新しいアイデアをどのように発想するか?

 先日、山内・中原研究室の合同合宿が熱海で開かれました。いろんな意味で、熱い?合宿でした。幹事だった館野君、三宅さん、平野くん、お疲れ様でした。

 合宿では、特に「研究方法論や研究計画の大切さ」に関して、何度も何度も話しました。

「壊れたラジオ」のように、同じことを、手をかえ、品をかえ、表現をかえて、何度も何度も話したつもりです。きっと、わかっていただけたものと信じています。

 ---

 ミーティングでは、いろんな話をしましたが、僕としては、合宿の最後で語られた以下の問いが、とても気になっています。

「どうやって、新しい研究のアイデアを発想するのか」

 言葉を換えるのならば、ある種の「洞察」「ひらめき」をどのように発揮するか、ということになります。

 そのときは、思うにまかせて答えましたが、あとで整理してみると、いくつかの側面から多面的に、新しい研究を発想し、企画していることがわかりました。

 僕が新しい研究を生み出すときには、下記のようなプロセスをとるような気がするのです。
 
 ---

1.知的好奇心
2.オレが欲しいかテスト
3.カミサンテスト
4.よのなかアンテナからわきおこる制約
5.仮想敵さがし
6.自分の研究プランの立案

 ---

 まず何よりも真っ先に来るのは、「知的好奇心」ではないかと思います。月並みなのですが、ウソをつくわけにもいかないので、しゃーないね。

 自分が「好奇心がある」のかどうかはわかりません。ただ、人と比べて、かなり「ストライクゾーンは広い」と思います。よく言えば、「知的好奇心ありまくり」。悪く言えば「浮気性」。きっと、後者なんだろうけど。

 納豆は嫌いですし、話の長い会議はもっと嫌いです。ですが、僕は学問領域に「好き嫌い」はないのです。

 生物だろうと、経済だろうと、経営だろうと、医学だろうと、必要と思えばどんな本でも読みますし、よせばいいのに首をつっこみます(理解しているかは別問題)。で、自分とは違う領域であっても、何でもオモシロイと思えることは確かです。

 何かをオモシロイものを見つけたとき、僕は、その内容を「研究ネタ帳に密かに書き記しています。それには「紙」というソフトウェアを使っています。いつ役に立つかはわからないのですが、備忘録ということで。書き記したネタの99%は棄てられるのですけれども。

 ---

 次に思考実験してみるのは、「オレが欲しいかテスト法」です。オモシロイと思ったアイデアでも、「うーん、オレだったらいらねーな」と思ったものは、すぐに棄てます。

 研究として成立するネタであっても、棄てます。論文は書けそうでも棄てます。昔は棄てられませんでしたが、今は思い切って、棄てます。ポイポイ。

 冷めた目ではなく、情熱をもって研究を進めたいのです。そのためには、「オレも欲しいと思っているものをつくる」というのは、非常に重要だとわかったからです。

 ---

 「オレが欲しいかテスト」もクリアした。その頃になると、僕は、身近にいる同僚に、自分のアイデアをしゃべっていると思います。

「あのさ、こういうの考えたんだけど、どう思う?」
「こういうの、もしあったら、使う?」

 僕は、自分のセンスに自信はありません。センスのない人間にできることは、二つです。

 自分のセンスを磨くか
 センスのある人を見方につける

 です。

 でも、「自分のセンスの磨き方」をあいにく僕は知りません。なので、後者を選びました。

 そこで、センスがいいなぁと思う研究者仲間にすぐ相談するのです。

「うーん、これって、既に○○があるんじゃないの?」

 と言われたり、

「うーん、イマイチ」

 と言われたりします。

 そういうときは、「そっかー」と素直に引き下がることが多いです。だって、本当にそう思うんだもん。いかに自分が根拠なく、「熱」にとりつかれていたかがわかる瞬間です。

 研究者仲間と同時に「カミサンに聞く」ことも忘れません。

 カミサンは、テレビ番組をつくっているディレクターです。ディレクターというのは、「一般の人に、受け入れられるアイデアの幅」をよく知っています。ですので、率直に聞きます。

「もひとつやなー」

 と言われたり、

「それ、こうなったら、いいじゃないの?」

 と言われます。

 カミサンに聞いて、「もひとつやなー」という「ダメだし」が出たら、すべてアイデアを棄てます。昔は棄てられませんでした。が、今なら棄てます。別に、カミサンマンセーなわけではありません。教育工学研究の場合、研究の出口は、「一般の人」なのです。ですので、その可能性がないものを、それ以上、僕個人は追究したいとは思わなくなりました。

 ---

 次に活躍するのは、「よのなかアンテナ」です。別に、僕は「デムパ」ではありません。ただ、世の中の動きについては、かなり敏感に感じ取れるよう、努力はしているつもりです。

 主要なブログのヘッドラインを1日に数百ほど目をとおします。また、雑誌の類は、週に2日程度本屋によって、ざっとチェックします。新聞は、毎朝、切り抜きをするのが趣味です。

 そうやって集めた情報の中から、「自分のアイデアが、今、世の中で受け入れられるか」を検証します。

「アカデミズムは、流行・廃りに敏感になる必要などない。真実を追えばよい」

 という方もいらっしゃるかもしれませんが、僕個人は、そう思いません。

 僕の追っているものは、モノのコトワリではなく、人間の営みです。人間、この非合理なもの。追っているものが人間である場合、その「真実」こそが、常に移ろいゆくものだと思います。

 また、僕の考えでは、自分の専攻する「教育工学」を煮詰めていくと、結局は「教育のカイゼンにつながる可能性が高い」という1点が残るのだと思っています。ですので、「カイゼンに対するニーズ」があるのか、ないのかを検証することは、大変重要だと思っています。

 ---

 いよいよ大詰め「仮想敵探し」ですね。

 要するに、「先行研究をガガガと読み込んでいって、誰が何を言っているのかを調べる」ということです。

 僕の場合、数日かけて、図書館にこもってしまったりすることが多いです。あるいは、数十冊を関連書籍を「大人買い」して流し読みする。

 まとめ読みするのは、時間がないからです。毎日少しずつコツコツと読めるとよいのですけれど・・・なかなか専門書をそういう風によむ時間がありません。

 この文献調査では、自分のアイデアが、誰のどの意見と、どの点で違っているのかを調べます。ひとつひとつの文献の引用情報と主張をテキストエディタに書き込んでいきます。自分のアイデアとの相違を書きます。

 ここまでくると、100件あったアイデアは、ほぼ1つになるものです。

 「これしかありえん」

 といったものだけが残ります。

 ---

 で、研究計画を書くのですね。研究計画の書き方は、合宿でもさんざん述べましたように、基本は、

 One paperは
 One Problem
 One Solusion,
 One Method,
 One Conclusion

 です。これらが、すべて一貫した「一本の糸」でつながっていればいいのです。偉そうに言っていますが、これは、僕が指導教官から教わった「受け売り」です。決して「じゃんがらラーメン・全部入り」のような研究計画を書いてはいけません。

jangara.jpg

 おいしいからといって、「めんたいこ」「豚角煮」「たまご」「チャーシュー」・・・全部いれちゃダメなのです。

 心を鬼にして、ひとつに絞ってください(複数設ける高等テクもありますが、それはもう少し経験値を積んでからやってみたほうがいいのではないかと思います)。

 ---

 今日は、「僕の研究の発想法」について、そのプロセスを書きました。なんだか合宿の延長みたいになっちゃったけど。もちろん、発想法なんて、いろいろあるでしょうし、僕なんかのそれは反面教師として読んでいただくのがいいと思います。

 そして人生は続く。