大学院生が「よい研究」を成し遂げるために必要なもの!? : 誰にとっても平等に割り当てられている「貴重な資源」!?

「大学院生が、よい研究をいかに生み出すためには何が必要か?」

 この「問い」に対しては、多くの研究者がいろいろな答えをもっているものと思います。
「そりゃ、師の出来によるよ」という答えももっとも(あっ痛!>オレ)、「そりゃ、機材の充実度によるよ」という答えも、ごもっとも。「そりゃ、本人の頭の良さだろう」とか「そりゃ、ひらめくか、ひらめかないかだろう」いう回答も、もちろん、もっとも。おっしゃるとおりです。

 こうした様々な要因を「それはもっとも、おっしゃるとおりです」と認めたうえで、敢えて、僕が、強調したいのは何かと申しますと、異常なほど「シンプルな答え」です。それは何か、わかりますか?

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「よい研究に必要なのは、"時間"です、以上」

 才能とか、ひらめきとか、頭の良さとかの個人要因、あるいは、研究室の雰囲気、最先端の設備などの環境要因、いろいろあるんだと思います。
 でも、少なくとも僕の領域で、僕みたいな若造教員が指導をする大学院生の研究レベルで、この問いに答えをだすのだとすると、「答えはシンプル」。

 それは「時間」です。

 敢えて申し上げますが、「世界級の研究」の話をしているのではありません。また領域によって違うかもしれません。あしからず。

 くどいようですが、「大学院生が、よい研究をいかに生み出すため」には、

「まとまった時間を、どれだけ研究のために確保できているかどうか」
 あるいは
「集中できる時間を、どの程度、研究に確保できているか」
 このひと言に尽きます。

 そりゃ、研究者ですから、論理能力や実証能力など、知的なものが必要なことはいうまでもありません。方法論や分析のスキルだって、マスターできていないよりは、できているにこしたことはない。師匠だってブリリアントな方がいいに決まってる。でも、そういうことは「その上のレベル」です。
 多くの場合は、「それ以前のところ」でつまづいているケースの方がほとんどであるように感じます。

 それは、

「細切れ時間の中で、研究をしようとしている」
「集中できるまとまった時間を確保していない」
「研究時間が生活リズムに組み込まれていない」

 とうことですね。

 それで「研究が進まない、僕は、頭が悪いんじゃないか?」と悩んでいるケースがあります(笑)。

「いや、そんなことないよ。でも、進まないのはあたりまえじゃん、研究に時間かけてないんだから(笑)」
「大丈夫だよ、時間をかけて考え抜けば、いい案うかぶよ」
「まとまった時間を、毎日毎日確保して、じっくり考えてみれば、研究、進むよ」
「毎日コツコツやれば、大丈夫だよ、少しずつ進むよ」

 やっぱり、研究には、それ相応の「まとまりのある時間」を、定期的なリズムで、きちんと確保することが必要なのです。そういう「まとまりのある時間」をきっちり確保できる生活リズムをつくれるかどうか。あるいは、そのためには、自分の負荷や研究の進捗状況を鑑みて、「やらないことを、決めきること」ができるかどうか。「捨て去るものを、思い切って捨てることができるかどうか」。

 研究にとって大切なことは、もっともっと「初歩的なレベル」であるように思います。だから、多くの場合は、これさえクリアすれば「第一条件」はクリアできたも同然です。

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 今日は「研究」と「時間」のお話をしました。もう20分なので、そろそろやめます。
 時間とは、誰にとっても「平等」に割り当てられた数少ない「資源」のひとつです。自戒をこめて申しますが、そうした「貴重な資源」を有効に使い、知的なことを成し遂げてみたいものです。

 そして人生は続く

投稿者 jun : 2014年4月18日 12:37


辞書編纂という大事業の裏側:映画「舟を編む」を見た!

 辞書編纂という途方もない事業のプロセスを描いた話題の映画「舟を編む」を見ました。

 この映画は、ある大手出版社の辞書編集部につとめる、ちょっと風雅替わりな編集部員・馬締光也が、13年という長い年月をかけて、新刊辞書『大渡海』を編纂していくプロセスを描いたものです。

 既存の辞書にはない言葉をどのように採集するか?
 それにどのような語釈(解説)をつけるか?
 寸分のミスもない校正を、いかに徹底的に行うか?

