ただ何となく「就活」、ただ何となく「離転職」!?

 年度が替わり、新たな学生やスタッフが研究室に加わり、泡立たしい毎日を過ごしています。研究プロジェクトも今年度から大きく刷新され、小生、また新たな研究室メンバーと新たなプロジェクトに向かっているところです。体力・気力が続くまで(笑)、目標は生涯フロントラインです。

 ところで、今年からはじまった研究プロジェクトのひとつに「大学生の就活・採用・配属・育成」までの諸データを扱った縦断調査の研究があります。

 要するに、

「大学時代、どのような生活・就活をしていた人」は「組織に入ったあとでどうなるか?」

 ということをフレームにしながら、

「どのような採用・育成施策を行えばよいのか」

 を探究する研究です。具体的には2010年に大学3年生だった学生が、2013年には組織に入って2年目なのですが、その2地点間の関係を考察する研究です。先に公刊した「活躍する組織人の探究」(東京大学出版会)の続編プロジェクトですね。


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 今日は、大学院ゼミ修了後、このデータ分析初回の研究会が開催されるのですが、データを見ていると、ついつい余計な「妄想」?をしてしまい、時間がかかります。

 結果をテーブルにしつつ、1つ1つ、読み込んでいると、

「嗚呼、就活の時、母親・父親から応援されていない人もいるんだなぁ・・・」

 とか

「嗚呼、このグループの人達は、最初に出会った上司が、ゴリゴリ系だったんだろうな」

 とか、ついつい「数字」に「人生を見てしまい」、妄想が広がってしまいます。

 データ分析はまだまだこれからなので、明瞭な結果が得られるまでには、しばらく時間がかかりますが、一個だけ興味深かった点があります。

 それは「就活」の際、どれだけ「第一志望群」という企業を、自分でイメージできているか、否かによって、その後の組織適応の結果が、かなり変わるのではないか、という仮説です(まだ仮説レベル)。「組織にエントリーして、2年以内の転職経験」と関連させて考えてみますと、明らかにここには差があります。

 つまり「転職した」と答えている人は、就活のときの「自分の入りたい企業イメージ」が希薄なのです。つまり、「目標がなく、ただ何となく就活」をしている傾向があるように思います。個人的には「ただ何となく就活(をしている人)」のあまりの多さにびっくりしてしまいました。「転職あり」の実に半数は「ただ何となく就活」に類型化されるような就活をなさっていることがわかります。あれだけ「キャリア教育」と騒がれているのにもかかわらずです。

 詳細なデータ分析はまだこれからなので、何ともいえないのですが、これは「就活で学んだことは何だったのか?」というデータと関連を見せそうです。
 また、2010年、つまり3年前に取得された、そういう方々の大学時代の行動データもおってみたいと考えています。
 
 ひとつの研究が終われば、次がはじまる。
 また振り出し、ゼロからのスタートです。
 そして人生は続く 

追伸.
 5月9日、拙著「駆け出しマネジャーの成長論」が中公新書ラクレにて刊行されます。この本は、「実務担当者がいかにしてマネジャーになっていくのか」を扱った本です。人材育成研究の知見と、先達マネジャーの語りから、新任マネジャーが直面する7つの挑戦課題について、それをいかに乗り越えるかを考えています。記述は、新書スタイルで、一般向けになるべく平易に書いたつもりです。また玄人の方にもお読み頂けるよう、脚注も充実させています。どうぞご笑覧ください! 


投稿者 jun : 2014年4月23日 06:24


インターンシップの6つのパターン!?:「安価な労働力」から「ファストパス」まで

 インターンシップとは、一般に「学生が、まだ教育機関に在籍しているあいだに、自らの興味関心に近い会社・組織において、短期間ー中期間の就業体験を行うこと」を意味します。

 こうした就業体験は、学生の「働くこと」に関する「適切な初期期待」や「明瞭なイメージ」を醸成することが期待できますし、自らのキャリアを考えるきっかけにもなりますので、個人的には「よいこと」のように思います。

 しかし、一方で、それを受け入れる企業にとっては、ただでさえ「ク●忙しい時期」に「学生の体験学習」を組織化しなければならないので、負荷・コストはそれ相応にかかります。

