理論を知れば「アチャパーと目を覆いたくなる大失敗」を防げるか!?:理論にできること、できないこと

NAKAHARA-LAB.NETブログは、12/26から1/6までお休みです。
あわてない、あわてない。一休み、一休み。みなさま、よいお年を!

ーーー

「理論にあてはまる実践」が「よい実践」なのか?
 
  ▼

 これは「実践と理論」の関係を考えるうえで、「重要な岐路にたつ問い」であると僕は思います。

とかく「理論家」は、「特定の理論で現象を完全に説明しうる実践」を「よき実践」と考えがちです。なぜなら、それは「セオリーどおり」であり、理論家としては「スカッと爽快!」気持ちがよいからです(笑)。

 しかし、たまたま物事がそのように「よい方向」に進めば、いいのですが、この志向が行きすぎると、どんな実践現場でも、どんなリアリティが生じていても、「セオリーどおり」に物事の解釈や、戦略立案を行ってしまいがちです。

 現実をあまり見ようとせずに、セオリーを100%現場に適応しようとするのです。

 もちろん、それで物事が好転すればいいのですが、現実は、そうは甘くはありません。

 現場とは常に移ろいやすいもので、しかも、「理論の枠組みをはみだしたリアリティ」「理論では想定できない暗黒面?」が生じているものです(笑)。


  ▼

 現在、一緒に本を書いているヤフー株式会社の本間さんは、組織開発の実践とリアルを語る授業において、このことの問題を指摘しました。本間さんが憂慮したのは、実務家は、理論と実践の関係をいかに考えるのか、ということです。

 そのうえで、本間さんは、

「我々は、よいOD選手権をしているわけじゃない!」

 とおっしゃいました。
 おそらく、このとき本間さんがおっしゃりたかったことは、

「ODの現場は、理論が想定していないようなリアリティが生じる。理論が想定しているように、理論通りにキチンとやることでポイントを稼ぐようなODは、OD選手権のようなものである」

 ということではないかと推察します。
 まことに示唆にとむ言葉です。

 本間さんに言葉に着想をえて、ここでは、言葉を替えて申し上げますと、現場を直視せずに、理論をそのまま想定通りに人材開発を進めようとすると、

 「よい人材開発の選手権に参加してしまうこと」

 になってしまうということでしょう。

 現場を直視せずに、すなわち理論が想定しているように物事をすすめてポイントを稼ぐような実践をしてしまうということになってしまうということです。

  ▼

 とはいえ、それでは理論は必要はないのでしょうか。ここがややこしいところなのですが、僕は、やはり「理論」は必要だと思います。

 現場が移ろいやすく、しかも常に変化するようなものであるからこそ、最初のとっかかりで何からはじめたらわからないときに「ヒント」になるもの、何をどうしてよいかわからないときに「ヒント」にできる理論が必要なのではないでしょうか。

 これはだいぶ僕の主観が入りますが、僕の研究領域において、理論は、現場で起こりうることの30%程度は、そこそこ想定して構築されていると思います(30の部分は全くの主観です)。

 これは、もっと平たく申し上げれば、

 理論を知っていれば、「派手ゴケ」することはない
 
 ということになります。30%は説明しうるように理論が構築されているのですから、

 理論を知っていれば、「アチャパーと目を覆いたくなるような大失敗」をする可能性はかなり低くなる

 ものと思われます。

 しかし、理論は「完全に現場を予測」できないし、ましてや「目をみはるようなものすごい実践」をつくることはできません。
 30%より先の70%は、現場のリアリティをつぶさに観察し、いかに創意工夫をなすか、いかに人を巻き込むか、というところにかかってきます。

 理論を知っていれば、先人の経験と苦労の「上」からーすなわち、先人の「肩」の上にたって、物事を勧めることができます。先人の「肩の上」にたって、残りの70%をじっくり構想できるのです。
 だからこそ、理論は万能ではないけれども、必要だということになります。

 ちなみに、先ほど「我々は、OD選手権をしているわけじゃない!」とおっしゃった本間さんも、おそらく、これに同意見?類するご意見だと思われます。

 いくつかの大学院に通い、理論に精通している彼だからこそ、先ほどの言葉が出るのだと思うのです。

 理論に並々ならぬ関心をもつ彼だからこそ、理論には何が出来て何ができないかをしっていらっしゃるのではないかと思います(こんど聞いておきますね・・・笑)

 ▼

 今日は理論と実践の関係について書きました。これは現場や領域によっても違うので、一概にはいえません。

 賢明なわたしたちは、理論を「不必要」とみなす反知性主義に陥ることなく、一方で理論を「万能」とみなす「理論選手権」にも陥らず、理論とよい関係を保ちたいものです。

 あなたにとって「理論」とは何ですか?

 今日は金曜、よい週末を!
 そして人生はつづく

投稿者 jun : 2015年12月25日 06:18


人はどこまで自分の進むべき道を「選べる」のか?

 人はどこまで自分の進むべき道を「選べる」のか?

  ▼

 僕はたまにこんなことを考えることがあります。今日はボヤキのようなブログになることをどうかご容赦ください。

 この問題、一般的には、自分の人生の進むべき道を考えるうえで、まず「前景化」してくるのは「自己」です。
 すなわち、自らがしっかりと考え、きちんとプランを立てながら、自ら「選び取ること」が「よし」とされる。

 これとは全く異なる視点としては、「いきあたりばったり、なるようにしかない」という観点もあります。つまり「なすがままにまかせる」。

 しかし、人生の正午といわれる40にして、自分の人生を振り返ったとき、「自己」か「なすがまま」のどちらか、と聞かれると、どうも、どちらだ、と明言できない自分に気がつきます。

 自分で選んでいないか、と聞かれると「そうではない」気もするし、「なすがまま」にしてきたか、と聞かれると「そうではない」気もする。

 事態はもっと「渾然一体」「カオス化」としているといったほうがいいかもしれない。
 すなわち、どこからどこまでが「自分の選択」なのであり、どこからどこまでが「なすがまま」なのか「すら」わからないのです。

 ただ間違いのないことは、2つあります。

 ひとつめは「信頼できる誰かから、何か、新たなことを持ちかけられたとき」、どんなにそのことが荒唐無稽に思えても、すぐに拒絶はせずに、「迷ったら、やる!」方向で物事を考えてきたような気がします。

 ふたつめは「迷った上でやる!」と決めたら、成果を必ず出せるように徹底的にのめり込んできた、ということです。というか、後にはもう引けないな、という感覚で、物事に打ち込んできた、とは言えるかもしれません。

  ▼

 自分の人生を振り返ると、不思議なもので、僕は、「自分で生きている」という感覚をもちつつも、「人に生かされている」という感覚をもつことがあります。「人に生かされている」は「人に活かされている」としてもよい。

 すなわち、何かを誘われて「迷ったら、やる!」方向で、物事を進めていくと、さらにその先には、「そのベクトル上」で、「新たに声をかけてくれる人」がでてきて、知らないうちに、その方向で、何かをやりつづけている自己がいる。

「古い過去の自分」とは少し違う方向で、「他のことに取り組んでいる自己」を発見する、というのでしょうか。
 自己に対して「新たなラヴェル」が社会的に打たれるようになってきて、そのことに気づくようになるのです。

 そして、後から考えたときに、「迷ったら、やる!」と選択してきたときが、自分にとっての「ターニングポイント」と意味づけられることになります。

 しかし、そのターニングポイントは、100%自己の選択ではなく、他人の声に「任せて」きた結果でもあるのです。この意味で「自己の選択」と「なすがまま」は渾然一体としているような気がします。

 自分の人生を「生きている」ようでいて、「生かされている=活かされている」感覚を持つ、というのは、こういうことですね。

 ▼

 今日のブログは、本当に「わたし語り」でした。朝っぱらから、暑苦しくてすみません。なぜ、朝っぱらから、こんなことを書きたくなったのかわからないのですが(笑)

 今日はクリスマスイブです。
 皆さん、メリークリスマス。
 よき日を

 そして人生はつづく

投稿者 jun : 2015年12月24日 06:55


研修とは「教授行動」ではなく「経営行動」である!? : 研修効果を高めるための努力!?

 先だって、あるメガバンクさんの人事部・研修所の方々に、「研修の効果を最大化するために」という内容で、3時間のワークショップをさせていただきました。

 こちらの会社には、去年、今年と、年の瀬のこの時期にお声がけをいただいており、某社・関連グループの研修講師の方々、人材開発の方々110名ほどにお集まりいただいております。お忙しい中、本当にご苦労様です&ありがとうございます。この機会は、テレビ会議をつかって大阪にも中継をされておりました。

  ▼

 さて、このたび扱ったのは「研修転移(Transfer of learning)」という内容です。「研修の効果を高める」というのがあたえられたお題であり、かつ、相手も日々企業内で研修をしているプロの方々ですので、ちょっと渋いいぶし銀?のような内容を扱わせていただくことにしました。

 研修転移とは、ワンセンテンスで申し上げると

「研修で学んだ内容が、現場で活かされ、成果をあげること」

 をいいます。
 組織論、人的資源開発論、応用心理学のTraning and Development研究のうち、「研修」にまつわる研究でもっとも多いのは、この「研修転移」に関するものではないかと思います。一時期ちょっと下火になりましたが、最近、またちょっと元気を取り戻してきた、なかなかホットな分野かな、とも思います。

 研修転移とは2つのレベルでおこります。

 第一のレベルは、研修で学んだ内容を個人がいかに現場で仕事に活かし、成果をあげること。
 第二のレベルは、個々人で学んだことが、組織全体につたわり、組織学習につたわること。

 前者は個人レベルの学習、後者は組織レベルの学習と呼称しますが、研修転移では前者は当然、可能であれば後者までスコープにいれた研究が行われます。

 誤解を恐れずに申し上げますが、

 企業・組織において研修とは「教えること=教授行動」ではありません。「教えること」は手段であって目的ではありません。

 企業・組織において研修とは「教えること」をもって、組織や現場にプラスのインパクトをもたらすことです。

 この意味では、

 研修とは「教授行動」ではなく「経営行動」なのです。

 当日は、そんなお話を下敷きに、最新の研究知見を挟み込みつつ、たまにライザップやアルコール中毒の話?をしながら(秘密です・・・でも、これが研修転移研究につながります)、僕が研修転移のレクチャーをさせていただきました。

 3時間の中では、中盤1時間は、自社における研修転移事例の発表会もさせていただきました。
 若手研修から、部長研修まで、某社においてすでに実施されている「研修転移の促進策」を4名のプレゼンターの方から伺う、ということにしました。

 研修転移研究は、アカデミックではホットだよ

 と申し上げましたが、

 おおよそ学者が思いつくことなんか、
  実務ではすでに実施されている!

 ことが多いものです

 某社の素敵な事例をもとに(ありがとうございました)、少しだけ僕がプチ解説をさせていただきました。

 最後の1時間は、参加なさった方々が、ひとりひとりの研修企画を振り返り、研修転移促進策として何を実行できるかをワークシートを使って考えていただきました。グループでシェア・一歩先行くお手伝いをするというワークをやりました。皆様の御協力もあり、無事終えることができました。本当にありがとうございました。

 ▼

 今回はテーマが「研修転移を高める」ということで、僕自身も、なかなか緊張して、研修にあたりました。
 ふだんは管理職や新任マネジャーなどの研修でうかがうことが多いので、「研修開発ネタ」で、企業にお邪魔させていただくことはあまり多くはないのですが、いやはや、このテーマは緊張しました・・・なぜだかわかりますか?

 それは

 研修転移を高めましょう!
   というテメーの研修こそが、転移しないんだよ!

