「政治的な人」は「政治的に見えない人」?

「顕在化する能力」と「潜在化する能力」の間には「雲泥の差」があるものです。
 たいした長い人生ではないですが、僕が、シャバ?の世界で、モミモミと揉まれながら学んだことのひとつに、このギャップがあります。

 以下は、僕の「わたしの経験論」ですが、こういうことが言えます(今日の話題は何ら学術とは関係ありません!)。
 
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 例えば、本当に「政治的な人」は「政治的に見えない人」です。いかにもオレオレで「政治的に見える」人は、実は「非政治的な人」です。「政治的である」とは「政治的な自己」を「非政治的に見せること」といっても、過言ではありません。
 「政治を為す」のに「政治的に見えること」は邪魔をすることがあります。だから「政治的にしか振る舞えず、そうとしか見えない人」は、たぶん「政治に向かない人」です。

 シャバで成果を残す、いわゆる「できる人」というのも同様の構造をもっています。「本当にできる人」は、一見「できるように見えない」のです。
 ふだんは「フツーの人」なのですが、ここぞという時に現象に切り込んでくる「切り口」や「思考」、そして物事を成し遂げる「巻き込み力」や「行動力」がハンパではない。
 それとは逆に「本当はできないのに、できるように振る舞う人」というのもいます。それは「できないこと」を覆い隠すパフォーマンスです。だから、本当は「できません」。

 面白いものですね。
 世の中で起こっていることは、いつも「天のじゃく」です。

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 今日は思い切り「わたしの経験談」を書きました。
 皆さんはいかが思われますか?
 非政治的に見えるあなたは、実は、政治的な人?

 そして人生は続く