 先だってヒアリングさせていただいた、ある企業の採用関係者の方は(この企業では採用にインターンを紐付けて捉えています)、こんなことをおっしゃっていました。

「昔は採用担当は、"季節労働者"と言われていたんです(採用活動のないときがあったから)。

それが今は(インターンを1年中やっているため)1年間、常に"繁忙期"です。」

 この企業では年に100回を超える短期間のインターンを組織なさっているようです。

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 ところで、企業にとって、インターンをどのように経営活動に位置づけるのか、意味づけていくのかというのは、なかなか悩ましい問題です。
 それには、下記のように、いくつかの類型が存在しているように思えるのですが、いかがでしょうか。

1.安価な労働力としてのインターン
2.社会貢献としてのインターン
3.新規プロジェクトとしてのインターン
4.職場活性化としてのインターン
5.育成経験としてのインターン
6.採用活動としてのインターン

 まず第一は「安価な労働力なインターン」です。
 つまり、学生を受け入れても、あまり学習になることはさせず、「オペレーショナルな仕事」の一部を任せて、労働力の一部として使うということです。
 これは、インターンの趣旨とはかなりズレているようですが、ケアのないインターンは、これになってしまいがちです。

 第二に「社会貢献としてのインターン」は、インターンを企業のCSRに位置づけることです。企業にとっては、直接のメリットはないけれども、社会貢献としては実施しましょう、というスタンスです。
 また、インターンは、もはや国が推進しているものでもありますので、「義務化」といったら言い過ぎですが、企業としては「立場上、断れない」ところもあるようです。こうした動きもここに含めることにしましょう。

 第三に「新規プロジェクトとしてのインターン」です。これは、フレッシュな感覚をもつ学生のグループに、やる気のある従業員を加えてグループをつくり、これをきっかけとして、通常業務では行わない「新規プロジェクト」を立ち上げ、実施していくというものです。
 「イノベーション」というと大げさですが、そうした「新しいもの」を生み出すきっかけとして「インターン」を利用しようと考えます。

 第四には「職場活性化としてのインターン」です。これは、職場などに学生を配属させ、職場を「活性化」させるための触媒にインターンを利用することです。

 第五には「育成経験としてのインターン」です。これは、学生をケアする役割として社員をひとりアサインし、育成経験を担ってもらう、ということです。これは、育成経験をあまりもたない社員がいる会社で、時折行われるものです。

 そして最後、第六には「採用活動としてのインターン」です。これは、もうおわかりですね。インターンの最中に見所のある若者を選別してしまい、そのまま採用するか、あるいは就職活動にとってプラスになるような「ファストパス」を渡してしまうことです。
 さすがに「インターン終わったら、即採用」というのはケースとしてはまだ少ないようですが、明示的、ないしは非明示的に「ファストパス」が生まれることは、あり得ます(ただ就職協定に縛られている企業は、その存在を明示はできないと思いますが・・・)。

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 今日は、企業は「インターン」をどのように意味づけるか、ということで6つの類型を出してみました。
 実際には、これらは明確に別れているわけではなく、たとえば「3.新規プロジェクトとしてのインターン」と「5.育成経験としてのインターン」などが結びついていることがほとんどですが、この記事では、わかりやすいように敢えて別々に記述しました。

 最後に、学生さんにとって、このことからわかることは何か?

 それは、会社によってインターンの位置づけは相当異なり、また、そこで提供される体験も様々である、ということです。インターンといっても「十把一絡げ」で考えることはできません。

「学生の望むインターンのあり方」と「企業が望むインターンのあり方」がマッチすればよいですが、それはなかなか難しいことでもあります。
 中には「ペンペン草もはえないようなインターン」もありますし、「担当者が"やる気なし男君"なインターン」も存在します(ブラックなインターンが)。しかし、それも「社会」です。会社は「均質な価値を均等に提供してくれる教育機関」ではありません。

 インターンなら何でもいいや、と軽く考えるのではなく、やはりここでも「賢さ」が必要なようです。

 そして人生は続く

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追伸.
 5月9日、拙著「駆け出しマネジャーの成長論」が中公新書ラクレにて刊行されます。この本は、「実務担当者がいかにしてマネジャーになっていくのか」を扱った本です。人材育成研究の知見と、先達マネジャーの語りから、新任マネジャーが直面する7つの挑戦課題について、それをいかに乗り越えるかを考えています。記述は、新書スタイルで、一般向けになるべく平易に書きました。また玄人の方にもお読み頂けるよう、脚注も充実させています。どうぞご笑覧ください! 

