「−1から1へのリーダーシップ」:痛みをともなう「立て直し」の経験

 先だって、あるところで行ったリーダーシップに関する授業の中で、僕は「たてなおす」ということをテーマにして授業をしてみました。

 リーダーシップと申しますと、やれ「サーバントリーダーシップ」だの「変革型リーダーシップ」だの「リレーショナルリーダーシップ」だの群雄割拠四面楚歌?状態で、さまざまなリーダーシップが主張されています。
 先だっての大学院・中原ゼミで、博士課程の吉村さんがご発表なさった英語レビュー論文でも、その百家争鳴っぷりがよくわかりました(Avolio, B. J. et al(2009) Leadership : Current theories, research, and future direction. Annual review of psychology. 60:pp421-449)。もう、わやだわな。

 が、そういうリーダーシップの「種類」ー学術的タイポロジーには「敢えて」一線をおき、リーダーシップが「街で起こっているどういうリアルな状況」に対して行使されるのかを考えるとき、大きく分けて4つくらいの状態が、組織の中ではよく起こりえるかなと思います。ここでは、それらを敢えて戯画的にわけて、下記に描き出してみましょう。

 1.「0から1を生み出す状況」(新規事業創造系)
 2.「1を生み出し続ける状況」(日常のオペレーション系)
 3.「1を2にする状況」(事業規模拡大)
 4.「−1を1にする状況」(立てなおす)

 「0から1を生み出す状況」とは、いわゆる「新規事業創造系」です。全く何もない「0の地平」から、様々な人々の協力をえて「1」をうみだすのは、リーダーシップといえそうです。
 最近は「0から1を生み出せる人材」のように、こうした人材を求める声が、人事・経営界隈では、よく聞かれますね。

 また2「1を生み出し続ける状況」とは、日々のオペレーションを滞りなくまわす力です。これは、場合によっては「それって管理じゃないの?」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、ここではあえてその是非はといません。
 目標にしたがい、人々を動かすことがリーダーシップなら2も、それに入れてもよいのではないかと、僕は思います。

 次に「1を2にする状況」とは、たとえていうならば「事業規模の拡大」です。タネになる「1」はすでに誰かがつくってできてはいるけれど、それを「2」とか「3」に規模拡大したい。そういうときにも、やはりさまざまな人々の協力は必要で、リーダーシップは行使されるでしょう。

 最後が、先だって授業で行った「−1を1にする状況」、すなわち「立て直す系」です。
 環境変化のせいか、前任者の怠慢なのか、すでに職場の状況は「−1」です。これを何とかして「0」にまでもってきて、さらには願わくば「1」の状況までもっていかなくてはならない。そういうときにも、様々な苦難を乗り越え、人々の協力を得なくてはなりません。こちらは、なかなかのハードシップです。

 で、僕がなぜ、この「−1から1のリーダーシップ」を授業で扱ったのか、というと、実際に、これまでマネジャー向けにおおくの調査をしてきますと、これらの「立て直し経験」を、リーダー就任前に経験することが、想定よりも多いことがわかっているからです。
 僕は、公益財団法人・日本生産性本部さんと「マネジメントディスカバリー」というマネジャー向け調査+フォローアップ研修の開発プロジェクトでご一緒していますが、そちらでも、これに類する結果が見受けられました。

management_discovery2015.png
マネジメントディスカバリー:マネジャー向け調査+フォローアップ研修
https://jpc-management.jp/md/

 もちろん、リーダーとして最前線にたって行動することは限られているにせよ、そうした「立て直し」の局面に、なんらかのかたちでサポートにかかわることは、非常に多いことがわかっています。もちろん、人や場合によって、「組織がひっくりかえるくらいの立て直し」から、「プチ立て直し」までいろいろありますけれども。
 これから職場に出て、人を率いて仕事をする人にとっては、「立て直し」という問題は、「誰かの問題」ではなく、「みんなの問題」なのです。もちろん、程度の差はあるとは思いますが。