 と言われることだけは、避けたかったからです(自爆)。

(「研修」のことを話している、当の本人の実施する「研修」が、イマイチ・アチャパーというのは、はっきり申しますが、笑えません。他人に対して投げつけたブーメランが、自分に返ってきているのですが、知らないうちにケツに刺さっていて、「カンチョーですが、何か?」という状況です(意味不明)。

このことは「マネジメント」についてもいえますね。マネジメントを饒舌にかたる当の本人のマネジメントが、イマイチ・アチャパーなのは、最高のブラックジョークだと僕は思います。)

 かくして、僕なりにこの日の研修は工夫をしました。事前には「プチ反転学習」と称して事前ビデオをお贈りし、スマホで見て頂いたり、いろいろ工夫をしたつもりです。

 ちなみに、「プチ反転学習」では「目的の打ち込み」と「当日の進行」を説明させていただきましたが、その甲斐?かどうかはわかりませんが、当日の「冒頭の入り」は、かなりやりやすかったです。これは僕だけが感じたことかもしれませんが・・・。

 いや(笑)、研修転移というテーマは、なかなかキビシーですよ。でも、はじめて僕は扱いましたが、僕自身もかなり多くの学びをいただきました。実際のところ、当日の評価は、受講生のみなさまにお任せいたします。本当にお疲れ様でした。

  ▼

 最後になりますが、ご参加いただいた皆様はもちろんのこと、4名のプレゼンターの方々、半年前から企画を立ち上げ、打ち合わせを行い、この日に備えてくださったMさん、Sさん、Mさんに、心より感謝をいたします。ありがとうございました。

 そして人生はつづく

ーーー

追伸.
今日のブログ記事に関連する記事です。どうぞあわせてご笑覧ください。研修転移研究のまとめをしております。

「学んだこと」が「現場で活かされるため」には何が必要か?:12の障害、5つの促進要因
http://www.nakahara-lab.net/2014/01/post_2167.html

投稿者 jun : 2015年12月22日 06:56


「二つの合理性」が衝突する「面談場面」の研究

 実現するかどうかは別にして、最近、やってみたいなと思っている研究に「面談研究」があります。取り組んでみたいのは、ワンセンテンスで申し上げますと、

「上司ー部下の面談に関する生々しい研究」

 です。

 上司ー部下が1対1で対面する「面談」というのは、一般には「ブラックボックス」ですね。ここをかなりを掘り下げていかないとな、という思いがあります。

 結局は、仕事を任せることに関しても、フィードバックをするに関しても、多くは、「ブラックボックス」の中で行われているからです。ここが解明されると、かなり面白いことになるのではないかと思っているのです。

  ▼

 これまでにも「面談」にかんしては、様々な研究がありました。もっとも多いのは、質問紙を使う研究で、面談場面にしている行動や発言を上司や部下に問います。

 要するに、

 あなたは面談では・・・・している?
 あなたの上司は面談中・・・している?

 と問う研究です。そうした研究でも、多くのことがわかっています。
 
 あるいは数は少ないものの、シミュレーション研究というものも存在します。仮想の面談場面を想定し、仮想の部下役に対して、上司役の人が面談を行います。そこでなされる発言や行動と、成果変数の関係をみます。この場合、仮想データではあるものの、客観的な面談場面を定性的に見ることができます。

 しかし、今現在で僕がやりたいのは、そのどちらでもありません。実際のリアルビジネスの面談場面のデータを用いて、「生々しい研究」がしたいのです。もちろん、これを実現するためには、ものすごくたくさんの困難があります。クリアしなければならない倫理的問題などがあるでしょう。課題は山積ですが、どこかで研究を試みたいものです。

(面談研究といえば、昔の研究でいえば、Cicourel & Kitsuseの研究を思い出してしまいますねぇ・・・僕の場合は、ちょっと毛色が違いますけれども・・・)

  ▼

 ここ最近、シミュレーション面談場面の見学をさせてもらったりする機会をいただいております(この場で社名をあげることはいたしませんが、心より感謝いたします!)。

 面談等を見学させて頂いてかえすがえすも思うのは、

 上司・部下の面談とは「2つの合理性の衝突」である

 ということです。

 特に、「期待値に達していなかったこと」を通告し、そこからの立て直しをはかる「スパイシーな面談」になれば、その「合理性のぶつかりあい」は激しいものです。

 映画「羅生門」ではありませんが、全く同じひとつの出来事でも、立場がかわれば、そこで何が起こっているかに関する描写は異なってくるものです。
(羅生門アプローチという言葉がございますね・・・)

 上司は「部下の出来事や成果に対する自分の見立て」を語ります。もちろん、それだけでは情報量や不足するので「チームリーダーの見立て」「顧客の見立て」も含みこみつつ、部下の理解を求めます。

 しかし、部下も「彼の合理性」を語ります。ある出来事や成果に対する「仕事の理由」はもちろん「健康の理由」「顧客の理由」「家族の理由」など、様々な「理由づけ」を語ります。

 複数の「見立て」に対して、複数の「理由づけ」。
 それぞれの立場が、それぞれの立場からすれば「合理的な物語」を為しています。さすれば、これをいかに解きほぐし、ひとつの「解釈」をつくりあげるか。

 「2つの合理性」の衝突をいかに「ひとつの解釈」に結びつけ得るかが、僕の知りたいことです。

 ▼

 今日は、朝っぱらから新たな研究のアイデアを語りました。

 今年は40になり、そろそろやりたいことが尽きてくるかな、と思っていたのですが、まったく逆です。やりたいことしかありません。

 どこかでこちらを実現したいものです。
 そして人生はつづく

投稿者 jun : 2015年12月21日 07:12


あなたの周囲に「ひとりでできるもん病」と「おれのやり方コピペ症候群」に感染している人はいませんか?

 今日は、朝っぱらから2つの事例をご紹介します。中間管理職の「つまづき」に関する二つの事例です。

 ひとつめ、「ひとりでできるもん病」。

「営業職のAさんは、1年前に、課長職になったが、なかなか、プレーヤー気分は抜けませんでした。ひとりで成果を出そうとして、頑張りました。部下は、Aさんに、なかなかついていけません。その結果、面談で部下から投げかけられた言葉は、Aさんを戸惑わせます。

「だって課長、最後は、自分で全部巻き取っちゃうじゃないですか?僕らの存在価値って何ですか?」

  ▼

 ふたつめ、「おれのやり方コピペ症候群」。

技術では右にでるものはいないエンジニアのBさん。若い頃は昼夜をとわず働き、優秀な成果をあげてきました。マネジャーになってからは、同じ働き方や仕事のやり方を部下に求めました。仕事は、Bさんが、仕事ー部下のマッチングを考えて、最適に、かつ、もれなくだぶりなくふりました。

部下には忠実に自分のやり方を真似るよう指示し、チーム内ではメンバーに競争を行わせました。職場内のコミュニケーションはあまりなかった。成果は、飛び抜けたものがでるというわけではなかったでのですが、そこそこという感じでした。

しかし、Bさんに突然、不幸な出来事がおとずれます。最も優秀であった部下のCさんがメンタルダウン。この事件をきっかけに、職場のメンバーがそっぽをむきはじめます。

「Bさんのやり方には、僕たちはついていけません」

  ▼

 朝っぱらからで恐縮ですが「マネジャーのつまづきに関する2つの事例」をご紹介いたしました。僕が、ここ数年ほそぼそとつづけているのが、中間管理職の「つまづき」を収集するという研究?です。
 この2つの事例は、前者が「ひとりでできるもん病」、後者は「おれのやり方コピペ症候群」といいます(笑)。

 いずれも、巷や場末の酒場(?)で耳をそばだてていると、よく聞く話です。

「あの人、担当者としては優秀だったんだけど、人がついてこないんだよねー」

 というセリフとともに(泣)。

  ▼

 管理職のつまづきに関しては、1980年代から、米国の何人かの研究者が、おもに上級管理職の脱線(derailment)について研究を進めていたことはよく知られていることです。

 そして、この「脱線」を裏返せば、管理職としてリーダーシップを発揮して「まっとうな線路」を走ることになります。かくして「脱線研究」は、のちのリーダーシップ研究につながっていきます。

 しかし、「脱線」というメタファは、一度、「車輪が外れてしまうと、なかなか線路には戻れない」、という意味において、外部労働市場が発達している米国の現状ーとりわけ上級管理職の現状にはあいますが、ちょっと日本の雇用慣行・および、中間管理職の現状とは、少しあわないような気がします。「脱線」という言葉が、すこし「強い」気がするのですね。

 かくして生まれたのが「つまづき」という言葉です。つまづきという言葉は、「歩行中に、足先を物に突き当ててよろけること」をいうので、「脱線」ほどスパイシーではありません。

 もちろん、この世の中には、「つまづいて、小指を机の角にぶつけたい!」と自ら願う人はいません。しかし、万が一、そうなったとしても、「いてー、誰だ、こんなところに机をおいたやつは!」とぴょんぴょん飛び跳ねるくらいの失敗。そして、もう一度、内省を繰り返して、リベンジをかけることができるくらいの失敗。「つまづき」は、そんなニュアンスを表現できるのかな、と思っています。

  ▼

 ちなみに、中間管理職がよく罹患する「ひとりでできるもん病」と「おれのやり方コピペ症候群」は、「感染性のウィルス」?です。
 上司から部下へと、部下からさらにその部下へと、それは日々の指導を通じて、世代をこえて感染するので注意が必要です。
 
 人は、自分が受けた「スパイシーな指導」を、なぜか、世代を超えて、次の世代に再生産してしまいがちですね・・・。どうせなら、「反面教師」にして欲しいものですけれども、なかなかそうはいきません。

 あなたは、「ひとりでできるもん症候群」にかかっていませんか?
「おれのやり方コピペ症候群」に感染している人は、周囲にはいませんか?

 そして人生はつづく

投稿者 jun : 2015年12月18日 06:37


世の中にはびこる「ソーシャルメディア文法」!?:「体言止め」があふれている!?

 最近非常に気になることがあります。

 僕は「ソーシャルメディア文法」と勝手に呼んでいるのだけど、世の中に、以前より「体言止め」が溢れているような気がするのは僕だけでしょうか。
 ソーシャルメディアで、短く発言をするために、「ます」「です」「である」といった述語を省き、体言止めで終わる。それが僕のいう「ソーシャルメディア文法」です。

 例えば、

 月曜日、出張。午前中メール。午後は得意先まわり。帰宅は8時。
 久しぶりに家族でテレビ。
 
 とか

 長期出張から帰宅。TAKUZO誕生日、ケーキ。KENZO、風邪。

 みたいな(笑)。
 自戒をこめて申し上げます。たまに僕もやってる。

 というか、ソーシャルメディアでの発言は、文字数とかも決まっているので、短く、簡潔になるのは仕方がないと一方では思います。
 ですが、なんか、世の中に「ソーシャルメディア文法=体言止め」が過剰に増えているような気がして、ちょっと気になります。
 ほら、子どもの頃、作文の授業とかで、「体言止めはくどくなるから多用しない」と習ったような気がするのですよね。そんなことを思い出したりするのですよね。

 自戒をこめて申し上げますが、また「体言止め」だなぁ・・・なんて、すこしゲンナリしてくるのです。正直、ソーシャルメディアそのものに疲れている、とも言えるのかもしれないけれど(笑)。

 結局、表現は個人のものなので、好き勝手にすればいいと思います。
 が、へそ曲がりな僕自身は、何とか、最近、「体言止め」を使わない表現はないものか、と考えています。
 敢えて冗長に、敢えてクドクド、体言ダダ漏れ?表現はないものか、と思っています。
 ま、誰も読んでもらえなくなるかもしれないけどね(笑)。

 そして人生はつづく

投稿者 jun : 2015年12月17日 09:23


日本初!?「高校のアクティブラーニング全国調査」の結果を大公開!: 第一次報告書・無料ダウンロード中:「高校の学び」を元気にする「マナビラボ」本日オープンしました!

manabilab_logo.png
東京大学が贈る「高校のマナビ」を応援するWebサイト
「未来を育てるマナビラボ:ひとはもともとアクティブ・ラーナー!」
http://manabilab.jp/

 いよいよ本日オープンしました!
 ここまで、本当に長かった・・・。このプロセスにおいては、チームメンバー全員で「死にかけ人形」になったり、「ハニワ顔」になったりしたこともありましたが、何とか生き延びて、本日、公開です(笑)。こちらが「マナビラボ」のWebサイトです。スマホにも完全対応していますので、ぜひご覧下さい。

manabilab_hyoushi_desu.jpg
「未来を育てるマナビラボ:ひとはもともとアクティブ・ラーナー!」
http://manabilab.jp/

 「マナビラボ」では、本日より、下記のように「高校の学び」を元気にする様々なコンテンツが展開されます。僕の関心的にいうと、次の世代を担う若者達の学びを元気にしたいです。いずれも「現在の高校を明るく楽しく元気な学び」を特集するようなコンテンツばかりです!どうぞお楽しみに!