投稿者 jun : 2014年4月22日 08:25


新刊「駆け出しマネジャーの成長論」が5月9日刊行されます!:実務担当者から新任マネジャーへの役割転換をいかに乗り切るか!?

 ついに2014年上半期三部作のトリを飾る本(新書)が、5月9日、中公新書ラクレから刊行されます。名づけて「駆け出し本」(笑)。2月の「研修本(けんしゅうぼん:研修開発入門)」発売、3月の「芝生本(しばふぼん:活躍する組織人の探究)」刊行に続く、第三作目です。こちらは一般書となります。

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「駆け出し本」の正式名称は、

「駆け出しマネジャーの成長論:7つの挑戦課題を科学する」(中公新書ラクレ)

 です。300ページ程度、950円の新書として、もう既に予約販売がはじまっているようです。AMAZONでは書名が「駆け出しマネジャーの成長戦略」になっていますが、正式書名は「成長論」になりました。訂正がじきに反映されることになると思われます。

 この書籍でフィーチャーしているのは「新任マネジャー」あるいは「駆け出しのマネジャー」です。ぜひ、現場のマネジャー、現場の経営者の方々にお読み頂きければと思っています。

 本書で僕が探究しているのは、

「実務担当者から、いかに生まれ変わり、マネジャーとして働き始め、成果をあげられるようになっていくのか」

 ということであり、

「マネジャーになるプロセスにおいて直面する7つの挑戦課題をいかに乗り切るか」

 についてです。

 より、具体的には、

 マネジャーとは何か?
 マネジャーになった日、どういうことが起こるのか?

 マネジャーとして
  いかに部下育成を行うか?
  いかに政治交渉を進めるか?
  目標をいかに咀嚼させ、納得解を得るか?
  年上の部下など多様な人材をいかに活用するか?
  いかに迅速で間違いない意思決定を行うか?
  いかに心折れないようにマインドを維持するか?
  プレーヤーとマネジメントのバランスをいかにとるか?
 
 そして、会社・人事・経営者には
 マネジメント支援として何が可能か?

 を探究しています。
 巻末には、現場のマネジャーの方の「覆面座談会」も収録されており(お忙しいところ御協力いただきました!感謝!)、こちらでは、「マネジャーとして働くことの勇気」をもらえると思います。

 なお、これらの文章をしたためるにあたり本書のデータとしているのは、3年前から構想していた日本生産性本部さんとの共同研究「マネジメントディスカバリー開発プロジェクト」で得たマネジャーさんたちへの質問紙調査、そして、ここ数年、様々な企業の方々に御協力いただき、お話を伺ってきたマネジャーたちへのヒアリングデータです(御協力いただきました方々、心より感謝です!)。
 本書はこれらの定量・定性データをもとに、それらを縦横無尽に積み重ね、マネジャーへのトランジション(移行)のプロセスを扱っている本です。

マネジメントディスカバリー(マネジャー向けフォローアップ研修:中原のテキスト・ワークショップレシピで実施されています)
https://jpc-management.jp/md/

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 考えてみれば、世の中には、すでに「マネジャー論」とよばれる本が、数多く出版されています。それにもかかわらず、僕が敢えて、今「マネジャー」について語るべき理由とは何か?
 
 これまでの書籍と本書の違いを敢えて述べるとすると、下記のようになるかと思います。

1.本書で取り扱う「マネジャー」のレベルを「駆け出し時期(エントリーレベル)」にキュウキュウに絞ることで、「駆け出し時期のリアルな体験」を描き出そうとすること

2.これまでの「マネジャーの学習・キャリア研究」の知見を活かし、テクストにネリネリと編み込んでいること

3.多くの先輩マネジャーの「アクチュアルな語り」を徹底的に採集し、マネジャーになることによって生じる挑戦課題を描き出していること

 マネジャー論というと、とかく「〜しなさい!」とか「〜すべし」という「規範論」が多いのですが、本書はその立場をとりません。
 むしろ「マネジャーになることのリアル」に徹底的に寄り添い、

