グローバル化とは「察することに甘えることができない社会」を生きる覚悟である!?

 先だって、僕が慶應MCCでやらせていただいている実務家・ビジネスパーソン向け授業「ラーニングイノベーション論」に、一橋大学の守島基博先生におこしいただきました。
 守島先生には、もう7年間にわたって、素晴らしい授業をご出講いただいており、心の底から感謝しております。受講生の皆さんはもちろんのこと、僕自身も、様々なことを考えさせられるよい学びの機会になりました。本当にありがとうございます。

  ▼

 先日の守島先生のお話は「企業の戦略と人事」にかかわるもので、どの話題も興味深いものでしたが、個人的に非常に興味深かった内容に、

「今後の日本企業の職場では、職場構成員のダイバーシティがさらに高まっていく」

 という内容がございました。

 言うまでもなく、この場合のダイバーシティには、さまざまなダイバーシティがありえます。
 ダイバーシティとはワンワードで申し上げますと「メンバー間の差異の程度」ですので、外国人、性差、雇用形態などの「外見や属性から識別可能な違い」もありえますし、考え方・キャリア観・仕事の位置づけの違いといった、なかなか目にみえない「差異」もありえます。
 前者を比較的わかりやすい「鉄板系ダイバーシティ」とするなら(?)、後者はさしずめ「潜在系・そもそも人は多様だったねダイバーシティ?」とも呼べるでしょう(笑)。

 前者はもちろんのこと、後者のような「個々人の奥底に潜む違い」をも「ダイバーシティ」ととらえるのならば、わたしたちの今後の社会は、それぞれが、そこはかとなく拡大していくことが予想されます。それらの差異に対処したり、差異を前向きに企業経営・組織運営に活かしていくことが、現場のマネジャー、日々のマネジメントに求められるようになる、ということになるのだと思います。

 すなわち「今あるマネジメント」の「外側」に「ダイバーシティマネジメント」というものが存在するのではなく、「マネジメント」そのものが「ダイバーシティマネジメント(多様性をやりくりすること)」であるという状態が生まれます。
 かくして「ダイバーシティマネジメント」という言葉は、マネジメントそのものに「収斂」していくのでしょう。
   ・
   ・
   ・

 さて、言うのは簡単、実行は大変困難です。・・・だって、今でさえ、「ひーひー」言ってるのに、さらにメンバーの向いてる方向が「あっちゃこっちゃ向いてる」のですから・・・。
 
 「今後の職場の変化」に関しては、かつてより、僕自身も、同様の方向性・方向感を感じており、守島先生のお話は「まさに我が意を得たり」という思いがしました。痺れます。

 おそらく、私たちの組織は、今後、さらに「ダイバーシティ」が高まっていくことが予想されます。
 その中では「背中を見て育つ」とか「阿吽の呼吸」とか「察し」といった、わたしたちの文化やメンタリティに深く埋め込まれているものは、機能不全に陥る可能性が高くなります。

 すなわち、「わたしたち自身が同じであるという共同幻想」を前提に「省略」することができたコミュニケーションスタイルが、必ずしも「作動」しなくなるか、あるいは「足かせ」となってしまう事態が進行する、ということが進行するということです。このことは下記のエントリーでこれまでにも、書かせて頂いておりました。

「背中」と「現場」と「ガンバリズム」に甘える国ニッポン!?:人材開発の未来を考える
http://www.nakahara-lab.net/blog/2015/01/post_2340.html

「言挙げせぬ国」の「グローバル化対応」とは何か? : 「阿吽」「察し」「背中」を考える!?
http://www.nakahara-lab.net/2014/03/post_2185.html

