子育てとツイッター:ソーシャルメディアによる育児支援

 以前、NHKクローズアップ現代の収録でお世話になった、NHKディレクターの海野さんから、「母親たちの孤独を救う」といった趣旨の番組のご案内をいただきました。

実は、今日2月4日、午後7時30分からNHK総合で「特報首都圏 ミドルエイジクライシス 母親たちの"孤立"を救え」が放映されます。

特報首都圏
http://ow.ly/3PVMm

 上記の番組案内によりますと、最近、「産後4ヶ月間」に孤独にさいなまれる母親があとを立たないそうですね。母親の中には、ツイッターなどのソーシャルメディアを利用して、この孤独を乗り越える人もいるようです。

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 僕は「育児」や「発達」などの「研究者」ではないですが、自分の子育て経験を振り返ってみると、僕自身の育児にとって、ツイッターなどのソーシャルメディアは非常に役にたちました。今日はそのことを少しお話ししたいと思います。

 最初に述べておきますが、僕は、熱心な子育てパパではありません。また子育ての分担も、カミサンの方が圧倒的に負担多いので、申し訳なく思っています。
 それを「反省」しつつも、ここでは、僕なりに「子育てとツイッター」、いわゆる「ツイママ」「ツイパパ」について考えてみるとこうなりますね。

 僕の経験で、子育てに対してツイッターの果たした役割は、下記の5点です。
 
 1)子育ての具体的アドバイスが聞ける
 2)子育て中に起こる不安が軽減される
 3)社会から孤立された感情の浄化に役立つ、あるいは擬似的社会参加ができる
 4)他に同じような境遇で子育てしている方との連帯感が形成される
 5)子育てのプロセスが、すべてログとしてネットワーク上に残る

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 まず「1)子育ての具体的アドバイスがきける」「2)子育て中に起こる不安がある程度は軽減される」に関して。

 これはね、熱ですよ、熱。
 とくに、1歳未満の頃の急な高熱のときに、ツイッターでたくさんのアドバイスをもらいました。水をたくさん飲ませるといいよ、とか、あまり着込ませない方がいいよなど、めちゃくちゃ具体的に。
 
 アタリマエのことなのですが、はじめての育児ではわかんないことだらけなのです。つまり「親としてノービス」なのですね。全く「熟達」「学習」していない。
 
 どこぞの誰かの名言をデフォルメするならば、

 最初から、親が「いる」のではない
 人は、親に「なる」のだ
 
 ということになります。

 たとえば、おばあちゃんとか、実家の父母がいるような大家族だったら、こういう子育ての「些末なTips」は、「先人たちの智恵」として様々に得られる可能性が高いので、まだ「まし」かもしれません。

 「そったらケガくらい、赤チンぬっときや治る!」


 みたいな。

 でも、我が家は僕もカミサンも「地方出身者」で両親は近くにいません。なかなか「具体的な子育ての智恵」みたいなものがわからず、「四苦八苦」しました。

 おまけにカミサンと僕が二人いるときに発熱なら、まだいいのですが、僕一人で見ているときに、発熱などしちゃうと、もうパニックなんです。

 怖くて、怖くて。
 何か起こったらどうしよう、どうしよう、と。
 
 だって、信じられないくらい高熱になることがありますよね。

 「どひゃー、41度って体温計いってるぞ、おい。
 湯気たってるよ。やべー」

 こんなときは、自分一人で、とにかく「不安」なのですが、それをつぶやくと、いろいろな返信をもらえて、僕は助かりました。

 あと、すごく覚えているのが、あの事件です。実は、「僕一人でTAKUZOを見ているときに、車のドアにTAKUZOの指をはさんじゃって、救急車で運ばれた事件」というのがあったのです。
 そのとき、僕はめちゃくちゃ落ち込んでいました。なんて父親だ、とね。指なくなっちゃったら、どうしよう、と。自分を責めて、涙が止まらなかった。

 結果としては大事に至らなかったのですが、それでも、めちゃくちゃ落ち込んだ。でも、そのとき、皆さんに「励まされました」。これはありがたかったです。でも、TAKUZO、ごめんよ。

 あと、あの事件も忘れられませんね。TAKUZOは長い間病院に入院していた時期もありました。結果として、こちらも大事には至りませんでしたが、緑色にボーッと非常灯の明かりがともる廊下を歩いて、病棟にTAKUZOを一人残して帰るときの気持ちを、僕は今でも忘れられません。この頃は、まだブログでしたが、たくさんの方々からメールなどで「励まし」をいただきました。ありがたいことです。