「マネジャーになるときに生じる困難は、程度の差こそあれば、みんな経験することなんだよ」
「大丈夫だよ、今、変化が起こっているのは、あなたの会社や職場だけじゃないんだよ」
「ひとつひとつ挑戦課題に向き合い、振り返り、アクションしていけば、大丈夫だよ」

 というメッセージをお伝えしたいと思っています。
 その上で、本書のキーになるのは、マネジャーの成長モデル「マネジメントのラーニングスパイラルモデル」です。
 本書では、この「うにょうにょモデル!?」を「なんちゃってフレームワーク」として、

 これからマネジャーになる方々が、これからどのようなことが起こるを前もって知ること(リアリティプレビュー・アクセプト)

 そして

 マネジャーの方々が、自分の職場や部下や上司の状況を振り返り、次のアクションをとること(リフレクション・アクション)

 を支援し、そのための素材を提供することを目的にしています。本書を書くにあたり、僕は、マネジャーに「共感」をもってもらえる本を書きたく思いました。できるかぎり、図版等も多くしているつもりです。また専門の方にもお読み頂けるよう、脚注も充実させたつもりです。どうぞご笑覧ください。

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 本書は「泥臭い本」だと思いますが、ぜひお楽しみにいただければ幸いです。
 最後に、以下、「目次」と「後書き」を掲載します。

<目次>
・プロローグ 駆け出しマネジャーの皆さんへ
・第1章 マネジャーとは何か?
・第2章 プレイヤーからの移行期を襲う5つの環境変化
・第3章 マネジャーになった日
     揺れる感情とつきあう、7つの挑戦課題
・第4章 成果を上げるために、何を為すべきか?
     振り返りとアクションをめざして
・第5章 マネジャーの躍進のため
     会社・人事・経営者には何ができるか?
・第6章 生の声で語られる「マネジャーの現実」
・エピローグ 希望のあるマネジャー

<後書き>
 新任マネジャー、駆け出しマネジャーが、マネジャーになったときに、どのような挑戦課題に直面し、どのように対処しうるのか。
 本書では、この問いに答えるために、様々な定量・定性データを駆使しながら、お話をしてきました。本書を書き上げた今、あらためて振り返ってみますと、わかっている人や、マネジメントを既に経験したことのある人からみれば、「凡庸にしか感じられぬこと」を書いてしまったな、と思います。しかし、一方で、現在、奮闘している新任マネジャーや駆け出しマネジャーが「凡庸にしか感じられぬこと」を本当に伝えられているのか、理解している時間があるか、というと、それもまた、いささか心許ない気もします。
 マネジャーの辞令をもらって、組織の狭間の中で、さまざまなものに揉まれ、日々奮闘している彼 / 彼女らの時間と精神的余裕には限りがあります。このたびインタビューに答えてくれたマネジャーの一人が思わず口にしたひと言が、今なお、僕の心に残っています。

(一般に)マネジャーになることは、あとは飛び込んで泳げと言われているような感じ。

 本書で、僕は「実務担当者からマネジャーになるプロセス」にまつわる様々な知見やデータを整理し「マネジャーの方々」に「お届けすること」に徹しました。もし、彼 / 彼女らが「泳ぐこと」を一寸だけ暇を見出し、ほんのつかの間に、本書を手に取り、自分の職場・部下・立場などを振り返り、次のアクションを決めるときに役立ててもらえたのだとしたら、筆者として、望外の幸せです。
 マネジャーになって直面する挑戦課題は、決して「ひとりの課題」ではなく、「みんなの課題」です。時に悩んだり、つまづくこともあるのは、決して、あなただけではありません。そのような課題に直面したとしても、うろたえず、現状を振り返り、原理・原則に配慮しつつ、次のアクションを決めていく。そのことから逃げないでいれば、きっと事態はポジティブな方向に向かうのではないかと信じています。

 また、5章で論じたように、人事部・経営者の方々が本書を手にとり、自社のマネジャー育成のあり方、自社の人材開発施策の改善に役立てていただけたとしたら、これもまた嬉しいことです。2章で再三にわたって指摘しましたように、現在、マネジャーの育成をめぐる環境は、だんだん激化しています。彼 / 彼女らを昇進させ、経営のフロントラインに立たせるのであれば、それに適切な支援が提供されるべきだと僕は思います。人事の観点ならば、マネジャー育成をきっかけに人材開発のあり方そのものを見直すこと、また経営者の観点ならば、「自らが学ぶ存在になること」こそが、もっとも重要なことではないか、と思います。