  ▼

 ひとつめは「ニッポンのマナビ」です。

2015-12-15_2259.png

 2015年、東大 × JCERIが、全国の普通科高校約3900校に対して行わせて頂いた調査結果をこちらで紹介させていただきます。調査回収率は、な、なんと62%!(驚異的数字です!)。約2600校のデータから、

 日本全国の高校の学びの現状はどうなっているのか?
 日本の高校には、どの程度、インタラクティブな学びがあるのか?

 がおわかりいただけるかと思います。

 調査データは非常に膨大で全貌が明らかになるためには、まだまだ時間がかかりますが、第一次報告書を作成しました。第一次報告書のダウンロードも本日より、無料で入手することができます。下記のWebサイトノ「ニッポンのマナビ」よりダウンロードください。
 出典をお示しいただければ、調査結果や調査結果をわかりやすくまとめた「インフォグラフィックス」もご自由にご利用いただけます。画像をがしがしダウンロードして、ご自身のプレゼンにご利用下さい。

 どんな教科がインタラクティブに教えているのか?
 どの県が支援体制を充実させているのか?

 データは分析が進み次第、すべてを現場の方々に、お返しいたします。
 例えば、県別のアクティブラーニングに関する研修実施率はこんな感じです。

9a582e7d27527e8dc0c912e29bcb80042.png
「未来を育てるマナビラボ:ひとはもともとアクティブ・ラーナー!」
http://manabilab.jp/

 気になる方はぜひぜひ、マナビラボをご訪問ください。

  ▼

 ふたつめ!「授業のひみつ」!
「授業のひみつ」のコーナーは、インタラクティブでラーニングフルな高校の授業を、マナビラボ研究員が訪問させて頂き、みなさまにご紹介するページです。先ほどの「ニッポンのマナビ」が「数字」ならば、こちらでは「ストーリー」や「物語」をつむぎます。

 アクティブラーニングで有名な学校ばかりでなく、面白い授業を草の根で展開なさっている先生方の授業も、ご紹介させていただく予定です。どうぞリアルな高校のマナビをご覧下さい。このたび第一回目は、岐阜県立可児高等学校の浦崎太郎先生、柏日体高等学校の福田吉高先生の授業を見学させて頂きました。両先生はもちろんのこと、両学校の学生さんたち、そして、学校関係者のみなさまに心より感謝いたします。ありがとうございました。

koukou_sensei.png
「未来を育てるマナビラボ:ひとはもともとアクティブ・ラーナー!」
http://manabilab.jp/

  ▼

 みっつめ!「15歳の未来予想図」です。
 
 今の高校生が大人になるとき・・・社会はどうなっているか?
 15歳・・・今の高校生が大人になるとき、社会はどんな風に変わっているのか?
 そうした社会を明るく楽しく生きぬくためには、どのような学びが必要なのか?

 このコーナーは、マナビラボ長・中原が識者の方々と対談します。テーマは「15歳の未来、今の高校生はどんな働き方をしているのか?」です。

 現在、15歳の高校生は、今後、どのような社会を生きるのか。そして、今の15歳が大人になるとき、どのような働き方が待っているのかを識者の方々に伺います。年頃の親御さんとしては、大変気になるところなのではないでしょうか?

 識者の方々は、元アスリートの為末大さん、カタリバの今村久美さん、ヤフー株式会社・CEOの宮坂学社長などぞくぞくとつづきます。

tamesue_dai_san.png

imamura_kumi.png

miyasaka_manabu_san.png

 為末大さん、今村久美さん、宮坂学社長など、お忙しい皆様に貴重なお時間をいただきましたことを、ここに心より感謝いたします。皆様には、高校からは少し異なる現場から、しかしそれでいて、高校に対する熱いメッセージをいただきます。

  ▼

 よっつめ!、それはマナビラボ・ディレクター山辺恵理子さんが担当する「3分でわかるマナビの理論」です。こちらのコーナーでは、哲学書や外国語文献など、普段なかなか読む機会がとれないような、マナビや教育に関する書物の中から、「これは!」「渋い!」という1節を毎月紹介します。

manabi_no_riron.png
「未来を育てるマナビラボ:ひとはもともとアクティブ・ラーナー!」
http://manabilab.jp/

 初回の第一回目は、なんと、ジョン・デューイ!
 デューイの100年くらい前の名著「How we think」から、アクティブラーニングに刺さる渋い一言をご紹介します。今から100年前からデューイも「人はもともとアクティブラーナー」と言っていた?みたいです。どうぞお楽しみに!

  ▼

 五つ目、今度は視点をずらして「高校生たち」に着目します。「超高校生級 明日をつくるマナビの達人たち」というコーナーでは、趣味から部活動まで、授業外の高校生のマナビを描きます。

 第一回目は、KENDAMA(けん玉)で世界をひらく高校3年生の山手響介さん。
 彼は授業の外から何を学んでいるのか?

 部活動やクラブ活動での経験が、社会人になって「大きな糧」になることは多いものです。それでは、山手さんは、KENDAMAで何を学んでいるか? マナビラボは、将来、心ゆくまで知的に暴れる高校生を応援します。

cate_expert.jpg
「未来を育てるマナビラボ:ひとはもともとアクティブ・ラーナー!」
http://manabilab.jp/

  ▼

 6つめのコンテンツは「どうするアクティブラーニング? 先生のための相談室」です。こちらは、「アクティブラーニングってそもそも何?」などいまさら聞けない質問から、実践して出てくる疑問まで、アクティブラーニングにまつわる様々な質問に、JCERIの成田先生がお答えいたします。

narita.png
「未来を育てるマナビラボ:ひとはもともとアクティブ・ラーナー!」
http://manabilab.jp/

 そもそもアクティブラーニングって何?
 大学でやるなら高校でやらなくていいのでは?

 アクティブラーニングを実践していると、さまざまな疑問がわいてきますよね。こちらは、どしどしと質問・疑問をお寄せ下さい。すべてにお答えできるわけではないとは思いますが、できるだけ、成田先生が、皆様からのご質問に回答させていただきます。

 どうぞお楽しみに!

  ▼

 7つめのコンテンツ・・・ていうか、ここまでおつきあいいただいてありがとうございます(笑)。
 7つめのコンテンツは「高校生ライターがいく!」です。こちらは、現役の高校生にライティングスタッフになっていただき、高校生が興味を持っていることを、自分たちで調べてやってみて記事を書きます。

koukousei_haruneko.png
「未来を育てるマナビラボ:ひとはもともとアクティブ・ラーナー!」
http://manabilab.jp/

 高校生のもつ可能性がそのまま内容になっているような記事を提供します!このページこそが、アクティブラーニングになればいいですね。

  ▼

 最後・・・真打ち???は「マナビの笑劇場」です。「教育 × 笑い × 即興」の新しい世界を切り開く、お笑いコンビ・モクレン。教師としての経歴をもち、お笑いの傍で教育と笑いの関係を研究する矢島さんと教育学部を卒業し、それ以降もインプロ(即興演劇)を学び続ける野村さんのお二人が、最近よく耳にする「アクティブ・ラーニング」という言葉について楽しく解説します!

manabi_no_shougekijyou.png
「未来を育てるマナビラボ:ひとはもともとアクティブ・ラーナー!」
http://manabilab.jp/

 アクティブラーニングというと、ついつい、「しかめっつら」になってしまいませんか(笑)。そんなときは、モクレンのお笑いにどうぞ耳を傾けて下さい!

 マナビラボのコンテンツは以上です。
 Enjoy yourself!

  ▼

 なお、これらのコンテンツは、東京大学・大学総合教育研究センター 中原淳研究室と日本教育研究イノベーションセンターのみなさまとの共同研究、そして、わたしたちの試みを支えて下ったみなさまとの共同の成果です。
 東大のスタッフとしては、山辺恵理子さん、木村充さん、松尾駿さん、堤ひろゆきさん、阿部樹子さんが、白目をむくまで頑張ってくれました。僕は君たちと仕事ができて本当に幸せだった。ありがとう。センター長・吉見俊哉先生にもご支援をいただきました。ありがとうございます。
 また、東大チームをご支援いただいたライターの井上佐保子さんにもご支援いただきました。人材開発ネタ・マナビネタ、井上さん、最強です(笑)。

 日本教育研究イノベーションセンターのみなさまにも心より感謝をいたします。成田先生、山本さん、谷口さん、高井さん、赤塚さん、片山さん、坂上さん、船津さん、友野さんをはじめとして多くの方々にお世話になりました。本当にありがとうございました。

 また、12月16日にオープンになるWebサイトのディレクションは、盟友・スパイスワークスさん、イラストレータの加納徳博さんにお願いをさせていただきました。本当にありがとうございます。

 また、文部科学省のみなさまにも心より感謝をいたします。文部科学省初等中等教育局教育課程課・教育課程企画室の大杉住子さんはじめ、清水さん、小野さんにも大変お世話になりました。盟友・武藤久慶君にも感謝です。

 最後になりますが、今回の調査に御協力頂いた、2371名の日本全国の校長先生(学校代表者の先生)、11492人の教務主任の先生方、そして、5177名の現場の先生方に、心より感謝を致します。
 手前味噌ながら、回収率62%という数字に責任感を強く強く感じます。皆様から寄せられた質問紙に、わたしたちは正直身震いしました。これは、しっかりと、このご期待にお応えしなければならないのだ、と。
 今後、Webメディア、書籍、政策への提言、その他のかたちで、お寄せいただいたデータをしっかりお返ししていきますので、どうぞ変わらぬご支援をお願いいたします。

 2015年12月16日本日・・・新たなサイトがオープンします。
 将来、この国のリーダーになるのは、今を生きる若者である。
 僕の専門領域は「人材開発」ですが、将来の可能性を夢見たいと思います。

 マナビラボ、いよいよ始動です!
 スマホでも見られますよ!
 どうぞお楽しみ下さい!

manabilab_phone.png
「未来を育てるマナビラボ:ひとはもともとアクティブ・ラーナー!」
http://manabilab.jp/

 そして人生はつづく
 

投稿者 jun : 2015年12月16日 00:00


希望を「処方」するということ!? : 「中井久夫の臨床作法」を読んだ!

「君が話し始めるまで、待つよ」

  ▼

 先日、ふと立ち止まった本屋さんで「中井久夫の臨床作法」という本を手に取りました。
 中井久夫先生は、神戸大学医学部・教授(精神医学)をおつとめになった希代の臨床家で、「日本の精神医学を根幹から変えた」と評される方です。

 と、、、門外漢の僕が述べるのは、いささか無理があるかもしれません(笑)。中井先生の業績、および、その評価に関しては僕は門外漢ですが、しかし、僕は彼の「ファン」のひとりであります。

 中井先生のご著書の多くを拝見するに、著書に綴られている言葉ひとつひとつに、「人が人を援助するとはどういうことか?」を考えるヒントがあるような気がします。より俯瞰的な立場から、「人と人がかかわるとは何か?」について深い洞察をなさっているような気がするのです。

 本書は、中井先生に薫陶を受けた数十名の精神科医、医療従事者の方々、中井先生から受けた薫陶や、中井先生とのエピソードが収録されています。中井先生のお人柄やお考えがよくわかるエピソードでばかりで、思わず、ふっと力が抜け、思わず笑みがこぼれます。

  ▼

 例えば、同書において精神科医の星野さんと山中さんは、こんな風におっしゃっています。


星野氏「中井先生は、患者さんと逢っていて、病気の話にならないですね。全然別の話になって、「君、この頃、ちょっと太ったね」とか、「方が丸くなったねぇ」とか、「だいぶゆったりしてきたんじゃない」とか。

そういう話をしているうちに、患者さんの方から「こんなことがありました」「○○へ言ってきました。面白かったですよ。先生も一度行ったら」とそういう話題になっていくのです。病気の話にはならないのです。

山中氏「でも、それが結局、病気を癒していくことにつながるのですよね」

(星野氏・山中氏の会話より「中井久夫の臨床作法」より引用)

 診察では、本来、病気の話をあれこれしなければならないのに「病気の話をしない」というのが、まことに興味深いことです。しかも、それが「結局病気を癒していくこと」につながる。

  ▼

 精神科医の山中さんは、こんな風にもおっしゃいます。

「こういうふうに心がけているということ自体が、もう問題なのです。〜をしないでおこう、とか、〜でいこう、とか。

中井先生は、心がけていらっしゃるのではなくて、ごく自然に自ずから(一部中略)、患者さんがいつのまにか信用してくださるようになってしまうのです。

それが大事なことで、何かを教えてあげようとしていたり、こういうことは言わないでおこうとしていたり、そういう構えがまずいけないのです。患者さんは、そういうことは見事に見抜かれますから」

(山中康裕氏の会話より「中井久夫の臨床作法」より引用)


「心がける」というレベルではなく、「自然に」かつ「自ずから」、患者さんが信用してしまう状況をおつくりになれるというところが凄いところです。

  ▼

 個人的には、斎藤環さんの述懐も印象的でした。

 私は、中井が「我が国の精神医学」を「カルト化」(特定の理論が支配する状況)から守ってくれた恩人であると考えている。それが、中井がいかなる原理主義的姿勢からも距離をとりつつ、「高度な平凡性」を志向していたためであろう。   (斎藤環さんの言葉「中井久夫の臨床作法」より引用)
 斎藤さんは、中井先生の発揮する「高度な平凡性」を維持するためには、「理論的な複雑性」が逆に不可欠である、とします。

 理論を突き詰めて、突き詰めて、それらに精通しているからこそ、特定の理論にしがみつくこと(原理主義的姿勢をとること)をしなくてすむのだろうな、と思いました。このあたりは、精神医学ではないですけれども、実践現場をもつ学問ではよく起こることですね。まことに今日深いことです。

  ▼

 今日は中井久夫さんの臨床技法についての新刊を紹介させて頂きました。門外漢なので、ポイントをハズしていたらすみません。が、くどいようですが、中井さんの仕事からは、対人援助職・対人支援職にたずさわる方が、学べるポイントが多々あるように、僕は感じました。

 最後に中井先生の言葉から

 何よりも大切なのは「希望を処方する」ということ
(中井久夫)

 そして人生はつづく

投稿者 jun : 2015年12月14日 12:49


「プレイングマネジャー」ならぬ「マネジングプレーヤー」が陥りがちな「仕事手放せない病」!?