 これらの作業は「途方もなく」、また「終わりがなく思えるもの」です。
 たとえば、校正などは5校!もあるのですが(多い!)、1語1語ミスをチェックしても、4校に至っても、ミスが発見される。
 しかし、「辞書にミスはあってはならない」ということで、また1語1語チェックしていきます。かくして13年という年月があっという間にたってしまうのです。

 映画は、新刊辞書『大渡海』の完成パーティで終わります。しかし、辞書編纂の仕事は、それで終わりません。なぜなら、辞書は完成したとしても、まだ新しい言葉は、世の中に生まれてくるからです。
 再版した辞書においては、これらの言葉をまた採集・収録しなくてはなりません。辞書編纂の仕事は終わらないのです。

 創造作業に取り組む方々にとっては、なかなか示唆に富む映画です。おすすめです。

投稿者 jun : 2014年4月17日 06:01


「イノベーション人材!?」をめぐる「モノローグ委員会」!? : 「キンキンに尖った一匹狼」か「カリスマ漂うオラオラピーポー」か!?

 かなり前のことになりますが、

「日本には、イノベーション人材が足りてないんだ。だから、大学ではそういう人材を育てなくてはならない。企業も、そういう人材こそ採用するべきだ」

 みたいな話題について、口角泡を飛ばしあい、ケンケンガクガクと意見をいう委員会に、やんごとない事情があり参加せざるを得なかったときがあります。もうかなり前のことです。会の冒頭では、「ぜひ皆さんにケンケンガクガク議論してください」と委員会の代表者の方から、ご指示がありました。

 僕は、この手の「口角泡談義の支配する委員会」に「めっぽう弱い」ので、そこは「見識のある方」にお任せして、早々に、お暇することばかり、当初、考えておりました。
 しかし、どこにでも「学びの種」はあるものでございます。議論の進展を伺っているうちに、「ある一点」について心の底から興味がわいてきて、別の観点から面白くなってしまい、結果としては興味深く話をきかせていただき、素晴らしい時間を過ごすことができました。

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 僕がもっとも興味をもったのは何かと申しますと、下記のようなリサーチクエスチョンです。

「イノベーション人材が何たるかについて、そもそものイメージを共有せずして、どうして数時間の議論を継続していくことが可能なのか?」

 会話を伺っておりますと、ある方は、「イノベーション人材」を「人間的にも、キンキンに尖った一匹狼みたいな人」を思い浮かべて話を進めます。また、ある方は「イノベーション人材」を、「スティーブ・ジョブズのようなカリスマオーラーがバシバシでていて、人を魅了する人材」に求めます。また、ある人は、いわゆる「プロジェクトX的な、名も無いチームを率いる人」をイノベーション人材と呼んでいるようです。

 あくまで会話の端々から類推したことですが、僕には、それぞれの方々が、そのような背後仮説のもとで話を継続なさっているように聞き取れました。
 要するにひと言で申しますと、「イノベーション人材」に全く「にぎり」がないまま、話題が「継続」できているのです。話はつながっているようで、実際は前後の話は全くつながっていないのだけれども、なぜか「続く」。

 逆にいうと、この会議は、会の冒頭で代表者の方から「ぜひ皆さんにケンケンガクガクと議論してください」という指示はなされているものの、実際に実際に展開されているのは「議論」ではないのです。誤解を恐れずに申し上げるのであれば「みんなで集まって、議論する」のではなく、「みんなで集まって、各自がモノローグをしている」のです。

 なぜかはわかりませんが、人材系の会議には、この手の「モノローグ会」が多いような実感があります。おそらく、「ほにゃらら人材」の「ほにゃらら」の部分を「イノベーション人材」ではなく「グローバル人材」にしても、同型の会話構造が、会を支配してことの方が多いでしょう。
 そして、皮肉なことに、そうした会の「モノローグ」からは、「イノベーション人材?」も、「グローバル人材?」も生まれ得ないだろうな、というのが、僕の実感です。むしろ「イノベーション人材」なんてものが語られないような空間で、それも、地に足のついた仕事に取り組んでいる人々の中にこそ、それはある、のかもしれません。
 
