「学び方」はいかにして学ぶことができるのか?:魚をとらずに魚釣りを学ぶ!?

 世の中には「何を学ぶか?」と「どのように学ぶか?」を、それぞれ「別物」と見なして考える「思考法」があふれています。

 ここで前者の「何を学ぶか?」は「学ぶべき内容」、後者の「どのように学ぶか?」は「学ぶ方法」と置き換えてもよろしいでしょう。

 世の中には、こんな三段論法が充ち満ちています。

1.現代は情報爆発の時代だ。学んだ内容なんて、すぐに陳腐化する
2.だから「学ぶ内容」なんか重要じゃない。
3.「学ぶ内容」よりも「学ぶべき方法」を教えなければならない

 要するに、これらの言説群の特徴としては、こんな感じです。
 まず、「情報爆発」「高度情報化」「知識産業化」など、「耳障りの良い枕詞」を「背景」にしてセットアップします。そのうえで、「学ぶ内容」よりも「学ぶべき方法」を重要視するということがあると思います。

 ときには、こんなメタファも用いられますね。

 これからの時代は
 「魚」をあげるんじゃなくて、(魚=内容)
 「魚の釣り方」を教えなければならない(魚の釣り方=方法)

 要するに「内容」じゃなくて「方法」なんだ、と(笑)。

 まず、誤解を避けるために申し上げますが、僕は、この意見に一部は賛成です。「学ぶ方法について学ぶこと」が「学ぶ内容」に「加えて」重要になっている、というのなら、全く意見を差し挟む余地はありません。
 そう、「加えて」であるならば。

 しかし、

 だから「学ぶ内容」なんかさして重要じゃない
「学ぶ内容」よりも「学ぶべき方法」を教えなければならない

 となってくると話は別です。

「学ぶ内容」と「学ぶ方法」を本当に「二項対立のもの」と見なしてよいのだろうか?

「学ぶ内容」は「時代遅れ」で、「これから」は「学ぶ方法」だとする問題の切り取り方は妥当なのか

 という疑念が頭をもたげてきます。

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 この疑念をとく鍵は、しかし、そう難しいわけではありません。

「学ぶ方法」それ自体が、いったい、どのようにして学ばれるのか

 を考えればおわかりいただけると思います。

 今日は首都圏は大雪で時間がないので(笑)、さっさと結論に参りますが、

 「学ぶ方法」は、ある特定の「内容」を学ぶ中でしか、学ばれない

 のではないでしょうか。換言するならば、「学ぶ方法」を、「内容を学ぶこと」と切り離して学んでみても、なかなか学べない

 ということになりますね。

「学ぶ方法」だけを学ぼうとしたり、たとえばそれを「座学」で学んだとしても、なかなか学べなそうでしょう?
 
 要するに、

「何かを学ぶ中」でしか、「学び方」は身につかない

 と考えられます。

 先ほどの「魚と魚釣り」の例を使うのならば、「魚釣りの方法」は「魚」をとることでしか学べない、のと同じですね。

 というわけで、もっとも大切なことは、僕は、まずは「何かを学ぶこと」だと思います。特に「先人達の経験や智慧」をしっかり学ぶことは、「巨人の肩の上」から思考することを可能にします。要するに知識はしっかりもっておいた方が良い。

 そのうえで、そこで終わるだけではなく、もう一手間加えたい。
「内容についての学び」に加えて、「学ぶ方法についての学び」を工夫したいのです。
 それには、自分の学ぶプロセスを、折にふれて振り返り、「どのようにすればよく学べたのか」を自分なりに考えること。すなわち「学ぶ方法」を振り返り、よきものにチューンアップしていくことが重要であると考えます。

「魚釣り」だって同じではないでしょうか。
 やたらめったら、釣り糸をたらしても、魚はつれません。
 どの深さの海に、どんなエサを投げ込んで、どのようにリールを回せば、よく魚がとれるのかを「考えながら」、魚をとるのではないでしょうか。

 というわけで、本日は「学ぶ内容」と「学ぶ方法」について考えてみました!「学ぶ内容」に「加えて」、よく「学ぶ方法」を!

 そして、人生はつづく