「最近のマネジャーは、プレーヤー化している」

 というのは、ここ10年ほど、人材開発業界で最もきく言葉のひとつになっています。
 ここではマネジャーを「Getting things done through others」というよく知られた定義でかんがえましょう。経営学では、マネジャーとは、元来、「自分では、仕事をせず、他人を動かすことで成果をだす人」とされていました。

 しかし、のっけから恐縮ですが、「教科書通りのマネジャー」は、今の日本の職場には、なかなか探すことが難しくなっています。「プレーヤー化」が進んでしまったのです。

 調査と職位によっても違いますが、「マネジャー自身も、個人として達成しなければならない目標・数字をもっていること」を仮に「プレーヤー化」というならば、今、日本の会社組織の課長クラスの、だいたい7割から9割くらいのマネジャーは「個人目標」をもっています。

 僕のかかわった調査では、喫緊の数字は「マネジメントしかしないマネジャーは2.8%、4.2%しかいない」ので、まーほとんどの課長級マネジャーはプレーヤーなのでしょう。

 要するに、

 いわゆる教科書どおりの「マネジャー」はいない

 ということです。

 しかも、この値から考えるに、

 職場にいるのは「プレイングマネジャー」ではありません
 職場には「マネジングプレーヤー」がいるだけ

 です。

 そして、現代、マネジャーになるということは「マネジングプレーヤー」になるということでもあります。

 で、ここからが問題です。

 このような状況下でマネジングプレーヤーにとってもっとも大切なことは、「マネジャーとプレーヤーの折り合い」をつけることです。
 プレーヤーの時間を確保しつつも、一方で、しっかりとマネジメントに時間をかける必要があります。ここで重要になってくるのが、タイムマネジメントです。

 タイムマネジメントについては、すでに多くの書籍やら実務書がでているので、僕があらためて多くを語ることはございません。ただし、経験上、非常に面白いな、と思っていることがあります。

 それは、

 マネジャーには「他人に任せられない」と思い込んでいる仕事や、「他人に任せられない」のではなく「他人ではなく自分でやりたい仕事」というものが多い

 ということです。

 たとえば、今、課長級の新任マネジャーの方がたに、1日ないしは、できれば数日の自分の予定を書き出してもらったとします。

 08:30 打ち合わせ
 09:00 面談
 09:20 事前打ち合わせ
 10:00 全社会議
 11:00 中途採用面接

   ・
   ・
   ・
   ・

 と、このようにおそらくダダダと予定が書き出されることでしょう。そのあとで、このことは、拙著「駆け出しマネジャーの成長論」にも書きましたが、これを分類してもらいます。
「自分がやらなければ対応できないこと」と「自分以外の人でも対応できること(任せることができるもの)」です。


(本書、駆け出し期のマネジャーのトランジションを扱っているものです。新任マネジャーの教科書として用いられています。先だっても、新任マネジャーの教科書として、会社で1000冊以上をご注文いただきました。Uさんには心より感謝いたします)

 そうしますと、多くの新任マネジャーの方々は、書き出したほとんどの項目を「自分でなければ対応できない」と答えます。
 しかし、ここでスケジュール整理のいくつかの工夫を僕から伝えます。

 あるいは、

 スケジュールの中には、「他人に任せられない」のではなくて、「他人にこの仕事は任せたくないので、自分がやりたい」はないですか?

 と問いかけます。

 スケジュールの中で手放せないものが多い方は、ほんとに、ほんとかを考えてみて下さい。中には「手放せない」と思い込んでいるものはないですか?

 と聞いてみます。

 どうしてもスケジュールを手放せない方が多い場合には、
 
 これらのスケジュール項目のうち、自分がやらなければならないものは、その理由を教えて下さい。理由を隣の人に話してあげて下さい。隣の人は「なぜなぜ?」を問うていきましょう。

 とつげます。

 場合によっては、こうもいいます。

皆さんの中には、現場から離脱した自分に対する不安もありましょう。いつかはプレーヤーに戻らなくてはならないのに、プレーヤの部分を手放してしまえるか、と。もちろん、それはそうなのですが、あまりにプレーヤーの部分を多くしていると、プレーヤーに戻る前に、行き詰まったり、倒れてしまいます。すべてを手放す必要はないですが、手放せる部分を少しでも探しましょう。

 すなわち、

 このスケジュール項目は、ほんとに、ほんとに、自分でやらなければならないのか?

 を徹底的に考えてもらいます。
 
 経験上、これだけで4分の1から3分の1くらいは、「もしかすると、この仕事は自分でやらなくてもよかったかも」というものが生まれてきます。
 手放せない仕事の中には、「自分で手放せないと思い込んでいたもの」がいくつか含まれているものです。

 こうやって、スケジュールをダイエットしないと、マネジメントとプレーヤーのバランスを崩してしまうかもしれませんね。

  ▼

 今日は、プレイングマネジャーについて書きました。プレイングマネジャーは、本当に忙しいものです。そうした方々のご努力には、頭が下がります。お疲れ様です。

 同時に、僕もおそらく、プレイングマネジャー? マネジングプレーヤーのひとりですので、今日の内容は、自分にすべてブーメランが帰ってくるようで、心が痛いです。嗚呼、わかっているんだけどねぇ・・・。

 プレーヤーとマネジメントのよいバランスをとりたいものです。あと、今年も2週間。今週も一週間、楽しみましょう。

 そして人生はつづく

投稿者 jun : 2015年12月14日 06:02


ポジションが上がると生まれる「モヤモヤ」!?

 ポジションがあがるとですね
   不安が「べき乗」にあがりますよ。

 これは、ある会社で相当なポジションになり、現場を力強く率いているリーダーの方から、ふと漏れた言葉です(ありがとうございます)。非常に印象的な言葉だったので、思わず、僕は、研究メモに書き留めてしまいました。

 ここ数年、事業統括部長の方々や執行役員クラスの方々とお話する機会が増えています(お声がけありがとうございます)。
 彼らの年齢はさまざまで、上は50代後半から、中には、僕と同年代か、それよりも、少し上くらいの方もいらっしゃいます。

 彼らの多くは力強く聡明で、ふだんは、あまり不安とか葛藤を口にすることはない印象があります。むしろ、明るく周囲を和ませたりすることの方が多いようにも思います。
 が、たとえば、ふとした拍子で、僕と室内に2人になったときなどに、「今後のこと」をひたひたと話していくと、先ほど述べたような台詞が、たまに出てくることがあります。

  ▼


 ポジションがあがるとですね
   不安が「べき乗」にあがりますよ

 思うに、この不安は、いくつかの次元が重なり合ってでてくるのだと思います。

 容易に想像できるのは、成果へのプレッシャーや責任感の重さ。そして、上と下に挟まれる不安や葛藤。
 事業統括部長、執行役員クラスとなると、それは、とてつもないものがあるでしょう。

 一般に、ある程度のところまで人は昇格してしまうと、「開発対象(Developmental target)」から「置換対象(Replacemenet target)」に変わってきます。

 要するに、課長くらいまでは、「人材開発の対象=育成の対象」であり、成果はすぐに出なくても、相対的に「まだ大目に見たり」、「外部からの働きかけや立て直し」が行われることも少なくありません。
 が、さすがに、それより上位のポジションになってきますと、「ダメなら、すぐにReplace(置換)される」ようになってくるということです。

 そして、そのような中で、事業を率いることは、並大抵のプレッシャーや不安ではありません。

 しかも、このクラスになると、あがってくる案件は、白黒はっきりつかない、相当グレーなものばかりです。

 白黒はっきりつくものは「課長レベル」で処理されているので、ここにあがってくるものは、「限りなくブラックに近いグレー」でしょうか。あるいは、「限りなく大炎上に近い炎上」かな(笑)。ていうか、もう、火、延焼してるよ。

 あと、ここまで上昇移動を繰り返してきますと、将来、ここからあがっていける「階段の数」も、1段、ないしは2段、とかなり限られてきます。
 執行役員まであがってしまえば、あとは役員、副社長、社長くらいしか、ポストがないでしょう。そして、そこには、多くの有象無象・海千山千の競争相手がいます。

 もちろん、あと5年逃げ切ればよいのなら、あと1段・2段しか階段がないのは、あまり気にならないのかもしれません。

 しかし仕事人生が伸びて、たとえば、あと15年ー20年あるときに、残りの階段がいくつかしかない。そこには大競争がある。外に出ようにも、またゼロからやるのは億劫だし、給与は下がる可能性も少なくない。

 しかも下からは人が育ってきていて、自分が今のポストからおりないことには、下をあげることはできない。この先、自分はどのような道を歩いて行けばいいのか・・・。

「べき乗」になっていく不安や葛藤は、さしずめ、こんなところから生まれるのかな、とも思います。

  ▼

 一般に、ポジションがあがっていけば、順風満帆、何一つ不安などない生活があるようにも感じます。もちろん中には「オレはめちゃめちゃイケイケだぜー」と恵まれている方もいるでしょうから、一概にはいえません。このクラスに公的統計や調査があるわけではないので、かくたることはは言えません。

 が、「心のドア」を少し開いてみると、それは、それなりに仕事にまつわる「モヤモヤ」とした思いがでてくることもあるようです。
 でも、多くの方から、この「モヤモヤ」を聞く、ということは、「モヤモヤしていても、全然OK」「ポジションがあがると、そんなものなんだ」ということなのかもしれません。

 人は、それぞれの「モヤモヤ」を生きています。
 でも、モヤモヤしても大丈夫!

 そして人生はつづく

 ーーー

追伸.【マナビラボFacebookへのいいね!をお願いします!】
 12月16日、マナビラボは、日本全国の高校を対象とした大規模な実態調査の分析結果を公開させていただきます。日本全国の高校2600校、のべ2万人の先生方のデータになります。お答えいただいた現場の先生方に心より感謝をいたします。

 公開は、Facebookでもお知らせいたします。また、下記のFacebookページでは、調査担当者である木村充君が、調査概要を動画ビデオで語っています。どうぞマナビラボfacebookページへのいいね!をお願いいたします!

スクリーンショット 2015-12-11 5.58.48.png
マナビラボfacebookページ
https://www.facebook.com/manabilab.jp/

投稿者 jun : 2015年12月11日 05:49


「最近の若い奴はケシカラン病」に感染してませんか?

「最近の若いやつは・・・・ケシカラン」
「近頃の若いものときたら・・・・ケシカラン」

 日本全国5万4000箇所?で繰り返されている言葉です。
 先だって、ある外国人の先生と話していたら、英語では「Kids these days(最近の若いやつは・・・)」というそうです。日本全国どころか、世界どこでもなんだねぇ(笑)
 おそらく有史以来、人は、土器やヤジリを暗い洞穴でつくりながら、この言葉を繰り返してきたんでしょう。

 最近の若いやつは・・・ケシカラン

  ▼

 ところで「最近の若いやつは・・・」という言葉について考えるとき、ふと、疑問に思うのは、人は、まずこの言葉を何歳くらいから使うのか、ということです。20代? それとも30代?

