「中途慣れした組織」と「中途慣れした個人」:中途採用がはらむ課題に、いかに社会は向き合うのか?

「中途慣れ(ちゅうとなれ)」という言葉があります。
 一般には、「中途採用を受け入れる会社・組織の側」に対して使われる言葉ですね。

 実際の働く現場では、

「あの会社は、出入りが激しく、中途慣れしている」
「うちの会社は、中途採用者がいないので、全く中途慣れしてないよね」

 という風に使われます。
 この概念、そもそも中途であろうがなかろうが、「Job(戦略からブレークダウンされ、個人に割り当てられた仕事)をこなせるかどうか」を主要な問題関心として採用が行われ、雇用流動性の高い海外における研究で(もちろん、海外といってもいろいろありますし、雇用流動性は企業規模によって海外でも異なります)、頻出する概念ではありません。
(例えば、海外の組織社会化研究においては、Newcomerという言葉が頻出しますが、これは、経験があろうがなかろうが、その組織にとってNewcomer(新規参入者)であって、日本の概念でいう「新卒」とは意味が異なります。国が違えば、研究のコンテキストが全くことなることには、注意が必要です)

 そもそも「中途採用」にあたる言葉すら、なかなか見あたらないですし、もし仮にあったとしても、一般的な言葉ではないのではないでしょうか。
 中途採用は、明らかに新卒一括採用を中心とした採用を行い、強固な内部労働市場を発達させてきた日本の、特に中堅・大企業において意味をなす概念です(日本においてすら、中途採用の多寡は企業規模によって異なります)。

 ともかく・・・。
 
一般に、雇用流動性が高く、中途採用者を大量に受け入れ、また多くの既存メンバーが退出している企業は、中途採用者の組織再社会化(組織適応)を支援するためのツールキット、情報インフラ、オリエンテーションなどの各種の「オンボーディング(Onboarding)」イベントが充実しています。
 また、中途採用者を受け入れる職場のメンバー、マネジャーの方も、「中途採用者の特質」をよく知っており、何をフィードバックして、何をリスペクトしなければならないかに関するノウハウをもっています。

 程度の差こそありますが、こうした会社では、場合によっては、入社後、すぐに中途採用者が仕事をできる環境がそなわっているところも少なくありません。
 つまり、会社組織自体が「中途慣れ」しています。

 反面、中途採用者がなかなか入ってこない会社、別の言葉でいえば、新卒一括採用した社員が「はえぬき」で、上昇移動をしていくことが支配的な会社では、このような環境の充実は、なかなか見込めないことの方が多いのではないでしょうか。

 会社の各種の人事施策・福利厚生施策が、そもそも「はえぬき」を前提に設計されており、中途採用者を想定していないこともあります。また情報インフラや、ツールキット、オリエンテーションなども整備されていないこともあります。
 メールアドレスをもらおうと思ったら、それがもらえるまでに1週間かかって仕事にならなかった、という経験も、かつて聞きました。
 加えて、職場のメンバーやマネジャー自身も、中途採用を扱ったことがないので、フィードバックの仕方に、ややぎこちないところがでてきます。つまり、こうした会社では、組織全体で「中途慣れ」していないのです。

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 以上述べてきたように「中途慣れ」という言葉は、一般的には、「中途採用を受け入れる会社・組織の側が、いかに中途採用者受け入れの経験を有しているか」を形容する言葉として用いられます。
 が、僕の研究と経験では「中途採用で入社してくる人」にとっても、この言葉は用いることができるのではないか、と思います。

 つまり「中途採用ということの全体像や、そこで生じうる問題、そして、それをいかに乗り切り、サバイブするか」についての智慧みたいなものを知っている人と、それを知らないがいるのではないか、と思うのです。

 もっとも深刻だと思われるのは、「学習棄却」の問題です。このことは、拙著「経営学習論」で論じました。

 中途採用者の場合、「既存の職場での職務経験で培った知識・技能・信念」のうち、「現在の新たな職場では使えないもの」が、どうしても、生じてきます。その場合、「何」を捨てて、「何」をそのままにし、何を新たに学び直すか。こうしたことが、自然と、あまりストレスを感じずにできる人と、そうでない人がいるように思います。

