学者の役割

 先日、某大手出版社の編集者とお話していたときのことです。その方とは久しぶりにお逢いしたので、しばらくのあいだ世間話をしておりました。

 そのときに、「日本で最も有名な経営学者の先生」のお話になりました。その先生は、多くの企業トップの方々から尊敬を集めていらっしゃる方です。仮にA先生と呼びましょう。

 その編集者の方いわく、これまで彼は、何度か、企業トップの方とA先生が直接お逢いになる機会をセッティングなさったことがあるらしいのですね。

 企業トップの方は、A先生の理論に感銘をうけ、ぜひ、会社の方針についてコンサルティングを受けたかった、ということでした。

 もちろん、企業トップもA先生もとてもお忙しい方なので、奇跡的にスケジュールがあったらしいのですが、とにかく、短い時間ではあるけれど、話をする機会があった。

 で、時間も限られているので、当然、すぐに会議は本題に入るものだと思っていた。編集者の方としては、会社の方針等に関して、具体的な討議がなされるものだと思っていたらしいのです。

 ですが、いつまでたっても話題が本題に入らない。むしろ、本題というよりは、彼らは寓話を話している。

 経営学者の先生がポツリポツリと寓話を伝え、企業トップの方は、それに従って、質問をしたり、自分の考えを伝える。論理的に根拠をもって意志決定を行う、というのではない。

「アリが列をなして歩いています・・・その際、アリには前のアリに続いているという意識があるでしょうか・・・」

 そういった感じのやりとりが続く。
 どちらかというと、メタファがメタファをよぶ会議であった。どんどんと寓話の意味を模索する会議だったそうです。結局、会議はそうした実践性の低い話題に終止し、終わった。

 会議室をでるとき、編集者の方としては、「あー、この会議は失敗だった」と思っていたそうなのです。ですが、結果は予想を裏切るものであった。

 後日、企業トップの方からは、「わたしは、あの会議で、会社の重要な方針を決定することができた」と感謝の言葉をいただいたというのです。

 ここが非常にオモシロイ。

 上記でA先生と企業トップの方がおこなった「やりとり」は本質的にどういう意味をもっていたのか? そして、A先生の役割とはどういうことにあったのか?

 この事例からは、いろいろな教訓が引き出せると思うのですが・・・いかがでしょうか?