激つめ上司による「つめミーティング」が誘発する「思考停止」!?:この世にはびこる精神主義・反知性主義の弊害

「つめミーティング」という言葉があるそうです。ここで「つめ」とは「詰めること」。ワンセンテンスでいうと「激上司から部下に対してなされるネガティブな詰問」のことをいいます。オーノー、勘弁して下さい、モーニングから(笑)

「つめミーティング」という「造語」には、「つめ」というワードに、さらに「ミーティング」という言葉がプラスされます。
 要するに、この言葉の含意するところは、「激つめ上司が部下にうまくいかなったことを詰め寄る、ビターでタフでメモリアルでワンダホーなミーティング」です(泣)。ひゃっほー。

 でも、胃が痛くなってきましたね、、、朝っぱらから。
 ごめんね(泣)

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「つめミーティング」で激つめ上司が用いる常套語のひとつは

「なぜ、できなかったの?」
 
 です。

 世の中の常識といいましょうか「学校的」には「なぜできなかったの?」という理由を問う問いかけには「なぜなら・・・だからです」という理由を述べるのが「正答」とされます、、、そう、ここが「学校」ならばね(泣)。

 しかし、あなたが「この世の酸いも甘いも裏も表もわかる」ようになってきた「賢明な社会人」ならば、ここで自分が上司に「できなかった理由を述べることが求められていること」ではないことを悟らなくてはなりません。

「失敗の理由はですね・・・環境要因と個人要因の2つの側面から考えられますね。」

 なんて理性的に言おうものなら、タコ殴りにあいそうです(笑)。
 
 また、

「チッチッチ、あのですねー。最近の認知科学の知見では、出来ない人は、自分ができないことの理由を語れないものなんですよ」

 なんてホザこうものなら、フルボッコにされそうです(泣)。
 (そんなやつはいないか!)

 激つめ上司による「つめミーティング」における「なぜ、できなかった?」のは、「理由」を聴いているのではありません。ここで求められているのは「できなかったことがすべて自分にあったことを無条件に認めること」。すなわち、「自分が原因の根源であること」を、直接部下の口から「言わせること」を目的にしています。

 こういう激詰め上司が受け入れるであろう、唯一の言葉は

「自分の行動が・・だったのでダメでした」

 これだけです。このワンセンテンスだけを「言わせたい」。

 そうすると、上司はおそらく「ここぞ」とばかりに、こう「畳みかけてくる」はずです(笑)。

「だよねぇ、そうだよね!
 わかってるよね!
 オマエがだめだったんだよねぇ
 もいちど言うけど、わかってるんだよね。
 でも、オマエがやらなかったんだよねぇ。
 だから、失敗したんだよね」

 非を認めたとたんに、急に「饒舌」になるのが「激つめ上司」の特徴です(笑)。ここ憶えとこーね、テストにでるぞー。蛍光ペンでぬっとけよー(笑)。

 次に、激詰め上司の口からでてくるのは、この「常套句」です。

「で、どうすんの?」

 この問いに対して上司が期待する答えは、このワンセンテンスだけです。

「絶対に、今度はやります。僕に、やらせてください!」
 
 これだけ。これだけを「言わせたい」。

 では、どうして、このワンセンテンスを部下の口から言わせれば、上司としては、ハッピーなのでしょうか。それは、先ほどのセンテンスを見ればわかります。先ほどのセンテンスに見るように、上司はもともと「やれなかったことの理由」すら部下に尋ねていません。

 原因すら問われていないのですから、「実現しなかった理由を改善しよう」とか「できるように作戦を立てよう」などという「理性的な反応」は1ミリも求められていません。求められているのは「絶対にやることの宣誓」「やらせて欲しいという意志の明示」です。

 要するに、こういう場合の激つめ上司は「言わせたい」だけなんです
 そして、上司はしばらく後で、こう「言いたい」だけなんです。

 「こないだ、オマエ、やるって言ったたよね。
  やらせてくださいって言ったのは、オマエだったよね」

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 しかし、ここで、激つめ上司による「つめミーティング」の「居心地の悪い雰囲気」を振り払い、聡明な私たちは「理性」と「知性」?を取り戻さなくてはなりません。私たちは、これからをしたたかに、しなやかに生きるのですから、居心地の悪さに留まってはいけません。

