キャシー・クラム著 メンタリング

 あの人に、あの時に出会えていれば...

 多くの人が、そんな「切ない想い」を胸にたたみ込んだことがあると思います。僕の短い人生のあいだにも、そんな経験がないわけではありませんでした

 もちろん歴史に「もし」はありません。実際には「出逢えなかった」が故に「今」があります。そんなことはわかっている。だけれども、人は、つい「もしもの世界」を思い浮かべてみたくなるようです。

 ただ、僕の場合、「もしもの世界」は「人間」に対してだけでないようです。「本」に対しても、同じような感情をもつことがあるのです。

 あの本のことを、あの時に、知っていれば...

 キャシー=クラムの書いた「メンタリング」を読んだとき、僕は、真っ先にそう思いました。

「もし万が一、今から5年前にこの本に出逢っていれば、僕の書いた論文のいくつかは、より論理がシャープになっただろうに・・・」

 英文法参考書の「仮定法過去の例文」のような感情とでもいうのでしょうか。読後の感想に忸怩たる思いを持ったことを、正直に吐露しないわけにはいきません。

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 「メンタリング」で著者キャシー=クラムは、数十名の上司 - 部下のペアにインタビューを行い、1)メンタリングではいったいどのようなことが行われているのか?、2)上司と部下の関係は、どのように発展し、緊張状態におかれ、その後、解消されるのか、を論じています。

 このような問題関心のもと、クラムは、1)メンタリングの機能タキソノミー、2)メンタリングの発展プロセスを理論化しました。

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 今から5年前、オンラインコミュニティの維持、発展などがずいぶんと研究の中心的な課題になりました。

 その際、多くの研究者の関心にのぼったのは「先輩学習者から後輩学習者に対するオンラインでのケアには、どのようなことが必要なのか」でした。もちろん、オンラインだけでなく、F2Fの場であっても「共同体」を形成しようという場合には、同型の問題が起こります。

 が、しかし5年前の議論は、教育工学や認知科学に閉じたものだっただけに、オンラインの学習者ケアを考える際、経営学におけるメンタリング研究の知見にまで踏み込むことはできませんでした。

 あの本のことを、あの時に、知っていれば...

 既にパブリッシュしてしまったものに、僕は、もう書き加える術を持ちません。しかし、この世に人のいる限り、学習の共同体は、今日もどこかにつくられています。

 まだ遅くはないかもしれません。