今ひとつピンとこない「あの人の経験談」はなぜ生まれるのか?

 自分の「経験」を他人にうまく語るにはどうしたらいいんだろうか?

 たまにそんなことを考えることがあります。
 子育てをしていても、教壇にあがっていても、はたまた講演やワークショップをしていても、他人に自分の経験を語りつつ、諭したり、理解をうながしたり、説得したりする場面は、結構多いものです。

 しかし、悲しいかな、僕は、あまりそれが「上手な方」とは言えません。経験談を語ろうとするとき、いつも、自分にひそかに「負い目」を感じていることを正直に吐露しないわけにはいきません。

 また、伝わらないんじゃないだろうか?

 一瞬、そういう不安がよぎり、経験談を話しはじめてしまうのです。結果は火を見るより明らか。だって、自分が不安に思っていることを、他人にうまく伝えられることは、まずありません。結果として、どうにも「煮え切らない思い」が残ります。

 わかってもらえただろうか?

 経験談というとよく「自慢コーティングの経験談」とか、「おれすごいんだろ経験談」というのが話題になりますが、さすがに、そうした「新春大放談」状態に僕の語りが陥ることはあまりないと信じています。が、どうにも、スカッと伝わったと感じることがない。

 じゃあ、どうしてこういうことが起こるのかを考えてみたとき、そこにはこんな「メカニズム」が存在するのかな、とも思います。自己の語りを分析すると、まず、伝わらないのは、圧倒的に「言葉が少ないからだ」という仮説に立たざるを得ません。

 じゃあ、「言葉が少なすぎる状況」がなぜ生まれるかというと、

 自分の経験談には、その「話の前提」になる各種の情報が存在するのですが、それに対する描写が足りないとき、あるいは、それを「はしょる」とき

 あるいは

 自分の経験談の中には、「論理展開」があるのですが、その論理展開の一部をすっ飛ばすか、あるいは「はしょる」とき

 あるいは

 経験から得られた「教訓」が本来あるはずなのに、それをはしょって終わるとき。あるいは経験それ自体と教訓が、まだごったまぜになっていて、峻別して明瞭に語ることができないとき

 の3点が多い印象です。

 もし、これが「是」だとすると、経験談を語るときに必要なテクニカルな方法は、

1.まずは経験談の「前提」になる情報を整理する
2.経験談の「論理展開」を書き出してみる
3.経験とそれから得られた「教訓」をわけて書き出してみる

 なのかな、と思います。

 その上で、

他人の脳裏に「映像」を描写するくらいの感じで語ること

 なのかなと思うのですね。

 もっと先走っていうならば、

この経験談を聞かせて、他人に促したい行動が何かを意識して語ること

 なのかな、とも思います。

 そう、はしょらず、面倒くさがらずにさ・・・(笑)。
 ま、わかっているんだけどね・・・(笑)。
 でも、なんかできないんだよね。
 まさに、Knowing - Doing gapというやつでしょうか。

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 今日は「自分の経験」を他人に伝える方法について考えてみました。経験の語りは、子育てをふくめ、さまざまな学習の機会に求められることのように思います。

 一度・・・ちょいと地味ですが、こういうことをテーマに、ワークショップなんかをやってみたいなとも思っています。ま、そうすると、スピーチライティングのワークショップに結構近づいてくるのかな、、、。

 そして人生はつづく