「下の世代」が「上の世代」から「学べる場」をつくる工夫:「共有できるテーマ」「正解のない表現」「反転した非対称関係」

 かなり前のことになりますが、ある研修(ワークショップ)で、大学生と40代くらいのビジネスパーソンの方が、ペア2名になって、ある課題に取り組む、ということがありました(Oさんとの共同研究で実施したものです)。

 課題は、「40代のビジネスパーソンの方が、自らのキャリア(これまでの仕事)を振り返り、それ3分くらいのデジタルムービー」にする、ということです。

 ビジネスパーソンの方々は、必ずしも、「デジタルムービー作成」の力量をお持ちではないので、そこに「ヘルパーさん」「助っ人さん」として配置されていたのが、デジタル映像編集の得意な大学生の方々というわけです。
 ムービーの編集技術をもつ彼らは、40代のビジネスパーソンの方々の語りに耳を傾け、彼らの指示のもとに、ムービーを作成していました。

 試行錯誤のうち、ムービーは無事完成し、みなで鑑賞会を最後に行いました。素朴で、それぞれの方々の個性あふれるムービーができあがり、それは素晴らしいものでした(ご参加いただいた皆様、ありがとうございます。この場を借りて御礼申し上げます!)。
 そのときのワークショップは研究として行ったので、その後は、参加者に話を伺いました。
 そのとき、あるひとりの学生がもらした、ひと言が、僕は、どうにも忘れられないでいます。

 ある学生さんが、こう素朴におっしゃったのです。

「大人になっても、まだ、自分がわからないことがあるんですね」

 一字一句そのまま、というわけではないですが、ご発言は、上記に類する内容であったと理解しています。

 たぶん、学生さんには「意外」だったのだと思うのです。

 すでに立派に社会で活躍している大人の方々が、「意外」にも、自分のキャリアをどのように表現してよいか、それがどのように「意味づけ」たらよいのか、に悩むことが。

「自分たちのような若者」だったら、そのようなことがあることは理解できるけれど、「社会で活躍なさっている大人」も、「また同じ」ように、「自分がわからなくなること」もある、ということが。

 このワークショップの「意図せぬ効果」は、「学生」の方々の「学び」にもありました。おそらく、彼は「キャリアとは、常に現在進行形なのだ・・・完成することはないのだ」ということを感じとられたのではないか、と思います。

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 それでは、なぜ、このような出来事 - 学生が経験ある大人のキャリアに共感を示しつつ、そこから何かをつかみ取ること - が起こったのでしょうか。

 これにはいくつもの回答がありえると思いますが、ひとつは、「キャリアを考える」というテーマ自身が、「学生も同じように悩むこと(共感できること)」であったということがあげられると思います。

 自らも「同じテーマ」に悩んでいるからこそ、そこに、より上位のビジネスパーソンが悩む姿を見て、学生さんは、何かを感じ取ったのかもしれません。これが全く自分に関係ないテーマであったら、下の人には、上の人の語りは、どうもピンとこないのかもしれません。

 ふたつめは、ビジネスパーソンの方々が「正解のないものを可視化(表現)すること」を求められていたことでしょう。
 今回の場合、最終アウトプットは、ビジネスパーソンの方々の歩んできた「キャリア」のデジタルムービーです。作品は、どれも素晴らしいものでしたが、どのムービーが正解で、どれが間違っている、ということは一切ありません。
 一見「かたち」のない自分の歴史を、表現するからこそ難しい。だからこそ、そこには迫真性の高い語りや、素朴な戸惑いやが生まれるのかもしれません。そして、その迫真性や素朴さが、大学生に共感を生み出したのではないか、と想像します。

 最後のポイントは「反転した非対称関係」です。
 今回のペアワークの課題、すなわちデジタルムービー作成においては、学生の方がスキルが高いという状態にあります。
 大学生は、ビジネスパーソンの語りを、かたちとして表現するために、様々な問いかけを行わなくてはなりません。つまり、大学生が「問いかけ」、上位者がそれに「答える」という状況が生まれています。
 これ、通常の社会的状況ならば「逆」だと思うのです。問いかけるのは「上位者」、答えるのは「学生」という風に。ある意味で、このときのワークショップは、通常の社会的状況を「反転した世界」でもありました。このような状況下で、「反転した非対称関係」による「問いかけ」が、奏功したようにも思います。

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 上の世代から、下の世代が学ぶ場をつくる

 人材開発の世界では、こうしたことがよく言われます。
 しかし、たいがい「人工的につくられ、かつ、何の工夫もない世代継承機会」とは、うまくいかないケースも多々あります。

 上の世代の知識や経験の「押し売り」になってしまったり、上の人の「新春大放談的自慢話大会」になってしまったりすることもあります。下の人には「やらされ感」漂いながら、かつ、時計の針を気にしてイライラしながら話を聞いているということが起こっている会は、日本全国津々浦々にあるでしょう。

 知識や経験の世代継承とは、上から下にむけて「パイプ」を張りめぐらし、さらには上から「モノ」を「ポイポイ」と投げ込むように行うことは、まず難しいのです。私たちは、「パイプ・ポイポイ」メタファから、そろそろ脱出する必要があります。
 それは、本来ならば、それが自然と行われるような「良好な社会的状況(例えば良好な職場)」を日常の実践を積み重ねてつくりだすのが一番でしょう。
 それが難しい、ないしは、組織を超えてそうした場をつくるためには、本日お話ししたように、いくつかの学習の工夫をもって、それに対処することも可能なのかもしれません。

 本日、お話しした話は、たんなる一例です。また、これは意図してつくりあげられたものではありません。
 しかし、「共有できるテーマ」「正解のない表現」「非対称な関係と問いかけ」という3点は、もしかすると、こうした場の設計に役立つのかもしれません。

 そして人生は続く

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追伸.
 週末、iPadをいじっていました。iPad版のiMovie、かなりいいですね。適当にいじくりまわしていたら、ムービーができます。こうしたものを用いると、また上記のワークショップも、新たな可能性が生まれそうですね。

iPad版・iMovie
http://www.apple.com/jp/apps/imovie/