 これからの私たちの社会は、

 いつまでやっても、あうんの呼吸に「ならない」
 背中はおのずから「語らない」
 根性やガンバリズムには「逃げられない」
 
 ことが徐々に常態化していくことが予想されます。

 すなわち、グローバル化とは「英語を学ばなきゃなんない」とか、やれ「外国人とつきあわなきゃなんない」、そういう表面的な話ではありません。

 ワンセンテンスで申し上げますと、

 グローバル化対応とは「察することに甘えることができない社会」を生きる覚悟です。
 それは、外国人であろうと、なかろうと。
 たとえ、日本人同士であったとしても。

 言葉を換えるならば

 「おまえ、空気を読めよな」に逃げることができない社会に生きる覚悟です。
 くどいようですが、同じ日本人同士であったとしても。

 その覚悟を嫌がおうでも、持たざるをえない社会が、すぐそこ、今ここにまで迫っています。

 そのような中でもっとも大切で、しかしもっとも面倒なのはきちんと言葉をつくして、多様な人々のあいだに、ひとつひとつ納得解をつくりだしていくことが求められるようになるでしょう。
 これからの現場のマネジャーは、そうした努力を今よりも必要とするようになるのではないかと思います。このことを以前、こんなエントリーで書いたことがありました。遠い遠い記憶の彼方になっていますね。。。おんなじ事を書いているんだから、成長ないのかな(笑)


「雲の上マネジメント」から「言霊マネジメント」へ:マネジャーと言葉

http://www.nakahara-lab.net/2013/06/post_2035.html

  ▼

 さて、今日の話題は、ダイバーシティでした。
 これにゆるく関して、劇作家の平田オリザさんの著書「対話のレッスン」に非常に興味深いことをお書きになっています。少し長くなりますが、引用させていただくと、このような感じです。

  ーーー

 二十一世紀のコミュニケーションは「伝わらない」ということから始まる。(中略)

 私とあなたは違うということ。
 私とあなたは違う言葉を話しているということ。
 私は、あなたが分からないということ。
 私が大事にしていることを、あなたも大事にしてくれているとは限らないということ。

 そして、それでも私たちは、理解し合える部分を少しずつ増やし、広げて、ひとつの社会のなかで生きていかなければならないということ。

 そしてさらに、そのことは決して苦痛なことではなく、差異のなかに喜びを見いだす方法も、きっとあるということ。
 (中略)
 まず話し始めよう。そして、自分と他者との差異を見つけよう。差異から来る豊かさの発見のなかにのみ、二十一世紀の対話が開けていく。

(平田オリザ「対話のレッスン」p241-222より引用)

 ーーー

 平田さんは、現代の社会の様相を「差異」と「対話」に求めます。

 そして、僕がもっとも共感するのは、その道は容易な道ではないことを認めながらも、一方で、それは

「決して苦痛なことではなく、差異のなかに喜びを見いだす方法も、きっとあるということ」

 を信じると述べられているということです。
 
 つまり、これから起こる変化に「絶望」するのではなく、そこに「希望」を信じて、前に進むことをよしとする。
 そうした態度が素敵だなと思いました。

「世界を変えうるものは、"最後に希望のあるもの"だけである」

 というのは、僕の指導教官の口癖でしたが、僕もそのことを強く思います。

 さて、あなたには「察することに甘えることができない社会」を生きる覚悟はありますか?
 そろそろ、腹はくくりましたか?

 そして人生は続く

投稿者 jun : 2015年6月30日 06:00


【前の記事へ移動: 今週一週間を、バタビン(バタバタ貧乏)にしないためには何が必要か!? ...】  

今週一週間を、バタビン(バタバタ貧乏)にしないためには何が必要か!?

 バタビン社長という言葉を、先だって、研究室OBの関根さんからはじめて教えてもらいました。
 バタビン社長とは「バタバタ動き回るわりには、成果がでず、貧乏をしている社長のこと」で、要するに「戦略性のない社長」なのだそうです。この言葉の出自はよく知りませんが、非常に興味深く思いました。

JotNot_2015-06-29-page-1.jpg

 ベンチャーのスタートアップ期や、中小企業などで割と多いケースだそうで、「戦略」がないのに、とにかく、気合いと根性で動き回っても、なかなか成果が出ないそうです。

 先だって、研究室の保田さんらが中心になって開催された「中小企業HRD研究会」では(主宰者の保田さん、参加者のみなさま、お疲れさまでした!)、Ostgaard(1994)らの文献を読みましたが(文献担当お疲れさまでした!)、この論文の主張は、それに類するものでした。

 この論文では、中小企業の社長の「戦略性」と「ネットワーク行動」の関係を評価しています。
 分析の結果わかったことは、

 経営者の「ネットワーク行動」は、「戦略」に同期しておこなわれなければ効果は出ない

 ということです。
 戦略に応じて、誰を訪問し、いかなるネットワークを形成するか、しっかりと考えておかなくてはなりません。あたりまえのことですが、日々忙しい日常をすごすたび、つい忘れてしまうことです。まことに興味深いことですね。