 考えてみれば、こうもいえます。
 2「1を生み出し続ける状況」の状態は、いわゆる「日常」そのものなので、これはさておき、要するに、1「0から1を生み出す状況」のように「0の地平」を「ほら、ここから何かを生み出してごらん」と「与えられること」は、もしかすると「希」なのかもしれません。
 また、3のように、すでに「売れるタネができている状態」なら、前任者が手放したり、更迭されることはあまり想定されないので、それを「1を2にする状況」を他者に頼むというのは、少ないのかもしれません。
  
 「−1から1へのリーダーシップ」というのは、初期状態が「−1」であるがゆえに、職場のメンバーに変容的学習(痛みをともなう学習)やアンラーニングを迫らざるをえない局面が出てくることが予想されます。
 しかし、リアルな現場で本当に実際に起こっていることは、そういうドロドロの痛みをともなう状況の中で、何かをつくりあげることであり、そうしたことのリアリティやアクチュアリティを、授業ではお伝えしたいなと思いました。ま、限られた時間の中で、どこまでお伝えできたかはわかりませんが。

 ▼

 最近、自分自身は、「0から1」とか「1から2」とか、そういうことが大切だと言うこともわかりつつも、「−1から1」とか「マイナスの状態をたてなおすこと」にリアリティを感じます。
 別に「マイナス」が好きなわけではないのですが、年齢を重ねつつあるせいか、「綺麗なもの」「まっさらなもの」「これから拡大だけしていけばいいもの」には、相対的に、あまり魅力を感じないのです。これは個人的な問題です。だんだんと、ドロドロ系?が好きになってきました。

「−1」をそのままほおっておけば、マイナスのままです。そうではなく、「−1」の状態から、痛みや苦しみをともないつつ、「1」を信じて、いかに状況を変えうるか。
「街で起こっているリアル」や「誰もが経験しているアクチュアリティ」を、いかに研究の中に盛り込んでいくかが、僕の課題です。

 あなたは「−1から1へのリーダーシップ」を経験なさったことがありますか?
 そして人生は続く

投稿者 jun : 2015年4月24日 06:28


【前の記事へ移動: 「1万人の大運動会」に響く家族の歓声!? : 行ってこい、あとは知らんの「海外赴 ...】  

「1万人の大運動会」に響く家族の歓声!? : 行ってこい、あとは知らんの「海外赴任プロセス」を変える!?

 先だって、ある企業の人事部の方が、数年ぶりに仕事の同僚の方を連れだって研究室にこられました。
 来研の目的は、今後導入する某人事制度に関するご相談で、これに関してはひとしきり議論しましたが、今日のブログは、その話題ではありません。今日の話題は「海外赴任」です。

  ▼

 実は、その方は、最近、アジアのある国の海外赴任からお帰りになったのですが、今、アジアにはものすごい数の日本人が海外赴任なさっているのですね。

 その国の日本人学校には、小中あわせて3000人の子ども達が学んでいるのだとか。3000人ってすごいですね。国内で、3000人の学校ってあるんだろうか。

 3000人の児童の運動会ともなると、こちらもものすごいことになるそうで、お父さん、お母さん、ご家族みなで出かけますから、会場には1万人近い人がつめかけるのだそうです。

 徒競走などは、望遠レンズを使って、「子どもを探す」といった状況が生まれるそうですね。

 政治的には様々な課題が多々あるのでしょうけれども、アジアは、国内企業にとって大きな生産拠点でもあり、販売拠点となっていることは、もはや言うまでもないことです。

 たとえば、自動車とか、大きな製造業が工場をうつせば、それに1次、2次、3次と下請け企業がついていきますので、そうした日本からの海外赴任の人々が積もり積もれば「1万人の大運動会」となるのでしょう。

   ▼

 しかし、この話題のなかで印象的だったのは、その方がおっしゃっていた一言です。 
 曰く、

 海外赴任というのはとにかく「揺れる」んです。ローカルと本社のあいだを揺れるんです。

 海外赴任者は、ローカルの現地社員らとつきあいながら、本社の意向や顔色をうかがいながら、その調整を行うことが仕事の眼目になってきますが、ともすれば「ローカルと本社のあいだを揺れる」。そして、たいていの場合は「ひとしきり揺れたあとで、本社に肩入れ」してしまう。
 その結果、ローカルの人々と、うまくつきあうことができず、聞き取りを行うと、ローカルの人々の不満がかなり出てくる、という結果に陥るのだとか。

