実務家が必要としている「理論」とは何か?: 「実践」と「理論」のあいだの「死の谷」を超えて!?

 今日は金曜日。

「組織変革についての学習」の僕の「旅」も、今日でおしまい。「終着駅」が近づいてきました。
 本日夕方には、一週間「缶詰」(ほんとに缶詰・・・1歩も外にでていません)になっていた宿舎をあとにして、シャバ!?に出ます。久しぶりに家族とあうのがとても楽しみです。TAKUZO、KENZO、ママ、元気だったかい?

 まずは、この場を借りて、ここで出会った参加者の皆様、そして5日間、僕を導いてくださったディード博士、そして中村和彦先生ほかスタッフの皆様、そして時間をつくってくれたカミサンに、心より感謝いたします。ありがとうございました。充実した一週間でございました。

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 5日間の濃密すぎる合宿を終えるにあたり、セッション4日目あたりから、このセッション全体をふりかえり、僕は、ある一つのことを、夜な夜な考えていました。

 それは、組織変革に関する実践家と、自らの研究を実践に役立てたいと願っている研究者が集まった、この5日間のカンファレンスにおいて、講師の先生から伝達されていた「知識」や「概念」とは結局、「何」であったのか、についてです。

 ワンセンテンスでのべるならば、

 このセッションでは
 「何が教えられており」、
 「何が教えられていないか」
 について考えていました。

 これは、換言するならば、

 理論は実践にいかに役立てられるのか?
 実務と理論をつなぐものとは何か?
 そして、実務家にとって役に立つものとは何か?
 
 について考えていたことになります。

 僕は、ふだん、実務家の方々や大学院生に対して授業をしています。また「実践に自分の研究が役立てられること」を願う研究者の末席を汚すものでもあります。

 そのような小生ですので、やはりどんな内容や情報をインプットしても、

「自分だったら、この内容をどのように教えるだろう?」
「自分だったら、この内容を、どのように実務家に伝えるだろう?」

 という「目線ぬき」で、物事を考えることができません。
 自分だったら、このようなセッションで実務家に何を伝えるだろうか? 
 今回のセッションをふりかえりながら、そんなことを考えていました。

  ▼

 というわけで、いつもの「こ汚い絵?」ですが、僕が考えていた内容は、下記の図に記すとおりです。また例のごとく、こみいった絵で申し訳ありません。
 たぶん、これを見ても、さっぱり何のことだかわかんないと思うけど、下記に少しだけ論じてみましょう。

jissen_oshierareteirumono.png

 端的に述べるならば、

 このセッションで講師のディード先生から語れていたことの多くは、「キンキンにとがった理論」でもなく、「ベタベタドロドロの実務の経験」でも「なかった」ということです。

 つまり、図の上部にある「Science world:理論世界の抽象的な知識」でもなければ、「Real world:業務経験世界の現象どっぷりの知識」でも「ない」ものがこの授業では語られていました。少なくとも僕にはそう思えます。

 それでは語られていたのは何か、と申しますと、ちょうど「理論」と「経験」の中間にある「中程度の抽象性をもったもの」、そう「理論にインスパイアされた眼鏡(概念)」なのです。ポイントは「理論そのまま」ではなく「理論にインスパイアされた」というところです。実務家の方々によっては、それが「理論」に見えるかもしれません。しかし、アカデミアの目からみると、それは「理論そのもの」ではありません。だからといって、その価値が何ら毀損されることはありません。むしろ事態は逆なのです。

「理論にインスパイアされた眼鏡」は、実務家の方々が、おかけになると、Real Worldにある現象A、現象Bが、さらによく見えるのです。こうしたものを先生はお伝えになっておられたように、ぼくには思えました。

  ▼

 これは「実践か理論か?」「リゴラスな研究か、レリバントな実践か?」という、古くさすぎて、個人的には思わず、「プッ」と屁がもれてしまいそうな二分法的観点から物事を考えると、相当に面白いことです。