  ▼

 今日のお話の主人公は、中小企業の社長さんの行動でした。しかし、バタビンの状況(バタビンステート:バタバタしているけれども、シオシオのパー状況)というのは、経営者のみならず、多くの人々に当てはまることではないかと思います。貧乏といっても、フィナンシャルな文字通りの貧乏から、精神的に余裕がない、という「心の貧乏」もあるでしょう。

 動き回っているつもりなのだけれども、成果がでない
 バタバタしているんだけど、どうも、しっくりきていない。

 そんな「バタビン」ステートに陥っていたら、もう一度、戦略を練り直す時期かもしれません。しっかりと「これまで」をリフレクションし、前に踏み出すときかもしれません。
 
 今日は月曜日、週のあたまです。
 
 今のままだと、あなたの一週間は、「バタビン」にはなりませんか?
 このまま突入していったら、あなたはどのような一週間を過ごすことになりますか?

 今週がみなさまにとって、よき週でありますよう。

 そして人生は続く
 


 

投稿者 jun : 2015年6月29日 05:36


【前の記事へ移動: 「豪華客船タイタニックの悲劇」を生み出した「密かな理由」とは何か? ...】  
【次の記事へ移動: グローバル化とは「察することに甘えることができない社会」を生きる覚悟である!? ...】 >

「豪華客船タイタニックの悲劇」を生み出した「密かな理由」とは何か?

 先日、昨年から、かかわらせていただいている地域問題解決プロジェクト(ヤフー、日本郵便、アサヒビール、インテリジェンスの異業種課題解決・次世代リーダー研修)で、清宮普美代さんのセッションを拝見させていただいた際、清宮さんから「タイタニック号の悲劇はなぜ生まれたのか?」という話を伺いました。

 この話は、以前にもどこかで他の方から伺っており、これは有名な話なのかもしれないのですが(アサヒビールの福地元・会長も、先日、タイタニック沈没のお話をなさっておられました)、清宮さんによりますと、アクションラーニングの祖であるRevans, R.の父親がタイタニック号の近くで働いており、ゆえに、Revansがその話をよくなさっていたそうだとか。

 そこで問われている内容は、大切なことであるような気がいたしましたので今日は、清宮さんに感謝をしつつ、このお話をさせていただきます。

 さて、タイタニック号のお話の要旨は、こんな内容でございました。

  ▼

 タイタニック号の悲劇はなぜ生まれたのか?
 
 よく知られているように、英国客船タイタニック号は北大西洋航路で当時大量の移民を新大陸に運ぶべくつくられました。 

 この船は、当時の最新技術をあますところなく用いており「神でも沈めることができない不沈船」としてマスメディアに喧伝されていたそうです。

 しかし、不沈船タイタニックは、1912年、その処女航海で、氷山に衝突、あえなく沈没することになります。

 しかし「不沈船」と人々に信じられていた船ですが、船の関係者のあいだでは、実際に

 「何か、あの船、変だよね」
 「なんで、救命ボートがあれしかないんだよね」
 「この船、こんなに重くて大丈夫かね?」

 という風に、様々な噂がたっていたといいます。ここでのポイントは、「不沈船とはいうけれど、あの船、なんか、変だよね」と思う人もいた。

 しかし「最大の悲劇」は、多くの人々が「なんか変!」だとは思いつつも、誰一人、口にして他者に「問いかけること」ができなかったこととでした。それが、有史以来、最悪の悲劇を生み出します。

 Revansは、この状況を揶揄して、

「タイタニック号の悲劇が生まれたのは、誰もバカらしい質問ができなかったからだ」

 とまとめておられたそうです。

 もちろんタイタニック号の悲劇の真因は、言うまでもなく複数です。様々な技術的要因、組織的要因、自然要因などが重なったのでしょうけれど、「問うこと」の重要性を改めて考えさせる事例として、まことに興味深いことですね。

