プロフェッショナルって難しい

 以下、近況。

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 4月からの新・研究部門立ち上げ等、なんだかものすごい勢いで仕事が入ってきており、忙しい毎日を過ごしている。

 今日は、新研究部門に着任予定教員のお二人、そしてアシスタントの方が、今日、大学総合教育研究センターにご挨拶にいらっしゃった。

 新しい研究室で使用するファニチャーをあーでもない、こーでもないと選んでいるのを見ると、なんだかこちらも楽しくなってくる。つい1年前、自分もここに同じようなかたちで着任したことを思い出した。

 1年は残酷なほど短い。

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 東京大学の「教育の情報化」の礎をつくられた先生が、今年、定年退官を迎えられる。夕方、某センターにおいて開催された送別会に参加した。

 先生の新天地でのご活躍をお祈りしつつも、まだヨチヨチ歩きをはじめたばかりのTREEの活動(Todai Redesigning Educational Environment)をもう少し見守って頂きたいと思った。

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 「そろそろ定期健康診断の季節ですよ」・・・僕は、定期健康診断を年に2回受けることにしているけれども、そのお知らせが、今日届いた。半年間は、本当に早いなぁ・・・悪くなってないとよいけれど。

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 ベネッセコーポレーションの中野さんが届けてくれた「BETWEEN」の特集記事「教員養成システムの論点―どう育成し、質をどう維持するか― 」を読んで、とても考えさせられた。中野さん、ありがとう。

BETWEEN
http://benesse.jp/berd/center/open/dai/between/2006/1201/1201main.html

 その中で、佐藤学先生が下記のような指摘をなさっていた。

>欧米のプロフェッショナル・スクールは、
>専門家教育を公共的使命とする大学院と
>して規定され、医師、弁護士、牧師、教
>員、経営コンサルタントなど、知的に高
>度な仕事に従事する公共的な専門家の教
>育を担っている。それらの大学院では、
>第一級の学術研究が専門家教育の基礎と
>されている。もちろん実務家が教授を務
>めているわけではない。

>米のプロフェッショナル・スクールと違
>って、日本の専門職大学院は、学術研究
>と実務家教育の対立という構図で制度設
>計されている。専門家教育ではなく実務
>家教育が目的である。法科大学院を除く
>。ほとんどの専門職大学院は、「専門学
>校のような大学院」になってしまってい
>る。これは、専門職大学院の制度設計の
>最大の誤りである。

 このご意見には、まったくの同感である。

 どこか日本の専門職大学院の制度設計は、「実務家 vs 研究者」という対立構図があって、「実務家=役に立つ vs 研究者=研究ばっかりやっていて役にたたない」みたいな前提があるような気がしてならない。研究歴のない人が採用される傾向も非常に強いようだ。

 しかし、むしろアメリカのプロフェッショナルスクールで採用されている人材は、「研究もできて実務経験もある人」「実務経験があって、研究(学問)もできる人」というイメージがある。事実、Ph.Dを取得している人がほとんどであると思う・・・少なくとも、僕の知っているボストン近郊の大学は。

 誤解を避けて言うが、Ph.Dを取得しているかどうかを問題にしているのではない。「研究ができて、実務もわかる人」「実務経験があって研究もわかる人」・・・つまりは、どちらもできることが重要なのではないかと思う。

 プロフェッショナルの定義は、いくつか要件がある。その中には、現場での問題解決に資する、というのと同時に、体系的な知識を有するっていうのもある。

 知識だけでプロフェッショナルにはなれない。そして同時に、実務経験だけでもプロフェッショナルにはなれない。

 プロフェッショナルになることって、そもそも難しい。

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追伸.
 カミサン、しばらくはいていなかったジーンズを、今日、仕事場に着ていき、ふとももに「赤いブツブツ」をたくさんつくって帰ってきた。「カユイ、カユイ」とウミガメのような涙を流す。

 なんの虫?

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