 立ち位置的に葛藤を抱えるのはやむを得ないにせよ、もう少し組織としてできることはあるのではないだろうか。

「企業は、ある日突然、"行ってこい!"と命令するで、これまで海外赴任・帰任者にあまり何もしてこなかった。そうした姿勢を見直すときかもしれませんね」

 といった類のことをおっしゃっていたのが印象的でした。

 ▼

 海外赴任の難しさに関しては、小論を拙著「経営学習論」の最終章あたりに、かつて書かせて頂いたことがあります。最も僕が言いたかったことは、

 海外赴任、そして帰任とは、「一回性のイベント」ではなく、「プロセス」である

 そして、

 企業は海外赴任内定から帰任に至る「プロセス」を、整備・支援しなければならない

 ということです。

 今、僕は、ダイヤモンドさんとの新たな共同研究で、

「どのような海外赴任者が、赴任後、新たな組織に適応し、成果を残しているか」

 に関する縦断研究を行っており、ただいま分析の真っ最中ですが、この研究の知見から、もう少し詳細に「プロセスの支援のあり方」が明らかになってくるかもしれません。海外赴任前と海外赴任後の2地点での縦断データを用いながら、海外赴任で成果を残すための規定要因を探す研究です(分析遅れていてすみません!)。

 グローバル化の進展によって、海外赴任は、今後も増えていくのではないかと思います。「1万人の大運動会」に響く家族の歓声を守っていくためにも、組織からの支援や対策が必要ではないかと思います。

 そして人生は続く
 

投稿者 jun : 2015年4月23日 06:21


【前の記事へ移動: 精神論を振りかざしても「勝負に勝てない」理由!? : 「理論」と「根性」の関係を ...】  
【次の記事へ移動: 「−1から1へのリーダーシップ」:痛みをともなう「立て直し」の経験 ...】 >

精神論を振りかざしても「勝負に勝てない」理由!? : 「理論」と「根性」の関係を考える!?

 精神論と理論の関係について、鋭い洞察をなさっている方に、元ラグビー日本代表監督の宿沢広朗さんの言葉があります。宿沢さんは惜しくも若くして病に倒れますが、彼が残した著書「テストマッチ」には、その言葉が残されています。少し長くなりますが、ここで引用してみましょう。

 まず、宿沢さんは、スポーツやラグビーの世界に蔓延する「精神論第一主義」や「ガンバリズム」を相対化しつつ、「精神論」と「理論」の関係を下記のように述べます。

理論と相対するものに「精神論」がある。いわゆる「根性論」や「気合い」や「やる気」といったものだが、精神論第一主義的な考え方は「危険」である。
(中略)
「絶対に勝て」とか「死ぬ気で頑張れ」というのは比較的やさしいことである。 (中略)しかし、本当に必要なことは「絶対に勝て」ということよりも、「どうやって」勝つのかを指導することであり、「がんばれ」というのなら「どこでどのように」具体的にかつ理論的に「がんばる」のか指示することではないだろうか。
(中略)

 つまり、根性論や気合いややる気といったものをいったん「相対化」します。僕の言葉をもってすれば「あとは根性で!」「あとは気合いで!」というのは、「思考停止」を促すワードであるように思います。宿沢さんは、それらの言葉を相対化したうえで、「具体的」かつ「理論的」に指導することの大切さを述べます。

 一方で、宿沢さんの素晴らしいところは、「精神論」を完全には否定しないことです。「理論だけで試合には勝てない」という言葉は、非常に重みをもって感じ入ることができます。僕もそのとおりだと思います。セオリーや考えることだけで試合に勝てたら、苦労はしません。そこには、やはり「思い」や「感情」や「根性」も必要なのです。