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 今日は人材系の会議に、なぜか多い、モノローグ会!?についてお話をしました。だから?といわれても、特にオチはありません(笑)。また、イノベーション人材はどこいったのか、さっぱりわかりませんが、まぁ、お許しください。たかが20分で書いているブログです。

 ちなみに、僕個人としては、いわゆる「イノベーション人材」とは、「キンキンに尖った一匹狼」でも、「カリスマオーラ、オラオラな人」でもないイメージをもっています。僕があるイメージをもつことに最も影響を与えてくださったのは、東京学芸大学の高尾隆さん(東大時代の同期で、友人です)からうかがった話です。
 高尾さんは、かつて僕の授業で、キース・ソーヤーさん(この人はクリエィティビティと即興の研究者ですね)の議論を援用しながら、イノベーション人材について下記のように語ったことがあります。

これから求められる人は「イノベーティブな人材」ではありません。「この人が加わるとイノベーティブなグループになる」という人が欲しいのです。(多くの組織では)集団で、ものをつくっているわけですから、ひとりだけイノベーティブになっても活かしようがないのです。

必ずしも、集団がイノベーティブになるために、その人がイノベーティブなアイデアをばんばん出す必要はないのです。その時、必要な人は「この人が加わるとイノベーティブなグループになる人」であって、「孤独なイノベーティブ人材」ではないのです。

 高尾君、やっぱり、そうだよね。
 僕としては、個人的には、高尾君のこの考え方が、しっくりきます(ちなみに、この授業の内容は、本になります)。
 そして人生は続く

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追伸.

慶應丸の内シティキャンパスで僕が講師をつとめる授業「ラーニングイノベーション論」の残席が「わずか」となったようです。

こちらの講座では、「企業に革新をもたらす人材開発」をテーマに、第一線の研究者の方々・実践者の方々にご講義をいただき、ディスカッションやエクササイズを実施していきます。この講座の運営自体が、研修開発のモデルになるように設計しているつもりです。また今年で6期になりますが、100名を超えるアラムナイも魅力的です。

もし参加にご興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、どうぞお早めにお申し込み下さい。5月23日から開講します!

ラーニングイノベーション論
http://www.keiomcc.com/program/lin/
 

投稿者 jun : 2014年4月16日 06:11


大学生の「食事」を救え!:「仕送り額減少」と「今は昔のバブル時代」!?

 先日、NHKの朝イチで「大学生の食を救え」という特集が組まれていました。番組では様々な大学生の事例が紹介されていましたが、その要点は、

「下宿大学生の可処分所得(仕送り額)が減少するなか、大学生の食事が惨い状態になっている。これを救うべく大学が支援に乗り出している」

 というプロットであったのかと思います。大学生の経済状況は、専門外ではありますが、非常に興味深い特集でした。

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 過去を振り返ってみますと(およそ20年前!)、僕は全く「イケイケゴーゴー?」な大学生時代を「全く」おくっておらず、どちらかというと、というか、間違いなく「貧乏暇なし、ひーこら、ひーこら、ひひーん、ひひーん?的な学生時代」を過ごしましたので、「あー、おれも、ひどい食事だったな」と過去を思い出しつつ、見ておりました。

 当時僕が、一番食べていたのは「午後8時を超えて安くなったコロッケ3つに、ごはんを3合」とか「某ファーストフードショップの一番安いハンガーバー5個」とか「エコノミーカレー大大(具がないカレーで大盛りのさらに大盛り)」でした。いやー、今から考えると卒倒しそうです。
 しかし、今の学生は、さらに過酷なのかもしれません。

 全国大学生活共同組合連合会が行っている学生生活実態調査の一連の結果によると、「大学生の仕送り額」は1996年度あたりをピークに10万2240円から減少していき、2010年度は71310円、平成13年は経済効果?のせいか、72280円に持ち直しましたが、以前厳しい状態が続いています。
 こうした懐具合の中から、もっとも最初に削られるのが、「食費」である、ということになるのでしょうか。

第49回学生生活実態調査の概要報告(全国大学生活共同組合連合会)
http://www.univcoop.or.jp/press/life/report.html

