新たに「コミュニティ」を立ち上げ、育てていくための智慧:念仏、御文、講のネットワーク化 - 蓮如の人生から考える

「コミュニティを新たにつくって維持するためには何が必要なのでしょうか」
「コミュニティをデザインするためには、いったい、何をすればいいのでしょうか。
「コミュニティやクラスタを利用したマーケティングのコツはなんでしょうか」

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 ずいぶん前のことになりますが、あるところで、「コミュニティ」に関する「クローズドの自主勉強会」に参加させていただきました。
 参加していたビジネスパーソンの皆さんは、それぞれの仕事で、それぞれのアプローチの仕方で、コミュニティに関係する仕事をなさっている方で、上記のような「問い」を見事ときあかしてくれるような関連書・情報・言説が少ないことを、嘆いておられました。

 まぁ、それもそうでしょうね。だって「ニッチ」だもんね。
 近年は、「コミュニティデザイン」やら「コミュニティマネジメント」というコンセプトがあらわれ、多少、その状況も変わりつつありますが、そんな「ニッチな関心」を、マスメディアは、なかなか取り上げてくれません。

 僕は「コミュニティ」に関する研究をしているわけでもないのですが、そのときは、この問いについて考えさせられました。そして、そんなとき、僕の脳裏に浮かんだのは「歴史上のある人物」のことでした。
 僕は、宗教学や歴史学の専門知識はゼロですが、どうしても、こういう関心を耳にすると、「この人物」を思い出してしまうのです。

 その人の名は「蓮如(れんにょ)」。
 時は室町時代末期の乱世、1415年に生まれ、生涯を終えるまで、親鸞の教えを全国に広め、定着させ、それを媒介とする一大コミュニティを築いた人でした。

 この「蓮如」という人物、歴史書を見ても、解説書を読んでも、あまりよくは語られないことも少なくありません。

 以下、五木寛之さんのご著書ですとかを参照しつつ、書かせて頂きますが(参考にした書著は文末にあります)、どうにも専門書や解説書を読んでいても、「蓮如は、知識人から親しまれない」ことの方が多いことに気づかされます。

 この背景にはいくつかの理由があるような気がします。「独立孤高」の姿勢を守り、思想を極めた親鸞とは全くことなり、蓮如は明確な「独自の思想」を持ちません。
 反面、蓮如は、当時、着実に力を増しつつあった民衆の中に「身を捨てて」とびこみ、民衆の苦しみを背景に、親鸞とは全くことなるアプローチで、親鸞の思想を広めていきます。おそらく、こうした蓮如の姿勢 - すなわち、「ムーヴメント」に傾倒した生涯が、知識人の忌み嫌うところなのかな、とも思います。

 さて、それでは、親鸞の教えを普及させ、一大コミュニティをつくりあげるために、蓮如が採用したアプローチとは、いったい、どのようなものだったのでしょうか。

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 コミュニティを組織する際、蓮如のアプローチのひとつはこれです。

 帰命無量寿如来
 南無不可思議光
 法蔵菩薩因位時
 在世自在王仏所
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 からはじまる、いわゆる「正信偈(しょうしんげ)」は、親鸞の著書『教行信証』の中にある一節です。
 これをもとに、「念仏」として制度化し、彼は、民衆のあいだに広めていった。「念仏」は、誰でも唱えることのできる「普及のためのハードルの低いアーティファクト」として、まずは機能しはじめて、人々の気持ちをとらえていきます。

 当時の日本は「乱世」。
 そこは、10%にも満たない支配階級と、90%の被支配階級の圧倒的な格差社会そのものでした(現代とは比較にもなりません)。そのような不条理な世界にあって、人々は「苦しみ」のどん底にあった。その様子は、ちょうど、アフリカで進行している悲惨な内戦や惨状に近いのかもしれません。
 ちょうど、今から600年前くらいの日本は、そんな「地獄絵図」が広がる世界でした。支配階級は内戦を繰り返し、さらにわることに飢饉や疫病が、被支配階級を襲う。人々は「受苦」のどん底にいました。

 その中で、人々をとらえたのは、わずか数百文字の「念仏」でした。それを唱えるだけで、圧倒的な「受苦」から、そして、「生きることの苦しみ」から、自分は「救われる」。「念仏」は現代人からすると、やや「プリミティブ」な感じもしますが、当時の時代状況を考えると、さもありなん、という気持ちもしてきます。

(ちなみに、帰命無量寿如来・・・は、子どもの頃、よく、小生の祖母が仏前で唱えていました。僕は、それを当時黙って聞いていた。それから35年・・・先日、そこからはじまる何センテンスかを、自分自身も諳んじることができることに気づいたときは驚愕しました)

 一方で、蓮如は「信者 - 僧侶」間、「信者 - 信者」間の「コミュニケーション戦略」も怠らなかった。

 日本史をやっていた人は、「おふみ(御文)」というのを聞いたことがあると思うのですが、これは、「難しい教え」を蓮如が、「誰にでもわかるように書き直したお手紙」のことをいいます。

