講演・研修・ワークショップ後の「感想」に頻出するワードとは何か?:刺激、メウロコ、感銘、モヤモヤ

 研修、授業、セミナー、フォーラム、ワークショップ・・・何でも結構なのですが、これらの学習機会に参加なさった方(大人)が、よくお持ちになる感想の中には、典型的なものがあります。

 感想の3大キーワードとは、「刺激」「感銘」「メウロコ」です。

 今日は「刺激」を受けました!
 今日は「目からウロコ」でした
 今日は「感銘」を受けました!

 講師から聞く話が、ふだんは考えないような角度から便所スリッパでスコーンとやられるような内容を含むものであれば(笑)、「刺激」「メウロコ」というワードが用いられるのでしょう。

 一方、講師の話題に、心から共感してしまえば「感銘」あるいは「感動」というワードを使いたくなるのでしょう。

 いずれにしても、これらの言葉は、よく講演・ワークショップ等の感想文に頻出するワードです。

(ちなみに、全く余談ですが、メウロコって大人語ですかね。社会人になる前は、あまり使わなかったような気がします。また、全くの余談ですが、目からウロコというワードを聞く度に、僕は、下記のようなシュールなイメージを頭に思い浮かべてしまいます、笑。朝っぱらから、こんな絵を描いて、スキャンしているのですが、決して、暇ではありません。このイメージをお伝えしたかっただけなんです)

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 もちろん「刺激」「目からウロコ」「感銘」という感情をお餅になることは、非常に貴重なことです。日常は考えないことを超えた、と言う意味で、そうした学習機会は貴重なものでしょう。
 しかし、話題をもう1歩だけハイレベルにして、ここに潜む問題に思いを馳せたとき、ここに少しだけ「ないものねだり」をしてしまうことも、また可能なのかもしれません。

 要するに、最も避けたい事態は、この「刺激」「メウロコ」「感銘」という「ワンセンテンス」で、「あー、よかった、よかった、すっきりした!」と「思考停止」してしまうことなのです。

 別の言葉で示すのならば、

 「今日は"刺激"を受けました!」
 「今日は"目からウロコ"でした」
 「今日は"感銘"を受けました!」

 というワンセンテンスで「思考停止」してしまい、会場を出てしまう。要するに「聞いて、聞いて、聞いて、帰る」(笑)。
 少しないものねだりをするのならば、ここにより深いリフレクションがともなえば、もっといいのにね、ということです。

 「刺激」というけれど、今日の話題の、何が、どんな風に「刺激的」だと感じたのか? 今日の話題が「刺激的」だと感じるのは、今の自分が置かれている状況が、どういう状況なのか?

 「目からウロコ」とはいうけれど、今日の話が「なぜ目からウロコ」なのか。目からウロコであることに、なぜ、今までの自分は気づかなかったのか?

 「感銘」を受けたのは貴重なことだけれども、何に、どんな風に感銘を受けたのか。これが感銘を受ける理由は、今までの自分が、どんな考えをもっていたからなのか? それを、今まで、言葉にできなかったのはなぜか?

 一歩もし問いを先に進める時間と心理的余裕があるのでしたら、これらのように問いを進めると、もう少し深いところまで思考を進めることもできるのかもしれません。
 もちろん、すぐには「言葉にならない」かもしれない。でも、「言葉にならないこと」に直面して諦めてしまっては、いわゆる「思考停止」です。
「言葉にならないこと」を「自分の言葉」にして、願わくば「他者に語りうるもの」にしていくことが、学ぶということに深い関連をもつ気がします。

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 今日は講演後の典型的な感想キーワードについて書きました。

 ちょっとだけマニアックな方のために、少しだけ書くと、実は、今日のお話は、「ベルトルト・ブレヒトの書いた演劇論」に少しだけプチ関連します。
 よく知られているように、ブレヒトは、「感情浄化」や「思考停止」を促してしまうような「従来の演劇」を批判し、「見慣れたもの」「こうなるであろう」とする前提に徹底的に裂け目をいれるような異化作用こそが、演劇には重要であるとしました。

 これをモティーフにすると、講演やワークショップにも「思考停止させる類のもの」と「日常の思考に裂け目をいれるもの(異化作用をもつもの)」が存在するように思います。
 どちらがよいとか、悪いとか論じることは、あまり意味がないと思うので、ここでは論じません。
 が、どんな学びの機会に出会っても、「思考停止してしまうこと」は避けたいですし、願わくば、「自分の言葉」で語りうることが大切だと思います。

 ちなみに、最後になりますが、大人が用いる感想キーワードとして、もうひとつ頻出するものが「モヤモヤ」です。

 「今日は、なんか、モヤモヤしています」

 こちらに関しても事態は全く同じですね。

 ふだんは聞けない話をきいて「モヤモヤ」することは、非常に貴重な機会です。
 しかし、一方で、「モヤモヤをモヤモヤのままにしておく」と、それはつまり「モヤモヤモヤモヤ」です(笑)。思考の便秘状態といってもいい(すみません、品がなくて)。やはり、いつかは、快調快便(?)、すっきりしたいものですね。

 願わくばいったんは「モヤモヤ」をぎゅっと抱きしめつつ、しかし、一方で、それを「自分の言葉」にする時間をもつこと。
 そして、いずれかの段階では「モヤモヤ」を「自分の言葉」にして「スッキリ」させることが大切なことかな、とも思います。

 そして人生は続く