 先ほどの図にしめしましたとおり、一般にサイエンスとは、「具体の世界(Real world)」の「現象」をいくつも観察・分析したうえで、それらを抽象化して「理論」を生成します。

 おおよそ、「人にまうわる理論」というものは、「Real worldの人間の行動や振る舞、その原因と結末」のすべてを、網羅的かつ完全に説明しうることは、まずありません。それは、それらを「パーフェクト」に説明しうることはないにせよ、「一定の説明率」をもちつつ、現象を説明する、いわば「判断のリソース」のようなものです。

 そして、伝統的に「理論優勢の考え方」では、この抽象世界で用いられた「理論」を頭に叩き込むことが「実務家教育」だと考えられます。これは1960年代ー70年代に流行したような非常に古典的な考え方です。

 ワンセンテンスでいいますと、

 理論を頭に叩き込め
 そうすれば実務で役立つはずだから

 と考えるということです。

 それに対して、もう一方の「強固な考え方」が「実務家教育」には存在します。それは「実務優勢の考え方」で、先ほどの理論優勢の考え方とは逆です。最近は、この考え方の方が優勢なのかもしれません。
 この考え方は、理論化や抽象化を極端に嫌います。現象にどっぷりとつかり、その現象の中から内省をしつつ、学ぶことをよしとします。

 ワンセンテンスでいいますと、

 理論なんて役にたたねー
 経験を内省して現場で学べ
 そうすれば、実務で役立つから

 ということになります。

 ここで、賢明なわたしたちは、ここで前者の理論ドリブンの考え方が、「理論」に信頼を置きすぎていること。そして、後者の現場主義の考え方が、「現場の経験」に偏りすぎていることに気づかされます。それは、実務と理論のあいだに存在する、いわば「死の谷」のようなものです。
 これ、何とかならないの?

 僕の考えていることを、正しくいいましょう。
 たしかに、僕は、後者の「現場の経験」が大切なこと、パワフルなことは、そのとおりだと思うのです。さすがに「理論を叩き込めば実務で必ず役立つ」と信じられるほど、僕はナイーブではありません。それを信じるには、年齢と経験を重ねすぎました。

 そうではなく、現場の経験が役立つことは信じつつも、一方で、そこに理論世界の介入する余地はないものかと考えたくなるのです。この世でもっとも大切なことは、「OR」の思考に陥る前に「AND」を考えることです。にっちもさっちもいかないものを目にしたときは、2つを結びつけることを考えたいと僕は思います。
 実際、この問題は「実務と相対する高等教育機関」の存在意義の問題に直結していきます。だって、すべてが実務と現場で学ばれるのなら、教育機関の役割って何ですか?ということになるからです。

 理論は、いかにあるべきか?
 実務家には、何を伝えればよいのか。
 いったい、何が実務と理論をつなぐのか?

 今回のセッションでは、この問いに対する大きな気づきを、個人的にはいただいた気がします。

 それは抽象度としては中くらいのもの。理論に「忠実に基づいている」わけではないが、「丸ごとそのまま」ではない。
 むしろ、「理論にインスパイアされたくらいの抽象度をもった概念」が必要なのだ。
 それは、実務家が物事を見たり、経験から学び、内省するときに、「眼鏡」のような役割を果たすだろう。こうした「眼鏡」こそが圧倒的に不足しているのかもしれない、と僕は思いました。

 もちろん、「理論」も「経験」も、これまでどおり、学習にとって「大切なこと」は言うまでもありません。
 それも確かに必要なのですけれども、中空に浮いているのは、その中間にある眼鏡のような概念なのかな、と。考えてみれば、昨年11月のワークショップでユトレヒト大学のコルトハーヘン先生が伝えていたのも、そのようなものであったような気もいたします。考えてみれば、それは厳密な意味で「理論」ではありません。また、どっぷりそのままの経験でもありません。理論やデータに裏打ちされ、そこからインスパイアされた「眼鏡」なのです。