精神論を全く否定する気は毛頭無い。理論だけで試合には勝てないことも充分知っている。しかし、理論的な技術、判断力をしっかり身につけたうえで精神論を展開しないと、まったく無意味なことになってしまう。

(中略)

 その上で、下記のように結論づけます。

 要するにスピリットとかメンタルなこと、すなわち精神論的なものは「プラスアルファー」のものであって、あくまで理論が優先すべきものと考えている。精神論だけをふりまわすのは「有害」である。
(同書p53より引用)

 精神論とは「プラスアルファ」のものであって、あくまでそれは理論を補強するためのものであること。そして精神論だけを振り回すのは有害であることです。

  ▼

 いかがでしょうか。これほど明快に、精神論と理論の関係を述べている言葉を僕はあったことはありませんでした。惜しむらくは、宿沢さんが夭折なさったことです。僕はラグビーはやったことはありませんが、一度、彼らの試合を見てみたかったなと心から思います。

「リーダーとは選ぶものではない。育てるものである」
(宿沢広朗)

 そして人生は続く

投稿者 jun : 2015年4月22日 07:20


【前の記事へ移動: あなたは「ことば」で「希望」を処方できますか!?:将来への不安に苛まれる人々に贈 ...】  
【次の記事へ移動: 「1万人の大運動会」に響く家族の歓声!? : 行ってこい、あとは知らんの「海外赴 ...】 >

あなたは「ことば」で「希望」を処方できますか!?:将来への不安に苛まれる人々に贈りたい一言とは?

 わたしたちの発する「たった一言」は、時に、「他人を追い込む刃」として機能したり、「暗雲の隙間から差し込む一筋の光明」を他人に感じさせたりします。可能であるならば、我らが言葉は、「他者」を窮地に追い込むのではなく、「他者」を支える一言でありたい、と願います。

  ▼

 先だって、中井久夫(著)「こんなとき私はどうしてきたか」(医学書院)を読みました。

 著者の中井久夫先生は、神戸大学医学部・教授(精神医学)をおつとめになった希代の臨床家で、1995年の阪神大震災当時、ご自身の経験とネットワークをいかして、絶望に苦しむ患者さんにケアのネットワークをおつくりになった方として著名な方です。

 中井先生の業績、および、その評価に関しては、僕は「専門外」なのでよく知りません。しかし、その著書を拝見するに、著書に綴られている言葉ひとつひとつに、重みと奥行きのある方だなと感じました。プロの臨床家とは、こういう言葉掛けをするのか、と感じ入りました。

 ちなみに、中井先生は、統合失調症における風景構成法の実践・研究でも大変著名な方ですが、本書は、そうした専門の内容ではありません。
 むしろ、著者本人が、日常の臨床場面において、患者にどのような言葉掛けをしてきたのか、どのように接してきたのかを述懐する本でしょうか。内容は、2005年に有馬病院でなされた医療従事者に対する研修会での講義内容の模様です。

  ▼

 例えば、精神科の受診がはじめてでとても緊張していますが、「自分は大丈夫だ」「自分は普通だ」と感じておられる患者さんに、中井先生は、こんな言葉掛けをします。
 以下、同書より引用しつつ紹介してみましょう(以下、中井久夫(著)「こんなときわたしはどうしてきたか」1章より随時引用)。

 先生曰く

「あなたは、一生に何度かしかない、とても重要なときにいると、わたしは判断します」

 こんなとき「わたしは判断する」というIメッセージを用いるのは、「自分が責任をもって、対応しますよ」というメッセージを患者さんに伝えるためです。

 そのうえで、

「ここでしばらく過ごしたら、よいほうに変わってくるよ。 / 人生に、ひょっとしたら二度、三度しかないような大事なときというものが、ときどきあるもんだよ」

 とも患者さんに伝えるのだといいます。

 医師にとっては「毎回繰り返される光景」でも、患者さんにとってみれば「生まれてはじめて」ということも少なくありません。けだし「経験の非対称性」は、専門家にとって、非常に大きな可能性、ないしは、誤謬を生み出すと、僕は思います。
 事実、「患者さんが、今生まれて初めての瞬間」を迎えていることが認識できると、随分、患者を見る風景が違ってくると中井先生はおっしゃいます。そうした方に、ことの重大さを認識させつつも、しっかり責任をもつことを伝えるといいます。

