ピタゴラスイッチ「ぼくのおとうさん」で知る学習研究の最前線!?

 朝、何気なくテレビに目をやったら、この曲が流れていました。

 「ぼくのおとうさん」という曲で、ピタゴラスイッチで放映されています。歌詞を聴いていたら、おもしろいなぁと思いました。ああ、これは、「文脈横断論」の要諦を表現している曲として聞けるのかな、と思ったのですね(笑)。

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 文脈横断論とは、1990年代後半から現在にかけて様々な研究が進んでいる学習研究です。

 いつものように、専門家から便所のスリッパで後頭部をパカーンと殴られることを覚悟して、それを、僕の言葉で表現するならば、

「人は、様々なコミュニティ(コンテキスト)を越境(またぎながら)しながら、生きている」という「人間観」をもとにした学習論です。それは「越境」という「メタファ」を使って、「人間の学習、成長」を描こうとします。

「おとうさんは、会社の課にも属しているし、もしかすると、社内プロジェクトを掛け持ちしているかもしれない。学校にいけば「生徒」さんで月に一度は前の会社の人との飲み会(勉強会)に参加して、情報交換をしているかもしれない」

 誤解を恐れずにいうならば、そういう「越境するおとうさん」が、

 どうやって日々気づきを得ているのか
 どんな風に働きがいやアイデンティティを保っているのか
 それぞれの学びが、どのようにして他とつながっているのか

 などなど・・・・ということを研究するのが、文脈横断論ということになります。

 もちろん「文脈横断論」とひとくくりにいいますが、その中には、エンゲストローム(バウンダリークロシング論)、ビーチ(共変移論)、ウェンガー(Communities of practice論)といったような研究者がいます。それぞれ、様々なコンセプトを提案して、人間の学習を描こうとしています。
 でも、細かいことはいろいろありますけど、要するに、そういうことです(笑)。「文脈横断論」とは「越境する人間」という視座をもってなされる学習研究ということですね。

(ちなみにやや専門的になりますが、人材育成の言説としての「越境学習論」を、そのまま文脈横断論に重ねることは無理があります。前者は人材育成の処方箋として「越境」を扱います。後者は人間を描くときの視座が「越境」なのです・・・この話はまた今度)

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 おとうさん おとうさん ぼくのおとうさん
 かいしゃへ いくと かいしゃいん
 しごとを するとき かちょうさん
 しょくどう はいると おきゃくさん

 おとうさん おとうさん ぼくのおとうさん
 はいしゃに いくと かんじゃさん
 あるいていると つうこうにん

 おとうさん おとうさん ぼくのおとうさん
 がっこう いけば せいとさん
 でんしゃに のると つうきんきゃく

 おとうさん おとうさん うちにかえると
 ぼくのおとうさん
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 もし、「ぼくのおとうさん」の歌詞をあなたにあてはめると、どんな歌詞になりますか?
 あなたにはいくつの「顔」と、いくつの「学び」がありますか?