あなたは「一斉講義」を聞くと「懐かしさ」と「ホッと一息」を感じますか?

「一斉講義って、何だかホッとしますね(笑)あっ、久しぶりに一斉講義だわと思うと、懐かしくて、懐かしくて」

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 僕が大学院生の指導をしている大学院では、授業の多くが、いわゆる伝統的な一斉講義を行わない形式で実施されているそうです。
 僕自身は、授業は自ら「実施」しますが、他の先生方の授業を「受講」したことはないので、あまり詳細は知りません。
 が、ちょっと前になりますが、上記のようなセリフを大学院学生のひとりが、口にしていたことを覚えています。同様のことは、他の大学院生もおっしゃっていたので、たぶん、それなりの合意はあるのでしょう。

 学生の弁によると、ほとんどの授業が、いわゆるディスカッションやグループワークなどを前提にして組みたてられているそうなので、あまり気が抜けない。

 また、グループワークなどでは、大学院生同士でスケジュールを合わせたりするのが大変で、モティベーションに差がある。時折、ディスカッションなどがヒートアップして、大学院生同士で、激しいコンフリクトを生み出すのだとか、そうでないとか。
 
 こうした授業は、伝統的な一斉講義と比べると、やはり大変で、気が抜けません。
 一斉講義が「マジョリティ」で、こうした双方向型の授業が「マイノリティ」の間は、双方向型授業が「素晴らしいもの」に見えるのそうです。
 が、しかし、ある一定数を超えて、一斉講義の数を双方型授業が凌駕するようになると、上述のセリフのように「一斉講義が懐かしくなる」「一斉講義がホッとする」という状態が生まれるのだとか。

 学生の中には、

 「一斉講義の良さがわかる」

 ともおっしゃっている方もいらっしゃいました。
 とても興味深いですね。 

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 一斉講義が「懐かしく感じられる」のか、それを聞いて「ホッとする」のか。
 一斉講義って「いいなぁ」と感じるのか、そうでないのか。

 本質論では、「学習の目的にてらして手法の選択がなされるべき」であり、僕個人としては、一斉講義であろうが、双方向であろうが、それ自体の選択にあまり興味がありません。
 しかし、こうした一連の問いを通して、自分の所属する機関の教育のあり方がわかるのかもしれません。

 そして人生は続く

投稿者 jun : 2015年3月31日 06:09


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調査とは「他人の貴重な時間を奪うこと」である!? : 「表象の暴力」といかに向き合うのか?

 今日の夕方には、法政大学・キャリアデザイン学部の皆さんに講演をさせていただく予定があります。1年近く前からご依頼いただいていた事項で、「この10年、自分が取り組んできた研究」について、1時間半程度でお話させていただく予定です。ご担当いただいた梅崎修先生には心より感謝をいたします。貴重なお時間をありがとうございました。
 昨日は、その資料づくりのために、午後の時間を過ごしていました。

「ちっぽけな10年!」と言われればおっしゃるとおり、まさにそれまでですが、我が10年を振り返り、つくづく思ったことがあります。
 それは、自分の研究は、その折りごとに、「現場で仕事をしている多くの方々」に「回答」を求めてきた、という「重い事実」です。

 おそらく、これまで自分が為してきたすべての研究の回答者、調査関係者を足し合わせれば、1万人を超える方々が、僕の研究に時間を下さったのではないかと思います。1万人が、たとえば、等しく15分ずつ時間をくださったと仮定してみてください。足し合わせれば、15000分。すなわち2500時間。研究という営為に、どれだけの人々の貴重な時間が費やされているか、そのことの重みを感じないわけにはいきません。
「心より感謝いたします」・・・そんな言葉では言い足りないほどの謝意を感じます。本当にありがとうございました。
 
  ▼

 これは自戒をこめて申し上げますが、ワンワードでいえば、現場をもつ学問にとって

「調べること」とは「他人の貴重な時間を奪うこと」

 です。
 僕は、そのことを、目をそらさず、受け止めようと思います。このことを、どんなに、正当化しようとも、よしんば「アクションリサーチ」だの「コラボレーション」だの、最近の美辞麗句を重ねようとも、この事実だけは覆い隠すことはできません。