 これに関連すると、僕は大学教員になってから、おそらくほとんど「授業の「教科書指定」をしたことがありません。つまり、僕の授業を希望する大学生に、教科書の購入を必須としたことはありません。

 本当ならば、これを指定するので読んで欲しいな、と思うところもあるし、授業者にとってもそれが楽なのですが、僕の分野の場合(分野によって異なる)、少し授業を工夫すれば「教科書を指定せずとも授業は出来ます」ので、それをなるべくしないようにしています。

 それは端的に申し上げますと、どうしても「大学生の懐具合が気になるから」です。特に自分と同じように「田舎から出てきた、下宿生」が。

 具体的にどうやるか、というと学部であるならば、何とか板書を増やすことで対応します。教科書に書いてあることの要点を板書にします。大学院ならば英語文献を指定して読み、それをもとに板書をします。これは分野や学習者の状況によると思います。少なくとも僕の場合は、こうした状況で対応をしています。

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 今日は「大学生の可処分所得」のお話をしました。

 僕がまだ小中学校だったころ、その頃の大学生の話題やイメージといえば「やれ、○ジャーランド」だ、「やれ、車乗り回すのなら、B○Wだわ」だの「やれ、今日はギロッポンだわ」という話題ばかりが、メディアでもてはやされていました。
 メディアによって構築された、これらのイメージが、それだけ本当だったのかは、僕は知らないし、興味もないですが、それから30年たって、状況はかなり変わっています。

 大学生が意欲をもって学べる状況が生まれることを願います。
 そして人生は続く
 

投稿者 jun : 2014年4月15日 06:03


アタタタタタタタタ、アターッ! おまえは、もう「形骸化」している!? : 「手法のオワコン化」に潜む6つのパターン!?

 人材開発・人材育成の世界には、様々な「手法」があります。部下育成の手法、会議運営の手法、ファシリテーションの手法、評価の手法・・・「手法」の数をあげつらっていけば、枚挙に暇がありません。

「手法」の中には、世の中に広く広まるものもありますし、そうでないものもあります。「一時期のブーム」をつくるものもありますし、中には「定着するもの」もあります。場合によっては、手法だけが「独り歩き」したりするケースもありますし、「内部崩壊」する場合、オワコン化する場合もあります。

 僕は、この領域を長く見続けておりますので、「手法」が衰退したり、普及に失敗したり、オワコン化したりすることには、一定のパターンがあるような気がしています。それは下記の6つのパターンに分類されるのではないでしょうか。きっと、これ以外にも多々あるのでしょうけど、目につくものは、この6つ。もし不足があると思われた方は、ぜひ足してみて下さい。

①ムーブメント形成の失敗
 ある特定の「手法」がブームになる手前の失敗です。
 ある特定の「手法」に興味をもち実践する人々の間に生じる「大同小異の差(認識の差)」が乗り越えられず、関係者内部のゆるやかなつながりや協力関係が生まれず(場合によっては仲間割れする)、ムーブメント自体をつくれないことから生じます。

②資格付与における失敗
 ある特定の「手法」に関し「資格」などを設けた場合に起こります。本来、資格を与えてはいけない人に、何の質保証を行うことなく、大量資格証明を行ってしまい(選抜と資格付与の仕組みが機能しない)、資格の価値がインフレーションをおこし、その領域自体の経済的価値が地盤沈下することによって起こります。

③人材育成における失敗
 ある特定の「手法」の普及のスピードに、「手法」を実践・指導する側の「人材育成」が追いつかず、結果として、「品質劣化をおこした手法」が普及してしまうこと、ひいては、手法自体にレピュテーションリスクが発生し(悪い評判がついちゃうってことですね)、地盤沈下していくことによって起こります。

④概念定義の失敗
 ある特定の「手法」の概念定義・手続きがゆるく定められ、かつ、普及スピードがはやい場合、おおよそ元々存在していた「手法」とは思想的背景が異なる「亜種」が複数生まれます。複数ある「亜種」のひとつに問題がある場合、もともとの「手法」そのものの価値が疑問視され、普及しないことがあります。

