グローバル化とは「まさか、自分が」の広がりである!?

 かなり前のことになりますが、あるカンファレンスでパネリストを依頼されたとき、話が「グローバル化」という話題になりました。

 パネリストのおひとりで、あるコンサルタントの方が、

 グローバル化っていうのは、"限られたエリート"だけ関係するものであり、多くの人々にとっては、あまり縁のない話である。教育や、人材マネジメントなどは、あまり意識することはない・・・云々かんぬん

 といった趣旨のご発言を、かなり断定的に、かつ、あまり人の話をお聞きになる様子を見せずに、非常に長い時間、なさっていました。

 あんまりにも、非常にありがたいお言葉が続くので「へー、そう思うんだ」と思いつつも、司会者はそれをとめる意欲を失っていいたので、「たぶん、そうはならないだろうな」と心の中で自分の思いを反芻しながら、穏やかに時間を過ごしました。

 嗚呼、穏やかな日々をわたしにください。

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 それからおおよそ5年。
 わたしたちの周囲の事態はこれとは少し「様相」を呈しています。ワンセンテンスでいうと、

 「まさか、自分が」

 先だって、出張した際 ー僕はさまざまな職業の人に話しかけるのが好きなのですが ー ある喫茶店に入りました。
 観光地が近い、その駅の喫茶店には、外国人の方々がいっぱい。帰り際に店員さんに伺ったら、

「お客さんの3割くらいは外国人なんですよ。まさか、自分の職場こうなるとは・・・」

 ちょっと前のことになりますが、ある工場を伺った際、60をゆうに超える熟練工の方が、海外の工場での指導を終えて帰国なさっていました。お話を伺うと

「まさか自分が外国にいって、かたことで、技術指導をするとは思わなかった。でも、海外には、昔の日本のような雰囲気があった」

 また別のところ。
 ある伝統工芸品をおつくりになっている、熟練の技術者の方にヒアリングした際、こんなことをおっしゃっていました。

「おれの弟子、こいつは、マレーシア出身なんだ。最初は外国人ってことで緊張してたんだが、なんてこたーない。まさか自分の弟子が外国人になるとは」

 ある流通関係者の方は、こうもらします。

「最近は、人手不足で、日本人の採用がとても難しい。というわけで、外国人採用となるわけだけど、外国人が増えるってことで、管理者も外国人でいいと思っている。ちょっと前だと、まさか管理者が日本人じゃないなんて、と思われますけど」

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 ほらね、「まさか・・・自分が」
 それも、「限られた人」だけじゃなくて、それよりも、もっと広い裾野で、ひたひたと進行する。

 人材開発の仕事にも、ひたひたと「まさか、自分」が広がっています。
 人事の諸プロセスのなかで、給与・待遇などはグローバルに統一の基準をつくることは難しいことが一般的ですが、このところ、繰り返されるM&Aの荒波のなかで、まずは「人材開発」「リーダーシップ開発」からは、グローバルで統一したものが広がってきています。

「このところ、海外とのテレカンだらけですよ。まさか、自分が、こうなるとは思わなかった」

 まさか、自分が。
 ほらね、限られたひとの問題じゃないでしょう?
 もっと裾野が広いのですよ。

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 今日はグローバル化について書きました。
 言いたいことをワンセンテンスで書くと、

 グローバル化とは「まさか、自分が」

 です。

 そう・・・「まさか、自分が」がより広い裾野で、ひたひたと進行し、気がつけば、まわりの風景がかわっていることなのです。

 別の言葉を使えば、えっ?というところで、いやがおうでも、巻き込まれていく可能性があるものだと僕は思います。

 でも、大丈夫だよ。この国は、過去の歴史をふりかえれば、そうやって、国外の課題をうまく乗り越えてきたのだから。

 そして人生は続く