 最後になりますが、本書は長期にわたる構想・執筆期間をへてゴールすることができました。編集・構成等で伴走いただいた中公新書ラクレの黒田剛史さん、秋山基さんに、まずは心より感謝いたします。本当にありがとうございました。また、マネジメントに関する調査・研究開発でご一緒した公益財団法人・日本生産性本部のみなさま、野沢清さん、木下耕二さん、矢吹恒夫さん、大西孝治さん、塚田涼子さん、中村美紀さん、古田憲充さん、桶川啓二さんにも心より感謝いたします。
 また、こちらでお名前を掲載させていただくことはできないものの、インタビューをご快諾いただいた各社の現場マネジャーの方々にも、貴重な時間をたまわり、心より感謝いたします。そして、最後に妻・美和にも感謝いたします。この本の執筆のあいだ、美和は、僕にたくさんの時間と励ましをくれました。みなさま、本当にありがとうございました。

 思い起こせば、2013年元旦。今から1年以上前、新年の計を決めるにあたり、僕は、今年は「アクチュアリティのある研究」がしたい、とブログで表明しました。
「アクチュアル」の名詞「アクチュアリティ」はラテン語の「Actio(アクチオー)」に起源をもつ言葉で、「現在進行している現実」を意味します。よって、先に自身が目標に掲げた「アクチュアリティのある研究」とは「今まさに、多くの方々が格闘している問題」と取り組む研究ということであり、また、「みんなが今悩んでいること」を、アカデミックな切り口で、なるべくわかりやすく、平易に、分析し、語ることに他なりません。「人生の正午」と形容される40歳を目前に、最近、僕は「地に足のついたアクチュアルな研究」がしたくなってきました。本書が、この一年の計の達成に寄与できたかどうかは読者の判断にお任せしますが、今は、走りきった気分で一杯です。

 この国に、希望をもったマネジャーが
 これまで以上に生まれることを願います。
 我らが時代!

 夜明け前、本郷の研究室にて
 中原 淳

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 そして人生は続く

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追伸.
 こんなに集中的に本をだす計画はなかったのですが、いつのまにか、あちらが遅れ、またこちらも遅れ、それにつられて、モジモジ?している間に、集中的な発売になってしまいました(泣)。
 執筆のプロセスでは、本当に極限まで体力、心理的状態含め、追いこまれました。でも、書き終えた今は、ホッとしています。ご迷惑をおかけした出版者の方々には、心よりお詫びいたします。
(2014年の今後は、書籍から少し離れ、学術論文執筆に邁進したいと思います。夏頃に1本、秋に1本書く予定です!)

投稿者 jun : 2014年4月21日 07:00


大学院生が「よい研究」を成し遂げるために必要なもの!? : 誰にとっても平等に割り当てられている「貴重な資源」!?

「大学院生が、よい研究をいかに生み出すためには何が必要か?」

 この「問い」に対しては、多くの研究者がいろいろな答えをもっているものと思います。
「そりゃ、師の出来によるよ」という答えももっとも(あっ痛!>オレ)、「そりゃ、機材の充実度によるよ」という答えも、ごもっとも。「そりゃ、本人の頭の良さだろう」とか「そりゃ、ひらめくか、ひらめかないかだろう」いう回答も、もちろん、もっとも。おっしゃるとおりです。

 こうした様々な要因を「それはもっとも、おっしゃるとおりです」と認めたうえで、敢えて、僕が、強調したいのは何かと申しますと、異常なほど「シンプルな答え」です。それは何か、わかりますか?