  ▼

 この世の中には、誰もが「常識」だと思っていること。誰もが「疑いをもたないこと」。そして、誰もが「想定の範囲内」だと思っていることがあります。

 そうした「あたりまえ」に対して、「バカらしい質問」や「空気を読まない問い」をなげかけること。「問いかけること」は大切なことです。そして、時にそうした「問いの欠如」が「悲劇」を導くことがあるから注意が必要です。

 最近、とみに思うことがあります。

 僕たちの社会には

「実は、あのとき、わたしは気づいていたんだけどね。ま、口にはしなかったよ。でもほらみろ。言わんこっつちゃない、やっぱりこうなったでしょ。わたしは、最初からわかっていたけどね」

 ということが多いものです。
 しかし、自戒をこめて申し上げますが、「後出しじゃんけん的」に、「実は、あのとき、わたしは気づいていたんだけどね。」というのは「ちょっとな」と思うのです。

 問うことをすれば、そのときは、短期的に「コンフリクト」は起こる。でも、問わずに、そのまま放置していては、長期的に「悲劇」を生み出してしまうことが多い。
「コンフリクト」と「悲劇」のどちらかをとれ、と言われれば、僕は迷わず「コンフリクト」をとるよ。
 
 だから、僕は言うよ。
 敢えて、問うよ。
 あのとき、僕は思っていたけどね、と言わないためにも。
 みんなの長期的な悲劇を避けるためにも。
 たとえ、そのとき、嫌われたとしても。

 年齢を重ねてきているせいか、なんか、最近、自分が「過激」になってきているような気もします。なんか、最近、一言一言がスパイシーになってきているような気も。大丈夫か、オレ(笑)。なんてことを、昨日も、学生のプレゼンにスパイシーなフィードバックをしながら、考えていました。

 でも、思いはこういうことです。
 そして人生は続く

投稿者 jun : 2015年6月26日 06:10


【前の記事へ移動: みんなで「水平分業」していた仕事が、ひとりに「垂直統合」されちゃう話:イラストも ...】  
【次の記事へ移動: 今週一週間を、バタビン(バタバタ貧乏)にしないためには何が必要か!? ...】 >

みんなで「水平分業」していた仕事が、ひとりに「垂直統合」されちゃう話:イラストも描けて、動画も編集できて、写真も撮れるライターさん!?

 先だって、あるWebを企画・ディレクションしている方と、「最近、どうよ?」なんて話をしていました。そのとき、その方がおっしゃっておられたのが、

「写真がある程度撮れるライターで、イラストもちょこっと書ける人って知り合いにいない?」

 という印象深い一言でした。

 曰く、

 現代はスマホの時代。すなわちそもそもユーザーが見る画面が小さいので、高解像度の写真とか、めちゃうまいイラストは必要がない。いや、クオリティの高いものはめちゃ欲しいけど、そんなにお金がない。もともとコンテンツも回転が速いので、そんなに支払う余力もない。

 でも、ある程度かっこよい写真とか、ちょこっとしたイラストはサイトには必要。そんなとき、写真がある程度撮れるとか、イラストがちょこっと描けるライターさんが助けてくれると、ずっとおつきあいさせていただきたい。
 でも、文章書ける人は世の中にたくさんいる。でも、イラストも写真もそこそこできるライターさんは、なかなかはいない。そういう人を探しているのだけれども、お近くにいない?

 とのことでした。

 僕はWebディレクションにも、ライターにも、写真にも、イラストの世界も全くの門外漢ですが、なぜかこの一連のやりとりは印象に残るものでした。

 そういえば、別のところでは、また違うWebディレクターがこんなことをおっしゃっていました。そのときはピンとこなかったのですが、よくよく考えてみると、件の方と同じ事をいっているようにも思えます。

 そこそこのクオリティでいいんだけど、チョロンと動画とって編集できて、数分のビデオをつくれるライターさん、中原さんの回りにはいらっしゃらないですか?