「調べること」とは「現場の時間を奪うこと」

 という側面を、どうしても否定できないのです。

 もちろん、その研究知見が、幸運なことに、よしんば現場に人々に返ったとしたならば、結果として「報われる日」も来るかもしれません。
 アクションリサーチという形式をとれば、現場にとって改善の機会も提供されるでしょうから、「収奪の程度」は少なくなることが予想されます。
 しかし、おそらく、それを「ゼロ」にすることはできません。外部から、ある環境を調べるということは、特に、それが人間の営為の場合には、「収奪」になりうるということです。

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 この手の問いに対して、比較的自覚的であったのは、こと僕の研究領域に関して述べるのであれば、社会科学の領域の、いわゆる質的研究と言われる分野の研究群であったように思います。
 
 いわゆるクリフォード・マーカスの一連の論考を持ち出すまでもなく、それら一連の論考は、調査者の知見が、被調査者に返報されないことを問題視し、調査を行うということが、いかなる営為なのか、を論じました。

 調べることは、被調査者の預かり知らないところで、研究者のみによって流通する「表象」を創り出します。
 そして、その「表象」は、研究者の議論や栄達には寄与するものの、被調査者には返ることはあまりありません。自覚のない、批判力のない学問分野−科学たらんとすることに奢る分野ーであれば、この程度は甚だしいものです。これらの現象は、一般に「表象の暴力」と形容されます。

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 僕の考える人材開発研究は、何とかして、この「表象の暴力」をゼロにはできぬものの、減じていきたいと願います。
「自分たちは現場の時間を奪っている」という事実をまずは受け止め、「原罪」として引き受けたうえで、それらによって生み出される知見を、何とか流通させたいと願います。そのためならば、何でもする、という「恥知らずさ」が、僕の動機かもしれません。

 今日の講演では、このようなことをモティーフにしながら、自分の研究を振り返ってみたいと思います。ちょっとマニアックかもしれませんが、お楽しみいただけたとしたら幸いです。

 そして人生は続く

投稿者 jun : 2015年3月27日 08:15


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「英語が話せない」のは「英語の言語スキル」の問題か!?

 先だって、ある本の編集会議で、渡辺清乃さん、かんき出版の山下さんと話していた際、興味深い話になった。「日本人は、英語を話すことができない」という俗説にも、少し考えてみると、その理由には、いろいろ可能性があるよね、という話である。

 換言すれば、外国人の方々を相手に、たとえば、「日本人が英語を話せない」というとき、その現象は、もう少しブレークダウンして要素分解して考える必要があるということだ。

 たとえば、一口に「英語が話せない」というけれど、本当に「英語という外国語を用いるスキルがない」のか、そもそも「言語という手段を用いて、他者に伝えたい内容が自分にない」のかは、本来、峻別して考えなければならない。
 しかし、ともすれば、「英語を話せない」とき、本当は「自分の意見をもっていないために、そもそも他者に伝えたい内容がないこと」は忘れ去られ、「話せないこと」の理由が「英語」の言語スキルに帰属されることがある。

 でも、少し考えてみればわかるとおり、そもそも英語はもとより、日本語であってすらも、ある話題に対して自分の意見をもっていない人は、それを他者に対して表明できるわけがない。

 たとえば、よく外国に留学すると、学生同士が、政治の話、歴史の話に外国人から意見を求められることがあるけれど、そもそもそうした知識をもっていない人、そうしたことに自分の意見を持っていない人は、英語云々の問題ではなく、「話すべき内容がない」のである。

 このことは、少し考えてみれば、あたりまえのように感じられるけど、ともすれば忘れ去られがちなことだ。
 言語を用いて他者とコミュニケーションするということは、「言語」という「コミュニケーションの道具」のみならず、コミュニケーションの対象範囲に関する広範な知識が必要である、ということである。
 そうした広範な知識を、「教養」というワンワードで呼べるかどうかは、意見の分かれるところだろうけど。

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 文化的背景や社会的背景を異にする人々とコミュニケーションするというのは、かくのごとく、それなりに大変なことである。個人的には、言語のスキルも大切だろうけど、「自分の意見をもつ」ということが、最も大切であり、意外に忘れ去られがちであると思われる。
「道具」だけあっても、「中身」がなければ、仕方ないと言うことですね、嗚呼。

 そして人生は続く
 

 

投稿者 jun : 2015年3月26日 10:14


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「創造すること」をとおしたキャリア教育!?:メディア創造ワークショップ2015(東大・駒場キャンパス)の作品ビデオが公開されました!

