アクティブラーニング温泉に「湯あたり」しちゃって生まれる「リフレクション疲れ」!?

「先生、授業の最後の振り返りってウザくないですか。最近、どの授業でも、お隣の人と振り返りをしましょう!って、言われるんですよ。「何」振り返っていいのかな。いつも、駄弁ってるだけだけど」
  
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 先だって、ある学生さんが、僕にこんなことを教えてくれました。
 これに類することは、先だって別の学生もおっしゃっていました。

「先生、振り返りって何したらいいですか。授業の終わりで疲れてるし、いっつもやらされるから、もー、疲れた。」

 嗚呼、どうも、世の中には「リフレクション疲れ」が生まれているような気がします。

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 ここで問題とされていることは、

 振り返りをすること重要性
 リフレクションを為すことの重要性

 では「ありません」。

 リフレクションとは、ワンセンテンスで述べるならば、

 1.過去を見直し
 2.「今ここ」を分析し
 3.そのうえで未来を決めること

 リフレクションは、

 変化が激しく、問題が「所与」で渡されず、何が「問題」かが不可視化していく時代
 個人が自分の人生をデザインし生きなければならない時代

 に必要な知性です。

 このような現代社会においては、アクションの合間に一歩立ち止まり、リフレクティブな時間をもつことは非常に重要なことです。

 人は、もともと、猛烈にアクションオリエンテッド(Action-oriented)な存在です。
 力強く、早く、確実に生き抜く為にも、たまには立ち止まり、リフレクションを為すことが重要です。

 しかし、問題はここからです。

 1.リフレクションをしなければならない理由とは何か?

 2.いえいえ、そもそもリフレクションとは何なのか?

 についてあまり明瞭に教えられていないために、リフレクションが、

 「隣の人との単なるおしゃべり」
 「ワークショップの最後の〆の儀式」

 に化しているということです。

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 もうひとつは「リフレクション」する対象に関する問題です。

 1.過去を見直し
 2.「今ここ」を分析し
 3.そのうえで未来を決めること 

 はいわばリフレクションのプロセスです。過去といっても、「何」について振り返り、「今ここ」といっても「何」について分析するのか、についてしっかりとしたインストラクションがないために、冒頭の学生さんのように「何、振り返っていいのかな」という事態が生まれます。

「さー、最後はリフレクションですね。何でもいいからお隣の人と話し合ってください」的なインストラクションが横行することになります。

 経験のある方は、自分だけで「対象」を決定し、効果的なリフレクションを為すことができます。
 が、経験上、多くの人々は難しいと思います。
 経験のない方が学習者である場合には、リフレクションする「対象」について、ある程度のフォーカスを絞ってあげることが大切になってきます。

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 今日は、世の中に広がる?「リフレクション疲れ」について書きました。

 世の中は、「アクティブラーニング」という言葉が、いわばブームのようになり、「アクティブラーニング温泉」というような状態が生まれています。

 アクティブラーニング温泉に「湯あたり」して、これ以上「リフレクション疲れ」に陥る人を生み出さないようにしていくことが大切かと思います。

 なぜなら、くどいようですが、リフレクションそれ自体は、これからの現代社会を生き抜く人々にとって重要な知性であるからです。
 それはアクティブラーニングが流行しようと、なかろうとも。

 そして人生はつづく

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