ウォルター・オング著「声の文化と文字の文化」

 今月も湯河原で開催された某研究会に参加させていただいた。

 たとえほんの数時間であっても都心を離れ、ネットからdisconnecedされた環境で「ものを考える」のは、僕にとってよいリフレクションのきっかけになるようである。お誘いいただいた方々に、感謝いたします。ありがとうございました。

 今回の研究会のテーマは「物語」。このテーマのもと、様々な内容に関してダイアログがなされた。個人的にもっとも関心があったのは、「人間が口承で知識を語り継ぐ場合に、どのようなことが起こるか?」ということであった。

 この問題を一生かけて追いかけた学者で、僕の脳裏にまっさきに思い浮かぶのは、言語学者のウォルター・オングである。

 オングは「声の文化と文字の文化(Orality and Literacy)」において、口承で知識を語り継ぐ文化を「声の文化」とし、文字の読み書きによって知識が伝承される「文字の文化」とは、人間の思考、記憶の形式、行動に違いがあることを明らかにした。

 たとえば、定義、推論、といった、ブルーナーの論理的-科学的様式に属するような抽象的・分析的知的活動は「文字の文化」に特有のものであり、「声の文化」にはない特徴である。

 「声の文化」は客観的な分析的思考を好まない。それは累加的、累積的、冗長性をもった伝承が行われる。口承でモノゴトがつたえられるため、個々人の感情移入が容易になされ、状況依存的な思考でありがちである。

 ごめん、本は研究室にあるので、正確には覚えていないが、確か、大筋はこんなところだと思う。

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 僕が、オングを読んだのは、学部時代である。当時何かとお世話になっていた助手さんを中心に「メディアと学習」に関する研究会が開かれ、そこでこの本を読んだ。

 それから12年・・・まさかこんなところで、もう一度、オングに出会うとは思わなかった。

 明日、大学にいったら、もう一度、ちゃんと読み込もうと思う。

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追伸.
 TAKUZOは入院中です。熱性けいれん&高熱で入院したのですが、さらに病院でロタウィルスにかかりました(泣)。ピーピーです。一時はどうなることかと思いましたが、少しずつ元気になりかけています。

 ベットの関係で、親が24時間つきっきりの看護をするか、病院に預け一日に数時間の部分的面会をするか、選ぶことになりました。僕も妻も仕事をもっているため、24時間つきっきりで看病を行うことができません。

 仕事を終えて病院に向かいます。夜、TAKUZOを寝かしつけて家に帰ります。起きて目を覚ましたときに、真っ暗な病室の中で、ひとり泣いているのではないか・・・。そんなことを考えると、胸が張り裂けそうな気持ちになります。

 ロタを煩ったこともあり、結構、長丁場になりそうです。仕事場 - 家庭 - 病院の往復運動は、しばらく続きそうです。