「事例くれくれ君」にご用心!?:先行事例をいくら聴いても、前に進まない「残念な思考」!?

「事例くれくれ君」という、愛すべき、しかし、ちょっと残念な人々が全世界に300万人ほどいらっしゃいます。

 ここでは、さしずめ、「事例くれくれ君」を「過去の他人の実践事例をやたらと知りたがるのだけれども、どの実践事例を見ても聴いても不満を述べるだけで、前に進もうとしない人々」と定義しましょう。

 あなたのまわりにも、事例くれくれ君、いらっしゃいますか?

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 全世界に300万人いる「事例くれくれ君」は、「実践」をともなう現場にあらわれます。おおよそ、人事や教育などの「実践」を含む領域の場合、「先行事例」というものが非常に重宝されるからです。
 
 たとえば、あなたの会社が、人材開発施策を立て直したい、評価制度を立て直したい、としましょう。
 その場合、ついつい気になるのが、「過去に、他の組織が、似たような事柄にチャレンジしていないかどうか」です。

 かくして、

 「事例は、なんかないんですか?」
 「いい事例がありませんか?」
 
 という言葉が口に出ます。
 人事・人材開発の世界は、まさにそうしたニーズの宝庫でしょうし、おそらくは教育の世界もそうでしょう。

 しかし困るのは、ここからです。
 何かしらの「過去の先行事例」を参考にして、しかし、一方で、自社の状況を見極めて、考え抜き、なんらかの施策をたてて、実行してくれれば何の問題もありません。「過去の先行事例を参考にすること」が悪いことでは1ミリもありません。また、「過去の先行事例を参考にする人」は事例くれくれ君ではありません。

 「事例くれくれ君」の困ったところは、どんな事例を見ても不満足でアリ、かつ、前に進もうとしないことにあるのです。

 たとえば事例くれくれ君が、あまりに「事例くれくれ」おっしゃるので、「思わず自分も動き出してくれるような素晴らしい事例(ベスト事例)」を紹介したとします。しかし、

「そりゃ、A社だからできたんだ。うちの会社ではできないよ」

 とおっしゃいます。

 じゃ、それならばと「少し頑張れば手が届くようなプチ背伸び系事例(ベターな事例)」を紹介しても、

「何か、殻を破ってない気がするんだよね。うちの会社は、もう少し背伸びのある施策じゃなきゃ、通らないよ」

 とおっしゃいます。

 続けて、

「さっきから成功事例ばっかり紹介してくれてるんだけど、失敗事例はないの?」

 とおっしゃるので、じゃあ、それならばと「思わず目をつぶりたくなるような派手ゴケ事例(失敗事例)」を紹介すると、

「あちゃぱー、これは担当者がイケてなかったんだよね。甘いなー、脇が甘いよ。うちでは起こらないな」

 とおっしゃいます。

 要するに、

「どんな事例を示しても不満足」です(笑)。

 そして

 どんな事例を示しても、前に進みません(笑)

 なぜか?

 それは、事例くれくれ君が「事例から学び、物事を創り出す技術やマインド」を持ち合わせていないからです。

 かつ、どこかで

「事例をそっくりそのままコピペできるもの」

 と思い込んでいる節があるからです。

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 一般に「実践」とは、「同じ場所」「同じ対象」「同じタイミング」というものは存在しません。実践とは、オンゴーイングで変化し、変わりゆくコンテキストの中で立ち上げられる「アクション」です。ワンワードで申し上げますと、実践とは「生もの」なのです。

 ですので、他社や過去の事例は「参考」にはなるのだけれども、それはそっくりそのままコピペして、自分の組織に当てはめることは、ほとんどの場合できません。実践とは、そのまんま「コピペ」できないのです、、、「生もの」なのでね。

 よって「他者の事例」を参考にはしつつも、自分の組織との「違い」や「共通点」を考え、まずは「自分の頭で考えること」が求められます。その上で、自社にもっともフィットした「アクション」をかたちづくることが求められます。

 しかし、事例くれくれ君は、それをしません。
 「事例」を「そのまま丸ごと」、あるコンテキストから、違うコンテキストに、あたかもモノを動かすようにみなしている節があります。そして、実践事例と自社との違い見つけては、不満を述べます。事例を見て、自分の頭で考え抜き、リスクをとって、前に進もうとしません。

 事例を「コピペ」するものと見なさないこと
 事例を前に「思考停止」せぬこと
 事例を見て、考え、創り出すこと

 それができない限り、ベスト事例をきこうが、ベター事例をきこうが、失敗事例を聴こうが、不満がもれるだけです。かくして、事例くれくれ君は、前にはすすまないのです。
 
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 今日は「事例」のあり方について考えてみました。

 くどいようですが、実践とは「生もの」です。ですので、過去の実践たる「事例」は、参考にはできるものの、そのまま「コピペ」はできません。自らの頭で考え抜くこと。リスクをとって、物事をつくりあげること。新たな実践の地平は、そのような人々の眼前に広がります。

 そして人生はつづく

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追伸.
 本日10月1日、小生、40歳になりました。多くの皆さんにとっては、本日は「期初」でしょうか?まことにおつかれさまです。
 30代のこの10年は、ただただ「走り抜いた気」がします。気がつけば、周囲の風景が変わり、生活も変わっていました。しかし、今日から40代と言われても、1ミリも実感がわきません。こんなんでいいのでしょうか(笑)。

 ここまで書いて、少し気になったので、10年前の同日の日記を見てみました。30代に突入した日は、どんなことを書いていたのかな?と。すると、こんなことが書いてありました。2005年10月1日の日記。

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 思えば、恥の多い20代を過ごしてきました。「ブレーキのないジェットコースターに、コカコーラを片手にもって、シートベルトなし」で乗っているような、ハラハラドキドキの時間でもありました。

 男、中原、三十路に入りました。

 とはいえ、いやーどうにもまったく実感はありません。ここでもう少しかっこのよいことを言えるとよいのですが、どうにも僕には30代になったということがわからない。

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 まーま、驚いたね。10年前と全く同じ事を言っているよ(笑)全く成長してないね・・・(泣)。トホホ。

 というわけで、今日からも「恥の多い40代」を過ごしそうな予感です。
 たぶん、走り抜けるんだと思う。
 何が出てくるか、誰と出会い、何を生み出すか。

 この10年、また、楽しみです。