演じることと学ぶこと

 先日、劇作家・大阪大学教授の平田オリザさんにお逢いした。平田さんがMCCで実践なさっている、「社会人を対象にした演劇のワークショップ」を見学させていただいたのである。

 平田さんの活動は、これまで、多くの知人づてに、いろいろとお話をお聞きしていたのであるが、実際にお逢いしたのは、はじめてだった。

 短い間しかお話しできなかったけれど、「演じること」「対話すること」に関しての平田さんの語りには、一つ一つ言葉に重みがあって、非常に印象深かった。ぜひ、今度はゆっくり時間をとって、お話をさせていただきたいものである。

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 既にお知らせしているように、今度、Learning bar-Xでは、「インプロと学び」をテーマに公開研究会(ワークショップ)を開催する。

 この研究会には、同志社女子大学の上田信行先生、パントマイムのパフォーマーとして有名なカンジヤママイムさんなどに、ご参加いただく予定である。
 東京大学ワークショップ部の舘野君、安斎君、牧村さんが、ディレクション・演出を担当する。

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 最近、「コミュニケーションと学び」に関する議論では、とみに「演じること」「身体を動かすこと」にスポットライトがあたっているように感じる。

 これは「感じる」としかいいようがないのだけれど、様々な領域で、同時多発的に、同じようなことを、違った背景の人々が述べている。ちょっと週末に調べたら、論文数も激増というわけではないが、増えている。いわゆる「シンクロニシティ」なのかもしれない。

 考えてみれば、これまでの「コミュニケーションと学び」に関する議論で焦点化されていた「議論」「対話」とは、いわゆる「ロゴス」の世界である。

 ロゴスの世界にある学びで見逃されていたものは、「身体」の問題である。身体をもってかかわること、理解することに、人々の関心が当たっているのかもしれない、と感じる。

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 しかし、同時に懸念もある。
「演じること」が「奇をてらった一時期の流行」になりかけている点も否定できないのではないか、と思う。

「演じること」の「やり方」だけが注目され、急速に定式化され、教条化され、実践され初めているように感じるのは僕だけだろうか。

 だからこそ、Learning bar-Xでは、その意味をしっかり考えたいのである。
 演劇、ドラマ、シアター・・・・「役割を担うコミュニケーション」によって、相互の理解が深まることの意味、それを組織内、あるいは、組織外で実施することの意味を、きちんと考えることをめざしたい。

 演じることは、コミュニケーションの何を解決して、何を解決しないのか。そこには、どのような課題があるのか、を「熱い心と、クールな頭」で考えることが必要である。「熱い頭と、クールな心」で盲進してはいけない。

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近況.

・大学院生の修士論文中間発表が無事終わった。全員それぞれ課題はもっているものの、焦らず、腐らず、粛々と淡々とゴールをめざしてこなしていってほしいと思う。

・自分の研究。論文はまだ投稿できていない。最後の最後のつめで気になって、週末のあいた時間をぬって、すべて分析をやり直した。何とか、今週末には投稿したいと願うが。論文とは、どこかで「見切る」必要があるのだ、とも思う。そうしないと永遠に投稿できない。自分の大学院生にもそのように指導している。しかし、自分の論文ということになると、なかなかそうはいかない(笑)。まだまだ未熟である。

・中原研究室は、某社と共同研究を開始することになった。共同研究契約書の締結がこれからはじまる。担当者の方々と協力し、素晴らしい成果を残せるよう、努力したい。

・右手には10キロを超えるPC入りのカバン、保育園袋。左手にはTAKUZOをダッコして、今日も、保育園に向かう。それにしても、TAKUZOは、ずいぶん重くなったものだ。片手でダッコできるのは、そろそろ限界に達しているような気もする。

・先日来、TAKUZOと何度か寿司屋にいった。タマゴ、イクラ、マグロがTAKUZOのお気に入りである。僕のマネをして、寿司を手でつまんで、しょうゆにチョンチョンとつけて食べる。「立派な寿司食い」になってほしい、と思う。