「あいつは、現場がわかっていない」という言葉に潜む「闇」!?

「あいつは、現場がわかっていない」

 という物の言い方は、この国では、「北斗百裂拳に近いほどの衝撃波」を、言われる本人にもたらすことができます。

 あーたたたたたたたたたたっ! あたー!

 ビジネスでも、実務の世界でも、きっと、それはそうでしょう。

 あーたたたたたたたたたたっ! あたー!

 この国には「現場信仰」とよぶべき信仰がございます。「現場」に対する信奉者が多いこの国では、「現場がわかっていないこと」は「ダメの烙印」を押されるようなものです。

 すなわち

「現場が分かっていない=仕事ができない人」

 に近い図式が人々のあいだで認識されており、「現場がわかっていない」という烙印を押された人は、経絡秘孔を突かれた哀れな姿で、スゴスゴと退散する他はありません。

「現場なんてわかんなくていい、おれは机上の人なんだ!」

 と胸をはって口に出せる人は、そう多くはありません。

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「あいつは、現場がわかっていない」

 しかし、一方で、この言葉は、ともすれば「乱用」される傾向があり、その場合、様々な「立場の保全」や「事実の隠蔽」にも悪用される可能性があることも、賢明な読者の皆様ならば、見逃さないわけにはいきません。

 もっともよくあるのが「あいつは、現場がわかっていない」ということで指し示す内容が、「現場」ではなく「わたしの考え・気持ち」であることです。

 この場合、

「あいつは、現場がわかっていない」という言葉は「あいつは、わたしとは違う考えをもっている」「あいつは、わたしの気持ちがわかっていない」と同値になります。

 もう少し言葉を捕捉すると、

「あいつは、現場がわかっていない
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「あいつは、あたいとは異なる考えをもっている」
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「あいつには、あたいの気持ちなんてわからないのさ、ヘン」
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「なんで、あたいのこと、わかってくれないのよー」

 というかたちになります(笑)。要するに、自分のコトがわかってほしいだけ。それを「現場信仰」を背景にして、「あいつは、現場がわかっていない」というラヴェリングを行っているだけの可能性があります。

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 あるいは、賢明な皆さんなら

「現場がわからないのは、本当に悪いことなのか?」

 ということ自体も、いったんは括弧のなかにいれて「疑う」必要があります。

 「現場がわからない」のは、時には「現場の仕事のやり方が、あまりにも非効率すぎて、外部の視点からみた場合、わからない」かもしれません。あるいは「現場のわからなさ」は、現場の人々が、これまでの現場のやり方に固執していて、それが慣習化しており、それを外部の目でみたときに、全く「わからない」のかもしれません。

 要するに何が申し上げたいのか、というと、「現場がわからない」のは悪いことばかりではなくて、「外部の目線から現場を変革しうるチャンス」にもなりうる、ということです。

 このように「あいつは、現場はわからない」は、味わってみると、なかなか深い言葉です。そこには、様々な人々の思いや、現場の歴史が堆積していることがあるから注意が必要かもしれません。

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 今日は「あいつは、現場がわからない」について書きました(笑)。こんなことを朝っぱらから考えているのは、あまり多くはないと思いますが、なかなかに味わい深い言葉です。

 ひとつのポイントは、もし「あいつは、現場がわからない」と言われたとき、「現場の何」がわからないかをさらに尋ねてみたり、探索してみることなのかもしれません。

 おそらくですが、

「あいつは、現場がわからない」

 は、日本語としては意味が通じますが、このままでは「英語にならない言葉」だと思います。
 要するに目的語に当たるものが、曖昧で不明瞭だからです。

 まさか

He/She cannot understand GEMBA(×)

 と訳す人はいないでしょう。ここで「GEMBA」と表現されているものが、より具体的には、いったい何を指し示しているのか、もう少し考えてみると、新たな地平がひらけるかもしれませんね。

 あなたは「現場」をわかってますか?

 そして人生はつづく