 しかし、それが複数の若手ビジネスパーソンから語られる、典型的なモティーフであることは「事実」です。

 ここで重要なことは、おそらく「合コン」ではありません(笑)。まして、誰かだけが「悪く」て、誰かだけが「よい」ということではないように思います。

 そうではなく、

「ある時期に会社や業界が上り調子だったときの成功体験をもっている世代と、成功体験をもっていない世代のあいだのギャップをいかにするか」

 ということです。その違いが、職場で起こっているさまざまな事柄、たとえば、チームワークが保てない、めざすゴールを共有できない、といったような問題に影響を与えているのかもしれません。
 
 ここで、両者の違いは、Epistemology(認識)の違いです。そして、この認識は、若い頃の経験に深くねざし、そこから「学習」されたものです。それを学習棄却(Unlearn)することは、当然、容易なことではありません。
 両者の認識の違いも「経験」にねざしているだけに(合コンで、もてた、もてなかった、という経験だとしたら、さらにやっかいかも・・・笑)、やっかいなのかもしれません
 。なぜなら、「ある人の経験」は、なかなか否定できないものだからであり、反証されるべき類のものではないからです。経験は常に絶対化しやすく、あなたの視野を、あなたに気づかれるまもなく、縛ってしまいます。

 同じ会社につとめながら、「キャー」と言われつづけてきた世代、「あんたの会社、大丈夫?」と言われている世代・・・。

「僕は、自分とは"違う人種"だと思っていますから」

投稿者 jun : 2010年1月27日 09:33


コミュニケーション不全:職場の中の孤独を克服せよ:次回Learning barのお知らせ

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Learning bar@Todai 2010

「コミュニケーション不全:職場の中の孤独」を克服せよ!
社内に「楽しく、つながり、学べる場」をつくる!?
リクルートエージェント【ちゑや】の挑戦

2010年2月12日(金曜日)午後6時00分 - 9時00分
東京大学 情報学環 福武ホール B2F
福武ラーニングシアター
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おばんでした、中原です。

(僕の故郷・北海道では、夕方他人の家を訪問したときの挨拶
は"おばんでした"です。なぜか過去形で発話されるのです)

今年最初のLearning barのお知らせです。
最初のLearning barは、2月12日に開催すること
になりました。
 
テーマは、

 「コミュニケーション不全:職場の中の孤独」を克服せよ!
 社内に「楽しく、つながり、学べる場」をつくる!?
 リクルートエージェント【ちゑや】の挑戦

です。

リクルートエージェント【ちゑや】
http://japan.zdnet.com/sp/feature/09company/story/0,3800092607,20395872,00.htm

  ▼

成果主義の徹底によって、職場メンバーの「コミュニケーション」
「協力」が失われる...

中途採用が急拡大し、顔の知らない人が職場に増えていく...

ネットの浸透によって、1メートル先のメンバーも
メールでしかやりとりしない...

昨今、「職場におけるコミュニケーション不全」の問題が
取り上げられることが多くなりました。
「職場の中の気付かぬ孤独」・・・程度の差こそはあれ、
誰もがこれを経験しています。

若手の成長の問題、知識の移転の問題、イノベーションが
生まれない・・・現在、企業で生まれている課題の「根」
には、この「コミュニケーション不全」の問題が横たわっ
ていると感じます。

...とはいえ、、、この問題を何とかしようとして、

 さぁ、皆さん、コミュニケーションをしましょう!
 みんなで、和気藹々と話しましょうよ!