 特に後者の場合、自分としては、過去の職場で学んだことは、「ポータビリティ(持ち運び可能)」で、普遍的に(ユニヴァーサルに)、どの職場や組織で行われる業務でも、利用することができるはずだと考えているのに、あちらの組織では通用しても、こちらの組織では通用しない。
 思っている以上に、自分の培った知識が、企業特殊のスキルや技能であって、ポータブルではない、ということに気づかされる一瞬ですね(僕個人の研究的信念でいえば、ポータブルな知識・技能とは確かに存在するとは思いますが、その知識・技能は、業務上は"さして重要ではないもの"に限られると思います。"業務の中で本当に大切もの"は、状況に埋め込まれて学ばれますし、企業特殊であり、なかなか他のコンテキストでは、かつてのように奏功しないのではないかと思います)。

 その場合には、学習棄却(Unlearn : すでに学んでしまったことで、現在は通用しない考えを捨てて)、学び直す(Relearn)必要があるのですが、それが、「中途慣れしていていない人」にとっては、なかなかうまくはいきません。そうしたサイクルにはいることが、あたりまえのことだとは思えないのです。

 捨てるべきものに固執する
 捨ててはいけないものを捨てる
 捨てることや学び直すことに勇気がもてない

 一般に、「既存の職場」で手腕を発揮した人で、かつ、前職と現職の差が近い人ほど、いったん、この問題が深刻化すると、とても厄介です。そこには仕事のプライド、本人のアイデンティティの問題が深く絡んでくるからです。
 「これまでの手腕」が、組織をまたげば、場合によって「足かせ」にしかならないことも、ままあるのです。
 場合によっては、周囲に、様々な不安や不満を打ち明けることができず、また助言も受けられず、元気を失っていくパターンもゼロではありません。

 一方、「中途慣れしている個人」は、そこで起こる様々な心理的葛藤や混乱を横目にみつつ、そのサイクルをまわし、なんとかかんとか、日々の業務をマネージング(やりくり)することができます。もちろん、時には「痛み」もともないます。そういう個人は、多くは、自分の周囲に人的ネットワークを持ちます。適切な支援者や助言者、そしてキーマンなどを見つけ、彼らとのインタラクションを通じて、組織に溶け込み、自己の再構築を行います。
 個人にとっての「中途慣れ」という問題は、かくのごとき問題です。

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 このように、中途採用者の採用・組織適応を考えていくときに、二つの視点、すなわち「中途採用者を受け入れる側の中途慣れ」の問題と「中途採用される側の中途慣れ」の問題を考えていくことが大切だと思います。
 特に、今後、新卒一括採用を前提にしない人材マネジメントを組織として推進していく場合には、組織全体を「中途慣れ」の状態に変革していくこと、それも戦略的かつ体系的に、それを行っていくことが求められます。

 事態は民間企業ばかりだけとは限りません。
 近年は、様々な領域でも、中途採用者の問題が起こっていると聞きます。
 たとえば、学校教育では、かつて民間企業で働いていた人が教員として働く事例がでてきています。
 また、看護の現場では、圧倒的な「売り手有利の労働市場」を背景にして、一般の事務職・総合職をやめ看護師になる方が増えてきているといいます。

「民間企業 - 民間企業間の移動」でも「中途慣れ」の問題は深刻になりがちですが、このように「民間企業 - パブリックセクター間の移動」ということになりますと、さらに、事態は難しいことが予想されます。
 多かれすくなかれ、程度の差こそはあれ、今後の日本社会では、「中途慣れ」の問題が、いろいろな局面、いろいろな組織の問題として、いろいろな個人のあいだで、出てくるものと思います。 
わたしたちは、この「中途慣れ」の問題と、しばらくのあいだ、付き合っていく必要があるようにも思います。

 そして人生は続く