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「よい研究に必要なのは、"時間"です、以上」

 才能とか、ひらめきとか、頭の良さとかの個人要因、あるいは、研究室の雰囲気、最先端の設備などの環境要因、いろいろあるんだと思います。
 でも、少なくとも僕の領域で、僕みたいな若造教員が指導をする大学院生の研究レベルで、この問いに答えをだすのだとすると、「答えはシンプル」。

 それは「時間」です。

 敢えて申し上げますが、「世界級の研究」の話をしているのではありません。また領域によって違うかもしれません。あしからず。

 くどいようですが、「大学院生が、よい研究をいかに生み出すため」には、

「まとまった時間を、どれだけ研究のために確保できているかどうか」
 あるいは
「集中できる時間を、どの程度、研究に確保できているか」
 このひと言に尽きます。

 そりゃ、研究者ですから、論理能力や実証能力など、知的なものが必要なことはいうまでもありません。方法論や分析のスキルだって、マスターできていないよりは、できているにこしたことはない。師匠だってブリリアントな方がいいに決まってる。でも、そういうことは「その上のレベル」です。
 多くの場合は、「それ以前のところ」でつまづいているケースの方がほとんどであるように感じます。

 それは、

「細切れ時間の中で、研究をしようとしている」
「集中できるまとまった時間を確保していない」
「研究時間が生活リズムに組み込まれていない」

 とうことですね。

 それで「研究が進まない、僕は、頭が悪いんじゃないか?」と悩んでいるケースがあります(笑)。

「いや、そんなことないよ。でも、進まないのはあたりまえじゃん、研究に時間かけてないんだから(笑)」
「大丈夫だよ、時間をかけて考え抜けば、いい案うかぶよ」
「まとまった時間を、毎日毎日確保して、じっくり考えてみれば、研究、進むよ」
「毎日コツコツやれば、大丈夫だよ、少しずつ進むよ」

 やっぱり、研究には、それ相応の「まとまりのある時間」を、定期的なリズムで、きちんと確保することが必要なのです。そういう「まとまりのある時間」をきっちり確保できる生活リズムをつくれるかどうか。あるいは、そのためには、自分の負荷や研究の進捗状況を鑑みて、「やらないことを、決めきること」ができるかどうか。「捨て去るものを、思い切って捨てることができるかどうか」。

 研究にとって大切なことは、もっともっと「初歩的なレベル」であるように思います。だから、多くの場合は、これさえクリアすれば「第一条件」はクリアできたも同然です。

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 今日は「研究」と「時間」のお話をしました。もう20分なので、そろそろやめます。
 時間とは、誰にとっても「平等」に割り当てられた数少ない「資源」のひとつです。自戒をこめて申しますが、そうした「貴重な資源」を有効に使い、知的なことを成し遂げてみたいものです。

 そして人生は続く

投稿者 jun : 2014年4月18日 12:37


辞書編纂という大事業の裏側:映画「舟を編む」を見た!

 辞書編纂という途方もない事業のプロセスを描いた話題の映画「舟を編む」を見ました。

 この映画は、ある大手出版社の辞書編集部につとめる、ちょっと風雅替わりな編集部員・馬締光也が、13年という長い年月をかけて、新刊辞書『大渡海』を編纂していくプロセスを描いたものです。

 既存の辞書にはない言葉をどのように採集するか?
 それにどのような語釈(解説)をつけるか?
 寸分のミスもない校正を、いかに徹底的に行うか?

 これらの作業は「途方もなく」、また「終わりがなく思えるもの」です。
 たとえば、校正などは5校!もあるのですが(多い!)、1語1語ミスをチェックしても、4校に至っても、ミスが発見される。
 しかし、「辞書にミスはあってはならない」ということで、また1語1語チェックしていきます。かくして13年という年月があっという間にたってしまうのです。

 映画は、新刊辞書『大渡海』の完成パーティで終わります。しかし、辞書編纂の仕事は、それで終わりません。なぜなら、辞書は完成したとしても、まだ新しい言葉は、世の中に生まれてくるからです。
 再版した辞書においては、これらの言葉をまた採集・収録しなくてはなりません。辞書編纂の仕事は終わらないのです。

 創造作業に取り組む方々にとっては、なかなか示唆に富む映画です。おすすめです。

投稿者 jun : 2014年4月17日 06:01


「イノベーション人材!?」をめぐる「モノローグ委員会」!? : 「キンキンに尖った一匹狼」か「カリスマ漂うオラオラピーポー」か!?

