「見える化」と「見せない化」

 巷では「見える化」という言葉がビジネス界で、ちょっとした流行になっているのだという。

「見える化」とは「可視化」のこと。仕事場では「目にはついているけど、気のつかない事柄」を「見えるよう」にしておく工夫のことである。常に問題が発見出来るように、また異常などがおこった際には、すぐに気がつくようにしておくといったようなことをさす。

 非常に広い概念で「コミュニケーション」や「スケジュール」などを相互にわかるようにしておくことも、「見える化」のひとつになるという説もあるようだ。下記のような本も出版されているようだ。

 僕は過去数年間「オンラインコミュニケーションを見える化」する研究 - これを専門用語ではアウェアネス研究というが - に力をさいていた時期がある。

 はじめて「見える化」にチャレンジしたのは、今から5年前。MELLOWシステムというものであった。それがきっかけとなって、iTreeという携帯電話iアプリを開発したり、望月君との共同研究に参加させてもらってiBeeというソフトを共同開発したりした。

 3つほどシステム開発研究に従事したので、僕には「見える化」のもっている可能性も何となくわかるし、「見える化」の対象が、こと「オンラインコミュニケーション」に限定されるのであれば、その限界も、何となくはわかる。

 せっかく見えるようにしたとしても、人がそれを「読み解いてくれるか」は別の問題、といったこともある。また、我々のようなアプローチをとった場合の最大の問題は、「いつも見えるものは、人はだんだんと見なくなる」ということもある。

 常に「見せる」のではなく、「見せない化」と「見せる化」を効果的にあやつって、人の次の行動を形成できればオモシロイのになぁと思う。この先に、フォッグのPersuasive technologyの系譜に位置付くような研究ができるのではないだろうか。

 そういう「演出」を考え出すには、まず人間を子細に観察することから、かもしれない。