自分の研究は「誰」に返るのか?:藤田結子・北村文(編)「現代エスノグラフィー 新しいフィールドワークの理論と実践」を読んだ!

 歴史学者ジェイムス・クリフォードと、人類学者ジョージ・マーカスの著した「文化を書く」に関しては、17年くらい前に手に取り読んだ覚えがあります。
 とはいえ、当時の僕は、まだ学部生。ポストモダンの難解な用語と修辞、そして膨大な知識に圧倒され、「読んだ」、といっても、「眺めた」に近いかもしれませんが、それが「エスノグラフィー調査者 / 調査の特権性」を問題にしていることは、朧気ながら、感じたつもりです。


 曰く

1)エスノグラファーは、フィールドにおいて「ぬり壁?」のように、客観的に存在することはできない。

2)調査者は、文化的・政治的中立な状態で、フィールドに赴くことは、できず、それを見ることもできない。調査者にとって得られた情報は、彼/彼女が意図的に選択した情報であり、「部分的真実(Partial truths)」であることをまぬがれない。

3)その上で、調査者と被調査者のあいだには「非対称な権力関係」が存在し、被調査者から得られた情報によって、調査者は、アカデミアの内部に安定的なポジションを得る。その知見は、被調査者には多くの場合、かえらない。

 もっとも印象的だったのは、この本を通して、「研究の宛先性」という問題(本書に隣接する問いかもしれませんね)を知ったことです。これは上記の3)の問題にリンクしますが、難しいことをはぶいて、一語で述べれば、

 自分の研究は「誰」に返るのか?

 ということです。さらに一歩問いをすすめるならば「自分の研究は誰に返り、何を変えるのか?」と飛躍してもいいかもしれません。
 被調査者から貴重な時間をいただき、データは収集したのに、その知見は、レトリックを駆使されたテクストとして編まれ、被調査者には必ずしも返らない。この本に関連する、当時出版された、ポストモダン系のエスノグラフィーの類書は、いわば「研究の宛先性」と言う問題の存在を、はじめて僕に教えてくれました。

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 それから20年弱立ちまして・・・

 藤田結子・北村文(編)「現代エスノグラフィー 新しいフィールドワークの理論と実践」(新曜社)を読みました。

本書は、編者を含め若手研究者の方々が、クリフォード・マーカスの「文化を書く」以降に勃興してきた、それを超えるようなエスノグラフィーの知的挑戦を紹介した本です。僕自身は、エスノグラフィーの理論と実践に関して、10数年、遠ざかっておりますので、久ぶりにキャッチアップすることができて、とても勉強になりました。

 研究者が実践現場の変革にかかわり、その様子を記述する
 調査者と被調査者の非対称な関係を超える
 当事者として調査者が自らをエスノグラフィーする
 エスノグラフィーをチームとして実践する

 本書では、クリフォード・マーカス以降の様々なエスノグラフィー、たとえば「当事者研究」「アクションリサーチ」「チームエスノグラフィー」「オートエスノグラフィー」などについて説明しています。それぞれのエスノグラフィーが、どのような理論的含意をもち、どのような手法であるのかは、本書を手に取ってみていただければと思います。

 エスノグラフィーについてある程度の知識をもった方で、さらに、その先を探究したい方、実践の変革に関して、積極的に関与していきたい方などにおすすめの本かもしれません。一般的なエスノグラフィーやフィールドワークが何たるかを、ある程度、想像できてからお読みになる方がよいかもしれません。

 週末は、よい本に出会いました。
 今週も、気合いで乗り切りたいものです、、、気合いかよ(笑)。
 いえ、「知的気合い」でね。

 そして人生は続く