 当時、誤解を恐れずにいうならば、仏教は「導管モデル」「支配階級のエクリチュール」の中にあった。それは、一部の支配階級の「教養」であり、「書き言葉」として記されていた。たとえば、親鸞の書いたとされる「歎異抄(たんにしょう)」という本がありますが、これは非常に難解です。当時、それまでの布教とは、僧侶が「高座」にすわりながら、そういう「難しくありがたい教え」を、「教えが理解可能な人々」に、語りかけることにあった。

 一方、蓮如は、これらの「難しい教え」を「おふみ」に書き記し、それを手に携え、民衆の中に入っていきました。彼はもう「身を捨てていました」。天台宗の僧兵に襲われ、寺を焼き討ちされ、退路はいっさいなかった。
 そんな崖っぷちの蓮如が、そんなとき目をつけたのは、民衆の中に生まれてきつつあった、「ある組織」でした。

 当時は、貴族によってつくりあげれた土地制度であった「荘園」が崩壊し、農民自身の中で、リーダーをつくり、共同祭儀を行ったり、秩序を自主的に維持していこうとする「惣(そう)」が立ち上がり始めていました。蓮如は、ここに目をつけました。

「惣」がさらに組織化され、ある目的や興味関心を満たすために、複数の人々が組織する集団的共同体を「講」といいますが、蓮如は「惣」を土台に、それを「講」として変化させ、念仏の思想・親鸞の思想を広める「講の連合・ネットワーク」をつくろうとしたのです。僕の言葉でいいますと、彼がつくろうとしたのは「学習共同体」であり、「学習共同体のアソシエーシエーション・ネットワーク」ということになります。

「講」を組織化する中心的アーティファクトは、先ほどの「おふみ」であり「念仏」です。つまり、蓮如は「おふみ」と「念仏」というアーティファクトをもとに民衆が自己維持可能な「信仰コミュニティ」をつくっていったんですね。

 こういう慣習をもつようになった民衆は、その「コミュニティ」を蓮如がいなくても、「自己維持」できるようになる。自己維持できる「コミュニティ」には、さらに人々が新規参入し、「自己増殖」を開始する。かくして、蓮如は、当時の仏教信者の3分の1となるような「巨大コミュニティ」を組織していったのです。

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 今日の問いとは、「コミュニティの維持・運営や普及」というテーマでした。蓮如の生きた時代と現代は、全くことなる時代とはいえ、当時蓮如が「手持ちのメディア」で、いかにコミュニティを組織していったかということが、おわかりいただけると思います。

 もちろん、今日のテーマは、仏教や歴史をご専門にしていらっしゃる方にとっては、ツッコミ満載だと思います。僕は、その筋の研究者ではありませんので、今日の話を1時資料に基づいてお話ししたわけではないことを付記しておきます。
 また、蓮如も「コミュニティを組織する」ために、このようなことを行ったわけではありませんので、彼の活動を読み解くとき、そこは慎重に解釈される必要があります。また、今日の話では触れることができませんでしたが、彼の活動が残した負の側面も、慎重に考慮されなくてはなりません。

 今日は、「今、コミュニティに関係する言説」が、「蓮如の人生のテクスト」と似ていることも少なくなくないことを例示しました。
 その人生からは、現代のコミュニティに関係する関係者が学ぶ「答え」を直接得られないにせよ、大切なポイントが含まれてるような気がします。

 とかく、蓮如という人は、たとえば、一向一揆を組織しただとか、5人の妻をめとって、27人の子どもがいたとか、いろいろ揶揄される人物です。
 しかし、そんなことは、僕にはどうでもよくて、現在は、蓮如の時代から600年以上もたっているのに、同じようなことが人々の興味・関心になっていることが興味深いことですね。

「現在」と「過去の歴史」は、つながることもあります。
「現在の問題を解く」ために、「現在生産されている言説」だけを頼りにしても、十分な情報を得られることができないときが、ままあります。

「ソーシャルメディアをどのように使えばいいのでしょうか」

 なんてことを考えていても、「埒」が空かないことの方が多いような気もします。

 そのようなときには、現代を「近視眼」的に見つめるのではなく、「歴史という大局の中に現代を位置づけること」も、注目されてしかるべき「知的チャレンジ」かもしれません。すなわち、「過去の歴史」から学び、それを鵜呑みにするのではなく、「自ら考えること」も、また一計だと思うのです。
 歴史は、似たようなことを「繰り返す」ものですし、わたしたちは、そのためもあって、長いあいだかけて、歴史的事実やそれにまつわる思考法を学んだようにも感じます。

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 ちなみに「蓮如の後世」も、また「我々にとっての教訓」に満ちたものです。
 彼は、晩年、大きくなった教団のトップに君臨し、彼をしたい、彼を持ち上げる関係者から祭りあげられ、偶像化し、次第に、そのメッセージは教条化・固定化してきます。蓮如のことがよく語られないのも、この晩年の「迷走」っぷりからかもしれません。

 しかし、僕自身は、このような「人間くさい」蓮如の人生が好きです。
 同時に、「コミュニティを維持する、管理する、普及させる」ということの背後に広がる「落とし穴」を、彼の晩年から学ぶこともできるような気がします。

 蓮如、享年85歳。
 波瀾万丈という4文字では、おいそれと形容できぬ
 激動の人生でした。