 思わず笑っちゃったのは、先だって電車に乗っていたら、中学生くらいの男の子の集団が、

「最近の若い奴は・・・・ごにょごにょ」

 と言っていたことです。ま、あんたたちも、「若い」んじゃないの?(笑)

 ▼

 有史以来、全世界で嘆き節のように使われている言葉に、あまり意味があるとも思えませんが、この言葉のちょっとしたリスクは、「自分」と「若い奴」の間に「境界」をつくりだしてしまうところです。

「こちら側」にいる「わたし」と、「あちら側」にいる「若い奴」という風に、無意識のうちに「線引き」をしてしまう。

 本来だったら、「若い奴」がなぜ、一見理解できないような行動にでるのか、その背後には、どんな「若い奴の常識=コード」が隠れているのかをさぐるチャンスなのですが、この言葉は、「若い奴」から学ぶチャンスを低下させてしまいがちです。

「新しい時代は、若者、馬鹿者、ヨソモノがつくる」

 とはよく言われますが、この筆頭に掲げられているのが「若者」です。「最近の若い奴は・・・」「Kids these days・・・」と言いたくなるのをぐっと数秒我慢してみると、もしかすると、新たな時代の兆候が見えてくる?かもしれませんよ。
「最近の若い奴はケシカラン病」に感染しちゃうと「時代が見えなくなる」から要注意。
そして、この病気は「おれたちの時代はよかった病」や「おれたちは逃げ切れる病」などの合併症をひきおこすから、さらに要注意です。

 そして人生はつづく

追伸.

スクリーンショット 2015-12-10 5.19.59.png

 東京大学が贈るアクティブラーニング・ポータルサイト!「マナビラボ」は、おかげさまで、Facebookページ「いいね」1000件を達成しました!ありがとうございます。
 教育関係者のみならず、人材開発・学びに関して興味をもたれる多くの方々に読んで頂けるコンテンツを用意しております。

 先行Facebookページでは、更新情報を日々配信していく予定です。どうぞ「いいね!」「シェア」をお願いいたします。Facebookページには、下記からお越し下さい。

manabilab_logo.png
東京大学が贈る「高校のマナビ」を応援するWebサイト
「未来を育てるマナビラボ:ひとはもともとアクティブ・ラーナー!」
https://www.facebook.com/manabilab.jp

投稿者 jun : 2015年12月10日 05:20


「働かないオジサン」に対していかに「スパイシーなフィードバック」を行うのか?

 先だって、某社で、若手マネジャー候補生の方々に、

「部下に耳の痛いことを告げて、仕事を立て直す対話=フィードバックの技術」

 を教える研修をもたせていただきました(担当のSさん、I課長、お疲れ様でした!&貴重な機会をありがとうございました)。

「鉄ははやいうちに打て!」ではないですけれども、某社では、管理職候補生の方々に、管理職になったら起こることを「事前にプレビュー」させ、そこで必要になることを「前倒し」て学習していただく機会を、昨年からもっておられます。「マネジャーになるための準備学習」です。

 拙著「駆け出しマネジャーの成長論」をさまざまな場所でご活用いただき(感謝です!)、「鉄ははやいうちに打て!」を実践なさっているのです。そして、フィードバックは、その中の「ひとつのコンテンツ」です。

 こちらは20名限定のワークショップだったのですが、全社から110名をこえる応募があったそうで、こちらも身が引き締まる思いで、4時間半のワークショップを終えました。
 ご参加いただいた20名弱の管理職候補の若い皆さんには、心より感謝をいたします。本当にありがとうございました。

  ▼

 昨今は、職場のメンバーも非常に多様化しているせいでしょうか。会社によっては、若い管理職で、年上の部下などを抱える可能性が非常に高まっているような気がいたします。もちろん、別に「年上の部下」が悪いわけではなくて、そのなかに、ごくごく希に「まったく働く意欲のない中高年」が含まれることが問題のようです。

 部下がみな成果をだしてくれればそれでよいのですが、中には、そうではない人もいます。だからこそ「耳の痛いことをつげて」、いかに「立て直すのか」。ここに注目があつまります。

 立場上、先輩には、なかなか言いにくい。いや、ちょっと、元部長にはなかなか言い出せない。そんなときに重要なのが、正しくフィードバックする技術であり、態度です。

 態度とは、敢えて書きました。なぜなら、フィードバックには「腹をくくること」が必要になる局面があるからです。生半可にフィードバックをおこなえば、「立て直す」どころか「返り血」を浴びます。

 さて、フィードバックとは、さまざまな定義がございますが、要するに、要素にわけますと下記の2点です。

 1.パフォーマンスに対する結果の通知を行うこと
   (スパイシーメッセージング)

 2.パフォーマンスの立て直し、学び直しを支援すること
   (ラーニングサポート)

 世の中的にはフィードバックと申しますと、1の要素、すなわち評価面談での「結果の通知」というイメージが強く、あまり2の側面には焦点があたりません。
 これまでいくつかの企業で、同様の研修を行ってきましたが、フィードバックのイメージを参加者の方々にきくと、

「ほらよ、と結果を通知すること」
 とか
「傷口に塩を塗り込むこと」
 
 だと思っている方が多いような気が致します。しかし、そうではなく、フィードバックとは、むしろ「立て直すための対話」です。

 腹をくくって「スパイシーなリアリティ」を提示したあとは(これもいくつかのプロセスから成立します)、

 いかに立て直すか?
 いかに学び直してもらうか?
 それに対して
 いかに伴走するのか?

 が問われます。

 こちらに関しては、以前、フィードバックを「エンジンロケットの比喩」で説明させて頂いたことがあります。

 エンジンロケットには、エンジンのほかに、様々なセンサー類がついていて、つねに、自分が正しい方向・角度でとんでいるかを検知しながら、推進力を調整しているそうです。このセンシングの部分にあたるのがフィードバックです。

rocket2015.png

 この世の中に「まっすぐ飛べるエンジンロケット」は存在しません。空気抵抗、さまざまな理由で、大げさにかけば、ジグザグを繰り返しながら、エンジンロケットは飛んでいきます。

 エンジンロケットってのは、飛んでいるうちに傾いてくるので、そうしたら自分の傾きを検出して、ジェットの吹き出し口の傾きをかえるためのフィードバック機構がついてます。

 正しく飛ぶために、補正が必要になる。

 これは、人間も同じで、正しい方向にすすみ成果をだすためには、時に、外的な「働きかけ」が必要になります。これがフィードバックです。

 研修では、参加者の方々からいただいた「リアルなケース」と「バーチャルケース」をいくつか用いながら、様々な演習を行いました。

 なかなかスパイシーな内容にもかかわらず、参加者の方々の何名から

「マネジメントをしていくのは大変だいうことがわかりました。
 でも、今日は楽しかったです」

 という感想をいただいたのは、個人的には嬉しいことでした。
 まぁ、、、わたしに対する本格的なフィードバックは、これからです。その結果は、まだ蓋をあけてみないとわかりませんが(笑)。

  ▼

 今回のワークショップでは、フィードバックの演習をさせてもらいましたが、もっとも興味深かったことは、ある管理職候補生の方々と、帰り際に雑談していた内容でした。

「いやー、Bマイナスの評価を通知するって・・・・わたし、全くイメージがつかないんです・・・。自分では、そういう評価をもらったことはないので、何と声をかけていいかすら、わからないんですよね」

「面談で、かなり長くなる場合がありますよ、と先生はプレビューしてくれたじゃないですか。それが想像できません。自分の場合、面談も3分で終わるから、何を、そんなに長く話して良いかわからない」

 そうですよね。ここが多くの管理職候補生の方々が、フィードバックが苦手なひとつの原因でもあります。
 つまり、、、自分はソロプレーヤーとして「優秀」だったので、そもそも「スパイシーなフィードバック」を受ける可能性が低いのですね。

 そして「自分が体験していないもの」は、なかなか「実践すること」は難しいものです。まして、それが「働かないオジサン」であった場合には、さらに事態は深刻になります。それが日本全国4万6000カ所で起きているような気がします。

 ともかく、今回のワークショップは終わりました。僕は、いつものように研修終了後は、燃え尽きてシオシオのパーになりましたが、僕にとっても学びの多い機会でした。

 最後になりますが、このような機会をいただきありがとうございました。今回議論をさせていただいた事務局のSさん、Iさん、そして、参加者の皆様に心より感謝いたします。

 そして人生はつづく

 ーーー

追伸.
 東京大学が贈るアクティブラーニング・ポータルサイト!
「マナビラボ」始動まで、カウントダウン・残り10日です。教育関係者のみならず、人材開発・学びに関して興味をもたれる多くの方々に読んで頂けるコンテンツを用意しております。
 今日は、ディレクターの山辺恵理子さん、なんちゃってラボ長・不肖中原が、マナビラボの全コンテンツを語っています。マナビラボには8つのコンテンツがあります。どうぞご覧下さい。

 先行Facebookページでは、更新情報を日々配信していく予定です。どうぞ「いいね!」「シェア」をお願いいたします。Facebookページには、下記からお越し下さい。

manabilab_logo.png
東京大学が贈る「高校のマナビ」を応援するWebサイト
「未来を育てるマナビラボ:ひとはもともとアクティブ・ラーナー!」
https://www.facebook.com/manabilab.jp

投稿者 jun : 2015年12月 8日 06:06


「知性のある人」にみられる3つの特徴?:あなたの会話に「ギフト」はついてますか?

 私たちは、日々、生活をし、様々な人々に出会うと、「あっ、この人、頭がいいな」「この人、知性的だな」と感じる瞬間があります。

「知性とは何か?」という形而上学的問いは、それだけで本が40冊くらい書けそうですので、このインスタント・オフザケブログには、全く「身の丈」にあっていません。

 ここでは問いを少しだけズラして、僕自身が、「あっ、この人、知性的だなぁ・・・」と感じる瞬間、何を判断根拠にしているかを振り返り、書いてみることにします。

「知性とは何か?」という問いと、「自分が知性的だと感じる一瞬はどんな瞬間か?」といういわばプチ現象学的な問いは、似ているようでいて全く異なります。そして、後者ならば、このブログにでも30分で書けるかもしれない。

  ▼

 僕が、他人をみて「この人、知性的だな」と感じる一瞬は、下記の3点です。

1.「会話ギフト力」のある人に出会ったとき
2.「本題戻り力」のある人に出会ったとき
3.「自己言及力」のある人に出会ったとき

 ここからは、これについて書いてみましょう。

 まず「1.会話ギフト力のある人」というのは、「相手側の発話」をまずは「受けとめ」、そのうえで、その内容に「プチ情報=お土産」をプラスして、投げかえしてくることのできる人のことをいいます。
 自分の投げたボールに「ギフト」がついてくるのですから、こうした人との会話はとても盛り上がります。嬉しいですね。

 自戒をこめて申し上げますが、非常に簡単なようですが、これがなかなか難しいものです。

 まずは、相手が言っていることをいったん「聞き切ること」が大切です。話の腰をおったり、途中で遮ったりすることなく、相手の言うことを聞きとり、受け止めることができる。これだけでたいした能力です。いわゆる傾聴力や、概念力が求められます。

 その上で、相手が好きそうな「ギフト」をつけて渡さなければなりません。そのためには、どんなボールにでも「相手にとってもらってよかったと思えるお土産」をつけることのできる「豊富な知識ベース」が必要です。ここまでできれば、すごいなぁ・・・と思ってしまいます。

  ▼

 次に「2.本題戻り力のある人」というのは、これも簡単なようですが、なかなか難しいものです。
 
 会話というのは、録音してみればすぐにわかりますが、いやはや、あっちゃこっちゃ、好きな方向に飛んでいってしまうものです。
 要するに会話は、ほおっておけば、「本題」からすぐに外れていき、支流をあっちゃこっちゃするものです。ドリフトしちゃうのよ、すぐに。

 そんなときでも、「本題戻り力?」のあるひとは、本題が何かをしっかりグリップしつづけ、支流に自分たちの会話が流されていたとしても、話を元に戻すことのできます。
 これができるためには、支流で相手との会話をやりとりしながら、本題を常にグリップしつづけ、そこに帰ることを企図しながら会話を続けなければ鳴りません。これができるためには、高度なメタ能力が必要になるでしょう。

  ▼

 最後に「自己言及力のある人」というのは、要するに、物事を分析・思考していつつも、常に自己を振り返りつつ、「自分へのやじるし」を忘れない人のことをいいます。

 どんなに高度な分析をしても、概念化をしても、「自分だけはその対象に入らない人」というのが一方でいます。他人のことはあーだこーだ言えるし、注文はできるのに、自分はその対象に入らない。自分をつねに「かっこ」の中にいれてしまう思考法です。

 一方で、自分を常に謙虚に振り返りながら、自己のあり方を変化させられる人がいます。僕は、後者のような思考のあり方を「知性的だな」とみなします。

 自戒をこめて申し上げますが、人はみな、「自分は特殊である」と思いたいものですし、「自分を分析・思考の対象にすることは苦手である」ものです。自己を対象にした自己言及性のある思考を心がけたいものです。

  ▼

 今日は、僕が、「この人、知性的だな」と感じる3つの瞬間を書いてみました。
 逆にいうと、僕が「残念だな」と思うのは「会話が平行線をたどる」「会話が常に本題からずれる」「常に自分以外のものを批評する態度しかもてない」人です。

 皆さんの定義はいかがですか?