コルトハーヘン先生による「リフレクション学」スペシャルワークショップが終わった!:リフレクションという名の「詰問」「教え込み」「だらだらトーク」を超えて!
http://www.nakahara-lab.net/blog/2014/11/post_2296.html

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 今日は、セッションを振り返りながら、「サイエンスと実務」「経験と理論」の関係について考えました。このセッションを受講なさっていない皆様には、はてなんのことやら、とお思いでしょうが、それはどうかご寛恕ください。

 これで学習週間はおしまいです。
 来週から通常週間に戻ります。

 そして人生は続く

追伸.
 ディード先生によりますと、今、米国には組織開発を学ぶことのできる大学院は13個あるといいます。そのなかには、コーホートシステムという教育制度をとっているところがあるのだといいます。
 実務家を15名くらいの集団にしながら、その集団を組織開発の手法を用いながら形成しつつ、そこから学ぶのだそうです。これまた面白い教育システムですね。

投稿者 jun : 2015年2月26日 16:50


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グローバル社会とは「説明社会」である!? : なぜ「大浴場」にバスタオルが浮かんでいるのか!?

 この数日、ホテル滞在をしています。そこで痛切に今までい以上に感じたことを1つだけ紹介します。それは、グローバル化社会とは何か、ということです。

 私見にて端的に述べるならば、

 グローバル社会とは「説明社会」です。

 それは「わたしたちにとっての常識」を「前提」とせず、ひとつひとつ、常識を共有しない異なる人々に、説明をしなければならない社会

 ということになります。

 別の言葉で申し上げますと、

 わたしたちは「あうんの呼吸で感じあうこと」「背中で語ること」「空気を読んで行動すること」から脱しなければならない

 ということです。そのことを、宿泊しているホテルの大浴場の湯船に散乱している「大きなバスタオル」を見ながら、痛切に感じました。

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 読者のみなさんの中には、大浴場の湯船に、なぜ「大きなバスタオル」が散乱しているか、不思議に思う方がいらっしゃるかもしれません。

 一般に「大きなバスタオル」は風呂からあがったあとで用いるものであり、しかも、湯船には普通つけません。しかし、それが「わたしたち」のもっている「常識」です。

 いま、僕の滞在しているホテルには、今、たくさんの外国人の方が宿泊しておられます。彼らには、そもそも、その「常識」は持ち合わせていません。

 ですので、部屋から2つのタオルを大浴場に持ち込み、小さなタオルと大きなタオルのうち、どちらをどのように使って良いか、わからないのです。
 結果が、大きなバスタオルを大浴場に持ち込み、湯船につけ、そのまま帰ってしまうことになります。
 誤解をさけるために申し上げますが、ここで、僕は外国人の方々のふるまいを責める気にはなれません。そりゃ、驚きはします。だけど、この状況ならしょうがないだろうな、と思います。

 もちろん、風呂場には、風呂場でやってはいけないことの、たくさんの掲示物や禁止事項が、たくさんの言語で書いてありました。でも、みなさんは、海外にいったとき、同様の掲示物が風呂場やプールにあったとして、そうした掲示物をご覧になるでしょうか。少なくとも僕は、たぶん、見ません。
 日本人はお客さんのうち2割くらいはいらっしゃいますので、その2割の日本人をみて観察学習することも不可能ではありません。ですが、観察といっても、裸の他人をジイッと中止することもなかなか難しく(笑)、観察学習から学べることには限界もあります。
 
 要するに「理解すること」、そのために「説明してもらうこと」が必要なのです。
 このホテルでは、ここを泊まる外国人の方々に「説明」していないのです。2種類のタオルが存在していること。それぞれがどのような目的で存在しているかについても説明していません。だから、そうした出来事がおこります。

 実際、同行しているアメリカ人の先生も、風呂場で僕に質問を投げかけてきました。

「じゅん、なぜ、タオルが2個あるんだ? 風呂には、どっちのタオルをもっていけばいい? 小さいのか? わかった、わかった。で、小さいタオルでは何をすればいい? 隠すだって、何を隠すんだ?(笑) 洗うときにも使える? そうか」

