心がキュンと切なくなるキャリア教育!? :「誰も来ない車座」と「誰も聞いていない講演」!?

「切ないんですよ・・・自分のまわりには、学生誰もこないんです。」

 最近、自分の母校に出かけた方が、こんなつぶやきをなさっていました。伺ってみると、母校の教員から、学生たちと車座になって、自由闊達に、キャリアについて話し合ってください、とお願いされたらしいのですが・・・。

 ふたをあけてみると、3名ほどよばれた社会人のうちで、学生が寄ってきたのは、某航空会社の車座だけ。その方の会社も、大変素晴らしい技術をお持ちで、超優良企業なのですが、学生が誰も1人か2人しか来ず。大変切ない思いをなさったそうです。

「せめて、順番に学生を回らせるとか、そういう配慮が欲しかったなと思います。あるいは、事前に企業のことを学んでいてほしかった」

 まぁ、多くの教育機関では、そんなことはないのでしょうが、「切ない」という思いをなさった経験のある方もいるんだろうな、と思いました。

   ▼

 関連して、最近、ある教育機関にお願いされて、学生たちの前で講演をしたという、ある企業の方が、こんなことをおっしゃっていました。

「切ないんですよ。僕は、就活と社会人に成り立ての頃の経験についてお話したのですが、どう考えても、学生には、"今日の講演会の主旨"がつたわっていないんです。中原先生は、よく、"研修は目的の打ち込み"で決まるっていうじゃないですか。その"打ち込み"がゼロなんですよ。だから、学生がキョトンとしていて、中には寝る奴もいるんです。そりゃ、そうですよね。突然、わけのわからないオヤジがきて、社会人経験を語るんですから」

 うーん、こちらもまことに「切ない」。経験上申し上げますが、「登壇するコンテキスト」ができあがっていない場で登壇し、話さなければならないほど苦痛なものはありません。こういう切ないシーンは、「丸投げ講演」でよく生まれます。

 多くの教育機関は日々ご尽力なさっているので、そんなことはないとは思うのですが、そういう「切ない経験」をお持ちの社会人もゼロではないようです。

  ▼

 もちろん、逆に素晴らしい経験をなさった方もいます。

「学生にあって、すごく元気になりました。最近、あまり成長の実感がもてず、落ち込んでいたんですが、彼らの前向きな姿勢を見ていると、自分もまだまだ頑張らなきゃなと思ったんです。縁がもらえれば、また学生にあいにいきたい」

「いや、最近の学生はめちゃ優秀だなと思いました。いや、先生、優秀だと思いません。真面目ですよ。自分が学生だった頃は、もっとできなかったよなと思いますね。いや、話をしていると、こちらも元気になりました」

 興味深いのは、どちらの方も、現場の先生からファーストコンタクトがあった時点で非常に好印象であった、と答えていることです。当日がどのように展開するか、明確なイメージがもてた。ここからは邪推になりますが、それ相応の準備と目的の打ち込みが明瞭であったのかもしれません。

 ▼

 鉄は早いうちから打て!

 ではないですが、ただでさえ不確実な時代においては、なるべく若いうちから「就業の意識」をもってもらうことは、僕は極めて大切なことだと考えています。しかし、学生と社会人は、へたをすれば「不幸な出会い」をしてしまう可能性があります。

 仕事柄、僕は両者を行き来することが多いのですが、

 学校と企業、学生と企業人の「よき出会い」が増えればいいのにな、と心から思っています。もうすでに現場の先生はご尽力なさっているとは思いますが、そういう出会いがさらに増えればよい。

 これは大げさなようですが、でも、たいしたことでもないんですよ。だって、「企業人」とはいいますが、ある学生の母親だったり、父親だったりすることもあるのですから。それに、忙しい業務の合間をぬったり休日をつぶしたりして、学校に出かけている時点で、多くの方は、

「子どもたちのために、何か貢献したい」

 という思いをもっているのですから。
 ちゃんと、あたり前に「出会えれば」、確実にお互いにとって「学べること」は多いと思います。「よき出会い」が増えることを心から願います。

 そして人生はつづく