と声高に叫んでも、いまいち集まりは悪いですし、
盛り上がりません。

多大な費用をかけてリラックススペースやコミュニケー
ションスペースをつくっても閑散としてしまうことが少
なくありません。

誰もが、日々の雑事に追われ、「終わりなき日常」を
過ごしています。そのような人々の心を魅了する施策とは
いったいどのようなものでしょうか。
 
コミュニケーション不全・・・いったい、私たちは
何に「乾いている」のでしょうか。そして、わたしたち
には、何ができるでしょうか。

社員が集い、つながりを深め、さらには学ぶこと、
変わること、変えることのできる「場」を、いかに
社内につくりだすことができるのでしょうか。
 
今回のLearning barでは、リクルートエージェントで
【ちゑや】とよばれる活動をなさっている中村繁さんを
お招きして、この問題に対して、皆さんでディスカッション
する機会をもちたいと思います。

【ちゑや】は、社員同士が部署・肩書き・経験の差を乗り越えて
活発にコミュニケーションができる非公式の場でありながら、
会社の公式の組織図にも存在する活動です。

【ちゑや】は、「コミュニケーションしましょう!」というかけ声でも
なければ、「コミュニケーションスペース」でもない、もちろん
「研修」でもないアプローチで、この問題に迫ります。

 ▼

参加をご希望の方は、下記の参加条件をお読みになり、
フォームに必要事項をご記入のうえ、1月30日までに
sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまでご連絡
下さい。抽選の結果、1月31日までに参加可否をお伝え
いたします。

下記の要項を必ずご一読いただき、ご応募をお願いいた
します。

  ▼

 なお、最近、Learning barは満員御礼が続いており、
参加登録いただいても、すべての方々の御希望にはお応
えできない状況になっております。

 会場を変えて、何とかこれに対応していますが、限ら
れたスペースと人的リソースの中で運営し、かつ、参加
者のバックグラウンドの多様性を確保する必要がある関
係上、すべての方々のご要望にはお答えできません。

 主催者としては心苦しい限りですが、なにとぞお許し
ください。
 
       主催:中原 淳(東京大学・准教授)

※Learning barは、NPO法人 Educe Technologiesが
主催、東京大学大学院学際情報学府 中原研究室が
共催する、実務家と研究者が集まる学術イベントです。
 
 ---

○主催
 NPO法人 EDUCE TECHNOLOGIES
 エデュース・テクノロジーズ
 http://www.educetech.org/
 
 EDUCE TECHNOLOGIESは、「学び」に関する調査
 研究開発、コンサルティングを行う非営利特定
 活動法人(NPO)です。
 
 企画担当
 副代表理事 中原 淳
 
 
○共催
 東京大学大学院 学際情報学府 中原淳研究室
 - 大人の学びを科学する研究室 -
 http://www.nakahara-lab.net/
  
 
○日時
 2010年2月12日(金曜日)
 午後5時30分 開場
 午後6時00分より午後9時00分まで実施
 
 ※時間が限られておりますので、定刻通り
 に始めます。本郷キャンパスは意外に広い
 です。くれぐれも、迷子になりませんよう。
 
 
○内容(案)

 □ウェルカムドリンク
 (5時30分 - 6時00分)
  ・今回のLearning barでは、軽食、ソフトドリンク、
   ビール等をご用意しています。
 
 □イントロダクション
 (6時00分-6時10分)
   ・中原 淳(東京大学)
 
 □パート1
 【ちゑや】の「場」で起きている事は何か?
始めたキッカケは何だったのか?
 (6時15分 - 6時45分)
 (30分講演)
  ・中村繁さん(リクルートエージェント)

 ・・・会社の中に存在する様々なコミュニケーションの壁
 を乗り越える【ちゑや】の活動をご紹介します。

  <ようこそ先輩!><ココロとカラダの元気術>って?
  <海老原塾><のりお食堂><実践「匠」道場!>って?
  <ちゑや食堂><介在価値LIVE><夜会>って何?
 Before~On~Afterに拘る理由。「動脈」ではなく「静脈」。
 自然職「しかるべき姿を一緒に考え 自ら乗り越える」とは?

