学術論文を読んで涙が止まらなくなったときの話

 誰の役にも立たないと思うけど、今日は、僕が、「学術論文を読んで涙が止まらなくなったときの話」をしよう。

 今から数ヶ月前、愚息TAKUZOは、数週間、病床にあった。きっかけは熱性痙攣であったが、予後があまりよくなく、点滴とチューブにつながれた、永遠とも感じられる「長い時間」を、彼は病院で過ごすことになった。

 生まれて以来、常に一緒にいた親から引き離され、暗く、そして長い夜を、独り過ごす。もっとも辛かったのは、TAKUZO本人であることは間違いない。

 しかし、僕たち親も、本当に心を痛めた。「一生分の心配」を、わずか数週間ですべて経験したような気分であった。

 しかも、この間も、仕事は続いている。TAKUZOの入院後、僕たち家族の生活は一変したが、僕らの周りの世界は、何一つ変わっていない。仕事の同僚には多大なる迷惑をかけてしまったが、僕たちの仕事に「代替」はきかないものも多い。講演、ロケ・・・どんなに心が引き裂かれそうでも、自分たちがやるしかない仕事は、やるしかない。
 僕の場合は教壇にたてば、カミサンの場合はスタジオの副調整室の卓にすわれば、もう、「親」の顔は捨てなければならない。教員として、ディレクターとして、僕らは「別の顔」を生きなければならない。
 
 もう、どうにかなりそうだった。

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 幸い、数週間でTAKUZOは退院した。しかし、退院後、不調の原因が掴めなかったこともあり、僕たち家族は、国立の大病院のセカンドオピニオン外来を訪れることにした。

 磨き上げられた床、高い天井、専門のスタッフ。それまでいた病院とは全く違う雰囲気に、僕たちは圧倒された。
 入院した病院が「臨床の最前線」であるのなら、こちらは「研究の最前線」であった。

 そこで出会ったお医者さんは、僕の仕事が研究者であるとわかると、ある医学雑誌の論文引用情報をわたしてくれた。

「TAKUZO君の不調と予後については、この論文に書いてあることがあてはまるかもしれません。ぜひお読み下さい」

 大学に戻り、僕は早速、医学部の図書館をおとずれた。めざす論文をさっさと見つけた。
 いつも訪れている図書館とは、ちょっと雰囲気が違い、座りがわるいので、論文をコピーして、自分の研究室で読むことにした。

 論文は、いわゆる「症例研究のメタ分析」であった。過去数年に、この病気にかかった子どもたち35名が、当時、どのような検査を経験し、その結果はどうであり、その後の予後がどうなったのか。国内外の症例をまとめた論文であった。

 論文の最後には、検査結果がどのようなものであれば、予後がどうなるかに関しての、予測モデルが示されており、追加の検査として●●というものを行うべきだ、と結んであった。

 論文には、大きな「表」がひとつ掲載されていた。35名の患者の子どもがリストになっているものであった。やや内容をはしょって簡単に書けば、下記のような表である。

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氏名   検査A   検査B   予後

A(男)  -     +    不良
B(女)  -     -    不良
C(女)  +     -    良好
D(男)  -     +    不良
E(女)  +     +    良好
F(男)  -     +    不良
G(男)  +     ー    良好
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 そして、忘れもしない、この「表」を目にしたときのことである。僕は、生まれてはじめて、「学術論文」を読んで泣いた。嗚咽が次から次へとあふれ出てきて、もう止まらなかった。しばらく机の上でうずくまった。

 当初、自分でもなぜ涙が流れるのかはわからなかった。単に「表」を目にしただけなのに、なぜ嗚咽がもれるんだろう。一瞬の出来事に、僕自身が、理由をつかめずにいた。

 しばらくして、自分自信を「客観的」に観察できるようになり、僕はようやく事情がわかってきた。なぜ、僕が、この表を目にして涙がとまらなくなったのか、その理由が。

 それはわずか1pの表に、35人の子どもたちと、その子どもたちにつながる人々の「苦しみの物語」を一瞬にして感じたからである。
 わずか1行で表現されているものの背後に、「患者の物語」、その物語を支配する無念さ、悔しさを感じたからである。
 1行の末尾に記されている「不良」のという、わずか2文字の果てに、子どもと、彼を取り巻く人々が諦めざるをえなかった「夢」や「未来」を痛感したからである。