 学部生自らが、「仕事に関連する3分間の番組」を企画・取材・撮影・編集・発信する授業である「メディア創造ワークショップ」という授業があります。

 東京大学駒場キャンパスで年に一回行っている学部生向け授業で、映像作家の大房潤一さん、大総センター助教の中澤さん、石原さん、中原、そして駒場・教養教育高度化機構・アクティブラーニング部門の福山さん、脇本さんらのご支援をうけて実施をしている授業です。

 開発された3分間ミニビデオは、東大公式のメディアである東大テレビ、東大iTunesU、Youtube、Facebookなどで一般に広く公開します。

 3分間ミニビデオを創る際には、毎年テーマをだしているのですが、今年度のテーマは「Global × Work × Discovery」でした。「グローバル化していく世界の中で働くこととは何か?」を、同時代を生きる同年代の学生に問いかけるような映像をつくることを求めました。
 
 その際、大切にしたいのは「Discovery(発見)」というマインドです。やれ、グローバル人材やら、何やら、そういう手垢のついた言説空間で流通するような「紋切り型の表現」ではなく、フレッシュな視点で、「グローバル×働くこと」を捉えなおし、番組を企画・撮影・編集を行うことを求めました。

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 昨日、メディア創造ワークショップ2014の成果である4本のビデオが、東京大学テレビで公開されました。

 今年、学生が取材させていただいたのは、紙すき職人 田村正さん、株式会社クラウドワークスCEO 吉田浩一郎さん、寿司職人 安田直道さん、神職・フローリアン・ウィルチコさんです。
 年末年始の大変お忙しい時期に学生に貴重なお時間をいただいたことを、この場を借りて御礼申し上げます。下記がリストになります。

todai_ban_pbl.png

紙すき職人 田村正さんのビデオを見る(東大テレビ)
http://todai.tv/contents-list/events/mediaws/mcw2014_1

 和紙が出来上がる瞬間の感動を国内外で伝え続ける紙すき職人 田村正さん。

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株式会社クラウドワークス創業者の吉田浩一郎さんのビデオを見る(東大テレビ)
http://todai.tv/contents-list/events/mediaws/mcw2014_2

 時間も場所も問わず、個人のスキルを活かしながら働くスタイルを提案する気鋭の株式会社クラウドワークス創業者の吉田浩一郎さん。

sushishokunin_yasuda.png

寿司職人の安田直道さんのビデオを見る(東大テレビ)
http://todai.tv/contents-list/events/mediaws/mcw2014_3

 日本を飛び出し、アメリカで寿司の腕を磨くことを選んだ寿司職人の安田直道さん。
uxiruchiko_san.png

神職・フローリアン・ウィルチコさんのビデオを見る(東大テレビ)
http://todai.tv/contents-list/events/mediaws/mcw2014_4

 神道に魅せられ、オーストリアから日本に渡り神職に従事しているウィルチコさん。

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 この授業では、「学校の準備した著名人・OBによるキャリアの語り」を「受け身」に「聞く」のではなく、学生自らが「働くことの未来」を考え、企画・取材・撮影・編集を繰り返し、世の中に通して「発信」することをめざします。
 企画・撮影・編集の作業を通して、何度も問い直されるのは、「この時代に"働く"とはいったいどういうことか?」という根源的な問いです。

 この授業は、ことさら、「キャリア教育」をめざしたものではないですが、僕は、このように「能動的にキャリアを考え、実践すること」を通してしか、「自分の働き方は見えてこない」と思っています。
 この授業は、見方によれば「キャリア教育とは言わない、キャリア教育」と形容できるのかもしれません。しかし、僕はいわゆる典型的な「キャリア教育」を実践したいとは思いません。

 いわゆる、先輩やOBの話を「聞いて、聞いて、聞いて、帰る」式の典型的な「キャリア教育」ではなく、企画して、編集して、発信することによる「創造することを通したキャリア教育」こそが、この授業でめざしたことです。

 1年生、2年生の作品なので、まだまだ稚拙なところはあるかもしれませんが、どうかご笑覧ください。

 最後になりますが、ここまで頑張った駒場の1年生、2年生諸氏、そして、特に貴重なアドバイスを多々いただいた映像作家の大房潤一さん、中澤明子先生に心より感謝をいたします。ありがとうございました!

 そして人生は続く

投稿者 jun : 2015年3月25日 08:21


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