「振り子」を見たら「ちゃぶ台がえし」!:人材開発の言説空間を読み解く!?

 教育業界 / 人材開発の言説とは「揺れ動く振り子(Moving Pendulum)」のようなものです。あっちにふれたと思えば、こっちにふれる。こっちにふれた、と思えば、あっちにふれる。

 揺れ続ける振り子が「極」にふれて、決して一点にとどまろうとしないことの理由は、「学び / 人材育成に王道がないこと」「常に新しい学習手法が探究されていること」もありますが、本当のところをいうと、隠された3つの理由があります。

それは、「介入の効果に遅効性がある条件下では、意見は極化しやすく、かつ、その方が、言説の担い手にとってポジションやステータスの獲得可能性があがる」からです。

 もう少しわかりやすくいいましょう。
 要するに、こういうことです。

「何かの新しいことをやったとしても、その学習効果が表面化してくるまでは時間がかかり(時間がかからなくても、時間がかかると言えばよい)、責任がうやむやになりやすいこと。そうした状況では"いったもんがち"の状況が生まれやすく、極にふった意見の方がわかりやすい。そして、そういう"極"の意見こそが、その業界に精通しない人々のあいだでは「革新的」というレピュテーションを獲得しやすい。そして、そのことが、言説の担い手のポジション・ステータスの獲得や、マネタイズにつながる」

 ということです。

 だから、わたしたちは、「極」にふれた言説を見たときは、警戒をしなくてはなりません。自分の実践を見失わないかぎりにおいても、別に、そういう言説にのっても、そっても?いいのですけれども、一寸立ち止まって考える必要があります。

 例えば、昨今の高等教育ならば・・・

「ティーチング」から「ラーニング」の時代へ

 とか。

 例えば、ここ最近の人材育成ならば・・・

「OJT」から「経験学習」へ

 とか。そういう「極にふる議論」、「あたり一面を一色で塗り尽くそうとする、シンプルかつ即物的な議論」「Catch ALLの魔法のような効能書き」を見たときは、注意が必要です。

「A or B」をあなたに迫ってくるたいていの言説は、実は、「AでもBでもないこと」の方が圧倒的です。むしろ実務的には「A and B」であり、「Aでもなく、Bでもない、第三の道」をさぐることの方が、建設的かもしれません。つまり「A or B」の議論の「ちゃぶ台」をかえさなくてはなりません。

 振り子を見たら、ちゃぶ台がえし!
 えいっ!

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 どうか「振り子」にとともに揺れないで下さい。
 極に揺れ続けると、いつか落ちちゃうよ。

 そして人生は続く

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追伸.
 少し前にこんなことを書いていましたね。「ちゃぶ台がえし」の絵は、こちらからコピーしてきました。主張はあんまりかわっていないような気がしますね。

人は「育てる」のか、それとも、「人は勝手に育つ」のか!?
http://www.nakahara-lab.net/blog/2012/11/post_1891.html