 検査Aの結果は不良だったA君。おそらく検査Bの結果がでるまでは、A君はベッドに横たわっていただろう。そして、両親はどんなに不安な夜を過ごしたことだろう。
 検査結果Bの結果は幸いよかった。一度は、両親、そして祖母祖父ふくめて安堵しただろう。しかし、それなのに、それにもかかわらず、後日、予後が「不良」であることを受け入れなければならない「無念」と「悔しさ」。
 なぜ、自分だけがこんな思いをしなくてはならぬのか。そして、なぜ、我が子だけが、このような苦しみにあわねばならぬのか。
 なぜ、オレの子どもなのか、なぜオレの家族なのか、そして、なぜオレなのか。

 僕は、1行1行をじっくり読みながら、物語を想像した。A君とA君の家族、BちゃんとBちゃんの両親と祖母祖父、CちゃんとCちゃんの両親と兄弟・・・様々な人々が経験したであろうプロセスを「追体験」した。

 そこには35人の物語があった。いや、35人につながる数百人の物語を見いだせた。論文の後半、予後の予測モデルや追加の検査の項を読む頃には、涙も枯れ果てた。

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 こういう話をしたからといって、別に、「症例研究」がいけないとか、非人称的な記述形式がいけないとか、予測のモデルをたてるのがいけない、とか、そういうことを言いたいわけでは「断じて」ない。

 こういう地道な研究の果てに、医療の「未来」はある。「これまでなら苦しんでいた子ども」を1人でも多くださないための工夫は、そういう研究の積み重なりの果てにあるのである。それは必要なことなのだし、これからも継続されなければならないことなのだ。

 僕も研究者のはしくれとして、研究の重要性はよく理解しているし、分野は違うとはいえ、同じようなことをやっている人間のひとりである。

 しかし、「研究者としての自分」を離れ、親として論文を目にしたとき、僕は、そこに全く違った世界を見た。そして、心の底から感じた。

 人間を対象とした研究の「背後」には、ふだんはスポットライトを浴びることのない「人間の物語」が隠されている。

 研究の目からすれば、「被験者A」「参加者A」でいいかもしれない。統計的有意な結果をだせる人数を被験者として確保し、仮説を検証したり、モデルをつくることが必要なのかもしれない。それは「研究者としての勝ち」「研究者として見たい光景」なのかもしれない。

 しかし、そのことが重要であることは1ミリも否定しないが、おそらく、このことだけは忘れてはならない。研究者として自戒をこめて、そう思う。

 被験者Aは、「固有の名前」をもっており、彼につながる人々とのあいだで、様々な物語をつむいで生きてきた、ということである。
 そして、研究者が彼に対して行ったことの結果は、そういう物語の果てに理解される必要がある、ということである。
 さらにいうならば、人にかかわる研究をするということは、そういう人の物語に触れたり、介入したりするということである。僕はそこに、ある種の「畏れ」らしきものを感じざるをえない。

「何を今更アタリマエを言うんじゃない」とお叱りを受けるかもしれないが、僕は、今回の出来事で、心の底から、そのことの意味がわかった。はじめて親の立場で、「35人の表」を目にしたときに。否、35人につながる人々の物語を感じたときに。
 今まで概念的には、アタマの中ではわかっていたことだったけど、このときばかりは、心の底からわかった気がした。

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 幸いTAKUZOは、その後、すっかり元気になった。追加の検査も、異常なし。いまだ原因はよくわからないものの、今では、あのときのことがウソのように遊び回り、どろんこになっている。

 僕たちは、何か、「悪い夢」を見ていたんだろうか?
 あれはいったい何であったのか。

 今では時々、そう思うこともある。

 しかし、それが「夢」ではないことは僕が一番よく知っている。「学術論文を読んで号泣したこと」は、忘れようと思っても、忘れられるものではない。
 そして、そこで僕が号泣した理由は、僕が研究者として生きていく限り、一生抱きしめていくことなのかもしれない。

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追伸.
 TAKUZOと新幹線を見に行く。入場券を買って、ホームへ。

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 大興奮で新幹線を見学。
 前にでたいがあまり、柵の間に足を入れる。

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 やばい・・・足を差し込みすぎた!

shinkansen2.jpg

 で・・・・

shinkansen3.jpg

 足が抜けなくなる(笑)。
 助けてー、きょえー。