我が子に「コンピュータ」といかに「出会わせる」のか?:コンピュータは「創造の道具」か「消費のメディア」か?

 ここ最近、TAKUZO(公立小学校2年生・8歳)と夜な夜なプログラミングをしています。 
 TAKUZOには、これまで一切、コンピュータ環境(PC、iPhone、iPadすべて禁止)に触れさせてこなかったのですが、そろそろ、「親と一緒にやるのなら」、自らをコントロールしながらできるかな、と、ここ数ヶ月思いはじめ、徐々に解禁することにしました。

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 まずはお世話になっている先生のはからいもあり(感謝です!)、タッチタイピングを練習しはじめ。次には、クローズなブログを運用し、親戚などに公開しはじめ。ようやくたどりついたのが、プログラミングです。
 もちろん、TAKUZOをコンピュータに触らせるといっても、「親と一緒に何かを創り出す」以外の触らせ方は、一切していません。あくまで、彼がコンピュータに触れるのは僕がいるときだけ。現在は、僕と一緒にやるときだけの限定的使用です。

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 プログラミングの開発環境には、MITで開発され、おそらく全世界でもっとも普及していると思われる「子ども向け開発環境」のScratchというWebアプリを使いました。

 開発者のミッチェル・レズニックさん(MITメディアラボ教授)には、これまで何回かお逢いしたこともあり、自分の子どもに体験させるのなら、これだろうと思っていました。
 昔は、ローカルのアプリをインストールする必要があったのが、今は、なんとWebアプリです。全くインストールが必要ないので、おすすめです。

 昨日は、Scratchの本を見ながら、にゃんこがハードルをとびこえるゲームを開発しておりました。

Scratch
https://scratch.mit.edu/

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 考えてみれば、僕自身がはじめてコンピュータにさわりはじめたのは、小学校2年生の頃です。

 決して「裕福」とはいえない家庭でしたが、ある日、技術者であったオヤジが、「清水の舞台」からバンジージャンプで飛び降りて(!? 飛び降りる覚悟ではないところに注意!マジで飛び降りた!)、コンピュータを買ってきました。
 たしか、NEC PC-8001 MK2というコンピュータであったと認識しています。おそらく高価なものだったのでしょう。少なくとも我が家では、相当な投資をして、これを購入したのだとおもいます。

「これからしばらくは、おかずは納豆のみだな」

 とオヤジとオフクロが話していたのを覚えています(笑)。

 僕は、オヤジに少しずついろいろなことを教えてもらいながら、少しずつコンピュータを覚えました。
 まったく上手とは言えませんでしたが、ベーシックという言語をちょっとだけかじって、やはり本を見ながら、プログラミングなどをしていました。

 その当時は、ちょうど、某社から家庭用ゲーム機がではじめた頃で、一般家庭に普及しはじめた頃でした。
 一方、僕の方は、当然のことながら家庭用ゲーム機は買ってもらえず(金がない!の一点張り!)。ゲームをするためには、難解な言語を打ち込まなければなりません。そのことに不平を言ったこともありますが、

 オヤジは一言。

「遊びたいなら、自分で創れ」

 でした。
 トホホ。

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 それから30年。

 今度は、親である自分が、自分の子どもに同じようなことをしていることに気づかされます(笑)。

 やはり

 「カエルの子はカエル」
 「嗚呼、歴史は繰り返す」
 
 です(笑)。

 でも、今は開発環境は格段に良くなり、当時では考えられなかったいろいろなことができるようになっています。
 キャラは激しく動くし、音楽も鳴らせるし、効果音もバシバシとなります。
 白黒画面で、漢字すら表示することのできなかった30年前と比べたら、そこにあるテクノロジーは「雲泥の差」です。

 でも、本質的には「何一つ変わっていないこと」もあります。それは「コンピュータと子どもの向き合い方」です。
 ワンワードで申し上げますと、「子どもがコンピュータをどのように使うか」には2つの「あり方」があるということです。そして、これは30年たっても全く変わっていません。

 TAKUZOには、コンピュータと人間の向き合い方には、2つの分かれ道があるんだよと教えています。今は、たぶんわかんなくて、「パパは、うるせーな」と思うかもしれないけど、頭の片隅に、すこしだけ覚えておいてほしいなと思っているのです。
 
 2つの分かれ道は、

 コンピュータに「自分の時間」を「奪われる」か
 コンピュータで「自分らしい時間」を「創り出す」か
 
 コンピュータで「何か」を「創造」する時間を過ごすか?
 コンピュータで「何か」を「消費」して時間を過ごすか?

 ということです。

 もっと簡単にいうと、

 コンピュータに「使われる」か
 自分がコンピュータを「使いこなす」か

 ということです。

 TAKUZO、
 世界で一番怖い泥棒さんは、
 お金を盗む泥棒さんじゃないよ
 一番怖いのは「時間泥棒」さんだよ。

 「時間泥棒さん」は知らないうちに、
 自分の大切な時間を奪っていくよ

 特にコンピュータは向き合い方を間違えると怖いよ。
 他人がコンピュータを通じて、自分の時間を
 奪いにくるよ。

 他人に「時間」を奪われちゃだめなんだよ。
 自分の時間をしっかり守ってね。

 嗚呼、こうしたことは、30年たっても、全く変わっていないかもしれないなと思います。
 そして、究極をいうと、僕はプログラミングやら、ブログ執筆やら、タッチタイピングなんて「二の次」で、本当はこうした、「人とコンピュータのつきあいかた」を、TAKUZOに教えたいのかもしれないな、と思います。
 親子で少しずつ、じっくりと、コンピュータにふれる中で、コンピュータとの向き合い方を見出していきたいと感じているのです。

 望むと望まないとにかかわらず、この世は、コンピュータにあふれています。きっと、この先、コンピュータはさらに増えることはあっても、減ることはないでしょう。わたしたちは、そうしたハイパーコンピューティング環境に生きることに成増。

 このような時代環境にあっては、それを一方向的に「忌避」しつづけることは、あまり「知性的な態度」とは言えません。反面、それにどっぷりとつかり、アディクション(中毒)になってしまうことも、同時に「知性的な態度」とはいえません。
 コンピュータとうまくつきあえずに社会に出ることは、武器をもたずドラクエをプレーするようなものです。しかし、コンピュータに支配されてしまう人生を過ごすことは、これまた惨いものです。

 このような時代にあっては、コンピュータときちんと向き合い、いかにつきあうかということを、教えておく必要があります。

 場合によっては、発達段階のある時期には、コンピュータから敢えて「遠ざけること」も必要だと僕は思います。しかし、頃合いをみはからって、少しずつ近づけていく必要があります。個々の技術やら、プログラミングやらは、さしあたって「二の次」です。教えたいのは、「コンピュータといかに向き合うか」ということ、この1点につきます。

 本当になかなか難しい問題ですが、、、試行錯誤していきたいと考えています。

 そして人生は続く

追伸.
 2年前にはこんな記事を書いています。当時は、全く、コンピュータに向かわせていない時期でした。この記事を読んでいると、ようやくここまできたという思いがします。今日の記事と2年前の記事は、表面的には逆の事をいっていますが、主義・主張はほとんど同じです。ちなみに、いまだにタブレットはTAKUZOには使わせていません。おそらく、いまだにタブレットを渡すと、うちの子どもの場合は、安易に「消費」にながれていきます。敢えて、かくして、まずはコンピュータから入った方がよさそうだと判断しました。

自宅で子どもに「タブレット情報端末」を使わせない理由
http://www.nakahara-lab.net/2013/06/post_2029.html