⑤外部環境への変化拒絶による失敗
 ある特定の「手法」自体の教条化・固定化が進み、それを金科玉条のように守ることが「自己目的化」する。しかし、外部環境は変化し、手法自体がそれへの「適応」をはたせないことによって、徐々に衰退していくことがあります。

⑥カリスマ化による失敗
 ある特定の「手法」の創設者・古参者が「カリスマ化」ないしは「サロン化」すると新参者の参入が減るか、ないしは多様性が失われます。新規参入と多様性劣化は、徐々に創設者・古参者の現実認識を曇らせていきます。次第に外部環境への環境適応ができなくなり、徐々に衰退していきます。

 こう考えてみますと、手法の「普及」や「伝承」には、様々な「リスク」が存在していることがわかります。そして、そのリスクは、誰かひとりが注意していれば防げる、といった類のというよりも、むしろ「普及」というものに関係する利害関係者(ステークホルダー)すべてに分散して存在しています。ということは、こうもいえるのでしょう。

 何もケアしなければ
 手法は「形骸化」し「オワコン化」する運命にある。

 まぁ、むしろ、それはそれで少し悲しいことですが、反面、それでいいのかな、という思いもあります。
 以前にも申し上げたことですが、手法それ自体は(手法が印刷物等に固定化された場合は別)、そもそも著作物ではありませんし、著作権法によって保護はされません。
 弁護士の福井健策先生によると、アイデア・着想・技法といったものが、原則として「著作物」として認定される可能性が少ないのは、わたしたちの社会・文化の功利のためでもあるといいます。つまり、手法・技法・アイデアといったものによって私たちの文化がよりよくなるために、「手法を思いついた個人に不利益を生じさせること」があったとしても、しかし、それでも「社会全体の功利」を優先したいという思いが、著作権法には存在するのだそうです。

 むしろ、手法は、固定化・教条化され、ある特定の個人の団体を利するというよりも、むしろ、様々な人々の目にふれ、それぞれの状況にあわせ、オープンソースのように改変・流通、ゆるやかに継承されていく方が、僕としてはしっくりくるような気がします。たかが手法なのです、もちろん、されど手法でもありますが。

たかが手法、されど手法:方法知を伝える
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakaharajun/20140414-00034468/

 そして人生は続く

投稿者 jun : 2014年4月14日 07:50


How to come up with a remarkable idea!? : What is the relationship between prior paper and new insight?

※I translated 2014/01/20 article(only in Japanese) into the following article in English.

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 Some days ago, a graduate student asked me how to make a unique research hypothesis.
He said

"Nakahara-sensei, I have read a vast amount of previous research and understood what has been done so far. But no novel and unique view point has come to my mind. What should I do?"

He has read some articles which I wrote on my blog for my graduate students. So he asked me this question.
In my opinion, only god knows when remarkable ideas come to our minds. I'm not sure when and how they come. After reading such research, they should be able to come up with some kind of new viewpoints. I said to them "Have you analyzed the previous data and thought about your hypothesis long and hard enough to come up with your own unique idea?"

Anybody can start just reading. However not so many people think it through to the end by themselves. Thinking until you catch a remarkable idea brings a breakthrough in your research. No vast amount of prior research but you come up with a great idea.

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In fact, there is a pitfall when you read a lot of previous research papers.
It is the first routine task for researchers. but it is apt to become its own goal, and then you forget to think by yourself. The harder your have tried to read, the more you are satisfied and engaged with this routine task.

"Oh I studied so much"

You tend to be preoccupied with reading many prior research papers, So you forget to organize your thoughts and create hypothesis by yourself.

I think it is a misunderstanding that reading vast amounts of previous papers is equal to hitting upon your hypothesis. Rather, it is the basic foundation for coming up with your own good idea.

In terms of the relationship between previous research and new insight, a famous and visionary professor, Tadao Umesao, conducted very unique research in anthropology. He said

"Some people criticized me. They said "Tadao Umesao always only creates ideas". However, I think, coming up with new ideas is one of the most important tasks. Without an actual breakthrough idea, it is just quotation and imitation. Too many people think research is reading and quoting other people's ideas.