 世の中で必要になる知の力は、さらに高度化していきます。
 知性的な人が、さらに増えることを願います。
 僕も「自己研鑽」を積むことに致します。

 そして人生はつづく

 ーーー

追伸.
 東京大学が贈るアクティブラーニング・ポータルサイト!
「マナビラボ」始動まで、カウントダウン・残り10日です。教育関係者のみならず、人材開発・学びに関して興味をもたれる多くの方々に読んで頂けるコンテンツを用意しております。
 ヤフー株式会社の宮坂学社長にも、IT業界の未来、働き方の未来について語って頂きました。宮坂さんが仕事をはじめたばかりの頃の話も伺うことができ、大変興味深く感じました。そうですよね。インターネットの黎明期は、動き出した方が得だったのだと思います。

miyasaka_manabu_san.png

 先行Facebookページでは、更新情報を日々配信していく予定です。どうぞ「いいね!」「シェア」をお願いいたします。Facebookページには、下記からお越し下さい。

manabilab_logo.png
東京大学が贈る「高校のマナビ」を応援するWebサイト
「未来を育てるマナビラボ:ひとはもともとアクティブ・ラーナー!」
https://www.facebook.com/manabilab.jp

投稿者 jun : 2015年12月 7日 06:10


3分間で「学びの理論」を説明しちゃいます!? : マナビラボFacebookページに「いいね!」をお願いいたします!

 昨日のブログでは

1.「高校 × 学び × 応援サイト」である「マナビラボ」が、12月16日より開始します!

2.マナビラボの開設にさきだちマナビラボの更新情報をお伝えする「Facebookページ」をつくりましたので、ぜひ「いいね!」をお願いします!

 とお願いをさせていただきました。みなさまには、一日で「400」をこえる「いいね!」をいただき、また、マナビラボの記事に多くのシェアをいただきましたことを感謝いたします。本当にありがとうございました。

 昨日はマナビラボのコンテンツのうち「ニッポンのマナビ」「15歳の未来予想図」「授業のひみつ」を主にお伝えしましたが、今日ご紹介するのは、マナビラボのディレクターをつとめる我が部門のスタッフ 山辺恵理子さん(東京大学・特任研究員)による「3分でわかる!マナビの理論」というコーナーです。

yamabe_3pun-1.jpg

「3分でわかるマナビの理論」は、「学ぶこと」にまつわる過去の理論や、巨匠たちのアイデアを、山辺さんがなるべくわかりやすく紹介してくれるページです。3分間の動画で、理論を解説します。
「3分でわかる」とは専門家が聞いたら、卒倒しそうなキャッチフレーズですね(笑)。便所スリッパで後頭部をスコーンとやられるのは請け合いです(ははは)。

 というわけで、このコーナーでは、過去の大理論家の残した「ひとこと」を紹介し、要するに、彼らが何を言いたかったのか、を解説させていただきます。記念すべき第1回目はジョン・デューイの残した1節を紹介します。

 ジョン・デューイは、今から100年くらい前の理論家ですが、その後の教育、学習、人材開発にものすごく影響をあたえた人です。ワークショップ、組織開発、というものの源流をたどると必ずデューイに行き当たります。

 ワークショップ、組織開発、人材開発などなど、これらを学んだことのある人なら、ジョン・デューイの名前は、どこかで聞いたことがあるはずです。

 人材開発の世界ではディビット・コルブの経験学習サイクル論が有名ですが、もとをたどれば、デューイです。コルブの経験学習サイクル論は、デューイの考えを、2次元に表現したものです。
(ちなみに、コルブは人材開発の業界ではよく知られていますが、僕は、今の研究をするまで知りませんでした)

 第一回目は、ちゃっかり僕も登場しているのですが、山辺さんと一緒に、デューイの名著でありながら、日本語訳が絶版になっている「How We Think」を取り上げます。

「How we think」の中には、このブログでも紹介したことのある下記の言葉があります。

 「教えること」や「学ぶこと」は、「売ること」と「買うこと」に似ている。「誰も学んでいない」のに「わたしは教えた!」と言うのなら、「誰も買っていない」のに「売った!」というのと同じだ。

(Dewey, J. 1910 How we think, p29)

 第一回目のコンテンツの中では、僕は、この言葉について紹介しています。

 下記の「マナビラボ」Facebookページでは、このように皆様の生活にちょっと潤い?をもたらすようなコンテンツを日々更新していきます。
 サイトそのものは「高校 × 学び」に焦点をあたてておりますが、その内容は、大学はもちろん、企業・組織・病院などなど、人事・人材開発をなさっている方でもお楽しみいただけます。

 しつこいですが(笑)、どうぞ、下記のFacebookページへの「いいね!」「シェア」をどうかお願いいたします。

manabilab_logo.png
東京大学が贈る「高校のマナビ」を応援するWebサイト
「未来を育てるマナビラボ:ひとはもともとアクティブ・ラーナー!」
https://www.facebook.com/manabilab.jp

 12月16日、マナビラボがはじまります
 そして人生はつづく

投稿者 jun : 2015年12月 4日 06:50


「高校の学び」を楽しくするWebサイト「マナビラボ:ひとはもともとアクティブ・ラーナー」が開設します! : 先行FBページへの「いいね!」をお願い致します!

祝!マナビラボが立ち上がりました(2015年12月15日)!
高校×学び×アクティブラーニングのポータルサイト!、どうぞご覧ください!


「未来を育てるマナビラボ:ひとはもともとアクティブ・ラーナー!」

http://manabilab.jp/
  
manabilab_hyoushi_desu.jpg

---

manabilab_logo.png
東京大学が贈る「高校のマナビ」を応援するWebサイト
「未来を育てるマナビラボ:ひとはもともとアクティブ・ラーナー!」
https://www.facebook.com/manabilab.jp

が、12月16日にオープンいたします! 不肖・中原、マナビラボの「ラボ長」という職を、自ら勝手につくり、勝手に拝命し、勝手につとめさせていただいております(笑)ははは(ラボ長・研究員の熱い思いは、一番下に掲載されています)。

 つきましては、皆様に、どうか、どうかお願いがございます!
 12月16日のWebサイト開設に先立ちまして「マナビラボ」のFacebookページを「先行」でつくりましたので、こちらに、どうか「いいね!」をお願いできませんでしょうか?
 
 こちらのFacebookページで、WebサイトURL、今後の御連絡、新着情報などをお知らせさせていただきます。全国の高校のアクティブラーニングの実態を明らかにした報告書や、アクティブラーニングに関する各種の対談記事、学校訪問記事なども入手することができます。こちらのFacebookページで各種御連絡を差し上げますので、どうか「いいね!」をお願いいたします。

screenmanabilab.png
「未来を育てるマナビラボ:ひとはもともとアクティブ・ラーナー!」へ「いいね!」をお願いします!
https://www.facebook.com/manabilab.jp

 マナビラボに「いいね!」をしていただいたからといって、「怪しい壺?」とか「怪しいペンダント?」をおすすめすることはございません。「マナビラボ」のおすすめするコンテンツはいたって真面目、ガチ本気です。
 「マナビラボ」では、12月16日より、下記のような様々なコンテンツが展開されます。いずれも「現在の高校を明るく楽しく元気な学び」を特集するような記事です。

  ▼

 ひとつめ

nippon_no_manabi.png

 2015年、東大 × JCERIが全国の普通科高校3900校に対して行わせて頂いた調査「高校における学びの実態調査」の調査結果をこちらで紹介させていただきます。
 第一報告書のダウンロードも12月16日より開始され、無料で入手することができます。どうぞご自由になさってください。
 また、出典をお示しいただければ、調査結果や調査結果をわかりやすくまとめた「インフォグラフィックス」もご自由にご利用いただけます。画像をがしがしダウンロードして、ご自身のプレゼンにご利用下さい。「現在の高校の学びの実態」が見て取れると思われます。

 ちなみに、先の調査の調査回収率は、な、なんと62%!(驚異的数字です!)(全国の高校の先生方、本当にありがとうございました!感謝です)。日本全国の普通科3900校のうち2600校の「マナビの実態」が12月16日より明らかになります。

 どんな教科がインタラクティブに教えているのか?
 どの県が支援体制を充実させているのか?
 データをつまびらかにお返しいたします。

 ぜひお楽しみに!

  ▼

 ふたつめ!「授業のひみつ」!

「授業のひみつ」のコーナーは、インタラクティブでラーニングフルな高校の授業を、マナビラボ研究員が訪問させて頂き、みなさまにご紹介するページです。
 先ほどの「ニッポンのマナビ」が「数字」ならば、こちらでは「ストーリー」や「物語」をつむぎます。下記のように、高校の先進的な授業(こちらは岐阜県可児高校の事例です:感謝いたします!)が、Web上で追体験できます。


 現在の高校の教室の様子は、昔と大きく様変わりしています。
 もちろんアクティブラーニングで有名な学校ばかりでなく、面白い授業を草の根で展開なさっている先生方の授業も、ご紹介させていただく予定です。
 
 どうぞリアルな高校のマナビをご覧下さい。

  ▼

 みっつめ!

miraiyosouzu.png

「15歳の未来予想図」は、識者の方々と中原がゆるゆると対談させていくビデオが掲載されております。テーマは「15歳の未来、今の高校生はどんな働き方をしているのか?」です。

 現在、15歳の高校生は、今後、どのような社会を生きるのか。そして、今の15歳が大人になるとき、どのような働き方が待っているのかを識者の方々に伺います。

 識者の方々は、元アスリートの為末大さん

tamesue_dai_san.png

 カタリバの今村久美さん

imamura_kumi.png

 そして、ヤフー株式会社・CEOの宮坂学社長(本間さん、池田さんありがとうございます!)

miyasaka_manabu_san.png

 などぞくぞくとつづきます。
 為末大さん、今村久美さん、宮坂学社長など、お忙しい皆様に貴重なお時間をいただきましたことを、ここに心より感謝いたします。皆様には、高校からは少し異なる現場から、しかしそれでいて、高校に対する熱いメッセージをいただきます。

 今日は初回なので、このくらいを紹介しますが、このほかにも様々なコンテンツがあります。どうかお楽しみください。
 
 ▼

 なお、これらのコンテンツは、東京大学・大学総合教育研究センター 教育課程・方法開発部門と日本教育研究イノベーションセンターのみなさまとの共同研究、そして、わたしたちの試みを支えて下ったみなさまとの共同の成果です。

日本教育研究イノベーションセンター
http://jceri.kawaijuku.jp/

 東大のスタッフとしては、中原の無茶ぶりに「おしん」のように耐えディレクターをつとめあげている山辺恵理子さん、やはり中原の無茶ぶりに耐えデータアナリシスを担当する木村充さん、はからずも中原の無茶ぶりにたえ撮影・編集を担当する松尾駿さん、そして、ひたすら中原の無茶ぶりに耐えライティングを行う堤ひろゆきさん、そして中原のアシスタントを長年つとめプロジェクトを影ながらささえてくださっている阿部さん。ライターの井上さんにもご支援いただきました。
 皆様は、この半年間、死にものぐるいで頑張ってくださいました。本当にありがとう。僕は、自分の部門のスタッフでありますが、皆さんを誇りに思います。