 しかし、そうした言葉掛けをしてみても、「わたしはこれからどうなるのでしょう?」と聞かれる患者さんもおられます。実際、患者さんの立場からすると、そう聞きたくなるのだと思います。少なくとも、僕がそうなら、そう聞きたくなります。

 そんなときの言葉書けについて、中井先生は、非常に興味深く、しかし、これ以上の表現はないと思われるようなメタファで、その対処を語ります。

 それが、

 「希望を処方する」

 という表現です。

 医療従事者にとって何よりも大切なのは、「希望を処方すること」ーすなわち、「あなたは大いに変わりうる」ことをしっかりと伝えることだと言います。しかし、嘘はなく、かつ、患者に「こびない表現」で。

 曰く、

「医療と家族とあなたとの三者の呼吸があうかどうかによって、これからどうなるかは、"大いに変わりうる"」

 ここでは「絶対に治りますからね」と安請け合いをしているのではありません。しかし、それでいて、患者が希望を感じられるようにする。つまり「幅がある」「可塑性がある」「変わりうる」ことを、ひとことひとことを選び、しっかりと伝えます。

 中井先生はおっしゃいます。

「患者さんというものは、こういうときの言葉の一語一語を何年たっても覚えています。患者さんにとっては、ほんとうに人生ののるかそるかのときですから、切迫感があるんです。 / 患者さんはしっかり聞いています。何十年たっても覚えている・・・」

 そのうえで、

「君の側の協力は、まず第一に都合の悪いことを教えてくれることだ」

 と御願いをするのだといいます。このように医療従事者が判断を間違わない素地を、患者の協力を得ることでつくりあげておくことが重要であるといいます。

 ▼

 本日、このブログでご紹介した中井先生の言葉のひとつひとつは、専門の臨床家が発するものであり、僕を含む一般の人々は、日常的に、そこまで、一言を選んで発することはありません。また、ふだんわたしたちが接している現場とは、中井先生が対峙している現場ほどには切迫してはいません。

 しかし、中井先生の一言ひとことの選択からは、私たちは学ぶことは非常に多いように思います。「妙にへりくだる」のでもなく、さりとて「尊大に振る舞うのでもなく」、こちらが大切だと思われるメッセージを伝えつつも、希望を実感してもらう。

「言葉の選択」とは「意志」であり「目的的行為」です。

 わたしたちは聖人君主ではありませんから、すべての言葉が意図通りをなしうるわけではありません。しかし、可能であるならば、自らの言葉が、他者の「助け」になりつつ生きていきたいものです。
 
 専門職ではないわたしたちに「希望を処方すること」はできません。「処方」はできない。
 しかし、願わくば他者に対峙するとき「希望を贈りたい」と感じました。

 あなたの言葉に「希望」はありますか?

 そして人生は続く

 ーーー

追伸.
「人事・人材開発の最先端」をご紹介している「人事よ、ススメ!」も好評発売中です。発売から1ヶ月以上がたちますが、AMAZON「人事管理」カテゴリー等で「1位」を記録しつづけています。人事、人材開発の最先端の考え方、理論、実践についてご興味のお持ちの方には、おすすめの内容です。こちらもどうぞよろしく御願いいたします。

 また「教師の学びを科学する: データから見える若手の育成と熟達のモデル」が4月末発売です。脇本さん、町支さんが中心になって著し、中原は監修を担当しました。我が国は、これから未曾有の「教師入れ替わり時期」に突入します。経験の浅い教員の育成にご関心がおありな方はぜひご高覧いただけますと幸いです。

投稿者 jun : 2015年4月21日 07:06


【前の記事へ移動: 「今日のコンディション」を教えてくれる「毎朝の習慣」!? 】  
【次の記事へ移動: 精神論を振りかざしても「勝負に勝てない」理由!? : 「理論」と「根性」の関係を ...】 >