Today I've talked about the pitfalls of reading many research papers. Reading many prior papers is necessary for establishing brand new ideas. If you are having difficulty in coming up with your unique hypothesis, ask yourself, "Have you analyzed the previous data and thought about your hypothesis long and hard enough to come up with your own unique idea?"

life goes on...

投稿者 jun : 2014年4月13日 12:00


「研修の学習効果」と「ペンペン草もはえないような職場」の関係をさぐる!?

 1990年代ー2000年代の人材開発研究の最大の変化のひとつは、僕は「職場の再発見」であったと思っています。

 多くの人々にとって「職場」は最も長い時間を過ごし、人材開発、人材育成の中核になるにもかかわらず、「職場では、どのようなインタラクションがあるのか」、そして、それが「職場要因が、人材開発にとってどのような影響をもたらすのか」について分析や考察が、あまり進んでいませんでした。
 
 実務家からすれば、

「おい、職場を見落とすんじゃねーよ、そんなもん、アタリマエダのクラッカーじゃねーか」

 という感じだと思いますが、誠に残念ですが、それはそうなのです(笑)。それまでは、むしろ「制度や異動が、人材を育てる(=どんな制度を育てれば、経営指標にどんなメリットが生まれるんのよ)」というかたちの研究パラダイムが支配的でしたが(この場合、職場はブラックボックスになります)、それに、見直しがかかりつつあり、職場要因を考慮にいれた研究が増えたり、職場内部に分析のメスがはいっているのが、昨今だと思います。このことは、著書「経営学習論」に詳細を書きましたので、詳細は、そちらをご覧下さい。

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 ところで、職場の人材開発研究というと、昨今では「上司による育成研究」「同僚による育成研究(Co-worker研究と呼ばれてますね)」も盛んになりつつありますが(大学院の授業では、こちらも読んでいきます)、こうしたいわゆる「OJT系・人系の育成」のみならず、「研修」に関する研究もありますね。「研修効果と、研修参加者の所属する職場要因(Work-environment factor)の関係」をさぐる研究です。

 その要旨を、ワンセンテンスで述べるならば

「研修で学んだことが実践され成果をだせるかどうかは、研修そのもののクオリティもあるけど、職場で、どんな上司や同僚に囲まれてるか、大きいもんねー」

 ということです。これを、プチ難しく言うと、「研修転移の予測要因のひとつに職場内の上司・同僚からの支援がある」ということになります。あんま、変わんないか(笑)。

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 たとえば、わかりやすい研究事例をあげてみましょう。
 下記はクロムウェルさんとコルブさん(2004)の行った研究結果の一部、僕がグラフにしたものです(Cromwell and Kolb 2004 p462 Table2 in Human Resource Development Quaterly)。
 このグラフの縦軸は「研修で学んだ知識やスキルがどの程度現場に反映されているか」という程度です(主観的評定値)。そして横軸は「職場において、上司や同僚からのサポートがどの程度存在するか」というものですね。一目瞭然で、「上司や同僚からのサポートが低い方が、研修で学んだことが実践されにくいこと」がわかりますね。中程度以上あればあんまし問題はないけど、「上司や同僚からのサポートが低すぎる職場」では、研修をやっても実践されない。この研究には、さらに解釈が必要な部分、目配りが必要な部分があるとは思いますが(コントロールどうしてんだ?とか、スキルの質とか)、そこまでは大学院の授業ではないので、つっこみません、ブログなんで(笑)。

cromwell_san.png

ANOVA, Supervisor : F=.979 p<.01, Peer : F=8.16 p<.01 : significant difference between low and moderate, No significant difference between Moderate and high.

 分析結果には、まぁ、首肯できる部分も多いのではないでしょうか。まぁ、そうだよね、感覚的にも。せっかくどんなに研修でいいこと学んだでも、上司も同僚もヤバくって「ペンペン草もはえないような職場」だったら、やる気も失せるわな、泣。実際、やる気があっても、機会も支援も与えられないでしょうし。

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 今日は、ちょっくら、まじめに「職場のお話」をしました。
 ワンセンテンスで述べるならば、「ペンペン草もはえないような職場は、やっぱし、マズイってこと」です。
 おい、それで終わりかよ。

 そして人生は続く

投稿者 jun : 2014年4月11日 06:31