 かなり前のことになりますが、

「日本には、イノベーション人材が足りてないんだ。だから、大学ではそういう人材を育てなくてはならない。企業も、そういう人材こそ採用するべきだ」

 みたいな話題について、口角泡を飛ばしあい、ケンケンガクガクと意見をいう委員会に、やんごとない事情があり参加せざるを得なかったときがあります。もうかなり前のことです。会の冒頭では、「ぜひ皆さんにケンケンガクガク議論してください」と委員会の代表者の方から、ご指示がありました。

 僕は、この手の「口角泡談義の支配する委員会」に「めっぽう弱い」ので、そこは「見識のある方」にお任せして、早々に、お暇することばかり、当初、考えておりました。
 しかし、どこにでも「学びの種」はあるものでございます。議論の進展を伺っているうちに、「ある一点」について心の底から興味がわいてきて、別の観点から面白くなってしまい、結果としては興味深く話をきかせていただき、素晴らしい時間を過ごすことができました。

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 僕がもっとも興味をもったのは何かと申しますと、下記のようなリサーチクエスチョンです。

「イノベーション人材が何たるかについて、そもそものイメージを共有せずして、どうして数時間の議論を継続していくことが可能なのか?」

 会話を伺っておりますと、ある方は、「イノベーション人材」を「人間的にも、キンキンに尖った一匹狼みたいな人」を思い浮かべて話を進めます。また、ある方は「イノベーション人材」を、「スティーブ・ジョブズのようなカリスマオーラーがバシバシでていて、人を魅了する人材」に求めます。また、ある人は、いわゆる「プロジェクトX的な、名も無いチームを率いる人」をイノベーション人材と呼んでいるようです。

 あくまで会話の端々から類推したことですが、僕には、それぞれの方々が、そのような背後仮説のもとで話を継続なさっているように聞き取れました。
 要するにひと言で申しますと、「イノベーション人材」に全く「にぎり」がないまま、話題が「継続」できているのです。話はつながっているようで、実際は前後の話は全くつながっていないのだけれども、なぜか「続く」。

 逆にいうと、この会議は、会の冒頭で代表者の方から「ぜひ皆さんにケンケンガクガクと議論してください」という指示はなされているものの、実際に実際に展開されているのは「議論」ではないのです。誤解を恐れずに申し上げるのであれば「みんなで集まって、議論する」のではなく、「みんなで集まって、各自がモノローグをしている」のです。

 なぜかはわかりませんが、人材系の会議には、この手の「モノローグ会」が多いような実感があります。おそらく、「ほにゃらら人材」の「ほにゃらら」の部分を「イノベーション人材」ではなく「グローバル人材」にしても、同型の会話構造が、会を支配してことの方が多いでしょう。
 そして、皮肉なことに、そうした会の「モノローグ」からは、「イノベーション人材?」も、「グローバル人材?」も生まれ得ないだろうな、というのが、僕の実感です。むしろ「イノベーション人材」なんてものが語られないような空間で、それも、地に足のついた仕事に取り組んでいる人々の中にこそ、それはある、のかもしれません。
 
  ▼

 今日は人材系の会議に、なぜか多い、モノローグ会!?についてお話をしました。だから?といわれても、特にオチはありません(笑)。また、イノベーション人材はどこいったのか、さっぱりわかりませんが、まぁ、お許しください。たかが20分で書いているブログです。

 ちなみに、僕個人としては、いわゆる「イノベーション人材」とは、「キンキンに尖った一匹狼」でも、「カリスマオーラ、オラオラな人」でもないイメージをもっています。僕があるイメージをもつことに最も影響を与えてくださったのは、東京学芸大学の高尾隆さん(東大時代の同期で、友人です)からうかがった話です。
 高尾さんは、かつて僕の授業で、キース・ソーヤーさん(この人はクリエィティビティと即興の研究者ですね)の議論を援用しながら、イノベーション人材について下記のように語ったことがあります。

これから求められる人は「イノベーティブな人材」ではありません。「この人が加わるとイノベーティブなグループになる」という人が欲しいのです。(多くの組織では)集団で、ものをつくっているわけですから、ひとりだけイノベーティブになっても活かしようがないのです。

必ずしも、集団がイノベーティブになるために、その人がイノベーティブなアイデアをばんばん出す必要はないのです。その時、必要な人は「この人が加わるとイノベーティブなグループになる人」であって、「孤独なイノベーティブ人材」ではないのです。

 高尾君、やっぱり、そうだよね。
 僕としては、個人的には、高尾君のこの考え方が、しっくりきます(ちなみに、この授業の内容は、本になります)。
 そして人生は続く

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追伸.