 日本教育研究イノベーションセンターのみなさまにも心より感謝をいたします。成田先生、山本さん、谷口さん、高井さん、赤塚さん、片山さん、坂上さん、船津さん、、友野さんをはじめとして多くの方々にお世話になりました。
 日本教育研究イノベーションセンターのスタッフの皆様には、心より感謝をいたします。本当にありがとうございました。皆様が、「世●し」のプロジェクトにご賛同いただけなかったら、この試みは存在すらしませんでした。

 また、12月16日にオープンになるWebサイトのディレクションは、盟友・スパイスワークスさん、イラストレータの加納徳博さんにお願いをさせていただきました。
 10年前と少しも変わらずこちらの無茶ぶりに快諾いただき、かつ、なるべく面白いWebページをつくることにこだわっていただきました。この数十年、様々なWebの会社とおつきあいをさせていただきましたが、スパイスワークスさんは、最高のクオリティで、わたしどもの要望に応えてくださいました。関根社長、そしてディレクションを担当いただいた永島さんにも心より感謝を致します。


イラストレータ・加納徳博さん

http://tokuhirokanoh.com/

スパイスワークスさん
http://www.spiceworks.co.jp/

 また、文部科学省のみなさまにも心より感謝をいたします。文部科学省初等中等教育局教育課程課・教育課程企画室の大杉住子さんはじめ、清水さん、小野さんにも大変お世話になりました。盟友・武藤久慶君にも感謝です。
 今回の調査、プロジェクトがすすみましたのは、みなさまのパッションに寄るところが大変大きいと思います。本当にありがとうございました。

 そして、まだお名前は申し上げられませんが、某映像メディアで報道をなさっているHさん、解説をなさっているHさん、番組をおつくりなっているHさん、出版をなさっているMさんにも大変お世話になりました。また、活字メディアをご執筆いただいているMさんにも、大変お世話になりました。引き続きどうぞよろしく御願いいたします。

 最後になりますが、今回の調査に御協力頂いた、2371名の日本全国の校長先生(学校代表者の先生)、11492人の教務主任の先生方、そして、5177名の現場の先生方に、心より感謝を致します。
 手前味噌ながら、回収率62%という数字は驚異的だと思います。皆様から寄せられた質問紙に、わたしたちは正直身震いしました。これは、しっかりと、このご期待にお応えしなければならないのだ、と。
 今後、Webメディア、書籍、政策への提言、その他のかたちで、お寄せいただいたデータをしっかりお返ししていきますので、どうぞ変わらぬご支援をお願いいたします。

 最後に繰り返しになりますが、「マナビラボ」のFacebookページへの「いいね!」をどうかお願いいたします。

「未来を育てるマナビラボ:ひとはもともとアクティブ・ラーナー!」
https://www.facebook.com/manabilab.jp

 なお、以下は長文になりますが、マナビラボ開設にあたり、僕らが思いをつづっています。12月16日にオープンになる「マナビラボ」のABOUTの部分に書いてある思いです。マナビラボ所員の全員の願いをどうかご笑覧ください。

 そして人生はつづく

 ーーー

ワクワクする学びを明日の教室に!
ひとはもともとアクティブ・ラーナー

 東京大学 大学総合教育研究センター 教育課程方法開発部門と日本教育研究イノベーションセンターは、日本全国の高校で授業をなさっている先生方が、その授業をさらに「インタラクティブ」に、さらに「知的にワクワク」したものにするお手伝いをさせていただきたいと願い、Webサイト「マナビラボ」を立ち上げました。

 マナビラボは、高校の先生方はもちろんのこと、今、高校で学んでいる高校生、そして高校の授業に関心をもつ多くの人々にご覧いただきたきたいと感じています。

1.「日本全国の高校のアクティブラーニング型授業の実態」を「見える化」するべく、モニタリング調査を行わせていただくこと

2.アクティブラーニング型授業を含む「高校の先進的な授業実践事例」を収集し、多くの人々に知っていただくこと

 これら2つの活動に関するコンテンツはもちろんのこと、これらに関連する様々なコンテンツを開発することで、「高校の授業が今まで以上にワクワクしたもの」になることを、わたしたちは願っております。

 マナビラボ所員一同、前述の目的を達成するべく、さまざまな記事・コンテンツの執筆を行わせていただきますので、どうかよろしくお願いいたします。

 なお、マナビラボ立ち上げに際して、わたしたちは、4つの信念をもっています。まずは、ぜひ、そのお話をさせてください。


●1つめの信念

 わたしたちは、アクティブラーニングを「これから新たに始めていくもの」と「見なさない」ということです。世の中には、アクティブラーニングを「これから実施されるべき新規なもの」とみなし、場合によっては、「これまで」を否定する言説があふれています。
 あるいは、「アクティブラーニング」を「特定のツール」や「特定の考え方」を利用しなければ実現できないものと、主張するむきがあります。

 しかし、わたしたちは、これらの考え方に「違和感」を感じます。

 アクティブラーニングを実現するために、「つくられた土俵」にのる必要はありません。その芽は、むしろ、多くの教育現場に「すでにあった」のではないでしょうか。そして、それは、みんなの創意工夫でいかようにも実現できるのではないでしょうか? 特定のツールやら、特定のやり方を利用しなくても、「これまで」を見つめ直し、未来をみつめれば、実現できるのだと思います。

 むしろ、これまで多くの高校には、「アクティブラーニング型授業」とラベルづけはされていないものの」、「インタラクティブで、かつ、優れた問題解決をなす授業があったはず」です。
 わたしたちは、そういう「当然の前提」にたち、このプロジェクトをすすめたいと願うのです。それらをさらにブラッシュアップし、改善していくこそが、現在15歳の高校生たちが生きる近い将来を豊かにすると信じています。

 マナビラボは、事例調査、実態調査を通じて、「今あるもの」を「Rediscovery(再発見すること)」をめざしたいと考えています。
 マナビラボの副題にあります「ひとはもともとアクティブ・ラーナー」には、そのような思いが込められています。

●2つめの信念
 わたしたちは、高校における「授業革新」の問題を、「高校だけが取り組む課題」であるとは捉えていません。むしろ、わたしたちは「高校ー大学ー社会(就業)」をトータルにとらえ、その移行が円滑にすすむことを目的に、このプロジェクトをすすめます。

 これには、マナビラボ所長である僕個人の私的な経験が強く影響しています。

 僕は、これまで10年以上にわたり、「学び」という観点から「企業・組織のヒトにまつわる問題」を研究してきました。企業の「人材開発」に関する実証研究をなす一方で、企業研修の現場にも立ち、数千名を超える様々なビジネスパーソンと接してきました。地域活性化、地域開発にも従事してきました。
 そうした経験の中で、ここ数年ふつふつとこみ上げてきた思いがあります。
 それは、多くの現代社会を生きる人々にとって必要な経験で、下記のような経験は、いくら「前倒し」して経験しても「早すぎる」ということはないということです。

 特に、

・多種多様な社会的背景をもつ人々と協働する経験
・リーダーシップを発揮して、人を巻き込み、何かをなしとげる経験
・論理的に物事をとらえ、アウトプットを行う経験

 などは、変化の早い時代にあっては、学校の教科の中で、あるいは教科外でも、学ばれるべきであると感じます。学校の中に「出島」をつくり、そこで実践されるべきでなく、多くの教育活動の中に、それらが埋め込まるべきだと感じます。
 そのような経験をもった成人が、これから社会にたくさん求められるようになっていくと実感しますし、これからの社会を望ましい方向に変えていくのではないかと感じています。

誤解を避けるために申し上げますが、単に、企業で必要になる能力開発を、学校に押しつけたいわけではないのです。地域の必要な人材を、学校だけに押しつけるつもりもありません。もちろん学校教育の意義は、企業・組織・地域のためだけにあるわけではありません。

 しかし、上記3つのような経験は、企業・地域社会を生きるすべての人々にとってというだけでなく、これからを生きる「子ども」にとって、若い世代にとって、必要になるものであると考えます。
マナビラボは、高校の現場においても、このような経験学習がさらに生まれることを願っています。

●3つめの信念

 3つめの信念は、わたしたちは徹底的に「見える化」するということです。
 アクティブラーニングの言説空間には、様々な理論語、現場語がとびかっています。それらの多くはベクトルを異にしており、交差しつづけているような印象をもちます。ここに圧倒的に足りていないと感じるのは、「見える化」です。

 私たちは信じています。
「今ある現実」を「見える化」できていないものは、具体的に「将来を構想すること」はできません。「今ある現実」を「見える化」できたところから、生産的な議論がはじまります。

 よってわたしたちは、現場の先生方に大変なご苦労をおかけして、今ある高校の現場の実態を把握する調査を行わせて頂きました。また、今の高校の現場の実態がわかる、さまざまな定性的調査をさせていただいております。

 地に足をつけて、現場のリアルな実態、現場の声を拾うところから、将来を構想すること、そのお手伝いをすることをわたしたちの信条とします。

●4つめの信念

 それは、わたしたちはマナビラボを「コミュニティ・メディア」にするということです。コミュニティ・メディアとは、ここでは「共通の関心をもつ人々が出会い、参加・協力していく関係を編み出すメディア」という意味で用います。
 マナビラボ所員は、わずか6名です。
この所員が全力で走り、さまざまな調査分析・記事執筆を行うのですが、わたしたちに為しうること、わたしたちにできることは限られています。

 わたしたちの元には、まことにありがたいことに、さまざまな高校の現場から講師登壇のリクエストが寄せられております。そのすべてにお答えしたいのはやまやまなのですが、限られた人的リソースのなかで、もっとも社会的インパクトが高いことを為していくためには、何が必要かを、これまでグループで話し合ってきました。

 その結論が、
わたしたちは、マナビラボを「コミュニティ・メディア」にしていこう!
というものです。

現在、高校の授業に対しては社会的に高い関心が寄せられていますが、この問題には、かならずしも、いつもマスメディアが注目をしてくれるわけではありません。
わたしたちは、マナビラボをコミュニティ・メディアとして運営し、「高校の授業に共通の関心をもつ人々が出会い、参加・協力していく関係を編み出すこと」をめざしたいと思います。

   ▼

 以上、マナビラボを立ち上げるに際して、読んでいただきたい方々、そしてそれらの方々にご理解いただきたい、わたしたちの思いを記しました。
マナビラボが、高校の授業をさらに「ワクワクしたもの」とする「媒介」になったとしたら、あるいは、高校の授業に関する社会の関心を喚起し、そこに様々な人々が参加・協力をいただける「触媒」になったとしたら、これ以上、うれしいことはありません。


Learning is fun!

 所員を代表して
 勝手にマナビラボ長
 中原 淳(東京大学・准教授)

ーーー

 2015年12月16日・・・新たな1ページが加わります。
 マナビラボ始動です!

manabilab_logo.png

 先行する「マナビラボ」のFacebookページへの「いいね!」をどうかお願いいたします。

screenmanabilab.png
「未来を育てるマナビラボ:ひとはもともとアクティブ・ラーナー!」
https://www.facebook.com/manabilab.jp

 そして人生はつづく

投稿者 jun : 2015年12月 3日 07:00


「頭がいい人」がリーダーシップの発揮につまづく理由:7ステップで進行する「リーダーの脱線」!?