 --- bar time (15min.) ---

 □パート2
 「場」が意味する:仕事 - 自分- 職場
   一緒に考え 自ら乗り越える。
 (7時00分 - 7時30分)
 (30分講演)
  ・中村繁さん(リクルートエージェント)

 ・・・【ちゑや】の運営をどのように行っているのか、
 そして、【ちゑや】はどのようなインパクトをもたらしているのか
 をご紹介します。

  「職場の中の気付かぬ孤独」
  「教育担当者は半年前の先輩」
  「やるべき事をやってから言おう!?」
  「公私混同は×!?」
  「必要に迫られた会話」
  『人となり』がコミュニケーションの密度とスピードを数百倍上げる」
  「○○屋」「非日常」「LIVE」に拘るのは何故か?
  「ちゃんとやらない」事が大事。
  誰もが本来持つWants(>Must)がエンジン。
  越え難い壁とココから先の【ちゑや】。

 --- bar time (15min.) ---

 □お近くの方とディスカッション
 (7時45分 - 8時20分)
 (35分)
 
 □質疑
 (8時20分 - 8時50分まで)
 (30分)

 □ラップアップ
 (8時50分 - 9時00分まで)
 (10分)
  ・中原 淳(東京大学・准教授)
 
 
○場所
 東京大学 情報学環 福武ホール
 地下2F 福武ラーニングシアター
 http://fukutake.iii.u-tokyo.ac.jp/access.html

 地下鉄丸の内線本郷三丁目駅から徒歩15分程度
 地下鉄南北線東大前駅から徒歩10分程度
 
 (赤門の横です)
  
  
○参加費
 4000円(1名さま 一般・学生)
 (講師招聘費用、会場費、飲み物、食べ物、
  運営費等に支出いたします)

 本イベントで剰余金が発生した場合は、NPO法人 Ed
 uce Technologiesが企画する、組織人材育成・組織
 学習に関係するシンポジウム、研究会、ワークショ
 ップ等の非営利イベント等の準備費用・運営費用、
 および、研究費用に充当します。
 
 
○食事
 ソフトドリンク、ビールなどの飲み物、および
 サンドイッチ、ベーグルの軽食をご準備いたします。
 
 
○参加条件

 下記の諸条件をよくお読みの上、参加申し込みください。
 申し込みと同時に、諸条件についてはご承諾いただいて
 いるとみなします。

1.本ワークショップの様子は写真・ビデオ撮影します。
写真・動画は、NPO Educe Technologies、東京大学
中原研究室が関与するWebサイト等の広報手段、講演
資料、書籍等に許諾なく用いられる場合があります。
マスメディアによる取材に対しても、許諾なく提供
することがあります。

2. 欠席の際には、お手数でもその旨、
sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
ご連絡下さい。
人数多数のため、多数の方の参加をお断りしている
状況です。繰り上げで他の方に席をお譲りいたします。

3.本イベントで剰余金が発生した場合は、NPO法人
Educe Technologiesが企画する、組織人材育成・
組織学習に関係するシンポジウム、研究会、ワーク
ショップ等の非営利イベント等の準備費用・運営費
用、および、研究費用に充当します。


○どうやって参加するのか?
 
 下記のフォームに必要事項をお書き入れの上、
 sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
 1月29日までにお申し込み下さい


〆ココカラ======================================

 参加申し込みフォーム
 sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
 1月29日までにお申し込み下さい
 
 抽選の上、1月31日までに参加の可否をご連絡
 させていただきます

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 上記の参加条件を承諾し、参加を申し込みます。

○氏名:(            )
○フリガナ:(          )
○ご所属:(            )
○メールアドレス:(       )

○業種の選択:下記の11つの属性から、あなたに
最も近いものをひとつお選びください

 1.研究者
 2.学生
 3.民間教育会社勤務
 4.民間コンサル会社勤務
 5.事業会社勤務(人事・教育部門)
 6.事業会社勤務(事業部門)
 7.個人事業主(教育・コンサル)
 8.経営者
 9.初等・中等教育の学校勤務
 10.公務員・公益法人等勤務
 11.その他

○もしあれば・・・一言コメント
(                )

〆ココマデ======================================

投稿者 jun : 2010年1月24日 23:07