 隠す?(笑)

 誤解を恐れずに申し上げますと、わたしたちが生きる、これからの社会は、「あうんの呼吸」「背中で語る」「空気を読む」を「期待」していられる社会ではないように思います。

 つまり、わたしたちの常識を、ひとつひとつ、相手にわかりやすいようにかみ砕いて説明しなければならないのです。
 だから「説明社会」です。

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 今日は「大浴場」に「大きなバスタオル」が浮かんでいるという、わたしたちにとっての非常識から、グローバル社会とは何かを考えてみました。

 わたしたちにとっての「非常識」を、それを共有しない人々の個人的資質に原因帰属してしまえば、そこで「思考停止」です。僕はそれを知性的な態度とは思えません。

 おそらく必要なことは、いかにわたしたちの環境を変えていけるのか、ということのように思います。
 オリンピックに向けて、こうした出来事はさらに増えることが予想されます。わたしたちは、いかに説明をつくすことができるでしょうか。

 そして人生は続く

投稿者 jun : 2015年2月26日 08:10


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「組織を変える」とは「ねちょねちょ小宇宙」の中でもがき続けること!?:「流れる水」と「燃え続ける火」を見つめながら!?

 専門家や学者を「簡単にやりこめる方法」というものを、皆さんはご存じでしょうか?

 別の言葉でいえば、

 その人が、「ある特定の領域」の専門家や学者であるかどうかを「簡単に見抜く方法」をご存じでしょうか?

 といってもよろしいかと思います。

 さて、何でしょうか?

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 それは「ある特定の領域」でもっとも重要だと思われる「概念」を素朴に問うことです。

 組織の専門家や学者を「困らせたい」あるいは「見抜きたい」と願うのであれば、こう問うてください

 「あのー、そもそも組織って何ですか?」

 あるいは、学習の専門家や学者を「やりこめたい」と願うのであれば、こう問うてください。

 「あのー、あなたのいう、そもそも学習ってなんですか?」

 そうすれば、その人が「真摯」な専門家や学者であれば、

 「うーん・・・いや、それは」

 と考え込むはずです。
 なぜなら、ある特定領域の、しかも、もっとも「中心的な概念」というのは、その定義からして論争があり、簡単に答えを出すことができないからです。真摯な人であれば、ここで、何と答えてよいのか、少しは悩むはずです。逆に、何の疑問も持たない人は、「どこかの誰かがつくった定義」で、唯一自分の知っている定義を述べるはずです。
 
「専門をもつ」ということは、そういうことです。
「専門をもつ」ということは、「わかること」が増えることであり、簡単に「答えられないこと」が増えることでもあります。

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 2日前から述べておりますように、今週の僕は「学習週間」のまっただ中におります。学んでいることは「組織変革」なのですが、結局、突き詰めて考えますと、

「組織とはどのように変わるのか?」

 という問いは、

「そもそも、組織をどのように見なすのか?」

 という、さらに深い問いと密接につながっていきます。結局、問われているのは、

「あなたは、そもそも、組織をどのように見たて、どのようなものとして見なすのですか?」

 ということです。
 昨日、学び、そして議論していたのは、2つの組織の伝統的な見方についてでした。下記にメモを示しますが、たぶん、これだけ見てもわかんないと思います(笑)。が、勇気をだして?、少しだけ下記に論じてみましょう。

soshikitoha_nanika2.png


 左の見方は「組織を1対1の因果関係が集まる束」のように見立てるモデルです。こちらを敢えて「シンプル1対1モデル」とよびましょう。

 この場合の組織観にたてば、「組織が変わる」ということは、ある介入を行う前と後で、組織の状態を「スナップショット的」に切り取り、「プレのスナップショット」をもって「診断」をしたうえで、「介入」を行い、「ポストのスナップショット」をもって評価することができます。
 介入者は、組織の「外」から客観的にそれらに取り組みます。簡単に申しますと、介入者は「ぬりかべ」のようなものに喩えられるかもしれません。
 これが伝統的で、しかもメインストリームの組織開発手法が前提にする組織観です。