慶應丸の内シティキャンパスで僕が講師をつとめる授業「ラーニングイノベーション論」の残席が「わずか」となったようです。

こちらの講座では、「企業に革新をもたらす人材開発」をテーマに、第一線の研究者の方々・実践者の方々にご講義をいただき、ディスカッションやエクササイズを実施していきます。この講座の運営自体が、研修開発のモデルになるように設計しているつもりです。また今年で6期になりますが、100名を超えるアラムナイも魅力的です。

もし参加にご興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、どうぞお早めにお申し込み下さい。5月23日から開講します!

ラーニングイノベーション論
http://www.keiomcc.com/program/lin/
 

投稿者 jun : 2014年4月16日 06:11


大学生の「食事」を救え!:「仕送り額減少」と「今は昔のバブル時代」!?

 先日、NHKの朝イチで「大学生の食を救え」という特集が組まれていました。番組では様々な大学生の事例が紹介されていましたが、その要点は、

「下宿大学生の可処分所得(仕送り額)が減少するなか、大学生の食事が惨い状態になっている。これを救うべく大学が支援に乗り出している」

 というプロットであったのかと思います。大学生の経済状況は、専門外ではありますが、非常に興味深い特集でした。

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 過去を振り返ってみますと(およそ20年前!)、僕は全く「イケイケゴーゴー?」な大学生時代を「全く」おくっておらず、どちらかというと、というか、間違いなく「貧乏暇なし、ひーこら、ひーこら、ひひーん、ひひーん?的な学生時代」を過ごしましたので、「あー、おれも、ひどい食事だったな」と過去を思い出しつつ、見ておりました。

 当時僕が、一番食べていたのは「午後8時を超えて安くなったコロッケ3つに、ごはんを3合」とか「某ファーストフードショップの一番安いハンガーバー5個」とか「エコノミーカレー大大(具がないカレーで大盛りのさらに大盛り)」でした。いやー、今から考えると卒倒しそうです。
 しかし、今の学生は、さらに過酷なのかもしれません。

 全国大学生活共同組合連合会が行っている学生生活実態調査の一連の結果によると、「大学生の仕送り額」は1996年度あたりをピークに10万2240円から減少していき、2010年度は71310円、平成13年は経済効果?のせいか、72280円に持ち直しましたが、以前厳しい状態が続いています。
 こうした懐具合の中から、もっとも最初に削られるのが、「食費」である、ということになるのでしょうか。

第49回学生生活実態調査の概要報告(全国大学生活共同組合連合会)
http://www.univcoop.or.jp/press/life/report.html

 これに関連すると、僕は大学教員になってから、おそらくほとんど「授業の「教科書指定」をしたことがありません。つまり、僕の授業を希望する大学生に、教科書の購入を必須としたことはありません。

 本当ならば、これを指定するので読んで欲しいな、と思うところもあるし、授業者にとってもそれが楽なのですが、僕の分野の場合(分野によって異なる)、少し授業を工夫すれば「教科書を指定せずとも授業は出来ます」ので、それをなるべくしないようにしています。

 それは端的に申し上げますと、どうしても「大学生の懐具合が気になるから」です。特に自分と同じように「田舎から出てきた、下宿生」が。

 具体的にどうやるか、というと学部であるならば、何とか板書を増やすことで対応します。教科書に書いてあることの要点を板書にします。大学院ならば英語文献を指定して読み、それをもとに板書をします。これは分野や学習者の状況によると思います。少なくとも僕の場合は、こうした状況で対応をしています。

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 今日は「大学生の可処分所得」のお話をしました。

 僕がまだ小中学校だったころ、その頃の大学生の話題やイメージといえば「やれ、○ジャーランド」だ、「やれ、車乗り回すのなら、B○Wだわ」だの「やれ、今日はギロッポンだわ」という話題ばかりが、メディアでもてはやされていました。
 メディアによって構築された、これらのイメージが、それだけ本当だったのかは、僕は知らないし、興味もないですが、それから30年たって、状況はかなり変わっています。

 大学生が意欲をもって学べる状況が生まれることを願います。
 そして人生は続く
 

投稿者 jun : 2014年4月15日 06:03