Happy christmas! : ちょっぴり昔話

「中原さんは、東大教育学部をでて、阪大大学院に進学して、なぜ研究をやろうと思ったのですか? ちょっと、経歴変わってません?」

 先日、ある学部生から、こんなことをあるところで聴かれました。大学院に進学したいと思っているらしいのですね。で、身近にいる見るからに暇そうな(!?)僕に聞いてみよう、と。

 
 
 
 
 
 ・・・うーん、何でだったかなぁ・・・・。
 アンタ、笑顔でサラッと、いいこと聞くねー(笑)。
 
 
 
 
 
 まず第一に断言しますが、僕は、学部時代とは異なった大学院に進学して、そこで僕は教育工学という学問と向き合ったわけですけれど、それで心からよかったと思っています。じゃあ、それはなぜだったのか。

 細かいことを言えば、当時、いろいろな状況がありました。前にもお話したかもしれませんが、当時の指導教官だった先生が、もう定年が近かったことが、阪大に行くことになったきっかけのひとつです。

 でも、考えてみれば、それは阪大に進学したことの理由にはなりますが、教育工学をやろうと思った理由にはなっていません。

 昨夜、昔を思い出しながら、それを少しだけ考えてみました。下記、それを少しお話ししたいと思います。

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 僕の学部時代、教育学部でならった授業を思い出しますと、少なくとも僕の印象では、「教育の現場で作動するミクロな権力を明らかにする研究」が多かったように思います。

 もちろん、これは僕の印象でしかないし、僕がとった授業に偏りがあったのかもしれない。でも、多くの授業では、そういう研究が最先端だ、と紹介されていた気がします。

 どちらかというと、

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1.教育の本質とは~だぞ、みたいな形而上学アプローチの研究]

2.○○教育学と語られるもの

2.効率的な学習の方法、教育の方法はこれだ!、みたいな工学アプローチの研究

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 は「ちょっと時代遅れだよなぁ」といった雰囲気がありました。クドイようですが、これは僕が学生として受け取った印象です。

「教育の現場で作動するミクロな権力を明らかにする研究」というと、人類学アプローチとか、社会学アプローチの研究ということになりますね。

 当時は、エスノグラフィーとか、エスノメソドロジーとか、そういう方法論が教育学研究、学習研究に入ってきた時代で、教育現場で作動するミクロな権力、恣意性を、つまびらかに明らかにしていました。

 そういう研究が伝えたメッセージはこんな感じだったように思います。

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 世間一般のイメージでは、教育は「善をもたらす清らかなもの」と思われているけれど、それだけっつーのは、ちょっと違うんだよねぇ。教育は、ある種の暴力になることだってあるし、不平等をつくりだしているんだよ

 ○○教育で学ばれているものは、○○だけじゃないんだよ。むしろ、○○が学ばれないことの方が多く、教師の意図せざるものが、「隠されたカリキュラム」として学ばれている。何かを教えたことをもって、イノセントに、何かを学んだ、とは言えないんだよ。
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 うーん、オレが言うとあまりに陳腐だ(笑)。まぁ、気にしないでください。もし興味があったら、原典に当たってみてくださいね。

 まぁ、ともかく・・・。上に述べたようなことを、日々、「ふむふむ」と学んでいたような気がします。なるほど、と膝を打ちながら(笑)。

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 こういう研究、教育社会学の言葉でいうと、解釈学的アプローチというのかな。もっと広い思想史的な位置づけをすると、構造主義的なアプローチといってよいかもしれません。

 まぁ、こういう研究の他には、さらに先をいっている研究もあります。「教育研究」それ自体がもつ権力性というか、教育研究のエクリチュールそのもの、研究者の権力性が、そのものを対象にしちゃうのまであった。

 これはちょうどあれですね、さっきのが構造主義だとすると、いわゆるポスト構造主義的なアプローチといってよいかもしれない。

 人々の振る舞いの背後に「隠された構造」を明らかにしている学者のエクリチュールそのものを、対象にしちゃうぞい、みたいな研究です。

 こういう研究はね、聞いていて、まさに「目からウロコ、鼻から豆乳」的な衝撃を受けました。

 ひえー、スゲーな。そこまで真摯に問い続けるか、という感じです。ゾウリムシレベルの単細胞中原、そんなこと、考えたこともなかったからね。

「教育ったらいいものだろ」「研究者って中立で科学的なものだろ」と素朴に思っていましたから。僕は、教育や研究にヒューマニズムを感じていた学生の一人だった。

 でも、こういう研究に僕は圧倒されちゃった。で、なぜだかわからないのですけれど、次第に、僕は言葉を失っていたのです。

 教育学部に進学した当初は、自信たっぷりに雄弁に教育を語っていたのに(これも危ない)、なんか、語り得る言葉をすっかり失ってしまった。

 一言でいうと、「この後、何があるのかなぁ」みたいな感じ。「ここまで言われちゃったら、それ以上、僕に何ができるんだろう」という感じです。そんな、ある種の虚無感を感じていました。

 こういう傾向は、僕だけではなかったように思います。まわりの学生たちも、多かれ少なかれ、そうだったんじゃないかな。

 何をすればよいのか、次にどこに向かうべきなのか、がわかんなくなってきた。
「教育学って何だろう」とか、「教育研究っていかにあるべきなんだろう」みたいなところまで疑いはじめるんですね。しまいに、なんで、オレ、ここにいるんだろう、みたいな感じまで、問いが無限遡及しはじめる。

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 でも、僕の場合、だんだんと少しずつ疑問がわいてきたんですね。一言でいうと、「僕にはこれ以上何もすることができないんだろうか」という疑問です。