 しかし、一方で別の組織観があります。
 それが「右の図」です。
 それは主に3つの意味で伝統的な組織観とは異なります。

 まず、第一のポイントは、組織を「組織を1対1の因果関係が集まる束」といったような安定的なものとみなさず、

「複雑な要素がねちょねちょに絡み合っていて、ときどき、外部から視認できるパターンを示すような、小宇宙みたいなもの」

 とみまします。「シンプル1対1モデル」ではなく、名づけて「ねちょねちょ小宇宙モデル」です。「ねちょねちょ小宇宙」の中には、時折、

 「あれっ、これ、見たことあるわいな!」

 というような「組織の病理」や「組織の癖」が「パターン」として現れる(Emergent)する場合があります。しかし、それは現れては消え、消えては現れていきます。

 第二のポイントは、先ほどが組織を切り取るときに、スライスの数が2つと少なかったのに対して、こちらでは、それが多くなります。

 プレ・ポストの単純な比較ではなく、そのつどそのつど「組織のなかのねちょねちょが、ねちょねちょ?していくプロセス」を、より多い捉えようとします。

 野中郁次郎先生の言葉に、

 「川」を見るな、「流れる水」として見ろ!
 「太陽」を見るな、「燃え続ける火」を見ろ!

 という言葉がございますが、まさに、ここで述べられていることは、そういうことです。

 第三のポイントは、それは組織に対して介入をする主体の位置です。前者のモデルの場合は、組織の「外」に客観的に存在し、観察する位置を保つことができましたが、後者のモデルにおいては、その位置は「内部」に存在しています。要するに、介入者は「組織のねちょねちょ」の中で、「流れる水」「燃え続ける火」をまさにとらえながら、

 1.今、組織はどのような状態にあるのか?
 (What?:組織の描写)

 2.それはどういう意味をもっているのか?
 (So what?:組織の中で起こっていることの意味づけ)

 3.これから何をなすのか?
 (Now what?:今後のアクション)

 を、そのつど、そのつど状況において判断しながら、決めてアクションをとり続けなければならないということになります。これが、複雑性を前提にした組織開発のあり方です。

 これは簡単にサラリと述べますが、「恐ろしいほど」シンドイことでもあります。
 第一にわたしたちは、このような因果関係に歓迎されない複雑さを可視化する概念的道具や方法論を持ち合わせていません。また第二に、自分も、また複雑の系の中の主体のひとつとして「巻き込まれて」います。
 後者の組織観は「述べること」は簡単ですが、「それを表明し、実践すること」は腹をくくる必要があります。

 ▼

 以上、やや戯画的に極端に「2つの組織観」を描き出しながら、ここまで学んだことをざっと論じてきました。
 
 結局、問われているのは

「組織に対して、どんな手法や打ち手をつかって介入するか?」

 ということよりも、

「そもそも組織を何とみなすのか? そして、組織にかかわるあなたは、どんな存在なのか?」

 ということが問われているとおわかり頂けるかと思います。

 僕の学習週間は、まだ、しつこく続きます。
 また、ひまを見つけて、「学びのお裾分け」をさせていただきます。

 そして人生は続く

 ーーー

追伸.
 人材開発の「最先端」と「最新の知識」を、半期13回の講義で学びきる。今年も、僕の主宰するコース「ラーニングイノベーション論」が慶應丸の内シティキャンパスで開催されます。もしご興味があうようでしたら、参加をご検討いただければ幸いです。

