「誰も学べていない」のに「教えた!」というのなら!?

「教えること」や「学ぶこと」は、「売ること」と「買うこと」に似ている。「誰も学んでいない」のに「わたしは教えた!」と言うのなら、「誰も買っていない」のに「売った!」というのと同じだ。

(Dewey, J. 1910 How we think, p29)

 僕の好きな言葉です。
 アメリカのプラグマティスト、ジョン・デューイの「How we think」という絶版の本に、その言葉はあります。
(この本、かつて翻訳があったのですが、こちらも絶版。デューイの本の中で、この本こそ、翻訳がでるといいのですけれども)

 自戒をこめて申し上げますが、「学べる努力」をさしてしてもいないのに、「教えた!」とうそぶいてしまうことが、いかに多いことか。「学べていないこと」を「学ぶ側の責任」にしてしまうことのいかに多いことか。
 
 「商品が売れない場合」、いっぱんに、売り主は「お客さん」を責めません。どのように売るか、どのように買ってもらうかに知惠をしぼります。お客さんの好みが変わってしまって、ものがうれない場合、お客さんを責める店主はいません。その環境変化を察知して、戦略をたてる。シンプルな話です。

 伝統的な価値観からすれば、学びを商売に喩えるとは何事か、ということになるのかもしれません。
 ま、実際、いちゃもんつけようと思えば、つっこみどころ満載なメタファです。お時間のある方は、ぜひどうぞ。

 他人はどうあれ、僕は、この言葉が好きです。
 もう100年も前に、本質を見抜かれている気がする。
 そして、耳にするたび、自分が「刺される」気がするから。
 この、「どM感」がたまりません。

 そして人生はつづく

 「教えること」や「学ぶこと」は、「売ること」と「買うこと」に似ている。「誰も学んでいない」のに「わたしは教えた!」と言うのなら、「誰も買っていない」のに「売った!」というのと同じだ。
(Dewey, J. 1910 How we think, p29)