 もちろん、誤解を避けるために明言しておきますが、先ほどのような構造主義的、ポスト構造主義的な教育研究のあり方が間違っているということでは断じてない。そうした研究はとても重要です。今だからこそ、価値はさらに高まっているでしょう。

 でも、これはキャラといってしまえば「ハイ、それまでよ」なんだけど、僕は生来、おしゃべりで、多動気味で、脳天気なところがある(笑)。

 そういう自分の性格から考えて、どこかアクチャルで、Tangibleなモノの創造にかかわっていきたい、という思いがありました。なんか「でも何かやりたいよなぁ・・・」って気したのです。

 そこで、僕はこう考えることにした。一言でいうと、

 それでも、明日も、教育は止まらない
 
 こう言い切ってしまうと蒙古斑的な青さがある(笑)。

 でも、「それでも、明日も、教育は止まらない」のであれば、「教育の暗部」「教育研究の暗部」を抱えつつも、それを膝にかかえつつも、何かを創り出すということができないか、のだろうか、と真剣に悩んだ。

 それはもしかすると、僕自身が「暗部」に荷担することになるのかもしれない。「大きくなれよー」じゃなかった、「黒くなれよー」みたいな(なんかのCM)。いや、確実にある意味ではそうなる。でも、それにもかかわらず、チャレンジしてみたい、と思ってしまったのです。

 ここで重要なのは、「暗部を抱える」というメタファです。断じていいますが、こういう決断をした僕は、ポストモダンの思想が明らかにしたことに関しては、何一つ解決していない。だけれでも、僕は無反省にそういう決断を、確信犯的にした。

 否、正しくは、研究者として僕がやっていけるのだとしたら、そういう可能性しかないのだろうな、と思ったのです。それが、僕という人間が、研究者になった場合に背負う「業」なのではないか、と。

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 要約します。僕はこういう決断をした。

 まずは、ポストモダンの闇を抱える。それはきっと僕から一生離れては消えない。その上で、権力にまみれつつ、過去の先行研究、知見に基づいて、エビデンスを担保した上で、「よい」と思われるものを創り、なるべく誠実に、人からフィードバックをもらったり、評価したりすることを選んだ。

 その道は、哲学的に考えるとピュアじゃないと言われるかもしれない。だけど、僕はそうせざるをえませんでした。一言でいうと、「十字架らしきものを背負って、一生指をさされる覚悟」をしました。「構造と力」風にいうならば、「シラケつつノリを創り、ノリを創りつつシラケル」態度を決め込んだ。

 誤解して欲しくないので言いますが、僕は、人文社会諸科学の知を切り捨てた、とか、自分のとった選択肢がそれよりも素晴らしかった、と言いたいわけでは断じてない。

 もちろん、「だから日本の教育学部はダメなんだ」「日本の教育学部は実践的じゃない」とか、そういうしょーもないペンペン草もはえないうようなことを言いたいわけでもない。そう思われたのだとしたら、それは100万パーセントの誤解だ。

 今日の話は、ある程度、人文科学の知識がないと、何いってんだ、という話かもしれないけれど、そういうことじゃないんです。そうじゃないんだよー。

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 とにもかくにも、僕がそんなことを考えていた頃、折しも、当時、ちょうどインターネットという言葉がだんだんと世の中でも使われ始めてきて、CSCL研究(Computer Supported Collaborative Learning:コンピュータを活用した協調学習研究)という領域が立ち上がった。

 東大では、よくCSCL関係の研究会が開かれていました。海外で創られたいろんなシステムが紹介されていた。僕は当時学部3年生、4年生。有名な先生方にまじって、研究会に参加していることが、本当に楽しかった。

 ただ、先ほどのような研究が流行っているということになると、、自ずとCSCLに関しても、「コレクトとされる問いの立て方」は、こんな感じになる。

「コンピュータが現場に導入されるプロセスを観察し、そのポジティブな影響とネガティブな側面を語る」

 事実、僕はこれで卒業論文を書きました。だけれども、大学院に行ったら、これとは違った問いの立て方をしてみたくなりました。かくして、僕は大阪で暮らし始めました。
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 大阪に行ったのは、今から10年くらい前のことになります。今でも思い出すけど、一番最初の大学院のゼミのときには、自己紹介があった。そのとき、僕は自分の将来を、不遜にも「哲学する工学人」になりたい、と言いました。

 きっとね、僕は、ある意味で、イノセントに目を輝かしてモノをつくることはできないんじゃないかな、と思っていたんでしょうね。「新しい機能できたぜー」と言いつつも、どこかで、「あー、これがもたらす帰結は・・・ムムム」となってしまうというかね・・・。

 でも、それにしても、不遜だねー。M1が「哲学する工学人」とは、何様だ、何ザレゴト抜かすか!って感じだよね(笑)。みんな寛容な人たちでよかった。

 でも、僕はそう思ったのです。もちろん、それがよかったのかどうかわかりません。その方向性が正しいかどうかも。とにもかくにも、今に至っているというのが現状です。

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 うーん、こんな昔話が、誰の何の役に立つのか知らないけれど、なんか、熱っぽく書いちゃったねぇ。

 自分でもわかんなくなってるので、他の方が、ましてや先の学部生さんにわかっていただけるかは、いささか心許ないのですが。

 でも、誰にでも大学院に進学するときには、きっと決意とか、物語とかあるんじゃないかな、と思うんですね。大学院進学に悩んだら、そういう物語を聞いてみるといいのではないでしょうか。
 それで、大学院には行くのを辞めたくなっちゃうかもしれないけどね(笑)。

 また飲んだときにでも話そう、この話題(笑)。それがいいよ、絶対。それまでには、もっと雄弁に語れるようにしておきます。

 よい週末を!。そうだ、Happy x'mas!、いい夢を。
 なんじゃ、そのオチは(笑)。

 おやすみ。