学術論文を読んで涙が止まらなかったときの話
http://www.nakahara-lab.net/blog/2008/06/post_1272.html

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 次に「3)社会から孤立された感情の浄化に役立つ、あるいは擬似的社会参加ができる」に関して。

 たった1日TAKUZOと家に籠もっていたり、数日面倒を見なくてはならなくなっただけでも、不思議なもので、僕は「社会からの孤立感」を感じました。こんなことを言ったら「父親失格」と怒られるかもしれないけど・・・。

 「みんな仕事してるんだろうな、オレも研究したいな」
 「みんな、あのワークショップに行けていいなぁ、オレはいけないけど」

 でも、そんなとき、僕の仕事仲間の多くはTwitterをしているので、仕事場の様子がある程度わかり、また、ワークショップや講演会の内容なども「tsuda」られていることが多いので、それに「疑似参加」できたことは、自分にとっては幸せでした。

 僕は、「止まっていると、エラに空気が入らず、息ができなくなってしまうマグロ」のような人間です。たぶん、社会から孤立した瞬間に、「シオシオのパー」になっちゃう。だから、これは本当にありがたかったです。

 次に「4)他に同じような境遇で子育てしている方との連帯感が形成される」。
 これは、僕の家族と同じような境遇「共働き・地方出身・忙しい」で仕事をしながら、子育てしている方から、たまにコメントをいただいたり、「うちも頑張っています」というメッセージをもらったのは嬉しいことですね。「あー、みんな頑張ってるんだ」みたいに、妙な連帯感をもてました。

 最後に、「5)子育てのプロセスが、すべてログとしてネットワーク上に残る」は、これから効果を実感することになるんだと思います。

 僕のTAKUZOとのかかわりの多くは、ツイッターだけでなく、様々なソーシャルメディアを媒介して、ネットワーク上に「ログ」として存在しています。ネットの上に存在していると言うことは、逆にいうと、「検索可能」だということです。

  こういうログをあとから見て、子育てを振り返ることができる、というのはよいことかな、なんて思っています。実際、子育てというのは不思議なもので、「あんなに苦労したのに、意外にプロセスは覚えていない」ものです。
 それだけ「必死」だったからもあるんだろうけど、たとえば0歳の頃のこと、ミルクはどのように飲ませるんだっけ、風呂にはどう入れたんだっけ、そういうのは、全然覚えていないんです。だから、後から振り返るためには、ログが必要だと思うんですね。
 
 あと、大きくなったTAKUZOが、いつか「検索」して、「あー、こういう風に、親は育ててくれたんだな」なんて思ってもらえると、嬉しいかも、なんて「妄想」入っています。

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 もちろん、ツイッターも「道具」でしょうから、たぶん「良いこと」ばかりが起こるわけではないでしょうね。

 お受験情報が飛び交ったり、過剰に子育て情報が氾濫することでかえって不安になったり、追い込まれたりする「ツイママ」もでてくるでしょうね。「妙なグループ」が構成されて、誰かを排除したりすることもないわけではないんでしょうね。あと、ログがすべて残っているということは、セキュリティの点からいうと、やや問題があるかもしれません。つまり、それは「万能」のメディアではない。ネガティブな可能性にもひらかれている。

 ただ、僕としては、このメディアから受けたメリットとデメリットを「はかり」にのせて考えた場合に、明らかにメリットの方が多かったです。これを「ポジティブ」に利用できたら、すごい大きな可能性があるんじゃないか、と妄想しています。

 もちろん、僕は「ツイッター教の信者」ではないですので、育児支援を行うソーシャルメディアが、必ずしも「ツイッター」でなくてもかまいません。何らかのソーシャルメディアがあって、それによって、子育てが「明るく愉しく」なればいいな、と思います。

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 一般論でいうと、今、核家族化と少子化等の社会環境の変化によって、都市生活者は「身近な場所にすむ人々の、信頼できる子育て経験」や「メンタルサポートの機会」がなかなか獲得できなくなっているかもしれません。
 この意味で、ソーシャルメディアには、様々な可能性があるかもしれません。しかし、それは同時に危険性や問題点も孕んでいるんでしょう。

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 とまぁ、ツラツラ書いてきたところで、リミット。
 今日の番組を愉しみにしています。

 ちなみに、今日と明日土曜日の2日間は、口頭試問で、大学に缶詰です。
 そして人生は続く。

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追伸.
「子育てとソーシャルメディアの利用」も研究テーマとっして有望なんじゃないって専門外ながら思いました。ツイッターの仕様群と非使用群の比較とか。ツイッターの利用と社会関係資本、家族構成の関係とか。僕自身は専門外なのでやりませんが、興味深いな、と思います。