静かな週末:脚本を書くために、朝ご飯の献立をつくる!?(向田邦子さんの創作術)

 週末は久しぶりに「ゆっくり」とした時間を過ごすことができました。森の中を歩いたり、本を読んだり。

 日々の雑事に追われ、カチンコチンに強張っていた身体を、おかげさまで、少し、ほぐすことができました。こうした時間は、まことにありがたいことです。

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 森の散策。

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 今週末の森には、時折、雨が降りました。
 もちろん、「どしゃぶり」というのは困るのですけれども、雨露にぬれた木の葉というのは、まことに美しいものです。

 表面が水に濡れて、いつもの数倍発色が鮮やかになるのです。

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 僕は、北海道に生まれたせいか、自分は「自然のやることには、なすがままにまかせる」という意識を持っているように感じます。「雨」といえば、一寸残念な思いもするのだけれども、「それはそれで、なすがまま」。

 かくして、雨に時折降られたのは、一見、不幸なこととも言えますが、そのせいで、こういう「鮮やかな一瞬」を垣間見ることができたのですから、それは「幸運」なのです。

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 読書。

 仕事柄、日々、読んでいるのは専門書か論文です。しかし、そういう文章を毎日毎日読んでおりますと、いささか「ロジック」に食傷気味になってしまいます。
 とはいえ、小生「活字中毒」。読まないで日々を過ごすことはできません。「活字のない時間」の方が、ストレスフルです。

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 かくして、今週末は、敢えて「ストーリー」にふりました。
 宿泊施設のライブラリーにある「エッセイもの」を読んでみました。ふと手に取ったのは、向田邦子さんのものでした。

 向田さんといえば、寺内貫太郎シリーズをはじめとして、高度経済成長時期に、もっとも活躍した脚本家のお一人です。「家族」を、時にハートフルに、時に葛藤を内包するものとして描き出すことに、非常に長けた方であったと思っています。事故による、早すぎる死は、とても残念なことでした。

 向田さんは、「珠玉」とも形容できる様々な言葉を後世に残された方ですが、個人的に印象的なのは、この言葉です。

(家族をテーマにしたテレビドラマの脚本を書くとき)
「この家が、どういう朝ご飯を食べるのか、献立ができれば、もう話が出来たも同然です」

 まことに印象深い言葉です。
「献立をつくる」ということは、家族のメンバーが、それぞれ、どういう人で、何を好んでいるか。どういう価値観をもっていて、どういう関係にあるか、を想像すること、つくりこむことでもあるのでしょうか。

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 「作品」を創る際に、「献立」までつくりこむ。
 家族のメンバーの揺れ動く心理を描くことに長け、かつ、料理がとてもお上手だった向田さんらしいエピソードですね。そして、向田さんが何を重視していたか、感じることができます。

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 かくして「非日常の週末」は終わりです。
 先ほど、東京に戻ってきました。

 執筆、企画、授業、学会・・・。
 また多忙な日々が続きます。
 
 それでも人生は続く。
 
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