 今度は動画ね・・・。
 ふーん。

   ・
   ・
   ・

 最近、こんなやりとりを連続していて、僕の脳裏にぼんやりと浮かんでいたのは、数ヶ月前にソーシャルメディアで話題になって見た「昭和のビジネスを再現してみた」というコンテンツでした。

昭和のビジネスを再現してみた
http://bbpromo.yahoo.co.jp/special/showa/

 このコンテンツは、1979年に総合商社に入社なさったFOXインターナショナル・チャンネルズ株式会社の元・代表取締役社長である小泉喜嗣さんが、昔を振り返り、「昭和のビジネスの仕事の様子」を語っていらっしゃるものです。

 インターネットも、メールも、スマホもない時代に、どのようにビジネスをしていたのか、非常に興味深く知ることができます。

 興味深いのはこのコンテンツの中で、小泉さんは、

「(当時は)もっと分担してやっていたということです。資料を探すのは資料を探す人、プレゼンするのはプレゼンする人、資料を作るのは資料を作る人、と完全な分業制だったんです」

「1人である程度のことは全てできるようになったので、働き方がそもそも変わりました」

 とおっしゃっておられたことです。ここが誠に興味深いことです。

 すなわち、昔だと、調べるのはAさん、資料づくりはBさん、発表するのはCさんという風に複数の人々で「役割」をわけて「水平分業」していたものが、コンピュータの普及とともに、「仕事が、そこそこできちゃうDさんひとりに垂直統合されてきた」ということです。
 コンピュータに入っているさまざまなアプリを使い、そこで研鑽をつめば、そこそこのクオリティで、ひとりで様々な作業を行い、垂直統合することができるようになってきました。

 もちろん、Aさん、Bさん、Cさんがそれぞれの領域でプロ級なのだとしたら、Dさんには単体で、Aさん、Bさん、Cさん、それぞれには勝てないかもしれません。
 でも、それぞれの仕事を、そこそこのクオリティで引き受けることのできるDさんの付加価値は、まさに「他の人の力を借りず(コストを下げて)ひとりでそこそこできる」というところです。
 別の言葉を用いるならば、これまでは、分業して、コストがかかっていた様々な作業を「垂直統合」することによって、ひとりで「価値」を創造できる。

 ここが、妄想力を駆使すると、先ほどのライターさんの需要の問題とリンクしてきているような気がしました。気のせいかもしれませんが。。。
 イラストも描ける、写真もとれる、動画もとれるライターさん。求められているのは、ライティング、写真、イラストという風にメディアをわけて表現をおこなうことなのではなく、「メディアによらず仕事ができる表現者」なのかな、と思いました。

 もし仮にそれが「是」だとして、かくして生まれてくるのは「何でも、そこそこできる人に仕事が集まってくる状況」です。ここらあたりは、まさに僕の専門です。
 仕事が高度化して、多重役割化して、それらを垂直統合することで付加価値がなければ仕事がとれない時代が出現してきた、ともいえるのかもしれません。
 そして、こうした時代をサバイブしていくためには、自分の専門性(ウリ)をコアにしながら、幅広い仕事に精通していることが求められるということではないかと思います。 単体のスキルをコアにしつつも、それに関連する複数のスキルを駆使して、バリューをだす時代、というのかな。ややこしいねぇ、、、(笑)昭和がうらやましいねぇ。

 世の中は、かくして、そこに生きる人のあずかり知らないところで「高度化」「複雑化」しています。

 人材を育成することが難しくなったのは、決して、教える人の怠惰、学ぶ人の怠惰が主な原因ではないという仮説も成立します。そもそもサバイブするために必要になる知識やスキルが「高度化」し、「そこそこの物事を垂直統合し、バリューをださなければならない状況」になってきており、そこに新規参入者がそもそも追いつけない、という仮説が成り立ちます。

 ▼

 今日は「水平分業していた仕事が、ひとりに垂直統合されてきた」話を書きました。繰り返しになりますが、こうした事態が、それぞれの業界で本当に起こっているかはわかりません。また、垂直統合された先に起こる弊害などの業界の実状を僕は知りません。

 皆さんの業界はいかがでしょうか?

 あなたの仕事は、ここ10年で
     垂直統合が進んできていますか?

 この後10年、あなたの仕事は
     誰かに垂直統合されませんか?
 
 ぶるぅ・・・シバれるねぇ。
 スパイシーだねぇ、生きるって。
 そして人生は続く

投稿者 jun : 2015年6月25日 05:49


【前の記事へ移動: ベンチャー企業の「成功」を決めるのは何か?:ココロザシ社長とギラギラ社長!? ...】  
【次の記事へ移動: 「豪華客船タイタニックの悲劇」を生み出した「密かな理由」とは何か? ...】 >