遠隔ファシリテーション!?の技術:三地点同時に進行するグループワーク!?

 先日、あるところで、350名弱の現場のマネジャーの方々に、講演をさせていただきました。
 非常に興味深かったのは、この講演が、200名弱は東京、70名は名古屋、70名は大阪で、3地点を同時にテレビ会議システムで中継して行う講演だったことです。

 3地点同時中継の講演といっても、講演のスタイルが、いわゆる「ザ・講演」といいましょうか、「一方向的に情報を伝達する講演」だったとしたら、今どき、そういうのも、そう珍しいことではないのかもしれません。

 しかし、僕の行う講演(!?)ですから、そうはいきません。
 レクチャーをしては、グループワークやエクササイズをして、またレクチャーという風に続いていきます。半分レクチャー的?、半分ワークショップ的?なかたちで、会が進行していきます。
 グループワークやエクササイズの時間は、僕は東京でインストラクションを行い、会場を歩き回り、名古屋・大阪では、拠点におられた方々が、会場のお世話をしていただきました。

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 背中が汗びっしょりになるほど最も「緊張」したのは、グループワークのあとに、どんな話題が出たか、各拠点のマネジャーの方々から意見をいただく場面です

「大阪にいらっしゃるAさん、こちらに関しては、どんな風に体制づくりをなさったらいいでしょうか?」

「名古屋に、Bさん、いらっしゃいますよね。この場合には、どんな問題が考えられますかね?」

 という風に、遠隔地にいらっしゃる方々に向けて、話を振っていきました。そして、この時がもっとも「緊張」しました。

 もし音声がつながらなかったら、どうしよう・・・
 もし答えてくれなかったら、どうしよう・・・
 もし話がかみ合わなかったら、どうしよう・・・

 今回、東京にいる200名の方々と僕は、大阪と名古屋の様子は見えません。音声は聞こえますが、大阪と名古屋の会場の様子、そしてそちらにいらっしゃるマネジャーの方方も、僕からは「顔が見えない状況」なのです。つまり、この場合、「顔が見えない」状況で、遠隔からファシリテーションを行う必要がある、ということです。

 幸い、大阪にいらっしゃるマネジャーの方も、名古屋の方も、明瞭かつ素晴らしいお答えをいただき、かつ、音声等も明瞭であったため、全く問題なく、会は進行しました。
 どれだけホッとしたかは、本当に言葉に言い尽くせません。

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 遠隔での講演(!?・・・講演なのかな、ワークショップなのかな・・・わからなくなってきました・・・とりあえず講演で)を終え、思ったことがあります。それは、今回のような教授機会が、さらに増えていくのではないか、ということです。
 もし、仮にそうなのだとすれば、これからは、「教える側」には「遠隔ファシリテーションの技術」が求められるようになるんだろうな、ということです。

 もちろん、対面状況、フェイスtoフェイスの会も大切であることは言うまでもありません。しかし、皆さん仕事が忙しく、またコストも考えなくてはなりません。実際、今回大阪・名古屋で受講してくださった140名の方々を、出張させる交通費+宿泊費+人件費を考えると、途方もない金額が浮かびます。

 また妄想力をたくましくしますと、今回は、企業での講演でしたけれども、大学でも出来ないことはないよな、とも思いました。
 たとえば、皆が聞きたいような著名な先生の講義が、ある大学ではじまる。その様子はすべて同時中継されていて、各所には、ティームティーチングを行って下さる方がいる。
 このようなこと昔は、人工衛星を貸し切るとか、大変お金をかけなければできませんでしたけども、今なら、かなり音声も動画もクリアにつながりますので、そんなことも可能になるのかな、と思いました。もっとも、そのようになったことが常態化してきた場合、大学教員の就職問題がさらに深刻になると思われますけれども。

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 遠隔での講演(!?)は、僕自身にとって、非常に大きな「学びの機会」になりました。「もし、次にやるのだとしたら、どういう風にやろうか?」「どういう風に改善できるだろう」と帰り道考えていました。これまで一カ所をファシリテーションすることはやってきましたが、遠隔ファシリテーションは考えつかなかった。これについて考えていました。

 最後になりますが、このような機会をくださった某社・人材開発部の方々に、心より感謝いたします。特に事務局のIさん、Aさん、お疲れさまでした。今回の遠隔講演を実現するために、人材開発部の方々は、3度もリハーサルをなさったそうですから、本当にご苦労をおかけしたと感じています。本当にありがとうございました。

 世の中はさらに複雑に、メディアはさらに高度に発展していきます。それにともない、必要な教授スキル、ファシリテーションのスキルも、変化していくのかもしれません。

 そして人生は続く