ラーニングイノベーション論 2015
http://www.keiomcc.com/program/lin/

ラーニングイノベーション論 2015
(ご登壇いただく講師の先生方:心より感謝いたします)
松尾 睦先生(北海道大学大学院)
難波克己先生(玉川大学)
木村滋樹先生(ヤマト運輸株式会社)
守島基博先生(一橋大学)
服部泰宏先生(横浜国立大学)
金井壽宏先生(神戸大学)
島村公俊先生(ソフトバンクモバイル株式会社)
髙木晴夫先生(法政大学)
高尾隆先生(東京学芸大学)
中村和彦先生(南山大学)
吉田毅先生(ヤフー株式会社)
曽山哲人先生(株式会社サイバーエージェント)
中原 淳(東京大学)
 

投稿者 jun : 2015年2月25日 08:06


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あなたの会社・組織には「改革ゾンビ」が、さまよっていませんか?

 今日も、会社の廊下には、夜な夜な、今にもクタばりそうな「改革ゾンビ」が足をひきずりながらうろついき、あてもなく彷徨っている。あなたの会社には、そんな「改革ゾンビ」が、彷徨っていませんか?

kaikaku_zonbie.png

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   ・
   ・

 昨日申し上げましたとおり、今週の僕は「学習習慣」です。某所にて開催されている、海外から講師の先生を招いて開かれている「組織変革に関するワークショップ」に参加させて頂いております。

 会はまだ進行中であり、関係者・参加者の方々に、ご迷惑がかかってしまうといけないので、この場で詳細を申し上げることは差し控えます。
 が、会を主催してくださっている先生、そして事務局の方々には、この場を借りて、心より感謝いたします。ありがとうございました。

  ▼

 先にも述べましたとおり、この会において、みなが学ぶべきテーマは「組織変革」です。
 組織変革と言われると、なんか大それた気もしますが、そんなときは、デカルトよろしく「困難は分割」してみるとよいのではないかと思います。

 様々な議論があることは承知していますが、ざっくり言うと「組織」は結局「ヒト」から構成されておりますので、「組織が変わる」のは「ヒトが変わること」でもあります。
 なんてことはない、「組織が変わる」といっても、結局は「人がかわること」です。

 僕の専門とする人材開発(人的資源開発)が、「組織変革」を射程にいれはじめ、定義をすこしずつ変更していったのは1980年代くらいからだと自認しています。
 人材開発は、もともと「個人を対象にした試み(個人レベルの試み)」でしたが、その頃から急速に「組織レベルの取り組み」をふくむものに発展していきました。
(これは、近刊の日本労働研究雑誌に小論を執筆しておりますので、もし興味がおありでしたら、そちらをご覧頂きたく思います)

 ▼

 さて、ワークショップ初日の昨日は「組織変革をなすばあい、そもそも組織をどう見立てるか?」ということについて、朝から晩まで学びました。
 今回は、小生、英語で聴くことに集中していたため、夕方くらいには集中力を失い、「意識もうろう子ちゃん」でしたが、まぁ8割くらいは、何とか理解することができました。

 昨日のセッションで、その際でてきたのが、先ほど冒頭の「改革ゾンビ」という表現です。
 なかなか面白く、言い得て妙だな、と思って、ついつい講師の方に、あとでお話を伺いにいってしまいました。

 講師の方曰く、

 一般に、大きな組織には、いわば「ゾンビ」のように生きながらえている「組織改革の試み」がたくさんあるといいます。

 それは、ある時期に、エライ人の「ジャストアイデア」や「思いつき」によって生み出され(Someone hit upon idea!)ました。ゾンビには「生みの親」がございます(笑)。

 しかし、それは不幸なことに、権力者が失脚・交代したか、あるいは、なんらかの理由で、「全く陽の目」を見ませんでした(Essentially, dead)。
 しかし、改革というのは、いったん「大ナタ」を振り上げてしまうと、それを「どっこいしょ」と降ろすのは用意ではありません。