 ちょっと前のことになりますが、現在、共著を執筆させていただいているヤフー執行役員の本間浩輔さんが(光文社新書として年度内にはでる予定です!)、こんなことをおっしゃっていました(いつも大変お世話になっております!感謝!)。


世の中には「あいつ、頭いいけど、人はまったくついてこないんだよなー」という残念な人が多いのです。そういう人に出会うと、僕は思いますね。アチャパーもったいないなぁ・・・。誰か、もっと早くに、この人に、フィードバックをしてあげられる人はいなかったのかな、、、と。


 おそらく、この言葉には「若干の脚色」がこめられており、本間さんが「アチャパー」と口になさることは、まず「ない」のですけれども(アチャパーは小生の口癖?)、主旨はだいたいそんなものかと思います(ICレコーダをもっていたわけではないので、すみません、笑)

「あいつ、頭はいいけど、人は全くついてこないんだよなー」という状況で、もし、その人がリーダーをすることになると、だいたい、その後のプロセスは、こんなところかと思います。

 これは、最近、僕がよく紹介する「できるマネジャーが、つまづく7ステップ」です。
 だいたい、こんな感じで、頭のよいハイパフォーマーはつまづく。

1.目標共有不足
 本人は「頭がいい」ので、「人はみな、1を聞けば10動く」と思っている。少しだけ目標を伝えれば、部下は、みな、わかって、ただちに動くと思っている。しかし、そんなことはない。「目標の腹落とし」に失敗し、チームで目標を握れない。
 自分に相当自信があるリーダーの場合には、「オレの背中についてこい」とだけいい、言葉不足に陥ることが多い。でも、だいたい、リーダーは忙しい。メンバーからみれば「見て欲しい背中」は、いつもいない。

2.メンバーの頭のなかには「3つの?」が生まれる。
 目標や意義が腹に落ちていないので、「主体的」には動けない。意義や理由や全体像がわからないのに、自分で判断して、自分で動くのは不可能。よって、「3つの?」がメンバーの中に生まれて、主体的に動こうとしない。
 「これ、なぜ、やるんですか?」  「やるのはいいですけど、他の仕事はどうすんですか?」  「なぜ、私がやるんですか?」

3.「俺様勝ちパターンの横展開」と「メンバーのため息」
 メンバーが主体的に動けないので、本人の「成功パターン」を、そのまま、やらせようとする。あるいは、自分でシナリオをすべてつくって、事細かに指示する。本人は「頭がいい」ので、「本人のやり方がベストで、他に方法はない」と思っている。
 メンバーには「ため息」がもれる。
「どうせ、あの人は、答えを、自分で持っているんじゃないですか!」
「最初から答えが決まってるんじゃないですか?」

4.メンバーの「初期反発」とリーダーの「ため息」
 メンバーには、押しつけられた「本人の勝ちパターン」をまわすスキル・能力・パッションが不足している。メンバーはリーダーと同等のスキル・能力・パッションをあたりまえだが、持ち合わせていない。よって、ギクシャクして動かない。ないしは、動いてみても、なかなか成果はでない。
 リーダーは、だいたい、こんなため息をつく。
「なんで、こんなにオレが熱い思いでやっているのに、メンバーには、それがないのか?」
 スキルや能力が不足とラヴェリングするのは難しい。たいていは「パッション」や「熱」のせいにする。

5.しょうがないので「恐怖政治」か「巻き取り」
「答え」を教えてやっているのに動かないので、リーダーはいらいらしてくる。やむなく「恐怖政治=叱りつけて無理矢理やらせる」か「巻き取り=部下がやるべき仕事を自分、ないしは、自分の右腕の部下で巻き取ってやってしまう」かしかなくなる。

6.「メンバーに一揆勃発」か「メンタルダウン」
「恐怖政治の効果」は長くはもたない。たいてい、何かのきっかけで「一揆」が勃発する。
「巻き取る」にしても限界がある。次第に本人、ないしは、本人の周囲で右腕になる存在(仕事を任されまくっている人)がメンタルダウン

7.やむなく「脱線」
「戦線離脱」・・・「あいつ、頭はいいけど、人がついてこないんだよね」というセリフが周囲からでることになる 

 いかがでしょうか。
 あなたの周囲に、このステップに陥っているチームはないですか?

 えっ、6ステップめ?
 結構、やばいかも(笑)。

 もちろん、こんなに線形に物事が進むわけではないですし、すべてのステップが必要なわけではないのですけれども、僕が数百人の現場マネジャーの方々にヒアリングさせていただいて、現場でおこっていることをエイヤっと定性的に独断と偏見でまとめると、こんな感じです。

 ▼

「あいつ、頭がいいんだけど、人はついてこないんだよな」

 嗚呼、このセリフほどもったいないものはありません。「つまづき」を経験し、戦線離脱する前に、こうした「頭のよい人」には、「人を率いる経験」を「前倒し」て行っていただく方がよいと思います。

 ややトートロジカルな物言いになりますが、結局、

 リーダーシップを学ぶためには、リーダーシップを生み出す経験をするしかない

 からであり、その経験を通じて、多少スパイシーであっても、きっちりフィードバックをしてあげることが重要であると思います。

「おまえさ、頭がいいけど、このままいくと、近いうちに限界が生じるよ。どっかで、今の自分をなおさないと、頭打ちになっちゃうよ。おまえ、頭はいいけど、人はついてこないよ。」

 この国に、さらに多くのリーダーシップが生まれることを願っています。もともと勤勉で、しかも真面目な人が多い国です。

「頭はいいけど、人はついてこない人」を少しでも減らせれば、望ましい未来が待っているかもしれません。

 そして人生はつづく

投稿者 jun : 2015年12月 2日 06:07


世の中に蔓延する「つぶしがきく幻想」を冷静に考える!?:いったん学んだことだけで、一生食いっぱぐれないのは可能か?

「先生、つぶしがきく学部とか、つぶしがきく学問って、あるんでしょうか?」

  ・
  ・
  ・

 かなり前のことになりますが、あるところで講演させて頂いた際、ある親御さん(たぶん?)から、講演終了後、ご質問をいただいたことがあります。
 小生の拙い話を聴いて下さり、本当にありがとうございます。このやりとりは、かなり印象深い思い出です。

 親御さんからのご質問は、「つぶしがきく学部 / 学問」に関するご質問でした。
 しかし、あいにく僕の方は「つぶしがきく」という言葉と、その発想を、おそらく、この数十年にわたって一度も使ったことも、思いついたこともなかったので、一瞬、絶句してしまったことを覚えています。悪気はまったくないのです。どうかお許し下さい。

 冷静さを取り戻すのに3秒くらいかかったのですが、何とかお答えできたのは不幸中の幸い?でした。僕の答えは、一番最後に申し上げます。

  ▼

 周知のとおり、「つぶしがきく」とは、

「どんな職種にも対応できる、文脈に依存しないスキル・能力を教育機関で獲得できており、それがいつでも利用可能なこと」、すなわち、ワンセンテンスで申し上げれば、

 「どんな状況になっても、教育機関で学んだことを活かして、食いっぱぐれないこと」

 をいいます(笑)。

 もともとは、「つぶし」とは「潰し」のことでしょう。一度できあがった金属製品を「潰して」、溶解させて、また「整形」しなおすことができることをもって、「つぶしがきく」というのだと思います。

 一般的には、「つぶしがきく学部」とかいう風に使われますね。「手に仕事をもつことができると考えられる学問が学べる学部、「習得に時間がかかる理系の分野」などが、「つぶしがきく」んだそうです。

 へー。

  ▼

 しかし、他人はどうであれ、僕は、この「発想」こそが、現代社会では最も「リスキーな発想」なのではないかと思います。
 といいましょうか、ひとりの親としても、我が子には、「つぶしがきく」という発想を、絶対「おすすめしない」だろうな、と思うのです。他人はどうあれ、僕が思うところを下記に書きます。

 僕がもっともリスキーだなと思うのは、この言葉の背後にある仮説=背後仮説です。

 この言葉の背後には、

1.どんな状況になっても、生き残っていける万能のスキル・能力があるはずであり、それを体系だって教えてくれるものが学問であるとする考え

2.その学問分野を教育機関では学んで、スキル・能力を獲得しちゃうことが、将来の優位まで保証してくれるはずだという考え

3.仕事に入ったら、それを武器として、何とか生き残っていくことができるはずである

 という考え方が見え隠れするからです。
 
 ここにあらわれる背後仮説は、

「学問=食いっぱぐれないためのスキルや能力を教えるもの」

 という発想があり、

「教育機関=学ぶところ」
「仕事領域=学んだことを活かして生き残るところ」

 という発想を含み

「どんな場所にでも通用する知識・スキルはある」

 という前提を是とします。そして、その後景を彩色するのは「親御さんの切実な思い」です。その「熱い思い」をワンセンテンスで申し上げるとすると、

「うちの子どもには、ババ(つぶしのきかないもの)をひかせたくない。つぶしがきく=どんな状況にでも通じる武器を持たせてあげたい」

 気持ちはよくわかりますよ、親として。
 本当に、本当に痛いほど。

 しかし、さんざんぱら、研究してきた僕としては、この熱い思いに肯定的回答をなすことはできません。

 僕の常識では、

1.これだけ社会のあり方が変わる現代で、どんな状況でも生き残っていける知識・スキルを想定することは困難である。むろん、学問はそれを体系的には教えられない

(=むしろ社会で必要とされる道具はかわるので、もった道具を手放さないことは、リスクにもなりえる。いったんもった道具を持ちかえることを厭わないこと、あるいは、持っている道具を組み合わせて利用するなどの方が重要。せめて学問をすることによって獲得できることは、道具を探し続けること、言い換えるのなら、学び続ける姿勢なのかな、と思います。これに関しては、 例えば、こんな反論もありえるかもしれません。「理系=手に技術がつくから将来安泰」ですよね、と。でも、「理系=手に技術がつくから将来安泰」といいますけど、本当ですか? 「手に技術がついて将来安泰」なのは、その技術が環境・市場に受け入れられるときだけですよ。この世の中には、「あることに熟達すること」が、かえって、「環境変化への適応」を阻害してしまうこともあるのです。)

2.教育機関で学べることだけで、一生生き残っていけると考えることが、そもそも想定できない

(=教育機関にはできることと、できないことがある。僕には、教育機関には、仕事人生を丸抱えできる知識やスキルを教えることができると考えられない。教育機関にできることは、まずは仕事領域に参入する準備をなすことと、初期キャリアにおける適応である。めちゃくちゃ気合いをいれれば、概念的創出力の獲得も期待できるが、これは非常に難しい課題のひとつである)

3.仕事領域に入っても学びはつづく。むしろ、そこで学び続けることが重要
(=社会で必要とされる知識やスキルは常に変わり続ける。よって、継続的に学ぶ意志が重要)

 ということになります。

 むしろ、ある学問をやりたいと願う子に、

「あんた、そんなもの学んでどうなるの? 教育機関では、つぶしがきくものを学んで、一生食いっぱぐれないようにしなさい!」

 と言ってしまうことはリスキーであるようにも思います。なぜなら、それを聞いている子どもは、1)どんな状況でも食っていける魔法の杖みたいな道具があるんだ、2)学問ってのは、そういうのを体系的に教えてくれるんだ、3)教育機関で学んだことだけで一生食っていけるんだ、4)仕事領域にでたら学ばなくていいんだ、と誤解をしてしまうだろうから。ま、取り越し苦労かもしれませんが。

 これは拙著「経営学習論」にも書かせて頂いたのですが、

「人が有する知識やスキルというのは、文脈に依存しており、思ったほど、ポータブルではない」

 のです(中途採用の章)。
 むしろ、「文脈にめちゃめちゃ依存している知識やスキル」を、「文脈非依存である」と考えることの方が、リスキーかもしれません。

 

  ▼

 だから、僕の答えはこうです。

「一瞬黙ってしまって、本当にすみません。でも、気分を害さないでお聞き頂きたいのです。親御さんの思いは、僕も親なので、よくわかります。「つぶしがきく学問」とか「つぶしがきく学部」があったら、僕もうれしいです。

 でも、僕には、それがどうしても、想定できません。現代社会は「変化が早い」でしょう。 
 僕たちは親として「つぶしがきく学問や学部はないか」と追い求める発想をしてしまいがちですよね。でも、こういう変化の早い時代は、「つぶしがきく発想」をしてしまうこと自体が、意味をなさない社会なのではないでしょうか。

 もちろん、実証できているわけではありません。でも、さんざん研究してきて、いろいろみてきて、今の時代は「つぶしがきくもの」を追い求めても、あまり僕には意味があるようには思えません。

 むしろ、将来の成功を約束するものがあるのだとしたら、お子さんが、教育機関においても、仕事領域においても、地道にコツコツと、地に足をつけて、学びつづけることをやめないことではないでしょうか。学ぶことをやり切ることなのではないかと思うのです。

 つぶしがきくってのは、学び続けることができることです。そういうことを、学問することを通して、ぜひ学べるとよいですね。僕は、そう思います」

  ▼

 今日は「つぶしがきく」ということについて書かせて頂きました。
 皆さんはどう思われますか?

 そして人生はつづく

 ーーー

追伸.
 毎朝4時におきて原稿をかく毎日です。結局、ここしか時間がないんですよね。今月は脱稿本が多いですね。人材開発の論文集「人材開発研究大全」(東京大学出版会)もでますよー。

 どうぞお楽しみに!

投稿者 jun : 2015年12月 1日 05:17