 このやりとりの一連のプロセスにおける、ややこしい言葉(無駄な言葉)を「戦略的にはしょり」(ほとんどどうでもいいことしか言ってませんので、簡単にオミットできます)、このミーティングの論理の要点を絞りに絞っていくと、結局、この会話の要点は、2センテンスだけです。

部下「だめだったのは、自分のせいです」(自己への原因帰属)
部下「絶対に今度はやってみせます」(宣誓)

 これだけ。
 このわずか2つのセンテンスを、部下に「言わせている」だけです。

 部下は、それしか言っていません。そして、このとき、部下は多くの場合、「思考停止」していることが多いものです。部下は「なぜだめだったのか」という理由を「考えること」はしていません。よもや「次はどうするか」という作戦を「考えること」は、1ミリも行っていません。つまり、問題も解決していなければ、作戦も立ててないのです。

 ワンワードでいえば、

 部下は「考えていません」

 詰め寄る上司が怖いがゆえに、原因帰属を自らになし、その場をやりすごすべく、熱意の宣誓を行っているだけです。要するに、「つめミーティングの文法」とは、「過剰な精神主義」であり、「反知性主義」なのです。

 ということは・・・「つめミーティング」のあとに、今後、訪れるであろう「未来」の状況は、火を見るより明らかです。つめミーティングの後、部下は仕事ができるようになるでしょうか。いかに事態を改善しうるでしょうか。

 短期的には、もしかするとラッキーがおとずれ、次だけは「数字」をあげられるかもしれません。しかし、部下が抱えている問題の根源を見いだせておらず、また何一つ解決策も考えていないのだから、中長期的には失敗を繰り返す可能性が高いということになります。だって、

 可哀想な部下は「学習していない」のだから。

 つまり、「やれなかったことができるようになること」にはならない可能性が高くなります。おそらく、長期的には。

 原因がわからなく、考えないのだから、やっぱりできません。
 作戦を考えず、戦略的に動かないのだから、やっぱりできないのです。

 つまり、つめミーティングは「反知性主義」であるばかりか、「非効率」です。
 だって、生産性あがんないんだから。
 
 そして、そんなとき、激つめ上司は、再度言うのです。

 「こないだ、オマエ、やるって言ったたよね。
  やらせてくださいって言ったのは、オマエだったよね
  で、なんでできなかったの?」

  (あとは、無限に繰り返し・・・無限に無限に繰り返し)
  
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 今日は、世の中にはびこる「つめミーティング」の文法が、いかに「反知性的」で、かつ「非効率」かを、やや「戯画的」かつ極端に書きました。「こんな上司いるかよ」とお感じの方もいるかもしれませんが、あえて極端に書いているので、お許しを。

 しかし、最近、とみにこの国において、このような「精神主義」が蔓延っていることを憂います。そのような精神主義は、グローバル化という時代には、そぐわないからです。グローバルな時代には、「文脈・社会背景を違う人に対して、きっちり筋を通して、理解をもとめて働くこと」ということが求められます。そういうの、うまくいくとは、思えないんですよね。
 ちなみに、こうした精神主義が、どこから生まれたのか、まことに興味深いですが、過剰な「精神主義」は「思考停止」を誘発するので注意が必要です。

 そういえば、数年前、まことにびっくりしたのですが、こうした「つめミーティング」を「リフレクション」と呼んでいる人がいて、僕は腰が砕けて、もう少しで「うん●」がダダ漏れになってしまいそうになってしまいました(笑)。寸止めできたからいいようなものの、このままいけば、社会的抹殺です(笑)。

 こうした「つめミーティング」が「リフレクション」でないことは、「部下が、何一つ考えておらず、思考停止していること」から明らかです。こうしたものを、聡明な我々は「リフレクション」と呼んではいけません。

 繰り返しになりますが、部下は「原因も解決策」も考えていないのです。その場をやり過ごす反応を返しているだけです。そうね、脊髄反射のように(笑)。

 嗚呼、世の中には「ノンリフレクティブなもの」があふれています。
 それらを「糾弾」することも一計ですが、あまり意味があるようにも思えません。
 ならば、茶化して、笑いにしつつ、みんなで愉しんで、さっさと「過去の遺物」にしましょう。

 そして人生は続く