 たいていの場合、

「あのー、まったく申し訳ない、まことに勝手なことだとは承知しておるのですが、今回は、なにとぞ、生まれなかったことにしていただけないでしょうか?」

 と、ゾンビさまに「菓子折り」をおもちして、お願いしにいくことはできないのです、いったん生まれてしまったら(笑)。
 だって、ゾンビの生みの親の「いいだしっぺ」が「権力」をもっていることが多く、大義名分があって生まれてきている。さらに都合がわるいことに、「改革は奏功するまでに時間がかかること」のが常なので、明示的に「とどめ」をさすことはできない(泣)。

 よって、そうした「改革」は、実質は「死んでいる(dead)」のだけれども、いまだに形式上「生き残っており(Living)」、目標をすでに失い、夜な夜な当てもなく彷徨っている(Go nowhere)ことが多いのだといいます。
 これが「改革ゾンビ」!(笑)
 
 この表現を聞いたとき、「うまく喩えるな」と感心してしまいました。
 同時に、この国には、夜な夜な当てもなく彷徨う「改革ゾンビ」がたくさん生息しているな、とも思いました。 改革ゾンビって、こんな感じ?

 みなさんの会社には「改革ゾンビ」が、さまよっていませんか?
 改革ゾンビを見たことのあるひと、手をあげて!(笑)
 あくまで一般論としていいますが、大学には・・・結構、彷徨っているかも。。。(泣)

 ▼

 問題は、せっかく起こす改革を「改革ゾンビ」にせずに、実質的にも「Work(機能)させる」にはどうするか? ということです。
 
 多忙な日々を暮らすわたしたちは、その先の「こたえ」を思わず知りたくなるのですが、まだ初日なので、そこまでは至っておりません(笑)。これから数日間は、おそらく、このことを学ぶのだと思います。楽しみです。

 嗚呼、できるならば「改革ゾンビ」をこれ以上、生み出したくはないものです。ゾンビとして生きながらえるのではなく、自分の人生を全うして、生ききってほしい(笑)。問題は、そのために何ができるか、ですね。

 あなたの会社には「改革ゾンビ」が、夜な夜な、あてもなく彷徨っていませんか?
 
 そして人生は続く

 ーーー

追伸.
 人材開発の「最先端」と「最新の知識」を、半期13回の講義で学びきる。今年も、僕の主宰するコース「ラーニングイノベーション論」が慶應丸の内シティキャンパスで開催されます。

ラーニングイノベーション論 2015(慶應丸の内シティキャンパス)
http://www.keiomcc.com/program/lin/

 ラーニングイノベーション論は、過去6年続いてきた講座で、この13回で、人材開発の基礎基本をすべて学ぶことができます。いまや卒業生は200名以上。人によっては、九州や北陸・名古屋からも受講をしてくださってる方もいらっしゃいます。

 今年の「ラーニングイノベーション論」は、今年も内容を大幅に刷新し、5月からはじまることになりました。
 もしご興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、どうか受講をご検討いただけますようよろしくお願いいたします。募集はまだはじまったばかりなので残席がございますが、どうかお早めにご検討をお願いいたします。まずは話から聞いてみよう、ということでももちろん大丈夫です。どうぞよろしく御願いいたします。

ラーニングイノベーション論 2015
(ご登壇いただく講師の先生方:心より感謝いたします)
松尾 睦先生(北海道大学大学院)
難波克己先生(玉川大学)
木村滋樹先生(ヤマト運輸株式会社)
守島基博先生(一橋大学)
服部泰宏先生(横浜国立大学)
金井壽宏先生(神戸大学)
島村公俊先生(ソフトバンクモバイル株式会社)
髙木晴夫先生(法政大学)
高尾隆先生(東京学芸大学)
中村和彦先生(南山大学)
吉田毅先生(ヤフー株式会社)
曽山哲人先生(株式会社サイバーエージェント)
中原 淳(東京大学)

ラーニングイノベーション論 2015(慶應丸の内シティキャンパス)
http://www.keiomcc.com/program/lin/

投稿者 jun : 2015年2月24日 06:43


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